再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 充実する。

桜美林大学OPAP「トップガールズ」を観る。

まあ、設備とてつもなく充実。
スタッフも充実(ま、アドバイザー的関わりが多いようですが)。
作品のハードルも非常に高く。
俳優さんもとてもいきいきとその世界観に存在し。
後半の集中度とスピード感(そういう芝居ではないのだが)と緊張度は秀逸。
非常に興味深く観た。

最近よく思うことは、
学校とか、養成期間とか、
自分達が外に向かって踏み出し、評価を得ていく前段階において、
骨太の作品だったり、
昔の名作と言われるものだったり、
不条理だったり、
難解なものだったり、
自分達が思う限界以上のこと
をやれていること、触れられることはとても大事なことなんではないか?
ということ。

よくできた、わかりやすいホン、
ということだけでなく、
同世代が出てて、やりやすいホン、
ということだけでなく、
または、実は自分達だけでもできそうなホン、
というんじゃなく。

たとえばそこに講師や演出家がいるならば、
その目線、その作品と関わるということへの対し方、その人との関係やらがあるからやっと成立するもの。
勿論、ゼロから100まで与えられるだけじゃなく、自分でもできる限り考え、

(…かく言う私は、かつて、
「なんで今更シェイクスピア?」
やら
「なんで、日本人がカタカナの名前になんなくちゃいけないんだ?」
やら
「これ、さっぱり、意味、わっかんね」
やら
「これ、古くないですか?」
やら
「現代なんだから、現代作家をやるべきだろ」
やら
言い放っていた口ではありながら…)

そういう作品やら価値観と相対、出会うことで、
また視野が広がったり、価値観が変わったり、ということが自然と行われ、そこからまた、自分のできること、に改めて自分の頭で思い至るということができれば、物凄く、豊かな時間なのではないか、と思ったりする。

(かく言う私は、
「ダンス?いかねーよ」やら「声楽?なんのこっちゃ」やら言っていた口だが)
(気付くのは、早いほうがいい(笑))

そんなこんなで、飲み会にまで参加。
大学生にも、しっかり人間模様が見えて(自分に照らして考えれば当たり前なことではあるのだが)、楽しかった。

2009年01月26日(月)



 傾向と対策

今週は…
火曜日はなんやかや朝まで呑んで。
水曜日は、こちらも久しぶりにラッパ屋を見て変わらず楽しくて嬉しくなり、
木曜日は養成所ダブルで、片や台本を確定し、
金曜日は本当は夜に観たい芝居がありながらも、どっぷりと稽古の為断念し、
土曜日はマチネに早船氏(今や注目の作家さん)のサスペンデッツを観て、夜は打ち合わせ予定。
明日は桜美林大学のOPAPを見に行くつもり。

しかし、だましだましもこれは体調不良。。。
酒が百薬のなんとかなのは、どの段までか…
いつになっても学ばないのである。
締切りと、稽古と、体調と、

サラリーマンを含む、先輩諸氏方と話しつつ―
「うちら(含むわたし)の仕事って、毎日地道に少しずつどうのこうのする、と言うよりも、いつも八月三十一日までにやっとけばいいって宿題があるようなもので、で、うちら(含むわたし)みたいなタイプって、三十一日になって焦るじゃん、てか三十一日にならないとやらないじゃん」

つまるところ、与えられた仕事に対しての自己管理能力が問われる、と言うような意味なのだが、元々そういう能力がある人は、こういう世界(どんな世界だ)に足を踏み入れないのではないか……とすれば

こういう場合、大切なのは「傾向と対策」なのである。
人間は学ぶことができる存在なのだから。

しかし、そういう言葉があることはむかぁしから知りつつも、
自分の辞書にはどうにも載っていない、書き加えられない。そして、わたしの場合

「その三十一日の時点で、嗚呼、この間も思ったのに、どうしてやらなかったのか、と反省をすることに時間の大半を費やす」
という自ら首を絞める特技を持っている。
こういう傾向にあるから、こうこうこういう対策を練る。
わかっている、わかっているのだ、せめて、その三十一日だけでも全身全霊「忘れていた宿題」を「やる」ことができればどんなに生産的か。
こういう傾向にあったのだから、あのときにこういう対策をとっておくべきだったのだ。いや、どの時点で対策を間違ったのか…、そもそも傾向の捉え方を間違えているのか…
人間は学ぶことができる存在なはずなのだから。
傾向と対策…
こうして自分を俯瞰して眺めることもできるのに…

結論。
こんなことをしていないで、問題に向き合えばいい、ということだ(嘲笑)
傾向と対策も間違ったときに練っても仕方がないということだ。


2009年01月24日(土)
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