スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2005年10月31日(月) 私って凄い!

「バカは風邪を引かない」

そんな話を聞いたことがある。

そしてその言葉の通り私はめったに風邪を引かない。

一年に一度引いても寝込むことなどなく

薬を飲まずに治すことが多い。

父の看病の疲れで風邪を引いたと思っていたが、

今朝起きてみると治っている!

自分でも凄いと思った。

これってやはりこのひと月飲んでいる核酸のお陰かな・・・

遺伝子の損傷を修復できるのは

核酸しかないと聞いた。

今まで三回セミナーに行って話を聞いた。

私は健康食品にはあまり興味はなかった。

心臓の薬を飲んでいるから

めったなものは飲めないからだ。

いくら良いと聞いてもサプリメントは飲まないようにしていた。

でも、この核酸は本当に良いみたいだ。

栄養素として食品から摂るのが理想だけれど

なかなか必要量を摂るのは難しい。

だから補助食品として摂る必要があると言う。

赤ちゃんが飲む粉ミルクにも

この核酸は入っていると言う。

良いと信じて飲んでいるから効いているのだろう。

でも、確かに体の調子が良くなった。

体験談を聞いても奇蹟に近いものがある。

心臓や肝臓、腎臓、糖尿病などの

生活習慣病にとても良いようだ。

夫や娘に勧めても信じない。

でも、私が良いと思えばそれで良い。

元気で居なくっちゃ。

父のためにも元気で居なければならない私だ。

私の再手術も今月決る。

これからも色々なことが起きそうだ。

お金がいくらあっても

地位があっても、

健康じゃないと何もならない。

自分に投資しなくっちゃ。

これからの高齢社会のことを考えても

元気で痴呆にならず長生きしたいと思う。

健康でいられることを感謝したい。

それにしてもこんなに早く治るなんて凄いな!


2005年10月30日(日) 頑張らない看護

今回の父の入院中の急変で

8日間病院で寝泊りをしていた。

まさか!

