KENの日記
 < 過去  INDEX  未来 >

2007年04月26日(木) スリランカフェスティバル

5月の26日(土)、27日(日)代々木公園で「スリランカフェスティバル」が開催されます。主催はスリランカ大使館のようです。スリランカ大使館の方からポスターとリーフレットを頂きました。会社の休憩室にポスターを掲示させていただきました。更に昼休みの休憩室で休んでいる派遣の人達にリーフレットを配りました。アーユルベーダとかスリランカ紅茶の記事があるので若い女性は興味があるようです。


ホームページはスリランカフェスティバル


スリランカの物産を輸入販売している企業が協賛しているので、スリランカ製品を買うことができそうです。出張時にお土産で買ってきた紅茶が終わってしまったので買いに出かけようかと思っています。しかし日本で買うと高いかも知れません。


昨日の夜HMVによって最近のCDを物色してきました。欲しくなったのは以下のCDです。とても魅力的です。妻とも相談して購入を検討しようと思います。


「愛の妙薬」(ヴイラソン・ネトレプコ)
「ドュエット集」(ヴィラゾン・ネトレプコ)
「バッハ・無伴奏チェロ組曲」(イッサーリス)
「幻想交響曲、白鳥の湖」(ゲルギエフ・キーロフ?)


そういえば、そろそろ来年のゲルギエフ・キーロフオペラのチケット発売日です。ヨーロッパの有名歌劇場とか「メト」に比べればまだキーロフは安い感じです。キエフオペラも再来日するようなので、今年の秋冬のコンサートも確保しようと思っています。



2007年04月25日(水) クリュイタンスのベートーベン

会社の仕事がピークを過ぎたので久しぶりの平日更新しています。通勤電車の中で「iPOD」で音楽を聴いています。会社の帰りの疲れた時には「名曲」を聞くと心が洗われる感じですね。今日はベートーベンの田園を聞きました。演奏は「クリュイタンス指揮のベルリンフィルの演奏です」。他にはワルターとカザルス盤が入っていますが、疲れたときにはクリュイタンスの「凛」として演奏がとても清清しく感じました。


クリュイタンスのベルリンフィルによるベートーベン交響曲全集は名演の誉い録音です。ベルリンフィルの初めてのベートーベン交響曲全集だということです。録音年代は以下の通りです。田園は合唱と並んでまず最初に録音されたようです。


第六番、第九番:1958年
第五番:1959年
第一番、第二番、第四番、第七番、第八番:1960年
第三番:1961年


フルトヴェングラーが亡くなりカラヤンがベルリンフィルの常任指揮者に就任したのが1955年です(私の生まれた年でもあります)。カラヤンがベートーベンの交響曲全集を録音するのが70年代と80年代の二回です。ベルリンフィルはカラヤンを迎えて、急激にカラヤン色に染まっていき「いわゆる」全盛期を迎えるのだそうですが、私にはこのクリュイタンスの録音は、カラヤン色に染まる前に、何とかしてフルトヴェングラーのベートーベンをステレオで残そうと考えた人達の遺産に思えて仕方ありません。それほどこの演奏は立派です。録音は古いですがその音楽は驚くほど立派ですし、何といってもベルリンフィルが上手い。


個人的な趣味ですが、カラヤンの指揮ではベルリンフィルの演奏が「滑る」ことがあると思います。テンポが速いこともあるでしょうが何か落ち着かない感じで居心地が悪いのです。それに比べ「クリュイタンス」の指揮では非常に安定していて「座り」が良いのです。これはオケの全セクションが非常に上手なことに加えて、中低弦がしっかりしていることと木管が飛び抜けて上手いことによるのでしょう。田園ではニ楽章で木管の本領が発揮されています。


