スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2005年09月30日(金) 不信感と怒り

二度も裏切られると不信感を抱くようになっても仕方ないと思う。

昨日は私の再手術のことを決めようと

大学病院を受診した。

8月の手術が医者のミスによって

違う箇所を手術されたことは明らかだ。

医者の立場としては

認めたくない気持ちも分からないわけではない。

しかし、

「ちゃんとしたつもりだった」とか

「場所が少しずれた」とかいう言葉は

いい訳に過ぎないと思う。

私の今回の手術が

命に関わる場所ではなかったし

そのことが普段の生活に支障をきたすことではないから

気にしなければそれで済むと思っているのだろうか。

たとえそれがどんな小さなものであれ

医者は患者の病気なり怪我なりを

治すのが本当だと思う。

それが昨日行って

医者の前に座った途端に

「予定していた再手術は止めました」と言ったのである。

「え〜!」

「何?」と思った。

8月の手術のミスさえ認めない医者が

今度は再手術をしても治ると言う確信が持てないから

中止するというではないか!

これって医者としての責任放棄ではないかと思った。

「薬を処方するのでしばらく様子をみてください。」

じゃあ、あの痛い思いと恥ずかしい思いをした

先月の手術は一体何だったの?

あの手術が正しく行われていれば

今頃は私の傷も癒え、

快適な生活を送れていたはずである。

この一ヶ月余り、

どうなるのか?

大丈夫なのか?

父の入院のことに加えて

私の肉体的、また精神的な疲労や苦痛は限界に近づいていた。

父がやっと退院し、

これで私自身のことを考えることが出来ると思っていた。

来月の末にはきちんと治っていると思っていた。

それなのに・・・・

医者というものに不信感を抱いてしまった。

先日TVで見た

「世界のスーパードクター」と云う番組では

脳外科の医者は

脳を切らずに小さな穴をあけて

そこからカメラで覗きながら

脳に出来た腫瘍を全て取り除いていた。

成功率は99パーセント以上だと言っていた。

また心臓外科の医者は

人工心肺を使わずに心臓のバイパス手術を行っていた。

患者は手術中も意識があり

回復も異例の早さだった。

こういった医者の技術は素晴らしいものだ。

本当に「神の手」と言われる技術を持っている。

私のミスに終わった手術は

医者がその箇所を肉眼で見ることが出来たし、

私自身が傷ついている場所をちゃんと話し示していた。

そして時間的にも技術的にも

簡単な手術だったと思っている。

それなのに傷ついている場所を見つけることが出来ず、

結果として再手術も出来ないことになった。

情けなさと悲しみと怒りが

私の心の中に湧いてきている。

中村天風先生の言葉に従えば

「たとえ肉体は病気や不自由であっても

心を元気に積極的に持ち

前向きに明るく生きることが出来る」

確かに頭では分かる。

理屈はその通りだと思う。

しかし、私はそんなに強い人間ではない。

今の私の心は最悪状態だ。

もし、医者が自分のミスを認め

謝罪の気持ちや言葉を示していれば

私だって今のような気持にはなっていないと思う。

医者も神様ではない。

手術も100%成功するとは限らない。

これは分かっている。

ならば、

「私には技術的に難しいので優秀な医者を紹介します」の言葉があっても

おかしくはないと思う。

処方した薬を使って様子をみて

来月の6日に再受診の予定だ。

今回の再手術を中止すると決めたのは

医者本人だけではなく

上の医者とも相談したというなら

教授と話をしたいと思う。

そしてきちんとした説明を受け、

その上で私の傷を治すことの出来る医者を

日本中の大学病院から探して紹介してもらおうと思っている。

そうでもしなければ

私の今の医者に対する不信感と

怒りや悲しみは治まりそうも無い。


2005年09月29日(木) 父から子等へ

     「父から子等へ」

手作りそれは母さんの味

形は悪くとも健やかな

子供の笑顔を想い

吾子等の成長を願い乍ら

楽しそうに菓子を作る

お母さん!

「愛の無い菓子は甘い

動物のえさ私は嫌いです」

そんなすばらしいお菓子を

店一杯にしたい

それが私達の願いです


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誠さんの息子さん達へ伝えたい今日の心を読んで

私は母親としてとても恥ずかしくなった。

最近の私は忙しさにかまけて

娘のために手作りのお菓子を作らなくなってしまった。

毎日食べる食事におかずさえ

時間的に余裕のないときは

出来合いのお惣菜を買ってきたりする。

専業主婦なのだから

一つ一つ手作りする時間は作ろうと思えば出来ないはずはないのだ。

それが段々とずぼらになってきている。

昔、娘がまだ小さい頃は

ケーキやクッキーも私が焼いていた。

甘さを抑えて

そして添加物なしの安心できるケーキやクッキーだった。

カボチャのケーキは評判も良くて

美味しいと言われたら

嬉しくなって何回も焼いたものだ。

夏にはゼリーや寒天を使ったお菓子も作った。

それが今はどうだろう。

娘に作ってほしいと言われても

直ぐには作らないし、

「お母さんは今忙しくて時間がない」と返事をしてしまう。

決して娘に対する愛情が薄くなったわけではない。

出来たら食べるものを皆手作りで提供したい。

元々作るのは好きだった。

それが今では何かとても億劫になっている。

「動物のえさ」を毎日食卓に乗せているとは思わない。

でも、本当に家族のためのみを思って用意しているか・・・・

それを突かれると返答に困ってしまう。

昨日の誠さんの詩にもあったが、

やはり原点にかえることが必要なのだろう。

「手作りは母さんの味」

この言葉の通りだ。

娘にとって「母さんの味」ってあるのだろうか?

一度娘に聞いてみた。

そうしたら

返事は「分からない」だった。

ショック!

でも、仕方ないかもしれない。

私の母は私に色々な「母の味」を残してくれたと思う。

それを娘に伝えるのが私の役目だと思うのに、

ああ〜情けないな・・・・

子供の笑顔を見たいのなら

母親は子供へ愛のこもった

手作りのお菓子を食べさせてあげるのが一番なのだろう。

誠さんのパン屋さんで

今度懐かしいお菓子を作って売るという話を聞いた。

昔は誠さんはお菓子やさんだったとも聞く。

懐かしい母の味のするお菓子を

私も食べてみたいと思う。

反省の朝である。


2005年09月28日(水) 親から子へ

     「親から子へ」

夢を見ることは楽しく

現実はきびしい でも

現実から逃げた時から

進むべき道は無くなる

御客様のために

現実を重視せよ


初心忘れず原点に立とう

道に迷った時

元の道に引返すのが

山登りの鉄則なら

人生も又同じ

店は御客様のためと云う

初心にかえって


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「初心にかえる」本当にこれは大事なことだと思う。

人には理想やこうなりたいという夢がある。

そしてその理想や夢に向って歩いていこうとする。

でも、現実は厳しい。

どんなに素晴らしい理想や夢であっても

それを実現するには

少しの運と大きな努力が必要になる。

得てして人は現実にぶつかり

それが自分の思う理想や夢ではない時に

最初に思っていたことを諦めようとする。

人生を投げようとする。

でも、現実から逃げていたのでは何事も始まらない。

なにくそと思う踏ん張りと

絶対に出来ると思う信念と

そして初心を忘れずに頑張らねばならない。

逃避や投降は簡単だ。

逃げないで初心に戻って

もう一度何が足らなかったのか?