本当に思ってもみないことだった。

20日に入院した時は

歩いて検査にも行けたし、

家に居る時よりも何か安心した風だった。

それが入院した日の夜中に容態が急変したのだ。

心筋梗塞とそれによる心不全、

肺水腫も併発して

病院からの電話で私が駆けつけたときは

父の様子はただならぬものがあり、

呼吸困難で酸素吸入をしていたし

心臓の働きも二分の一しか働いていないということだった。

集中治療室に入り、

医者からこの一週間の間に

亡くなることもあると聞いた時は

信じられなかった。

終末医療の話まで出て

母も姉も私も覚悟をしていた。

でも、父って凄い。

持ち直したのだ。

体に貯まっていた水も体外に出て

肺水腫も心不全も落ち着いたのだ。

私は後悔をしたくなかったから、

付きっ切りで看病をした。

私自身の体のことなど気にしなかった。

昼の数時間、帰宅して家事をし

お風呂に入って病院へ戻る。

それが当たり前の日々だった。

父はきっと気持ちが弱くなっていたのだと思う。

私に泊まって欲しいと言った。

私も父の様子が心配だったから

家のことや娘のことも気になったけれど

父のことの方が大事だと思い

私の出来るだけのことをしようと頑張った。

ようやく父は退院できそうだ。

そんな父の様子に安心した途端に

張っていた糸が切れたように私は体調を崩してしまった。

昨日と今日は熱っぽくてしんどくて・・・

風邪を引いてしまったようだ。

何でも一生懸命にする私の性格を変えなくちゃと思う。

頑張るのが一番ではない。

私が元気で明るくなければ

父にも優しくしてあげることは出来ない。

私自身の心をリフレッシュして

父の所へ行こうと思う。

頑張らない看護の必要性をつくづく感じた。


2005年10月21日(金) 誠さんの詩集から「生きる」

        「生きる」

仕事に命をかけると

人は簡単に云うけれど

もし仕事に失敗した時

充たされた気持ちで死を選ぶ事が

本当に出来るだろうか。

死ぬ気になれは何でも

出来ると人は云うけれど

死ぬ程迄に追いつめられた

人間に一体何が出来るのか

今を生きることを

考えるからこそ何でも出来る

死の直前まであきらめず

生きねばならない


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この誠さんの詩「生きる」を

今生きる力をなくそうとしている人に読んでもらいたいと思った。

誠さんも何度も死にたいと思ったし、

事故にあってからは死ぬためのリハビリをした時もあった。

でも、生きること、

生かされていることへの感謝が

いかに大切かに気付き、

懸命にリハビリをして現在の誠さんがある。

天風先生の言葉の通り、

人は明日死ぬことが分かっていても

それまでは心元気に過ごそう、

心を強く持って生きたいものだ。

私も何度死のうとしたことか・・・

それが今こうして生きている。

運があったというのではない。

きっと私に生きる力があったのだと思う。

何かあった時に

死んだ方がましだと思うこともある。

でも、それって間違っている。

死にたいと思うことよりも

いかに生きるということの方が難しいか・・・

今を生きることを考えねば。

私にも色んなことがあるけれど、

もう死ぬことなんて考えないようにしたい。

父のことを思ったら

簡単に死なんて言葉を使いたくない。

生きたくても生きれない人のことを思うとき、

今元気に生きている私が

死にたいなんて思うことって傲慢なのだと思う。

生かされていることに感謝しなくっちゃ。


2005年10月20日(木) 父へエール

父が今日入院をする。

去年の11月に倒れてから

これで四度目の入院だ。

医者の話ではもう長くはないと言われながらも

来月で一年になる。

人の生命力って分からないものだ。

父は元々元気で病気知らずの人だった。

悪いところ以外は年齢的に若いし丈夫だそうだ。

でも、父も84歳、

男性の平均寿命は越している。

いつどうなってもおかしくはない。

人の命は生まれた時から定められているのかな・・・

私のように先天性の病気を持っていて、

若い頃に何度も危ないところまで行ったのに

今はこうして父の世話をしながら

元気で暮らしている。

心は傷つきやすく、

また直ぐに落ち込んで死にたくなるけれど

それでも、いつも気を取り直して生きている。

随分強くなったものだと思う。

私は父に似ているから

父も私に似たところがある。

だから、きっと父も元気になると信じたい。

今日の入院でまた少しでも持ち直してくれたらいいな。

母と共に米寿のお祝いをすると張り切っていた父、

医者の言葉なんか信じないことにしよう。

父の生命力にかけてみよう。

治ると信じて生きよう。

母も姉も同じ気持ちだと思う。

信じることはとても力を持つ。

父にも心の元気を持って頑張って欲しいと心から思う。


2005年10月19日(水) 幸せになるための自己開発セミナー

「幸せになるための自己開発セミナー」

これは、先日娘の通う高校の文化祭で

演劇部が演じた題名だ。

高校に入学して演劇部に入った娘が書いたこの脚本、

内容的には理解できない人も居たようだが

