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■ 『普天間』今旅用、演出の戯言。。。
演出の戯言
事故事件が起きる度、 『安全』と『全力で原因を究明』と飛び交う文言。 原因を本気で究明し、安全を第一に考えていれば起きないはずなのに、 『起こるべくして起こった』 と繰り返されてしまう言葉。
そして何かが変わった試しはない。 この『普天間』とゆう作品が生まれた2011年には、まだオスプレイの配備は公表されておらず、そもそも『未亡人製造機』の配備はない、と言われていた(誰も信じてなかったけれど)。その『普天間』を宜野湾で上演した2012年年末、オスプレイは宜野湾上空を飛び回り、反対運動ある中2013年、もうオスプレイの追加配備が決まり(一応現状延期となってはいるけど、いずれ下火を狙って追加されるだろう)とゆう状況。 政府のしているのは、情勢を見る、いいタイミングを探す、これだけで、問題を根っこから検証し変えようなどとゆう姿勢は微塵もない。 そして沖縄の思いと抗うモノゴトが進んでゆく。
そしてまた米軍のヘリは落ちた。 ネタバレを怖れずに言えば、この『普天間』とゆう作品は2004年の沖国大米軍ヘリ墜落事故を契機に、七年経っても変わらない沖縄の姿、そしてそこに住む人間の強さ、在り方を描いている。(無論それだけではなく、綿々と続く沖縄の負の歴史に基づき、三世代に渡る苦悩と生活が現される)2011年現在の物語。 しかし、である。 やはりまた米軍のヘリは落ちた。 盛んに沖縄は、基地は米軍は、政府はと、訳知り顔が出てやっている。…今は(八月初旬)
劇中95年のある事件をきっかけに立ち上がった炎について、16年を経て重臣が放つセリフ
『その火はいつおさまった?』
…僕らには忘れてはいけないことがある。
忘れていてはまたヘリは落ちるかもしれないのだ。(ヘリだけの話ではないけれど) いや、確実に落ちる。(ヘリだけの話ではない) そこに基地があるとゆう変わらない現実がある限りー
どうして? なぜ?
おかしいことをおかしいと言い続けることは生半可なことじゃない、疲弊、限界をも感じることではある。 でも識ることの大切さ、そして各々の踏み出し方が問われているような気がしてならない。
この作品は解決法を導きだすわけではないし、沖縄が抱える問題の情報量が多く難しいなんてことも言われる。 でも、あらゆる物事を背負ってそこに住む人々の生き方を繋がりを感じてもらうこと、心を寄せる瞬間があって、人物たちを身近に感じられること。そこにこそ大きな一歩につながるものがあるのではないか。 今やはりこの作品を上演する機会があることは、意義のあることである、と確信している。
藤井ごう
2013年09月20日(金)
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