何が失敗の原因なのかを見極めて

再度挑戦することが必要だと思う。

誠さんから息子さんたちへ伝えたい心の中で

この「店は御客様のために」という初心こそが大事なのだという

固い誠さんの信念を感じ取れる。

こういう信念の元があるからこそ

誠さんのパンは美味しいのだと思う。

自分のためではなく

世の中のため、

人のために尽くすことが出来たら

それこそ人しての最高の喜びだと思う。

私など何も人様のためになることをしていない。

いつも自分の心の中だけを見つめて生きているような気がする。

恥ずかしい。

韓国のことわざに「はじめは半分」と言うことばがあるそうな。

何でも始めたらもう半分はしたことと同じだという意味らしい。

父の入院で休んでしまったヴァイオリン。

初心に戻って再開しようかな・・・

今回の処置で父の病状も小康状態になった。

今日父は退院する。

父のことが済んだら私の再手術が待っているが

その再手術もうまく行き

私も落ち着いたらもう一度チャレンジしてみようか。

私も原点に戻って生き方を変えようと思う。


2005年09月27日(火) 父より子供等へ

      「父より子供等へ」

人の値打ち商品の価値は

自ら売り出すものではなく

お客様が決めてくれる

只ひたすらに

我道を歩む


人に愛を与えても

自ら求める事なかれ

人に求める時

心がひくつになる


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誠さんのこの詩は

誠さんの人生の中で

どうしても息子さんたちへ残したいと願う心だと思う。

誠さんには二人の息子さんが居る。

二人とも誠さんの仕事を継ぎ

共に力を出し合って頑張っている。

店にはいつも笑顔と

「有難うございます」という言葉と

美味しいパンを求めて買いに来る人でいっぱいだ。

勿論美味しいパンを食べてもらいたいと思い

一生懸命に作っている誠さんたちの心と

姿勢が今のこのお店を盛り上げているのだろう。

でも、お客は正直だから

いくら一生懸命に作っても

その味が悪ければお客は来ない。

やはり商品の価値は客が決めるものなのだろう。

自信を持つことは必要だ。

良い意味でのプライドを持つことも。

でも、天狗になってはいけない。

これは物だけではなく

人自身にも言える。

人の値打ちは自分で決めるものではなく

日々の暮らしの中で

人と人とが付き合っていく間に

自分の周りの人が決めるものなのだ。

周りの人に良い評価をつけてもらいたいなどと

思ってはいけない。

只ひたすら、相手のことを思って

自分が信じる正しい道を歩むことが

やがて自分自身を高め周りに評価されることになる。

人を愛するのも同じだ。

人を愛する気持ちに見返りを求めない。

私がこれだけ愛しているのだから

相手にも同じように思って欲しいなどと思うのは

一種の傲慢さかもしれない。

私の今までの人生を振り返ってみて思うことは、

いつも他に自分が与える愛と同じ愛を求めていたように思う。

無償の愛こそ真実の愛なのだろう。

相手が望むことをしてあげることこそ

本当の愛なのだろう。

人生の折り返し地点を過ぎて

初めてこんなことに気付くなんて・・・

本当に情けない。

もっと早くに気がついていたら

あんなに苦しい思いをせずに済んだろう。

今からでも遅くはない。

人に同じ量の愛を求めるのはやめようと思う。


2005年09月26日(月) 春の光と雨の中

   「春の光と雨の中」

裸木になった桜の小枝朴の芽が

雨にぬれ光の中でキラキラと

しとしとと降る雨音に春の命の声がする

少しずつ少しずつふくらみ始めた朴桜

真白い雲と青い空に向って

背のびする

足元のコンクリートの割れ目から草萌えて

名も知らぬ小さな花が三輪

顔を出した もう春ですよ

車椅子の私に声をかけて

少しゆらいで見える

明るい光としとしと雨の交わりの中に

待ちわびる 待ちわびる

春近し

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誠さんの詩にはよくこの光景が登場する。

春を待って草や木の芽が少しずつ

大きくなりやがて春花を咲かせる光景だ。

きっと誠さんの心の中に

春に対する特別の思いがあるのだろう。

そして朴の木に対する誠さんの思いを感じることが出来る。

名もない花の生命力に元気をもらい

車椅子の生活の中で

前を見て明るい光の方向に向って

歩いていこうとする誠さんの心が見えるような気がする。

私はどうだろう・・・・

普段は何気ないことを

見ていないのではないか・・・

当たり前のことを当たり前と思わずに

何でも有り難いと感じる心を持ちたいものだ。

そうすればまた別の生き方を見つけることが出来るはず。

いつまでも未練を持って

遠い世界に居る人のことを追いかけるのはやめたい。

今、季節は秋を迎える。

この誠さんの詩とは違う季節だ。

葉も散り、

空気も澄み渡り気持ちの良い季節になる。

心の中を空っぽにして

来る冬に向けて元気にしておきたい。

父の病状も落ち着いた。

この分では今月の末か来月の初めに退院できる予定だ。

父にとってはこの秋は

生命の春になったのかもしれない。

後数日遅ければ

今頃は初七日を迎えている頃かもしれなかった。

父は言う。

命拾いをしたのだから

これからは自分の命を大切に

少しでも長く生きたいと。

父にとって本当の春が来ることを心から祈りたいと思う。


2005年09月25日(日) 春のあらし

山茶花が散って

春の香りにさそわれて

土筆が頭を出し

菜の花が満開となった

突然の大雪と寒波で

土筆は雪に埋まり菜の花は凍りつき

粉々に砕け散り

雪の表が黄色に染まった

つくしは雪の下で息絶えて

春を忘れた

もうすぐ春なのに

心いたむ雪が降る

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春の嵐は残酷だ。

長い冬の間、

土の下で春を待っていた花や木が

やっと春の気配を感じて

生命を輝かそうとする時、

思わぬ寒波の到来は

その命を驚かせ

縮こまらせてしまう。

春はやはり優しいのが良い。

暖かな南の風を感じ、

ほのぼのとした空気の中で

赤や黄色、そして色とりどりの花々が

一斉に咲き始める。

皆が待ちわびていた春。

そんな時に来る嵐って本当に驚くし嫌なものだ。

でも、花や木は思っているよりも強いのかもしれない。

たとえ、春の嵐がやってこようとも

生きようとする力はやがてまた花を咲かせることが出来る。

人間も同じだ。

突然辛いことが悲しいことが訪れても

それに負けないでじっと耐えていると

きっと嵐は通り過ぎ

また平凡だが幸せな時期が来る。

今の私の心もそうだ。

あれほど狂おしい気持ちに苦しんだが

あの時じっと耐えたことで

今私の心は平穏になりつつある。

これからも春の嵐が来ようとも

負けずに居ようと思う。


2005年09月24日(土) あかりと宇宙語

パタパタとトントンと時にはドンドンと

あかりがはって近づく音がする。

