再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 ちょっと芝居を観に…

初体験である。
なにが初体験かというと、芝居を観るために、わざわざ新幹線にのり、現地まで行って見るという行為がだ。
地方に仕事で行ったりすると、東京でやっている芝居を観に、飛行機に乗ってきたり、船に乗ってきたり、同上新幹線に乗ってやってくる人たちがいてびっくりすることは今までままあった。
そういう人たちは、われらの芝居にもそのようにして観に来てくれる。ありがたい、非常にありがたい。足を向けて眠れない。
のだが、例えば飛行機の場合、正規で買わない場合であっても、往復にうん万円である。プラス、折角芝居を見に東京に行くなら、一劇団だけじゃあれだから、と二泊三日くらいにし、宿もとって、二泊三日で四本位見る。宿代を考えても、ちょっと万円で、芝居も、小劇場から大劇場まで色々見れば、それだけでうん万円なわけである。つまりうんうんちょっと万円のお金が出て行くのだ。これはすごい、ぶっちゃけ外国に行って、近いところならば、少なからず豪遊することだってできるのだ。
その情熱、ずっと東京にいて、いつでもいけるから、と言いつつ、よっぽどいいからと言われないと、なかなか足を向けなくなっている私には正直驚きに値する。そして、半分反省する。
そして「よくやるよなー」と思う。
そしてそれで「つまらなかったら?」と思う。
そして「私なら、旅行にする」と思っていた。

そんな私が、誘ってくれたKさんの援助はあったものの、大阪に芝居を観るために、上京(?)したのだ。
と、言いつつ、じゃあ行くならどうせなら三四日泊まって、と、色々遊ぶ計画も考えたのだが、そのお芝居の公演日程は、水曜日まで。私が空いていたのが、月曜日夕方までNGの火曜日オールフリーで、水曜日午後から仕事。だったので、火曜日しか、ない。

ので、こんなスケジュール。
月曜日夜―次の日に備えて、予定を詰める。という名の乾杯。前夜祭(現に今日は明日もあるし、十時には帰りましょうといいつつ、気がついたら……。この日から始まったと言っても過言ではない)
火曜日朝―十時に待ち合わせ、新幹線に乗車(実際には十一時、理由不問)乾杯(むかうとも言う)。一時前には京都に到着(大体、予定が一時間おしになる)。それから電車を乗り継ぎ、嵐山へ。
火曜日昼―二時前、嵐山。雨の渡月橋を見ながら、豆腐料理を食す乾杯(日本酒)。総年齢百歳を超えた男三人で、失楽園気分を味わう(安いと言われたことはこの際、おいておく)。ついでに美空ひばり記念館を、入場料は高いのでおみやげコーナーだけ閲覧。
火曜日夕刻―大阪南港を目指し、嵐山を出発(その前に、足湯温泉と、噴水を間違える)。
火曜日七時前―南港に到着。雨の中、あまりにも静かで人がいないので不安になる。
火曜日七時―現地到着。維新派「キートン」。野外で、駐車場を劇場化、入場前には、昭和を彷彿とさせる屋台街(手作り!これも初体験、持込も歓迎、これも初体験)、寒くなってきたので、汁物を食べつつ乾杯(ビール、お湯割…)。ここで、驚くべき、地方の人間(そうやってよく見に行っている人間)とばったり出会う、凄い、ちょっと感激。
火曜七時半―「キートン」開幕。上演時間二時間半。寒いので、カイロ、カッパは無料配布。到着時、雨はやんでいたが、本番中ちらと降り始め、プラス、海風が寒い!雨の中の観劇、初体験!しかし、セリフはこれでもか、とないにもかかわらず、とてもよかった。芝居を始める前の小劇場を見た衝撃に似て。感激。
火曜十時―終演。体の芯まで冷えたので、温かいものを食し、あったまるお酒で乾杯。
火曜十時半−豪勢に輪をかけてタクシーにて「鶴橋」へ。
火曜十一時―「鶴橋」に到着、ということはやはり「焼肉」を食しつつ、マッコリで乾杯。
水曜零時半―現在大阪在住の昔R−viveにでていた奴と合流し、次の店へ。
水曜一時―Kさん行きつけの上本町の引き出しがいっぱいのお店で乾杯。
水曜二時―本日宿泊予定のH城さん実家へ。(非常識な時間であることはよくわかっているが、その時はあまりわかっていない…)
水曜二時半−H城さん宅で、お父さんお母さんを交え(こんな時間に…)乾杯。
水曜三時―まだ呑んでいる。
水曜三時半−まだ呑んでいる。
水曜四時―一人二人と落ち始める。
水曜四時半―就寝。(のはずが、私は諸事情により、未だ眠れず…)
水曜七時―起床予定。のはずが、誰も起きず。
水曜七時半−H城さんとわたし、お母さんだけ起きる。(八時には出発予定)
水曜八時―もう一人起床。(八時には出・発・予・定!)
水曜八時半―Kさん一人起床。(八時には出・発・予・定!!)
水曜九時―京橋駅出発。東京帰京予定のわたし、H城さん以外、三々五々。
水曜九時四十九分―東京行き新幹線のぞみ号出発(ギリギリ現場に間に合う電車であった)
水曜九時十分―爆睡……

滅茶苦茶である。(キートン山田風)
以上のように、大分予定はずれたり、慮外(?)乾杯が多かったりしましたが、これはもう…、祭りだ。
祭り以外のなんと表せばいいんだろう。
芝居が面白かったのも、メインはあくまで「芝居を観に」いくという意味で、大変結構でした。その土地柄に触れないと、楽しめないもの。そんな感じがシタ。
土地柄に触れてみてのイベント、やっぱり、これは祭りだ。
初体験。
初体験。
初体験三昧。
楽しかった。
ちょっとだけ、遠くから芝居を見に行く。という気持ちがわかった気がしたこの二日間。

