与太郎文庫
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| 1958年11月26日(水) |
振太郎 〜 ポピュラーコンサート以後 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581126 …… 校庭の木の葉も黄ばみ秋風と共に散りゆく晩秋のひと時を美しい メロディー(たまにはきずがありましたが)に我々を陶酔させて下さい ました器楽部部員の皆様方とその指導者の方々に感謝いたします。 あのように立派な会をもつ事の出来る様になったクラブにまで持ち上 げられた貴兄と部員達の努力に協力出来なかった私としては恥かしい思 いで胸が一杯です。 けれども第一回のポピュラーコンサートをもった事によって同志社高 校の生徒や教諭達に器楽部の存在を認められただけでなく部としての新 しい第一歩を固く踏みしめた事は動かせない事実であると私は確信いた します。今後もますます努力せられて一歩一歩前進されん事を心より御 拝りします。 この会を終えたのに次は自分の入試の事で追いまわされなければなら ない貴兄の気持は僕にも充分理解できる様に思います。而し僕は貴兄が 今迄の事を悔い、これからの事であせる必要は全くない様な気がします。 それは一年を棒にふり、クラブ活動に努力せられた貴兄の苦しみは立派 に今ここに実を結んだからであります。後は現二年生の盛り上がる力に バトンをゆずり思う存分勉学に励しむ事のできる立場におられるのです。 後輩ながら無礼な口をきいた事をお許し下さい。ではくれぐれも健康に 御注意下さい。さようなら 竹内 宏一 ── (Let'611 19581126) 京都薬科大学受験のため、惜しまれて退部した後の心こもる手紙。 メンバーの間では、初代コンサートマスターを“大きい竹内”と呼び、 二代目を“小さい竹内”と区別していた(上掲書簡)。 三代目は杉林博子だが、最後の文化祭では、ハイドン《弦楽四重奏曲 “セレナーデ”》の第二ヴァイオリン高木慶子を独奏者として、両嬢の 処遇は配慮されている。 はじめての「有料演奏会」は入場料十円也、受付担当の報告によれば、 杉井先生は招待状を提示した上で、金三十円をカンパされたという。 四年目の高校生活も、終りが近づく。受験も気になるが、手塩にかけ たオーケストラの将来に期待もある。楽器はまだまだ足りない、とくに ティンパニーが必要だ。十字屋でミニサイズの新品が九万円で出たと聞 いて、校長室のドアをノック。就任直後の高橋 勘 校長に直訴する。 「金を貸してください、後輩たちが三年かけて返します」 新校長の即断即決で、契約が成立した。(Day'19870928)P060参照 のちにファゴット奏者としてフランスに留学・定住する若林通夫君が 登場するのは翌年(与太郎が卒業後)の演奏旅行からである。 ──────────────────────────────── (第一回・校内ポピュラーコンサート 1958・11・25(火) P.M.3:20〜5:00) 後年、北海道大学薬学部を中退して京都音楽短期大学に在籍していた チェリスト・白石 将 氏と親交を結ぶ。彼もまた学生オーケストラ出身、 管弦楽伴奏でサン・サーンス《白鳥》を独奏したことが、忘れられない 経験であるという。
第一回 校内 ポピュラーコンサート 日時 1958年11月25日 火曜日 3:20 〜 05:00 P.M. 場所 同志社高校チャペル 演奏 同志社高校シンフォニエッタ 指揮 宮本 寿之/阿波 雅敏/馬場 久雄 独奏 佐伯 和男/新開 一朗/杉林 博子/松谷 吉蔵/阿波 雅敏 ピアノ伴奏 中川 幸子 司会 難波江 久代 曲目 (別記) ¥ 30. 広告 京都産院/藤井大丸/紙泉堂/Juhachiya/他 主催 同志社高校器楽部 ──────────────────────────────── GUESTS OB 宮本寿之 MC 難波江久代 ピアノ独奏 松谷吉蔵 ピアノ伴奏 中川幸子 ARREANGE OB 吉田 肇 (映画音楽)《真夜中のブルース/太陽がいっぱい/真珠採り》他
BASSOON/FRENCH-HORN 2C 新開一朗/DOUBLE-BASS 3F 阿波雅敏 新開君は、このころすでに同志社大学交響楽団からファゴットを借り 出している。¥ 30.(初の有料) このプログラムは、本宮蔵書による。
同志社高校管弦楽団 ポピュラーコンサート (演奏旅行) 日時 1959年08月18日 火曜日 夕7時 場所 近江兄弟社教育会館/他 演奏 同志社高校シンフォニエッタ 指揮 阿波 雅敏/有賀 誠一/吉田 肇(編曲)/馬場 久雄(楽器紹介) 曲目 ビゼー《カルメン》“前奏曲” ビゼー《アルルの女》“間奏曲/メヌエット” ヴィヴァルディ《ヴァイオリン協奏曲》 杉林 博子 ベートーヴェン《エグモント序曲》 《アンダルシア》《虹の彼方に》《真珠採り》《碧空》 モーツァルト《アレルヤ》〜アンコール〜 佐伯 和男 入場無料 ドビュッシー《雨の庭》 革島 良子 モーツァルト《フルート四重奏曲》 有賀 誠一 斉藤 高順《弦楽四重奏のための今様》
──────────────────────────────── 渡辺 三郎氏(わたなべ・さぶろう=元近江絹糸紡績<現オーミケン シ>労働組合初代組合長)7日午前7時31分、心不全のため大阪府豊中 市の国立療養所利根山病院で死去。66歳。岡山県出身。自宅は大阪市中 央区内久宝寺町4の3の6。葬儀・告別式は9日午後1時から大阪市中 央区農人橋1の4の21、南大江会館で。喪主は妻静子(しずこ)さん。 昭和29年に、結婚や外出の自由などを会社側に要求し長期ストを行っ た「近江絹糸争議」を労組トップとして指導した。 ―― 《死亡記事 19951009 山陽新聞》 斎藤 高順 (1924〜 )Takanobu SAITOH 作品一覧 父は作曲家、斎藤太計雄。東京音楽学校研究科作曲専攻を卒。作曲を 池内友次郎、信時潔、細川碧、金子登に師事。自由作曲家協会会員。映 画やテレビなどのための音楽も多数制作していた。 吹奏楽作品は、自身が所属していた航空自衛隊音楽隊のための作品が 多く目をひく。 行進曲が多く、また、自然保護や交通安全、といった 願いをこめていることも多い。 「ヴァイオリン、ハープ、打楽器のためのコンポジション」、歌曲 「風鐸」、「岩魚」、「今様」(orch.)
