与太郎文庫
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2002年10月18日(金)  一件落着

  
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021018
 
■2002/10/18 (金) 遠藤くんの自伝
 
 遠藤 瓔子君のホームページを発見。自伝のようなものを連載している
のに驚く。同人誌にメールを出して、続きを送ってもらい、送金までに
ちょうど一週間かかった。その記録を《一件落着》と題す。このあと、
本人にメールを出すべきか、迷っているうちに一週間が過ぎていく。
(Day'20021018-1024-1030)
*20030622(以下166行削除)
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↓=Non-display><↑=Non-display
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 《gui 63号》P186-190、昭和35年 3月〜36年 2月→34〜35年が正しい。
 古い振替用紙があったので、これに記入して女房にもたせる。郵便局
は新しい用紙に書きなおしを要求、これを局員が再入力したという。
 Bourk-White,Margaret の前夫のことば(要旨、出典不詳)。
「本を読む人と書く人がいる。私は書くほうだ ── Caldwell,Erskine」
 
→ Mail'2003/01/15 (水) はるかなる読者より“寒月の右手”
 
 「ロバート・フリップ: 今回のミニ・アルバムが“左手”ならば、次の
フルレングス・アルバムは“右手”だ。(20021011)」
── http://entertainment.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=109485
 
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■2002/10/27 (日) 経営免許
 
 医者は、一定の期間ごとに学会に参加する義務があるらしい。
 そもそも零細企業の経営者は、運転免許とおなじように、経営免許を
取るべきではないか。四年ごとに更新して、基礎的な法律の試験をする。
 労働三法くらいは、知っていないと議論ができない。
 そのための社会的システムも、だんだん修正する必要がある。
 
 また、学校などの就職担当者や、企業の面接担当者も、基礎的な免許
が必要ではないか。ふだん役にたたないような社員が、こんなときこそ
えらそうにするのはいけない。ふだん役にたたないから、といって面接
などやらせてはいけない。あとあと責任のとれるようなシステムを考え
だすべきである。
(Day'20021027)
 
更新日: 20051114


2002年10月11日(金)  無事 〜 恩師の消息 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021011
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 二年前の日記より。
── 夕6時、金谷先生より電話「朝いちばんに電話したんやが、まだ
寝とったみたいやね」大原美術館や競馬のことなど。
 
「わしは軍隊でも馬を可愛がっとったし、眼ぇみると分るんやで」
「そうは云うても、たまに手ぇかまれることもありまっしゃろ?」
「そこやがな、たまにあるさかいに困るんや」
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021001 ヴァンデミエール
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20021011
 Ex libris Web Library;無事
(Let'20021009-1011 from Mr. Kanatani, Akira)
 
 金谷先生から(重ねて)はがきをいただく。落款に「金谷」とあって、
(妻が、近くの書道教授にみてもらったところ)「無事」と読むらしい。
 察するに、なにかの折にまとめて印刷されたらしい。年賀状など返事
を書くのが面倒なとき、そのまま出しても用は足りるのである。
 
 かくのごとく、金谷先生の才能は、とどまるところなく多彩である。
 こういう発想が、なぜ貴重であるかというと、受けとった者までさま
ざまなアイデアが湧いてくるからである。
 
 三年前の日記より。(Day'20010830)
 ろ組のセンセ 〜 金谷先生のこと 〜
 思いだしたエピソード(1)
 
 戦時中、幼い病弱な娘を疎開させるにあたって、父は数十枚の葉書を
与えた。その葉書には、あらかじめ父への宛名が書かれていた。
「元気な日には“○”を書いてポストに入れなさい」と、父は云った。
 
 こうして毎日一枚づつ、娘からの葉書がとどいた。しかし、だんだん
“○”に元気がなくなり、“○”が小さくなっていく。そして、ついに
父は、最後の一枚を手にして、娘の死を知った。
(向田 邦子《字のないはがき》より)
 
 もっと有名なのは、野口英世が、故郷の母のためにエアメールの封筒
に(ロックフェラー・センター宛)ゴム印で捺したという。
 タレントの神田うのも、在英中の父が、祖母のために用意したという。
(“うの”の名は、持統天皇に由来する)
 
 海外居住の高齢者では、母国語の話し相手が少ないため、ストレスが
生じるという。海外でなくとも、与太郎も京都弁で話せる相手がいない。
「ほな、さいなら」と云えるような幼馴染が居ないのである。
 
 カナダやカンヌにいる二人の楽友を思いうかべる。
 彼らは、その地に骨を埋めるつもりなのか。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060608 海を越えた友 〜 港が見える日々 〜
(別項に後述)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080822 (二次言語)
 Triplingual ? 〜 母語・父語・兄語・弟語・姉語・妹語 〜
 
「給食の時間に、みんなといっしょに食べる先生の姿を、いまでも思い
だします。いまだに、あんなにおいしそうに食べる人を見たことがない」
「親戚のおばさんに“皿まで食べるんか”言われたこともあるで」
 
「ボクも、ときどき真似して褒められることがあります」「貧乏人やか
ら、ガツガツ食べたんやろな。うまそうに食べるのは母親の影響やが」
「ボクにも貧乏人の知りあいはいますが、それとは違うんですよ」
 
 もう一つのエピソードは(とっておきなので)一向に筆が進まないが、
後々推敲するとにして、ここでは走り書きのメモを、そのまま転記する。
(これも三年前の日記に重複)
 
 たちまち先生は、梁川博之くんの目に入ったゴミを、舌で舐めとった。
 当時22歳の青年教師が、10歳の教え子を抱きかかえる姿は、ユージン
・スミスやミケランジェロの“母子像”にせまる鮮烈なシーンだった。
 


 Michelangelo, Buonarroti 14750306 Italy   15640218 88 /〜《Pieta 1499》
 Smith, W. Eugene     19181220 America  19781015 59 /誤=19181230 69
♀上村 智子        19560613 熊本 水俣 19771205 21 /当時15歳
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── 《入浴する智子と母 19700612 アサヒグラフ 197212‥ Minamata》

 
「先生は、どなたかに、そんなときの救急処置を学ばれたんですか?」
「そんなことがあったかなぁ」
「こういう敏捷な判断は、IQ(知能指数)の高さですかね」
 
「いや、IQとはちがう。せんだってNHKで、PDとか云うとったが、
情動反応やったかな、認識能力のようなものらしいで」
「それじゃ、早速インターネットで調べて、プリントを送りましょう」
 
 かつての教え子が(半世紀を越えて)恩がえしできるかどうか。
 残念ながら、PDでは検索できなかった。たぶんEQとみられる。
 ひさびさの長電話、贈り物より電話料が高くついたのではないか。
 
 その後、プリントを送るつもりだったが、量のわりに内容が乏しい
資料ばかりで、そのままになってしまった。(20041029-20051030)
 はてなに質問があったので、その一部を紹介する。
 
(20110306)
 


2002年10月01日(火)  ヴァンデミエール

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021001
 
■2002/10/01 (火) さらば、耳鼻科
 
 20020924 耳鼻咽喉科医院3600円借りる、薬局で1700円。
 20021001 耳鼻咽喉科医院(再診)
 初診では「運動不足と食欲不振は関係がない」と、まことに論理的だ
ったが、一週間後の再診は、まるで非論理的だった。
 「薬の効果はありましたか?」
 「たしかに、慢性鼻炎であったかもしれませんが、このたびの薬で、
快方に向ったような実感はありませんね」
 「そうですか。それじゃあ、もう二週間分出しておきましょう。この
薬は副作用がありませんから」
 この種の三段論法は、許しがたいものがある。かといって、その場で
争うに価しない気がする。断われば済むのだが、ほとんどの場合、これ
までの人生で、与太郎は容認してきたのである。
 ときに争うことは、愉快でストレス発散できる。しかし、論理的であ
るべき相手が、あまりに非論理的であるのは、なにかしか事情があるに
ちがいない、と同調してしまうのかもしれない。あとで、どんなに悔ん
でも、その時は争う気分にならないのである。
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 ノート・パソコンを常時オンにしていると、耳鳴りのような現象が続
くので、これが味覚障害の原因になるのではないか。
(Day'20021002-1005)
 
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■2002/10/01 (火) 曇、台風前日
 
 十月の記、教え子の賦
 十月四日は、横井軍平の命日。
 十月五日は、やしき・たかじんの誕生日。
 十月六日は、芝山先生のお誕生日。
 十月九日は、一昨年本宮先生が下さった書簡の日付。28年前参照。
 十月十日は、金谷常延氏の命日(当時、体育の日)。
十月十五日は、祖父・阿波保申の命日(五十七歳)。
十月十七日は、佐々木敏男君の命日(大沢善夫は十六日客死)。
 模写 〜 ピカソ《葡萄とギター 19591017 美校レポート》、出典不詳。
 ポスター《サービスに明日はない! 19801022 岡山鉄道管理局》
十月二十九日、曽祖父・阿波直三郎(五十九歳)客死。
 
