スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2007年05月31日(木) タイタニック号

数年前に上映された映画「タイタニック」は

真実を描いてないと友人から教えられていた。

では、真実とは何か?

そんな思いが最近強くなり

他のタイタニック映画を観たくなった。

どの映画が一番真実に近いのか?

「タイタニックの最期」のビデオをレンタルしてみた。

この映画は家族の愛、別離をテーマにしていて

デカプリオの映画とはまた違っていた。

タイタニック号の遭難時

近くに船が居たことを知っているだろうか?

カリフォルニアン号が居たのだ。

そして、タイタニック号へ氷山の存在を知らせている。

でも、タイタニック号はその知らせを無視し悲劇が起きた。

救助したのはカルパチア号だ。

でも、カリフォルニアン号の存在を描いたものはほとんどない。

昨日、観たビデオ「SOSタイタニック」では

このカリフォルニアン号の存在を描いていた。

もし、はじめにこの船からの連絡を受け

それなりに処置をしていたら

あの悲劇が起こらなかったのではないかと思う。

また、タイタニック号は沈没させられた

誰かの陰謀だという説もある。

オリンピック号という同じ型の船の存在の関与があり

船を持っている会社が

保険金を受け取るためにわざと起こした事故であったら

とても恐ろしいことだと思う。

まだまだなぞに包まれているタイタニック号のこと、

本でも読み、残る映画を観て知りたいと思う。


2007年05月30日(水) 繕い

今朝、着替えして最後にソックスをはいたとき

何か足の裏に違和感があるので

脱いで見てみると

左のソックスの踵に二センチ大の穴が空いていた。

いつもなら、捨ててしまう私だが

五本指のお気に入りのものだったので

穴かがりをして修繕した。

糸と針を持って繕っていると

昔は母がいつも靴下の穴をこうしてかがっていたのを思い出した。

私が子供の頃は

戦後で物もあまりない時代で贅沢など出来なかった。

穴の空いた靴下を繕ってはくのが当たり前の時代だった。

そして、繕ってもらった靴下を履くのに

何の抵抗感もなかった。

あれから50年が経ち日本全体が豊かになり

物が溢れるような時代になった。

100円ショップでもソックスが売られている。

はき捨ての時代と言っても良い。

でも、考えたら物を大事にしなくなったということだ。

こうして、穴の空いた靴下を繕って履いている人は

どのくらい居るのだろう。

年を取った人の中には

物を粗末にしないという心があって

繕うことをしているかもしれない。

でも、若者は繕った靴下なんて

かっこ悪いと言って履かないはずだ。

使い捨ての時代に

こうして穴を繕うということは

心を繕っている気がした。

今の日本から消え去ろうとしている

繕うという心を大切にしたいと思う。


2007年05月29日(火) 靭帯炎症

昨日、整形外科へ行ってレントゲンと血液検査をした。

医者は靭帯に炎症があるのでは?と言った。

湿布をもらい冷やすように言われたので

その通りにしていたら

一昨日に比べたら痛みは減った。

医者は大げさに言ったのかもしれない。

でも、昨日は一日中一度も横になることがなかったから

夕方になるとしんどくて・・・

やはり無理をしたらいけないのだろう。

昨日は松岡農相の訃報を聞き驚いた。

自殺であれ何であれお亡くなりになったことは

とても悲しいことだ。

でも、国民としたら

真実を国民に話すべきだった気がする。

亡くなった人に鞭打つことはしたくないが

真相がこれで分からなくなるとしたら

あまりにも無責任だと思う。

このことが安部首相の支持率の減少

参議院選挙に影響が出ることが心配だ。

自殺は残された人に心の傷を与える。

やはり罪だ。


2007年05月28日(月) 次から次と

この体調の悪さに加えて

次から次と色んなことが起きる。

一昨日の朝起きてみると

左目の隅が真っ赤になっていた。

鏡で自分の目を見ると気持ちが悪い。

この目で人と話すと相手も嫌だろう。

目薬をさしても治らない。

白い部分が真っ赤になっても

たいしたことはないと聞いている。

眼科に行こうかと思ったがしばらく様子をみることにした。

昨日は従兄弟の法事に行ったが

帰宅した頃から左の足の膝の痛みが出てきた。

じっとしていてもずきずき痛む。

立ったり座ったりするときや

足を曲げるときに痛みがひどくなる。

正座はなんともない。

脛のお皿の部分を押さえると

飛び上がるほど痛む。

関節炎になったのかな・・・

素人では分からないから

今日は整形外科へ行こうと思う。

