カヲルの本好きは出逢った当時から尋常ではなかったけれども、今にして思えばそれは怖いほどのスピードで常軌を逸しつつあるカヲルの発していたSOSだったのかもしれない。
亜麻色の髪を梳きながらでさえもカヲルは本から目を離さなかったし、モスで遅い朝食をとった時もハードカバーの分厚い本をテーブルに広げ、フィッシュ・バーガーを食べたりクラムチャウダーを啜るのが当たり前になった。
やがて、歩いているときはもとより、Hするときでさえもカヲルは本を手放さないようになっていった。
あきらはそれにもう慣れたともいえるけれど、広げられたハードカバーの背表紙を見ながらHするのは味気ないのを通り越して、うら悲しかった。
でもなぜまたあきらは、そんなカヲルと別れないのかといえば、カヲルの尋常でない本への執着を、いわば病気みたいなもので、その病状の悪化は、なによりも自分のカヲルを思う気持ちがまだまだ足りないからだと思うからだった。
飢えた獣みたいに貪るようにして本を読むカヲルはまちがいなく何かにカツエテいるのだ。あきらにはそれが愛だと思えて仕方なかった。
カヲルは愛に満たされていないのだ。両親の愛に満たされていた期間があまりにも短かったのではないか。
だからあきらは、どんなことがあろうともカヲルを愛ですっぽり包んで守り抜いていくと健気にも考えていた。
だが、皮肉なことにあきらが優しくなればなるほどカヲルは壊れてゆくようなのだ。
そんなある日、あきらはネットでたまたま辿りついた掲示板に自分と似たような境遇にある女性の書き込みを見つけた。
彼女は、どうやらストーキングに苦しめられているようなのだった。交際を認めてもいない男がここ2、3ヶ月ずっとつきまとって離れないのだという。
仕事先での顔見知りだったのだけれど、偶然駅で見かけたときに愛想笑いをしたのがまずかった。それから何を勘違いしたのか、恋人気取りでなんだかんだといろいろ世話をやいてくるのだという。
「自分は小心でとてもNO! とはいえない」のだという。彼女には、せいぜい男を無視することくらいしか出来ないらしい。
なぜまた彼女が自分に似ていると感じたのかは、「このごろ更に異常さを増したその男の常軌を逸した行動が目にあまるほどになって来た」という一文のためだった。
ストーキング行為自体、異常だけれども、その男は完全に壊れていた。
彼女が休日にたまたまひとりでモスやスタバで昼食をとったり、お茶していると、その近くの席に陣取りじっと彼女を見つめながらニヤニヤしているので、まともに味わっていられないのだという。
男の尋常でない目がなによりもキモくて、怖いらしい。だから彼女はずっと本を手放さずに持ち歩いているらしい。
男の目を見ないように、あるいは、自分の顔を見られないようにハードカバーの本で顔を覆ってしまうのだ。
彼女はそれで男の視線とその存在自体を一切遮断したつもりになっていたけれども、そうではないことにきのうはじめて気付いたのだという。
男は彼女の視線が届かないことを逆手に取って、衆人環視の場でとんでもない破廉恥な行為に及んでいたのだ。
なんと男は、彼女の肢体を見つめながら自慰行為を行っているようなのだった。
「思い出すだけでもオゾマシイけれど」きのうは男のそのときの切迫した声を、聞いてしまったらしい。
救いようのない馬鹿野郎だとあきらは思った。
ラジオから、愛のうたが聴こえてくる。
甘えとか弱さじゃない
ただきみを愛してる
こころからそう思った
*special thanks Dear kaoru.
