短いのはお好き? 
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2002年04月30日(火) 真希

 
 ぼくと真希は、今はもう移転してしまったけれども、反町駅近くのモスで一緒にアルバイトをしていたことがあった。
 その頃のぼくは、ストイックなまでに音楽にのめり込んでいて……といえば、聞こえはいいけれど、実のところうまくいかない人生に半ば絶望していて、真希と楽しく会話するほどの心の余裕すらなかった。
 ただ真希は育ちの良さを窺わせる、ほんとうに気立てのよい娘で、その後、引っ越すということでアルバイトを辞めてしまったけれども、ぼくの心には真希のそよ風のように清々しく優しい印象が、いつまでも消えずに残っていた。

 それから1年ほど経った頃、渋谷のタワーレコードでたまたま真希と再会した。真希はバンドのメンバーと一緒で、そのときはケータイの番号を交換しただけで別れたけれど、それからすぐぼくから連絡をとった。
 ぼくはその電話で、ただ逢おうというのも気がひけて、一緒にスタジオに入って音を出そうという口実を設けたのだった。

 中目黒の駅から祐天寺駅へと線路沿いに走る道を、真希とぼくはのんびり歩いていった。
 途中で飲み物を何か買おうといってコンビニに入り、スナック菓子とオレンジ・ジュースを買ったけれども、ふたりでこうやって買い物をしていると、何か恋人同士のような気がして、もしほんとうの恋人同士であるのならば、こんな些細なことこそが幸せというものなのかな、なんて思った。

 真希の住んでいる部屋は、コンビニを出てすぐの脇道を入り、だらだら坂を上っていたところにあった。
 そこは二階建ての一軒家で、一階は大家である中年の女性がひとりで暮らしていて、二階だけを貸しているのだけれど、男性は住まわせないのだと、真希は言った。

 道路から直接二階へとつづく階段を上がって玄関に入ると、短い廊下がありその廊下の片側の棚には、プランターに整然と植えられた可憐な花々のように、様々な色合いの下着の入ったボックスが、無造作に置かれてあった。
 それらを見るともなしに見てしまったぼくを振り返り、真希はばつが悪そうにちょっぴり笑った。
 リビングはやけに広くって、狭い部屋に住んでいるぼくには落ち着かないほどに思えたけれど、更にその奥に妹の恵子ちゃんの部屋がつづき、真希の部屋はさきほど通った廊下の壁を隔てた6畳くらいの洋間だった。

 スナック菓子の封を切り、オレンジ・ジュースを飲みながら、ぼくらはとりとめのない話をした。
 一緒に働いていたときのこと。
 真希がキーボードをやっているバンドのこと。
 音楽のこと。




















 真希なんで死んだんだ?


2002年04月29日(月) エピローグ

 きれいな絵葉書、ありがとうがざいました。

 サトも、もうすぐ3歳の誕生日を迎えようとしています。

 それにしても長いが時間(とき)が流れてしまいました。その時間の経過と共に私の心も移りかわりました。

 あなたは、ご自分の旅の目的地がほかでもない故郷であると、私たち家族であると気づかれたようですが、それはちょっと違うのではないでしょうか。

 私の気持ちは既にきまっています。どうしたらいいのかと思い迷っていましたが、あなたのくれたあの美しいオーロラの舞う一葉の絵葉書が、決心を促してくれました。

 あなたの戻ってくる場所などというものは、どこにもないのです。あなたは故郷を離れることによってのみ、私たちを、私たちの存在を認識できるのです。たとえあなたがこちらへ戻ってきたところで、そこには既に故郷も、私たちも存在しないのです。

 そして、また同じことの繰り返しとなるでしょう。

 あなたは、そうしていつまでも、オーロラの輝きを透かして私たちを想っていればいいのです。あなたが遠く故郷を離れている限り、私たちはあなたの心のなかに美しい幻影といして、いつまでも映ることでしょう。

        お身体を大切に
                             目黒にて


  追伸
 サトは、ひきとらさせていただきます。


2002年04月28日(日) プロローグ

  
 お元気ですか?

