外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
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2002年10月31日(木) スポーツマンはずるいやつが多い。

巨人が優勝したが、それはどうでも良い。もともと興味が無い。しかし、このニュースは、スポーツマンはずるいという私の持論を思い出させてくれた。
 
 厳密に言えば、スポーツマンと称する連中(特に男)の中には実に狡い奴が多い。偏見だとは思わない。自分の経験に基づいているからだ。

 裏表があるのだ。表では「爽やか」な青年を演じつつ、陰では不正なことを平気でやったり、弱いものいじめをしたりする。

 学生時代にあるスポーツで名選手として日本中に有名になり、大企業に就職して結構偉くなっている男がいる。

 いまでもしばしばマスコミの取材を受ける。会社にとってこの男は「歩くコマーシャル」として便利だから、結構優遇している。しかし、若い頃からチヤホヤされたからだろう。根性はゆがみきっている。マスコミに出るときは勿論「さわやか」モードに切り替えてニコニコしているが、部下には冷たい。冷たいどころか部下から金をふんだくっているのである。犯罪者なのだ。

 また、これはテレビで見たのだが、元神戸製鋼のラグビー部にいたやつで、何をとち狂ったのか、やくざ映画なんかに出演して芸能人になろうとしていた者が、学生時代にラグビーばかりして、講義なんか出席した事がなく、試験のときはいつも気が弱そうな奴を「おい、はよう(答案を)見せんかい!」と脅してカンニングで単位を取っていたという話を、さも、ほほえましいエピソードでもあるかのごとく、得意になってしゃべっていた。

 おい、スポーツマンってのは「スポーツマンシップに則り(のっとり)」、「正々堂々」と闘うんじゃないのかよ。試験も勝負なのだ。勉強していない者が負けるのだ。勉強していないなら潔(いさぎよ)く白紙答案をだせよ、といいたい。

 何かスポーツをやっている(やっていたから)良い人だ、なんて、人間はそれほど単純なものではない。


2002年10月30日(水) 北朝鮮の脅威は核よりも化学兵器である。どうして議題に採り上げないのだ?

 日朝国交正常化交渉で日本人拉致問題が取り上げられなければいけないのは勿論である。そして核兵器の開発停止を要求するという案件も世界平和にとっては重大事項である。しかし、核にばかり、気をとられていると、危ない。どうして、化学・生物兵器を含めないのか、専門家が心配している。

 核兵器というのは核爆弾をロケットに載せて相手の国にまで飛んでいって爆発させることが目的である。ロケットを発射するときには、激しい振動があるし、熱も発生する。その中で核弾頭を爆発させないようにしないと、自分の国が吹っ飛んでしまう。それから相手の国の大事なところに落ちるようにしなければならない。命中精度というやづだ。だから、要求される技術の水準が高い。

 それに比べると、化学兵器のほうは、ただ飛んでいって、適当なところに落ちれば、猛毒が風に乗ってあっという間に大量の人間を殺してしまうのだ。

 オウム真理教は周知のとおりサリンを地下鉄でばらまいたのだが、それ以外にVXという、更に恐ろしいガスを持っていた。オウム真理教は試しに被害者の一人の首筋に、VXをスポイトでただの一滴、垂らしたのだという。そうしたら、その被害者は即死してしまった。あまりの毒性の強さにオウムも怖くなって使う事ができなかったのだ。
 
 このVXを北朝鮮は保有しているといわれる。こんなものを積んだミサイルが飛んできたらひとたまりも無い。
 
 では、どうして化学兵器を議題に載せないかというと、要するに政府の上層部が分かっていないのだそうだ。核に関しては、日本人はさすがに敏感だが、化学・生物兵器に関してはまるで暢気(のんき)なのが現実のようだ。しっかりしろ!

 それにしても、北朝鮮は本当に危ない国だ。


2002年10月29日(火) 桃李不言 下自成蹊(とうりものいわざれども したおのずからこみちをなす)

西洋のみならず、東洋にも人の世の核心を見事に表現した言葉が多い。故事名言などといわれるが、その中でも私が好きなのは、

桃李不言 下自成蹊(とうりものいわざれども したおのずからこみちをなす)

 という一文である。中国の古典、史記 李将軍伝賛という書物に記されているそうな。
 高校の漢文で習ったことは殆ど忘れてしまったが、この一文だけは、一度聴いてすっかり感心して、いまだに覚えている。

 「桃や李(すもも)は何も言わないが、美しい花や実があるから人が集まり、下には自然に道ができる。」つまり、「人徳のあるものは自ら求めなくても、人々がその徳を慕って集まり従う」というたとえである。実に美しい比喩ではないか。

 人間、誰しもそのような人徳を備えることができればよいのだが、現実には物凄く難しいことだ。実際にいたとしても、何か、却って近寄りがたいような神々しい人物なのではないかと邪推していた。しかし、最近、ノーベル賞を受賞した田中さんの受賞までのいきさつと、その後の様子を見て、ああ、あの言葉はこういう人のことを云っていたのか、と思った。

 そういう人物が今のこの世にもいることが分かり、世の中は、そう、捨てたものではないのかもしれない、と僅かに希望の光が差し込んできたように思えた。


2002年10月28日(月) 「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」(ゲーテ)

物事の本質を見極め、簡潔に表現する事は至難の業であり、非凡な才能の持ち主にして初めて可能な事だろう。

 若い頃、何げない気持ちで薄い新潮文庫を買った。ゲーテ格言集である。そこで感じたのが上のようなことである。

「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」という言葉に接したときは、ガーンと棍棒で頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 何という、洞察。何という、表現力。

 「人間の直感は普通に考えられているよりも鋭く真実を見抜く。しかし、人間は、それを世間体とか、損得勘定といった世俗的な事柄を考慮し、異なった結論を出してしまう。それは間違っている事が多い。」というような意味であろう(凡人の私が書こうとすると、こんなに長くなってしまう・・・)。

