2008年04月19日(土)

■ 病んでいたり悲しんでいたりする人には共通する色がある。

体調思わしくなく伏せっているとき、
あるいは精神的に落ち込んでしまったとき、
ふだん知らん顔している猫が、人を気づかうそぶりを見せたりする。
猫を飼ったことがある人なら、誰しも覚えがあるはずだ。

心が弱っているからなにを見てもそう感じるだけだと思う気持ちがほんの少し。
いやいや、猫は確かになにかを察知していると信じる気持ちがかなり。
というか、ほとんど信じているが。猫の能力と気づかいを。

きっと猫には見えているんだ。
オーラというかなんというか、人のまわりをぼぉっと包むなにかが。
それには色がついていて、病んでいたり悲しんでいたりする人には共通する色がある。
猫はそれに反応し、ちょんちょんと前足で呼びかけるのだ。
「大丈夫? 元気出して」と。

 ☆彡

フトシの墓前に花やらなにやら供えた後、
会いたかったアツシがどうしても見つからず、
しかたなくぼくは、3匹の子猫が走り回るエリアへと向かった。

コスケ、ジンパチ、ロクローの3匹は、いつものようにそこにいた。
ぼくの姿を認めるや、真っ先にジンパチが走り寄ってきた。
しゃがんでその背を撫でていると、続いてコスケがやって来た。
ぼくはそれにも手を伸ばす。骨まで柔らかい子猫の体。

いつもとちがっていたのは、これまで遠巻きにそれを見ているだけだったロクローまでが
「な、撫でさせてやってもいいぞ。ふ、ふんっ」とばかりに、
いくぶんビビりながらも手の届くところまで近づいてきてくれたことだった。
臆病猫と評判のロクローに、この日初めてぼくは触れた。

ぼくを包んだ悲しみ色は、こんな小さな野良猫にだって見えるものなのかとちょっと思った。
バッグからカメラを取り出すこともせず、ぼくは3匹を撫で続ける。


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    2008年04月18日(金)

■ こんなとき、ぼくの台詞は決まってこうだ。

海猫名義でぼくもたまに投稿している猫の画像あぷろだでしばらく前、
今まさに愛猫の最期を看取ろうとされていた方が、横たわり力なく目を開けた子の写真に添えて、
「最後に自慢させてください。最高の猫です。一番可愛い猫です」というような一文を載せていた。
思わず涙ぐんだその話を昨夜になって思い出し、そのとき以上に泣いてしまったのだった。

そう、ぼくも大いに自慢したい。最高の海猫、フトシのことを。
どれだけ彼がいい猫で、どれだけ多くの人に愛されて、そしてどれだけぼくが幸せだったか。

にっこり、にやにや、うふふふ、くすり。
そんなふうに笑って見てもらえたらいいなと思って始めたのが「海猫伝説」だった。
だから、人気猫フトシの突然の訃報にぼくは大いに戸惑った。
楽しみに見に来てくれる方に切ない思いをさせたり、悲しませたりしていいのか。
他の猫たちがすでにそうであったり、たぶんこれからそうなるだろうように、
フトシも静かに退場していくべきなのではないかと。

でも、彼は他の誰ともちがった。彼はぼくには特別な猫だった。
気づいておられた方も多いと思うが、フトシはぼくが一番好きな猫だった。
彼、そして彼の兄弟であるアツシと一緒に過ごす時間が、ぼくは一番好きだった。

カメラを構えたぼくに、ふたり並んでずんずん近づいてくるのがうれしかった。
尻尾のつけ根をガシガシ掻いてやると、レロレロと舌を出して喜んでくれるのがうれしかった。
ぼくの行く方行く方、後をついて回るのがうれしかった。ぼくはうれしいことだらけだった。
飼い猫でもないのに。野良なのに。まともに餌も与えたことないのに。

だから、誰かに切ない思いをさせるのではなく、誰かを悲しませるのではなく、
ぼくは最後に自慢がしたかった。最後にフトシを誉めたたえたかった。
ベストセラーのタイトルを拝借した「そうか、もう君はいないのか」、あれはぼくなりの自慢である。
それをしないでは、それをなかったことにしたのでは、ぼくも「海猫伝説」も先へは進めない。
そういうことなのだろうと思う。

ぼくはフトシが大好きで、
フトシは最高の海猫で、
そしてフトシはぽっくり死んだ。
こんなとき、ぼくの台詞は決まってこうだ。
サヨナラ、アリガト。虹の橋でまた会おう。


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