2002年02月25日(月)

■ 2点間行ったり来たり人生

行動半径。
日常生活を語る上で欠かせないのがこれである。
そういうことになっている。

自宅を中心に、東に職場があり、西に友人の家がある。
北には大きなスーパーがあり、家族で買物に訪れる。
南には海があり、自分は週末サーファーだ。
絵にかいたような行動半径といえる。

では、このようなケースはどうか。

買物に立ち寄る店も、一杯ひっかけていく店も、
すべてが自宅から職場へ向かう道筋にある。
出不精で、休日は家でのんびり過すのが常である。

直線である。これはもう直線としかいいようがないではないか。
自宅と職場を結ぶ線上でほとんど完結している生活である。
なにか非常に退屈な、面白みのない人生が、そこには待っているような気がする。
好奇心とか、冒険心とか、遊び心とか、そういうものとは縁のなさそうな人生だ。

ああ、そうさ。ぼくのことさ。
しかも、帰り道に一杯ひっかけるなんてこともしないさ。
もっと退屈な奴さ。もっと面白みのない奴さ。
きみも直線上を行ったり来たりするだけの人生を歩んでしまうぞ。
ついてくるな。


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    2002年02月19日(火)

■ 言った者勝ちの世界

「中国4000年」が頭から離れない。
スケート競技を語る際にすら持ち出される4000年の歴史とはいったいなにか。
そこで検索。

「中国ビジネス4000年の謎」。なんだそれは。
そもそもビジネスなどというものが存在したのかどうかからして謎だ。
「中国4000年のグラススキー紀行」。だから、それはなんだって。
まぁ、スケートも4000年の歴史があるそうだからな。

5000年ならどうか。
「中国5000年の歴史より生まれた幻のダイエット法」。
「中国5000年の歴史が生んだ驚異のダイエット」。
なぜだぁあ? なぜダイエットなんだぁあああ?

これならどうだ。6000年。
「眠りからさめた古代中国6000年の歴史と文化」。  
ううむ。

ならば、7000年。もう出まい。
「中国7000年マジカルダイエット」。
げっ。しかも、またもやダイエット。

「中国1万年」。いつか、必ず誰かが言い出すのだ。
なぜなら、そこは言った者勝ちの世界だからだ。


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    2002年02月17日(日)

■ 4000年の歴史を目の当りにするとき

特に誰が見ているというわけでもないのに
オリンピックを報じているテレビがつけっぱなしになっている。
他のことをしていても、聞くともなしに聞いていたりする。

と、そのとき、アナウンサーがこう言った。
「中国4000年の歴史」。

なんだそれは。
おもむろにテレビを見やると、スケートをやっていた。
その中国チームの奮戦ぶりについて語られていたらしい。
「中国4000年の歴史」。

疑問は、なぜここで4000年の歴史が持ち出されねばならないか、である。
中国では4000年前からスケートをやっていたのだろうか。
4000年前の地層からスケートシューズが発掘されていたのだろうか。
だとしたら、当然、スケートは中国がその発祥の地ということになる。
それはほとんど国技というべきものであろう。

中国4000年の歴史を目の当りにして、ただ立ち尽くすのみの午後である。


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    2002年02月13日(水)

■ チャットルームとか談話室・滝沢とか

思い立ったら吉日。善は急げ。撮りたいときが見たいとき。
というわけで、チャットルームを設置してみた。

「した」といわず、「してみた」というあたり、なにやら微妙なものを感じるが。

とにかく、チャットルームを作ってみた。名づけて「ここだけの話」。
素直に「チャットルーム」とか、気取って「談話室・滝沢」(何?)とかいわないところがいい。
なんとなれば、チャット以外の目的にも大いに利用してもらいたいから。