ふすまがそっと開いて入ったあかり

ベットのてすりの向こうから

白熊の子の様に顔を出した

にこっと笑って私の顔をなぜるもみじの手

あかりのヒトミがキラキラ光り

枕元で大声出して話すあかりよ

あかりにことばは宇宙語だ

私とあかりが宇宙語で会話する

11ヶ月になったあかりが手すりから

立ち上がり2人だけに通じる宇宙語

あかりの笑顔が生きる力を

与えてくれる

すこやかでいて欲しいと

祈りながら

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この誠さんの詩「あかりと宇宙語」は

誠さんのお孫さん「あかりちゃん」のことをうたった詩だ。

11ヶ月になったあかりちゃんは

やっとつたい歩きが出来る頃だろうか・・・

それとも立ち上がることが出来るようになった頃だろうか・・・

私の娘のことを思い出した。

赤ちゃんの成長は本当に素晴らしい。

生まれて一年の間に立ちあがり

一歩前に足を出すことが出来るようになる。

小さな手でものをしっかりと握り

まるで世界は自分だけのためにあるかのように動き回る。

そんな動きを見ていると本当に幸せな気分になれる。

誠さんとあかりちゃんが

2人だけに通じることば

「宇宙語」で話しをしている姿が目に浮かぶ。

端からは何を話しているか分からないことでも

2人に間ではちゃんと通じ合うことが出来るのだ。

これが血というものだろう。

あかりちゃんの成長が誠さんの生きがいにもなっているのだろう。

誠さんの気持ちがよく分かる。

これからもあかりちゃんが健やかに

成長することを私も心から祈りたいと思う。


2005年09月23日(金) 誠さんの詩集

昨日、父の病院から帰ってみると

ポストの中に誠さんの詩集が届いていた。

家の片付けもそのままで

胸をワクワクさせながら開封した。

いつもと同じの誠さんの素晴らしい言葉の数々が

私の心に暖かな風となって吹くのを感じた。

夜さっそく電話してお礼を言った。

今回の第10集は一つの区切りになると言われた。

そして父から息子へ伝えておきたい心を書いたと言った。

誠さんに「今日からまた一つずつ載せさせて下さい」と言ったら

快く承知してくれた。

私のつぶやきを見てくれる人たちに

是非誠さんの詩を読んで欲しいと思う。

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「やればできる 

ぜったいあきらめない

まごころつくして

やればできるよ

信じて生きたい」

↑の言葉で始まる誠さんの詩集です。

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    「桐の木と小鳥たち」

駐車場の片隅に立つ桐の大木

雲一つ無い冬晴れの天空に向き

全ての葉を落とし実だけを残して

りんとしてた立つ雄々しさ

食を求めて集まり実をついばむ小鳥たちの

美味しいね嬉しいねと楽しそうな

語らいが聞こえてくる

光を浴びて桐の実がキラキラ光り

共に生きる命の声がする

冬のきびしさに耐え乍ら小鳥たちの

命を守るやさしさやがて

春を迎えて音もなく

静かに実は落ちた

桐の木と小鳥たちの

命をたたえたい

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何気ない光景を済んだ心で見るとき

こういった詩が生まれるのだろう。

花や木や小鳥たちを愛する誠さんの心が

この詩を生んだのだと思う。

私にはこんな感性が乏しい。

だから、同じ光景や風景を見ても

直ぐに心を表現することが出来ない。

自然と共に生きていくということ、

これは人生についても同じだと思う。

何事にも感動し、

物事を素直に捉え、

自分の心を正直に言葉にすることで

人間関係もきっと良いものになるのだと思う。

小鳥たちの声が聞こえるようだ。

桐の木になった実を求めて

また桐の木とおしゃべりしながら

楽しそうについばんでいる小鳥たちの姿が目に浮かぶ。

朝の清々しい空気の中で

凛として立つ桐の木と

小鳥たちとそれを見守る誠さんの姿が

私の心の中で大きな絵となって残っている。




2005年09月22日(木) 心の余裕

本当に忙しい。

座る暇もないというのが現実だ。

しんどい。

確かに肉体的には相当疲れている。

でも、まるで薬でもしているかのように

気持ちはいつも覚醒しているような気がする。

ここで私が倒れたらどうなるのか・・・

それを思うとおちおち寝ても居られない。

大げさに言えば

一日が倍の時間あってほしい。

朝はいつものように4時過ぎに起き、

朝のうちに家事の殆どを済ませようとするから

一秒単位の行動をしている。

こんなに忙しい時に

国勢調査を引き受けるからいけなかった。

夫にしてほしいと言われたのは今年の春だった。

その頃は父も落ち着いていたし、

私の入院や手術なんて思ってもみなかった。

だからこそ引き受けたのではあるが

今になって思うとやめていたほうが良かったような気がする。

責任のある仕事だ。

自分で好い加減に出来ない性格だと分かっている。

全て完璧にこなそうとしている。

父のこともそうだ。

私が居なければそれはそれでまわるのだとは思うのに、

私が一人で何もかもしょって立っている。

これでしんどいと愚痴をこぼしてはいけない。

私が自分で勝手に忙しくしてるのだから。

姉に頼めば済むことだってある。

夫や娘に頼んでも良い。

それが出来ないのならもう二度と愚痴はこぼさないようにしよう。

昨日は時間を作って美容院へ行き

カットとカラーをしてきた。

長くなっていたのを4センチ足らず切ってきた。

少し気持ちもさっぱりしたような気がする。

さあ、今日も一日のスタートだ。

頑張ろう。

でも、心の余裕は持っていたい。

好きな音楽を聞く時間もないけれど、

私の心の中でほのぼのとした想いを温めていたいと思う。

彼との思い出に浸る時間が

唯一の私の心の余裕なのかもしれない。


2005年09月21日(水) 気持ちよく

人と接する時は気持ちよく接したいと思った。

昨日は今年の国勢調査のお願いのパンフレットと

一軒一軒歩いて配る仕事をした。

本来は郵便受けに入れておいたので良いと言われたのだ、

やはり23日に調査票を配る時に

初めて顔を合わすよりは

昨日前もって挨拶をしておこうと思ったから、

60軒を2時間かけてまわった。

日中は留守にする家が多いと思ったので

ちょっと早いかなとは思ったが

8時から10時の間に訪問した。

勿論もう仕事で留守にしている家もあったが、

40軒ほどの家は在宅していた。

玄関のチャイムを押すと

何か嫌そうな声が聞こえる家と

とても感じの良い声がする家に分かれた。

私はセールスではない。

総務省から任命された身分も国家公務員だ。

そして身分証明書も首からぶら下げている。

きちんとした挨拶をして自分自身を紹介し、

それから今年国勢調査があるのでそのお願いをした。

反応は色々だった。

とても気持ちよく了解してくれる人と、

嫌でも仕方ないと言う感じの人、

はっきりと拒否的な言葉を投げる人。

