与太郎文庫
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| 1953年10月24日(土) |
アンデルセン 〜 読まずに観た映画 〜 |
┌─────────┐ │ │ adlib/19531024 │ │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19531024 │ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 │ https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000 │ │ https://awalibrary.blog.ss-blog.jp/ │ https://booklog.jp/users/awalibrary/ │ https://q.hatena.ne.jp/adlib/ │ │ https://twilog.org/awalibrary │ https://twitter.com/awalibrary │ https://www.facebook.com/masatoshi.awa │ └─────────┘
アンデルセン 〜 読まずに観た映画 〜 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%A2%A5%F3%A5%C7%A5%EB%A5%BB%A5%F3 アンデルセンは、生涯に三度も自伝を書いた。最初に書いたのは、27 歳(1832)のとき、恩人の娘にラブレター代りに送りつけたが、当惑し て兄に渡された。死後50年(1925)に発見されて、はじめて出版された。 >> 二番目に書いたのは 41歳(1846)のとき、彼がもはや有名な作家に なってドイツで全集が出はじめた時に、それの付録として書いたもので、 『偽りのない私の生涯』となっている。(D183) いま彼の『自伝』の定本として通ってるものは、50歳(1855)のとき、 出はじめたデンマーク版の全集のために書いたもの。ドイツ版の自伝を 大幅に改訂しまた増補してある。 しかも彼はその後も死の近くまで書きついだため、終わりの方はただ メモの形になっているだけだが、全体としては膨大なものになった。 日本で訳されている(大畑 末吉・訳)のは 184606‥ までで、後半 は未訳である。しかし面白いのは前半で、あとは世界的名士として坦々 とした栄光の道を辿っただけの記録だから、『自伝』としては既訳のも ので十分かも知れない。(山室 静)(D184) << 〔booklog〕 ── アンデルセン/大畑 末吉・訳《絵のない絵本 19751117 岩波文庫》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/400327413X ── アンデルセン/鈴木 徹郎・編《世界偉人自伝全集 8 19670101 小峰書店 潮文庫》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B07RP4QJ5B ── アンデルセン/矢崎 源九郎 & 立原 えりか 《童話名作集 20111115 静山社》�機��挟�セット豪華愛蔵版 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4863891288 ── アンデルセン/大畑 末吉・訳《わが生涯の物語 1975‥‥ 岩波文庫》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J941AM ── アンデルセン/大畑 末吉・訳《自伝 19520101-19840101 岩波文庫》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003274148 〔screen〕 ── 《アンデルセン物語 19521125 America 19531024 Japan》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000LXINW8 | https://www.youtube.com/watch?v=j-SIH__U5r4&t=6s 映画私帖
Vidor, Charles 監督 19000727 Hungaly 19590604 58 /《ラプソディ 1954 America》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19540823 ♀Jeanmaire, Zizi バレエ 19240429 France 20200717 96 /《カルメン 1949 London》 Kaye, Danny 俳優 19130118 America 19870303 74 /高校中退 ♀Lind, Johanna Maria 歌手 18201006 Sweden 18871102 67 /“スウェーデンのナイチンゲール” Andersen, Hans 作家 18050402 Denmark 18750804 70 /Christian Balzac, Honoré de 作家 17990520 France 18500818 51 /
http://www.misheila.sakura.ne.jp/andersen-note.html(年譜) …… バルザックはときどき、ひどく着古した服や泥靴、汚れたズボン につぶれた帽子といった格好で、バリの下町をぶらついて、小説の種を あさって歩くのが好きだった。バリを旅行していたアンデルセンは、 ルーブルでバルザックに似た男を見かけたので、「バルザックさんでし ょう」と話しかけると、その男は「バルザックは明日、ペテログラード に行きます」と答えて行ってしまった。その男の服装があまりにも貧し い様子だったので、アンデルセンも半信半疑だったが、数日後、彼は、 バルザックが本当にペテログラードに行ったと人から聞かされた。 ── バルザックのエピソード・あれこれ(その3) …… 旅先で考えたように「これらの著名人は、こうしている時も、毎 日何人かが亡くなっているんですよ」と、つけ加えることにします。 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19860127 著者のいない本 〜 縮刷第二版のあとがき 〜 ── アンデルセン/森 鷗外・訳《即興詩人 1902 春陽堂 20181225 文字文化協會》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4990531299 (20220111)
| 1953年10月09日(金) |
関響 第5回 松竹定期演奏会 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19531009 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19531009 Ex libris Awa Library;関響 第5回 松竹定期演奏会 ── 《関西交響楽団演奏会 5 19531009 京都松竹座》 PROGRAM 1.歌劇「フイガロの結婚」より モーツァルト (1)序曲 (2)さあさあ、お膝をついて 唄:伊藤 京子 (3)とうとう、うれしい時が来た 2.歌劇「椿姫」より ヴェルディ (1)前奏曲 (2)あゝ そはかの人か 唄:伊藤 京子 (3)乾杯の唄 3.歌劇「ウィリアム・テル」序曲 ロッシーニ 4.交響曲 第五番 ハ短調 ベートーヴェン アレグロ・コン・ブリオ/アンダンテ・コン・モト/アレグロ/アレグロ ♀伊藤 京子 ソプラノ 19270222 静岡 /二期会 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B0%CB%C6%A3+%B5%FE%BB%D2 近衛 秀麿 指揮・作曲 18981118 東京 19730602 74 /文麿の弟 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%A1%B6%E1%B1%D2+%BD%A8%CB%FB http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4276351294 ── 出谷 啓《クラシック この演奏家を聴け! 19960410 音楽之友社》56-63 〜 通がすすめる精選アーティストと名盤 (オン・ブックス) 〜 (20110821) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1953年09月15日(火) |
