与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580822 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19580822 Ex libris Web Library;練習日のお知らせ http://d.hatena.ne.jp/images/diary/a/adlib/1958-08-22.jpg Let'19580822 from 同志社高校器楽部 1.8月25日(月)〜30日(土)午後1時〜3時:於 チャペル 注・いろいろな事情のため、理想的な時間ではありませんが、 ご了解下さい。 2.新しい楽譜が揃いました。秋の文化祭にふさわしい、格調高い曲を 選びました。 a, ベートーヴェン:「エグモント」序曲 b. ヘンデル:組曲「忠実な羊飼」 c. ビゼー:「アルルの女」前奏曲 3.欠席予定者は、連絡して下さい。 練習能率を上げるため、時間に遅れないようにしましょう。 4.整理のため、いまゝでに渡した楽譜を全部御持参下さい。 5.部費その他の未納者は、至急お納め下さい。<同志社高校器楽部> (19580822 消印 20071221) このはがきの孔版技術は、秋のポピュラー・コンサート・プログラム から、翌年の琵琶湖一周演奏旅行ポスターや《年表音楽史》につづく。 同志社高校器楽部プログラム 〜 本校初のベートーヴェン 〜 ── 《文化祭日程 19581003 同志社高等学校新聞》 同志社高校文化祭 19581004 16:00 祇園会館(指揮;広野 小四郎)St.Qt. 同志社高校文化祭 19581010 午前(校内)発表会(指揮;阿波 雅敏) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581021 シンコペーション 〜 決裂と和解 〜 同志社高校同窓会 19581026 都ホテル(指揮;阿波 雅敏)会長;松木 寛(33年度総会) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581125 第一回校内ポピュラーコンサート http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581126 振太郎 〜 ポピュラーコンサート以後 〜 同志社EVE音楽祭 19581129(?)栄光館(指揮;阿波 雅敏) 最初の練習(19580825)で譜面を配ってから、40日後(19581004)、 祇園会館で、広野OBの指揮が混乱したのは、与太郎にも責任がある。 与太郎は、いったん立ちあがってでも、制止すべきだったのだ。 □□OBのヴァイオリンを、直前に要請したのも、やはりムリだった。 《エグモント》も《フィンランディア》も、歴史的に小さな勝利だった。 なぜか、高校時代には、十字屋から広告を取らなかった。 http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=uJJXu6hrNe8&feature=endscreen 「指揮者なんて誰がやっても同じじゃね?」と思う人のための同曲異演集 ── Philharmonie Hall, М?нск, 19831120(45:41) http://www.youtube.com/watch?v=JczZsLIDFO8&feature=related Shostakovich: Symphony No.5 - Mravinsky(1983Live) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19590818 DHSポスター 〜 琵琶湖一周演奏旅行 〜 1960‥‥ 1961‥‥ 1962‥‥ 1963‥‥ 1964‥‥ 1965‥‥ 1966‥‥ 1967‥‥ 1968‥‥ 19690401 《月刊アルペジオ》創刊 ── ベートーヴェン生誕 200年祭で ことしはおいそがしいですね http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700116 一聴一席��ふるさとドイツ クリストフ・ケンプ京都ドイツ文化センター館長をたずねて 19701216 《ベートーヴェン・ダイジェスト Awa Library》幻の生誕記念企画 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710703 GATO 〜 また逢う日まで 〜 1971‥‥
── キューブリック・監督《映画「時計じかけのオレンジ」19720202 England 19720429 Japan》 ↑カーロス・編曲・演奏(シンセサイザー版)↓フェッロ・構成(劇場予告版) ── カラヤン・指揮《歌劇「ウィリアム・テル」序曲 19‥‥‥ Berlin》ベルリン・フィル 1973‥‥ 1974‥‥ 1975‥‥ 1976‥‥ 1977‥‥ 1978‥‥ 1979‥‥ 1980‥‥ 1981‥‥ 1982‥‥ 1983‥‥ 1984‥‥ 1985‥‥ 1986‥‥ 1987‥‥ 1988‥‥ ── クーパー博士が残されているスケッチの断片から1988年に交響曲 第10番第一楽章を補筆完成(謎学の旅スペシャル 19881014 日本テレビ) http://homepage3.nifty.com/jymid/kaisetu/b10_sketc.htm ベートーヴェン第10交響曲スケッチ http://www.youtube.com/watch?v=tTD-MdT9RRw Beethoven Symphony No. 10, 1st mov (Part 1) ↓(Part 2) http://www.youtube.com/watch?v=K21tODUlwoc&feature=related (20120705)
| 1958年08月19日(火) |
炎上 〜 鬼気せまる狂気 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580819 仲代 達矢の衝撃的デビュー! 市川 崑《炎上 19580819 大映京都》 http://homepage2niftycom/e-tedukuri/enjyouhtm はじめのころ、与太郎は“なかしろ・たつや”と読んだが、田村忠彦 くんが“なかだい・たつや”だと教えてくれた。しかし、なぜそのよう な“重箱読み”が成立するのかは、説明してくれなかった。 二本立ての片方は、森 一生《人肌孔雀 19580803 大映京都》であり、 共演者の山本 富士子について「彼女はきれいだが、すこし指が短い」と、 与太郎は田村くんに感想を述べた。 雷蔵ファンの女中も《炎上》について「何や、わからへん」と不満を もらしていた。天下の二枚目が、呆けた表情をするのが解せないのだ。 いま思うに、この作品は、さまざまの“意味”をもちあわせていた。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19311125 浜田 雄史:出演録 http://d.hatena.ne.jp/aedlib/19711216 喪中 〜 奥村家の人々 〜 (20060808-20081230)
↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580625 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from our pictures;
やまなみ 15号 もくじ 作家と私(四)…………………富井 康夫…… 2 無情について……………………竹内 康 …… 7 讃美………………………………笠本 義嗣……11 神様の恋愛………………………武市 恒子……14 断章………………………………水野 良清……15 飛鳥野……………………………山本 邦彦……18 俳句………………………………下村 福 ……23 奥津城……………………………楠本 達磨……25 力…………………………………池田 満良……26 煙…………………………………中堀 淑子……27 創作 崩壊………………………………中村 久美子…28 波瀾………………………………山本 典良……33 恋の結末…………………………和田 和代史…39 岩倉印象記………………………杉林 博子……49 編集人:笠本 義嗣/中西 宏/印刷所:芸林社 ── 《山脈・第15号 19580625 同志社高校文芸部》
