与太郎文庫
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1973年03月23日(金)  阿部 加奈子 〜 Abe, Kanako 19730323 Osaka /


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│ adlib/19730323
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│ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19730323
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│ https://note.com/adlib20210301/all
│ https://booklog.jp/users/awalibrary/
│ https://q.hatena.ne.jp/adlib/
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│ https://twilog.org/awalibrary
│ https://twitter.com/awalibrary
│ https://www.facebook.com/masatoshi.awa
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 阿部 加奈子 〜 Abe, Kanako 19730323 Osaka /
 
〔pianist〕 20240622
 
>>
 伴奏ピアニストはつらいよ
 
【指揮者・阿部 加奈子の世界かけ巡り音楽見聞録】20240621
…… ある時は指揮者、またある時は作曲家、そしてまたある時はピア
ニスト……その素顔は世界平和と人類愛を追求する大阪のオバチャン。
ヨーロッパを拠点に年間10ヵ国以上をかけ巡る指揮者・阿部加奈子が出
会った人、食べ物、自然、音楽etc.を通じて、目まぐるしく移りゆく世
界の行く末を見つめます。
 
 6月はオランダ名物「ハーリング」の季節
皆さん、こんにちは! 日本は梅雨の季節ですね。私が住んでいるオ
ランダでは、6月になると新ニシンの解禁を祝って「ハーリング」と呼
ばれるニシンの塩漬けを食べる行事があります。街のそこかしこにハー
リングや魚の燻製、フライなどを売っているスタンドがあり、この時期
はとくに大勢のオランダ人で賑わいます。ここハーグでは、頭と小骨を
取って塩漬けにしたニシンのしっぽを手でつまんで顔の高さまで持ち上
げ、そのまま一口で食べるのが流儀。脂ののった初物のニシンはとても
美味しいですよ! といっても、私自身この時期仕事でオランダにいな
いことも多く、実際に食べたのはまだ数えるほどしかないのですが……。

ハーグのハーリング(塩漬けニシン)。刻んだ玉ねぎとピクルスを添
えていただきます。

ハーリングを売っているスタンド。
さて、連載第1回目では、パリ国立高等音楽院「楽曲分析科」の卒業試
験の時の思い出話をご紹介しました。今回は、その続きから。

モンスターぞろいのパリ国立高等音楽院「伴奏科」
無事楽曲分析科を卒業したあと、伴奏科のクラスに入りました。「伴
奏」と聞くと、ソリストを支える脇役のように思うかもしれませんが、
正直なところ、パリ国立高等音楽院の伴奏科は指揮科よりもむずかしい
と思います。近いところでは、ニコラ・アンゲリッシュ(Nicholas
Angelich, 1970〜2023)とか、永野英樹(1968〜)さんとか、セドリッ
ク・ティベルギアン(Cédric Tiberghien, 1975〜)などがいました。
要するに、「伴奏科」といっても伴奏だけを専門にしている人はほとん
どいなくて、国際ピアノコンクールで優勝してソリストとしても活躍し
ているような人がゴロゴロいるのです。

だから入学試験もエグいですよ。一次試験はピアノの実技なんですが、
私が受けた時の課題曲は、シェーンベルクの初期に書かれた無調のピア
ノ曲、ショパンの前奏曲変ロ短調(最初から最後までひたすら速いパッ
セージで駆け抜ける)、そしてなぜかシューベルトの《楽興の時》の3
番。これらをすべて暗譜で。しかも、課題曲は試験の2週間前に発表さ
れるんです。

試験はさらに続きます。初見(その場で楽譜を渡され数分間黙読した
あとに演奏する)で伴奏する試験もありましたし、さまざまな音部記号
(よく見るト音記号やヘ音記号以外にアルト記号やソプラノ記号などが
あります)で書かれたコラール(讃美歌の合唱曲)を初見で弾きなさい、
というのもありました。また、リスト編曲によるベルリオーズの《幻想
交響曲》ピアノ独奏版というのがあるんですが、その終楽章の楽譜を見
せられて「何の曲か答えよ」という試験。私は知っていたからよかった
んですが、答えられないとそこで不合格。もちろんこれも初見で演奏し
なければなりません。こんな感じで1週間くらいかけて試験を行います。

つまり、このクラスに入ってくる人たちはどんな複雑な曲もすらすら
読めて初見に強い、モンスター級の能力の持ち主ばかりなのです。その
ため伴奏科は一種の職業あっせん所のようになっていました。「本番直
前にソリストが急病になり代役を探している」というような緊急要請が
フランス各地からこの伴奏科宛てに入ってくるのです。伴奏科の先生の
手元には学生の特質や得意ジャンルを把握したリストのようなものがあ
って、プログラムや共演者との相性を見ながら「じゃあ、誰々がよいで
しょう」といって適任者を派遣します。
<<
 
伴奏ピアニスト時代。トランペットは現在ミュンヘン・フィルの首席
奏者アレクサンドル・バティ。
伴奏科に入学後は、私もこの「職業あっせん所」にたびたび仕事を紹
介してもらいました。一度、地方の音楽院に伴奏を頼まれて行ったので
すが、着いてみたらピアニストは私一人。そしていろんな楽器を持った
音楽院の生徒がずらーっと100人くらい並んでいる。この生徒たちの伴
奏をしなさい、というのです。もちろん初見で! 40人くらいまではな
んとか頑張って正気を保っていたのですが、80人を超えたあたりからだ
んだん目が見えなくなってきて、最後はあまりにも疲れ果てて泣き出し
てしまいました。するとようやく周りの先生たちも「これだけの人数を
一人で伴奏させるのはおかしい」「こんなことは人道的に間違ってる」
と言い出して(気づくのが遅すぎる!)、その日は音楽院のそばにホテ
ルをとってもらい一泊してから帰った、なんてこともありました。

20代の頃。本番前のひととき。 恩師のもとで培った音楽の基礎能力

当時は「指揮者になりたい」とか「ピアニストになりたい」という以
前に、とにかく「音楽家としてのスキルを蓄えたい」と思っていました。
だから仕事は来るものを拒まず、あらゆるものをやりました。時にはポ
ップスの編曲やピアノの出張レッスンなどもやりましたが、一番多くや
ったのが伴奏の仕事で、多い時にはバレエやオペラの伴奏ピアノに加え
て何十人分もの伴奏を掛け持ちしていて、頭の中に何十曲もの音楽が入
っていました。本番直前でギブアップしてしまったピアニストの代演を
急に頼まれ、難解な現代曲のピアノパートを弾く、などということもあ
りました。

フランスの古城で開催されたリサイタルで歌手の伴奏をした時。寒か
った…
この頃はいつも必死でした。結婚を機に、言葉もままならないうちに
フランスに移住することになったので、「自分は外国人なんだ」という
意識がとても強かったのです。フランスのように自国の文化に誇りを持
つ国で外国人の自分が音楽家として仕事をしていくには、とにかくスキ
ルがなくちゃいけない。だから「20代は修行時代」と位置付けて、何が
あっても歯をくいしばって頑張ろうと思っていました。

当時住んでいたパリの自宅で。
 外国で修業時代を生き抜くことができたのは、芸高・芸大時代に恩師
たちから授かった基礎教育の賜物だと思います。なかでも、私が中学生
の頃から大学までお世話になった永冨正之(1932〜2020)先生は日本に
おけるソルフェージュ教育の大家で、フランスの先進的なソルフェージ
ュ教材をレッスンに積極的に取り入れていらっしゃいました。クレ読み
(ト音記号やヘ音記号以外のさまざまな音部記号で楽譜を読むこと)や
複雑なリズム視唱(楽譜を読んでリズムを叩く)など、当時は「なんで
こんな勉強をするのだろう?」と思うような難しい教材をたくさんやら
されましたが、永冨先生のもとで培ったソルフェージュ能力(楽譜を読
み、演奏するための基礎的な能力)は修行時代に大いに役立ちました。
特に、複雑なピッチやリズムが頻出する現代音楽の演奏の時にはとても
重宝され、おかげでのちに多くの現代曲の初演指揮を手掛けることにも
繋がりました。

2014年、日本での指揮者デビューに駆けつけてくださった永富 正之
先生。
指揮との出会い
実はパリ音楽院で最初に取った「管弦楽法」のクラスにいた頃、生涯
はじめての指揮を経験しているんです。管弦楽法の指導教官だったマル
ク=アンドレ・ダルバヴィ(Marc-André Dalbavie, 1961〜)先生から、
編曲の仕事をいただいた時のことです。それはパリ管弦楽団が子ども向
けに行うコンサートのために楽曲をオーケストラに編曲する仕事だった
のですが、ある時練習を見に行ったら現場の人から突然、「本番は指揮
者なしで演奏するんだけど、さすがに最初から指揮なしじゃ難しいから、
編曲者であるあなたが振ってくれない?」と。