では、チャットルームでチャット以外になにをするかというと、
まず考えられるのは自問自答、これだろう。ときには必要な思索の時間だ。
次に落書き。掲示板でやりすぎると周囲に退かれる怖れがある。
そして、懺悔。自問自答や落書きとカブる場合もありそうだが、
どこかで吐き出さずにはいられない思いを、ここでぶちまけてしまう。

というように、使い方いろいろ、楽しみ方満載の「ここだけの話」。
運悪く遭遇したときは、腹をくくってチャットすべぇ。


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    2002年02月10日(日)

■ 再生されないビデオをめぐる2、3のこと

録画しておいたビデオを観ようとしたら、声だけしか再生されない。
録画ではなく録音をしてしまったのだろうかと不安になるも、
どのテープを再生しても声だけ、しかも高速で聞こえて、画面は青いまま。
ヘッド・クリーニングも効果なし。

見るとこのビデオデッキ、94年製と書いてある。
むぅ。8年の長きにわたってよく頑張った。もう十分だ。
きみは壊れた。お払い箱だ。よく頑張ったが、もう十分だ。

というわけで、新しいビデオ・デッキを買いに行く。
プレステ2のおかげでDVDも観ることができる我が家だが、
こやつは往々にして子供部屋に監禁され、
いざというときに使用不可であることが多い。

そこでこの際、ビデオもDVDもOKという機種を狙う。
店頭で隣に鎮座していた液晶テレビ198000円にも食指が動く。
あー、宝くじ当ててー。

ところで、観ようとして果たせなかった冒頭のビデオとは、
二晩にわたって録画されたフカキョン主演のドラマであった。
……なにか?


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    2002年02月08日(金)

■ 男がいて、女がいて、街で囁かれる噂

16のとき、従兄弟にもらったCCRのレコードに「悲しいうわさ」という曲が入っていて、
原題を ”I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE” といった。
グレープバインがブドウの蔓であることは辞書を引いて調べた。
が、それが「悲しいうわさ」とどうつながっているかが謎だった。

まぁ、洋楽につけられた邦題というのは無茶苦茶なものが多かったし、
頭に「悲しき」だの「悲しみの」だのとついた曲は枚挙に暇がないほどあった。
「悲しいうわさ」もその類いにはちがいなかった。

確かに「悲しい」についてはそれでもいい。
しかし、「うわさ」は? そして、グレープバインは?

16歳の少年は悩んだ。そしてあるとき、ふと思いついた。
「そうか。ブドウ畑で彼女についての嫌な話を聞いたんだ」。
いや、グレープバインはブドウの蔓であって、ブドウ畑ではないんだが。

笑ってはいけない。
「ラブ・ミー・トゥナイト」を「私は夜を愛す」と訳して平然としていた中学生や、
「ライク・ア・ヴァージン」を聴いて「なんでそんなに処女が好きかなぁ」と首を傾げた大人が、
世の中には確かに存在するのだ。この16歳など真摯な部類ではないか。

月日は流れ、集英社文庫で佐藤正午の「カップルズ」というのを今日、読み終えた。
男がいて、女がいて、街で囁かれる「噂」7話、と腰巻にある。
そんな短編集の最後を飾る作品が「グレープバイン」だった。

やがて死を選ぶことになる女性が言う。
自分はブドウの蔓に絡みつかれて、もうほどくすべがないのだと。
そして、主人公に対して言う。「あなたは絡みつかれていない」と。
「他人の目を気にせず、のびのびと生きている」と。

主人公は後に懐古する。
いや、自分だってグレープバインに絡みつかれていたのだと。
なぜならば、それにはブドウの蔓以外にも、こういう意味があるからだ。
噂の伝わる経路、または噂そのもの。

辞書はいいものを使うべきである。


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    2002年02月04日(月)

■ 月曜の朝にダジャレはいらない

月曜日の朝刊に目を通すということは、
アエラの広告を見てしまうということでもある。
……どうにかならないのだろうか、あのダジャレ。

始めてしまったことはやめづらいのかもしれないが、
少年ジャンプの連載マンガだって人気がでなければすぐに打ち切られてしまうのだ。

と考えると、実はあれはあれでけっこう人気があって、
毎週楽しみにしている人がたくさんいるとか? まさかな。

月曜日の朝だ。
ただでさえ、人は鬱陶しい思いをしているのだ。
そんな頃合いを見計らうようにして放たれるあのダジャレ。
寒いし、痛いし、どっと疲れる。

罪作りなことではないかえ?