>> 無情について 竹内 康 …… 先立って私は山が好きなものですから久しぶりに「遭難」という 映画を見に行きました。 この映画は言う迄もなく谷川岳での遭難の生々しい記録映画であり、 これによって少しでも遭難事故を防止しようという意図の下に多分作ら れたものです。ところが私は映画館を出て外の冷たい空気に触れると、 急にこの映画での人間の醜さというものをまざまざと見せつけられたよ うな気がしました。それと同時にあの画布一杯に写し出された谷川岳の 姿が何か圧倒的な印象として私の心に残っていました。私はそれが何で あるかという事を別に解明することなく過してきましたが、今こうして 考えてみると、人間の醜さというものはどうも人間の持つ情(Pathos) らしいと考えざるを得ないのです。それに比べて私を圧倒したあの谷川 岳の美しさは謂わば人間のもつ情というものを持ちたい為だと思われる のです。というのはあの映画でしばしば出て来ますが、死んだ息子に取 り縋って泣く親の姿だとか、息子の死体を引き上げる父親の緊張した顔 だとかは、謂わば人間の情のある一つの極限まで表現されたものです。 こういった情は成程ヒューマニズム的立場から見れば醜いどころか美し いものです。しかしながらあの谷川岳を背景にして見ますと、私は美し いという事を躊躇せざるを得ないのです。何故かと申しますと、そうい った人間の苦しみ、悲しみが謂わば余計な空しいものであるという事を、 谷川岳が感じさせるからなのです。即ちいくら我々が苦しんでも、悲し んでもその甲斐が無いからです。山は全く我々の苦しみには無関心であ り、我々は情を持ってしてはその無情な無関心には打克つ事が出来ない のです。どんなに子を失った親が嘆き悲しんでも、遭難という無情な事 実と、息子の死体とはどうする事も出来ないのです。その現実を動かし たり改めたりすることは出来ないのです。無情な現実に対しては我々の 情は唯我々を苦しめ悩ます原因以外何物にもなり得ないのです。そして、 しかも我々はこういう情に囚われているのです。盲目的にその情の中に 陥ち込んでしまっているのです。激しい執着心を持っているのです。だ から私は谷川岳を背景とした時、人間の情が醜いものであると思はざる を得ないのです。 ところで、本当に人間の情というものは余計な存在ではないでしょう か。我々は情というものが一つの独立した存在を持つものだと考えがち です。けれども実際は情を起させるには必ず何かきっかけとなるものが 必要です。物があってこそ始めて情があり得るのです。情そのものだけ では存在し得ないものなのです。言いかえれば、情は何かある物に向け られ、それに依存しようとするものなのです。しかしながら、その物た るものは無情なものなのです。我々の差し出す情を受け入れようとはせ ず、それには何も応えてくれないのです。その物は我々の情を必要とし ないのです。だから我々の情は中途半端な余計な存在とならねばならな いのです。情の対象となる物が、総て無情だとは限らないと考えられる かもしれません。しかしながら、そういう風に情を求めるのが、もう既 に情なのです。情に囚われていて無情をはっきりと見る事が出来ないの です。我々自身及び我々を取り囲む自然は、情によって動かされるもの ではありません。もっと大きな強い力に依るのです。情というものは、 偶々人間が持つだけのものなのです。何も宇宙は人間の為に存在してい るのでは決してありません。だから宇宙は無情なのです。 有情だと考えるのは宇宙が人間の為に存在すると考える為です。そう いう人々は自然の無情をも何ものかの情であると考えるのです。そこで 超人間としての神を創らなければならないのです。自然の無情を神の情 と考えるのです。しかし、無情な物はあくまでも無情です。思い代えや 誤魔化しは利かないのです。決して人間が住む為に地球が作られた訳で はないのです。唯地球があり、偶々それが人間を生んだだけなのです。 例えばあの母なる海も、もう今では我々をその懐には入れてくれないで はありませんか。それ自身で充実した存在を持っていて、我々の入り込 むような隙間はないのです。それに一度天空を仰げばあのパスカルを戦 慄させた我々には、感知する事のできない無限の空間の沈黙があるでは ありませんか。真に我々の情は、単なる余計な存在か、あるいは自然の ほんの一微物に過ぎないものであり、それを以つて物を動かしたり支配 しようというような事は全く出来ない事なのです。情には頼れないので す。我々の頼りとは成り得ないのです。いや、むしろそうだから、我々 は何事にも頼り得ないのです。何故ならば、頼ろうとする気持は既に情 であるからです。こういう頼りにならない情に頼ろうとする所に、情を 過大に評価する所に、我々が愛や憎しみや喜怒哀楽に苦しまなければな らない所以があるのです。我々が同情を求めるから自然の無情に耐えら れないのです。我々を取り囲むもの総てが無情だという事を悟らなけれ ばなりません。情に囚われ、情に押し流されたのでは、苦悩の輪廻から は到底抜け出せないのです。 × × × 「諸行無常」という事がよく言われます。我々はこの言葉をこの世の はかなさ、むなしさを嘆いたものだと考えがちです。又実際この言葉を 聞くとそういう趣を感じるものです。しかし、諸行無常という言葉は、 唯諸々の物が移り、変ってしばしも常住しないという事実そのものを言 っただけのものなのです。そこには何ら嘆きの感情は含まれていないの です。しかしながら、我々が諸行無常をそういった嘆きとして受け取ら ねばならないのは、我々が有情だからです。情を持つために、無常とい う事実を率直に受け入れられないのです。諸行無常とは、我々有情な者 にとっては、謂わば諸行無情と同じ事なのです。自然の無情を知るとい うのは、諸行無常を知る事なのです。諸行無常を本当に知る為には、我 々の情が諸行の一つだという事をはっきり認識する事が必要なのです。 又逆に我々の情が諸行の中の一つだという事を悟ったならば、諸行無常 という事実をはっきりと認識する事が出来るのです。ところで話は変り ますが、認識ということは単に頭で知るという事だけではありません。 そういう消極的なものではなく、もっと積極的なものなのです。我々は 認識する事によって、その物に対する態度を決定させられるのです。積 極的に働きかける態度が生じてくるのです。またそうであってこそ本当 に生きた認識なのです。 それでは諸行無常の認識はどんな態度を生み出すのでしょうか。それ は何物にも囚われないという態度です。何物にも執着しない態度なので す。情に囚われないで、情を自分から離して客観的に見るのです。一つ の物として取り扱うのです。だからそこにはもう情に溺れたり、熱中し て我を忘れるというような事はありません。いや、それが出来ないので す。いつも冷ややかな眼で、執着のない眼ですべてを見つめるのです。 諸行無常を見つめるのです。こういう態度は例えば、徒然草の兼好の態 度に最も良く見出す事が出来るでしょう。彼の鋭い観察力だとか、批判 力は全く彼が何物にも囚われなかった事によるのです。それ故にあのよ うに諸行無常の世界をはっきりと見る事が出来たのです。痛い程鮮明に 見透せたのです。又彼の思想に鴨長明のような厭世観が感じられないの は、かれが情に囚われないで、無常という事実をそのまま事実として受 け入れられたからなのです。彼は世の無常をはっきりと知っているので すが、そうだからといって何も世を嘆いてはいないのです。もっと率直 に事実をありのままに受け入れる健康さがあるのです。ものに対する執 着がないのです。自分も又諸行の中の一つだという事をはっきり認識し ているのです。諸行無常を知るという事は、この世をはかなみ嘆く事で はないのです。情に囚われないという事なのです。物に執着しないとい うことなのです。 × × × ながむとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそ悲しけれ 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮 これらの歌は西行の詠んだものです。彼の歌には実感がこもっている と言われますが、それは彼の飽くまで誠実であろうとする態度、即ち何 物にも囚われない、情熱を燃やさない態度に依るのではないでしょうか。 彼には我を忘れるというような事は滅多になかったのです。何事にも熱 中出来なかったのです。しかも彼のこうした態度は内省的な懐疑から生 れたものではありません。もっと深い実感から生れたものだったのです。 俗世界を棄て、そうかといって僧にもなりきれなかった彼にとって自 分の心を満たしてくれるもの、頼りとするものは唯自然の中にしか残さ れていなかったのです。だから彼にとっては、自然は単なる客観的な存 在、外から眺めるだけのものではなくて、彼自身その中に没入して、そ の中に溶けこんで内から感じなくてはならないものだったのです。しか し、そこで彼が見出さなくてはならなかったものは、自然の無常という 事実だったのです。彼は心を満たしてくれるもの、頼りになるものを求 めて花や秋の景色に自分の情を託したのでした。しかし、それらは何も 応えてはくれず、唯果無く散ってしまったのです。彼の情は受け入れら れなかったのです。そこに彼の苦しみがあった訳です。それで又満たさ れぬ心を抱いて新しい旅路に向わなければならなかったのです。満たさ れぬ心の呻吟、それこそ彼の歌の基調をなすものです。そして又、彼に はそういった自然の無情さを通して、自分の情の果無さ無常さを感じて いたのです。だから何事にも我を忘れる程熱中出来なかったのです。