スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2007年06月30日(土) 運転中の携帯はやめてほしい

先日、車を運転中、ひやっとすることがあった。

信号のある交差点で、信号待ちをしていた私は

前方の信号が青になったので直進しようとした。

その時、左方向から猛スピードで、車が突っ込んで来たのだ。

幸い、私はまだ発進していなかったので事故にはならなかったが、

大事故になってもおかしくない出来事だった。

運転していたのは若い男性で、

片手に携帯を持ち会話をしながらの運転だった。

道路交通法では、車やバイクの運転中に携帯電話を使用した場合、

3カ月以下の懲役か、50,000円以下の罰金が科せられる。

通話だけでなく、

メールやインターネットを確認するといった

手にとって携帯電話の画面を見る行為も処罰の対象となっている。

運転中の携帯電話の利用が元で

発生した人身事故が多発していることから法律が改正された。

しかし、今も携帯通話やメールをしながら運転しているのをよく見かける。

大事故になってからでは遅い。

運転中の携帯利用は絶対にやめてほしい。


2007年06月29日(金) 一人暮らしの食卓は

昨日、近くのスーパーへ買い物に行った。

最近は私自身の食欲が夕方にならないと

食べられるかどうか分からないから

いつもギリギリになって自分の食べるものを作るという日々を送っている。

夫と娘の分は前の日から献立を考えて買い物をし

朝のうちに出来るだけのことをしておく。

昨日も、夕方になって急にお寿司が食べたくなった。

そして、巻き寿司といなり寿司が少しずつ入った

少食用のものを買いに行ったのだ。

そこで、義母に会った。

義母は義父が亡くなって以来一人暮らしをしている。

だから、一人分を作るより何かお惣菜を買うことが多くなったらしい。

昨日は鯖の塩焼きと肉じゃがを買っていた。

私が一緒に作ってあげれば良いのだが

やはり好みもあるし、私自身の負担を思うと

偽善はやめようと思い、放っている。

夜は母の家に行ったのだが

母も義母と同じようなことを言っていた。

料理を作るのは二人分が一番作りやすいと。

母も煮物を作っても一人分より多目に作ってしまって

翌日も翌々日も食べねばならなくなる。

魚を買いに行ってもパックに切り身は二切れは入っている。

だから次の日も同じ魚を焼いて食べることになるのだ。

私がカレーやおでんを作ったときは

義母や母にもおすそ分けをするが

いつもは出来ないし、母もそれが仕事だから自分でするよと言う。

でも、二人ともいつかは無理になるだろう。

そうしたら私が母たちの分も作ってあげようと思う。

今はまだ元気で家事をしている二人に

私が手を出さないほうがためになるような気もする。

それにしても一人暮らしの食卓は寂しいだろうなあ・・

家族が居るということは面倒なときもあるけれど

やはり主婦としては嬉しいことなのだ。

来年は娘が居なくなる。

夫と二人がちょっと寂しい食卓を囲むことになりそうだ。

大勢でわいわいがやがやと食べるのが一番かもいいのかもしれない。


2007年06月28日(木) 良性発作頭位性めまい

昨日も朝から気分が悪かった。

ひと月に一度の心臓の病院の診察日だったので

医者に、めまいのことを話した。

医者は心臓専門の医者だから脳のことは

専門的なことは分からないと言った。

そして、神経内科を紹介してくれて受診した。

神経内科の受診は生まれて初めてだった。

やさしそうな医者は私に症状を聞き、

目を動かしたり、体を動かしたり

首を曲げたりしながらめまいを調べた。

私の頭痛はズキズキとする痛みではなく

何か紐のようなもので締め上げられるような痛みだ。

医者は私の話す症状を総括して

「良性発作頭位性めまい」と診断した。

頭を動かしたときにめまいが起きる、

メニエル氏病に似たようなものだといった。

そして、私の頭痛は肩こりが原因だとも居た。

医者は私の肩や首を触って驚いていた。

こんなに凝って固くなっている肩やあまりない。

相当ひどい肩こりだとも言った。

最近、塗り絵を一生懸命にしたし

PCも肩こりの原因になっているのだろう。

睡眠不足も誘引のひとつだとか。

このめまいは悪条件が重なったときに起きるので

今後もまた起きる可能性は大だと言われた。

あのめまいと頭のフラフラ、吐き気、頭痛は二度とごめんだ。

今日から当分塗り絵は休むことにしよう。

そして、PCもあまりしないようにしよう。

甲状腺も本当ではない。

無理はしてはいけない。

自分の体なのだから自分でコントロールしないといけない。


2007年06月27日(水) 難しい

太っている人がダイエットをしようとして

一生懸命になってもなかなか痩せられないと言う。

反対に太りたいと思っている人にとっても

1キロ太ることは出来ても

それ以上太るってなかなか難しいことだ。

大昔、私が拒食症を患っていた頃、

痩せるのは食べねば良い、

