与太郎文庫
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| 1956年08月10日(金) |
人間の条件 〜 千三百万部のベストセラー初版 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560810 ── まえがき 或る局面での人間の条件を見究めたいという途方もない企みを私はし た。大それたことだとは、手をつける前からわかっていたが、あの戦争 の期間を、間接的にもせよ結局は協力という形で過ごして来た大多数の 人人が、今日の歴史を作ったのだから、私は私なりの角度から、もう一 度その中へ潜り直して出て来なければ、前へ進めないような気がした。 書き終ってみて、果して出て来られたかどうかは怪しいものだが、この 一年間、作中の人物と共にあの数年間を暗中模索したことだけは事実で ある。そしてまた、人間が生きて行く条件を、あとになって整理したり 修正したりしても、失われた日日は遂に甦らないということも(*)、 悲しい事実である。 「人間の條件」という題名は、アンドレ・マルロオの作品に同名のも のがあるので、随分気になったが、他につけようがなかった。 これは勿論フィクションである。梶をはじめ、人物は実在しない。い つの時代でもそうだが、歴史の事実はフィクションよりも遥かに複雑で、 ドラマチックである。それはそのわけなのだ、無数の人間が長い時間を かけて織り成す壮大な社会劇なのだから。そういう歴史を前にしては、 虚構という手法に拠らなければ、とても真実の門口に近づくことが出来 るものではない。 物語の時を戦争のさ中に置いたけれども、歴史がもしなんらかの程度 に繰り返されるものならは、われわれ戦中派が味わった苦汁は、戟後派 の人人とも無縁ではないかもしれない。何故と云って、われわれが前の 世代の遺産としてあの戦争を苦痛と絶望の中で背負った事実があるにも かかわらず、いままた怖ろしい遺産相続の遺言がなされようとしている かに見受けられるからである。多少でもそういう共感が得られるとすれ ば、作者の願望は殆ど刺すところなく果される。 ところで、何を書くにしても、それが物語であるならば、面白くなけ ればならない、という観念から私は離れられない──面白く書けたかど うかは別として──。私がここで云う面白さは、練達の文学者達からは 「通俗」だと誹訝されそうな面白さである。もし大衆の健康な欲望が求 め、親しみ易いと感ずる面白さがそういうところにあるのだとしたら、 私はそれを探したい。それが追随主義になるかならないかは、面白さの せいではなくて、主題の質の問題である。私はせいぜい面白く書こうと した。それにもかかわらず、随所に晦渋で生硬なところがあるらしい。 力量不足で、大それた仕事が所詮手に負えなかったのである。 この作品に関して、三一書房の編集部長竹村氏から過分な評価を頂い たが、これが纏まるまでには、理論社の小宮山氏、祖父江氏、劇団民芸 の早川氏から、示唆に富んだ数多くの助言を頂戴した。殊に、早川氏に は、この小説の発想の当初から随分厄介をかけた。これらの人人の厚意 と友情がなければ、無名の作者の作品は活字にはならなかったに違いな い。記して心からの謝意を表したい。 一九五六年七月一一日 五味川 純平 (P003-005) ◆ 帯文学(*=まえがきより) ── 戦中派の新人彗星の如く出現/戦時下における知識人の苦悶、良 心と恐怖の格闘を一身に体現した人間の心の振幅を仮借なく追求したも のである。これは戦中派が一度は通ってきた道である… 第一部 170円 ── 「真空地帯」に比肩する作品/人間が生きて行く条件を、あとに なって整理したり修正したりしても、失われた日日は遂に甦らないとい うことは(*)、悲しい事実である。だが……………… 第二部 170円 ── 限界情況における心理と行動/たたきのめされても、泣きもしな い。逃げもしない。軍隊という組織のなかでがんじがらめにされながら も、梶の情熱はたえず煮えたぎっている。だが…………………………… … 第三部 170円 ── 人間の良心に対決する作品/戦争は、人間に何を与え、かつ、人 間から何を奪い、なおかつ何を人間の魂に要求していたか。その強力な 破壊力にいどんだ主人公は当然傷つかねばならなかった。だが………… … 第四部 200円 ── 生死の境の異常心理を衝く/ソヴィエト軍機械化部隊、怒涛の如 くソ満国境を越える。好むと好まざるとにかかわらず、魂を悪魔に売り 渡した動物たちの悲劇が始まる。間違いなく梶もその一匹であった。だ が……… 第五部 170円 ── 魂の底揺れする迫力(完結)/生命を賭けた良心も善意も、悲痛 な希望も哀願をも蹂躙して歴史は過ぎていった。人間は、激流に翻弄さ れる一片の花弁にすぎなかったのか。だが……………………………… 第六部 200円 ◆ 題名と人名 ── マルロオ(マルロー)小松 清&新庄 嘉章・訳 《人間の条件/王道 1934‥‥ France 1971‥‥ 新潮社世界文学全集31》 ── アーレント/志水 速雄・訳《人間の条件“The Human Condition” 1958‥‥ America 1973‥‥ 中央公論社 1994‥‥ ちくま学芸文庫》
Malraux, Andre' 19011103 France 19761123 75 /作家/冒険家/情報&文化相 ♀Arendt, Hannah 19061014 Duits America 19751204 69 /政治哲学 野間 宏 19150223 兵庫 19910102 75 /〜《真空地帯 195209‥ 文学》 五味川 純平 19160315 満州 静岡 19950308 78 /籍=栗田 茂/〜《戦争と人間》 ──────────────────────────────── 竹村 一 三一書房会長 19160622 京都 19850717 68 /69 田畑 弘 三一書房社長 19130421 京都 19870330 73 / 畠山 滋 三一書房社長 19‥‥‥ ‥‥ /翻訳〜卞 宰洙《南朝鮮の詩人群像―民主・統一の証言 199611‥ 三一書房》 早川 昭二 劇団民芸 1929‥‥ 東京 20010114 72 /演出/銅鑼<どら>創立
初版当時の正之蔵書に全六冊(戦争と人間も全三冊)残されていたが、 いずれも焼失(19991221)。あらためて、ヤフー・オークションで落札 (20080204)。ほぼおなじころの刷版で、近藤蔵書(印)を入手した。 (20080207)
| 1956年08月02日(木) |
第四回 同窓会/続“其の頃”/旧六年ろ組の皆様へ |
┌─────────┐ │ │ adlib/19560802 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19560802 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://awalibrary.blog.ss-blog.jp/ │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
第四回 同窓会のおしらせ 佐々木 康夫 この夏は如何お過しですか。 小学校を卒えて早や五年、いまでは見違えるばかりに成長したかつて の仲間たちは、職場や学校にあって力強い日々を送っていることでしょ う。そして、何かの機会にふとひろげてみたアルバムや文集に、自分や 仲間たちの笑顔をみてはそのたびに、なつかし気な微笑をもらしている ことでせう。 そうした仲間が、もう一度あの校門をくぐって、あの場所で語ること は楽しいことにちがいありません。お世話になった芝山先生を囲んで、 あの頃の失敗を笑い合うこともできるのです。 次のように計画しましたので万障繰合わせてお集り下さい。 と き 八月二十三日(木)午後六時より ところ 新洞小学校 作法室 会 費 百円以内(茶菓代その他)当日受付 以 上 同窓会連絡係代表 佐々木 康夫 〔1〕 続“其の頃”発刊のおしらせ ……あなた方一人一人の、今伸びつつある、その飾り気のない本当の 姿を、其の頃の思い出として、この文集にまとめました……新しい門出 をして、それぞれ別れ別れになろうとも、折々に其の頃を取り出して読 んでいると、きっと、今まだ六年ろ組のお友達と一緒に暮しているよう な気がするだろうと思います。…… 「其の頃」序文より 皆で書いて皆で作った「其の頃」は、いまではつきることのない思い 出の泉となっていることでしょう。そして、見違えるばかりに成長した 現在の姿を、未来の思い出として、加えておくことは、さらに意義ある ことではありませんか。八月二十三日の再会を機会に、皆で書いた「続 ・其の頃」を作りたいと思います。詩・文・カットなどお寄せ下さい。 細いことは同窓会の席上で相談したいと思います。(当日欠席の方は、 九月末頃までに、左京区大菊町・佐々木康夫宛にお寄せ下さい) 発起人代表・佐々木 (Let'496-2 19560802 孔版) 〔2〕 旧六年ろ組の皆様へ 芝山 マツ 皆さん 其の後お元気ですか。昨年の夏久しぶりでせいぞろいしてか ら早くも半年経ちました。 高校へ進学した人は、いよいよ最高学年ですね、そろそろ大学への準 備かな、それとも就職への……。 中学卒業後すぐ働いた人はどうです、きばってやってますか。