与太郎文庫
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1970年01月16日(金)  一聴一席��ふるさとドイツ   クリストフ・ケンプ京都ドイツ文化センター館長をたずねて

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700116
 
── ベートーヴェン生誕 200年祭で ことしはおいそがしいですね
ケンプ 演奏家の来日も 例年よりいくぶん多いかもしれませんね 
ウィルヘルム・ケンプも 4月13日 京都へ来ます 残念なことに一度 
だけですが
── ウィルヘルムさんと おなじ姓でいらっしゃるのは あるいは
ご親戚ですか
ケンプ たぶん そうだと思います 私の おじいさんの父(曾祖父)の
時代に チューリンゲンのエルフルトというところから ドレスデンに
やってきて ときのザクセン宮廷のお役をするようになった ところが
おなじ出身地の Kemphh 姓が たくさんいたために つづりを Kaemph
と変えたのだそうです(笑)ウムラウトではなくて ドイツでもこう
書くのですが まるで外国人のようでしょう(笑)そして 私の おじ
いさんの若い頃の写真をみると ウィルヘルムと おなじような顔だち
です(笑)
── おふたりは 旧くからのおつきあいですか
ケンプ いや 私がライプツィッヒ大学から京都大学へ 交換学生とし
て日本へ来たのが昭和12年で そのときちょうどウィルヘルムが 最初
の来日で 京都でも演奏会を開いたのです はじめて京都で会ったわけ
です そして ともだちになりました
── 音楽のご趣味は ごくご幼少のころからですか
ケンプ たいへん好きです 小学生のときから 毎週 父と母に連れら
れて ドレスデンのオペラ劇場に 通いました かつて リヒャルト・
ワグナーの活躍した劇場へね
── 演奏もなさいますか
ケンプ ピアノを習いました いまに十字屋さんから エレクトーンを
すすめられるようになるかもしれません(笑)
── 最近の日本は 終戦のあと文化国家としての目標をかかげたにも
かかわらず むしろエコノミック・アニマルとして 有名になりすぎた
ようですが(笑)共通の出発点をもっていたドイツでは いかかでした
か
ケンプ うーん アニマルとはいいたくはないが(笑)だいたいは似て
いるようですね その前の 第一次大戦のあとでは“黄金の二十年間” 
といわれたように 経済的にはともかくも 文化の面でほんとうの発展
がありました ところが第二次大戦のあとでは それまでの あらゆる
文化の中心であったベルリンが 四分されてしまったことや まずは
なにをおいても 普通の生活に必要なことから整えなければなりません
でした はじめに食べること これを“Fressen”というのは たいへん
動物的な 品のわるい表現なのですが その次に住居でした 日本のよ
うに 木造家屋ではありませんから 戦災のあと焼野原になるどころか
石だらけの廃虚が残ったのです 古い石をかたずけるのは 新らしい石
を積むことよりも 高価で たいへんな作業です そして最後に着るこ
と 衣服のおしゃれです
── 日本では ひとくちに“衣食住”と申しますが お国柄によって
は 順序もちがうわけですね
ケンプ 最近は 外国旅行がさかんになりましたから このあたりは
日本と同じみたいですね(笑)われわれの日独文化研究所も 戦時中は
どうしても政治的な宣伝をしなければならなかったし 近年は どちら
かといえば エコノミックな面がかなり 出てきています しかしこれ
からは ほんとうに文化の面でいい仕事をしなければ と思います
そのために 私は働きたいものだ と考えています
── ドイツには たびたびお帰りになりますか
ケンプ 契約で 3年に一度 4ヶ月の休暇がありましてね 私の故郷は
いまは東ドイツになってしまったので もっぱら家内のふるさとである
ハイデルベルグへ行きます 昨年の夏には そこで園田 高弘さんの
演奏会を聴きました 大成功でした
── こんどは ドイツで 日本人にお会いになった(笑)
ケンプ スイスのチューリッヒにも行きましたが ここで謡曲と狂言を
観ました 日本人が演じたものではなく なんとも感じがちがうのです
ポスターにしても 能面を描いたものの いかにも珍妙でした(笑)
── 日本の とくに若い演奏家たちも どんどんヨーロッパに進出し
ているようですが 彼らがドイツ音楽と取りくむ場合に そういった問
題はないでしょうか
ケンプ 私は 自分でも歌舞伎とか雅楽を鑑賞するのが 好きですから
よくわかるのですけれども 日本人が ドイツの音楽を よくあれほど
に弾くものだと いつも思います たいへん 感心しています
── たとえ目をつぶってお聴きになっても 演奏家が日本人かドイツ
人か 区別できるものでしょうか
ケンプ うーん ときどき区別できない(笑)でしょうね テクニック
の点では ときどきドイツ人よりもじょうずですね とくにいえば声楽
やオペラで たいへんちがうことがあります
── パリやロンドンでも 新人演奏家がデビューする際にベートーヴ
ェンを弾くことが多い と聞きますが フランス人 あるいはイギリス
人のベートーヴェンの場合は どうでしょうか
ケンプ これは もっとむずかしい(笑)昨年 日独文化研究所ホール
で演奏された《七重奏曲》などは ほんとうのベートーヴェンでしたね
KBSで1月2日 岩淵竜太郎さんの解説で 放送されたのをあなたは
聴きましたか
── いえ 残念ながら
ケンプ たいへんに惜しい(笑)ことです 日本にやって来るドイツの
演奏家では カラヤンとかベルリン・オペラ そしてウィルヘルム の
ような大物は 日本人が 自分たちの手で招待して ちゃんとモウける
ことができますから 彼らはわれわれの仕事とは関係ありません(笑)
そのかわり われわれが招待したいのは 若くて有望な新人や 前衛的
な音楽の演奏家 そして芸術的なジャズなどです 彼らは日本へ来るこ
とを たいへん楽しみにしているし モウけることを考えてはいないの
ですが いつもタダでは困ります(笑) たとえば あなたは 京都で
パイプ・オルガンの演奏会を聴いたことがありますか
── 同志社の栄光館で 耳にしたことはありますが
ケンプ それは たぶん葬式のときとかで(笑)正式のコンサートでは
なかったと 私は思います そこでこの秋には その名手も招待します
から ぜひ聴いてください 彼らはすべて ドイツのミュンヘンにある
ゲーテ・インスティトゥートの本部で きびしい審査によって選ばれた
トップクラスの演奏家たちばかりです 前衛音楽のシュトックハウゼン
も来ます もっとも 私自身は あまりモダンな音楽は よくわからな
いです(笑)人によっては ヒンデミットあたりは すでにクラシック
だそうですが でも わからないから なおのこと紹介しなければ と
考えるのです            (1970・1・16/館長室にて)
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 《音楽100年表・来日音楽家》では、昭和11年ケンプ来日。

── Fressen /食べる(動物が);むさぼり食う、がつがつ食う、食
らう(人が): Schafe 〜 Gras. 羊が草を食べる。 Er fibt gierig.
彼はむさぼるように食う。Er fiBt fur drei. 彼は三人前食らう。Ich Will
dich nicht 〜 (心配するな)なにもおまえを取って食おうってわけじゃ
ない。 ── 戸川 敬一・他《独和辞典 19920401 大修館書店》P503


1969年12月19日(金)  勝きぬ四代 〜 勝村 久子の婦系図 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691219
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19691219
 
 Ex libris Web Library;先代・真理菊 195801‥ 勝村 久子
http://www.marikiku.com/shop/marikiku.html
 まり菊に出会える まり菊のルーツ
 
…… まり菊の先代は祇園では有名な舞妓四姉妹。そのうわさは全国に
広まり映画「化粧」のモデルにもなりました。
 
1863‥‥ 文久年間に初代女将 勝村 きぬ お茶屋「勝きぬ」祇園に開業
1911‥‥ 明治44年 2代目女将 勝村 だい 舞妓デビュー
1934‥‥ 昭和 9年 3代目女将 勝村 なか子舞妓デビュー
195801‥ 昭和33年 4代目女将 勝村 久子 舞妓デビュー(まり菊 or 真理菊 1)
http://vip-marikiku.com/brand/shop.html
 
 久直高市 〜 祇園新橋四姉妹 〜
…… 四姉妹の母は、知る人ぞ知る名妓で、歌集“さのさ”を出版。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050506
 ドット 〜 花街の客たち 〜
 
 さのさ 〜 機微・機敏・小鬢 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080301
 七五調入門 〜 短歌・俳句・川柳・都都逸・さのさ 〜
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/
── 松本 清張《書道教授 19691219-19700327 週刊朝日 19700430 光文社》19740405 新潮文庫 閑人蔵書083
http://ameblo.jp/hajikamijinja/day-20100324.html
 
 松本清張・生誕100年記念 20100323 NTV》勝村 久子(杉本 彩)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E9%81%93%E6%95%99%E6%8E%88
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/
── 渡辺 淳一《化粧 20051010 新潮文庫》
http://www.shinchosha.co.jp/book/117632/
 
http://www.jmdb.ne.jp/1984/dh001520.htm
── 渡辺 淳一・原作/長尾 啓司・監督《化粧 19840512 松竹》
http://blogs.yahoo.co.jp/souseki1ougai/24499335.html (画像)
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003102797
── 泉 鏡花《婦系図 前篇 19510210 岩波文庫》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003127102
── 泉 鏡花《婦系図 後篇 19510325 岩波文庫》
── 泉 鏡花《婦系図 190701‥-04‥ やまと新聞 1908‥‥ 初演》
 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card1087.html
青空文庫 ↑婦系図 ↓湯島の境内
http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card3578.html
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051010
 今昔キンタマ娘 〜 別れろ切れろは覚悟のうち 〜
 
(20130215)
 
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1969年12月13日(土)  どさくさ 〜 てんやわんや & やつさもつさ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691213
 Ex libris Web Library;やっさもっさ
── 渋谷 実・監督《やっさもっさ 19530225 松竹》小沢 栄(四方吉)
 
── 獅子 文六《やつさもつさ 1952‥‥ 毎日新聞連載 1952‥‥ 新潮社》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JBBPGS
 
── 獅子 文六《てんやわんや 194811‥-194904‥ 毎日新聞/新潮文庫》19461220
── 獅子 文六《おじいさん 194706‥-194905‥ 主婦の友》19441101
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19741211 板坂文庫
 