かりがねの妾 〜 鴎外の理 〜 |
Ex libris Web Library;歌川 広重《月に雁 19481101 切手週間》 ♪ 秋風に 初雁が音ぞ聞こゆなる 誰が玉梓かけて来つらむ(紀 友則) (古今和歌集207) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530915 http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19530915 ── 森 鴎外《雁 191109‥-191305‥ スバル》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530215 ── 豊田 四郎・監督《雁 19530915 大映》東野 英治郎・高峰 秀子・芥川 比呂志 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000JBCMMO ── 《現代文豪名作全集 6 森 鴎外 集 195305‥ 河出書房》野田 宇太郎・編
児玉 □□ せきの父 181,‥‥ ‥‥ 19‥‥‥ ? /飴細工屋“善吉” ♀児玉 なみ せきの母 1820‥‥ 江戸 19‥‥‥ ? / ♀児玉 せき 鴎外の妾 1848‥‥ 江戸 19‥‥‥ ? /観潮楼の近くに囲った隠し妻“お玉” □□ 元助 高利貸 182,‥‥ ‥‥ 19‥‥‥ ? /大学寄宿舎の小使“末造”元助→癌→雁→かりがね←金貸し 岡田 □□ 学友 186,‥‥ ‥‥ 19‥‥‥ ? /医学生 石原 □□ 学友 186,‥‥ ‥‥ 19‥‥‥ ? /医学生 森 林太郎“僕” 18620217 石見 19220709 61 /医学生/文久 2.0119 ♀森 登志子(登美子) 18‥‥‥ 東京 1899‥‥ ? /鴎外の先妻/旧姓=赤松 則良(海軍中将)の長女/結核死 ↑18890224 結婚 18900913 離婚 ↓19020104(21)鴎外(40)と再婚 ♀森 志け (茂子) 1880‥‥ 東京 1936‥‥ 56 /鴎外の後妻/旧姓=荒木 博臣(大審院判事)の長女〜《波瀾》
…… 18880908 帰国 18880912-1017 エリーゼ滞日 18890224 結婚。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530804 エリーゼの情熱 〜 或る独逸日記伝 〜 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4104100021 ── 森 まゆみ《鴎外の坂 199710‥ 新潮社》 ※ 明治13年(1880)の本郷周辺(湯島・上野不忍池・無縁坂) http://homepage3.nifty.com/kzyk/kakeizu.html 森家系圖 …… 森鴎外の小説「雁」についてはみなさまご存知だと思います。 小金を貯めた高利貸末造が無縁坂に囲った妾お玉が、毎日散歩に通る医 学生岡田に片思いを寄せて、今日こそ話しかけようとしたその日に、岡 田は不忍池でうち落とした雁を外套に隠して友達と一緒に歩いてくるの で、声をかけることができなかったという可憐な話です。森まゆみの 「鴎外の坂」という本によると、お玉のモデルは、鴎外が前妻登志子 と離婚したあと、後妻しげと結婚するまで観潮楼の近くに囲った隠し妻 「児玉せき」です。万事控えめで、決して表には出ようとしなかったこ の児玉せきに対する愛情溢れた記述がこの本には載っています。一方、 お玉の旦那末造のモデルは、下谷にあった大学南校(東大医学部の前身) の寄宿舎の岡田元助という小使いで、使い走りをしながら貯めた金で学 生相手に高利貸しを始めた。ところが借りだして利息の返済が滞ると借 金がどんどん増えるから、学生たちに病気の「癌(ガン)」というあだ 名がつけられた(入沢達吉)。卒業した債務者に対しては旅費向こう持 ちで手代を日本中に催促に回らせたそうです。小説の題名はガン、末造 のあだ名もガン。雁には「かりがね」という読み方もありますが、こう 読めば『借金(かりがね)』高利貸しにも通ずるというガンの話でした。 www.matsumoto-rc.jp/ka2005-06/2446.pdf ── 宮地 良彦《会長挨拶 20051110 松本ロータリークラブ会報》 …… 森林太郎は児玉せき(32)なる女を十八、九の頃より妾として 非常に寵愛し、かつて児まで挙けたる細君を離別してせきを本妻に直さ んとせしも母の故意によりて果たす能わず。母も亦鴎外が深くせきを愛 するの情を酌み取り、末永く外妾とすべき旨をいい渡し、家内の風波を 避けんためせきをばその母なみ(60)と倶に直ぐ近所なる千駄木林町 十一番地に別居せしめ、爾来は母の手当を送りつつありとぞ。 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4390114271 ── 黒岩 涙香《弊風一斑 蓄妾の実例 199206‥ 現代教養文庫 200403‥ 文元社》 http://y-kyorochann.at.webry.info/200808/article_9.html (20121106)
| 1953年09月03日(木) |
折口一門 〜 釈 迢空と九人の侍たち 〜 |
Ex libris Web Library;折口信夫博士の父子墓 …… 父子の墓から少し離れた場所には、折口 信夫の弟子の岡野 裕彦 (?=岡野 弘彦)名誉教授の歌碑も建てられています。 | http://pr.kokugakuin.ac.jp/around_campus/2013/09/03/191209/ 國學院大學 取材日誌 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C0%DE%B8%FD+%BF%AE%C9%D7 …… 折口の興味は、民俗学に留まらず、国文学の発生にまで及んでい る。それらのほとんど「口術筆記」の形をとっていた。書き手(聞き手) は、折口の頭の回転の速さと独特の言い回しでついていくことに閉口し たという。 生活能力に乏しい折口が公私共に信頼をおいていた弟子の藤井 春洋 を養子としたが、それは春洋本人は知らぬことであった。柳田 国男が 保証人であるその養子縁組を知ることなく、春洋は硫黄島へ出征してし まっていた。 間もなく折口の下へ春洋の訃報が届いた。今、折口は、遺言通り、 春洋の故郷である能登の羽咋で春洋の隣に半分だけ眠っている。もう半 分は、大阪の折口家代々の墓で眠っている。(まれびとプロジェクト) http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person933.html | …… 心臓は前妻(Emma Lavinia Gifford)、身体は後妻(Florence Dugdale)との墓に埋葬、19280116 国葬された。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19280116 トマス・ハーディの国葬