太るためには食べねばならない。

食べられない者にとって

太るということは至難の業だと本気で思っていた。

だから、母が「なかなか痩せれない、水を飲んでも太る」と

嘆いていたのを聞いて本当に不思議な気持ちがしていた。

拒食症から脱して、人よりは痩せているものの

まあまあの体重に戻れてからも

私は痩せることや太ることに神経質になっていた。

今回、バセドウ氏病になり

ひと月半の間に3キロ痩せてさすがの私も焦った。

若い頃に痩せるのは綺麗だ。

でも、中年後に痩せると見苦しい。

骨々しくなって似合う服もなくなってしまう。

冬はまだいいが夏場になると首元の空いた服を着ることが多いので

痩せているとみすぼらしいのだ。

バセドウ氏病の薬を飲み始めて効果が出てきて、

少し太ったことは本当に良かったと思っていた。

体重も40キロを越し、後少しで元に戻れるはずだった。

それなのに、昨日のことがありまた元に戻ってしまった。

顔を見てもやつれている。

いくら、心は元気で居るつもりでも

見かけが悪いと気分も滅入る。

昨日も頭がフラフラするのは続いていて

夜は脂汗が出てきた。

今日はいつもの心臓の病院の日だ。

医者に言って脳のCTでもしてもらおう。

健康のありがたさをつくづく思う。

やはり年かな・・・・

「元気が一番」親友に出そうと思う塗り絵の絵手紙にそう書いた。

彼女もまた色んな症状に悩まされることが多い。

元気で居るってなかなか難しいのだなあ・・


2007年06月26日(火) 最悪の体調

昨日は、午後から体調が最悪状態になった。

お昼までは普通に出来ていたのに

昼食を食べた途端

めまいがして頭が痛くなった。

ベッドに横になっても

頭の中で何かがぶつかり

眼を開けると天井がぐるぐる回っている。

ベッドに眼を落とすとシーツが回る。

壁もTVも机も・・・

皆ぐるぐる回っているのだ。

吐き気もするが吐けない。

とにかく居ても立っても居られない状態になった。

いつもなら数時間横になっていると治るのに

昨日は夜になっても同じ状態が続いた。

必死で夕食の仕上げをしたが

その後は倒れこむように横になった。

お風呂にも入れる状態ではない。

体を起こすことが無理なのだ。

寝る頃にやっと顔だけ洗ってパジャマに着替えて

そのまま寝てしまった。

昨日は暑くて汗もかいたがそんなことを気にすることも出来なかった。

今朝、起きてみて恐る恐る眼を開けてみた。

今朝は昨日のめまいは治まっている。

起きることは出来たが食欲はない。

でも、昨夜は何も食べずに寝たので

今朝はいつもと同じ朝食を食べた。

頭がふらっとするのは治まっていない。

昨日は母から電話があり

今日の食事の材料など買ってこようかと言ってくれた。

86歳の母に頼むわけにはいかない。

母も一人でやっとの生活だ。

今日は夫も娘も居ないから

何とか一人でやってみよう。

甲状腺の病気のことを忘れて

普段と同じようにしていたから

神様が無理をするなという警告を与えたのかもしれない。

そう、私はまだ病気なのだ。

完治はまだまだ先だ。

そのことを肝に銘じていないといけない。

昨日の午後のような体調なら

何処へも行けないし、何も出来ないのだから。


2007年06月25日(月) 母の塗り絵

去年、父を亡くし、

一人暮らしをしている86歳の母が、

最近塗り絵を始めた。

新聞に脳の活性化、

認知症予防に良いと書いてあったのを見てやりたくなったらしい。

母は小さい頃から絵を描くのは好きだった。

でも、輪郭を描くのは先生に褒められるが、

色づけするとせっかくの絵も駄目になったらしい。

だから、塗り絵で色づけをマスターしたいと思ったようだ。

母に頼まれて、塗り絵の本を買いに本屋へ行ってみて驚いた。

ひとつのコーナーに大人の塗り絵の本がいっぱい並んでいる。

風景画、季節の花々やペットの絵、有名な画家の絵、

万葉集の絵、浮世絵などなど、選ぶのが大変だった。

その中から、ポストカードになっている夏の花の本を買ってきた。

出来上がった母の塗り絵を見て驚いた。

お世辞抜きで上手いのだ。

一日かけて一枚仕上げる母は細部まで丁寧に塗り、

見本よりも上手いできばえだ。

娘も母の塗った夏の花を見て歓声を上げていた。

一人で家に居ることの多い母にとって、

今夢中になれる塗り絵の存在はとても貴重なものだ。

内緒で母の塗り絵をコンテストに出してみようかと思っている。


2007年06月24日(日) 願掛け

昔から、何かがあると

自分が好きだったものを食べないようにすることがある。

茶断ちもそうだ。

願いを掛け、

その願いが叶うまで、少々の不自由や辛さは我慢するというものだ。

私は去年、父の病気が悪くなり

もう長くないと分かった時、

あるひとつのことを断とうとした。

それが何であったかは口に出せない。

願掛けというものはそういうものだろう。

そして、父が亡くなるまでそれを続けた。

去年したことと同じことを

今回もやろうとしている。

それは何故か?