大分仕 事にもなれ惰性に流れ、はじめの意気込みがどこへやら……ではないか と安じています(とりこし苦労でありますように) つい先生臭いことを言いたくなり恐縮ですが、目あてを持って前進を 続けると共に、時々は出発点をふりかえり、自分の歩んだ道はそれでい ヽか 反省することを忘れないで下さい。大人の世界へと 追々近づき つつあるわけですが、よく大人の世界をみつめて、おとし穴にはまらな いよう、まじめに暮して下さい。自分の身体を、自分で守ることも忘れ ないように。 さて私は相変らず身体的には、とても元気です。しかし精神的には転 任で大分疲労しています。いよいよ新洞校を去り、四月六日からは開智 校の先生になります。開智校は藤井大丸のすぐ下です。寄って下さい、 そして色々なニュースを聞かせて下さい。 こうしてペンを取っていると、夫々の皆さんの姿が過ぎし日の情景と 結びつき、手にとるように思い出され、つきるところを知りません。 まん円い顔、細長い顔、大きい顔、青白い顔、元気そうな顔……と、 四十二人の皆さんのようすが、つぎからつぎへと浮んできます。そして、 今まで担任した教え子たちの中で、一番よくまとまったいい組だったな あと思い出されます。この目にみえない皆さんと私をつなぐ心のひもが、 いつまでもいつまでも切れることなく、ますます強くなるようにと、念 じています。 時折道ばたでお目にかかり、日毎に成長していく皆さんのたのもしい ようすを見るのが、何よりのたのしみです。知らぬ顔してすまして通ら ないで、声をかけて下さいね、相談事があれば、いつでも来て下さい。 では つまらない事をくどくど書きましたが、きょうはこれにて さようなら 昭和三十二年四月一日 (Let'549-2 195703‥ 消印無/私信同封) 〔3〕 【同封のメモ】 同窓会残金 700 芝山先生 100 同窓会連絡費(封筒その他) -100 (住所変更)藤田 道子 奈良県南葛城郡*** 続《其の頃》は未刊のため、芝山先生の原稿は初出。同封メモにある 藤田君は大丸百貨店紳士服売場の派遣店員として再会、既製服一着購入。 金谷先生の手紙は、そのつど創意と工夫がこらされていて、受取人の 心に直接ひびくものがある。対して芝山先生の私信は、ほかの誰に見ら れてもよい節度と配慮があって、受取人の心をつつみこむ。 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ YMDay(20220628)last up dated.
| 1956年06月25日(月) |
水三題 〜 水の変態 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560625 水三題 壱 大雨が降った後なので琵琶湖の水が、かなり淀んでいた。 私達の乗ろうとしている船の他にも随分沢山の船が有って、桟橋の周 辺の水は重油に抑えられてゆらゆらと動いた。十時半の朝の太陽が、そ れを金色に照らして重油と水の作る色模様に生彩を加えていた。それが 影になった船の片面に時にチラチラと反射して、そこだけが魚の鱗の様 になった。新しくもない白ペンキの香りが鼻をついた。 弐 “やぁ、あれが沖の島か” 青がかった緑色の島に百本ばかりの松の木がこれも青緑色をして立っ ている。其の島の右後に、くりくり太った白い雲がぽかんとこちらを眺 めている。この辺になると水は真っ青である。 参 銅貨を三枚、板の上に置いてボートの有る処へ降りて行くと、右足を 踏込んだ水草の中から蛙が五六匹驚いて逃げ出した。左足を前へ出すと 又沢山逃げ出した。ボートをつないである杭まで行くには相当な数の蛙 の出現を覚悟しなければならなかった。 ようやく杭までたどりついてボートの舳先に手をかけた。其の方に重 みが加わってタプンといって水の中へ少し沈んだ。其処に漣が出来て、 どんどん向うへ拡がって行くのが見えた。 水草の中から蛙が一匹、水の中へ飛込んだ。 ── 《これから・第六号 195305・・ さゞなみ同人会》 ── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P020 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041216 三題噺 〜 高島春江先生講義録 〜 ── 宮城 道雄《水三題 〜 山の筧・大洋の朝 〜 1923‥‥ 作曲》桜居女・詞 ── 宮城 道雄《春の海 19320531 初演》ルネ・シュメー(編曲) ── 宮城 道雄《雨の念仏 1935‥‥ 三笠書房》随筆集 ── 《カーネギー・ホール物語 19520125 America》Stokowski,Leopold
♀Chemet,Renee Violin 1888ca‥ France 極東 19‥‥‥ ? /航空事故 宮城 道雄 箏曲/作曲 18940407 兵庫 刈谷 19560625 62 /列車事故/自殺? Piatigorsky,Gregor Cello 19030417 Moskva America 19760806 73 /〜《白鳥》
── 昭和31年6月25日未明、大阪の公演へ向かう途中、愛知県刈谷市 の刈谷駅付近で夜行急行列車「銀河」から転落して亡くなった。当時は 寝ぼけてトイレのドアと乗降口を間違えたなどの推測がなされたが、 現在でも事故か自殺か、真相は不明のままである。 命日の6月25日は 遺作の歌曲にちなみ、「浜木綿忌」と呼ばれている。 神戸の旧居留地に生誕地の碑が建ち、東京都新宿区に日本で最初の音 楽家の記念館「宮城道雄記念館」が建つ。── 《Wikipedia》 ■ 水族館 ── 盲目の作曲家、宮城道雄 (1894〜1956) の回想に、こんなエピソ ードがあった。筝匠があるとき、楽屋で琴を奏でていると、誰かがじっ と聴きいっている気配がする。やがて、それがチェロのピアティゴルス キーであると察しられたが、彼は何かを探しはじめて様子である。何を 探しているのですか、とたずねれば、ここにチェロは置いていないか、 という。あなたのような大家に、弾いていただけるような楽器は、どの みちございません、と師が恐縮するうちに、彼はどこからか、古いコン トラバスを代りに見つけだしてきた。 そして、筝匠をうながすや、悠然と《春の海》を弾きはじめたという。 《春の海》は、もともと昭和7年に来日した女流ヴァイオリニスト、 ルネ・シュメーによって、ヴァイオリン用に編曲された尺八と筝の二重 奏曲である。 これをコントラバスで弾くには、かりに3オクターブ下げても、相当 なハイ・ポジションと、困難な運弓が要求される。いわば東西両巨匠に よる、まことに珍らしい、かつ崇高な楽興の時が、その場に展開された こと、と思われる。 実はこの話、何かで読んだ記憶だけが頼りで、出典を明らかにできな いのが残念だが、宮城師には《雨の念仏》その他の随筆集もあるとかで、 あるいはこれに収められているかもしれない。 因みに、ピアティゴルスキーの来日は、昭和11年と31年の二度にわた っており、おそらく、最初の来日の際のエピソードではないかと想像さ れる。ともに若き日の巨匠、として躍如たる面目がうかがえる。 そして、31年といえば、筝匠の没年、かの悲劇的な事故、列車からの 転落の年に当っている。 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19710401 ── 《弓弦十話 〜 水族館 〜 Awa Library Report》重複 ■ 変態草考 〜 奇承変結 〜 ◆ 起 ── セックスすることを「エッチする」と言い出したのは、1983年 (略)明石家さんまが司会をする『サタデーナイトショー(東京12チャ ンネル)』という番組の中で、9代目クラリオンガールの香川えみが、 トークの中でこのいいまわしを使ったのが最初らしい。 http://hasu.blog1.fc2.com/blog-entry-216.html かつて、テレビで自粛されていた“変態的な性欲行動”を一言で総括 した思考過程は「変態性欲→変態→Hentai→H→エッチ」とみられる。 ただし「ヘンタイ」という表現は、きわめて古くからあった。 本来の語義は、形態の変化をあらわし、生物分類学上の用語である。 進化の途上に出現する、多彩な可能性を総称している。 (変体仮名・変体漢文も、書法の変遷における特殊な形態を指している) ◆ 承 一説に「ヘンタイ」を「H」に転じたのは女子学生であるという。 レズビアンを想像させる「S」も、おなじ女子学生の隠語かといえば、 こちらは裕福なタカラヅカ・ファン、すなわちお嬢様のものらしい。 往年の日常会話では「まぁ、スケベね!」だったが、のちのドラマで 「まぁ、エッチ!」と変化し、かならずしも異常な性的衝動を非難する のではなく、正常で健康な行動一般に対する揶揄的表現に昇格した。 ── へんたい【変態】1 形や状態が変わること。また、その変わった 形や状態。「主権より民主政治に―するに於て/民約論(徳)」 2 「変態性欲」の略。また、その傾向のある人。 ── 《大辞林 Yahoo! 三省堂》 ── 新村 出・編《広辞苑・第二版 19711118 岩波書店》P2004 さんま以前の辞書では「変態性欲の略」とあるが「その傾向のある人」 という記述がない。多様な性癖が、いまだ市民権を得ていなかったのか。 ◆ 転 盲目の筝匠・宮城 道雄十五歳の処女作《水の変態 1909‥‥ 作曲》は、 佐野 恵子の演奏で聴くことができる。