第二回 校内 ポピュラーコンサート 日時 1960年02月19日 金曜日 場所 同志社高校チャペル 演奏 同志社高校シンフォニエッタ 指揮 大橋 俊治 曲目《?》 ¥ 30. 広告 ? 主催 同志社高校器楽部
第三回 校内 ポピュラーコンサート 日時 1961年06月26日 月曜日 3:30 P.M. 場所 同志社高校チャペル 演奏 同志社高校シンフォニエッタ 指揮 若林 通夫 曲目 ビゼー《アルルの女“間奏曲/メヌエット//”》 モーツァルト《ピアノ協奏曲“ロンド”》 革島 良子 ベートーヴェン《ロマンス in F》* 高木 慶子 ? 《風船旅行》《太陽がいっぱい》《ひき潮》《つばめ》 etc. ¥ 30. 広告 マツヲ楽器店 主催 同志社高校器楽部
──────────────────────────────── ── 我々のミスをお赦し下さい ── 若林君の手紙 Let'19610613&19610627 (20060109)
| 1958年11月25日(火) |
第一回校内ポピュラーコンサート(Program) |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581125 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19581125 Ex libris Web Library;同志社高校チャペル(表紙:画像保存) このプログラムは、本宮先生が所蔵(経由不詳)、20011123コピー。 MEMBERS
CONDUCTOR 阿波雅敏 INSPECTOR 馬場久雄 CONCERT MASTER 杉林博子 FLUTES 3D 西村匡代 First-VIOLINS 1A 杉林博子 1G 陳 正雄 2E 井上洋子 OB 有賀誠一 OBOE 3B 馬場久雄 Second-VIOLINS 2F 松本朋子 CLARINETTES 2G 佐伯和男 1B 野村 進 2G 田村忠彦 2B 山本英雄 1G 大橋俊治 BASSOON/FRENCH-HORN 2C 新開一朗 VIOLAS 2C 藤井英男 TRUMPETTES 2C 高木宏二 2B 堀江公麿 3E 鳥井武彦 TROMBONE 2D 藤井 登 VIOLINCELLOS 3F 阿波雅敏 3C 貞方英子 PERCUSSIONS 2F 杉山忠彦 1C 中川俊寛 1A 橋田正信 1A 竹内陽一 DOUBLE-BASS 3D 笠本義嗣
MESSAGE 校長 茂 義太郎 00:00 / 01:04:57 いまゝで器楽部の諸君が組織していたブラスバンドが 昨年から発展 してシンフォネッタとなり、二年にわたり文化祭発表会に華を飾ってき たことは わたしたちの記憶に鮮やかなところであります。まことに 喜ばしいことであります。 このたび、はじめての試みとして 校内ポピュラーコンサートを開く こととなりました。必ずや新鮮で生彩に富むプログラムが展開されるこ とを信じ、その盛会と将来の発展を祈ってやみません。あえて一言を呈 します。 部長 森田 昭典 01:35 同志社高校の発足以来、先輩諸兄の並々ならぬ努力により、発展の一 路をたどって参りました。更に昨年、永年の希望であったシンフォネッタ として面目を一新したことは御承知の通りですが、その後、楽器の不足、 練習場・練習時間の問題など幾多の困難を克服して、今日こゝに器楽部 単独の演奏会を開催する運びに至りましたのは、ひとえに一般生徒諸君 の暖かい御援助御激励と、学校側の御理解によるものと感謝しています。 部員一同、連日の猛練習により、御期待にそむかぬ様、鋭意努力して おりますが、演奏の未熟な点は部員の熱意と、努力に免じて 御寛容下 さるよう、今後のご叱責、御激励をお願いします。 PROGRAM(※録音データ追記)
1.組曲“忠実なる羊飼”より 序奏とフーガ …… G.H.ヘンデル 04:22 指揮 宮本 寿之 2.独奏と管弦楽 指揮 阿波 雅敏 モテット“K.V.165”より アレルヤ ……… W.A.モーツアルト 11:08 クラリネット独奏 佐伯 和男 ホルン協奏曲 No.4より“ロマンツェ”…… W.A.モーツアルト 14:57 ホルン独奏 新開 一朗 3.独奏 ピアノ伴奏 中川 幸子 スーベニール ………………………………… F.A.ドルドラ 19:52 ヴァイオリン独奏 杉林 博子 白鳥 …………………………………………… C.サンサーンス 23:48 チェロ独奏 阿波 雅敏 4.管弦楽と独奏 指揮 宮本 寿之 交響曲 第100番より アレグレット“軍隊” F.J.ハイドン 27:54 組曲“アルルの女”No.2より メヌエット G.ビゼー 34:23 フルート独奏 有賀 誠一 ピアノ伴奏 松谷 吉蔵(林 園子?) 5.管楽合奏(映画音楽) 指揮 馬場 久雄/編曲 吉田 肇 クワイ河マーチ 《戦場に架ける橋 19571222 England》 40:24 ミッドナイト・ブルース《朝な夕なに 19580920 West Germany》 43:27 ジャイアンツ 《ジャイアンツ 19561222 America》 46:38 6.独奏 ピアノ独奏 松谷 吉蔵 夜想曲 Op.9-2 ………………………………… F.J.ショパン 50:48 7.管弦楽 指揮 阿波 雅敏 “エグモント”序曲 ………………………… L.van ベートーヴェン 55:39 / 01:04:57 8.アンコール“トムタフ・マーチ”……………… R.G.ビンディング 00:00-04:03 / 22:31 司会 難波江 久代
曲目解説 ヘンデル(1685-1759) 組曲“忠実なる羊飼”より ヘンデルは中世の代表的な王室作曲家であると同時に、オペラや教会 音楽の分野で、市民のための作品を沢山残した人です。当時はバロック 風と呼ばれる様式が盛んで、客観的な音の美しさだけでなく、一つ一つ の旋律の行方を、徹底的に追及することが作曲家の仕事であったのです。 この曲は、荘重で長い序奏のあと、第一バイオリンの旋律に続いて、 同じ旋律が違った楽器でどんどん重ねられていきます。その結果、全体 の印象はまことに複雑で、ちょうど大ぜいの人々が、共通の話題につい て議論しているかのようです。 いままでの西洋音楽が多かれ少なかれこうした性格を帯びていること は、わが国の音楽と比較する上に、きわめて重要な意義をもつと思われ ます。 モーツアルト(1756-1791) モテット“踊れ、喜べ、汝幸なる魂よ”K.V.165 より 原曲はソプラノと管弦楽のための宗教音楽です。 当時の宗教音楽に関する考え方はかなり自由で、人間にとって美しい ものは神にも喜ばれるとして、のちに退廃的であると非難されたものも あったほどでした。 実はこの曲も、彼のオペラや協奏曲と同じような手法で書かれている ため、いまでは、ソプラノ独唱曲として、演奏会でもしばしばとり上げ られます。 今回は、特に有名な終楽章を、クラリネットの独奏に編曲してみまし た。喜々とした旋律の明るさはまことに快よく、モツアルト十七才の時 の作曲であります。 モーツアルト(1756-1791) “ホルン協奏曲 No.4”K.V495 より 管弦楽の中で最も重要な楽器であるホルンは、その奏法が難かしいた めに独奏には不適当だと考えられていました。モーツアルトが、友人の ために作曲した四つのホルン協奏曲はそうした悪条件をみごとにくつが えしたものとして注目すべき作品です。 今日、演奏する“ロマンツェ”は、第四番の第二楽章で、ゆるやかな 二つの主題が交互にあらわれて展開され、独奏ホルンの深いためいきと 共に、終わります。 ドルドラ(-) 作曲“スーベニール(思い出)” 原曲はピアノ曲ですが、バイオリン独奏に編曲されてからは、この方 が親しまれています。 音楽としては、やや通俗的なきらいはありますが、リサイタルの小品 として、あるいはアンコールとして、欠くことのできない名曲です。終 始、自由なテンポで、ピアノとバイオリンが、なつかしい思い出を語り あうのです。 サンサーンス(1835-1921) “白鳥” 18〜19世紀のロマン派音楽は、形式を脱することにはじまって、 ワグナーでその限界をきわめたともいえるのですが、その反省期に活躍 したサンサーンスは、透明な形式美と、音の響きの美しさをとりもどす ことに専念しました。 この曲の入っている組曲“動物の謝肉祭”は、友人の故郷で開かれた 小音楽会のために作曲された、いわば音の漫画にすぎないのですが、こ の曲に関する限り、古典音楽のもっていた、あらゆる美しい形式を縮小 して、磨きをかけてあるので、高く評価されています。 ハイドン(1732-1809) 交響曲 No.100“軍隊”より ハイドンは18世紀の典型的な宮廷作曲家です。 演奏中に眠っている人をおどろかす曲を作ったり、楽団員におもちゃ をもたせて交響曲を作曲したり、数々のエピソードはいずれも彼の温和 で身だしなみのよい性格を語るものです。与えられた地位に対する従順 さのかげには、何かしら新しいものに対する憧れがみられるのが、彼の 音楽の特色です。こうした傾向は、生涯を通じてみられ、交響曲形式の 完成に集中されていきます。 “軍隊”の名は、他の場合と同様、一種のニックネームで、この楽章 の後半、トランペットの信号が入るところからこう呼ばれています。 ビゼー(1838-1875) 組曲“アルルの女”No.2より メヌエット ドーデの戯曲によせて作曲された“アルルの女”の音楽は、今日、二 つの組曲にまとめられ、親しまれています。 第二番は、ビゼーの死後、友人のギローが編んだもので、むしろこの 方が整っているといわれます。 フルートとハープの二重奏で始まるこの小品は、実は“アルルの女” と全く関係のない別の作品から転用されたのですが、今では戯曲の間奏 曲として、用いられております。 映画音楽選“戦場に架ける橋/朝な夕なに/ジャイアンツ” かつての劇音楽ほどの地位はないにしても、最も新しい芸術である映 画のための音楽は、私たちの心を強く捕えます。今日は、近年話題にな った主題曲を三曲選んで、自由に演奏してみました。 ショパン(1810-1849) “夜想曲 Op.9-2” ショパンの19曲ある夜想曲の一つ。彼の音楽は、ときには女性的な 感覚であり、ときには激情的な怒りであります。彼の音楽については、 せんさいであるとか、抒情的なとかの表現がふさわしいのですが、それ は、祖国ポーランドの弾圧にゆれ動く、やさしい心の悩みでありました。 ベートーヴェン(1770-1827) “エグモント”序曲 Op.84 ゲーテの初期の悲劇「エグモント」が初演されるにあたって、当時、 最盛期にあったベートーヴェンが、その音楽の作曲を引受けました。 ベートーヴェンは、それまでの古典派音楽を、ロマン派音楽に導いた 点で、きわめて重要な作曲家ですが、この曲は、彼のロマン派的傾向が、 円熟しはじめた頃の作品で、独特の形式とロマンチックな素材が力のこ もった感銘を与えます。 