Only you can rock me
2003年12月18日(木) |
読書ニッキ ☆こよなく愛した 小島信夫 |
群像や文学界に載ったものをまとめた短編集。
企画の段階では、本書のラストを飾る『養老』という表題で編もうとしたらしいのだけれど、小島先生ご本人が、編集者の企画に『こよなく愛した』という一本を加え、更にそれを表題としたということでこの『こよなく愛した』をこよなく愛していらっしゃるようですね。
ていうか、こよなく愛してらっしゃったのは、『こよなくなく愛した』に出ていらっしゃる女性なのでしょうか。
なんとも味わいのある摩訶不思議な文章に一気に惹きこまれてしまうのですが、まったく仕掛けとか、言語実験とか、構造とかをいじりまわすことなく、これだけ異形な世界を構築・展開できる本物の才能というものを目の当たりにして、自分はまだまだ青臭くてだめだなぁと思うことしきりです。
巻頭は、告白調で綴られてゆく隣家の未亡人に宛てた手紙の形をとった作品なのですが、短篇集だということを忘れていて、一冊丸ごとこよなく愛してやまない女性への手紙を切々と書き綴ってあるのだと思い、「好き」とか「愛してる」という直接的な表現がないぶん、圧倒的な迫力で切ない気持ちがこちらに伝わってくるので胸が詰まる思いでした。
自分としては、この巻頭の『日光』がストレートでしかも、なんとも言われない味わいがあって好きです。
手紙は結局出されず、というか、はなから出すことのない手紙を書いていたわけなのですが、好きで好きで堪らないけれども告白することは絶対にないことを知っている少女の片思いのように儚い恋が美しいのでした。
ただしかし、これは自分に都合のいい「誤読のきわみ」かもしれません…。
上記textは、某サイトにUp済みです。
2003年12月17日(水) |
映画ニッキ ☆暗殺のオペラ |
どうも腑に落ちないのだけれども、アトスは狂言めいた見え見えの小芝居をなぜ演ずる必要があったのか。裏切り者として同志たちに殺し易くしてやったというわけなのだろうか。何故またそんなまわりくどいことをしたのか。ムッソリー二をたとえ暗殺したにせよ、ファシズムの思想は受け継がれ第二第三のムッソリー二が出てくるのだから、その思想を根絶やしなければならない。そのためには俺を暗殺しろとただ命じればよかったのではないのか。
ファシズム根絶のため我が身を捧げるアトスはまさに真の英雄であるけれども、その英雄でありリーダーである同志を大義のためとはいえ、自らの手で殺さなければならないといった三人の同志たちの苦悩は一切描かれない、といった点も腑に落ちないのだった。
むろん、描き方や切り口は無限といってもいいだろうから、ベルトルッチはそういった人生の苦悩といった側面をこの作品では見せたくはなかったらしい。
しかし、私のこういった物の捉え方もまた、心理描写で以て人間を克明に描いてゆくといった苦悩好きな所謂湿った文学的感性を引きずっているからにすぎないようだ。
ビットリオ・ストラーロのキャメラはどうだ。絵画を思わせる見事な描写が随所に現れる。
父アトスの数少ない理解者である肉屋の貯蔵室での赤い色調で統一した影像、食事を摂るふたりを肉屋の親父の後方からねらったショット、四人の秘密の会合場所である廃バスの車体を棒で叩いてベルカント唱法で声を張り上げる幻想的なシーン等、絵画に優るとも劣らない重厚な印象が残った。
また、アトスが森を駆け抜けるシーンは素晴らしいの一語に尽きるだろう。アトスはいつしか英雄である父アトスになりかわっている。
きっと父アトスもあのように、あれとそっくりに森を駆け抜けたにちがいない、ともとれるのだがまるで父アトスと同化してしまったようにも取れる。
それと同様に前出の肉屋の貯蔵室で肉屋が息子アトスに父の思い出やら肉の蘊蓄を傾けるシーンがあるが、何度も暗転が繰り返し行われるのだが、これも過去と現在が入れ替わって映し出されている、その切替えとして暗転が差し挟まれているのだろうか。
と、ここまで書いてきて、あることに気がついた。アトスがまわりくどい芝居じみた真似をしたわけは、なんのことはない本編が「暗殺のオペラ」であるからに相違ないのだ。つまり、この本編「暗殺のオペラ」自体が、スクリーンというフレームのなかで今まさに上演されているオペラの演目なのである。
それは、アトスが暗殺された劇場は、スクリーン上に再現されはしても、上演されているオペラのシーンといったものは一切映し出されない。時折インサートされる当時の回想シーンには、計画当日のものはないのだが、問題はフレームである。
劇場の舞台を客席側から真正面に捉えたショットがワン・ショットもないのである。
それは、とりもなおさずこの映画自体がいままさに上演中の「暗殺のオペラ」という演目を映し出しているからなのだ。
わかりにくいかもしれないが、実のところキャメラはずっと舞台を写しつづけているのだ。だから、ワンショットも舞台を正面から捉えたカットがないというのは、誤った表現かもしれない。全てFIXでの撮影なのだから。
それは、映画のキャメラでオペラを撮っているキャメラのファインダーを覗くようなものである。
だから、我々は「暗殺のオペラ」という映画を観ているのではない。少なくともベルトルッチはオペラを映画に翻訳する、そのことを意識して演出したに違いないと思えて仕方ないのだ。
前述したアトスの狂言や、廃バスのところでの幻想的なシーン、逃げたライオンを窓から眺めるアトスの後ろ姿という回想カットに、現在のアトスの元愛人がかぶさり台詞をいう、などととても演劇的な演出からも窺えるのだ。