「えーっ! 指揮なんてやったことないので全然わからないんですけど
…
…」と言ったものの、ほかにやる人もいません。仕方ないので指揮台
に上がってとにかくがむしゃらに手足を動かしました。まだ指揮法なん
てちゃんと習っていませんから、見よう見まねの我流です。ところがあ
ちらはプロのオーケストラ。私のむちゃくちゃな棒にもチューイングガ
ムみたいについてくるんです。驚きですよ。大勢のパリ管メンバーを目
の前にして緊張と恥ずかしさでいっぱいでしたが、この頃から自分の中
に「指揮をやってみたい」という気持ちがあることをはっきり自覚する
ようになりました。

当時飼っていた愛猫チト君と。
当時まだ20代半ばでしたが、おそらくこの時すぐ指揮科に入ってもう
まくいかなかったと思います。というのも、音楽院の指揮科は現場に放
り込んで実地で学ばせていくスタイルなので、今よりずっと線が細くて
人前に立つ自信もなかった当時の私(そんな時代があったのですヨ)に、
そんな荒行は耐えられなかっただろうと思うからです。その代わり、20
代の下積み時代に引き受けた仕事で得た経験は、その後指揮者としてや
っていく上での血となり肉となりました。私がようやく専門的な指揮の
勉強をはじめたのは30歳近くになってからです。

後日談ですが、当時の指導教官だったマルク=アンドレ・ダルバヴィ
先生とは、その後彼の新作オペラ《ジェズアルド》の世界初演で一緒に
仕事をすることになります。卒業してしばらくたったある日、突然先生
から連絡が来て、「今度チューリヒ歌劇場で自作のオペラを振るから、
副指揮を務めてくれないか」と依頼されたのです。私の人生初の指揮体
験から約10年後のことでした。(つづく)

著者出演情報 ▼20240731(水)19:00 開演

大阪市中央公会堂特別演奏会 《古典の真髄》
出演:関西フィルハーモニー管弦楽団、阿部 加奈子(指揮)
会場:大阪市中央公会堂
URL:https://kansaiphil.jp/concert/
[プログラム]
モーツァルト:フリーメイソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477
モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 作品92

▼20240817(土)15:00 開演

インターナショナル・ウィメンズ・ブラス・カンファレンス(IWBC)
2024「Wind Orchestra‐祭(Matsuri) with 陸上自衛隊中央音楽隊」
指揮:阿部 加奈子、ジェシカ・スニーリンジャー、
柴田 昌宜(陸上自衛隊中央音楽隊副隊長)
出演:世界中から集まった奏者たち、陸上自衛隊中央音楽隊と
鶫 真衣(ソプラノ歌手)
会場:水戸市民会館 グロービスホール
URL:https://ja.conference.myiwbc.org/
▼20240818(日)17:30 開演

インターナショナル・ウィメンズ・ブラス・カンファレンス(IWBC)
2024「モナーク・ブラスアンサンブルと閉会式」
指揮:阿部 加奈子、ミシェル・レイカーズ
出演:モナーク・ブラスアンサンブル
会場:水戸市民会館 グロービスホール
URL:https://ja.conference.myiwbc.org/
※ 20240621 現在の情報です

プロフィール
♀阿部 加奈子 指揮 19‥‥‥ /作曲/ピアニスト。
オランダ在住。東京藝術大学音楽学部作曲科を経て、パリ国立高等音
楽院にて作曲に関連する6つの課程とともに日本人として初めて同音楽
院指揮科で学び、フォンティス総合芸術大学大学院指揮科(オランダ)
にて修士号を取得。パリ国立高等音楽院在学中より、ヨーロッパを活動
の拠点に、指揮者、ピアニスト、作曲家として多方面で活躍する。
202511‥ 横浜みなとみらいホールの委嘱による作曲家・阿部 加奈子の
新作を、阿部自身の指揮にて神奈川フィルハーモニー管弦楽団が初演す
る予定である。https://www.kanakoabe.com/(英語、仏語、日本語)
<<
https://sheetmusic.jp.yamaha.com/blogs/magazine/abekanako-02?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR2MOkM7vGlGKzsL3CttXkB0Kql0LIDtSLaxi7BrWSqkgGFUag_5va1maWQ_aem_5ClxNnVC3lVWum6jxiLjxw
 
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 YMDay(20240622)last up dated.


1972年10月13日(金)  Alive 1 〜 四十五人の空軍機事故 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19721013
 Ex libris Web Library;墜落地点に建てられた十字架(Wikipedia Japan)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4%E7%A9%BA%E8%BB%8D%E6%A9%9F571%E4%BE%BF%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85
 


〔乗員〕 5名の乗員と24名の乗客が山中で死亡した。
  氏名 年齢(事故当時)備考
 
 ダンテ・ラグララ Lagurara, Lt. Col. Dante/エクトール・ラグラーラ
1931‥‥ Uruguay Andes 19721013 41 /副操縦士 中佐/19721014
 
 フリオ・セーサル・フェラダース Ferradás, Col. Julio César
1933‥‥ Uruguay Andes 19721013 39 /機長 大佐
 
 ラモン・マルティネス Martínez, Lt. Ramon
1942‥‥ Uruguay Andes 19721013 30 /航空士 中尉
 
 オビディオ・ラミレス Ramírez, Sgt.Ovidio
1946‥‥ Uruguay Andes 19721013 26 /スチュワード 軍曹
 
 カルロス・ロケ Roque, Sgt.Carlos
1948‥‥ Uruguay Andes 19721029 24 /19721030 雪崩死/整備士(機関士)軍曹
 
〔乗客〕 即死・負傷による当日中に死亡・行方不明
 
 フランシスコ“パンチート”アバル Abal, Francisco“Panchito”
1951‥‥ Uruguay Andes 19721013 21 /19721014/煙草販売業/Rr/ハビエルの従弟
 
 ガストン・コステマージェ Costemalle, Gaston
1949‥‥ Uruguay Andes 19721013 23 /
 
 ホセ・ギド・マグリ Magri, José Guido
1949‥‥ Uruguay Andes 19721013 23 /
 
 アレクシス“アレーホ”オウニエ Hounié, Alexis“Alejo”
1952‥‥ Uruguay Andes 19721013 20 /
 
 フィリペ・マキリアイン Maquirriain, Filipe
1950‥‥ Uruguay Andes 19721013 22 /
 
♀グラシエラ・マリアーニ Mariani, Graciela
1929‥‥ Uruguay Andes 19721013 43 /19721014
 
 フリオ・マルティネス・ラマス Lamas, Julio Martínez
1948‥‥ Uruguay Andes 19721013 24 /
 
♀エステル・ニコラ Nicola, Esther
1932‥‥ Uruguay Andes 19721013 40 /フランシスコの妻
 
 フランシスコ・ニコラ Nicola, Dr. Francisco
1932‥‥ Uruguay Andes 19721013 40 /博士
 
♀エウヘニア・パラード Parrado, Eugenia
1922‥‥ Uruguay Andes 19721013 50 /ナンドの母/Ukraine生れ
 
 ダニエル・ショー Shaw, Daniel
1948‥‥ Uruguay Andes 19721013 24 /
 
 カルロス・バレータ Valeta, Carlos
1954‥‥ Uruguay Andes 19721013 18 /凍死
 
 フェルナンド・バスケス Vásquez, Fernando
1952‥‥ Uruguay Andes 19721013 20 /
 
 スサーナ“サッシー”パラード Parrado, Susana“Susy”
1951‥‥ Uruguay Andes 19711021 20 /ナンドの妹/廿前後
 
 ダニエル・マスポンス Maspons, Daniel
1952‥‥ Uruguay Andes 19721029 20 /19721030 雪崩死/Rr
 
 フアン・カルロス・メネンデス Menéndez, Juan Carlos
1952‥‥ Uruguay Andes 19721030 22 /
 
♀リリアーナ・メトル Methol, Liliana/メトール・ハビエルの妻
1938‥‥ Uruguay Andes 19721030 35 /雪崩死(他七人?)34
 
 グスターボ“ココ”ニコリッチ Nicolich, Gustavo“Coco”
1952‥‥ Uruguay Andes 19721030 20 /ニコリチ/Rr
 
 マルセロ・ペレス Pérez, Marcelo
1947‥‥ Uruguay Andes 19721030 25 /Rr=ラグビー主将
 
 エンリケ・プラテーロ Platero, Enrique
1950‥‥ Uruguay Andes 19721030 22 /Rr
 
 ディエゴ・ストーム Storm, Diego
1952‥‥ Uruguay Andes 19721030 20 /ストルム/医学生
 
 アルトゥーロ・ノゲイラ Nogueira, Arturo
1951‥‥ Uruguay Andes 19721115 21 /経済学生/Rr
 
 ラファエル・エチャバーレン Echavarren, Rafael/エチャバレン
1950‥‥ Uruguay Andes 19721118 22 /吹雪後/酪農業
 
 ヌマ・トゥカッティ Turcatti, Numa/ヌーマ/最後の死亡者
19481031 Uruguay Andes 19721211 24 /19511030〜19721211 21 ?
 
