スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2009年10月24日(土) 母が入院

やはり、母が入院した。

昨日の私の愛大のバセドウ病の診察結果は

薬を中止して来年の4月まで様子をみることになり

少しほっとしたのだが

その帰りに母を連れていつもの整形外科は行くと

医者の方から

今は安静が必要だから、ひと月入院してくださいと言われた。

午後荷物を作り母居る病院へ。

大部屋に一旦は入ったものの

トイレのこともあって個室に代わった。

でも、個人病院なので完全看護ではない。

トレイに行くのも誰からの手を借りねばならない母を

一人にしておくわけにはいかない。

昼間は私がずっと付き添うことに決めた。

昨日は母が夕食を終え

個室に代わって落ち着いたのを見届けて帰宅した。

午後8時になっていた。

母の家に行った。

母の居ない家はがらんとしていてとても寂しかった。

涙が出てきた。

私にとって母の存在は命と同じくらい大事な存在だ。

母の居ない私を考えることができないくらい

母は私にとって大きな大きな存在なのだ。

88歳の母はいつ何があってもおかしくないが

まだまだ元気でいてほしい。

母が死んだら私は気がおかしくなるかもしれない。

喪失感で心の病気になるかもしれない。

父を亡くした時とはまた違う私にとっての喪失感に違いない。

支部長の代わりは居ても母の代わりはいない。

何を優先すべきか考えるまでもない。

母は18日の私のNHK抗議デモを知っているから

どんなに痛みが激しく辛くても我慢していた。

私に心配をかけないようにと

家の中で這ってでも自分で動いていたのだ。

それが昨日の入院となったのは

母も私のデモが終わりほっとしたのかもしれない。

勿論口には出さないけれど、気持ちはわかる。

母のことを優先させると決めた。

明日行けなくなったことも仲間にメールで知らせた。

皆、母を心配して行けなくなったことを了解してくれた。

30日の第一回公判にはどんなことをしても出廷するつもりだ。

母が一日でも早く自分のことが自分で出来るくらい

痛みも少なくなり動けるようになってほしい。

しばらくつぶやきを休みます。


2009年10月23日(金) 母のこと

一昨日、母を誠さんの所へ連れて行ったのが悪かったのだろうか・・・

昨日は、仲間たちと会って4時間ほど時間を過ごしたので

朝は母の様子を見に行ったものの

夕方まで放っていた。

母は一歩も歩くのが痛く辛くなっていた。

どうしてあげることも出来ない、

代わってあげることも痛みを共有することもできない。

結局、私は母の手になり足になることが出来ないのだ。

本来なら母の傍にずっといてあげて

世話をしてあげれば

母の負担も少なくなるのはわかっている。

でも、次から次とやるべきことがあって

母に付き添うことが出来ないのだ。

25日は西条市の楢本神社の関中佐の慰霊祭に

仲間を乗せて行くことになっている。

30日はNHKの個人訴訟の第一回公判がある。

11月1日は娘の演劇公演を観に行くことになっている。

3日はダライ・ラマ法王の講演会へ行く。

15日は大阪のデモに参加・・・

この中で中止出来るものは中止すべきなのだが

どれも私にとって大切なものだ。

母に入院を勧めた。

しばらくの間、痛みが少しでも緩和するまでは

痛みを我慢して動くのは良くないと思う。

もし、入院出来たら母は楽だし

私も姉も安心する。

今日は、私の愛大のバセドウ病の診察がある。

それが終わって母をいつもの整形外科へ連れて行くことになっているが

その時に医者に母の様子を見てもらって