昨日の朝、夫が病気だということが分かった。

まだはっきりとはしないが疑わしいということだ。

明日は近くのかかりつけの医者のところへ行き

大きな病院への紹介状を書いてもらうことになっている。

夫は持病のC型肝炎はあるが

仕事を休むことなく毎日元気で暮らしていた。

このひと月位前から痩せてきているなあ・・t思っていた。

咳も出て熱もあった。

風邪薬をもらって飲んで大分回復している。

だから、あまり心配しなかった。

私自身がひと月前は本当にしんどくて

夫のことまで気が回らなかったのかもしれない。

夫は普段からあまりもの言わない人だから

自分の体調不良も私に言わなかったのだ。

今回、たまたま私が書類を見つけ

尋ねて分かった。

まだ、はっきりしたことが分かるまでは

私に話しても仕方がないと思っていたと言う。

大きな病院へ行く時は私も行くと言ったら苦笑していた。

でも、私はついて行こうと思う。

そして、夫の病気が治るまで

去年、父の時にしたのと同じ願掛けをしよう。

それが何かは誰にも言わず、今日から実行だ。


2007年06月23日(土) 信じられない

昨日は、久しぶりに親友とのおしゃべりを楽しんだ。

お昼前にバイキングレストランへ行き

3時まで食事とおしゃべりで時間はアッという間に過ぎた。

昨日の朝から雨がパラついていたので

雨に濡れるのが嫌いな私は

店に入る時も、勿論傘を持っていった。

店の玄関先に傘立てがあったのでそこへ傘を立てかけておいた。

昨日、持っていた傘は

今年の初めにクイズで当たって

無料で行った神戸の日帰り旅行の際

途中で雨になりコンビニで買った傘だった。

100円ショップで買う傘とは違い

透明のビニール傘でも品は良かった。

気軽にさせて重宝していたものだ。

食事をしている頃から時々雨脚が激しくなった。

店を出る頃は雨も上がっていたが

何と玄関先に立てかけておいた傘が消えていた。

盗まれたということだ。

傘を持たず店に来た人が帰りに私の傘を差して帰ったのだろう。

嫌な気分になった。

折角楽しい気分だったのに

たったこれだけのことで不愉快な気持ちになった。

でも、そう思うと私の損だ。

差して帰った人は助かったに違いない。

人助けをしたと思えば良い。

でも、信じられない思いだ。

私には到底出来ないことだ。

その人は今頃どんなに思っているのだろう。

もし、私が店を出るときに大雨だったら

濡れることは想像できるはず。

そんなことを思う人なら盗んだりしないか・・・

気にしないようにしよう。


2007年06月22日(金) 「後部座席のシートベルト着用義務」

14日の衆議院本会議で、

飲酒運転やひき逃げの罰則強化を中心にした、

改正道路交通法が可決された。

そして、自転車の交通ルールの厳格化や、

高齢者ドライバー対策と共に、

今までは「努めたい」とされていた

後部座席のシートベルト着用が義務化された。

運転席と助手席のシートベルト着用は

今では当たり前になっているが、

後部座席でシートベルトを着用している人はあまり居ない。

小さな子をチャイルドシートに座らすことをせず、

一人で後部座席に座らせたり、

大人が抱いて座っているのを見るが、

これはとても危険だ。

先日も松山道で

後部座席の子供が車外へ放り出されて

亡くなった事故があった。

9月に施行される今回の道路交通法により、

後部座席に座る人たちが

きちんとシートベルトを着用するようになれば、

事故の時の死亡率も減少するだろう。

車に乗るときのシートベルト着用は

自分の命を守ってくれるものだ。

義務化だから仕方なくという気持ちではなく、

自分の大事な命を守るために

面倒がらず着用すべきだと思う。
 


2007年06月21日(木) あわせて178歳

昨日、母の用事があり二人で三越へ行った。

補聴器の調整と電池を購入、

レストランでお昼を食べた後

父の一周忌にいただいたご仏前へのお返しを買いに

地下へ降りていった。

実は、母はどうしても梅酒ゼリーがほしかった。

でも、いくら探しても見つからない。

三越で買ったものを前にもらっていたので

母は三越へ行けばあるものと思っていたのだ。

母と地下のお菓子売り場を1時間探した。

でも、ない。

諦めていたとき、母の従姉妹であり

父の叔母であるおばさんに出会った。

今年92歳になる大叔母は

毎日三越へ来るのが日課になっている。

綺麗に化粧をしておしゃれをしてくるのだ。