例 えば彼の恋愛歌にしても 何となくさすがに惜しき命かなあり経ば人や思ひ知るとて 疎くなる人を何とて恨むらむ知らず知られぬ折もありしに という風に極く控え目な、孤独の想いだったのです。無論僧侶という 身分的な拘束もあったでしょう。しかしながら、それにも増して彼には 恋愛感情の果無さという事が、痛い程見透されたのでしょう。そのため に彼には激しい恋に陥入る事も出来なかったのです。 ところで彼の満たされぬ、応えられぬ心は一生の漂白の末どのように 変っていったのでしょうか。 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな これは彼が六十九才の時、やはり行脚のうちに詠んだものです。この 歌にはあの彼特有の感傷的な寂しさは、もはや見出されません。むしろ この単純な平明さの中には何か満ち足りたものさえ感じられるのです。 彼にとってはこの歌こそ謂わば解脱だったのです。自分の有情の苦しみ からの解脱だったのです。それでは一体何に彼の満たされなかった心は 満たされたのでしょうか。それは満たされる事を求めない心なのです。 花や月や景色に対する執着の気持を棄てた事に依って、彼の心は満たさ れたのです。はっきりと自然の無情を悟ったのです。そして自分も又諸 行無常の中にあるのだという事を知ったのです。彼の歌っているわが思 いとはも早何か一つの物に向けられたものではないのです。対象のない 広い世界に、行方も知らぬ彼方に向けられたものなのです。彼はもう応 えられる事を求めてはいないのです。富士の山を前にして、彼はもはや その山に対する執着の気持はないのです。富士の山を見てはいないので す。唯富士の山は彼の眺める方向を定めるだけなのです。彼は無限の大 空の彼方を眺めているのです。彼の情が物に対する執着から解脱したの です。こうして、無情と無常をはっきり悟った彼には、もはやこの世に 対する、生に対する執着の気持もなくなったのでしょう。彼が最後に 願はくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ と詠んだのも当然の事だと頷けるでしょう。 ── 《山脈・第十五号 19580625 同志社高校文芸部》P7-10 <<
Pascal, Blaise 哲学 16230619 France 16620819 39 /〜《Pansees》 兼好 法師(籍=吉田)1283ca‥ Japan 1352以後 69 /弘安 6.‥‥ 正平 7.文和 1.以後 /〜《徒然草 1331ca》 鴨 長明 歌人 1155‥‥ Japan 12160724 62 /久寿 2.‥‥ 建保 4.0608-0609 /〜《方丈記 1212 》 1153(潮〜朝)/誤=0618閏(61) 西行 法師 歌人 1118‥‥ Japan 11900323 73 /元永 1.(歴)建久 1.文治 6.0216 /〜《山家集》“花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ”北面の武士 ──────────────────────────────── 竹内 康 NHK 19401127 京都 20090311 68 /昭和15.1028 平成21.0215 /〜《無情について 195806‥》《パブロ・ピカソ 19581010》《客体から主体へ 19570602》
…… 文芸部誌四年間を通じての白眉、《日常について 19641210 点展》 の脚注参照。過去に、風変わりな題名の日本映画《愛情について 195. 》 が記憶にあるが、手もとの資料にはない。(後日判明) ── 製作・藤本 真澄/監督・千葉 泰樹/脚本・水木 洋子・井手 俊郎 /撮影・三浦 光雄/音楽・伊福部 昭/美術・河東 安英/録音・小沼 渡/ 照明・大沼 正喜/出演・山根 寿子・二本柳 寛・三国 連太郎・ 村田 知英子・小泉 博・杉 葉子・斎藤 史子 ── 映画《愛情について 19530514 東宝》10巻 2,645m 白黒 http://www.jmdb.ne.jp/1953/cc001280.htm ── 遭難 〜 谷川岳の記録 〜 岩波製作。脚本・演出高村武次。撮影 加藤公彦。谷川岳に待機して雪山遭難の原因と実情を冷静に把握し劇的 効果をも高める。文部省芸術祭賞。日活系上映。(昭和三三・三) ── 田中 純一郎《日本映画発達史�� 19760310 中公文庫》P469 岩波映画製作所(社長・森重貝崙)は 19981210 破産申請 19990105 破産宣告、負債総額約 1,215,000,000円。 …… この十五号から、印刷業者が変った。下村先生の友人というから には早稲田出身の歌詠みか、あるいは病を同じうする文学青年が、生活 の糧を得べく、片手間に商いをすることになったそうである。 はじめて二色刷りの表紙原画を、パステルで描く。ついでに父の店で 使うDP袋もデザインして発注した。いずれも自信作で、製版技術にも 満足できた。貧しい文学青年に、いささかの利をほどこしたつもりでい たが、母が支払いの折に、無頓着にも値切ってしまっていた。 ── 《虚々日々 Day was Day 20001224 Awa Library》P71 …… 仏教の「生きとし生けるもの」は、人間だけではなく、すべての 生物が、けなげに生きながら「輪廻転生」する風情を尊いと観たのです。 このような文学的感傷が、とりわけ日本において進化したのでしょう。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4478342.html (No.1) 感情移入 〜 古代の科学から中世の詠嘆へ 〜 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20090505-20090815)
| 1958年04月16日(水) |
三悪人と暗女 〜 わるいやつら 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580416 Ex libris Web Library;Nobel laureates 1962 https://blog.goo.ne.jp/liberty7jp/e/4e59836586eecf147eae98ba3d6760af …… DNA by CWW 〜 最初の生物のお母さんは誰か? 〜 http://takedanet.com/archives/1071606351.html(20180614 10:25) 科学の話11:1つの巨大発見(生命系)、他に通信系・医療系。 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%CE%A1%BC%A5%D9%A5%EB クリック・ウィルキンス・ワトスン without フランクリン 1962 Nobel DNAの分子構造における共同発見者
Nobel, Alfred Bernhard 18331021 Sweden Italy 18961210 63 / Crick, Francis Harry Compton 19160608 England America 20040728 88 / Wilkins, Maurice Hugh Frederick 19161215 New Zealand London 20041005 87 / ♀Franklin, Rosalind Elsie 19200725 England London 19580416 37 / ♀Sayre, Anne Colquhoun 19230410 America 19980313 74 / Watson, James Dewey 19280406 America / Maddox, Brenda 19320224 America / Fukuoka, Shin'ichi 19590929 Japan Tokyo /分子生物学/青山学院大学教授
…… 彼女はワトソンやクリックとは異なり、あくまでも「帰納的に」 DNAの構造を解明していくことだけを考えていた。二重らせん構造につい て“ワトソン・クリック・フランクリン構造”とよぶべき(福岡 伸一 2007)。 ── 福岡 伸一《生物と無生物のあいだ 20070518 講談社現代新書》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4061498916 ── マドックス/福岡 伸一・訳《ダークレディと呼ばれて 〜 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実 20050810 化学同人》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4759810366 Maddox, Brenda 19320224 American / Rosalind Franklin《The Dark Lady of DNA(HarperCollins 2002 》 ── セイヤー/深町 眞理子・訳《ロザリンド・フランクリンとDNA 〜 ぬすまれた栄光 197901‥ 草思社》絶版 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4794200986 ♀Sayre, Anne Colquhoun 19230410 America 19980313 74 /