 それを洞察する事自体、並みの人間には難しい。そしてその真理を、これ以上、短くできない、簡潔な言葉で著したゲーテは、やはり天才なのであろう。もはや、この一文だけで、一個の芸術作品と言っても過言ではない。

 他にも、この薄い文庫本には珠玉のような言葉が詰まっている。世の中が今のように動揺しているときには、数百年の時の試練を経て、なお生きつづける芸術、永遠なるもの、に触れたくなる。


2002年10月26日(土) 不見識な日本のマスコミ。 一晩たったが怒りが収まらない。

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの娘、キムヘギョンさんへのインタビューをマスコミ各社が大々的にスクープとして伝えていたが、怒りを禁じ得ない。

 そもそも、インタビューを申し込む事自体、不見識だ。
 北朝鮮は想像を絶する残酷な独裁政権国家である。金正日に関して少しでも批判的な発言などしようものなら、本人はもとより、親兄弟、子供まで殺されてしまうのである。胸につける金日成だが金正日だかのバッジが汚れていた、というだけで、強制収容所に入れられて拷問をうけるような、この世のものとは思われないような国家なのである。

 15歳の子供に、このような言論の自由が絶対的に統制された環境で、当然当局の監視の元、いろいろと無遠慮な質問をして、答えさせようとすること自体、残酷な行為だ。

 日本人は鬼だと教え込まれている国で育ったキムヘギョンさんが、母親が実は日本人であったと知り、既に大変なショックを受けている事は考えるまでも無い。そこに「母親は北朝鮮に拉致されたと知っているか?」という質問をぶつける無神経さ加減には開いた口がふさがらない。
 
 「スクープ」、「特ダネ」のためには手段を選ばない。取材される側の感受性を考慮しようとしていない日本のマスコミ姿勢は無責任、かつ、非道徳的な、許されないものである。


2002年10月25日(金) 小泉さんは、もっと前に出ないとだめです。

不良債権処理に関して、竹中経済担当大臣兼金融担当大臣が考えていることが、妙案かどうかは、甚だ疑わしい。急速に不良債権を処理をすれば、債務者の中小企業はひとたまりもなく、日本経済はにっちもさっちもいかなくなる可能性がある。本当に難しい問題なのだ。「こうすれば、万事オーケー。」という手段が無いのである。しかし、何はともあれ、先日の内閣改造で前任の柳沢金融相を更迭して竹中氏をもってきたのは、他ならぬ小泉さんだ。そのときから、公的資金投入等、竹中さんがやりそうなことをわかっていて、指名したのだ。

 言い方を変えれば、竹中氏が行おうという政策の究極の責任者は小泉首相である。なのに、小泉さんというのは、肝心なところになると、逃げるんだよね。北朝鮮拉致問題にしてもしかり。一時帰国した5人はこのまま帰さない、なんていう重大な決定は首相が発表すべきものだけど、福田官房長官というか、もっぱら、安倍官房副長官に任せている。他人事みたいな顔をしている。
 
 不良債権問題に話を戻すと、竹中氏が率いる金融プロジェクトチームが中間報告をしようとしたら、自民党内から反対にあって、中止せざるを得なくなった。これも変な話で、竹中氏は小泉氏の指示に基づいて政策を立案しているのだから、反対を唱えるなら、小泉さんに言わなければいけないはずだ。しかし、青木幹事長なんてのは古狸だから、単なる学者さんで、何の政治的基盤も持たない、つまり文句をつけやすい、立場が苦しい人間にわざと狙いを定めて、「責任は取れるのか?」なんていっている。ずるいなあ。これだから、政治家はいやだ。繰り返すが、最終責任者は内閣総理大臣なのである。

 銀行の経営者たちも竹中氏相手だとあんまり怖くないから、徒党を組んで、抗議に行っている。こういう時も、小泉さんが「文句があるなら、俺に言え」と出て行って、竹中氏をサポートしなければいけない。ところが、この人は絶対そういうことをしない。もっと、腹を括れよ。


2002年10月24日(木) モスクワで起きた事件の背景。チェチェン問題の基礎知識

モスクワ中心部の劇場をチェチェン人の武装勢力が観客を人質にとり、立てこもったというニュースを聞いたとき、背景を知らなかったので、頭の中が「???」という状態になった。
 
 恥ずかしながら、チェチェン問題と云う言葉は聞いたことがあっても、その実態については全く無知だったので、調べた。

 1991年、ソ連が崩壊したとき、それまでソ連を構成していた共和国の多くが独立を宣言した。北カフカス地方にあるチェチェン共和国も独立宣言をしたのだが、チェチェンの場所というのがたまたまトルコ・イランに近いため、防衛上の要所であったこと、また、カスピ海からの石油パイプラインが通っている場所なので、これを何としても確保せねばならぬと考えたロシアのエリツィン大統領の命令により「憲法秩序の回復」という大義名分の下、94年12月、ロシア連邦軍がチェチェンに投入されて「第一次チェチェン戦争」が勃発した。

 チェチェン側もだまっておらず、ゲリラ部隊を中心としたチェチェン軍の抵抗が始まり、戦争は1年半続いた。その末に、チェチェンの独立を宣言した初代大統領、ドゥダエフ氏が戦死。ロシア国内でも厭戦気分が高まり、ロシアとチェチェンの間で和平交渉が行われて、その交渉が行われた場所の名前に因んで、ハサブユルト合意が締結され、その合意に基づいて、96年8月31日に戦争は終わり、チェチェンの独立問題は2001年まで先送りされることになった。