 一昨年、金谷先生への電話で。
 金谷常延氏の命日は十月十日(享年不詳)。
「りっぱな人でしたね」「そうやったなぁ」「あんな立派な人に、生涯
を通じて、何人も出会えると思うてたら、ただひとりの立派な人でした」
「わしも、そう思うで」(書簡、同封せず。《葉隠》引用)Day'20021003-
 
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■2002/10/05 (土) 右肩あがり
 
 落語家の桂ざこば(雑魚場)は、同期同門の桂文珍のことを、あまり
好ましく思っていないふしがある。
 両人のパーソナリティは、それぞれ別のところにあり、とやかく云う
のも大人気ないが、落語家としてのキャラクターからすると、文珍は、
あまりに常識的でつまらない。
 たとえば早くから自家用飛行機を持っているが、誰も乗せないという
(家族をはじめ、誰も乗りたがらない、というのが実情らしいが)。
 ざこばいわく「みんなでワーッと騒ぐのんが芸人ちゃうか」
(谷本先生もHP《ざこばの「らくだ」20021023》で激賞されている)
 文珍は、もはや芸人などという意識はなく、空飛ぶビジネスマンだと
思っているのだろう。一部の関西人は、エラクなると言葉つきが微妙に
変化することに気づかない。“右肩あがりのアクセント”になる。
 一種のチック症状のようだが、はなし家としては致命的なのだ。
 
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■2002/10/06 (日)
 
 ことし“十月の葡萄”を、杉井・谷本両先生を加えた七人に贈る。
 天満屋でピオーネを選ぶ。マスカット・巨峰とのちがい分らず。
1006-1008発送依頼。《古い賛美歌》《悪友四重奏》《門庭再訪》同封。
20021009 夕6時、金谷先生より電話「朝いちばんに電話したんやが、
まだ寝とったみたいやね」大原美術館や競馬のことなど。
 
「わしは軍隊でも馬を可愛がっとったし、眼ぇみると分るんやで」
「そうは云うても、たまに手ぇかまれることもありまっしゃろ?」
「そこやがな、たまにあるさかいに困るんや」
 
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■2002/10/08 (火) ピオーネ
 
── ピオーネ 収穫期は巨峰よりやや遅い8月下旬から9月上旬。静岡
県の井川秀雄氏が、昭和32年に、巨峰にカノンホールマスカットを交配
して育成した欧米雑種で、48年にピオーネと命名されました。
 果粒は、巨峰より一回り大きく、ときには20gを越すことがあり、ゴ
ルフボール大となってジャンボブドウとよばれることもある。果皮は濃
黒色でつやがあり、やや剥きにくい。果肉は締まって、肉質はよい。糖
度はかなり高く、酸が少なく渋味はなく、風味は上品で、甘味の強い味
わいで人気があります。貯蔵性は短いほうですが、巨峰より日持ちがは
るかによく、全国各地で栽培が増加している品種です。
 最近はたね無しのものが多くなり、食べやすくなっています。またた
ね無しは冷凍庫に入れて凍らせると、おいしいシャーベットとしても楽
しめます。(主な生産地は岡山、山梨、広島、香川) 
── http://www.packet.ne.jp/fruit/syurui/budou/kuro.html
 
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■2002/10/09 (水)
 
 夕7時、金谷益子未亡人より電話。昨年11月ごろに倒れて、
手紙が書けなくなったので。昔のままの住まいは、数段の階段があって
(週二回のリハビリに)車椅子の出し入れ困難とか。常延氏は、国鉄を
退職されて、夫婦で旅に出ることになった。その日、三台ものカメラを
かついでいたためか、急に気分が悪いといってベンチに座りこんだのが
もとで、昭和五十四年十月十日(体育の日)六十歳で亡くなったという。
 当時その一ヶ月前、与太郎の起死回生の大作(B全)となるポスター
《ダイヤは眠らない! 19790912 岡山鉄道管理局》の下書きが完成して
いる。いま、奥様は七十八歳、氏が健在ならば八十三歳である。
 
 Mai'20021010 16:19 from:tbc00346 to:awalibrary
 
 ありふれた菓子折や、しおたれた特産物のごときは趣向がない。−−−
ミスター・同中
 
 昨日はしおたれていない”ニューピオーネ 1箱頂戴し、感謝します。
まだまだ新品種の開発が進んでいるのですね。学問の世界と同じですね。
今朝は”いま考えていること”に異色のノーベル賞をめぐって一言書い
ておきました。昨日から我が家はフレッツB100が入り一段とブロー
ドバンド化は進みました。これでこれからの映画の配信も十分利用でき
そうです。
 目下手元にある古いlpで少し面白いもの例えばOistrakhとRichterに
よるBrahms:Violin Sonata No.1 in G major など演奏の便宜を図って
CD−R録音もボツボツやっています。
 お元気で。また面白いDay is Dayを待ちます。お礼旁々 早々
 
谷本岩夫



 
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■2002/10/10 (木) 杉井先生
 
 夕6時半、杉井先生より電話。
 弘前高等学校は本当だったが、石坂洋次郎《青い山脈》モデル説は、
「風説にすぎない」とのことだった。
「きみの《門庭再訪》は、なかなか推敲されていて、よくできていたね。
芳醇な果実に、きみの誠実な態度がうかがわれて、感謝している」など
まるで高校生にもどって誉められたような気になって、うれしくてしょ
うがない。
「他の諸先生は引退されて悠々自適ですが、杉井先生は学者として現役
でおられるので、お時間を取らせてはいけないと遠慮しておりました。
名実ともにご引退されましたら、ふたたび河原満夫と一緒にお邪魔して、
その後のマルクシズムについて論じたいと願っています」
 その折は、ぜひ《ゲーテとの対話》のように、格調高く記録したい。
「お電話いただいて、まことに光栄です。奥様はお元気ですか?」
「うむ、元気だよ」「高校時代に二度もお邪魔して、夕食までご馳走に
なりましたので、どうかよろしくお伝えください」
「そうか、そんな事まで覚えてくれていたか」
(おぼえていますとも、当時めずらしかった電気炊飯器のご飯!)
 長居して、とっぷりと暮れた夜道を駅にむかう教え子に、帰途を案じ
た先生は、懐中電灯まで用意してくださったのである。
 いったい、何事を相談していたかといえば、最初は、第一学期はじめ
に、芸大受験するなら徹底的に学力をつけること、その決心をかためる
ための確認である。
 その効果はてきめんで、中間考査ではビリから一転して平均点に迫る
勢いだった。ところが、これで気を抜いたため、期末考査でリバウンド
して、せっかくの勢いも自滅してしまったのである。そこで与太郎は、
「なに、一浪すれば何でもない」と、ふたたびタカをくくった。
 二度目の訪問は、いったん武蔵野に入学して、予備校に通いながら、
翌年もういちど芸大に挑戦するという決意表明だった。
 要するに、このころの与太郎は、おおくの無能な青年とおなじように、
自信がもてない不安を、信頼すべき人に語りたかったのである。
 先生は、与太郎の話を、辛抱づよく聞いてくださったのである。
 
 Let'20021010 08-12 -1011         芝山 マツ
 
 気候不順な昨今ですが、今日は秋晴れのさわやかなお天気になりまし
た。お変わりもなくお過ごしのようで何よりです。
 本日は誕生日のプレゼントに、岡山の郷土の香りをお届け下さり、持
つべきものは教え子と、ご好意に感謝しています。自分の誕生日も忘れ
てしまっていましたのに、阿波君が覚えていて下さるなんて……本当に
有難い事だと……厚く御礼申し上げます。旬のフルーツ、ネオピオーネ
は、今仏壇に供えてありますが、後程賞味させて頂きます。
 同封して下さいました Day is Day を拝読し、阿波君は昔の先生や友
人を大事にしておられる様子が伺え、感心しました。
 私は、満七十五歳を迎えた今、担任の先生は、小学校も女学校も、師
範学校も亡くなられましたが、同窓会や、グループで定期的に会ったり、
自由に会ったり、旅行をしたりして、旧交を温めています。会う度にし
ょうもない話がいつまでも続き、タイムスリップして楽しんでいます。
 お元気で阿波君らしく自由に、今後もご活躍下さい。ご健康を祈って
います。      先は御礼まで   かしこ
 
 Let'20021010 18-24 -1011         金谷 泰典
 
 ありがとうさんでした。姉にもネ。みどりさんにもよろしく。
(画像「無事」)
 
