再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 さくらさくら

いや、もうすっかり十日、いつの間にか桜も満開である。
水曜日からの芝居も満開といきたいものである、特に、早く散らないようにしたいものである。(笑)

わたしが花粉症であって、春を恨んでいるということはさておいておいて。
これほど、桜が四月、入学式あたりまで残っていて、尚且つ、桜の咲いた週末の天気が良いというのは、どれくらいぶりなんだろう。
だから花見も、三月下旬なんかにやるのとは違って、暖かいし、もってこいである。
花粉症も、大勢の殆どを占めるスギが弱まってくるので、花粉症の人間にとっても花見をしやすい。わたしがどうやら、その後どんどんひどくなっていくのは、もしやヒノキのアレルギーもあり、そっちの方がひどいようであり、春をうらんでいるということはさておいておいて。

雨が降っていないから、無理やり散らずに狂い咲き。
余りの桜に、人が狂い咲いてしまいそうである。

 そして昨日−
稽古帰りの山手線。高田馬場から新宿までというわずか二駅の出来事。
大きな声で話す大柄な男(スーツ1・スーツ2)二人。
彼らは、まあ、それは楽しそうだった。
優先席付近に立って、つり革に摑まっていた。
ま、彼らは今日した花見について喋りあっているのだ。
と、携帯電話が鳴る。ここは優先席の目の前なのにである。
ま、それくらいの事はいいのだが…
と、スーツ1が出る。電車の中なのに。
と、その後ろにいた大きなカバンをもった男(カバン男)、イラッとしたのか、スーツ1を見る。気がつかないスーツ1、まだ喋る。
その、カバン男がわざわざ身体をスーツたちの方に向けるので、優先席に座っていたサングラスをかけた女(サングラス女)と目が合う。女も、スーツ1を見ている。
その頃、スーツ2は両手でつり革に摑まり、頭を両手に持たせかけている。
スーツ1まだ喋る。カバン、サングラス、更にイラつく、スーツ2は両手に…
スーツ1「…あああ、おつかれさまです。ええ、いや、もう電車なんですけれど。…ええ。は?…ええ。は?…ええ、いや、A(スーツ2)を送ってるとこなんですが。いやいや、大丈夫です慣れてますから。…で、ええ、はあ。課長の靴…、靴、ですか…、ちょっと待ってください!」
と、スーツ1電話口に言い放ち、スーツ2のズボンをまくって靴を見た。
カバン、サングラス、まだ話すのかと思いつつ−
なんとスーツ2は上はスーツだが、下は汚れたジャージを穿いているのだった。(スーツ2改名→下だけジャージ)※
※もうわかりますね。ゲロッて、スーツの下をダメにしたものと思われる。
そして更にスーツ(スーツ1改名→スーツ)は下だけジャージの靴を調べる。
カバンと、サングラスは、今更その格好に気がついてしまい。怒りが、笑いに負けそうになっている。なぜなら…
スーツ何かを見つけた。
スーツ「これ、お前のじゃないよな。」
下だけ「んー、あー、あっ。いや。」
スーツ「お前これ、明らかに違うだろ。かたっぽ潰して履いてるじゃないか。」
下だけ「あれ、んー、あー、……どうしましょう?」
カバン、サングラス。色は同じだが、左右、大きさ(左は小さいので踵をつぶして履いている、当然革靴)と紐の結びの違う靴を見て、もう絶えられないことになっている。下だけジャージ改名→革靴の踵を潰して履く男(略:履く男)
スーツ「(電話口)すいません。はい、あります。いや、はい。兎に角、明日ですね、課長のお宅まで届け届けさせます。(履く男に)おい、いいよな?」
履く男「(なぜかちょっと前からものすごく酔っ払っている風情で)あー、んー。」
スーツ「ちなみに、ちょっと踵が潰れているんですが…、大丈夫ですよね?…スイマセン」
カバン、サングラス、笑い声を出さないのに必死である。だって、花見で吐いた男は今、課長の革靴を履いた男なのだから…

そして電車は新宿に到着。
スーツは履く男の肩を抱え、履く男はスーツの肩を抱き、千鳥足で新宿のホームを消えていった。
なぜか、電話を注意できないわたしなのだった。

狂い咲き。
いや、春はいい。
わたしが、花粉症であることをさておいておけば。

2005年04月09日(土)



 キキキリン2

聞く、ということについて。。

どうしてもわたしのような稽古をする演出家がいわれる言葉であって、さらに、どうしたらいいですか? と、聞かれがちな質問である。
が、答えようがない、が、第一の答え。
そしてその先は、自分がどう存在し(舞台上に)、という話になる。
これが、やはり役者と言う、表現主だと思っているにんげんにはわかり辛い、だからこそ、わたしの台詞をこういえばーという役者が嫌がオウにも多いのだろうが。

人は基本的には、聞くという生き物なのである。
これはゆるがない事実。自分の経験を思ってみればいいさ。

「聞く」というのは、役者にとってみれば、一番難しい問題である。
が、それができれば、なんだってできてしまうのである。しっかりと聞く事ができれば、その後の反応なんて、自ずと出てくるものだから。

第二の答え。
普段人の話を、もしくは、どう聞けばいいんですか? なんてはなしをちゃんときいている人間である。=それが聞いているという事象である。と、わたしは感じている。その他にどうしろというのか。だって、人の話をちゃんと聞く気、もしくは耳に入るという時点で、聞いている、ということだから。

大体の表現者は、そこで、行き詰るものだが、「よい」と言われる人たちは、自分の表現手段の面白さというものをカミ
した上で、しっかりと聞いているのである。
だからこそ、別の仕事をふられても面白いと言われる(芝居以外のね)代表的な人を考えてみれば自ずとわかるはずなのだが…
だって、相手の受け答えで、自分の出す答えなんて七割がた決まっているのだから。
これは、揺るぎようのない何かだ。
第三の答え。
表現主は、自分の台詞の中だけで、なんとかしようと思いがちなのだろうが、そんなもの、実は、箸にも棒にも掛からないくらいなものなのである。それをわかった上で、どうにかしていけるだけの魅力を持った生き物=優れた俳優なのだ。

と、私事だが、思う。

そしてこれは間違っていないなと、やはり思う。
悩むことをなくした人。
そして、それを敢えてしない人。
等など、色んな人がいるが、基本的にはこれである。
そしてそれの究極的な話がキキキリンだと、わたしは思っている。

だからこそ、考える頭を持った上で、柔らかい(身体的にも、頭でも)役者が、どんどん使われていくのだ。

言葉を換えれば、おっと、しっかり自分と言う人間を乗せたもん勝ちなのではないか(ややうがった見方であるのは置いておいて)と、それを一番に考える。何故なら、人が変わっていく、プラス伸びる事よりも、名声を思うばかやろうが多いから。

なんだか、真面目な今日である。そしてこんなのは、今日だけである。

ごう


2005年03月27日(日)
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