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530903 https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F) http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/ | http://twitter.com/awalibrary(ツイッター) http://twilog.org/awalibrary(ツイログ) http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ) | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19530903
釈 契沖 僧侶 1640‥‥ 摂津 大阪 17010304 61 /寛永17-元禄14.0125/真言宗/国学/室生寺で自殺未遂? 藤 無染 僧侶 1878‥‥ ‥‥ ‥‥ 19‥‥‥ ? /(むぜん) /浄土真宗の仏教改革運動家/1900夏‥ 大和の飛鳥坐神社に訪れた折口 信夫の初恋の人 /190503‥ 同居/号=釈 迢空の名付親? 柳田 国男 民俗学 18750731 兵庫 19620808 87 /貴族院書記官〜《遠野物語》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910226 柳田文庫 〜 定本柳田國男集 〜 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%CC%F8%C5%C4+%B9%F1%C3%CB 折口 信夫 民俗学 18870211 大阪 東京 19530903 66 /号=釈 迢空 /190403‥ 卒業試験で留級/194907‥ 能登に春洋との父子墓建立 0217“南島忌” http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070728 問題児諸君! 〜 怒れる若者たち 〜 折口 春洋 国文学 19070228 石川 硫黄島 19450319 38 /戦死/旧姓=藤井(はるみ) /1928‥‥ 信夫と同棲/194407‥ 硫黄島に転任(陸軍中尉)信夫の養嗣子として入籍 加藤 守雄 国文学 19131102 名古屋 東京 19891226 76 /旧姓=土井(どい)/号=杜壮/通称「馬さん、もり」 …… 「森 蘭丸は織田 信長に愛されたということで歴史に名が残った。 君だって、折口 信夫に愛された男として、名前が残ればいいではないか」 と迫られ、同衾を要求されたため名古屋の実家に帰郷(Wikipedia)。 岡野 弘彦 歌人 19240707 三重 /1947 折口の書生として同棲、死期を看取。 /1979 歌会始選者(皇太子妃雅子に進講)/1995-2007 國學院大學栃木短期大学学長 /1973「人」1999 個人雑誌「うたげの座」創刊 …… 岡野さんはぼくにとって「母なる父」 あるいは「母なる父なる人」 である。この言い方にぼくの万感が吸い寄せられている。 http://1000ya.isis.ne.jp/1466.html ── 《美しく愛しき日本》松岡 正剛の千夜千冊 20120512 高弟五博士 〜 折口 信夫が主査となり博士号を授与された学者たち 〜 西角井 正慶 歌人 19000522 埼玉 19700122 69 /国文学、民俗学 /國學院大學教授/明治神宮の献詠歌撰者/折口評「よい星の下に生まれた人」 /母・佐登子は河野 省三(國學院学長)の姉、女子学習院で貞明皇后と同期 /筆名=見沼 冬男(戦争中に自殺)戦後は戯れ歌のみ。愛称「角さん」 高崎 正秀 国文学 19011016 富山 19820302 80 /万葉学、歌人/籍=1019生/國學院栃木短大名誉学長 /折口に「自己流でもそれを押し通せばそれが本流になります」と言われた。 /絶詠「八十路迎へて感深し生き生きて何にかくも生き長へし」。 藤野 岩友 中国学 18981114 香川 19840528 85 /國學院大學名誉教授/一友(中川 彩子)の父 今泉 忠義 国語学 19000717 愛知 19761105 75 /國學院大學名誉教授 大場 磐雄 考古学 18990903 東京 19750607 75 /元國學院大學教授/旧姓=谷川(1928 母方の大場家を相続)
…… 先生によつて学位を頂き、先生から五博士と呼んで下さつた仲間。 ── 大場 磐雄《西角井正慶さんのみたまにささげる詞 197102‥ 芸能》 第13巻第2号(通巻144号) | …… 折口の学問を継承し、各自の分野において優れた業績を残した 「五博士」という言い方は、折口自身が言い始めた(Wikipedia)。 “柳田 帰納 vs 折口 演繹” …… 柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、 日本文化の起源に遡ろうとした帰納的傾向を所持していたのに対し、 折口はあらかじめマレビトやヨリシロという独創的概念に日本文化の起源 があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした演繹的な性格を持 っていたとされる(Wikipedia)。 | …… 老人は、自分の経験こそが一般論だと思いこみ(帰納法)、若者 は、一般論をもとに他人の言動を評価する(演繹法)傾向があります。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7326218.html(No.4 20120226) http://q.hatena.ne.jp/1448788419#a1253228(No.6 20151130 16:29:36) 同棲愛 〜 古代からの嗜好なので、法的に排除できない 〜 http://q.hatena.ne.jp/1448810340#a1253238(No.3 20151201 03:17:38) (20151201) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1953年09月01日(火) |
死曲 〜 選ばれし人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530901
Oistrakh, David 19080930 Ukraine 19741024 68 /Olanda客死/Fiodorovich Oistrakh, Igor 19310427 Ukraine /Davidの息子 Kremer, Gidon 19470227 Latvijas /Oistrakh門下 ──────────────────────────────── ♀Neveu, Ginette 19190811 France 19491027 30 /1028〜ショーソン《詩曲》 Neveu, Jean 1921‥‥ France 19491027 28 /航空事故死/Piano/Ginetteの弟 Thibaud, Jacques 18800927 France 19530901 72 /Violin/3度目の来日途中に航空事故死