〔生存者〕 6人の氏名 年齢(事故当時)
 
 ハビエル・メトル Methol, Javier/http://sikyo.net/-/1133964
1936‥‥ Uruguay    20150604 79 /19721013(36)メトール/アバルの従兄/リリアーナの夫
 
 ダニエル・フェルナンデス Fernández, Daniel
1946‥‥ Uruguay   /(26)
 
 エドゥアルド・ストラウチ Strauch, Eduardo
1947‥‥ Uruguay   /(25)建築学生“フィト”の従弟
 
 アルフレド“パンチョ"・デルガド Delgado, Alfredo“Pancho”
19481101 Uruguay   /(24)法学生/デルガード
 
 ホセ・ルイス“コチェ”インシアルテ Inciarte, José Luis“Coche”
1948‥‥ Uruguay   /(24)
 
 アドルフォ“フィト”ストラウチ Strauch, Adolfo“Fito”
1948‥‥ Uruguay   /(24)
 
 ナンド・パラード Parrado Dolgay, Fernando Seler“Nando”
19491209 Uruguay   /(22)フェルナンド/兄・部品販売/Rr
 
 ホセ・ペドロ・アルゴルタ Algorta, José Pedro
1951‥‥ Uruguay   /(21)経済学生
 
 ラモン“モンチョ”サベージャ Sabella, Ramon“Moncho”
1951‥‥ Uruguay   /(21)農学生
 
 ロベルト“ボビー”フランソイス François, Roberto“Bobby”フランソワ
19511123 Uruguay   /(20)
 
 ロイ・ハーレイ Harley, Roy
1952‥‥ Uruguay   /(20)アルレー/Rr
 
 ロベルト・カネッサ Canessa, Roberto
19530117 Uruguay   /(19)医学生/Rr
 
 アルバロ・マンヒーノ Mangino, Álvaro
1953‥‥ Uruguay   /(19)アルバーロ/Rr
 
 アントニオ“ティンティン”ビシンティン Vizíntin, Antonio“Tintin”
1953‥‥ Uruguay   /(19)Rr
 
 グスターボ・セルビーノ Zerbino, Gustavo
1953‥‥ Uruguay   /(19)医学生/Rr
 
 カルロス“カルリトス”パエス Carlos“Carlitos”Páez)
19531031 Uruguay   /(18)画家の息子

 
〔出典〕
 
http://www.viven.com.uy/571/eng/historia.asp
 公式サイト
http://web.archive.org/web/20080101155705/http://members.aol.com/PorkinsR6/list.html
 
── マーシャル, フランク《生きてこそ 20060421 パラマウント Japan》
スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000EWBUMQ
 
── 《生きてこそ Alive 19930115 America 19930529 Japan》
── リード/永井 淳・訳《生存者 19820325-19860525 新潮文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4102188010
 
〔Q&A〕
 
…… 16名の生存者は、29人の死者とともに(搭乗員5、選手16、乗客24、
計45名)19721013 墜落、71日後(1223)に救出された。
 
http://q.hatena.ne.jp/1372655128#a1206358(No.1 20130701 16:49:51)
 長期と短期 〜 平時の勇将、非常時の知将 〜
 
…… 70日間に29人を食べつくした16人は、あと何日で絶滅するか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12108228397

http://twitter.com/awalibrary
http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索)
http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録)
 |
http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A)
http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開)
https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=gswyn755
 |
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19721013
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)

 
(20160507)(20180705)
 
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1972年09月12日(火)  さらば、友よ 〜 ふさと&ふみと父子 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19720912
 


 平井 房人  漫画  1903‥‥ 福岡 京都 1960‥‥ 57 /文人の父
 斎藤 寅次郎 監督  19050130 秋田   19820501 77 /籍=寅二郎“喜劇の神様”
 菊田 一夫  劇作  19080301 神奈川  19720404 63 /籍=数男
 平井 文人 イラスト 1939‥‥ 京都          /房人の長男

 
── 主に戦前に活躍した、漫画家、挿絵画家、脚本家。明治36年(19
03年)福岡県久留米生まれ。
 大正10年頃に上京。大正12年の関東大震災の後、神戸に移る。同時に
宝塚少女歌劇の美術部に所属し、雑誌『歌劇』の編集、舞台の台本やポ
スター制作に携わる。
 関西の漫画家たちと『大阪グルっぺ』を設立。昭和13年大阪朝日新聞
に『思いつき夫人』を連載。翌年、東宝で映画化される。
 戦後は京都に移り昭和26年に大阪毎日新聞に『ポッポおばさん』を連
載。
 また、雑誌『平凡』『明星』『主婦の友』『家の光』などの注文で京
都、大阪、宝塚などのイラストルポや漫画のを制作する。また、子供用
の絵本の出版なども行った。ラジオ、宝塚新芸座、漫才、芝居などの、
脚本や台本も執筆。
 昭和35年、脳溢血で倒れそのまま死去。享年57。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%BF%B0%E6%CB%BC%BF%CD
 
── & 菊田 一夫・原作《思ひつき夫人 19390501 東宝》斎藤 寅次郎・監督
 
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── 黒澤 明・監督《用心棒 19610425 東宝=黒澤プロ》
── 平井 文人・画《Yojinbo 196108‥ 日宣美》英文ポスター
 奨励賞受賞に「脱帽!」のはがきを出す。
Let'19600307(速達)19720912 最後の訪問予定。
 
── 美術大学のデザイン系の学生を中心に結成された「日宣美粉砕共
闘」は、1969年8月、第19回日宣美展の審査会場に乱入し、日宣美粉砕、
審査中止を叫んだ。日宣美は、結成から19年を迎え、60年以降停滞とマ
ンネリを指摘されながらも新人の登竜門として機能してきた。しかし、
近代合理主義に守られて美術権力と化した日宣美は権威主義を生み出す
だけだと、鋭く批判されたのである。この年の日宣美展は、事実上開催
が不可能となり中止された。その後日宣美内部では、頻繁に討論が重ね
られたが、世代間の考え方の違いは埋まることなく、明確な回答を打ち
出せないまま解散論が多数を占め、1970年、日宣美は解散を発表した。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/forum/imai/09.html
 アングラ-日本のポスターのアヴァンギャルド
 
 参太郎 〜 シンポジウム 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19631122
 Age of genius’s proper 〜 処女作の適齢期 〜
 
── 京都に住む映画大好き人間のグラフィックデザイナー。著書に
『いろのえほん』『かずのえほん』『あいうえおのえほん』『ABCのえほん』
(以上、PHP研究所)など。
http://www.php.co.jp/fun/people/person.php?name=%CA%BF%B0%E6%CA%B8%BF%CD
── 人名事典 | THE 21 なんでもランキング | PHP研究所
 
(20081210)
 


1972年05月15日(月)  APPEARANCE 〜 みせかけとすりかえ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19720515
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://adlib.hatenablog.com/
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19720515
 Ex libris Web Library;西山 太吉(20100417)
── 蓮見 喜久子《私の告白 19740207 週刊新潮》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4167556065
── 山崎 豊子《運命の人(一)20101203 文春文庫》
── 《日曜劇場『運命の人』20120115 TBS》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/400603136X
── 澤地 久枝《密約 〜 外務省機密漏洩事件 〜 20060817 岩波現代文庫》
── 澤地 久枝《密約 〜 外務省機密漏洩事件 〜 197801‥ 中公文庫》
 
(20120117)
  
── 宜野湾海浜公園に8万5千人が集まった10・21集会で、仲村清子
(普天間高校)は高校生代表あいさつをこう締めくくった。
 
 私は戦争が嫌いです。
 人を殺すための道具が自分の身の周りにあるのは嫌です
 …
 若い世代に新しい沖縄をスタートさせてほしい。
 沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと思います。
 そのために私も一歩一歩行動していきたい。
 