さてここから難しいのですが「クリュイタンス」は「曲作り」においてどの程度指導力を発揮したのか。田園が録音された時代はフルトヴェングラーが亡くなってから3年しか経っていないのです。フルトヴェングラーの音楽はまだ楽団員の身体に十分染み付いていたはずです。私の想像ですがクリュイタンスはできるだけベルリンフィルにフルトヴェングラー流の演奏をさせたのではないかと思われるのです。1905年生まれのクリュイタンスは1958年には53歳。まだ若いです。自分流のベートーベンの交響曲を録音する機会がまだまだあるはずでした。その当時クリュイタンスはフランスNo.1のパリ音楽院管弦楽団の主任指揮者の地位を固めていました。慣れていないベルリンフィルで自分流の全集を作る必要など全くないと思います。しかし本当はフルトヴェングラーの音楽と非常に親和性があるということでクリュイタンスが選ばれたのかもしれません。


田園を聞いていると、フルトヴェングラーの天才的で強靭な構築力とクリュイタンスの丹精で謙虚な音楽に加えてベートーベン・フルトヴェングラーへの尊敬の念が重なって聞こえてくるようです。



2007年04月21日(土) ロストロポービッチの映画

前から予約鑑賞券を買っておいた「ロストロポービッチ・ガリーナ」の映画を見てきました。場所は渋谷のシアター・イメージフォーラム。日本プレミアは本日21日からでした。本日3回目の上映は午後4時30分からでしたが、劇場は空席が多くその分ゆったりと鑑賞できました。


http://www.sokurov.jp/



チェリストのロストロポービッチとソプラノ歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤは結婚50年を迎えましたが、1978年に旧ソ連から国外追放を受けたので旧ソ連時代の映像・記録が殆ど残っていないのです。特にボリショイ劇場の看板ソプラノ歌手であったヴィシネフスカヤの映像は殆どありません。まだ見たことがない昔の映像があるのではないかと期待して行きました。


残念ながら今回の映画の構成は殆ど以下に限られています。
○結婚50周年を祝うモスクワでのパーティ
○ロストロポービッチのウイーンフィルとのコンサートリハーサル風景
○ビシネフスカヤのレッスン風景
○自宅におけるロストロポービッチ、ビシネフスカヤへのインタビュー


これらを中心に、古い写真を効果的に使った回想シーンが随所に織り込まれていますが、新しい発見や、彼等が過ごしたモスクワ・ペトログラードの風景は一切ありません。正直言って金を節約してドキュメンタリーを作った感じですね。


それでも、ロストロポービッチ、ビシネフスカヤの人物像は描けていたと思います。音楽家の家に生まれて小さい頃から神童といわれたロストロポービッチに対して、苦労して育ったビシネフスカヤの内面の複雑さ、それがオペラ歌手としての成功に大きく寄与してきたことが伺えました。ロストロポービッチが大家らしからぬ非常に気さくな人柄であることに対し、ビシネフスカヤは実に複雑で巨大な人間性を持っているように思われます。


嘗ての帝政ロシア時代から旧ソ連時代を通じて、ロシア芸術の真髄は何なのかということに非常に興味を持っています。チャイコフスキーを始めとする多くの作曲家を輩出し、トルストイ・ドストエフスキーを生んだロシアとは何なのか知りたく思っています。嘗て西側の度肝を抜いた「ムラビンスキー・レニングラードフィル」、リヒテル、ロストロポービッチ。ガリーナが正当に評価されていたら、同時代のカラスと双璧をなしたと思うのです。そのガリーナが今は故郷のモスクワで後進の指導にあたっています。ロシアの伝統を現在のロシアの若者に伝えています。


先週ベルディの「運命の力」(キーロフ・ゲルギエフ)を録画しましたが、この「運命の力」は、ベルディが招かれてロシアのペトログラードで完成させたものでした。



2007年04月08日(日) インド「寺院コンプレックス」

7日土曜日の朝日新聞夕刊に、インド・ニューデリーの新名所の「アクシャルダーム寺院」の記事が載っていました。私もインドに住んでいる時に真っ先に行って見ました。私の日記にでは、2005年11月6日に大統領、首相を招いてオープニングセレモニーが行われたことになっています。私は早速11月12日の土曜日に行っています。当時は出来立てホヤホヤでまだあちらこちらで工事をしていました。用意されていたパンフレットは全てヒンズーでした。今は随分整備されたようです。ホームページもあります。