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19580416 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
(20180615) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1958年01月31日(金) |
人間の条件 〜 総目次 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580131 第一部 #000/P003-005 まえがき(19560711) 第一部 #001/P009 第一部 #002/P012 第一部 #003/P022 第一部 #004/P025 第一部 #005/P030 影山と女給 第一部 #006/P036 美千子の夢 第一部 #007/P039 第一部 #008/P041 第一部 #009/P052 トラックで引越 第一部 #010/P057 第一部 #011/P068 第一部 #012/P073 第一部 #013/P077 第一部 #014/P085 第一部 #015/P092 第一部 #016/P106 第一部 #017/P109 第一部 #018/P117 アッツ島玉砕より半月後 第一部 #019/P130 第一部 #020/P135 七月の或る日(194307‥) 第一部 #021/P140 第一部 #022/P146「二十八です」 第一部 #023/P158 犬の生命 第一部 #024/P159 第一部 #025/P161 第一部 #026/P167 第一部 #027/P175 第一部 #028/P179 第一部 #029/P184 第一部 #030/P186「南方共栄圏を死守せよ」 第一部 #031/P188 第一部 #032/P189 第一部 #033/P197 第一部 #034/P200 娼婦頭・金東福 第一部 #035/P205 第一部 #036/P208 第一部 #037/P215 第一部 #038/P220 紙と鉛筆 第一部 #039/P229 第一部 #040/P235 第一部 #041/P241 陳の初体験/朝鮮人・張命賛 第一部 #042/P249 第一部 #043/P255 イタリア降伏(19430908) 第一部 #044/P259 第一部 #045/P263 第一部 #046/P267 第一部 #047/P278 鉄条網の恋・揚春蘭と高 ◆ 第二部 #048/P005 特殊工人逃亡 第二部 #049/P013 王享立の手記 第二部 #050/P026 第二部 #051/P051 第二部 #052/P034 第二部 #053/P037 支那料理屋の七人 第二部 #054/P046 第二部 #055/P048 湯船の二人 第二部 #056/P053 ピクニック 第二部 #057/P055 謀略と脅迫 第二部 #058/P064 金曜日の夕方 第二部 #059/P065 秋の朝、六ヶ月目の休暇 第二部 #060/P073 崔の容疑 第二部 #061/P077 第二部 #062/P080 美千子と靖子 第二部 #063/P090 古屋の手仕舞 第二部 #064/P099 張命賛の拷問 第二部 #065/P103 古屋の胸倉 第二部 #066/P108 沖島の訪問 第二部 #067/P115 古屋と陳 第二部 #068/P118 陳の謝々 第二部 #069/P123 娼婦たち 第二部 #070/P127 モーゼル二号、陳の自殺 第二部 #071/P132 五人の焼死体 宋ほか3人と陳。 第二部 #072/P136 第二部 #073/P138 陳の老母 第二部 #074/P141 梶の表彰状 第二部 #075/P146 所長宅の酒宴 第二部 #076/P157 第二部 #077/P159 渡合憲兵軍曹と河野大尉 第二部 #078/P161 高ら七人の捕縛 第二部 #079/P170 逃亡か処刑か 第二部 #080/P176 第二部 #081/P178 捕虜の生命「日華同盟条約調印(19431030)」 第二部 #082/P184 処刑前夜 第二部 #083/P189 王と梶の対話 第二部 #084/P193 娼婦の嘆願 第二部 #085/P197 公開処刑(P204-208)四人目に中止。 第二部 #086/P209 梶の逮捕。自宅捜査。王の手記。 第二部 #087/P215 田中上等兵と渡合軍曹の拷問。 第二部 #088/P225 人間らしい勇気 第二部 #089/P226 同僚たちの訪問 第二部 #090/P229 処刑三日後、美千子の面会 第二部 #091/P232 処刑二日後、王ら特殊工人三十名の逃亡 第二部 #092/P238 梶の夢。 第二部 #093/P242 梶と美千子の対面 第二部 #094/P247 美千子の後姿 第二部 #095/P248 数日後、梶の釈放。 第二部 #096/P249 梶の召集令状。 第二部 #097/P257-259 出征前夜。 ◆ 第三部 #001/P005 日野准尉 第三部 #002/P018 新城一等兵 第三部 #003/P015 小原初年兵、地方新聞記者 第三部 #004/P020 板内上等兵。「好きな古兵がいるか?」 第三部 #005/P031 水汲み 第三部 #006/P038 手榴弾投擲要員 第三部 #007/P046 軍用はがき 第三部 #008/P053 柴田兵長 第三部 #009/P054 体前支え、対抗ビンタ 第三部 #010/P065 美千子の手紙 第三部 #011/P072 陸軍記念日(19430310) 第三部 #012/P078 日野准尉 第三部 #013/P086 猥歌「五月一日付を以て四年兵は満期除隊だとよ!」 第三部 #014/P099 盲射撃 第三部 #015/P106 遺言 第三部 #016/P111 「ここで家内に手紙を書け」 第三部 #017/P114 小原二等兵の手紙 第三部 #018/P116 雪中演習 第三部 #019/P124 慰問演芸隊 第三部 #020/P130 慰問演芸会場 第三部 #021/P135 年令二十八才、身長一七三センチ、体重六九キロ六〇〇。 第三部 #022/P143 美千子来る。 第三部 #023/P145 第三部 #024/P146 ノロの肉。一枚の毛布。 第三部 #025/P152 異常な一夜 第三部 #026/P157 剣術稽古 第三部 #027/P162 第三部 #028/P164 第三部 #029/P171 小原二党兵 第三部 #030/P176 第三部 #031/P182 第三部 #032/P184 行軍 第三部 #033/P194 第三班初年兵二十名。 第三部 #034/P201 第三部 #035/P205 小原の自殺 第三部 #036/P211 吉田上等兵の処罰要求 第三部 #037/P218 小原未亡人 第三部 #038/P222 軍隊の責任 第三部 #039/P229 中隊の失態 第三部 #040/P230 工藤隊長 第三部 #041/P237 クーニャン 第三部 #042/P243 第三部 #043/P248 第三部 #044/P253 板内と新城 第三部 #045/P258 家宅捜査 第三部 #046/P262 新城一等兵の重営倉 第三部 #047/P266 野火、新城の脱走 第三部 #048/P276〜279 吉田上等兵の病死、梶の発熱。 ◆ 第四部 #000/P000 読書の栞 1(欠) 第四部 #001/P005 急性肺炎 第四部 #002/P009 丹下一等兵。サイパン上陸から20日ほど後に陥落「おとといらしい」 第四部 #003/P018 内科分館 第四部 #004/P023 消毒室 第四部 #005/P026 喀痰提出 第四部 #006/P031 徳永看護婦。5日ほど前にグァム島守備隊全滅 第四部 #007/P038 別れ別れ 第四部 #008/P042 転属命令 第四部 #009/P045 坐金伍長(幹候) 第四部 #010/P048 角倉中尉の官舎当番。夫人の妹・佳久子。 第四部 #011/P058 冤罪 第四部 #012/P064 年末から正月 第四部 #013/P071 寄生虫の好意 第四部 #014/P074 梶の転属 第四部 #015/P078 第十一中隊、影山少尉との再会。 第四部 #016/P082 船田予備中尉(中隊長) 第四部 #017/P084 猪に発砲、牛島少佐(予備役)大隊長の抜刀。 第四部 #018/P095 五月の風、ホタルとユキ 第四部 #019/P100 盟邦ドイツの降伏。梶の上等兵進級 第四部 #020/P107 梶上等兵 第四部 #021/P110 赤星上等兵 第四部 #022/P119 五月の下旬。