色々と考えさせられることが多かった。

人には色々な悩みがある。

心の病気になっている人もいる。

人に好かれるようになりたいと願う人たちが

あるセミナーに集まり、

お互いに自分自身を見つめて

色々と本音を話していく。

そして最後には自分のことを理解し

これで良いのだと気付いていく。

芝居の中ではそのセミナーが実はテロ集団で

集まった人たちを洗脳しようとするが失敗に終わるというものだった。

幸福はその人の心の中にあるもので

人それぞれ違った存在で良いし、

またお互いを理解するためには

自分を隠さず、

また自分を分析することを怖れず、

心の中をぶちまけることだと思っていた私は

この演劇の中でその意味を再確認したような気がする。

人は結局は一人だ。

誰にも理解してもらえないこともある。

いつも誰かの顔色を伺いならが生きるのって辛い。

自信を持つということが

いかに強いか・・・

何か一つでいい、

自信を持てるものが欲しい。

私も小さいころからいつも諦めの人生を送ってきた。

そして挫折を味わい、

自暴自棄になり、

何度も人生を投げ捨てようとした。

でも、今生きている。

若かった頃を振り返ってみて

私が今こんな人生を歩むなんて思ってもみなかった。

50歳まで生きることが出来るなんて想像もしていなかった。

就職も結婚も出来ない人生を

私は半ば自棄になって過ごしてきた。

就職することはなかったけれど

結婚して一人娘を持つことが出来た。

これって本当に凄いことだと思う。

当たり前のことかもしれないけれど

私にとっては本当に凄いことなのだ。

幸せは自分の心が決める。

確かにそうだ。

何でも良い、

小さなことに生きる意味を見つけることができ、

ちょっとしたことに感謝できる心を持つことが出来たとき、

初めてその人は幸せになれるのだと思う。

セミナーに参加して話し合って

自分のことに気付くのも良いだろう。

でも、結局は自分で立ち上がり、

考え方を少し変えてみて

こういう風に生きていけばいいんだと気付くことが

幸せになるための一番の早道のような気がする。


2005年10月18日(火) 教授との話

教授を怖れる人が居るのだろうか・・

私が昨日教授と話しをした感じでは

そんなことは全くなかった。

確かに大学病院の教授回診は重みのあるものだ。

私が入院していた時も

一週間に一度の教授回診の時は

病棟全体が張り詰めていたような気がする。

教授は頂点に立つ存在だから

その下にいる医者たちにとっては脅威を感じる存在かもしれない。

でも、教授も同じ人間だ。

そして患者にとったら同じ医者だ。

別に神様でも独裁者でもない。

こちらが怖れる必要は全くないと思う。

昨日は夫と約束どおり教授と話をしに行った。

教授の前に座ると

教授の開口一番の言葉が

「どうされましたか?」だった。

私は「ええ〜〜!!」

「何?考えてるの?」と思った。

「先生はカルテを見てくれましたか?」と言った。

その時になって初めてカルテを見ている風だった。

それまでのいきさつを話し、

私の思っていることを全て話した。

教授の態度が途中から変化したのに気付いた。

その変化が良い方向への変化だったから良いとしよう。

もし、門前払いを食わされたら・・・

夫はそんな危惧を持っていたようだが

私はどんなことになろうとも

教授の意見を聞き、

これからのことに善処してもらいたいと思っていた。

本当に不思議なくらい

教授の態度が変わり、

とても誠意のある態度になった。

来月もう一度診察した結果で

再手術をするかどうか決めることになり

昨日は飲むクスリをもらって帰った。

こんなもので治るはずはないと

私は確信しているけれど

昨日の場合はあれで引き下がるのが妥当だと思った。

教授も人の子、

理解してもらいたいのなら

こちらはそれだけのものを揃えて

筋の通った話をすれば良いのだ。

昨日の話は成功したのだと思いたい。



2005年10月17日(月) 誠さんの詩集から 「仕事を」

          「仕事を」

親が子供に云う前に

親が先ず生活の姿勢を正し

自信を持って自分の仕事に

喜びを持つ

子は親の背中を見て育つ

そこから親子の対話が

始まる

菓子作りに愛が欲しい

ストレスは遊び過ぎに起きる

何故なら遊びには

愛がないから

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子供に何を伝えるべきか

それが誠さんの今回の詩集のテーマだ。

仕事への思い、

お菓子作りの基本、

生きる姿、

考え方、

全てが誠さんの今まで生きてきた道を元にしている。

子に伝えるものは

親自身の生きる姿であり

その後ろ姿であるということ。

何も特別なことではない。

日々の生活を感謝の気持ちで過ごすこと、

人のためにを考えること、

愛を持って接すること、

これらに尽きるのだ。

私も自分の生き方に自信を持って

娘へ言葉でではなく

生きる姿で伝えたいと思う。

私が娘を産み育ててきて

後悔したことは過保護にしたことだった。

今、何もしない娘になったのも

私の育て方が悪かったからだ。

でも、娘もバカではないから