この曲は、この種の序曲では最も有名なもので、劇の筋を標題的にあ らわす次の三つの部分より成っています。 第一部(序奏) スペインの圧制に苦しむ祖国オランダの姿に、エグ モント伯爵は耐えられぬ思いで悩みます。 第二部(中間部) 悲壮な決意のもとに起ち上ったエグモントの闘い が展開されます。やがて、力尽きて捕えられた彼は、自らの犠牲が必ず 祖国を勝利にみちびくことを信じて、自由の女神の祝福のうちに断頭台 上に果てるのです。 第三部(終結部) 人民の勝利を高らかにうたいあげるこの終曲は、 劇の最後にも再び演奏されます。 解説 阿波雅敏 ──────────────────────────────── (補遺) Drdla,Frantisek Alois 18691128 Czecho 19440903 76 /〜《Souvenir》 Binding, Rudolf Georg 18670813 Schweiz Bayern 19380804 70 / (20060109) ── ビンディング《トムタフ行進曲 Tom Tough March 19‥‥‥ Duitch》 Binding, Rudolf Georg 18670813 Schweiz Bayern 19380804 70 / ── ビンディング/高橋 健二・訳《犠牲 19410605-0610 河出書房》 http://q.hatena.ne.jp/1095585437 ビンディング父子 http://q.hatena.ne.jp/1095585437#c14207 ── Rudolf Georg Binding (August 13, 1867 – August 4, 1938) was a German writer. He was born in Basel, Switzerland and died in Starnberg. http://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_G._Binding TOM TOUGH 1983‥‥ Australia http://www.marinetraffic.com/ais/jp/shipdetails.aspx?MMSI=503033000 (20110520-0530)
| 1958年10月21日(火) |
シンコペーション 〜 決裂と和解 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581021 いまも幻の甲子園にむけて“ブラバン”の応援は欠かせない。 (当時テレビの普及率は、同志社では90%に達していたようだ) この日、川上哲治一塁手も引退。矢守邸で(楠原大八と)観戦する。 ピッチャーがキャッチャーに「二塁へ投げてみろ」と合図する。先に 指で捕球したのを心配しているのだ。捕手も投手を労わって、自分の手 で丹念にボールをこね、もみほぐしてから返球する。 目が細くて、何を考えているのか分らないような男が、かくも繊細な 気配りを最小限の身ぶりで伝えるのは、まことに粋である。 このような石本秀一の解説によって、与太郎は野球開眼する。
石本 秀一 解説 18961101 広島 19821110 85 /広島監督“カープの父”プロアマ歴任 川上 哲治 内野手 19200323 熊本 東京 20131028 93 /巨人監督“赤バット”“打撃の神様” 稲尾 和久 投手 19370610 大分 福岡 20071113 70 /西鉄監督“神さま、仏さま、稲尾さま”
その翌日は、さすがに器楽部室からの騒音がやんだ。 めずらしく彼らが楽器をおいて、口々に意見を述べあったのである。 いまだかつて、これほど仲のよい集団を見た者はいないだろう。 昼休みはもちろん、わずかな休み時間でさえも、メンバーのほとんど が部室をめがけて馳せつける。そうして思い思いの練習をはじめるので、 ひとしきり奇妙な騒音が校内にひびきわたった。 オーケストラの新入生は、はじめて楽器を手にする者がほとんどで、 それぞれ嬉々として取りくんだ。ただし彼らの上達は遅々たるもので、 しばしば“ゴリ”の神経を逆なですることになった。 なにしろ“ゴリ”はトロンボーンを始めるにあたって、肺活量の鍛錬 “潜水泳法”を開発したほどの“コリ性”だから、一部の新入生が面白 半分に練習しているように見えたらしい。 「あいつら、演奏会には出さん」と言いはじめた。 ついに文化祭を目前に、与太郎と決裂する事態に発展したのである。 与太郎も、覚悟をきめて云いかえした。 「それを言うと、どっちかが辞めなあかんぞ」 「ほなら、オレが辞めたらええんやろ」 こうして“ゴリ”は、憤然としてオーケストラを去った。 十八歳と十九歳の少年の舌戦にしては、いささか純度が低い。 与太郎の俊敏な反応は、かくなる事態を予見していたともみえる。 のちに“ゴリ”を瞬間湯沸器と揶揄したほどだ。 その場で“ゴリ”を追放しても、与太郎がオーケストラを失うことは できない。のちのち与太郎が「俺のほうが正論やった」と弁解すると、 老人になった“ゴリ”も「そんなことは当たりまえや」と応じたものだ。 たちまち与太郎は、みんなに説明せざるを得なかった。 「意見が合わないので、ゴリはしばらく練習を休むことになった。君ら は、心配せずに今までどおり励んでもらいたい」 第二クラリネットの堀 悦夫 君が、遠慮がちに質問した。 「ぼくらは、ゴリさんにどういう態度をとったらええんですか」 「ゴリは、君らの先輩や。いままでどおり先輩や」 遠くはなれた方角から、ひとり練習するゴリが、トロンボーンの名曲 《僕はセンチになったよ》を吹いていると、鹿の遠音のように聞える。 オーケストラの音もゴリの耳に届いているだろう。 ふたりの創始者を仲直りさせることは、誰にとっても困難だった。 そこで、トロンボーンの先輩・森本 理 君が気をくばって、栄光館の 同志社EVE音楽祭前日のリハーサルに“ゴリ”をつれて来てくれた。 彼こそは、かつて吹奏楽“中興の祖”と伝えられる故・森本芳雄先生 の次男(潔君の兄)であり、いまも与太郎は畏敬の念を抱いている。 (こういう配慮ができる人には、生涯に数人しかめぐり会えないのだ)
しかるに“ゴリ”はステージに登ったものの、与太郎とは口を利かず じまいだった。二人の対立を象徴するかのように、当日の曲目、ビゼー 《カルメン前奏曲》は、絶望的なシンコペーション(切分音)で終る。 ゴリは先に高校を卒業し、キャバレーでトロンボーンを吹いていた。 かたわら音楽大学受験のため、有賀誠一の姉のゆり先生のもとに通う。 ピアノが買えないので、もっぱら紙の鍵盤で練習したそうだ。 いつのまにか、ゴリは同じ方角にある予備校に乗り換えたらしい。 昨年の秋から、ひとことも口を利いていなかった浪人生と落第生は、 卒業してからも、なかなか和解のチャンスは訪れなかった。 いま思うに、あのときが和解するための、唯一の瞬間だったのだ。 与太郎が乗っている電車のドアから、ゴリが現われたのである。 ゴリは一瞬まよったが、意を決して与太郎に話しかけた。 「おまえ、音大進学あきらめたそうやな」 「うん」 「おれも、音大進学やめて、ふつうの大学に入りなおすつもりや」 たちまち二人は和解し、日を置かず、ゴリは与太郎の家にやって来た。 与太郎は、東京芸大・金沢美大・京都美大(のち芸大)の入試問題を 取りよせていたので、ゴリに診てもらった。 ゴリは、与太郎の学力を即断して「なかなか難航するな」と云った。 あいかわらず(ゴリらしい)辛辣な表現だが、図星にちがいない。 (同じ頃、美大受験をしくじって浪人中の平井文人など数人あらわれる) 翌年、それぞれ大阪市大と武蔵野美校に進み、高校入学式では、ゴリ の編曲による《あおぞら》《真珠採り》《その他》が演奏された。 夏には演奏旅行を企て、この件は《あまちゅ・かっぽれ》に別記。 上手なアマ楽団は下手なプロ楽団とおなじく、つまらない。 これでもか、というくらい下手なアマ楽団こそが、プロ楽団にまさる というのが、与太郎の賛歌《あまちゅあ・かっぽれ》である。 (20060123-0129) ◆ 尺八二重奏曲《鹿の遠音》は、雌雄の鹿が相聞歌を交わすさまを描く。 http://www.h5.dion.ne.jp/~nawate/syakuhati%20oto.htm ♪ここでは、心ならずも決別した両者の心情を比喩した(双竜外伝)。 syncopation リハーサルで、ゴリはわざとシンコペーションを一拍おくらせた。 ビゼーの切分音については未完、両者の進路とともに別記する。 ゴリが高校一年の水泳大会でぶっちぎり優勝した“潜水泳法”を指す。 “潜水唱法”は、ビング・クロスビーよりうまくなるため、フランク・ シナトラが開発したという。 19600410 与太郎はヴァイオリンで参加し、《白鳥の湖》は、ところ どころ第一第二ヴァイオリンを同時に(ダブルストップで)演奏した。 (若林君の書簡による。カザルスとの対話に言及あり) Tel'20051121 12:30-13:10 from Mr.Yoshida,Hajime Let'20051121 to Mr.Yoshida,Hajime 他に《双龍正伝&双竜外伝》同封。
仰木 彬 プロ野球 19350429 福岡 20051215 70/ 1959西鉄二塁手1993-20010928オリックス監督“仰木マジック” 19580407北九州市民球場(当時は小倉球場)の第1号本塁打 を阪急ブレーブス・梶本隆夫から放つ。
(↓)NPBマーク画像(他に数種あり)→沖縄サミット http://www.npb.or.jp/ (20051006-20060610 Upload)
| 1958年10月10日(金) |
山脈・第十六号 〜 Gone from the Window. 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581010
やまなみ 16号 もくじ 一茶の遺跡を訪ねて……………茂 義太郎… 1 真の生活…………………………坂井 剛 …… 2 パブロ・ピカソ…………………竹内 康 …… 4(去々日々) 悔やまず…………………………下村 福 …… 8 夏休みのある一日………………上原 麻子……10 死に思う…………………………杉林 博子……11(虚々日々) 詩・さよなら……………………原 昌子……12 おまえ………………………対馬 晴子……12 我が宿命……………………吉村 守 ……13 彼岸花……………………………山本 典良……14 泡…………………………………横田 三重子…18 愛…………………………………今井 公子……20 詩・哀……………………………笠本 義嗣……23 一人ぽっちのねがい………水野 良清……25 山陰線……………………………中西 宏 ……28 はばたき…………………………山本 邦彦……34(19580921) 執筆者紹介………………………………… 41 後記………………………………………… 42