── オイストラフは、1935年のヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・ コンクールでは、弱冠15歳のジネット・ヌヴーに敗れて、第2位に甘ん じている。イーゴリの父、ギドン・クレーメル(クレンメル)の師。 ヌヴー姉弟は、アメリカ大陸に演奏旅行に行く飛行機が大西洋沖アゾ レス諸島海岸に墜落。 ── 1952年3月1日、パリにジネット・ヌヴー協会が設立され、パリ音 楽院内にて記念碑の除幕式がとり行われた。出席者にはシャルル・ミュ ンシュとジャック・ティボーがいた。かつてティボーは、ヌヴーの訃報 に「自分も最期はかくありたいもの」と述べたことがあり、その通り飛 行機事故により亡くなった。ヌヴー協会は幾多の変転を重ねた後、1960 年代に解散されている。── (Wikipedia) “最後のトリオ” http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070303 三月三日三重奏曲 〜 黄金の三大トリオ 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20081219 わが競奏 〜 Concert for Violin and Orchestra 〜 ── トーマス・マン/佐藤 晃一・訳《選ばれし人 1953 新潮社》現代世界文学全集 27 (20081221)
| 1953年08月07日(金) |
晩器大成 〜 三十にして史記を読む 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530807 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Our Picture;史記 http://www.tbs.co.jp/heibayo/tour.html 司馬遷「史記」の世界 全百三十巻 〜『史記』だったかな? 〜 ── 司馬遼太郎という名は、私が三十になって小説を書きはじめたと きに、ある懸賞小説を書きましてね、原稿を封筒に入れてから、ふと、 名前を本名にしたらまずいだろうな、と思いまして、偶然そこに司馬遷 が読みかけてあったから思いついただけで、ほかに何もないことなんで す。『史記』だったかな。それで司馬……。 ── 司馬 遼太郎《手掘り日本史 19800725-19880630 集英社文庫》P19 ── 1956年5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募 (「司馬遼太郎」の名で投稿)、海音寺潮五郎の絶賛を受け同賞を受賞 し、出世作となる。この「司馬遼太郎」というペンネームは「(史家の) 司馬遷に遼(はるか)に及ばず」という意味であるという(Wikipedia)。 ── 司馬 遼太郎《ペルシャの幻術師 1956-20010210 文春文庫》
司馬 遷 太史令 BC-144‥‥ China -0‥‥‥ ? /字=子長 ── 一死一生、乃知交情。一貧一富、乃知交態。一貴一賎、交情乃見。 〜《史記列伝(四)第六十 19751016 岩波文庫》P298 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19470520 一貧一富 〜 紳士録の人々 〜 ──────────────────────────────── 徳富 蘇峰 歴史評論 18630314 肥後 19571102 94 /文久 3.0125/籍=猪一郎 /廬花の兄/戦犯〜《近世日本国民史 1953‥‥ 大阪毎日新聞》 ──────────────────────────────── 海音寺 潮五郎 作家 19011105 鹿児島 19771201 76 /籍=末富 東作(0313生) ──────────────────────────────── 司馬 遼太郎 作家 19230807 大阪 19960212 72 /籍=福田 定一 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960212 菜の花忌 〜 完結した人生 〜
司馬 遼太郎が、三十になって漫然と読んだ《史記》は本篇ではなく、 解説本の類ではなかったか。幼少にして原典を読破した徳富 蘇峰なら “司馬 遼”のような畏れおおい筆名を選ぶわけがない。 ── 予が読書の力は漸次ついて来た。『四書』、『五経』は固より 『左伝』『史記』『歴史網鑑』『国史略』『日本外史』『八家文』など も読み、『通鑑綱目』等も親類の横井家から借用して読んだ。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19531129 併存 〜 徳富家の人々 〜 ── 杉井 六郎・監修《蘇峰書物随筆・全十巻 1993 ゆまに書房》 やがて司馬は、神田の古本屋からトラック一杯の書籍を取寄せる。 「適当に見つくろってくれ」と云ったかも知れない。よほどの専門家と 思いこんだ店員が、あえて《史記》や《左伝》を省いたのではないか。 まゆつば 〜 トラック伝説の虚実 〜 ── 司馬が資料を集め始めると、関連する古書が古本屋業界から払底 したという逸話があり、神田神保町の古書店街に軽トラックでやって来 て、本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読し、それらをすべて荷台 に乗せていったという。── (Wikipedia) ── 司馬氏は古本屋からトラックで運びこまれる雑多な本に目を通し、 小説に使えるもの、使えないものに分けたらしい。 ... 司馬遼太郎は、 そういう古本屋の「眼力」に恐れ入ったと、述べているらしい。 ... http://www.poplarbeech.com/kanehara/002891.html 金原瑞人: カネハラ言ノ葉研究所 Key Word in Awa Library:司馬 遼太郎 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BB%CA%C7%CF+%CE%CB%C2%C0%CF%BA ── 『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された 中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計 52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世 に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるように なった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」 70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝か ら前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わ けても正史記述の雛形となっている。── (Wikipedia) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20091107)
| 1953年08月04日(火) |
エリーゼの情熱 〜 或る独逸日記伝 〜 |
