 |
 |
■■■
■■
■ 二日目。
稽古二日目。 こっちのプールは大阪らしく、高い。 市営のくせに、七百円もする。 東京だと、せいぜい区営なら高くても四百円、 しかし、時間区切りだったりするが… (こっちの場合は一日で七百円→そう何度も行くものか…) ところが、ひと月フリーパスとなると、とたんに四千九百円。 七回くれば元を取れる計算。 なんか得した気分で、購入してしまう。という心の流れ。 これは、確実に大阪商人の知己にやられてしまっているような気がするのだが、←事実、長逗留の場合は、フリーパスを買っていた。 よく考えなくても、一日七百円は、えらく高いな…
で、稽古へ。 昨日ブロックわけをした順序で一度ずつ最後まで、 で、通し、という予定。 目的(台本上かかれている)だけで芝居をしないことを確認しながら、 昨日言ったことプラス 「結果をわかった」存在ではいかん、ということを。 ←つまるところ、わたしも俳優さんも、そりゃあ何百回と稽古して、本番も幾つか越えて、この世界については知らないことの方がそら少ないのだけど、たとえば「推理」というシーンがあったとして(実際、お軽いのがあるのだけど)出ている登場人物全員が、「わたしは結局のところ犯人ではない」という前提で存在してしまうと、まったく興味をひかなくなってしまう。実際の犯人を知っているから余計である。←登場人物たちが そんな推理小説は、読んでいてもドキドキしない。 色んな情報に右往左往したり、付和雷同が多くなったり、人を疑ったり、疑われたら焦ったり、考えたり、証拠らしきものの質感に引っ張られたり、 それでいて関係ない話に脱線してしまったり、 そんな人物達の紆余曲折を経て、回答に到達するわけだ。 で、そんなことを話しながら、 これは、「推理」なんてくくりじゃなくて、「お芝居」全体を通して完遂されるべきであることに気がついたりして。。。 こういうことを「鮮度」なんていうけど。 もう一度、台本を振り返る際、「知らなかった言葉や現象」に対してのリアクションがどうあるのか(その人物にとって)をもいちど精査すること、だったりする。 話の行きがかり上死んでいく人物が、最初から「死にに」出てはこないのだ。彼は「生きている」「生きようとする」。だから、「死」に命が吹き込まれるのだ(ややこしい(笑)) 理屈で並べるとややこしいのだけど、 単純にその人物は「今日おきることをしらない」という前提があるのだから。
で、そんなこんなチェック(だめだし)を挟みながら、最後までいって通し。グッと引き締まる。長い時間の稽古で、ガス欠は出たけど(笑)、単純にこの短い期間の稽古でできることはやった感。 その後俳優さんたちは、バラシ、荷積み、と休みなく。←お疲れ様です。
その後、新世界でモツ鍋。 七人くらいで鍋は雰囲気もよし。
巨人も祝、日本シリーズ進出だし。 明日は(日付は本日、というか後何時間後だ…)、以倉のご実家を訪問して、皆様からいただいた手紙を届け、その後、名古屋へ移動し、仕込。 祝、人生初、トラック移動。←七人乗り。 心配は… このひと月で溜まりに溜まっていたらしい腰痛がでていること…
2009年10月26日(月)
|
|
 |