 私たちに静かな沖縄を返してください。
 軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください。
 
♀仲村 清子 元普天間高校生 19780815 沖縄 /19951021沖縄県民総決起大会
http://homepage3.nifty.com/i-sa-wo/sub40.html
── 功《沖縄は、どこから、どこに返すのか 19951226》
 


 西山 太吉 元毎日新聞記者 19310910 福岡 /1972‥‥ 退職
 佐藤 道夫 元東京地検検事 19321024 宮城 /起訴状「情を通じ」/参議院議員
 横路 孝弘 元衆議院議員  19410103 北海道 /社会党弁護士/元北海道知事
────────────────────────────────
♀蓮見 喜久子 元外務事務官 19300914 ‥‥ /一審有罪/懲戒免職/病身の夫と離婚
 蓮見 武雄  喜久子の夫  1918‥‥ 浦和 /19740620(56)離婚
── 蓮見 武雄《妻・蓮見喜久子との離婚を私は決心できない! 19740220 女性セブン》独占手記
── 蓮見 喜久子《西山記者は私に詫びていない! 19721104 女性自身》P165
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~syt01970/sakamoto-syuron.pdf
 女性週刊誌関係記事見出し一覧

 
19710528 愛知外相が牛場駐米大使に宛てた愛知・マイヤー会談の内容
19710609 福田外相臨時代理と中山駐仏大使間で交わされた、
井川外務省条約局長とスナイダー米駐日公使との交渉内容の合計3通。
19720327 衆議院予算委員会で社会党の横路&楢崎弥之助議員が暴露。
19720330 外務省の内部調査で、女性事務官は「私は騙された」と自白。
19720404 外務省女性事務官(安川壮審議官の秘書)&西山記者、逮捕。
19720405 毎日新聞社「国民の“知る権利”キャンペーン展開。
19720415 起訴状「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ」
19720515 沖縄本土復帰。
19740130 一審判決。蓮見喜久子は懲役6月執行猶予1年、西山太吉は無罪。
1975‥‥ 毎日新聞社、倒産。
19760720 二審判決。西山太吉に懲役4月、執行猶予1年の有罪判決。上告。
19780530 最高裁が上告棄却。西山太吉の有罪が確定。
2000‥‥ 我部 政明(琉球大教授)米公文書を発見。
20050705 第1回口頭弁論(東京地裁)
 
>>
 
 28年後に証明された真実 西山元記者の思う「残念」
 
 「ウソも方便なんだ」
 沖縄返還をめぐる密約が、米国で公開された公文書ではっきり裏付け
られた。もし、佐藤栄作元首相が生きていたらこう居直っただろうか。
 
 沖縄が米国の占領を解かれて本土復帰するため、日米で結んだ返還協
定に「密約がある」―土地を元の形に戻すため米国が支払うべき補償費
400万ドル(1972年当時で約12億円)を日本が肩代わりしている
という疑惑は、返還1カ月半前の72年3月、社会党の横路孝弘氏(現民
主党副代表)が国会で極秘電文を示して追及し、佐藤政権は窮地に立た
された。
 
 佐藤首相はその夏の退陣が確実になっていて不機嫌がちだったが、花
道を飾るはずの復帰実現にドロを塗られた心境だったろう。
 
「疑惑追及を潰すしかない。それには国民の批判の矛先を転じることだ」
 
 政府がこんな画策をしても不思議ではない。極秘電文にある回覧印と
書き込みから、毎日新聞政治部にいた西山太吉記者が、外務省の女性事
務官から入手したことを突き止めた。西山記者にはひそかに警視庁の捜
査員が張り付き、尾行を続けていたのだ。
 
 国民全体を欺いたウソは裁かれない
 
 そして1週間後、2人を警視庁が国家公務員法違反容疑で逮捕した。
起訴状には、「密かに情を通じ、これを利用し秘密文書を持ち出させた」
とあった。ちなみに、起訴状は東京地検検事だった佐藤道夫・現参院議
員が書いたものだ。
 
 記者逮捕の事態に野党や世論は当初、「佐藤内閣による国民の知る権
利への弾圧」という空気だったが、政府の思惑通りに男女関係に関心が
向き始め、密約そのものは十分追及されなかった。公判でも、外務省ア
メリカ局長は極秘電報の内容について「知りません。覚えていません」
を連発した。女性事務官は1審で有罪、西山元記者も最高裁で有罪が確
定した。密約の存在と是非は問われぬまま、極めて形式的判断に終わっ
た。
 
 このほど米国から、当時の日米の交渉担当者が密約として扱っていた
ことを示す文書が見つかったことで、西山氏は28年ぶりに真実が実証さ
れたという思いのようだ。と同時に、「けんか両成敗にしてもらいたい」
と語る。
 
「あの事件は、国家公務員法という法律の名を借りて、私の倫理問題が
裁かれたようなものだった。確かに取材に関して非難されることがあっ
たのは事実です。しかし、国もウソをついていた。一大臣や局長の偽証
にとどまらない。国民を代表する国会に承認を求めた返還協定自体に虚
偽があるわけだから、国民全体を欺いたと言われても弁解できないじゃ
ないですか」
 
 話しているうちに、語気が荒くなる。
 
 事件の責任をとって退社した後、西山氏は郷里九州に戻って父の代か
らの青果販売業を営んでいたが、現在は自ら所有するビルの管理と、ボ
ランティア活動で日々を過ごす。ただ68歳の今も、新聞記事には丹念に
目を通す。
 
 米国から今回の文書が出たことも残念がる。
 
「米国もたいした国だ。軍事機密には厳しいが、外交機密は年限が来れ
ばオープンにするんですから。それに引き換え日本は……」
 
 この文書が公開されても、外務省は「密約はなかった」となお、密約
の存在を否定しているのだ。
 
 外交・安保論争が熱気を帯びた時代の国会を知っているだけに、西山
氏は今の論戦には歯がゆさを覚えるらしい。
 
「今の国会議員は非常に不勉強。ガイドライン(日米防衛指針)の審議
なんて、重要なことを何も議論していない」
 
 その衆院議員を入れ替える総選挙が13日に公示される。
www.mainichi.co.jp/life/family/ syuppan/sunday/00/0618/hunter1.html
── 《 20000618 サンデー毎日》
 
<<
 
── 鳥越 俊太郎《モーニング 20050718(月)08:00〜09:55 テレビ朝日》
http://q.hatena.ne.jp/1148889062/15466/15469
 大叔父のウソは正しかった?
 
(20050718-20120205)
 
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1972年04月16日(日)  古都の一見客 〜 すれちがった老人 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19720416
 
── その人が特定の人物でなくても、誰かを空想して瞬時に思いだす
こともできる、と考えた。かつて高校時代の記憶でも、三条京阪の駅前
で川端康成とおぼしき老人に出会ったことがある。
 するどく落着きのない眼光や、あきらかに常人とちがった挙動から、
後日読んだものによれば、当時の文豪が上七軒(京の色町)にふらりと
訪れて“いちげん客”とあしらわれたエピソードとも符合する。しかし
ほんとうにその老人が、川端康成本人であったかどうかは、どちらでも
よかったのではないか。文豪といえども、格式の高い座敷に上がるには、
それなりの勇気も必要だし、ひょいとその気になることもあるのだ。
 茶屋の女将に「何方はんのご紹介でっか?」とあやしまれ、あとで娘
が「あの御方、有名な小説のセンセちゃうやろか?」と気づいたという。
── 《虚々日々:惑太郎 120001224 阿波文庫》P107
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701220
 看板教授
 
―― 初代は「中村サト」さんが始められました(…だから、なかさと
なんですね)。今は4代目の「中村泰子」お母さんどす。3代目のお母
さん「中村種子」さんが、すごく気張って大きくされたそうです。
http://www.nakazato.net/nakazato.html
 上七軒・中里
 
―― 京都の花街 〜 上七軒を守る 〜 中村 種子さん(上七軒組合長)
―― 《ひと 19940807 山陽新聞》
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 短編集《掌の小説》目次
 
011  骨拾い
016  帽子事件
021  パッタと鈴虫
026  男と女と荷車
033  日向
036  弱き器
038  火に行く彼女
040  鋸と出産
043  髪
045  金糸雀
047  港
049  指輪
051  時計
054  写真
056  月
  
059  白い花
063  落日
065  夏の靴
069  死顔の出来事
071  人間の足音
076  海
080  二十年
086  お信地蔵
090  滑り岩
094  玉台
097  硝子
102  冬近し
107  万歳
111  有難う
116  胡頚子盗人
  