 それ以降定期的に会談が行われていたのだが、99年春にこの定期会談がストップ(何故かは知らない)。で、折悪しく、それから暫く経った、99年の8月末から9月中旬までの間に、モスクワで5件連続のアパート爆破事件が起き、300人近い死者が出た。ロシアはこれは全部チェチェンのテロリストの仕業だと断定した。チェチェン側は否定した。今もって真相は謎。

 アパート爆破(テロ)と同じ頃、チェチェンの野戦司令官、シャミーリ・バサーエフという男(ロシアが最も怖れている「テロリスト」なのだそうだ)がチェチェンの隣国ダゲスタン(どうも聞き慣れない名前ばかりでややこしい)に侵攻した。

 この二つの動きでロシアがキレた。「テロリスト掃討のために」、ロシアは99年9月23日、チェチェンへの空爆を始めた。「第二次チェチェン戦争」の始まりである。チェチェンの首都、グロズヌイには無差別爆撃が繰り返され、一般市民も当然被害を受けている。ロシアはある村を「テロリストをかくまっている」と決め付けると、その村落を包囲し、住民のうち10歳から60歳台にいたる全ての男性を拘束して尋問(多分拷問も)加え、ダチヌイという村では、尋問の後51名を殺害した。

 チェチェン側は当然だまっておらず、一見ロシア軍のほうが圧倒的に強そうなのだが、チェチェンは最近ではゲリラ戦に転じており、しかもゲリラ戦にたけていて、今年の8月には、ロシア軍の大型輸送ヘリを、携帯型の対空ミサイルで撃墜し、結果118名が死亡した。

 今回の事件の背景にはこういう10年以上に及ぶ長い紛争の歴史があったわけである。戦争だから、どちらが一方的に正しいということは有り得ない。今回の劇場の占拠も、だから、チェチェン人だけが悪いとはいえない。

 ただ一つ確かな事は、戦争が起きれば、ごく普通の日常を送りたいと願っている弱い一般人も必ず巻き込まれて、貴重な生命が失われていくという事だ。


2002年10月23日(水) 音コン本選たけなわ

音コンとは「日本音楽コンクール」というクラシック音楽の演奏と作曲のコンクールのこと。毎日新聞がなんと71年も前に始めて、今も主催しているので、ずっと毎コンと言われていた。NHKが共催者になってから、後からジョインしたくせに、勝手に名前を変えてしまった。

 日本でもっとも権威のあるコンクールだ。権威があるとは、つまり、実績があるのだ。毎コンで優勝したり、上位に入賞したものの多くがその後、世界的にも認められて活躍している。逆に云うと、日本人の有名な演奏家で毎コンに出ていない人は、少ない。日本に西洋音楽が輸入されてから、130年ぐらいしか経っていないのに、西洋2000年の歴史に培われた文化をかなりの水準まで吸収し、日本人だけで、演奏の是非が判断できるようになってしまったのだから、偉いものだ。

 それぐらい権威があるコンクールだから、のど自慢とは次元が違う。まず、よほど上手くないとそもそも出場を許されない。先生が許可してくれないのだ。毎コンに出るからには、たとえ第一次予選で落ちたとしても、それ相応の高い水準の演奏が出来る人でなければ、師匠にとっても恥になる。だから、「毎コンに出る」というだけで、ある種の覚悟を要求される。一次予選で落ちる人間の方が多いのだが、最初から一次で落ちるつもりのような甘い考えでは出られない。一次予選、二時予選を通過して、本選に残ることを目指して準備するのだから、参加者は猛烈な練習を余儀なくされる。
 皆、半年以上も前から、毎日10数時間も練習する。週末も夏休みもへったくれもない。遊んでいる暇など一切無い。文字通り血の滲むような努力。鬼気迫るものがある。

 私もピアノの本選会を聴きにいったことがある。若い才能がもてる力を全て出し尽くした演奏は
それでもまだ、大家の演奏には及ばないが、ひたむきな青春の生命力がほとばしり、聴いていて胸が熱くなる。

 昨日はクラリネット部門の本選が行われ、芸大の院生の女の子が優勝した。今日は声楽、明日はホルン部門の本選会が開かれる。ああ・・聴きに行きたかったなぁ・・。会社あるからいけないけど・・・。


2002年10月22日(火) 「・・・だから、清の墓は小日向の養源寺にある。」

仕事の都合で文京区小日向(こひなた)へ行った。
 ここは夏目漱石ゆかりの地である。
 
 私は漱石の「坊っちゃん」が好きでたまらない。世間知らずの坊っちゃんが松山の中学に赴任して、世間の醜いところを散々見せ付けられ、ついには体よく追い出されてしまうが、最後に山嵐と一緒に赤シャツと野だを待ち伏せして、ボコボコにして東京の清の元に帰って来る。そのときの嬉しさが手にとるように分かる。坊っちゃんと清は互いにとってこの世で最も大切な存在である。最後の最後、清が亡くなってしまうくだりは、読むものの胸に迫る。しかし、坊っちゃんは江戸っ子だから、クヨクヨしたところを見せたくない。

 「・・・清は玄関付きの家で泣くっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」

 淡々とした語りのなかに無限の愛情を感じる。私は初めて読んだ時にこのラストシーンを一遍で覚えてしまった。うー。いかん。書いただけで泣けてきた・・・・。
 だから、小日向にはいつか行きたいと思っていて、しかし、あまり簡単に行きたくなかった。今回ようやく、積年の願いを偶然にではあるが果たす事が出来て嬉しかった。実際には漱石の菩提寺は養源寺とはいわないのだが、そんな事は関係がない。小日向は坊っちゃんと清が幸せに暮らしている場所なのだ、と改めて、思った。