大叔母のことは三越の店員で知らない人はいないくらい有名になっている。

その大叔母と会い

喫茶部に入って、1時間しゃべった。

大叔母と母の年齢を合わすと178歳になる。

その二人は目立った。

お互いに美人だしおしゃれだし

際立っていた。

母が補聴器の調節をしているときも

隣に座っていた人が席を立つときに

私に「綺麗なお母さんね」と言った。

私はこの大叔母と母の間に座り何だか肩身の狭い思いをした。

年は誰でも取る。

でも、彼女たちのように素敵に年を重ねたい。

顔かたちではなく

身だしなみをちゃんとしてそれなりにおしゃれをして

年を感じさせない人になりたい。

母にとって大叔母は目標だという。

母が92歳まで生きてくれたらどんなに嬉しいだろう。

大叔母には5歳年上の違う従姉妹がいる。

その人は施設には入っているが頭もしっかりしているらしい。

上には上がいる者だ。

大叔母はその従姉妹が目標なのだろう。

私は今の母の年齢まで生きられるか?自信はない。

でも、気持ちだけは若々しく

いつも生き生きとして過ごしたいと思う。

あわせて178歳のパワーをもらった。


2007年06月20日(水) 知覧への思い

この数日、

私の心は知覧へ向いている。

今、行きたい所は?と聞かれたら

私は迷うことなく知覧と答えるだろう。

6月23日、

もうすぐ沖縄慰霊の日がやってくる。

慰霊の日は、日本軍の組織的戦闘が終結した日だと言われている。

でも、実際には本土終戦より遅れて終結した。

日本で唯一本土決戦の地となった沖縄を思うと

本当に心が痛む。

そして、鹿児島には、

南の海に向かって飛び立っていった

特攻基地があった。

本土の最南端にある鹿児島は

自ら死に急がねばならない土地だった。

知覧から出撃した若者は

飛行機から見える薩摩富士をどんな気持ちで見たのだろう。

そこには輝く生があり死があった。

死を考えることは生を考えることである。

よりよく生きることである。

誰かのために死ぬことは

究極の死である。

戦後60年以上経ち、

日本は平和が当たり前になっている。

そして戦争反対、平和の大切さだけが叫ばれるようになった。

戦争そのものについて考えることをタブーとしてきた日本人には

パトリオティズム(郷土愛)が失われているように思う。

家族や郷土、そして国を守るために死んでいった彼らを

私たちは非難することは出来ないと思う。

知覧特攻平和会館へ行って

私はもう一度日本人の心を取り戻したいと思う。


2007年06月19日(火) 誠さん

昨日、誠さんに会えた。

4月の私の入院に対して誠さんからお見舞いをいただいていた。

私の病気は症状は軽くなっても

なかなか完治しないので

全快祝いは送れないと思っていた。

でも、最近は大分調子がよくなったので

一区切りをつけたくて

昨日、夫の運転で誠さんにお礼の品を持って行ったのだ。

姉から誠さんの体調が悪いと聞いていたので

もしかしたら店には出てないのでは?と思っていた。

でも、誠さんは車椅子に乗り

店に出ていつものように色紙に詩を書いていた。

誠さんの笑顔に会えた。

色んな話をしたが

誠さんが痛みで苦しんでいることがとても辛かった。

あの笑顔の下には苦痛が存在するのだ。

ドリルでギリギリと穴をあけられるような痛みだそうだ。

私には誠さんの痛みが分からない。

誰にも分からないだろう。

誠さんの主治医は痛みで死ぬことはないと言ったそうだが

主治医も誠さんの痛みは想像でしか分からないはず。

でも、誠さんは明るい。

闘病記は校正を重ねて来月の末に自費出版が決まったそうだ。

早速申し込んでおいた。

題名は「まことやのうた」にするとか。

ただの闘病記ではなく

それを読んでくれる人に

生きていることへの感謝

頑張ろうという力

それらを感じてもらえたら嬉しいと言っていた。

また、来年の障害者のスポーツ大会に

車椅子に乗ってする競技に参加しようと思っていると聞いた。

凄い。

県大会の次は全国大会を目指すと言う。

競技の練習もしなくっちゃと言っていた。

また、要請があると

県内の小中学校や盲学校へ講演に行かれる。

子供たちは誠さんを見て話を聞いて

元気とやる気を持つようになるという。

そして、誠さんも子供たちから力をもらうと。

誠さんにはまだまだしたいことがいっぱいあって

死ねないのだと言った。

誠さんは神様が守ってくれていると思う。

神様、誠さんの痛みが少しでも和らぎますように!

