再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 長い長い、長居住まい。。

劇団コーロ一般公演

第33回大阪新劇フェスティバル参加/大阪市助成公演
『青い風の街かどで』
1965年、
あなたは、あの頃どこにいましたか・・・

日時:2005年9月6日(火)〜11(日) 全9ステージ

1ST 2ST
  6日(火曜日) 18:45開演
  7日(水曜日) 14:00開演 18:45開演
  8日(木曜日) 18:45開演
  9日(金曜日) 14:00開演 18:45開演
 10日(土曜日) 14:00開演 18:45開演
 11日(日曜日) 14:00開演
                      
会場:スタジオ・コーロ(劇団コーロアトリエ)

●あらすじ●

    ・・・1965年、大阪近郊の小さな街に暮らす高橋綾乃。
小学生の時に母親を亡くし、今は、定時制高校に通いながら、
父、弟二人と四人で暮らしていた。
ある日、父親が再婚したいと一人の女性を連れてきた。
複雑な心境ながらも、新しい母との生活が始まった・・・。

六十年代の長屋住まい背景に、そこに生きていた人々とのふれあいを通して、
揺れ動く少女の心のひだを見つめる・・・。


脚本/坂口 勉
演出/藤井 ごう
美術/石田 昌也
衣装/五十嵐 和代
照明/福井 邦夫
音楽/大西 玲央
音響効果/須川 由樹
舞台監督/石井 満
効果オペレーター/岡本 信代
舞台監督助手/大村 倬也
制作/宮下 久美子
     栗原 和子
     澳 利子


…ということで、私の、遅筆の言い訳ではなく、宣伝であります。
ちゅーか、大阪の長居なので、なかなか来れないことは知りつつも。
良い飲み屋もあるのになあ…

七月の二十五日からこっち、ほとんど長居住まい。間間で、東京、兵庫、大阪、兵庫、そして長居に戻る。
わたしの記念すべき三十路の入り口の夏は(ようやく認めた)、関西にすっかり捧げてしまった。関西弁がすっかり身につく、わけはなく、似非関西弁を交えつつ、耳だけは、こっちの言葉にすっかり馴染んで気がついたら九月、そして明後日には、台風の接近にあわせるかのように、本番を迎える。
こちらでの私はといえば、もうここまで来て、すっかり普段どおり、突っ走り、朝から夜までテンションは誰よりも高く、各セクションに首を突っ込み、ダメ出しは長く、そしてやっぱり「むかつく」「はらたつ」と言われ、おっちゃんおばちゃんにもちゃちゃをいれ、稽古が終われば呑みに行く。とても健康的な生活です(爆)。

とにもかくにも明後日初日、きっと面白くなるでしょう。開いたら、七日から、いよいよお久しぶり、R-viveのお稽古なのです。東京やっと帰れます。
と、そんなころ、私の住む杉並区は雨が大変なことになっているらしい…
家は大丈夫だろうか…
芝居は大丈夫だろうか…
果たして台風で七日に帰れるのだろうか…
もしかして、この夏は呑みすぎてやしないだろうか…
休みという日が、十一月までないのだが、よいのだろうか…
そういえば、わたしはその昔新劇にいたのに、新劇の定義がよくわからなくなってきてよいのだろうか…

いろんな夏だ…
長居、長い。

洒落ではない。




2005年09月04日(日)



 国境の下で聞いた音(庄司)

「耳をつんざく音」。
 長渕剛が『いつかの少年』の中で使っていた歌詞だ。 聞こえてきたときに、鼓膜がはたかれるような印象が残る。鹿児島の海を前にすると、怒涛のような波のしぶきに、体がひきちぎられるような感覚におそわれるのだろうか。どんな音を聞いたらそんな言葉が浮かんでくるんだろう……。
 長年抱いていた疑問は、ピザの配達で解かれることになった。

 JR山手線の新大久保駅からほど近いところに、通称“国境”と呼ばれる小さなガードがある。ピザの配達員の間では有名なガードで、百人町2丁目と大久保2丁目の境目にあたる。
 百人町が日本だとすれば、大久保という住所は混沌とした“アジアのるつぼ”だと言ってもよい。だから治安の点で見れば、きわめて慎重な行動を要する“国境線のガード”ということになる。

 網の目のように張り巡らされた路地の奥から、よく外国人の悲鳴が聞こえてくる。覚えたての日本語だろうか、ぼくが初めて聞いた暗闇からの声は、「たれか、たしけて……」だった。かぼそく消え入りそうな声はすぐに途絶え、奥からヨレヨレのTシャツを着た男が無表情であらわれた。血のついたナイフをぼくの鼻先につきたてて、「おまえ、いない」とつぶやいた。ギャング映画の一場面のような状況に、ぼくは震えながら後ずさりし、逃げるように立ち去った。
 店に帰ってこのことを話すと、みんな神妙な顔をしておしだまった。後悔と恐怖の念にさいなまれていたぼくに、一番の古株である大ちゃんが慰めの言葉をかけてくれた。「気にしないほうがいいですよ。ピザの配達で刺されたりしたら、目もあてられないじゃないですか」。

 だから配達員はこの場所に敏感になる。それまで、我が物顔で街を疾走していた不良上がりのドライバーも、ガードを過ぎればおとなしく道の端をヨタヨタと走るようになる。バクバクと高鳴る心臓を押さえつけ、心の中で息もたえだえに悲鳴を上げる。「ぼくはどこにもいません。どうかぼくに目をとめないでください」。

「耳をつんざく音」を理解したのはこの“国境”の下だった。ガード下を通りかかったとき、鉄橋と山手線が擦れ合い、鉄同士が断続的な金属音をあげたのだ。「焼け火鉢を突っ込む」と言う表現があるが、それによく似ていたように思う。耳の中に、“焼けただれた音”がねじ込まれていくような、血が逆流し、目と鼻と口がから一気に噴出するような、とにかくものすごい音だった。
 急いでバイクをとめ、両手で耳をおさえながら大声をあげた。そうすることで、やっと音をやり過ごすことができたのだ。電車が去った後に声を出してみると、自分の声が、ちょうど闇の奥からとどいた悲鳴のように、かぼそくかすれて聞こえた。鼓膜が“つんざ”かれていたのだ。

 毎日の経験が積み重なるにつれ、“国境”の向こう側での対処の仕方も、“国境”を通過する際のコツも、身に着けることができた。「来るぞ来るぞ」と軽いスリルを楽しむようにまでなった。それでも、時々頭の中に、「たれか、たしけて……」という声がかすめることがある。そんなとき、ぼくあげる大声は、やはり悲鳴のように聞こえるのだけれど。

2005年07月12日(火)
初日 最新 目次 HOME