与太郎文庫
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1955年04月25日(月)  高村 光太郎「道程」より「牛」

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550425 
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19550425
 
 Ex libris Awa Library;アルタミラ洞窟《野牛図 19520401 素描》
 
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  牛       高村 光太郎
  
 牛はのろのろと歩く
 牛は野でも山でも道でも川でも
 自分の行きたいところへは
 まつすぐに行く
 牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
 がちり、がちりと
 牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
 やっぱり牛はのろのろと歩く
 牛は急ぐ事をしない
 牛は力一ぱいに地面を頼つて行く
 自分を載せている自然の力を信じ切って行く
 ひと足、ひと足、牛は自分の道を味って行く
 ふみ出す足は必然だ
 うわの空の事ではない
 是でも非でも
 出さないではいられない足を出す
 牛だ
 出したが最後
 牛は後へはかえらない
 足が地面へめり込んでもかえらない
 そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
 牛はがむしゃらではない
 けれどもかなりがむしゃらだ
 邪魔なものは二本の角にひっかける
 牛は非道をしない
 牛はただ為たい事をする
 自然に為たくなる事をする
 牛は判断をしない
 けれども牛は正直だ
 牛は為たくなって為た事に後悔をしない
 牛の為た事は牛の自信を強くする
 それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
 何処までも歩く
 自然を信じ切って
 自然に身を任して
 がちりがちりと自然につっ込み食い込んで
 遅れても、先になっても
 自分の道を自分で行く
 雲にものらない
 雨をも呼ばない
 水の上をも泳がない
 堅い大地に蹄をつけて
 牛は平凡な大地を行く
 やくざな架空の地面にだまされない
 ひとをうらやましいとも思わない
 牛は自分の孤独をちやんと知っている
 牛は喰べたものを又喰べ乍ら
 ぢっと淋しさをふんごたえ
 さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
 牛はもうと啼いて
 その時自然によびかける
 自然はやっぱりもうとこたへる
 牛はそれにあやされる
 そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
 牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
 思い立ってもやるまでが大変だ
 やりはじめてもきびきびとは行かない
 けれども牛は馬鹿に敏感だ
 三里さきのけだものの声をききわける
 最善最美を直覚する
 未来を明らかに予感する
 見よ
 牛の眼は叡智にかがやく
 その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
 形のおもちゃを喜ばない
 魂の影に魅せられない
 うるおいのあるやさしい牛の眼
 まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
 永遠の日常によび生かす牛の眼
 牛の眼は聖者の眼だ
 牛は自然をその通りにぢっと見る
 見つめる
 きょろきょろときょろつかない
 眼に角も立てない
 牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
 外を見ると一緒に内が見え
 内を見ると一緒に外が見える
 これは牛にとっての努力ぢゃない
 牛にとっての当然だ
 そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
 牛は随分強情だ
 けれどもむやみとは争わない
 争わなければならない時しか争わない
 ふだんはすべてをただ聞いている
 そして自分の仕事をしている
 生命をくだいて力を出す
 牛の力は強い
 しかし牛の力は潜力だ
 弾機ではない
 ねぢだ
 坂に車を引き上げるねぢの力だ
 牛が邪魔物をつっかけてはねとばす時は
 きれ離れのいい手際だが
 牛の力はねばりっこい
 邪悪な闘牛物の卑劣な刃にかかる時でも
 十本二十本の槍を総身に立てられて
 よろけながらもつっかける
 つっかける
 牛の力はこうも悲壮だ
 牛の力はこうも偉大だ
 それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
 何処までも歩く
 歩き乍ら草を喰う
 大地から生えている草を喰う
 そして大きな身体を肥す
 利口でやさしい眼と
 なつこい舌と
 かたい爪と
 厳粛な二本の角と
 愛情に満ちた啼声と
 すばらしい筋肉と
 正直な涎を持った大きな牛
 牛はのろのろと歩く
 牛は大地をふみしめて歩く
 牛は平凡な大地を歩く
 
     高村 光太郎「道程」より
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003104714
── 高村 光太郎詩集《道程:牛 19550325 岩波文庫》198103‥
http://booklog.jp/entry?page=1&service_id=1&keyword=%E9%AB%98%E6%9D%91+%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%8C%E9%81%93%E7%A8%8B&index=All
 
<<
 
…… 牛になり給え、高校生活と眞正面から取組み給え、
小説を読むより眞剣に必死に勉学に浸って見給え。
 死にものぐるいに頑張っても一日数分静かに
 自分を取り戻す時間を持ち給え。身体の調子は
よいか、労力の無駄をしていないか、これでいいか、これでいゝのか
と反省する時間にその数分を使い給え。   私が
温い眼で何時も見守っているのだと思っていて呉れ給え。
                  さよなら
Let'19550425 from Mr. Kanatani, Akira
 
…… おじさんの家には、牛が一ぴき、うさぎが七ひきおります。
 うさぎはこわくないが、牛は大きいので、こわくてちかよれません。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19461116
── 阿波 之男《ぼくのいなか》参照
 
…… 当時十三才のガリ版作品です。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021116 記念日鬱病
── アルタミラ洞窟画《野牛図 19520401 素描 第一号》
 
…… 《Tokyo’61〜61 初版のあとがき》参照。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530716
 転才 〜 くもとハチのはなし 〜
 
(20090504)
 
 copied from(原文=旧かな)
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000091616
── 《美の廃墟 19140300 第6号》初出未確認
 
http://t-koutarou.net/%E9%81%93%E7%A8%8B%E3%80%80%E4%BB%96/%E7%89%9B
 高村光太郎『牛』朗読mp3
http://ko-suke.cocolog-nifty.com/podcast/2007/04/post_1435.html
 
(20130416)
 
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↓=Non-display><↑=Non-display
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1955年03月24日(木)  佐藤家の人々 〜 りんご園の少年チェリスト 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550324
 


 佐藤 新之助 南部藩給人 18‥‥‥ 岩手 南部 19‥‥‥ ? /要之助の父/セツの夫
 佐藤 要之助“鹿角りんご” 18590109 岩手 南部 18921025 34 /安政 6.0109/1887県議会議員
 佐藤 良太郎 鹿角物産社長 18780705 岩手 南部 19120422 35 /良雄の父/静子の夫/やすの長男
────────────────────────────────
 佐藤 良雄     チェロ 19060627 岩手 京都 19771207 71 /誤=19771217/京都霊園埋葬
/1918‥‥(12)小野 アンナに師事、1922‥‥(16)チェロを始める。[195111‥-195401‥] 滞仏

 
 佐藤 良雄(画像)
http://www2.city.kazuno.akita.jp/kyoui/senjin/15.html
 鹿角市先人顕彰館
 
 与太郎は、高校一年で《芸術新潮》を読んで知った。
 その夏にヴァイオリンを始め、翌年、おなじく(16)チェロを始めた。
 佐藤氏を訪ねて、将来の進路を相談したいと思った。
 
 カザルスに手紙を書いた佐藤氏なら、与太郎の手紙も読んでくれるの
ではないか。金谷常延氏だけが「あんがい成功するかも知れんぜよ」と
云われたが、肝心の昭良先生に「そんな甘いもんやない」と一蹴された。
 
…… この2枚の写真は音楽室の入り口の本棚に飾ってあるもの.わが
音楽室はいわば「佐藤良雄ホール」なのです.
 先生の門下には一線で活躍中のチェリストもいますが,多くはアマチ
ュアです.才能教育で小さい子を教えるここと,ぼくのような大人にな
ってから始めた人を手ほどきすることに最後まで情熱をかけていました.
 何度も音大教授に誘われたけれど断ってきたそうです.アマチュアの
方が音楽をより愛していること,長い期間にわたって教えることが出来
るからと,おっしゃられていました.
http://members2.jcom.home.ne.jp/s_yanagawa/Sato.html
 佐藤良雄先生(画像=カザルス)
 
 与太郎が、チェロを手にしてまもなく《カザルスとの対話》の邦訳が
出版された。その初版(読売新聞社刊)は、あまり大切にしすぎたため、
《弦楽技法》とともに失ったが、結婚直後に再版された。
 