編集者:笠本 義嗣・中西 宏/印刷所:芸林社 ── 《山脈・第16号 19581010 同志社高校文芸部》 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 前 略 数多い投稿の中から、あなたの卓越した原稿を撰んで26日付学園欄 に掲載いたしました。 おかげ様で学園欄に一段の光彩を加え得たことを厚く御礼申し上げま す。今後とも一層の御協力をお願いいたします。 なお、掲載紙に添えて同封いたしました品物は誠に軽少ですが、記念 品としてお届けいたします。 ではお元気で 9月30日 毎日新聞社 社会部学園係 ── 《学園欄 19580926 毎日新聞》 Let'19580930 書簡目録・追補(No.0610-0611) 窓の内外 〜 Gone from the Window. 〜 ── 最後の表紙(第十六号)、机と椅子のモティーフは、誰かが模写 して投稿したらしく、毎日新聞のカットに採用され、学校宛に賞品が届 いた(Let'19580930)。のち東京時代に、ミニチュア細工で立体化したも のをキャバレー・ミス東京のウィンドウ・ディスプレィに転用している。 卒業後送られてきた、第十七号以後の表紙は、中西 宏君が担当して、 彼らしく率直に、ちゃっかりと基本スタイルを継承している。 ── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P059 “クラスの横顔”カット(左から一年一学期、二年二学期、三年三学期) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541122 男女共学の発展のために 与太郎は、中学卒業前にも、教室の窓外風景を描いている。 小学校の優等生は佐々木康夫くんで、授業中に、先生や黒板から目を そらすことがなかったという。 ピアノ調律師の娘・吾郷美枝子くんは、いつも窓の外を眺めていたが、 ためしに先生が質問すると、ちゃんと答えるので、叱りようがなかった。 与太郎は、ノートや教科書に、もっぱら落書きしていたのである。 のちの流行語“窓際族”に因んだタイトルに改められた自伝は、空前 のベストセラーとなり、やがては“Windows”の時代が開かれた。 ── 黒柳 徹子/いわさき ちひろ・画《窓際のトットちゃん 198101‥ 講談社》 画像=山脈・第16号400dpi ── 《風と共に去りぬ Gone With the Wind 1939‥‥ America 19520904 Japan》 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD1842/index.html ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20090429-0507)
| 1958年10月08日(水) |
七五調の転生 〜 佐々木家の人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581008 Ex libris Web Library;尾崎 士郎《ホーデン侍従 1958 垂水書房》 http://www.soratobuniwa.com/hobby/kosyodouraku/index25.shtml ── 尾崎 士郎《ホーデン侍従 19491230 暁書房》正之蔵書 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B00DW5SM5A http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3018966.html(No.6 20070522 06:39) おもむき 〜 それがどうした 〜 女性は、男声の容姿よりも、男らしい声に性的魅力を感じるそうです。 言葉の意味や内容でなく、声音にしびれるのです。 したがって「役者は一声二顔三姿」と云われます。 西欧の古典は、一に韻文、二に対話、三四がなくて五に散文です。 シュリーマンは、乞食を雇ってギリシャ語の朗読を聞かせたり、言葉 の通じない国の遺跡で、ホメロスを吟じたら、みんな泣いたそうです。 日本語の文学は、七五調の詩歌を生みだし、くわしく述べないところ に趣向があり、代表作は芭蕉の「古池や、かわず飛びこむ池の音」です。 いくら考えても、だからどうしたのか分らない点が、ゆかしいのです。 ふだん「七五調で会話している」と、噂されている佐々木家の三代目 幸綱が(こどもの日に)長男と次男が裸のままはしゃぐさまを詠みます。 「風呂上り ふたつちんぽこ 端午の節句」いやはや……。
佐佐木 定綱 幸綱の次男 19860519 東京 /2016 第62回角川短歌賞《非正規の歌》/書店員 https://twitter.com/darekautaeyo 佐佐木 頼綱 幸綱の長男 19791002 東京 /201711‥ 第28回歌壇賞/編集者 http://bp.shogakukan.co.jp/mado/1708/young.html ──────────────────────────────── 佐佐木 幸綱 信綱の孫 19381008 東京 /治綱の子/国文学/20才誕生日に父・治綱没/「心の花」主宰 佐佐木 治綱 信綱の三男 19090220 東京 19581008 51 /幸綱20才誕生日に没 ♀佐佐木 由幾 治綱の妻 19141110 大連 東京 20110202 96 /幸綱の母/1937「心の花」同人/旧姓= ──────────────────────────────── 佐佐木 信綱 幸綱の祖父 18720708 三重 鈴鹿 19631202 91 /明治 5.0603 /第一回文化勲章〜《思草:おもいぐさ》《新月》 佐々木 信綱 作曲 19751016 青森 /〜《金子みすゞの詩による5つの歌》《空の文字》 佐々木 信綱 定綱の四男 1181‥‥ 近江 12420407 61 /養和 1.‥‥-仁治 3.0306/重綱・高信・泰綱の父 ──────────────────────────────── 佐佐木 弘綱 信綱の父 18280826 伊勢 18910625 64 /文政11.0716〜《万葉集歌辞童喩》東京大学文学部古典科講師 佐々木 定綱 太郎・判官 1142‥‥ 近江 12050429 64 /康治 1.‥‥-元久 2.0409/秀義&母(源 為義の娘) 佐々木 頼綱 六角 三郎 1242‥‥ 近江 13110122 69 /仁治 3.‥‥-延慶 3.1224/泰綱&母(足利氏娘) ──────────────────────────────── 尾崎 士郎 作家 18980205 愛知 19640219 66 〜《人生劇場,1933》 Michelangelo,Buonarroti 14750306 Italy 15640218 88 〜《Pieta 1500》 Paulus III 220-221教皇 14680229 Rome 15491110 81 /[15341013-15491110]
佐々木家では、七五調で喋ってる(?)佐佐木(=正/誤=)佐々木 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070203 ダ・ジャーレ素材集 〜 Viva da-Jare ! 〜 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1390050.html(No.1 20050517 17:17) 美学の男性表象について・・・ だれもが目をとめる、根源的なテーマですが、もとの出題者の意図が いささか説明不足のようですね(思いつきでないことを祈ります)。 わたしなりのスタイルで、自由に論点を列挙してみましょう(字余り)。 1.佐々木 幸綱の自選句「風呂上り ふたつちんぽこ 端午の節句」 歌詠み三代「七五調で会話している」と、噂されている佐々木家で、 長男と次男が(こどもの日に)裸のままはしゃいでいるさまを詠む。 2.女性のシンボルには諸説あるが、男性のシンボルは孤立している。 尾崎 士郎《ホーデン侍従 1949 暁書房》は、ペニス(陽根)を主人、 ホーデン(陰嚢)を従者にたとえた風俗小説。 3.ミケランジェロは同性愛者で、童貞の美少年を理想としたためか、 壁画《アダム》その他の男性性器は、かなり小さめに描かれている。 ローマ法王パオロ3世の命令で《最後の審判》の下半身に腰布を加筆 した弟子のダニエーレ・ダボルテッラは“ふんどし画家”と揶揄された。 (なぜ、わざわざ隠す必要があったのか、いまなお真相は不明のまま) 昔の教科書では《ダヴィデ》像の、その部分を潰して印刷されていた。 4.写真・印刷の発達によって、絵画・彫刻の技法が色を失った。 アダルト・ビデオでは、もっぱら女性のよがり声を補強している。 もはや視覚的挑発が、幻想にすぎないことの証明ではないか。 https://images.google.co.jp/imghp?hl=ja&lr=&c2coff=1&gws_rd=ssl
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19581008 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
(20070914)(20181019) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1958年10月03日(金) |
高等学校新聞と生徒会役員 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581003 予算会議の反省 評議員 阿波 雅敏 こんどの予算会議が終って、九名の評議員が辞任を申出ました。それ は、決して評議員同志の感情的なもつれとかではなく、予算会議のルー ルというものが、毎年同じ矛盾を指摘されるだけで、一向次の年に改善 されない習慣を、こんどこそゆすぶってみようとしたのです。 差出がましい気もするのですが理由もなく返ってきた辞表を前に次の 予算会議にはこうしたらどうか、という僕の思いつきを、なるべく具体 的に挙げてみたいと思います。 まず、本会議のまえに、各部の説明会をもちたいものです。 できれば申請〆切の直後にでも申請内容について詳しい説明を各部評 議員がするのです。各部の仕事は専門的なものですから、いきなり本会 議で聞いても知らない言葉があったり、判断に迷う場合も少くありませ ん。また、各部がどんな申請の仕方をしているかを一とおり聞いておく ことは必要なことだと思います。 今年のある部は、生徒会予算が、補助金であると云われていたので、 支出総額のうち補助してもらいたい分だけ申請しました。ところが、他 の部はたいてい支出総額をそのまゝ申請しているので、原案委員に質問 すると、それは申請しなかった方が悪いとのことでした。その結果がど うなるか、いうまでもありません。これは決して見解の相異ではなく、 言葉の定義が不徹底だったのです。こんなことは本会議で議論しても実 際には手おくれです。 なお、今年は時間がないとかで品目に対する細かい申請額を、省略し て議事を進められたのですがこれは各部の云い分を、半ば無視したやり 方で、許されるべきではありません。 また、各部の立場は、それぞれ異っていて、各々が積極的な主張をも っているので、お互いの間に充分な理解と思いやりがなければなりませ ん。 それには、例えば学年のはじめに、その年の計画や抱負を発表しあう とか、前年度の会計報告をするなど、お互いの活動を刺激することにも なって、よい結果が得られると思います。 特に、会計報告は、次の年の予算の、重要な目やすとなるものですか ら、申請の内容とあわせて、一目でわかるよう、ぜひ印刷してほしいも のです。要するに、数日前には必要な資料が手もとにあって本会議まで に各評議員が質問を用意できるようにすることが、大切なことなのです。
