与太郎文庫
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2004年04月04日(日)  森 姉妹?! 〜 マドンナの消息 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040404
 
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Mail'20030403 (土) 20:31 from Mr.文字 武「文字です、手紙受領」
 
 阿波 雅敏 さまへ
 
 先日は 久しぶりの再会 ご馳走さまでした。
 あれから1ケ月経ちました。本日郵便を拝見。約束の「十字屋・十話」
のテープをカセットにダビング中です。近い内に送ります。
 
 それと 先般頂いた資料を拝見していて、ひとつ発見しました。
 資料中に 「森 昌子」なる名前を見つけました。彼女は、森 悠子
(ヴァイオリニスト)の実姉で、現在は、「ソリエール・昌子」、パリ
に在住していて、年に数回は 京都の実家に帰ってこられます。
 永くパリのユネスコ本部に勤務して、国際的に活躍し、昨年定年退職
されました。昨年、長岡京室内アンサンブルがヨーロッパ公演に行った
際には、パリで大変お世話になりました。
 今度、阿波さんの話もしておきます。
 では、後日アンサンブルのCDもお送りします。
 
 取り急ぎ 御礼まで。     文字 武 より
<<
 
Mail'20040404 (日) 04:00 for Mr.文字 武「森 姉妹?!」配信不能
 
 まさに、ふしぎ大発見ですね。
 ぜひ、森 悠子さんのお誕生日を知らせて下さい。
 できればホーム・ページで「長岡京室内アンサンブル」メンバー全員
の生年月日がわかるといいですね。
 
「長岡京室内アンサンブルのヴァイオリン奏者・森 悠子のステージに
啓示を受けて、一気に書きあげた。」と記したとおり、後日あらためて
森 姉妹に、私の童話《ハーメルン》を献呈しましょう。
 
 《職員・生徒名簿 1954&1955 同志社中学校&高等学校》によれば、
*大阪府高槻市(略)
高槻市立桃園小学校卒とあり、うろおぼえの伝聞では国際基督教大学に
進まれたと記憶しています。
 
 彼女の同級生で、私の後輩(シンフォニエッタ・他)は計七人います。
1A 藤井 登、佐伯 和男、杉山 忠彦、山本 邦彦(同志社高校文芸部)
2D 藤井 登、佐伯 和男、杉山 忠彦、山本 邦彦(奈良女子大学教授)
   堀江 公麿、田村 忠彦、祝部 博康(枯木コーラス)
 
 彼女は成績がよく、ふっくらした丸顔の、いわば“マドンナ”でした。
 そこで新聞部長だった与太郎は、紙面を盛りあげるために、各学年の
“マドンナ”に執筆を依頼することを思いついたのです。
 数人の部員をしたがえた上級生が、下級生の教室に「のっしのっし」
とあらわれ、「何か、原稿を書くように」命令したのです。
「わたし、自信がありません」といって、ちじこまった彼女に向って、
「いま、何を読んどるん?」と、彼女の手にした文庫本をのぞきこむと、
コナン・ドイル/延原 謙・訳《恐怖の谷 195308.. 新潮文庫》らしい。
 そこで新聞部長は、あらためて自信たっぷりに宣告したのです。
「こんなものを読んでるのなら、きっと書ける」
 というような経過で、彼女の感動的なエッセイが紙面を飾ったのです。
(その内容は、キリスト教のエピソードとして有名なので、下記に再掲)
→ Ecce Homo
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19540725
 
 それから三年後、高校に進んだ彼女は、またしても同じ上級生に呼び
とめられます。
 高校シンフォニエッタを創設したばかりの与太郎は、彼女がピアノも
弾けることを知って(こんどは下級生を通じて)勧誘したところ、家か
遠いからという理由で断わられました。
(もし遠くなかったら、彼女とオーケストラの運命やいかに)
 
 あるいは、妹の悠子さんも同志社に進まれたのでしょうか。
 同志社中学ジュニア・シンフォニーの若林 通夫(現カンヌ管弦楽団)
と同期ならば、彼が指揮した高校シンフォニエッタ最後の曲《未完成》
のコンサート・マスターではなかったか……?
 
 余談ですが、翌年のピアニストは“深窓の令嬢”革島 良子くんでした。
彼女に断わられないため、彼女の家の近くの小学校を「練習場」として
借りる契約までしています。オーケストラにおける与太郎の野望と策略
の数々は、かくのごとく果てしなかったのです。
→“深窓の父娘”
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030122
 
(追記)
 彼女の「手にした文庫本をのぞきこむ云々」のくだりは、もう一年上
の“マドンナ”横山 久子くんと混同している。彼女も丸顔だったが、
《ホザナ・コーラス名簿》によれば、慶応義塾大学に進んだとある。
────────────────────────────────
── 森 昌子《最後のキャンプファイアー 19541122 同志社中学生新聞・第16号》
── 《虚々日々 20001231 阿波文庫》P033
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19540725


2004年04月02日(金)  はてな vs エンピツ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040402
 
 日々の日記が、誰にどのように読まれているか、という疑問がある。
 
 公開後 505日を迎えた《与太郎文庫》のアクセス概数は累計で 10770、
当初の《去々日々》から《はてなダイアリー》を加算すると総計 30000
とみられる。ただし単純平均で一日60人の読者ということにはならず、
現時点での読者数は「エンピツ」30人、「はてな」90人と推算される。
 
 これら二つのWeb日記は、昨年七月以後まったく同文であるのに、
どうして三倍も違うのかというわけは、つぎのように説明できる。
 筆者の友人知人など、プライベート人脈を中心とする「エンピツ」に
対し「はてな」の読者は、あたかもキャンパス・モードのコミュニティ
に属している。すなわち不特定の若い人々である。
 
 その人口は、先発の「エンピツ」を追って「はてな」が筆者3万人を
越えたばかりだが、かならずしも両者は競合しない。ムード派と現実派
(理論派)のように分かれているからである。
 
 この数ヶ月に目だった現象では、「はてな」の人口増加が低年齢化に
向かったのは、おそらく春休みに中高生が激増したのかもしれない。
 このまま中学生が増えつづけると「現実派>理論派」の傾斜となって、
従来の気風が変化する可能性もある。
(たぶん、このたびの東京への本社移転が、鍵を握るだろう)
 
 まったく同文であっても、デザインや機能が異なるので、現時点では
どちらも無用とはならない。
 日付ごとの独立性が高い「エンピツ」は、総目次や全文検索によって、
タイトルを一覧表示したり、特定のテーマ別に抽出できる。
(URLは表示しやすいが、ハイパーリンクしない)
 
 あるいは、コントラストが強くて行間がせまいために、とくに長文を
読むときに窮屈な印象を与える。ある時期に、文字フォントを明朝体に
変えたところ、あまりにも鋭い印象を与えるせいか、アクセス数が激減
したほどである。
 
 これらの欠点を「はてな」が、すべて改善ずみというわけではないが、
むしろ保守的な機能に制御しているのが特徴である。「はてな」の目標
は別のところにある。しかも、いまのところ開発者自身にとっても「?」
マークが立ちふさがっているはずだ。
 
(つづく)