それにしても、この二ヶ月というもの

よく次から次と体の故障が出てくるものだ。

なんて感心してはいられない。

体中が悲鳴を上げているみたい。

どこでもいいから

ひとつずつ治ればいいのに。

まあそんなことを言わず

今日は医者へ行こう。


2007年05月27日(日) またまた

今朝体重を測ってみると

服を着たままで

38キロ台だった。

少しずつ食べているのに

なぜ太らないのだろう。

バセドウ氏病の特徴は

食欲があり食べても食べても痩せる。

でも、私は食欲は亢進していない。

前と同じだ。

でも、痩せるのは病気のためだろう。

若い頃痩せていたときには

感じなかった恐怖感をおぼえる。

別に死ぬほどやせているわけではない。

芸能人はもっとスマートでスリムだ。

だから、気にしないでいいと思うのだか

これから夏場になり

肌を出す機会が多くなることを思うと

あまりに痩せていると見苦しいし

自分でも嫌だ。

薬は効かないのだろうか。

熱も出るし動くと息切れもする。

私は結構勝気だから

こういった症状の中でも

家事を頑張りそのほかのこともやろうとする。

それが無理なことなのだろう。

もっとずぼらになって休むべきだと分かっていながら

それが出来ないのはバカとしか言いようがない。

今日も母を連れて従兄弟の四十九日法要に行く。

姉に頼んで家で休めばいいものの

それはサボることで悪いことだと思えて仕方がないのだ。

本当にバカな私。


2007年05月26日(土) 母ちゃん

自分の母を呼ぶ呼び方は人それぞれだ。

男の人は「おふくろ」と呼ぶ。

「お母さん」「お母ちゃん」「お母様」「ママ」「おかん」

そして、「母ちゃん」。

私は母のことを「母ちゃん」と呼んでいる。

母は86歳、私は55歳、

こんな年になっても、

私にとって母は「母ちゃん」なのだ。

もちろん、他人に母のことを話す時は「母」と言う。

まさか、いい年をして「私の母ちゃんはね・・」とは言えない。

若い頃、「母ちゃん」という呼び方をやめ

ちょっと上品な感じのする「お母さん」と呼ぼうとした。

母の前に立ち、勇気を出して「お母さん」と言おうとしたが

喉元まで出ていても結局口からこの言葉は出ることがなかった。

恥ずかしかったのだ。

私には似合わないと思ってそれ以来「お母さん」と呼ぶのはやめた。

娘が生まれて、初めて話した言葉は「カア」だった。

これは「お母さん」のことだ。

そして「母さん」になり「お母さん」になった。

娘は今まで一度も「母ちゃん」とは呼んだことはない。

TVドラマの中で、「母ちゃん」と呼んでいるシーンを見ると

「ああ〜やっぱりいいなあ」と思ってしまう。

私にとって母はいつまでも「母ちゃん」なのだと思う。

でも、変かな・・



2007年05月25日(金) 秋のゴールデンウィーク構想に疑問

与党内で、11月3日の文化の日を中心にして、

10月の体育の日と

11月の勤労感謝の日を移動させて、

秋のゴールデンウィークを設定しようという動きがあるらしい。

そして、公明党をはじめ、

与党の参議院選挙公約の目玉にしようとしているとのこと。

働く人たちにとっては連休が増えることは嬉しいだろうが、

安易に設けて良いものだろうか。

祝日は一つ一つ意味を持っている。

体育の日は、今では10月の第二月曜日になり

日・月と連休となっているが、

元々は、東京オリンピックが開催された日である10月10日だった。

文化の日は明治天皇がお生まれになった日で、

明治節と言われていたが文化の日となっている。

勤労感謝の日は、

天皇陛下がその年に収穫された穀物を神前にささげて、

収穫を感謝し翌年の五穀豊穣を願う儀式である、

「新嘗祭」を引き継いでいる。

こういった祝日の意味を考えると、

秋のゴールデンウィーク構想など愚かなことだと思えて仕方がない。


2007年05月24日(木) 四つ葉のクローバー

昨日の昼下がり、

玄関先で洗濯物を取り入れていたとき、

散歩帰りの近所の人から

「押し花にしたら良いよ」と

四つ葉のクローバーをひとつ手渡された。

手のひらの中のクローバーは少し元気がなさそうだったが、

私は思わず歓声を上げた。

小さい頃、公園に遊びに行くと、

遊具で遊ぶより、

周りに生えているクローバーの中から

四つ葉を探すのに夢中になった。

しゃがみこみ、両の手を地面につき、

目をこらしてそこら中を探す。

でも、なかなか見つけることが出来ない。

家に帰る時間が近づいても、

一枚は見つけようと意地になって探したものだ。

そして、一枚でも見つけると、

歓声を上げ、

クローバーを持った手を上に上げて

自慢げに友人に見せたりした。