本当に色々だった。

自分の場合だったらどうだろうと考えた。

私は気持ちよく応対すると思う。

やはり感じの問題だ。

人と人とが出会い話すとき、

第一印象ってとても大切だと思う。

人に好かれようとか良いように思われようとかいうのではないが、

やはり人には感じよく

気持ちよく接したいと思う。

これから最低二回は訪問することになるが

さて、皆どんな感じで応対してくれるのだろう。

心配しても仕方ない。

私自身が感じよく接する態度を意識してしようと思う。

10月の初めまでこういう日々は続く。


2005年09月20日(火) 別れと出会い

一つの別れがあると次の出会いがある。

本当は出会いがあるから別れがあるのではあるが・・・

私の今までの人生の中で

色々な出会いと別れがあった。

私は小さいころから何故か人には好かれた。

勿論陰では私のことを好ましく思っていない人がいて

何か言っていたかもしれないが、

私の耳には届くことはなかった。

私自身人から嫌われているという意識もなかった。

だから、学生時代から想う人は次々と変わって行った。

それは恋と呼ぶにはまだまだ未熟なものだった。

本気で人を愛したのは18歳の時だったから

それまでは単なるボーイフレンドとして存在していたのだと思う。

それにしても一学期に一人ずつ好きな人が変わって行ったことは

今思っても不思議だ。

それはきっと私が求めている

私自身の半身と同じような存在に巡りあえなかったからだと思う。

そして18歳の時の私の恋、

これは今でも私の中にトラウマとなって残っているほど

衝撃的なことだった。

心を病み、

人間不信になり、

自暴自棄になった生活の原因にもなった。

そしてまた今、

私の心に再び嵐が起きようとしている。

平常心で居ようと思う。

良いこと取りだけして生きていこうとも思った。

でも、私は自分に嘘がつけない。

だから今度も苦しいのだ。

別れを味わいたくなければ

誰とも出会わなければ良いのだ。

理屈ではよく分かっている。

そして本当に私の心が動くことはなかった。

今身近に存在する小さな幸せを見つめていけば

それが私にとっての大きな幸せに通じることも分かっている。

それなのに・・・

私の心はやはり何かを求めている。

見えないもの、

私の心の中だけに存在するもの、

昔の恋の代償、

でも、彼に匹敵する人は二度と現れないだろう。

私にとって残された人生の中では

もうあのような恋をすることはないと分かっている。

それなのに・・

それほど大きな存在だった彼との別れを

今の私は引きずっているのだろう。

ああ〜もう誰とも出会いたくない。

もう辛い別れは嫌だ。

私はもう一生心を動かすことはない。

たとえ、心の中の想像の人に対しても。

別れと出会いは若さの特権なのかもしれない。

そんな気がする。


2005年09月19日(月) お月さま

昨夜のお月様は本当に綺麗だった。

旧暦の8月15日、

中秋の名月だった。

昨日はお天気も良くて

まん丸で暗い空にくっきりとその姿を見ることが出来た。

少し赤みを帯びた月だった。

外に出てしばらく眺めていた。

去年のお月様を見たことを思い出した。

あれはブルームーンといわれるものだった。

ひと月に二回満月を見るのがブルームーンと言うとかで、

私はこの月を共有できることに心をときめかせた。

何でブルームーンなの?と

私の心の中に聞かれたような気がした。

まるでそれが昨日のように感じたのは何故だろう。

今年の月は一人で眺めた。

もしかしてあの人も同じ月を眺めているのだろうか・・・

私の言った言葉なんてもうすっかり忘れているだろう。

でも、もし昨日のお月様を眺めたら

少しは私のことを思い出してくれたかもしれない。

そんなちょっぴり感傷的な気分になった。

後撰集に次のような歌がある。

「秋の夜の月の光はきよけれど 人の心の隈は照らさず 」

秋夜の月光は冴え冴えとして濁りなく清らかだけれど、

あの人の心の奥までは照らさないのだろう。

という意味だろう。

そう、どんなに月が明るくても

私にはあの人の本当の気持ちまでは見えない。

もしあの人が同じ月を見て

私のことを想ってくれたとしたら

たとえ会えないにしても私は嬉しい。

もう直ぐ秋の彼岸だ。

朝晩はめっきり涼しくなってきた。

日中はまだまだ暑く夏を感じるけれど、

夜ベッドに入り

外からの月の光と虫の音を聞いていると

「ああ〜秋だなあ・・・」という気がする。

そして私の大好きな10月も目の前だ。

心の中のもやもやも

この澄み切った月の光の中で消えていくかもしれない。

そんなことを思いながら昨日のお月様にそっと言ってみた。

「来年のこの月を私はどんな気持で眺めるのかな」








2005年09月18日(日) 人を想う気持

昨日に続いて今日の私も彼を想う心で朝から胸がいっぱいだ。

昔の古今和歌集にこんな歌がある。

「夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ あまつそらなる人を恋ふとて」

この歌は詠み人知らずとされているから

果たして男性が女性を想って詠んだ歌か、

それとも私のように恋しい男性を想って

女性が詠んだ歌なのか分からない。

どちらにせよ、人を想う気持ちが切ないほど伝わってくう歌である。

「夕暮れになるとぼんやり雲の果てを眺めてしまいます遠いお方を想って」

ああ〜本当にこの歌の通りだ。

私の場合は夕暮れでなくても

何かちょっとした時に彼のことを思い出している。

ああ〜今彼とこの場に居られたら・・・

どんなにステキだろう・・・

彼はこんなときにどんな言葉を私に与えてくれるだろうか・・・

彼のあの笑顔を思い出す時、

私の心は本当に切なくなる。

あの空の果て、

雲のはたてに彼は居る。

私のことなどもうすっかり忘れているだろう。

日常の生活の忙しさの中で

私との思い出はきっと遠くに消え去っているに違いない。

私一人がこうして彼への思慕を大きくしているだけなのかもしれない。

こんな私っておかしいのだろうか・・

でも人を想う気持には昔も今もないはずだ。

昨夜は黄色い大きな満月が出ていた。

彼とブルームーンだねと話した日はいつだったろう。

昨夜の満月も私にとっては彼との思い出の月になった。

会いたい・・・

会えないから余計に会いたい・・・

こんな気持ちを切り替えて

今日も父の病院へ行く私だ。


2005年09月17日(土) 心の支え 彼の思い出

人は苦しい時、悲しい時でも

何か一つ心の支えになるものがあれば頑張れる。

私にとっての心の支えは

昔、昔愛した人との思い出だ。

もう彼は私のことなど忘れ去っているだろう。

もしかしたら、この世に存在すらしていない可能性だってある。

でも、私の心の中には

あの時の彼の思い出、

彼の笑顔、

彼の優しかったしぐさや言葉が

今も活き活きと生きている。

思い出にすがるのは駄目だと言う人が居るかもしれない。

でも、人の心の中にいつまでも残っている、

誰かを懐かしむ気持ちや

ちょっぴり酸っぱくて、ほろ苦くて、

それでほんのり甘い味のする