 《音楽100年表》のあとがきにつづいて、《月刊アルペジオ》創刊
号の後記(読み返した本)にも(田中常務のすすめで)引用する予定だ
ったが、いかにもいまさらの感あり、手順前後で迂回逡巡してしまった。
 
…… 訳者への手紙 親愛なる弟子よ。
 私は、きみが、J・M・コレドール著『パブロ・カザルスとの対話』
を日本語に翻訳中だと知って、たいへんに喜んでいます。そして、東京
でいよいよその出版が実現されたと、きみから通知をしてくれる日、私
は非常に幸福に思うでしょう。
 私が日本に対して、いつもどんなに深い共感を感じているか、そして
また、私がきみの国へ旅行することができるように、私を現在プラード
に引き止めているさまざまな事情が消え去ることを、どんなに願ってい
るかは、きみも知っているとおりです。
 日本の音楽家や音楽愛好家たちは、絶えず私に感動的な愛情を示して
くれました。私は、この『パブロ・カザルスとの対話』が、私の思い出
や意見を伝えることによって、その人たちと私とのあいだに打ちたてら
れた精神的一致の絆をさらに堅くするであろうと確信しています。
 親愛なる弟子よ、私の心からのあいさつを受けとってください。
一九五五年三月二十四日 プラードにて   パブロ・カザルス
 
── Corredor, Jose Maria/佐藤 良雄・訳《カザルスとの対話
1954(原著)1956‥‥ 読売新聞社(邦訳初版)19670920 白水社》P005
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19670920
 
…… 高校を中退して上京し、この本の翻訳者である佐藤良雄氏を訪ね、
チェロではなく、インタビューの技法を教わることはできないか……。
 当時のぼくは(十字屋の音楽教室で)才能教育研究会から派遣された
チェリスト・野村武二氏に教わったから、佐藤良雄氏の孫弟子にあたる。
ならば“カザルスの曾孫弟子”を自称しても許されるはずだ。
 下鴨の下宿先をふくめて合計5回のレッスンで挫折してしまったが。
 その後の最新情報によると、このころ野村先生は亡くなられたらしい。
 上野達弘氏のチェロで《野村武二メモリアルコンサート 20010825 》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080304
 生没周年 〜 Year of commemoration 〜
 
 佐藤氏は、京都西京区の京都霊園に葬られたとあるが、なにかの縁で
京都に寄住されたのだろうか(不確実な情報に、夫人の実家が京都とも)
 
(20081017)(20210703)
 


1955年03月16日(水)  読後の感想を語る会 〜 壷井 栄 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550316
 
 壷井 栄著《二十四の瞳/母のない子と子のない母と/柿の木のある家》
 
 読後の感想を語る会
 
  心にふれる作者の人格/やさしい小母さんの感じ……
 
司会 ではさっそく壷井栄著�狷鷭住佑瞭鍬瓩鮹羶瓦法�読後の感想など
  いろいろ話しあいたいと思います。阿波君いかがですか。
阿波 こういう会があるというので急いで読んだのですが、もう一つの
  作品�猜譴里覆せ劼隼劼里覆な譴鉢瓩鬚△錣擦篤匹鵑任澆董△修里�
  ちらにも云えることは、壷井栄さんの人格ですね。あたたかいもの
  にふれたということは云えると思います。
木村 小母さんみたいな感じの人だと思いました。庶民的で少しも気取
  らないで、だれが読んでも深いあじわいのある作品です。
高島 写真見たらほんとうに小母ちゃんね。先生よりもね。(笑)
今村 自分の気持をいつわらずに書いていると思いました。
高島 壷井栄の主人が�狃鬼�朝日�瓩痢嶌覆鮓譴襦廚能颪い討い泙靴燭�、
  奥さんの壷井栄はほんとうのしろうとだったのが御主人が作家なの
  でマネをして書き出したらこんどは主人よりいそがしくなったそう
  ですね。そういうところが普通の小説家と違うところなのね。�牾�
  の木のある家�瓩△譴話司圓世韻譴匹癲△△譴鬚�読みになったら、
  作者の人がらがよくあらわれているように思いますけど。
遠藤 「坂道」や「ともしび」など本当に子供の世界を理解していると
  思いました。
高島 生活の中から問題を見つけ出しているのね。もえるような信念を
  もって、いろんなものをながめて、そしてそれに解答を与えている
  ……。「二十四の瞳」でも作者が一生県命うったえている感じね。
  大石先生やらおとらおばさんが作者自身の姿でもあるわけですね。
 
  あたりまえに思われていた戦死
 
川北 大石先生は�狎鐐茘瓩鬚笋瓩覆韻譴个覆蕕覆い噺世辰討い泙垢�、
  その子供たちは戦争をあたりまえのように考えていますね。
宮武 教え子がどんどん戦争に行ってしまっても、それをひきとめられ
  ない大石先生の気持がわかるように思います。
内村 軍国主義のはなやかな時代に育った大吉が�狎鐐茘瓩北ノ呂魎兇�
  たのはわかります。僕も戦争の頃は�狹佑Δ海鉢瓩北ノ呂鬚�ぼえて
  いました。最近では�狆�年自衛隊�瓩了峇蠎圓�多かったそうですが。
司会 �狒陲亮足瓩鮟个靴唇霎鄒萓犬��狎岫瓩世箸い錣譴届瓦貌�れられ
  ていますが。
内村 そのことがあってから他の先生は全く自分の考えを述べなくなっ
  たのに大石先生だけが、消極的ではあったが自分の正しいと思うこ
  とを云えたのは立派でした。
古荘 結局、それも自由にものが云えなくなったのと子供達が皆卒業し
  てしまったので大石先生は先生をやめてしまったのですね。
高島 私はなんやいくじなしやと思ったけど。
内村 僕は不自然に思わなかった。そうするより仕方がないと思いました。
阿波 今はとにかく自由ですね。その頃と比較にならない位。
高島 そこで作者はいヽわけをしているんです。「牢にぶちこまれるだ
  けが抵抗ではない」とね。批評家ははっきり�猗神鑛験忰瓩世噺世�
  ていますが、つべこべいわずとも反対したくなるのは自分の育てた
  生命がそこなわれるのにたえられないからでしょうね。
北川 戦争は本当にいやですね。
 
  �爐△鵑弊萓犬笋辰燭蕕─海覆´疆仂貎擁�はみんな�狒運有�
 
高島 �爐△鵑弊萓犬笋辰燭蕕─海覆´瓩箸いΔ里鯤垢い銅�が痛いんだ
  けど(笑)全面的に見て悪い所はないわね。あヽいう情愛に結ばれ
  たらいヽと思うわ。家庭ではわがままだけど、それは先生の�牴板�
  生活�瓩鮗�由に描いているからで、教育者だからといって家庭生活
  までゆがめられていないのがよい。又先生が生徒に自分を押しつけ
  ていないことも大へんいヽと思います。 
吉田 生徒に対して母性的だから家庭では反動的に母に甘えてるんでし
  ょう。その方が自然だし、そういう所に作者の善意があると思います。
司会 �猜譴里覆せ勠瓩凌佑燭舛呂匹Δ任垢�。
内村 史郎が縁日で、だまされて、お母さんの病気の直し方を書いた本
  を買ってくるところがありましたがあそこにも、ほほえましい愛情
  が感じられます。
高島 あの村の人はみんな善意に生きていますね。おとらおばさんは夫
  にも一人息子にも死なれてほんとに一人ぽちなのに、少しも暗い影
  がない。そこに一つの人間の生き方があるのね。おとらおばさんが
  面倒を見ている一郎が史郎の家の麦刈りを手伝って、疲れてしまっ
  てその晩「お寝小」するところなんかも、おとらおばさんほんとに
  心があたたまるような応対をするのよ。不幸な一郎をみんなが善意
  ではげまし合って生きているのね。
内村 一郎のお父さんが復員してきたとき、一郎が前に住んでいた熊谷
  のことを思い出して話すとお父さんは「古い事は考えないで前方を
  見つめて生きて行こう」といヽますね。あれなど……。
高島 最後は特によかったわね。
木村 一郎のお父さんは大学を出ているし、英語の先生までした人だけ
  れど、復員してから職がないので史郎の家へ日雇いにゆきます。な
  れない労働のために肩の皮がすりむけたりけれどもそこに生きる喜
  びを見出しています。
阿波 村の人たちがみんな善人であったということ。ここにこの作品の
  ウソがあると思うんです。あの頃の人達、子供達にしても実際はも
  っとすさんだ汚い心があった筈です。戦争から来る貧しさ、そして
  腹のへった子供達、終戦直後小さな子どもまでも盗みをしたり、い
  ろんな悪いことをしたのです。それがこの作品の�猊臭瓩砲呂覆ぁ�
  作者がさけていると思うのです。
高島 きれいに書いてあるわけね。でもこれが作者の全力あげて抗議し
  ていることじゃないの。小豆島が平和な田舎のようにかかれてある。
  それ自体が私達に魅力を与えるものね。そしてこのきれいな平和な
  生活の中に、不幸が起っていヽんだろうかということを作者は訴え
  たかったと自分で云ってるんです。そして貧しさということはかな
  りとりあげていますよ。
阿波 僕の云うのはね、去年の暮に僕達の学校が�猊呂靴ねГ竜澪儕親悪�
  をやりましたね。そうしたことからも、当時どれだけ貧しくて、ど
  んなにみんあの心がすさんでいたか判るんです。文学的にどうとい
  うのではなくて、少なくとも、僕達はこの作品の裏にあるものを頭
  のどこかでつかんでいるべきだと思うんです。
高島 私ももの足りないと思ったところはもっと深く掘りさげたらと思
  ったの。でもこの作者は、この形で人の心に問いかけているんですね。
 