121  母
127  子の立場
129  心中
131  竜宮の乙姫
134  処女の祈り
138  霊柩車
141  雀の媒酌
144  神います
148  一人の幸福
152  合掌
157  屋上の金魚
161  朝の爪
164  駿河の令嬢
167  処女作の崇り
173  女
  
177  歴史
180  神の骨
183  笑わぬ男
189  夜店の微笑
193  金銭の遣
199  盲目と少女
204  母の眼
207  母国語の祈祷
215  士族
220  三等待合室
224  故郷
227  叩く子
233  夫人の探偵
240  貧者の恋人
245  秋の雷
  
247  家庭
250  時雨の駅
258  馬美人
261  黒牡丹
269  日本人アンナ
275  離婚の子
282  踊子旅風俗
290  顕微鏡怪談
295  望遠鏡と電話
304  鶏と踊子
310  白粉とガソリン
317  縛られた夫
321  百合
323  雪隠成仏
327  質屋にて
  
247  雨傘
333  死面
336  顔
339  化粧
342  妹の着物
348  眠り癖
350  舞踊会の夜
357  秋風の女房
360  愛犬安産
364  さと
366  水
368  わかめ
375  十七歳
382  小切
389  ざくろ
  
394  きざん花
401  五拾銭銀貨
407  紅梅こ
411  足袋
415  かけす
421  夏と冬
428  笹舟
431  蛇
436  卵
443  滝
449  秋の雨
  
453  手紙
456  隣人
460  木の上
463  乗馬服
467  かささぎ
471  不死
476  月下美人
481  地
487  白馬
491  雪
  
 解説 吉村 貞司
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 


 川端 康成 小説   18990611 大阪 逗子 19720416 72 /ガス自殺/18990614〜朝
── 川端 康成《掌の小説 19710315-19720720 新潮文庫》
 吉村 貞司 美術評論 19080924 福岡   19860104 77 /杉野女子大学教授/俳句
── 吉村 貞司《日本古代暦の証明 198111.. 六興出版》/籍=弥吉 三光

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923
 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜
 
── 《月刊山陽 19781201 aedlib》【次号は川端 康成 vs 竹久 夢二】
 
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 帽子事件(P016)の筋書きを語る、わけありげな女がいた。
「帽子をつかんだとたんに手を放した」というくだりに力を入れていた。
 どうせ、むかしの男の、とわずがたりであろうと聞きながしておいた。
 
(20061219)
 


1972年04月10日(月)  瀬戸の花嫁 〜 不朽の名曲ベスト3 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19720410
 
 戦後の歌謡曲で、小学唱歌の教科書に載るのは、健全で、覚えやすく、
歌いやすく、親しみやすいことが条件である。つぎの三曲の歌手たちは、
それぞれ航空事故、離再婚、自己破産でも記憶されている。
 
── 永 六輔・詞/中村 八大・曲/坂本 九・唱《上を向いて歩こう 196112‥ 東芝》
── 山上 路夫・詞/平尾 昌晃・曲/小柳 ルミ子・唱《瀬戸の花嫁 19720410 S0510 T1562》
── いで はく・詞/遠藤 実・曲/千 昌夫・唱《北国の春 197704‥ 》
 
── 歌手小柳ルミ子(55)が、27歳下で交際中の俳優石橋正高
(28)と12月に再婚することが22日、分かった。石橋は既にルミ
子に指輪をプレゼント。周囲には「一生、付いていきたい」とルミ子へ
の一途な愛を語っているという。昨年12月12日に、ルミ子の母愛子
さん(享年86)が死去。愛子さんの喪が明ける12月下旬に婚姻届を
出し、石橋と新たな人生を歩み始める。
http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070723-230976.html
 


♀小柳 愛子  ルミ子の母 19200125 秋田 福岡 20061212 86 /喪主は長女ルミ子
 山上 路夫  作詞    19360802 東京 /東 辰三の長男〜《瀬戸の花嫁/悲しみの終わるとき》
────────────────────────────────
 平尾 昌章(昌晃) 歌手 19371224 神奈川 東京 /作曲〜《瀬戸の花嫁 19720410》
/慶応高校中退/1979-81 レッツゴーヤング(NHK)司会/籍=勇
 石橋 正次  歌手・俳優 19481112 大阪 /正高の父〜《夜明けの停車場 19720125 T1542》第23回紅白歌合戦
────────────────────────────────
♀小柳 ルミ子 歌手/女優 19520702 福岡 /〜《瀬戸の花嫁 19720410》紅白歌合戦出場18回
/19890106大澄 賢也と結婚届1998離婚騒動20000106離婚届/籍=留美子[A]宝塚音楽学校
────────────────────────────────
 大澄 賢也  ダンサー  19651026 静岡 /小柳 ルミ子の前夫
/19890106結婚1998別居騒動20000106離婚届/籍=大隅[A]日本大学
 石橋 正高(籍=同)俳優 19790406 神奈川 /正次の次男20070722婚約発表

 
 まがうかたない、レコード大賞の本命だったが、五ヶ月後に登場した
ちあき なおみ・唱《喝采 19720910》にカッサらわれた。
 翌年オリコン集計80万枚(瀬戸の花嫁は74万枚)。
 

♀ちあき・なおみ 歌手 19470917 東京  /19920911郷 ��治の未亡人/籍=瀬川 三恵子
 郷  ��治    俳優 19370529 東京   19920911 55 /籍=瀬川(旧姓=宍戸 錠の弟)
────────────────────────────────
 カルーセル・麻紀   19421126 北海道 /20010918(58)大麻所持/籍=平原 徹男

 
── 1973年にモロッコで性転換手術を受け、姿は女性になった。当時
の法律上では、女性と言うことが認められなかったが、法改正により
2004年10月3日に認められ、法律上「女性」となった。本名も「平原
徹男(ひらはら てつお)」から「平原 麻紀(ひらはら まき)」とな
った。ただし、本人は、2005年3月に開催されたGID研究会にて、自分は
性同一性障害ではない旨の発言をしている。
 2005年5月5日、母が心不全の為に釧路市内で他界。── 《Wikipedia》
 
「小柳 ルミ子が一晩300万で、カルーセル 麻紀なら150万」
http://q.hatena.ne.jp/1157199061#a599988
 最後の客 〜 わけあり女たち 〜
 
 シングル&シネマ
 
 《わたしの城下町 19710425 》最高位 1位、134万枚(オリコン調べ)
 《お祭りの夜 19710925 》最高位 2位、51万枚
 《雪あかりの町 19720125 》最高位 5位、23万枚
 《瀬戸の花嫁 19720410 》最高位 1位、74万枚
 《京のにわか雨 19720801 》最高位 1位、61万枚
 《漁火恋唄 19721101 》最高位 3位、40万枚
 《春のおとずれ 19730225 》最高位 4位、31万枚
 《恋にゆれて 19730525 》最高位 4位、22万枚
 《十五夜の君 19730810 》最高位 8位、19万枚
 《恋の雪別れ 19731110 》最高位15位、14万枚
 《花のようにひそやかに 19740310 》最高位14位、15万枚
 《冬の駅 19741001 》最高位 1位、54万枚
 《黄昏の街 19750225 》最高位12位、13万枚
 《ひと雨くれば 19750525 》最高位15位、16万枚
 《花車 19750901 》最高位20位、16万枚
 《逢いたくて北国へ 19760925 》最高位15位、18万枚
 《星の砂 19770425 》最高位 2位、54万枚
 《雨・・・ 19781125)》最高位34位、10万枚
 《来夢来人(ライムライト)19800125 》最高位22位、13万枚
 《みだれ髪 19820521
 《お久しぶりね 19830721 》最高位8位、40万枚
 《今さらジロー 19840505
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 伊藤 俊也・監督《白蛇抄 19831112 東映東京》
 伊藤 俊也・監督《誘拐報道 19820925 東映=日本テレビ》
 細野 英延・監督《家なき子 19941217 東宝=日本テレビ》劇場版
 
 ◆ キーワード:小柳 ルミ子@与太郎文庫
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060608
 海を越えた友 〜 港が見える日々 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051012
 三人三様 〜 三人娘と三羽烏 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031017
 カラオケ記念日
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030324
 走れ!たかじん
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960607
 くたばれ!たかじん(2)
 
(20070723)
 


1972年03月04日(土)  ゴシップ 〜 元栓を閉めず蛇口を〆める 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19720304
 
 Ex libris Web Library;片岡 愛之助“ラブリン”
http://yonimaji.net/kataokaainosuke/
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B0%A6%C7%B7%BD%F5
 
 ワイドショーは、週刊誌や新聞のゴシップを後追いし、若干の補足を
小出しにしながら引き延ばす。その経過をウィキペディアが克明に追跡、
要約する。この傾向を「知りたくない」と主張する人たちも出現する。
 