そして、今より悪くならないでください。

そう祈らずには居られない。

誠さんと話す途中で焼きたてのパンをご馳走になった。

本当に美味しかった。

熱々の出来立てのパンを食べる機会なんてそうあるものではない。

私の病気を心配してくれる誠さん、

本当に有難う。

会えて良かったです。


2007年06月18日(月) 飲食の場はすべて禁煙に

最近、家族や友人とランチを食べに行った時、

禁煙席に座っても、

タバコの煙で不愉快な思いをよくする。

先日は喫煙席が存在するという理由で、

店に入るのをやめた。

公共の場での禁煙は一般的になり、

タバコ嫌いな者にとって

安心して出かけることが出来るようになった。

しかし、飲食店での禁煙は完全実施されていない。

禁煙席はあるものの、

店内には喫煙席も設けられていて、

仕切りのない空間において、

タバコの煙や臭いをシャットアウトすることは不可能だ。

食事の場での喫煙は、

一番マナー違反だと思う。

紫煙は有害だし、

臭いもせっかくの美味しい料理の味を悪くする。

タバコ好きな人は、

食事の間だけでも禁煙できないのだろうか。

今、世界規模で禁煙運動が行われている。

この世からタバコを無くせば良いのにと思う。

それが無理なら、

タバコを吸いたくても吸えないくらいの値段にすればいい。

せめて、食事の場所での喫煙は全面禁止してほしい。

タバコは吸う人だけの問題ではないのだから。


2007年06月17日(日) 父の日

今日は6月第三日曜日、「父の日」だ。

私には父と呼べる人が居ない。

去年、私の父も夫の父も亡くしたから。

だから、父の日に父へプレゼントすることはもう出来ない。

私の年齢で父が居ること自体幸せなことなのだろう。

一昨年までは気付かなかった。

デパートに行ってもショッピングセンターに行っても

父の日セールをしている。

若い女性が父親らしき人にパジャマを買っているのを見た。

羨ましいなあと思った。

私にとっては父ではないが

夫にボタンダウンのシャツを買ってプレゼントした。

娘は今日夫に何か買ってくると言っている。

娘にとって父の存在は大きい。

大好きな父親だ。

父親が居たから娘は今までトラブルもなく

成長できたのだと思う。

私一人では心身共に健全な人間に出来たかどうかわからない。

幼稚園では父の日の参観日も行われると言う。

今、日本では父子家庭が急増しているとか。

母子家庭と違って国の援助もない。

父親は仕事と家事の両立が求められる。

やはり父親って偉いものだ。

今夜は三人で娘にとっての

父の日の感謝の気持ちで何か美味しいものを食べに行こう。


2007年06月16日(土) 眠れない

最近、また眠れなくなった。

寝ていると不整脈が気になって

気持ち悪くなって起きてしまう。

昨夜は本を読んでいるうちに

23時が過ぎてしまった。

今朝は3時前に目が覚め

体を横にしていたら、

脈の乱れが余計に気になり起きることにした。

二ヶ月前に比べると

大分体調もよくなった。

完治はまだまだ先のようだが

日常の生活ではしんどさをあまり感じない。

これも薬の効果だろう。

もし、今薬を飲むのをやめたら

きっとまたぶり返すに違いない。

やはり、私は病気の治療中だということを

肝に銘じて無理はしてはいけないのだと思う。

それにしても、

朝早く目が覚めるのは老化かな・

若い人はどんなことがあっても

なかなか目が覚めることはないはず。

娘も起きれないタイプだ。

若さがうらやましいことがある。

老化だとしたらちょっと淋しい。

今も脈は乱れている。

でも、寝ている時に比べると座っていたり

起きて動いている時は気付かないから楽だ。

不整脈の薬を飲むのをやめて久しいが

その影響だろうか。

次の受診日に先生に話してみよう。

洗濯物のアイロンがけが済んだ。

今から朝の食事の支度と夕食作り、

娘の模擬試験のための弁当作りをしよう。

今日は昼寝でもしなくっちゃ。


2007年06月15日(金) 安部政権の行く末

松岡農相の自殺、

社保庁の年金記載漏れなどの問題により

安部政権の支持率が低下してきている。

小泉政権を支持した若者離れが目立つらしい。

もちろん、年金問題は

私たち国民の身近な問題であり切実な問題だ。

年金問題の責任は国民にはない。

しかし、自民党だけにあるのだろうか?

私は、年金問題が安倍政権だけに問題があるとは思わない。

責任は、年金受給者の登録番号を一括させた時点からの歴代の内閣と

紛失のおそれがあるのに、

それをチェックしなかった野党の責任もある。

民主党の後ろに居る自治労の問題でもあるのに、

民主党がまるで鬼の首をとったかのように

自民党の責任を追及しているのを見て

おかしいと思う。

国民の不安を増大させたのは

国会全体の責任である。

民主党はこの問題を参議院選の攻撃材料にしているのが見苦しい。

安部首相がやってきた

憲法、教育、環境、地域再生、公務員改革など

国の存在にかかわる問題をもっと重視すべきだ。

もし、中国や北朝鮮が日本にミサイル攻撃したなら

年金問題などぶっ飛んでしまうはずだ。

国として一番大切な問題をどこかへ置き忘れているかのような

今の安部政権に疑問を覚える。


2007年06月14日(木) 授業参観

昨日は高校三年の娘の高校の公開授業が開かれた。

つまり自由に授業参観が出来る日だった。

小学校、中学校での参観日には必ず行っていた。

一学期に一回はあったように思う。

父の日が近づくと「父親参観日」なるものがあり

父親の居ない子どもはきっと寂しい思いをしているだろう、

普通でも、仕事を持っている母親に

見に来てもらえない子供も居る、

そんなことを思いながらそれでも毎回出席した。

高校ではさすが参観日などないと思っていたが

公開授業という形を取り

中学生関係者も見に来ていた。

昨日行った娘の授業は地理だった。

私は歴史を勉強したから地理はあまり好きじゃなかった。

でも、昨日の授業が国家をテーマにしたもので

植民地や租借地、保護国などの勉強だった。

この数年真実の歴史を勉強し始めている私にとって

国家はとても重要な問題なので

興味深く参観出来た。

授業の中の保護国・保護領の話になったとき。

保護国になるのは軍事力のない国であると教師が言った。

ならば、日本はアメリカの軍事力に頼っているのだから

日本は独立国ではなく保護国ではないか?

