想い...いろいろ
toe☆彡



 悲しすぎる

寝込みそう。

ほんとそうだと思う。
本当なら寝込んでるよ。
死にたくなるよ。だからお前は凄い!(夫)

でしょ!?
だったら その熱燗 自分でつけようと思わない?

いや それは別。お母さんに作ってもらったのが美味しいから♪

凄くなくてもいいから 寝込ませて!!


2004年11月26日(金)



 懐かしい顔

人ごみの中 思いがけず懐かしい顔を見つけた。

何故だろう?彼女の顔を見た瞬間 涙が溢れ出した。
思いがけない再会を喜ぶ 嬉し涙でないことは確か。
涙の訳が自分でもよく分からないけど 涙が止まらない。
やだ〜 どうしてだろう??? と苦笑い。。。

言葉を交わしてる間、彼女はずっと私の手を握っていた。
貴女の気持ち 十分わかるよ!とでもいうかのように
何度も頷いて・・・ 

彼女と顔を合わせたのは たぶん十二年振り。
片道45分 二往復すると3時間の運転。
別れ際 息子の泣き声を背中で聞きながら 
後ろ髪を引かれる思いで園を後にした毎日。
これで良いのだろうか?迷いながらも二年弱、彼女の所に息子を託した。
時間的余裕は今より無かったけれど 精神的疲労は今の比ではない。

平気そうな顔している私だけれど 
本当は今にも崩れそうで
必死に堪えている想いが 
彼女の顔を見た途端 噴き出してしまったのかもしれない。

2004年11月20日(土)



 函館大火

昭和9年函館大火被害状況

■死亡者数 2,166名
・焼死 748名
・溺死 917名
・凍死 217名
・その他 284名

義母 今年87歳 
姑が貴方で良かった!心からそう思える人。
穏やかな表情の奥に 芯の強さを感じる。
私の想像を遥かに超える
苦難を乗り越えてきた人なのだと思う。

何度か昔話を聞かせてもらったことがある。
満州での暮らし 
幼いわが子を三人 満州で亡くしたこと。
夫の行方に関しての 確かな情報もなく
一人っきりになり 大きな病院に飛び込んで
ナースとして働いていたころのこと。
囲いもなく 転がったら海に落ちてそれっきり
そんな引き上げ船の中で 不調を訴える人の所へ
薬を持って動き回っていたこと。etc

そんな彼女から「函館の大火」の話を聞いたのは初めてだった。
彼女の家は全焼。
その日、彼女が勤務していた病院には
火傷をおった人々が続々と運び込まれ 
身内の心配をしてる暇がなかったという。
そんな中、自分の母親が運び込まれて来た。
子供を抱え 必死に守ろうとした母の背中は
目を覆いたくなるような無残な姿。
それでも後に リハビリを重ね 
なんとか元気になった母の姿があったのが幸い。

そういえば昨年の8月
「最近、嫌なことばかり思い出すわ」
そう言っていたことを思い出した。
夫を亡くした月でもあり 終戦を迎えた月でもある。
いくら 長い年月が経過したとしても 消えることはなく
毎年毎年 辛い思い出が蘇るということは
一生続くことなのだろうと思う。

2004年08月11日(水)



 東京湾納涼船

TVを見ていたら 
今年の納涼船の様子が映し出されていた。
浴衣姿で踊る若い女性の姿。
船内はまるでディスコ状態。

随分、様変わりをしたもんだな〜と思いながら
当時のことを思い出していた。

独身時代 一緒に乗った人

あ〜ぁ
こちらもまた随分様変わりしちゃって・・・。(涙)
当然 私もだよね。、ヽ`アセ(;~▼~;)アセ、ヽ`


2004年08月03日(火)



 知らず知らず

太ってるみたい。・・・(゚_゚i)タラー・・・

久し振りに 知り合いにバッタリ会った。
目と鼻の先に住んでいるというのに ほんとに会わない。

前回会ったのはいつだったろう?
思い出せない。。。

私を見るなり
「太ったでしょ?太ったよね!幸せ太り?」

そんな訳ないでしょ!
ストレス太りだよ。(ノ_σ)クスン




2004年07月22日(木)



 不思議メール

数日前、思いがけない場所で
バッタリ会ったお友達からメールがきた。
ほんとに久し振りだった。

前回お会いした時より 綺麗になっていて
またまたビックリしました。

??? なんで?なんで?なんで?

前回の私 どんなだったろう?
あれから 新たな心配事が増え 疲れてるはずだけど・・・。
なんとも不思議。(笑)




2004年07月21日(水)
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