>誰もが知りうる情報にもとづいて、誰もが抱くであろう疑問点を記す
ことが、なぜ「亡くなった方を冒涜する行為」になるのですか?<
…… 私には、adlibさんの疑問は下衆の勘ぐりにしか思えません。
http://q.hatena.ne.jp/1309264776#c206224(20110629 00:58:41)
 
…… ウィキペディアが「人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記
述し、年譜は補助的な使用にとどめてください」と推奨し始めたのは、
どんな理由(都合の悪い事例)があったのでしょうか。
http://q.hatena.ne.jp/1458454523(20160320 15:15:23)
 
 ウィキペディア(日本版)のいう「流れのあるまとまった文章」を、
箇条書や年譜形式にすると、ときに不連続な部分が浮かび上がる。
 ここでは「片岡 秀太郎の結婚・離婚・再婚」年月日が欠落している。
 


♀高田 美和  片岡 秀太郎 2の前妻 19470105 京都 /籍=梶浦/1973‥‥-1984‥‥ 離婚/浩吉の長女
 片岡 秀太郎 2 仁左衛門13の二男 19410913 京都 /籍=秀人(彦人)/愛之助 6の父
http://hidetarokabuki.blog65.fc2.com/
♀片岡 □□    秀太郎 2の後妻 195,‥‥ ‥‥ /198,‥‥ 再婚(二女の母)
 
 片岡 愛之助 6  秀太郎 2の養子 19720304 大阪 /旧姓=山元 寛之“松嶋屋”愛太郎/1993 養子縁組
http://ameblo.jp/6ainosuke/
 
♀□□ □□  片岡 愛之助 6の愛人 1968‥‥ ‥‥ /20160412 DNA 鑑定要求に激怒
/元ホステス/隠し妻・隠し子報道 20110217-0303 女性セブン/2011021. 緊急会見
♂□□ □□  片岡 愛之助 6の隠子 2000‥‥ 京都 /
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110217-737900.html
 
♀熊切 あさ美 片岡 愛之助 6の恋人 19800609 東京 /20150529 号泣告白/籍=同/モデル/プロ雀士
♀藤原 紀香  片岡 愛之助 6の妻  19710628 西宮 /20160330 再婚会見/陣内 智則の元妻
http://twilog.org/awalibrary/search?word=%E7%B4%80%E9%A6%99&ao=a

 
 2ちゃんねるやブログでは「誕生日・出身地・出身校・戸籍名」など
の掲載を「あばく、さらす」などと表現するが、世に出たい人にとって、
これらが公開され、知られることが“セレブ”の条件である。
 
 このブログでも、プロバイダーから「削除要請」されたことがあるが、
この種の情報には必ず「出典」があり、元栓を閉めず蛇口を〆めるのは
不合理である(あるときは「被害者の実名」にまで及ぶ事例もあった)。
 
 このブログが“下衆の勘ぐり”によって“暴く、晒す”ことを目的に
しているというのは、悪意ある言いがかりである。いまだかつて誰かに
言われたり、誰かに言った覚えもない(初の屈辱的な経験である)。
 
…… 同窓会の席上(司会者が)彼女の誕生日は「四日前だった」と云
えば彼女の個人情報を開示したことになります。
 ただし花束を用意したので、彼女は喜んで受けとりました(実録)。
http://linkis.com/q.hatena.ne.jp/yxVsN(No.2 20160105 04:12:25)
 パラドックス 〜 元栓よりも蛇口に群れる人々 〜
 

https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F)
http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/
 |
http://twitter.com/awalibrary(ツイッター)
http://twilog.org/awalibrary(ツイログ)
http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ)
 |
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19720304

 
(20160414)
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
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1972年01月20日(木)  チェロとわたし(新旧版)もくじ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19720120
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19720120
 
 Ex libris Web Library;ピアティゴルスキー 1972
http://www.geocities.jp/cellisch/biblio.html
 チェロやチェリストの本
 
…… わたしは日本人の音楽家と親しくなる機会は得られなかったが、
わたしがまったく残念にも名前を失念してしまった盲目の作曲家の琴の
すばらしい演奏には、感銘を受けた。わたしは、ジョセフ・ローゼンス
トックの指揮で、この人の小品をオーケストラの伴奏で演奏した(P318)。
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4560095000
── ピアティゴルスキー/村上 紀子・訳《チェロとわたし 19720120-19770630-20090130 白水社》
── CELLIST by Gregor Piatigorsky [C] Gregor Piatigorsky, 1965
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BD%D5%A4%CE%B3%A4
 ↑春の海 ↓ピアティゴルスキー
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%D4%A5%A2%A5%C6%A5%A3%A5%B4%A5%EB%A5%B9%A5%AD%A1%BC
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080704
 Pax Americana 〜 有頂天のアメリカ 〜
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%CD%AD%C4%BA%C5%B7%A4%CE%A5%A2%A5%E1%A5%EA%A5%AB
 


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    3 
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(旧) 6 
 1  7 
 2  8 
 3  9 
 4  10 
 5  11 目次
 6  12 
 7  13 第 一 章 ふるさとの思い出
 8  14 
 9  15 
10  16 
11  17 
12  18 
13  19 
14  20 
15  21 第 二 章 最初のチェロ(19100417-0420)
16  22 
17  23 
18  24 
19  25 
20  26 
21  27 
22  28 
23  29 
24  30 第 三 章 『エヴゲーニー・オネーギン』のセンセーショナルな上演
25  31 
26  32 
27  33 
28  34 
29  35 
30  36 
31  37 第 四 章 ある婚約とその成り行き
32  38 
33  39 
34  40 
35  41 
36  42 第 五 章 グァルネリのチェロ
37  43 
38  44 
39  45 
40  46 
41  47 
42  48 
43  49 
44  50 
45  51 
46  52 第 六 章 シャリアピンとのコンサート
47  53 
48  54 
49  55 
50  56 
51  57 第 七 章 ボリショイ劇場のチェリスト
52  58 
53  59 
54  60 
55  61 
56  62 
57  63 
58  64 
59  65 
60  66 
61  67 第 八 章 レーニンとの会話
62  68 
63  69 
64  70 
65  71 
66  72 
67  73 
68  74 第 九 章 ワルシャワのインテルメッゾ
69  75 
70  76 
71  77 
72  78 
73  79 
74  80 
75  81 
76  82 
77  83 
78  84 第一〇章 ライプツィヒのクレンゲル先生
79  85 
80  86 
81  87 
82  88 
83  89 
84  90 
85  91 
86  92 
87  93 
88  94 
89  95 第一一章 チロル山頂での休暇
90  96 
91  97 
92  98 
93  99 
94 100 
95 101 第一二章 途方もないインフレ
96 102 
97 103 
98 104 
99 105 
100 106 
101 107 第一三草 カフェー・ルショー
102 108 
103 109 
104 110 
105 111 
106 112 
107 113 
108 114 
109 115 第一四章 バイエルンの城で過ごした夏休み
110 116 
111 117 
112 118 
113 119 
114 120 
115 121 
116 122 
117 123 
118 124 
119 125 
120 126 
121 127 
122 128 
123 129 
124 130 第一五章 『月にうかれたピエロ』とアルトゥール・シュナーベル宅の午後
125 131 
126 132 
127 133 
128 134 
129 135 
130 136 
131 137 
132 138 
133 139 
134 140 
135 141 
136 142 
137 143 
138 144 
139 145 
140 146 
141 147 
142 148 
143 149 
144 150 第一六章 「チェロの引っかぎ屋はどこにいる?」
145 151 
146 152 
147 153 
148 154 
149 155 
150 156 
151 157 
152 158 
153 159 
154 160 
155 161 
156 162 
157 163 
158 164 
159 165 第一七章 偉大な芸術家にして友人、パブロ・カザルス
160 166 
161 167 
162 168 
163 169 
164 170 
165 171 
166 172 
167 173 
168 174 
169 175 
170 176 
171 177 
172 178 
173 179 
174 180 
175 181 
176 182 第一八章 冒険のかずかず
177 183 
178 184 
 
……(要約)演奏会の前に、美しい娘に誘われたスケートで転倒したた
め、右手の親指が赤く脹れあがった。やっとの思いでドヴォルザーク協
奏曲の第一楽章を弾き終えると、涙が頬を流れ、聴衆も眼頭を抑えた。
 
 第二楽章では、もっと涙があふれ、聴衆も共に泣いてくれたのだった。
第三楽章が始まると、わたしはさらに泣き、聴衆は声をあげて泣いた。
聴衆の反応というのは、謎に満ちた現象である(冬のオランダ P184)。
 