思わず手を挙げて質問したいと思ったくらいだった。

授業は50分。

中には寝ている男子が二人居た。

娘は授業を集中して聞いている様子、安心した。

娘の参観も昨日が最後になるだろう。

来年は娘にかかわることも少なくなると思うと

何か寂しい気がする。


2007年06月13日(水) 100000番

今、ここを開けたら99974番になっていた。

100000番まで後少しだ。

誰が100000番をゲットされるのだろう。

記念に何かプレゼントしようと思っているが

連絡してくれると良いな。

今まで開いていたHPも閉じ

このつぶやきと友人から紹介されたミクシィの日記しか残っていない。

でも、出来るだけ毎日書くようにしている。

書くことが私の心の発散にもなるし

後で見たとき「ああ〜あんなことを思っていたのだなあ・・」と

懐かしく感じるだろう。

この日記はずっと続けていたい。

私が元気で居られる間、続けよう。

誰も見てくれなくなったとしても

自己満足の世界に過ぎなくなったとしても・・

今日思うこと、あったこと、希望することなど

私の心の思うままに素直に書き続けたいと思う。

100000番をゲットされた方

下のMAILからご連絡ください。

お待ちしています。


2007年06月12日(火) 李登輝氏の来日

5月30日、台湾の前総統李登輝氏が来日され、

6月10日に離日された。

李氏はお兄様が戦死され

靖国神社に祀られているのをおまいりしたいという気持ちと

芭蕉の足跡をたどる奥の細道を歩きたいという思いで日本に来られた。

このことが日中関係を悪くするなどと

心配した新聞もあったが

今回の来日は台湾と日本との関係を

改めて見直すいい機会になったように思う。

日本の大学に学び日本人として生きてこられた

李登輝氏の顔は明るく輝いていた。

台湾の民主化を実現したことは

本当にすばらしいことだと思う。

李氏も一生の誇りと仰っている。

7日には靖国神社を参拝された。

先の戦争で日本兵として戦士し、

靖国神社に祀られている亡き兄をしのばれた。

帰国される前に行った記者会見では

中国批判もしたが、

その中で韓国や中国が

日本の首相の靖国神社参拝に対し批判すること自体

間違いであり、それは

自国内の問題を処理できないゆえに

靖国問題を作り上げたものだと言った。

その通りだ。

また、台湾の独立については

サンフランシスコ条約で

日本が台湾を誰に返還するかについては

一言も書いていない。

台湾の主権は今はまだ不明瞭だが

実態は台湾人が主権を握っている。

つまり台湾は中国のものではなく

一国として存在していることを主張された。

こういうことは歴史事実を知ればもっともなことだと思うだろう。

今回の日本訪問はペットボトル事件は起きたが

とても意義のあるものだったと思う。

それにしても、日本のサヨク新聞の取り上げかたは笑ってしまった。

中国は李登輝氏の訪日に激しく批判しなかったのは

決して日中関係が改善されたのでもなく

李登輝氏の影響力が小さくなったためでもない。

中国は来年の北京オリンピックの開催の実現のために

反日を抑えているだけなのだ。

そうしたことは誰が考えても明白なのに

朝日新聞の報道は最悪だと言える。

それにしても、親日派の李登輝氏の訪日を

もっと日本政府は歓待するべきだったと思う。


2007年06月11日(月) 大人の塗り絵

今、塗り絵にはまっている。

数日前、母が「塗り絵をしたい」と言い

頼まれて本屋へ塗り絵の本を買いに行った。

ひとつのコーナーにはさまざまな塗り絵の本が並んでいた。

花、動物、鳥、風景、万葉集、源氏物語・・・

などテーマ別に初心者用から

高レベルのものまであった。

母は風景画が好きだから

「初心者でも塗れる色鉛筆で塗る風景画」を買ってきた。

そして、母が楽しそうに塗っているのを見て

私もやろうと思いまた本屋へ行った。

でも、私が塗りたい本がなくて

母が買ったものから2ページ分けてもらった。

そして塗り始めたのだ。