  親と子の愛情の問題つづる短編集�牾舛量擇里△覯鉢�
 
高島 �牾舛量擇里△覯鉢瓩鯑匹鵑世里鰐畋爾気鵑髪麁�さんだけね。
木村 �爐箸發靴哭瓩六匐,�よその家へもらわれてゆく話ですけどそこ
  のお母さんがその子供に愛情がもてなくて初めは可愛がらなかった
  のですが、だんだん二人が打ちとけて、お父さんが脚気になったと
  きお父さんが「子供が悪いからだ」と云うとお母さん子供を抱きし
  めてしまうところ、とても胸をうたれました。
高島 お母さんが子供との接触(ふれあうこと)で愛情を教えられると
  いう話ね。
木村 今まで�牋Δ気譴覺遒哭瓩話里辰討い討皚牋Δ垢覺遒哭瓩鮹里蕕�
  かったお母さんがそういったものにだんだん目覚めてゆくのですね。
高島 私はお父さんとお母さんの心の動きが面白いと思いました。それ
  が大人の世界なのかも知れませんね。子供対母、そして父と母の問
  題があるわけね。
司会 そろそろ時間になりましたのでこの辺で終りたいと思います。な
  にぶん最初の試みでもあったのでうまく運ばなかったと思いますが、
  今後もこの様な会をもちつづけてゆきたいと思います。ごくろうさ
  までした。               (一月二十二日)

   (註・この記事は編集の都合に依り、意図を変えない限りに於いて、
   若干の改稿、省略、順序の変更等を行いましたので御了承下さい。)
 
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 語る人(発言順)
 
3C 阿波 雅敏
3D 木村 祥子
  高島 先生
2B 今村 昌義
3D 遠藤 瓔子 (●=王+嬰)
2E 川北 貞夫
? 宮武 恒夫
3A 内村 公義
  古荘 先生
1C 北川 嘉三
3E 吉田 肇
3C 有賀 誠一 (書記)
2A 和田 和代史
2C 清水 隆史
2D 松浦 和郎
3D 河原 満夫 (司会)
 
── 《図書室便り・第五号 19550316 同志社中学校図書委員会》
 
────────────────────────────────
 
 19540102 この日、皇居の新年参賀に三十八万人があつまり、二重橋
上の混雑で十六人もの死者が出た。
 三学期早々の授業で、高島春江教諭は、次の歌(作者未詳)を詠む。
「ことほぎて 集ひし人の/……/ニュース悲しも」
 先生は、つねづね厳格かつ厳粛な表情であるため、成績かんばしから
ざる生徒たちには敬遠されているが、あくまでもひたむきな文学的熱情
が伝わってくる。誰が名づけたか“オバア”などという卑俗なアダ名は
まことにふさわしくない。あるとき「皆さん、関西にあって日本を代表
する詩人は誰でしょう」と問うたが、答える者がいない。「その名は、
小野十三郎です、よくおぼえておきなさい」
 いま調べるに「気分で流すな、ものを見つめよ、観念の物尺は使うな」
と主張するアナーキストであり、同世代の文学少女たちのカリスマ詩人
であったらしい。
 またあるとき「皆さんは《君の名は》などという低俗なラジオドラマ
を聴いてはいけません」とたしなめられた。「あんな、安っぽい陳腐な
筋書は、文学とは無縁のものです」誰かが「そうかなぁ」とつぶやくと、
先生はキッとなって「そもそも、あんなに類型的な、あれほどきびしい
お姑さんなど、現実には存在しないのです」と断言した。授業のあとで
悪ガキどもは「センセイも、やっぱり聴いとるんやないか」とささやき
あった。
 先生が恐れられた、もうひとつの理由に、薙刀の有段者であるらしい
との情報(誰もその勇姿を見たわけではないが)もあった。そして高校
に進むと、弓道の達人であるという岡谷清子先生にめぐりあう。
 19530915 映画《君の名は》《終着駅》同日封切。(Day'20000606)
 
── 《虚々日々 20001231 阿波文庫》P024-027
 
(20060109)


1955年01月23日(日)  三太郎物語 〜 三浦家の人々 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550123
 


 三浦 朱門  作家 19260112 東京          /文化庁長官07/夫妻ともカトリック教徒
♀曽野 綾子  作家 19310917 東京          /曾野/籍=三浦 知壽子/籍=旧姓=町田
────────────────────────────────
 三浦 太郎     19550123 東京          /朱門&曽野 綾子の長男
http://panflute.p.u-tokyo.ac.jp/~tmiura/miura.html
 文化人類学/聖トマス大学教授/〜《太郎物語(信子&正二の子?)新潮社 NHK》
────────────────────────────────
♀三浦 暁子  随筆 19561103 静岡          /太郎の妻/〜《太郎家族のボルネオ日記》
 三浦 太一     199.‥‥ 東京          /太郎&暁子の長男
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 三浦 太郎 絵本画 1968‥‥ 愛知 東京       /
http://www.taromiura.com/
────────────────────────────────
 三浦 太郎 (尺八)1946‥‥ 三重 四日市      /
http://www3.plala.or.jp/take8/TARO.HTM
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 山川 秀峰 日本画 18980403 京都 東京 19441229 46 /美人画/籍=嘉雄/方夫の父
 山川 方夫  作家 19300225 東京   19650220 32 /0219交通事故/籍=嘉巳
♀山川 みどり 編集 1941‥‥ 東京          /方夫の妻/旧姓=生田/芸術新潮編集長
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
♀三浦 綾子  作家 19220425 北海道  19991012 77 /旧姓=堀田/プロテスタント〜《氷点》
 三浦 光世  歌人 1924‥‥ 東京 旭川 /営林署勤務/1959結婚/三浦綾子記念文化財団理事長

 
http://9015.teacup.com/gba00502/bbs
 山川方夫掲示板 ↓考える人:山川みどり
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/chosha/chosha_yamakawa.html
 