アクシャルダームのホームページ


現在は年間500万人の参拝客が訪れるニューデリーの一大名所になっているようです。ニューデリーにはイスラム教、シーク教の名所は沢山あるのですが、ヒンズー教の観光名所(参拝場所)は数が限られていました。そうした中でヤムナ側の東岸の広大な土地に建てられた近代的(石作りです)な寺院は、その設備の幅広さもあって観光名所になる素地は十分あったのでした。ニューデリーの中心部からも近いので観光には非常に便利です。


「アクシャルダーム」は「ニーラカンタ」という人を崇拝する宗教団体が建設したものです。数千年の歴史のあるヒンズー教においてはどちらかといえば「新興宗教」に近いものです。日本でもそうですが、新興宗教団体の総本山というと、非常に大規模で、勢力を誇示するような威容であることが多いです。このアクシャルダームはその典型です。信ずるかどうかは別にして、このような新興の施設が人々から信仰の対象とされ、長い年月かけてありがたい巡礼地になっていくのでしょう。


同じ記事の中で紹介されていたアンドラプラデシュ州のインド最大の巡礼地は「ティルパッチ」です。そこには年間1750万人が訪れるのだそうです。その巡礼地は山の中で大変苦労して巡礼するところだと聞いています。他にも「聖地バラナシ」はニューデリーからは遠いです。そうした巡礼地が、あたかも東京ディズニーランドのように、大都会の直ぐ近くにできてしまったのです。便利になったものです。



2007年04月07日(土) iPOD

通勤の電車の中で「iPOD」で音楽を聴くようにしました。私の「iPOD」は初期の型で少し重いのですが40Gのメモリの中「15G」位音楽が入っています。曲数は2600曲以上。我が家にあるCDの殆どが入っています。インドに赴任するときにCDを持っていく代わりにiPODを持っていたのでした。向うでも結構CDを買ったのですが、聞く方法は「iPOD」でした。インドの電気屋店で「BOSE」のiPOD専用のスピーカを買って聞いていました。この「BOSE」は価格は少し高いですが、非常に優れています。


最近「イヤホン」も随分進歩しています。電車の中でイヤホンから漏れてくる音が気になることがありますが、私のイヤホン(Audiotechnica製)は殆ど音が漏れません。音が漏れないことを確認してから通勤で音量を大きくして聞いています。私の聞く音楽はPOP音楽のようにドラムのカシャカシャいう音はしません。大きな音といえば「金管楽器の彷徨」です。マーラーやショスターコービッチの交響曲を大音量で聴いていると、満員の通勤電車の苦労を忘れてしまいます。片道1時間強の通勤時間なので大きな交響曲をじっくり聞くには丁度良いです。これまでしっかり聞かなかった曲をたっぷり聞こうと思っています。



2007年03月27日(火) インドから友人来日

インド勤務時代に知り合ったインド人の友人が家族揃って日本に旅行に来ています。彼は当時インドの財閥系の通信会社「リライアンス社」に勤めていてNTTとの社員交流のお手伝いをしてもらったのでした。今日はその当時インドに出張し彼とも名刺交換していた方もお呼びして彼と夕食を食べました。



2007年03月26日(月) 反政府軍が空爆

日曜日の深夜のようですが、スリランカのバンダラナイケ国際空港に隣接するスリランカ空軍基地を反政府組織「LTTE」の飛行機が爆撃したのだそうです。「LTTE」は小型飛行機2機で政府軍の攻撃機爆破をねらったようです。このところ、スリランカ政府が空軍の支援による大規模な侵攻作戦を展開し、じりじりとLTTE支配地域を取り返しにかかっていたのでした。


ところでLTTEが飛行機を手に入れていたということは、スリランカ政府にとっても驚きであったようです。空からの攻撃は全く予想していなかったようです。そもそもLTTE支配地域に飛行機が離着陸できる飛行場があるとは思えません。真っ直ぐな道を閉鎖して滑走路にしたのではないでしょうか。ジャングルの中に滑走路を作ったのかしら。