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 Let'20021010 12-18 -1012         本宮 啓
 
 いつもいつも愉快な文章と素敵な果物有難とう。
 今日は同中教諭三筆ならぬ一筆の悪筆で失礼。
 ワープロばかり使ってると漢字が書けなくなって困ってます。
 同志社中高生管弦楽の歩み(略史)は来春第廿五回定期プログラムに
一応書く事にしました。略史ですが出来たら送ります。
 
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■2002/10/11 (金) 才筆
 
 芝山先生から、はがき。お手本のような矍鑠たるペン字は、昔とかわ
らない。ことし二月ごろ、かねての疑問を電話でたしかめた。
「書は、どなたに学ばれたのですか」
「ただの我流よ」(おどろいたなあ)
「ぼくの人生を通じて、先生は二番目です。一番の能筆は、父ですけど」
「お父さんは達筆やったね」
「もうひとつ伺いますが、
“♪もろともに いや健やかに いや栄に 暮しまほしく 祈る初春”
の出典を教えてください」
「あれは、私が勝手に作ったんや」(おどろいたなあ)(Let'19520104)
 
 金谷先生から(重ねて)はがきをいただく。落款に「金谷」とあって、
(妻が、近くの書道教授にみてもらったところ)「無事」と読むらしい。
 察するに、なにかの折にまとめて印刷されたらしい。年賀状など返事
を書くのが面倒なとき、そのまま出しても用は足りるのである。
 かくのごとく、金谷先生の才能は、とどまるところなく多彩である。
 こういう発想が、なぜ貴重であるかというと、受けとった者までさま
ざまなアイデアが湧いてくるからである。
 
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■2002/10/13 (日) 左伝について
 
 杉井先生へのメモ、また会える日のために。
 
 《春秋左氏伝》には、暦に関する三つの主題がみとめられる。
1、「三月、蒸ス」の記述。三月にして暑いのは、気候不順ではなく、
 閏月を置きすぎたことが原因である。
2、孔子は、しばしば「閏月は年末に置くべし」と言っているが、その
 理由はあきらかでない。最後の旧暦にあたる天保暦では、中気が無
 い月に(途中で)置くルールを設けているが、これとても天文現象
 に即しているとは言えない。
3、孔子は、五十にして易を学びたいと言ったのか。あるいは易に凝る
 ような友人は好ましくない、と言ったのはなぜか?
 以上、いずれにせよ、暦の専門家である司馬遷の登場によって、初の
史書が完成する。
(Day'20021013-1019)
 
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2002年09月01日(日)  高砂くずし

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020901
 
■2002/09/01 (*) 彼我の医術
 
 路上や機内・船上で倒れた場合、かかりつけの医師を呼べない。
 日本人が、イスラム圏内で救急車に乗せられた場合は、どうなるか。
 担架からベッドに移されて、診察がおわったとする。どうやら緊急に
手術を要するらしい。やむを得ない、見知らぬ異国人ではあるが、真剣
な表情のアラブ人医師(イラン人かアフガニスタン人かもしれないが)
に命をあずけることになる。
 ここで、彼が腕をまくりあげ、メスやピンセットをもって頭上にかぶ
さってくるなら覚悟の上である。ところが現実はそうでないのである。
あろうことか彼は、長々しいお祈りをはじめるのである。
(おいおい、それはないぜ)
 
 逆の場合、すなわちイスラム教徒が、非イスラム圏で倒れると、こう
なる。
 担架からベッドに移されて、診察がおわったとする。どうやら緊急に
手術を要するらしい。やむを得ない、見知らぬ異国人ではあるが、真剣
な表情の日本人医師に命をあずけることになる。
 ところが意外なことに、日本人医師は腕をまくりあげ、メスやピンセ
ットをもって頭上におおいかぶさってきたのである。
(ギャー、せめてその前にお祈りを!)
 
 この小噺は、むかし眺めた海外漫画《イスラムの歯医者》がヒントに
なっている。ヴェールをまとった女性患者を、手探りで治療している姿
が、まことにおかしい。このヒントに加えて、アメリカのテレビ映画で、
イスラム教徒が「治療の前にお祈りをしてくれ」と騒ぐシーンを観た。
 ほんとうは、当事者にとっては笑いごとではない。また、昨今の日本
では、治療の前に保険証を見せろという救急病院が、あたりまえになっ
ているのではないか。保険証は、さまざまの加入契約があって、負担の
料率が複雑なので、病院経営にとって、重要な要件となっているのだ。
(20020901-0902)
 
■2002/09/02 (*) 松葉くずし 〜 サポーター不信 〜
 
「松葉くずし」と聞いただけで、知っていても知らないふりをする人が
いるにちがいない。与太郎の友人の一人は、かならず知っているはずだ
が、与太郎以外の人には知られたくないだろうから、彼の名をあげるこ
とはしない(安心しろ、与太郎は大事なところでは、口が堅いのだ)。
 まったく知らない人のために注釈すると「男女四十八手の一」である。
 きょう、あるエピソードをおもいだして、パソコン検索したのが発端
である(何をいっても弁解になるが、語源をたしかめるつもりだった)。
 約60件が検索され、どうやら他の用法はなさそうである。ついでに
二三項開いていると、それはそれ別世界の好き者たちが、それぞれ思い
思いのアイデアを繰りひろげている。「画像をクリックせよ」とあって、
つられてクリックしたところ、なんだか時間がかかりそうで、妖しい。
危険を感じて中止(キャンセル)するが、反応しない。意を決して電源
を切ってしまった。
 この処置は、専門家にいわせると安全ではないのである。パソコンに
とって、落雷や電源時のショックは、保証の限りではない。はたして、
ふたたび電源を入れてみると動作が変だ。「モデム選択」のメッセージ
が出て、どれを選んでも、接続できないことが分かった。
 サーバーのサポート・センターは混雑しているので、マシンメーカー
の東芝に電話する(これまでの経験では、あらゆるトラブルに対して、
もっとも誠実な対応が期待される)。
 担当者は、状況を把握すると、即座にいった。
「わいせつ画像を開かれていませんか?」
「なるほど、たいしたもんだね。たしかに心あたりがある」
 ここで、しばらく世間話を通じて、問題発生の背景がわかってくる。
「彼らは、専門的な知識をもって、ゆえなく他人のパソコンを破壊する
ことを愉快に感じるらしいのです」
「しかし、ぼくのパソコンを破壊したとしても、おなじホームページを
観ることができなくなるのだから、利にかなわないね」
「それでも愉快だという人たちが存在します」
「待てよ、画像にみちびくと同時に、有料通信に自動接続すれば、利に
かなうね」
「そうです。そういうケースもあるでしょうね」
 ここまでのところ、ユーザーとサポーターは意気投合した。いよいよ、
現実にトラブルを解決しなくてはならない。
 最悪の場合は、リカバリーといって、マシンのすべての記憶を亡くす
処置にいたるが、いままでの苦い経験で、よくよくのことでないかぎり
回避したい。
 サポーターの指示で、二三の再チェックを試み、これでも駄目なら、
プロバイダーに相談し、それでも駄目ならリカバリーとなる。
 ようやく再起動してみたが、一回目はヒートアップが原因らしく電源
が切れない。しばらく冷ましてから、再起動したが、もとの動作不安定
のままである。つまり、東芝サポーターの状況判断は当たらなかったの
である。
 がっくり考えこんでしまった。サポーターといえども、百年もやって
いるわけではない。基礎的な、専門知識はあるにしても、日常的な問題
解決能力は、さほどアマチュアと違うものではない。
 かくて、Windows XP で開発された「システム復元」を試してみると、
みごとに的中したのである。一発で、昨日の状態にもどすことができた。
 おわりよければ、途中がうらめしい。なんだかんだと、みっともない
話をすることもなかったのだ。これからは、トラブルが起きても、あわ
てずに毅然として、まず一人で考えよう。反省!