女の写真→P125(韓国ドラマ) 第四部 #023/P126 五十六人の部下 第四部 #024/P135 鳴門二等兵、三十九歳の棟梁 第四部 #025/P145 沖縄陥落 第四部 #026/P152 非国民 第四部 #027/P158 第四部 #028/P165 営庭 第四部 #029/P170 東部国境異常なし 第四部 #030/P177 親睦演芸会、鳴門二等兵の反抗 第四部 #031/P186 第四部 #032/P191 小泉二等兵の質問 第四部 #033/P196 梶の帯剣 第四部 #034/P205 第四部 #035/P213 第四部 #036/P216 作業隊 第四部 #037/P223 美千子の手紙 第四部 #038/P228 井原二等兵の許婚 第四部 #039/P235 女の軍属 第四部 #040/P242 第四部 #041/P249 青雲台潰滅 第四部 #042/P260 兵器受領隊 第四部 #043/P268 第四部 #044/P279 野中少尉 第四部 #045/P282 甘味品の再分配 第四部 #046/P301 蛸壺 第四部 #047/P308〜320 小銃分隊 ◆ 第五部 #000/P000 読書の栞 2(欠) 第五部 #001/P005 第五部 #002/P011 *日本兵は時計を持っていたか? 第五部 #003/P016 *梶は応用化学専攻。 第五部 #004/P025 川村上等兵の断末魔、野中少尉の自決 第五部 #005/P031 第五部 #006/P036 小野寺兵長の発狂(絞殺) 第五部 #007/P049 第五部 #008/P056 歩哨の刺殺 第五部 #009/P061 弘中班長の指揮権 第五部 #010/P069 地方人男女 第五部 #011/P077 蝸牛と茸と娼婦→P083《生存者》 第五部 #012/P084 写真屋の子 第五部 #013/P091 娼婦と茸、老教師夫婦→《生存者》 第五部 #014/P107 五人の死体 第五部 #015/P118 永田大尉。丹下一等兵との再会 第五部 #016/P132 満腹 第五部 #017/P141 下痢、ミッチェル女史の描写 第五部 #018/P152 走る豚 第五部 #019/P159 第五部 #020/P168 死に切れずにいたノロを射殺。 第五部 #021/P175 鶏の屠殺 第五部 #022/P177 5:3の比率 第五部 #023/P185 白系露人夫婦 桐原の回想 第五部 #024/P193 トウモロコシ畑 第五部 #025/P203 農家と民兵 第五部 #026/P213 朝鮮人「八月の十五日です」 第五部 #027/P217 朝鮮人部落 第五部 #028/P223 八月十三日に部隊が全滅。姉(18)と弟。 第五部 #029/P234 第五部 #030/P238 第五部 #031/P240-251 梶と桐原。 ◆ 第六部 #000/P000 読書の栞 3(P1-4) 第六部 #001/P005 赤軍大尉と沖島、ダワイ(出せ) 第六部 #002/P011 政治将校と沖島、マダーム(女) 第六部 #003/P018 美千子と靖子と沖島、カピタン。 第六部 #004/P030 梶と桐原の別離 第六部 #005/P039 鳴戸二等兵との再会 第六部 #006/P045 影山戦死(ダルタニアン) 第六部 #007/P055 桐原・福本・匹田の獣欲。 第六部 #008/P061 第六部 #009/P063 越冬隊長 第六部 #010/P070 二名斬殺の北郷曹長を、丹下が銃殺。 第六部 #011/P079 「人間は一人平均年間一石で生きて行ける」 第六部 #012/P084 丹下の投降。梶が二名の赤兵を銃殺。 第六部 #013/P091 部落まで 第六部 #014/P096 四五人の女 第六部 #015/P102 鎌の刃に似た月夜の略奪「品行方正の兵隊さん」 第六部 #016/P109 小田原評定(寺田の残留、七人の侍)捕虜に。 第六部 #017/P125 インチキ保安隊、珠代「フリフリマダム」に。 第六部 #018/P134 梶の消息 第六部 #019/P138 靖子と美千子の商売 第六部 #020/P144 岡崎の三白眼「黒木所長は土下座」花街の女をトラックで 第六部 #021/P151 沖島と美千子と靖子と「惣一饅頭」 第六部 #022/P155 謝医師との再会。沖島、保安隊に連行。 第六部 #023/P163 老虎嶺で、岡崎に殴られた中国人が告発。 第六部 #024/P168 雑居房の唄。岡崎の裏切りと釈放。 第六部 #025/P174 沖島の供述「渡合憲兵は敗戦と同時に逃亡した」 第六部 #026/P180 能登同志の新聞創刊 第六部 #027/P184 吉良、ボードレール「獣の眠りを眠れかし」を諳んじる。 第六部 #028/P189 秋のシャワー 第六部 #029/P193 「死にそうなときに盗むんなら、俺は何も云えん」 第六部 #030/P202 「停止!」「誰が云ったのか?」「ファシストのサムライ」 第六部 #031/P211 一週間に小匙一匙程度の塩、それとほぼ同量の砂糖(近衛秀麿) 第六部 #032/P219 「ヨッポイマーチ!」 第六部 #033/P225 「病欠」のゴミ箱漁り。赤軍の合唱。桐原伍長? 第六部 #034/P231 桐原「梶、今度は俺の番だぞ」 第六部 #035/P241 野毛少佐「麻袋のことでも、長沼飛行中尉をやりこめたそうじゃないか」 第六部 #036/P246 「俺が寺田の代りに毎日残ることになった」 第六部 #037/P250 「在隊期間は?」「一年九ヶ月」皆川の誤訳「愚か者の話である」アスピリン 第六部 #038/P262 チャパーエフは梶との約束を守った。「スパシーボ」丹下と再会。 第六部 #039/P269 「寺田は死にました」桐原を殴殺して脱走。決定的な絶望的な行動。 第六部 #040/P277 美千子の「民主日報」 第六部 #041/P286-294 「ニポン、コジキ、カ」最期の肉饅頭。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560810 人間の条件 〜 千三百万部のベストセラー初版 〜 (20080308)
| 1958年01月29日(水) |
映画私帖 〜 醜女を演じた美女 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580129 Ex libris Web Library;Morgan, Michele ── 《両面の鏡 Le Miroir a Deux Faces 1958‥‥ Italy 19600306 Japan》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/********** …… (19580129)パリの警察署では、有名な整形外科医ポスタ博士を 射殺し、自首した男の取調べが行われていた。 その男の自供につれて、 次のような事実が明るみに出ていった。―― 物語は10年前にさかのほる。ピエール・タルディヴェは中学校の数学 教師で、30才になるがまだ独身だった。性格が弱く、ぶおとこで、無趣 味な彼も、最近ようやく結婚する気になり、新聞に�犧覆魑瓩燹蹐旅�告 を出した。ただし、配偶者の容貌には何も条件をつけないと書き加えて。 そして応募してきた女性たちの写真を見くらペながら、なかでも一番 不器量な、自分にふさわしい女性を選ばうとしている様子であった。 http://group2015.web.fc2.com/Italy/miroir.html
Cayatte, André 19090203 France 19890206 80 /《裁きは終りぬ》 Bourvil 19170727 France 19700923 96 /《仁義》 ♀Morgan, Michele 19200229 France 20161220 96 /《落ちた偶像》
http://q.hatena.ne.jp/1545451998#a1269870(No.4 20181224 05:34:34) http://q.hatena.ne.jp/1545451998#a1269855(No.2 20181222 18:20:58) 一声二顔三姿 〜 ダンディズムの条件 〜 若き日の津川 雅彦は(週刊新潮で)記者会見の発言をからかわれた。 「フランス旅行での収穫は?」「女が、よかったです」「?」 実は、最盛期のミシェル・モルガンに会っての印象を語ったのだ。 …… 洛星中学校から同志社高校、早稲田大学高等学院編入・中退。 明治大学付属中野高等学校、明治大学文学部、文化学院卒業。 ……(洛星は)1951年に学校法人として認可され[5]、1952年に中学校 が、1955年には高等学校が創立された(Wikipedia)。 津川 雅彦の中高学歴は、誤って(逆に)記載されている。 同志社中学校から洛星高校(=正/誤=)洛星中学校から同志社高校 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090706 惜春帳 〜 同志社中学三学年 〜 同志社高校でなく洛星高校へ進んだのは、通学の便宜によるものか。 当時の洛星は、背広の制服で知られたが、似合う者は限られていた。 むしろ津川は、似合いすぎて目立ったので、転校したのではないか。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19740829 ベルばら 〜 ベルとバラの日々 〜 https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E6%B4%A5%E5%B7%9D%20%E9%9B%85%E5%BD%A6&ao=a
