短いのはお好き? 
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2003年10月30日(木) オトナノフリカケ




道草食ってないで超特急で来い!



俺はカヲルにそうメールした後で自分でも訳がわからないけれども何を思ったの
か、ある女性をストーキングしはじめたのだという。むろんその様子は後でカヲ
ルに聞いたのだけれど。



カヲルは時間通り待ちあわせの場所に来たにもかかわらず、ベンチか
ら俺はたち上ると、手を振りながら近付いてくるカヲルに一瞥もくれるこ
となく擦れ違って、前をゆく若い女性をつけだしたのだという。



どうやらそこまでの記憶が欠落してしまっているようなのだけれど、ただぼんやりと
だが誰かを追って歩いていたのは覚えている。



歩きながらいろいろなことが、脳裏にまざまざと甦ってきて煩いくら
いだった。イメージの氾濫とでも表現すればいいだろうか、それはまるで眼を見
開いたまま歩きながら見る極彩色の夢のようだった。


 
夢なのかうつつなのかわからない状態で、夢だかうつつだかわからないもの、を見る
のであるから更に訳がわからない。


というのも、以前夢でみた影像なのか、あるいは小説などを読んで自分で想像し
た影像なのか、はたまた映画の記憶の断片なのか、自分が監督・編集したまった
く新規の夢の影像なのか、あるいはまた、どこの誰だかわからないけれども勝手
に送りつけられ見させられているものなのか、そこらへんが実に曖昧模糊として
わからないのだった。



いったい夢はどこからくるんだろう。
ま、それは杳として、わからるはずもないから、置いといて。




まあ、とにかくその影像だけれども、もう頭のなかで所狭しとひしめきあっているという
感じだ。




以前ジャズのアドリブが出来るようになりたくてジャズ喫茶に毎日通っていたと
き、ある日を境にジャズのフレーズが次から次へと口をついて溢れるようにして出てきた
、ちょうどそんな感じでこんこんと湧き出る泉のように舞い降り
てくる総天然色やモノクロの静止画や動画を見ながら、実はぜんぜん別なこと
を考えていた。



たしかそのことはなんかの漫画で読んだのだと思うけれど、ちょっと衝撃的だっ
た。




御国のために殆どまだ少年ともいえそうなうら若き兵士が戦争へと出征していく
、その前夜に未だ恋人もいない(ひらたくいえば女性経験のない)彼に母親が女
性として己の肉体を提供するという禁忌が当たり前のように行われていたという
史実を知って驚きを禁じ得なかった。




それはやはり出征とは即ち御国のために命を投げ出すということなのだから、女性を知らぬまま死にに行く我が子をはかなんでの、せめてもの親心なのだろうと思った。






戦時下はやはり平時では許されざることも許されるということなのだろうか。



そもそも、人を沢山殺した者ほど誉めたたえられ勲章を与えられるとい
う、国をあげて全てが狂っている情況なのだから、禁忌など存在しないのだ。




だいいち、ヒトがヒトを殺すことこそ最大の禁忌であろうはずだからだ。



しかし、どうなのだろう。そういったヒトがヒトを殺すことを奨励している、これ
以上ない悲劇のなかで、母親と実の息子がマグワウという更なる悲劇を極めたオゾ
マしいドラマが繰り広げられていたという訳だけれども、不意にとんでもない勘
違いをしているのではないか、ということに気付いた。




それは若い身空で御国のために死んでゆく少年兵が、あまりにも不憫で己の肉体
を与えたのではないのではないか、ということだ。



出征してゆく少年が長男であった場合など直系の血が絶たれてしまう。つまり、
種の保存ということだ。父親も戦争にとられ、息子も召集されるとなると、
その一家が断絶してしまうわけだからだ。