■2002/09/02 (*) 谷本先生より
 
 谷本先生から郵便物(高砂のコピー)到着。
── ご教示ありがとう。取り敢えず感謝と共に5部同封しました。
            谷本 岩夫
 
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 讃美歌 四三一
 
一 ときこそきつれ あめつちの
  はじめの日より さだまれる
  おほみはかりは いもせをちぎる
  いはひのとのに いまなりぬ
 
二 たにのをがはの そこきよみ
  きしのひめゆり あさゆふに
  したしむかげの みずかがみこそ
  いもせのさまを うつしけれ
 
三 うきもなやみも よろこびも
  ともにおひつつ むつまじく
  さかえのしろを のぞみてすすむ
  いもせのみちの たのしさよ
 
四 八千代ことほぐ ももとりの
  うたのしらべも のどかなる
  はなのむしろに あまつつかひも
  いもせのさちを うたへかし
────────────────────────────────
── Heiji Shinoda1896《讃美歌431 Arranged from TAKASAGO 1931-1932 》
[付記=75757777/信徒の生涯/結婚/創世2-18]
 
── その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは
良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(2-18)
── 新改訳・旧約聖書《創世記 19741001 日本聖書刊行会》P0003
 
── 《Day was Day 》P031 脚注メモ「Takasago」
♪(記憶では)「ときこそ来つれ 天土の 祝いの殿に今成りぬ」
 
■2002/09/05 (木) 高砂三題(1)
 
 中学二年(1953)秋の文化祭で、ジュニア・シンフォニーは《おもちゃ
の交響曲》を演奏することになり、指揮者の本宮先生がおもちゃの楽器
を買いに出かけた。楽器屋で売っていないものに(豆腐屋の)ラッパも
あった。このとき先生はピッチを忘れてきたことに気づいた。おもちゃ
であっても、それなりの音程が要求される。
 そこで先生は、学校に残っている生徒で、音楽のわかる者を呼びだす。
電話口に呼びだされた有賀が、ピアノまで届かないというと、
「そこでピッチ(音叉棒)を叩いてみてくれ」
 有賀は、音楽室からピッチを持ってくると、電話機にむかってチーン
と鳴らした。
 こうして、先生は正しい音程のラッパを選ぶことができた、という。
(先生と有賀の、得意満面の表情を察すべし。のちに、有賀はポケット
に音叉棒を持って歩くことになる)。
 このエピソードは、現在の環境からみて、どことなく不自然である。
電話の天気予報や話し中の信号音はA=440'(NHKの時報もおなじ)
だから、電話口で音叉棒を用意する必要がない。しかるに当時の電話は、
つねに交換手が登場するために、信号音を聞く方法がなかったのである。
(いまなら、話し中の信号音を聞くには、自分の番号にかければよい)
 同志社中学および高校では、聖書講義、校祖伝記などを教科に加え、
「徳育」と総称するが、その中心儀式は、プロテスタント系の習俗たる
毎朝の礼拝である。
 ここで全員が合唱する《讃美歌》は、おおくが世界各国の民謡である。
有名な、マルティン・ルター作詞作曲《神は我がやぐら》のような曲目
から、最新版にはシベリウス《フィンランディア》も収録されている。
(ビゼー《アルルの女・間奏曲》の主旋律は、讃美歌ではなく、ラテン
ン語のカトリック祈祷文《神の子羊》を歌詞とする独唱曲である)
 
■2002/09/05 (木) 高砂三題(2)
 
 中学三年の秋から卒業までの数ヶ月間、有賀誠一・木下聖治を中心に、
毎日うたってばかりいた。私的な早朝祈祷会での讃美歌にはじまって、
チャペルでの全校礼拝、休み時間から放課後まで、ハモってばかりいた。
 枯木コーラス、と称していたが課外活動として認知されるほどの団体
ではなく、通りがかりの者(たとえば吉田肇)を加えて即席にハモった。
 与太郎が選曲すると、有賀がピッチ(音叉棒)をはじく。最初の音を
ハミングで示すまでに、他の者は楽譜をめくって待っている。
 与太郎は、いつか目あたらしい曲をもとめはじめた。
 合唱のための名曲は無数にあるわけではない。《音楽教科書》はじめ
《讃美歌》および《キャンプ・ソング》に、ほとんど網羅されている。
 一般のアマチュア合唱団が発表会で採択するものは、前衛的もしくは
宗教的または政治的な傾向がつよく、かならずしも傑作ぞろいではない。
「合唱名曲集」などというタイトルにつられて買ってみると楽譜出版社
の常套商法か、買いたい曲と売りたい曲が、絶妙に重複混在している。
 《新・讃美歌》から消えてしまったが、《旧・讃美歌》のなかに謡曲
《高砂》が収録されていた。すべての讃美歌とおなじく、混声四部合唱
用に編曲されていた。ためしに詠ってみると、謡曲の素養がなくとも、
「それらしく」聞こえる。このように邦楽曲が洋楽風の和声で記譜され
た例は、きわめて希少で《君が代》か《越天楽=今様》くらいである。
 《君が代》については《Day was Day》P053 参照。弦楽四重奏のため
に編曲された《今様》は、高校三年以後、二三度演奏したことがあるが、
いまひとつ(弾き手にとっても聴き手にとっても)インパクトに欠ける。
 
■2002/09/05 (木) 高砂三題(3)
 
 彰栄館の一階での《高砂》試演の情景を今でも思い出すことができる。
 阿波・有賀・木下・吉田ら枯木コーラスが、フィリップ社製のテープ
レコーダーを囲んで、はじめて歌ってみたのである。
 廊下を通りかかった“ゲジゲジ”こと市谷先生が、
「おう、なかなかいいじゃないか」と声をかけたほどの出来ばえだった。
 与太郎は気に入ったが、なにしろ主旋律をユニゾン(斉唱)で、他の
声部はハミングと指定されているので、他のメンバーにとっては難しい
だけで面白くない。また、いつどこで歌うにしても「場ちがい」なので、
一回きりでレパートリーから外されてしまった。
 
 のちに、誰かの結婚式でやってみたいと考えていたが、四人そろって
楽譜が読め、かつ即興的に歌えるメンバーとなると、なかなか難しい。
中学時代のメンバーを集めれば、自分の結婚式でできないこともないが、
燕尾服を着た新郎が歌ってる姿は、なんだか間がぬけていて気がすすま
ない。謡曲師匠を父にもつ銀行マンに「お客さま代表」として《高砂》
を謡ってもらうことになった。媒酌人は「屏風のかげで謡うものだ」と
主張されたが、前もって「プロではありませんが」とことわって、扇子
だけ持ってもらった。
 それから十年後、在日朝鮮人の結婚式に参列する機会があり、余興を
求められるかもしれないので、《旧・讃美歌》を探しだし、(このころ
書棚にあったから、失ったのは1999年末だったか?)譜面をたどって、
ふたたび歌ってみた。伴奏がないので、いささかやりにくいが「日本の
音曲は、朝鮮雅楽がもとになっている」というような口上で、座をとり
もつ予定だった。わざわざ新幹線の中でも反芻練習したにもかかわらず、
ついに所望されず、このアイデアは実現しなかった。彼らは《アリラン》
が始まると、他の文化を受けつけなくなるらしい。
 
 以上は、谷本先生のホームページ《謡曲について》を読んで、思いだ
したことである。理科教室の谷本先生が謡曲をたしなまれていたことを、
この機会に有賀や木下にも知らせてやりたい。
 残暑きびしい折に電話で、うろおぼえの《讃美歌版・高砂》を謡った
ところ話がはずんで、《旧・讃美歌》の楽譜コピーが送られてきた。
 あれれ、いささか記憶とずれている(?) よく検分してから、もう
いちど(楽譜に忠実に)歌わなくては……。
(Day'20020407-0905)
 
 古い賛美歌 〜 いま考えていること 110(2002年9月) 〜 谷本 岩夫
── http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html
 
■2002/09/05 (木) 有賀 誠一 君へ
 
 昨年の君の手紙は、ほんとうに懐かしかった。
 姉上からも丁重な返信をもらった(もちろん礼状を出した)。
 いっぺんに十数人の恩師・旧友から手紙をもらったので、なかなか
返事を書けないでいる。
 カンヌの若林通夫君からの手紙も、ぜひ公開したいほどだ。
木下聖治君は(手をぬいて)電話をくれた。
 去年のテロ直後、ゴリ・バンバ、タケウチ(大)と京都で会食した。
さらに十一月勤労感謝の日には、本宮先生を訪問して、約六時間歓談
した。これらの記録は、もっとくわしい手紙とともに、“委細後日”
 
 谷本 岩夫 先生のホームページ
── http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html 
を読んで、ぜひ、メールを送られたし!。
 
 木下 聖治 君へ
 
(〒ほぼ同文)同封《71歳のキャッシュ/ろくなやつなし/楽譜コピー》
 Day'20020827 May'20020826
 
■2002/09/10 (*) カナダより
 
From: ariga [*]
Sent: Tuesday, September 10, 2002 8:10 AM
To: Awa Library
Subject: Re: 高砂三題 〜 枯木コーラス 〜
 