2004年04月01日(木)  《初演366年譜 20040401-0430 Awa Library》

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040401
 


177804..-07.. 作曲 モーツァルト《フルートとハープのための協奏曲ハ長調》
178104..-07.. 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調》
178104..-07.. 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン・ソナタ第33番ヘ長調》
178104..-07.. 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン・ソナタ第35番ト長調》
178104..-07.. 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調》
182304.. 作曲 シューベルト《水の上で歌う》
185404.. 初演 リスト《交響詩「マゼッパ」》
190504.. 初演 グラズノフ40指揮《ヴァイオリン協奏曲イ短調Op.82》アウアー60
191604.. 初演 ファリャ40《交響的印象「スペインの庭の夜」》アルボス
192404.. 初演 ラヴェル《ツィガーヌ(演奏会用ラプソディ)》
193704.. 初演 メシアン《ミのための詩》
194604..-1019 作曲 ハチャトゥリャン43《チェロ協奏曲》クヌシェビッキー54
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17470401 初演 ヘンデル《オラトリオ「ユダス・マカベウス」》
17850401 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲のためのアンダンテ イ長調》
17910401,0429 初演 ハイドン《交響曲第95番ハ短調》
18730401 初演 ヴェルディ《弦楽四重奏曲ホ短調》
18810401 初演 グノー《歌劇「ザモラの貢ぎ物」》
18860401-1001 作曲 ヴォルフ《弦楽四重奏のための間奏曲変ホ長調》
18880401 作曲 ヴォルフ《郷愁》
18900401 作曲 ヴォルフ《お行き、愛しい人よさあ行くのです》
19130401 初演 ファリャ《歌劇「はかなき人生」》
19140401 初演 シュミット40《歌劇「ノートルダム」間奏曲》ウィーン宮廷オペラ劇場
19220401 初演 マスネー《歌劇「アマディス」》
19370401 初演 メノッティ《歌劇「アメリア舞踏会へゆく」》
19540401 初演 コープランド54《歌劇「テンダー・ランド」》NYシティ・オペラ
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17360402 初演 バッハ,J.S.《カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」》
17810402 作曲 モーツァルト《ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調》
18000402 作曲 ベートーヴェン《七重奏曲変ホ長調Op.20》
18000402 初演 ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.15》
18000402 初演 ベートーヴェン《交響曲第1番ハ長調Op.21》
18900402 作曲 ヴォルフ《かわいい娘よ、お前の母は》
18900402 作曲 ヴォルフ《わが恋は胸のうちに》
18960402 作曲 ヴォルフ《イタリア歌曲集「お前を好きになったばかりに何と長い時間を浪費したことか」》
────────────────────────────────
17810403 初演 モーツァルト《交響曲第34番ハ長調》
18670403 初演 マスネー《歌劇「大伯母」》
18690403 初演 グリーグ26《ピアノ協奏曲イ短調》ネウパルト27
18900403 作曲 ヴォルフ《スペイン歌曲集「口さがのない人たちにはいつも悪態の限りをつく」》
18960403-0304 作曲 ヴォルフ《あなたが朝早くベッドから起き出すと》
19130403 初演 ルーセル44《バレエ「蜘蛛の饗宴」》
────────────────────────────────
17390404 初演 ヘンデル《オラトリオ「エジプトのイスラエル人」》
18590404 初演 マイアーベーア《歌劇「ディノーラ」影の歌》
18760404-0604 作曲 ヴォルフ《ロンド・カプリチオーソ変ロ長調》
18900404 作曲 ヴォルフ《あの人に言って、私のところへ来てって》
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18030405 初演 ベートーヴェン《オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」》
18030405 初演 ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37》
18030405 初演 ベートーヴェン《交響曲第2番ニ長調Op.36》
18740405 初演 シュトラウス供坿邁侶燹屬海Δ發蝓廖
18770405 初演 グノー《歌劇「サン=マール(5人の軍神)」》
18780405-0412 作曲 ヴォルフ《糸を紡ぐ女》
────────────────────────────────
18050407 初演 ベートーヴェン《交響曲第3番変ホ長調Op.55“英雄”》
────────────────────────────────
18760408 初演 ポンキエリ《歌劇「ジョコンダ」》
18930408 初演 ドビュッシー《カンタータ「選ばれし乙女」》
18940408 初演 ブルックナー《交響曲第5番変ロ長調》
19350408 初演 バルトーク53《弦楽四重奏曲第5番》コーリッシュ
────────────────────────────────
17490409 初演 グルック《歌劇「神々の闘い」》
18570409 初演 ベルク《喜歌劇「ミラクル博士」》
18810409 初演 シャブリエ《絵画的小曲集》
18960409 作曲 ヴォルフ《なみなみならぬご身分はよく存じあげていますわ》
────────────────────────────────
18400410 初演 ドニゼッティ《歌劇「殉教者」》
18510410 初演 メンデルスゾーン《歌劇「異国からの帰郷」》
18730410 初演 フランク51《交響詩「贖罪》コロンヌ
18860410 初演 シャブリエ《歌劇「グヴァンドリーヌ」》
19400410 初演 ダルラピッコラ37《囚われの歌》プレヴィターリ
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18900411 作曲 ヴォルフ《いつの日か私を思い出して》
18910411 初演 ドヴォルザーク50《ピアノ三重奏曲第4番ホ短調「ドゥムキー」》
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17840412 作曲 モーツァルト《ピアノ協奏曲第17番ト長調》
17910412 作曲 モーツァルト《弦楽五重奏曲第6番変ホ長調》
18260412 初演 ウェーバー《歌劇「オベロン、または妖精の王の誓い」》
18830412 作曲 ヴォルフ《かわいい人、君はどこにいるの》
18880412 作曲 ヴォルフ《メーリケ歌曲集「ため息」》
18900412 作曲 ヴォルフ《心の底深く苦しみを秘めていても》
18960412 作曲 ヴォルフ《おお、あなたのお家がガラスのように透明だったら》
18960412 作曲 ヴォルフ《どうしてぼくは楽しそうにしたり》
19300412 初演 ヤナーチェク《歌劇「死の家より」》
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17420413 初演 ヘンデル《オラトリオ「メサイア」》
17950413 初演 ハイドン《交響曲第104番ニ長調「ロンドン」》
18960413 作曲 ヴォルフ《ぼくが死んだら、体を花で覆っておくれ》
18960413 作曲 ヴォルフ《祝福あれ、緑と、緑を身にまとう人に》
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17750414 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調》
18520414 初演 グリンカ《スペイン序曲第2番「マドリードの夏の夜の思い出」》
18830414 初演 ドリーブ《歌劇「ラクメ」》
18880414 作曲 ヴォルフ《古い絵に寄せて》
18900414 作曲 ヴォルフ《夜に包まれて、死よ来たれ》
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17290415 初演 バッハ,J.S.《マタイ受難曲》
17380415 初演 ヘンデル《歌劇「セルセ(クセルクセス)」》
18880415 作曲 ヴォルフ《エオルスの竪琴に》
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17350416 初演 ヘンデル《歌劇「アルチーナ」》
18510416 初演 グノー《歌劇「サッフォー」》
18780416-0427 作曲 ヴォルフ《泉のほとりの子供》
18900416 作曲 ヴォルフ《闇にもひとすじの光が》
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16780419 初演 リュリ《歌劇「プシシェ」》
16820418 初演 リュリ《歌劇「ペルセ」》
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17740419 初演 グルック《歌劇「オーリードのイフィジェニー」》
17870419 作曲 モーツァルト《弦楽五重奏曲第3番(第2番)ハ長調》
18770419 初演 プランケット《歌劇「コルヌヴィユの鐘」》
18900419 初演 フランク《弦楽四重奏曲ニ長調M.9》
18960419 作曲 ヴォルフ《お前がちらりとぼくを見て》
19360419 初演 ベルク51《ヴァイオリン協奏曲》クライスラー
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17850420 作曲 モーツァルト《カンタータ「フリーメイソン結社員の喜び」》
17910420 作曲 モーツァルト《サルティの歌劇「粗野な嫉妬」のフィナーレのための合唱「われら幸せに生きる」》
18870420 作曲 ヴォルフ《森の乙女》
18880420 作曲 ヴォルフ《真夜中に》
18900420 作曲 ヴォルフ《ただ苦しみと怒りのみ》
18960420 作曲 ヴォルフ《なにをそんなにかっかと怒っているの、いとしい人》
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17330421 初演 バッハ,J.S.《ミサ曲ロ短調》
18880421 作曲 ヴォルフ《クリスマス・ローズに機
18890421 初演 プッチーニ《歌劇「エドガール」》
18960421 作曲 ヴォルフ《幸せな母に祝福あれ》
19170421 初演 ドビュッシー55《トリオ・ソナタ》セヌーヴリエ
19180421 初演 プロコフィエフ27指揮《交響曲第1番ニ長調“古典交響曲”》
19370421 初演 コープランド《スクール・オペラ「2度目のハリケーン」》
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17490422 初演 ラモー《オペラ「ナイス」》
19120422 初演 ラヴェル38《高貴にして感傷的なワルツ》
19390422 初演 メノッティ28《歌劇「泥棒とオールドミス」》NBC放送
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17750423 初演 モーツァルト《歌劇「羊飼いの王様」》
18770423-0425 作曲 ヴォルフ《思い出》
18960423 作曲 ヴォルフ《ちょっと黙ったらどう》
18960423 作曲 ヴォルフ《私はもうこれ以上歌えない》
19200423 初演 ヤナーチェク《歌劇「ブロウチェク氏の休暇旅行」》
19390423 初演 バルトーク58《ヴァイオリン協奏曲第2番》セーケイ
19480423 初演 ジョリヴェ43指揮《オンド・マルトゥノ協奏曲》マルトゥノ,ジネット
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17840424 作曲 モーツァルト《ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調》
17880424 作曲 モーツァルト《アリア「私の安らぎは彼女にかかって」》
18010424 初演 ハイドン《オラトリオ「四季」》
18190424 初演 ロッシーニ《歌劇「エドゥアルドとクリスティーナ」》
18660424 初演 ブルッフ《ヴァイオリン協奏曲1》
18740424 初演 チャイコフスキー《歌劇「オプリチニーク(親衛隊)」》
18770424-0508 作曲 ヴォルフ《……に》
18960424 作曲 ヴォルフ《もしもあなたが天国へのぼったら》
────────────────────────────────
18960425 作曲 ヴォルフ《ペンナに私の恋人がいる》
18960425 作曲 ヴォルフ《今夜、私が夜中に起き上がってみると》
19130425 初演 マスネー《歌劇「パニュルジュ」》
19230425 初演 レスピーギ《歌劇「ベルファゴール」》
19260425 初演 プッチーニ68《歌劇「トゥーラントッド」》トスカニーニ59
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17790426 作曲 モーツァルト《交響曲第32番ト長調》
18350426 初演 ショパン《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調》
18960426 作曲 ヴォルフ《おお、知るがいい、うそつきの裏切り者めお前のおかげで》
18990426 初演 シベリウス34《交響曲第1番ホ短調》
19510426 初演 ヴォーン=ウィリアムズ《歌劇「天路歴程」》
────────────────────────────────
16730427 初演 リュリ《歌劇「カドミュスとエルミオーヌ」》
17490427 初演 ヘンデル《組曲「王宮の花火の音楽」》
18160427 作曲 シューベルト《交響曲第4番ハ短調「悲劇的」》
18670427 初演 グノー《歌劇「ロメオとジュリエット」》
18770427 初演 マスネー《歌劇「ラオールの王」》
18900427 作曲 ヴォルフ《私を虜とした恋人にわざわいあれ》
19270427 初演 ワインベルガー《歌劇「笛吹きシュワンダ」ポルカ》
19280427 初演 ストラヴィンスキー46指揮《バレエ「ミューズの神を率いるアポロ(ミューズの司者)」》
19370427 初演 ストラヴィンスキー55指揮《バレエ「カルタ遊び》メトロポリタン
────────────────────────────────
17880428 作曲 モーツァルト《二重唱「この小さな手に免じて」 》
18880428 作曲 ヴォルフ《ペレグリーナ機
18920428 初演 ドヴォルザーク《序曲「謝肉祭」》
────────────────────────────────
17860429 作曲 モーツァルト《歌劇「フィガロの結婚」》
17890429 作曲 モーツァルト《デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲ニ長調》
17980429-0430 初演 ハイドン《オラトリオ「天地創造」》
18270429 初演 メンデルスゾーン《歌劇「カマチョの結婚」》
18960429 作曲 ヴォルフ《恋人の小屋を深淵がのみこみ》
19290429 初演 プロコフィエフ《歌劇「賭博者」》
19480429 初演 ストラヴィンスキー66《バレエ「オルフェウス」》
────────────────────────────────
17880430 作曲 モーツァルト《アリア「何というひどいことを。あの恩知らずが私を裏切った」》
18880430 作曲 ヴォルフ《ペレグリーナ供
18960430 作曲 ヴォルフ《どんな歌を歌ってあげたらいいだろう》
18980430 初演 フォーレ53《組曲「ドリー」》リスレル、コルトー21
19020430 初演 ドビュッシー40《歌劇「ペレアスとメリザンド」》メサジェ