── 『遠来の客たち』の頃  山川 方夫
 
 曽野さんに『三田文学』の編集担当として、はじめて小説をお願いし
たのは昭和二十八年の秋である。渋谷の喫茶店で友人に紹介してもらっ
た。雨の降る日だった。透明なビニールのレーン・コートを着て、背の
たかい、いかにも賢こげな目をした大柄な女性が友人につづいて店に入
ってきて、「ワタクシ、ソノでございます」とひどく丁寧な物腰で自己
紹介をした。向いあって坐ると、その女性はまたいちだんと背が高くな
ったように思え、へえ、いやにデケエひとだな、というのが僕の第一印
象だった。
 当時、すでに曽野さんは臼井吉見氏や一部の作家たちに認められてい
たらしいが、僕はそのことはずっと後で知った。曽野さんについては、
友人に借りた数冊の『新思潮』にのっていた作品の他に、ほとんどなん
の知識もなかった。ただ、いくつかのその作品に共通する。(ママ)全
体に光るような粘りのある文章に魅されて、この作家なら大丈夫、と単
純なアタリをつけていただけなのである。
『三田文学』にもらっ最初の作品は『鸚哥(いんこ)とクリスマス』で、
これは僕の好きな作品だったが、それだけにどう評価されるかがまるで
自分のもの以上に気がかりだった。この気分は編集の経験のある方なら
おわかりと思うが、だからそれが好評を受けたときの嬉しさといったら
なかった。すぐ、こんどはすこし長いものを、という依頼の電話をした。
「では、何枚ぐらいいただけるんでごぎいましょうか」
「そうですね、七十枚、いや、八十枚でも結構です」
「そういたしますと、七人か八人の人物を出せますわね。ワタクシ、十
枚あれば人間を一人描ける、と計算いたしますの」
 もう十年も昔のことで、現在の曽野さんにはちょっと迷惑かもしれな
い。が、この言葉はそのころの曽野さんの客気といっしょに、曽野さん
の小説にたいする考え方、その成果を支える確信の質を、かなりよく暗
示していた気がしてならない。
 もちろん、その言葉に僕はびっくりし、当時の僕なりの反撥もかんじ
た。だが、期日ぴったりに届けられた作品を読んで、僕はあらためて曽
野さんの文才に感嘆し、ほとんど呆れかえった。なにもいう気になれな
かった。それほどその才能はあらゆる計算を越え、ブリリアントにそれ
をカヴァして、どこにもその計算の計算としての欠点を見せていないの
だった。この作品が、『遠来の客たち』である。僕が本当に曽野さんの
すぐれた才能を信じたのは、じつはこのときからかもしれない、といま
になって僕は思う。
 はじめこの原稿の表紙には、『一九四七年貢』というもう一つの題名
のプランも書かれていた。相談をうけ、僕は『遠来の客たち』を選んだ。
すると、しばらく首をかしげ惜しそうな表情をうかべてから、曽野さん
はふいに決然とペンを握り、手に力をこめて『一九四七年夏』の文字の
上に線を引いた。(作家)
── 山川 方夫《『遠来の客たち』の頃 196312‥ 新日本文学全集月報23 集英社》

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080617*日米の処刑 〜 死神 vs 死紙 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080220 さらば、サポート 〜 医者は治さない 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080123*ほんとうに「頭は真っ白」になるか?
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070719 河合家の人々 〜 七人の男の子 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070619 フジモリと不可解な仲間たち
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060220*酔醒漫録 〜 コメンテーターの誕生日 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050410*無機質の系譜 〜 人形のような女たち 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050322 サッちゃん 〜 サチコとツトム 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040109 老友諸君! 〜 近き人々より 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030427 西日のあたる部屋
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001226 諸太郎考 〜 Taro & Tom 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970701 崖っぷち起業 〜 On the Edge & live door 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19890301*戸籍上の命日 〜 宮崎事件の虚実 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19870425 21世紀へ、あと5000日
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850812*御巣鷹山の月 〜 日航ジャンボ機・乗客乗員名簿 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19770324*繭の交流 〜 諸井家と尾高家 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19741211 板坂文庫(下) 〜 日本文学三六五日 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19630327 集英社《新日本文学全集》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19060125*丙午の女たち(1906以前)
 
(20090131)
 


1955年01月08日(土)  佐保姫の行方

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550108
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
 ↓Edita for text ↑Index 000000=19020102〜99991231
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 三尺のたななし小船 大わたに おのれ浮沈す 人あづからず(晶子)
 
 お葉書ありがとう。(Let'19550108 from 大橋 まり)
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
── 与謝野 晶子《佐保姫 19090516 日吉丸書房》
── 《定本 与謝野晶子全集 第二巻 19550210 講談社》
 
── 三尺のたななし小舟(をぶね)大洋(おほわだ)におのれ浮沈す
人あづからず「佐保姫」── 日本ペンクラブ電子文藝館
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/charm/yosanoakiko.html
 
── をくろさきみつのこ島の夕暮に たななし小舟 行衛しらすは
(藤原 家隆「夫木」)── 宮城の歌枕(3)
http://www.mni.ne.jp/~t.iwata/utamakura/utamakura03.html
 
── 男は垂仁天皇、女は皇后サホ姫である。話は『日本書紀』にもある。
http://blog.goo.ne.jp/kagamigawa/m/200603
── 鏡川 伊一郎《落ちた涙あるいは桜の精の物語 6 20060331 小説の孵化場》
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530105
 涙ぐましも 〜 音痴の教え子 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080428
 天使の歌声 〜 華はどこへ行った? 〜
 
(20090612)
 


1955年01月05日(水)  同志社中学校新聞部新年会

 

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550105
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19550105

 
 Ex libris Web Library;本宮先生 19550105(水)小山邸
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%CB%DC%B5%DC+%B7%BC
 ↑本宮 啓 ↓本宮先生
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%CB%DC%B5%DC%C0%E8%C0%B8
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
(20131215)
 


1954年12月10日(金)  いそいそ 〜 something wrong 〜


┌─────────┐
│
│ adlib/19541210
│
│ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19541210
│ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
│ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000
│
│ https://awalibrary.blog.ss-blog.jp/
│ https://booklog.jp/users/awalibrary/
│ https://q.hatena.ne.jp/adlib/
│
│ https://twilog.org/awalibrary
│ https://twitter.com/awalibrary
│ https://www.facebook.com/masatoshi.awa
│
└─────────┘

 
 いそいそ 〜 something wrong 〜
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-2424.html(初稿)
 
…… 超常現象に対しても興味を持ち「それを信じたい人には信じるに
足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。
超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」と発言。
コリン・ウィルソンによってこれを「ウィリアム・ジェームズの法則」
と名づけられた。── (Wikipedia)
 

 Balzac, Honore'de 17990520 France  18500818 51 /《人間喜劇》
 James, William  18420111 America  19100826 68 /“something wrong”
 Weber, Max    18640421 Duitch  19200614 56 /《職業としての政治 19190128 講演》
 外村 繁   作家 19021223 滋賀   19610728 58 /《夢幻泡影 19490400 文春》
 北森 嘉蔵  牧師 19160201 熊本 東京 19980928 82 /神学/義明の父
 Wilson, Colin   19310626 England  20131205 82 /“The Outsider”

 
>>
 
 かつてアメリカの有名な心理学者ウィリアム・ジェイムズは、人生の
中に something wrong(何かしら間違ったもの)がある、といったこと
がある。さきに引用した外村繁氏の文中に出てくる「どこか奇妙なこと」
という言葉は、まさに something wrong に相当するものである。われ
われは以上において、人生の「始」「中」「終」たる出生・職業労働・
死のいずれもが、something wrong としての問題性をもっていることを、
見て来たのである。(P21)
 