179 185 
180 186 
181 187 
182 188 
183 189 
184 190 
185 191 
186 192 
187 193 
188 194 
189 195 第一九章 セルゲィ・ラフマニノフとのエピソード
190 196 
191 197 
192 198 
193 199 
194 200 
195 201 
196 202 
197 203 
198 204 
199 205 
200 206 
201 207 
202 208 
203 209 
204 210 
205 211 第二〇章 「三銃士」
206 212 
207 213 
208 214 
209 215 
210 216 
211 217 
212 218 
213 219 
214 220 
215 221 第二一章 「小品もまた価値がある」
216 222 
217 223 
218 224 
219 225 
220 226 
221 227 
222 228 
223 229 
224 230 
225 231 
226 232 
227 233 
228 234 
229 235 
230 236 第二二章 「ロシアのチェリスト、アメリカの印象を語らず」
231 237 
232 238 
233 239 
234 240 
235 241 
236 242 
237 243 
238 244 
239 245 
240 246 
241 247 
242 248 第二三章 「チェロで河を渡ったピアティゴルスキー」
243 249 
244 250 
245 251 
246 252 
247 253 
248 254 
249 255 
250 256 
251 257 
252 258 
253 259 
254 260 
255 261 
256 262 
257 263 
258 264 
259 265 第二四章 王室の人びととの体験
260 266 
261 267 
262 268 
263 269 
264 270 
265 271 
266 272 
267 273 
268 274 
269 275 
270 276 
271 277 第二五章 伴奏者さまざま
272 278 
273 279 
274 280 
275 281 
276 282 
277 283 
278 284 
279 285 
280 286 
281 287 第二六章 「チェロ・ピアティゴルスキー嬢」の航空券
282 288 
283 289 
284 290 
285 291 
286 292 
287 293 
288 294 
289 295 
290 296 
291 297 
292 298 
293 299 
294 300 
295 301 
296 302 
297 303 
298 304 
299 305 
300 306 
301 307 
302 308 
303 309 第二七章 小さな指揮棒の魔力
304 310 
305 311 
306 312 
307 313 
308 314 
309 315 
310 316 
311 317 第二八章 スラバヤから横浜、サンフランシスコヘ
312 318 
313 319 
314 320 
315 321 
316 322 
317 323 
318 324 
319 325 
320 326 第二九章 有名なチェロの運命から
321 327 
322 328 
323 329 
324 330 
325 331 
326 332 
327 333 
328 334 
329 335 
330 336 第三〇章 パーティーよもやま話
331 337 
332 338 
333 339 
334 340 
335 341 
336 342 
337 343 
338 344 
339 345 訳者あとがき
340 346 
341 347 
342 348 
343 349 奥付

 
 村上 陽一郎 科学史 19360909 東京 /東京大学名誉教授/余技=チェロ/紀子の弟
♀村上 紀子  ピアノ 193,‥‥ 東京 /ドイツ語学
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J93JKA
── クロイツァー/村上 紀子・訳《芸術としてのピアノ演奏 〜 ピアノ奏法の新しい美学 1969‥‥ 音楽之友社》
 
(20130610)
 


1971年12月21日(火)  三崎事件 〜 娘の誕生日の殺人 〜

 
 ↓ last updated page
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711221
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 from Our Picture;冤罪
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19790803
 足利週末失踪事件 〜 発生から釈放まで19年余 〜
── 菅家 利和《冤罪 200908‥ 朝日新聞出版》
 


 K  □□ 食料品店主 1918‥‥ 神奈川 三浦 19711221 53 /刺殺
♀K  □□ 店主の妻  1922‥‥ 神奈川 三浦 19711221 49 /刺殺
♀K  □□ 店主の長女 1954‥‥ 神奈川 三浦 19711221 17 /刺殺
 K  □□ 店主の長男 195.‥‥ 神奈川 三浦       /目撃/中学生
────────────────────────────────
 □□ □□       192.‥‥ ‥‥           /真犯人?
────────────────────────────────
 荒井 政男 寿司店主  1927‥‥ 神奈川 東京 20090903 82 /獄中病死
/19711221(44)店主一家三人刺殺19760925横浜地裁横須賀支部
/19841218東京高裁19901016最高裁再審請求中/一審以来無実を主張
────────────────────────────────
♀荒井 □□ 店主の長女 19531221 神奈川 三浦       /家出/高校中退

 
── 事件当日21日は娘の18歳の誕生日であった。だが娘は高校2年生
になる少し前から、学園紛争にまきこまれ、学校をサボるようになった。
さらには家にも帰ってこなくなる。(略)
 この日も三崎まで娘を探しに来ていた。
 三崎という町は、よく知っていた土地だが、娘は見つからなかった。
そこでこのあたりで食事をしようと、Kさん方の向かいにある食堂で酒
を飲み、かなり酔っ払った。そしてKさんの店の前で寝こんだりしてい
た。
 やがて夜遅くになり、車内で休んでいたところ、近くで悲鳴が聞こえ、
Kさん方のシャッターから男(真犯人と見られる)が飛び出してきて逃
げていくのを見た。Kさんとは面識があったので、心配になり、店をの
ぞいた。するとKさんが殺されているのを発見、驚いて出てきたところ
を、駆けつけた人達から犯人呼ばわりされ、逃走した。
http://yabusaka.moo.jp/misaki.htm
 三崎事件
 
── 一家3人殺害の死刑囚、東京拘置所で病死
 
 1971年に神奈川県三浦市で親子3人を刺殺し、死刑が確定した
荒井政男死刑囚(82)が3日、東京拘置所で敗血症のため死亡した。
 これにより、執行されていない死刑確定者は102人になった。
 荒井死刑囚は71年12月、金策のため同市の知人男性方を訪れ、男
性と妻、長女を次々と刃物で刺して殺害。
 76年9月に横浜地裁横須賀支部で死刑判決を受け、90年10月に
最高裁で上告が棄却されたが、91年1月に再審請求していた。
 東京拘置所によると、荒井死刑囚は2003年頃から、高血圧や糖尿
病などの治療を続けていたという。(2009年9月3日19時57分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090903-OYT1T00906.htm
 
(20090903)
 


1971年11月26日(金)  あまちゅあ・かっぽれ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19711126
 
 あまちゅあ・かっぽれ       阿波 雅敏(K1)
 
 すでに十数年も前の、とりとめのない話ばかりである。
 高校生だった私は、さるアマチュアのオーケストラの演奏会にチェロ
奏者としてエキストラ出演した。この楽器にとりくんで、まだ一年ちょ
っと経った段階であったが、奏者の員数をそろえるために、アマチュア
の場合よくあることで、当人の技量など二の次である。そうはいっても、
はじめて譜面を見て、満足に弾けるわけもなく、出演というより出場の
ほうが正しい。「未完成」と、ショパン「ピアノ協奏曲」あたりまでは、
本番にのぞんでもだいたい格好をつけたつもりである。
 最後の、ベートーヴェン「第八交響曲」になると、さすがに手に負え
なくなった。とくに終楽章の湧きたつようなテンポにおよんでは、つい
に楽譜を見うしなってしまった。つまり、どのあたりを弾いているのか
判らなくなった。こういう場合、なんとなくそれらしい音型を、平然と
弾きつづける態度が肝要(?)である。もしも途方にくれて、ひと休み
している奏者がいては、指揮者だってやりにくかろう。員数のひとりと
して、せめてその責任だけは果さねばなるまい。
 やがて、そのうちに追いつくだろう、という私の楽観は、どんどん進
むにつれ、この分だと最後まで判らずじまいになる不安になりかわった。
私は第三プルトの外側、つまり第五奏者として坐っていたが、わずかの
小休止に、意を決して隣の第六奏者にたずねてみた。彼はページをめく
る仕事を課せられているわけで、おおむねちゃんと弾いているはずだっ
た。
「いま、どのへんでしょうか」
 一瞬のあいま、私がささやくと、彼は即座に答えていった。
「実は、ぼくも判らんのです」
 あろうことか、彼はそのまま、やっぱり弾きつづけているのである。
しかたなく私も、彼とおなじように弾きつづけ、いつの間にか全曲は果
てた。
 ひどい話なので、こうした経験のない人には信じられないかもしれな
い。オーケストラの弦楽器に関するかぎり、弓の方向をそろえることが
先決で、個々の出す音など、アマチュアの場合、概してでたらめである
ことが多い。いつもこんな具合でないにしても、当時、技術水準の底辺
はそんなところだった。
 アンコールは、歌劇の間奏曲らしかった。というのは、私に与えられ
た楽譜はボロボロになっていて、タイトルの部分は破れてしまっていた
のである。
 演奏会のあと、チェロの首席奏者が帰り仕度をしながら、わめいてい
た。「第八」の第二楽章で彼は、困難にしてはなばなしいアルペジオの
独奏部分を、延々やりとげたはずであった。
「途中でおかしくなってね、わけが判らんようになった。しょうがない
から、ずっとドミソドミソ、レファラレファラばっかり弾いてやった。
ははは」
 すでに時効でもあり、罪のないエピソードをもうひとつ。
 