ただ、今度は是非、ゆっくりといきたいなと思った彼らなのであった。(キートン山田風)

※作品「キートン」と「キートン山田」は関係ありません。駄洒落でもありません。

P.S またやりましょう、Kさま。

ごう


2004年10月30日(土)



 sakamoto9

もう書き飽きるくらいの言葉、「今年は異様に台風の上陸が多い」
これはもう先々週、期待はずれ(と実際に書いたわけではないのだが)的ニュアンスで書きなぐったことを後悔せよ、とでもいうのか…
台風はいく。
あまりに被害が甚大で、これはもう、驚きに値した。
バスの上で、「上を向いて歩こう」を歌い励ましあって、バスの上に避難しているのに、さらに膝上まで水につかりながら一夜を不安なまま明かした32人の人たち。
いや、美談である。これはもう相当、美談である。
そこで歌うのが「上を向いて歩こう」であるのが、更に美談を増長させている。
なんとシチュエーションを鑑みて、これぞという選曲をしたものである。
そう話が上手すぎると、疑ってみたくもなるのである。
はたして「上を向いて歩こう」である。
これが「雨に濡れても」でもいいかもしれないし、「あーめあーめふーれふーれ♪かあーさんがー」と歌っても、周りから睨まれないならいいかもしれないし、「最後の雨」でも、森高の「雨」(個人的に好き)でも、いいんだろうさ。
そこで井上陽水の「傘がない」を歌うくらいのウィットが欲しい(例誌:…、だけども〜問題は〜今日の、あめ〜、傘が、ない〜)ところだが、別にそんなものは誰も求めていないし、それ以上にウェット(駄洒落)であった訳だから、求めても仕方ない。しかし、しかしながら、もしかしたら歌ったかもしれないじゃないか。
そりゃあこんな歌詞があるのかどうかはしらんが「雨に沈む〜」とか「涙にくれる〜」とか「涙の洪水〜」とか、こういうのはちょっとどうかと思う。
また、この美談が、『バスの上で、「祭り」を歌い励ましあって〜』では美談が美談にならないで、ちょっとドンチャラ祭りになってしまうんじゃないかという危惧もあるし、『バスの上で、「嫁にこないか」を歌って〜』では美談よりは、嫁不足の農村の惨状、というか悲壮感が漂ってしまうし、『バスの上で、「きよしのズンドコ節」を歌う』では、わけがわからない。もうそれはただ単に、氷川きよしを好きな人の集まりになってしまうかもしれないし、『バスの上で、「piece of my wish」を歌う』では、今井美樹と歌詞をしらなければ、「あ〜反戦運動ね」なんて片付けられてしまうかもしれないし、「リンダリンダ」ではバスの屋根は壊れなかったかと心配が別のところにいってしまうし、ましていわんや「おら東京さ、いくだ」では、もう意味が全くわからない。
閑話休題。
都合何時間だろう、そして、何曲、歌を歌ったのだろう。そんな状況だ、テンションがおかしくなって「おら東京さ、いくだ」を歌ったかもしれないし、「上をむいて歩こう」だって、何曲も歌った上の、たったの1曲なわけだろう。夜から、朝を迎えるまで、永遠に「上を向いて」を歌い続けたとはちょっと考えにくい。なのに、どうしても「上を向いて歩こう」を歌って励ましあった。のだ。
別に坂本九の曲が嫌いなわけではない。
というか、好きだ。…なんのカミングアウトだ…
美談は美談で確かにいいのだ。最悪の事態にならなくて、本当によかった。そう思う。
しかし、なんか演出、または装飾された匂いを感じてしまう。
当然、それを書いた人もそうだろうし、その件を報道した方もそうだろうし、もしかしたら、助かった本人たちも、自分たちが助かるとわかった上で、美談を演じようとしていたのかもしれない。(決して非難ではないですよ、無意識下のこともあるし…)ましていわんや、聞いてすぐの私もそれで、ああ、いい話だと思ったし…
決して事実を捻じ曲げたわけではないのだし、事実の断片を切り取ったとすれば、それはそれでいいのかもしれないが、これでは、その時、人間が何を感じ考えたのか、本当の興味は薄れてしまっていくように思える。美談というのを隠れ蓑にして。

『バスの上に取り残された32人は、互いに励ましあい、たまには歌を歌い、朝になり救助が来るのを待った』のである。歌の題名、まして内容は関係ないのだ。(とここで散々自分が題名と内容にこだわってここまで書いていることに気がつく)

美談の主人公たちは、来るかわからぬ助けを請い、窓ガラスを割って足場にしてまで屋根に上り、それでも増え続ける水に、恐れを抱き、しかしその恐れや不安もほかの31人といられること、歌い励ましあうことで、朝を待ったのだ。


だがしかし、わたしはそのバスの横にあった大型トラックの荷台にいた一人の男が気になってしかたがない。彼は、画面で見たところ、毛布かなにかをかけ、横たわっていたようだった。美談の蚊帳の外に、一人、寄り添っていたのだ。

彼はきっと同じように不安な夜を独りで過ごしながら、真の闇の中、聞こえてくる話し声に希望の光を見出したかもしれない。そして真の闇の中聞こえてきた「上を向いて歩こう」をどう聞いただろうか―

ちょうどこの間再放送をしていたから思う。
わたしは、タイタニックを好きではない。
だけど、別につまらない。とこの場を借りて宣言したいわけでもない。
ただ、沈んでいく船の中、それでも演奏を続けた、楽団の方に、よっぽど興味がある。
その内面に興味があるのだ。

ごう


2004年10月23日(土)
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