── 獅子 文六《娘と私 195301‥-195605‥ 主婦の友》19250826
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19741211
 
── 獅子 文六《娘と私 197202‥ 新潮文庫 20141110 ちくま文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4480432205
 
── 檀 一雄《娘と私 200806‥ 新潮CD》檀 ふみ・朗読
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4108302133
 
 岩田家の人々 〜 孟父三妻 〜


 平山 甚太 花火職人 1840‥‥ ‥‥ ‥‥ 1900‥‥ 60 /岩田 豊雄の祖父
 岩田 茂穂 岩田商店 18‥‥‥ ‥‥ 横浜 19‥‥‥ ? /豊雄の父/S.EWATA
♀岩田 あさじ     18‥‥‥ ‥‥ 横浜 19‥‥‥ ? /豊雄の母
 岩田 彦二郎 ホテル 19‥‥‥ ‥‥ 横浜 19‥‥‥ ? /豊雄の弟
/札幌グランドホテル社長、府中カントリークラブ創設/東京スポーツマンクラブ創業
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 獅子 文六   作家 18930701 横浜 東京 19691213 76 /籍=岩田 豊雄/演出
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BB%E2%BB%D2+%CA%B8%CF%BB
♀ショウミー, マリー 19‥‥ France 横浜 19‥‥‥ ? /豊雄の前妻/巴絵の母
/小学校長の娘/矢田部 達郎の家庭教師だったショミイと同一人物か
/1925 来日/精神を病み、帰国後没
♀岩田 シヅ子     1906‥‥ 愛媛 横浜 195002‥ 44 /豊雄の後妻 1934 結婚/旧姓=?
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♀岩田 幸子      1912‥‥ ‥‥ 横浜 20020514 90 /豊雄の三妻 1951 結婚/旧姓=吉川 重吉の娘
 松方 勝彦      19‥‥‥ ‥‥ 横浜 19‥‥‥ ? /岩田 幸子の前夫/幸次郎の四男
…… 大磯で18歳年上の文六と見合いし、友人の白洲 正子に「御曹司
などより海千山千の作家のほうが面白い」と勧められ再婚。
── 岩田 幸子《笛ふき天女 1986‥‥ 講談社》《花くらべ 19880530-0704 TBS》
── 福本 信子《獅子文六先生の応接室「文学座」騒動のころ 2003‥‥ 影書房》家政婦の回想
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♀岩田 巴絵      19‥‥‥ ‥‥ /豊雄&マリーの長女/籍=伊達 宗起の妻
 伊達 宗起  外交官 1901‥‥ ‥‥ ‥‥ 1940‥‥ 40 /アルジェリア大使
/EC代表部大使時代、外交特権を不正利用した投資に加わり、のち更迭
https://ameblo.jp/sunnydaylight/entry-11749950227.html
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 岩田 敦夫      19‥‥‥ ‥‥ /豊雄&幸子の長男
── 《父の肖像 〜 芸術・文学に生きた「父」たちの素顔 1999‥‥ かまくら春秋社》
「思い出すがままに」寄稿
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 獅子 てんや  漫才 19240625 東京          /籍=佐々木 久雄/元警察官/1952 結成
 瀬戸 わんや  漫才 19260310 大阪 東京 19930210 66 /籍=妹尾 重夫/大阪市役所港湾局勤務
http://www.bing.com/videos/search?q=%e7%8d%85%e5%ad%90%e6%96%87%e5%85%ad&view=detail&mid=3A28790F6CC2C0ACDDB83A28790F6CC2C0ACDDB8&FORM=VIRE

 
…… どさくさ;混乱していて騒々しい状態。一説に、江戸時代、佐渡
金山の人夫確保のための賭博狩りのことを、「佐渡」を逆にして「どさ」
といい、その時の賭場の混乱振りからのたとえとされる。
「くさ」は語呂合わせのためにつけられた語といわれている。また、
「どさ」は「とっさ」から転じたとする説もある。(由来語源辞典)
 
…… てんやわんやとは、大勢の人が自分勝手にふるまい混乱すること。
「てんでん」と「わや」の合成語とする説が有力である(語源由来辞典)。
gogen-allguide.com/te/tenyawanya.html
 
…… やっさもっさ[名]大騒ぎ。もめごと。「―が起る結極(つまり)
は」〈紅葉・二人女房〉[副](スル)大勢が集まって大騒ぎするさま。
また、もめたり混乱したりするさま。「勝手なことを言い合ってやっさ
もっさする」(デジタル大辞泉)
 

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 |
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(20170430)
 
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1969年12月09日(火)  一聴一席��My Chin        ピーター・マーティン京都英国文化センター館長をたずねて

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691209
 
── せんだっての英国フェアでは いろいろ御多忙だったでしょうね
マーティン ええ だいたいは東京中心の催しでしたが 京都にも訪
問者がかなりありましたのでね 特にマーガレット王女ご夫妻が 当
センターに立寄られたのは たいへん光栄でした
── 英国フェアは これまで各国で定期的に催されていたのですか
マーティン いや 規模の大小も多種多様で 定まった期間のようなも
のはありません こんどの日本の場合は かなり大規模なものでしたね
── 英国では“イギリスの家は城である”というそうですが たとえ
ば中国では“みずからを修め家を治め国を治める”などと申します
家族制度や教育制度のちがいについておきかせください
マーティン 後者は 孔子の教えによるものですね 英国にかぎらず
ヨーロッパでは世帯の独立ということから 日本におけるほど 親子の
強力なつながりは ないようです 教育の制度も 日本では6・3・3
というふうに三段階に分れていますが 英国では5才〜11才までと 11
才〜18才までの二段階を採っています 16才で学業をはなれることもで
きるし それ以上の大学となると 日本にくらべてうんとすくないので
ほとんどは18才で社会に出るわけですね 近年の傾向として従来の選抜
方式から機会均等への移行がみられるのは 日本やアメリカと同じです
── 音楽教育としては ヨーロッパの古典音楽に限られるのでしょう
か
マーティン そうです 小学生の頃からイギリス民謡をはじめ 打楽器
や管楽器の演奏を学びます そして高等学校になると 技術的にすぐれ
たオーケストラ活動なども さかんにおこなわれています
── クラシックの音楽に関しては 英国には すぐれた演奏家や団体
がたいへん多く その水準は かなり高いわけですが 一方では作曲家
の数は それほどでないようですね もちろん パーセルやブリトゥン
の名は不滅ですが
マーティン エドワード・エルガーも ぜひつけ加えたいところですね
クラシック音楽というものが 19世紀ドイツを中心にさかんになったと
き ドイツの作曲家たちは いわば君臨していたわけですね たとえば
チェコにおけるスメタナのような民族主義的作曲家も 各国にたくさん
いたわけで 英国にもいたわけですが 国際的に迎えられるほどには
なり得なかったのでしょう 現代の英国には ウィリアム・ウォルトン
とか マイケル・ティペットなどが よく知られているのではありませ
んか
── 英国における民族音楽としては どんなものがありますか
マーティン フォーク・ソングです もとは農耕地方で 口づてに歌い
つがれていたものを 19世紀になって セシル・シャープという学者が
採集して集大成したわけです これを第一段階とすれば 次の第二段階
は 第一次大戦の兵士たちによって地方から都会に伝えられた時代を
いいます おそらくこうした音楽の特性が ドイツ的なクラシック音楽
に いますこしフィットしなかったといえるでしょうね
── そういったフォーク・ソングの伝統を 今日のビートルズは受け
ついでいるのでしょうか
マーティン 彼らはむしろポップ・ミュージックに属するもので 直接
つながってはいませんね
── 世界中を 飛行機で駆けめぐる 現代の吟遊詩人ともいわれた
彼らの作品についてのご意見を
マーティン 私の好きなものをあげれば《ミシェル》のような作品 こ
れはかつて 外山雄三氏の指揮で 京響ポップスでも演奏された美しい
曲です 彼らの作品の すべてではないにしても いくつかは後世に残
ることになるでしょうね
── 最近では 彼らはインドに魅かれて以来なかなか新しい音楽を
創りはじめているようです これなどは英国の伝統哲学・経験主義にも
とずくゆえん(笑)でしょうか
マーティン ちょうど昨夜は彼らのアニメーション風の映画《イエロー
・サブマリン》を観たのですけれども 彼らの意見や考え方そのものは
それほど重要ではないと思われます しかし大学を出ていないにもかか
わらず 鋭い感受性でもって現状打破を主張し 自由や平和や愛につい
ての発言が テレビを通じて若者たちのかっさいを得るにいたったのは
事実ですね もっともインド哲学の影響を受けたとすれば ビートルズ
というよりも ジョン・レノンのことで 他のメンバーたちは ローリ
ング・ストーンズなどと軌を一にしているでしょうね
── ところで 館長のおヒゲは彼らよりも古いようですね
マーティン そうです(笑)20年も前からですので 彼らはまだ小学生
だったようですね 実は 私の妻も 最初のデート以来いまだかつて
私の ほんとうのアゴを 見たことがない(笑)のです
── スコッチ・ウィスキーのラベルをはじめ 英国紳士のヒゲは た
いへん多いようですね 
マーティン 日本では いくぶん珍らしいもののようですが 英国では
ごく一般的なおしゃれでしてね もともと英国海軍で流行したものが
退役後もそのまま残すようになって いらい学校の先生とか 出版など
の知的な職業人に かなり多くみられるようになったのです せんだっ
て来日した ロンドン・フィルの男性メンバー60人ほどのうち3分の一
はそうだったし 国会議員にもかなりいます 正確な数字ではありませ
んが平均して男性の15%くらいに当るのではありませんか
── 日本では ごく最近もタクシーの運転士が そのためにクビにな
りかけたという裁判沙汰も生じています
マーティン 英国でも 財界とか ビジネスマンの間には少ないようで
すね いくぶん保守的な職業だからでしょうか
── ところで シェークスピア以来 イギリス文学におけるユーモ
アは定評のあるところですが
マーティン 現在も高令ながら健在のウッドハウスなども たいへんに
英語的な 英語ならではのユーモアの提供者なのですが それが各国の
ことばで 日本語にも翻訳されているものの はたしてどの程度まで
正しく伝わっているのか いささか疑問もあるわけです
── 英訳された俳句に対する私たちの不安に似ているでしょうね
マーティン 英国風のユーモアは 概してすこし控えめに表現するとこ
ろにありますね たとえば川に落ちて ずぶぬれになった紳士に向って
“少々おしめりになってますな”などというわけです あるいは学校の
先生がよく用いる手ですが 生徒がたいへん手まどっている時などに
“ごゆっくりどうぞ Take Your Time ”というぐあいです 実は
たいへん急いでいてもね(笑)ところが ことウィットの分野に関して
はフランスに一歩ゆずるべきでしょうね わがバーナード・ショウをの
ぞいてはね
  (1969・12・9/館長室にて)協力=門脇 邦夫/写真=館長自写
────────────────────────────────
── 「この本をみてごらん。ぼくらがバハマにいたとき、あるインド
人がめいめいに一冊ずつくれたんだ。サインがしてあって、一九六五年
二月二十五日と日付もはいっている。ぼくの誕生日だ。インドに興味を
もつようになってから、ごく最近になってぼくはこの本を開いてみた。
これはおもしろい。あのインド人は、ほんとうはなにか偉い人だったん
だ。彼の名前はほんとうはなにかの尊称なんだ。それからしても、どん
なに博識な人かが分る。/ぼくらは以前にもこの世にいたことがある/
絶対的な真理に到達するまでは、霊魂再来がつづくのだ。」
── ハンター・デヴィス Davies,Hunter《The Beatles,1968》/
小笠原 豊樹・中田 耕治・訳《ビートルズ 19690825 草思社》P314