 阿波君、
 メールをありがとう。ちょうど新学年が始まったばかりだったので、
返事を書くのが遅れてしまった。
 貴君の記憶の良さには頭が下がる。枯木コーラスのことなど、僕はす
っかり忘れていた。そういえば、大原の三千院に行ったときに(たぬき
と三人だったか、日笠さんという女子大生がも一緒だったか忘れたが)、
そこにあった古い梅の木をみて、「これは枯れ木ならぬ、うめきではな
いか。それならおれたちも、うめきコーラスと改名しようか」と駄洒落
を言いながら、その写真を撮ったことを今思い出した。あの時代はたし
かに懐かしい。
 貴君には連絡が行かなかったと思うが、去る 5月25日が父の没後25年
にあたっていたので、久しぶりに日本へ帰り、丸田町教会での追悼会と
日曜礼拝に出席した。木下の他に、思いがけない人たちが日曜礼拝に来
てくれた(中東偕子、遊津寿子、阿部道子)。たぬきには工学部卒業40
年の同級会にも来てくれた。今回貴君に会えなかったのは残念だが、ま
たそのうちに機会が訪れるだろうと楽観している。
 谷本先生のホームページは一寸目を通してみたが、一々読んでいる時
間はないので、まだメールは送っていない。さて、いつになるか。
 若林通夫君がカンヌに居るとは知らなかった。かれは25年前にカナダ
のエドモントン交響楽団に居たことがあるが、そのときはたった一日違
いで会うチャンスを逸してしまった。僕はこのところ毎年フランスとド
イツに行っている。去年はカンヌにも立ち寄ったし、また来年も立ち寄
るかもしれない。連絡をとりたいので、彼のアドレスを教えてほしい。
 さて、次の仕事が待っているので、今日はこれまで。
 お元気で。           誠一 拝
────────────────────────────────
「その写真を撮った」梅ノ木はともかく、当日のスナップはある。
 現在のようなコピーが普及したのは1970年代以降である。それまでは
ガリ版が主流で、青写真も1960年代以後(馬場久雄君の書簡)だった。
 
── 友とするに悪きもの七つあり。一つは高くやんごとなき人、二に
は若き人、三には病なく、身強き人、四には酒を好む人、五にはたけき
さめる兵、六には虚言する人、七には欲深きひと。 /よき友三あり。
一つにはものくるる友、二には医師、三には智慧ある友なり。
── 兼好法師《徒然草(第百十七段)》
 
── 妻をめとらば才たけて みめ美わしく情ある
   友を選ばば 書を読みて 六分の侠気 四分(静)の熱 
── 与謝野 鉄幹・作詞(作曲者不詳)《人を恋うる歌 1908》
 
 有賀 誠一 君へ
 
Mai'20020910 09:31 to:'ariga
件名:委細後日 〜 ろくなやつなし 〜
 
 くわしくは“委細後日”としても、とりあえず。
 若林通夫君はカンヌ交響楽団に在籍、アドレスは次の通り。
Michio WAKABAYASHI
 
 谷本先生は(木下聖治君とおなじく)奥様の介護に専念されている。
ぜひ励ましのメールを送ってくれたまえ。本宮先生は意気軒昂だった。
 父上の生没年月日はデータベースに入力してあるが、没後25年とは
気づかなかった。5年後には会って《Deep River》を歌いたいものだ。
 
 ろくなやつなし 〜 理科教室の四悪人 〜(略)返信無用。
 
 高橋 勘教頭の名刺には「電話吉田��六七八六」とある。


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↓=Non-display><↑=Non-display
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2002年08月23日(金)  正直村の新条例 〜 外電小噺 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020823
 
 外電には、おもしろい実話がおおい。ひとひねりして小噺に仕立てる
のもよいが、以下は素材のまま記す。
 地中海に面するフランスの村では、さいきん墓場がいっぱいになった。
拡張工事か、別の場所に移動する方法も検討されたが、それぞれ難問が
あって結論に至らない。そこで村長は名案を思いついた。
「今後、わが村の住人は、死んではいけない」(村議会条例)
 これが満場一致で採択されると、たちまちマスコミがやって来た。
 テレビ・レポーターにとっつかまった老人いわく、
「あれ以来わしらは、みんな条例を守っているのさ」
 この村の、その後の情報は伝えられていない。(Day'20010922)
 
>>
 
 町民は死んではならぬ 〜 ニュースなひとこと 〜
 2002年8月23日
 墓地が満杯のため、町民は死んではいけない――フランス南部の町ル
・ランバドーでそんなおふれが出た。ベナルディ町長によれば、「町民
は命令をよく守っているが、最近あるホームレスが違反した」とのこと。
現在墓地を新設する計画を申請しているそうだ。それにしてもこんな命
令が飛び出すのは、自由の国フランスならではか。

 「町民は死んではならぬ」と町長が命令 フランス南部
 2002.08.23 Web posted at: 01:47 JST - REUTERS ル・ラバンドー
 フランス南部の地中海沿岸の町ル・ラバンドーのベルナルディ町長は、
町民に対し死ぬことを禁止する命令を出した。町内の墓地が満杯になっ
たのがその理由だ。
 町長は「今のところ、町民は命令をよく守っている。ただし、あるホ
ームレスが最近、違反した。今、その男性のための墓地を探していると
ころだ」と話している。
 この命令を出す前に町長は、海に面した土地に墓地を新設する提案を
していた。しかしこの提案が裁判所に却下され、町長は控訴中。町長は
「町民は、ハトの巣箱みたいなちゃちなものではなく、ちゃんとした墓
地を望んでいる」と話している。(CNN.co.jp. こぼれ話)
 
 町民は死んではいけない
 2002年8月23日
 墓地が満杯のため、町民は死んではいけない――フランス南部の町ル
・ランバドーでそんなおふれが出た。ベナルディ町長によれば、「町民
は命令をよく守っているが、最近あるホームレスが違反した」とのこと。
現在墓地を新設する計画を申請しているそうだ。それにしてもこんな命
令が飛び出すのは、自由の国フランスならではか。
 
<<
 
 奇妙なことに、この小噺を披露したのは、十三ヶ月前である。
 上の記事は、その翌年八月の日付で三通りも保存されている。
 なぜだか分らない(悪友たちは、ほとんど関心をしめさなかった)。
 
→ 《悪友四重奏・追記 20010920 与太郎文庫》(Day'20050721)
 
作成日: 2005/07/21


2002年08月04日(日)  清張紙碑 〜 ぬばたま文学 〜

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020804
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20020804
 Ex libris Web Library;Matsumoto, Seicho
http://www.city.himeji.lg.jp/koho/press/_18144/_19347/_20250.html
 
 松本 清張 作家 19091221 福岡 東京 19920804 82 /
 


 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4167106973
《日本の黒い霧(上)      19740725-19791130 文春文庫》
 
01-007 下山国鉄総裁謀殺論
02-097 「もく星」号遭難事件
03-123 二大疑獄事件
04-179 白鳥事件
05-247 ラストヴォロフ事件
06-305 革命を売る男・伊藤律
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4167106981
《日本の黒い霧(下)      19740725-19800405 文春文庫》
 
07-007 征服者とダイヤモンド
08-059 帝銀事件の謎
09-109 鹿地亘事件
10-161 推理・松川事件
11-229 追放とレッド・パージ
12-281 謀略朝鮮戦争
13-335 なぜ『日本の黒い霧』を書いたか(初出 1960 文芸春秋)
 
── 松本 清張《昭和史発掘 01-13 文春文庫》総目次
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/416710699X
《昭和史発掘 01         19780725-19820901 文春文庫》
 
01-005 陸軍機密費問題      19640706-19640810 週刊文春
02-065 石田検事の怪死      19640817-19640921 週刊文春
03-131 朴烈大逆事件       19640928-19641102 週刊文春
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J8NYPQ
《昭和史発掘 02         19780725-19821015 文春文庫》
 
04-005 芥川龍之介の死      19641109-19650111 週刊文春
05-117 北原二等卒の直訴     19650118-19650301 週刊文春
06-195 三・一五共産党検挙    19650308-19640503 週刊文春
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J8NDTS
《昭和史発掘 03         19780825-19820530 文春文庫》
 
07-005 「満洲某重大事件」    19650510-19650621 週刊文春
08-085 佐分利公使の怪死     19650628-19650802 週刊文春
09-153 潤一郎と春夫       19650809-19651004 週刊文春
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J8NDTI
《昭和史発掘 04         19780825-19820810 文春文庫》
 
10-005 天理研究会事件      19651011-19651122 週刊文春
11-085 「桜会」の野望      19651129-19660207 週刊文春
12-201 五・一五事件       19660214-19660418 週刊文春
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J8MK3S
《昭和史発掘 05         19780925-19811205 文春文庫》
 
13-005 スパイ“M”の謀略    19660425-19660808 週刊文春
14-189 小林多喜二の死      19660815-19661003 週刊文春
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J8MK3I
《昭和史発掘 06         19780925-19820715 文春文庫》
 