大人になっても、

四葉のクローバーは私にとって特別なものになっている。

クローバーの3枚の葉は、

愛情、希望、信仰を表し、

もう一枚加わるとそれは幸運の意味だという。

バセドウ氏病になり、

しんどい日々を送っている私にも、

きっと幸運が訪れるに違いない。

いただいた四葉のクローバーを電話帳の間にそっと挟んだ。


2007年05月23日(水) 夫婦の時間

私たち夫婦が会話する時間

というより、共に過ごす時間は

合計20分くらいしかない。

娘が生まれて以来寝室は別、

顔を合わせるのは

朝10分と夜10分だけだ。

元々無口な夫だから

私もあえて話しかけようとするのをやめた。

夫婦なんて名前だけ。

お互いの存在は無視。

これで良いと思う反面、

来年、娘が県外の大学へ進学して

家を出た後のことを思うと憂鬱になってくる。

夫は毎晩同じ敷地内の義母のところへ行く。

最低3時間。

つまり8時に行けば11時までは帰ってこない。

義母を大切にするのは良い。

でも、そんなに義母の家の居心地が良いのなら

すべての生活を義母のところでしたら良い。

私との時間より義母との時間が大切なのだろう。

寝室も別の私たちが

せめて会話できるのは夜の数時間しかない。

でも、夫が義母の家から帰るのは

私がもう休んでいる時間だ。

このことが

私たち夫婦の亀裂を生み

家庭内離婚を生み出したということを

夫も義母も意識していないのだろうか・・・

いっそ離婚したら良いと思うが

悲しいかな私には生活能力がない。

身障者の私が娘を育てる自信はない。

だから、我慢して今まで居たのだ。

でも、私が病気になり

気持ちも不安になるときでも

夫は私のそばには居ない。

いつも義母のそばに居る。

ああ〜〜夫婦って何だろう・・・


2007年05月22日(火) 気持ちの良い朝

朝の早起きは気持ちが良い。

早寝早起きの習慣は小さい頃からのものだ。

昔はTVもなかったから

午後9時前には寝ていた。

朝は早起きして近所を散歩していたが

特に夏の朝の清々しさが好きだった。

家の前の畑には

真っ赤に熟れたトマトや緑のきゅうりがなっていた。

裏の川では川面にキラキラ朝日が当たって綺麗だった。

そんな朝の好きだった私は

今も早起きが苦にならない。

でも、この最近はもう少し寝ていたいと思うようになった。

やはり病気のせいだろう。

私が朝4時前にぱっと目が覚め

さっと起き上がれるのが

私の健康のバロメーターだ。

今日のように朝起きるのが大儀な日は

体調もよくない証拠だ。

気持ちの良い朝だと思えるからだになりたい。

健康で早起きできる日が早く来るように願っている。


2007年05月21日(月) 愚痴

愚痴は言いたくないと思っていた。

たとえ、体は病気でも心まで病む必要はないと

天風先生も言っている。

どんな苦境に陥っても

心だけは元気で居たいと思っていた。

でも、この数日のしんどさに

心まで負けそうになってしまう。

今朝も起きたくない気持ちを押して4時半に起床。

体を横にしているときには感じない

体のだるさとしんどさ、

歩くと息切れする苦しさが襲ってくる。

こんなことが繰り返されているうちに

心まで弱ってしまうのではないかと不安だ。

薬を飲み始めて5日が過ぎた。

即効性はないと思うが

少しずつ楽になるのではないかと思っていた。

でも、全く変わらない。

本当にしんどい。

何もやる気が出ないのに無理して動いている。

入院したい。

ずっと寝ていたい。

この家に居る限り寝ているのは不可能だ。

どうしても動かないと誰も何もしてくれないのだから。

動かざる終えない。

それにしてもしんどいな・・・

元気になれるのだろうか・・・

今の私には自信がない。


2007年05月20日(日) 耳鳴り

昨夜9時頃、耳鳴りが始まった。

キーンという音ではなく

例えば、ファンヒーターをつけているときに聞こえる音、

換気扇が回っている時の音のような

ゴーという音だ。

そんなに大きな音ではない。

でも、隣の娘の部屋でファンヒーターをつけているのか?と思ったくらい

耳障りな音だった。

自分が寝ている部屋だけではなく

台所もピアノを置いている部屋も

何処へ行ってもその音は聞こえた。

生きているのだから耳鳴りくらいはあるだろう。

今の病気のストレスからきているのかもしれない。

あまり気にしないようにしようと思うが

やはり静かな部屋でその音ばかりが気になり

不眠になってしまった。

あまりひどければ耳鼻科へ行こう。

昼間は雑音でまぎれているかもしれない。

夜にしか感じない音かもしれない。

どちらにせよ、