(♪↓Click Here!) http://www.botankai.com/p2.html 不幸な列車事故の現場に建てられた供養塔の側面には《水の変態》と 代表作《春の海 19320531 初演》の音符が刻まれ、裏面に生涯を綴った 佐藤 春夫の碑文がある。他に、尺八との二重奏曲につぎの作品もある。 ── 桜居女・詞《水三題 〜 山の筧・大洋の朝 〜 1923‥‥ 作曲》 佳曲《水の変態》は、放送自粛用語辞典に載せられたも同然である。 その名をアナウンスすれば、多くの聴衆が、聞き耳を立てるだろう。 ◆ 結 ことばは、誰のものでもなく、誰がどのように用いても、誰も禁じる ことはできない。誰かが誤って、本来の用法を駆逐することもある。 「セックス=異常=変態=エッチ」の思考回路は、屈折している。 ある人の性癖や嗜好が、きわめて希少であるという理由で、社会的に 排除することは許されない。少数者であることは異常者の証ではない。 いずれ、どこかの団体が異議をとなえ、外来語に置きかわるだろう。 最後に「変態」の定義を繰りかえしておく。 本来の語義は、形態の変化をあらわし、生物分類学上の用語である。 進化の途上に出現する、多彩な可能性を総称している。 ◆ ↓つぎの質問に対する回答として。20060516 http://q.hatena.ne.jp/1147766999 よほど変な回答でない限りポイントさしあげます。 貴方の「変態」の定義を教えてください。 条件・性衝動にからめなくてもOK・理由も書くこと ier135
──────────────────────────────── 作成日: 2006/05/16
| 1956年06月18日(月) |
京都市交響楽団 歴代常任指揮者 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560618 Ex libris Web Library;先斗町歌舞練場 …… 大林組技師・木村 得三郎(1890-1958)により 1927‥‥ 創設。 http://www.kamogawa-odori.com/kaburenjou/ http://q.hatena.ne.jp/1290969556(20101129 03:39:19-1206 03:40:02) 京都市交響楽団 歴代常任指揮者(修訂) http://q.hatena.ne.jp/1370672662#a1203783(No.2 20130608 20:15:48) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B5%FE%C5%D4%BB%D4%B8%F2%B6%C1%B3%DA%C3%C4 京都市交響楽団 歴代常任指揮者 http://www.kyoto-symphony.jp/about/conductor.php http://www.kyoto-symphony.jp/about/conductor.php 京都市交響楽団 195604‥ 創設 19560618 公開演奏会 http://www.flouflou.com/kagayaki/index.html 創設当時の練習風景
チェリウス Caelius, Karl(Carl ?) 指揮/ 19080107 Germany 19840116 76 / 1[195604‥-196106‥] http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8393/omoideuta.htm 想い出の曲 心に残った歌 200512‥ 伏見医報 カウフマン Kauffmann, Hans Joachim 19260616 Germany 20080208 81 / 2[196109‥-196308‥] Stuttgart http://d‥hatena‥ne‥jp/adlib/19690519 一聴一席�5�響・昨日今日 〜 高山 義三 国際会館長をたずねて 〜 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B9%E2%BB%B3+%B5%C1%BB%B0 森 正 指揮/“モリショウ” 19211214 大阪 19870504 65 / 3[196309‥-196608‥] http://d‥hatena‥ne‥jp/adlib/20050923 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜 山田 宗二郎 Violin / *[196309‥-196608‥] 副指揮者“ヤマソウ” 外山 雄三 指揮・作曲/〜《ラプソディー》 19310510 東京 / 4[196704‥-197003‥] http://d‥hatena‥ne‥jp/adlib/20041102 渡邉 暁雄 指揮/19560622 日本フィル創立 19190605 東京 19900622 71 / 5[197004‥-197203‥] http://d‥hatena‥ne‥jp/adlib/19701023 http://d‥hatena‥ne‥jp/adlib/19900622 渡辺家の人々 山田 一雄 指揮/籍=和雄。和男、夏精(かせい)、一雄(1968 改名)“ヤマカズ” 19121019 東京 19910813 72 / 6[197204‥-197603‥] ヴェルニッツイ Vernizzi, Fulvio 指揮/ 19140405 Italy 20050218 90 / 7[198204‥-198403‥] 小林 研一郎 指揮・作曲/愛称“コバケン”通称「炎のマエストロ」 19400409 福島 / 8[198504‥-198703‥] 井上 道義 指揮・ピアノ/ 19461223 東京 / 9[199104‥-199803‥] ムント Mund, Uwe 指揮/ 19410330 Wien /10[199804‥-200103‥] 19410320 ? 大友 直人 指揮/ 19580519 東京 /11[200104‥-200803‥] 20080401 桂冠 広上 淳一 指揮/20150315 サントリー音楽賞45 19580505 東京 /12[20080401-200803‥] □□ □□ 指揮/ 19‥‥‥ …… /13[20080401-20230331] 空席 ♀沖澤 のどか 指揮/ 1987‥‥ 青森 /14[20230401-20260331] …… 33年ぶり空席「女性指揮者」というカテゴライズへの反骨心。 https://www.jiji.com/jc/v8?id=202209kyokyo @jijicom
19560400( )自治体直営オーケストラ創立(初代楽団長 京都市長 高山 義三) 19560618(月) 先斗町歌舞練場 披露演奏会 19560619(火) 第1回定期演奏会 円山公園野外音楽堂 | http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560606 山脈・第十一号 19560606(水)《山脈 11 同志社高校文芸部》表紙デザイン 19560616(土)ホザナ・コーラス発表会11“DHS”表紙デザイン(大島 芳孝・補正) 19570615(土)ホザナ・コーラス発表会12 〜 シンフォニエッタ・デビュー 〜
https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F) http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/ | http://twitter.com/awalibrary(ツイッター) http://twilog.org/awalibrary(ツイログ) http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ) | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19560618
(20160918)(20180626) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1956年06月06日(水) |
Never too late ! 〜 セミプロ・プロ・アマ 〜 |
┌─────────┐ │ │ adlib/19560606 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19560606 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://awalibrary.blog.ss-blog.jp/ │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