15-005 京都大学の墓碑銘     19661010-19661205 週刊文春
16-105 天皇機関説        19670123-19670911 週刊文春
17-227 陸軍士官学校事件     19670522-19670911 週刊文春
 
 ↓ 19670918-19710412 週刊文春 196810・・ー197210・・ 文芸春秋
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J8LTS0
《昭和史発掘 07 二・二六事件 一 19781025-19820410 文春文庫》
 
18-007 相沢事件
19-123 軍閥の暗闘
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J9DFZY
《昭和史発掘 08 二・二六事件 二 19781125-19950205 文春文庫》
 
20-007 相沢公判
39-139 北、西田と青年将校運動
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J9DFZO
《昭和史発掘 09 二・二六事件 三 19781025-19940715 文春文庫》
 
22-007 安藤大尉と山口大尉
23-167 二月二十五日夜
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J9DFZE
《昭和史発掘 10 二・二六事件 四 19781125-19951105 文春文庫》
 
24-007 襲撃
25-150 「諸子ノ行動」
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J8KOY0
《昭和史発掘 11 二・二六事件 五 19781225-19921115 文春文庫》
 
26-007 占拠と戒厳令
27-107 奉勅命令
28-205 崩壊
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J9DFYU
《昭和史発掘 12 二・二六事件 六 19781225-19781225 文春文庫》
 
29-007 特設軍法会議
30-163 秘密審理
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J9DFYK
《昭和史発掘 13 二・二六事件 七 19790125-19790125 文春文庫》
 
31-007 判決
32-097 終章
33-239 解説にかえて 家永 三郎

 
http://q.hatena.ne.jp/1368251442#a1200703(No.1 20130511 18:31:49)
 罪と罰 〜 読まない者とは語れない、読んだ者とは争えない 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19360226 二・二六事件碑
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BE%BE%CB%DC+%C0%B6%C4%A5
 クリック20世紀 1593ファイル版
http://www.c20.jp/text/ms_syowa.html
 
https://twitter.com/awalibrary/status/1278271156517171200
 
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=%E6%B8%85%E5%BC%B5%E7%B4%99%E7%A2%91
 
(20110420)(20200701)
 


2002年08月01日(木)  個人情報 〜 私は誰か? 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020801
 
■2002/08/12 (月) 住民票コード通知表
 
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↓=Non-display><↑=Non-display
────────────────────────────────
 
 個人情報とは何か?
 
 マイクロソフトに問合せ。サポート担当女性の対応に、かつてないほ
どの不快、思わずムッとして黙りこんでしまった。
「ガーン」と一発言ってやりたいが、相手がどういう部署で、どういう
身分なのかわからない。アルバイトか派遣社員かもしれないのだ。
 逆に、こちらの姓名はもとより、生年月日・性別・住所・電話番号・
プロダクトID番号、これまでの電話サポート履歴記録など、すべては
彼女のパソコンに表示されているのだ。(ナンバー・コール?)
 さらに、質問者のキャラクター分類などという項目があって、短気・
ときに老人性恫喝(?)などと、部外者にわからないような暗号で特記
されているにちがいない。つぎの担当者は、これらの追加情報を一瞥し、
なるべく手短かに質問が切り上げられるように誘導するにちがいない。
 (Day'20020812-0815)
 
■2002/08/26 (月) ポール=グリーシー先生のこと
 
 田上 善治 様 はじめまして。(Mai'20020826 20:01 *田上 善浩 様)
 私は、同志社高校ポール=グリーシー先生の教え子です。
 ポール=グリーシー先生が考案された「アルファベット・クイズ」に
挑戦しましたが、一問しっぱいしました。
 “SSH”は、どこかの学校の略称でしょうか?
 その後の先生は、帝塚山短期大学教授を経て、熊本に在住されたとか、
いまひとつ、たしかな消息がわかりません。
 最新情報をご存知でしたら、ご教示ください。
             阿波 雅敏
 
 Mai'20020826 21:03
 田上善浩(TOSS中学サークルJH-Wing)です。
 
 ご連絡ありがとうございます。
 残念ながら、グリーシー先生とは現在連絡がとれていません。
奥様は、熊本市でSSHの塾を開かれています。
グリーシー先生は、どちらかの大学で教鞭をとっておられるはずですが、
どこなのかは知りません。
SSH はSound Spelling Harmonyのことで、要するフォニックスの改良版
です。
 
 Mai'20020827 14:34 件名:ポール先生の消息(ご返信お礼)
 
 田上 善浩 様 
 
 早速お返事いただき、ありがとうございました。
 TOSS中学九州セミナーのお誘いは、かたじけなく存じますが、もはや
六十三歳を過ぎてしまいましたので、このつぎは「かならずや英語圏に
生れかわって《漢字文明衰亡史》を執筆したい」などと考えています。
 なにしろ、ポール先生の来日一期生であり、歓迎会でスピーチをした
ものの、さいごに「宿題をしなかった生徒の中でも、横綱」と評された
ほどの劣等生だったのです。
 当時の記憶やエピソードから、あらためて先生への敬意を思いだし、
六十歳のころ、つぎのような長文の手紙形式にまとめました。
 《ポール先生、さようなら 〜 続・教え子の消息 〜 20001018 》は、
来春アップロード予定( URL in private )です。
── http://plaza3.mbn.or.jp/~awalibrary/index.htm 
 これを読んだ、当時の同級生(宿題をしなかった関脇)いわく、
「あのころのアメリカ青年は、歴史的にもっとも品格ある世代だった」
 劣等生といえども、英語教育をうらんでいる者ばかりではありません。
なにとぞ誇りたかく、日々お励みください。
 お礼まで。          阿波 雅敏
 
■2002/08/27 (火) ポール先生の消息
 
 “ポール先生・英会話”を検索すると、京都文教短期大学付属小学校
のホームページに写真があった。拡大プリントしてみると、似ているよ
うでもあり、似ていないようでもある。電話(075-752-1411)でたしかめ
ると、まったくの別人だった。
 二十ヶ月ぶりに、同志社中学高校同窓会事務局に電話。Ms.Takase の
在席を見はからって再度電話する。彼女は、本宮先生や高島春江先生の
教え子だったというから、いくらか相談に乗ってくれそうな気がする。
 
「他の先生たちの消息は、かなり判明したんだが、ポール先生だけが、
どうにも分からない。なにかいい方法はないだろうか?」
「前にも申し上げましたように、直接ご本人にあてて郵便をだします。
こういう方から、こういう用件で、ご連絡を希望されていることを伝え
ます。そこで、ご本人がどうぞと言われましたら、事務局から郵便物を
送ります。ただし、アドレスをお知らせすることはできません」
「しかし、教え子が年賀状を出したいといってますが、先生は受けとり
ますか、と聞くようなもので、どうも変だね」
 ここで彼女は、思いがけないことを言った。
「それで、住所を知って、どうなさりたいんですか?」
「それはね、つまりだね、むかしお世話になったことを思い出して手紙
を書いたので、友人たちには配って読ませたが、せっかくだから先生ご
本人にも読んでもらいたいと考えたんだ」
「はあ、そうですか」
 その口ぶりから察するに、そもそも彼女は、理解していなかったのだ。
教え子が恩師を思い出して、無沙汰を詫びて久闊を叙す、という文化は、
いまや失われてしまったのかもしれない。
 思わずムッとするのをこらえて、一般論にもどす。
「かりに、ご本人が亡くなっている場合は、どうかな」
「それは、当事務局には関係のないことです。ご遺族の方から亡くなっ
た旨のご連絡があればともかく、なければ確認の方法はありません」
「しかし、すべての先生方のご遺族が、同窓会事務局に死亡通知すると
は思えないな」
「ですから、当事務局では、なにも分かりませんね」
「どうも何だね。ほかに方法はないものか」
「ありません!」
 最後は、切り口上になってしまった。彼女にとって、老人の繰りごと
が不愉快だとしても、なにか変だ。同窓会事務局の業務は何なのか。
 
■2002/08/27 (火) 谷本先生への電話
 
 彼女みずから最初の電話で、高島先生や北村先生が亡くなられたこと
を述べていたが、これだって本人の許可がなければ、伝えるべきではな
いことになる。
「分かったよ。ありがとう」と(怒鳴りつける前に)受話器を置く。
 
