与太郎文庫
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| 1971年07月08日(木) |
レコード・サロン 〜 Paper Concert 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710708 19710427 レコード・サロン�� 〜 Paper Concert 〜 はじめに、たった一本のチェロが登場します。バッハ(1685〜1750) の《無伴奏チェロ組曲第3番〜前奏曲》です。いきなりドレミファの音 階を逆にうたいはじめます。簡潔でいかにも男性的な独奏は、シュタル ケルです。 ドレミの音階は、いったいだれが編みだしたのでしょうか。そんなこ とはともかく、つぎに、ミュージカル《サウンド・オブ・ミュージック 〜ドレミの歌》を聴いてみます。映画ではジュリー・アンドリュース扮 する少女が、子供たちにドレミファを教えるシーンで語りから歌につな がる、あざやかな演出が思い出されます。ここではミッチ・ミラー合唱 団が、例によってさっそうと歌いあげます。その前に、彼らの幕あき 《黄色いリボン》を聴かねばなりません。 ドレミのあとは、ドミソ。ふたたびバッハで、ハ長調主和音のアルペ ジオではじまるのは《平均率クラヴィーア曲集第1巻第1曲〜前奏曲》 です。チェンバロ独奏は、ラルフ・カークパトリックです。 この前奏曲を、そのまま伴奏にして、既製の祈祷文を歌詞に声楽曲に 仕たてあげる、という器用なことを思いついたフランス人がいます。バ ッハの時代から約百年のちの作曲家グノー(1818〜1893)の《アヴェ・ マリア》がその成果です。高貴な音色で、チェロのプリンスといわれる フルニエの独奏を聴いてみましょう。まさにフランスのかおりです。 フランスでは、チェロにゆかりの作曲家、サン=サーンス(1835〜19 21)を忘れることができません。ご存知《白鳥》です。この曲を、なん とコントラバスで弾かせようと考えついたのがユダヤ系アメリカ人、バ ーンステイン、弾いているのがニューヨーク・フィルのカー君、20才の 録音です。ちょっと信じられないほど、すばらしい運弓ですね。 さて、こんどはジャズ・ヴァイオリンです。 オーネット・コールマン(1930〜)は、はじめアルト・サックスを吹 いていましたが、いちど引退ののち、ヴァイオリンとトランペットを手 に再登場した変りだね、というよりも、ジャズの厳格な作曲家として認 められるべきでしょう。舞台にあらわれた彼が、ヴァイオリンの弓に松 ヤニを塗りつける、キュッキュッという音にさそわれて、ベースが思わ ず伴奏をつけたので、聴衆が大よろこびします。《フォーリング・スタ ーズ》につづいては、《サイレンス》です。途中“チェロキーをやれ” と野次が聴えます。そこで彼が、しぶしぶその一節をおり込むなど、実 況録音ならではの展開です。 さて、サイレンス(沈黙、静止の意)といえばサイモン&ガーファン クルのふたり、映画《卒業》の主題曲となった《サウンド・オブ・サイ レンス》、実は映画の前に発売されたレコードと、映画のために録音さ れたサウンド・トラック盤とふたとおりあるのですが、近年これほどさ わやかに笑うことのできた映画もめずらしく、その点で、後者を尊重す ることにします。 すでに、お気づきのように、今回のコンサートはサイレンスがテーマ です。“雄弁は銀沈黙は金”ということわざにしたがい、音楽における 沈黙の時が、いかなるものか、探ってみたいものです。ある意味では、 邦楽用語としての間(ま)に通じるかもしれません。 そこで純邦楽をひとつ、いささか場ちがいですが広沢虎造の浪曲《清 水次郎長伝〜石松と三十石船》における息もつかせぬ間を、あらためて 聴いてみましょう。時間の都合もあり、“寿司食いねえ”というあたり で、次のレコードに移らねばなりませんが。 現代の日本の音楽であっても“現代邦楽”とは呼ばれていない、つま り歌謡曲の中からいずみ・たく作曲《夜明けのスキャット》を選んでみ ました。由紀さおりの入念な唱法が広汎なファン層を獲得したのは、い まさらながら当然です。 スキャットの語源は何かと、手もとの英和辞典を引いたところ、載っ ておりません。もし、だれが発明したか、ということなれば、アームス トロング(1900〜)です。彼がホット・ファイブをひきいて録音中、歌 詞カードがひらひらと飛んでしまったので、急遽ズビズビ、ドバドバな どとやったのが史上はじめてだそうです。その歴史的なレコードもあり ますが、ここでは3年前のサッチモが歌う、ディズニー映画《シンデレ ラ姫〜ビビディ・バビディ・ブー》を、そのトランペットとともに楽し みましょう。 アメリカ人のスイングルが、フランス人をひきいた合唱団、スイング ル・シンガーズも欠かせません。フランス映画《男と女》で知られたダ バダバ・コーラス、といえばおわかりでしょう。彼らは決して歌詞=こ とばを口にしない、ふしぎな音楽集団ですが、まことに密度のたかい、 完成された技法をもっています。スペインの作曲家ロドリゴ(1902〜) が、クラシック・ギターと管弦楽のために書いた《アランフェス協奏曲》 も、彼らは無言で歌いあげてしまいます。 これを鼻歌まがい、というならば、口笛もその延長線上にあるわけで す。ペレス・プラード(1922?〜)の数あるヒットは、聴きてが思わず 口笛を吹いてしまうような、軽妙なセンスにあふれています。《口笛の マンボ》も、そのひとつです。 無言の行、などといって、沈黙を守りつづけることは容易ではありま せん。ついに文句が出る、というはずもないのですが、4年前来日した、 セロニアス・モンクの登場です。 曲は《ブルー・モンク》無口な奇行癖のジャズ・ピアニストが、日本 の聴衆を前に、意外なほど、たっぷりと華麗なサウンドをサービスして います。 天才が、みずから創作の途上で、その美しさに打たれて、しばし絶句、 ついに完成しなかった、と伝えられる傑作、シューベルト(1797〜1828) の《交響曲第8番:未完成》がフィナーレにふさわしいと思われます。 カラヤンとベルリン・フィルが正面きっての名曲名演奏です。 以下は、小林秀雄の評論《モオツアルト》からの自由な抽出です。 …… 美は人を沈黙させる、とはよく言われる事だが、すぐれた芸術作 品は、かならず言うに言われぬものを表現していて、これに対しては、 なすところを知らず、僕等はやむなく口をつぐむのである。この沈黙は、 空虚ではなく感動にみちているから、何かを語ろうとする衝動をおさえ がたく、しかも口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。美 は、現実にある一つの抗しがたい力であって、ふつう一般に考えられて いるよりも、実ははるかに美しくもなく、愉快でもないものである。 …… ── 《レコード・サロン�� 19710427 Awa Library Report No.2》19710401
── 《黄色いリボン 195111‥ America》 ── 《カーネギー・ホール 19520125 America》 ── 《シンデレラ姫 〜 ビビディ・バビディ・ブー 19530313 America》スキャット ── 《真夏の夜のジャズ 19600819 America》 ── 《サウンド・オブ・ミュージック 〜 ドレミの歌 19650626 America》 ── 《男と女 19661015 France》
◆ 19710610 レコード・サロン�� 〜 Paper Concert 〜 前回は、サイレンスをテーマに、さまざまの領域にわたって、音楽に おける沈黙・静止の意味を探ってみました。今回のテーマは、持続ある いは反復です。 いかに美しい、すぐれたメロディであっても、一瞬のうちに過ぎ去っ ていくのが、音楽の宿命です。しかし、美しいからといって、無造作に くりかえすばかりでは、興味は半減しましょう。むしろ単純で、平凡な 素材を用いたために成功した、と思われる傑作が意外におおいことに気 づきます。 最近のテレビ番組《題名のない音楽会》でベートーヴェンの《運命》 を例に、かのタタタターンという動機が、いったい何百回用いられてい るかと、いう公開実験をやっておりました。スコアをみて勘定すれば済 むものをこんな風に大がかりな演出をしなければ、現代の聴衆あるいは 観衆の興味をひかないのかもしれません。 最初の曲は、やはりバッハ(1685〜1750)がふさわしいようです。 《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番〜第5楽章:シャコンヌ》を聴く わけですが、京都時間という通例もあって、原曲どおりヴァイオリン独 奏をグリュミオーで、ギター編曲をセゴビアで、ふたとおり聴くことに いたします。 原曲以外の楽器のための編曲は、いろいろ議論のあるところですが、 世紀のギタリストが、精魂こめて、執拗にバッハに迫る力演として、あ るいは、これがおなじ楽譜から生れた音楽か、という驚きとともに、傾 聴したいものです。 シャコンヌという形式は、単純な低音の動機をくりかえして、この曲 では実に30通りの変奏を展開するものです。バッソ・オスティナート、 「執拗バス」と訳される手法の、綿密な労作です。 つぎに、18世紀の大ピアニスト、リスト(1811〜1886)が、ほぼ同時 代の大ヴァイオリニスト、パガニーニ(1782〜1840)の主題を借りて、 異なる楽器の技巧を、そっくり移しかえた《パガニーニ大練習曲》から、 2曲聴いてみましょう。 《〜第3曲:ラ・カンパネラ》は、《ヴァイオリン協奏曲第2番》の 終楽章をピアノ独奏に編曲したものです。鐘の音を模して、かがやかし い高音が、縦横に飛びかいます。褐色の青年ピアニスト、アンドレ・ワ ッツが、端正に、しかも力づよく叩きあげます。つづく《〜第6曲:変 奏曲》の主題は、ラフマニノフやブラームスも借用におよんで、それぞ れ三者三様に成功しております。