 われわれはこれまで既に something wrong を直感して来たが、しかし
何故それが wrong であるかについては一言も触れて来なかった。そのこ
とは、この文章の冒頭に引用した三人──外村 繁、マクス・ウェーバー、
無名の一青年──について既に同様である。これらの人々は、人間の性
行為の中に、職業労働の中に、死の中に、矛盾(「どこか奇妙なこと」)
を直感したのは確かであるが、それが何故矛盾であり、奇妙であるかに
ついては、一言もしていない。ただ「奇妙だ」「さっぱり分らない」と
いっただけである。そしてそれはまたわれわれ人間すべてに当てはまる
ことである。われわれは自己の根源を扼する矛盾を直感しているにもか
かわらず、何故それが矛盾であるかについては、全く知らない。われわ
れにおいては、直感が知を伴わないのである。
 しかるに聖書はわれわれの直感と同じ直感を叙述すると同時に、それ
を解明することをしているのである。ここに聖書の決定的な意義がある。
では聖書の「解明」は如何なるものであろうか。
 一たい「矛盾」というものは、本来あるはずのないものが現にある、
という所に成り立つ。これが「矛盾」の本質である。もしも、本来ある
はずのものが現にある、のであるなら、それは少しも「矛盾」ではない。
本来あるはずのないものが現にあるからこそ、それが「矛盾」と判断せ
られるのである。──そこで人間に既述のような根源的矛盾が直感され
るということは、人間が本来あるはずのない所に硯にある、ということ
を前提している。人間の出生・労働・死が「矛盾」であるということは、
もし人間が本来あるはずの所にあるなら、決して起らない事どもが、人
間において現に起っていることを意味する。一言にしていえば、人間は
本来あるべき所から落ちているのである。「本来あるべき所」とは何処
であるか。それは神のもとである。その神のもとから落ちたということ
が、聖書のいう「人間の堕罪」である。人間は神のもとから離れ落ちる
ことによって、本来あるべきところから、本来あるべきでない所へ落ち
たのである。従って人間には、本来起るべきでないはずの事が起るに至
ったのである。人間の根源的存在に「矛盾」が直感されるのほ、このた
めである。──これが聖書の解明である。
 人間はこのような意味において「脱落存在」である。あたかも列車が
レールの上を走っている限り、きわめて滑かに進み得るのに、レールか
ら脱線すると、起ってほならないはずの事としての転覆が起るように、
人間が神のもとにいたなら、人間存在のうちには何の矛盾も存在しなか
ったはずであるのに、神のもとから脱落したことによって、起ってはな
らないはずの事としてのさまざまの矛盾が人間存在を見舞うに至ったの
である。これが人間存在の「矛盾」に対する聖書の解明である。
 
(五)人問の矛盾を単に「直感」したり「叙述」したりするだけでなく、
これを「解明」することによって、キリスト教はどのようにその「矛盾」
の姿を描くであろうか。(P25-28)
 
 人生における聖書の位置
 
 人間の堕罪以前においても労働そのものが人間に課せられていたこと
は、創世記二・一五に「主なる神は人をとってエデンの園に置き、これ
を耕させ、これを守らせられた」と記されていることによって明かであ
る。しかしこの「本来あるべきはずの状態」にある限りでの人間の労働
は、人間にとって何ら重荷の性格をもたなかった。換言すれば、そこに
は何らの否定的なものが介在せず、人間にとって労働は全く肯定的・調
和的な性格において受け取られていたということが出来る。そこではお
そらく労働は人間にとって積極的に「いそいそと」受け取られたであろ
う。「職業労働」(ベルーフ)が同時に神の「召命」(ベルーフ)であ
るというピューリタン的職業労働観は、本来はこの場所でいわれるべき
ことである。そこではあらゆる職業労働が直接無媒介的に神から祝福せ
られるものと考えられるのである。しかし現実にある職業労働は、人間
の堕罪の結果刑罰として宣言されたものであり、人間にとっては否定的
であり重荷である。したがって「労働を自己目的として追及することは、
人間の本性には属しない」こととなるのである。(P29-30)
 
 聖書から見た「自殺」
 
 昭和二十八年十二月二十八日に国警本部から、戦前戦後十三年間の日
本における自殺者の統計が発表された。これによると昭和二十五年が最
高で二万千七百十人にのぼり、最低だった昭和十五年の一・六倍となっ
ている。昭和二十六、二十七、二十八年とも二万人をやや上廻っている。
これを平均すると大体一日に五十七人ぐらい自殺していることになる。
日本だけでも毎日五十七人の人間が自分で自分の生命を絶っているので
ある。全世界では驚くべき数字となるであろう。
 しかしこのような客観的な統計などをいくら出しても、自殺という問
題の真相にはほとんど触れたことにはならない。自殺ということは、客
観的な観察では触れられない徹底的に主体的な事柄だからである。「死
にたる者にその死にたる者を葬らせよ」(マタイ伝八・二二)という言
葉がある。これは、人間が死者のことなどあまり考えないで、生きる道
のことを考えるべきだということを、教えていると取られるが、然し裏
から解釈すれば、死者を真実に葬り得る資格はただ死者のみがもってい
る、という意味にも取られ得る。生者には死者を葬る資格がない。生者
には死者を慰める権利がない。自殺しない者には、自殺者のことを考え
る資格と権利とがない。自殺者のみが自殺について考え且つ語る資格と
権利とをもつ。(P73-74)
 
 聖書から見た「罪」
 
 バルザックの『セザル・ビロトー』の中につぎのような一節がある、
https://booklog.jp/item/1/4894341433(19990730)
 
……「利益を侵害されたとか、傷を負わされたとか、あるいは頬をなぐ
られたとかで、そう人間は憎み合うものではない。そうしたことはどう
にかもとに戻せるものである。しかし卑劣な行いをした現場を見つけら
れてしまっては?……その結果として罪人と罪の目撃苦の間に起る決闘
は、どちらか一人が死なないでは結末はつかないのである」。
 罪というものの実相は少くともこの言葉以下のものではあり得ない。
この辺に罪についての考え方の最低線があるとするなら、われわれが普
通「罪」という名のもとに考えているものは、如何にお目出度いもので
あるかが分る。バルザックによれば、罪をめぐっては「どちらか一人が
死なないでは結末はつかない」ほどのやりとりがなされるのであるが、
われわれが罪と呼んでいるものをめぐっては、どちらの一人もゆっくり
落着いて考え合ったり語り合ったりすることが出来るのである。「わた
くしの罪」などといいながら、しかもその「わたくし」は結構生きてき
ているどころか、更にはその「わたくしの罪」について小説を書いたり、
講演をしたりすることさえしているのである。(P78-79)
 
…… 一言でいえば、自己の生活が結局は偶然性の連続ではないかとい
う一種の直感であった。自己が生れてきたのも偶然、生きていくのも偶
然、死んでいくのも偶然、すべては行き当たりバッタリ。誰も自己の背
後から自己を支えて保証してくれる者はいない。私の背後は虚無である。
──この直感が襲い始めると、ほとんど何も手がつかなくなるほどの苦
しみを経験せざるを得なかった。(略)私はこの時始めて新約聖書を手
にして見る気になった。おそらく五高の一年生の秋頃であったろう(P168)
── 北森 嘉蔵《聖書入門 19541210 河出新書》装幀=庫田 綴(綴−糸)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JB5LCW
 
<<
 
 与太郎の書込みメモ
 
 この書物は遂に結論を与えなかった。決定的な動機を与えなかったば
かりか、自分を一歩ふみとゞまらせた。しかしそれこそは、この書物の
最大の良識であり著者の高潔な良心のなすところであった(19560306)。
(P7)
 
 モルガン《人間のしるし》を自分に推した人々は如何なるつもりであ
ったか。人間のしるしは、そんなものはなかった、あるとしても矛盾と、
そのごまかしがあるだけだ。阿部次郎《倫理学の根本問題》に期待しつ。
(P15)
 
── モルガン/石川 湧・訳《人間のしるし 19520210 岩波現代叢書》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4000016229
 
── 阿部 次郎《倫理学の根本問題 191607‥ 19480101 194909‥ 岩波書店》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JBJQ8M
 
 十字架愛(森安牧師)。(P34)
 
…… マルクス主義的進的性をもつ者はニヒリズム・デカダンスに関し
て無気力である(求道者講演会)。(P56)
 
…… キリスト新聞 1018日付けに「北森 嘉蔵召天10年」の記事があ
った。脇見出しが「故人偲び記念会に300人」と出たから、盛会だっ
たと思ったら、次号に「約100人」と訂正が掲載された。ところが
「300人」もしかるべき筋から出た数字らしい。また掲載された記念
写真から判断すると「約100人」も本当か、と思える。人数の報道
は難しい。(Concierge)── 人数の報道は難しい
http://blog.livedoor.jp/cjc_skj/ キリスト教記者クラブ《ロビー》
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
(20090425)(20210714)


1954年11月27日(土)  ♪ 五木の子守唄

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541127
f:id:adlib:20061221044601j:image
f:id:adlib:20061220230012j:image
 
 Ex libris Web Library;
── 九州民謡/西山 龍介・編曲《五木の子守唄 1953‥‥ 孔版刷》
(合唱コンクール 19541122 礼拝堂/EVE音楽会 19541127-28 栄光館)
 