入院の話を切り出してみようと思う。

でも、医者はNOというだろう。

前に腰が痛くて歩けなくなった時

入院をお願いしたが、家で少しでも歩くのが良い、

寝たきりになると断られた。

母自身も入院するのが嫌そうだ。

私が落ち着いたら母の家にしばらく同居しようと思う。

入院しているのと同じように

私が介護・看護したら

母も楽になると思うから。

本当は母を一番優先して

会のことも活動のことも二の次にしないといけないのだが・・


2009年10月22日(木) 誠さん

一昨日、姉から誠さんからという件名でメールが入った。

誠さんから「お願い」という手紙と写真が届いたが

どういう風に対応したら良いかわからないということだった。

そして、その「お願い」の手紙がファクスされてきた。

それは、一言でいえば誠さんの遺書だった。

最後には「短い間でしたが、有難うございました」と

結ばれていたし

中には告別式も行わない、

自宅から荼毘にふす・といった言葉が出てきたからである。

一読して心配になった。

もしかして、誠さんの状態がとても悪くて

痛みに耐えきれず自殺するのではないかと思ったのだ。

昨日は姉の車で母と三人で誠さんに会いに行った。

結果的には行って良かった。

いつものように店に座っている誠さんが

あの素敵な笑顔で私たちを迎えてくれたからだ。

そしていつもの明るい誠さんの話を聞き

母の自分の辛さの話に

誠さんが励ましてくれたからだ。

私は正直に「誠さんが自殺すると思ったよ」と言った。

姉は「どんな返事をしたら良いかわからなかった」と言った。

誠さんは私が思っていた通り

あの手紙は遺書だと言った。

頭がぼけないうちに書いておきたいと思ったとも言った。

真民先生と同じ生き方をしていると思った。

そして、自分が死んでも来てほしくない人だっている。

姉や私には来て送ってもらいたいが

それは心が通じている人だけに限るとも言った。

誠さんは小学校や中学校、高校と

講演会の予定がいっぱいあると言う。

だから、今は死ねないとも言った。

私が「死ぬならマイクを持ったままね」というと

誠さんは笑って「そうよ」と答えた。

いつものように焼き立てのパンをおごちそうになり

2時間半ほど話をして、美味しいパンを買って帰った。

誠さんが最近はPCをするようになったと聞いて驚いた。

そして、誠さんのメールアドレスを教えてもらった。

以前よりも手が不自由になっている。

握ったまま開くのも大変な手で

PCの操作は大変だ。

だから、返事は要らないよと言っておいた。

そして、帰宅して早速誠さんにメールを出した。

元気でいてほしいし

またあの素敵な笑顔に会いに行くからと書いた。

行った良かった。

ほっとしている。


2009年10月20日(火) デモの余韻

昨日はさすが疲れが出ていたのだろう、

お昼過ぎまで体が重く胸のあたりが

締め付けられるような感じが続いていた。

掃除もパス、

洗濯とご飯のことだけしかしなかった。

お世話になった人へのお礼の手紙や

また撮ってもらったビデオのDVD化に時間がかかったのだ。

夫がやってくれていたが

何度やっても出来ないとのこと。

テープをチャンネル桜に送らないといけないのに

昨日は夜まで使っていたので送れなかった。

結果的には私のPCと夫のPCにビデをを取りこんで

DVDを作成することが出来た。

計11枚作った。

ただ、未編集なDVDなので

要らないものも入っているし

時間も80分と長いものになっている。

今日はそのDVDを仲間に渡して

それを動画としてアップしてもらえることになっている。

一人でも多くの人たちが