2004年03月31日(水)  泣かない女たち 〜 ダブル・マキコの対決 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040331
 
 やっぱり? 江角マキコさんの参考人招致を決定 日程は改めて協議
 
 衆院年金委員会は30日の理事懇談会で、社会保険庁がコマーシャルに
起用した女優の江角マキコ=本名=平野真紀子さん(37)が、国民年金
保険料を払っていなかったことについて参考人招致することを決めた。
 江角さんは「4月1日の出席を非公式に打診されたが、『その日は、
調整が不可能』と答えた」と話していると伝えられる。
 改めて日程協議が行われる予定。このため日程のずれ込みは確実だ。
 
 衆院年金委では、野党側が田中真紀子前外相による代表質問を要求し
たのに対して、与党側が「タレントを参考人で呼ぶ前例はない」などと
有識者に絞るよう求めていた。
 
 民主党の菅直人代表が、23日の記者会見で「本人に国会に出てきて
もらい、社会保険庁の責任を含めて事実関係を聞きたい」と提言して、
与野党ともに難色を示していたが、急速に世論の関心が高まり、テレビ
中継が実現することになった。[毎朝新聞4月1日]
 
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 [菅民主代表] 「江角マキコさんの参考人招致を」
 2004 年 3 月 24 日 Mainichi
 「本人に国会に出てきてもらい、社会保険庁の責任を含めて事実関係
を聞いた上でなければ(年金関連法案を)議論する意味がない」──。
 民主党の菅直人代表は23日の記者会見で、社会保険庁が国民年金の
険料支払いを求めるコマーシャルに、国民年金に未加入だった女優の江
保角マキコさんを起用していた問題に関し、江角さん自身の参考人招致
を求める考えを示した。
 