── 講師紹介で、わたくしは「先生には四つの顔があります」と延べ
た。というのは、ペンギンブックの「日本の料理」の共著者であるいっ
ぽう、1979年の「禅の広報」以来、関西を舞台にした4冊の推理小説を
たてつづけにものせられた覆面作家ジェイムズ・メルビンその人でもあ
るからだ。
── 丹羽 友三郎 http://www/mie-kyobun.or.jp/Tayori/Ren055.htm

File'《朝日新聞 19820418 /週刊新潮 1982ca 》“007ばりのSF”
草稿“ピーター・マーティンの愉快な悪戯”
《ロビンソン・クルーソー(下)岩波文庫》参照
もっとも魅力的な英国紳士“MCP”?
Let'197001ca from Mr.杉井 六郎 & 竹内 康


1969年11月22日(土)  楽中楽外 〜 音楽家たちの夜と昼 〜


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│ adlib/19691122
│
│ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19691122
│ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
│ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000
│
│ https://awalibrary.blog.ss-blog.jp/
│ https://booklog.jp/users/awalibrary/
│ https://q.hatena.ne.jp/adlib/
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│ https://twilog.org/awalibrary
│ https://twitter.com/awalibrary
│ https://www.facebook.com/masatoshi.awa
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 楽中楽外 〜 音楽家たち(イ・ムジチ)の夜と昼 〜
 
 イ・ムジチ合奏団といえば、レコードにしろ実演にしろ、いささかの
隙もなく、はりつめた、まるでカミソリのような音をつくり出す。その
彼らだって、酒を飲んだり騒いだりすることもあるだろう。こんどの来
日では、22日間というもの、休みなしの連続公演で、第七夜を済ませた
一行は、疲れもみせず最近発足した、若い女性ばかりの弦楽合奏団“オ
ルケストラ・ダルキ・フロラルコ”の夜食招待に応じて、正装のまま近
くのレストランにあらわれた。
 日本のレストランの出す料理などイタリア人にとって、ほんのオード
ブルまがいではないか、との招待側の心配もあったにちがいなく、しか
るに彼らは予想したよりも、つつましく飲みかつ食べていたのは御同慶
の至りである。
 フロラルコを主宰する田村隆至氏が歓迎の意ならびに自己紹介をのべ
るとリーダーのミケルッチ氏は“女性ばかりとはうらやましい、こちら
にも3人はいるんだがね”と両手をひろげてみせた。きけば、フロラル
コが三日後にデビュー・コンサートを催すのに6ヶ月間の練習期間しか
なかった点が、イ・ムジチの発足当時と同じだそうだ。“イタリアに来
ればおおいに歓迎しよう”と、居ならぶ妙令の花を前にして気嫌の悪い
はずもなく、メンバーの誰かが“こんなに女性がいるんだから、もっと
仲良く坐ろうではないか”と提案したので、フロラルコ諸嬢は万博のコ
ンパニオンよろしく宴席に散ることとなった。この日のために彼女らは、
練習の合間を縫ってイタリア語の勉強を重ねたときくが、彼らのあまり
の早口に、結局はほとんど役立たなかったようである。
 フロラルコとしては、せっかくの機会だし、なんぞ参考になるような
意見でもきき出せればと期待して、あらかじめイタリア語に堪能な中川
先生に来てもらっていたのだが、つい先ほどまで他処で、客人をもてな
した続きとかで先生“今宵はさっぱり調子が出ない”といわれる始末。
しかし頼りにしないわけにはいかず、なんぞはやく、とあせるうち食べ
るものも飲むものも片づいていくほどに、心残りを記念写真に託して、
おひらきとなる。
 “演奏してみないか”とフロラルコにいったのは、単なる社交辞令で
あったかもしれぬが、すでに遅し。なかに楽器のケースをひらいて見せ
てくれる気のよいメンバーもいた。
 二次会という習慣がイタリア紳士に通じたのか、ボスをはじめ3−1
−2の変則編成とこちら4人、まさに“秋の酔っぱらいたち”となるべ
く出発した。
 誰が案内したのか、何をどうまちがったかゴーゴー喫茶の椅子に落着
いた一行10人、中川先生はおもむろに調子をとりもどしておられるよう
だが、あとの3対6は依然ことばが通じない。いつでも取りだせるよう
ヴァイオリン・ケースを胸に、リンガフォン仕込みの耳をそばだてる田
村先生、ほぼあきらめて腕ぐみなどしている門コンダクター、禁酒中と
かでジュースをなめている今席のスポンサーT氏、筆者ときては、なん
ぞ記事になることあらばと、片言の英語でも通じないだろうかとボスに
話しかけたが、悠揚と首をかしげ、応じてはくれぬ。ヴァイオリンのア
ポストーリ氏が少しできるらしいので、そちらへ行くと“今宵はまこと
にグラツェである”といいながら、要するに隣の超ミニスカートに気を
とられていて、一向に話は進まない。
 チェロのストラーノ氏が、いちばん陽気にしゃべってはいるが、どう
も参考になる意見ではなさそうだ。むしろ超ミニたちが、結構話をつけ
て、一緒にゴーゴーを踊りだす始末。チェロのチェントゥリオーネ氏は、
タンバリンを打ちながら、ビートルズの音楽に合せてつい正式に踊って
しまう。
 もう一軒誘っても、迷惑そうでもなく、こんどはスナックの円卓をと
り囲む。考えれば彼らのレコードが、日本の、数年間の四季を通じての
ベスト・セラーであり、それぞれはたいへんな金持のはずであるが、さ
したる素振りもなく、ボスはおおむね無口で、ビールをスイッ・スイッ
と飲んでおり、ヴァイオリンのヴィカーリ氏は、塩昆布をつまんで“こ
れは海の草かな”とたよりない手つきでパクついている。ヴィオラのベ
ンニーチ氏に至っては、他の店から応援に駆けつけたホステスの和服の
八つ口に腕を通してみて、みんなに“おい、どうだ”と自慢している。
 当然ながら、ホステスたちは一行が何者であるかを知らない。“ねえ、
この蝶ネクタイでめかしこんだ人たち、いったい何屋さん?”と尋ねる
ので、イタリアから来たサーカスの団長と主なる猛獣使いの一行である、
と教えてやった。中川先生にそれを翻訳して貰うと“アクロバッティ?”
といっただけで動じない。つまりこの冗談、うけなかったわけだ。しか
し、ひとりとして退屈したようすもなく、夜もふけて、いよいよホテル
に帰るとなって力づよい握手とともに“グラツェ”を連発していたから、
案外に彼らにとって、この夜は参考になったのかもしれない。
 とりまとめていえば、演奏家たるもの一種の“時間芸術”に賭けてい
るわけで、こんな他愛もない時間といえども、実は眠ることと同じくら
い必要なのかもしれない。
 田村先生の、すべてのイタリア語を動員してのやりとりで彼らは、本
番前の8時間もの練習を常にして“同じように演ろうとしてもどこか変っ
てくる、解釈や意図の転化ではなく、それこそわれわれの音楽なのだ”
というようなことをいっていた。
 彼らがレコードと同じことを演るかどうか、息をのんで集まった当夜
の聴衆のひとりとして、あえてプログラムをかえりみるならば、《アイ
ネ・クライネ・ナハト・ムジーク》とか、アンコールでバッハの《アリ
ア》を、いとも音響的に整理する意図のうちに、あれかこれか、という
切りすての態度も評価せざるを得ない。逆に作曲家や聴衆は、常にあれ
もこれも、という願望が先立っているのかもしれない。そして、彼らが
どんなにレコードとちがったことを演ったとしても、やっぱり、レコー
ドは売れつづけるのではないか。
 
…… 宴会は早い目に、喧嘩は遅い目に。
http://blog.btrax.com/jp/2017/06/30/contact/
 米デザイン会社で実際に利用されている1ページだけの契約書
  |
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4140340452
── シェークスピア《ヘンリー四世 1597 England 198211‥ NHK》
https://twitter.com/awalibrary/status/881914103199023104
 
*こちら5人/あとの4対6は依然ことばが/一行11人
*今席のスポンサーT氏=田中 義雄*増田 勇三先生=忍&明の父
 Play Back《イ・ムジチ合奏団 196911‥ 京都公演》Photo by Awa ?
 