思っていたより難しい。

脳の活性化、認知症防止に良いはずだ。

細かな作業は指先も脳細胞も使う。

見本を見て塗るだけだから

易しいと思っていたが大間違い。

私が持っている水彩色鉛筆の色では塗れないので

昨日、法事の帰りに60色の水彩色鉛筆を買ってきた。

色を塗りその後筆に水をつけて上をなでると

ぼかしやまるで水彩画のようなタッチになる。

簡単なようだがこれも難しい。

絵手紙のほうが楽だ。

でも、なぜかはまってしまった。

今日も家事を終え、塗り絵の続きをしよう。

肩こりがひどくならない程度に。


2007年06月10日(日) 父の一周忌

去年、6月13日に亡くなった

私の父の一周忌を今日行う。

あれから一年・・

本当に早かったと思う。

去年の日記を読み返していると

父のことばかり書いている。

父が最後の入院をして

私が病院に付き添って

自宅に連れて帰ってからも

ずっと父の傍に居た私。

父の容態は段々悪くなり

水一滴も口にしたら駄目になった。

それでも、喉の渇きのために

飲みたいと訴える。

飲んだら吐くのは分かっているから

医者は飲ませないように言った。

でも、父の水分を欲求する顔を見ていたら

吐いても良いから

ちょっとでも何かを飲ませてやりたかった。

カキ氷をかいて一匙口に入れてあげると

本当に嬉しそうな幸せそうな顔をした。

私に「有難う」という父の顔を

私はまともに見ることが出来なかった。

亡くなる日も

スイカの汁が飲みたいと言った。

私は近くのスーパーへスイカを買いに行き

絞ってスイカの果汁を父に飲ませた。

父はごっくんと美味しそうに飲み込み

また吐いた。

今年もスイカの季節になり

スイカを口にするたびに

父の顔を思い出す。

あれから一年、

今日は賑やかで楽しいことが好きだった父のために

涙を見せない、

和気藹々とした

良い一周忌にしたい。


2007年06月09日(土) メール0

私がPCを始めて5年になるが

ついにメール0の時代が来た(笑)

あれほど毎日たくさんの人たちと

メール交換をしていた頃が懐かしい。

メールの返事を書くだけで相当の時間を費やしていた。

一日10人は下らなかった。

そして、毎日が生き生きとキラキラと輝いていた。

人は飽きる動物だ。

はじめは夢中になってしていたことも

段々と飽きてくる。

だから、私にもメールが来なくなったのだと思う。

私はメールが着たらよほどのことがない限り

必ず返信を書く。

そして、こちらが返事をしても

相手から来なかったらそれ以上はしない。

だから、私のメールが続くかどうかは

相手次第だ。

この数日前

唯一のメル友に返事を書いたが

その後何も返事がない。

忙しいのかもしれないが

何か寂しい気がする。

でも、まあ良いか・・

これで良しとしよう。

メールのことは気にしないようにしよう。




2007年06月08日(金) 出生率増加の上昇に期待

一人の女性が生涯に産む子供の数が少し増えたようだ。

厚生労働省の人口動態統計によると、

平成18年の合計特殊出生率が

6年ぶりに上昇したことが分かった。

過去最低だった去年に比べると

大幅に増加したみたいだ。

ここ数年、生まれる子供の数は段々と減り、

少子化対策が大きな課題になっている。

去年は景気回復に伴う雇用状況が改善され、

結婚や出産が増えたのだろう。

このまま景気が順調に回復し、

今後も出産する人が増え、

一人っ子家庭に二子、三子が生まれることを期待したい。

医学の進歩、食生活の改善により、

長生きする人が増え、

将来の日本は老齢者の数が大きな割合を占めるようになるだろう。

もし少子化が続けば、

福祉や介護に問題が起きてくるのは明らかだ。

そのためにも、

女性が仕事をしながらでも

出産や育児が出来る社会をつくっていく必要がある。

安部首相のいう、「美しい国日本」の未来は、

これから生まれてくる子供たちの手にかかっている。 


2007年06月07日(木) クジラの肉はもう食べられないの?