 私はいま、ヨーロッパ最北の町、ノルウェーのホニングスボーグに来ています。

 いまこの地では、長く厳しい冬のフィナーレを飾るように毎夜オーロラが音もなく舞っています。

 北風に煽られ優雅にたなびく雄大なカーテン、オーロラ。その気高く厳しい美しさを目の当たりにして、やはり私は旅に出てよかったと思うのです。

 何の目的のないまま、ただすべてのしがらみから、そして自分自身からをも逃れたいと思い立ち、旅立つ決心のつかぬまま半ばふらふらと東京を後にしてしまいましたが、くる日もくる日もこの荘厳なまでに気高いオーロラの光を眺めながら、私は意外なことに気付いたのでした。

 それは、自分自身がいやでいやでたまらずに過去から、自分から、逃げ出してきたというのに故郷を遠く離れれば離れるほどに私は逆に故郷に近づいてゆくのではないのかということなのです。

 気高いあのオーロラの向こうに、私はほかでもない故郷を見ていたのです。東京に残してきた私の家族。父、母、君そして娘。私は私の家族を自分ではそうと気付かぬまま、オーロラを透かして見つめつづけていたのでした。

 人生は旅です。そして、その長い旅路の果てに人がたどり着くのはどこなのかが、東京を遠く離れたこの見知らぬ土地にきてはじめてわかりかけてきたように思うのです。

 私のこれまでの人生は、すべてを否定することの連続でした。そして自分の存在さえも否定し去ろうとしていた私ですが、それは誤りでした。

 私の旅の目的地は故郷、ほかでもない故郷だったのです。私は、自分を求めて、家族を求めて、そして故郷を求めて旅していたのでした。

                    北緯71度 ホニングスボーグにて




2002年04月27日(土) その頬に

   

「ユカという女のこを知りませんか?」
「ユカという女のこを捜しています」
「シャギーの似合うかわいいこです」

 
おれは、そう叫びながらユカの首を両手で押さえ、ゆっくりしめていく。

 ユカは、息苦しさに目覚めると眼を見開き、手足をばたつかせる。

 それでも、おれは手を離さない。

 今夜はいけるところまで、いってやれという気分なんだ。

 で、ぎりぎりのところで、ふっと手の力をゆるめてやる。

 それの繰り返し。


 ユカの喉がヒューヒューと鳴りだす、それが堪らない。

 もう呼吸ができなくなって、必死の形相で暴れるまくるユカ。

 でも、おれはしめる手をゆるめない。

 けど、今夜はなぜか急につまらなくなった。

 ユカは、すごい勢いで咳き込みはじめる。

 ゼーゼーいっているユカに馬乗りになると、次に思い切り平手で叩きはじめる。

 泣き叫ぶユカ。

 かまわず叩きつづける。今度はグーで。

 狭いワンルームの部屋に肉を打つ鈍い音が響く。

 ユカの唇は切れ、頬は青黒く変色する。



「ユカという女のこを知りませんか?」
「ユカという女のこを捜しています」
「シャギーの似合うかわいいこです」



 と、そこで目が醒めた。

 横をみると、ユカが安らかな寝息をたてて眠っている。

 ピンクのその頬に、そっとkissした。




「ユカという女のこを知りませんか?」
「ユカという女のこを捜しています」
「シャギーの似合うかわいいこでした」





2002年04月26日(金) バターは古い木の根よりつくられる

 

私は、みんなにポーリーヌって呼ばれてる。
 
エリック・ロメールだったっけ? 彼の『海辺のポーリーヌ』のポーリーヌとは、ちょっとちがう。
 私は、妖精。(大リーグボール養成ギブスの養成とは、字もちがう)
 フランス生まれの。
 そのフランス生まれの私が、なぜこんなところに居るのかといえば、これが私への刑罰だから……。
 私は母国フランスで、妖精として絶対侵してはならない禁忌を侵してしまった。
 妖精には、いくら人を驚かせたり、戸惑わせたり好き勝手に振る舞うことは出来ても、絶対に破ってはならない決まりごとが存在していた……。

 私はフランス北西部のフランドルの片田舎で生まれた。
 フランドルは中世以降、毛織物業の中心地で、私は羊飼いのセリーヌ家の家つき妖精だった。
 私はむろん悪い妖精などではなく、むしろその家を種々の魔物から守り繁栄させてゆくことが私の役目だった。
 ところが、ある日私はセリーヌ家に雇われている牧童のフェルディナンに恋をしてしまった。それが、そもそも妖精に許されることではなかったのだ。
 むろん妖精といえども恋はする。でも、恋はするけれどもそれは妖精同士のみ許されることで、妖精はヒトを愛してはならないのだ。

 フェルディナンは、陽気で気のいい青年だった。
 でも、いつしか私はフェルディナンを愛してしまったことに気づき愕然とした。
 それは、フェルディナンが私に、自分の恋の悩みを打ち明けたときのことだった。
 フェルディナンの恋の相手は、こともあろうにセリーヌ家の主人オーギュストのひとり娘、ソフィーだった。
 そのとき、私ははっきりと自分がフェルディナンを愛していると確信した。
 はじめは、けなげにもソフィーとの橋渡しを幾度か手伝った。フェルディナンを愛してるが故に、私は彼がソフィーと結ばれ幸福になってほしいと願った。
 しかし、私はいつまでも自分の気持ちを欺いてはいられなかった。