 異例の要求の背景には、政府の年金改革関連法案の審議入りを遅らせ
る狙いがあるとみられるが、菅氏は「払っているかどうかを(事前に)
調べるのは当たり前で、調査不足だったこと自体責任が問われる」「江
角さんに事実関係を聞くことこそ、年金についての注意を国民に喚起す
ることになる」などと説明した。
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 [国民年金] 保険料未納の江角マキコさんをCM起用 社会保険庁
 2004 年 3 月 22 日 Mainichi
 未納率が4割に達した国民年金保険料の収納率アップを目指し、社会
保険庁がコマーシャルに起用した女優の江角マキコさんが、国民年金保
険料を長期間払っていなかったことが22日、分かった。社保庁は公式
には「個人の納付記録のことはお答えできない」と説明している。しか
し同庁幹部によると、江角さんは今月に入り、さかのぼって払うことが
できる最長限度の2年分の保険料を一括で納めたといい、同幹部は「未
納の人を起用したのはまずかった」と反省している。福田康夫官房長官
は22日の会見で「笑っていられないような深刻な話」と述べた。
 
 社保庁は昨年11月6〜12日の年金週間にあわせて江角さんを広告
モデルに起用し、保険料納付を迫るテレビコマーシャルを約1カ月放映。
「いま納めていれば、きちんと受け取れる」などのコピーとともに江角
さんを大写しにした新聞広告、ポスターも作製していた。
 
 社保庁は昨年6月、広告代理店対象の広告コンペを実施した結果、
「20〜30代に幅広く支持されている江角さんを起用し、未納者が多
い若年層に訴える」ことが決まった。その際、同庁は広告代理店を通じ
江角さんが保険料を納めているかどうかを確認し、「払っている」との
回答を得たため信用したという。
 
 江角さんの所属事務所は「出演依頼があった際、社内で納付を確認し
出演したが、再確認したところ、納付していなかったことが分かった。
本人も申し訳ないと思っており納付の手続きをした」と話している。
【吉田啓志】
<<
>>
 お詫び
 
 この度は、弊社所属・江角マキコが、国民年金に未加入であったこと
について社会保険庁様をはじめ、関係者各位、及び多くの皆様に多大な
ご迷惑をおかけ致しましたことを、深くお詫び申し上げます。
 二度とこのようなことの起こらぬよう、十分注意する所存でございま
す。
 書中にて誠に恐縮ではございますが、お詫び申し上げます。
 (株)研音
http://www.ken-on.co.jp/esumi/
<<
>>
 今や研音の役者なしでは日本のテレビ業界は成り立たないほど多くの
売れっ子俳優をかかえる研音ですが、もともとはやはり音楽プロダクシ
ョン。the brilliant green、平井堅等を筆頭に、近年はミュージシャン
の躍進もめざましい研音の、そのヒットの裏側とは? また、社長自ら
が「最高」だと語る研音のスタッフ育成の秘密とは?
 「Musicman'sリレー第30回」[2002年9月10日/赤坂・(株)研音にて]
 
 児玉 英毅 (Hideki KODAMA) 株式会社研音 代表取締役社長
 
1943年2月16日 上海生まれ
1963年 日本グラモフォン(株)(のちのポリドール(株))入社。文芸部
芸能課に所属。園まり、日野てる子等を担当。1971年、アルカートプロ
ダクションを設立。野口五郎を手掛ける。1982年 (株)研音に専務取締
役として入社。1996年4月、同社代表取締役社長に就任、現在にいたる。
 
http://www.musicman-net.com/relay/30/index.html
<<


 児玉 英毅  研音社長  19430216 上海
♀田中 真紀子 角栄の長女 19430114 東京 /前外務大臣
────────────────────────────────
♀江角 マキコ タレント  19661218 島根 /籍=平野 真紀子 
  
20030128 フジテレビのディレクター、平野 眞(しん、37)と電撃再婚。
 ドラマ「ショムニ」の収録で知り合い、昨年から交際していた。
 最近まで11歳年下の菊之助と交際、2002秋に破局。
199602..-11.. 桐島ローランドと結婚、9カ月で離婚。
199610.. ベストジーニスト賞(一般選出部門)第13代。
 バレーボール→モデル→女優 [AB]T171.B83.W57.H86(1996)

>>
 江角マキコ「マルサ!!」異例の広告 update:2003.3.31
 
 江角マキコ主演のフジテレビ系ドラマ「マルサ!!」(4/8スタート
の火曜22:00)の新広告が、4月1日から東京都内の一部の地下鉄駅に登
場する。すでに掲示されている駅もあるが、通常の四角い広告枠から江
角がはみ出しているという異例の広告。脱税を摘発する東京国税局査察
官を描くこのドラマ。「お金」がもう1つの主役とあって、新広告の通
常枠内には、福沢諭吉に代わって江角をはじめ共演者の顔がプリントさ
れた一万円札がズラリと並んだデザイン。この枠をはみ出す形で、江角
が上からお札を覗いていたり左右から支えたりという風になっている。
はみ出し広告は都内地下鉄では初めての試み。同広告は4月1日から30日
まで、1カ月間掲示される。
<<
────────────────────────────────
>>
 江角「払っていると思っていた」…緊急会見で謝罪 (夕刊フジ)
 2004 年 3 月 26 日
 社会保険庁の国民年金啓発CMに出演しながら保険料を納付していな
かった女優の江角マキコ(37)が26日午後、東京・赤坂のホテルで
会見し、「私の勘違い。大変申し訳ありませんでした」などと謝罪した。
 グレーのパンツスーツ姿、鎮痛な面持ちで現れた江角は冒頭、深々と
頭を下げ、「私自身は支払っていると思ったので、話を聞いてただただ
驚いた」と説明。「CMに出演していながら保険料を払っていないとい
うことで、大変ご迷惑をおかけしました。払っていないことがわかった
ので納付いたしました」と述べ、“証拠”として年金手帳を報道陣に公
開した。
 今回のCM出演にあたっては、広告代理店から納付について問い合わ
せがあり、平成14年分の確定申告書をもって納付の証明としていた。
 江角は実業団から芸能界入りする際、厚生年金から国民年金の切り替
えを忘れ、2年分の保険料が未納になっていたが、税理士がこれを確認
しないまま確定申告していたという。
 同席した弁護士は「過った申告は平成9年分までさかのぼる。支払っ
ていない税金は数日のうちにはきちんと手続きしたい」などと話したが、
会見では江角の社会的責任や「脱税では」といった厳しい声も相次いだ。
 今回の件で、社保庁は損害賠償訴訟もチラつかせるなど責任のなすり
付け。江角のタレントイメージへの影響など、今後が注目だ。
<<
────────────────────────────────
 謝罪会見の記事は、2年分を清算しただけで、7年前から払ってない
ようにとれるが、実は(日本たばこ産業を退職以来)17年間にわたって
払っていない。税理士事務所の担当者が、どうして気づかなかったのか、
ぜひ釈明させるべきだ。他のタレントも同じく疑わしい。
 この程度の謝罪会見で納得するのは、芸能レポーター自身もあやしい
のではないか。
 
 今後、サラ金や医療保険のCMに出演するタレントも、すべて顧客や
契約者でなければならぬことになれば、高倉健やキムタクのパソコンも、
まずいのではないか。
 
 パロデイ「後で、払ってもいいわけ?」 → それ行け、マキコ!
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031108
 
→ 《与太郎文庫 20040430 すっとこどっこい! 〜 最初はグーグル 〜》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040430


2004年03月30日(火)  泣かない女たち 〜 新谷 のり子の場合 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040330
 