愛媛でも、デモをしたことを知ってもらいたい。

正直言ってまだデモから切り替わることが出来ない。

済んだことは良しとして

次へ進まねばならないのだが・・・

次は映画「南京の真実第二部」の上映だ。

映画会を催すなんて初めての経験だけに

準備も周到にしておこうと思う。

上映会は来年の年明けから順次行われるとか。

昨日はチャンネル桜に申し込みをしておいた。

また、会員の力を合わせて保守団体の共催も得て

実現しないといけない。

またまた気の休まることができなくなりそうだ。


2009年10月19日(月) 成功

昨日の松山デモは大成功だった。

これは参加してくれた人の評価だ。

大成功とまでは言えなくても成功だったと言えよう。

昨日の朝は動員についての不安があった。

でも、協力してくれる香川県支部から5人

徳島から2人、

佐賀や姫路からそれぞれ2人、

ボランティアとして1人が参加。

また大学生もチャンネル桜を見て知ったと言って

日の丸を持って参加してくれた。

デモの前のリレートークでは

5人が自分たちの思いや考えを披露してくれた。

デモのコースで大街道を通ったが

生活展を見に来ていた人たちが

私たちのデモを見て驚いていた。

松山はあまり好戦的なことが嫌いだ。

だから、保守の活動も生ぬるい。

今回も保守団体は協力してくれなかった。

でも、計24人が参加してくれて

1時間半ほどのコースを粛々と歩いた。

NHK前の抗議は

NHKを攻め立てるのではなく

NHKに対してのある意味エールを送る形の

抗議となった。

見ていたNHK職員たちも私たちのデモを評価している。

人数の問題ではない。

やはり誇りと自信を持って臨んだことが良かったと思う。

今朝は流石に疲れたと感じた。

撮ってもらった写真の保存と

お礼のメールにも時間がかかった。

また、撮ってもらったデジタルビデオのテープを

PCに入れてDVDを作製したのも時間がかかった。

チャンネル桜宛てに送ることになっている。

また番組内で紹介してくれるだろう。

デモの後の目標は映画「軟禁の真実第二部」の予定だ。

その気になったら出来ると思っている。

これからも日本のために頑張ろう。


2009年10月18日(日) 松山デモ

いよいよ今日を迎えた。

初めて主催するNHKへの抗議デモ。

今まで、大阪や高松での活動には参加したが

それはあくまで部外者としての協力だった。

だから、気も楽だし結構楽しむことが出来た。

しかし、今日のデモは私が支部長を務める支部主催だ。

失敗しないように、

手ぬかりのないようにと

数か月前から準備に入り

私の中では一応準備完了している。

でも、何が起きるかわからない。

まだ動員数が少ないのも気になっている。

私たちの会関係で11人

香川県支部から5人、

佐賀から1人の計17人だ。

大阪から参加してくれると言っていた人が

急に来れなくなった。

人数に拘るべきではないと皆が言う。

少人数でも正々堂々と誇りを持ってデモをすれば良いと

昨日、電話で忠告してくれた人も居る。

確かにそうだ。

大人数に越したことはないが

少人数でも誇りを持って威風堂々とデモをしよう。

松山市民にとってデモは異彩に感じるだろう。

きっと白い目で見られるだろう。

でも、私たちはNHKに対して間違った抗議をするのではない。

だから、一般の人たちに今NHKがどんな問題を抱えているか

それを知ってもらうためにも行うデモだ。

そして、NHKには反日報道をやめ

まともな放送局になってもらいたい

そう思って行うデモだ。

今日はお天気も快晴

気温も23度と過ごしやすい。

頑張ろう!