2002年10月21日(月) クラシック音楽二題:アシュケナージ、N響指揮者に。ピアニスト、梯剛之(かけはしたけし)氏、カーネギーデヴュー。

いい話が2つ。
 
 一つ目。来年4月、ピアニスト・指揮者のウラディーミル・アシュケナージ氏がNHK交響楽団の音楽監督に就任する。これはすごい。アシュケナージといえば世界屈指のピアニスト。ショパン全曲集などとっくに録音してしまい。ピアノだけでは飽き足らなくなって、指揮をはじめてから、早いものでもう20年以上になる。もともとロシア人だが、30年前に亡命して今はアイスランド国籍。とにかくクラシックの世界では国際的に有名な人。いまさら言うまでも無いくらい。
 
 NHK交響楽団は、要するに日本で一番上手いオーケストラ。以前から有名指揮者を招いてコンサートを開く事はあったが、音楽監督にこういう超一流の指揮者を招くことが出来たのは、世界にアピールする上でも大変結構な事だ。アシュケナージはヨーロッパのオーケストラの指揮者として、またピアニストとしてすでに数え切れないぐらい来日している。日本が大好き。日本食も何でも食べる。ピアニストとしても超一流なのだが、一番先になにを挙げるかと言われたら、私はその美しい音色を強調したい。私はこの人の演奏を初めて聴いた時、「ピアノとは、これほどまでに美しい音がするものか」と思い知らされ、唖然とした。弾き振り、(ピアノコンチェルトのソロを弾きながら、指揮をすること)もよく演る。今から楽しみである。
 どうも、書き足りないが、昔からクラシックを聴いている者としは、そうかあ。アシュケナージがN響の指揮者という時代が来たかあ・・・。という、感じ。感無量である。

 もうひとつ。盲目のピアニスト、梯剛之氏(因みに彼の父親はN響のヴィオラ奏者。)は早くから才能の片鱗をのぞかせていた。すでにウィーンを拠点にして(クラシックで本気でソリストとして活躍しようと思ったら、日本にいてはだめなのである)、演奏活動していたが、ついに、カーネギーホールでデビューリサイタルを開き、聴衆からスタンディングオベイションを受ける。大絶賛。カーネギーホールでリサイタルを開くということ自体が、世界中の演奏家にとっては最高の栄誉の一つであるが、デビューで成功するかどうかがその後の明暗を大きく分ける。本人にとってはものすごいプレッシャーである。盲目だからということで多少、評価が甘くなるなんて事は、こと、クラシックの世界では絶対に、無い。本当に才能があったからこそ成功したのである。良かった。


2002年10月20日(日) ギャンブル。 「菊花賞大荒れ」とマスコミが報じているが・・・

人それぞれ、物事の好みが違うのは当然であって、他人の趣味嗜好に文句をつける権利はない。それにしても、自分は興味が無くても、ああ、そういうことに興味を持つ人がいても当然だろうな、と思えることと、どうしても、何故そのような事に夢中になれるのか理解できないことがある。
 
 私にとって、後者に属するのはギャンブルである。生れてこのかた、賭け事をしたことがない。したいとも思わない。恐らく一生無縁な世界であろう。

 何故、「馬のかけっこ」や「競艇」や「オートレース」が面白いのか、色々な心境になって想像してみるのだが、どうしても、どうしても、わからないのである。しかし、大手新聞をはじめとする一応まともとされているマスコミも競馬の大きなレースにはかなりの紙面を割く。それだけ情報を欲している、つまり、好きな人が多いということなのだろう。いつも不思議に思ってしまう。


2002年10月19日(土) 身体に良い事を実践するほど高血圧になる。慈恵医大調査

所謂「健康オタク」には何とも皮肉な調査結果が出た。
 
 慈恵医大健康医学センターが同センターで人間ドックを受けた7000人を対象にして行った調査によると、カリフォルニア大学のブレスロー博士が72年に提唱した「7つの健康習慣」、すなわち、「適正体重を維持する」、「7〜8時間の睡眠を取る」、「朝食を毎日食べる」、「間食をしない」、「喫煙をしない」、「過度の飲酒をしない」、「定期的にかなり激しい運動をする」という7項目があるのだが、これを全て実践していた人の平均血圧が一番高く、実践した項目数が少ない人ほど血圧は下がり、一つしか実行していない人の血圧が一番低く、理想的な血圧値に入っているのだという。

 一方、慈恵医大が提唱する6つの生活習慣、「喫煙しない」、「一日の飲酒量が2合未満」、「定期的に運動」、「小食」、「月6日以上の休日を取る」、「仕事を離れた趣味がある」、については、逆に実行数が多いほど血圧が低かった。

 つまり、ブレスロー博士の7つの項目の実践者は、条件を守ろうと必死になりすぎて、逆に緊張して血圧が上がってしまう、ということらしい。人間の身体というのは、なかなか理屈どおりにはいかない。緊張が良くないからといってストレスが全く無い方がよいかというと、そうでもないらしい。ストレスが少ない単純労働の人は却って寿命が短いという記事を読んだことがある。ストレスが少なすぎると夜更かししてテレビを見たり、酒を飲みすぎたり、ドラッグに走ったりして身体を痛めてしまうというのだ。じゃあ、どうすれば良いのか困ってしまうが、あんまり「健康」を意識し過ぎない方が良さそうだということは、おぼろげながら、分かったような気がする。


2002年10月18日(金) 東南アジアで連続テロ。中東ではイスラエル軍の砲撃で妊婦ら6人死亡

日本国内ではどうしても実感が湧かないのであまり騒がれないが、大変な事件が続いている。12日にはインドネシアのバリ島で爆弾テロにより180人以上が死亡。大惨事である。行方不明になっていた日本人、鈴木さんの死亡が確認された。

 17日にはフィリピン、ミンダナオ島サンボアンガ市の繁華街にあるデパート2店で手荷物預かり所に預けられた荷物に仕掛けられた爆弾が相次いで爆発し、少なくとも6人が死亡。