 フランシーヌの場合
 
>>
 
 フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)を覚えていますか?
「フランシーヌの場合」と言えば思い出す方々もおられると思います。
1969年3月30日の日曜日、この日の朝女学生だったフランシーヌ
嬢はベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺しま
した。
 彼女は当時盛んだった学生運動に参加して反戦活動をしていました。
 当時日本では新谷のり子さんが「フランシーヌの場合」という曲を唄
い話題になりました。
 私も当時小学生だったかと思いますが、ラジオでこのニュースを知り
ました。とてもショッキングな事件でした。
 この曲は日本で作詞・作曲されたものですが、
「フランシーヌの場合は・・あまりにもお馬鹿さん・・」と唄われてい
ます。彼女がお馬鹿さんだったのか、それとも彼女のメッセージを忘れ
てしまう我々がお馬鹿さんなのか・・
 それから30数年、今では彼女の事はほとんど語られる事も有りませ
ん。
 日本では新谷さんが今も歌手活動を続けておられるようで、彼女のコ
ンサートでは「フランシーヌの場合」も唄われている様です。
 1969年と言えばもちろんまだインターネットもありません。
 個人がメッセージを発信する方法として、フランシーヌは「焼身自殺」
という方法を用いたのでしょう。
 彼女が命と引き換えに発信したメッセージが埋もれてしまい忘れ去ら
れてしまうとすればこれ程不憫な事はありません。
 今日確かにとうの昔にベトナム戦争は終結しましたが、また別な所で
戦いが起き未だひとときの平和も訪れた事がありません。

 たまには彼女の事を思い出してあげてください。
 また興味を持たれましたら彼女の事を調べてみてください。
(図書館にある古い新聞に当時のニュースが掲載されています。
例:1969年3月31日付 朝日新聞夕刊)
 ただ馬齢を重ねて生きている私にはネットでこういったページを作る
ことぐらいしかできません・・

 彼女に関する情報や資料がございましたらご連絡ください。
────────────────────────────────
 ジャケットの下半分のタイプ文字はフランス語で書かれた当時の新聞
記事の様です。BiafraやVietnamといった記載があります。
 曲の中では当時のニュースがフランス語で流れます。
 このレコードは「反戦歌手」新谷のり子さんのデビュー曲になり、当
時80万枚売れました。古レコード屋さんでは安価に入手出来るはずで
す。
 新谷のり子さんは「フランシーヌ はたち」という本を出していた様
で、この本にフランシーヌの記述があるものと考えられます。
 一度読んでみたいものです・・。
 また、「ビアフラ 餓死で亡んだ国」という本を伊藤正孝という方が
出版されており、フランシーヌに関しての記述があるそうです。こちら
は比較的入手し易い様です。読んだ方からの情報では、本国フランスで
はこの本が出版された1984年当時既に忘れ去られていたそうな・・
── http://member.nifty.ne.jp/junsuzuki/pagefrn.htm
<<
── いまいずみ・あきら・作詞/郷 伍郎・作曲/大柿 隆・編曲/
 新谷 のり子・唄《フランシーヌの場合 19690615 日本コロンビア》 CD-24


♀Lecomte,Francine 反戦女学生 1949・・ France Paris 19690330 20 焼身自殺
♀新谷 のり子   反戦歌手  19491003 北海道 /2002(55?)結婚/籍=□□ 則子

 函館出身。昭和44年にフランス語の歌詞とニュース部分を古賀力が
デュエットした「フランシーヌの場合」でデビュー。フランシーヌとは
ビアフラ内戦に抗議してパリで自殺した女性の名前。新谷はあらやが本
名なのだが、淡谷のり子と紛らわしいため、しんたにを芸名にしている。
その後は一貫して歌を通じての社会運動や左翼運動に従事。デュエット
した古賀力は佐世保出身で、33年に歌手デビュー。43年から赤坂でシャ
ンソンバーを経営する傍ら歌手活動を続けている。


2004年03月28日(日)  最後の夜 〜 トーキョー・リング 〜

 
 ↓ last updated page
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040328
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 from My Picture;20020101 Walküre
── ワーグナー:ワルキューレの騎行
 Let'20020101 from Mr. Takeuchi, Yasushi
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
── 東京の最後の夜はワグナーのリング「神々の黄昏」6時間の鑑賞
でした。(Mail'20040414 23:27 from Mr. 竹内 康「山脈」ありがとう)
http://www.wagner-jp.org/reikai/reikai_report/2004.html
 
── キース・ウォーナー 演出《ニーベルングの指環 第3夜
 楽劇“神々の黄昏”20030328 新国立劇場》20040326-0403
http://www.wagner-jp.org/reikai/party/200403party.html
 


 
 同日生没の人々
 
 五木 寛之  作家    19320930 福岡 /〜《青春の門 1970》/旧姓=松延
────────────────────────────────
 石原 慎太郎 東京都知事 19320930 神戸 東京 /〜《太陽の季節 1955下期芥川賞》
/一橋大学“慎太郎刈り”/裕次郎の兄/伸晃・良純の父/照太郎の祖父
/19680707参議院全国区1975都知事落選19950414衆議院議員引退届0419受理
/19990423都知事就任0530隠し子報道
────────────────────────────────
 石原 照太郎 伸晃の長男 19930930 東京 19940311  0 /慎太郎(同日生)の孫
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 竹内 康  元NHK局長 19400930 京都 20090311 68 /旧暦0829〜0215
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 上村 松篁  花鳥画   19021104 京都 20010311 98 /松園の長男/1984文化勲章
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19671127 晩秋小雨の宵 〜 文化勲章 vs 人間国宝 〜
────────────────────────────────
 飯守 泰次郎 指揮    19400930 China 満州/重任の長男
/〜《ニーベルングの指環 全四部作 2000-2003 東京シティ・フィル管弦楽団》
/〜R.ワーグナー《舞台祭典劇“ニーベルングの指環”第3夜
 楽劇“神々の黄昏”20030920(土)東京文化会館 大ホール》
http://www.cityphil.jp/about/history/oropera/Gotterdammerung.html
────────────────────────────────
 田中 秀征 元衆議院議員 19400930 長野 /経企庁長官/さきがけ代表代行

 
── 「彼ら(イスラム教徒)は、ペルシャ・ルネサンスを復興したけ
れども、産業革命を経験しなかったんだ」「適応できなかったのかな」
(悪友四重奏、竹内くんとの最後の会話 20010920 舶来居酒屋いそむら)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040322
 抜刷解題 〜 まとまらないことなど 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090311
 ↑如望忌 ↓此岸から彼岸過迄
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090920
 
── 鈴木 道明・詞&曲/前田 憲男・編曲
《ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョー 1965‥‥ 》
/越路 吹雪・唱/第7回日本レコード大賞歌唱賞
http://www.youtube.com/watch?v=e8m7Jz-yzJg
 
(20090930-1002)
 


2004年03月25日(木)  リ・タイヤ 〜 ブランド脱落 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040325
 
 三菱ふそうトラック・バスの大型車で、タイヤ脱落の相次いだ問題で、
同社や国土交通省、捜査機関の動きをたどる。 ── Yomiuri Online

2004年03月24日 ビルフリート・ポート三菱ふそう社長(ダイムラー出身)
が会見「ふそうとダイムラーの提携は2003年1月に始まった」と今回の
リコールの責任はダイムラーにないことを強調した。現在はダイムラー
が株式の65%を所有する子会社。
 