今の私には負担になることだ。

昨日は一日最高にしんどかった。

午前中は寝ていたが

午後はやはり動くときつかった。

歩くだけで息切れして足も重たいのだ。

バセドウ氏病は二年では治らないかもしれない。

5年かかるかもしれない。

一生の病になるかもしれない。

これ以上苦しいことはお断りだ。

耳鳴りなんて余分なものだ。

今日は治っていると良いな。


2007年05月19日(土) タイムスリップできるとしたら

昨日、姉から電話があり

あるタウン誌に、私たちが生まれた所のことが載っているとのこと。

早速、見ていると確かに載ってる載ってる・・・

ここに引用してみよう。

テーマは「もし、時計の針をも度sるなら」というもので

ここに一人の女性が次のような文章を書いていた。

「東拓川町」、この町名を覚えている人いますか?

今は石手川土手の緑地になっています。

周りは石手川(新立橋〜中村橋の間)。

多賀神社と自然がいっぱいでした。

幼なじみの道ちゃん、直ちゃん、悦ちゃん、ふみちゃんどうしているかな?

時計の針を戻せるものなら、

小学校低学年に戻り、

日の暮れるのも忘れてみんなと一日中遊びたいですね。

そして、安川のおいちゃんの貸しボートに乗って水遊びをしたいです。

昔の石手川は水も流れ、ホタルも飛んでいたんですよ。

以上のように書かれてあった。

私の名前もこの文中に出てきている。

姉の名前も、隣家の女の子の名前も。

これを書いたのはいったい誰だろう?

私の知っている人には違いない。

姉と誰だろう?と話し合ったが結局分からなかった。

でも、今回のことで

急に生まれた所への懐かしさがこみ上げてきた。

私にとって人生の原点であり

心のふるさとになっている家はもうない。

でも、小さい頃に遊んだ色々な思い出は

今も私の心の奥に存在している。

あの頃はものもなくお金もなく

不自由な生活だったけれど

心の豊かさだけはあったと思う。

私にとって大切な大切な思い出の場所だから。



2007年05月18日(金) ソラマメ

最近は一年中色々な野菜を食べることが出来るようになったが

やはり季節の旬のものを食べるって良いものだ。

毎年、父の大好物だったえんどう豆と

母の大好きなソラマメを口にしていたのに

今年は母が炊いてくれたえんどう豆のご飯を一度食べただけだった。

一昨日、近くのスーパーに買い物に行った時

100円で袋つめ放題のソラマメを売っていた。

小さな袋だったが袋いっぱい詰めると結構な量になった。

ソラマメを煮るのより

シンプルに塩茹でしたのが好きだから楽しみにしていた。

するとその日の夕方

近くの農家の知人が私のことを気遣ってお見舞いに来てくれた。

そして、収穫したばかりのソラマメを

大きなスーパーの袋にいっぱい持ってきてくれた。

買わなければ良かったと思った。

新鮮なソラマメは本当に美味しそうだった。

義母と母と私とで分けても多いくらい。

冷凍しようかと思ったが皮を剥かずに冷蔵庫の中にしまった。

続いてのソラマメ料理も仕方ないかな・・・

やはり冷凍にしよう。

ソラマメはかさばり、皮をむくと中身は急に減る。

ごみの日に生ごみとして出す鞘の量を見て改めて驚いた。

母がソラマメは買うと皮を買うみたいだというのが分かる。

それでも旬の味を味わうことが出来るって幸せだ。

食欲のない私も昨日の夕食では塩茹でソラマメを食べることが出来た。

やはり新鮮なものは美味しかった。

初夏の味、懐かしい母の味がした。


2007年05月17日(木) バセドウ氏病

やはり、私の病気は「バセドウ氏病」だった。

甲状腺機能亢進症だ。

原因は不明。

でも、根治が難しい病気のようだ。

昨日は大学病院の専門の科に行き診てもらった。

私の中でバセドウ氏か亜急性甲状腺炎かどうか疑問に思っていたので

医者に尋ねた。

前の心臓の病院での血液検査の結果を見て

医者はバセドウ氏病だと判断した。

血中の甲状腺ホルモンの量が

正常な人の4倍も出ているという。

やはり完全な病気だった。

夜の心臓の苦しさ、

足のむくみ、

歩いただけで息切れする苦しさ、

これも皆バセドウ氏病のためで

こじらすと心不全を起こすところだった。

私の場合も、症状が出始めてから

ひと月半以上ほうっているので

もう少し遅ければ心不全を起こしていただろう。

危ないところだった。

眼球が出るという症状はなかったのでよかった。

これは薬でも元に戻らないという。

良いほうに思おう。

今朝から処方された薬を飲み始めた。

この薬は副作用もあり今後も注意していかないといけないとか。

今朝もとてもしんどくて家事をするのがやっとだ。

薬の効き目はいつくらいから出るのかな?