恋の思い出に浸るのってステキなことだと思う。

私にも数々の恋の思い出がある。

でも、その中でも彼との思い出が

一番大切な宝物として私の心に残っているのだ。

決してハンサムな人ではなかった。

気の利いたことが出来る人でもなかった。

彼の何所に惹かれたのか・・・

今考えても分からない。

姿形ではなく、彼の全てが好きだった。

嫌なところが全くなかった。

私は彼の前に出るとまるで自分が天使にでもなった気分になれた。

彼と聞くピアノの曲や

彼の話す自分の生きる意味や目標は

私にとってとても生きる刺激になった。

「ああ〜この人と一緒に居られて本当に幸せだ」と思った。

彼とは結婚は出来なかったからこそ、

こうして今も私の心の中で生きているのだろう。

そして永遠に生きつづけるのだと思う。

結婚生活という日常の中では

私のあの時の彼への思いは

いつしか消え、

夫という日常の存在に変わることによって

お互いの嫌な部分を嫌だと感じ、

また全てが好きだと思っていた気持ちの中で

否定する気持ちが出てきていると思う。

彼とはあれでよかったのだと思う。

別れはどんな形であれとても辛いものだ。

お互いに嫌いになって喧嘩をして

別れを迎えた方が良いかもしれない。

私たちの別れは

お互いに相手を想う気持を残しながら、

それでも別れないといけない条件の下での

辛く悲しい別れだった。

確かにその時は辛くて、切なくて、

苦しくて何も手につかず、

自分自身を見失いそうになった。

いっそ喧嘩して彼を憎む気持ちを持っていた方が

あの時は楽だったかもしれない。

でも、今は違うように思える。

あれから何年も経ち、

あの辛く悲しい別れが

こうして昔昔の恋話として思い出すことが出来るようになった。

今では私にとってとても大事でステキな思い出になっている。

彼の中でも

勿論私の中でも

お互いの存在を愛しく感じ、

また何かの時にはこうして思い出すことが出来ることは

本当の意味で幸せなのだと思う。

私のこの最近に起こったことで

日々心がザラザラしそうな時、

彼のことを思うときだけ

私は本当に幸せな気持になれる。

心の支えとしていつまでも私の心に残る彼のことを

私はこれからも一生想い続けるのだと思う。

私の心にほんの数秒でも良い、

暖かな風を吹き込んでくれる彼へ

「有難う」の言葉を言いたいと心から思う。


2005年09月16日(金) 一番しんどいのは父

14日に父が入院、そして手術と、

あれよあれよという感じで日にちが過ぎていく。

14日と15日は付き添って病院に泊まった。

私は小さいころから病気なれをしているので

入院生活もあまり句にはならないし

こんなもんか・・・という気さえする。

でも、若い頃から病気知らずで生きてきた父にとって、

去年の秋からの入退院の繰り返し、

そして今回の手術と

本当に衝撃的なことだったに違いない。

そして84歳という年齢のせいもあるのだろう、

本当に気持ちが弱くなってきている。

付き添いは勿論楽なものではない。

病人の気持ちになって考えることが一番だ。

だから、私も父の気持ちを考えてやろうと思っている。

でも、父の性格はとても依存心の強い性格なので

ついつい何でも私に頼る。

それはそれで良いとも思えるが、

本当の意味でもっともっと悪くなったときは別だが

今はまだ自分のことは少しでも自分でするべきだと思うのだ。

そんな風に思ったから

少し父にきついことを言ってしまった。

今はちょっと後悔している。

もし、父が亡くなった後で

「あんなことを言わずにしてあげたら良かった・・・」と

きっと後悔するに違いない。

一番しんどいのは父なのだから、

それが分かっているのだから

明日からはどんなことでもしてあげようと思う。

これが間違っていることかもしれないけれど、

父の気持ちを大事にしてあげようと心から思う。

父が一番辛いのだ。

父の立場になって考えよう。

栄養とか食べないといけないとかいうのを止めよう。

父が好きなようにするのが一番なのだから・・・

私もまだまだ未熟だなあ・・・とつくづく思う。


2005年09月14日(水) 父の入院

まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

今朝歯医者が終わって実家に寄ってみた。

母を病院へ連れて行こうと思ったからだ。

少し時間的に早いかなと思って

午後にでも寄ろうと思ったのだけれど、

何となく虫が知らせたというか、

今行くべきだと思ったので寄ってみた。

そうしたら父の様子が少し変だった。

顔が父の顔ではないようにむくんでいた。

最近の父は食欲もなく

体は痩せているのが本当なのに、

今日の父の体重はいつもの体重よりも

6キロくらい重かったという。

そして寝ていると息苦しく、

体中がしんどいと言った。

このままの状態で置いておくことは出来ないと思った。

早速主治医の居る病院へ電話してみた。

事情を話すと予約外だけれど

連れて来てみて下さいと言われた。

午後2時に病院へ行った。

血液検査をして、

腎臓の機能が悪くなっているのが分かった。

それも半端な数値ではなかった。

医者に直ぐに入院して手術をしないといけないと言われた。

父はまた元のように元気になれると思っているみたいだが、

今の状態で放っておくと

一ヶ月しか持たないと言われた。

驚いた。

ある程度は覚悟していたことが

現実になりつつあると感じた。

今回の父の入院で

父が今よりもちょっとだけでも良いから

元気になってほしいと思う。

父に心からのエールを送りたいと思う。

「父さん、頑張れ!」


2005年09月13日(火) 再入院に

やはり思っていた通りになった。

昨日は私の心臓の病院の診察日だったので、

先日愛大病院で言われたことを聞いてみた。

私の場合はやはり前と同じように

心臓の薬を一時飲むのをやめてからでないと

手術が出来ないらしい。

そして手術が終わって飲み始めて

それがどのくらい効いているかを確かめてから

退院になると言う。

やはり最低一週間は必要になるみたいだ。

今の私の周りの状況を考えてみると、

前のように何もかも放って置いて入院するわけにはいかない。

今月の末の週は

娘の期末試験がある。

また今年は国勢調査員になっているので

この仕事は責任を持って終わらせたい。

10月1日現在の調査だから

それを回収していたら

入院は10月の半ばまでは出来ない。

また今私が一番心配しているのは父のことだ。

二ヶ月前には好きな芝居見物も出来ていたが

最近はとても弱ってきている。

食欲もほとんどない。

勿論芝居見物できる元気もない。

体中がとてもしんどいと言っている。

もし私の入院中に父の容態が急変した時のことを思うと、

簡単に入院なんてしていられない。

本当に今年は色々なことがあった。

厄年?と思ってしまうほどだ。

勿論娘の高校入学という嬉しい出来事もあったけれど、

それ以上に大変なことが次々と起こる。

これは神様が私に与えた試練なのかもしれない。

私がこれらのことにどれだけ耐え忍び

踏ん張って乗り切ることができるか?