従来の予算の議決方法は、図のようなグラフを用いています。 これによると、同じ一人の評議員でも、運動団体と学術団体では数字 の上の発言力が異っていることが判ります。 運動団体のA君──3.3% 学術団体のB君──2.9% これは両団体の、部の数に差があるからてす。(今年は15対17で比較 的近寄っているのですが、三年前などは実に 12 対 17 でした。) ◆(図=採決グラフ) 即ち、このグラフは、常に運動団体 50 %、学術団体 50 %の発言力 をもつようにしてあるので、それぞれのまとまった意見が必要なときに は有効です。 しかし、先のA君の部の予算を決める時と、B君の部の予算を決める 場合とでは、明らかにB君の部の方が不利です。数字の多少にかゝわら ず、早急に改められねばなりません。 ある年、一方の団体に予算が流れすぎる、との理由で、まえもって運 動団体に何割・学術団体に何割と分けてしまう方法が採られ、以来ずっ と実施されていますが、原因を究めないうかつな方法だったと思います。 両団体の割合を決めた以上、先のグラフは使えないのです。 この種の均衡が、どうしても必要なら、それぞれの団体毎に審議させ、 互いに承認しあうことが考えられます。承認の方法は、国会の二院制を 参考にしたらよいでしょう。 要するに、グラフの問題も、この問題も、運動団体と学術団体という、 生徒会規約にもない区別が原因です。予算会議のときだけ、習慣的に出 てくるこの「団体」意識は、この際はっきりと処理すべきです。即ち、 クラブ活動の本質からは、こんな区別は全く根拠がありませんが、事務 的な面で必要なら、正式に設けてほしいと考えます。 いまゝであまり問題にならなかったのですが、評議員が欠席したり、 代理人が来たりすることは、やはり考えておかねばなりません。従来は、 代理人は何となく認められ、欠席の際は、例のグラフを書き直すことが 平気で行われておりましたが、大切な会議だけにもっとけじめがあって よいと思います。 即ち、代理人を寄越す場合は、部長と連名の委任状を求めるとか、本 人・代理人にかゝわらず、本会議中は同一人物であること等の原則は、 却って代理人を公平に扱うことにもなりましょう。 また欠席者の票は、「原案承認」として扱うことが正しいようです。 予算会議では、棄権は認められず、原案承認か否か、が常に先決とされ ているのです。 「原案」がきわめて有力な立場にあることは、いまの例でも明らかで すが、それだけに原案作成は大変な仕事に違いありません。 まず、各部の申請用紙にある、こまごまとした内訳に対して、一つず つ金額をわりあてていく「ていねいな方法」か、それとも、前年度の決 定額を中心として、総額をわりあてていく「大まかな方法」のどちらを 選ぶかが問題です。 実際には、この二つの方法を、適当に組合せてやるのが普通ですが、 不注意にやると、次のようなことになります。 例えば、「ボール代が少なすぎるではないか」という質問があると、 「それではバットの分を少しボールに回したとして考えて下さい」とい った種類の答弁が、しばしばありました。 原案委員会としては、「大まかな方法」だけで、原案をこしらえたら しいのですが、本会議で審議するには、どうしても「ていねいな方法」 でないと議論にならないのです。そして、一つ一つの品目について、原 案委員会としての一貫した方針と見解が示されてこそ議論が成立するの です。 ことしの会議で、とくに意外だったのは、各部での部費の負担が、ほ とんど無視されていたことです。例えば、同じ条件で予算を与えられた 二つの部で、一人あたりの部費が、月五十円と百円であったら、これは 不公平といってよい場合が多いのです。 僕は、各部予算というものは、大ざっぱに考えて、部員の負担に比例 して分配されることが正しいと考えます。たヾ、技術的にどう扱うかは、 とても難かしい問題です。しかし、資料を集めることはできるのですか ら、今後は少くとも、こうした考え方が重視されてよいと思います。 以上は、毎年会議が終ってから指摘され、会議中にも問題となったこ となどを、できるだけ具体的な案として、まとめたものです。これらは、 会議が始まってからでは、なかなか取りあげにくいので充分注意してほ しいと思います。 ── 阿波 雅敏《予算会議の反省 19581003 同志社高等学校新聞・第34号》 編集人:門戸 良彦/発行人:猿橋 庄太郎(時事問題・教諭) ──────────────────────────────── 予算会議「採決グラフ」の考案者は“カスミ”こと上田 堅一郎(数学) 教諭と伝えられる。 辞任を申し出た評議員は、器楽部・文芸部・聖歌隊・英語部・宗教部・ 新聞部・放送部などの学術団体、運動団体では山岳部・バレー部など、 すべて利害連帯がある。たとえば、山岳部には竹内康がいて、バレー部 は宮田昌洪・立石義雄など有力OBの親友である。かくて器楽部の獲得 予算は飽和状態に達していた。 この年の予算会議々長すなわち生徒会長は、野球部キャプテン飯田勤 君。野球部が甲子園に出場するためにはブラス・バンドの応援が不可欠 であるから、なるべく友好関係を保ちたい。ところが、議事運営に矛盾 ありと辞表を突きつけられることになった。実際の審議は終っていて、 予算成立後の単なるパフォーマンスにすぎないが、これを議長不信任と すれば、ひいては生徒会長の弾劾要求になるので、いわば声明文を公開 するための環境づくりであった。 この号(編集人・関戸良彦)では、のちに京都大学医学部紛争の総帥 となる田原明夫君のエッセイ《ものは見よう》がある。「あの田原が!」 と驚いた同窓生も、これを読むといくぶん納得できるフシがある。 ── 役員自身が気力を失ってゆくしくみになっていないか/環境の力 は大きい。しかし我々はなりゆくまゝに放置すべきではない/有志は集 おうではないか。── 《走れメロス》は太宰治の作品。豊田勝義君のYMCAネットワーク を見込んで約四十日間の下宿先確保を依頼すると、東京都台東区御徒町 の商人宿・喜又旅館をさがしあて、まさに有言実行であった。 担任の杉井先生はホームルームで、同時に新聞に登場した教え子二人 を愛でて「かくいう私も、このほど礼拝の時間に話をする予定である」 と公表された。しかるに与太郎は、当日サボって聞きそびれた。 >> 衆議院小選挙区 一票格差 一九九四(平成六)年八月一一日に衆議院議員選挙区画定審議会が首 相に勧告した小選挙区区割案も一票の価値の平等を実現することはでき なかった。その時点で人口格差が二倍を超える選挙区が三〇〇選挙区の うち二八選挙区で、最大格差は二・一三七倍であった。ところが自治省 が同月一九日付けで発表した九四年三月三一日現在の住民基本台帳に基 づく人口によると、二倍を超える選挙区は四一選挙区に及び、最大格差 は二・二三倍になるとのことである。また、九五年八月一一日付で発表 した九五年三月三一日現在の数字では、二倍を超える選挙区は四六選挙 区になり、最大格差は二・二五六倍と広がった。九六年三月三一日現在 の数字では、二倍を超える選挙区は五二選挙区、最大格差二・三一倍と なった。さらに、九七年三月三一日現在では、二倍を超える選挙区は五 九選挙区、最大格差二・三六倍となった。一般に何が平等で何が不平等 なのかは判然としない場合が多いが、選挙区間の一票の価値の格差は、 理念と現実との間のギャップを数字的に明確にするので、理解しやすい 貴重な例である。 ── 《現代用語の基礎知識 19980101 自由国民社》P736 << ── 岡野加穂留氏(おかの・かおる=元明治大学長、比較政治学) 7日午前9時25分、がん性脳髄膜炎のため自宅で死去、76歳。東京 都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。7月20日午後1時から東 京都港区芝公園3の3の1、東京プリンスホテルでお別れの会を開く。 喪主は妻論江(ときえ)さん。 明治大政経学部長を経て1992−96年学長。著書に「政治風土論」 「多党制政治論」など。明治大ラグビー部部長も務めた。 ── 《訃報 20060608 共同通信》
太宰 治 作家 19090619 青森 東京 19480613 40 /情死遺体発見 /19480619桜桃忌/籍=津島 修治〜《桜桃/走れメロス/人間失格》 ──────────────────────────────── 竹中 正夫 組織神学 19250906 北京 京都 20060817 80 /同志社大学名誉教授/米思想史 岡野 加穂留 政治学 19290622 東京 20060607 76 /明治大学長 麻田 貞雄 日米史 19360129 京都 /同志社大学教授 杉井 六郎 日本史 19230613 静岡 京都 20111008 88 /京都女子大学教授 上田 堅一郎 数学教諭 1926‥‥ 京都 20060515 80 /1979-1986同志社高校長“カスミ” Griesy, Paul V.英会話 19281227 America 20131010 84 /同志社高校講師/グリーシー“ポール先生” ──────────────────────────────── 宮田 昌洪 排球部 1939‥‥ 京都 /ミヤタ喫煙具店 立石 義雄 排球部 19391101 大阪 京都 /オムロン会長 竹内 康 NHK局長 19400930 京都 20090311 68 /同志社高校文芸部“DHS”旧暦1028-0215“如望忌” 飯田 勤 生徒会長 1940‥‥ 京都 /野球部主将 田原 明夫 1940‥‥ 京都 /京大医学部紛争の総帥 豊田 勝儀 1940‥‥ 京都 19950905 54 /同志社中学教諭