 バイオリン教室を主宰する増田先生に「アンコールは何でした?」と
問われたので「バッハのアリアでした」と答えると「なにか印象に残る
ようなことは?」「?」
「コントラバスの木目が綺麗でしたね」「ほかには?」「ステージ中央
に一つ、左右に一つづつ照明がありましてね、つまりそのハゲ頭が都合
よく配置されてましたね」
 にこりともしないで立ち去った先生の姿は、レストランにあらわれた。
数人のメンバーに楽器を見せてもらうのが、いつものことらしい。
 あとで気づいたことだが、先生は演奏会そのものは聴いていなかった
のだ。だからアンコールの曲名を知る必要があったのだ。
 
‥‥ 約一ヶ月の滞在期間は短いものでしたが、変化に富んだ旅をする
ことができました。地方都市の中で、ことに私の心に焼きついたのは広
島です。イタリアにいた時には実感し得なかった原爆の激しさと悲しさ
を、広島の記念館で資料を見たとき初めて肌に感じ、市内を歩くにつれ
て痛ましい思いが募って、その夜の舞台で『G線上のアリア』を弾いた
時には、とうとう涙をおさえることができなくなってしまいました。イ
タリア人の感傷とおっしゃるかもしれませんが、日本にある原爆をテー
マにした合唱曲、シンフォニーなど、すべてを知りたい気持です。
‥‥ ロベルト・ミケルッチ(イ・ムジチ合奏団・第一バイオリン)
── 《掲示板 19691213 週刊新潮》


 アポストーリ     Violin 19‥‥‥ Italy /
 ヴィカーリ      Violin 19‥‥‥ Italy /
 ベンニーチ      Viola 19‥‥‥ Italy /
 ストラーノ      Cello 19‥‥‥ Italy /
 チェントリオーネ   Cello 19‥‥‥ Italy /
 
 上記は、次々号《アルペジオ》用に抜き書きしたメモ。
(ミケルッチ氏は、写真前列の右から三人目)
 下記は、歴代イ・ムジチ合奏団コンサート・マスター《四季》録音
 
 Ayo, Félix      Violin 19330701 Spain       /1[1952-1969]
 Michelucci, Roberto Violin 19221029 Italy 20101113 88 /2[1969-1973]
 Accardo, Salvatore  Violin 19410926 Italy       /3[1973-](2人制)
♀Carmirelli, Pina   Violin 19140123 Italy 19930226 79 /3[1973-/ 4[1982-1988] (単独)Giuseppina
 Agostini, Federico  Violin 19‥‥‥ Italy       /5[1988-199.]
♀Sirbu, Mariana    Violin 1949‥‥ Rumania      /6[199.-2003]/シブル?
 Anselmi,       Violin 19‥‥‥ Italy 201907‥ ? /7[2003-2019] 急逝
 Spadano, Massimo   Violin 19‥‥‥ Italy       /8[201907‥-] ゲストマスター就任 201910‥ 日本ツアー

 
 ■ フロラルコ(花の合奏団)デビュー
 
 ふたたびフロラルコについて書くのは特に本誌との関係があるためで
はない。十字屋楽器店のきも入りという面はいくぶんあるらしい。指揮
者の門 良一(かど・りょういち)氏は、京大交響楽団で9年も振ってい
たので、ポスターなどでおなじみの方も多いはずである。なにしろほと
んどが未婚の女性でもあり、主宰者をして“彼なら安心”といわせたと
か。どうせ振るのが仕事だから、そんなことはどうでもよいが、13日シ
ルク・ホールでの初演奏会では、大フィルのチェリスト武藤俊介氏を迎
えて、きちょうめんなプログラムを組んでいた。
 同じケースでは、服部良一氏の女性交響楽団が耳あたらしいし、本来
N響やイ・ムジチに迫るという性質のものではないが、かといって中途
半端なセミ・クラよりも、いわば大人むきの、現代的なサロン・オケに
成長してほしいものだ。従来のサロン風オケといえば、ごく最近まで、
NHKがテレビなどで、もっともらしく演出していたが、いちばん物足
りないのは技術より以前の、音楽的活力ではなかったか。今さらいうこ
ともないが、とくに無表情がいただけない。
 うやうやしい侍女たちになるよりも、のびのびした娘らしいステージ
・マナーが、今後の評判を決定することになろう。たとえば、振袖で勢
揃いしたお嬢さん方が、さっそうとモーツアルトを弾く図など、想像す
るだけでもたのしい。
 
 ■ 京響に渡辺暁雄氏内定 
 
 果してどうなることか、と心配されている京響問題のひとつに、よう
やく結論が出たようだ。21日の京都新聞朝刊によると“……外山雄三氏
の後任について人選を進めていた京都市は、このほど元日本フィルハー
モニー交響楽団常任指揮者でフリーの渡辺暁雄(50)を内定、来年四月
から二年間の約束で、一年ごとに契約する予定。……京響にもこれまで
客演指揮したことがあり、かつて常任指揮者候補にあがったこともある。
”というわけでまずは落着かと思えば“……一方、外山氏は市の態度を
不満とし、また同氏を来年四月以降も契約するよう主張している府勤労
者文化団体連盟など民主団体も署名や文化団体、文化人らを動員して外
山氏を支持。市の態度変更を求めていく態度を示しており、京響指揮者
問題をめぐる波乱は今後も避けられないとみられる。”始末で、京響フ
ァンならずとも気のもめることではある。これ以上複雑になるといけな
いから、あえて論評をさけるが、これまでのところ議論百出はおろか、
いわゆる識者の意見と称するものに、一向お目にかかれないのも不思議
である。投書欄でたしか一度だけ一般市民の声が載っていたようだが、
いわれるところの赤字7100万にかけても、たえずくわしい経過を知りた
いものだ。
 
 ■ 岩渕 竜太郎ベートーヴェン連続演奏会
 
 生誕 200年祭ともなると、各種の企画乱立も予想されるのであるが、
そういう懸念そのものは、おおむね東京中心・中央集権の現状を前提と
しているに他ならない。こと京都に関しては、乱立でもいいから、もう
少し筋のとおった演奏会が増えてほしいと思われる。
 もちろん京都会館あり、国際会館まである京都だから、いちおうは有
名タレントや交響楽団の来演もあるが、いずれも一発勝負の、ミーハー
・プロ優先で、骨のあるちゃんとした意図にもとずくものは、きわめて
稀なのである。その意味で、22日にはじまった連続演奏会に期待する人
たちは、少数ながらもいたにちがいない。音大の岩渕教授が、いわば満
を持しての再登場であるが、かつてのプロムジカ時代とは、立場も条件
も異なる上に、10ヶ月にわたるチクルスを、いかに盛りあげていくか、
衿を正して注目する所以である。
 第二ヴァイオリン弓山アヤ、ヴィオラ青柳朝子、チェロ白石将といっ
たメンバーたちはいずれも若いし、あらゆる意味でクワルテットの経験
が豊富だとは思えないが、斯界の大先輩にみっちり仕込まれ、胸を借り
ての公開のチャンスでもあるし、存分に腕をみがいてほしいものだ。第
1夜を聴いたかぎりでは、まだ決して“出来上った”クワルテットとは
いいがたいけれども、回を重ねるにしたがっての成長過程も興味あると
ころで、できることなら同じメンバーで永く続けて、定着した団体にな
ってほしい。
 本誌第5号の《弦楽四重奏談》での黒沼氏いわく、最近の聴衆の多く
が、レコードにおける完璧な音の世界に満足してしまっているのではな
いか、という問題についても、その答が出るには、こうした地元の演奏
会が数多く試みられたのちになろう。
 岩渕教授が、いかに果敢な決意で事に当っておられるか、たとえば第
2回以後の日程が定まっていないことにもあらわれている。つまり、額
縁よりも絵を描くことこそ先決だし、世話役である十字屋楽器店として
も極力つらぬいてほしい態度である。    (阿波)

 Vivaldi, Antonio     作曲 16780304 Italy Wien 17410728 63 /1740 消息不明 1680‥‥岩
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%F4%A5%A3%A5%F4%A5%A1%A5%EB%A5%C7%A5%A3
 Bach, Johann Sebastian  作曲 16850321 Deutschland 17500728 65 /〜《管弦楽組曲 No.3“アリア”》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%D0%A5%C3%A5%CF
 Mozart, Wolfgang Amadeus 作曲 17560127 Austria   17911205 35 /〜《アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク K.525》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%E2%A1%BC%A5%C4%A5%A1%A5%EB%A5%C8
 服部 良一      作曲・指揮 19071001 大阪 東京  19930130 85 /克久の父〜山寺の和尚さん/別れのブルース/湖畔の宿/青い山脈/蘇州夜曲/東京ブギウギ
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C9%FE%C9%F4+%CE%C9%B0%EC
 中川 牧三      テノール 19160309 京都 神戸  20080318 105 /京都日伊協会長/籍=牧太郎
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C3%E6%C0%EE+%CB%D2%BB%B0
 黒沼 俊夫       チェロ 19180103 東京 藤沢  19920728 74 /巌本真理弦楽四重奏団/京都市立芸術大学教授
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B9%F5%BE%C2+%BD%D3%C9%D7
 渡辺 暁雄        指揮 19190605 東京    19900622 71 /京都市交響楽団/日本フィルハーモニー交響楽団/作陽音楽大学長
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C5%CF%CA%D5+%B6%C7%CD%BA
 岩淵 龍太郎   ヴァイオリン 19280121 東京 大阪  20160105 87 /NHK交響楽団演奏長/プロムジカ弦楽四重奏団/京都市立芸術大学教授/岩渕 竜太郎
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B4%E4%CA%A5+%CE%B6%C2%C0%CF%BA
 外山 雄三     作曲・指揮 19310510 東京 /京都市交響楽団〜《ラプソディー》《外山雄三と語る会 19681101》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B3%B0%BB%B3+%CD%BA%BB%B0
 門 良一         指揮 19390726 大阪 /物理学/京都産業大学名誉教授
https://moz-kam.jimdofree.com/%E6%8C%87%E6%8F%AE-%E6%BC%94%E5%A5%8F%E8%80%85%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E6%8C%87%E6%8F%AE%E8%80%85/
 田村 隆至       Violin 193.‥‥ 京都 /
https://www.ekiten.jp/shop_4853884/
♀弓山 アヤ       Violin 194.‥‥ Japan /
http://aof.moo.jp/db/cgi-bin/sh_data/sh_data/11_10.html
♀青柳 朝子        Viola 194.‥‥ Japan /
https://www.facebook.com/public/Asako-Aoyagi
 武藤 俊介        Cello 194.‥‥ Japan /
https://minocon.jimdofree.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/history/
 白石 将         Cello 194.‥‥ Japan /松永クヮルテット
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C7%F2%C0%D0+%BE%AD

 
(20061116)(20220113)
 
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↓=Non-display><↑=Non-display
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 YMDay(20031017-20211112)last up dated.