 いずれもアルカイダ関連組織の犯行ではないかと推定されている。テロリストというのは頭が狂った奴らとしかいいようがない。こんなことをしても、世界に何の益ももたらさないという、子供でも分かる事が見えなくなっているのだ。

 同じ17日にはパレスチナガザ地区でイスラエル軍が住宅地を戦車で砲撃し、子供2人と妊婦を含む6人が死亡。この地区のイスラエルが作った監視用拠点にパレスチナ武装集団からロケット砲が発射されたことへの報復とみられるという。パレスチナでは今更言うまでも無いが、悲惨な自爆テロや軍による攻撃をお互いが繰り返している。あまりにもひどい状況だ。しかし、繰り返しになるが、我々日本人にとって、中東で起きる出来事ははどうしても実感をもって感じることが難しい。だから、こうして意識して日記に書きとめておこうと思った。それにしても、今回の事件だけでもあまりにも惨い。イスラエルのシャロンはパレスチナ人の殺戮を平然と行う、本当に危ない奴だ。そしてまた、アメリカは世界の正義を代表しているようなことをいつもいっているくせに、それを放置している。偽善者め。


2002年10月17日(木) 曾我ひとみさんの慟哭

北朝鮮から一時帰国している拉致被害者がそれぞれの故郷へ。24年間の人生を奪われた人々の胸の中はいくら言葉を尽くしても足りないであろう。皆一様に嬉しそうにしていたが、中でも、帰国以来表情が妙にこわばっているので気になっていた曾我ひとみさんが父君と会った瞬間、堰を切ったように号泣した。テレビをとおして見ているこちらまで、胸を締め付けられるようであった。
 
 帰国した人々は皆家族を北朝鮮に残している。うっかりしたことを言えば、その家族に危害が及ぶかもしれないので、慎重に言葉を選んでいるのは皆わかっている。しかし、今日、地村保志さんが初めて「拉致問題」という言葉を口にした。全く事実はそのとおりなのだが、北朝鮮に戻ったときに何か起きないか心配だ。
 
 それにしても、小泉首相はなぜ、彼らを出迎えなかったのか。金正日と会見をして帰って来た時も、北朝鮮の説明を拉致被害者の家族に最初に伝えたのは安倍官房副長官だった。首相が家族に会ったのは一週間も経ってからだった。しかも、あまりに大きなテーブルを挟んで家族と対面してボゾボソと小さな声で話したので、家族は何も聞こえなかったという。今回も出迎えもしなければ、会いもしないとは何事であるか。この人の行動にはそういう冷たい人間性がしばしば現れる。残念である。


2002年10月16日(水) 1.2880年、日本沈没? 2. 「働く女性の六割はうつ状態」

学生の頃、理数系は苦手だったが、大人になって試験とは無関係に読む科学に関する本や記事はとても、面白い。今回は面白いというとやや不謹慎かもしれないが・・・。

 NASAのジェット推進研究所などのグループの研究によると、2880年3月17日、直径約1キロの小惑星「1950DA」が地球に衝突する可能性が0.3%あるという。問題はこれが太平洋に衝突した場合である。専門家の計算によると、高さ約100mの津波が発生し、同心円状に広がる。日本の海岸での高さは2〜20メートル。地形によってはそれが2〜4倍にもなるのだそうだ。当然、太平洋沿岸の都市では高層ビルを除いて、大抵の建物が飲み込まれてしまう。大変だ。(と、いっても880年後の話ですがね)。

 但し、ただ手をこまねいているわけでも無いようだ。小惑星に物をぶつけて軌道を変えて、衝突を避ける事も不可能ではないという。小惑星の直径が1キロなら、衝突の100年前なら275トン、50年前だと542トンの物体をぶつけなければならないという。現在の技術でも30年前までに分かれば何とかなるのだそうだ。

 しかし、一番驚いたのはこのような小惑星の数が驚くほど多いこと。小惑星は地球と同じ太陽系にあって、主に火星と木星の間を回っている。今までに20万個(!)近く見つかっている。地球に近づく可能性がある「地球接近小惑星」の数は現在見つかっているのが2000個弱。アメリカは直径1キロ以上の小惑星の衝突は人類を絶滅させる恐れがあるとして、2010年までに90%以上を見つけるのを目標としている。

 我々が立っている大地も宇宙的規模から見ると、かなり頼りない存在のようだ。

精神医療関連ニュース
 中小企業で働く約1万人を対象にした自己評価式のテストで、女性の60%、男性の50%が重度から軽度のうつ状態と判定されていたことが10月4日厚生労働省研究班の調査で分かった。

死にたいと思った理由を仕事や家庭に分けて尋ねると、仕事の分野でのトップは、男性が「仕事の内容・責任」、女性が「人間関係」家庭に関しては男性が「経済的なこと」、女性が「家庭のことだった」。


2002年10月15日(火) 東京で、中学生がいじめを苦に自殺

 もう、この手の話には皆、慣れてしまっているのだろうが、慣れてはいけないのである。
いじめが原因となる自殺の話を聞くたびに不思議に思うのは、酷な言い方かも知れないが、そこまで悩んでいるのに、親は気がつかなかったのであろうかということである。子供の様子に異変があるならば、まず一番先に親が気がつくのだ。これは親になってみれば、わかる。
 いじめが問題になるたびに学校では「皆で話し合い」、「いじめをなくそうと約束した」などと、弁明する。馬鹿としかいいようがない。話し合う事によっていじめがなくなるなら、いじめなど、とっくの昔にこの世からなくなっているはずではないか。逆にいえば、いじめをなくすには話し合いなど何の役にも立たないということが十分すぎるほど立証されているのである。
 早い話、苛めている奴らをぶん殴ればよいのだ。体罰を禁止などというが、子供には論理など通じない。弱いものを苛めたら自分も痛い目にあうのだということを、骨身に染み込ませるのが最も効果的な方法である。昔は悪い奴が職員室で先生に殴られて鼻血を出して出てくることなど、さほど珍しい事ではなかった(言っておくが、東京の山の手の話である。特別に乱暴な地域ではない。)それを、「話し合い」で済ませるなどといい加減な事をいって誤魔化している間に、何十人という子供たちが自殺している。事は人の命の問題である。教育に携わるものは腹を括ってもらいたい。