しかし、だからといって母と子のマグワイという衝撃的事実が変わるわけではないのだけれども
…。








いわゆる黒人の人達の間ではmother fuckerが褒め言葉であることを知ったのは、
それから暫くしてからのことだった。





2003年10月27日(月) Naked Love




自由が丘の元Jフォンショップに解約に行こうと思い
踏み切りを渡っていると


不意に
ほんとうに不意に


空から降ってきたように
ヒカルを思いっきり
抱きしめたくなっちゃった…
ので


往き交う人には邪魔で迷惑だろうけれども
遠慮なく
感情の赴くまま


ギューッと抱きしめて
ヒカルにKissした


ヒカルはぽぅとピンクに頬を染め
俯いたまま

バカ
といった


なんだよ
恥ずかしがんなよ
といったら



あのね
どうでもいいけれども
あたしはヒカルじゃないんだけど…




ヤベー
そうだったっけ
とトートバッグを肩にかけなおして


照れたような振りして
時間かせぎして
誰だったけか? 
と考えてた



ヤベー
まじヤベー


ヒカルじゃなきゃ誰なんだ?
ま、まさか…


そうよ、そのまさかよ
なんかそんなふうな声が聞こえてきたような
気がして



まじに怖くなったので
解約どころじゃなくなった


それでも惰性で





自由が丘の元Jフォンショップに解約に行こうと思い
踏み切りを渡っていると


不意に
ほんとうに不意に


空から降ってきたように
ヒカルを思いっきり
殴りたくなっちゃった…
ので


往き交う人には邪魔で迷惑だろうけれども
遠慮なく
感情の赴くまま


ボコボコにした


顔面も効いたんだろうけれど
腎臓への一発でヒカルはくずおれた


もしかしたら
死んじゃったかもしれない
けど


その苦痛に歪んだ表情がたまんなくて
ヒカルにKissした



するとヒカルは
ぽぅとピンクに頬を染め


俯いたまま
バカ
といった


なんだよ
恥ずかしがんなよ
といったら



あのね
どうでもいいけどさ
あたしはもう死んでるんだけど…




ヤベー
そうだったっけ


でも


細かいこというなよ
どうせおまえはただの
死体じゃん


トートバッグを肩にかけなおして
踏み切りを渡りきる






ヒカルをずるずるひきずって




元Jフォンショップに入ってゆく










2003年10月26日(日) 読書ニッキ☆町田康 あぱぱ踊り



自戒を込めてのアイロニー作品なのでしょうか。
なんていったら怒りを買ってしまうでしょうね…いや、冗談です。

なんの狙いもなく、メタファーもなくなんらかのカリカチュアですらもない、ただのシチュエーションで進行してゆく作品(作風)ですが、やはり凡人は真似してはいけないでしょう。

凄い人はフツーに凄いのです。気を衒ったり、仕掛けをしたり、伏線をはるなどといった姑息な真似はしないのです。あるがまま。そこには、文学畑出身ではないという町田のその出自も大きな要因になっているとおもわれます。

実は物凄い読書家であることなどおくびにも出さないところが、またかわいいです。

彼が出て、フォロワーが雨後の筍のごとくはびこるかと思っていましたが、そんなこともないようですが、いわゆる文学的でないところが彼の素晴らしいところだと思います。軽妙洒脱といいますか、アヴァンポップというのか、殊にその「軽さ」は、目を瞠る素晴らしさだと思います。

才能のない作家さんは、仕方ないのでしゃかりきになってお勉強をして苦労してアタマで書くので、ツマラナイのです。

彼は恵まれた才能で書いているわけですが、この書き方は、実は天才にしか許されない書き方です。その昔、深沢七郎という天才が存在していましたが、彼が真の天才かどうかの判断は、これからの作品に委ねられるべきでしょう。

彼の文壇での位置などにはまったく興味はありませんが、新しい文学を切り拓いてゆく……純文学=つまらない、を払拭することの出来る……数少ない才能ある作家として頑張っていただきたいものです。


2003年10月23日(木) ☆読書ニッキ☆ 黒曜堂★藤沢 周




実は、あちら側にいっちゃってる人のお話。


主人公の他にもうひとりあちら側に完全にいっちゃっているように見える不思議な女性が核となって進行してゆき、事件がらみのサイドストーリー的なものも用意されているが、展開という展開はない。



物語の後半でやっと明かされる主人公小野沢の特別な能力。そして彼はそれによ
って翻弄されまくっているのだけれども、未来と現在の境界線がどこにあるのか
読者も作者に最後まで翻弄される。



妙子との最初の???は予知能力のなせる技だっとは…。それも克明に描写され
妙子の言葉も一言一句洩れはないのだろうと思われる。



どこでいつそういったあちら側へのスイッチが入るのかはよくわからないのだけれど、地下鉄の階段を上るときとかに何万ヘルツだかの高い音が聞こえるなど異様な
違和感を顕著に感じるといい、狂気への伏線は冒頭に既に顕されていたわけである。