1969年11月12日(水)  日本の弦楽四重奏談 �� 岩淵 竜太郎氏に聴く

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691112
 
 京都市立芸術大学音楽学部教授というよりも、かつてのN響コンサー
ト・マスター、あるいはプロムジカ弦楽四重奏団のリーダーとして知る 
人の方が、より多いかもしれない。オールド・ファンならずとも、昭和
14年の音楽コンクールで優勝をあらそった江藤俊哉少年と共に、翌年は
新交響楽団とバッハのドッペル・コンチェルトを協演した天才2少年の
話題は、なんとなくなつかしいのである。京都定住数年、ふたたびクワ
ルテットを結成してベートーヴェンに取りくむ氏を囲んでの一刻はまた
たく間にうち過ぎた。

 ■ 譜めくりの時代

── 弦楽四重奏について いろいろ談じていただく というのが本来 
の企画なのですが お伺いしたいことがあまりにたくさんあるようです 
多岐にわたる異色の御経歴の持主と申してよろしいでしょうか たとえ
ば東京大学法学部出身のヴァイオリニストでいらっしゃる(笑)
岩渕 文科にしては 数学の点数がよかったとかで 運よく(笑)入っ
たのが終戦の年なんです 周囲では上野の音楽学校を受けさせるつもり 
だったらしいんですけれども
技術的にいちばん大切な 中学3年の頃から 勤労動員にかり出されて
畑を掘ったりして とても練習するどころではなかったし ほんとうは
迷ったあげくに 運命のいたずらとでも申しましょうか(笑)ところが
翌21年2月には 旧円封鎖によって実家の経済が急変いたしまして と
りあえず アルバイトをしなければならないことになり 英語の家庭教
師みたいなことをやっておりました そんなことなら もういちどヴァ
イオリンを弾かないか といってくれる人がいまして当時N響などのメ
ンバーがやっていたスモール・オケに入れてもらったんです これが実
は米軍キャンプをまわる楽団でして その いちばんうしろで弾くこと
になりました
── いま考えると ちょっと信じられないようなお話ですね(笑)そ
こでポピュラー・ミュージックなども弾かれたのですか
岩渕 メンバーの間では 大歌舞伎サワリ大全集などと申しましてね
リゴレットだのタンホイザーなどの ごく一部をつなぎ合せたもので
カール・フレッシュの編曲でしたかね こういうのは譜をめくる
だけでも慣れるまではたいへんでしてね まごまごしてるとウィリアム
・テルなんか ぜんぜん弾かないうちに終ってしまうんです(笑)人数
がすくないので 二三度まちがってバレたりしますと すぐクビになる 
んです だから小さくなって弾くわけですが 終ってから封を切ります
と50円入ってるんです 昭和21年のことですから ほんとに申しわけな
いくらい(笑)いただいておったのです
── なかなか止めるわけにはまいりませんね(笑)
岩渕 ところが 米軍バンドじゃつまらないだろう と幼い頃からお
世話になっていた渡辺暁雄さんから 東フィルに来ないか と誘われま
してね 当時の東フィルは一種の任意団体のようなもので いつ休んで
もかまわない といった条件で 私も まだ学校に籍がありましたし
お受けしたわけです
 同じ頃ちょうど 植野豊子さんを中心に チェロの橘さん ヴィオラ
の河野さん 第二ヴァイオリンには寺田さんたちで 東京弦楽四重奏団
というのをやっておりまして これは戦前から黒柳守綱さんなどが育て
て来られたものですが その頃植野さんが独奏活動に忙がしくなったし
代りにやらないかということになったのです
── それが 最初のクワルテットの御経験でしたか
岩渕 そうです 以前からブッシュとか カペー四重奏団をレコードで
聴いてあこがれてはいたんですが 実際にやってみると ききしにまさ
る面白いものなんです 22・23年頃ですから 一般公演はまだできなく
て ラジオ・リサイタルというNHKの番組で 野村光一さんの解説で
数回出演したのを記憶しております
 そんなことをやっているうちに 学校の方も だんだん疎遠になるし
そんなもの止めちまえ なんていう悪友がおりまして(笑)一方では 
シンフォニーも面白くなってきましたし どうせやるならN響に来ない
かと誘われまして どうも誘惑には勝てない性分ですから(笑)
── 最初からコンサート・マスターに着任されたのですか
岩渕 第2プルトの外側 つまり第3奏者として 1年ばかり見習いを
やりまして ローゼンシュトックが26年にふたたびN響の常任指揮者と
して来日した時から その任につきました

 ■ 忘れられない指揮者たち

── ローゼンシュトックといえば 例の江藤少年との天才二重奏いら
いの縁ですね 当時のN響は終戦後 いわゆる来日演奏家を一手に迎え
て協演した時代ですが おそらくその演奏長としての御苦労は たいへ
んだったでしょうね
岩渕 苦労もありましたが いい経験をさせてもらいました だいたいは
オケっていうのは 指揮者次第といいますか いい指揮者に会ったときに
は 実に会心の音が出るんです ローゼンシュトックが戦後なんとかし
て演ろうとして できなかった曲に ストラヴィンスキーの《春の祭典》
がありました これを実際にN響で振ったのが ジャン・マルティノン
だったわけです 彼とは忘れられない経験がいくつかありましたね
── 26年でしたね ときに折よく アイザック・スターンとの協演が
実現して 戦後初の大物同志の顔合わせと評判になりましたね
岩渕 そうです 特にマルティノンの《幻想交響曲》では 最初の練習
でしたが はじめ まるでリズムを明示しないんです われわれはとても
ついていけない ところが オーボー奏者として当時ウィーンから来て
いたシフトなどは それでちゃんと吹けるわけです そこで じゃもう
いっぺん といって振りはじめると こんどは実にうまくいくんです
おどろきましたね つまり はじめての オーケストラってものを彼は
一瞬のうちに見ぬいてしまうわけです 《幻想》という曲は 演奏する
側から どちらかといえばドタドタした作品なんですけれども(笑)あ
る意味で 当時のN響はウブだったというか 客観的にも技術の水準は
今ほどでなかったのですが それをあそこまでもっていけるというのは
たいへんな力だと思いますね 実にファンタスティックな すばらしい
指揮でしたね
── その翌年は いよいよカラヤンがやって来ましたね 15年前とい
えば まだ帝王になる直前で この時のエピソードに 彼が練習の際に
黒いトックリのセーターを着てあらわれて まじめな気むずかしい表情
で振っていて フォルテシモになるとボコっとおヘソが見える(笑)た
しか当時のN響メンバーによる芸術新潮での座談会でしたけれども
岩渕 そうでしたか(笑)たいへんにエネルギッシュな指揮者でした
おヘソで思い出したんですが(笑)実におどろいたことがあるんです
ベートーヴェンの《第九交響曲》を彼が指揮して 本番のときなんです
けれども 私はすぐ近くで弾いておりましたが 彼のズボンのある箇処
が 何と申しますか つまり あきらかな状態になってるわけですね
私ははじめ何かのまちがいじゃないかと思ったんですけれど(笑)それ
が全曲を通じてずっとなんです まったく おどろきました
── 活字にしにくいエピソードでしょうね これは(笑)
岩渕 こうした大指揮者になりますと オーケストラは まるで磁石に
かかったように 自在にふりまわされるわけですね 一方では 天才的
なテクニシャンというタイプの人もいますし コステラネッツなどもそ
うでしたけれど ほんとうに指揮者次第だと思います

 ■ プロムジカへの道

── コンサート・マスターとしての任務のほかに たえずクワルテッ
トもやっておられましたね
岩渕 そうです プロムジカ弦楽四重奏団としてデビューするまで3年
くらい チェロが常松さん ヴィオラが小磯さん 第二ヴァイオリンを
竹内さんといったメンバーで だいたい固定していましたね
── 28年に正式結成にあたっては N響側の協力もあったわけですね
岩渕 私的な団体ではあったのですけれども N響の演奏に差支えない
範囲でということで 有馬理事長も了解してくださった 当時のN響は
全体的に給料も安かったし 研究費のかたちで いくぶん援助していた
だいたりもしました ところが 後でだんだん判ってきたことなんです
が 同じオケのメンバーであっても ひと月くらい顔を合わせないよう
なことがあるわけです それでしばらく音も合わせていないで 久しぶ
りにやると どうも音が溶けてこない クワルテットというものは そ
ういうものらしいんですね
── しじゅう奏していないと(笑)
岩渕 そうなんです(笑)そのうちオケとのかけもち自体に無理を感じ
るようになりまして いずれをとるかということで 自分のクワルテット
として力のかぎり いけるところまでやってみたかったですね
── デビュー・プログラムはやはりベートーヴェンで始まりましたか
岩渕 《ラズモフスキー第2番》とドボルザークの《アメリカ》 そし
てブラームスの《ピアノ五重奏曲》ピアノは松浦豊明さんで このとき
からチェロが松下修也さんになりました はじめはN響のスケジュール
とかちあわないよう 合間をぬってやっていたのですけれども 今にく
らべて 臨時演奏会などがぎりぎりの間ぎわになって決ったりしまして
当時しばしばそんなことが重なりましてとても体力的にも両立がむずか
しくなってきたわけです そんなところへ 渡辺さんが日フィルを創ら
れるに当って またまた誘いを受けました これが はじめの話ではい
くらでもクワルテットをやれる というたいへんいい条件なので つい
その気になったわけです(笑)
── 当時 最高の切札でもあったわけですね(笑)30年の日フィル京
都公演は まだ京都会館がなくて 同志社の栄光館でしたね
岩渕 そうでした 《運命》などをやりました コンサート・マスター
には ブローダス・アール氏がいて 客員として加わりましたので ク
ワルテットの時は休みますよ という条件だったのですが 実際にはな
にしろ6プルトしかありませんので いくらいいといわれましても休む
と格好がつかない状態でしたね
── 32年には プロムジカとしての二度目の京都公演を聴かせていた
だきました この時の第二ヴァイオリンは堀伝さんでしたね
岩渕 つまり 日フィルには 結局2年近くいたわけで その後京都の
音大に関係しましてから 西ドイツに行きまして 雑誌を見ておりますと
四つのオーケストラでコンサート・マスターを募集しているのです ち
ょうど楽器を買うお金もほしかったので 問いあわせててみますと三つ
はすでに決定したあとで 一つだけ残っていました あちらのオケの試 
験というのは 旅費・日当が向う持ちなんです ですから もしダメで
も見物してこれるわけですから(笑)出かけてみました これがフラン
ケンランド州立交響楽団でして エーリッヒ・クロスという指揮者のも
とで 1年ばかりやって音大に帰ってきました

