再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 3日目

修学旅行ワークショップ三日目。
稽古場が前2日にくらべ狭かったのもあり、身体のメンテナンスから。

一人一言はたまたまあった(笑)ボールを「受け渡し」の道具としてプラスしたことで、昨日一昨日よりもシンプルになる。
ほんとに感覚というのは不思議で、言葉だけでなく、一つボールを「受け渡す」という枷が増えたことで、普通に考えればややこしくなるはずのこと(現に、それだけでは全くひとりの人間が話しているように物語は作られなかった)が、単純化される。
ま、だから昔から俳優ないし、「枷」を与えるとよくなる、というのだろうが、
きっとある意味、いい意味でその目的とされることから、「無責任」になれる、ということなのだろう。

行われている事の核からの距離の取り方、そこを自在にできれば…強いだろうなぁ(まあ、難しい)

同じ台本で6チーム×2バージョン、3日間の成果発表。音も各チームで決める。
わたしは、音響である(笑)
一つのテキストからどこまで可能性を広げて、
とらわれず、でもとらわれながら。

各チームの特色が出て面白かった。
(しのごの言わない(笑))
やっていることと、伝わることの違い、これは大事。

改めて来週から修学旅行の台本に戻って、稽古なわけだが、
もともとが、この「沢山の可能性」の中から出発したのだ、と私も含めて改めて。



2009年09月12日(土)



 二日目。

修学旅行ワークショップ二日目、
昨日のメニューを確認しつつ、先に進める。

久々にむりやり記憶(初対面の集団に名前をすぐ覚えさせる=この場合は名前ではなく、好きな俳優とか)→定着させない(名前を覚えさせる目的の場合は次に定着させるのだが=関係が一気に近くなるから)ということで(どんどん呼ばれる名前が変わっていく)、名前鬼(名前を使った変則鬼ごっこ)なんかをやってみる。これはもう、どんな人が提供しても盛り上がるので最近全くやらなかった(笑)←修学旅行班では、やったことがあるつもりで、やってなかった。
さて、名前鬼は至極オーソドックスなシアターゲームなので、知っている人は当たり前のように知っていることではあるが、
なぜ人は追い詰められると自分の名前を呼んでしまうのか、である。

ルールとしては、鬼に捕まえられる前に、別の人の名前を呼ぶ、という至極簡単なものである。
ちょいと違うのは、呼ばれた人が鬼になる、という理不尽極まりない流れだが、この場合、あまり関係ないが。守り→攻め→守りと移り変わっていく様は、サッカーの試合の如く。

鬼に迫られ、焦れば焦るほど、
奇声をあげる、
いいオトナが全力ダッシュで逃げる、
何を喋ったのかわからない、
いない人の名前を呼ぶ、
などが症例としてあらわれるのだが、
重症度の高い症状として、自分の名前を高らかに叫ぶというのがある。

小学生とき見たような、授業中、先生に向かって「おかあさん」と呼びかける子供とちがい、先生に向かって「自分の名前を」呼びかけるわけである、ありえない
総じて我々はそれを自分好きと呼ぶが、

更に悪いことにはこの病気が一人発症すると伝染する、つい今し方「自分好きー」とか突っ込んでいたやつまで自分の名前を高らかに

人間焦るとろくなことがないという当たり前のことを思い、
どういう自分の状態かをしること、自分を知ることはとても重要だと改めて。

一人一言では、
物語がなかなかつくれない、シンプルに受け入れて次に繋ぐというのはなかなか(笑)

終わりで
スターダスのカンパニー公演、「夏の夜の夢」
西沢氏演出。
爽快でさすがである。
構成が見事。

乱暴でいそうで丁寧な導き、◎
俳優は、是非にもう一歩踏み込んで苦手を克服していってほしい。



2009年09月11日(金)
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