2002年10月13日(日) ロンドンに帰りたい

夢を見た。かつて仕事で4年ほどロンドンに駐在した頃の記憶の断片が夢の中に再現された。時間にすれば30分ぐらいだが、鮮明な夢だった。これまでも何度もロンドンに再び赴任した夢を見たことがあるが、今日の夢は何故かいままでのものよりも鮮烈であった。
 ロンドンにいたときは、今とは比べ物にならないぐらい強いストレスに晒されていた。上司は意地の悪い奴だった。イギリス人の班長と日本人上司の板ばさみになって苦しんだ。しかし、うつ病にはならなかった。あの頃、私は将来自分が精神科に通い、入院までする羽目になるとは夢にも思わなかった。リタリンなどという刺激剤を使わなくても普通に暮らせた。今のような薬物依存者になるとことも、想像だにしなかった。
 仕事は大変だったかもしれないが、生活全体としては楽しかった。家は広かったし、目の前にWimbledon Parkという広大な公園があった。車で20分ほど走れば、日本であれば北海道にでも行かなければ見られないような、美しい景色が広がり、その自然の美しい風景の中をドライブすることができた。ヨーロッパ各国にも頻繁に旅行して、行く先々で美しい町並みや自然に感動した。そのような豊かな環境が、ストレスを和らげていてくれたのであろう。
 祖国である日本に戻るとき、それまで11年間携わっていた仕事を続けさせてもらいたいと希望したが、叶わなかった。全く別の分野の仕事に従事させられ、神経症になった。始めのころは何とか耐えていたが、やがて、毎朝仕事場に近づくたびに動悸がして、息が苦しくなり、冷や汗が滝のように出た。普通の人にとっては東京屈指のおしゃれな場所だが、私にとっては毎朝が断頭台への行進のようだった。いまでも、その街がテレビに映っただけで嫌な気分になる。ついに精神科の門をくぐり薬を飲みながら頑張ったがだめだった。自分ではもう限界だと思い、主治医に行って休職が必要であるとの診断書を貰った。即座に会社に提出した。幸い上司が理解があるひとで、休職と配置転換の手続きをすぐにとってくれた。
 半年休職して、以前の仕事に比較的仕事内容が近い職場に転属になった。職場の人にはすぐに病気の事を打ち明けた。幸運にも、誰も白い目で見ることはなかった。しかし、一旦調子が狂った脳の働きはなかなか元に戻らない。もう4年間も病院に通っているが、前のように働けない。
 ロンドンに再び赴任する可能性は最早ゼロだ。それがわかっているから、普段は無意識に抑圧している願望が、夢に出てくるのかもしれない。


2002年10月12日(土) 釜山アジア大会、韓国人選手家族が審判に贈り物!?

 終盤に差し掛かっているアジア大会の水泳・飛び込み、新体操などの種目で、地元韓国を中心に「身びいき」と思える採点・判定が目に付いて、顰蹙を買っているという。何と、審判に贈り物を渡して心証を良くしようとしている韓国人選手の家族が続出しているのだそうだ。一瞬我が眼を疑ったが、新聞記事に公然とかかれている。

 新体操の会場で、日本選手団関係者は韓国選手の家族に、「あなたの国の審判にアクセサリーの贈り物をしたいので、仲介してくれませんか?」と声をかけられて、耳を疑った。場所は、本来大会関係者以外は立ち入り禁止の場所だったという。日本人の大会関係者は無論断った。すると、家族は強引に直接審判員の控え室に出向いて、直接「贈り物」の包みを渡そうとしたが、日本人審判は当然のことながら誰も受け取らず、家族は引き揚げていった。

 新体操では、団体総合で韓国人審判員が複数任命され、韓国選手に、「世界のトップレベルにしか出せない得点」(日本代表監督)を連発し、この結果、韓国は2大会連続の銅メダルを獲得した。前回2位だった日本は低得点に抑えられ、出場4チーム中最下位になってしまった。

 この採点には日本や他国のチームが不満を持ったのは勿論だが、韓国人の大会審判長は、「恥ずかしい結果になった。」と日本チーム関係者に語り、表彰式への出席を拒否したという。
 新体操以外の体操、水泳飛び込み、シンクロなどでも「地元有利」と思える判定が相次いだ。

 私は韓国人に特別な偏見を持っていなかったが、ワールドカップサッカーで、韓国人サポーターがドイツチームに対して「ヒットラーの息子たちは帰れ!」という横断幕を掲げていたのを見て、非常に驚き、かつ、あきれた。韓国は言うまでもなく、日本と共にワールドカップの開催国、つまりホスト国だった。たとえ自国のチームに勝ちそうな外国のチームに対してであっても、誠意を持って歓待するのがホスト国の義務であり、当然の礼儀である。そんなこともわからないのか、という気持ちだった。

 今回は、要するにワイロを審判に渡してでも勝とうとしているわけで、とんでもない行為だ。こういう事が公然と行われるようでは、韓国は国際的なスポーツの大会に出場する資格が無い、と言わざるを得ない。これは偏見ではなく、良識ある人間ならば誰しもたどり着く結論だろう。