いったい、この簡単で短い動機が、な ぜ、かくも彼らを魅了したのでしょうか。 しばしば努力型の天才、と呼ばれるベートーヴェン(1770〜1827)の 場合、聴衆に対する迎合、つまりは器用な思いつきなど、望むべくもあ りませんが、持続と反復に関するかぎり、欠かせない玄妙な舞曲があり ます。 「イ短調のアレグレット」というだけで通用する《交響曲第7番〜第 2楽章》がそれです。イッセルシュテットの入念なテンポと、ウィーン ・フィルの豊穣なひびきは、今宵の白眉となるはずです。 この曲が初演のとき、この楽章が二度もアンコールされたそうですが、 聴衆は気にいった音楽なら、何度でもつづけて聴くようです。ところで、 演奏者が興に乗って、いつまでも奏きつづけることもないではありませ ん。 インドの音楽が、いまなお、その面影を伝えています。しかし、がん らい音楽とは、そういうものではなかったか、と思われます。 インド音楽を、今日の国際的普及に至らしめたシタール奏者ラヴィ・ シャンカールが、ユダヤ人のヴァイオリニスト、メニューインとの二重 奏のために書いた《ラーガ・ピールー》です。レコード録音でさえなけ れば、両者のかけあいは、いつまでも終りそうにない白熱が感じられま す。 さながら時計の振り子のごとく、で考えられるのは、スウィング・ジ ャズ、はたまた不死鳥の感もあるロックン・ロールです。ここでは、ジ ャズ・フルートのハービー・マンが登場します。ワン・コードによる、 きわめて簡潔なモダニズムの自作《メンフィス・アンダーグラウンド》 が、さりげなく始まり、そして終ります。 ベートーヴェンの後継者として、それぞれ自認しながら、ワーグナー (1813〜1883)が交響曲というジャンルを捨てたのに対して、ブラーム ス(1833〜1897)は、執拗にその世界にとどまりました。おまけに 150 年も前にバッハが完成した、厳格な古典的書法についても、もういちど 試みるわけです。彼の最後のシンフォニー《交響曲第4番〜第4楽章》 にシャコンヌが用いられています。いうなれば音楽的論理の究まるとこ ろ、頑固な真実の世界です。ヴァン・ベイヌム指揮のアムステルダム・ コンセルトヘボウ管弦楽団が、31回の変奏と結尾を決然とたどります。 ものなれた聴衆にとって、素材であるところのリズムやメロディ、あ るいはハーモニーが、個々にどれほど魅力的であっても、それだけでは、 あっと驚くことにはなりません。 「よい形式の、唯一のテストは興味の連続することである」とつねに いっていた作曲家が、ラヴェル(1875〜1937)、そして、「今までだれ もそんなことはやらなかった」と独創を重んじた彼が、はたせるかな、 つぎに聴く《ボレロ》で、だれもやらなかった試練を課しています。ま ず全曲を通じて、小太鼓が同じリズム、同じクレッシェンドで、独得の ボレロのリズムを刻みます。下降と上昇の二つのメロディを、二回づつ くりかえして、応答させます。オーケストラのすべての楽器がソロはも ちろん各種の組合わせで、ユニゾンで出没し、旋律を了えたあとは、か ならず伴奏のリズムに参加します。 すべての指揮者にとって、たいへん演りやすい面もあり、したがって、 だれが振っても変りばえしないであろう、皮肉な作品です。 フランスの、フランスならではの理性を、いつの場合も失わなかった クリュイタンスの指揮によるパリ音楽院管弦楽団の演奏でさえ地下のラ ヴェルの気に入るかどうか、わかりませんが。 (次回は7月 日/ 曜日です) ── 《レコード・サロン�� 19710610 Awa Library Report No.5》19710701 ◆ 19710708 レコード・サロン�� 〜 Paper Concert 〜 たとえば、カッコーという鳥の声を、文字であらわせば、文字どおり 「カッコー」あるいは「CUCKOO」となります。さらに、ドレミフ ァで示す例は、ほとんどが「ミッドー」です。 音楽における描写は、実際の音をまねることではありません。ある観 念をくぐるための簡略な手法にすぎません。 そこで今回のテーマは、音楽における描写として、水に関する例をい くつか取りあげてみました。化学用語でいえば「H2O」です。 さまざまな作曲家たちが、水あるいは川・河・海、さらには波など、 それぞれ異った感受性のもとで観察し、まことに多彩な世界を展開して います。 まずは、ヴィヴァルディ(1675〜1741)の《ヴァイオリン協奏曲:海 の嵐》を、イ・ムジチ合奏団で聴いてみましょう。海だから、嵐だから、 とあまりに意識して聴くと、いささか失望されるかもしれませんが。 つぎに、古今の大作曲家のなかでも、とくに、観念のかたまりのよう なベートーヴェン(1770〜1827)の《交響曲第6番:田園〜第2楽章》 です。楽譜には「小川のほとりの場面」などと注釈があるそうですが、 ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の整然とした歩調が、古典 音楽のスタイルにきわめて忠実な演奏です。 スコットランド沖の孤島から、旅を了えて帰ってきたメンデルスゾー ン(1809〜1847)が「口ではいえないが、音にするとこんな印象だった」 と一気に書きあげたのは、《序曲:フィンガルの洞窟》という風景画で す。 さきの曲にくらべてスマートな額縁におさまっている点を、同じ指揮 者と管弦楽団のレコードで聴くことにします。 旅の音楽家に対するは、ボヘミアの国民楽派スメタナ(1824〜1884) の連作《交響詩:モルダウ》です。二つの水源から発して、川になり河 にひろがり流れるさまを、いかにも誇らしく歌いあげるために、ともす れば気分に流れやすいこの曲を、フルトヴェングラー指揮ウィーン・フ ィルが、その観念的要素も存分にひきこんでの好演です。 音楽の都ウィーンのワルツ王シュトラウス(1825〜1899)が依頼され た際も、ある種の郷土愛をうたうためでした。男声合唱のための《美し く碧きドナウ》が、その作品です。ここでは、ウィーン少年合唱団の登 場です。一連のウィンナ・ワルツというものを、交響曲やソナタと同列 に論じることはできませんが、軽音楽としての魅力、気品ある美しさは まさに屈指のものです。 国民楽派とよばれた作曲家は、概して孤高の信念の持主がおおく、北 欧フィンランドのシベリウス(1865〜1957)も巨峰という他はありませ ん。死と現実の、二つの世界をつなぐ黒い河に浮かぶ白鳥の歌《交響詩 :四つの伝説曲〜トゥオネラの白鳥》は、感傷も幻想も超えた次元の作 品です。オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の、冷静であくこ とのない追求もまた、壮挙というべきでしょうか。 ドイツを中心としたドイツ的観念が、やがて病みおとろえる頃、20世 紀を迎えて、近代音楽のふたりの旗手が、フランスにおいて、フランス ならではの登場です。 13才年長のドビュッシー(1862〜1918)がひそかに満を持して発表し たピアノのための《影像・第1集〜水の反映》をギーゼキングの独奏で 再現してみましょう。 後輩ながら、実は5年先に、同じ意欲とひらめきをもっていた、ラヴ ェル(1875〜1937)の《水の戯れ》を、ソビエトのピアニスト、リヒテ ルによる、カーネギー・ホール実況盤で聴くことにします。いずれも、 近代音楽が現代の音楽たらんとする指向を、大胆卒直に示しています。 「私は過去を怖れない」と宣言する現代の作曲家、武満徹(1930〜) は、かずかずの挑戦に、才気と知性をかたむけています。その《水の音 楽》では、演奏者も楽器も不在です。録音技師とアンプがそれに代って、 実際の水の音を再現するのです。作曲家自身は、集められたテープを、 切りきざみ、貼りあわせておよそ誰の介入も許さない、水そのものの実 在を考えつづけたにちがいありません。従来の音楽にまつわる、すべて の観念が、あらためて問われたことは、いうまでもありません。 (次回は8月12日/木曜日です) ── 《レコード・サロン�� 19710708 Awa Library Report No.6》19710801 ◆ 19710812 レコード・サロン�� 〜 Paper Concert 〜
── ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第4番》グールド独奏、バーンステイン指揮、 ニューヨーク・フィル ── ドヴォルザーク《交響曲第8番》ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団 ── ブラームス《交響曲第4番》 ── シベリウス《ヴァイオリン協奏曲ニ短調》オイストラフ独奏、オーマンディ指揮、 フィラデルフィア管弦楽団 ── ハイドン《弦楽四重奏曲:ひばり》 ── シューベルト《アルペジォーネ》ロストロポーヴィッチ、ブリトゥン ── マル・ウォルドロン《名演集〜レフト・アローン》 ── ピンク・フロイド《モア》
毎月第2木曜・7〜8時半(於・京都トヨペット本社ロビー)入場無料 ── 《レコード・サロン�� 19710812 Awa Library Report No.6》19710801 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001231 《虚々日々》目次 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20060729)
| 1971年07月03日(土) |