そこにもうひとり、常に自分ではない誰かになりたがっているミステリアスな女性
が絡んできて、小野沢の狂気を狂気で以て隠匿するような役目を担っているよう
である。



しかし、実は彼女は病んではいるけれども正気を保っているようであり、それは
退職前の刑事の弁からも窺われる。



問題のエンディングだが繰り返し素晴らしい記憶力とか小野沢が彼女に対して述
べていることからどうやら、エンディングに展開されている光景は小野沢の予知
の影像だということがわかる。



というのは、誤りであって実は前回の彼女とのやりとりこそが未来での彼女との
やりとりを先取りした白日の予知夢だったのかも知れない。



もうそこらへんは現実なのか予知なのか杳としてまったくわからない混沌の世界
である。



というわけだから、ミステリアスな女性とのHも実は、これからおこるであろう未来での出来事なのだろう。



最後の自分自身の顔が窓から覗きこんでいたというのは、小野沢の狂気を端的に
顕したともとれるし、この光景自体が小野沢の予知夢であることの証左であるの
かもしれない。



いや、もしかしたなら彼こそが別人格になりたいと願ってやまない張本人なのかもしれず、となると彼の未来を予知する能力すら自分の都合のいい解釈にすぎないのかもしれない。つまり、ただの願望を夢見るという狂気なのやもしれないのだ。



語り部は彼自身なのであるから、すべてが狂気なのかもしれない。





2003年10月22日(水) 読書ニッキ ☆R リアリティ 藤原智美




この作家を女性とばかり思っていたのですが、今回やっと男性であると認識しました。


物語は、いきなり訳のわからん奴等が部屋に乗り込んでくるとことからはじまりますが、一種の不条理ものです。


どんな風に終わるのかが作家の才能のみせどころ? なわけですが、最初ちょっと合点がいかなかったのですが。


どうやら最後の一文に秘密が隠されているようなのです。



『男は人形のように見えた』という文章です。



つまり、Rと男は入れ替わってしまったのでつね。


男はRを死刑にするつもり、いや、死刑にしなければいけないと思っていた。(Rは男の分身である)
しかし、実際はRに男が付き添っていたのです。Rこそがリアリティであり、男が人形なのです。そのようにいつしか人形と人とが入れ替わってしまったのです。そんな風に考えてみると結構鋭い小説です。


どこからこのような発想が生まれたものなのでしょうか。


男はRを手に入れ、現実をRに刷り込んでやった。男は実際に死刑執行人として選ばれた存在であったのであるが、男によって現実を刷り込まれたRが現実となり、男は現実からいつしか遊離した存在となってしまう。


そこで、処刑されるべき存在であったRと男はすりかわってしまう。だから、本当のところはRが男を見つけ出したのです。そういうことになりますね。


現実と虚構が入れ替わってしまう、そういうお話なのでした。



なかなかのものでした。







2003年10月18日(土) 映画ニッキ  ☆非・バランス


やっと観ますた。あの風間詩織がホンを書いているということで興味津々でありました。

実は、個人的にこの監督さんを存知あげていて、重箱の隅をつつくような批評をして差し上げようと思いつつ観たわけなのですが、いやいやまったく破綻のない手堅い演出で文句のつけようもありません。

とにかくお話はいいですね。こんなにも切ない物語とはおもってもみませんでした。

近頃TVで流行った『Water Boys』にしても『Stand Up!!』にしても所謂オカマな人たちが重要な役目をになっているわけですけれども、このお話にしても菊ちゃんがなんといっても素晴らしく、見方によっては、千秋ではなく菊ちゃんが主人公(いや、ヒロイン?)かと思わせるほどの名演でありました。

というわけで、これをTVで連ドラとしてやっても相当な視聴率を獲得するはずであり、映画を感じさせ得るショットなど殆どないのですから、映画でやる必然性がわからないのでありました。