2004年03月22日 三菱、24日にもリコール届け出
2004年03月22日 三菱、「ハブ」耐久試験も手抜き
2004年03月17日 三菱自ハブ破損、94年に「対策会議」…危険性を認識
2004年03月14日 進むタイヤ脱落捜査、三菱焦る?[スキャナー]
2004年03月14日 三菱ふそう、国交省が立ち入り検査へ…告発も視野
2004年03月13日 過去5年間、「ハブ」破損すべて三菱
2004年03月12日 三菱車 強度調査不十分か
2004年03月12日 三菱ふそうリコール 隠ぺい、ブランドに傷
2004年03月12日 車輪“欠陥”2年前に把握
2004年03月12日 あまりに遅い「構造欠陥」の公表[社説]
2004年03月11日 三菱車タイヤ脱落 部品の強度不足判明
2004年02月17日 遺族側、制裁的慰謝料1億円増額申し立て
2004年01月27日 タイヤ脱落母子死傷事故 三菱自工に2度目の捜索
2003年12月04日 タイヤ脱落で母子死傷 警察庁鑑定、金属疲労でハブ破損
2003年10月24日 タイヤ脱落で母子死傷 三菱自本社など捜索、欠陥放置か
2003年10月16日 外れたタイヤ歩行者直撃事故 三菱自工を立件へ
2003年03月06日 トレーラー脱輪 遺族が賠償提訴
2002年02月07日 タイヤ脱落問題で部品を無償交換へ
2002年01月23日 三菱自動車の大型車、タイヤ脱落23件
2002年01月22日 タイヤ脱落事故、過去3件 国交省、調査へ
2002年01月12日 タイヤ直撃事故 ボルトに異常なし
2002年01月11日 トレーラーのタイヤ外れ直撃 親子3人死傷
 
♀岡本 紫穂 主婦 1973・・ 神奈川 横浜 20020110 29
 
 運送会社社長・亀井幸雄(55)運転の三菱自動車工業製のトレーラー
の左前輪が破損、タイヤの直撃を受け、外傷性くも膜下出血で死亡した。
一緒にいた長男と二男も手や頭に軽いけがをした。


2004年03月22日(月)  抜刷解題 〜 まとまらないことなど 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040322
 
 この小冊子は、パソコンのために書かれた日記形式の《与太郎文庫》
から、最近の(任意の)部分を抜き刷りしたものである。
 長岡京室内アンサンブルの文字 武・高芝 義和両君との晩餐、演奏会
場での小石忠男氏との再会など、いずれ“故旧・十字屋余話”につづく。
 一連のテーマは“遠来の人々”である。与太郎にとっての客人、客人
としての与太郎を身辺雑記風に配した。巻頭に象徴的な“ハーメルン”
をかかげたのは、与太郎自身もまた、遠来の旅人であることをしめす。
 
── きみの招きがあれば、いつでも赴く用意がある、あるいはきみが
訪ねてくれば、いつでも迎える用意がある。
     ── 《畏友 〜 河原 満夫君への未投函書簡 〜》草稿より
 
 1963年ごろ、与太郎が大学ノートに書いた自伝初稿を、はじめて見せ
たのは河原満夫と楠原大八の両君だけだった。
 河原は、このとき想像以上の辛抱強さで、最後まで黙読してくれた。
「きっちりした文章で、君の云わんとするところが、よく伝わってくる。
幼い又従妹・公子の死体を見つめたことが、重要な記憶になるだろう」
 彼の指摘は(即席ながら)みごとな卓見だった。
 
 それから三十数年のちに《虚々日々 20001231 阿波文庫》を完成した
与太郎は、吉田肇に(ある感慨をこめて)電話で伝えた。
「この作品は、自伝資料として最初だが、印刷物としては最後のものだ」
 ゴリは(むかしとちがって)慎重に「そうか」と答えたが、それほど
重々しく受けとめたとは思えない。
 与太郎は、十才のころから数えて五十年におよぶ編集技術が、過去の
ものになったことを惜しんでいたのである。
 
 そのあと《虚々日々》の続編をかねて追記・補註をまとめる必要から、
非公開の《去々日々 20011231 阿波文庫》を手もとで編集していたが、
このころからネット情報が激増しはじめた。ついぞ知るすべのなかった
ジャンルまで、奔流のようにあふれはじめたのである。
 あまりに大部になって、とどまることがない。
 
 日々の流れの中で考えるに、いまさら分っても、自分ひとりが知って
いるわけではなく、その気になれば誰もが知りうる情報である。
 読みのこした大著も、ほとんど手をのばせば届くのだから、かならず
読むほどのこともなさそうである。
 それより、せっかく生きてきたのだから、自分で考えたことや迷った
こと、面白いと感じたことなど、他人が書いていないことだけでも記し
ておきたい、と初心にもどることにした。
 
 読むべきか書くべきか、という命題は、実は経験ずみだった。
 九才のころ、子供むけのスティーヴンソン《宝島》を読みはじめると
同時に、与太郎はもう一編の自作《宝島物語》を書きはじめたのである。
 こんなに面白そうな小説は、自分が書けばもっと面白いものになると
考えたが、はたして処女作は数ページで暗礁に乗りあげ、いまも未完の
ままであり、原作そのものまで興味を失ってしまった。
 たぶん、いま読みかえせば感慨ひとしおだろうが、これまでのところ
機会がなかった。
 
 「誰もが人生という題名の長編を書いている。シェーファー万年筆」
 この傑作CMコピー(1977年ころ?)のように、書くべきことは多い。
 ホームページを《虚々日々》に先んじて開設したのは、おなじ内容の
ものを順次公開する予定だったが、このころから(過去の)編集技術が、
ほとんど役にたたないことが判明しはじめたのである。
 
 与太郎が目ざしたものは、一冊を手にとって、パラパラと頁をめくり
ながら、全体の構成が把握できるような編集技術である。
(そのページ数は、原則として16の倍数であることが望ましい)
 一般に誤解されているのは、写真やイラストを多くして、文字の割合
を少なくすれば、理解しやすいというものである。
 いったいどんな作品を指しているのか思いあたらないが、それに近い
実例は、あんがい凡百の教科書かもしれない。
 こういう俗説をとなえるのは(与太郎の経験によると)広告代理店の
社員や役人に多く、がんらい読者を代表する立場にない人たちである。
 
 もともとインターネットのホームページは「ページの概念がない」と
いわれるように、その印刷設定には制約と限界がある。そもそも印刷を
想定していない、というべきであろう。
 このことについて、印刷技術が写真技術によって劇的な進歩をとげた
ことに重要な拠点もあるが、これを継承しない最新文明こそが通信言語
だったのである。
(たとえば

、>><< などの特殊記号によって表示する)
 
 それでも与太郎は、過去の技術を捨てきれなかった。いつか結合する
ときが来る、と考えつづけた。それまでの間、過去の技術に依存しない
言語で書きはじめることにした。
 通信言語に印刷設定を施して保存するためには、それなりの文書形態
とルールが必要だが、いまのところ目ぼしい成果が見あたらない。

 はじめ《去々日々》のタイトルで公開したところ、当時の通信言語は
「々」の処理にとまどって、うまく検索できなかったりした。
 これらの諸事情は、いまなお説明困難である。通信言語と検索技術が
あいまって、インターネットを支えているとしか云いようがない。
 
 つぎに《余太郎日記》に改めようとしたが、意外なことに「余太郎」
が初期設定されていないので、誰もが一発変換できないことが分った。
 せっかくならパソコン初心者にも検索しやすいタイトルにすべきだと
考えた(インターネットでは、このような発想が優先する)。
 