私が日々していることを見ているはずだ。

後二年半後に一人暮らしをしても

私がしてきたことを見ていたら

きっと困ることはないだろう。

私には娘へ誇れるものはないけれど

家事の大切さ、

人を愛することの大切さは

伝えることが出来ると思っている。


2005年10月16日(日) 黄色いリンゴ

10月も半ばになり空気もすっかり秋を感じるようになった。

秋と言えば食欲の秋と連想する人も多いだろう。

店先には今が旬の果物が色々と並んでいる。

私の好きな葡萄は大分少なくなり

その代わりにリンゴが並び始めた。

リンゴは夫の大の好物だ。

出始めの頃は津軽という品種のリンゴしかなかったのが

最近は陸奥、王林の姿を見るようになった。

今日初めて黄色い王林を買った。

ライトグリーンにほんのりと紅が注し

甘酸っぱい爽やかさが特徴だ。

皮に茶色の点々がある。

甘味もあり私の好きなリンゴだ。

黄色いリンゴを見ていると

私が小さい頃に母から聞いた話を思い出す。

ある女の子が重い病気になった。

入院先でも治療方法が難しくて

なかなか良くならない。

大学病院へ転院することになった。

女の子の命はもうあまり長くはなかった。

看病する母親に

女の子はリンゴが食べたいと言った。

時期は夏、

リンゴは売られてなかった。

今では四季を問わず果物は売られているが

40年前のことだから

旬の時しか売られてなかった。

女の子の母親は女の子の枕元で

父親が汽車の中で買ったみかんの網を使って

リンゴを作った。

女の子はその網で出来たリンゴを見て

とても喜んだと言う。

ネットの色でリンゴは黄色いリンゴになっていた。

父親はその時の娘の気持ちを思って

題名を「黄色いりんご」という文章を書いた。

きっと心を痛めていただろう。

父親の心情がよく現れていたと思う。

私の母はその文章を読み私に話して聞かせてくれた。

幼かった私はその話を聞いた時泣いたのを覚えている。

そして今もその文章が私の心に残っている。

秋になりリンゴの季節がやってくると

毎年思い出す話だ。

女の子の仏壇にはきっと今もリンゴがお供えされているのだろう。

ちょっと甘酸っぱい想いと共に

黄色いリンゴ「王林」を初めて味わった。


2005年10月15日(土) 祭りの朝

今朝は本当に久しぶりに寝坊をした。

今日はこちらの秋祭り。

生憎の雨の朝なのに

朝6時、家の外をガヤガヤと歩く

子供たちの声で目が覚めた。

神輿は出るのだろうか・・・

そんなことを思いながらまだ蒲団の中に居た。

娘が小学生の頃、

この秋祭りは一大イベントになっていた。

朝は苦手な娘が、

神輿の後を付いて歩くために早起きをしていた。

大きな紙袋と真っ黒なゴミ袋を持って

神輿の後を付いて一日中歩き回るのだ。

目的はお菓子をもらうため。

普段不自由はしていないのに

やはり皆と一緒に歩いて

家々や店先でお菓子をもらうのが嬉しかったのだろう。

小学生も高学年になると

友人たちと周ってくれたが

低学年の時はやはり心配もあって

私も一緒に周っていた。

しんどかった。

途中で帰ろうかと何度も思った。

夕方神輿の宮入まで付き合って、

帰宅したら親子共々疲れ切ってしまっていた。

食べもしないスナック菓子が

テーブルの上に溢れかえった。

買ったらどのくらいの値段になったのだろう。

相当の金額になったはずだ。

子供ってこういうことが嬉しいのかな・・・

正直私は「もう良いよ」という感じだった。

でも、今では、

そんな昔の日々が何だかとても懐かしい気がする。

子供の時にしか味わえない思い出って

本当はとても大切なことなのかもしれない。

今朝も外を歩く子供たちの声を聞き、

そんなことを思った。

今日は珍しく夫と娘が揃っての休みだ。

娘も部活が休みでまだ寝ている。

勿論夫も寝ている。

それでも私は7時には起きた。

今日は久しぶりに朝食バイキングにでも三人で行こうか?

朝食と昼食を兼ねた食事は

主婦の私にとってはとても助かる。

今日は少しのんびりさせてもらえそうな気がしている。


2005年10月14日(金) あなたの声

思いもかけない間違い電話でかかってきた電話、

直ぐにあなたの声だと分かった。

嬉しかった。

そして、慌てて弁解しているあなたの声が笑っていた。

私はちょとだけ意地悪してやろうかと思ったのに

結局つられて笑ってしまった。

何故今頃になってあなたのことをこんなにも思い出すのだろう。

一昨日、見た夢のせいだろうか。

それにしても、今でもこんなにも鮮明に

あなたの声を覚えているなんて

私のあなたを想う気持ちは

自分で思っているよりも大きいのかもしれない。

あなたの中ではもう遠い過去のことになっていると思ってた。

あなたの記憶の外に放り出されていると思っていた。

でも、違っていたんだ。

ちゃんとあなたの記憶の中に登録してくれていたんだね。

何となく嬉しい気がする。

私の存在はあなたの中で

とっくに過去のものとなっていると思っていたから

こうして間違にしろあなたの声が聞けたことは

私には予想もしないことだった。

あなたの声、

あなたの笑い声、

私が「じゃあね」と言おうとしても

あなたは電話を切らなかった。

それって私と話したかったの?