以前、知人の女性になぜまた同じ物語でもTVと映画と二通りあるのか、と訊かれたことがあって答えに窮してしまったことを思い出します。

欲をいえば、その答えが明確にわかるような、これは「映画だ!」という作品を観てみたかったものです。

映画以外の何ものでもないという作品。それは、匂いなのかもしれませんね。色気ともいえるでしょうか。

風間詩織ならどう撮ったんでしょうかね。こんなにいい題材は、あまりないと思いますけれど…。


ところで、あの橋はよかったですね。とてもいい感じの橋でよく見つけてきたなって感じですよ。

夜のアーケード街なんかよく撮れていたと思いますが、肝心な海。これがNGでしたね。

結局、沖縄に飛ぶとかすればいい海をとれたのでしょうが、お金がね。


しかし、曇り空で鉛色の海ってのもね。とても勿体ないと思いマスタ。


2003年10月15日(水) 映画日記『恋恋風塵』 ホウ・シャオシェン



この監督は、あの小津をリスペクトしている数多くの監督のうちのひとりだが、この作品は都会生活にどっぷり漬かりきった(疲れきった?)私たちには、容易に入り込めないような純朴で美しい恋の物語である。


アイリス・インしてゆくかのような冒頭部分のトンネルを抜けていく電車。本来ならばトンネルのなかこそ走行音が凄いはずなのだけれども、徐々に音声がフェード・インするなど、非常にデリケートな演出でうならされる。


ワンが涙にくれるシーンの直後も、キャメラは夜明けの空と森の梢のシルエットを対比させながらゆっくりと右へとパンしてゆくのだけれど、このショットには少なからず驚かされた。この滑らかではあるるけれどもおそろしく緩やかな横移動の、哀しみを超越してしまったかのような透明なショットは、無音という音を醸し出しているのであって、これはこのパンが始まると同時に奏でられる静謐な音楽によって更に強められる。


ここには、時間の経過と同時にワンの苦悩する、彷徨える魂が描かれているように思えた。



気付いてみると、やはり長回しが随所に発見できるけれど、小津よりもキアロスタミのようなロングショットでの長回しも多用していた。ホームで待つワンの横顔をねらったショット、あるいは、じいちゃんとワンとの会話のショットなど背景のボケと相俟って美しいショットだった。

海では墨絵のような幻想的なカットが目を奪った。


また、いきなりワンの回想として過去に遡っての会話に飛び、現在のシーンにその会話を被らさせる(回想シーンであることの説明)など、なかなかやってくれる。このワンの回想は2度いや、3度(炭鉱での事故は幻想かもしれないが)出てくるのだが、そういった時間軸に沿わないカットをも用いて物語を豊かにすることに成功している。



ワンが兵役を終え、家に帰ってくると母親は丸くなって午睡しているのだけれども、我が家に帰ってきたのだという何かどっしりとした安定感を感じさせた。



そして、じいちゃんとの会話。といっても、一方的にじいちゃんがイモのことを話すだけなのであるが
それがいいのである。そういったごくつまらない日常の会話こそワンには必要なのだ。じいちゃんの優しい気遣いがよくあらわれている。



やがて、ふたりに沈黙が訪れるのだがそれがまた、余韻を残す重い沈黙なのだった。


じいちゃんこそ孫のことを思って心痛していたのだ。言葉でこそいわないが、ワン頑張れ! 挫けるなよ! といっているのだ。



しかし、なんといっても私の大好きなショットは、冒頭の学校帰りのワンとホンが「映画だ!」といって立ち止まるところだ。



ホンが笑顔で見上げたその先には、移動映画の布製スクリーンが風にはためいている…。そこになんとも言われない優しいギターがかぶさってくる、光に満ち溢れたとてもいいシーンなのだった。



その際のホンの笑顔は素晴らしく輝いて愛らしいのに対して、郵便屋と共に挨拶に帰郷した時のホンは可哀想なほどしょげかえって暗い顔をしている。出来ればこんなホンの表情は見たくはなかった。


ホンの母親は、怒って二人を家のなかにいれようとはしなかったのだが、この経緯を2カットで見せきってしまう力量はどうだ。小津でお馴染みの? 見交わされることのない視線が、ここでは文字通り交わらない視線(こころ)として効果をあげている。



しかし、やはり女性というものは待つことが出来ない存在なのであろうか。



「あと387日。数えるだけでも気が遠くなりそうです」



そうホンは兵役にあるワンに手紙を書いてきたのだけれど、もうそこには心変わりの萌芽が微妙に表現されていたのかもしれない。


2003年10月04日(土) okan





自由が丘で東横を降りて、緑ヶ丘図書館に行こうと思っていたのに…気付いたら、もう田園調布に着いていた。


仕方なく、もう一度本に視線を落としたのだけれど、字面を追うばかりでいっこうに頭に入らない。
ていうか、書名はなんだったのか。いったい何を読んでたんだっけか?