Never too late ! 〜 セミプロ・プロ・アマ 〜 https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-3324.html あまちゅあの椅子 〜 第一のチェロ 〜 “アマチュアの椅子”ということばが浮かんだのは、いつ頃のことだ ったろうか。たとえば、高価なコンサートに出かけて、空いている席が あったので「ここ空いておりますか」とたずねる感じ、尋ねられた人は、 あるいは高名な音楽評論家かもしれない。ひょっとすると、今日のコン サートの主役と、日頃ライバル意識を燃している人かもしれない。 そしてあたりは御親族・知人・友人ばかり、そんな真只中でおずおず 指さして「ここ空いておりますか」などとたずねている自分の姿を、最 近非常に意識するようになった。 ああそうか、アマチュアの椅子”とはアマチュアの“チェア(椅子)” に通じるでたらめなゴロ合わせだったのか、とひとりでに気がついて、 苦笑したのはつい先刻であった。 つまり、私はアマチュアの音楽愛好家である。私は、他に文学とか映 画とか、美術とか、およそ“芸術的”なことには絶えずあこがれと好奇 心をもつ、ひとりの市民である。それらをよりよく見たり聴いたりする ためには、前に空席があれば移りたいと思う。そしていう、「ここ空い ておりますか」 重ねていう、わたしは高名な音楽評論家とも、名演奏家たちとも今日 までつき合いがなかったし、どこかのレコード店で、毎月大量に買物を したり、雑誌に載るようなでかいステレオをもっている大型消費者でも ない。 さらにいえば、毎朝音楽を、それもバッハとかウェーベルンを味噌汁 と同じように日程に組んでいる程のマニアでもない。具体的にいえば、 数年来レコードを買ったこともなければ、コンサートに出かけたことも ない。アマチュアにも格づけが必要で、たとえば出席率のようなものが あるとすれば、まずアマチュアの座もおぼつかない、そんな奴が「ここ 空いておりますか」というのは生意気なことだろうか。 だが私はそれでも、もっとよく聴きたいから、そこに坐りたい、今こ そそこに坐って、本気になって聴いてみたいのだ。音楽には、私の青春 をあずけておいた筈だ。私の青春は音楽とともに在った。私の青春は過 ぎてしまったけれども、音楽はたぶん変っていない筈だ。 念のためにつけ加えると、私は老人ではない。 いわゆる中年でもない。髪を短く刈り上げた見かけ通りの青年である。 そして既に少年ではない。私のいう青春は少年から青年への過渡期に当 る、たった数年間、数十ヶ月のことだ。 あれから、もう十年以上経ってしまった。十四年前に、私はチェロを 買ってもらった。おふくろをまるで脅迫したような勢いで、チェロを手 にした。楽器店から家まで(ケースがないので)裸のままかついで帰っ た。家に帰ってなでたりさすったりした。はじくと胸にこたえる響きが した。とても一度に調弦して弓でこすってみようなどとは思わなかった。
ついに自分のものになった感激で腰をおろしてしまっていた。F字孔 からのぞいて、中の貼紙の文字を読んだ。腹ばいになって、狭い穴から のぞけるだけのぞいた。すると、魂柱が倒れているのに気がついた。 大変だ、と思った。これは少年の考えである。誰のせいでもない、自 分そのものが傷ついている、という気持だった。数十分というものどう していいか判らなかった。 結局ふたたび裸のチェロをかついで、楽器屋へ出かけることにした。 苦情をいうためではない。 傷ついた自分そのものを癒してもらうためには、そこで相談する他は なかった。駒柱の倒れたチェロは、いわば病人である。車でおごそかに 運ぶことがふさわしい、と決めた。 タクシーに乗ることにした。病人であるし、荷物としてもかなり大き い、近いところだけれども、タクシーを奮発した。楽器屋のすぐ近くま できて、車を降りてから金を払うときに、ズボンのポケットに手を入れ た。右手のポケットになくて、左手のチェロを何気なく、他にいいよう がないが、馬鹿なことをした、と誰かに叱られるのは、いつだってそん な具合になるのだ。 金を受けとったタクシーは、チェロを少しの間立てかけた車は、何の 前ぶれもなく、前ぶれのあるはずはないのだが、走りだしたのだ。 当然なのだ、客は降りたし、金も払ったのだから、走り出すのは当り 前なのだ。だが、そんなことはどっちでもよかった、自分の、ボクの、 チェロは、もともと傷ついているのに、哀れな病人なのに、私の差し出 した手から逃げるように、もんどりうってアスファルトの上を転がった、 たぶん、ガランガランと音がしたに違いない。誰かが立止ってこちらを 見ていた。 どんな格好になってしまったのか、しばらくは見当がつかなかった。 それが、演奏会のステージでは、奏者の脚の間から、すばらしい音の うねりを聴かせる楽器であり、奏者のいない時は、椅子にヒョイと、い かにも無造作に立てかけてあったり、楽器屋の店頭では壁にぶら下って いたり、そんな格好は何度もながめていたから、いつでも想像できた。 だが、駒柱の倒れた病人みたいな、それが、タクシーに突きはなされ て、路上で転がっているさまは、初めてなのだ。ひどい事になってしま った、と手を出すまで、実はよく判っていなかったらしい。その、首の 部分に手をやった時、そして4本の弦を巻いたままの首が、胴体から離 れて、クラッと持ち上った時、斧で断ち切ったように真白い木肌が見え たのだった。ひざの上でヘシ折ったように、ワリ箸をポキンと折ったよ うに、その部分は、あおざめていた。一本のチェロは、4本の弦と首と 銅と、駒と駒柱となって、バラバラになってしまっていた。とにかくそ うなってしまっていた。 私は、そのひとつひとつを抱えあげて、楽器店に入っていった。 ほんとうに何が何だか判らないけれども、惨めな気分だった。 いつだって、うまくいかない時はこんな具合なのだ。それにしても、 何か起るごとに惨めな気分は前よりもさらに烈しく、切ないものに姿を 代えてくるのだろう、と楽器屋の中を見渡しながら考えていた。 女の店員がどうしたんですか、と寄ってきて。私はうまく説明したつ もりだった。 タクシーに少しの間立てかけるつもりだったのが、タクシーが、アッ という間に走り出したので、という風に、逆に説明しているうちに、そ の先を忘れてしまった。 なぜタクシーに乗ったのか、なぜ家を出たのか、なぜここまで運ぶ必 要があったのか、……(未完初稿)。 この修理代金6000円は、金谷先生に借りた。 「親には内緒にしてください」と念をおしたものの、先生は母に対し 「えらいもん買うてしまいましたなぁ」と嘆息されたそうである。 *=駒柱→魂柱が正しい。本稿(帰京ノート90-95)は「十四年前」 とあり、1956年から起算すると1970年の草稿と見えるが、未確認。 タイトル「第一のチェロ」などは、2000年以後の補筆。 (1966ca-20070813) Ex libris Awa Library;やまなみ 11号(欠本) 旧題;山脈・第十一号 以下は、どれも日付未詳だったので、六月六日にまとめた。 ── 《山脈・第11号 195606‥ 同志社高校文芸部》 ホザナ・プログラム(紛失)と同じ(有賀文庫・参照)(20090507) 19560616(土)ホザナ・コーラス発表会11“DHS”表紙デザイン(大島 芳孝・補正) 雅子さんが、六歳でピアノを習い初めした前年、忍ちゃんが生まれた。 忍ちゃんが、ヴァイオリンを習い初めて八年後に、与太郎はチェロを 手に入れた。誰にも教わらず、我流で翌々年に《白鳥》を独奏した。
♀鳥井 雅子 19370824 京都 /19430606( 6)ピアノ習い初め ♀増田 忍 19420815 京都 /19480606( 6)ヴァイオリン習い初め 阿波 雅敏 19390120 京都 /19550802(16)ヴァイオリン独り学び /195606‥(17)チェロ購入 /19581125(19)《白鳥》独奏
…… 芸の習い事は六歳六月六日に始めると、上達が早いなどという。 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20060606 絵空事 〜 ダゲール以後の画家たち 〜 1955040. 新聞部&ホザナ&文芸部より勧誘される。文芸部に寄稿。 195606‥ 山脈(11) 19560606(水)この日付は不確実(駒柱不具合により、タクシー事故) 19560609(土)ホザナ(11)出演 19560606-19581125=902 days 195610‥ 弦楽同好会発足 1957040. ちらし“音楽のすゝめ”校門で手配り 1958041. 新入生“入部勧誘演説会”チャペルで熱弁(不評) 19581125(火)校内ポピュラー・コンサート この数日前に《白鳥》を独奏した記憶があり、舞台の袖で待機中に、 高木 慶子に「緊張してはる」と揶揄されたが、プログラムには彼女の 名がない。弾き終って「首を傾げた」のも、このときだったと思う。 …… いちばん練習量が多くて出来そこなったのは、チェロ独奏だった。 あまり親しくない後輩女子のピアノ伴奏を、数回の手合せで済ませた のが致命的だった。細部まで知りつくしていたので、甘くみたのだ。 あろうことか、弾き終わって首をかしげたのは、いまも悔やまれる。 (江川 卓のような大投手でも、打たれた後で首をかしげる癖があった) ピアノ伴奏の曲では、原則としてピアノが主役でなければならない。 あとから耳に入ったのは「演奏中、伴奏者を睨んでいた」などという 不名誉なウワサだった(そのように見えたなら、弁解の余地がない)。 高尚な作業に従事しながら、あくまで煩悩を断ち切れないのだろう。 (20210527) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
YMDay(20210527)last up dated.