なんて私の都合の良いように考えている。

バカだな・・・

本当にバカな私。

でも、思い切って「じゃあ」と言って切った。

その後で会話を思い出し

一人でニヤニヤしていた。

ああ〜私も相当重症だ。

いつまで引きずっているのだろう。

これって理屈ではわかっていても

心の中できちんとまだ整理されていないのかもしれない。

私の心の中ではぐじゃぐじゃ状態のまま残っているのだろう。

相田みつをさんの言葉じゃないけれど、

「あなたの声を電話で聞いただけで

その日一日

こころがなごむ

理屈じゃねんだよなあ」

この通りだと思う。

人の心って本当に不思議だ。

たった一本の電話のあなたの声を聞くだけで

こんなにも幸せな気分になれるなんて。

夢といい、間違い電話といい、

何か良いことが起きるのかもしれないって

自分勝手に思い込んでいる私。

もしかして17日の教授との話は

良い方向へ進むのかもしれない。

あなたの声を聞いてそんな期待が私の胸に湧いてきた。


2005年10月13日(木) 夢で

昨夜、ステキな夢を見た。

夢であなたに会えた。

愛しいあなたに会えた。

ずっと会いたいと思っていた。

誰よりも愛したあなただから

いつも私の心の中に存在している人だから

あなたに会えたら

こんなことも言おう、

あんなことも言おうって思っていた。

だからあなたに会えて色々なことを話すことが出来た。

あなたはいつものようにとても優しかった。

あなたの笑顔、

あなたの声、

あなたのぬくもり、

皆懐かしかった。

今私はとても幸せだ。

この心をいつまでも持ち続けたい。

心の中に暖かな風を感じる。

まるで日だまりに居るような

そう、

それもあなたと一緒に居るような

そんなほのぼのとした気持ちで居られる。

もう嵐は嫌だ。

ささくれ立った気持ちになるのも嫌だ。

笑って居たい。

あなたの側に居られたことを

いつまでもこの心と体で覚えて居たい。

あなたが飲むビールを一口飲ませてもらって

あなたの口づけの代わりにした。

あなたの手をマッサージしながら

私はこの時間が永久に続けば良いと思った。

あなたと一緒に居られたら

どんなことでも乗り越えられる。

どんなに辛いことでも

どんなに苦しいことでも

頑張れる自信がある。

あなたの全てを私自身のものにしたい。

あなたに優しく髪をなでられて

私の心は甘い幸せでいっぱいになった。

あなたの話しとあなたのいびきと

両方共私には宝物。

たとえ、夢の中でもあなたに会えて本当に良かった。

今朝の鏡の中の私の顔が

とても輝いている。

あなたに会えた幸福感と

あなたからもらったパワーで

私はこれからどんなことがあっても挫けないで歩いていける。

本当に有難う。

私は昨日の夜あなたに会えた夢を

これからもずっと忘れないで居たいと思う。


2005年10月12日(水) 母と衝突

後悔するようなことはしたくない。

いつもそう思っていた。

なのに、

昨日は何かとても母に済まないことをしてしまった。

「後悔先に立たず」とはよく言ったものだ。

いくら腹が立ったとは言え、

84歳になる母に対して

あんな風な物の言い方をするのではなかった。

母と私は一心同体だと思っているのに

似ているからか・・

時に母の考え方や言葉に腹が立つ。

母の心の中を思うと辛い。

でも、言ってしまったことは仕方ない。

あの時は本当にああいう言い方しか

私には出来なかった。

心の余裕がなかった。

人が聞いたらそんなこと・・と思うだろう。

私は一度約束したことを破るのが嫌いだ。

母が私に言ったことを信じていた。

それが昨日は全く逆のことを言った。

それで私は言い返したのだが

私にももっと思いやりが必要だった気がする。

血とは怖いもので、

昨夜母と顔を合わせたときは

昼間のことはまるでなかったかのように

普通に話すことが出来た。

母はまだ私に気遣っているみたいだった。

そんな風に思わないで欲しい。

いつも私に遠慮して気を遣って

言いたいことを言わないで、

我慢して・・・

ストレスがたまるよ。

私のように後悔はするけれど

その時その時で思っていることを言葉にしていると

後には何も残らない。

これって徳な性格かなと思ったりする。

でも、周りのものは私の気持に右往左往するようになる。

やはり私がいけないのだ。

後悔をしないようにするためには

言いたくてもぐっとこらえるということをしなきゃ。

怒りは体に悪い。

後で後悔もする。

言いたいことがあったら

「いち、に、さん」と数を数えてから言おう。

そうすれば瞬間湯沸かし器のような

私も少しは落ち着くかもしれない。

感情的になりすぎる性格は

なかなか治らないかもしれないけれど、

日々精進することで少しは治るかもしれない。

もう母と衝突はしたくない。

心の中ではごめんと言っているけれど

昨日は母に向って言えなかった。

そんな私・・

ああ〜〜いやになる。


2005年10月11日(火) 絵は心の手紙

昨日、夫と城川町の「かまぼこ板の絵展覧会」に行ってきた。

「かまぼこ板の絵展」は今年で11回目だ。

今年のテーマは「感動物語」。

世界中から集まった絵の数、11063点。

それらが館内中に並べられているのは壮観だ。

出品した作品は皆展示される。

小さな子から今年百歳を越えた人まで

それぞれの心が小さなかまぼこ板いっぱいに描かれていた。

私が初めてこの展覧会に出品したのは四年前。

年を経るごとに少しは上手くなったような気がしている。

今年出品した三点の作品のうち

二点に赤丸がついていた。

やはり嬉しかった。

自分の作品が何所に展示されているかを探すのは

大変で疲れるが、

探し当て、

赤丸が付いているのを発見した時の喜びは何とも言えない。

今年はやめようか・・・と思っていたけれど

やはり頑張って描いて送って良かったとつくづく思った。

絵手紙もこのかまぼこ板の絵もそうだが

小さなスペースに

自分自身の心を描く。

まさに「絵は心の手紙」という言葉の通りだ。

昨日は祝日ということもあり

来館者も多かった。

皆一枚一枚を丁寧に見て、

思わず足を止めて見入っていた。

賞を取った作品は勿論、

そうでない作品も皆、

描いた人の心だ。

心って不思議だから

描いた時の心、

描こうと思ったきっかけになる感動、

それらによって全く違う絵になる。

優しい絵、

メルヘンタッチの絵、

細密画のような絵、

アイデアに感心する絵、