Ex libris Web Library;ザ・ピーナッツ《情熱の花 1959‥‥ Japan》 ── 音羽 たかし・詞/水島 哲・曲/宮川 泰・編曲 http://d.hatena.ne.jp/hsakawa/20090410/1239379308 『エリーゼのために』がいったいどういう経緯で『情熱の花』になったか? http://plaza.rakuten.co.jp/ruzerukabu/diary/201006270002/ ── 《キッスは目にして 1981‥‥ Japan》ザ・ヴィーナス・唱/井上 大輔・編曲 ── 《Tout L'Amour (PASSION FLOWER) 1959‥‥ France》Caterina Valente・唱 ── Beethoven《Für Elise 1810‥‥ Op.59》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530804 http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19530804 …… 太田豊大郎は、法科出の秀才で、母親の希望と官庁の上司の期待 を双肩に、ドィツに留学した。けれども、西欧の大学の自由な風に接し て、立身出世の道を脱落する。官庁は免職になり、偶然に知りあった美 貌の舞姫エリスと同棲生活をはじめた。 学問は荒み、屋根裏部屋でのエリスとの生活は、精神的には豊かでも、 貧寒をきわめた。折りから、明治二十一年の冬、豊太郎は旧友相沢から の手紙を受けとった。日本から昨夜ベルリンに着いた天方伯に同行して 自分もこちらに来た、天方伯が君にも会いたがっておられるから、ぜひ ホテルに来るように。手紙にはそう書いてあった。 天方伯からは、翻訳の仕事をもらったり、通訳の仕事をしているうち に、ひと月ぱかり過ぎた。と、ある日、突然、大方伯は「明日ロシアに 向かうが、いっしょに随行してくるか」と問いかけられた。 ロシア滞在中、豊太郎はエリスへの愛と故国への帰心とに千々に乱れ、 心弱い自分を痛感せざるをえなかった。 大臣一行とべルリンに着いたのは、元日の朝であったが、停車場から エリスのもとに駆けつけた。家に入ってみると、エリスはおむつを山の ように積んで二人の間の子供の生まれるのを待ちこがれている様子。豊 太郎は、日本に帰る決心のほどを口に出せなかった。 〜 愛する人との別れ(P10) 〜 ── 森 鴎外《舞姫 189001‥ 国民之友/新潮・角川文庫》18890101 ※ http://d.hatena.ne.jp/adlib/19741210 板坂文庫(上) 〜 日本文学三六五日 〜 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C9%F1%C9%B1
森 鴎外 18620217(林太郎)島根 19220709 61 /文久 2.0119/軍医総監 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B009IYDZTW ── 森 鴎外《舞姫 20120927 電子書籍》P17 ♀アンナ 18721216 1951‥‥ 79 /籍=Wiegert, Anna Berta Luise ♀エリス 18660915 Poland Berlin 19530804 86 /シュチェチン生/19050715(40)結婚 /籍=Wiegert, Elise Marie Caroline
18880908 鴎外、ドイツ留学から帰国 18880912 エリーゼの来日(築地の精養軒に宿泊) 18881017 エリーゼの帰国(ゼネラル・ヴィーダー号) …… エリスはおだやかに帰りました。人の言葉の真偽を知るだけの常 識にも欠けている、哀れな女の行末をつくづく考えさせられました。 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/ ── 小金井 喜美子《回想記 ‥‥ 》鴎外の妹 18890224 鴎外、赤松 登美子(?)と結婚(西周の斡旋) 新居(現在の水月ホテル鴎外荘)で「舞姫」を書いた。 18900913 長男(於兎)誕生後(弟二人と)家を出て、登美子を離縁。 1902.... 鴎外、荒木 志け(?)と再婚
森 鴎外 (林太郎)軍医総監 18620217 島根 19220709 61 /文久 2.0119/津和野町石見 ♀森 登志子(登美子)鴎外の先妻 18‥‥‥ 東京 18‥‥‥ ? /旧姓=赤松 則良(海軍中将)の長女/結核死 ♀森 志け (茂子) 鴎外の後妻 18‥‥‥ 東京 18‥‥‥ ? /旧姓=荒木 博臣(大審院判事)の長女〜《波瀾》 森 於菟 登志子&鴎外の長男 18900913 東京 19671221 77 /解剖学/台北帝大教授〜《父親としての鴎外》 ♀森 茉莉 志け&鴎外の長女 19030107 東京 19870606 84 /作家〜《父の帽子/恋人たちの森》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19220709 鴎外の碑 〜 森家の人々 〜 http://japanese.hix05.com/Literature/Ogai/ogai16.maihime.html 森鴎外の舞姫始末記 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/416315230X ── 松本 清張《両像・森鴎外 199411‥ 文藝春秋》西周日記に着目。 今野 勉 ディレクター 19360402 秋田 /1959 ラジオ東京(現TBS)入社〜《金子みすゞの世界》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/414081442X ── 今野 勉《鴎外の恋人 百二十年後の真実 20101120 日本放送出版協会》 ♀六草 いちか ライター 1962‥‥ 大阪 吹田 /1986 ドイツ留学 1988 Berlin 在住 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4062167581 ── 六草 いちか《鴎外の恋 舞姫エリスの真実 20110309 講談社》
…… 文豪、森鴎外の小説「舞姫」のヒロインのモデルになった元恋人 は、地元男性と結婚して第2次世界大戦を生き延び、86歳でベルリン で亡くなった。 同地在住のライター、六草いちかさんの調べで5日明らかになった。 ベルリンに赴いた官吏と踊り子エリスの悲恋を描く「舞姫」は、ドイ ツ留学した鴎外の体験を反映した作品とされる。1888年に帰国した 彼を追うようにドイツ人の恋人が船で来日。鴎外の親族らに説得され、 離日したことが知られている。 六草さんは乗船者名簿の名前と一致する当時21歳の女性エリーゼ・ マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトの存在を教会簿の出生記録などから 割り出した。彼女は66年9月15日、現在のポーランド生まれ。帽子 職人として働いていた1904年までの足取りが分かり、昨年単行本に まとめた。 その後も調査を続け、役所の記録などからエリーゼが05年7月15 日に2歳年上のドイツ人男性と結婚したことが判明。男性は18年に死 去し、彼女は53年8月4日に老人ホームで亡くなっていた。 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012110600062 12/11/06 05:53 55res 51res/h 2.1% ▽ 【社会】鴎外「舞姫」 モデルの晩年が明らかに…ベルリン在住のライターが調査 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1352148807/ (20121106) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1953年07月16日(木) |