多分それを試されているのだと思う。

人との別れもあった。

本当に辛い別れだった。

落ち込み死にたいくらいの気持ちにもなった。

その辛さからようやく立ち直ろうとしていた矢先に

こうして他のことが色々と起きてきた。

夫は先のことは考えず

今の目先のことを一つ一つ片付けていこうと言ってくれた。

本当にその通りだと思う。

私の力にも限界がある。

無理をして再起不能にならぬように

適当に頑張ろう。

きっと私の未来にも何か明るいものがあるはずだ。

希望は捨てないで居たい。

再入院になっても

きっと元の体に治ると信じよう。

そして恥ずかしさにも痛みににも耐えようと思う。


2005年09月12日(月) 自民圧勝

昨夜の開票速報を見ていて気分が悪くなった。

次々と自民党の議員が当選を決めて行った。

私は早々とTVを消し寝た。

今朝のTVもやはり自民圧勝のことばかりだった。

小泉さんは今頃どんな気持ちなのだろう。

国民が皆小泉支持をしたと思い込んでいるのではないだろうか。

郵政民営化一本に絞って自民党は主張してきた。

勿論郵政民営化は意義のあることだと思う。

官から民へ。

これは今までの例を見てもとても大事なことだと思う。

だから私も反対ではなかった。

しかし、今の日本が抱えている問題は

この郵政民営化法案を議決することだけではないはずだ。

税金、医療、対中国問題、景気の回復、年金問題・・と

さまざまな問題を抱えている。

これから私が高齢になったとき、

果たして安心して老後を過ごせるのか。

今一生懸命に働き税金を納め、

また毎月高額の掛け金を払っている年金も

もらえるかどうか?

