与太郎文庫
DiaryINDEX|past|will
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040129
17810129 初演 モーツァルト《歌劇「イドメネオ(クレタの王)」》 17910129 作曲 モーツァルト《6つのドイツ舞曲》 17910119 作曲 18820129 初演 リムスキー=コルサコフ《組曲「雪娘」》 18890129 作曲 ヴォルフ《あなたの巻き髪で私を豊かに包んで欲しい》 19050129 初演 マーラー《リュッケルトによる5つの詩》 19050129 初演 マーラー《少年鼓手》 19050129 初演 マーラー《亡き児をしのぶ歌》 19280129 作曲 ヤナーチェック+0《弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」》 19280911 初演
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040128
18220128 初演 ドニゼッティ《歌劇「グラナダのゾライダ」》 18280128 初演 シューベルト《ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調》 18300128 初演 オーベール《歌劇「フラ・ディアヴォロ」》 19160128 初演 グラナドス《歌劇「ゴイェスカス」》
| 2004年01月27日(火) |
《初演366年譜》 〜 モーツァルトの左手 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040127
17880127 作曲 モーツァルト《6つのドイツ舞曲》 18130127 初演 ロッシーニ《歌劇「ブルスキーノ氏、または冒険する息子」》 18490127 初演 ヴェルディ《歌劇「レニャーノの戦い」》 18660127 初演 モーツァルト《歌劇「ツァイーデ」》 18780127 初演 ドヴォルザーク《歌劇「いたずら農夫」》 19330127 再演 ラヴェル58指揮《左手のためのピアノ協奏曲ニ長調》19321127初演
ピアノと弦楽器のための左手 http://q.hatena.ne.jp/1171876752 あなたの左手の“指から指まで”は、何センチありますか? 与太郎の左手 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060606 絵空事 〜 ダゲール以後の画家たち 〜 Never too Late ! http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2764617.html アマチュア・チェリストの回想 ──────────────────────────────── いそがしい指 〜 小林 道夫リサイタルのあとで 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710217 幻の《弦楽技法》 〜 出谷 啓氏あての未投函書簡より 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030115 落第生は二度眠る 〜 寒月の右手 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030114 《初演366年譜》 〜 モーツァルトの左手 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040127 ラヴェル《左手のためのピアノ協奏曲ニ長調 19321127初演19330127再演》 関西モーツァルト協会 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710127 (20070219)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040126
17320126 初演 ヘンデル《歌劇「エツィオ」》 17340126 初演 ヘンデル《歌劇「アリアンナ」》 17900126 初演 モーツァルト《歌劇「コシ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの)」》 18730126 初演 チャイコフスキー33《交響曲第2番ハ短調“小ロシア”Op.17 》 Rubinshtein,N 18800126 作曲 ヴォルフ《期待》 18890126 作曲 ヴォルフ《ためらうことなどありましょうか》 19110126 初演 シュトラウス,R《楽劇「ばらの騎士」》 19130126 初演 ドビュッシー《管弦楽のための「映像」ジーグ》 19570126 初演 プーランク《歌劇「カルメル派修道女たちの対話」》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040125
