再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 守ってやりました。。

前回確認したとおり、本日の土曜日はやはり間違いなく、十月になった。
秋ですねえ、秋。
なのに今週はまた台風が上陸したり、九月の最後の日は○城さんのお誕生日だったり、色んなことがありました。

さて、何を守ったのかって…

今週は水曜日、まさに台風の大雨、風のなかの出来事。

私は、雨が降っているにも関わらず、駅からの帰り道、自転車に乗って帰ろうと決めたのだった。思えばこれがイタイの始まり始まり…

私は普段、人から「なぜそんな一週間くらい旅行できそうな重量のカバンを持っているのか」と言われる。実際に重い。かなり重い。それはまるで苦行なのかもしれないくらい重い。そんなカバンを肩から提げて、渋谷なんか人の多い所を暫く歩くと具合が悪くなる。わかってはいるのだが、いつも重い。どうしても重くなる。

ちなみに本日の内容物を…
台本、四冊。(←読んでおかなければいけない、修了公演の為)
ノート、二冊。(ネタ帳だったりして、普通のB5よりも大層なもの。←気分の問題)
今書いている脚本の資料、三冊。(←大きいのから小さいものまで)
その元ネタとなる小説。(←難儀なやつだ…)
その初稿。(気が気じゃないもの)
小説というか、エッセイ(小冊子、基本的にくだらない、リフレッシュとリラックスを含む。最近はまっている)
漫画。(浦沢直樹と手塚治のコラボレーション。プルートウ)
ファイル。(詳しくは触れない)
電子辞書。(必需品、昔高価にも関わらず買ってしまった。今その価格を出せば、辞書五十冊分のやつが買える…、替えたい)
CD三枚。
財布。(現金は入っていない…)
折りたたみ傘。
そして、パソコン。

改めて思う。そりゃあ重いだろ。
だけど、言っておこう、これを持って、一週間の生活はできやしないさ。
大半を占める本たち。
こんなに入れてたって、全体読むのかどうか。
多分読まない。いや、読むにしろ、読めるにしろ、一日のうちでできることは計算すれば考えられそうな物なのだが。そうする気配も無い。自分のことなのに。
つまり、私はそうやって、きっと、安心を持ち歩いているわけだ。
たった一回でも「あれ、あの資料のあの、あそこ、えっと…、あー、持ってればわかるのに」という数少ない経験のために。
持っているという、安心を買うために、渋谷なんかで具合を悪くしているのだ。
この場合、普段散々学習能力がないようなことを書いているのに、そんなことは気にするのか。とか、言わない。
そしてカバンの中は、まんまるさんの言う、「ちょっと珈琲でも飲んでいかない?」とは決して言えない状態なわけである。
違いがあるとするならば、パソコン、そう、命よりも大切なパソコンが入っていることである。スケジュールから、台本から、何からなにまで、そこに入っている。管理している。だから、そんなカバンでも、粗雑にはゾンザイには扱わないよう、日々心がけている。

そしてかの雨の日―
駐輪場は二階にある。
二階にあるから、一階まではスロープを下りなければいけないのだ。
そして、張り紙もしてある
「自転車を降りて、押して、下りてください。」
…わかっている。わかっているのだ。だがしかし、しかしである。
雨が降っている。だから、カバンの中で無駄と思われた折り畳み傘が役に立つ。
片手にはひらいた傘である。そして、自転車の籠には、それだけの重量を持ったカバンが鎮座している。右手しか空いていないし、その右手すら、カバンのストラップを、籠から出ないようにハンドルと供に握っている。それはつまり、押して下りる方が遥かに難儀に思われた。
というか、二階にいた段階で乗っていたのだが。

スロープは金属である。
雨の日はことさら滑りやすい事は誰にでもわかる。
だが、大体の場合、すべるーと思ってから、「やはり」となるわけだが、
案の定、私の自転車はそのスロープ、雨のふるスロープにやられ、前輪を滑らせ、思い切り転がったのである。詳しく言うと、前輪が結局持ち上がるような形になった。
あ、まずっ…
そう思った。それから完全着地までの間、それはもうスローモーション。
このまま倒れると、腰を打つ。
そういう感覚は運動をしていたからわかる。
だから受身の態勢に移る。
そしてまあ、こけたけど、雨の日はやっぱすべるよねーとか言いながら、照れ隠しをした…
で、終わるはずだったのだが、そのとき、上がった前輪(つまり籠部も当然持ち上がるわけで)に、私はカバンの存在を、結局の所「パソコンさん」の存在を見てしまったのだ。だから私は、しっかりとカバンを抱きこむ、そして仰向けに、受身も取れないままに倒れる、または落ちるという選択肢をひいてしまったのだ。