一生懸命さが現れている絵、

皆本当にステキな絵ばかりだった。

今年はいつもより開館期間が長くて

12月11日までしているらしい。

少しでもたくさんの人たちに

この感動を見てもらえたらどんなに良いだろう。

私ももう一度行ってみたいと思う。


2005年10月10日(月) 吉田正記念オーケストラ

昨日夫と二人でコンサートに行って来た。

一昨日夫から

「コンサートのチケットを二枚もらったからどうする?」という電話。

音楽にはあまり興味がない夫から

コンサートの誘いが来るなんて・・・

不思議で、でもちょっと嬉しかった。

もらったチケットは

「吉田正記念オーケストラ」の公演だった。

初めて聞く名前だし

どんな演奏をするのか分からなかったので

ネットで検索してみた。

すると吉田正さんが作曲した曲を

オーケストラで演奏し

また会場の人たちと「寒い朝」を歌うと書いてあった。

吉田正さんといえば

直ぐに吉永小百合の「いつでも夢を」を思う。

吉田メロディーには哀愁と明るさが入り混じった

独特の魅力があり好きな曲も多い。

期待して行ってみた。

会場は私たち夫婦が最年少だと思うほど

中高年の人たちばかりが来ていた。

コンサートは映画「風と共に去りぬ」の曲

タラのテーマから始まり、

今の若者の歌や懐かしい歌の演奏、

そして市民コーラスとの合唱、

二部では吉田正さんの曲とクラッシックを合わせた意味の

新しい交響曲が演奏された。

第四楽章までありそれぞれの楽章は

日本の四季と自然との共生によって

優しさ、強さ、明るさ・・・などを表現していた。

素晴らしいと思った。

指揮者の話術も素晴らしく

時間の経つのがとても早く感じられた

ニ時間半のコンサートだった。

クラシックを身近に感じることが出来たような気がする。

今まで私はクラシックこそ本当の音楽だと思っていたし

聴くのは殆どがクラシックだ。

でも、こうして吉田正さんの曲を聞くと

日本の心を感じることが出来た。

歌は良いものだ。

心が疲れたとき、

悲しいとき、

人の心を慰めてくれる。

これからも音楽と共に生きていきたいと思った。


2005年10月09日(日) 初めての国勢調査員

先日もこのつぶやきに書いたとおり

今年、私は初めて国勢調査員になった。

11日に市役所に提出するように言われていたが

その日は父の病院があるので

回収転記や整理や集計を早めに終えて

4日に提出した。

このことをいつもの新聞に投稿したのが

今朝の新聞の「てかがみ」に掲載されていた。

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     「初めての国勢調査員」

今年、国勢調査員に初めて任命され

九月の半ばから説明会、

お願いのチラシと調査票の配布、

そして回収と三週間にわたって忙しい日々を過ごした。

国勢調査には賛否両論がある。

個人情報の問題から、

調査されるのを拒否する人がいる。

調査員が悲鳴を上げているというニュースも流れていた。

確かに今の方法には問題点も多いと思う。

幸い、私が受け持った地区にはオートロックマンションがなく、

不在の家が少なかった。

また何より皆さんが快く引き受けてくださったおかげで、

大きなトラブルはなく無事回収し終えた。

初めての経験なので失敗も。

私が回収日を間違えて迷惑をかけた家があった。

また反対に、約束の日に訪問しても書いてない家があり、

何度も足を運んだ。

配布や回収の時は

間違いのないように神経を使い緊張もしたが、

笑顔と丁寧さときちんとした態度を心がけて訪問した。

日頃、近所に居ながらお付き合いのない家々を回り、

何となく親密感がわいてきたような気がする。

責任ある仕事をし終えたという

達成感も感じることができた。

これもみな、

協力してくださった方々のおかげだ。

「ご協力ありがとうございました!」


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新聞の投稿欄は文字数の制限があるので

ここに書いたこと以外の色々なことがあり

また私も感じることがたくさんあった。

自分でやってみていかに大変だったかも知った。

言葉遣いや笑顔の大切さも知った。

父の入院や私自身の再入院の予定もあり

引き受けたものの最後まで遣り通すことができるかという

一抹の不安もあったけれど

やり遂げることができて今は満足している。

案ずるより産むが易しとはこのことだ。

これからも色々なことをするときに

初めから出来ないと決めて逃げるのではなく

何にでも挑戦してみることが大事なのだとつくづく思う。


2005年10月08日(土) 長生きの秘訣

今朝NHKのTVで夫婦が揃って百歳を越えた2人を見ることが出来た。

夫は102歳、

妻は100歳。

夫婦のうちどちらかが100歳以上の人は多いが

この夫婦のように揃って100歳を越えているというのは

きっと数少ないのではないかと思う。

夫は妻が体が弱ってきてから

家事を始めた。

それまでは亭主関白で

家事など一つもしたことのなかった夫が

妻のために掃除や洗濯や料理と

一生懸命にしている姿に心を打たれた。

99歳になった時から始めたそうだ。

夫婦の姿を見ていて感動した。

「長生きの秘訣は?」というインタビューに

夫は「夫婦円満」だと答えた。

夫婦の仲が悪ければ

要らぬ心配や気遣いをする。

仲が良いとそういう心配も気遣いもしなくて済むので

安心して暮らすことが出来る。

これこそが長生きの秘訣だそうだ。

確かにそうだと思った。

結婚して80年が過ぎ

時と共に相手を労わる気持ちが増してきたと言う。

夫婦がお互いに相手を思いやり、

支え合って生きていけるって

素晴らしいことだと思う。

私の両親も結婚して55年が過ぎた。

今でも時には喧嘩しながら

それでもお互いのことを考え

労わりあって暮らしている。

私はまだ20年経っただけだ。

今まで、仲がいいと言う感じではなかった。

大きな喧嘩もした。

離婚話も出た。

それでも何とか20年過ぎた。

娘が家を離れ

私たち夫婦2人だけになったとき、

今朝見た夫婦のように

お互いを労わり思いやって生きていけるだろうか・・・

これは一方的なことでは実現できはしない。

本当に2人がお互いを大切に思う心を持たないといけない。

私たちは今朝の夫婦に比べると

まだまだ赤ちゃんのような夫婦だ。

長生きの秘訣を教えてもらったのだから