18170125 初演 ロッシーニ《歌劇「シンデレラ、または真心の勝利」》 18350125 初演 ベリーニ《歌劇「清教徒」》 18890125 作曲 ヴォルフ《私があなたのことを思っていると》 18890125 作曲 ヴォルフ《恋人よ、おいで》 19090125 初演 シュトラウス,R65《楽劇「エレクトラ」》シェッフ
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040124
18830124 作曲 ヴォルフ《夜の挨拶》 18850124 初演 フランク63《前奏曲「コラールとフーガ」ロ短調》ポアトバン 18860124 初演 ラロー《歌劇「イスの王」序曲》 18870124 作曲 ヴォルフ《ヴァルトブルク城の見張りの歌》 18880124 作曲 ヴォルフ《職人の歌》 18880124 作曲 ヴォルフ《旅に疲れ果てたものがたどり着く》 18890124 作曲 ヴォルフ《その夢の意味はこうなのです》 18890124 作曲 ヴォルフ《私がユーフラテス川を舟で渡った時》 19060124 初演 ラフマニノフ《歌劇「けちな騎士」》 19060124 初演 ラフマニノフ《歌劇「フランチェスカ・ダ・リミニ」》 19370124 初演 レスピーギ《歌劇「ルクレツィア」》 19410124 作曲 オネゲル《クリスマス・カンタータ》 19460124 初演 ストラヴィンスキー《3楽章の交響曲》
| 2004年01月23日(金) |
《初演366年譜》 〜 日龍・月龍 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040123
17330123 初演 ヘンデル《歌劇「オルランド」》 17880123 作曲 モーツァルト《田園舞曲「戦い」ハ長調》 17910123 作曲 モーツァルト《6つのメヌエット〔ハ長調,ト長調,変ホ長調,変ロ長調,ヘ長調,ニ長調〕K.599》 18890123 作曲 ヴォルフ《あなたの恋が幸せであるように》 18890123 作曲 ヴォルフ《どうしてぼくは明るい気持ちでいられよう》 19340123 初演 レスピーギ《歌劇「ラ・フィアンマ(炎)」》 19440123 初演 シェーンベルク《ナポレオン・ボナパルトへの頌歌》
>> 峰山 峰造(1899〜1987年) 峰造の父は峰山宮蔵と言って、優れた宮大工であったが、兵庫県播磨 に当時東洋楽器という会社があり、そこでVnの製作に携わっていた。 峰造はこの父宮蔵からVnの製作技術を学び、生涯Vn及びチェロの製作 に携わる。 峰造の作ったVnは優美なものであり、特に裏板の楓の模様は美しかっ たと云われている。 そして自分の満足出来る作品のラベルには毛筆で龍の字が添え書きさ れている。辻久子が当時「日龍、月龍」と命名された彼のVnを2挺使用 していたが、「私の生涯でこれ以上のVnを持つことは無いでしょう」と 云ったと言うエピソードが残されている。 然し辻久子はその後(筆者の記憶ではそれから30年くらい後)家を売 ってストラディヴァリウスを購入しており、ヴァイオリニストとって、 ストラディヴァリは、やはり憧れであるものと思われる。 (筆者の師匠から聞いた話では峰造は、このほかにも鷲の彫刻を施した Vnも作っていたと言うことであった。) ── 錦生 如雪《ヴァイオリン物語 20020523 音楽よもやま談義》 http://godmuses.hp.infoseek.co.jp/hafuna-48-13.html << Mail'20040119 「日龍」か「月龍」か? 錦生 如雪 様 一年前、鈴木鎮一・無量塔蔵六氏についてメールをさしあげた者です。 → Mail《音楽よもやま談義》読んでいます 20030210 与太郎文庫》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030210 このたび気づいたことですが、<峰山峰造>(1899〜1987年)とある のは「峰沢峯三 1899〜1978」の誤りではないかと存じます。 わたし自身は、当時の京都新聞で「峰沢峰造=みねざわ・みねぞう」 と記憶していたのですが、下記の人名録では、「みねざわ・ほうぞう」 と振っています。無条件には信頼できませんが、わたしの知るかぎり、 唯一の活字による出典です。 峰沢 峯三 弦楽器製作 1899・・ 京都 19780515 79 ── 《昭和物故人名録 19830720 日外アソシエーツ》P476 辻 久子の依頼で製作された「日龍・月龍」が、ストラディヴァリウス にとって替わるまでの期間を「筆者の記憶ではそれから30年くらい後」 とありますが、私の記憶によれば「1957年秋から1972年夏までの15年後」 であろうと推定されます。 