二週間くらいしたら副作用も出るとか。

じゃあ、即効性のあるものかもしれない。

今日は娘の高校のPTA総会と学級懇談と個人懇談がある。

これはどんなにしんどくても行かなければならない。

午前中は出来たら休んでおこう。

二年後には元気な私に戻れるように

昨日は父の仏壇に手を合わせてお願いをしておいた。

元気がいちばんだ。


2007年05月16日(水) 死にたい・・

この数日の体調の悪さに

心は元気で居たいと思っている私も

こんなにしんどいのなら死んだほうが良い・・なんて思う。

昨夜は心不全を起こしそうになった。

不整脈はもちろん、今にも心臓が破裂するのではないかと思うくらい

体中が心臓のように動悸が激しく

少し動くだけで息切れする。

生まれてからこれまで心臓病とは付き合っているが

この数日のようなしんどさはなかった。

今日は大学病院受診だ。

でも、今日は初診だし検査しても結果は出ないだろう。

治療が始まるのはまだまだ先かも?

このまま入院して寝ていられたらどんなに楽か。

しんどさを我慢して朝も早くから起きている。

昼間は横になっている時間が多いが

それでもいろんなことが気になって思いっきりは寝れない。

死にたいなんて思うのは駄目だと思うが

今の私は以前の私のように心の弱い消極的思考しかできなくなっている。

ああ〜それにしてもしんどくて。

何をしていても楽しくないし、

またどこかへ出かけたくもない。

来月には父の一周忌がある。

今月末には従兄弟の四十九日法要がある。

なんとしても出席しないと。

その日だけ元気で居られたらいいな。

私の心がけ次第かな・・・

それにしてもしんどい。


2007年05月15日(火) 国民投票法成立

昨日、憲法改正手続きである、

国民投票法が参議院で可決され成立した。

これで、やっと憲法改正への第一歩を踏み出すことになる。

今、野党をはじめ、護憲派は第九条を変えることに猛反対している。

政治家ばかりではなく

一般国民の間にも第九条神話が浸み通っているから

この九条を破棄して新しい憲法を作るべきだと思っている私など

猛烈な批判を浴びるであろう。

現に、昨夜、実家で母にこのことを話して喧嘩になってしまった。

私の憲法改正、否、新しい自主憲法制定の意見に対し

母は戦争放棄を謳っている第九条は絶対に変えてはならないといった。

現憲法は、日本がまだ主権のないときに

GHQによって作られた憲法であるから

有効ではないと思う。

そのことを母に言うと、

母は、誰が作ろうともいいものはいいと言った。

まるで社民党の誰かが言うのと同じ意見だ。

そして、戦争を知らない人たちが

また日本を軍国主義の国にしようといているとさえ言った。

情けない。

そういう風に考える人はまるで共産党の主張と同じだ。

石原都知事が言っている。

憲法改正について云々する前に

政治家、国民に現憲法が成立した過程を説明し

これでいいのか?と聞けば良いと。

もし、成立過程を知った上で

まだ護憲を主張するとしたら

それは売国奴であるとも。

私は決して戦争を支持はしていない。

しかし、自国を守るために戦うことがあったら

国のため、郷土のため、家族のために

命を捨ててもいいと思う人を尊敬する。

国家の意味を考えたとき、

私の思うことは決して間違っていないと思う。

まあ、憲法改正への道のりはまだまだ遠く

早くても平成23年以降になるはず。

それまでに、日本国民として

現憲法の内容を認識し

国民一人一人が考える姿勢を作らねばならない。

そして、学校の教師が憲法第九条の良さを子供たちに教え

憲法改正が間違っているというような

意識操作をしないでほしいと思う。

それぞれの考えはそれぞれにあるのだから。


2007年05月13日(日) 母の日

今日は5月の第二日曜日、母の日だ。

義母にはちょっとしゃれたベストを

母にはパジャマをプレゼントした。

二人ともとても喜んでくれて

義母などもったいないからまだ着ないなどと言っている。

去年は義父と実父を亡くした。

私にとって父の日のプレゼントをする相手は居ない。

せめて残った母二人に

いつまでも感謝の気持ちを持って

何かプレゼントできることを願っている。

私の娘からは

とても淡いピンク色のカーネーションと手紙をもらった。

メモ帳を買ってくれるという。