転才 〜 くもとハチのはなし 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530716 >> ガラス戸のくもの話 金谷 昭良 何時かこんな事を本で読んだ。それは誰が書いたのかということも忘 れている。 「私が或朝、一匹のくもを見付けた。ガラス戸とガラス戸の間に、どこ からも、出られなくなっているくもを……。子供達に“来てごらん。く もがこんな所にいるよ”子供達は奥の間から飛んで来て、不思議そうな、 おそろしそうな顔をして、じっと見つめていた。……」 日中家に居る私は、便所へ行く時には必ず、このくもを見た。くもは じっと動かずにガラス戸のあわさで待機していた。驚きもせず、あわて ず、ガラス戸の中で身動きもせずにいた。家中で夕食を摂りながら“あ のくもはあのまゝで何日位じっとしているだろう。あそこにいるとまづ 外へはでられまい。お腹もすいてくるだろうし、外へ出ようと思ってガ ラス戸の中であばれ出すだろう。しばらくあのままで観察して見よう” こう云って子供達にあのガラス戸を動かさないでおくように云って置 いた。 朝も便所へ行く、一日に何回かくもを見た。しかし翌日も翌々日もく もは身動きだにしなかった。じっとしていた。“お父ちゃん、くもって 一寸も外へ出ようとあわてないね”女の子はいかにも不思議そうに云っ た事もあった。夏の夕方いそがしそうに巣を張るくもなのに、ガラス戸 に閉じ込められたこのくもは一週間たってもじっと死んだ様に動かなか った。 十日たった。やはり最初見つけた時の様にじっとして動かなかった。 十日間も何も食べずに居る。 少し私も驚きかけた。よくこんなに食べずに居られるものだ。人間が 十日も食べずにいると“食べさせろ、殺す気か”などとさぞかし大声で 家の人達にどなりつけるだろう。そして、もがいて、もがいて心か身が 怒でかたまるだろう。そう考えるとこのくもはずい分忍耐強い。動くこ とすらしないでいる。私がこのくもだったらどこか出口はないものかと 一日中、ガラス戸の中を右往左往するだろう。 そして食べ物がないかとガラス戸の中を一生懸命さがすだろう。 とうとう二週間たった。半月になったのである。子供達はもう見るの も忘れてしまった。何度となく便所へ行く私は くもはガラス戸にぴた りとひっついて 死んでいるのかな 腹がへって動けないのかも知れな い。観察しようと思った心は何時の間にかこのくもの辛抱強さに負けて 居た。それは同情だったかも知れない。それでもいいと思う様になって 来た。 丁度二十三日目の朝だった。どやどやと子供達がよって来た。 “お父ちゃん、まだ見ているの、可哀そうよ”私もそんな気がした。 女の子が一寸ガラス戸に手をふれた。 カタリ、と音がして一センチばかりのすき間が出来たかどうかわから ない位の時。じっとしていたくもがすばやくその間をくぐりぬけて外へ 出て居た。 “あっ”と言ってまばたきを一つする瞬間だった。 戸袋の外へくもは逃れ去って居た。 “逃げた、逃げた、ほらあそこだよ”子供達が指さす方にくもはゆうゆ うと逃れ去って行った。──と云うよりゆうゆうと去って行ったのであ る。今まで少し可哀そうだと思っていた私は“しまった”と思った。だ まされた心地がした。くもは去った。 私は書斎で書き物をしようとしたが、くもの事が気になった。くもが ガラス戸に閉じ込められてから、私の気持はこんなに変って行った。 ○ よーし、観察してやろう。根くらべだ。 ○ 面白い奴だ。何時までじっとしてるんだ。 ○ まだじっとしている。 ○ まだじっとしている。 ○ やっぱり、じっとしている。 ○ あれまだヾ。腹がへらんのかな。 ○ 腹がへって動けまい。どうする気なんだろう。 ○ 開けてやろうか。死んじまうから。 ○ 死んぢゃったのかな。可哀そうに。 二十三日目の朝、私の気持を根本からくつがえして、さっと逃げて行 った。負けた。くもに負けた。 可哀そうにと思っていた気持は、ぐらぐらっとくずれて、“しまった。 負けた”と思った時はすでに遅かった。くもが勝ったのである。 二十三日前、くもが最初ガラス戸に閉じ込められた時、くもは今日出 られると思っていたゞろうか。 二十三日もの長い間出られる日を待って居たくもは、じっと動かず時 を待った。 じっと死んだ様になって待っていた。 このわずかな一センチほどのすき間が生命の道だった。 この道を通って外へ出る日が来るまでガラス戸のくもはじっと待って いた。生きる為に……。 このくもの辛抱強さと忍耐力と、すべてを捨てゝじっと待っていた心 がまえは、わずか一センチほどのせまい生命のためだったのである。 ── そして動いた。そして、このくも事件は私の心に何か打つものが あったのである。 今頃は思い切り美味しい御馳走にありついているくもを思い出しなが ら、もし言葉が通じるのなら“くもさんよくがんばりましたね”と云っ てやり度い気持がした。 そして、このくもの話は、ただそれだけしまっておく気持になれなか った。 何か、私たちの生活の仕方に教えられるものがある。 と、ぼんやり思ったのである。 ── 《素描・第一号 19520401 さゞなみ同人会》P02 << くもとハチのはなし 阿波 雅敏 夏の或る朝、一匹のくもを見付けた。くもはガラス戸とガラス戸の間 に這入って何処からも出られずにいた。 休暇中で毎日家にいた私は“此奴、これからどうするか見ていてやれ” と思った。 くもは、じっと動かず、あわてずガラス戸の中で身動きもしなかった。 「あのくもはあのままで何日位じっとしているだろうか。あのままだと 先ず外へは出られまい。腹もへるだろうに。」こんな事も思った。 ところが何時迄たっても、くもは動こうともしなかった。一週間たち 十日たったが、最初の時と同じ格好で頑固に足一本動かさずにじっとし ていた。 二週間目。くもは依然として最初のままであった。 “死んでしまったかな。腹がへって動けんのかも知れん。”最初何かの 刺激を期待していた私は、次第にくもを相手に根比べをしている事が馬 鹿らしくなって来た。それは此のくもに対する同情であったかも知れな かった。又そうであっても良いと思う様になった。 そこで私はさんざ考えた挙句思い切ってガラス戸を開ける事にした。 もう一度くものいるのを確かめてから私はガラス戸に手をふれた。 “ガタリ”と音がして一センチ程のすき間が出来たかどうか、其の瞬間 くもは外へ出ていた。全く瞬間というよりなかった。 くもに逃げられたのを知った私は“しまった”と思った。だまされた 心地がした。 二週間前、此のくもが最初ガラス戸に閉じ込められた時、くもは今日 出られると思っていただろうか。二週間の間、じっと動かず時を待った、 そしてくもは、今日迄頑張り続けて、遂に一センチ足らずの生命を得た。 此のくもの辛棒と、忍耐と、総てを捨て、待っていたものは、一セン チ足らずの生命だったのである。 数日後こんな事を本で読んだ。或る昆虫学者が、ハチの事について書 いた文章だが、大体、空を飛ぶ為の羽根の面積は体重に比例( 数字は良 く覚えていないが )していて飛行機もこれが応用してあるのだという。 ところがハチの場合は不思議な事に、この比例から行くと体重に対し て羽根の面積が狭いというのである。普通ならば飛べぬというのである。 そして、ハチがもしそれを知った時、初めてハチは飛べなくなるだろう と結んでいる。 くもの忍耐力、ハチの努力は、どこか人間の生き方に似ていると、私 はぼんやり考えた。 (筆者は2D) ── 《同志社中学生新聞・第十四号 19530716 》 ──────────────────────────────── 尾崎一雄《虫のいろいろ》が文学雑誌・新潮に掲載されてから四年後、 金谷先生は「こんな話を聞いた」という前置きで《ガラス戸のくもの話》 を、教え子の編集する同人雑誌に寄稿された。 その教え子はまた、学校新聞の依頼にこたえて《くもとハチのはなし》 を書いた。あきらかな盗作、しかも確信犯である(擬太郎 P041 参照)。 もとの原作を“病床記”とみれば、三者三様に共通するわけで、病み あがりの少年が復学したときの担任であった金谷先生もまた、みずから の闘病生活がはじまっていた。 さらに四十五年後、地方新聞のコラムも引用しているように、原作の エピソードは寓意にあふれている。父の代作による作文《ぼくのいなか》 で知事賞を与えられた文学少年にとって、いまこれが盗作・剽窃であっ たとしても、いずれ脱出すべき拠点となった。