 ハイドンの「軍隊交響曲」は、私の指揮する高校オーケストラのデビ
ュー曲だった。当日、リハーサルの舞台に上った私は、駆りあつめられ
たエキストラの参加で、ふだんの三倍にふくれあがったメンバーを前に
して、すっかり面くらっていた。第二楽章でオーボエの受けつぎが、な
かなかうまくいかない。それというのも、信じられないような安値でつ
い最近買ったばかりの廃物寸前の楽器だからでもある。奏者にしても、
みんな逃げ腰だったのを無理におしつけた事情があって、あまり文句も
いえない。
 わずか一小節のことだが、指揮者として万全を期するため、私はヴァ
イオリン奏者を呼んで、ひそかに懇願した。
「オーボエは、ひょっとすると本番では音が出なくなるかもしれない。
そのとき、いちはやく君が代りをつとめるわけだ。なるべく似たような
音色で弾く」
「?」
「いいか、たのんだぜ」
 それでも不安にかられていた私は、念のためフルートの第二奏者にも
声をかけておいた。
「オーボエもヴァイオリンも出ない場合は、君がやってくれ。この部分
でつまずくと、困ったことになる」
「しかし」と、フルート吹きは、かねてよりの疑問を私にただした。
「この曲は、もともとフルート一本しか書かれていないんでしょう。す
ると第二フルートのぼくが吹いてるのは、何ですか」
「ハイドンの時代は人手不足だったんだ。遠慮せずに、しっかり吹いて
くれ」
 さて、本番を迎えた。
 オーボエの、例の個処になると、私は目をつむってしまった。なむさ
ん、オーボエはもとより、ヴァイオリンも第二フルートも、ついに鳴ら
なかった。しかるに意外なことは、私自身に起っていた。たちまちにし
て私の唇から、とにかくメロディが流れ出たのである。
 演奏会のあと、みんなは狐につままれたような表情で話しあっていた。
「あそこで、たしか何か鳴っていたようだ。いったい誰がどうしたんだ
ろう」
 まさかのハプニングで、あのとき誰も気づかなかったものとみえる。
みんな、よほど緊張していたらしい。そこへ、最前列で聴いていたとい
う人があらわれて、叫んだものだ。
「おどろいたなぁ、ハイドンの交響曲で、くちぶえが入るなんて」
「誰だ、くちぶえなんか吹いた奴は」といって私は、いそいで姿をくら
ませた。
 
 私たちのオーケストラは、三年目の夏に、琵琶湖一周大演奏旅行をく
わだてた。みんな大胆になっていて、公民館とか、大工場の集会場で、
五回ほど演奏会を開くことになった。
 すでに私は高校を卒業していたが、この機会に最後の指揮をすること
になっていた。例によって楽器の組みかえに苦労は絶えず、たとえば、
「アルルの女」とか、「エグモント序曲」など、原曲にはほど遠い奇妙
なサウンドになるのはやむを得なかった。
 そのなかで、私が気に入っていたのは、なんとモーツァルトの「アレ
ルヤ」をクラリネットに吹かせる趣向のものである。当時のメンバーで
S君という随一の奏者を活躍させるために、私が探しあてたこの曲は、
ご存知ソプラノ独唱と管弦楽のためのモテットに他ならない。S君のた
めには、本来ならかの「協奏曲」を吹かせてやりたかったが、オーケス
トラにとって荷が重すぎた。そこで、なにしろトロンボーン、クラリネ
ット、フルートそれぞれ二本を無理に加えた大編成オーケストラをバッ
クに、ときどきとんでもないサウンドにおびえながら、浮かぬ顔のS君
が、これを独奏するわけである。主として、アンコールに用いて、私は
得意がっていた。
 メンソレータムで知られる近江兄弟社の、教育会館が、最初の会場だ
った。昼間のリハーサルから宿泊にいたるまで、同社の社員とおぼしき
青年が、何かと世話してくださったそうである。私はすべてマネージャ
ーに任せて、いわばお山の大将だったので、あいさつはしたはずの、そ
れ以上に話した記憶はない。
 本番が無事おわってから、くだんの青年はS君のクラリネットを賞し
て、いった。
「ウィーンのかおりがしました」
 ウィーンであったか、ミラノであったか定かではない。
 実はこのくだりは、十数年のち、ごく最近はじめて当時のメンバーの
ひとりから聞いたものである。
 さらに、おどろいたことに誰あらん、その青年とは若き日の小林道夫
氏だったのである。知らなかったとはいえ、私はたいへんな人の前で、
でたらめな編曲と指揮を披露したわけで、いまさらに身のちぢむ思いが
する。
(前々号に寄せた、拙稿「いそがしい指」では、てっきり初対面のつも
りで、すまして話しかけているのが、われながらおかしい。おそらく、
十数年前の珍妙なオーケストラのことなど、氏の記憶にはないであろう
けれども)。
 ちなみに、当時のメンバーは個々としてみれば、なかなか優秀で、S
君はじめ数人は大学の軽音楽部のスターとなり、弦楽器でも、のちに結
婚するまで京響の定期に参加していた女性ふたり、アマチュアの室内楽
を今日まで続けているグループなど、多士済々である。あのころ、第二
ヴァイオリンの末席で、ちっとも目だたなかったW君にいたっては、目
下さっそうとファゴットをたずさえてパリ音楽院に留学中だそうである。
 おそらく、指揮者だった私が、実はいちばん才能のない、下手くそで
はなかったか。                  (19711126) 
      ── 《関西モーツァルト協会々報・第三号 197112・・ 》
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…… 二十二日に近江兄弟社へいった。なかなか親切で我々も少なから
ず希望を与えられた形である。其地には関心のある人が多く、ほゞ成功
のようだ。一切は会社と村田師にまかせきっている。つまり無料の奉仕
であるか、有料の演奏会とするかであるが、いづれにせよ工場内の寮に
宿めてくれ、体育館を会場に整備してくれるようだ。彦根には兄弟社か
ら其地のYMAC理事に紹介状をくれよう。近江八幡ではそこの同志社
人会も後援してくれるから心強い。順序逆になるが村田幸男氏は岩倉で
4年間教えて居られた人で、話のわかる同志社人である。この人と上野
出身の小林という学園の音楽教師(ピアニストでもある)が良く理解し
てくれている。/モーツアルトのアレルヤをも一度やったらどうか。 
                 ── 吉田 肇(Let'19590622)
 
 上の書簡は、ひとりで演奏旅行の事前交渉にあたっていた“ゴリ”の
面目躍如たるもの。上野(東京芸大)出身の、近江学園のピアニストに
出会って、たちどころに《アレルヤ》を思いつくなど、なみなみならぬ
外交的センスがうかがわれる(この中間報告では、独奏者やメンバーの
人間関係についても配慮している)。
 
 チェロの首席奏者は、同志社交響楽団OB・高田逸夫氏。田中さとる
(京都放送アナウンサー)氏の司会で、円山音楽堂における合同演奏会。
 マスカーニ《カヴァレリア・ルスチカーナ》間奏曲は、カトリックの
祈祷文《Ave Maria》を歌詞にして、ソプラノ独唱されることもある。
 フルートの第二奏者は(実は)前年から器楽部顧問となった森田昭典
(物理)教諭。このあと中国人の陳 正雄君が加わり、第四奏者となる。
 最前列で聴いていた人とは高橋勘(数学)校長、さすがに耳ざとい。
 
 S君は佐伯和男、W君は若林通夫(この夏はじめて出会った新入生)。
 若林君の先輩にあたる新開一朗君は、高校オーケストラでは唯一ピカ
ピカの新品ホルンを吹いていた。“S41年卒”は、大学卒業年度であり、
プルミエ・プル(プル)は一等賞、首席卒業と訳すこともある。
 馬場久雄君から送られた《同響七十年誌》のコピーには、セカンド・
マスターだった堀江公麿君の文章《卒業後31年を経て》もみえる。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19950301
 ワカバヤシ・ミチオ 〜 カンヌより同響の皆様へ 〜
 
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(20001226-20090820)
 


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