 あまり、むしゃくしゃするので、誰かにぶっつけたい。本宮先生なら
聞いてくださるだろうが、前回の訪問記との落差がありすぎて、そぐわ
ない。谷本先生に、はじめて電話することにした。実は、先生の授業を
受けたわけではないが、メールでのやりとりはすでに数回ある。
「先生、電話代のご心配にはおよびません。しかし先生のご都合だけは
確認しておきます。しばらくお話してもよろしいか?」
「今日は(妻の介護に)長女が来てくれているので、ちょうどええよ」
(ホームページによると毎週火・金曜日の夕方)
 そこで、そもそも本宮先生が電話と手紙をくださったことを、あらた
めて話しはじめたところ、あろうことか不覚にも落涙してしまったので
ある(はじめての経験だが、やんぬるかな、われ老いたり!)。
 このあと一時間半にわたって、よもやま話を楽しむ(別稿に祥述)。
 たとえば、謡曲《高砂》の一節を電話でうなったら、
「君、なかなかのもんやで」と褒められた。
 かくして、すっかり気分をとり直すことができた。
 お礼に、下記のCDを謹呈、翌日発送する。
 加古 隆《パリは燃えているか?》〜《Day was Day》P080 参照 〜
 
■2002/08/31 (土) 谷本先生より
 
 谷本先生から電話。謡曲《高砂》の収録された讃美歌集を入手され、
篠田某なる人のアレンジになるものという、まさに“電光石火”。
「きみ、もういっぺん歌うてくれんか」と所望される。
「そや、まちがいないわ」と、先生も興奮ぎみである。
「カナダの有賀君にも知らせましょう、彼も歌ったことを思いだす」
「そうか、二三枚コピーして君に送るから、よろしく」
 コピーが届いたら、すこし練習して、また電話で歌ってみよう。
 有賀・木下両君には、かねがね先生のホームページ・アドレスを伝え
ようと思っていたが、できることなら、ハモッてみたい。
 その他は“委細後日”ということにしよう。
 ひさびさに、心晴れる電話だった。先生、お元気で。
 


2002年07月01日(月)  カエサルに返せ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020701
 
 Mail'20020721 to Mr.Tanimoto 暑中お見舞い申し上げます。
 
 谷本 岩夫 様
 
 お変りありませんか。2月26日以来の禁煙は、まだ続いています。
数十年前からの禁酒とあわせて、そのうち「成功談」を書くつもりです。
「いま考えていること 105(2002年07月)−ドルの行方−」
は、(表題だけで)本文がアップロードされていません。(ご点検を)
「ドルの行方」という表題に啓発され、最近考えていたことをとりとめ
なく書いてしまいました。「通貨レート」あるいは「レート・ギャップ」
というようなイメージが去来しますが、どこまでもあいまいです。
 
 カエサルに返さる 〜 三教の利 〜
 
 小商売をしくじった私は、経済学の門外漢にすぎないのですが、経済
学をなりわいとする人たちの発言に、かねがね疑問を抱いていました。
 ところが数年前(伝聞によれば)京都大学の某教授いわく、
「われわれ経済学者は、まちがっていたかもしれない」
(たしかな典拠はありませんが、まことにいさぎよい態度だと思います)
 
 かつて、経済学部出身の友人に「1$=¥360は、誰がきめたのか」
と質問したところ、彼らは異口同音に「IMFで決めた」と答えます。
そこで「IMFのメンバーは誰に選ばれたのか」と聞くと、いろいろな
ことを述べますが、要するに知らないらしい。したがって、(テレビも
新聞も伝えないので)いまだに私は知らないのです。
 ついで「明治維新の当初1$=1円だったが、戦争に負けたために、
360円に下げられた。そのあと(ニクソン・ショックを経て)唐突に
“変動相場制”へ移行するが、それならなぜ最初からそうしなかったか、
いまもって分からないのです。どこかの私立大学に4年分の授業料を前
払いすればコッソリ教えてくれる、とも思えませんが。
 戦後の新制大学でもっとも多く学士を輩出したので、大学経営に貢献
したのは当然ですが、卒業生のほとんどがセールスマンであることから、
そもそも経済学という学問が存在するか、という辛辣な意見もあります。
 たとえば《資本論》の印税は、マルクスの煙草代にも及ばなかったが、
岩波文庫の翻訳者は、世界有数の私図書館を持つほどモウけたそうです。
(晩年には、イーデス・ハンソンとの対談で「こんな面白い本はない、
毎日読んでるが、あきない」と語っていますが、それはそうでしょうね)
 かくて「もっとも多く引用されるが、通読した読者はいない大著」と
評されています。(もちろん、私も通読していません)
 
 それはさておき、同時多発テロ以後の一般的な論調を「ドル経済圏 VS
イスラム文化圏」と要約するなら、わが日本人のとらえかたは、あまり
にも幼稚で、共通一致しているようです。つまり、戦後日本の経済学が、
かぎられた原典、すなわちマルサス、リカルド、マルクス、ケインズの
順に講義されてきたからではないでしょうか。
(江戸時代の経済学など、数百年のケース・スタディを放置したまま)
 *
「同朋から利息を取ってはならない(出エジプト記)」 
 ユダヤ教徒の経済学が《旧約聖書》にもとづくなら、紀元前300年
代、通貨以前の経済学でしょう。
 キリスト教徒の経済学は《新約聖書》にもとめるべきですが、現代の
国際経済学に応用するには、相当無理な拡大解釈が必要です。しばしば
徴税人が登場し、キリストに嫌われるのは、申告漏れ疑惑があったとも
うかがわれます。
 ローマ帝国がキリスト教を容認し、ついには国教とするにあたって、
ユダヤ教徒との奇妙な協定が行われます。公式のものは、過越祭と復活
祭が同じ日に重ならないよう、曜日を調整することです。概して過越祭
が先に行われるので、キリスト教がユダヤ教に一歩譲っているようにも
みえます。(このテーマに関するデータベースは《Almanacs AD0325》)
 ついで非公式な協定として、キリスト教徒は「金融業」ごとき賎業に
手を染めるわけにいかないが、経済活動には不可欠なので、ユダヤ教徒
にかぎって許可しました。同朋から利息を取ってはならないが、異教徒
なら利息が取れるので、両者の友好関係は現代まで継続しています。
(この問題は、たとえばゲーテのような教養人は、彼らに金融の才能が
あったから、と婉曲な表現をしている。日本では、牛馬屠殺に従事する
者を特定差別して、現代の部落問題につづく)
 
 金貨をもった弟子が、キリストにたずねていわく、
「主よ、この金貨は誰のものですか」
「その金貨には、誰の肖像が彫ってあるか」
「カエサルでございます」
「ならば、カエサルの物である。カエサルの物はカエサルに返しなさい」
(キリスト言行録のなかで、もっともしゃれた一節です)
 
 さて、イスラム教徒の経済学を《コーラン》にもとめればどうか。
「アッラーは商売はお許しになった。だが利息取りは禁じ給うた。神様
からお小言を頂戴しておとなしくそんなことをやめるなら、まあ、それ
までに儲けた分だけは見のがしてもやろうし、ともかくアッラーは悪く
はなさるまい」
 パキスタンの銀行は、昨年から利息を廃止しました。永年の議論に、
ようやく決断を下したもので、もともと利息については消極的でした。
イスラム系の銀行で口座を開くと、契約書に「利息を喜捨するかどうか」
選択を要求されるそうです。はじめての場合、ほとんど「OK」と記入
するが、預金を引き出すときに「NO」と変更してもよい。
 客が迷っていると、銀行員は辛抱強く待っているという。
 このような社会慣習のもとでは、利息が利息を生む“複利”のごとき
概念は影がうすい。サービス業としての銀行は存在するが、金融業者は
成立たない。もちろん高利貸やヤミ金融など、実在するにちがいないが、
駅前にネオン看板が並ぶような光景は、ないのです。
 
 ではまた。        阿波 雅敏 
────────────────────────────────
 199.‥‥ 京都大学経済学部創部記念式典で「経済学の反省」発言?
(Day'20020721)
 
 20020722 (月) 09:32 Re: 暑中お見舞い申し上げます。谷本 岩夫
 
 阿波君
 
ご親切にメールありがとう。早速修正しましたからお読みいただけると
思います。私も経済には暗い素人ですから、単なる独断的思いこみかと
思いますが、ここしばらくこんな事も考えていたのでかきました。カエ
サルに返さる 〜 三教の利 〜 も興味深く読みました。何かにつけて
宗教というものは思わぬところ迄影響しているのですね。私は今は『琵
琶湖周航の歌』が生まれたときの周航が二泊三日であったのか、歌が披
露されたのは今津だったのかということに関心を持って調べています。
今津には『琵琶湖周航の歌』資料館もあり町をあげてこのことを売り込
もうとしているのですから今津でなくて彦根だったというのであれば少
し困ったことになるのですが。早々
谷本岩夫
tbc00346@mbox.kyoto-inet.or.jp http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html
 