2002年10月11日(金) あきれた、松茸問答。

昨日の衆議院外務委員会で、小泉首相が北朝鮮を訪問したとき、金正日から土産に松茸をもらったかどうか、「論争」していた。問いただしていたのは、民主党の木下厚、答えなかったのは、安倍官房副長官と、涙で有名になった田中均外務省アジア大洋州局長である。
 どうして、そういうくだらないことで時間を浪費するかなあ。どうでもいいじゃねえか?松茸ぐらい。民主党も人材がいない。事の軽重が分からない人間が代議士になってもらっては困るのである。国権の最高機関である国会で交わされた、余りにも低次元なやりとり。口角泡を飛ばしている代議士たちの人相の悪さ。嫌になる。


2002年10月10日(木) ノーベル賞ダブル受賞が嬉しくてたまらない。

 ノーベル賞ダブル受賞が嬉しくてたまらない。
 どうしても、頭からその事が離れず、大手新聞社のみならず、日本中の地方新聞社のWebサイトを見て回り、社説やコラムでこの栄誉を褒め称えていることを確認して喜んでいる。北は北海道新聞から、南は沖縄タイムズまでが当然のことながら、この話題で社説を書いている。地元京都新聞には、全国紙には載っていないような、田中氏に関する詳しい記事があり、いくら読んでも飽きない。

 自分の感情を改めて分析すると、喜びと感動が一緒になっていることがわかる。
日本人が2人も同時に受賞したという単純な喜びは勿論だが、小柴名誉教授と田中氏の気さくで無欲なお人柄も嬉しい。小柴先生は、「昼は研究に没頭するが、夜は水戸黄門なんかをみてリラックスする、」「音楽や読書も好きで、バッハやモーツァルトを楽しみ、若い頃はハイネの詩集をよくポケットに入れて持ち歩いていた」「夢を追っかけていたから苦労なんかなかった」とおっしゃる。そのおおらかさに惹かれるし、半面、教え子には「我々は国民の血税をもらって研究をしている。研究費は決して無駄にするな」という哲学を叩き込んだという。その誠実さに感動した。

 田中氏は会社の後輩の弁によれば、冗談を良く飛ばし、後輩が研究で困っていると、「こんなんも、わからんのか」とにこっと笑って教えてくれるのだという。自分が研究にゆきづまっていても苛立たず、おかきをポリポリ齧っているのだという。嬉しくなるではないか。ノーベル賞の賞金が約3千万円得られると知り、「私には多過ぎます」とおっしゃる。研究に打ち込みたくて、昇進を拒みつづけていたというエピソードも印象的である。

 そして、学位も持っていない、一介の企業の従業員に対しても、純粋にその業績だけを公平に評価して、ノーベル賞の授与を決定したスウェーデン王立科学アカデミーに、感銘すると共に、感謝の念を禁じ得ない。

 とにかく、嬉しい。今までの受賞者と共に、お二人は、日本の誇りだ。


2002年10月09日(水) なんと、今日も、日本人がノーベル賞を受賞!

 なんと、昨日の物理学賞に続いて、島津製作所の研究開発エンジニア田中耕一氏(43)がノーベル化学賞を受賞。日本人がノーベル化学賞を3年連続で受賞した事になる上、同年に2人の日本人がノーベル賞を受賞するのは初めてのことである。
 かつて一斉を風靡した日本経済は往年の輝きを失って久しく、それどころか日本企業の不正、不祥事が連続して起き、犯罪は増加してこのまま日本は衰退の一途をたどるのかと暗澹たる気持ちでいたが、ようやく光明を見出すことができて、嬉しい。
 基礎科学は、経済活動のようにカネに直結するものではない。真理を探究したいという知的な活動である。偉大な発見は人類全体に貢献する。そこが素晴らしい。無論学問の世界も人間の営みである以上、美しい事ばかりではない。学閥があったり、足の引っ張り合いがあったり、嫉妬が渦巻く事もあろう。しかし、とにかく、価値の無い研究にノーベル賞が授与される事はないのであって、今回のダブル受賞は間違いなく世界に誇るべき事柄であるといってよい。


2002年10月08日(火) 小柴名誉教授、万歳!

久しぶりに、良いニュース。小柴昌俊・東大名誉教授が今年のノーベル物理学賞を受賞。日本人がノーベル賞を受けるのは3年連続。何しろ科学者にとって最高の栄誉である。
なんでも、小柴先生の研究は、ニュートリノに質量があることを示し、素粒子理論に大きな影響を与えた、ということだが、 こういう先生の理論はなまじ理解しようとしないほうが良い。天下の大秀才による永年の研究の成果なのである。素人に理解できると考えるのはおこがましいというものだ。とにかく素直に嬉しい。


2002年10月07日(月) 日本テレビのうつ病特集に憤慨

 日テレ「ニュースプラスワン」がうつ病をとりあげていたが、不満である。
 
 うつ病の中でも特に病態の篤い患者さんばかりを取り上げていた。なかでもうつ病から、躁鬱病に移行し、しかも数ヶ月周期でうつと躁が入れ替わる、Rapid Cyclerという、かなり珍しい症状の患者さんを映していたが、単極性のうつ病と躁鬱病では全く見た人の印象が異なる。この番組を見て、余計にうつ病への偏見を持った視聴者もいたにちがいない。
 
 極端な例だけをとりあげ、重要な事実、例えば、国立精神・神経科センターの調査によれば、日本人の7人に1人は生涯に一度はうつ病エピソードを経験すること、中でも、24歳から33歳の女性の実に33%はうつ病エピソードを有する事。うつ病は世界的分類では、もはや「精神病」(Mental Disease)ではなく、「気分障害」(Mood Disorder)というカテゴリーに属する事。薬物療法など適切な治療を早期に受ければ寛解するものであること。しかし、放置しておけば約15%は自殺するという意味で危険な状態である事。等々、何故、「正しく、十分な」情報を伝えないのか。こういうのを無責任という。非常に憤りを覚えた。