やって良かったと思えるデモにしよう。


2009年10月17日(土) 金木犀

洗濯物を干そうと庭に出てみた。

すると、風に乗ってほのかに甘い香りがしてきた。

香りがする方に目をやると、

母屋の玄関先の金木犀が満開になっていた。

最近の忙しさに金木犀が咲いているのにも気づかなかった。

母屋の金木犀は毎年この時期になると、

小さいオレンジ色の花を無数に咲かせ、

強い香りを楽しませてくれる。

その香りがトイレの芳香剤の香りだといって

あまり好きじゃない人もいるらしい。

でも、季節と共に花の香りを楽しめるって幸せだ。

洗濯物を干す手を休めてふと空を見上げると、

雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。

10月は私の誕生月でもあり、一年で一番好きな季節だ。

伊予路は秋祭り本番。金木犀の花ことばは

「謙遜」「真実」「陶酔」「初恋」だとか。

私には金木犀に初恋の思い出はないいけれど、

毎年、金木犀の香りをかぐと

三年前に亡くなった叔母の川柳「金木犀の道 お神輿の通る道」

を思い出す。

大きな賞をもらったと笑顔で話した叔母の顔が忘れられない。

千の風になった叔母も金木犀の香りをどこかで楽しんでいるに違いない。

「おばちゃん、今年も金木犀が咲いたよ」と心の中でつぶやいた。


2009年10月15日(木) 膝の痛み

この最近、母の坐骨神経痛、娘の親知らずと

病気の話ばかり書いている気がする。

今日は私の膝の痛みの話を。

昨日、映画「台湾人生」を観にいった。

冷房が効いていて足元が涼しかったのは確かだ。

そして、数日前からの朝晩の冷え込みもある。

私の右足の膝が冷えたためか痛みが出てきた。

我が家は和風の家で畳の生活だ。

椅子に腰かけることはない。

だから、立ったり座ったりするたびに

膝の曲げ伸ばしをすることになる。

昨日は夕方から右足の膝が痛み始めた。

座っている姿勢から立ち上がろうとすると

激痛が走る。

でも、立たねばならない。

テーブルに手を乗せ体重をかけて立ち上がる。

そして、変な姿勢を取っていたために

今朝は右の腰のあたりから大腿、膝と鈍い変な痛みがある。

母は歩きすぎたのだというがそうではない。

これは冷やしたからだ。

今はサポーターをはめている。

早く治ってくれないと18日のデモで歩くのが難儀になる。

人間、どこかひとつでも悪いところがあるとだめだなあ・・・

負けるものかという気持ちはあっても

ついつい痛い!と声をあげている。

明日は母が通っている整形外科の日なので

私も受診してみようと思う。

まだまだ膝が痛い腰が痛いと言う年ではないのだから。


2009年10月14日(水) 親知らず

先月、成人式の前撮りのために帰省していた娘が

帰る頃になって、口の中のハブが痛いと言っていた。

私は肩こりのためじゃないの?と言っていたが

親知らずが変な方向に生えていたらしい。

昨日、娘から親知らずを抜いたとメールが来た。

親知らずでは私も泣かされた経験がある。

痛いし抜歯しても熱が出て痛みもあって大変だった。

娘に電話をかけて様子を聞くと

痛み止めも効かなくなって死にそうだとのこと。

大学からの帰り道だったようだが

晩御飯は雑炊かうどんを食べるつもりだと言っていた。

私の傍に居たら軟らかいものでも作ってやれるのに・・・

可哀想になった。