| 1956年05月17日(木) |
クール・カット世代 〜 慎太郎・裕次郎・アキラ 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560517 本来の“クール・カット”は、包丁のデザインらしいが……。 http://www.hrcweb.com/imeg/cool-cut-plus-1.jpg “Henckels Cool Cut Series”クールカットプラス洋包丁 戦後十年を風靡した、暑くるしい髪型“リーゼント・スタイル”は、 “ヘップバーン・スタイル”には不似合いだった。そこで、新進作家と その弟の、溌剌とした“クール・カット”が出現したのではないか。 当初“慎太郎刈り”と呼ばれたが、弟の人気が上回って“裕次郎刈り” というわけにいかなかった。 後世これを“都知事刈り”と呼ばれる可能性もなくはない。 日活映画の“裕次郎ブーム”は、柏鵬時代のように“アキラ・ブーム” でもあり、映画・流行歌のファンは“裕次郎と旭”に二分された。 旭の髪型は“リーゼント”の名残りを色濃くとどめている。 http://www.nikkatsu.com/dig/DVDLINEUPS/HEROS/itsumata.jpg ↓ http://www.crownrecord.co.jp/artist/kobayashi/img/20050721akira.jpg 忘れてならないのは“クール・カット”と“マンボ・ズボン”が一対 の流行であり、マイク 真木の“ジーパン・ルック”を経て、ホリエモン の“Tシャツ・スタイル”に到達するのである。 ◇ 慎太郎刈(しんたろう・がり)誤=裕次郎&慎太郎カット http://www.cosmo.ne.jp/~barber/sintaro.html 理容・美容学習事典(1968年度版) 石原 慎太郎・原作《太陽の季節 1955 文学界(新人賞)1956 芥川賞》 石原 裕次郎・出演《太陽の季節 19560517 日活》古川 卓巳・監督/水の江 瀧子・製作
石原 裕次郎“ナイスガイ”19341228 兵庫 東京 19870717 52 /俳優・歌手“石原軍団” ──────────────────────────────── 小林 旭 “マイトガイ”19381103 東京 /俳優・歌手“アキラ”
<渡り鳥シリーズ>小林 旭・主演 斎藤 武市・監督《ギターを持った渡り鳥 19591011 日活》原作=小川 英/脚本=山崎 巌&原 健三郎 斎藤 武市・監督《口笛が流れる港町 19600103 日活》原作=山崎 巌 斎藤 武市・監督《渡り鳥いつまた帰る 19600423 日活》原作=原 健三郎 斎藤 武市・監督《赤い夕陽の渡り鳥19600701 日活》原作=原 健三郎 斎藤 武市・監督《大草原の渡り鳥 19601012 日活》原作=原 健三郎 斎藤 武市・監督《波濤を越える渡り鳥 19610103 日活》原作=原 健三郎 (波涛) 斎藤 武市・監督《大海原を行く渡り鳥 19610429 日活》原作=三原 貞修 斎藤 武市・監督《北帰行より 渡り鳥北へ帰る 19620103 日活》原作=山野 良夫 <原型> 斎藤 武市・監督《南国土佐を後にして 19590802 日活》 <類型> 牛原 陽一・監督《渡り鳥故郷へ帰る 19620812 日活》 江崎 実生・監督《やくざ渡り鳥 悪党稼業 19690416 日活》 http://www.8107.net/akira/wataridori_main.html http://q.hatena.ne.jp/1203921037 かつて流行した髪形の例を挙げてください。 (20080225)
| 1956年05月09日(水) |
アフトン河川の流れ 〜 Flow gently, sweet Afton river 〜 |
┌─────────┐ │ │ adlib/19560509 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19560509 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://awalibrary.blog.ss-blog.jp/ │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
アフトン河川の流れ 〜 Flow gently, sweet Afton river 〜 ── バーンズ・曲/スピルマン・詞/龍田 和夫・訳 《静かなるアフトン河の流れ 19560509 Copied by Awa, Masatoshi》 龍田 和夫 作曲・訳詞 19111104 大阪 19861029 75 /籍=清水 脩 /大阪外語大学仏語科卒、東京音楽学校選科修了/カワイ楽譜社長 ── 《アフトン川の流れ Flow gently, sweet Afton 1837‥‥ America》 Spilman, Jonathan Edwards 18120415 America 18960523 64 /ケンタッキー州の弁護士 | Burns, Robert 作曲 17590125 Scotland 17960721 37 /作曲 …… ロバート・曲“We Hail Thee Carolina” (サウスカロライナ大学の母校トランシルバニア・ロースクール在学中) https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-2749.html ── スピルマン, J. E.・曲/バーンズ, R.・詞/龍田 和夫・訳 《静かなるアフトン河の流れ 19560509 Copied by Awa, Masatoshi》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030119 小生は、同志社高校(昭和58年度)19590331 卒業です。 ホザナ在籍は 1955-1956(同期に、立石 義雄・有賀 誠一両君など)。 当時の、ガリ版刷り楽譜(約50曲)を保管しています。 これらを(できれば全曲)Web公開していただけるなら、ぜひとも 提供したいと存じます。容量など技術的課題についてご検討ください。 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%A2%A5%D5%A5%C8%A5%F3 (20220405)
| 1956年05月07日(月) |
白鳥の笛 〜 クラリネット賛歌 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560507 Ex libris Web Library;Wlach, Leopold in fbgquint(ヴラッハ;右端) …… ウラッハのクラリネットは、ケルやグッドマンのように硬く鋭く なく、いかにも朗らかで優美である。輝かしさのなかに物淋しい情緒が これほどよく出た演奏も珍しい。ウィーンの連中なれば出来る業である。 ── 村田 武雄《LP読本 19550410 修道社》P157 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JB4YIE
Wlach, Leopold 19020217 Wien 19560507 53 /clarinet Kell, Reginald Clifford 19060608 England 19810805 75 /violin Goodman, Benny 19090530 America 19860613 77 /jazz
…… 当初はヴァイオリンを学ぶが、クラリネットに転向し、ロンドン 王立音楽院でハイドン・ドレーパーに師事。在学中からロイヤル・フィル ハーモニック協会のオーケストラで首席奏者を務め、1932年に卒業し てからは、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍し、1936年まで 在任した。1939年にはアルトゥーロ・トスカニーニによってルツェルン 音楽祭に招聘されている[2]。その後、BBCサロン・オーケストラや リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者を務めたが、1948 年にアメリカに渡ってアスペン音楽祭などに出演した。 教育者としては、1935年から1939年まで母校で教え、アメリカに渡っ てからはベニー・グッドマンに私的にレッスンしたり、アスペン音楽祭 のマスター・クラスでピーナッツ・ハッコーらを教えたりしていた。 1958年には母校の教授としてイギリスに戻ったが、この頃には演奏活動 から退いていた。1959年にはふたたびアメリカに渡り、ブージー・アンド ・ホークスの器楽部門で1966年まで働いた後に隠居し、画家としていく らかの展覧会を開くなど悠々自適の余生を送った。(Wikipedia)