2002年10月05日(土) アメリカのタバコ訴訟

 アメリカでは訴訟は日常茶飯事であるが、どうも私の理解を超えるものが多い。喫煙が原因と見られる肺がんになった64歳のアメリカ人女性がフィリップモリスを訴えた裁判で、ロサンゼルス地裁の陪審は訴えを認め、同社に280億ドル(3兆4400億円)の支払を命じたと言う。訴えた女性はフィリップモリスの「喫煙が肺がんの原因とする証拠はない」という説明を信じたせいだ、というのである。そんな馬鹿な話が通用してしまう国なんだねえ。アメリカというのは。タバコ会社が「煙草は肺がんになりますから止めなさい」というわけがないだろう。説明を聞くなら医者に訊くべきではないか?いや、説明など聞くまでも無い。煙草と様々な癌との関係はいやというほど取り沙汰されているではないか。それを知らなかったというのか?しらばっくれるな。自分が好きで吸っていたタバコだろう、といいたい。
 
 よく、アメリカ人はきちんと自分の考えを主張することができる。日本人はそういう教育が欠けているなどという論調があるが、自分の考えといったって、まず、合理的に物事を判断する能力がなければならない。なんでもいいから言った者勝ち、では世の中は無茶苦茶になってしまう。


2002年10月02日(水) うつ病

 ひところ落ち着いていた自分のうつ病が、このところまた悪化している。この病気にかかると全てが灰色に見える。今まで楽しいと感じていた音楽や本に興味を失う。ひどく疲れやすくなる。眠れなくなる(だからこんな時間に書いている)。そして、死にたくなる。
 3年前に首を吊った。幸か不幸か首を吊ったのがネクタイで、それが途中で切れて一命を取り留めた。しかし、首を吊って意識を失うまではあっという間だった。苦しくも何とも無かった。だから、また死のうとするかも知れぬ自分が怖い。しかし、基本的にうつ病は脳の病気、正確には脳内神経伝達物質のバランスが崩れて起きる病である。膵臓から分泌されるインスリンが足りなくなれば、糖尿病になる。似たような現象が内臓で発生するか、脳内で発生するかの違いである。人格が未熟だからうつ病になるのではないのだ。
 この病気になってから、所謂メンタル系のサイトを見て回るようになった。多くの人が周囲の無理解によって、余計に病状を悪化させている事がわかった。悲惨という以外に言葉を知らない。会社の上司に「お前、逃げたいんだろう!」「要するに、怠け者なのだ」などという罵詈雑言を浴びせられて打ちひしがれている患者が大勢いるのだ。
 私に言わせれば、うつ病に関して何も調べず、無責任な言葉を吐く上司こそ「怠け者」である。いまやインターネットという巨大百科事典が目の前にあるではないか。「うつ病 原因」で検索すれば16000件以上のページをヒットする。「部下 うつ病」で12件、「うつ病 周囲 接し方」と入れれば330件以上の答えを見ることができる。これほど簡単に情報を入手できるにもかかわらず、それを怠り、部下を罵倒し、病状を悪化させた者は、これからは障害の罪に問われるべきである。自分の知識の範囲内でしか者を考えようとしない人間は、怠け者であり、人の上に立つ資格は無い、と自覚すべきだ。
 昨年、日本で交通事故による死者数は約9000人。自殺者は3万人である。自殺者の7割から8割はうつ病にかかっていたにもかかわらず、適切な治療を受けられなかったものだと言われている。この事実を突きつけられて、何も感じない者がいたとしたら、よほど鈍い人間だろう。


2002年10月01日(火) 「はしたない」

 今の日本人で「はしたない」という言葉を知っている人間はどれぐらいいるのだろう。
 北海道西友元町店で、輸入豚肉を国産と偽装していた問題で、顧客への返金を決定した。レシートは不要だといったら、150人もの客が殺到し、中には10万から20万円もの払い戻しを求めた若者がいるという。何たるみっともなさ。何たる情なさ。無論店が嘘をついていたのは良くない。しかし、人の弱みに付け込んで、金をせしめようというその若者たち。こういう奴らは「いやしい」「はしたない」「意地汚い」という日本語を恐らく知らないのだろう。ああ・・恥ずかしい。輸入だか国産だか知らぬが、たかが豚肉である。私だったら、一旦食った肉の金を払い戻せとはいわない。あきらめる。少なくとも江戸っ子はそういうものである。これ以上書きたくない。

 埼玉県本庄市の保険金殺人事件で八木被告に死刑判決が下った。当然である。こういう奴を生かしておいたら、必ずまた同じような事を企てるに違いない。それにしても、女は恐ろしい。3人の愛人たちは八木が殺人魔であると知った後も、殺人の手助けをすれば、もっと八木に可愛がってもらえるという動機で共犯になったのである。世の女性たちはそういう気持ちがわかるのだろうか? 私には完全に理解不能な世界である。ただ、人間は何処までも落ちぶれる事ができる生き物だと言う事はよく分かった。

 この裁判は日本の刑事裁判としては異例の早さで結審した。といっても一年半の時間がかかっている。
隣りの国中国ではつい先月、揚げ菓子などに殺鼠剤を混入した犯人に、今日死刑判決が下った。これはこれであきれる。ただ、あそこの国の歴史を読むとこれぐらいのことは平気でやる民族である事がわかる。一晩に何万人もの儒学者を生き埋めにして殺してしまった、なんていう国だからね。中国で一年に死刑に処せられる人間の数は、世界のほかの国の死刑執行すべてを合計した数よりも多いのである。12億も人間がいるとこうなってしまうのかな・・・。



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