再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 久しぶりに。

今週水曜日から講座が始まるので、
そのカリキュラムの中にある、「小芝居」(笑)←われわれはこう呼ぶ
の為に、稽古。
非言語と言語コミュニケーションに特化しようとしているので、
まあよくあるが、
「同じセリフ」
で、設定、関係、感情、状況などなど
違う場合にどう見えているか、
五パターンほど。
って、わたしは三しかしませんがね…

久々って、よく考えたら、
相手役の早船さん、とかつて、やっていた記憶、それも遥か七年前。
その芝居でまさに自主的に辞めたので、七年ぶり、共演者、同じ(笑)

しかし、感覚というのは鈍るもので(演者として)
なにせ、「セリフがはいらない」のである(汗)
いいおっさん二人である。
で、二人して、さんざんセリフを廻すのだが…

稽古を楽しむまで、いやぁ〜時間がかかった。
結局のところ、どうもこの日の配分だけでは、「自信ねえな」という体たらく。当日明後日の午前中も「稽古しましょうよ」と泣きのお願い。

俳優って…
と改めて思う日…

2009年04月20日(月)



 なによ?

修学旅行ワークショップ二回目。
前半は目一杯体と頭と心をほぐして、
前回より引き続いての課題、地図を作り、近い道を論証する。
これをじっくりと、
それぞれのチームの着眼点が違うのは面白い。
というか、同じ劇団に毎日のように通う人たちのこのルートの違い方もすさまじい。(新宿という場所柄だから、ということが大いに関係あるのだが←想定してるからやっているとも言う)
しかしま、荒れる。
のである。
荒れる、とは、議論、にならないのだ、これがなかなか。
一触即発の空気。
それはもう一言で言うと、何かを突っ込まれると

「なによ!?」

と、逆切れするの意味で、これはこれでなかなかに楽しい(?)のだが、
一つのことだけに集中しすぎて、周りが見えなくなるとこうなることが多い。
視野を広く、なるほど、という感じだと他人の意見に耳をかせる。
勿論、ただ、なるほど、で、納得し、意見が変わる人もいる。
または、実体験を伴って、裏打ちされたところからハナシができると、非常に余裕があり、新しい他人の意見すらも巻き込んで、自分の意見に波及させることもできる。
自分の位置取りを把握し、目の前の建物(正に鼻先くらいの近さで)だけにとらわれず、行きたい方向を鑑みて、そこが全体図の今どの辺にあり、最短で行くにはそれはスタート地点からゴール地点までの直線距離であるのは間違いないのだが、そこに「障害(物)」というものがあり、そこを「どのように越え」るのか。またこの場合、「新宿駅の改札口から」という、乗っている電車が違えば、そのスタート地点までも違う、ということで、これは非常に、役を考えるという作業と酷似していると思うのだ。
つまりは、台本をもって、全体図があり、演出というルールにしたがって、今その役が、このとき、どの場所にいて、どこに向かっていて、誰と…云々、
近道、と思って、思い切り遠回りしていたりするし、
で、役である自分は、まさに鼻先に建物のある道を通っているのだ。

それをさらに、議論にしよう。
というわけで、難しくもなるわけだが、
自分がどういうタイプで、
だからこそ、どういう準備が必要で、
どういう言葉に耳をかたむけるのか、
そういう自分にとってのヒントに(要は自分を知るということ)満ちている。

どこまで伝わっているかはおいておいて…

来週は、も一つホンに入っていこうかなと思う。
夜は、そのまま新宿スペース雑遊にてアンの芝居を観る。
非戦の会の時にその存在を知って(おそっ)、まだ今回で三回目の観劇ながら、毎度楽しみ(だから毎度、というほどでもないわけで…)。四の五のなくて「生命力」溢れているのです。
日曜日まで。

さあて、わたしも「なによ!?」といわれないようにしよ。

2009年04月17日(金)
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