村瀬 二郎 193,‥‥ 京都 /京都市交響楽団 宮本 寿之 1938‥‥ 京都 /同志社交響楽団(19561016) 森本 潔 三兄弟の三男 19381205 京都 /DHS 有賀 誠一 のゆりの弟 19390817 京都 /DHS/Flute 佐伯 和男 19411116 京都 /モーツァルト《アレルヤ 19581125 DHS》 田村 忠彦 19420128 京都 /Flute 大橋 俊治 俊有の長男 1942‥‥ 京都 20030219 60 /Oboe 朝比奈 千足 隆の長男 194305‥ 兵庫 /Chitaru/指揮;神戸フィルハーモニック
浄守邸に着くと、モーツァルトのクィンテットのレコードが鳴ってい た。若い客を迎えるにふさわしい選曲で、主人の素養が窺われた。 与太郎が「ウラッハですね」と云ったが、なぜか主人は応えなかった。 当時、クラリネットのレコードは、ほとんどウラッハで、五重奏曲は ブラームスとモーツァルトの二曲しかなかった。関西モーツァルト協会 の発起人会だから、この一言ですべてを説明できたのだ(1971011.)。 ウラッハが亡くなった年、森本 潔&有賀 誠一両君は、ブラスバンド でクラリネットを吹いていた。与太郎がチェロを入手、DHSの前身で 弦楽同好会が五重奏曲(第三楽章)宮本 寿之・独奏でデビューした。 …… ここで四人は、なごやかに笑いあった。つぎのやりとりまでは。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710703 GATO 〜 また逢う日まで 〜
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_note.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19560507 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
(20170513) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1956年04月03日(火) |
アラウンド48 〜 四十八歳の身辺 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560403 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html Ex libris Web Library;四十八歳の抵抗(※=正之蔵書) http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4101015147 ── 石川 達三《四十八歳の抵抗 195511‥-195604‥ 読売新聞 200802‥ 新潮文庫》※
石川 達三 作家 19050702 秋田 東京 19850131 79 /〜《望みなきに非ず 19490418 新東宝》※ 西村 耕太郎 会社員 1907‥‥ ‥‥ 東京 /19560403 娘・理枝の挙式 山村 聰(聡)俳優 19100224 奈良 東京 20000526 90 /籍=古賀 寛定/映画監督 船越 英二 俳優 19230317 東京 静岡 20070317 84 /籍=栄二郎/英一郎の父 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070317 生没同日 〜 船越家の人々 〜
>> 初老男のあやしい欲望 …… 一体俺はあてのない遊びをするには、もう年を取り過ぎた。あら ゆる欲を断たうには、まだ年が若過ぎる。…… ゲ一テ《ファウス卜》 二十何年か保険会社につとめ、ようやく次長になった、四十八歳の 西村耕太郎は、中年の男の悲しみを味わっていた。よそ目には堂々とし たサラリーマンだが、重役になれる見込みがあるわけではない。しかも 停年は目の前であった。毎日の勤めは十年一日のごとく単調に過ぎて行 くのであった。 戦前派の彼は、戦後の若者たちの無軌道ぶりをにがにがしく思ってい る。しかし、その自分も内心では強列な人生の体験を望んでいるのであ った。 若い社員の一人、曽我法介は、そういう西村の気持ちを見すかしたよ うに、彼を夜の冒険に誘いこむ。西村は曽我に案内されて知った酒場 「マルテの家」の少女ユカリに心をひかれた。彼女へのあやしい欲望を、 曽我やマダムにあおられた西村は、ユカリを熱海へつれ出すが、みごと に肩すかしをくわされる。 冒険の失敗につかれはてて家に帰った西村は、肺炎でたおれる。老い をさとった彼は年下の大学生に恋愛し、家出していた娘理枝の結婚を許 す。理枝が相手の青年と明治神宮の神前で式をあげたのが四月三日であ った。(P106) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19741210 ── 板坂 元《日本文学三六五日(上)19741210 講談社現代新書》 << http://movie.goo.ne.jp/movies/p25054/comment.html ── 吉村 公三郎・監督《四十八歳の抵抗 19561114 大映》 いちばん悪いのは誰か?(択一) http://q.hatena.ne.jp/1293042473 悪女悪男総登場 〜 破綻夫婦の不倫は不問? 〜
── 「最高裁判所でも判決が出ているように、婚姻生活が破綻してい る場合は(離婚前に交際しても)不貞とか不倫じゃない(20101222)」 弘中 惇一郎 弁護士 19451016 山口 東京 /自由人権協会代表理事 ── 「麻木のダンナじゃないか?(クイズ番組で写真パネルを見て)」 木村 晋介 弁護士 19450124 長崎 東京 /東京弁護士会・自由法曹団所属 ── 麻木評「水着姿も、ギリギリセーフかな(行列のできる法律相談所)」 橋下 徹 弁護士 19690629 東京 大阪 /大阪弁護士会/20080206 大阪府知事 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%A1%B6%B6%B2%BC+%C5%B0 ── 大桃評「すこしぐらい歌が下手でも、可愛いければいいんです」 高橋 英樹 俳優 19440210 千葉 東京 /〜《NHK:クイズ日本人の質問》 山路 徹 APF通信社 1961‥‥ 東京 /2003‥‥ 大桃 美代子と結婚/200606‥ 離婚/1992‥‥ 設立/籍=松本 http://www.kenpou-media.jp/modules/interview/index.php/49.html ♀麻木 久仁子 タレント 19621112 東京 /199404‥ 結婚 11‥ 一女出産/20060331 離婚 [A] /学習院大学中退/籍=田中/20101222 15:00 会見(弘中弁護士同席) 松本 晃彦 作曲 19630214 東京 /2003‥‥ 麻木 久仁子と結婚/20060331 離婚 [A] ♀大桃 美代子 タレント 19650529 新潟 /2003‥‥ 結婚/200606‥ 離婚/籍=同 [A] /東京外国語大卒/http://ameblo.jp/momo-tane/ http://now.ameba.jp/momo-tane/ /20101219 謎のツイッター削除 ── 山路評「現役愛人 麻木久仁子のお小遣いでは、たりないか」 日垣 隆 作家 19580730 長野 東京 /2010/10/09(土) 01:05:39.39 ID:6QJvtnGr0 http://twitter.com/#!/hga02104/status/26717430692 http://booklog.jp/entry?keyword=%E6%97%A5%E5%9E%A3%E9%9A%86&index=Books ── 「不倫が不潔とか言ってる人は、不倫もできないようなブサイク(20101222)」 ミッツ・マングローブ 19750410 横浜 /女装家/籍=徳光 修平(和夫の甥) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850404 オカマ列伝 〜 土俵際の毒舌女装家たち 〜 ── 麻木評「まるで、どこ吹く風の風鈴(フーリン≒不倫)みたいね」 デーブ・スベッター 19540505 Saitama /籍=スペクター(Spector, David Mark) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060201 白昼夢 〜 インテリ女性にモテる手順 〜 その他 19‥‥‥ ‥‥ /?