 ■ ヴィオラが足りない

── 一時は 京響で演奏顧問として坐っておられましたけれども 音
大では 主にアカデミア弦楽合奏団の指導に御熱心でしたね
岩渕 このところ すこし休んでいるのですが音大の弦楽器教育という
面でたいへん有効な活動になると思いましてね
── たとえば ふと考えるのですが 学生時代から同じメンバーによ
るクワルテットを育てる というようなことは不可能でしょうか
岩渕 それこそ理想的なんでしょうけれど ひとつの大学で 同じ条件
の奏者をそろえるというのは 年令的にも技術的にも たいへんむずか
しいようですね 過去の形態としては 海野義雄を中心に芸大在学生に
よるアカデミア弦楽四重奏団というのをやっておりまして 彼がN響へ
入ってからも しばらく続けていたようですが きわめて稀な例だと
思われます ひとつの理由として 考えられるのにヴィオラという楽器
に人材が少ないのです
── ヴァイオリンからの転向はむずかしいのでしょうか
岩渕 できるんです ところが才能のある人ほど やりたがらないのが
現状でして これほどヴィオラ奏者が足りないのだから やってみない
かとすすめても やっぱりヴァイオリンから離れたがらないですね
── むかし 大ヴァイオリニストのイザイエがたいそうヴィオラを愛
して 室内楽ではいつも持ちかえて楽しんだといわれますが 技術的に
危険なことなのでしょうか
岩渕 それがほんとうなんです すこしも危険な問題はないはずです 
音大でも 一定のローテーションを組んで ひととおりは やらせる
ようにしているんですけれども どうも人気がありませんね あらゆる
角度からみて私はヴィオラをすばらしい楽器だと思いますし 有利でも
あるんですが どういうわけでしょうかね(笑)

 ■ 微調整のプログラム

── ベートーヴェンの全曲演奏会は これまでに何度かなさったので
しょうか
岩渕 連続としては こんどで2度目ですね 37年にそれまでの足か
け10年の集大成というわけでやったことがあります
── こんどのプログラムの第1回は最初・真中・最後と並んでいます
が 全曲の組合せかたにもいろいろあるでしょうね
岩渕 二通りの考え方ができますね ひとつは一回ごとのプロを 個々
に音楽的に独立したものにしていく もうひとつはベートーヴェン自身
がいかにたどったか という再現です こんどの場合は前者をとりまし
て ちょうど作品18が6曲ありますので これを全6回の冒頭にすえて
毎回 初期・中期・後期の各スタイルを あきらかにしたいと考えてい
ます ただし16曲を6回で割りきれない点はありますが(笑)
── もうひとつの問題といえますかどうか たとえば第1回のプロで
は ヘ長調が三つ並ぶのですが
岩渕 一般的には ひとつのプロで関係調による変化があった方がいい
ようですね このことを たいへんやかましくいったのがエッシュバッ
ハーでした 彼は稀にみるほどの絶対音感の持主でもありましたので
調性によって たとえば変イ長調とイ長調では 音そのものの色あいの
ようなものが異なって聴こえるらしいですね 私は実のところ半分くら
いは わかるような気もするんですが(笑)それほど厳密には感じてい
ませんが 有馬さんの部屋へエッシュバッハーが飛びこんできていわく
どこかで鳴らしてる レコードの回転が少し速いから 何とかしろなん
ていう実話もありました(笑)彼にとって それがかなり苦痛らしくて
決してキザなふうではなかったですから そういう人たちのためにも
注意すべきことですね
── すると たとえばヴァイオリンでよく響く調性であってもヴィオ
ラおよびチェロには向かないという場合もあるわけですね
岩渕 弦楽器の場合は純正律で5度ずつ正しく調弦しますと 音の巾が
だんだんひろくなるんです そこでかなりいろんな操作をしませんと
つじつまが合わなくなるということが起ります 具体的にクワルテット
の音程は特殊なものでヴァイオリンのE弦はすこし下げ チェロのC弦
をすこし上げて調弦します それに第一ヴァイオリンがいい気持になっ
て明るい音程で歌ったりすると 妙なことになるわけです
── たえず低音弦とのバランスを考えなければならない
岩渕 ですから ひとりでさらってるいる分には いい音程なのに
アンサンブルになるとおかしくなる人たちもいますね 一般のこれまで
の音感教育が どちらかといえば ピアノ中心で 耳が平均律的に訓練
されていることもあるでしょうね
── 写真におけるピントの問題が いくぶん似ているようですね 見た
とおりに写るという一眼レフでは 人によって微妙な差が生じるわけで
す 人間の目といえば 耳にくらべてより以上に日常的で 主観的なの
で そのごくわずかなちがいで平面上のチャンスを逸することもあるよ
うに思われます
岩渕 たいへん興味のある問題ですね おそらく理論的なものと経験的
なものとの一致がクワルテットの場合にも必要でしょうね
              (喫茶スマートにて 1969・11・12)
 
────────────────────────────────
 
 *=カール・フレッシュの編曲→カール・フィッシャー(楽譜出版社)
 Fischer, Carl 楽器商 1849‥‥ Germany America 1923‥‥ 74 /1872渡米
── Dotzauer,F.《Merhod I for Cello ‥‥ Carl Fischer Music》
http://www.carlfischer.com/
(20070221)
 


1969年11月11日(火)  乱読のすすめ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691111
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://adlib.hatenablog.com/
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19691111
 Ex libris Web Library;
http://booklog.jp/users/awalibrary/
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAA4FW
── スタンダール/高松 英夫・富永 明夫・訳
《モーツアルト 19700101 東京創元新社》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4106601052
── スタンダール/高松 英夫・富永 明夫・訳
《モーツアルト、ハイドン、メタスタジオ伝 1815-19661201 新潮社》
 
── 失職したペール(スタンダール)にはわずかな恩給しかない。い
よいよ文筆で生活をたてることを、本気で考えなければならないときが
きた。だが、才人ペールにはプロの作家のような修業をする気がまった
くない。まず考えたのは、自分の大好きな音楽家たちの評伝だが、べつ
に自分が苦労して集めなくても、資料は他人が集めているのだから、そ
れは遠慮なく拝借するとして、これに自分流のオリジナルな解釈を加え、
やぼな文章のかわりにピリっとした文章でこれを処理すればいい。
(新潮世界文学5〜小林 正<生涯と作品>)(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAVGYA
── 《世界短篇文学全集03 19630920 集英社》手塚 富雄・編:ドイツ文学19世紀
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19640120
 
── ワグナー/高木 卓・訳《ベートーヴェンまいり 1840 世界短編文学全集3 集英社》
 
── 「腹がたつ仕事ですよ」とベートーベンはこたえた。「私は歌劇
作曲者じゃありません。少なくとも私は二度と歌劇をよろこんで書きた
いような劇場は、この世の中では知りませんね。(略)したがっていろ
いろ賑やかながらくた曲をつくっては、いいかげんな声が出る女たちに
調子をあわせて、彼女らがそれを歌って拍手喝采をえれば何よりだ、と
思うような者はパリの婦人洋服屋にでもなればいいんです、だが音楽劇
の作曲者にはなれませんね。(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JACTT6
── アラン/宗 左近・訳《音楽家訪問 1927-1965-19700101 白水社》
 
── ハ短調についてはいわなければならぬことがたくさんある。ハ短
調が宗教的な匂いをもっていて悼ましいものであるということは、誰で
もが容易に見抜くことであろう。だが調の弁証法は重大な考察、すなわ
ちハ短調というこの有名な調本来の音響性に対して今よりもいっそう耳
を傾けさせるにいたると思われる考察を生み出すようにわたしには思わ
れるのである。変ロ長調は宗教的といってしまってはいささか言いすぎ
である。事物の世号との結びつきを感じさせる優しい感情を伴っていて、
変ロ長調はむしろ宇宙的な調である。そこには、ヘ長および変ロ短調を
経由してわたしたちが降りて行くのだということを忘れてはならない。
(P000)
http://booklog.jp/entry?keyword=%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%AE%B6%E8%A8%AA%E5%95%8F&index=Books
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4480010998
── リウォルド/池上 忠治・訳《セザンヌの手紙 1937-19671210 筑摩書房》
Rewald & John 19730301
 
── 親愛なるモルシュタット、あなたのお手紙によると、音楽を続け
る経済的な見通しがおつきになったのだそうですね。天国へゆかないと
音楽がやれないという事態が回避されたこの幸運をあなたのために大変
嬉しく思います。われわれはみな芸術の道を歩んでいて、芸術家にとっ
てあれほど必要な研鑚が物質的不自由によって乱されることを臨まない
のですから。共感をこめて握手をお送りします。今後あなたの手は愚物
どもの商品で汚されることがないわけですね。『タンホイザー序曲』
『ローエングリン』『さまよえるオランダ人』などをお聞かせいただい
たのは大変な幸運でした。(18680524)(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JA6CTO
── ドリンカー/水垣 玲子・訳《音楽にみる女性史 1948-19671220 音楽之友社》
 
── まず未開社会でいかに女性が豊かな音楽生活に貢献していたかを
説く。そこでは、分娩に際して歌われる旋律が耕作歌ともなり、戦場へ
男を送り出す歌ともなり、死者を葬う挽歌ともなる、といった興味不快
考察もみられる。Wehkage──苦痛にみちた叫び声──こそ、未開社会
の女性の音楽的発想の根源である、と著者はいう。(柴田 南雄・解題)
(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4102118047
── サガン/朝吹 登水子・訳《ブラームスはお好き 1959-19610501 新潮社》
 
── 『六時に、プレイエル・ホールでとてもいい音楽会があります』
とシモンは書いていた、『ブラームスはお好きですか? きのうは失礼
しました』ポールはほほえんだ。彼女が十七ぐらいの時、男の子たちが
彼女にきいたのとおなじ種類の質問だった。もしかしたら、その後も人
々はこのような質問をしているのかもしれなかった。だが返事をきこう
ともせずに。だが、こういう生活の中で、人生のこんな年になって、だ
れが返事なぞきいていよう? それに、彼女はブラームスを好きだろう
か?(P000)
 
 脈絡なく、あらたな楽想(モティーフ)が始まるが、あまりに深刻な
ため、つい容認してしまう。しかし、どこに必然性があるのか。
 あの深刻な響きは、ほんとうに意味があるのか?
 