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    2002年02月03日(日)

■ 斉藤和義って誰?

『35 STONES』というアルバムを薦められていたのだった。
斉藤和義という人の。
……だ、誰?

実をいうと、ぼくは昨今の日本人ミュージシャンにたいへん疎い。
ラヴ・サイケデリコとかGO!GO!7188とかエレファント・カシマシとか言っているが、
それがほとんど知っているすべてだったりする。

そういうのもいささか悔しいので、レンタル店に寄った際に探してみたのだ。
その斉藤和義という人の作品を。
あいにく『35 STONES』は見つからなかったが、
新譜がレンタル可能になるまでには何日だか何週間だか必要らしいので、
たぶんそういうことなのだろう。
で、『ゴールデン・デリシャス』というベスト・アルバムを試しに聴いてみることにしたのだった。

聴き始めてものの1分としないうちから思った。ああ、これは「うた」だなと。
うた。それはぼくのなかで、おそらく多くの同世代人のなかで70年代に培われてきたもの。
ロックを聴き、フュージョンを聴き、アジアのポップスを聴くようになってもなお、
ぼくのなかの奥深いところでずっと息づき、育まれてきたもの。

斉藤和義。この人は友部正人の、朝野由彦の、いとうたかおの、
それらの意思を受け継いだ人なのだと、そう思った。

そして14曲め。「幸福な朝食 退屈な夕食」。
繰り出される脈絡のない言葉。描かれるとりとめのない光景。
それはまるでフラッシュバックする数百枚もの、いくぶんブレたモノクロ写真。

そのなかで目に止まるのは、意味をなすのは、ほんの4、5枚かもしれない。
しかし、それでいいのだ。詞とは、言葉とは、そういうものだ。
まるごと受け止める必要なんてない。論理整然としている必要なんてない。
与えられた断片を、受け手は都合よく並べるまでだ。

そして今、都合よく並べてみたそれらに、ぼくは圧倒されている。
頬を引っぱたかれたような衝撃を、ずいぶん久しぶりに感じている。

これでリズムがもっとタイトだったら。ベースがもっと弾んでいたら。
そしてなにより、ヴォーカルがもっと抜けて録られていたら。
不満がないわけでは全然ない。
が、聴かずにはいられなくなったではないか、『35 STONES』を。


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    2002年02月01日(金)

■ なにかをWEB上にほったらかしておくこと

フランス生活3年という方からメールをいただいた。
「聴かずに死ねるか」のミレーヌ・ファルメールの項を読まれてのご指摘だ。
曰く、「FARMER」はフランスにおいてもファーマーと発音されていて、
アメリカにおける「FARMER」と区別がつかないとのこと。

きっかけとなったその文章をぼくが書いたのは98年の9月のことで、
それが2002年になってフランスで読まれているのだと思うとなにやら感慨深いものがある。
なにかをWEB上にほったらかしにしておくということは、そういうことでもあるのだ。

そういえば、ショッキング・ブルーのマリスカ・ヴェレスは
実はマリスカ・フェレスであったことが来日して初めて確認された。
オランダ駐在の大使館員や商社マンは
早くからそのことに気づいていたはずだが、当時どんな思いでいたのだろう。

というわけで、往年のタイのロック・バンドを、
カトンと表記すべきかカトーンとすべきか、
あるいはまた昔言い馴れたようにガトーンのままでいいのか、
今もぼくは大いに迷っていたりする。


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  目次とか 前回とか次回とか 掲示板とか