GATO 〜 また逢う日まで 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710703 その夜(1971011.)は、こういう会話だった。 「アイダ先生は、とても頭がいいんだ。こないだ会ったとき、眠れない 夜に先生の《敗者の条件》を読みました、と話しかけたら、先生いわく “ぼくは夜の敗者を書いたんやないで”と返された」 ここで四人は、なごやかに笑いあった。つぎのやりとりまでは。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970917 ── 《敗者の条件 〜 アイーダ先生との対話 〜》 (浄守 志郎/田中 義雄/大幡 季生) ── 《十字屋夜話 〜 故旧忘れ得べし 〜》十字屋余話(草稿) 19710415 Let'19710422 from Mrs. 斉藤 良子(良太郎の母) ── 《客太郎 〜 サロン・ド・ボヴァリー 〜虚々日々》P041 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710217 ── 《いそがしい指 19710415 関西モーツァルト協会々報・第一号》 19710703 岩淵 竜太郎/浄守 志郎/田中 義雄/小林 某(浄守氏の娘婿) ── 《アワライブラリ・レポート No.4 19710701 Awa Library》 19711126 ── 《あまちゅあ・かっぽれ 19711215 関西モーツァルト協会々報・第三号》
◆ GATOクラシックサロン(毎週土曜日)19710703-0731 18:00-23:00 チェロ 白石 将 ピアノ 阪田 誠康 Aプログラム(3日・17日・31日) 1 クープラン 演奏会用小品集 2 バッハ 無伴奏組曲 第一番 ト長調 3 ベートーヴェン チェロソナタ第三番 イ長調 Op.69 4 ブルッフ コル=ニドライ Op.47 5 サン=サーンス 白鳥(動物の謝肉祭より) Bプログラム(10日・24日) 1 ヴィヴァルディ チェロ協奏曲 ホ短調 2 ボッケリーニ チェロソナタ イ長調 3 ブラームス チェロソナタ 第一番ホ短調 Op.38 4 ポッパー ガボット 5 サン=サーンス アレグロ・アパッショナータ (誤=アパッレョナータ) ──────────────────────────────── レストラン<ガト>京都西賀茂・大宮交通公園前 TEL(492)4578 営業時間 PM 5:00〜PM11:00(日祭日)AM11:00〜PM11:00 1Fティールーム(AM11:00〜PM11:00)月曜日定休
1910‥‥ カザルス(34)ウィーン公演で弓を飛ばす。 1917‥‥ カザルス(41)クライスラー他「ニューヨーク・ベートーヴェン協会」設立 19701216 ベートーヴェン生誕200年《ベートーヴェン・ダイジェスト》構想 19710703 白石 将 (3.)GATO《無伴奏組曲》で弓を飛ばす。 20060127 モーツァルト生誕250年
Beethoven,Ludwig van 17701216 Duitch 18270326 56/17701215-1217 Mozart,Wolfgang Amadeus 17560127 Austria Wien 17911205 35 / “神童”“ザルツブルグの巨匠” 宝暦 5.1226〜寛政 3.1110 /水銀中毒死=水曜/悪性のチフスor毒殺説 《Motet“Exsultate jubilate”K.165,17730117》 《Concert for Horn,18‥》《Flute Quartett,》
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20060109-0111-0127-20070212)
| 1971年07月01日(木) |
弓弦十話 (その3) |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710701 ■ ピアニスト
共鳴現象を応用して、開放弦にヴィブラートを与えることも可能であ る。 開放弦をそのまま弾くと、その音だけ無表情になるし、それがもし最 低弦(チェロの場合はC)であれば、押えるわけにもいかず、どうして もヴィブラートがほしい、という場合の方法である。それには隣の高い 方の弦(チェロの場合はG)上のCを押えて、ふるわせるだけでよい。 すると共鳴と非共鳴が、交互に生じるので、いちおうヴィブラートと同 じ効果が得られる。 ヴァイオリンの例で、メンデルスゾーンの《協奏曲》に数十小節、延 々と最低弦をひっぱる部分がある。これをもしヴィブラートなしでやる と、あの華麗なロマンティシズムが活きてこない。というより、独奏者 があんまり単調な操作をしていては、観衆、聴衆だってつまらない。無 心にヴィブラートに専念している姿が、いかにもロマンティックではな いか。 ノン・ヴィブラートを、意識的に用いた例では、ヨアヒムがベートー ヴェンの《協奏曲》で、作曲者の指定<ドルチェ、甘く>を無視したと いう伝説がある。 第1楽章のカデンツァの直後、第2主題の部分であるが、もともと回 想に身を委ねる風情あるいは、過去の斗いに力つきたような、印象的な 再現である。 これを、わざと無表情に、ある虚しさとともにノン・ヴィブラートで 奏するという、ヨアヒムの非凡な試みは、事実とすれば興味が深い。 いったいに、古典音楽では、人声と弦楽器をのぞいて、とくに管楽器 にヴィブラートを認めない。たとえばトランペットとかクラリネット、 オーボエなど、感傷的なメロディーを吹く場所でも、ヴィブラートは原 則として認められていない。どういう理由によるものか。 弦楽器群が、一斉にノン・ヴィブラートでやるとどうなるか。現代も のには、そういう指定もあるにちがいないが、適当な例が思い出せない。 代りに、ひとつの例をあげるなら才能教育研究会が例年、デモストレー ション的に催おす大演奏会では、数百人の豆ヴァイオリニストたちによ る全斉奏がある。ヴィヴァルディの《イ短調コンチェルト》などが、世 にも奇妙な響きで伝わってくる。 ──────────────────────────────── メンデルスゾーン《ヴァイオリン協奏曲》のカデンツァは、ほとんど バッハ《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ》から、とくにシャコンヌ における奏法を取りいれている。 ヒトは、赤ん坊のとき部屋の中のすべての反響が聞こえるという。長 じて、生活に必要のない残響を、だんだんカットしていく。 ── 《たけしの万物創世記・最終回 20010320 19:00-20:00 TV》
■ 化石
シューベルトの《アルペッジョーネ・ソナタ》は、チェロのための作 品ではない。 ギターと同じ調弦(譜例4)で、チェロのように奏する、という発想 で作られ、名づけられた楽器のための、おそらく唯一の作品とされてい る。 思いつきそのものは、なかなか合理的で、当初は、無限の可能性を秘 めていた、と思われる。6本の弦があれば、かなり複雑なコード(アル ペジオ)がこなせるし、4度調弦だから、運指法は有利になる。 シューベルトは、この楽器の発明者に依頼され、折からカロリーネ伯 爵令嬢との恋の出合いの夏に、これを書いた。楽器そのものの有用性を、 つとめて誇示する要請があったはずなのに、完成されたものは、とらわ れることのない奔放な、ロマンに満ちた、例によってうたう音楽だった。 そんなわけで、あるいは他の事情もあったのか、せっかくの発明も評 判にならず、この楽器はすぐに姿を消した。 今日では、この曲の音域をカバーできる捺弦楽器として、チェロのレ パートリーになってしまった。ところが、ちょうど弦が1本足りないわ りで、相当な難曲になってしまった。 現代のチェロの演奏水準からいえば、他の途方もない、奔流のような 作品にくらべて、かならずしも、致命的なむずかしさではないが、楽想 のわりには、無理が多すぎる、ということがいえるだろう。 この曲を、ヴァイオリン用に編曲した楽譜もあるが、どうせ1オクタ ーブ上げるなら、ヴィオラの方が、はるかに妥当である。しかし、いず れにせよ曲想にふさわしいかどうかが重要な問題となる。そして、曲想 の変化がどの範囲で、どの程度まで許されるか、という判断がむずかし い。
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5の譜例は、どちらを採ってもよい、という親切な指定であるが、こ の種のルーズな処理は、いうまでもなく出版業者の通例なのであろう。 同じシューベルトのものでも《アヴェ・マリア》のように、アンコー ル・ピースとして自由な発想で編曲された小品もあるし、やはりウェル ヘルミの編曲になるバッハの《G線上のアリア》などに至っては、曲想 の変化そのものに趣向をこらした例、というべきであろう。 バッハ (1685〜1750) については、なぜこうも書くべきことが多いの か。 十年ほど前にきたアメリカ映画《真夏の夜のジャズ》で、バッハの 《無伴奏チェロ組曲第1番》が聴ける、とは誰が予想しただろう。この 予想外の演出をしたのは、プロデューサーであったか、当のチェリスト、 すなわちチコ・ハミルトン五重奏団のメンバーだったのか知るべくもな い。 すぐれた記録映画が成功する要因のひとつに、しゃれた横道とでもい うか、一種の幕間部分で、はっとするようなシーンがかならずある。演 奏を終えたモダン・コンポのひとりジャズ史上にあらわれた最初のひと りであろうチェリストが、楽屋でくわえたばこのまま、《無伴奏》を弾 きはじめる。 無造作なアルペジオが、いかにも無造作にはじまり、やがて熱狂的な リズムに発展していく過程は、焼け焦げるたばこと同様に、しかもいわ ゆるクラシカルな演奏とはまったく異質の展開を遂げていく。 《プレイ・バッハ》など、一連のジャズ・アレンジによるレコードは いくつかあるが、どちらかといえば、実験的な動機が優先していて、こ の場面のように、ジャズ奏者が正面きってバッハを弾く例は、まず珍ら しい。 トランペットのアル・ハートやベニー・グッドマンのように、ハイド ンやモーツアルトの《協奏曲》をそれぞれ演じているが、この場合は多 分に商業的、あるいは試行錯誤からの脱出を目的としているようで、結 局はまゆつば的なのである。 