それでも、以前に比べると成長したと思う。

去年の娘なら風邪をひいた、お腹が痛いと言っては

私に来てほしい風だったが

今回はその様な弱音は吐かなかった。

夫に電話を代わったら、自分の体験話をしていた。

親知らずと言う名前の由来って何だろうと考えた。

親も知らない間に生えてくる歯?と考えてみたが

本当のところは分からない。

娘の親知らずはあと2本抜くと言う。

当分歯で悩みそうだ。

昨日の母の鎖骨神経痛も

娘の親知らずも、痛みが伴うだけに

何もしてあげることのできない私としては

ただ、見守るしかない・・・

ちょっと悲しい。


2009年10月13日(火) 坐骨神経痛

母が坐骨神経痛を発症したのは、

私が娘の公演を見に大阪へ行っていた時だった。

その時は暑い日がありちょっと油断して

薄着をして冷えたのが原因で

しばらくしたら治るだろうと言っていたが

その後、症状がますますひどくなり

今では一歩歩くのも難儀な状態となってしまった。

悪くなる時はあっと言う間だが

治るのは時間がかかる。

坐骨神経痛は命取りにはならないと思うが

母の苦しそうな姿を見ると本当にかわいそうでたまらない。

毎日母の家に行き、出来ることはしているが

それでも、ずっとそばにいるわけではないから

母に負担がかかってしまう。

いっそ、母の家に私が同居して

母の世話をすることが出来たらと思うが

母は一人の方が気が楽だともいう。

だから、無理をしないようにと言っている。

毎週火曜日と金曜日は整形外科へ連れて行き

電気治療やホットパックをしてもらっているが

なかなか良くならない。

私は坐骨神経痛なるものを患ったことがないから

母の痛みも想像するしかない。

実際に体験した人でなければ分からないだろう。

とにかく痛みは人間にとって一番辛いものだ。

痛みがあると体も心も元気をなくす。

いくら、心元気でと思っていても

痛みに負ける心は仕方ない。

痛い時には大声で痛いと言うのも一つの方法かもしれない。

母は88歳。

こんな年よりに痛みを与えるなんて神様もひどいと思う。

代われるものなら代わってあげたいと思う。

一日でも早く、痛みがなくなり

母に笑顔が戻り

また一緒にどこかへ行けるようになると良いなあ。

神様、母を治してあげてください!


2009年10月12日(月) 4日ぶり

つぶやきを8日に書いてから4日ぶりの更新となる。

なんだかんだと忙しい日々を送っていた。

10日は大阪のデモに参加してきた。

これは在特会主催の外国人参政権反対デモだ。

在特会とは「在日特権を許さない市民の会」のこと。

桜井誠さんが会長をされている保守団体で

行動する保守から闘う保守へと変わってきている。

今まで在特会のデモの様子は動画では見ていたが

実際に参加してみてやはり素晴らしいと思った。

まさに闘いだと思う。

ただ、人数が多かったため統制のとれないところがあって

これは残念な気がする。

船頭多くして・・何とやらの言葉通りだった。

それにしても左翼の抗議は笑ってしまう。

顔つきも変だし、思想的にもおかしい。

外国人を排除しているのではない。

憲法15条で外国人の参政権は認められないから

与えられないのは当たり前だ。

憲法改正をしない限り認めることが出来ないのだ。

そして、反日在日の人たちが

参政権を取得し日本の政治にかかわってきたりしたら

日本は一体どうなるか?