 そこで《与太郎日記》と改題したが、同じタイトルが先に登録されて
いて紛らわしいため《与太郎文庫》に変更した。これはこれで与太郎に
関する《我楽多文庫》という意図に通じるので、いままで手作業で入力
した文献の引用にあたって、面目をほどしたような気がする。

 パソコンを持っている老人の多くは、むかし応接間にピアノを飾って
いたように、ほとんどフタを開かないままらしい。
 現状をみると、60才以上の老人で、日々パソコンに向うのは、予想
以上に少ないのである。
(谷本先生のように、パソコンを常時接続している老人は例外である)

 与太郎の知るかぎり、友人全体を思いうかべても、メール・アドレス
保有率は約10%だが、それで返事がくるのは半数以下だから、ほとんど
使っていないのが実態であろう。
 これでは、よほどのことがない限り、インターネットから情報を得る
ことは困難である。

 これらの友人や恩師には、印刷しないと読んでもらえない。
 かつまた、若い世代に読ませるには、両方を満足させるようなルール
が工夫されるべきである。

 さきの《虚々日々》は、通信言語を予想しない最後の印刷物だったが、
この抜刷《去々日々》は、通信言語から戻した、最初の印刷物である。
 ネット上の読者には、与太郎の意図した印刷イメージが伝わっていな
いので、つぎのようなメッセージを検討中である。
「メールでお申し込みください。Excel Prints を、無料で郵送します」

 古い人たちは、古い文書形式のまま書きつづけているし、若い世代は
勝手気ままに打ちこんでいる。
 六本木や原宿の雑踏を思いうかべるがよい。ある者は携帯電話と話し
ながら、ある者は大声で、ある者は叫びながら踊っている。
 このような人ごみを嫌う者は、だまって立去るがよい。しかし何事か
発言したければ、群集のなかに紛れるしかすべがない。

 むかし新聞の号外は、事件発生から20分でバラ撒かれたというが、
いま地震が発生しても、テレビといえども生放送中でなければ、即座に
伝えることはむずかしい。
 
 かつて「朝おきて、テレビの前で新聞をひろげながら茶を飲んでいた」
総理大臣が、最初に阪神大震災を知ったのは、新聞でなくテレビだった。
 史上空前の同時多発テロを、はじめて新聞で知った者はいない。

 だが近未来においては、常時接続されたパソコンが、家電全体を支配
するので、緊急のニュースや双方向通信も、一元化されるはずである。
 かくて「朝おきて、テレビの前で新聞をひろげながら茶を飲む」姿が
絶滅するはずである。
 
 すでにして与太郎は、二年前に新聞を断わってしまった。
 なにが不自由といって「テレビの前で新聞をひろげながら茶を飲む」
という生活文化が失われたことは、まことに淋しいかぎりである。
 しかし、パソコン・ライフ実践者が「テレビの前で新聞をひろげ」た
としても、そこに書かれた情報は、ほとんど前夜のネット・ニュースで
閲覧ずみなのだ。
 
 凶悪事件が起ると「2ちゃんねる」掲示板では、リアルタイム情報が
横行する。真偽のほどは分らないが、未成年容疑者の顔写真や、自宅の
地図なども、たちまち公開され、あっという間に削除されてしまう。
 タレントの入籍も裁判の判決も。おまけにテレビ番組表は、二週間後
まで検索できる。
 
 こんな時代でも、衆議院議員の長女(私人)が離婚したというだけの
記事を、本人の意志や裁判所の裁定に反して強行発売した出版社がある。
その周辺で「言論の自由」をとなえる文化人やジャーナリストもいる。
 おかげで発売と同時に77万部も売りあげてしまった。
 この収益は、いずれ原告のものになるはずだが、文春の編集者たちは、
もともと自分たちが受けとるつもりだったのだ。
 かつて酒鬼薔薇事件で、少年の写真を掲載したフォーカスの編集者は、
これで夏のボーナスをはじき出したのである。彼らが「言論の自由」を
信奉するのなら、近年どんな功績があったかを示すべきだ。
 
 むかしフランスに“パンフレット作家”と呼ばれる連中がいたという。
 スタンダールなどが、自費出版で小部数の小冊子で、とりあえず意見
を述べたらしい。
 最近の芥川賞や直木賞は、十年先まで受賞予定者が決っているので、
ときどき(今回のように)未成年者を混入しないと、どんどん高齢化が
すすむという。
 近年の受賞作は、題名をきいただけで、とても読む気がしない。

 いまある与太郎の自伝資料は、かなり電子化されているが、十数年前
から、紙に書かれたり印刷された資料は、電子化されたものだけが後世
に伝わる資格がある、と考えはじめた。
 
 これを世間話のように話すと、かならず誰かが反論する。
「いや、聖書や古文書のように書物の形態は不滅であり、永久に残る」
 
 結論を云えば、このような不朽の書物は、印刷されなかったとしても、
《古事記》は正倉院で保存され、《死海写本》が海底洞窟から発見され
たのである。これらは、誰もが読めることを前提にしていない。
 岩波文庫に翻訳されて、全国の図書館に収められることなど、当初の
執筆者たちは予想もしなかったのだ。
 
 いまも《コーラン》などは、アラビア語で朗唱することが基本であり、
これを各国語に翻訳して印刷することを(公式に)認めていない。
 まして《新約聖書》のように「タダで配ったり」、安ホテルのベッド
サイド・テーブルに《仏典》とともに常備するようなことは論外である。 
 
「彼らは、ペルシャ・ルネサンスを復興したけれども、産業革命を経験
しなかったんだ」    (悪友再会 20010920 舶来居酒屋いそむら)
「なるほど、彼らは適応できなかったんだね」
 さしもの秀才も、この分野には不案内らしい。
 イスラム原理主義者が手にする武器は、彼ら自身の文化が創りだした
ものではない。
 
 わが皇室のテレビ番組には、なぜかバロック音楽が流されているが、
まったくもって不自然である。皇室の人々が、これらの西欧音楽を学び
つつあることには異存はないが、和歌のような独自の文化的指導者では
なかったのだ。
 もし、イギリス王室で歌会始のような儀式をはじめたら、笑いものに
なるだろう。あるいは、王子の結婚式や即位式で、バックに《春の海》
が流れたらブーイングものだ。
(Let'20040320-0322)
 
 Awa,Masatoshi《写生する少年 19520401 素描・第一号》


2004年03月07日(日)  Diary 0307

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040307
 
 啄木の母
 
>>
 
 啄木の日記は、明治35年(1902)10月、17歳ではじめて東京に出るとこ
ろから、同45年4月13日、27歳をもって病気と貧困のうちに窮死する直
前の 2月20日まで、およそ10年間にわたっている。最後は「……金は
ドンドンなくなった。母の薬代や私の薬代が1日約40銭の割合でか─っ
た。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たった一晩家においた
だけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢った。
医者は薬価の月末払を承諾してくれなかった。母の容態は昨今少し可い
やうに見える。然し食欲は減じた」というところで終っている。それか
ら2週間後に母は死に、さらに1月後には啄木自身もその後を追う/。
── 桑原 武夫・編《石川啄木・ロ─マ字日記 19770916 岩波文庫》P242
 