わたしが峰沢工房を訪問したのは、1958春でしたから、辻さんのソ連 演奏旅行は前年の1957年秋ごろ、と推定されます。 京都新聞で「日龍・月龍」が写真入りで掲載されたのを読んだあと、 高校二年のわたしが愛用する、傷ついた古いチェロ(鈴木政吉・作)を 修理してもらえるかどうか、意を決して見てもらったのです。 (このエピソードは、岩淵龍太郎氏あての未投函書簡・他にも詳述) さらに1973年秋ごろ、くだんの銘器を手にとる機会があったのです。 そのときは「辻さんから譲りうけた」ときいただけで、かの銘器とは 気づかなかったため、いまとなっては「日龍・月龍」いずれであったか 特定できません。 しかし当時の所有者の状況を総合すると、まさしく思いあたるのです。 「生涯でこれ以上の銘器を持つことは無い」と言った辻さんは、15年後 ストラディヴァリウスを買うため、家を売るついでに、古くなった愛器 を、二人のお弟子さんに譲ったのでしょう。 ケースを開くと(松脂が粉を吹いていて)よく手入れされていました。 久しぶりに(わたしのヴァイオリンは、3年前に壊れてしまったので) 弾いてみたかったのですが、その場(神戸の知人宅)では、ピチカート だけにしました。 きちんと調律されているものの、ピーンと張りつめた緊張感があり、 あとで聞いたところでは、そのころ辻さんの教室では、一斉に「440h」 から「444h」にチューニング・アップされたそうです。 いま思うに弦楽器の調律は、まことにメンタルな感触があり、思わず 手にとって抱きしめたくなるような気分になることがあります。反対に、 弾くことを拒絶されるようなピッチもあるらしいのです。いまもなお、 謎につつまれた疑問のひとつですが……。 ことほどさように《ヴァイオリン物語》は、わたしにとっては記憶の 源泉であり、いまのネット情報における空白の時代を伝えています。 なお、このメール本文と、別掲の部分を、わたしの《与太郎文庫》に 引用させていただきたいのですが、よろしいでしょうか? また、たったいま気づいたのですが、東儀哲太郎の名を(意外や意外) 次のところで引用していました。 → 《おやおや? 〜 続・親の顔 〜 20031224 与太郎文庫》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031224 ぜひ、ご研鑽のほど、ご精励ください。ではまた。 与太郎 こと 阿波 雅敏
| 2004年01月22日(木) |
《初演366年譜》 〜 未投函書簡の未完草稿 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040122
18570122 初演 リスト《ピアノ・ソナタ ロ短調》 18780122 作曲 ヴォルフ《悲しい道》 18780122-0125 18870122 初演 フォーレ《ピアノ四重奏曲第2番ト短調Op.45》 19340122 初演 ショスタコーヴィチ《歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」》 19590122 初演 ブラームス《ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15》
再録のための前口上 思いたって書きはじめたものの、未完のまま投函しなかった手紙は、 あるいは(与太郎の場合)実際に投函した手紙より多いかもしれない。 たとえば《未投函書簡の未完草稿》というタイトルにまとめて、読み かえしてみたら面白いはずだが、それはそれで差しつかえもあるだろう。 このところ、巌本さんや岩淵さんのことを書いていたら、いもづる式 に古い資料が出てきた。 ここでは、ちょうど七年前の元日から、ワープロに眠っていた手紙を 公開してみよう。三十五年前には公表できなかった些事も、もはや時効 であるし、出さなかった手紙だから、何が書いてあっても受取人に責任 がおよぶこともないはずだ。 難をいえば、これまで書いたものと重複する部分が多くて、いささか くどい印象もあるが、ほとんど手を加えないで再録しておく。 あらためてポストに入れてはどうか、という案も無いわけではないが、 ほとんど忘れていた者から、あまり突然に手紙を受けとるのも、迷惑な 話である。七年前なら、久々のテレビ出演だから、さまざまの人たちの 反応が寄せられたはずで、それに紛れるつもりだった。 岩淵 龍太郎 様 前 略 先生とNHKのご関係が浅からぬことは当然ですが、まさか将棋番組 の画面でお目にかかるとは意外でした。 堂々たる穴熊の布陣、悠揚迫らざる居飛車で、桂頭からの7七歩成、 もはやこの局面で下手が投了しても当然と観ていました。逆転にいたる 経過は(私の棋力が初段におよばないため)ついに理解不能です。 あまりになつかしかったので、一筆啓上いたします。 中学生のころに、ベートーヴェンの《ロマンスF》をラジオで聴いて 以来、二十八年前には親しくお話をうかがう機会を得ました。 