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19580129 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
(20181224) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580120 >> 高校氷上 第三日 男子個人 佐々木に栄冠 フィギュア 全国高校水上選手権大会第三日の二十日は、午前七時から盛岡市高松 ノ池特設リングでアイス・ホッケー一、二回戦五試合、同八時からスピ ード女子三千、一千、男子千五百、男子一万の五種目、フィギュアは フリーを行った。予定されたアイス・ホッケー準決勝を最終日に延期し たが、スロードでは女子三千に室間(室蘭●水丘)佐藤●子(南佐久実) 男子一万で小林(●谷工)鈴木(釧路潮●)三浦(盛工)と五つの大会 新を出した。団体では男子は苫工、盛工が1.5点差でせり合い、女子は 南佐久実が大量55点をあげ二位八戸東を30点引離して三連勝を確定した。 アイス・ホッケーは苫小牧工、日光、釧路潮●が大差で、また愛知が 作新学院を接線の末破り準決勝に進出した。 フィギュア男子は佐々木(同志社)が断然強く、女子は吉原(金蘭会) が優勝候補の金子(川村女子学園)●●(金城学園)を押えてそれぞれ 優勝、団体では男子は同志社が初優勝、女子は金城学園が二連勝した。 ◇…フィギュア…◇ 【男子】�〆粥耕敝卞鵝米瓜崋辧�82・67(スクール 47・1、フリー 34・97) 席次数3��垣田(日大)70・58 ��今野(横浜)69・69 �ぞ�泉 (同志社香里)�ゾ�林(甲南)藤田(愛知) △得点=�‘瓜崋劭隠悪�愛知10�F�大9�げI唯賢テ瓜崋匚疥ぃ鍬�甲南6 【女子】�ゝ噺兇箸�子(金蘭会)76・68(スクール 46・0、フリー 30・68) 席次数 5・5 ── 《同志社が初優勝 19580121 京都新聞》第27372号 ──────────────────────────────── 悲痛だった吉葉山の記者会見 〜 九日目の土俵から 〜 けいこ場の壁に「静粛」の張り紙がある。いつもなら元気な掛け声が 響いてくるのが、この日の吉葉山道場はお通夜のように静まり返ってい た。ただ気負う報道陣が続々と詰めかけるだけ。吉葉山引退かどうか。 緊張はいやがうえにも道場の空気を重苦しいものにしていた。やがて十 二時十八分まちかねた報道陣の前に高島親方を先頭に吉葉山、中尾後援 会長が現われる。百人あまりの報道陣でギッシリ詰ったけいこ場ぎわの 十六畳の広間中央に紅潮した吉葉山がすわり「きょうかぎり引退します」 としわがれた声で発表、心なしか語尾がふるえていたようだ。つづいて 中尾会長が後援会の声明を発表する。 「二十九年初場所全勝優勝し、横綱なっていらい一生懸命土俵を勤めて きたが相次ぐ病気、負傷のため武運つたなく初場所で土俵を去ること… …」 その間吉葉はうつむき加減に会長の読む一語一語に耳を傾けていたが、 握りしめるあコブシも限界にきたのか、クリリとした大きな両眼から大 粒の涙がせきを切って流れ落ちた。胸に去来するものは過去二十年間の 土俵の喜び、悲しみ、苦しみだったろう。会長の声明が終ると吉葉はわ れに返ったかのように大きな手の甲で横一文字に涙をぬぐい「私は不思 議に3の数字に非常な縁があった。初土俵が昭和十三年、三十年初場所 から三場所連続休場、引退が三十三年です」としわがれたふるえ声で静 かに語った。思えば四年前二十九年前初場所に輝く全勝優勝を遂げ四十 三人目の横綱に推された時のあのはなばなしさはなく沈痛な記者会見で あった。 ○●…横綱吉葉山引退も、東西両支度部屋は予期していた通りという 顔。三横綱の土俵入りが終ると栃錦は「とても人ごとでない。あすはわ が身だからね」また鏡里は「ハラは決めているんだから……」とそれぞ れ毛布を体にかけて横になった。 ○●…横綱陣の取組前に、場内アナウンスが初めて吉葉山引退を放送 した。このショックでもあるまいが千代、鏡の両横綱がコロリ、コロリ と倒れる。首をまげ、考え込むようにして引揚げてきた千代の山は「先 に行きすぎた。攻めに出なければ水が入るのにね。ちょっと勝をいそい であわてた」と案外明るい表情。花道を寂しそうに引揚げてきた鏡里は 「勝とうと思って出たからいけないんだ。あわてたんだ」とさっぱりし た顔。 ○●…千代を下手ひねりで破った琴ケ浜は「右四つで相撲を取ったの は生れて初めてだ」また鏡里を押出しで勝った若前田は「初めて勝った。 決まった時、横綱が四つんばいになっていた」とうれしそうに笑顔がい つまでも消えなかった。 ── 《大手でぬぐうホオの涙 19580121 京都新聞》第27372号 << ── Cop'19580121 Sasaki 紙面右方に、大相撲横綱・吉葉山の引退(19580120)記者会見。 寝太郎(追辞)〜 Epilogue 〜 昭和三十三年一月、同志社高校二年D組の司級・獅子堂静雄(生物) 先生は、居眠りしている生徒の肩をドついて目ざめさせてから、この日 の大ニュースを伝えた。 「いまごろ居眠りしおって、なにも知らんナ。けさの新聞をみるヒマも 無かったんやろ……」 いつもながら先生の話は、あらぬ方角からはじまるので、最後の一言 まで聞きのがせない。よくわからないまま寝太郎も坐りなおす。 「帰ったらすぐに、けさの新聞を読んでみいよ。だれが写っとるか……。 わしゃ惚れぼれしたで、その笑顔の良ぇこと、あれこそ日本一の晴れ姿 やった、……(あとはムニャムニャ)」 陶然とした表情のまま、先生は出席簿をかかえて教室を出ていった。 だれかが「なんのこっちゃ?」とたずね、だれかが「ササキのことや」 と答える。なんぞ悪いことでもやったにしては先生の表情と合わない。 「あいつ、何しょったんや」という声に、みんなが彼のほうを見ると、 席は空っぽである。本人が居ないから、事情を知る者をさがしだすと、 フィギャー・スケートで優勝したのだという。 それも、昨年の優勝を譲った相手からタイトルを奪還したという。 その伝聞によれば、連日未明に起床してランニングしていたという。 そのまま無人のスケート・リンク(当時はじめて完成した京都アリーナ) に到着するや、たった一人で氷上を滑走するという。ときにはコーチも 付くのだろうが、想像するだけでゾっとするような寂寥感がある。 あるいは、氷に対する厳しさを少年のような心につつんで、だれもが 知らない世界に賭けていたのであろうか。 中学一年からの同級生である寝太郎と、二人そろって授業中に眠りこ けたことはあるが、そんな話は聞いたことがない(へぇ、彼はスケート なんかやってたのか)。 それにくらべて寝太郎ごときは、チェロを抱えて登下校し、わずかな 休み時間にセコセコ鳴らして、放課後に数十人をかりあつめて棒を振る など、いかにも世俗的である。 この冊子を発送する前日、一冊の宛名を書きかえることになった。 そのいきさつを、ここに書きくわえたい。 誰に約束したわけでもない、自分のための覚書きのような文集だから、 いずれそのうちまもなく、など五年もすぎてしまった。世間がはしゃぐ “ミレニアム”につられて、世紀末に終えることにする。 宛名を確認しながら、ふと彼がスケートで日本一になった直後の姿を 思いうかべてみるに、当時の新聞を見ていないし、のちの友人たちも、 現場で応援した者はいない。本人が見せびらかすことはないから、彼の 友人であることを自慢するにも、年月日だけでも知っておきたい。 そこで彼に「いつか、新聞のコピーでもよいから送ってくれないか」 と伝えるために電話をかけた。 この前に電話したのは、昨年九月八日午後十時ごろである。東京出張 のため不在だったので、二十七年ぶりに良子夫人と話をする。 「来々年は、カレも還暦なのよ」 「ボクはもう済ませたけどね。彼は何月生れだったかな?」 「三月三日、おひなまつりよ」 「だから二人も娘ができたのかな、両親ともに美男美女だから、天は不 公平だね」このあと夫婦のノロケばなしにつきあってしまう。 「奥さんと話しこんだから、ダンナはもう電話くれなくてもいいや。ど うせ用なんかないんだから」と受話器を置いた。 先の電話から三十九日後、彼女は未亡人となり、一周忌から七十五日 もたって、まぬけな悪友は、なぐさめる言葉もなかった。 「そうか、たいへんやったね。新聞の日付をしらべて、かならず写真の コピーを送るからね」 そのあとすぐ、葬儀に参列したはずの友人にたずねた。阪急電鉄では 社長室長もつとめたというから、冠婚葬祭の専門家にちがいない。 