<<
 
 最後の日付0220は誕生日、その二週間後・母カツの死は0303(?)、さら
に1月後0413には啄木自身の命日。日数をあらわすのに、週と月を混用
したため、計算が合わない。
── 《Day was Day 20001231 Awa Library》P114
>>
── 【石川啄木】(明治)四二年「東京朝日新聞」の校正係として就
職、下積みの日─が続いたが、大逆事件の情報にいち早く触れるなど、
社会主義思想に眼を開かれる契機を得た/没後に土岐善麿により、詩集
『呼子と口笛』、評論『時代閉塞の現状』を収める『啄木遺稿』(大二)
が刊行された。
── 《新潮日本人名辞典 19910305 新潮社》P127
<<
 
 ラヴェルとガーシュイン
>>
 1928年の初め,ラベルはアメリカヘの演奏旅行に出かけました。
 この頃から失語症や失書症が現れ始めました。しかしこの後も前記の
名作を次々に物にしました。
 53歳の誕生日を祝って,1928年3月8日(木),ニューヨークで誕生
パーティーが催されました。
 この席にガーシュインも招かれ、運命的出会いが実現しました。
 この二人の天才には,奇しくもこの邂逅(かいこう)から9年後の
1937年に共に脳外科手術を受けて死ぬという共通の運命が待っていまし
た。
 1937年ごろからひどい頭痛を訴えるようになりました。
 ヴァンサン教授は脳腫瘍や血腫の可能性を考え12月19日に開頭手術を
行いましたが、脳腫瘍は見つからず、12月28日で死亡しました。享年62
歳でした。
 彼は自分の名前も書けないないなど巣症状が著明であったにもかかわ
らず、楽想はほとんど侵されなかったというところが極めて特異です。
 病跡より彼の病気はMesulamの提唱した「全般的痴呆を伴わない緩徐
進行性失語症slowly progressive aphasia without global dementia」
と診断されるということです(岩田誠先生説)。
── 文献:岩田 誠 Brain Medical の連載 1996
http://homepage2.nifty.com/uoh/kyouyou/01ongakuka.htm#ラベル
<<
>>
 ラヴェルは一九三二年に自動車事故にあった。そのために脳に障害を
起こし、ひいてはかれの死因となったという説がかなり広く信じられて
いるようだが、著者は本文中にもあるとおり、はっきりとこの説を否定
している。手術後の発表によれば、かれの脳障害は自動車事故とは無関
係であり、腫瘍の存在も認められなかったという。結局、脳実質の「萎
縮」であると発表されたが、その原因は明らかにされていない。あるい
は現在ならば、脊髄小脳変性症とでも診断されたかもしれない。
── Jourdan-Morhange,Helene《Ravel et Nous,》P308-309 〜 訳者あとがき 〜
安川 加寿子&嘉乃海 隆子・共訳《ラヴェルと私たち 19680820 音楽之友社》
<<
 嘉乃海女史の父は、京都市伏見区の救急病院長。


♀石川 カツ 啄木の母 1847・・ 岩手 東京 19120307 65 弘化 4.誤=19120303
 Ravel,J.Maurice  18750307 France  19371228 62 193510..事故〜《Bolero》
 Gershwin,George  18980926 America  19370711 38 《Rhapsody in Blue》
 岩田 誠 神経内科学 19421005 東京          /東京女子医大教授
────────────────────────────────
 Mayol,Jacques  19270401 France Italy 20011223 74 首吊自殺/海洋冒険家
 Moyer,Jack T.  19290307 America 東京 20040110 74 薬物自殺/海洋生態学


 二人のジャック
 
 マイヨールは上海生まれ。1976素潜りで水深100メートルを超える記
録を作り、リュック・ベッソン監督の映画「グラン・ブルー」のモデル
にもなった。“伝説的ダイバー”
 
 モイヤーは約50年前に三宅島に移住した。住民と交流しながら自然
や海を学ぶ教室を開くなど、環境教育にも長く貢献。日本魚類学会理事、
都観光事業審議会委員なども務めた。02年、復興のため「三宅島救済
アカコッコ基金」を設立した。/ジャズ・ピアノ愛好
 
 故ジャック・モイヤー氏(海洋生態学者、1月10日に死去判明)を
しのぶ会 2004年3月7日午後2時から東京都新宿区百人町2-27-7、
ホテル海洋で。親交のあった19人が発起人になり、献花やジャズ演奏、
写真パネル展示などを行う。会費3000円。


2004年03月06日(土)  サザン・オールスターズ 〜 南部地方のすべての星たち 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040306
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 Ex libris Web Library;桑田家の人々 〜 Members of Southern All Stars 〜
http://ameblo.jp/arachan-yeah/page-74.html
 日本人●荒川ヒロシのブログだぜ
 
── 弊社所属のアーティスト桑田佳祐のご令姉岩本えり子儀がかねて
より病気療養中のところ10月19日にご逝去されました。故人のご冥福を
心よりお祈りするとともに、謹んでご通知申し上げます。(原文のママ)
 
 テレビで放映された(所属事務所の)ファックスの文章は、その翌日
すべてのサイトから、キャッシュともども削除された。(敬辞苑)
 一説に、身内に敬語を使うのは韓国風文法?だという。
 
 いわゆる“在日芸能人疑惑リスト”の常連だが、虚々実々である。
http://booklog.jp/edit/488380478X
── 山野 車輪《マンガ嫌韓流 20050901-0910 晋遊舎》
 


 桑田 久司 佳祐の父  1927‥‥ 東京  20040306 77 /元映画館支配人
http://harukichi.com/masatomocom_dinamic/mt2/mt-comments.cgi?entry_id=52
♀桑田 昌子 佳祐の母  1934‥‥ 横浜  19940220 60 /バー経営
 
♀岩本 えり子 訳詩   1952‥‥ 神奈川 20081019 56 /知世の妻
── 桑田 佳祐・詞&曲《いとしのエリー》/旧姓=桑田 佳祐の姉
 
 桑田 佳祐 作詞・作曲 19560226 横浜 /20080519 デビュー30周年
── 《勝手にシンドバット 19780625 》リードボーカル、ギター(リーダー)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080522
 ツィスターズ 〜 ねじる、よじる、ねじける 〜
 
♀原 由子   歌手   19561211 神奈川 /籍=桑田 由子(ゆうこ) [B]
/キーボーディスト・シンガーソングライター/“原坊(ハラボー)”
/桑田 佳祐の妻(2男の母)〜《I Love You はひとりごと 19810421 VIHX-1537》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20100618 眼窩の敵 〜 The sandman has come 〜
 
 関口 和之  19551221 新潟 /ベース/小説・放送作家。
 松田 弘   19560404 宮崎 /ドラムス・歌手。
 野沢 秀行  19541019 東京 /パーカッション“毛ガニ”俳優。佐野日本大学高等学校卒 [A]
 大森 隆志  19561212 宮崎 /ギター・歌手/宮崎大宮高校卒/青山学院大学経済学部中退。20010807 独立

 
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── 弊社所属アーティスト 桑田佳祐に関する大切なお知らせがござ
います。詳しくは、以下オフィシャルサイト、ファンクラブサイトから
ご確認ください。 (20100728)
http://www.sas-fan.net/oshirase/index.html
 
── 芸能プロダクションのアミューズが28日、所属するサザンオー
ルスターズの桑田佳祐さんが食道がんであることを発表したことを受け、
同社の株価は始値の934円から午後に入って下落している。午後1時
45分現在は910円前後で推移している。
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/100728/eca1007281353013-n1.htm
 
(20100729)
 


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