 ソフィーへのジェラシーは、日を追うごとに増してゆき、私はその嫉妬の業火のなかで身もだえした。
 自分でも醜いと思った。醜いと思ったけれど、ソフィーへのジェラシーをどうすることも出来なかった。
 苦しかった。
 どうにかしてこのフェルディナンへの想いを理性でねじ伏せ、忘れてしまおうと抵抗してもみた。
 でも、忘れよう忘れようとするほどに、むしろフェルディナンへの恋心が胸を焦がすばかりで、一向にその恋の炎は消えなどしなかった。

 私はただもう、この自分の想いをフェルディナンに告げたくて仕方がなかった。
 しかし、それだけは出来ぬ相談だった。
 ソフィーへのジェラシーとフェルディナンへの震えるほどの恋心で、善悪の見境もつかぬほどになった私にさえも、妖精としての禁忌を侵すことの愚は、わかり過ぎるほどわかっていた。

 恋するとどうしてもその想いを告白したくなる。
 しかし、告白してたとえその恋が報われたところで何になるのだろう。
 恋の相手は当然、私を優しく愛撫したがるだろう。
 そして私も恋人の愛撫を待ち望むだろう。
 だが、妖精にはもとより肉体はない。
 精霊なのだ。
 恋人がいくら私に愛撫を加えたくとも、その手は私の身体を透過してしまう。
 私には、その愛撫を精神によって歓びとして感じ取ることが出来るけれども、肉体を有するヒトには、とうてい我慢ならないはずだ。
 そのときの恋人のもどかしさ、はがゆさは、たとえようもないだろう。愛する者を前にして、触れることすら出来ないのだから……。
 そして、もしかしたら恋人を想うあまり、狂い死んでゆくかもしれない。

 ただ妖精といえども生殖行為は行われる。でも、それはプラトニックな愛のみで充分なのだ。
 身体を合わせるという型通りの儀式さえ行なえば事足りる。
 だから、万にひとつもありはしないだろうけれど、触れようとして透過してしまう妖精の身体でも、ヒトがその強い意志で身体を合わせようと試みたたならば、そのヒトの放った精子(いのち)は、確実に妖精の内で育まれてゆく。
 それ故の禁忌なのだ。

 ヒトと妖精の愛の結晶は、この世のものでない化け物を顕在化させてしまう。
 そう言い伝えられている。
 それ故に、わたしは告白してはならなかったのだ。
 しかし、私はそれを侵してしまった。
 でも、フェルディナンに直接告白したわけではない。
 それとわかるように小賢しいまねをしたわけでもない。
 彼は、私の愛を直感してしまったのだ。

 ああ、フェルディナン許して……。
 それからフェルディナンのとった行動を私も予想出来なかった。
 優しいフェルディナンは、そうと知ると私たちふたりの前から忽然と姿を消してしまった。
 自分の恋の成就を犠牲にしてまで、ソフィーと私の仲を裂くことを防いだのだ。
 それに彼がソフィーを選ぶとしたなら……むろんそうに違いないからこそ……家つき妖精である私が、セリーヌ家から去ってしまうと考えたのだろう。
 家つき妖精が、その家を離れてしまうと幸福が逃げてしまう、という古くからの言い伝えを彼は信じてしたのだ。
 すべてを丸く収めるために自らを犠牲にする、彼はそういう男だった。

 そういうフェルディナンの人となりを知っていながら、私は嫉妬に狂い、愛を告白してしまった。
 実際にはそうなってしまった。
 そして……禁忌を侵してしまった私は、フランスを追われた。
 おフランスの妖精界から追放されたのだ。
 それから……私は何の考えもないまま、通りすがりの旅人のカバンのなかにもぐりこんだ。


   そして、私は東京にやって来た……。


2002年04月25日(木) あゆむとあゆみ

 
「ほう。これはこれはどういったご趣向ですか?」

名を呼ばれたあゆむは、ぼろんと前を出した格好のまま、医師に向いあって座っていた。

「社会に適応しなければなりません」
「なるほど。で? つづけてください」

「そのためには、先ず自分をさらけ出すことが肝要です。自分の殻のなかに閉じ籠っていたのでは、いつまでたっても社会に適応することなどおぼつきません。
 先ずは、自分の心を開くことです。すべてをさらけ出す。それにより社会にまっすぐ向き合うのです。背を向けてはなりません」

「その点についてはまったく同感です。……しかし、そのこととソレをさらけ出すこととはちょっと意味合いが違うのではないのですか?」

「いえ、そうではないのです。心と身体は密接不離の関係にあります。つまり、心を開くこと即ち、ジッパーを下げ最も恥ずかしい部分を白日の下にさらけ出すことは、まったくの同義なのです。
 心を開いて己の醜悪な何者かに蝕まれた病巣とでもいうべき部分を世間にさらけ出す、そのことは、つまり身体の恥部をさらけ出すことにまったく重なっているのです」