「君の印象では、彼の名誉はりっぱにたたえられていたか?」 「こう言うのもなんだが、はなやかなもんやった。オムロンの“大社長” はじめ、めぼしい友人はほとんど来ていた。小学校の同窓生とやらで、 中村玉緒なんかの花輪もあった」 「いまごろになって、ボクにできることはないか?」 「そやなあ、線香にそえてお悔やみの手紙でも出したらええんちゃうか」 「抹香くさいのは似合わんから、手紙を書こう」 (Day'20001221-1223) ──────────────────────────────── 佐々木 敏男 19400303 京都 19991017 59/19580120 Champion ! Figure Skating〜《世界大百科事典 平凡社》国民体育大会/スケート 当時のコーチを三十歳とすれば、現在七十三才。佐野 稔(二歳)、 伊藤みどりはまだ生れていない。 吉田 肇によれば、佐々木の死の当日、夫人はアメリカ出張中だった。 (不確実な伝聞によれば、彼の父もアメリカで客死したという) 中村玉緒(19390712生)は、立誠小学校の同級生(1993廃校)。 安田幸世は優勝当日の目撃証人。文部科学省の記録によれば、彼自身 も出場していた。 Let'604-8074 * 佐々木 良子 様 やや季節はずれですが、あなたの故郷にちかい静岡産の温室メロンを、 送ります。 あのあと、西山ドライブウェーの吉田 肇 君に電話をしたら、 「あれくらいヨメはんに惚れられたら、佐々木も男ミョウリやで」と、 うらやましがってました。だから、言ってやりました。 「オマエなんか、いまなんぼか稼いどるから、ヨメはんも大事にしてく れるけど、引退したらホッとかれるぞ」 あなたは、敏男君のりっぱな遺伝子を受けついだお嬢さんを、二人も 育てあげたのだから、これからもいっそう誇りたかく生きなさい。 もし、彼の悪口をいう奴がいたら、かならずボクに云いつけなさい。 ボクがきつくしかってやります。 彼のことを思い出したら、ボクにも電話しなさい(女房がやきもちを 焼くかもしれんが、ナニかまうものか)。 十七歳のときの彼の写真が載っている新聞を見つけ出して、かならず コピーを送ります(すこし時間はかかるかもしれないが)。 こんどのボクの本には、彼のこと、あなたのこと、やしき・たかじん のことなど、あちこちに書いてあるので、親しい友人や、先生たちにも 贈ることにしました。 ではまた。 Fax :086-46*-**** E-Mail : awalibrary@dream.com ──────────────────────────────── 710-00*-**** 阿波 雅敏 086-46*-**** 20001224 Mai'20001222 from 西山ドライブウェイ株式会社 お問い合わせの方々の住所は下記の通りです。 中沢由美 610-1153 * 栄楽祥子 573-0033 * 河原満夫 610-0331 * 吉田 肇 610-1124 * ──────────────────────────────── *死亡記事/《ヨミダス》参照 Tel' & Fax'20001225 from Mr.津田(京都新聞社・読者応答室) Pho'19991019-20001225 075-241-5421 >> 佐々木 敏男(ささき・としお=府スケート連盟理事、元同大フィギュ アスケート部ヘッドコーチ)17日午後8時58分、腹膜炎のため京都市上 京区の病院で死去、59歳。自宅は京都市中京区朝倉町534。告別式は21 日正午から京都市上京区堀川通出水下ルの京都中央祭典ホールで。喪主 は妻良子(りょうこ)さん。 ── 《京都新聞 19991019 》 佐々木敏男氏(府スケート連盟理事)死去=京都 佐々木 敏男氏(ささき・としお=府スケート連盟理事)17日午後 8時58分、腹膜炎のため死去。59歳。告別式は21日正午から京都 市上京区東堀川通出水下る192の1の京都中央祭典ホールで。自宅は 同市中京区富小路通三条下る朝倉町534、富小路アーバンライフ60 4。喪主は妻、良子(りょうこ)さん。 ── 19991019 大阪朝刊 丹波セ 28頁 144字 01段 /読売新聞 連盟委員を登録取り消し/日本スケート連盟 日本スケート連盟は21日、関西ブロック選出のフィギュア委員佐々 木敏男氏の連盟登録を取り消した。事実上の除名。佐々木氏は、連盟や フィギュア委員会の運営を批判した文書を再三日本体育協会など関係機 関に送付。連盟は、こうした文書の内容が事実に反し、連盟の名誉を傷 つけた、と処分理由を説明している。 ── 19950722 東京朝刊 スポA 23頁 00144字 01段 日本スケート連盟は4日、都内で理事会を開き、米同時テロ事件を受 けた危機管理委員会(委員長=松本充雄専務理事)を設置した。来年2 月に迫ったソルトレークシティー五輪動向の情報収集と、日本代表選手 の安全管理対策などが狙い。外務省や日本オリンピック委員会(JOC) の米国派遣職員らとの連携を密にしながら、近日中にも第1回委員会を 開く。 委員会は松本委員長以下、各競技部門の強化部長らがスタッフ。現在、 スピードスケートでは金メダル候補の清水宏保(NEC)ら選手、コー チら35人がカナダ・カルガリーでの氷上合宿を行っているが、ソルト レーク合宿は見合わせている状況。また、ショートトラックの日本代表 チームは、北米遠征のため今月11日に代表選手が渡米する。 ── 20011005 MSN=YOMIURI ON-LINE << ―― 安田 幸世 やすだ・こうせい 昭15.5.5 伏見 政1 民社党 府運連副書記長 同志社大経 〒612 (075-64*-****) ―― 《読売人名録 19910301 読売新聞社》P658 ──────────────────────────────── →《落第生は二度眠る 〜 寒月の右手 〜 20030115 》 →《幻の弦楽技法 〜 出谷 啓氏への未投函書簡 〜 20030115 》 →《チャンピオン 19580120 与太郎文庫》 ―― 《同窓会始末 19710115 》虚々日々 P223 ―― 《アキレスとメロス 19711114 》虚々日々 P127 ―― 《くたばれ!たかじん 19960606-0607 》虚々日々 P234 ―― やしき・たかじん《たかじん胸いっぱい 19930620 》虚々日々 P232 (20060109)
| 1958年01月12日(日) |
色盲矯正法 〜 門をたたくツエ 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580112 >> 色盲に矯正の喜び 新居浜市の中学の先生 苦心の治療研究 【新居浜発】一生治らないものと思いこまれ、医学界でも全く見捨てて いる色盲、色弱の治療方法を、中学校の図画担当の若い先生が研究して 成功、近くアメリカの眼科学界専門雑誌に発表される。新居浜市泉川中 学校の牛尾邦香教諭(27)=同市坂井=である。同教諭が考案した色覚 矯正器は、すでに百人に近い色神異常者の色覚をよび戻し、早いものは 三週間、難症でも三カ月で治し、大学入試や自衛隊、警官、船員の採用 試験にパスして喜ぶ若人や肉親の手紙が舞込んでいる。眼科医(別子住 友病院川井健二医博)の追試の結果もこれを裏付けており、今月からこ の矯正器で本格的な基礎実験と追試にのり出す岡山大学医学部眼科教室 の赤木五郎主任教授もその理論を激賞、同教諭の「先天性色神異常の矯 正に関する研究」という論文と追試結果の詳細を国外に紹介発表するこ とになったもの。 一昨年の夏、美術の授業中、補色対比を説明するため、色紙で残像実 験をした。真白い画用紙の上に赤色の紙を置き、二十秒ほど見つめさせ た後、その赤い紙をサッと取り除くと、色覚の正しいものは画用紙の上 に赤の補色(陰性残像)である青緑か緑色が必ず浮ぶ。ところが、ある クラスで「全然見えない」という生徒が四人いた。色盲検査表で調べる と、四人とも完全な色盲か色弱の生徒だ。美しい七色のニジを一本の黒 線に描く生徒ばかりだった。そこで牛尾教諭は「色神異常者は残像が現 れにくい」ことを知り、この残像実験を繰返すことによって視細胞を刺 激すれば、眠っている色に対する能力がよみがえるのでなかろうかと推 理し、全校の色神異常者を集めて推理を行動に移した。 根気のよい残像実験を続けているうち、少しずつ残像の現われてく る生徒が出て来た。医学的な裏付けは別として推理は的中したわけ。 そこで昨年のはじめ、授業の合間をみては箱型の光学設計の矯正器を 手製でつくりあげ、色盲の生徒三十余人を対象に毎日反復、経過や結 果をコツコツ記録、カルテを新居浜市住友病院の眼科医川井健二医博 (三五)の元へ持込んで、着想が医学的に成立つかどうかを質した。 「理論は立派に成立つ」という答に勇気づけられ、矯正した生徒十余 人を連れて、日曜ごとにこの道の権威である岡山大学の赤木教授に精 密検査をしてもらうため通い続け「正常」と診断される生徒がふえて ゆくに(略 〜 欠落 〜) 牛尾教諭の話(略)の門をたたくツエともなれば幸いである。あとは専 門の眼科医がバトンを受継いで追試してもらえばよい。