このチェリスト、名は何というのか調べるまでもないが、《組曲・動 物の謝肉祭》における無能なピアニストが、無味乾燥な《チェルニー》 をくりかえすのに比べて、チュリストはいかにも恵まれているようだ。 バッハがチェロという楽器に、とくに肩入れをしたという根拠は、ど こにもない。しかしチェリストにとって、バッハは入口であり究極であ り、チェロにおけるすべての想像力の源を示した作曲家である。 1717年、32才のバッハが書きはじめた《無伴奏》が、全曲を通じて演 奏されるようになったのは 180年ほどの空白ののち、であるらしい。つ まり、1889年、13才のカザルスが、楽譜店の隅から見つけ出し、12年の 研鑚ののちようやく全曲を公開した、というわけである。カザルスの功 績にケチをつけるつもりはないが、その 180年間に、まったく埋もれて いたのではない。省略した形では演奏されていたし、それなりの評価は、 少くともメンデルスゾーンあたりから、あったはずである。 チェロにおける基本的な奏法をふまえて、無伴奏なる制約のもとに書 かれたために、やや地味で演奏効果が低いと思われ、調弦を変えた第5 番や、5弦チェロのための第6番などは、要するに面倒な作品であった のだ。 カザルスの功績をあげるならば、彼の慧眼であるよりも、なんといっ ても演奏精神そのものというべきであろう。演奏家としての読みの深さ と、それを具現する技術の練磨をこそたたえるべきである。 ちょっと話はそれるが、この組曲を1オクターブ上げて、ヴィオラで 弾くことがあるらしい。一種の練習教材で、演奏会向きではないようだ が、演奏者の耳もとで鳴るぶんには音楽そのものの本質的な性格は、十 分に伝わるのだろう。 そもそもヴィオラという楽器のための作品はきわめて少ない。そこで ヴィオラ奏者の中には、バッハの《無伴奏ヴァイオリン》を手がける人 もいるという。この場合は、調子が5度下の、移調となる上に、ダブル ・ストップ(重音奏法)など技術的にも無理が多くて結局は、教材にも ならないそうである。 さて、《第6番》のオリジナル楽器と目される5弦チェロは、ヴィオ ラ・ポンポーザと称してバッハ考案ともいわれている。考案などといっ ても、当時は、ヴィオリーノ・ピッコロ(短3度高い小型ヴァイオリン) とか、ヴィオラ・ダ・モーレ(愛のヴィオラ!6弦)そしてヴィオラ・ ダ・ガンバ(バリトンともいう、現在のチェロにいちばん近い)、その 一種でヴィオロン・チェロ・ピッコロ(小型チェロ)等々、さまざまの 名称で、いわばまちまちに制作され、存在していた。 糸巻きの頭にライオンの首がついていたり、胴の裏側に乳房が浮彫り されたものとか、楽器というよりは、装飾品としての傾向がいちじるし い。 調弦にしても、演奏中にひょいと変えたりする方法も、立派にまかり 通っていたそうですべてが自由で、定まらない時代であった。 それというのも、当時は大ホールで、大聴衆に聴かせる必要もなかっ たし、とにかく音が出さえすればよかったのではないか。したがって、 ストラディヴァリウスなどの、イタリア製の華麗な響きと、豊富な音量 をもつ、近代的銘器が重んじられるようになったのはようやくベートー ヴェン (1770〜1827) の頃からである。 そのベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》から5年のちに初演さ れたのが、パガニーニの《ニ長調コンチェルト》である。これは、もと は変ホ長調で書かれており、独奏楽譜だけはニ長調だった。つまり、独 奏ヴァイオリンだけ、あらかじめ半音高く調弦しておく、という趣向で ある。 なかなか面白いとも思われるが、結局この種のアイデアは、あきられ るのも早いせいかだんだん流行らなくなるとみえて、現在ではこの曲は、 オーケストラともどもニ長調で演奏されている。 パガニーニの鬼才ぶりを描いた伝記映画に、演奏中プツンと弦が切れ、 やがて2本3本と切れて、最後は残る一本だけで、さる難曲を弾きおわ る、というシーンがあったそうで、さすがに八百長めいていて、実際に は不可能であろう。こういう場合、現代の習慣としては、いったんステ ージから引っこんで、弦をとりかえるか、楽器ごと代えてしまう。 化石化した伝説で思い出されるのは、セザール・トムソンというヴァ イオリニストで、彼は、どんな難曲でも、常に平行8度の重音奏で弾く ことができ、聴衆をよろこばせた、という。オクターブ・トムソンの異 名がありおおむねアンコール・ピースで、いくつか用意があった程度の ことと思われる。 是非の論議は別として、今日の演奏会ではこうした一切の演出はまっ たくなくなって、即興性とともに、すべての意外性も姿を消したようで ある。 もっとも、ごく最近のふたつの例はある。 岩城宏之氏の赤ん坊事件、演奏中に赤ン坊が泣き出したので、怒って 中止したとか、やりなおしたとか。もうひとつは小沢征爾氏の第九事件、 第1第2楽章を副指揮者に振らせておいて、第3第4楽章だけ自分で振 った、という。理由は風邪とかで、いずれもいずれやや下世話にすぎ る感がなくもない。 意外性にもいろいろあるわけだが、聴衆がいつも安心して聴いておれ る反面、ここぞと身をのりだすこともない、というのもやはり一種の低 調にはちがいない。
■ 白鳥 / 終曲
大正11年、サン=サーンスの没年、この年ロシアから日本に亡命して きたエリノワ・パブロワという女性がいた。彼女はのちの日本バレー界 の貢献者となったが、その翌年には同じ苗字のアンナ・パブロワが、当 時最盛期のロシア・バレー団一座をひきいて来日したので、ちょっとや やこしい一幕があったそうである。この件については、山田忠男著《風 流洞物語》洛味社刊にくわしい。 いったい、どんな発想がもとになったのか時のディアギレフ一門の名 振付師、フォキンによる《瀕死の白鳥》が、いわば国際的にヒットした 頃である。 そのプリマが、アンナであったのはいうまでもないが、どういうわけ か浅草のコメディアンたちが、この着想に目をつけた。いわく《瀕死の 蚊》、いわく《瀕死の蝿》などである。最近亡くなったエノケンこと故 榎本健一に至っては、公開には及ばなかったが《瀕死のガマ》なる振付 けを、かねて考案していたそうである。さらに、どういうわけか、この 種の茶化したものでは、チャイコフスキーの《白鳥の湖》の音楽を用い ることが多い。 このあたりの因果関係とともに、サン=サーンスとチャイコフスキー が同世代であるだけに、たとえばサン=サーンスが《白鳥の湖》を、い つ知ったのか調べてみたい気もする。 さしあたり、この稿はサン=サーンスに、つつしんで捧げるものであ る。 ( 1970・10・29 改稿) ──────────────────────────────── ジプシー・ヴァイオリン奏者だった亡き妻を追悼して、無量塔 蔵六 氏が“胴の裏側に乳房を浮彫り”したエピソードは、はかま満雄・対談 《日曜喫茶室 1977ca NHK−FM》でも語られた。 《ヴァイオリン 1972 岩波新書》は絶版。 無量塔氏については《私の十冊 197707ca 》その他に詳述。 1974ca《続・弓弦十話》草稿に着手するも未完。
| 1971年06月18日(金) |
清張と瞳と瓔子 〜 Matsumoto, Yamaguchi and Endou 〜 |
┌─────────┐ │ │ adlib/19710618 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19710618 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://awalibrary.blog.ss-blog.jp/ │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
清張と瞳と瓔子 〜 Matsumoto, Yamaguchi and Endou 〜 むかし与太郎は、山口 瞳に「これは手紙です」という題名で、手紙を 出したことがあるが、返事は来なかった。松本 清張の読者として、ほと んどの著作を読んだが、一度たりとも手紙を書こうとは思わなかった。 松本 清張の処女作は“情張”と誤植されたという。ただし、こういう ことも含めて、本人は「なにもかも運が良かった」と総括している。 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101109656 遠藤 瓔子は、高校時代の一年間、机を並べていたが、一言も口を利く ことはなかった。彼女が作家となり、早い時点でホームページを開いて いたので、心やすくメールを出すと「覚えていません」と返答された。 名門中高一貫校で、先生の名を忘れても、与太郎の名を知らない者は いないと自負していたが、彼女の自伝を読むと、金持か有名人の息子は 登場するが、それ以外の同期生に無関心なことが明白だ。 若い頃、青山でクラブ経営していた頃、同窓会の案内には返信ハガキ が来たが、74歳の頃に、恩師の卒寿祝賀会には、返事がなかった。 彼女には“素に戻る”という瞬間がないのかもしれない。 往時の女優・円山 栄子は、同窓会の受付で「水谷 大和さん」と呼び かけると、驚いた表情をしたが、結局ひとことも話さなかった。 https://www.weblio.jp/content/%E5%86%86%E5%B1%B1%E6%A0%84%E5%AD%90 ♀円山 栄子 女優 19390327 京都 /日舞=花柳 景升/籍=鳥居 恭子/旧姓=水谷 大和 Ex libris Web Library;大川 橋蔵 & 円山 栄子 20091018(署名日) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BF%E5%C3%AB+%C2%E7%CF%C2 いまみるに、円山 栄子は、遠藤 瓔子より一学年さきである。