そして飛行機ですが、部品を海外から密輸して支配地領内で組み立てたようです。飛行機のテストはどのように行ったのか。どのように飛行訓練を行ったのか。分からない事が多すぎます。スリランカ政府に全く気づかれずに準備したのですからすごいことです。


これでスリランカ政府は空からの攻撃にも備えなければならなくなりました。これまでは船舶を使った「SeaTiger」と呼ばれる攻撃がありました。彼等は一旦公海に出て南部の港に近づいて攻撃するのです。海からの攻撃にはスリランカ政府も十分注意を払っていました。これに空からの攻撃が加わりました。首都コロンボのビジネス街の中心は二棟の「ワールドトレードセンター」。これ以上の戦闘激化は是非避けてもらいたいです。今週水曜日からスリランカに出張します。



2007年03月24日(土) ロストロポーヴィッチ・ガリーナの映画

ロストロポーヴィッチ・ガリーナの映画の上映日程が決まったようです。ホームページは以下の通り。


http://www.sokurov.jp/


4月21日から渋谷の「シアター・イメージフォーラム」だそうです。早速鑑賞券を買いました。日本語の題名は「ロストロポーヴィッチ人生の祭典」です。ガリーナファンとしては「ロストロポーヴィッチ・ガリーナ人生の祭典」にして欲しかったところです。日本ではガリーナの人気が今ひとつですが欧米ではむしろガリーナの方が有名なのではないでしょうか。


音楽家の家に育ったロストロポーヴィッチに比べて、ソプラノ歌手「ガリーナ・ヴィシネフスカヤ」の苦労は壮絶なものでした。ガリーナはそれを本にまとめています。独ソ戦の「レニングラード」封鎖から始まり、ソビエト共産党が次第に体制を固め全盛期を極める姿をガリーナは体制の中から見ていました。すさまじい権力闘争であったと思います。芸術家もそれに巻き込まれていたのでした。その間にロストロポーヴィッチと結婚し、その後西側に亡命しロシアを外から見てきたのでした。ソビエト崩壊後の10数年間はロシアに戻り、社会活動・行進の育成に力を尽くしています。


ソビエト共産党の体制においても芸術至上主義を貫き、西側のベーム・カラヤンに代表される商業主義に対応して崇高な域に達していたのがソビエト芸術です。ムラビンスキー率いるレニングラードフィルの演奏能力は当時の西側に大きな衝撃を与えました。ガリーナはボリショイオペラのスターとしてカラスに比肩するソプラノでした。他にはピアノのリヒテル、バイオリンのオイストラフ、チェロのロストロポーヴィッチが西側の度肝を抜いたのでした。その後もクレメル、マイスキー、ウゴルスキーとロシアは天才肌の芸術家を世に送ってきました。


今や飛ぶ鳥を落とす勢いの「ワレリー・ゲルギエフ」はウイーン、ニューヨークで引っ張りだこです。今後暫くの間はロシアの芸術家が世界を席巻するのではないかという気がします。最近日記に良く登場するソプラノのネトレプコ、バリトンのホロストフスキーもロシア出身です。


現代のロシア芸術家のひとつの原点は「冷戦」時代だろうと思っています。その冷戦時代にあっても大切に受け継がれた帝政ロシアの芸術家の伝統があったのだと思います。現代のロシアの芸術家はまだ「冷戦世代」であるといえます。そういう意味で冒頭のロストロポービッチの映画は非常に興味深いものです。時代が進んでポスト冷戦の世代が出てくるとロシア芸術がどうなるのか興味があります。



2007年03月21日(水) HMVで買い物

今日は春分の日。水曜日でHMV「ポイント2倍の日」なので妻と一緒に池袋のHMVに買い物に行きました。武蔵浦和から埼京線で池袋にいったのですが、先頭車両に乗って池袋駅の最南端のメトロポリタン改札口で出ると、メトロポリタンの2階に直結していて便利です。今日はじめて知りました。