♀照菊 Terugiku 歌手 1924‥‥ 東京 1988‥‥ 64 /旧姓=飛田 静江
/1958 和田 寿三(キングレコード文芸部ディレクター)と結婚引退。
http://blog.livedoor.jp/ya2pan2/archives/tennessee.html
 
 ◆ 元禄子守唄 〜 信楽先生講義録 〜
 
…… 信楽先生は六月廿八日同志社教会で洗礼を受けられました。これ
は同中にとっても近来にない喜ばしいことで今後同中が益々神に恵まれ
たよい学校になることが期待されます。/註 洗礼を受けると云うこと
は神の御前に無条件降伏し、己の罪を告白してキリストの僕になること
です。── 《信楽先生授洗さる 19530716 同志社中学生新聞第十四号》
 
 同中三美男を選ぶならば、久保誠三先生とならぶにちがいない。優男
の上山先生を加えてもよい。端正な容貌、上背のある恰幅、メリハリの
ある態度、給仕から苦学して今日あることなど、寸分の隙もない。
 三年生になってようやく、日本史の授業を受けることになった。
 信楽先生は、まず黒板に「日本三大革命」と大書して、大化の改新・
明治維新・終戦、を列挙した。なるほど、これだけ勉強すれば卒業かと
安心したのは間違いで、他にもいろいろあるらしい。しかしまぁ、その
文字もまた見事なもので、三筆とよぶにふさわしい。
 二学期の中間試験では、「元禄三大文化」として近松・芭蕉・白石に
ついて述べよ、という設問が予想された。はじめてヤマを張ったところ、
ズバリ的中したが、これくらいの予測はだれにもできる。要は文章力・
表現力が採点の対象である。自信たっぷりに答案を書き上げ、これなら
格別のおぼしめしにあずかって当然だと考えた。
 試験後は文化祭をひかえて、多忙なスケジュールがつづく。授業中に
手帳をとりだしてメモを確認していると、いつのまにか背後から先生の
手がのびて、無言のまま取上げられてしまった。あとで職員室へ行くと、
担任の児玉先生(英語)が返してくれた。
「アワくん、忙しいのは分るけど、これはいけませんよ」
 また、つぎの授業では、ぐっすりと眠りこけてしまった。
「眠いのなら(教室の)外で寝たまえ」と、信楽先生の表情がけわしい。
 そうか、授業中に眠るのは目ざわりにちがいない。保健室なら誰にも
迷惑をかけないわけだ。この日は父の革靴に、新聞紙をつめて履いてき
たので、歩くたびにキュッキュ・キュッキュ音がする。同級生たちが、
「あいつ、また新聞紙つめとる」とささやく声を背に、教室を出ること
になった。またもや担任教諭に呼ばれる。
「アワくん、忙しいのは分るけど、授業中の居眠りはいかんよ」
「ゆうべは、朝の三時まで起きてたんです」
「明け方の空気は身体によくないんよ。もっと早く床につきなさいね」
 当の信楽先生は、くりかえし叱ることはしないが、あきらかに不機嫌
な気配が伝わってくる。試験で満点をとっても、不遜な態度は許さない
と云わんばかりである。
 前教頭の内藤先生(国語・古文)には廊下で呼びとめられた。
「君には、困ったもんだ。せっかくあと一問で満点ちゅうのに、なんで
取らんのか。けしからん」ほめられていい成績で、なぜ叱られるのか?
 つまり、その他の課目では、ことごとく惨敗していたのである。
 
…… 「大化改新」が歴史家に云われるようになったのは廃藩置県以後
である。それまでは日本書紀に孝徳天皇の「大化詔」が載っているとは
分っていても、歴史家は問題にもしていなかった。「大化改新」をクロ
ーズアップさせ教科書にも載るようにしたのは、古代の祭政一致・天皇
親政・官僚制度(律令国家)を、維新に照応させて権威づける明治政府
の政策からである。※(脱藩考)
── 松本 清張《史観宰相論 19850825-19860725 文春文庫》198012‥
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/416710668X
 
 ◆ シンギング 〜 だれが歌うのか子守唄 〜
 
「同志社女子短期大学のヒガサです」と自己紹介したとき、すかさず
「夏向きやなぁ」と野次をとばして以来、別々のクラスではあったが、
有賀・木下ら三人組との交際がつづいていたのである。
 余談になるが、中学三年生と短大二年生は、ふつう十五歳と二十歳で
あって、与太郎は一年歳を食っているから、四歳あわよくば三つ違いの
お姉さんである。ハイキングにも出かけたし、戸畑市に帰郷した彼女が
東上するときには停車時刻を電報で知らせてくるので、三人組は京都駅
まで出かけて、数分の再会をたのしんだ。高校時代を通じて手紙のやり
とりがつづき、美術学校にすすんでからも、さきに彼女が引っ越してい
た神山町(東京・渋谷)の邸宅で夕飯に招かれることになった。
 しかし、あらわれるたびに落剥していく中退学生は、バプテスト教会
の牧師令嬢から、印刷された一片のはがき(新居案内)を受けとった。
 もしも彼女の夫君に出会うことがあれば、心をこめて伝えたい。
「彼女は、キリスト教徒として誇りたかい淑女でした。いっぽう小生も、
すくなくとも彼女の前では、敬虔なる下僕であったことを誓います!」
 
 合唱コンクールの準備はととのった。そして猛練習がはじまった。
 職員室の用をすませて出ようとすると、信楽先生に呼びとめられた。
「君のクラスでは、自由曲に《五木の子守唄》を合唱するらしいね」
「そうです」
「もっと中学生らしい、明るい歌を選んではどうかね」
「?」
「ボクの知るところ《五木の子守唄》は、階級的差別をうたった民謡で
あるらしい。中学生には難解で、不適当な主題ではないかね」
「よう考えて、みんなと相談してみます」
「そうすることだね」
 他の先生たちは、息をひそめて与太郎の反応をうかがっていた。彼が
一言も反論しないので、すこし意外だったらしい。あとですぐ本宮先生
にたずねられた。
「シガラキ先生、なんちゅうて?」
「まぁその、もっと明るい歌に代えたらどや、云われました」
「ふーん、それで君はどう答えたんや」
「みんなと相談してみる、云いました」
「みんな、どうするかな?」
「やっぱり、この曲がえぇ、云うと思います。なかなかの名曲ですワ」
 同級生のメンバーには、こう伝えた。
「ある先生が、この曲は暗いから止めたらどや、云われたけど、みんな
この曲えぇ思うやろ。コンクールで優勝したら栄光館に出られるぞ」
 コンクールの審査員は、すべて信楽先生と同じ意見であるわけがない。
まして信楽先生は、われわれの練習を聞こうともしないのだ。
 それきり信楽先生には報告もせず、先生も回答を求めなかった。
 
── 安井 かずみ・詞/平尾 昌晃・曲/小柳 ルミ子・唄
《わたしの城下町 19710425 ワーナーパイオニア》
…… ♪ だれが歌うのか子守唄《五木の子守唄》に酷似している。
 
── 宮崎 康平・詞&曲/森繁 久弥・唱《島原地方の子守唄》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030301 口先老人
 