与太郎 が小学校で休学・留級したように、なにか事情があったのかもしれない。 あきらかに粋筋で、控えめだったが、隠れファン“K”は実在した。 一方の遠藤 瓔子は、イタリアの肉体派女優“和製ナントカ”の異名 があった、と自称しているが、いままでのところ該当者が思いだせない。 (マリナ・ブラディ or ヴラディ?) ♀Vlady, Marina 19380510 France /籍=Poliakoff-Baïdaroff, Marina De ── 《洪水の前 Avant le déluge 19540226 France Italy 19540429 19551129 Japan》 ── 《恋愛時代 Giorni d'amore 19541001 Italy 19560626 Japan》 ── 《不良の掟 Pardonnez nos Offenses 1956‥‥ France 19560911 Japan》 ── 《罪と罰 Crime et châtiment 19561204 France 19570426 Japan》 ♀遠藤 瓔子 作家 19391128 神戸 /安部 譲二の前妻/きもの工房 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20021018 遠藤文庫 〜 空飛ぶ金魚女 〜 安部 譲二 作家 19370517 東京 20190902 82 /籍=直也 [B] 〜《塀の中の懲りない面々》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20060701 ── 《これは手紙です Let'19710618 to Mr.Yamaguchi,Hitomi》 山口 瞳 作家 19260119-1103 東京 19950830 69 /〜《江分利 満氏の優雅な生活》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BB%B3%B8%FD+%C6%B7 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20020804 松本 清張 作家 19091221 福岡 東京 19920804 82 / http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BE%BE%CB%DC+%C0%B6%C4%A5 (20220617) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ YMDay(20220617)last up dated.
| 1971年05月03日(月) |
邪宗門忌 〜 すれちがった右や左の人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710503 Ex libris Web Library;高橋 和巳&岡本 和子 19541103 結婚式 http://tiaokumura.exblog.jp/10969631/ 奥村 隆信“邪宗門忌”ひとり語り
遠藤 周作 作家 19230327 東京 19960929 73 /〜《沈黙》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JABMF8 http://twilog.org/awalibrary/search?word=%E9%81%A0%E8%97%A4%20%E5%91%A8%E4%BD%9C&ao=a ♀高橋 たか子 作家 19320302 京都 茅崎 20130712 81 /旧姓=岡本 和子(Takako 和巳の妻) /1975‥‥ 遠藤 周作のすすめでカトリック受洗 http://prizesworld.com/akutagawa/kogun/kogun63TT.htm 高橋 和巳 中国文学 19310831 大阪 京都 19710503 39 / 196706‥ 京都大学文学部助教授(妻は同行を拒否し鎌倉に残る)。 196903‥ 大学闘争中、学生側を支持して辞職。
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JA6LFE ── 高橋 和巳《悲の器 19670825-19671210 新潮文庫》 ── 《悲の器 19630705 20:00-21:00 TBS》近鉄金曜劇場 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101124035 ── 高橋 和巳《邪宗門(上)1971‥‥ 新潮文庫》1965 週刊誌連載 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B9%E2%B6%B6+%CF%C2 高橋 和巳(=正/誤=)高橋 和己(1967ca‥ すれちがった人々) 椎野さんが、高橋 和己教授とバー・ちぐさで話し合っていたので、 与太郎は「ボクの勘定に入れるように」と(おタカさん)に云った。 一種の表敬だったが、椎野さんは何度も礼をいって、あげく行きつけ のクラブに招待してくれた。いま思いだすに、与太郎は教授との話に加 わりたかったのに、椎野さんは邪魔されたくなかったらしい。 与太郎は《邪宗門 196501‥-196605‥ 朝日ジャーナル》連載時には 読まなかったが、バックナンバーを所蔵した。NHKプロデューサーも 実際に本を買って読むより著者献呈を待っている者が少なくなかった。 別稿に既述(日放労のエピソード)のとおり、椎野さんは外見に似合 わず、学歴偏重の傾向があり、あとで知ったところでは、父上が左翼の 論客だったらしい。いまの有田 芳生のような環境に育ったようだ。 のちに王 貞治や松方 弘樹のような有名人が、さほど親しくない者に 代って勘定を払って帰るという「粋な計らい」が常態化していたそうだ。 なんとでも解釈できるが、たがいの「顔を立てる」文化かもしれない。 0503“邪宗門忌” 高橋 和巳 19310831 大阪 東京 19710503 39 / http://d.hatena.ne.jp/adlib/20151130 文学忌一覧(新暦月日)
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_note.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19710503 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
(20170212) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1971年05月01日(土) |
弓弦十話 (その2) |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710501 ■ 森の奥のカッコー / 大きな鳥篭
弓でこする弦楽器は、近代以降ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コ ントラバスの4種にしぼられてきた。コントラバスだけが4度調弦で、 他はいずれも5度調弦である。
ヴァイオリン □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 譜例1 ヴァイオリン属の調弦
ヴァイオリンとヴィオラの場合、第1ポジション(親指の位置が、い ちばん先端にある状態)で、人差指から順に1度づつ押えていくと、小 指の位置で5度、つまり次の開放弦と同じ音程をとらえることが可能で ある。 同じ5度調弦でも、チェロでは、弦の長さが倍ほどになり、指と指の ひろがりを、はるかに要求され、この場合には1度たりなくなる。 コントラバスでは、さらに1度たりないので、やむなく4度調弦とな っている。 単純に運指法だけの都合でいえば、チェロを4度に、コントラバスを 3度に調弦した方良いはずである。手首を返さずに、しかも太く強く張 った弦を、しっかり押えるには、小指だけでは弱いので、薬指さらには 中指まで動員することになる。 ヴァイオリンやヴィオラのように、軽々と華やかなパッセージを速く 奏することは、及びもつかないことにちがいない。ところが、近代のチ ェロ奏法に、その可能性を求めようとしたのが、カザルス (1876〜)で あった。
……ジプシーの演奏法には驚くべきものがある。彼らの《プリマス》 を聞くと、技術的にみて、いったい彼らもわれわれと同じ人間なのだ ろうかと自問せざるをえない。私が聞いた《プリマス》のなかで、ト リアンスキーというセロひきがいたが、左手の指を広げる私と同じ指 使いを、彼は音楽的直観からひとりで考えついてやっているのをみて、 ほんとうに驚いてしまった。技術的にいってこのジプシー、トリアン スキーに比肩し得るどんなセリストをも知らないし、彼の鳴らすセロ の音も、音色といい、張りといい、これまたすばらしいものだった。 彼はひとりで四つのセロをいっしょにひいているような印象を与えた。 彼の指使いは第一ポジションですら、ヴァイオリンと同じようにひい ていたが、彼の指のひらく範囲はそれほど広かったのだ。 ……コレドール著・佐藤良雄 訳《カザルスとの対話》白水社・刊から
ヴァイオリン属の調弦が、近代楽器としてほぼ固定するまでに、少く とも百年はかかっている。そのあとでも、チェロに関するかぎり、もっ と容易に弾けないか、という不満は続いていた。コントラバスの場合は、 あまりに大きすぎるために、4度に甘んじて沈黙しいたが、チェロの場 合、数々の名曲、バッハの無伴奏はじめ、ほとんどの作曲家から、さま ざまの挑戦を受けることになった。 ブラームスも羨望した、と伝えられるドボルザークの《協奏曲ロ短調》 をみても、独奏チェロの最初の叫びが、左手をせいいっぱいひろげてい るのは、なんとはなく象徴的ではないか。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 譜例2 ドボルザーク《チェロ協奏曲・ロ短調》