手紙には私の甲状腺の病気が早く治るといいねと書かれてあった。

日ごろは私への気遣いなど感じられないが

心の中では心配してくれているのだ。

娘から母の日に贈られた手紙がいっぱいある。

私の大切な宝ものとしてとっている。

袋を開けて、中の手紙を読んでいると

昔、娘が小さかった頃のことが思い出されて涙が出そうになった。

母と娘の関係は息子とは違うものなのだろう。

私には娘が一人しか居ないから息子を持った人の気持ちは分からないが

やはり娘でよかったと思う。

私にとって母がとても大事な人なのと同じように

娘にとっても私が大事な存在になっていると思いたい。

母の居ない人も多いだろう。

私は二人の母をこれからも大切にしたい。



2007年05月12日(土) こんな時間に

今夜も眠れないままこんな時間になってしまった。

昨日は紹介状をもらいに行ってきた。

来週の水曜日に受診することにする。

熱は37度ほどだが

昨日の夕方から喉の痛みが出てきた。

風邪ではない。

甲状腺から来る痛みだ。

前は左が痛かったが今回は右だ。

耳まで痛い。

寝ようと横になっていても痛みで眠れず

起きてネットやメールやインストールなどをしていた。

こうして何かしていると痛みを忘れることが出来る。

横になっていると耳から喉、首の痛みが

布団の上で暴れまわるのだ。

これには参る。

水分を飲み込むことさえ難儀になってしまった。

何か食べようと思っても飲み込む時の痛みを思うといやになる。

明日は少しは楽になっているだろうか・・・

それにしても病気って辛いな・・

こんな時こそ天風先生の言葉を思い出そう。


2007年05月11日(金) 母の誕生日

今日は母の誕生日だ。

大正10年5月11日生まれの母は

今年で満86歳になる。

去年父が亡くなり、

母が精神的にも弱ってしまうのではないかと心配していたが、

母は元気で毎日心の中の父と共に過ごしている。

母は父が居ないことを亡くなったからだと思えないと言う。

父が亡くなる前に入院していたことが多かったので

今もどこかの病院に入院しているみたいな気がするらしい。

私は毎晩父の仏前でお線香をあげて手を合わす。

仏様にはお願いしてはいけないというが

私は母が元気で長生きしますようにとお願いしている。

「父ちゃんが母ちゃんを呼ぶのはまだまだ先だからね」と言っている。

母は7年前に大病をした。

父より母が先に逝ってもおかしくはないと思っていた。

でも、そんな母が今日まで元気で居てくれる。

一人暮らしも慣れたようだ。

食事のしたくも一人でしている。

腰の具合も今は落ち着いているから安心だ。

最近の私の病気のことを母は案じているが

母に心配をかけるなんて

私はなんと親不孝な娘なのだろう・・・

母には心配ごとのない平凡な日々を送ってほしい。

母の誕生日にと思い

昨日は久しぶりに絵手紙を描いた。

病気のせいで手が震えて線描きも添える言葉も変になってしまった。

でも、庭に一輪だけ咲いたテツセンを描いて送った。

明後日は母の日。

母という存在はやはり私にとってかけがえのないものだ。

来年も、再来年もそのまた次の年も

母の誕生日を祝うとが出来ることを信じている。

「母ちゃん、お誕生日おめでとう、体に気をつけて長生きしてね」


2007年05月10日(木) これも人生

昨日はやはり神様が私に与えてくれた

楽な一日だったような気がする。

昨夜は眠れなくて・・

しんどくて・・・・

夜中に目が覚めて眠られず

3時に起きた。

体重はやはり39キロなのに

昨日から顔がまん丸になっている。

ムーンフェイスといった感じ。

この体重なら顔は細くなっているはずだ。

今まではそうだった。

なのにこの顔の丸さは何だろう?

これも症状のひとつなのか?

足がむくむ、不眠、熱・とどれをとっても正常ではない。

明日は紹介状をもらいに行く。

やはり専門医に診て貰う必要がありそうだ。

命にかかわる病気ではないが

長引きそうだ。

考えようによったら

これも神様が私に与えた試練かも?

生まれて以来の心臓病、

若い頃の拒食症、

そして、今回のこの病気と

私の人生で病気は私と共にあった。

一病息災、二病息災とも言う。

気長に付き合うしかない。

まあこれも人生だ。


2007年05月09日(水) 治った?