── 五十歳が近づくと、多くの男たちは、忘れものを思いだすらしい。 http://q.hatena.ne.jp/1157199061#a599988 最後の客 〜 初老期 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20071011 悪女百科 〜 わけあり女の寝物語 〜 (20101221−1223)
| 1956年01月01日(日) |
然かざりき/ブラバン/ひばり/ゴリのケンケン |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560101 然かざりき 有賀博士に孔版の年賀状を依頼され、鐡太郎を鉄太郎としたところ、 「新字体では“金を失なう”ので気にいらない」とクレームがついた。 博士自身の発言とは思えないが、たしかに当時の大学教授は、あんまり 裕福ではなかった。しかし《広辞苑・第二版》でも新字体を採用してい るところをみれば、やむを得ない誤植ではないか。 おなじく京都大学教授・会田雄次先生も、旧字体にこだわられた。 多田道太郎教授と一緒に「アイーダ大行進」などと夜の街をさまよい、 たどりついた店で、先生名義のウィスキー・ボトルを書きかえることに なった。酔っ払ったいきおいで与太郎が代りに署名していると、先生は 「なんや、またケッタイな漢字を使いよって」と不満気だった。しかし いつも旧字体で“會田”と署名されていたわけではなかった。 「野の百合は、働かず紡がず。されど神は養い給ふ。/ソロモンの栄華、 いかに装えど、野の百合の一つだに然かざりき」〜《マタイ伝 6-29》 文語調ならではの名文に由来して、若き日の有賀博士は長女“のゆり” と名づけた。たぐいまれなる命名の傑作である。 やがて彼女が小児麻痺のため障害を負うことになり、あらためて受洗 した神学者の、祈りの日々がはじまった。娘よ、お前は働かなくてよい、 美しいものを求めて生きるだけでよい……。 長じて彼女はフルブライト奨学資金を得てドイツに留学、数すくない チェンバロ奏者として帰国した。記念すべきリサイタル開催にあたって、 ポスターを委嘱された与太郎にとっても、帰郷第一作となった。 現在“のゆり”女史は同志社女子大学音楽学部名誉教授である。 弟の誠一は、同志社大学工学部を卒業して、京都大学核融合プラズマ 研究所に勤務するうち、朝日新聞論説委員の令嬢と結婚した。このころ から疎遠になったが、ときどき京都新聞投書欄に投稿したりしていた。 友人のなかでも三筆だから、たぶん新妻が清書していたとみられる。 ホザナ・コーラスでは、与太郎とともに数回ゲスト・メンバーとして 加わったが、一年上の森本潔君をあわせれば、当時最有力の男声トリオ ではなかったか。森本君はクラリネット、のちに与太郎がチェロ、有賀 もフルートをはじめたので、三人はともに器楽部員でもある。 有賀は“ヤマチューさん”こと山田忠男・京都大学教授に師事して、 いっぱし子供を教えるくらいまで上達した。 ヤマチュー先生の奥方はピアノ、長男・宏君がヴァイオリンとトラン ペット、二男・明君もチェロをよくする音楽一家である。 このほか貞方敏郎・同志社大学教授一家などの音楽人脈については、 ありあまるエピソードを、別稿《双龍外伝》《私の十冊》にゆずる。 還暦をすぎたアリガよ、ふたたび来たりなば、合唱できるだろうか、 《海女の子守唄》や《Deep River》さいごに《アロハ・オエ》を。 ──────────────────────────────── このときの盛況から、つづけて「チェロとチェンバロの二重奏の夕べ」 を一流ホテルのサロンで開催する企画を立てたが、実現に至らなかった。 チェリストには、NHKプロデューサー阿満利麿氏の紹介で、当時大阪 フィルハーモニーの竹内良治(ほどなく京都市交響楽団首席奏者)氏。 “双龍”は、ブルース・リー&ジャッキー・チェンを指すが、ここでは、 ヴァイオリンの“月竜&日竜”に由来して、ゴリと与太郎に見たてる。 ブラバン 合唱コンクールで《五木の子守唄》の楽譜を見せてくれた西垣喜光君 の一年下の弟・西垣光紀君は、高校器楽部でトランペットを吹いていた。 (さらに二年おきに隆光君、妹とつづいて、この兄妹の父がPTA会長 をつとめたのは、まことに当然である) 水泳大会の開幕ファンファーレを聴いて、光紀君のさっそうとした姿 に感動したものである。このとき吉田肇君は潜水競技に出場して、ブッ ちぎりの優勝をしている。すでに彼はトロンボーンを始めていたために、 もっぱら肺活量のトレーニングに励んでいたという。 二人の勇姿をみた数日後、与太郎はともかく楽器を始めたくなって、 器楽部を訪れた。ゴリが最初に手渡してくれたのは、汚らしい洗面器の ようなバス・チューバであった。そのまま家に持ちかえって、風呂場で 洗ってみたが、どこにも光る部分がない。吹いてみると、あちこち空気 がもれている。 あてがわれた楽譜は、いかにも単調で「ブッ・ブッ、ブッ・ブー」の 繰りかえしで全曲おわってしまう。 新米だから、しばらく練習してみることにしたが、ゴリには他の楽器 をたのんでおく。ゴリの判断では、どうせ途中で退める者がいるから、 そのつどマシな楽器と取りかえればよい、という。 吹奏楽の経験がない人には分らないが、たとえば《軽騎兵序曲》のよ うな名曲でも、ほとんどのメンバーが担当するのは、この程度の役割に 終始して、わずか数人の花形が華麗なるメロディを奏でるのである。 そもそも吹奏楽は軍楽隊のための、非民主的な階級集団のものである。 これにくらべると管弦楽は、他声多重の役割に分担されていて、かりに 休止符がつづいたとしても、それは意味のある沈黙として尊重される。 やっぱりクラシック音楽か、と考えざるを得ない。 しかし、オーケストラを作ることなど途方もないことだから、当面は ブラスバンドに加わって個々の楽器をいじってみることにした。 木下聖治や有賀誠一を誘いこんで、数回の演奏会や野球の応援などに 参加した。木下はすぐに厭きてしまったが、むかしヴァイオリンを習っ てものにならなかった有賀は、クラリネットに興味をもった。そして、 フルートを手にしたとき、はじめて手応えを感じたのである。 すでに一年生の夏休みに、与太郎はヴァイオリンを手に入れることに 成功していた。両親の不和に乗じて策略をめぐらし、周囲の反対の中で、 とにかく抱えこんだ(金四千円也)。 両親は、ヴァイオリンやLPレコードの音が、隣家の迷惑にならない よう注意するだけで、決して議論の対象にはしなかった。悪性の疫病に 息子がとりつかれた、と信じているかのようだった。 大人たちが期待していたのは、すぐに挫折して、本来の勉学にもどる はずだった。十六歳にもなって(教室にも通わず)独学で弾けるわけが ないと考えたのである。しかし一週間後に、訪ねてきた有賀が叫んだ。 「あれれー、鳴っとるやないか」 ひばり 与太郎の左アゴには、傷痕がある。真夏にヴァイオリンの顎当を抱え こんで汗をかいたところに、ニキビが生じる。そのニキビをすりつぶし て弾きつづけた結果である。 秋をすぎる頃には、ショスタコーヴィッチ《ヴァイオリン協奏曲》の 第二楽章・夜想曲など弾きはじめるほどに上達していた。独学だから、 スコアを買って写譜すれば、誰にも咎められることがない。 訪ねてきた叔父に一曲聴かせると「娘にも習わせようか」という。 「それはいかん、このように顎が破れて、歯ならびも悪うなる」 「そうか、それでは嫁にやれんな」と、叔父は帰っていった。 金谷先生の家にも押しかけて、《タイースの瞑想曲》を聴かせた。 先生は、当初から反対論者であるが、兄上はほめてくれた。 