話を戻さなくてはならない。コントラバスは沈黙させておこう。 チェロが、5度調弦を強いられた、たったひとつの理由は、ヴァイオ リン、ヴィオラに準ずる、というよりは、共鳴ないし残響の点において でなかったか。 共鳴音が、一定の静けさのなかで、いちばんよく響くのがチェロであ る。共鳴は、概して低い方からの影響が強く、たとえばコントラバスの G弦と、チェロのG弦は同じ音程であり、どちらかが強く弾くと、他方 は何もしなくても共鳴する。 こうしたこだまのような現象は、とくに無伴奏の場合に、4本の弦の なかで、しばしば生じることになる。ある音高を弾いた場合に単音のつ もりが、もしどれかの開放弦と同じ音程あるいは8度音程であれば、そ の瞬間、二本の弦が鳴っているわけである。 もうひとつの場合は、オーケストラないし弦楽奏における例である。 チェロとコントラバスは、永い間、8度平行で、ともかせぎしてきた。 両者を、それぞれの働きに独立させた最初の作曲家を、かりにベートー ヴェンだとすれば、その《運命シンフォニー》に、顕著な例をみること ができる。 第2楽章、80小節に、両者のCがフォルテで居のこる部分がそれであ る。
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()内のCは、今日では5弦あるいは可変調弦式のコントラバスによ って出し得る、最低音で、もちろん開放弦である。ベートーヴェンの時 代でも、用いられていたであろうしこの部分に限っては、とくにそれを 要求したにちがいない。 このあたりになると、可聴音域の限界に近いせいもあって、レコード でも実演でも、楽譜から想像されるほど、鉛のごとき重々しさは聴かれ ない。ましてベートーヴェンは耳が悪かったし、彼にあっては、他の多 くの部分と同様に、想像力だけで書いたものと察しられる。 しかし、これを弾いているチェリスト、コントラバス奏者は、いやで もその意図を感じないわけにはいかない。かりに20本の弓で、弾いた場 合、4の指(小指)を離さなければ40本の弦が鳴るわけである。そして、 おそらく誰も離さないはずである。 おおげさにいえば、あるいは耳の秀れた人なら、ヴィオラのC(やは り開放弦)も鳴っているのが聴こえるかもしれない。
| 1971年04月20日(火) |
百鬼夜行 〜 内田家の人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710420
内田 榮造 1 百�里料追� 18‥‥‥ 岡山 18‥‥‥ ? /志保屋店主 ♀内田 竹 百�里料鎚� 18‥‥‥ 岡山 1920‥‥ ? / 内田 久吉 1 百�里良磧� 18‥‥‥ 岡山 1905‥‥ ? /志保屋倒産 内田 百�痢 ‐�説/随筆 18890529 岡山 19710420 81 /籍=内田 栄造 2 別号=百鬼園(漱石の妻・鏡子は“借金”と呼んだ)〜摩阿陀会(誤=間阿陀会) ♀内田 清子 百�里料虻� 1893‥‥ 岡山 1964‥‥ 71 /1912結婚、1925別居 /中学時代の親友の妹、旧姓=堀野〜恋日記 ♀内田 こひ 百�里慮綺� 1907‥‥ 東京 19870805 80 /旧姓=佐藤/1929合羽坂で同居1965入籍 内田 久吉 2 清子の長男 1912‥‥ 岡山 1936‥‥ 24 / ※ノラ 内田 百�里痢蘿� 195.‥‥ 東京 19570327 ? /失踪〜《ノラや》 ※クルツ 内田 百�里琉η� 195.‥‥ 東京 196.‥‥ ? /病死〜《クルやお前か》
摩阿陀会&御慶の会 ── 還暦を迎えた翌年から、彼ら教え子や主治医、元同僚らを中心 メンバーとして、毎年百�里涼太呼�である5月29日に、摩阿陀会(まあ だかい)という誕生パーティーが開かれていた。摩阿陀会の由来は、 「百�寮萓犬隆堽颪呂發�祝ってやった。それなのにまだ死なないのか」、 即ち「まあだかい」に由来する。ここにも百�琉賣�のユーモアと諧謔を 垣間見る事が出来る。黒澤明監督による映画「まあだだよ」はこの時期 を映画化したもの。 なお、この摩阿陀会に対する返礼として、百�里� 自腹で御慶の会を正月三日に同じ会場(東京ステーションホテルがその 主な会場となった)で催し、摩阿陀会会員に対する返礼とした。 ── Wikipedia ── 黒澤 明《まあだだよ 19930417 大映=電通=黒澤プロ》 ── 故郷の岡山県への愛郷心は人一倍強く、岡山での幼少時の思い出 を幾度も繰り返し書き続け、阿房列車の旅では岡山駅のホームを必ず踏 み、窓から風景を凝視するほどであった。大手饅頭をはじめ、岡山の食 べ物にも強く思い焦がれていた。しかし「移り変わった岡山の風景は見 たくない」「大切な思い出を汚したくない」として、恩師の葬儀(駅か らタクシーで乗りつけ帰路はそのままとんぼ返りした)以外は決して岡 山に帰ろうとはしなかった。死後、遺志により分骨されて先祖代々の墓 に納められ、やっと帰郷が叶うこととなった。── Wikipedia ── 女優高峰秀子は最も愛読する作家として百�里量召魑鵑欧討い襦� ── Wikipedia 19310529 学生の操縦による青年日本号訪欧飛行を計画・誕生日に出発 1933‥‥ 随筆集『百鬼園随筆』を刊行、「法政大学騒動」を機に法政大教授を辞職。 百�里鯆匹そ个靴真惘弔砲録硬珍霾燭箚惴�存男がいた。以後文筆業に専念。 1959年(昭和34) 小説新潮に『百鬼園随筆』を連載開始。死の前年まで続く 1967年(昭和42) 芸術院会員に推薦され「イヤダカラ、イヤダ」と断る。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19781004 どっちが旨いか? 大手饅頭と吉備団子 http://q.hatena.ne.jp/1127311932#a409436 ノラの迷い猫広告 <2007年4月21日(土) 05時26分>
| 1971年04月15日(木) |
初出例 〜 副題をチルダ(波線)で括る 〜 |
Ex libris Web Library;アワ・ライブラリー・レポート 第4号の4.jpg http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710415 はてなの質問(2003 以後)が終ると、つぎのようなメールが届く。 …… adlib さんの質問が終了しました。 下記URLから質問・回答の詳細をご覧いただけます。 http://q.hatena.ne.jp/***b 質問情報 〜〜〜〜〜〜〜〜 質問内容:***c …… 波ダッシュ(なみダッシュ、wave dash)とは、日本語表記にお ける約物のひとつで、波線「Wave Dash.svg」(なみせん)を指してい る。ダッシュ記号(—)の波形であることからそう呼ばれる(Wikipedia)。 上記メールの「質問情報〜〜〜〜〜〜〜〜質問内容」は化けないのに、 「質問内容」以下の「〜」は、なぜかすべて「?」に化けてしまう。 すなわち、与太郎の「サブ・タイトル」としての用法が、崩壊する。 理由が分かったところで、過去すでに一万回も用いてしまったので、 いまさら方針を変えるわけにいかない。 そこで、この用法の「初出例」を挙げておく。 …… いそがしい指 〜 小林道夫リサイタルのあとで 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710217 ── 《関西モーツァルト協会々報・第一号 19710415》 この用法については、2ちゃんねるで、しばしば揶揄された。 http://q.hatena.ne.jp/1177942936#c200751(20110510 03:47:46) 難問奇問 〜 4年後、6年後に読みかえして 〜 …… この設問は、クレジット決済とポイント送信に、回答拒否のシス テムが絡むので、いわば三すくみの謎々です。二人の回答者は、空想に よるアドバイスに挑戦されたので、最後まで噛みあわなかったようです。 このたびの検索中に、下記の書込みを発見しました。 なるほど、多くの閲覧者が首をかしげているらしいことが分りました。 ざっと読んで理解できないときは、なるべく読みとばしてください。 522 名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 2004/12/10 09:37:34 ID:D/Vh3G1F http://q.hatena.ne.jp/1102606691#c18071 ポイント配分が良くわからん あとadlibって変な人? 質問がいつも良く意味がわからん http://www.nihongodeok.net/thread/ex9.2ch.net/test/read.cgi/net/1100790853/ 318 名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 2007/10/02 21:04:44 ID:fCreCiFr http://q.hatena.ne.jp/adlib/ 前から思ってたんだが このadlibっていう人はリアルで頭がおかしい人? http://yomi.mobi/read.cgi/temp/ex23_net_1186755125/301-400 (追記) 毀誉褒貶 〜 蓼食う虫 〜 http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1213236830/1-17 15 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2008/06/15(日) 16:51:27 ID:ozed3ZbjO adlib って何者?