その対談録《月刊・アルペジオ 19691112》は、校閲を省略したため、 先生のご意向に添わない箇処もありましたが、私の長年の敬意が、やや 無遠慮な表現になったものでしょう。 当時「京都市立芸術大学には女子学生もおおいから、そのほうの配布 は控えてほしい」旨のお申し出は、そのとおりに手配しましたが、身辺 の友人たちの反応は「いかにも、カラヤンらしいエピソード」と概して 好評でした。私の判断は(真偽はともかく)おそらく楽屋のうわさ話が 伝説化したもの、とみていたのですが(いま思えば)先生のお立場や、 ご懸念にまで配慮がおよばなかった次第です。 そのあと、江藤俊哉氏との対談は(私の都合がつかず)、海野義雄氏 とも機会を逸し、当初の構想である“日本の弦楽四重奏談”シリーズは 完成できませんでした。 巌本真理・黒沼俊夫両氏も故人となられて寂しいかぎりですが、先般 は「世界室内楽コンクール」審査委員長として活躍される先生のご健在 を知りました。先生の教え子のひとりである、チェロの白石将氏とは、 あるとき数時間におよぶ長電話で室内楽を語り合ったこともあります。 同志社から京都芸大を経てパリ音楽院にわたり、現在カンヌ管弦楽団 に在籍するバスーンの若林通夫は、私の高校オーケストラの後輩です。 幸運にめぐまれた音楽ファンとして、自伝草稿“天才少年少女列伝” を書きかけています。たとえば、先生が独奏された《ロマンスF》は、 辻久子さんが、指揮者エッシュバッハーとの意見が合わなかったので、 急拠コンサート・マスターの代演となった経過(当事者には複雑な感想 もあるかと存じますが)など、微笑ましいエピソードであり、いかにも 起こるべくして起った伝説的珍事ですね。 辻久子さんとは、直接お目にかかることはなかったのですが、かつて 家を売り払ってストラディバリウスを買うという、象徴的なニュースの 後で、それまで愛用されていた双子のバイオリン“月龍・日龍”には、 数年後に一方の月龍・日龍(いずれか不詳でしたが)を手に取ったこと もあります。 その製作者である峰沢峯三氏(19780515没)については、鈴木政吉氏 (18591211? < 19440131)製作のチェロを高校時代に手に入れて、修理 を依頼すべく、訪問したことがあります。(註) 峰沢氏は一瞥して「なかなか良い楽器だな、イタリア風に真紅に塗装 すればいい。この傷も、すっかり綺麗にしてあげよう」といってくれま した。「いかほど用意すればよろしいか」とたずねると、「学生さんの ようだから、六千円にマケテあげよう」といわれたものの、その予算は 他のことに消えてしまい、楽器そのものも現在では手許にありません。 私が学んだ弦楽器は、すべて鈴木製ですが、初代のチェロだけは大量 生産以前の風格があり、その感触はいまも記憶に残っています。 他に弦楽器製作者・無量塔蔵六氏と語り合ったことなど、それぞれに 関連するエピソードは、尽きることなく、いわば“双頭の龍・外伝”と いうところでしょうか。 * 昨年、学習院中等部の数学教諭をされていた新井正夫氏(アイザック ・スターン独奏ベートーヴェン協奏曲のファンであり、いまの私にとっ ては暦法研究の先輩です)が、各種パンフレットを送ってくださった中 に、若き日の先生の文章が載っていましたので、コピーを同封します。 《Farewell Recital Isaac Stern 19531027-1029 日比谷公会堂》 ご返信にはおよびません。 * 新春三夜連続の再放送、NHKスペシャル《映像の世紀》を視ていま す。この番組の音楽は悲愴感にあふれた傑作で、はじめて聴いたときは シベリウスの作品かと思ったものです。調べてみると大阪出身の作曲家 ・加古隆によるもので、彼はシューベルト生誕後、満百五十年に生れて います。現代音楽がたとえ映像に依存しながらも、ときに感動的な新作 が成立することに、激励の手紙を出し、二度目には返信無用と伝えまし た。若い芸術家は、ファン・レターに返事を書くよりも作曲に専念して もらいたいからです。 私は、まだ老人ではありませんが、親しい友人には老兵を自称してい ます。世俗をはなれて研究に没頭するためです。(Let'19970101 未完) (註) 峰沢工房を訪問したとき、はじめ案内を乞うてあらわれた中年男性は 峰沢泰三氏とみられる。想像したイメージより若すぎるのでとまどって いると、「しばらくお待ちください」と引きこまれて、主人の峯三氏が あらわれたのである。 * ── 新春お好み将棋対局・早指しペアマッチで指し初め「岩淵龍太郎 ×神野明」「清水市代×斎田晴子」「森本レオ×渡辺徹」「高橋和×中 倉彰子」解説・田中寅彦 501468 ── 19970101 12:30-14:30 NHK-TV ┌─────┤ ┌─────┤ ├─────┐ (上手下手/先手後手) 清水+岩淵 高橋+神野 中倉+渡辺 斎田+森本
| 2004年01月21日(水) |