そしてなんといってもエンディングのシーンが堪らない。二十分待ちが三十五分待ちになり、新聞も届いていないばかりか駅自体が忘れ去られているタラ。やがて、鉄路は雑草に覆いつくされ完全に見えなくなってしまう。
土地までが英雄父アトスの伝説を守ろうとするかのようだ。命を賭してまでファシズム根絶を願ってやまなかった父アトスの遠大な計画遂行のためたとえ息子であろうとも門外不出の秘密漏洩の危惧が少しでもある場合は摘み採ってしまおうとするかのようだ。
しかし、ここまではっきり見せる演出ならば、父アトスが息子を呼び寄せたと考えるのが妥当だろう。つまり、それは彼の遺志を継がせるためということだろう。
*某サイトに掲載済みのtextれす。悪しからず。
「はぁ? あんたそんなもん好きだったっけ? まあいいけどさ。…え、わかってるって。あとチョコ・コルネでしょ、あたりまえじゃない、何年一緒にいると思ってるのよ」
レジに向かいながら気がついた。有り金全部使い果たしてたっけ。
ごめんなさい、お財布忘れちゃって、とパンを戻そうとすると、レジの向こうで店員がにんまりとほくそえんだ、ように見えた。
「お客様、そのまま、そのまま。もしおよろしければ、ひとつ残らずパンを買っていただけないでしょうか。そうしていただけるなら、御代は結構でございます」
「え! それどういうこと? 私にはおたくのお店で一番安いパンを買うお金もないのよ」
「ええ、わかっております。その上で申し上げさせていただいておるのでございます。全部お買い上げくださるのならば、御代は要りません」
「だから、私にはいま一円もないの。一円もないのにここにあるパン全部買うなんてこと出来るはずないじゃありませんか」
「ええ、ええ。ですから全て買っていただけたなら、御代は無料とさせえていただきます」
「あんたも訳わかんない人ね。お金がないのになんでここのパン全部買えるわけ? 後で払いに来いってこと?」
「いえ、そういうことではございません。ただ一言、この店のパン全部を買うと言ってくださればいいのです。そう言ってくだされば御代は結構でございます」
「わかった。…いえ、わからないけど、じゃ、この店のパン全部ちょうだい」
「毎度ありがとうございます。しめて、六万と三千八百二十四円となります」
「ええ! だってお金は要らないんでしょ」
「それはそうでございますが、当店も道楽でパンを焼いているわけではございませんので」
「キィィィ、ふざけないでちょうだい! いまあんたここのパン全部買うといったら、ただにしてくれるって言ったわよね」
「はい、申しました」
「じゃ、なんでお金とるのよ」
「ですから、うちも伊達や酔狂でパンを焼いているわけではございませんので。真心込めて焼き上げたパンを皆様にご提供し、その代価といってはなんですけれども、それに見合ったお金を頂戴しております。六三、八二四円耳を揃えてお支払い願います」
「耳を揃えてって、あんたどこかで頭でも打ったの? あんたが全部買うと言ったらただにすると言ったから買うと言ったのよ。なんで六万も払わなきゃいけないのよ。あたしが買いたいのは、チョコ・コルネとあんドーナツと、バケット。この三つだけなの。これだけなら幾らになるの?」
「そうしますと、チョコ・コルネが百二十円、あんドーナツが百円、そしてバケットが二百八十円となりますから、御代は、その合計金額を全体の六三、八二四円から差し引いた金額となります」
「キィイイイイ、どういうことなのよ、それ! 支払金額は三つのパンの合計でしょう、なんで全体から引いた差額になるわけ?」
「ですからそれは、お客様がそうお望みになられましたから。だから申し上げているわけでして。全てお買い上げいただけるのでしたなら、御代は頂戴しませんと」
「あのね、自分がどういうこといってるのか、わかってるの? あんた毎日イースト菌でも食べてるんじゃないの、アンパンマンみたいな顔しちゃってさぁ。そっちがそうくるなら、こういうのはどうよ? あなたもここの売り子ならこのパン全部食べてみせなさいよ。そしたら私も全部買うわ」
「あら、お客様、なかなかおっしゃいますのね。でもそれってあまりにも見えすいていません? 仮に私がここのパン全部たいらげたとしたら、お客様にお買い上げいただく商品がひとつもなくなってしまう。みえみえですよ、そんなの。もし、食べられなかったら全部を買うという約束は果たさなくってもいいんだし、どちらにころんでもお客様はパンを買わなくて済むのに対して、私の方といえば、いずれ、麦わらをお尻の穴に突っ込まれて今にも破裂しそうなほど、パンパンにお腹を膨らませた雨蛙みたいに悶え苦しまなくってはならないのですから、ご遠慮申し上げます。それで、…それでというのもなんなんですけれども、お客様がお食べになられるというのではいかがでしょう」
「はぁ?」
「本来は全部食べていただきたいところですけれども、それはやはり無理というものでしょうから、お好きなだけ食べていただくということで結構でございます。残りはお持ち帰りください。それで、六万ぽっきりでいかがでしょう? 出血大サービスということで勉強させていただきます」
いつまでも言ってなさい、と呟くように言い捨て私は店を出た。すると、追いかけるように『あんな電波系に売るパンはうちにはないのよ』そう言っている売り子の声が聞こえたような気がした。
なんかとっても、むしゃくしゃした。このイライラを払拭するためには、生半可なことでは済まされないことが、はっきりとわかっていた。ていうか有り体にいえば、これほど誰かを殺したいと思ったことはない。