「きみ、そのくらい弾けると、ラジオもレコードも要らんな」 「やっぱり、音楽は聴くほうが、うまい」 ベートーヴェン《スプリング・ソナタ》が弾けるようになると、有賀 君にピアノ伴奏をやらせてみた。有賀家に上がりこめば、ピアノ教師が 二人も住んでいるから、どちらかが面白半分でも伴奏してくれるのでは ないかと期待したが、ついに相手にされずじまいだった。 つぎに、本宮先生の指揮するジュニア・シンフォニーに招かれるには、 先生の辛辣な皮肉に耐えるにも、あるいは、自前のオーケストラを組織 するためにも、どうしてもチェロが必要だった。 ようやく(母をあざむいて)チェロを手に入れる(金二万円也)。 器楽部と別に弦楽同好会を設立、竹内康・須磨章彦・福地公直の三君 を引きずりこんで文化祭に出場、器楽部の上級生・宮本君の顔を立てて モーツァルト《クラリネット五重奏曲》と、ハイドン《弦楽四重奏曲》 “ひばり”の一部を演奏した。その半年後に器楽部から吹奏楽を追放、 忽然として管弦楽団が出現、その指揮者は二度目の二年生だった。 東京芸大出身の教諭二人、中堀愛作教諭は美術を教えるかたわら、 ホザナ・コーラスの指揮者でもある。鎌尾武男教諭は、中学では美術、 高校では音楽を教える(芸大は美術学校と音楽学校に分れていたので、 あるいは両方卒業されたのかもしれない)。前年まで器楽部長だったが、 まったく素人の森田昭典(物理)教諭と交代したのは、吹奏楽には熱意 がなかったとみえる。フランス文化への造詣ふかく、斎藤百合子嬢によ れば、実際のパリ在住者よりも地理にくわしいという。 選択五教科のひとつに、音楽特論もあった。これなら得点をかせぐに 都合がよい。はじめXX君が申込んだ段階で、担任の先生が「女生徒ば かりのところに混じっては、鎌尾先生もやりにくかろう。ほかの科目に したまえ」といって退けた。そのあと与太郎が、知らぬ顔で申込んだの である。こちらの担任は、そのまま通してしまった。 もとより鎌尾先生は芸術至上主義者だから、男ひとり混ったくらいで おどろかない。おなじ楽譜を配って、おなじキーで歌わせた。ほとんど フランス語の恋の歌である。 ゴリのケンケン 〜 I’m getting sentimental over you 〜 吉田肇のあだ名“ゴリ”の原義は、川に生息する淡水魚か、もしくは “ゴリラ”の略称か。どちらがふさわしいか分らない。 ゴリは、もともと悪ガキであって、いつもふざけていた印象がある。 その後の彼は、それなりに迷いがあったらしく、最後には大阪市立大学 法学部を出て、阪急電鉄に入社している。 そもそも大阪市大といえば、かの“よど号事件”首謀者・田宮高麿の 居城として関西赤軍派の名門である。田宮が入学したとき、ゴリは四年 生でジャズを吹いていた。いわゆる思想的転向者にはまさかのケースが 多いように、阪急入社後のゴリも転身して、往年の悪ガキの面影はない。 ゴリは、高校でバスケット・ボール部にもいたが、ジャズに熱中して、 ブラス・バンドに入ってトロンボーンを吹きはじめた。 与太郎も、どういう風の吹きまわしか、ブラス・バンドに加わった。 そして吹奏楽はつまらないから管弦楽に転向するという壮大な悪だくみ を打ちあけた。ゴリはジャズをめざしていたから、どっちでもよかった が、与太郎の熱意に押されて、しぶしぶ協力したとみられる。 ゴリは、いつもあたらしい疑問を運んできた。 「三拍子にも色々あってな。日本人のリズム感は祭太鼓そのままやから アカンのや。ウィンナ・ワルツなんかケッタイなもんらしい」 「ブン・チャッ・チャッ、これではあかんのか」 「ブン・チャッ・チャー、これを弱・強・弱および短・長・長と吹く」 「ふーん、“メヌエットからスケルツォを経てワルツへの変遷”という テーマで演奏会ができるナ」 「なんじゃ、それ」 「すべて三拍子の曲を並べて、歴史と変遷をたどる」 「アホか、そんなもん。お客が三拍子のケンケンで帰りよるぞ」 せっかく面白い話をもちこんだのに、ゴリは怒って帰ってしまった。 新米社員の彼に、仕事をもらった与太郎は、撮影の邪魔になるからと 社長車を移動させようとして、鎖のロープにぶっつけてしまった。 その社長は、京都疎水の英雄的設計者・田辺朔郎の長男であるという。 (宝塚映画の監査役・田辺節郎は同一人物か?) 与太郎は「出入り業者が車をぶっつけたのでは面倒だ、ゴリよ、社員 がぶっつけたことにすれば、始末書一通で済むはずだ」といって、姿を くらませた。職場に未来の女房もいるし、ゴリは内心薄氷を踏む思いで、 すべて穏便に運ばなくてはならなかった。 三〇年後(19980624)ゴリが、当時の職場である西山ドライブウェイ に社長となってもどったからには、例の件は事なきを得たにちがいない (めでたしめでたし)。しかし、かつての悪ガキが、黒塗りの社長車に ふんぞりかえっていようものなら、もう一度ブッつけてやるぞ。 ──────────────────────────────── アメリカ映画《ニューヨーク・ニューヨーク》冒頭シーン、トミー・ ドーシーとおぼしきトローンボーン奏者が《僕はセンチになったよ》を たっぷり聴かせる。一九三〇年代を代表する不滅の名曲であり、ゴリに とって、与太郎のサン・サーンス《白鳥》に呼応する宿命の難曲である。 トミーの兄ジミーはクラリネット奏者。テンポ設定のことからはじまる 兄弟の離反と和解は、ゴリと与太郎の友情にも不可欠の試練となる。 ── 父からはじめコルネット、ついでテナー、アルトを学び、その後 クラリネットを独習。7歳から父のバンドで演奏、1920年前後には弟の トミーとドーシーズ・ノベルティ6を結成/34年、弟と共にドーシー・ ブラザース・オーケストラを結成したが、翌年楽曲のテンポ設定のこと で弟とケンカ別れし、以後は自己の楽団としてクラフト・ミュージック ・ホールにレギュラー出演。ビング・クロスビーを歌手に迎えた。/ ── 1934年にドーシー・ブラザース・オーケストラを結成、1年後に ちょっとした口論から同楽団を飛び出し、ジョー・ハイムスのオーケス トラを引き継いだ/歌手を他の楽団から金に糸目をつけずに引き抜いて 名実共に全盛を極め、そのテーマ<アイム・ゲッティング・センチメン タル・オーバー・ユー>およびそのスイートなトロンボーン・プレイか らトミーはセンチメンタル・ジェントルマン・オブ・スイングの呼称で 絶大な人気を得るに至った。この間の37年には兄ジミーと和解し、39年 にはそれぞれの楽団を率いて共演/47年には兄弟の伝記映画「ファビュ ラス・ドーシーズ」に出演。53年からは兄ジミーを自己の楽団に迎え、 亡くなるまで成功を謳歌した。 ── 《新・世界ジャズ人名辞典 19880515 スイングジャーナル社》P110-111 ── ごり ●(=魚+休)→かじか� 據�鰍・<杜父魚>】カジカ科 の川魚。全長約15cm。ハゼに似ているが、からだは細長く、うろこがな い。日本全土の水のきれいな川にすむ。食用。マゴリ。ゴリ。 ── 《新世紀百科辞典 19781005 学習研究社》P0323 ── ごりごり 力を入れて摩(す)る音。固い物を噛む音。 →(擬音)? ── 新村 出《広辞苑・�� 19660516岩波書店》P0838 ── 東映との提携配給を解消した東宝は、/阪急資本による株式会社 宝塚映画製作所を資本金四五〇万円で創立し、昭和二六年八月からつぎ の陣容で製作を開始した。社長引田一郎。支配人高井重徳。取締役白井 鉄造、平井房人、須藤進。監査役植村四郎、田辺節郎。 ── 田中 純一郎《日本映画発達史�� 19760310 中公文庫》P041 *参太郎 P230 参照。 (20060109)
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