メトロポリタン6FのHMVでは、グールド1955年録音の「ゴールドベルク変奏曲」のプロモーションを行っていました。グールドの第一回目の録音として名高い1955年録音盤はモノラルなのですが、今日はその「リパフォーマンス盤」の発売日なのです。なんでもアメリカで開発されたソフトを使ってグールドのモノラル盤から、グールドの「キータッチ、ペダル操作」の情報を入手し、ヤマハグランドピアノの自動演奏機能で再生したのだそうです。「音」事態はヤマハのグランドピアノですから非常に新鮮に聞こえます。ニュアンスも1981年の二回目の録音に似ていてグールドらしいです。できたら1981年のステレオ録音盤でどれくらい忠実に再現できるのか試して欲しいですね。


グールドは特別のスタインウエイで演奏していたことが知られています。そのスタインウエイは鍵盤タッチが非常に軽く調整されていたのだそうです。グールドのピアノ演奏はこのスタインウエイピアノとの相性からくる部分が多くあると思います。今日聞いたヤマハグランドピアノの音は非常に標準的な音で、軽いタッチの感じは全くしませんでした。


ところで今日購入したのは、サンクトペテルスブルグ建都300年記念ガラコンサートのDVD。お目当てはネトレプコのソプラノと、ホロストフスキーのバリトンです。それぞれアリアを2曲歌っていて、最後に「道化師」の二重唱が入っています。その他はレニングラードフィルの演奏、トレチャコフのサンサーンス、ヴィルセラーゼという女性ピアニストのラベルの左手協奏曲、マイスキーの「コールニドライ」等です。


ネトレプコ、ホロストフスキーの歌は現代の最高水準だと思います。この二人は歌を歌っているだけに留まらず「役」に成りきっています。オペラの登場人物の人間を表現しているといって良いでしょう。登場人物の人間性、感情が直接伝わってくるのですね。歌は大きな要素ですが手段に過ぎません。といっても歌唱力も飛び抜けてすごいものがあります。基礎訓練を十分積んだ結果でしょう。身体全体を響かせていて非常に効率的な歌い方です。したがって言葉もはっきりしています(意味は直接分かりませんが)。こういう若手がいるロシアのオペラ界恐るべしです。そういえば昨年聞いた「キエフオペラ」が今年も来日するようです。



2007年03月20日(火) マンション管理組合の仕事

私の住んでいるマンションで「管理規約」の見直し作業が進んでいて、実はその検討委員会の委員長をしています。既に5回ほど委員会を開催してきました。マンションは個人の所有物件(専有住戸)が集合しているため、大変難しい課題があります。住民が「大人」の判断力をもって、円滑共同体を運営していくことが大切で、各人の考え方の差、権利意識の違いなどを大枠で括っていかなければなりません。


例えば「ベランダの布団干し禁止」問題。元々はマンションの美観を損ねるという理由で禁止事項だったのですが、多くの家で天気の良い日はベランダに布団を干しています。我が家もその一軒。実際には、マンションの美観というより、布団が下に落ちた時に一階の住む方が迷惑するという理由が重要なようです。というのも一階の方は、マンションの専用庭使用料を払って、庭に植木鉢などを置いているのです。そういうところに重い布団が上から落ちてきたら大変です。天気の良い日の「布団干し」を厳禁にすることも大人気ない気がします。しかし名案はありませんね。


自転車置場の問題も深刻です。昔は子供の数が少なくて自転車の数も少なかったのですが10年近くが経過すると子供の数も相当増えました。そうすると一家に2台、3台と自転車の台数が増えてきます。溢れた自転車をどうするか。自宅玄関脇のスペースに置いていただければ、それに越したことはありません。でもそうするとマンション内通路、エレベータに自転車を乗せることとになります。自転車をぶつけて「共同財産の通路やエレベータを傷つける」というケースも出てくるでしょう。


人間の共同体では物理的な「距離」が大変重要な要素なのだと痛感します。一戸建て住宅では、上記の問題も騒音の問題も殆ど解決されます。マンションのような共同体においては、より一層の共同体意識が必要になります。「距離の近さ」が問題になるだけでなく、逆に距離の近さが「有利に働く」「それによって楽しさが増す」ような環境が作れれば最高なのですが。




Ken [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加