我が家の昨日の夕夜の主菜は、

近くのスーパーのお惣菜売り場にあったクジラのカツだった。

ミンククジラかどうかは分からないが、

珍しさもあって買ってきた。

そのクジラのカツを食べながら、

もう日本ではクジラを食べることが

出来なくなるだろうかという話題になった。

米アラスカ州アンカレジで開かれていた

IWC総会の最終日に日本政府代表団は、

日本が提案した沿岸小型捕鯨再開が

受け入れられないことに対して、

IWC脱退も辞さない構えをみせたという。

今回の総会で日本側は、

米国やロシアなどの先住民に認められている、

先住民捕鯨と同じように、

和歌山県の太地をはじめとする

日本国内4カ所でのミンククジラの沿岸捕鯨を

再開できるように提案した。

しかし、先住民捕鯨と違って、

日本の沿岸捕鯨は商業的だという理由で拒否されてしまった。

日本人がクジラを食べることは、

先祖からずっと続いてきた日本文化だ。

反捕鯨国がいう捕鯨は残酷だという理由は納得できない。


2007年06月06日(水) 読みたかった本はなし

私が是非読みたいと思っていた本は

在庫切れで出版元にもないという結果になった。

こうなるとおかしなもので

余計に読んでみたくなる。

どうにかして手に入らないだろうか・・

出版社に電話して取り寄せたい気持ちを話したが

担当の人はとても親切で

事情を話してくれたし

私の問い合わせが嬉しいとさえ言ってくれた。

この本に書かれていることは

私がネットで読んだことと大体一致するらしい。

この本は小冊子で

自費出版的なもので元の発行部数も少なかったのだそうだ。

それなら無理はない。

でも、教科書で教えられなかった

信長とキリシタンとの対決と野望は

子供たちに伝えておくべきことだと思う。

それにしても

戦後教育の歪み、

特に歴史の歪みはひどかったものだ。

私に出来ることは

真実を知り

誰かに伝えていくことしかない。

一歩一歩、少しずつ実行できたら嬉しい。


2007年06月05日(火) 漫画

正直言って、私は漫画が好きじゃなかった。

小さい頃からあまり読まなかった。

高校受験の前、

気分転換に週間・月間少女マンガを買って読んだ記憶はある。

私は漫画の世界に入っていけないそんな気がしていた。

娘は漫画を夢中になって読む。

それも男性向けの漫画だ。

小さい頃は少年ジャンプをよく読んでいた。

その中でも特別好きな漫画があり

単行本として、新刊が出ると急いで買いに行き

勉強もせず読みふけっていた。

時には涙を流しながら読んでいる時もあった。

そんな娘の姿を見て理解できなかった。

漫画の世界を理解できなかったのだ。

それなのに、

先日一冊の漫画を私が買った。

フランス革命の頃のある女性の生き方を描いたものだ。

今までなら見向きもしなかったのに

何故かとても惹かれたのだ。

一気に読んだ後で

漫画を読む人の気持ちが少しだけ分かった気がする。

文字で書かれた小説とが違い

読み手にダイレクトに伝える力があると思った。

絵と文字の両方で攻めてくるといった感じがする。

何でも偏見を持つのはいけないと思う。

漫画も文化であり

麻生外相の提案する漫画のノーベル賞もいいかもしれない。

食わず嫌いはやめよう。


2007年06月04日(月) 晴れ間

まだ梅雨には入ってないが

最近は曇り、小雨の日が多くなった。

もうすぐ入梅。

こうなると晴れの日が嬉しくなる。

梅雨になると、

洗濯物がカラッと乾かないし、

部屋中がじめじめしてくる。

気持ち的にも鬱陶しい。

今日は東の窓が朝日で赤くなっている。

一日晴れそうだ。

大きなものの洗濯も出来そう。

元気ならどこかへバラでも見に行きたい気分だ。

この数日は調子が悪くて

昨日もベッドに寝ている時間が多かった。

今朝はまた顔が腫れていた。

気分も滅入りそうだが

ここで落ち込んでいてはどうしようもない。

今日の晴れのように

心だけでも晴れ晴れとしていたい。

今日は洗濯物も気持ちよく乾くだろう。

私の心もカラッといくかな?


2007年06月03日(日) スイカ

今年初めてスイカを食べた。

熱もあってだろう、

喉の渇きがひどくて

買い物に行った時、目の前のスイカに釘付けになった。

大げさだがその通りだった。

試食できたので一切れ食べてみた。

喉が潤った感じがして即買った。

私は元々スイカが大好きだ。

スイカが果物の部類に入るのなら、

スイカが一番好きな果物ということになる。

去年の今頃亡くなった父が、

ある日私にスイカの汁が飲みたいと言った。

父は、飲食できず点滴だけで生きていた。

唾液さえ胃にたまると吐き続けている頃だ。

まだ甘くないかもしれないと思ったが

スイカを買って来て絞ってスイカの果汁を父に飲ませた。

父は本当に嬉しそうな顔をしていた。

数秒後にはすべて吐いてしまったが

スイカの果汁は父の喉を潤したに違いない。

そんなことを思い出しながら、

私のお昼はスイカで済ませた。

一人で食べるのは悪い気がしたが

スイカを食べている時だけ

体調不良を忘れることが出来た。

糖度はあまり高くなくそんなに甘いと思わなかったが

私には美味しいと感じられた。

夕食後に食べた琵琶よりも美味しかった。

これからは段々とスイカが美味しくなる。

弱った体にはスイカが嬉しいものになりそうだ。


2007年06月02日(土) 無理をしたのかな・・・・

一昨日と昨日は数ヶ月前の私のように

しんどさもなく普通に家事をこなすことが出来た。

薬を飲み始めて二週間が経って

その効果も出始めて良かったと思っていた。

でも、昨夜7時頃からとてもしんどくなり

熱も37度以上出て

なんともいえないあのしんどさが戻ってきた。

昨夜は娘が帰宅して夕食を食べたのも

その後お風呂に行ったのも

知らずに寝ていた。

夫が皆やってくれたみたい。

洗濯物を家の中に干すのも

食後の片付けも皆してくれていた。

今朝は5時半に起きたが少し楽になっている。

やはり、この数日昼間横になることをしていなかったのがいけなかった。

休みながら家事をこなすべきだった。

昨夜の熱は私にそのことを教えてくれたのだろう。

今日からまたゆっくりと過ごそう。

来週の日曜日は父の一周忌だ。

その日のためにも今は何もしないで居よう。

無理はしてはいけない。


2007年06月01日(金) まるで子供

昨日、二ヶ月ぶりに美容院へ行った。

いつものようにカラーをした後カット。

私は今の長さが好きだったので

毛先を揃える程度にしたかったのに

先生に任せたら本当に短くなってしまった。

前下がりのボブだ。

今までのに比べるとちょっと大人っぽいボブだというが

前から見たらまるで子供になってしまった。

母は若くなったというがこれって・・

髪は伸びるから後二ヶ月経ったらまあまあの状態になるだろう。

でも、それまでいつも鏡をのぞきそうになる。

顔かたちは整形しない限り直らないが

髪型は自由に変えられるし

女の人は髪型で感じが変わる。

だから、いつも綺麗にしておきたい。

今回の髪型の愚痴を言っても仕方ないから、もうやめよう。

でも、10日の父の一周忌にはこの短い髪で行かないといけない。

ああ〜憂鬱。


スカーレット