(Day'20000711) ──────────────────────────────── 19520401《素描 ・ 第一号》アルタミラ洞窟画《野牛図》《Tokyo’61〜61 初版のあとがき》参照。 19520501《これから・第二号》ロダン《考える人》Pho'京都国立博物館、このころ連日写真撮影に通う。 ── 《大原美術館に在った論争 1999ca 山陽新聞》 19520601《これから・第三号》ギリシャ彫刻《汗をふく青年像》 1952‥‥《これから・第四号》阿波正之・写真集より《夏の杉》 1952‥‥《これから・第五号》ミケランジェロ《青年 15・・》(システィン礼拝堂天井画装飾人物の部分) ── 京都市教育委員会(一周年記念出版)・監修《美術の鑑賞 19491010 都出版社》P023 市内小学生に頒布された副教材(正続二分冊)、著者不明。 19530701《これから・第六号》── 金谷 常延・孔版原版《ローマ彫刻・鳩をもつ青年像》出典未詳 ── 吉田 肇《白衣》ほか。修学旅行での傷痍軍人撮影事件を経て、カンニング事件── 《諌争》 >> 滴一滴 〜 コラム 〜 「晩秋のある日、陽ざしの明るい午後だった」とあるから、時期的に はちょうど、いまごろを言っているのだろう▲尾崎一雄の短編小説「虫 のいろいろ」の書き出しだ。戦後間もなく、病気で床に伏していた作者 は、ラジオからバイオリン曲が流れてくると同時に、部屋の隅にいた一 匹のクモがするするとはい出してき、浮かれたように歩き回るのを見た。 曲が終わる。クモは少しテレたようにこそこそと姿を消した▲偶然とは いえない、「これは油断がならないぞ」と思い、あらためてノミやハチ、 ハエといった身の回りの虫たちの習性に思いを致す。無意識ながら一様 に生きようと懸命に努力していることを発見する。▲対象を見詰める目 の確かさはさすがだ。この時代、虫が、特にハエが多いことにも気がつ いた。「天井板にしがみついていて、陽のさす間は、縁側や畳に下りて あっちこっちしている」とある。病臥している作者の顔にまでたかり遊 び場にする▲ここで作者は世にも珍しいことをやってのけるのだ。額に とまったハエを追うというはっきりした気持ちではないが、眉をぐっと つり上げた。急にできた額のしわ。そのしわが、ハエの足をはさんでし まった。額でブンブンという大きな羽音。「おい、だれか来てくれ」。 そして家族の笑い声▲作者をまねて鏡に向かって眉を思いきりつり上げ てみた。深いしわが入る。そんな年になったのか、これならやれるなと 思う。だが、晩秋といわず夏でさえ、もう何年もハエはいない。 ── 《滴一滴 19981107 山陽新聞》 蜘蛛百態 〜 死亡記事 〜 錦 三郎 短歌・くも研究 1915‥‥ 山形 福島 19970508 82 /〜《蜘蛛百態》 ── クモが糸とともに上昇気流を利用して舞い上がる「雪迎え現象」 を研究。64年「蜘蛛(くも)百態」でエッセイスト・クラブ賞、75年に 斎藤茂吉文化賞などを受賞。92年、東北の地域文化への貢献で文部大臣 表彰。短歌結社「山麓」選者。 ── 《山陽新聞 19970511 》 << 東京時代、キャバレーの舞台装置作品。暗黒のステージに、ボンゴが 鳴りはじめ、一条のスポットライトに、蛍光色のブラジャーが浮かびあ がる。くもの巣に囚えられた女が身をよじって脱出を図るが、力つきる。 ボンゴ・ソロ=北野タダオ(アロー・ジャズ・オーケストラ) ── 《ヌードショウ 〜 蜘蛛と女 19620614-0616 ミス東京》 ♀朱雀 さぎり(初代) 1940‥‥ 東京 19920112 51 /1958-1983日劇 ──────────────────────────────── (20061115)
| 1953年07月15日(水) |
シュタフォンハーゲン独奏会 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530715 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html Ex libris Awa Library;Stavonhagen ── 《全音ヴァイオリンピース曲目一覧表 19‥‥‥ 全音楽譜出版社》 ── 七月一日のアッセンブリーはドイツの有名なヴァイヨリニストで あるシュタフォンハーゲン氏の演奏を栄光館で女子中学と一緒に鑑賞し た。曲目は比較的なじみ深いものばかりであった。氏の演奏は音色が地 味で音程を時々はづすことはあるが、さすがにドイツ音楽の正統派であ るだけに大きくがっしりとしており音楽的教養の深さが感じとれた。 ── 《シュタフォンハーゲン氏の独奏会 19530701 同志社栄光館 0716 同志社中学生新聞 第14号》 この記事は「音程を時々はづす」など、誰が書いたものか。 当日は、本宮先生が急遽壇上で奏法の解説をされた。 ピアノ伴奏は、女子大の教授だったかもしれない。 先生がメモを見て「ピッツカート」と読みあげると、深刻な面持で、 ポツン・ポツンと爪弾く趣向である。曲目については、まったく記憶が なく、下記(約一年後)のプログラムにも見あたらない。 http://www.yasuda-shoten.jp/product/1661 ── 《ウォルフガング・シュタフォンハーゲン ヴァイオリン独奏会 19540613 主催:山梨音楽愛好家協会》伴奏:マンフレット・グルリット 来日演奏家よりも滞日演奏家と呼ぶべきで、詳しい2ちゃん記事あり。 http://piza2.2ch.net/classical/kako/997/997517685.html 特集『あのオーケストラは今』 >> ★ 本シリーズに寄せられた かずかずの賛辞!! 植野 豊子先生 ─ 全音がこのたび出版されたヴァイオリンの楽譜は 大へん美しく、しかも丈夫なので使う人の立場をよく考えて出さ れたものと思います。曲目も豊富で内容もいいし私も使っており ますが、全く驚く程正確な楽譜です。今後も新らしい曲を沢山出 版されるとのことで大へん期待しております。(演奏家) 加藤 成之先生 ─ このたびの 「全音ヴァイオリンピース」 は全く素 晴しい。まず数の多いことである。ソナタや協奏曲も別に数多く 出版されるので、全くヴァイオリン曲の全てを網羅しているとい っても過言ではあるまい。(中略)私は心からヴァイオリン愛好 家に推薦する次第である。(東京芸大音楽学部長) 属 啓成先生 ─ 我国の音楽水準は終戦以来急速な上昇を続け、そ れに伴って楽器工業や楽譜出版は重要な役を演ずる訳だが、まだ 量的にも質的にもその需要をみたしていないのか現状だ。既に楽 譜の出版では非常な実績をもっている全音がクラシックものの出 版を計画したことは極めて喜ばしいし期待も大きい。(評論家) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%A1%C2%B0+%B7%BC%C0%AE W・シュタフォンハーゲン先生 ─ 日本でよく知られている全音は 今迄に装帖、内容共に立派で安価な楽譜を出版して大きな貢献を してきてるが、今度出した新しい楽譜は全く優れたもので外国版 に決して劣らないと思う。音楽を愛する日本人がそのような出版 社を持っていることは大変幸福なことといえる。(来日演奏家) 鈴木 鎮一先生 ─ 全音が着々として新しい世界を拓いてゆこうとし ていることはうれしい。今度のピース楽譜はその一つでしょう。 ビニール被膜を用いた上等な表紙、新鮮なものを感じます。印刷 も進歩したものだ。欧米の出版と比べてこの水準なら少しも劣ら ないどころか少し豪華すぎるかも知れない。(才能教育主宰者) 真篠 将先生 ─ 最近、小学校でも中学校でも器楽活動が盛んにな ってきたが、その中にヴァイオリンを探り入れることが多くなっ てきた。こうした時に全音から優秀などース楽譜が刊行されたこ とは届だ時宜に適しているし、叉教育の面からもこの上なく喜ば しいことである。(文部省初等中等教育局文部事務官) 増沢 健美先生 ─ 日本の現状では楽譜の出版、特に器楽曲の出版は なかなか難しい。にもかかわらず今回全音がヴァイオリン楽譜の 出版を敢行されたことはまことに喜ぶべきことである。装櫨もす っきりしているし印刷もきれいだ。それに有名な曲を殆んど網羅 していることはなによりである。(評論家) (五十音順) << Stavonhagen, Wolfgang Violin 19080822 Duitch 19810316 72 / http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜 ── 鈴木 鎮一《全集 第1巻“能力の発見”19890401 研秀出版社》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001007 ポール先生、さようなら 〜 続・教え子の消息 〜 (20100424)