完全に腰から落ちた。
私の全体重、プラス自転車、プラス、その重すぎるカバンを腰一点で受けた。
金属部のスロープの横に並走している階段は勿論コンクリート。
これはもう軽い交通事故だ。
死ぬかと思った。
しゃれにもならない。 


しかしパソコンさんはと言えば、今これが書ける位だから、しっかり守ってやりました。

現在の私は背中痛、軽い感じのムチウチ、腰痛、三重苦である。
それでも、重さの変わらぬカバンを提げて、これはもう四十苦である。
やはりわたしはマゾなのか…

ごう








2004年10月02日(土)



 おっとお(汗)

当たり前のことだが、こうして土曜日並びにたわ言をアップしていると、ほぼ四回で(たまに五回)一月が過ぎていく事になる。

うーん、改めて当たり前だな。

普段ルーティーン的、または「規則正しい」、または暦どおりに生活をしていないので、こんなことで正確に時間が経っていく事を感じている。
このまま「規則正しい」食生活や、「規則正しい」睡眠もこなしてしまおうかとも思うが、どうもそういうものは性にあっていないようだし(改め言う事でもない)、ましていわんや「規則正しい」人間にはなかなかなれないのである。この場合、別にそれを目指しているわけではないことは置いておく。

まさに「あっ」という間の日々である。
無論、芝居の本番を控えている時程ではないわけだが。あの、何時間、何日、何ヶ月あっても「時間が足りない」と戦々恐々としてしまう、異常な状態の事を言っているわけではない。振り返って、尚且つ、本番がなんとか成功を収めて初めて、「おー、結構充実してたやん」とどうしてか東京人なのに、方言を用いて表現してしまうそのことではなく、言う所の、普通の日々(語弊があったらごめんなさい)の事だ。

本年は通例の十二月の企画をR−viveは行わない。
来年に備え、これから先に備え、その為の良き時間になるはずなのである。
通年でいけば、まさに今この時期は三ヶ月を切った状態で、ずーっとPCの前で、あーでもないこーでもないを繰り返している、史上最も嫌な時間で、自分の無力と、向きあわなければならないとっても大事な(?)時間で、こと、題名は?稽古場は?装置は?お金は?などなど、まさに「すぐそこにある危機」的状態なわけである。そうでないから、時間はあまりあり、ゆっくりと、そして静かに過ぎていく。

のかと思ったら、とんでもないのだな、これは。

そりゃあ勿論、今現在は別口の本を書いているから、そういう事情も勿論あるのだが、感覚として、比較的「ゆっくり」に時間は過ぎていると思う。余裕が全くないわけでもない。なのにこうやって気が付くと、「あ」である。これを別の一文字で表現するならば

「あ”」

だな、どう発音するのかはわからんけど。

そんな日々をどう「規則正しく」生活すべきか。もちろんこれは早寝早起きとかそういう小学生の生活目標みたいなもんではない。上記とは別よ☆
比べても仕方ないじゃないかとは思いつつ―
ピアニスト、もしくはその辺りの楽器をしてる人たち曰く

一日練習しないと、三日遅れる。

誰が言ったのかはしらない。
だが、これをスポーツ選手と置き換えたらもっと分かりやすい。

では役者はじめ、われわれは一体何日遅れていくのだろうか。
元々揃って、「本番」に向けてのパワー集団みたいなところがある。
一年通してひっきりなしに出番があるのなら別だが。数少ない例外を除いて、もともと芝居なんて合理的なものでないのにもかかわらず(この時代におけるこれでもかというアナログさ)段々と、「合理的」に考えはじめてしまう。そして、なんだかんだ「動く事」をやめてしまっている。

これはもしかして由々しき事態じゃないか。

ピアニストでもスポーツ選手でもない私はそう思う。

よし、何はともあれ、一日を健全に過ごす事からはじめよう。
時間を有効に遣うためには…
早寝早起き
これだ。

「あ”」

別よ☆
とか言いながら…

ごう






2004年09月25日(土)
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