出来るだけ長生きできるように

努力していきたいと思う。


2005年10月07日(金) 活きる店

     「活きる店」

これを下さい

お客様から名指しされる

そんなお菓子を一品でも多く持つ

店が活きてくる

お菓子ならこの店と

云っていただける店に

一歩いっぽのつみ重ね

一日一日のつみ重ね

活力ある店に

なりたい


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最近の私事のために誠さんの詩集から遠ざかっていた

今朝久しぶりに開けて読んでみた

今日の「活きる店」はその通りだと思う。

この店ならではのもの、

この店でしか買えないもの、

お菓子でも何でも

この店のじゃないと嫌だ

と思ってもらえるってとても素晴らしいことだと思う。

私は所謂グルメではないから

どこそこの何が美味しいとか、

ここのじゃないと駄目だとか

そういったことはあまり思わない。

でも、食べるものは美味しいものが良いということは確かだ。

誠さんのパンの美味しさは

作る人たちの真心がこもっているからだと思う。

添加物一切なし、

甘さも控えめ、

価格も控えめ、

誠さんの心が息子さんたちへ引き継がれ

その息子さんたちが

誠さんの目指すパンやお菓子に対して

真剣な態度で臨み

こうして皆に愛される店を作り上げている。

店だけではない。

人もそうだ。

この人でなければどうしても駄目だ。

この人なら信頼してどんなことでも任せることが出来る。

そんな風に思ってもらえる人ってステキだ。

私の存在はどうだろう・・・

私の入院で夫や娘は私の有り難さを感じたと言う。

反対に夫や娘の存在価値も同じだ。

これが家族だという証拠だろう。

社会の中で

他人の中で

あなたが居てくれるから・・といわれる存在になりたい。

あなたがそこに居てくれるだけで

周りの人が幸せになれる・・

そんな風に思われたらどんなに良いだろう。

一日一日を大切にして

一つ一つのことに誠意を持って

生きていれば

きっと人も活きた人になるのだと思う。

生きるではなく活きるという言葉に意味があるのだと思う。

活きる店、

活きる人。

この誠さんの詩は

今の私へのエールとなった。


2005年10月06日(木) 世の中の理不尽さ

昨日の弁護士との話は

初めから想像していた通りだった。

裁判になっても調停であっても

相手は国になるから

勝つと云う見込みは全くないと言われた。

そして医者は自分のミスを認めて

謝罪することはないし、

大学としても他の病院を紹介することは

面子に関わることだからしないだろうと言われた。

裁判になったとしても

謝罪を求めることは不可能で、

結局は慰謝料の問題になってくると云う。

裁判の費用や慰謝料の問題、

そして時間や精神的負担、

裁判所で何もかもが明らかにされるであろうことなどを思っても

私には何もメリットはないと言われた。

確かにそうだ。

このことは分かる。

私の望むことはただ一つ。

再手術をして治してもらいたいと思うことだけだ。

今日は受診日だ。

医者の前で私が思っていることをきちんと話し、

医者の出方次第では

窓口が制度化されているとしたら

そこで話をして正式な届けにしてもらおうと思う。

もしそういう制度化されたものがないときは

教授に会わせてもらって説明をしてもらおうと思う。

私が治りたいと思うのなら

大学病院に固執しないで

他の病院へ行けばいい。

それは確かなことだ。

もし私が他の病院で手術してもらい

治ったとしたら

そのことが大学病院のミスを証明することになる。

それだけでも意義のあることだ。

それにしても世の中ってどうしてこんなに理不尽なのだろう。

皆こんな風にして泣き寝入りをしてしまうのだろう。

私もそうなる可能性は大だ。

どうか私のこの気持ちが

医者に通じるようにと願っている。

生きていれば色んなことがある。

また良いこともあるだろう。

今はそう信じるしか仕方ないのかもしれない。


2005年10月05日(水) 気持ちって

昨日久しぶりに近所の友人と2人でカラオケに行った。

その前に簡単なお昼を済ませながら

楽しい気持ちになるであろうと期待していたのに

やはり昨日の私の心は何か乗ってこなかった。

何でだろう・・・

誕生日だから自分で祝おうと思っていたし

この最近の忙しさでカラオケにも行けなかったから

友人に誘われた時に直ぐにOKの返事をした。

でも、気持ちが乗らないのだ。

歌いたいと思う歌もない。

こんな気持ちで一緒に行ったことは

友人に対して本当に申し訳ない気がした。

私の今の心を表面には表さずに

なるべく楽しそうにしようと頑張ってみた。

でも、心が笑えない。

顔は笑顔になったけれど

きっと端から見たら違和感を覚えたに違いない。

選んで歌った歌が

あの昔の歌、

カルメンマキの「時には母のない子のように」。



本当に心が真っ黒になってしまった。

黒が好きな彼女の歌だから

心の中まで真っ黒になったのだろうか・・・

歌っていた体全体は沈み込むような気さえした。

明るい歌を歌いたいと思うのに

選曲が出来ない。

どうしても暗い歌になってしまう。

無理をして歌っても声にならない。

彼女に「どうしたの?」と心配された。

「マイクの調子が悪いね、

本当はもっと上手いのにね・・」と答えていた私。

原因は分かっている。

今日の弁護士との話、

明日の医者との話、

そして今の私の体調のこと・・・

心の奥深くに存在するあの人のこと・・・

皆私の欝の原因だ。

折角の誕生日だったのに、

もっともっと明るく歌うことが出来たら良かった。

今日は雨、秋雨だ。

私の心にも雨が降っている。

雲ひとつない晴天はいつ訪れるのだろう。

気持ちの持ち方一つで人生は変わる。

もっと強くなりたい。

もっともっと・・・

どんな辛いことがあっても

それを気にせずに生きていける力が欲しい。

私の悪い癖で

「一生治らない」と思い込んでいる今の体調が

治った時、

きっと私の心がからりと晴れ上がるのだろう。

理不尽だと嘆くだけの毎日は嫌だ。

治りたい・・

どんなことがあっても治してほしい。



2005年10月04日(火) 誕生日

今日10月4日は私の54歳の誕生日だ。

朝起きてPCを開き受信ボックスに

お祝いのカードが届いているという知らせを見て

数人のメル友さんからのカードを見た。

嬉しかった!