── ブラームス《交響曲第四番終楽章》サヴァリッシュ・指揮。
── 《さらばN響アワー 20120318 NHKe》
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101050171
── 三島 由紀夫《音楽 1965‥‥ 中央公論社 19700201 新潮社》
 
── 『あ、音楽がはじまる』と思った瞬間に、いくらヴォリュームを
高めても何もきこえなくなり、しばらくたって次の曲についての解説が
はじまると、その解説は明瞭にきこえる。つまり彼女が、一旦、「音楽」
という観念を頭に浮べると、その瞬間から音楽が消えてしまう。音楽と
いう観念が音楽自体を消すのである。(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J92SI4
── 堀内 敬三《定本・日本の軍歌 19690905 実業之日本社》
 
── その場にいた瀬戸口翁は『うん、ちょうどそんな頃だ。わしはあ
の大演習には出なくて横須賀で留守しておったが』といったので、早速
記録を調べて日付を確定し、その結果「軍艦行進曲四十年記念演奏会」
というのが昭和十五年九月十七日夜、日比谷公会堂で開かれた。しかし
佐藤満吉楽長の話によると瀬戸口楽長は明治三十四年頃でもまたいろい
ろ苦心して手を入れていたそうであるから、明治三十三年に発表したの
は、あるいは現形と多少異っていたかも知れない。その時分この曲はハ
長調であったが、それでは歌うのに高すぎるので、瀬戸口翁は明治四十
三年楽譜を出版するときに今のト長調に改めたのだそうである。(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J95YJE
── なだ・いなだ《クヮルテット 19700215 文芸春秋社》
 
── そうです、その法廷に、まったく偶然に入ったのです。すると、
一人の男がさばかれていました。すぐに、その男が被告だとわかりまし
た。私だって、裁判もののテレビドラマぐらい見たことがありますしね。
そうです。被告席にすわっているのが被告にきまっています。そりゃ、
そうでしょう、被告が、もしかしたら裁判長席にすわっているかもしれ
ない、なんて考えられますか。検察官席にすわっているのが検察官で、
弁護人席にいるのが弁護人です。(P000)
 
 ↑月刊アルペジオ 10-06 ↓10-10
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700303
 出谷 啓:ジャズを読む
 
(20120321)
 


1969年10月09日(木)  一聴一席��Way of Thinking  シドニー・L・ハモールスキー米文化センター館長をたずねて

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691009
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
f:id:adlib:20060621135724j:image 
〜 シドニー・L・ハモールスキー米文化センター館長をたずねて 〜
 
── 今日の日本について 何の予備知識もなければ もっと驚いた
にちがいない とは 先だって来日したズービン・メータ氏の発言(註
“レコード芸術”12月号/出谷啓氏のインタビューによる)ですが 館
長がはじめて日本に来られたのはいつごろでしたか
ハモールスキー 終戦の翌年に軍人として 半年ばかり東京にいたこと
があります この時はさすがに何もない状態だったけれども 当時の見
聞がのちに予備知識になったといえるでしょうね 文化センターへ来た
のは1967年7月です
 戦後の日本は ごく短期間のうちに国民総生産が 世界第2位になる
という まさに驚異的な経済復興を遂げていますが 主として教育制度
に負うところが多いと思われます そして 未来に対する洞察力の適確
さ 各種の“ノウ・ハウ”を外国から採り入れ 練りなおし逆輸入する
ことによって相互の利益を図ってきた点など さまざまの技術革新に
成功して今日に至ったことは ドイツとよく似ているわけです 
 しかし 一方では イタリアと肩をならべているように 国民ひとり
ひとりの収入では まだまだ満足すべき状態になっていない 日本も
アメリカも ある意味で ひじょうに多くの問題をかかえた国なのです
が共通していえることは たえず試みを重ねながら 前向きの姿勢を失
わない“オープン・ソサエティ”といわれる所以です 
── 各国の共通点をあげていただいたところで こんどは相異点につ
いてお伺いしたいのですが
ハモールスキー たとえば“東は東 西は西”といって両者はしょせん
交わらず 異質のものだとする考え方もあるわけで 単に現象面にあら
われた相異だけを列挙するならば クツとゲタだってそうだし 洋服と
和服はちがったものになるのです こうした例はそれこそ無限にあげる
ことも可能です しかし考えの筋道や発達の過程において本質的な傾向
はまったく同一である場合が多い かりに 特定の面だけをとりあげて
強調したり誇張することになれば いきおい誤った結論しか出てこない
と思われます したがって こうした問題においては 質問が回答を
決定することになりかねない つまり 質問者がその問題をある設定の
もとに いずれかを強調すれば当然回答の内容も変化するのです この
ことは フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソー(1712〜1778)も
指摘するところです
── たしかに(笑)注意すべき重要な点ですね 館長はまた言語学者
でもあるわけですが ことばと音楽が結びついた芸術としてイタリアに
オペラ フランスにはシャンソン ドイツにはリード そして日本には
浄瑠璃などがあげられます アメリカではたとえばどんなものがこれに
相当するでしょうか
ハモールスキー フォーク・ソングやミュージカルなどでしょうね
── アメリカのポピュラー・ソングやスタンダード・ナンバーを日本
人がうたう場合に まず英語でうたって 次に日本語でうたうことも多
いのです ところがそれは一番と二番ではなく 一番と一番だったりす
る(笑)こうした翻訳についてのお考えをきかせてください
ハモールスキー 私はそれほど日本語に堪能ではないので 細部にわた
っては語れませんが 英語と日本語とでは もともとことばの順序が
ちがっているものを移しかえるわけですから いろいろ無理は生じます
それと ことば自体にリズムやビートのように音楽的な要素が含まれて
いて どんな名訳であってもこれを伝えることはできないでしょう
イタリア語からフランス語に移す場合でも同じことです したがって
意味を理解するためには翻訳も必要だし 音楽だけを聴くなら原語だけ
でもさしつかえないでしょう
 もうひとつの例として たとえば アメリカへ能をもちこんで かり
に英語でくわしく説明しながら見せたとしても 能自体のもつ日本古来
の文化的・歴史的な背景のようなものを伝えることはできないわけです
むしろ本物の舞台や衣装で 原型のまま上演したほうが なにがしかの
余香を感じさせるかもしれませんね
── 最近のようにテレビ・ドラマなどでセリフの吹き替えが日常化
すると やがて日本人もだんだんと欧米人と同じような身振りで 同じ
ような考え方になっていくのではないでしょうか
ハモールスキー 私個人の立場でいえば むかし観たことのあるドラマ
を日本語のアテレコで もういちど観なおすのは たいへん参考になり
ます アテレコそのものは一般的に 映画のごく一部を伝えるものに
すぎないようです 英語で笑っても日本語で笑っても そのことに変り
はないし 感情のうごきは すでに画面にあらわれていますからね
 かつて《ケネディ大統領の死》という映画を 私の友人が南アジアに
いた時に観て 驚いた話なんですが 伴奏音楽になんとゴーゴー・ミュ
ージックが流れているわけです あとできいてみるとそれはその国の
音楽でもっとも悲しい表現に用いるものなのだそうです アメリカ人が
聴けば陽気なゴーゴーとしか思いようがないのです(笑)われわれは 
通念として 悲しい音楽とか楽しい音楽というふうに区別しているけれ
ども それがまったく通用しない場合もあるわけです したがって厳密
には おなじ感情を音楽的に表現するにも イタリア式・ドイツ式と
いった具合にちがっているのが当然でしょうね
 私は メキシコ人の妻と結婚したので こうした文化交流を総称して
“ Cross Cultural Communication ”の只中に生活しているわけで(笑)
しばしば その断絶についても経験しています たとえば新婚のころ
彼女はすでにじゅうぶん英語を学んでいたにもかかわらず“出かけたわ” 
というのが まるで質問しているように“出かけたの?”ときこえるの
です 私が つい“なんだって?”と問いかえすものの いちいちくり
かえしていたのではコミニュケーションは進まないわけです
 外国語を勉強するということは 単にことばだけにとどまらず その
国の文化的背景に関する予備知識とか特有の表現 そして発想の過程
“Way of Thinking”など探求しなければと思いますね
                  (1969・10・9/館長室にて)
 
────────────────────────────────
 
 この号からタイトルを省略しているのは、レイアウトの不都合らしい。
 また門脇邦夫氏の熱心な協力ぶりは、編集帖および Awa Library Report
《英対話》に詳述しているが、いくつか予期しないこともあった。たと
えば、わざわざ英訳された原稿をみた館長は「カッコ内に笑う、とある
のは、誰が笑ったのか。なぜ笑ったのか」と、しつこく尋ねたらしい。
 なるほど、この表記法は日本語独自のものであり、おそらく座談会の
創始者といわれる菊池寛が、発明したものかもしれない。
 館長室には、リンカーンの肖像が掲げられ、書棚には英文のしおりが
ついた日本文献が並んでいて、机上に“月球儀”が置かれている。これ
らすべてを撮りこんだポートレートは、いちばんの自信作となった。
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%EB%A5%BD%A1%BC
 Key Word in Awa Library:ルソー
 



 Rousseau, Jean Baptste 詩人
16710406 France Belgium 17410317 69 /

 Rousseau, Jules Antoine 室内装飾
1710‥‥ France     1782‥‥ 72 /

 Rousseau, Jean-Jacques 作家/哲学/作曲
17120628 Geneve France 17780702 66 /誤=1788〜《社会契約論/告白》

 Rousseau, Jules HuguesJean 室内装飾/彫刻
1743‥‥ France 1806‥‥ 63 /Simeonの兄

 Rousseau, Jean Simeon 室内装飾
1747‥‥ France 1822‥‥ 75 /

 Rousseau, Pierre Etienne Theodore 画家
18120405 France 19100901-0902 98 /
18120415 France 18671222    55 /

