再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 時間は有効に。

今週は、
養成所やって、学校行って、
ばんさんかいを観て、
映画はスラムドッグミリオネア(前述)とグラントリノ(クリント・イーストウッド監督・主演)を観て、
劇団劇作家さんの「合評会」に少し参加し、
久方ぶりに、堤くん(企画其の八からずっと出てくれている)と呑む。
というのも、
「一月辺り、結構暇だから、呑もうよ」
「いいっすね」
とかとか言いながら、
「二月の中旬がいいかな」
「いいっすね」
とかとか、
「下旬になると、卒公二本抱えだからなぁ」
「そうっすか」
とかとか、
「三月は基本こっちにいないからなぁ」
「そうっすか」
とかとか、
「四月に入ったら、前半戦は結構いけるよ」
「あ、いいっすね」
とかとか、
「下旬だとどんな感じ?」
「あ、いいっすよ」
と、こんな話を繰り返し、先へ先へ伸びていく。
気になるのは、堤君はこの流れで「いいっすね」か「そうっすか」としか発言していないことだが、それはまあおいておいて、
挙句、漸くの設定の日に私事で別件が入り、
「ちょっと夜遅くなるけどいい?」
「いいっすけど、それならまた別日でもいいですよ」
なぞと言ってくれたのだが、
そんなことになると、
「冬に鍋でもつつきながら呑もう」が「夏にビヤガーデンで行こう」
にすり替わる恐れ、
何せ、去年に話していたことが、まもなく「五月」を迎えようとする段で実現しようとしているのである。←互いに忙しいのはよいことだが。
しかも、決して遠くない位置どりに住んでいたりするのに。
ので、別件終り次第で連絡、
決行!

…って、そんな大層なことでもないのだが…
何をしたって、ただ飲むだけ飲んで、大概の時間は不毛な会話が支配し、オーバー30雁首並べてプレステ2(3でないのがみそ)に熱くなったりして、
大きな達成感につつまれる(笑)
そういえば、B学座のN峯くんとも、去年の九月に立てた「黒酢の酢豚の美味い店に行こう」ツアー計画(発端は去年どころでなく、三年以上前であることに今気がついた)が、何度も頓挫している。その間に、別の人間とはふらっと行ったりするのだが…
同じ現場にいないとこの商売こういうことがまま多い。

だから決行でいいのだ。
そして翌日、大きな反省につつまれる(二日酔い抜けかけの時によくあるやつ)
時間は有効に使いましょう。
…はい。


2009年04月26日(日)



 なにがおこるかわからない

青年劇場さんの芝居を観る。

久方ぶりに、師の作・演出の舞台。
感想。というより、相変わらず、どこに行っても、「楽」を選択しない感じに、「こうありたいものだ(笑)」と思ったり。
改めて、俳優というもののあり方をふくめて、

「想像する」
「発想する」
「会話する」
「聞く」

なんてことを思う。

つまりその場に「存在する」こと。

それが直に「なにが起こるかわからない」「作品の出来」に、
んで、「人間ということ」に繋がってくる舞台。

であるから、パートパートは面白いながら、
なかなか作品の温度が台本で説明されていない所を
カバーして余りある「想像力」と
他愛もない「会話」であるからこそ、「自分」だけで「完結」してはいけない、という部分と
走りがちな「情緒」に走らないことなど
「当たり前」とされるべくことが「当たり前」になりきれず、惜しい。
足並みが揃っていない…

ない部分を想像すること、って、とてつもなく楽しい部分だったりすると思うのだが…
わからないことへの欲求…

そんな訳で(どんなわけだ)
終演後は、今回、この音響にもついているKさんと、
別の現場から合流の師と
わたしと
三人で二丁目辺りで作品をつまみに呑む。
思えば去年の七月あたり、この三人で王子あたりで呑んでいたときは、つまみにする材料も違ったわけだし、こういう作品への関わりなんて全く分からなかったわけで、条理もなにもあったもんではないのである。

その後、電車で出演の俳優(修学旅行も出ている)に遭遇(正にこの言葉)。
そのまま、「お店」へ移動する(笑)
だから、何が起こるかは、その場に行かねばわからないわけである。

ただ、確実に自由度が高くなっている出演者には心強さを感じつつ。


2009年04月24日(金)
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