またもらえるにしても減額されるかもしれない。

医療費は老人が多くなるにつれて膨大なものになってくる。

いつか病気をしても病院にもかかれない状態がやってくるかもしれない。

消費税を値上げするのも一理あるような気もするが

共産党が言っているように

大企業ばかりを優先するのではなく

もっと庶民や中小企業を守る政治をしてほしいと思う。

今回の選挙は小泉劇場とも言われた。

あの厳しさと断言する力強さに騙されたのかもしれない。

これでたとえ参議院で法案が否決されても

その法案は可決されることになった。

これからの日本はどうなるのだろう・・・

私のように何も力のないものが

ここでつぶやいていてもどうにもならないかもしれないが

私はこれからの小泉政権が、

自民党の独裁政治にならねばいいと願うばかりだ。


2005年09月11日(日) 体重

先月15日間入院していた間に

それまでは服を着て41キロあった体重が

40キロを切っていた。

昔、娘を出産する頃は

いつも31キロだった。

これは確かに痩せすぎだ。

若い頃の拒食症の後遺症だったのかもしれない。

娘が生まれて、

それまで自分のことしか考えて居なかった私が

娘を大きくすることに夢中になり、

そのためには母乳を与えようと

一生懸命に飲食をした。

そのお陰で体重も10キロは増え、

痩せているが元気で過ごすことが出来ていた。

私のベスト体重は42キロだ。

だから、退院するときに39キロ台になっていた時は

しんどさを感じた。

それが家に帰り、いつもの食事をし始めて、

20日足らずの間に元の体重に戻った。

これは何故だろう・・・

私の食べる量は少ない。

人の半分の量しか食べられない。

でも、病院に居る時よりも

家の方が食べていることになる。

動く量は家の方が数倍動く。

不思議だ。

やはり気持ちの問題だろうか。

どちらにせよ良かった。

今の体重を維持していこうと思う。

痩せすぎも太りすぎも嫌だ。

拒食症にはもうならない自信がある。

年齢的に考えても、大分強くなった。

私の周りでも色々なことが起こり、

そのたびに落ち込んだり食べられなくなったりするけれど、

前のようにはならないと思う。

良い意味で神経が図太くなったのかもしれない。

残暑はあるがもう直ぐ秋の彼岸が来る。

「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉の通り、

段々と涼しく過ごしやすくなってくる。

そして秋がやってくる。

私が生まれた秋、10月は一年で一番好きな季節だ。

何をしても気持ちの良いころだと思う。

芸術の秋、物思いにふける秋、読書の秋、

そして食欲の秋だ。

夏の間に疲れた胃も元に戻るだろう。

でも、食べ過ぎて今の体重を維持できないようにはしたくない。

体重は私にとっては一生気になることなのかもしれない。

まあ、それはそれで良いと思うのだが・・・


2005年09月10日(土) 第一印象

人を理解することって難しい。

特に初対面の人を理解することはなかなかできない。

だから私は、その人の第一印象ってとても大事にしている。

私自身も初めて顔を合わせる人に

どんな風に印象を持たれるか・・気になる。

今までは何とか悪い印象を持たれたことはない。

有り難いことだ。

昨日も色々な人と接する機会があったけれど、

その多くの人の中で

私から話しかけたいと思って

口から言葉を出そうと思っても

相手の顔がそれを拒否しているような気がすると

つい言葉を引っ込めてしまった。

反対に何気なく話をしてみたら

とてもステキな笑顔でこたえてくれた人も居る。

何でも感じの問題だ。

大げさなお愛想はいらないけれど、

やはり人に好かれる笑顔が出来ると良いな。

私も朝起きて鏡の前に立ってにっこりとするのが習慣になっている。

嫌なことがあるとその顔も無理な笑顔になる。

やはり心が顔に出るのだと思う。

誰かに見られていても見られていなくても

いつも同じような感じの良い顔で居たいと思う。

昨日の娘の運動会の途中で

トイレにある鏡に自分の顔を写したら

とても疲れた顔をしていた。

気合を入れて無理に笑ってみた。

ちょっとだけ元気が出てきた。

人の前ではいつもにっこり出来る自分で居たい。

どんなに辛いことがあっても

人には不快感を与えたくないと思う。

今日は二ヶ月ぶりに美容院へ行こうと思う。

二センチカットしてカラーを綺麗にしてもらって

自分自身を元気にしたい。

色々なことがあるからこそ

余計に元気で明るい顔が出来るようにしたいと思う。

私の第一印象は年より若く見られる。

やはり嬉しいことだ。

第一印象って大事だから、良いことが起きるように

いつもステキな笑顔で居たいと思う。

今日も良い日になると良いな・・


2005年09月09日(金) 運動会

今日は娘の高校の運動会だ。

本当は7日にあるはずだったが

台風14号のために今日に延期になっていた。

今日はお天気も良くて運動会にはちょっと暑いかなと思う。

運動会の思い出はいっぱいある。

私自身の思い出ではない。

娘の運動会の思い出だ。

娘が幼稚園の頃は

朝早くに席を取りに行き、

カメラやビデオで一生賢明に娘の姿を追ったものだ。

走るのが苦手な娘だったので

運動会のメインスターにはなることはなかったが

それなりに元気で頑張っている娘の姿があった。

小学校時代も私たち親の方が必死だったような気がする。

娘を撮るために新しく買い換えたカメラで

ちょっとでも良いものが撮れるように私も頑張ったものだ。

それが中学に入ると私の気持ちの中で

何か違うものが芽生えたのか・・・

あまり必死にならなくなった。

お弁当も親と食べなくなったし

応戦席も何所でも良いと思うようになった。

お弁当も持たずに見に行った。

娘が入学した高校は県下でも運動会が盛で

子ども達が計画して準備もしてのことで

とても盛り上がると聞いている。

娘も夏休みも殆どないくらい練習や準備に頑張っていた。

娘の年齢になると親には見に来て欲しいとは言わない子が居ると聞くが

娘は私に絶対に見に来てくれと行った。

車で行っても40分はかかる。

でも、初めての高校の運動会でもあり、

今朝は早起きして私のお弁当も作った。

久しぶりに触るビデオカメラの使い方も忘れていたので

昨夜はマニュアル本を読み直した。

頑張っている娘のためにも行こうと思う。

最近の私の心の疲れも今日は少し忘れることが出来るかもしれない。

娘のグループの名は紫雲だそうな。

さて優勝できるのだろうか?

応援合戦も楽しいと聞く。

今日は私も一日楽しんで来ようと思う。


2005年09月08日(木) 疲れた

今日夫と一緒に病院へ行ってきた。

待っている間こんなにも緊張したのは、

若い頃就職試験の面接を待っていた時以来のことだった。

いざ、医者の前に座ったら、

何を言えば良いか・・

どんな返事が返ってくるのか・・

緊張のあまり胃が痛くなるほどだった。

予約時間よりも一時間遅れての診察だった。

医者に今私が思っていることを話し、

夫からも説明してもらった。

証拠となる写真も見せた。

医者は開口一番

手術は間違ってなかったと思うと言った。

やはり・・こういう返事しか返ってこないのだろう。

診察もしてもらって

その後一時間をかけて

お互いに思っていることを話し合った。

医者に言われて傷ついたことは

謝ってもらえたが、

医者は決して私の思っているようには思ってないと弁解した。

それにしても、非を認めないのは納得できない。

医者も神様ではないのだから

ミスもあるだろう。

決してあってはいけないことだけれど

済んでしまったことは仕方ない。

謝ってもらっても元に戻ることはない。

でも、気持ちの問題だ。

医者が間違ったかもしれないの一言を

言ってもらえたら、

私の方も何となく許せるような気がした。

でも、結局は間違いはない、

ただ、私の主張する場所と

ちょっとだけずれたのだと言った。

それが間違いなのだ!

私は私なりの意見を言い、

夫もきちんと正論を述べてくれた。

今のこの痛みを治すには

再手術をするしかないと言う。

今度は前よりも傷が大きくなるらしい。

でも、それで痛みも出血もなくなって

心配や不安のない生活が出来るのなら

私は恥ずかしい気持ちを捨てて

再手術をしてもらおうと思う。

12日に心臓の病院へ行き

今飲んでいる薬のことを相談して

15日にどうするか決めに行くことになった。

夫とも話したのだが、

医者は自分が正しいということだけを

一時間かけて釈明したような気がする。

気持ちも体もとても疲れた。


2005年09月07日(水) 心の中を

自分が思っていることや考えていることを

なかなか思うように相手に伝えることが出来ないことがある。

そこには気恥ずかしさがあるのだと思う。

先日、9月1日に私達夫婦が結婚20年目の

磁器婚式を迎えたことをこのつぶやきに書いた。

数人のメル友から

「おめでとう」のお祝いの言葉やカードを戴き

本当に嬉しかった。

あの20年前の結婚式のことは

あの日の感動と共に今も鮮明に覚えている。

だからここに書いたのと同じような文章を

いつも送っている新聞の投稿欄に送った。

ついこの間「主婦の入院」が掲載されたばかりだから

今度は無理かな?と思っていた。

今朝、姉の携帯メールで

私の投稿が掲載されているのを知り

早速駅の新聞を買いに行った。

改めて読んでみると

私のあの時の嬉しさと

これからの人生に対する思いが伝わってきたように思った。

送ったのは夫には言ってなかったので

さっき掲載された新聞を見せた。

夫は黙って読んでにこっとしていた。

二人で震えた・・と一言言っていた。

そう、確かに9月の立山は寒かった。

私の手違いでせっかく写したのに

写真が一枚も撮れなかった。

雷鳥の羽の色がまだ白ではなく茶色だったのを覚えている。

こうして、夫に今朝の新聞を読んでもらって、

私のあの日の感動がまだ忘れられないと言う気持ちや

これからもお互いに支えあって生きて行きたいと思っている気持ちが

素直に夫に伝わったのがとても嬉しい。

やはり人は思ったり考えたりしているだけでは

自分の気持は相手には伝わらないと思う。

明日はいよいよ大学病院へ行くことになっている。

今の私の悔しさや辛さや悲しみを

医者に伝えることが出来るだろうか・・・

今回のことで

夫が真剣に考え、私のことを心配もしてくれ

明日は同席してくれるということが

今の私の一番の力になっている。

明日の結果次第で次の段階に移ると思うが

今の私の心の中をしっかりと医者に話してみようと思っている。


2005年09月06日(火) 誰にも分からない

今の私の気持は誰にも分からないのだろうと思う。

たとえ、それが夫でも親友でも、また友人でも・・・

その人の立場になってみて初めて分かることがあるから、

今の私の悔しさや辛さや悲しさを

誰かに分かってもらおうと思うのが間違いなのだと思う。

男が男として、

女が女として生きていくことができなくなったとしたら

こんなに辛く悲しいことはないと思う。

愚痴になるからもう言いたくはなかった。

でも、運が悪かったの一言で済まされることではないはず。

頭を前向きに切り替えて考えろと言われても

今の私には出来そうもない。

この私の今の悔しさは、

きっと同じ思いをしたことのある人でなければ

きっと理解できないのだ。

今日そのことをつくづく思い知った。

死にたいとさえ思った。

今は誰とも話しをしたくはない。


2005年09月04日(日) 医者も人だから・・

最近よく新聞で医療ミスの話を読む機会が多くなった。

昔からあったのだろうが

今のように公になることはなかったのかもしれない。

病人にとっては医者だけは信じていたいと思う。

治して欲しいから話も遠慮がちになる。

医者の前に座って

普段自分が思っていることを

100%話すことが出来る人って本当に少ないと思う。

医者の態度が偉そうだと

何かこちらが悪いことをしたような気がして

ついつい遠慮がちになってしまう。

私が今回の入院で経験したことも

あまり好ましいことではなかった。

心臓の薬の効き方がひどかったので

思わぬ事態になってしまった。

小さな手術をしてその傷口を縫って

二度と出血しないようにしてもらうことになったのだ。

正直私は治らないと思っていたので

切って縫うことによって

二度と出血しなくなり

痛みもなくなるかもしれないと期待していた。

だから痛い目にも恥ずかしい目にも耐えることが出来たのだ。

手術して二週間以上が経つ。

普通なら糸も段々と体の中に吸収され

傷跡も癒えて痛みも出血もなくなるのが本当だ。

それが最近前と同じ場所が痛むし

昨日は出血もしていた。

が〜ん!