うとうとまたしていたら、前髪がごっそり抜け落ちる映像が繰り返し見えてゾッとする。




禿げだけはいやだよぉ。




不意に車窓から金木犀の清清しい甘い香りがして…。





もう秋なんだなぁ、と思ってる自分がいて。





ふと小林さんはきょうこそは動画を見れただろうかと思った。きのうHな動画をあげたのだけれども、喜び勇んで、さぁー見るぞ! とアパートのドアを開けたら母親がいたという。



「横浜でね、友達と会うからカズチャン今夜泊めてちょーだい」





シェークスピアも真っ青。笑えない悲劇だ。いや、悲劇はもとより笑えないものなのだけれども。







ま、なんだかんだいっても今がいちばんいい季節だよな。なんて思ってるうちにご帰還アソバサレマシタわたくしめ。



鍵穴にKeyを差し込む。


んんんんんんん!!!!!!!!!!




開いてる?????????????






「あら、おかえんなさい。早かったのね」


狭いキッチンでエプロンをしたおばはんがこちらを振り返って笑みをこぼす。





はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあっぁぁぁぁぁぁぁぁ???????




完全に部屋を、階数をまちがえたと思った。2Fじゃなくって、3Fだったのか。







「すいません、まちがえました!」そういって取って返す、その背中に


「なにいってんの。さ、もうできたから食べましょ」






いったんドアを開けて表札を確かめる。まちがいはない。しかし、表札など作ろうとすればいくらでもつくれるのだ。騙されないぞと思ったりする。


この世の中じたいすべて嘘っぱちなのだからして、いったいなにを信じていいのかもわからないのだ。





だって、この俺様からがしていったい誰やねん? 


自分は自分なのだろうけれども、この肉体は実際に自分の肉体なのか。たんにこの肉体という檻に幽閉されているに過ぎないのかもしれないのだし、またその檻には自分だけでなく、いくつもの人格が入っているかもしれないのだ。






「ところでアンタ誰? ここでなにしてんの」



「あらあら。実の母親の顔も忘れたってわけ?」




ざけんじゃねー。





「もうとっくに死別してんだけど…」




「あははははは。アンタは相変わらずやね。ま、いいさ。ビールでも飲も」





「あはははは。そやね、昔のことはもう忘れて、今夜は飲み明かそうや」






部屋に入って、PCを起ちあげる。いったいどうなってんだ。怪奇現象に巻き込まれた少年A、鼻毛を三本抜かれて重態! という三面記事の見出しが見えた気がした。






「さ、用意できたわよ。はじめようよ」


どう対処していいのかわからない、凄すぎて。




「じゃ、とにかくカンパ〜イ!」





小さなガラスの丸テーブルは、食べきれないほどの料理で溢れかえっていた。



キンキンに冷えたビールを口に含みながら、いったい俺はなにをしているのかと暫し自問自答。







「ほら、アッちゃんの好きな筑前煮だよ、たんさん召し上がれ」




ははは。力なく笑う。筑前煮なんて知らないし、そもそも俺はアッちゃんなどではない。
完全にイカれてるのか、このばばぁ。




それとも…。







「で、親父と俺を捨てて、今までどこにいってたんだよ?」




「いきなりかい。ま、それはおいおい話してくからさ…」







会話が弾むはずもなく、もうどうにでもなれと、ただ黙々と浴びるほど飲んだ。











やがて、気付くとおばはんは消えていた。



俺が…バスルームからシャワーを浴びて出てくるまでは。





出てくると、おばはんはベッドに横たわっていて、裸のままの俺を手招きするのだった。




定番のスケスケのピンクのネグリジェを着てるおばはん。


ネグリジェの下にはなにもつけていないおばはん。



ネグリジェから下半身の黒い翳りが透けて見えているのを知っているおばはん。










俺は、まさに蛇に見込まれた蛙のごとく吸いこまれるようにして、一歩一歩ベッドに近づいてゆく自分を、どうすることもできなかった。












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