誰でも考えれば分かるはずだ。

政治的イデオロギーなど必要ない。

常識的に考えればいいのだ。

たくさんの人たちと行動を共にし

顔見知りの人たちと懇親会のお茶をして

お互いに闘おうと言う気持ちを新たにして帰った。

昨日は夫と義母と三人で

城川のかまぼこ板の絵展を見に行ってきた。

表彰式以来だったので昨日はゆっくりと鑑賞出来た。

義母が受賞した私の作品だけではなく

赤丸はつかなかったものまで褒めてくれた。

来年のテーマはまだ分からなかったが

また来年も出品したいと思う。

お天気もよくドライブには最適な一日だった。

本当なら母も一緒に行きたかったが

今は坐骨神経痛がひどくほとんど歩けない状態だから

母には声をかけないで行った。

いよいよ18日は松山デモだ。

大阪のデモを見て色んな意味で勉強になったから

松山デモは成功させたいと思う。

動員が少なくてこれだけが気になるが

少人数でも頑張るしかない。

今週も慌ただしい一週間になりそうだ。


2009年10月08日(木) 台風一過

二年ぶりに日本を襲った台風18号、

昨日は一日風と雨が強かった。

台風が四国地方に近づいて

予想では大きな被害をもたらしそうな時でも

私の住む愛媛は被害らしいものを受けない。

同じ四国でも、太平洋側の高知や徳島は

台風の影響が大だ。

今回の18号も同様だった。

石鎚山脈があるお陰だ。

それでも、昨夜は警報も出ていて

夫は待機しないといけなくなった。

晩御飯を食べに帰って7時に出て行った。

警報解除になったのも知らなかったが

今朝、起きてみると夫は帰宅して寝ていた。

昨夜は久しぶりに娘からメールが来た。

私が台風のことが心配で送っていたメールの返事。

今日は大阪は警報が出ているので

明日は大学は休みかも?と言っていたが

さて、どうなったのだろう。

被害も出ている。

亡くなった方も居る。

台風が来なければ命を落とすこともなかった方が

気の毒でたまらない。

母も坐骨神経痛の痛みが激しくなったと言う。

天候不順・雨の時には痛むのだろう。

歩くのも難儀そうにしている姿を見ると

可愛そうでたまらない。

10日には大阪デモに参加するつもりだが

母のことが心配だ。

台風一過。

夏物の大きなものの洗濯をした。

今日は役員会で今治から出てきてくれる人も

無事来れるようになった。

毎日が平穏無事で過ぎることが一番幸せだ。

台風の被害がこれ以上大きくならないことを祈りたい。


2009年10月07日(水) 感激

昨日は本当に感激したことが起きた。

18日のNHKの捏造報道に対する松山デモで

使用したいと思っている台湾の旗。

ネットで購入できるのは

私が欲しいと思っている緑の旗ではなく

中華民国の旗だ。

だから、どうしても台湾独立旗・緑の旗(台湾人旗)が欲しかった。

でも、どうしたら手に入るのか分からない。

そこで、ひと月前

大阪のデモで知り合ったある人に相談した。

するとご自分がオリジナル旗として

作成したもらった旗をお貸ししても良いし

知り合いが9月に台湾に行くので

その人に頼んで手に入れてもらってあげましょうと言ってくれた。

譲渡しますの言葉を戴いていた。

そして、昨日

その人が、約束通り三種類の旗を送って来てくれた。

ひとつは大きな3メートルはあるかと思う台湾独立旗、

もうひとつは普通の大きさの台湾独立旗

残る一つは、台湾魂旗

これだけでも感激なのに

その上に大阪や京都でのデモのDVD4枚

お土産のお菓子まで一緒に送って来てくれた。

お仕事中だとは思ったが直ぐに電話をかけた。

そして、本当に有難い、心から感謝しているという

私の心を伝えた。

そうしたら、その人は

「○○さんが喜んでくれるだけで良い、

○○さんの熱意ある行動に感動したから」と言ってくれた。

涙が出た。

私一人がいくら頑張っても出来ることは知れている。

私の周りの人たちが支えてくれるからこそ出来るのだ。

そして、素晴らしい人たちが私の周りに集まってくれる。

私の人生で考えられないような出会いが次々と起きている。

人生とは不思議なものだ。

色んな人と出会い

支えてもらって私の人生は成り立っている。

これからも人との出会いを大切にして

生かされていることへの感謝の気持ちを忘れずに

頑張っていこうと思う。

感謝!




2009年10月06日(火) 良かった!

昨日は母の大腸カメラ検査があった。

母は、一昨日から検査のための食事をし

夜は下剤を飲み

昨日は9時から11時まで二時間の間に

2ℓの下剤入りの水を飲んでお腹の中を綺麗にした。

昨日はを病院に連れて行き

昼過ぎまでずっと一緒に居た。

母は88歳。

高齢にも関わらずこの検査をするのって本当に偉いと思う。

私がやらないのは

2ℓの下剤入りの水を飲まねばならないからだ。

ただえさえ、水分を取るのが苦手なのに

2ℓの水を飲むなんて

私にとったら自殺行為だ。

だからこそ、母をえらいと思う。

12時に検査が始まった。

正直不安があった。

もし何か悪い病気だったら

母にそのことを言おうかどうしようか・・と

そのことがとても気になっていた。

でも、全て杞憂に終わった。

ほっとした。

本当に良かった!

今日は火曜日、母を整形へ連れて行く日だ。

いつもは病院の後エミフルへ寄って

お昼を食べて帰るのだが

今日は母のお祝いと私の誕生日のお祝いを兼ねて

どこか別のところで美味しいものを食べようということになっている。

これで安心して私も活動が出来る。

本当に良かった。


2009年10月05日(月) 中川昭一先生の死

昨日は私の誕生日でもあり

尊敬する中川昭一先生のご命日となった。

今日の母の大腸カメラの検査のために

母は昨日から検査食となっていたので

気になって我が家の用事を済ませてお昼までに母の家に行った。

母がつけていたNHKのTV番組の中で

ニュース速報が流れた。

その内容は中川昭一元経済・金融大臣死亡というものだった、

私は一瞬凍りついた。

目が点になった。

そして、頭の中が混乱してきた。

何故?