やはり何歳になっても誰かから祝ってもらえるって

嬉しいものだ。

私の夫や娘からはきっと祝いの言葉は勿論

何もプレゼントはないだろう。

これが私には分からない。

私の生まれた家では

お互いがお互いの誕生日には祝いの言葉と

心ばかりのプレゼントをする習慣があった。

だから、今も両親と姉からは

誕生日のプレゼントが届く。

今年ももらった。

結婚してからも私は今までと同じように

夫に言葉とささやかなものを送っていた。

娘が生まれてからは友達を呼んでパーティーを開いたりもしたものだ。

大きくなってからはさすがにそれはしなくなったが

やはり娘へのプレゼントやご馳走は欠かしたことはない。

なのに・・・

正直言って、こんなことを言いたくはない。

心が狭い人間のような気がするから。

でも、反対に家族だからこそ

お互いにお祝いの言葉をかけるのが本当ではないかと思ったりする。

でも、今日一日はまだ始まったばかりだ。

夜寝るまで黙っていよう。

今朝は生憎雨の朝になった。

私の今の状況にあったような朝になった。

泣きたくはない。

しっかりと生きていこうと思う。

でも、これから起き得るであろう

色々なことを思うと心が沈む。

落ち込んでいては仕方ないし

私が気持ちをしっかりと持って

これからのことに対処しないといけない。

人生の折り返し地点を過ぎ、

思ってもみなかった経験もした。

人生には色々なことがあると実感した。

後ろは見たくない。

前を見て明るい気持ちで

この一年を過ごそうと思う。


2005年10月03日(月) 心、親から子へ

お金の貧しさが

ともすれば人間をひくつにする

でも一番怖いのは

心の貧しさ

お金は戻っても

心の貧しさは元に戻らない

心だけでも豊かに

生きて行きたい

生かされている今に

ありがとうの

心をこめて


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貧しいということは確かに辛い。

お金がないことも

健康がないことも

住む家がないことも

仕事がないことも・・・

全て貧しいということに繋がる。

でも、いくらお金がなくても

住む家がなくても

体が病気でも

無職であっても

心が元気で居れば生きていける。

心を元気に積極的に持っていさせすれば

どんなことにも耐えていける。

頑張ることが出来る。

一番怖いのは

心が負けてしまって

生きる意欲もなくし

生かされているという有り難さを忘れ

自暴自棄になってしまうことだ。

また

いくらお金も名誉も地位があっても

人を思いやる気持ち、

相手の立場になってものを考えることの出来ない人は

心が貧しい人だと思う。

心が豊かであること、

これは人それぞれ違うだろう。

でも、一つたけ共通していると思うことは

感謝の気持ちを持つこと、

身近にある小さな幸せに感謝すること。

これが心の豊かさの原点になっていることだと思う。

私は今まで何かあると直ぐに自暴自棄になっていた。

そして頭では分かっても居ても

心を貧しくしてしまうことばかりしていた。

今でもこんな偉そうなことを言っているが

今回の医療ミスによって

心はボロボロになっている。

だから、「心を豊かに」と簡単に言えるものではないと

気付いているのだ。

何でも心の持ち方一つで変わってくる。

どんなことでも受け入れ

それを投げず立ち向かっていける力を養うこと、

人を幸せにしてあげることは出来なくても

人を不幸にしたくないと思う心を持って生きること、

綺麗なものを見て美しいと感じ、

いい歌を聴いて涙を流す感受性を養うこと、

人と会話することによって

自分の心が優しくなり

相手のことを思いやれる心を持つこと、

これらが出来て初めて豊かな心を持てるのだと思う。

誠さんの心は息子さんたちへ

確実に受け継がれている。

そしてまた孫にと受け継がれるのだろう。

私が娘に残してやれることを考えた時、

何もないことに気付いた。

私の生きてきた人生を語ることで

娘の心が少しでも楽になり

楽しく明るく生きていけるのなら

私の全てを娘に見せてやりたい。

そして私の経験したことから

今の私が存在する過程を話してやろう。

そして娘が心を豊かにして

生きていけるようにと祈りたい。

明日は私の54歳の誕生日だ。

今日と明日の私に違いはあまりないと思うけれど、

私の内面の心を少しでも豊かに居られたら

それが私の誕生日への私からのプレゼントになるのだと思う。


2005年10月02日(日) 国勢調査

昨日は国勢調査の調査票回収の第一日目だった。

先日の配布の時に

それぞれの家の人の都合に合わせて

回収の日にちと時間を決め約束を取り交わしていた。

昨日は朝8時から夕方5時まで

数十軒の家を訪問した。

今回この国勢調査をやってみて

本当に色々なことが分かった。

それぞれの人の反応が違うことや

人の性格の違いを知った。

私自身ならきっとこうしたでえあろうという事柄も

人によっては全く違っているし

私には考えられないようなこともあった。

感じよく応対してくれる人、

事務的に迷惑だけれど仕方ないという態度を示す人、

約束の時間に行っても留守にしている人、

約束した日の約束した時間に行っても

まだ書けてないと慌ててその場で記入する人・・・

本当に色々な人が居た。

でも、今回私に対して不満や文句を言う人や

国勢調査そのものに対して反感を持っている人、

私を門前払いにする人が居なかったのは

とてもラッキーだった。

昨日の新聞にこの国勢調査の今のやり方について

意見を述べている記事があった。

読んでなるほどと思った。

今の時代、個人情報を守る意味でも

開封したまま提出するのは問題だと思う。

開封したまま回収するのは

後で役所の手間が省けるからだ。

私たち調査員が整理して世帯表を作成し

一枚一枚間違いはないかの確認作業をすることによって

後の事務的な処理が面倒ではなくなるからだ。

勿論役所側の気持ちも分からないではない。

しかし、今のような対面調査によって

各家と調査員との人間関係にひびが入る可能性も大だ。

心身共に負担も大きい。

政府は今回の結果を考えて

将来は郵送による調査や回収も考えてみることが必要だと思う。

今日と明日の二日で全部回収し終えようと思っているが

果たして私の予定している通りにことは進むのだろうか・・・・

頑張ろう。


2005年10月01日(土) 父から子へ

ぐちや言い訳をする位なら

その問題と命をかけて

たたかえ

ぐちや言い訳は

人生の敗北を意味する

行動八分に言葉二分

まごころをつくし切った時

そこに言葉の重みがあり

生きる命の光がある


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再び、誠さんの詩集からの言葉を読んでみると

当たり前のことだけれど

人が実行するのはなかなか難しいことが多いと思う。

愚痴をこぼさす、言い訳をせず、

生きていくことが出来たらどんなに良いだろう。

言ってもどうしようもない

愚かなことを愚痴というなら

それは人にとって一番無駄な言葉ではないだろうか。

愚痴は言うまいと思っても

何かが起きるとつい言ってしまう。

私の今回のことにしても

ただここで嘆いていただけでは何も生まれないと気付いた。

愚痴をこぼす暇があるのなら

本気になってこの問題と闘おうと思った。

誠さんは自分の店のことを考えて

まごころを大事にして

有難うの心と言葉に重いものを感じ取っている。

確かに、真心を尽くせば

結果がどうであれ後悔することはないだろう。

また真心を尽くしていれば

悪い結果が生まれるはずはない。

真心を尽くすことで

言葉にも命にも重みが増すのだと思う。

私は昔から言い訳をするのがとても嫌いだった。

人は間違いを起こす。

人との約束をたがえることもある。

そして自分にとっては正等な理由もあるだろう。

でも、弁解や言い訳をするのは卑怯だと思う。

素直に認めることが一番だ。

今回のことでも医者は弁解に徹した。

見苦しいと思った。

弁解をしても正当性は認められない。

真摯に自分の非を認め、

謝罪するのが本当だと思う。

そして、私はどうしよう・・と悩んでいるだけではなく

ではどうすれば良いのか?ということを考え、

自分の目の前にある問題を

一つ一つ解決していく方法を考えよう。

愚痴はこぼさずに行動を起こそう。

闘おうと思っている。


スカーレット