| 1953年07月07日(火) |
銀幕の彼方 〜 バンツマ一家 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530707 https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(推奨 Ctrl+F) | http://twitter.com/awalibrary(ツイッター) http://twilog.org/awalibrary(ツイログ) http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ) | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫) http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19530707
Ex libris Web Library;影法師 19491225-19500108 松竹 http://www.gmo-toku.jp/srch/kw影法師/or0/ 影法師シリーズは、バンツマ初期の主演作を、リメイクしたものか? 与太郎の興味は、どのように後編に引き継がれるのか、にあった。 父にせがんで観たところ、あまり整合性が感じられず、失望した。 《江戸怪賊伝 〜 影法師(前篇)怪賊影法師 〜 19250306 東亜マキノ等持院》 《江戸怪賊伝 〜 影法師(後篇)怪賊影法師 〜 19250313 東亜マキノ等持院》 《闇の影法師 19380714 日活京都》懸 左馬之介 《影法師 〜 寛永坂の決闘 〜 19491225 松竹京都》仙波 龍之介、天堂 左近 《続・影法師 〜 龍虎相搏つ 〜 19500108 松竹京都》仙 波龍之介、天堂 左近 父にせがんで観た映画は、もう一本あった。 ── 加藤 雅彦(子役)《獅子の座 19530603 大映京都》 “バンツマ”籍=田村 傳吉(誤=坂東) 高廣・正和・亮ら四兄弟の父。 《あばれ獅子 19530812 松竹》撮影中に脳内出血。旧作のクローズ・ アップと後姿の代役をオプティカル・プリンター(合成マシン)で完成。 ── 《無法松の一生/王将/破れ太鼓》 http://www.jmdb.ne.jp/person/p0133880.htm ── 《阪東妻三郎/監督別/共演者別/阪東要二郎》
阪東 妻三郎“バンツマ” 19011214 東京 京都 19530707 51 /誤19011213 〜 ♀田村 静子 四兄弟の母 1903‥‥ ‥‥ 京都 1993‥‥ 90 / 田村 高広 (長男)俳優 19280831 京都 東京 20050516 77 /同志社大学経済学部卒 ♀田村 節子 高広の妻 19‥‥‥ ‥‥ /旧姓=? 田村 俊麿 (次男) 19380612 京都 /旧称=登志麿/三兄弟のマネージャー 田村 亮 (三男)俳優 19460524 京都 /籍=幸照/172.9cm [A] 1969 成城大学経済学部卒 ♀宇佐美 恵子 モデル 19520417 東京 /籍=田村 幸照の妻/神奈川/杉ざかやの客 田村 幸士 俳優 19770628 東京 /籍=田村 亮の長男/176cm [A] 20090429 デビュー 田村 亮 芸人 19720108 高槻 /籍=同/ロンドンブーツ1号2号 田村 正和 (四男)俳優 19430801 京都 /成城大学文芸学部卒 ♀田村 総枝 正和の妻 19‥‥‥ ‥‥ /旧姓=? 水上 保広 俳優 19471031 大阪 /声優 ナレーター/175cm [A] 阪妻の婚外子 http://210.135.99.89/a/%E7%94%B0%E6%9D%91 ──────────────────────────────── 林 与一 俳優 19420214 兵庫 /京都嵯峨小学校で田村 正和と同学年 ♀中村 玉緒 俳優 19390712 京都 /立誠小学校(1993廃校)卒 津川 雅彦 俳優 19400102 京都 /旧芸名=沢村 マサヒコ→加藤 雅彦 佐々木 敏男 スケート 19400303 京都 19991017 59 /19580120 Champion ! ──────────────────────────────── 小山 素麿 脳神経外科学 19381201 京都 /脊髄疾患臨床研究所代表 □□ ?麿 (同志社中学)1938‥‥ 京都 /田村 俊麿&小山 素麿と同学年? 西村 篤夫 先端科学研究 1938‥‥ 京都 /20010331 退職 /大阪府立大学先端科学研究所(アイソトープ)講師
…… 先日、香住へ行く途中、ひとり京都に立ち寄りました。 古都をぶらつきながら、二尊院を尋ねてみました。 ここには、阪東妻三郎の墓があり、以前から行ってみたいところでし た。嵯峨野の竹藪の中で、墓参りをしていたら“墓碑”なるものが建て られているのに目がとまった。 田村 静子さんは、すでに平成5年に亡くなられていた。 阪妻の妻、正和さんの母である。 ふと、思い出した6年前のビデオテープ。 それは非常に珍しい、正和さんのトークインタビュー番組。 その中で、母親について語られている一場面があったはずだから。 「90歳ですけど、今も元気にしています」。 この直後に、亡くなられていたようである。 http://twins.pos.to/log/bbs990223.html 天使の梯子/投稿者:ムサ兄/投稿日:19990226 21:07:15 京都嵯峨小学校で田村 正和と同学年だった林 与一は、雁 龍太郎の “またいとこ”中村 玉緒と“いとこちがい”にあたる。中村 玉緒の 小学校同級生にフィギュア・スケートの佐々木 敏男がいた。 田村 俊磨(同志社中学)成城学園高等部、慶應義塾大学経済学部卒。 1962 東京通商�蠧�社。1966 退社(同年より、田村高廣、田村正和の マネージャー)この間、六本木にて飲食店を経営。1980 田村産業(株) を設立。河川水害防災資材を開発、建設省(現・国土交通省)地方自治 体等に納入。1994 社名を株式会社タムサプライヤに改称。 現在の取扱い商品、水防資材、屋外用テーブル・チェア、パラソル、 健康指向食品、炭酸泉装置、除菌・消臭剤。 http://www.tamura-kyoudai.com/tosima.html …… このサイトは、田村兄弟の公式サイトとして、兄弟の情報を発信 していきます。また、次男:俊麿が主宰する本物にこだわったショッピ ングサイト「Tam Shop」でのお買い物をお楽しみください。 http://www.tamura-kyoudai.com/ 田村兄弟 (20060213-0518)(20150308)
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