再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 スターダス・21nei修了公演「幽霊」戯言。

演出の戯言 「周囲にあるもの」

虚飾、嘘、真実、心について。そして我々が縛られている事柄について描かれた本作は、イプセンによって、女性解放運動にも大きな影響を与えた「人形の家」(1879)でノラを旧態然とした価値観=「家」から旅立たせた後に、書かれた作品である。

隠そうとすればするほど、なかったことにしようとすればするほど、過去は幽霊のように現れて人に憑りつく。「美的生き方」と「倫理的生き方」の間で右往左往する人物たちは、僕らの誰かに似て、滑稽で人間臭い。話題の初演後(1881)「反道徳的、反社会的」と激しい批判を浴びた作品は、とことん潔癖が求められるニッポンでこそ活き活きと輝く。こんなものを140年も前に著していたとは、流石近代演劇の父である…。

しかし一筋縄ではいかない人間の業と幅が書き込まれた世界に、一年足らずの養成期間では太刀打ちできないかもしれない、と思いながらの作品選びでもあった。

それにしても表だった台詞の意味を繋げて、感情がいかにも動いている風な抑揚をつけ、自分がこう思っています、こういうキャラクターですということを客席に説明することが演技だとされることのまだ如何に多いことか。深堀なんて言葉はないに等しく、表層をなぞって満足…これではいけない、難しい、わからないで立ち止まっていてはいけない。演技と日常を切り離すことがいかに当たり前に行われてしまっていることか。顔で笑って心で泣いて何てことを僕らは当たり前にするし、哀しい時に、哀しいを売り物にはまずしないし、逆に他人を安心させる為に気丈にふるまったりもする。人間の奥行きを表すって一朝一夕にできることではないが、普段の日常の中にどれだけのヒントが詰まっていることか。
過去の名作と組みしながら、結局はそこに存在する身体、放たれる言葉を借物でなくしていく為には、普段の自分に、身近な他人にどれだけ注視し、興味を持ち、思考し、栄養を与え、耕しているのかが試される。役を演じるに捨てるのは自分ではなく、自意識なのである。修了ではなく、表現者の一歩目を強く踏み出す今日は、面倒でも周囲にある人・モノと関わり合った日々の上にある。

少し長い旅になりますが、
彼らの全身全霊をかけた挑戦、
最後までごゆっくりご覧ください。
本日はご来場いただきありがとうございました。

藤井ごう


2023年02月19日(日)
初日 最新 目次 HOME