>> 我が信念、我が友情 三年 豊田 勝儀 『宗教部のくせに』『偽善者よ!お前は』とひやかされながら三年間。 反省と奮発の材となってきた。「人の事なんかかまってられるか」と三 年にもなると人間が利己的になるのか、ひやかすその人も自分の不誠実 を悟った為か、どうかは知らないがあまり此の頃は云う人もなくなった。 とにかく辛かった、頑張った、然し楽しい高校生活を送って来た。入学 時に思う「最も楽しい最高の思い出を持つ−卒業後いつ思い出しても− 思い切りやった。我が高校生活に悔いなし」と確信を持って語れる岩倉 時代を送ろうと。然してその大半は過ぎ去った。《恵まれボケ》の環境 に揉まれながらにも拘らず「同志社に学びし故に我が三年間悔いなし」 と云わしめる少くとも二つのものを得た。その一は、『俺の命は俺が生 きる』その最大に生きる生き方の原動力となるものである。「人もし全 宇宙を得るとも、その霊魂(ギリシヤ語で生命)を失はば何の益あらん や、また人は何を以てその霊魂に易へんや」実にこれなり。私と云うも のは私の他に無い。私に多少似た者はあるだろう。しかしながら私の半 身とか、第二の私とか称して全然私に似て正確にこれの代用をなし得る 者は宇宙永遠に渡り一人もない。自分の生命の貴尊、それに基ずいて幸 福の何たるかを学び得た。山のあなたのなお遠くに幸福を探る必要ある なし。今日はその第二、《友情》について少しく私見を述べる。 悲しい時の慰めとなる友を持つ人にとって、喜こぶ時に共に喜こびあ える友を持つ人にとって友情の如何に尊く、なくてはならぬものである かは自明の理である。ヨキ友ある故に有意義なる高校生活を日々体験す る。打算的友交、単なる遊び友達、己れの利ばかり求めて与える事の満 足を知らん友人関係については今日は問題外。「私を待っている人があ るんだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は 信じられている。私は信頼に報いなければならない」(走れメロス)求 めるべくして求めたのではなく、自然にあらゆる機会を通りて心と心、 人格の触れ合いにより成立。真の友情−卒業後も消息を知り急用あれば いつでもとんで行く。真の友情の続くことを互いに確信している友情を 得たこと。これだけは声を大にして云える−持つべきものは友なりと。 金でもない。いわんや名でも位でもない。信頼出来、信頼されている友 なりと。 << >> 時の人 麻田 貞雄 君 〜 カルトン大学三大賞受賞 〜 エールでは神学校に居るポール・グリーシーに度々会えるのを楽しみ にしています。彼は去る三月カールトンに数日間戻って来た時に会い岩 倉の話にはずみました。ポールは礼拝の時にこちらの学生に彼の体験談 を語り、スライドを見せたりして「日本におけるカルトン」の意義を説 き、学生教授にも、日本への関心を湧かせるにに成功でした。四月には 同志社大学の竹中助教授が同志社の代表としてチャペルで話され、深い 印象を残されました。(グルー奨学生・受賞挨拶状の一部) << (20060608)
| 1958年09月01日(月) |
リルケとピカソ 〜 To go, or not to go. 〜 |
↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580901 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from our pictures; ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ >> パブロ・ピカソ 竹内 康 ピカソというと今日では子供でも知っている名前であり、現代絵画の 分からなそうな絵があるとすぐ彼の名前を思い出す程になっている。私 自身もピカソという名前は余りにも良く知りすぎていた。しかし決して 彼の絵を知っていたわけではなかったのである。一般に名前が良く知ら れ過ぎると、その芸術家に附いての知識が我々に多量に入ってくる。そ れでそういった解説や批評を聞いただけでいかにもその芸術家を知った ような気持になり、その作品を直接自分の眼で見る事を怠ってしまいが ちである。特にピカソのように有名になるとその傾向が著しくなり、そ の有名さを鵜呑みにしてしまって、ピカソのような絵だとか、ピカソ風 の画き方だとか言っているものの、実際のピカソの絵については殆んど 知らないものである。たとえピカソの絵を見たとしても、色々な彼につ いての先入的な知識に惑わされて、直接自分の眼で自分の心で見る事を ほとんどしないのである。 私個人としても、写真等で見る彼はいつも半ズボン一つの裸で、よく 肥え、頭は禿かかっており、何か芸術家とは縁遠いような容貌なので、 一種の反感に似た気持さえ持っていた。それに「ピカソはいつも近代美 術の尖端的な動向を代表して、さまざまな『派』を生み出した」等と本 に書いてあるのを読むと、彼が深みのない、軽薄な人間であるかのよう にも思われた。そのためか何か彼の絵には性格的にも自分に調和しない ものがあるかのように思っていた。しかしながら私はこうしたピカソに 対する理解は全く独合点にすぎないものだった。私は決してピカソを知 っていたわけではなく、ただピカソに附いて書かれたものを知っていた だけだった。ピカソの絵を自分の眼で見たわけではなく、ただ絵を頭の 中で想像していただけだった。 私のピカソに対する眼を開いてくれたのは「青の時代」と呼ばれてい る頃の彼の作品である。この時代の絵は現在ピカソ風の絵と想像され呼 ばれているようなものとは全く違っている。私自身ピカソにこんな絵が あったのかと中ば驚かざるを得なかった。しかしながらその驚の中に何 か強い力で自分の心が引きつけられているのに気づいていた。そして急 にピカソという画家が、想像していたように自分から隔ったものではな く、非常に身近に感じられるようになったのである。「青の時代」の作 品の一つに(勿論複製だが)「自画像」(1901)という絵がある。分厚い 飾り気のないマントを襟を立て無造作に着こんだピカソ、その顔は少し 骨ばり、ひきしまった力強さを感じさせる。そしてその眼、この眼の光 こそが私の心を捕えるのである。それに左側の空間、それはピカソの孤 独をはっきりと表わしている。この絵から私はこのピカソの孤独を感じ るのである。力強い孤独である。感傷的な甘い孤独ではない。社会から の避逃というような孤独でもない。敗者の孤独では決してないのである。 その眼の光が示すように力強い自信のある孤独なのである。貧困等によ り外部から強制された孤独ではない。また自分の意志で入り込んだ孤独 でもない。彼の内部から、彼自身どうすることも出来ない力で押付けら れた孤独なのである。その内部の力というのは謂わば彼が背負いこんだ 運命である。ピカソをしてピカソたらしめた運命である。言いかえれば 才能なのである。彼が自分自身のこの運命的な孤独を知ったのは、彼の 画家としてのするどい「見る力」によってである。彼にとって見るとい う事は単にものを見るという事ではなく、ものを見抜く事である。もの の表面を見るのではなくそのものの裸の姿を見透す事なのである。考え る事と見る事とは同じ事なのである。この彼の見る力が彼と他との繋を 断ち、その間に深い溝を掘ったのである。彼は他の人々達と同じ平面に 居たのではなく、彼の回りは深い断崖で囲まれていたのである。同じ平 面に下りる事は不可能であり、謂わば自殺行為に等しかったのである。 だから彼の孤独は他の人々の慰めた同情を受け入れるようなものではな かった。それらは唯彼の孤独の溝を深めるばかりである。それは彼を他 の人々と同じ平面に引きずり下ろそうとする企てに過ぎないのである。 彼は孤独の中にあってこそ自分自身を掴めたのであり、その孤独の殻を 破ることは自分自身を破壊する行為に等しかったのである。また彼は自 分の孤独を疑ってはいないのであり、その孤独に自身を持っていたので ある。この自画像の持つ力強さは、彼自身が宿しているどうにもならな い運命的な孤独をじっと見つめ、それを受け入れる苦しみをじっと堪え て行こうとする強い意志の力にほかならないのである。 同じ青の時代の作品に「アルルカンの家族」(1905)という絵がある。 道化役の衣装をつけて幼児を招く夫と、裸で化粧するその妻とが、この 世のものとも思われないような、一種病的なまでの雰囲気で画かれてい る。それでいて何か透明な異様な美しさが漂っているのである。やはり この絵も彼の孤独を表わしている事には間違いない。しかし、あの自画 像に見られるような力強さは全くない。そしてアルルカンの眼は黒く塗 りつぶされ、落窪んでいて、もはやあの自画像の強い眼の光は影を残さ ない。それにその青い色はまるで氷のように冷く透徹っており、ほのか なバラ色さえ漂っているのである。そこには何か感傷的なものさえ感じ られる。しかしそれだけでは説明しがたいものがある。感傷というのは 表面的な感じに過ぎず、透徹るような女の体には、その異様に細長く曲 り屈った手には一種の恐怖が感じられるのである。しかしそれは彼の孤 独がますます深くなり、純粋になり、透明なものにまでなったためなの である。落窪んだ眼は内部にそのするどい視線が向けられているために 外ならないのである。その青い色は丁度水の清らかな底知れない湖に張 った氷のようである。ここでピカソが見たのはその氷を通して見る底知 れない深みである。絵に画かれているのは(感傷的なのは)その表面に 張った氷に過ぎないのである。しかも一枚の透明な氷がピカソと底知れ ない湖とを隔てているのである。アルルカンがピカソがそこにも見たも のは、究極までも追い詰められた孤独、死の世界と一枚の氷で隔てられ たところにある孤独、即ち精神の孤独なのである。彼と他人との間を裂 く孤独ではない。それはピカソの眼が外側に向けられていた時に見た孤 独である。アルルカンの内側に落ち窪んだ眼が見ているのは人間精神の 孤独なのである。人間の精神が精神のない世界の中にある時の孤独であ る。生きている事の死に対する孤独である。人間の宇宙に対する孤独な のである。しかもその二つの世界が一枚の薄い氷によって隔てられてい るという恐怖がその孤独をとり囲むのである。ピカソの場合は特に精神 の孤独というのは自分の中にある美意識の底知れぬ無意識に対する恐怖 に似た孤独であった。美を作り出そうとする意識の孤独である。「美と は何か、美とは人間の意識上のものに過ぎないのではないか。美とは観 念の中にしか存在しないのではないか。それでは何が美であり何が美で ないのだろうか。すべてが美ではないか。それともすべてが美でないの だろうか。自分は意識して美を作り出そうとしているけれど、それが本 当に美といえるのだろうか。一体美というものがあるのだろうか」そう いった疑問が彼を精神の孤独に追いやったのである。自分の美意識が信 じられなかったのである。 人間精神の孤独、それはかつては東洋の画家達、思想家達によって自 然の中に、無情な自然と無常な人生の中に見い出されたものであった。 そしてその芸術や思想の基調となったものだった。しかしピカソは自然 の中に見い出したのではなかった。スペインに生れた彼にとってヨーロ ッパの自然はあまりに豊かすぎた。しかし彼はそんな事には惑わされな かった。