《初演366年譜》 〜 天才の日々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040121
18160121 初演 ケルビーニ《レクィエムハ短調》 18800121 初演 リムスキー=コルサコフ《歌劇「5月の夜」》 18890121 作曲 ヴォルフ《創造と生命を与えること》 18890121 作曲 ヴォルフ《盗みは出来心にあらず》 19040121 初演 ヤナーチェク《歌劇「イェヌーファ(彼女の養女)」》 19120121 初演 ラヴェル37《マ・メール・ロワイユ》 19300121 初演 プーランク31《オーバード》 19370121 初演 バルトーク56《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》ザッヒャー31 ──────────────────────────────── ♀巌本 真理 Violin 19260119 東京 19790511 53 巌本真理弦楽四重奏団 ♀川井 郁子 Violin 19680119 香川 /1998東宝映画「絆」リプトンCM Elman,Mischa Violin 18910120 Russia 19670405 62“Elman Tone”America 岩淵 竜太郎 Violin 19280121 東京 /プロムジカ弦楽四重奏団/岩渕 龍太郎 アブネック,F.-A. Violin 17810122 France 18490208 68 パリ音楽院管弦楽団創立 ♀Carmirelli,Pina Violin 19140123 Italy 19930226 79 イ・ムジチ合奏団(*3-4) ♀諏訪 根自子 Violin 19200123 東京 20120306 92 /籍=大賀“天才少女” 葉加瀬 太郎 Violin 19680123 大阪 /高田 万由子の夫/画家
与太郎は、十六歳のとき(やみがたい衝動によって)ヴァイオリンに 取りくんでいる。 あらゆる楽器の中で、いちばん大きな音が出るのは、トランペットや ティンパニではない。ヴァイオリンこそが、耳元から顎の骨を伝わって、 脳天をつらぬく大音響を発するのである。 そのころ《弦楽技法》《カザルスとの対話》を読んで、高名な弦楽器 奏者にインタビューする夢は、さいわいにも三十才で実現できた。 対談にあたっては、手に入るかぎり、経歴を調べておく。 生年月日を記憶しておくのは、そのことを話題にするためではなく、 ほかの人たちとの“長幼の序”を見はからうことが重要だからである。 いかに嫌いな相手でも(その人にとって)年長であれば、敬語で語ら なければならない。あるいは(自分にとって年長であっても)身内の者 を語るときは敬語を用いない。 つきつめていくと、相手が、どのような人に対して敬語を用いるかを 観察すれば、ききての身分をどの程度に評価しているか明らかである。 与太郎の雑論だが、もともと日本語の敬語文法は、天皇を頂点とする 序列が基本だった。長幼は補助的な尺度にすぎない。したがって、最近 の若者が敬語を乱しているのではなく、身分制度としての天皇制が崩壊 したためである。 そこで、文法上の敬語は、すべて丁寧語や謙譲語に併合されたので、 時と場合に応じて流動化してしまった。たとえばタクシーの運転手が、 家族旅行で観光地のタクシーに乗った場合に「おい、運ちゃん」などと 呼びかける可能性もある。市民生活では、つねに金を払う者が優位で、 その場かぎりの関係にすぎない。 与太郎の(実際の出生日は分らないが)戸籍上の誕生日は、一月廿日 である。(与太郎にとって)ふしぎな偶然だったが、巌本さんの誕生日 が一月十九日、岩渕さんは二十一日だから、どちらも忘れようがない。 いまや与太郎のパソコンには、十万行におよぶ生没データがあるが、 どういうわけか「一月生れの音楽家」が多い。さらに偏在しているのは、 ざっと抽出しただけでも連続5日間、まさにヴァイオリニストの季節で ある。 このことは、日付と季節における統計上の“ゆらぎ現象”であって、 ただちに宿命や運命に結びつくものではない。むしろ、そうでないこと を証明するための、希少なサンプルであろう。 杉浦 日向子・解説《お江戸でござる 20040115 NHK》によると、 江戸の長屋では、新入りの者に対する「三つのマナー」があったという。 「一は生国を聞かず、二に家族構成を質さない、三に年令を訊ねない」 江戸文化を愛してやまない女史ならではの、近来の成果にちがいない。 コマーシャルや映画で人気絶頂の美女・川井郁子さんは、生年不詳で ある。すくなくとも、ファン・クラブなどの公式HPでは、その部分が 空白になっている。かりに所属事務所の方針だとしても、いまどき時代 おくれのセンスではないか。 ところが、Google で「川井 郁子+年齢」を検索したところ、つぎの ようなサイトに出会った。