一昨日は熱も高く最高にしんどい一日だったが

昨日は37度以上上がらなくて楽だった。

そして、今朝も気分良く食事も普通と同じように食べることが出来た。

先日来真夏のように暑くなり

着ているものや布団類も衣替えをしないといけないと思っていた。

熱の出ないときでないときつい仕事は出来ないので

今朝は2時間かかって

大洗濯をして押し入れの中の整理や

夏が来てもいいように部屋の衣替えをした。

太陽に当たって乾いたものの気持ちの良いこと。

ふんわかした手触りとお日様のにおいがする。

10時からは母と高島屋へ行った。

母の誕生日が明後日、そして日曜日は母の日だ。

母へのプレゼントを買おうと思って母を誘ったのだ。

母の好みのパジャマがあって買って上げた。

お昼はバナナスムージーで済ませたからお腹も楽。

本当に元気になったような気がする。

熱のないということはこんなに楽なのだな・・

有難い。

もう直ぐ病院から先日の血液検査の結果を

知らせてくれることになっている。

医者が大丈夫、大したことはありませんと言ってくれると良いな・・

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3時半頃に医者から電話があった。

内分泌専門の科のある病院で詳しい検査をしたほうが良いとのこと。

紹介状を書いてくれるので金曜日に取りに行くことになった。

来週になったら大学病院で詳しい検査をしてもらおう。

やはり熱が出始めた。

午前中は神様が私に、主婦としての時間と

親孝行の時間をくれたのだろう。


2007年05月08日(火) 首から上が心臓

昨日はこれまでで一番しんどい一日だった。

首の腫れがことのほかひどい。

私の今の体重はスリムすぎるくらいだから

首はもっと細くてもいいはずだ。

それなのに・・

本当に太くて太くて・・

寝ていたら首から上が皆心臓といった感じがする。

ドクドクドクドクと心臓の鼓動に合わせて

首から耳にかけて脈打つのだ。

静まり返った夜は

その首から耳にかけての音が耳障りで眠れない。

熱を測ると38度あった。

不整脈もたびたび起きる。

このまま心臓が止まったら私は終わりだな・・

色んなものを始末する暇もない。

私が死んだ後夫に見られるのも嫌だ。

そんなことを思っていると夜中の2時になった。

寝返りばかりうちながら

もんもんとした夜を過ごした。

いつになれば楽になるのだろう。

今夜は熱も高くなく眠れたらいいのに。


2007年05月07日(月) 熱が

昨日は午後ずっと寝ていた。

お昼までは何とか動けたが

昼食後はたまらなくしんどくて

午後5時まで寝ていた。

昨夜は母と夫と娘と私の4人で

久しぶりに外食の予定だった。

私の全快祝いには遠いが子どもの日にも何もしなかったので

母がご馳走してくれると言っていた。

午後7時過ぎに食べに行ったが

全く食欲がなく何も食べる気がしなかった。

それでも、折角連れてきてもらったのだからと思い

あっさりしたものを注文して半分だけ食べた。

帰宅してから熱が高くなり

今朝も熱が出ている。

この間はちょっと良くなったかな・・と喜んでいたのに

やはり治療もせず放ったらかしなのだから

治るはずがない。

今日は夫は休み。

娘は登校。

掃除もやめて休もう。

一日寝ていようかな・・

早く元気になりたいものだ。


2007年05月06日(日) 連休も終わり

今日で大型連休も終わりだ。

正直ほっとしている。

別に何処かへ出かけることもなかった。

出かけたいという気持ちはあったが

体調不良だからやめて家に居た。

娘が小さい頃は必ず一日は遊びに連れて行っていた。

今思い出してもよく色々なところへ連れて行ったものだ。

今日の新聞でジェットコースターの事故で

一人亡くなったと知った。

元々遊園地の乗り物は好きじゃない。

だから、夫と娘が乗って私は下で見ているだけだった。

でも、それでも楽しかった。

もう今では遊園地へ行くこともなくなった。

昔が懐かしい気もする。

連休は何処へ行っても混んでいて

道路も渋滞しているから

出かけずに家でのんびりするのが一番だ。

今日は娘は模試で登校した。

外は雨。

ゆったりと過ごせそうな気がする。


2007年05月05日(土) おじいさんの一人暮らし

昨夜のTVドラマで

妻を亡くした80歳のおじいさんが

娘たちの反対をおして

一人暮らしをする物語を見た。

昨年父を亡くした私だが

このドラマを見ていて涙が出てきた。

もし父と母が反対だったら・・

母が亡くなり父が一人残されたとしたら・・

父は昨日のおじいさんのように

一人暮らしをしていただろうか?

掃除や洗濯は出来ても

食べることを一切したことのなかった父だから

母が居なくなったら、淋しさよりも

お腹をすかせることの方が辛いことになっていただろう。

私が父と一緒に住んでいただろうと思う。

その点、女の人が残ったとしても

元気なら家のことは出来るし不便もない。

母も義母も自分のことだけをしたらいいようになって

かえって元気になったような気がする。

だから、父が先に逝ってよかったのだと思おう。

そんなことを思いながら見ていたドラマ、

終わってから父の遺影を眺め

父を思い出していたらなかなか眠れなかった。

来月には父の一周忌がある。

今頃父は何をしているのだろう・・・

父ちゃん、一人で過ごしてない?