もしかして自殺?

そしてその後流れてくる情報によって

死因が指定されないこと、

事件性はないことなどが分かるにつれて

中川先生の無念が私の心を占め

涙が溢れて来て止まらなくなった。

先生のあの会見・そして落選と本当に心痛む報道を聞いていて

先生のことが心配でたまらなかった。

気落ちした姿を見て先生の心が弱っていると思っていた。

先生は真正保守として日本のために頑張っていた。

だから、今回の先生の死は日本にとっての損失である。

あの陰謀とまで思われるもうろう会見を何度も何度も

映し出したマスコミは最低だと思っていた。

そして、見苦しいと笑っていたコメンテーター達を

そんなに簡単に断言して良いのかと思っていた。

中川先生の評価は一切報じられなかった。

そして、負の部分だけを報じ続けたのは

先生を闇に葬りたかった意図を感じていた。

それだけに、先生の死が残念でたまらない。

もっともっと日本のために頑張ってほしかった。

平成21年10月4日という日は

私にとって一生忘れられない日となるだろう。

先生のご冥福を心からお祈りしたい。

合掌


2009年10月04日(日) 私の誕生日

今日、10月4日は、私の58回目の誕生日だ。

58歳!

考えるとぞっとする。

自分ではまだまだ学生気分が残っているが

鏡を見たら正直なもので

ああ〜老けたな・・と感慨にふける。

こんなことで感慨にふけっている場合ではないが

最近特に気になり始めたホウレイセン。

一昨日の朝のテレビショッピングで

コエンザイム10が入った美容液のCMをしていた。

台所仕事の手を休めて思わず見入ってしまった。

使用している人の肌がきれい。

しわがない。

勿論ホウレイセンも目立たない。

本当にこの美容液を使えば

ホウレイセンが消えるのか?

今の私にとってとても関心があることだけに

使ってみようかといいう気がして

結局申し込んでしまった。

老化防止はできなくても

促進を止めることが出来たらどんなに良いだろう。

ダメ元だ。

使用してみてダメなら仕方ない。

いくら心元気で頑張っていても

体の老化を止めることは無理なのか?

