再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 「島」パンフレット掲載文

終わったとこですが、
チラシ掲載文も載せたので、一応…

演出の戯言

この猛暑の中、島のことを考えながら、何の変哲もないとある住宅街を歩いていた。
フト目に入ってきたのは、

「ちょっとだけ」 離れるだけでも まず「施錠」

という看板。
要は、町の標語である、ちゃんと七五調だったりするところがニクイ。
出来上がった時点で、これはもう、近所の中華料理屋かなんかで乾杯しているにちがいない。
でも、とても違和感があった。わかるんだけど。これは町会の標語なのだ。
で、その違和感で立ち止まって、周りを眺めてみると―
まず目に飛び込んでくるのは壁に貼られた「犯罪!」の文字。続いて「ダメ!」の文字。
そのちょっと先には、「防犯カメラ稼動!」さらに先、「ひったくり注意!」
―なんだろうか、これは。ここは一体どんな犯罪地区だと言うのだろう…この暑さ以外は見た目長閑な地区には、昼の顔と夜の顔、全くの違いがある、とでも言うのだろうか、途端、この場にいるのが不安になり怖くなってみたりするじゃないか。人間だもの。

もちろん、「犯罪!」はそれ自体より小さく「不法投棄」、「ダメ!」にはその大きな字の中に「ポイ捨て」、「防犯カメラ」は病院の「安全確認のため、立入禁止 病院長」と書いてあるわけだが、
この恐怖と不安を煽る言葉たちは一体なんなのだろうか、自己責任論から生じる危機意識の高揚、とでも言うのだろうか、
確かに、ルールを破る行為者がいてのことなのだろうが…

そのゴミ集積所には「みんなで守ってキレイに」やら「綺麗な町」やらの文字も踊っている。そりゃあ、汚いよりキレイの方がいいのは勿論だし、ゴミだしのルールがキチンと守られていれば街角名物「ゴミ集積所おばちゃん」みたいな人の登場もないわけだし。
しかし、ゴミはなくなったとして、時間も守られたとして、その雑多なくせに整然と貼られているその紙たちを見て、これが町の「キレイ」と呼べるのだろうか、これで町の「キレイ」が守られたと言えるのだろうか、と突っ込みをいれてみる。そんな文字を子どもの頃から見せ付けられていると、どうなってしまうんだろう…。
この町あげての言葉の奥に見え隠れするのは「誰もルールは守らないから、そうそう人の事など信用しないで、甘い考えでいるとやられるよ。人の心はキタナイよ。でも、これを書いている私たちは大丈夫だけど」というメッセージである。自衛の為の、先制攻撃だ(実際はどちらが先だかはわからないのだが)、平和が乱されるから未然に防ごうとする。
これは是か非か、黒か白かの二元論に囚われた僕達の、学が白髪の老人といえる存在になっている頃の、日常東京の風景だ。これはとても小さなハナシだ、でもとても大きなハナシに繋がっている。恐怖と不安を煽るように、日々メディアから発せられる警句に、真偽を確かめる術もないままに、僕らは息をつまらせるしかないし、何せ、北京で蝶が飛べば、この際桶屋が儲かる、くらい言ってしまってもいいくらい、世の中は複雑で雑多に繋がっているのだから。

「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」

ゴミの話ではない。先人の書いた、大いなる矛盾についての言葉を思う。
人という存在自体が矛盾そのものである、でも矛盾している存在だからこそ「考える」ことができ、「考える」ということは、可能性に向かって開いていくことと、同義だ。
特に、この情報過多の時代に、「鵜呑み」ではなく「自分の頭で考える」のは至難の業だし、
みんなどっかで傍観者だ。傍観者は静に物事を眺め、大勢に添うもの、わかりやすいもの、声の大きいものになびいてしまい、いつのまにか「自分が考えたこと」と「みんなが言ってること」が同意に捉えられ、気付くと思っていたのとは全然ちがう場所に来てしまっている。

だから、みんなの意見はコロコロと変わる。
「自分」と言う主語をなくしてはダメだ。自分で考えてみるのだ。一人ひとりの自分が「なぜ?」「どうして?」と問いかけ、面倒くさがらずに深く問い続けること、その一つの個の思いから、大きく動いていくこともあるんだから、

この「島」は決して、「過去の遺産」ではない。
今の日本、でもある。白でもなければ、黒でもない、間の地点である。
島で生きている人間達も、決して「ただの創造上の過去の人物たち」ではない。
今と繋がっているのだ。
全ては人の行為の上にあり、人は人同士の関係の中で動いている、蠢いている。
僕らは彼らにどんな風に出会えるだろう。
学とは? おきんとは? 邦夫とは? 清水とは? 諸々…


その「死」とか「傷」とか「記憶」とか「時代」とか、誰が悪い、ではなくて、現在生きている人間全てが、捧げる思い、祈り、誓いとして昇華させるべきもの。
「自分」として、決して忘れてはならないものがある。

島のことを考えながら、町を歩いている。
僕はほぼ毎日のように、島の人物たちと会う。
普段、意識しないものが意識される。それはきっと新しいなにかの始まりでもあるのだと思う。
そんな出会いが提供できたらうれしく思う。


2010年09月14日(火)



 千穐楽

千穐楽、
この後半にかけては満杯つづき。
なんだか、名残惜しいお芝居なのである。
現状の目一杯ながら、
もっと、お客さんとの縦交流をつづけながら、奇跡みたいな一瞬を沢山生み出せるのになぁ
なんと思いながら。

しかし、今回は殊更に早かったなあ、特に小屋入りして。
この間、新宿間タクシー移動を何度したことだろう…
仕込、場当たりは家帰りをもとより断念(?)して、新宿泊まり、だったりして。

なにはともあれ、会場に足を運んでくださった方々、思いを飛ばしてくださった方々、
そして、俳優さん、スタッフさん含め、この作品に関わってくださった全ての方々に感謝です。誰が欠けてもできないもの、これぞアナログ…

是非に、あまり遠くなぁいつかに、再演をのぞむのである。

特に、まだ芝居が立体化する前、最初の頃に、取材させていただいた方々が嬉しそうなのが、印象的なお芝居だった。
ありがとうございました。


とはいえ、当分この本の稽古はいいです(笑)

明日はうち上がって、しっかり切り替わって、修学旅行の
全員揃っての稽古、である。

2010年09月12日(日)
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