https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F) http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/ | http://twitter.com/awalibrary(ツイッター) http://twilog.org/awalibrary(ツイログ) http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ) | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19710415
(20160605) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1971年04月11日(日) |
ややこしや 〜 第九交響曲 ニ短調 終章“テ・デウム”ハ長調 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710411 http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities http://twitter.com/awalibrary http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19710411 Ex libris Web Library;河野 仁昭 20101024 http://kyotososeki.at.webry.info/201105/article_5.html 夏目漱石サロン 京都漱石の會 漱石の最後の京都 http://booklog.jp/entry?keyword=%E6%B2%B3%E9%87%8E%E4%BB%81%E6%98%AD&service_id=1&index=All 河野 仁昭 詩人 19290503 愛媛 京都 20120220 82 /19710411 青人会/同志社史資料室長 http://neesima.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-18aa.html さきごろ、青人会で名刺交換した河野 仁昭氏から電話があった。 「テ・デウム」について調べているという趣旨だが、何を知りたいのか、 よく伝わらないままに終った。もちろん与太郎は、何一つ知らなかった。 とりあえず《名曲解説全集 18》の索引(P141)に [Bruckner 16-85] の一行だけ載っていた。現在のウィキペディアには、次の数曲がある。 …… 演奏会で歌われる作品としては、シャルパンティエやベルリオー ズ、ブルックナーによるものが著名。この他、ブライアン交響曲 第1番 「ゴシック」やミヨーの交響曲 第3番「テ・デウム」のように交響曲の テキストとして用いる例もある(Wikipedia)。 ── Bruckner, J. A.《Te Deum in C 18860110 Austria》 ── Bruckner, J. A.《Symphony No.9 in D 18941130 Austria》レーヴェ25指揮 19030211 初演 ブルックナー72+7《交響曲第9番ニ短調》レーヴェ37指揮(誤64) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19680411 《初演年譜》1901〜
Bruckner, Josef Anton 18240904 Austria 18961011 72 / Richter, Hans 18430404 Austria 19161205 72 / Löwe, Ferdinand 18650219 Austria 19250106 59 /
18850502 初演 ブルックナー《テ・デウム ハ長調》ブルックナー60指揮/2台ピアノ伴奏 18860110 初演 ブルックナー《テ・デウム ハ長調》ハンス・リヒター指揮/管弦楽 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%C6%A1%A6%A5%C7%A5%A6%A5%E0 …… 1894年、ウィーン大学の講義においてブルックナーは、交響曲第 9番(当時第3楽章までほぼ完成)が未完成に終わった場合には自作の 『テ・デウム』を演奏するように示唆したと伝えられる(Wikipedia)。 …… ブルックナー《交響曲第9番“テ・デウム”20130407 ミューザ川崎 シンフォニーホール》リニューアルオープンコンサート ユベール・スダーン指揮/東京交響楽団/合唱…東響コーラス | ソプラノ…サビーナ・フォン・ヴァルター,メゾ・ソプラノ…白井 光子, テノール…チャールズ・キム,バス…パトリック・シンパー。 ── 《クラシック音楽館 20130623 21:00-22:56 NHKe》 (20130623)
| 1971年04月01日(木) |
弓弦十話 (その1) |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710401 〜 組曲《動物の謝肉祭》によせて 〜 阿波 雅敏 ■ 序奏と獅子王の行進曲 サン=サーンス (1835〜1921) の発表した評論集《和声と旋律》が、 時のワーグナー派に、さんざんけなされて、苦りきっていた頃の作品が 《組曲・動物の謝肉祭》である。 ちょうど、その 101年前にはモーツアルトが、ディヴェルティメント 《音楽の冗談》を書いており、主として作曲技術上のルール違反やあや まりを、わざと誇張して、世の愛好家や、知ったかぶりの素人どもを、 暗に皮肉っているのに対して、サン=サーンスのこの曲は、もう一歩踏 みこんだところに、その意図が感じられる。 この種の、いわば聴衆の博識に依存、あるいは迎合する試みは、たと えば山本直純氏の《交響曲・宿命》などのように、衆知の名曲を安易に メドレーした例もあるが、率直にいって、二度と聴くに耐えるものでは ない。 それでは《組曲・動物の謝肉祭》が、再度聴くに価するか、というこ とになるが、全14曲のうち、第13曲目の《白鳥》だけが、何のてらいも ない、真面目な気品と格調を備えており、作曲者が生前に出版を許した、 唯一の作品であったことを、まず確認したい。 この組曲、もし《白鳥》の用意がなかったら、たとえ小さな地方都市 でのコンサートにせよ、51才の大作曲家の、書きおろし新作として発表 するに至ったかどうか。 おそらく《天国と地獄》のテーマによる、あの軽薄なフィナーレの前 に、満々たる自信のもとに、絶妙の佳品を配したのは、すでに後世に残 す効果を、図ってのことかもしれない。 ヨーロッパの俗説に、白鳥は、死の直前にひとたび鳴く、と伝えられ、 たとえばモーツアルトの《クラリネット協奏曲》や、シューベルトの 《白鳥の歌》があることを、51才のサン=サーンスが意識しないはずは なかった。 おりしも謝肉祭、作曲家あるいは演奏家として、あぶらの乗りきった 年代にありながら一時的にもせよ、楽壇から閉めだされた彼がその傷心、 自尊と自重のうちに、結局は才気の向かうところ、諧謔でしかなかった のであろう。加うるに、卓抜した社交的神経、友人であり音楽会の主催 者でもあったチェリストへの、《白鳥》は無類のプレゼントでもあった。 わたくしごとで恐縮ながら、《白鳥》をこの手で弾きたいばかりに、 17才の時チェロを買いもとめ、以来3年間というもの、無法を百も承知 で《白鳥》ばかり弾いたものである。 私が音楽について、何かを述べようとするには、どうしても《白鳥》 から始めなければならないし、チェロないしは弦楽器でなければならな い。 《動物の謝肉祭》における各曲の題名を借りての十話、以下に閑話九題。 ■ 雄鶏と雌鶏 かりに、白鳥ファンという人たちが、他にもいるとすれば、往年のア メリカ映画《カーネギー・ホール物語》に登場したチェリスト、ピアテ ィゴルスキーの雄姿を、とるものもとりあえず記憶されているはずであ る。 その演奏もさることながら、舞台後方に、ずらり居ならぶ美女数人、 いずれも薄衣をまとってのハーピストたち、まさに百聞一見、この曲の 優雅な雰囲気を、いやが上にも高めていた。 原曲は、独奏チェロと二台のピアノ、これだけでも豪華なのに、輪を かけたぜいたく。ちなみに、この羨望さるべきチェリストは、希代のヴ ィルティオーゾであるとともに、全米三美男のひとりとして、時のアイ ゼンハワー大統領および俳優のアンソニー・クインと並び称された男で ある。 もっとも、ピアニストのカーメン・キャバレロを筆頭とする、もう一 組の三美男もいたわけで、いずれがいずれであったのか。 ■ ロバ / カメ ……すぐれた作曲と指揮の才能を怪し気な 理論でそこなっている彼。 ……うんざりさせる彼。 米誌《タイム》によれば、その彼こそは、かの伊達男レナード・バー ンスティンだそうである。うんざりさせる連中として列挙されているの は、たとえば《プレイ・ボーイ》編集長、レノンとヨーコ、バートンと テーラー、等々で、バイロンによれば、世にうんざりする種族と、させ られる種族とがあるそうな。 それはともかく、バーンスティンは、この《白鳥》を、こともあろう に、コントラバスで弾かせることを思いついた。 たぶん彼は、全14曲をことごとく戯画化し、その統一を図ろうとした のであろう。その種のサーヴィス精神でもあるし、その意図は成功した とみえて、レコードは売れているらしい。 だがサン=サーンスが聴いたら、何というだろうか。 