この10年の私は年を重ねるごとに

若々しく行動力のある人間に変化してきた。

気持ちもそうだが、人生の目的を見出したことが

一番の原因だと思う。

勿論、それまでも子育てという私には大きな目的があった。

でも、それは子供が成長したら一応終わりとなる。

それからの私の人生がまるで空きの巣症候群のようだったら

また数十年前の私に戻ってしまう。

その点、周りからみたら変だと思われるかもしれないが

私は今している活動を通して

充実した日々を過ごすことが出来ている。

これも皆、ある人のお陰だ。

心から感謝している。

同じものを目標に闘う同志の有難さをしみじみ思う。

さあ、今日からまた新しい一歩を踏み出そう。


2009年10月03日(土) 燃えたぎるもの

私の心に燃えたぎるものは一体何なのだろう。

何が私を動かしているのだろう。

最近の私の活動を、またこれからしようとしている活動を

自分自身が第三者の目で見てみると

とても不思議な気がする。

大昔の自分自身とは全く別人のような気がするのだ。

昔の私はいつも何かに脅えていた。

愛を求めて彷徨っていたと言っても過言ではない。

目的のない人生を歩んでいたのだ。

だから、自分に対する嫌気と批判が

私を拒食症に導いていったのだと思う。

結婚し、娘が生まれ、私は幾分か強くなった。

自分のことだけ考えていた私自身が変わった。

自分よりも大切な存在が現れたからだ。

だから、娘を産んだことが私を変えたと言える。

しかし、それは飽く迄わたくしのことだ。

決して日本のため公のためのことではない。

今、私がやっていることは

お金も時間も体力も要る。

そして、それは決して報われることではないかもしれない。

他から評価されることでもない。

私の心の中で何かが私を向かわせている気がする。

今の日本を素晴らしい日本にしたい

未来を担う子供たちが

ああ〜日本に生まれて良かったと思える国にしたい。

そのために動いている。

18日の松山デモの準備もまだ完全ではないが

10日の大阪での在日地方参政権に反対する

在特会のデモに参加したいと思う。

実現出来れば良いが、まだ分からない。

でも、私の中の何かが私を追いやっている気がするのだ。


2009年10月02日(金) 勉強の毎日

勉強は学生の時にするものだけではないということを

最近特にしみじみ感じている。

日々の生活の中で体験し

その体験の中から知識を得ることもあるし

また失敗したことから学ぶことも多い。

勿論、本や新聞やネットから学ぶ知識もたくさんある。

毎日の暮らしの中で

私が一番重きをおいている家事。

家事を疎かにはしたくない。

だから、やろうと思っても出来ない机上の勉強もある。

それが今やっている論語の勉強だ。

やっと学而第一と為政第二が済んだ。

初めはがむしゃらにやろうと思う気持ちが急くばかりで

内容もなかなか伴わなかったが

最近では多い日は1時間を机に向かって

論語の素読と白文の書きうつし

そして、解釈をノートへ書き写している。

私が勉強している机は

娘が高校生まで使っていた机で

東の窓に接している。

そして、その東の窓の外は小学生や中学生の

通学路となっている。

初めは、声を出して論語の素読をすることが

少し恥ずかしい気がしていたが

毎日続けていると

いつのまにか平気になり

今では、窓の外を誰か子供が通っていると

私の声が一回り大きくなっていたりする。

私の声を聞いた子供が

「この家のおばちゃんが何やら子のたまわく・・と言っている。

 何だろう?」と思ってくれたら良いのにとさえ

思うようになった。

また時間を作って読書にも勤しんでいる。

何事も毎日の積み重ねだ。

そして、勉強は本だけではなく

人との会話の中からも得ることが出来る。

昨日も一日人と会って話していたのだが

私の知識など足元にも及ばない

博識の人から学ぶことが出来て

本当にありがたいと思っている。

まさに「人生は勉強の連続なり」とはよく言ったものだと思う。


2009年10月01日(木) 10月

今日から10月、私の一番好きな季節がやってきた。

昼間はまだ暑さが残るが

朝晩は秋の気配が訪れている。

虫の音も聞こえる。

食べ物も美味しい季節だ。

いちじく、柿、栗、梨、ブドウ、リンゴ

食欲の秋到来。

いくら食べても体に悪くなく

太りもしないのなら

毎食毎食、果物を食べたい気がするが

中性脂肪は果糖の摂取により増えるから

私は一日一単位しか果物を食べないことにしている。

夫は果物が大好きなので

もし、私が管理せず食べたい放題していたら

きっと中性脂肪も増え、お腹まわりも大きくなっていただろう。

ケチのように思われているかもしれないが

私の健康管理計画によって夫も太らず

夫婦でメタボからは遠い存在で居られる。

また10月は花も綺麗だ。

私の大好きなコスモスが今ピンクや白の可愛い花を咲かせている。

今日はコスモス畑を見に行ってみようと思う。

服装も茶か黒系のシックなものを着たいものだ。

おしゃれは季節の先取りというが

本当におしゃれな人は

昼間の暑さを我慢して秋らしい服装をしている。

靴をブーツにしている人も居る。

私はまだ昼間は半袖で過ごしているが

そろそろ長袖にしないといけないかなと思う。

そして、秋:10月は私の誕生月でもある。

58歳!

気持ちは若くても年をとっているのは事実だ。

20歳の娘を見て余計に自分の年を思う。

でも、老化防止のため心も青春して

出来るだけ色んなことに関心を持って

脳もフル回転させて臨みたい。


スカーレット