 ◆ 五木節考 〜 誰がための子守唄か 〜
 
 日本民謡のなかでも《五木の子守唄》には、いくつかの疑点がある。
 戦後とつぜんの流行によって“子守唄の里”と称された五木村の人々
は、この子守唄を聞いて育ったにすぎない。
 本来の作詞・作曲者とみられる“かんじん”の少女たちは、隣接する
大陸出身者の被差別集落から五木村に派遣された幼い季節労働者である。
 雇い主に云えないような愚痴ばかりで、背中の子どもには一言も語り
かけない唄を、はたして子守唄といえるだろうか。彼女たちは、職業的
“シンガー・ソング・ライター”ではないから、どこかで聴きおぼえた
魅惑のメロディにのせて、不条理へのメッセージを託したにちがいない。
 魅惑のメロディとはなにか、いつどこで聴きおぼえたのか?
 もともと五木村に伝わった里謡でないのだから、在日一世が大陸から
もち運んだ古謡か、あるいは被差別部落だけにもちこまれた当時最新の
ポップスではないか。
 この曲の起源を、中国大陸・朝鮮半島、あるいは沖縄離島にもとめる
ことはできない。東南アジアの旋律は、西欧音楽の階名唱法の主音“ド”
で終わることがないからである。
 おなじ熊本民謡《おてもやん》は“ソ”で始まり、最後には非音階の
“囃言葉”で終わる。《中国地方の子守唄》も“ソ”で始まり“レ”で
終わる。全国的に普及した《ねんころり》にいたっては“ラ”で始まり、
あやうく“ド”で終わるかとみえて、結局は“レ”に落着く。
 西欧音階が“ドミソ”いずれかで始まって、かならず“ド”で終わる
ように、充足感をもって完結するのに対して、なぜか東洋音階では余韻
をもたせるように“レ”で終わる。いわば完結しないのである。
 朝鮮伝来の雅楽譜として書かれた《君が代》も“レ”で始まって“レ”
で終わる。これを西洋人に聴かせるため、西欧風に演奏するには、冒頭
の「レドレミソミレ」と結尾「ドレラソラソミレ」の部分に和声進行の
法則が適用できないので、特殊なマジックを要する。
 そこで編曲者は、ハーモニーを放棄して(無理にハモらず)あたかも
ファンファーレのごとく斉奏(ユニゾン)として、中間部分だけ荘重な
ハーモニーを響かせることにした。ちょうど、頭と尻尾をモノクロで、
真中をカラーで色づけするような趣向で、いかにも風変りではあるが、
それなりに格調たかい曲想となった。しかし、なんといっても百二十年
も前のテンポ指定(♪=69)は“NHKの子守唄”には適していても、
現代人にとっては緩慢すぎる。 
 かくして“ソ”で始まって“ド”で終わる《五木の子守唄》が東洋の
メロディでないことは、ほぼ確実である。戦後とつぜん脚光を浴びたの
も、それほど古い時代のものでない証拠であろう。“かんじん”の少女
たちは、いつどこで聴きおぼえたのだろうか。かりにロシア民謡なら、
そのまま朝鮮半島に伝わっていた可能性もある。ロシア正教の讃美歌の
替え歌だったら、キリシタン禁制の対象にもなるまい。(20000609-1017)
 
 かずかずの前衛音楽を初演した経験をもつニューヨーク・フィルでも、
《ノヴェンバー・ステップス》のリハーサルでは、尺八特有のメロディ
をはじめて聴いたメンバーの間から失笑がもれたという(典拠不詳)。
 雅楽器では吹奏楽を演奏できないが、現代の吹奏楽なら雅楽そのまま
に演奏できる。しかし、オリンピックで日の丸を揚げるたびに、外国人
の反応を気にしなければならない。(この項未完)
 
 ◆ 五木村 〜 売られた子守唄の里 〜
 
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http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)

 
(20180617)
 
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1954年11月23日(火)  秋の夜の感傷 〜 続・虫のいろいろ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541123
 
 秋の夜の感傷 
 
 そろそろ秋だなと思っていたら、にわかに小さな虫が増えた。私の部
屋の二本の蛍光燈のまわりには三ミリ位の虫どもがキリキリ舞っては落
ちてゆく。うっかり早くからふとんなど敷いていると、寝るときにふる
い落したうえ薬をまくなど大さわぎしなければならない。
 おまけに今年は、新しい蛍光燈とスタンドでよほど明るくなっている
ので、小さな客人たちは好んでやってくる。本を読んでいると、彼らが
音をたてて本の上に落ちてくる。みていると舞っているときはいかにも
幸福そうで、やがて陶酔のはてにトンと落ちてきて腰をぬかしている彼
らである。鉛筆の先でつついても動けないのがいるし、死んでしまって
いるのもいた。
 あまり多いときは古い洋服ブラシで掃きあつめるのだが、たいてい掌
の上に小さな山ができるくらいはある。それらをながめていると、これ
が連夜、私の部屋をおとずれる客人たちの静かな姿かと気の毒になる。
 そんなある夜のこと、私は近視なので部屋の採光には特に注意してい
て、そのときも半球形の反射笠に六〇ワットの電球を入れて天井に反射
させていたのだった。初秋の夜ともなればさすがに静かなもので、私は
反射笠の中にかなり大きな虫が入ったことをその音で知った。
 机の上に乗ってのぞきこむと将棋の駒より一まわりほど大きい例のぶ
あつい感じの蛾が熱い電燈のまわりをきゅうくつに飛びまわっていた。
指でもむとパン粉みたいになりそうなこの珍客は蛾特有の粉をのぞきこ
んだ私の頭髪とマツ毛に不遠慮にふりまくので私はいそいで首をひっこ
めた。
“やっかいな客”私は力にうったえてこの不遠慮な客人を片づけること
にした。
 私がチリ紙をもった手を近づけると蛾はますますはげしく反射笠の中
を飛びまわった。そして、そのほんのすこしの間に、笠の内側に卵を三
個、きれいに並べて産みつけた。私はそれを横目で見やってなおも彼女
を捕えようとあせった。……ようやく捕えた私は薄いチリ紙を通して、
ぶよぶよした感触に接した。とたんに私はぞっとした。“この俺の手の
中でも彼女は卵を産みつづけている……”私はさっき反射笠の内側に産
みつけられた三個の卵のあのつややかなうすももいろを想い出してふる
え上った。
 私はバタバタする蛾をつまんだまま、もう一度さきの卵をのぞきこん
だ。殻につつまれていた三つの生命は、反射笠の熱によって完全にとけ
てしまっていた。何となくホッとした私は手の中の虜が全く動かなくな
っていることに気がついた。
── 阿波 雅敏《秋の夜の感傷 19541122 同志社中学生新聞・第十六号》
 
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 人間性の変換 〜 裁判より得たる教訓 〜
 
── 人間はなぜ戦争を好むのか。ある人はこれをこんなふうに説く。
 本来、微生物や、下等動物から、だんだん生存競争に勝ちつづけて人
間までになった。人間となってからも、他の種族との間に不断の競争を
する。社会主義者にいわせると、継続的に階級闘争をくり返す。この間
に、闘争とか戦争とかということが本能に近い習性となって、人間の骨
髄にこびりついた。子供のあそびでも戦争ごっこが一番好きになる。原
始的人間性の再演かもしれないと。
 第一次欧州戦争のとき、名を忘れたが、ドイツの生物学者が、昆虫や
蛾の類が夏季に誘蛾灯に集まって、そこで焼き殺されるのは、こんなわ
けだと説明した。
 本来、昆虫は幼虫からサナギとなり、昆虫に変化するのである。幼虫、
サナギの時代は光線を必要としないのであるが、それが孵化して蛾とな
ったときに目ができ、羽をそなえるにいたる。この場合光を見ることが
できる。こんなものができたのは、昔の昔、大昔のことであるから、光
といえば太陽の光線の外にはなかった。太陽の光に向かって飛べばおの
ずから温暖であり、適当の食物も得られる。ゆえに光に向かって飛ぶと
いうことは昆虫や蛾の自己保存、種族発展に最適なことであった。しか
るに、ここに原始人がついに火を発明し、現代人はさらに電灯まで発明
した。昔のままの本能を維持するより外のことを知らぬ昆虫や蛾は、往
古の太陽の光と同じように輝く火なり、電灯に集まり焼け死ぬのである。
 人間が戦争の声を耳にすれば、きそって敵に向かう心をふるい起こす
のは、このあわれな夏の虫が灯火なり誘蛾電灯で焼け死ぬのと同一原理
によるものだと生物学者は説いた。カイゼル・ウィルヘルムはこんなこ
とを説かれてはわが軍の士気にかかわるとて、直ちに学者を逮捕し、投
獄した。(196703‥ 読売新聞社)
── 清瀬 一郎《秘録東京裁判 19860710 中公文庫》P213-214
 