ショックだった。

これは治ってないことになる。

痛い思いをしたのに結局何もならなかったのだ。

と言うことは

切って縫った場所を間違えているということになる。

数日前に何となくそう思ったことが

昨日は現実のこととなった。

8日に再診してもらうことになった。

私一人では心もとないので

夫に同席してもらうことにしている。

確かに夫も医療ミスだと言っている。

悔しい思い、

情けない思い、

そして再手術になると思うと

あの時の屈辱的な思いを思い出し

憂鬱になってきた。

でも、このままにはしたくないと思う。

最悪は裁判になっても仕方ないと思う。

出来たらそういうことにならずに

医者が間違いをちゃんと認めてくれることを願っている。

医者も神様ではない。

間違いもあるかもしれない。

でも一つ間違えば命に関わることもある。

医者になる人は

頭や技術が素晴らしいことに加えて

人への思いやりや弱い立場の気持ちの分かる人で居て欲しい。

私はこれから一体どうなるのだろう・・


2005年09月03日(土) 掌蹠膿疱症「しょうせきのうほうしょう」

昨夜は本当に大変だった。

今年の6月頃、娘の足に湿疹、水泡が出来た。

夏の初めの梅雨時には

私の掌にも小さな水泡が出来る。

だから大したことはないと思っていた。

7月に入って、

娘の足の水泡の状態が悪くなり

痒みと痛みが出てきた。

学校は休みたくない、

部活で忙しいと言って病院には行けなかった。

近所の薬局、

ここは評判も良くて薬剤師さんもしっかりしている所なので

ここへ行って相談をした。

店の人はこれは「汗疱」だろうと言った。

消毒薬と塗り薬を買って帰った。

私が入院したりしたこともあり、

その後の娘の状態を気遣ってやることも出来なかった。

8月の末に症状がひどくなっているので

もう一度その薬局へ行った。

店の人は前に診断してくれた病名は間違いで

治りにくい「掌蹠膿疱症」だと言った。

前のあの塗り薬は駄目だとも言った。

私は腹が立ったけれど、

今度も勧められるまま

漢方の飲み薬や塗る薬を買って帰った。

値段も一ヶ月に一万円以上かかるが

娘が治るならと思っていた。

でも、また段々と症状が悪くなり

昨夜は手にも小さな水泡が出来たと娘が言い出した。

今までは言われた病名「掌蹠膿疱症」についての知識がなかった。

昨夜ネットで検索してみて

これが本当に大変な病気だと分かった。

女優の奈美悦子さんがこの同じ病気で苦しんだというのは

以前にTVで見たことがあったので

娘がもしこの「掌蹠膿疱症」だったら・・・

と思うと昨夜は眠れなかった。

今日は松山の皮膚科に予約を入れて

診てもらうことにしている。

こんなことになるのが分かっていたら

初めから病院に行って診てもらうべきだった。

そうすれば今の状態までこじらさずに済んだのにと後悔している。

どうか娘の病気が「掌蹠膿疱症」でないことを

心から祈っている。

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良かった。

心配していた病気ではなかった。

「異汗性湿疹」だった。

そして、薬局で初めに買った薬で

水虫にもなっていた。

完治するまでには時間がかかるだろうが

厄介な病気ではなかったので安心した。

気長に治して欲しいと思う。

それにしても薬を買った薬局は

病名をはっきりと言ったが

これって薬剤師の権限を越えていると思う。

「何処かの病院へ行って調べてみてくれ」と言うべきだったと思う。

これからはどんなことでも

初めに専門医に診てもらおうと思う。


2005年09月02日(金) 信頼

人と人とはお互いの信頼関係で結ばれていると思う。

生まれたときから自分自身の家族や友人、

学校では先生、

社会に出たら組織の中での信頼関係がとても大事なものになってくる。

結婚にしても恋愛にしても

それは感情が伴うので

信頼関係だけで結ばれたものではない。

人を思う気持ち、

人を愛する気持ちは

決して理屈では割り切れないものがある。

いくら頭の中で分かっていることでも、

感情、心が納得できない時がある。

だから、人は苦しむ。

人を愛することって何だろう?

それは自分の気持を優先するのではなく、

相手の気持ちを大事に思うことではないだろうか?

相手のことを考えずに

自分自身の気持ちだけを

どんどん押し付けていくことは、

それは自分の中で愛だと誤解していることだと思う。

この思いは私に強い。

私の今までの人生の中で

誰かを愛すると、

どんどんと自分の気持を相手に押し付けていたように思う。

これがお互いに同じくらい重い気持ちなら

何も問題は起こらないが、

どちらかの天秤の方が重たくて

つりあわない時は悲劇だ。

そんな時は自分の中でパニック状態になって、

ますます相手に対する気持ちが強くなり

結局破綻への道を歩むことになる。

同じ失敗は二度と起こしたくないと思っている。

もっと心の底に流れる信頼というものを築きたい。

どんな場合も相手を信じること、

そして相手からも信じられること、

これこそは愛の上でもとても大切なことだと思うようになった。

信頼関係を築くことこそ、

残りの人生を上手く、

また悔いの無いように生きる方法だと思う。

これからも信頼関係を大事にしていきたいと心から思っている。


2005年09月01日(木) 磁器婚式

今日九月一日は私たち夫婦の二十年目の結婚記念日「磁器婚式」だ。

あっという間の二十年だったいう気がする。

私たち夫婦は立山の室堂にあるホテルで「二人だけの結婚式」を挙げた。

お互いの両親は勿論友人も誰も参列するものは居なかった。

結婚に反対されたのではない。

皆と違う私たちだけの心に残るものにしたいと思って二人で決めた。

登山客で賑わうホテルとバスターミナルを結ぶ通路を、

ウエディング姿で歩いた時、

沢山の人たちから祝福の拍手をもらった。

ホテルのディナーでのケーキカットでは、

食事に来ていた周りのお客さんたちから

「おめでとう」の言葉と拍手をもらった。

本当に嬉しかった。

また、九月とは言え立山は寒く、

散歩しながら二人で肩を寄せ合って震えたのを覚えている。

あれから色々なことがあったけれど、

あの二十年前の結婚式の気持ちをいつまでも忘れないでいたい。

そして互いに支えあって残りの人生を共に歩んで行きたいと思う。

今日のこの日のために、

年代と共に値打ちが増す磁器のような夫婦という意味で

ペアのマグカップを買った。


スカーレット