── 老子《天網恢恢、疎而不失/第73章》 川井 郁子 - 36歳 情報提供者 - 1968/01/19(更新時刻2004/01/15) 《芸能人の背いくらべtop(みんなでつくるデータベース)女性(2)》 http://www.kurabe.net/geinou/woman2.html 諏訪根自子・植野豊子(現姓=服部 豊子/譲二の母 19261123 東京) とならぶ元祖“三大美少女”だった巌本さんは、初対面の与太郎にも、 みずからの年令については「昭和とおんなじだから」と屈託がなかった。 ── あどけない少女の頃だったわけですね 巌本 つまり 17才ぐらい(笑)ってわけね ── そして21才の音楽学校教授も誕生しましたね 上のやりとりは、与太郎が(遠慮するふりをしながら)カマをかけた ところ、ズバリ実年令で答えてくれたため、つぎの話題につながったの である。ここでもし彼女が、当時43才の年令を明かしたくない素振なら、 教授就任の話題は、別の表現にならざるを得ない。 ここで「21才の教授」と言いたかったのは、21才の教授が22才の生徒 に教える光景を思いうかべて、無意識のうちに前ふりをしたのである。 なお、カッコ内の「(笑)」については、書きとめたいことがあり、 いずれ「表記凡例」の項に追記する。 誤解されているようだが、インタビューは質疑応答の記録ではない。 あるいは、自分に都合のよい意見を引きだすための“やらせ”でもない。 分りきったことを訊ねて、知らなかったことを引きだすのが妙味である。 著名人にインタビューする対談形式としては、セシールとバーナルの 経営者がCM史上二大成功例である。前者は新聞紙上で、後者はテレビ 各局を乗っ取ったかのごとき勢いだった。 この手法が、これほど効果的だとすると、ストッキングや化粧石鹸に かぎらず、教育や政治に応用されれば、画期的な成果が得られるのでは ないか。
| 2004年01月20日(火) |
《初演366年譜》 〜 ゼロの概念 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040120
1813012. 初演 ロッシーニ《歌劇「ブルスキーノ氏」序曲》 1841012. 作曲 シューマン《交響曲第1番変ロ長調Op.38「春」》 18410331 初演 ──────────────────────────────── 18420120 作曲 メンデルスゾーン《交響曲第3番イ短調Op.56「スコットランド」》 18420303 初演 18560120 初演 ブラームス《2つのガヴォット》 18800120 初演 ブラームス《2つのラプソディ》 18840120 初演 ヴェルディ《歌劇「ドン・カルロス」》18870311 初演 18840120 改訂版初演 18880120 初演 ウェーバー《歌劇「3人のピント」》 18920120 初演 カタラーニ《歌劇「ワリー」》 19410120 初演 バルトーク《弦楽四重奏曲第6番》 19440120 初演 ヒンデミット49《ウェーバーの主題による交響的変容》ニューヨーク交響楽団
表記凡例 〜 Awa Library's Rules 〜 「上旬・中旬・下旬、月初・月末」などの表現は、無条件に信用でき ないが、まったく日付がわからないよりは優位に扱うために、ここでは (Excel の日付セル内で)つぎのように表示する(すべて一月の例)。 「上旬=010. 中旬=011. 下旬=012.」「月初=01初 月末=013.」 また、まったく日付がわからないものは「01..」とする。 (年号表記には「1900年代=19.. 2000年代=20..」「1990年代=199. 2010年代=201.」、年令は「十代=1. 二十代=2.」のように表記する。 この点々は、当初「半巾カナ=ナカグロ」を用いていたが、通信言語 に変換すると「全巾カナ=ナカグロ」に化けることがあるらしい。 《与太郎文庫》では化けないが、《はてなダイアリー》では化ける。 したがって、最近では「半巾英小字」に統一しているが、旧いデータ では未修正のままになっている。 これらの措置は(エクセル以前から)ソート機能を意識したもので、 数万行のレコード(行単位のデータ)を自在に並べかえるために必要な 手順であった。 しかし、データベースの現況は、いまだに一月一日を「1.1」と入力 するのがほとんどで、そのままソートすれば「1.1」「11.1」「12.1」 のつぎに「2.1」「3.1」がつづく。 優秀なオペレーターなら、頑迷な注文主や凡庸な上司には(無断で) 「01.01」「12.31」と入力しているはずだが、印刷段階で元の木阿弥に されてしまう。いまなお「ゼロの概念」が理解できないからである。 「1月1日」は、外国人には理解できないが、0101なら理解できる。 だが、欧米人もまた頑固に「1st. Jan., 2004」などを保守している。
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