ある作曲家が、ある楽器に関して、固有の反応あるいは指向性を脱す ることができないと断定すれば、たとえば《チェロ協奏曲イ短調》《チ ェロ奏鳴曲》、小品の《アレグロ・アパッショナータ》等を通じていえ ることは、あくまで中音域を主とする、運弓の美しさ、耳ざわりのよさ、 旋律の明快さ、などにその特徴がある。いわゆる困難な部分は、見あた らない。単に奏法上のランクからいえば初級どまりである。したがって 《白鳥》を3年間練習してみても、技術的には何の上達も得られない─ ─再び、わたくしごとでいえば、だから私は、たった3年間で、チェロ をあきらめてしまった。 その《白鳥》を、コントラバスで弾くとどうなるか。教科書風の解釈 でいうと、この曲の描かんとする情景は、浄々とした湖面にうかぶ白鳥 一羽、ふとみるうちに、たおやかに飛びたちゆく瞬時の絵姿であろう。 そもそもコントラバスの音色はくすんでいて、もし軽妙たらんとすれ ば、おどけて聴えるし、イキがってみれば、ヤボに近づく。甘い旋律を 甘々しく奏でるには、どうにも不向きなのである。 これをバーンスティンは、逆手にとったのであろう。しかも、彼ほど の知性派である。議論好き、といってもいいだろう。これほど人気の定 着している佳品を、あえて曲げたからには、それなりの、こみいった理 由があるやも知れぬ。かといって本人に確かめる手だてもなく、他愛も ない推測にすぎないのだが、《白鳥》の前の、第12曲《化石》への仲間 入り、ではなかったか。 彼自身の語りによると“これはちょっと違うコントラバスです。歌う コントラバスなんです。これはゲーリー・カー君の演奏です。カー君は、 20才にしてすでにこのめんどうな楽器の大家です”とことわっている。 ■ 象 / カンガルー ……音の高さの差を音程といい、二つの音の振動数の比を表わす。振 動数の比が1のとき1度音程、2のときを8度音程またはオクターブと いう。オクターブの音は基音と同じ感覚を与える。……某百科辞典から
同じ感覚とは、おそらく他に表現しようがないのであろう。まったく 同じではないし、同じような感覚でもないのである。電気的な純粋音と か、ピアノのような減衰音の場合でも判別できるのだから、ヴィヴラー トにつつまれた弦楽器では、さらに顕著である。 十数年も前の記憶であるが、ラジオの《こども音楽会》とかで、小学 の演奏による、《白鳥》を聴いたことがある。 それは、まさしくノン・ヴィヴラートで、しかも1オクターブ下げて いた。たぶん4分の3か、4分の2の小型チェロで、演奏者は習いはじ めて1年か2年の、豆チェリストと思われた。 この段階では、ファースト・ポジション、つまり左手の親指がいちば ん低いところで、位置を変えることなく《白鳥》を弾こうとすれば、1 オクターブ下げるのは当然である。 たしかに当然なのだが、先にあげたコントラバスよりもさらに、鈍重 な響きになることも避けがたい。浄々たる湖面が、泥々たる泥沼になっ てしまう。 かたいこと、をいえば、女声の低音域と、男声の高音域は、同じ音程 であっても、似て非なるはずである。そのあたりを巧みにごまかす面白 さが、物真似の淡谷のり子であったり、美空ひばりであったりする。余 談になるが、たとえばバーブ佐竹の唄う《女心の歌》とか、菅原洋一の 《知りたくないの》などの歌詞は、あきらかに女声語で書かれていて、 野太い男声で、女々しく歌いあげるところがミソであるらしい。 先の例と逆で、1オクターブ上げた例は、かなりあった。 交響曲から《枯葉》まで、アメリカ随一の器用な指揮者、コステラネ ッツの演奏した組曲は、当時最盛期のマントヴァーニ・スタイルによる、 ヴァイオリン群の華麗なさざめきに代えていた。全曲、英語詩の朗読を 付してそれなりに雰囲気をもりあげていた。 原曲以外の音域で演奏してはいけない、という法はないのである。 ■ 水族館 盲目の作曲家、宮城道雄 (1894〜1956) の回想に、こんなエピソード があった。筝匠があるとき、楽屋で琴を奏でていると、誰かがじっと聴 きいっている気配がする。やがて、それがチェロのピアティゴルスキー であると察しられたが、彼は何かを探しはじめて様子である。何を探し ているのですか、とたずねれば、ここにチェロは置いていないか、とい う。あなたのような大家に、弾いていただけるような楽器は、どのみち ございません、と師が恐縮するうちに、彼はどこからか、古いコントラ バスを代りに見つけだしてきた。 そして、筝匠をうながすや、悠然と《春の海》を弾きはじめたという。 《春の海》は、もともと昭和7年に来日した女流ヴァイオリニスト、 ルネ・シュメーによって、ヴァイオリン用に編曲された尺八と筝の二重 奏曲である。 これをコントラバスで弾くには、かりに3オクターブ下げても、相当 なハイ・ポジションと、困難な運弓が要求される。いわば東西両巨匠に よる、まことに珍らしい、かつ崇高な楽興の時が、その場に展開された こと、と思われる。 実はこの話、何かで読んだ記憶だけが頼りで、出典を明らかにできな いのが残念だが、宮城師には《雨の念仏》その他の随筆集もあるとかで、 あるいはこれに収められているかもしれない。 因みに、ピアティゴルスキーの来日は、昭和11年と31年の二度にわた っており、おそらく、最初の来日の際のエピソードではないかと想像さ れる。ともに若き日の巨匠、として躍如たる面目がうかがえる。 そして、31年といえば、筝匠の没年、かの悲劇的な事故、列車からの 転落の年に当っている。 ■ 耳の長い登場人物 めったに見かけなくなったが、演奏会場で楽譜をひろげる人たちがい る。 バリトンの、ゲルハルト・ヒュッシュが来日した際には、すでにかな りの老眼であったにもかかわらず、歌詞のノートを手にしていながら、 やっぱり歌の文句をまちがえたそうである。楽譜と首っぴきで聴いてい た、ある音楽学校の学生が、あとで先生に、ミス・プリントがあります、 と訴えたそうである。 オーケストラの場合には、この連中は当然フル・スコアを追うのだろ うけれども、コンチェルトの場合には、どうしても欠落した部分に出く わすこともある。 カデンツァの部分がそれである。少数の例を除いて、本来は独奏者が、 即興風に奏するために、フェルマータが記されているだけである。 だが今日では、その独奏者が、ほんとうに自身の感興にのって、即興 演奏をさしはさむ、ということはなくなってしまった。 ベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》を例にとれば、ヨアヒムと か、クライスラー、稀にはアウアーなど、往年の大ヴァイオリニストの 作曲(!)したものを、忠実に再現するのが常である。つまりクライス ラー (1875〜1962) あたりまでのヴィルティオーゾ健在期を最後に、演 奏家の即興的かかわりは失われてしまった、のではないか。 もうすこし昔、すなわちベートーヴェンの時代では、コンサートのプ ログラムに、即興演奏そのものが、ひとつの曲目として売りものになっ ていたし、たとえば《ピアノ協奏曲第3番》の初演のときなど、作曲家 みずからの独奏用楽譜は、ほとんど真白に近い、メモ程度のものであっ た、と伝えられている。 さらにその昔、フルートの名手を自任する、かのフリードリッヒ大王 が、延々と続くカデンツァを、得々と奏している図も思い出される。楽 員たちが、はたしていつ終るのだろうか、という表情で待ちかまえてい るわけである。 音楽の、とくに演奏の歴史で、数々の進歩を立証するならば、こうし た即興性の退歩もあわせて究明しなければなるまい。 たしかに、西洋音楽の古典的遺産としての意味は、音そのものの体系 化に成功した点であるといえなくもない。それに関しては、もうそろそ ろ切りあげる時期じゃないか、という主張だけでも、百年来のものであ る。現にいまどき、ベートーヴェンのカデンツァを、自分でこしらえて みよう、などという演奏家がいるとしたら、たいへんな変りものにちが いない。 だからクラシックは過去のものだ、という人たちのいるのも当然なの だ。 では、近年とみに流行しているインドの、いつ果てるともわからない 音楽、これなどもやがては整備され、進歩して、同じコースをたどるこ とになるだろうか。 記録の練達が、体系化に向わせる、という論法でいけば、これまで口 づたえ耳づたえであった音楽が、録音技術の出現で、いったいどれだけ 変化していくか、想像もつかない。 変化とは、変貌とは、はたしてそれ自身の究まる方向にだけ進んでい くものだろうか。 いまどきの流行歌手は、主としてテレビなどで人気を決定しているけ れども、実際にテレビ局で歌うのと、アテレコの場合が、ほぼ同じわり あいになっているらしい。 冗談だろうけれども、月亭可朝という落語家のレコードがヒットして、 評判になったものの、ときどき自分のレコードを聴いて練習しないと、 人前でいつも同じように歌えないなどと伝えきく。 ──────────────────────────────── ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲》のカデンツァを作曲した例で、 キドン・クレンメルの自作自演がNHK交響楽団で放映(VTR'20010826) された。ティンパニはじめ、オーケストラの伴奏もあって、ユニークな 試みだが、どうしても物珍しさが先だってしまう。ある前衛的な作品で (独奏者に動作を任せるとの指示があり)諏訪内晶子が楽団員のヒザに 腰かけたため、エロティックな趣向として、それなりに話題になった。
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