自分自身の中に貧困と孤独の生活の中に精神の孤独を見い出だ したのである。 しかし、やがてこの底なしの湖と彼とを隔てる氷の割れる時がくるの である。ピカソはその割れ目に否応なしに落ち込まなくてはならないの である。しかし彼が恐れていたその湖ははたして死の世界だったのだろ うか。その問に対しては「アヴィニヨンの娘達」(1907)が答えてくれる だろう。氷の割れるのと同時に彼の青の時代は去ったのである。アヴィ ニヨンの娘達はあのアルルカンの妻のこの世のものとも思われないよう な透明な体を持ってはいない。生き生きとした力強い体であり、最早や あのアルルカンの持っていた死の臭は感じられないのである。それに娘 達の眼は今やはっきりと外部に向って開けられている。しかし自画像の ような思いつめた眼ではない。明るい眼である。そしてあの孤独を表わ す左側の空間は何処にも見当らない。だが一番大切な事は今日我々がピ カソの絵といっているような絵に近づいた事である。すなわちあの簡約 化された硬い鋭いフォルムが崩れ始めたという事なのである。これらの 事実は一体を何を表わしているというのだろうか。それはピカソが湖の 中に落ち込んで見たものが、死の世界ではなくて、全くの生の世界だと いう事なのである。孤独からの開放、堅苦しい精神からの自由を彼は見 い出したのである。底知れない湖は恐怖の世界ではなかったのである。 恐怖は唯一枚の氷の上にだけにあったのだ。それは氷によって限定され た有限な世界から見た無限の世界への怖れだったのである。理解し難い もの、把握し難いものへの本能的な怖れなのである。我々を規定する氷 とはすなわち我々の精神である。ピカソの美意識なのである。それは本 来一つの世界である生の世界と死の世界とを、美の世界と美でない世界 とを無理に分けへだてる氷なのである。その氷そのものなのである。だ から氷が割れてしまえば、もはや相対する二つの世界は存在しないので ある。生と死とは一つのものであり、美と醜とは同じものなのである。 底知れぬ無限の世界は恐怖ではなく、何ものにも限定される事のない無 限に広い自由の世界なのである。精神という死んだ枠から開放された生 の世界なのである。本当の意味での尽ることのない自由な世界なのであ る。この尽ることのない自由−精神からの開放−は必然的にフォルムの くずれを生ぜせしめるのである。フォルムとは何か。彼の目にはフォル ムとは彼をとじこめてあの氷にしか見えなかった。フォルムとは死んだ ものとしか見えなかったのである。彼の豊かな生命は、感動はそんなフ ォルムの殻には入りきれなかったのである。そのため彼の感動はフォル ムの殻を破って溢れ出たのである。縦向けになった眼だとか、ひんまが った鼻だとかは何も立体感を出すための工夫ではない。彼は何らそうい った観念的な工夫を持って画いてはいないのである。彼の生の感動がそ のまま筆に伝わり、フォルムや、美意識に囲われる事なく、直接にカン バスの上に表われているのである。その結果としてそういったフォルム のくずれが生じてくるのである。だから彼の絵には、そのフォルムのく ずれには何ら作為的な堅苦しさが感じられず、のびのびした自由が感じ られるのである。フォルムがくずれたというのは何度も言うようにあの アルルカンの氷が割れたのと同じ事なのである。彼が精神の殻から開放 され自由の世界に飛び立ったという事と同じなのである。 一九二〇年代の作品に「三人の音楽家」や「三人の踊子」がある。こ れらの絵はなんと楽しい絵であろうか。色のハーモニーはそのまま三重 奏となって、円舞曲となって聞えてくるようである。そのフォルムには 子供の絵のように無邪気ささえ感じられ、天真爛漫というか何か底ぬけ の楽しさがある。そこには確かに子供の絵の持つ感じに似たものがある ようである。それは謂わば絵を書く時の無心な態度、美を造り出そうと いう事を意識しない態度が子供のそれと共通なのだからであろう。子供 の絵はしばしば我々の心を打つが、それは彼等の絵が無理に絵を作ろう として画かれたものでない事、すなわち美を作り出そうという意識を持 たずに感動が直接に表現されている事によるのである。またその結果と しての何物にも囚われない自由さが我々を感動させるのである。いずれ にせよピカソの絵には子供の絵のようなのびのびした自由な感じがある 事は確かである。 私は今「春」というごく最近の絵を見ながらこの文を書いている。そ の中の一匹の山羊を見ている。いや山羊ではなくて一角獣のつもりなの かもしれない。しかしピカソが画いているのは山羊でも一角獣でもない のである。唯彼の内部にある自由なフォルムが画かれているのである。 そのフォルムはピカソの感動それ自身であり、ピカソの溢れる生命力そ れ自身なのである。精神という死んだ殻から解放された生命力の躍動が 自由なフォルムとなって表われてくるのである。あの「ゲルニカ」の化 物達は死んだ化物ではない。化物達の眼や口や四肢がそれぞれ一個の生 命を持ってその生命力で暴れ回っているのである。しかしその生命力と は単なる生ではない。死の深淵を覗き込んだ者が始めて知り得る、何も のにも限定されない、死を恐れない、本質的に自由な生命なのである。 死んだ観念や意識では捕える事が出来ない生命なのである。彼と同じよ うにやはり死の深淵を見た詩人リルケは 「見よわたしは生きている、何によってか、幼時も未来も減じはせぬ ……。みなぎる今の存在が、わたしの心情のうちにあふれ出る」 (ドウイノ悲歌)と歌っているが、このみなぎる今の存在、うちあふれ 出る心情こそはピカソの持つ生命であろう。 (1958・9・1) ── 《山脈・第十六号 19581010 同志社高校文芸部》 << ※ “近代美術の尖端当な動向”印刷のママ。以下、誤植がおおい。 “心が引きつけられいるのに気づいていた” 透明なものにまでなっためなのである。 落ち窪んで=落窪んで 一体を何を表わしているというのだろうか。 と同時彼の青の時代は去ったのである。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581010 山脈・第十六号 〜 Gone from the Window. 〜
Picasso, Pablo 18811025 Spain 19730408 91 /〜《Gernica,1937》 Rilke, Rainer Maria 18751204 Plaha 19261229 51 /〜《Duineser Elegien,1923》《Auguste Rodin,1903》
── 夜の最も静かな時刻に、「私は詩を書かなければならないか」と 深く自己自身にたずね、「私は書かなければならないのだ」という力強 い一語のみかえってくるなら、あなたはその必然に従って生涯をつらぬ きとおしなさい。 ── リルケ《若き詩人への手紙 19030217 》 ── 《世界の古典名著・総解説 19931130 自由国民社》P440 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1422174.html (No.1) ── 現代芸術は、それぞれつぎの作品によって、役割を終えています。 文学:プルースト《失われた時を求めて》&ジョイス《ユリシーズ》 音楽:ワグナー《神々の黄昏》&ストラヴィンスキー《春の祭典》 絵画:ピカソ《ゲルニカ》&モンドリアン《リンゴの樹》 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2730553.html (No.5) 未来芸術論 〜 仲介者の退場 〜 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4689800.html (No.10) 自分との対話 〜 わが心を覗きこむとき 〜 模写 & Report 空間の次元 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19591017 ピカソ《葡萄とギター》 (2001-20090815)
| 1958年08月31日(日) |
日比野 克彦 Hibino, Katsuhiko 19580831 Gifu |
┌─────────┐ │ │ adlib/19580831 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19580831 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://note.com/adlib20210301/all │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ https://jp.quora.com/stats │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
日比野 克彦 Hibino, Katsuhiko 19580831 Gifu / http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C6%FC%C8%E6%CC%EE+%B9%EE%C9%A7 〔Quora〕 0614 大学在学中に学部を変えたくなって、でもそれが叶わなかった人の その後を教えていただけませんか? https://jp.quora.com/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%9C%A8%E5%AD%A6%E4%B8%AD%E3%81%AB%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6-%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%8C%E5%8F%B6%E3%82%8F?__filter__=all&__nsrc__=notif_page&__sncid__=53276641117&__snid3__=71444394439 わたしは、高校時代から量産家具の専門家をめざして、工芸デザイン 科に入学したところ、担当教授に恵まれず、それならもっと自由な商業 デザイン科に移りたいと申し出ましたが、認められませんでした。 とくに初めて学んだレタリングで激賞され、やっぱりこっちがいい、 と迷っているうちに、ライバルの居ない授業に出席しなくなりました。 いま思うに美術学校の方針が定まらず、志を得ないまま中退しました。 かつて全盛期のバウハウスには、もっと哲学的な目標があったらしい。 ところが学校経営の立場から、目先の就職率とかを重視しはじめて、 大切なものを見失ったようです。 その結果、わたしの世代で、期待された新人は出現せず、かろうじて 出世頭となったのは、国立芸大の学長に登りつめました。デザイナーの 頂点には程遠く、芸術家でもない学校商法の経営者になったのです。 さらに思いだせば、元デザイナーの代表作は、わたしの記憶によれば 冬季オリンピックのポスターだけです。世界の“カメクラ”に及ばず、 誰からも忘れられた駄作にすぎません。 ── 日比野 克彦《8万文字の絵 〜 表現することについて 19971001 PHP新書》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4569558461 ── 日比野 克彦《100の指令 20030801 朝日出版社》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4255002355 Hibino, Katsuhiko 19580831 岐阜 /東京芸術大学学長 (20240614)