 Rousseau, Pierre Etienne Theodore
18210415 France 18671222 46 /画家“バルビゾン派”風景画

 Rousseau, Henri 画家
18440521 France 19100902 66 /〜《眠るジプシー女/蛇使いの女》


 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710901
 英対話 〜 門脇 邦夫とその意見 〜
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
(20001224)(20100705)
 


1969年10月03日(金)  石崎 宏男 独唱会“Canti d'Italiani”

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691003
 
 Canti d'Italiani Opere de Grandi Compositori
 


 
01 表紙
02 見返し
03 プロフィール
 
04 長坂 好子
  佐藤 清(京都教育大学助教授)葦のずいから
05 上村 けい(京都音楽研究会・主宰)
  大八木 正治(京都府立洛北高等学校校長)
 
06 PROGRAM
07 プログラム
16 広告(十字屋楽器店)
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
           バリトン独唱 / 石崎宏男
            ピアノ伴奏 / 川村春海
         於 / 京都会館 / 第2ホール
 
  昭和44年10月3日 / 金曜日 / 午後7時
       主催 / 京都音楽研究会/長坂教室
後援 / 東京芸術大学音楽学部同声会 / 京都支部
         後援 / 京都府立洛北高等学校
 
 
 
川村 春海(かわむら・はるみ)
 
東京芸術大学音楽学部ピアノ科卒業
梅田志づ / 田村宏両氏に師事
華頂女子高等学校音楽科講師
 
 
 
石崎 宏男(いしぎき・ひろお)
 
昭和29年・京都学芸大学音楽科卒業
昭和33年・東京芸術大学音楽学部声楽科卒業
佐藤清 / 長坂好子両氏に師事
京都府立洛北高等学校教諭
華頂女子高等学校音楽科講師
関西歌劇団々員
立命館大学メンネルコール / 京都男声合唱団ボイストレーナー
大谷大学男声合唱団技術顧問
 
────────────────────────────────
 
  プログラム
 
�機〃�われにつらくとも ・・・・・・・・・・・ カルダーラ
  アマリリうるわし ・・・・・・・・・・・・ カッチ一二
  恋するものは ・・・・・・・・・・・・ スカルラッティ
  したわしき君 ・・・・・・・・・・・・・ ジョルター二
 
�供^造蕕�な休息 ・・・・・・・・・・・・・ バスクィー二
  いつおまえに会えるだろう ・・・・・・・・ ドナウディ
  なれは知る ・・・・・・・・・・・・・・・・ トレルリ
 
�掘‐�夜曲(“ドン・ジョバンニ”より)・・・ モーツアルト
  もし踊られるなら(“フィガロの結婚”より)モーツアルト
 
  ■
 
�検〕爾戮硫痢 ΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑ.汽鵐肇螢�イド
  � ,佞�ろうは歌う
  �◆/垢瞭�の出
  �� 夕ぐれの悲しみ
  �ぁ―个△�
 
�后[呂醗Δ凌世茵福肇侫.Ε好函匹茲蝓法ΑΑΑΑΑΑ.哀痢�
  巣に帰るつばめ ・・・・・・・・・ デ・クレシェンツォ
 
�此,錣�花嫁は軍旗なり ・・・・・・・・・・・・ ロトーリ
  セレナータ ・・・・・・・・・・・・・・・・ トスティ
  妖精のひとみ ・・・・・・・・・・・・・・・ デンツァ
 
�察,�まえこそ心を汚すもの(“仮面舞踏会”より)ヴェルディ
 

 
  アンコール《荒城の月》《ホイサ?》
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
── 《Canti d'Italiani Opere de Grandi Compositori 19691003 Awa Library》
 
Lettering by Awa, Masatoshi
Italian spelling by Moriguchi, Kunihiko
Printed by Ueno, Hisao
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850729
 失われた日々の顧展
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19671127
 晩秋小雨の宵 〜 文化勲章 vs 人間国宝 〜
 
(19691003-20080223)
 


1969年09月04日(木)  一聴一席�Π杞颪粒擇硫察   .献Д蕁璽襦Ε轡隋璽狷�仏学館長をたずねて

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690904
 
── ことしはナポレオン生誕 200年というわけで フランスではさか
んなようですね
ショーム 伝記映画はじめ テレビ 新聞 出版など 商業的にもなか
なかさかんです 今日のフランスは ドゴールの失脚以来 精神的に
意気のあがらないときでもあり ナポレオンを思い出すのは 当然でし
ょうね たとえば ある雑誌では“ロシアに対するナポレオン”という
特集を組んでいます 大衆にわかりやすく紹介しているのですが現実の
政治との関連を重んじているのが一般的な傾向のようです
── 来年は 一つ若いベートーヴェンの 200年ですが 館長は音楽の
ご趣味はいかがでしょうか
ショーム 父がヴァイオリンを 母はピアノをやっていましたから小さ
い頃から聴くことには親しんでいます はじめはやはりベートーヴェン
やショパンなど ロマン派でしたね
── 演奏はなさらなかったのですか
ショーム ボーイ・スカウトの時にコーラスをやった程度です 学校が
カソリック系だったので グレゴリオ聖歌も少し学びました 17才の頃
に ラジオで 18世紀の音楽をあつめた番組があって 毎朝たのしみで
した
── シャンソンはいかがでしたか
ショーム 幼い頃から母がトレネの歌を口ずさんでいましたからね
ポピュラーな音楽も バッハと同じくらい好きですよ
── モダン・ジャズではマイルス・デビスが映画音楽の分野でフラン
スならではの活躍をしましたね
ショーム そう アメリカの音楽に熱中した時代もありました 大学生
の頃 ジョリベやメシアンの演奏に接して感動したのをおぼえています
── フランスでは さまざまの音楽が同居していますが 好ききらい
は人によってはっきりしているのでしょうか
ショーム 私自身の好ききらいをいえば モーツアルトを最後に それ
以後のオペラ作品は好きではありません 旋律が気にいらないわけです
いや ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》を除いてはね(笑)
── 近代音楽の開幕市場として パリにおける初演の記録は数えきれ
ないのですが 現代の前衛的な音楽も 相かわらず さかんでしょうね
ショーム いや 一般の演奏会でのプログラムは保守的なものばかりで
せいぜいプロコフィエフ ショスタコーヴィッチ ストラビンスキーと
いったところです 新しい音楽は主としてラジオ番組によって 少数の
支持者を確保しているにすぎません 新しいものを理解する人たちは 
常に少数なのでしょうね
── 日本の現代音楽作品の多くは ある意味で民族的な要素と不可分
の関係にあるのですが
ショーム そう タケミツ(武満 徹)の音楽などですね 私は日本へ
来る前は チュニジアやベトナムにいたのですが そこでは伝統的な様
式が守られていて その様式のままで現代的なものを創りだそうと試み
たりするので できあがったものは まったくつまらない(笑)むしろ
私は日本の音楽の中では ガガクやブンラクに興味をもつのです それ
も最初のうちは まるで判らないけれども 何度も聴いているうちに
ある共通したものを感じるようになった しかしこれらの音階や台詞の
複雑なことは いずれも ウウ・ウー・ウーッ(笑)なんていう調子だ
から 私のように興味をもった者でも とてもおもしろい というとこ
ろまでには およびませんね
── どんどん外国に紹介さえしておれば やがて国際的に脚光をあび
るというのは 安易な楽観にすぎないようですね
ショーム ヨーガク・ホーガクというふうに区別しているようですが
タケミツのように 両方をうまく融合していけば 可能性はあるでしょ
う しかし ヘイケ物語による琵琶語りとか謡曲のようなものは 音楽
だけをとりだして ヨーロッパ人に理解させようとしても困難でしょう
ね ブンラクにしても 三味線だけで訴えるとすれば 退屈なものでし
かない ドラマチックな台詞と音楽が密接に一体化しているからです
── イベット・ジローが 日本語でシャンソンを歌っていたように
謡曲をフランス語でうなってみてもダメでしょうか(笑)
ショーム とてもむずかしい問題だ(笑)しかし フランス人にとって
ドイツ語の発音よりは日本語の方がやさしいこともあるし 新しいもの
では いろいろに試みるべきでしょうね
── 日本にこられて どれくらいになりますか
ショーム 1年ちょっとです パリを離れて12年になりますが フランス
では伝統的なものは田舎でしか見られなくなった 日本 とくに京都は
都会にいてもそれが現代的なものとうまく混ざっている点で たいへん
気に入ってます 私は 個人的な興味から 京都のあらゆるお祭に出か
けて写真を撮ったり 録音を採ったり 劇場や美術館に足を運びます
そして料理もいろいろ食べてみる 実は今夜も 妻と一緒に日本映画を
観ることになっているのです      (1969・9・4/館長室にて)
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 2階東の窓から、大文字山と京都大学がみえる。すでに送り火を了え
た大文字と、紛争再開を目前にひかえた時計台との組合せが、午後4時
の陽に照らされて、いかにも目あたらしい借景に思われた。若々しい館
長は、手もとの雑誌を展げ、辞書をとりよせ、はてはマイクロフォンの
位置を修正されるなど、ことばのできないききてを終始気づかってくだ
さった。ことばは平井美沙子女史に通じていただき、以下に大意をまと
めた。異邦人の国異国の鳥たちの国フランスの文化は、はるか彼方の借
景ではあった。(まえがき→P183)
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 十字屋楽器店・田中昌雄社長の紹介で通訳をつとめた平井美沙子女史
とは初対面だった。おそらくフランス歌曲の声楽家であろうか、たがい
に自己紹介も名刺交換もしないで、このインタビューは始まった。いち
ばん面食らったのは、若き館長本人かもしれない。それぞれの相互関係
もわからない三人の異邦人を前に、すっかり緊張したようである。
 ひとこと質問すると、ひとしきり館長の答がつづく。しかし通訳され
た日本語は、ふたこと三言にすぎない。そこで、ややくわしく関連質問
すると、こんどは通訳がふりむいて「それは、あなたの意見ですか?」
と、事前に反問されるので、どうにも困った。まるで彼女はフランス語
をしゃべる自分のほうがエライのだ、と信じているふうだった。



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