── わたしの民のひとりで、あなたのところにいる貧しい者に金を貸
すのなら、彼に対して金貸しのようであってはならない。彼から利息を
取ってはならない。もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするの
なら、日没までにそれを返さねばならない。
 なぜなら、それはただ一つのおおい、彼の身に着ける着物であるから。
彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼がわたしに向かって叫ぶと
き、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。 
── 旧約聖書《出エジプト記 22:25-27 19850901 日本聖書刊行会》P124
 
■2002/07/23 (火) 架空の風貌(1)
 
── カイザルのものはカイザルに
 エルサレムの祭司長や律法学者たちは、イエスを捕えたいと思ったが、
彼は民衆のあいだに人気があったので、やたらに、捕えることはできな
かった。
 そこで、彼らはなにか口実になるような言質をイエスからとりたいと
思い、回し者を、イエスのところにつかわした。
 そして「税金をローマに納めるべきかどうか」と聞かせた。
 当時ユダヤはローマ人の支配下にあったから、「税金を納めないでよ
い」といえば、ローマに対する反逆として訴え、「税金を納めよ」とい
えば、独立を欲しているユダヤ人民衆の気持から、イエスを離反させう
ると思ったのだった。
 しかし、イエスは、この相手のワナに気づいて、間接的にたくみに答
えた。
「貨幣についている肖像は誰のか」
「カイザル(ローマ皇帝)の像です」
「それでは、それはカイザルのものだから、カイザルに返したらよい。
神のものは神に返しなさい」(『マタイ伝』二二章、『ルカ伝』二〇章)
── 《故事名言・由来・ことわざ総解説 19770910 自由国民社》P168
 
■2002/07/23 (火) 架空の風貌(2)
 
 実はこの貨幣に刻まれたカエサルは、皇帝を名乗る前(紀元前44年)
に暗殺されているので、直接本人に返すことはできない。したがって、
神に返すことと同様に(キリストの得意とする)比喩的表現である。
 当時ローマの支配者は“アウグストゥス”の尊称で呼ばれた、事実上
の初代皇帝(妹の孫)オクタビアヌスである。カエサルの姓は、六代目
“暴君ネロ”まで襲名されるが、十二人まで総称して“カエサルたち”
と呼ぶ例(SuetoniusGaius《De Vita Caesarum》)もある。
(のちにドイツのカイザル、ロシアでツァーの称号として用いられた)
 なお、新約聖書のキリスト言行録は、ローマの公式記録に見あたらず、
旧約聖書のモーゼも、エジプトの記録には一切登場しないという。両者
の実在を証明する史料はないが、すべてを虚偽の史実と断定することも
不可能なのである。
 奇妙なことに、イスラム教祖マホメットの実在を疑う者はいないが、
偶像崇拝を排除するため、一切の肖像が認められないので、その風貌に
関するイメージが存在しない。このことは、同時にキリストやモーゼの
風貌が、まったく根拠のない空想にもとづいていることを、期せずして
非難しているのである。
 


2002年06月01日(土)  不調見舞

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020601
 
■2002/06/04 (水) ご不調お見舞い申しあげます。
 
 谷本 岩夫 様
 
 私も、最後の禁煙に挑戦して、約97日たちました。わかい時のような
心理的ストレスはないので、こんどこそ達成できそうです。
 ただし、かねて宣伝されているような、「目ざめた時にすがすがしく、
味覚が鋭敏になって、食欲が増す」などの実感には、まだおよびません。
 当初は、手あたり次第につまんだ「果物・駄菓子のたぐい」のせいで、
さらに食欲が減退し、便秘状態がつづきました(ニコチン依存症の他に、
慢性的な口内火傷症のようにも感じられます)。
 
 高校時代を通じて、ニセの診断書を出して「体育」の授業をサボッた
ほどの運動ぎらい、およそスポーツのたぐいには無縁ながら、さいわい
病気にもならず、今日に至っていますが、幼少期に病弱であったこと、
晩年の両親が大病をわずらったので、いささか病院には詳しいのです。
 以下、とりとめない記憶ですが、《医師列伝》草稿より。
 
 十五年ほど前、原因不明の腹痛があり、思いきって救急車で大病院に
運ばれました。当番医の判断で、麻薬が注射されたのですが、この時の
甘味な体験は、聞きしにまさるものでした。痛みはおさまったものの、
「原因がわからないので、翌日もういちど診察を受けなさい」とのこと。
こんどは救急でないので一時間も待たされ、あまりに若すぎる担当医は、
ブッきらぼうもいいところで、話も聞かずに、他の部署で診察するよう
にとのことです。そこでまた、受付にもどると、別の窓口で待つように
といわれ、こんどはその場所にいたる経路が(複雑で)わからない。
 バカバカしくなって、怒って帰ってきてしまいました。
 後日(女房の話によれば)電話があり、未払料金(数百円)なにがし
かを請求されたそうです(かくも非能率的なシステムで経営が成りたつ
わけがない)以後十五年間、再発せず。〜ノーモア救急病院 〜
 
 今年はじめ、三種の症状を覚える。この数十年間に数回、風邪などを
診てもらった近くの開業医は引退され、いくぶん若手の医師に訴える。
「ご専門は存じませんが、外科と皮膚科と内科、それぞれ通院するのも
面倒なので、いっぺんに診てくれませんか」
 いくぶん若手の医師は、とりあえず「魚の目」を完治してくれました。
「頬のオデキ」は静観し、「食欲不振」については、中古品とおぼしき
大掛かりな器械を操縦して「内臓が垂下している」と診断された。
 その結果「毎日、運動しなさい」といわれたのが、気にいらない。
「これまでの人生で、極力避けてきた運動など、今さらやりたくない」
とヘラズ口をたたくと、医師はあきれて、
「そんなこと言ってると、どこも良くなるわけがないでしょう」という。
 なるほど、何もしなければ、現状のままで変わらない(帰ってから、
あれこれ考える)そうだ、禁煙しよう(これなら運動せずにすむ)。
お大事に               阿波 雅敏 
 
 Mai'20020604 13:26 to Mr.Tanimoto)
 いま考えていること 102 〜 老いと病気 〜 200206‥ 加古 隆
 Mai'20020604 14:26 RE:ご不調お見舞い申しあげます。
 
 阿波君
 
メールありがとう。わたしのおなかは昨日大腸内視鏡検査を受けて奥の
部分も診てもらいました。特に奥の方に異常はなく、昔 大腸の切除吻
合した場所が爛れているだけのようでした。吻合部は年が経つと硬くな
ってきて血の巡りが悪くなるようです。年のせいもありましょう。
 
禁煙なんとか1週間を乗り切られてもう90%成功と思います。夢の中
で吸ってしまって、しまったと思った経験もわたしにはあります。当分
亡者のようにタバコがウロウロ現れてきますが、頑張ってください。や
はりどう考えても禁煙・・・休煙したのは正解だったと思っています。
わたしのホームページ「健康」の部に書いたとおりです。
 
話しが元に戻りますが、大腸切除してから毎年1度内視鏡検査を受けて
います。検査も楽とは申しませんが、一番大変なのは検査に先立って下
剤2リットルを飲まねばならないことです。この2リットルを飲むのに
一寸したコツがあります。万一そういう事態に遭われたらご一報下さい。
伝授します。
 
お見舞いありがとう。失礼。
--
tbc00346(谷本岩夫)
tbc00346@mbox.kyoto-inet.or.jp


2002年05月01日(水)  禁断

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020501
 
■2002/05/01 (水) 禁断 〜 禁煙のウソ 〜
 
 たばこを止めれば「朝おきたときなど口の中がさっぱりして、食欲が
増す」というのは、ウソである。たしかに、たばこのイヤな臭いからは
開放されるが、食欲は増さない。むしろ嗅覚が敏感になって、豚肉から
牛肉、はては魚肉にいたるまで、拒否反応が生じたのである。
 たばこを止めれば「朝おきたときなど口の中がさっぱりして、食欲が
増す」というのは、ウソである。
 二月二十六日から禁煙開始、五月二十八日(母の命日)を目標に。
 
■2002/05/29 (水) フロント・ページより転記テスト
 
 だんだん、わかりかけたこと。
 エクセルで完成した文書を、そのままフロントページに転記するのは、
罫線の痕跡が残るから、適切ではない。
 面倒でも、いったんテキスト・エディター(メモ帳)を中継すること。
 いったん範囲指定したブロックは、他のブロックと共存できない?。
 行間や字詰め、フォントなど、あとから一括指定する。
 読みやすいフォントは、(印刷には大きすぎるが)見出し題字ともに、
12 ポイントがよい。行間はすべて 1.5 とする。
 右の欄外に「傍注・カット」を入れるには?
 このまま、電子メールで送信テストしてみるが、うまくいかない。


与太郎 |MAIL |HomePage

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