| 1958年08月29日(金) |
ジャクソン家の人々 〜 Jackson family 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580829 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↓Edita for text ↑Index 000000=19020102〜99991231 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ Jackson, Joseph Walter /父 19290726 America /製鉄所従業員/R&B ファルコンズ (The Falcons) Jackson, Reuther /Josephの弟/R&B ファルコンズ (The Falcons) 193.‥‥ America / ♀Jackson, Katherine 19300504 America /母/1965‥‥ エホバの証人に改宗/〜自伝《My Family 1990》 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Jackson,“Rebbie”Maureen Reilette /長女 19500529 America /19681130 ネイザン・ブラウンと結婚(子供:ステイシー、ヤシ、オースティン) Jackson,“Jackie”Sigmund Esco /長男 19510504 America /1963‥‥ ジャッキー、ティト、ジャーメイン3兄弟の長男 19741124 イーニッド・スパンと結婚(子供:シグムンド、ブランディ)19870820 離婚 Jackson,“Tito”Toriano Adaryll /次男 19531015 America /1963‥‥ ジャッキー、ティト、ジャーメイン3兄弟の次男 19720617 デローレス・マーテスと結婚(子供:タジ(トリアーノ�供法▲織螢襦■圍福淵謄�ト Jr.) 1988‥‥ 離婚(妻は 199408‥ 死去) Jackson,“Jermaine”Lajaun /三男 19541211 America /1963‥‥ ジャッキー、ティト、ジャーメイン3兄弟の三男 19731215 ヘイゼル・ゴーディと結婚 198807‥ 離婚 (子供:ジャーメインJr. 、オータム、ジェイミー) 1988‥‥ マーガレット・マルドナドと同棲 1994‥‥ 別居(子供:ジェレミー、ジョーディン) 199.‥‥ 1990年代初め頃にイスラームに改宗 19950318 アレハンドラ・ジェネヴィーヴ・オアイザ(七男ランディの元妻)と再婚 (子供:ジャファー、ジャーマジェスティ) 20041115 離婚 200..... Haleema Rasheedと3度目の結婚 ♀Jackson,“LaToya”Yvonne /次女=第五子 19560529 America /19890905 ジャック・ゴードンと結婚 1997‥‥ 離婚 誤=19560129生 Jackson,“Marlon”David /四男 19570312 America /1963‥‥ ジャッキー、ティト、ジャーメイン3兄弟 197. Jackson Five 19750816 キャロル・アン・パーカーと結婚(子供:ヴァレンシア、ブリトニー、マーロンJr. ) Jackson, Brandon /五男=双生弟 19570312 America 19570312 0 /生後数時間で逝去 ──────────────────────────────── Jackson,“Michael”Joseph /六男 19580829 America 20090625 50 /1963‥‥ ジャッキー、ティト、ジャーメイン3兄弟 197. Jackson Five 19940526 リサ・マリー・プレスリー(26)と結婚 1996118 離婚 19961115 デビー・ロウと再婚 1999.108 離婚 (子供:Prince Michael Jr. 、パリス Michael Catherine) 1998‥‥ 空手名誉5段 20031129 幼児虐待容疑逮捕 〜《We are the world》 ──────────────────────────────── ♀Jackson,“Janet”Damita Jo /三女=Michaelの末妹 19600516 America /19660516生? 19840907 ジェームス・デバージと結婚 19851118 離婚 199103‥ レネ・エリゾンド Jr.と再婚 200005‥ 離婚 19960112 総額8000万弗“史上最高契約金”報道 Jackson,“Randy”Steven Randall /七男 19611029 America /19611031,19621026生? 198905‥ エリザ・シャッフィと結婚 1991‥‥ 離婚(子供:スティヴァンナ) 1992‥‥ アレハンドラ・ジェネヴィーヴ・オアイザと再婚 1994‥‥ 離婚 (子供:ジェネヴィーヴ、ランディJr.、ドンテ) (20090627)
| 1958年08月25日(月) |
譜面ケース 〜 バインダー・デザイン 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580825 Ex libris Awa Library;楽譜バインダー …… 8月25日(月)〜30日(土)午後1時〜3時:於 チャペル 注;いろいろな事情のため、理想的な時間ではありませんが、ご了解 下さい。(略)整理のため、いまゝでに渡した楽譜を全部御持参下さい。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580822 練習日のお知らせ 発足から二年目になると、メンバーが持運ぶ楽譜の量も、かさばって くる。全体の管理は、馬場久雄君を初代インスペクターに任命し、個々 のパート譜面を収納するための、バインダー・ケースを考案した。 楽器と触れあっても傷つかず、持運びしやすいようにデザインした。 ボール紙を、コール天布地で(ブックカバーのように包み)ポケット 状に折返す。ともに一片の余地も残さないのが、与太郎の手法である。 あらかじめ、紙泉堂(高木 宏二くんの実家)でボール紙を裁断し、 タヌキ(木下 聖治)が近所のおばさんに内職を頼んで、ミシンで縫製 してもらった。 …… コーデュロイ(英:corduroy)は、綿横ビロード織りした織物。 コール天とも言う。ベッチンと同じ織り方だが、縦うねが特徴である。 ルイ14世の戴冠式に献上されたことから、庭師の制服として採用さ れる。そこからCorde_du_Roi(王様の畝)→CORDUROYと名づけられた。 (Wikipedia) ロール状の生地を一反購入、その巾(約1100mm)に合せて裁断した。 五線紙の最大寸法(A4〜B4の中間)を収納できるようにした。 いま、再現図を示すにあたって、A2(594×420)二折りとする。
| (1100mm) | ┌────┬────────────────────┬────┐ |────| 15 ────── | ─────────|────| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |420(450mm) | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |────| 15 ────── | ─────────|────| └────┴────────────────────┴────┘ | 250 | 300 | 300 | 250 |
指揮者用のポケット・スコアは、当時ほとんど与太郎の私物だったが、 卒業時点で寄付することにした。さらに翌年はチェロも寄付している。 (上京中の父の書簡に、貸与の記述あり、そのまま贈与したらしい) 数十人のメンバーが、ダークグリーンの譜面ケースを持って通学し、 ステージで一斉に拡げるさまは、指揮者としても気分が昂揚する。 夏の演奏旅行では、ついに蝶ネクタイまで特注した。(20061209) のちに同じ生地(ダーク・グリーンのコール天)で、全室カーテンを 特注した(北川洋服店)。新婚用(19670120)にしては、いささか暗く、 ウグイス色の土壁とも不整合だった。 ついで大阪時代には、第一通商の社長室にもストライブ・グリーンの 壁紙を指定したが、レリーフの地色と混濁して、まことに不評だった。 ひとつの可能性として、赤緑色弱者が好む傾向があるようだ。 高校時代に、新幹線グリーンに辿りついたのは、別の理由による。 そもそも小学校時代に「緑色は心が安まる」という俗説を読んで以来、 固定観念となっていて、よくも悪くも支配されていたらしい(20111108)。 …… inspector n.1 調査[検査,点検]する人.2 調査官,検査官, 監査官,監督官;視学[督学]官(school inspector) an inspector of sanitation ── ランダムハウス英和大辞典
https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F) http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/ | http://twitter.com/awalibrary(ツイッター) http://twilog.org/awalibrary(ツイログ) http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ) | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19580825
(20160804) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
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