淋しくない?


2007年05月04日(金) 辻褄が合った

今回の甲状腺炎について色々と考えているうちに

なるほど!ということに思い当たった。

2月から3月にかけて

左の歯の被せているものをやり直す治療を受けた。

3月23日に歯が出来上がる頃、

左の首、喉の下、そして耳ととても痛かった。

これは歯の不都合によるものだ、

肩の凝りから首や耳まで痛みがあるのだろうと思っていた。

その痛みは本当に激しく

水分を飲み込むことさえ困難だった。

今、思うとあれが甲状腺炎の始まりだったのだ。

その痛みが少し和らいだ頃に

胃腸炎を起こし、今回の入院になったのだが

本当は3月の半ば以降甲状腺の炎症が起きていたのだと思う。

今朝もしんどいと思ったら熱がある。

そして今度は右の耳や首の痛みがある。

治療は全くしてないのだから

今は自然治癒を待つしかない。

半年くらいしたら完治する病気のようだから

このまま放置しても良いような気もする。

痛みや熱のある時はおとなしくしていよう。

私の病気と症状に納得できたことが何となく嬉しい。

後は気長く待つしかない。


2007年05月03日(木) 憲法記念日に思うこと

今日は日本国憲法が施行されて60年目に当たる日だ。

つまり60回目の憲法記念日だ。

今、日本はようやく憲法改正への道を歩き始めた。

やっとという思い、

遅すぎるという思いがしてならない。

この現在の日本国憲法は

戦後GHQによって押し付けられた憲法である。

戦後、日本の首脳はA級戦犯として

巣鴨プリズンに拘束されていた。

つまり、日本の主権は存在していなかったのだ。

その占領下で米から与えられたのが現在の憲法である。

安部首相は「美しい日本へ」ということを言っているが、

現在生きている私たちは

過去の日本人の名誉や誇りを守るとともに

未来に生きるであろう日本人の可能性を見つめ

今こそ本来の日本を取り戻すときである。

戦後の日本人がこの国に生まれてよかったと

いったいどのくらい思っているだろうか。

長い間国家としての存在を失い、

他国の要求を受け入れているばかりだ。

理不尽な問題にも声を大にして正当性を主張しない。

そんな日本に果たして美しい未来はあるのだろうか?

憲法はその国のかたちだと言う。

それなら、

日本国憲法も日本人が生きてきた

歩みである歴史、文化、文明と大切にする気持ちを

織り込むべきだと思う。

天皇の存在を国の象徴とするだけではなく

元首という認識を持つべきだ。

そして、自国の安全を守ることのできるようにすべきだ。

そのためには、

今こそ憲法を改正するのではなく、

新しい憲法を制定すべきだと思う。


2007年05月02日(水) 甲状腺の病気

今日、病院へ行ってきた。

入院しているときにした血液検査で

甲状腺ホルモンの値が高いので

首のエコー検査をしないといけないといわれていた。

今日はその首のエコー検査をした。

結果、やはり甲状腺が腫れていた。

首の甲状腺の部分を触ると痛みがある。

以前からよくこの痛みはあったし

首の腫れもあったから急性の病気ではなく

きっと慢性の病気だと思う。

甲状腺の組織が破壊され

血液中にホルモンが多く出たために

いわゆるバセドウ氏病と間違いやすいらしい。

熱や悪心もこのせいだろう。

頭も痛い。

今日はバセドウ氏病かそうでないか決めるために

詳しい血液検査をした。

一週間後には結果が出るから

それまでは考えるのをやめよう。

医者から家ではなるべく安静にしてくださいと言われたから

これで遠慮せず休むことができる。

今まで頑張りすぎた私への

神様からの休めという命令なのかもしれない。

元気になるまでしばらくはゆっくりのんびりしたいな・・





2007年05月01日(火) 元気が一番

私の尊敬する中村天風先生は

たとえ体は病んでいても心まで病む必要はない。

病気は気の病だから

重病であっても心が元気で明るく前を見て

生きることが大事だと言っている。

私も「心元気で」と言う言葉を人によく言っていた。

心が元気で居られたら

病気なんて治ると信じていた。

元々、心の弱い私だったから

若い頃は心を病み苦しみ、死にたいといつも考えていた。

でも、この頃は自分でも随分強くなったと思っていた。

心を明るく積極的にしていれば

きっと幸せになれると思っていた。

でも、最近の体調不良で、やはり身体健全が一番だと思う。

体が元気であるからこそ心も元気で居られるのだと。

中村天風先生の言葉は意味があり、尤もだと思う。

そして、今回のことでまだまだ私は本当に理解できていなかったと思う。

元気が一番だ。

体も心も。


スカーレット