論文は全国の 医大や名のある眼科医に三百余送ってある。むしろ反論が出て、色覚 理論闘争が展開されることを望んでいる。それが色覚異常者を一日も 早く救う道だから…。 川井医博の話 二カ月にわたり四坂島の子供十人を対象にはじめての追 試をしてみたが、アノマロスコープの精密検査の結果、一人は完全に 治り、他の九人も色覚がうんと出てきた。トレーニングを続ければ治 る見込みは十分だ。いままでの医学界の常識では、基礎実験から結果 が生れるのが普通だが、こんどの場合は逆に結果が先に出たため、問 題がむつかしくなった形。できるだけ多くの眼科医が追試して牛尾氏 の研究を認め、さらに完全なものが生れることを期待したい。 赤木教授の話 牛尾君のアイデアは弱視治療の原理と同じで、その鋭い 観察と推理の運び方は敬服すべきでぜひ外国の雑誌に発表するよう私 からすすめた。理論的にも色盲矯正の可能性は十分成立つし、昨年、 私の元へ連れてきた治療中の生徒をアノマロスコープで測定したが、 効果は確かにあった。新しい矯正器も届いているし、十分追試し、私 の方からのデータも別に外国の雑誌に発表したいと思っている。 西条市氷見町朝日、無職 山内時子さん(43)の話 遺伝のためか母子 三人とも色盲で、一昨年長男裕明(19)が倉レ西条工場の入社試験を うけ最後になってはねられた時は望みを失ってしまいました。しかし 昨年六月から1ヵ月間通って矯正したおかげで裕明は完全になおり九 日によろこんで善通寺の自衛隊に入隊しました。いま機械を借りて来 て次男貴明(17)=西条高校三年=と私が矯正していますが、全然ち がった色の世界にはいったようで母子で喜んでいます。(この項西条) ── 《毎日新聞 19580112 京都版》 << >> 阿波 雅敏 様 前略 色盲にてお困りの様子ですが、誠にお気の毒に存じます。 牛尾氏の色盲治療法は原理は面白い着想ですが、未だ研究途上 のものであり、実際的な効果が必ずあるとは現在までの所では云い切れ ません。今後更に研究しなければ判らない段階です。 目下私共の教室でも、この研究を行いつヽありますので、この点が 明かになった上で治療を行われる様おすすめ致します。 尚現在行っている方法は、一治療を終了するに約一ヶ月を要します。 念のため申し添えます。 月 日 ___________様 岡山大学 医学部 眼科教室 右の通りですから、追試の結果が出るまでお待ち下さい。そして その後にもう一度 お問合はせ下さい。 岡山市岡 164 岡山大学医学部付属病院 岡山大学医学部 (Let'595 19580219-0305 消印・孔版返書) << ── 【色盲】しき‐もう 2(比喩的に)物事の状態や道理などを識別する能力がないこと。 ── Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) → 《山陽新聞 19890528 》ほか・参照。
Dalton,John “Daltonism”17660906 England 18440727 77“色盲論,1794”気象化学 Helmholtz,Hermann Ludwig 18210831 Deutsch 18940908 73“三原色,1894”Ferdinand von Ladd-Franklin,Christine 18471201 England 19300305 82“色覚発育説” America
── ドールトン 2) /イギリスの化学者、物理学者。12歳で学校を開 いて村の子供たちを教えたが、15歳のときケンダルの町で兄とともに学 校を経営し、またこの頃から気象観測を始め、以来その死まで57年間こ れを2万回続けた。それまでに行った研究発表は、極光の観察を含んだ 気象に関する主著《Mateorological observations and essays,1793》に 発表され、更に色盲についての詳細な記述を発表したが(1794)、彼自身 も色盲であって、これ以来色盲を“Daltonism”と呼んだ人々もある。 ── 《西洋人名辞典 19840620 岩波書店》P935-6 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041101 >< http://d.hatena.ne.jp/adlib/archive?word=%BB%E0%B7%BA ↓keyword“色盲・色弱・色覚” http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580112 色盲矯正法 〜 門をたたくツエ 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19590220 異験 〜 色盲検査表の原理 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19641210 《点展・第一号》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960605 早くセネカ! http://d.hatena.ne.jp/adlib/19990603 色覚異常 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001231 《虚々日々》目次 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010517 麿は磨ちがい団ちがい 〜 團家の人々 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021122 ぬばたま http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030726 解剖学者の脳 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041101 色盲検査 〜 教育委員会の迷妄 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060707 総目次 00000000〜200601106 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060906 九月六日生れの人々 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20071114 色盲色弱の謎 〜 終りなき誤解 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080926 明日に向って眠れ! 〜 古きよきアメリカの新顔 〜 (20080929)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19571122 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html Ex libris Web Library;19571122-1125 Doshisha Eve ── 《創立82周年記念祭 Doshisha Eve 19571122-1125 同志社栄光館》 同志社大学・同志社女子大学EVE実行委員会・主催 学生混声合唱団、ホザナコーラス(中学)、オルフォイスクラブ(香里高)、 女子中学三年(合唱)、革島 良子(p・中学3年)、増田 忍(vn・中学3年)、 アーベントコール、ジュニアーシムフォニー、シンフォニエッタ(高校) http://www.est.hi-ho.ne.jp/wakky1205/gassho/ccdannex/1955-1958/57112482theve.htm (20101203)
↓移転先 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19561111 文化祭のクイズ 〜 やらせとカンニング 〜 ↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/19571012 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Our Pictures;DPE 与太郎が美術学校へ進む決意には、重大な難関(別記)があった。 このデザインも自信満々だったか、なぜか父に評価されていない。 (商業美術に関する父子の齟齬は、中学時代の金谷書簡に詳しい) 上京中、京都美大をめざしていた森田某氏(東山高校出身の)の作品 に変えられたが、森田氏も、謝礼を受けとれなかったらしく、その不満 が長く遺恨を残した気配がある。(20090528) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581021 シンコペーション 〜 決裂と和解 〜 (20090507-20090528-0818)
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