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 終着駅                  高島 春江

 新聞部長から原稿を頼まれたのは、まだ五月雨の頃で、私は水の清い
「我が里」の風景を書いて「今流れに飛びかう蛍が美しい。」と結んだ
が、夏が過ぎて秋になった。季節のずれを嫌ってその原稿を「風すぎて」
という一聯の短歌ととりかえた。風とは勿論台風のことで、風のあとの
静けさの中に、夏から咲きついだ空色の朝顔が、小さくくさむらのそこ、
ここに咲いているのを詠んだりした。然し、今はもう晩秋である。庭に
は菊が咲き乱れている。それなのに、新聞はまだ出ない。私はわが歌を
季節はずれの「すまじきもの」に入れたくないので、三度目の原稿を書
こうと思う。
 私はいつか子供達と映画をみにいって、偶然「終着駅」と云うのをみ
た。ローマ駅での一つの出来事で、退屈もしなかったが、さして感動も
しなかった。けれども「終着駅」と云う題は妙に私の心にひっかかって、
忘れられなかった。その後、省線電車にのる度に「この電車の終着駅は
○○で……」と云う車掌の言葉にも一寸心の動くのを覚える。
 終着駅!! これはおもしろいと思う。逢えば別離があり、生あれば死
あり、始めあれば終りあると云う無常くさい意味で面白がるのではない
が、とにかく自分の周囲の諸行、くさぐさの事柄についてその終着駅を
考えるのは面白い。
 私はいくつかの友情の終着駅を或いはなつかしく、或いは淋しく思い
だすのである。そしてその愛情を全うすることのむずかしさを思う。
 あなた方にも、この中学校を巣立ってゆく日が必ずあるのである。満
足と悦びをもってその日を迎え得るよう、やはり考えなければならない
ことではなかろうか。
「神よ、あなたに仕えた私をあまり不満に思ってはいられますまいか。
ほんの少しのことしかできませんでした。そして、もうこれ以上はでき
ないのです……。私は戦いました。苦しみました。迷いました。作りま
した。父なるあなたの腕の中で息をつかせて下さい。またいつか、新し
い戦いのために私はよみがえるでしょう」これはロマン・ロランの作品
ジャン・クリストフの臨終の言葉である。音楽の天才ジャン・クリスト
フの生涯は全く苦悶と闘争の連続であったが、その終着駅は実に美しい、
調和そのものであった。昼と夜とは微笑し、愛と憎とは一体となり、生
に栄えあれ!死に栄えあれ!と凡べてを祝福し得て、もはや彼の心を乱
す何ものもなかったのである。その終着駅は又、歓喜そのものであった。
「門が開いた。……私が捜していた諧和音はこれだ。……しかしこれが
究極ではない!まだ新しいたくさんの空間がある……あすになったらも
っと先へ進もう」全生涯を通じて仕えようと努めた神の至高の平和の中
へ没入して消えることの歓喜!彼はこのすばらしい歓喜を最後の時に持
ったのである。(了)
 私は疎開地で毎日眺めた、美しい瀬戸内海の入日を思い出す。
──《同志社中学生新聞・第十六号 19541122 》
 
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530716
 転才 〜 くもとハチのはなし 〜
 
http://q.hatena.ne.jp/1164333882
 ここに述べられた、ドイツの生物学者の名を教えてください。
 
(20060109-1124-20080703)
 


1954年11月22日(月)  男女共学の発展のために

f:id:adlib:20061116094513j:image  
  
 
 

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541122
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19541122

 
 Ex libris Awa Library;“クラスの横顔”カット
(左から一年一学期、二年二学期、三年三学期)
── 《同志社中学生新聞 19541122 第十六号》
 
 生徒会の文化活動の発展を期す 生徒会長 木村 祥子
 
 本年度の文化祭は二十二、三両日にわたって行われます。これは学校
の対外的行事であると同時に生徒会にとっても重要な年間行事の一つで
あります。この催はわれわれの日頃の精進の結果を表わし、それによっ
て知識や情操を養い、今後の努力を促すためのものであって、主体はあ
くまで私たち生徒にあります。三年前までは文化祭のこの意義がくみと
られず、バザーの余興のような感があったのを、当時の生徒会の方々の
熱意と諸先生ならびに父兄の良識によって今日の在り方に改められたの
です。このたび特に関係部員の御努力によって、宗教、E・S・S、地
歴の各部が新しく参加され、一段と光彩を添える事になり、又、クラス
単位点数制も実施する事に決定しました。これは勝負の意味でなく、一
人でも多く、一点でも多く参加出品されるようにとの願いからで、要は
同中生の文化的才能がどれだけあるかを示すにあるのです。「われわれ
の手で」という自覚を持ち、そして計画倒れにならないようお互に努力
したいと思います。この文化祭を催すにあたって諸先生の並々ならぬ御
努力と父母の会の方々の大きな陰の努力のあった事を深く感謝して「我
々の文化祭」を有意義に過ごしたいと思います。
 
 ◇
 
 論説 男女共学の発展のために    阿波 雅敏
 
「今年から女子の数が増えた」「今年の生徒会長と、書記長は女子であ
る」共学同志社としてこれらはきわめて当然であるべき事柄なのに、と
もすれば不思議なことのように思えるのは遺憾である。一年生はようや
くクラスの四分の一が女子になったが二、三年は五分の一を下回るとい
う現状で、これでは共学でなくて女子は“おそえもの”の存在である。
昨年までの生徒会活動もほとんど男子役員の手で動かされ、ただ一つ美
化委員会だけがつつましく働いていた。今年はそういった偏向をさける
ために、各クラスから女子を二名選出することになったがそれも代議員
と美化委員に限られかえって無理なふり当てが行われたりしていわゆる
“貴族的”な代議員会ができ上ってしまった。男女の数を等しくするこ
とも一手段であるわけだがこれも必ずしも総てを解決するとはいえない。
 現在の同中で女子の仕事が制限されているということについてはいろ
いろ問題があって、前に美化委員会の顧問をしておられたある先生が、
「生徒は校内の美化は美化委員会がやるものときめている、だからゴミ
ひろいは女子の仕事だと思われている」となげかれた話がある。終戦後
九年を経た“封建民主国”“日本にはまだまだ”の匂いが消えるどころ
かともすれば煙を出そうとしている。これは私たちにもいえることで学
校で民主主義を学んだ私たちは家へ帰ると父の意見を絶対視する母を見
る、こういう矛盾はいろいろな場合に直面するのだ。
 私たちは今一度静かに反省してみたい。日ごろ何んでもないことのよ
うに思われていること。例えば男の友人には敬称をつける人も、女子の
人にはそうしないことはないか、女の人は男子の協力をこばむことはな
いか。文化国日本は真の民主主義の実践なくしてできない。
 
 ◆ 幻のバッジ・デザイン
 
 七つの委員会、三つの任意団体を各色別に並べた最初の幾何学的作品。
本宮先生は「ゲジゲジみたいに見えんか」と心配したが、七宝焼だから、
そうは見えない。残念ながら他の事情から実現しなかったが、卒業後の
《中学生新聞・第十八号》によれば、別のデザインで製作されたらしい。
 同志社中学生徒会《役員バッジ 195403・・ca 》(Day'19970104 参照)


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[f:id:adlib:20150209040507j:image:medium]
 
 同志社中学校生徒会(役員名簿)
 

生徒会会長   木村 祥子 3D 音楽部ピアノ班/数学部
生徒会副会長  内村 公義 3A 図書委員/放送部長
生徒会副会長  小林 茂之 3E 執行委員会/級代表委員会
生徒会書記長  田中 恭子 3E 
代議員会議長  清浦 圭明 3A 
代議員会副議長 岩崎 由美 3C 
代議員会書記  岸田 良信 3B 
図書委員会   河原 満夫 3C 学術部委員長/地歴部長
公安委員会   吹田 秀雄 3A 
        阿波 雅敏 3C 新聞部長
        井上 正雄 3D 宗教部長
美化委員会   
保健体育委員会 
会計委員会   
運動部委員長  
文化部委員長  

 
────────────────────────────────
 
 新聞部顧問・本宮先生の原案による、もっとも不得意な意見論文。
 
 第十七号は、オール同志社中高新聞部の合同編集により一週間のちに、
創立七十九周年記念号《同志社中学版・第十七号》として発刊された。
このため、一学期に発刊予定号が繰りのべられた。
 
“アナグマ・レポート”事件終息釈明に対する返信(Let'337 19540804)
 第十六号の総評は、一年先輩の洛北高校生・沖中忠順君から長文書簡
(Let'351 19541123) にくわしい。
 
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(20061115)(20140218)(20150209)
 


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