「そうなのですか、そういったお考えあってのソレなのですね。よくわかりました。
 ……しかし、ここでちょっとお聞きしなくてはならないのですが、……あなたは先程ご自分の心は醜悪であると言われましたが、実のところ無垢なるものとお考えになっておられるのでは?
 つまり、社会こそ害悪に充ち充ちた世界であり、己の無垢なる魂をその罪穢によって汚したくはないと……」

「いえ、そうでもないのです。そうでもないというのは、つまりそうでもあり、そうでもないということなのですが……。これは、ちょっと微妙なところです。
 先生のおっしゃる通り、私は自分の魂を無垢なるものとも考えております。ただ、それと同時に……というか、それに等しく醜悪なるものとの思いも強烈に共存しているのです。ここは、いわく言いがたいところなのですが、わかっていただけましょうか?」

「……なるほど。ご自分の心は無垢であると同時に醜悪である、ということですか」

「そういうことになります。……そして、そのことにより私は、これまで…それから、これからも悩み苦しみぬいていかなければならないのです。
 それが、わたしの『生』というものなのです」


2002年04月24日(水) 真希


中目黒の駅前で真希と待ち合わせしていた。
ぼくはギターのソフト・ケースを足元に置き、煙草を吸おうか吸うまいか迷っていた。
改札の上の丸時計に目を遣ると、約束の時間を10分ほど過ぎていた。

結局煙草を吸おうと思い、ライターを捜していると真希が現われた。
瞳に、はにかんだような笑みを湛えてこちらに歩み寄ってくる真希。

「ごめんなさい。遅くなちゃって」
いや、いまきたばかりだから、と言いかけたときケータイにリサから着信。
きのうのきょうで仕方ないから、真希に軽く会釈し、すぐ切るつもりで出る。

「ちょっとなによ、きのうは。デートすっぽかしてどこいってたのよ」
「ええっと、だってもう帰るっていうから……」
「あのね、女の子の『もう帰る』は、『早くして!』なの。そんなこともわからないの」
「ごめんごめん。……あの、それでさ、いまシリアスなドラマの進行中なんだ。きのうの埋め合わせはかならずするからさ」
「シリアス? なにそれ。どうせくだらない小説のなかでのお話でしょ。小説とあたしとどっちが大事なわけ?」
「ちがうって。いまマジに取り込み中なんだ。あとで絶対連絡するからさ」
「ふーん。どうせ、真希とかいう女(ひと)でしょ? 2年前に亡くなってるんだから、いい加減ひきずるのやめなさいよ」

更にリサはなにか言いかけたけれど、……切ってしまった。それどころじゃないからだ。


「真希、ごめん」
真希はううん、と首をふる。
「だいじょうぶなの? 無理しないでね」
「真希こそ身体の具合はだいじょうぶ?」
「うん。だいじょうぶ。でも、スタジオ行けなくてごめんね」
「いいってそんなこと。真希のとこ行けるなんてかえってラッキー!」

ぼくと真希は駅前のアーケードを連れ立って歩き出した。


2002年04月22日(月) あゆむとあゆみ

 
口が半開きで、目のうつろなパジャマ姿の男がひとり、看護士に付き添われ、あゆむの前をのろのろと通り過ぎてゆく。

 薬づけになった彼の歩き方は、さながらゾンビのようにソラジン歩きをしているのだった。

 診察室に面した長い廊下に置かれたビニール皮のソファに浅く腰掛けているあゆむは、ふと己の男としての証しである股間に目をやった。

 こんなものいらない……。

 と、急に尿意を覚えたあゆむは、ゆっくりと立ち上がり、トイレへ向かう。

 がらんとしたトイレのなかでひとり朝顔に立ち向かい、放尿するあゆむ。

 あゆむは考える。
 
 ……社会の窓とはよくいったもんだ。でも、この表現は内からの見方であって、外から見たのではそうはいえない。なぜなら、内から外を見るその行為が、社会の窓の役目だからだ。

 プルプルと振る。

 隠そうとするから駄目なんだ。

 あゆむは、ボロンと出したまま手を洗い、そのまま廊下へと出た。

 通りかかった看護婦が目を剥いた。

「早くしまって!」

 あゆむは、平然とソファに座る。

 困った人ね、と看護婦がかがみ込んで無造作に親指と人差指で摘まんだ。

「実験の邪魔しないでほしいな」と、あゆむは冷たく低い声音で言い放つ。

「実験?」そういいながら、看護婦はあゆむのモノをつまんだままゆっくり頭を上げて、遠くの方を透かし見ているような涼しげなあゆむの眼差しを捉えた。

 しかし、そのあゆむの眼差しは、当の看護婦の瞳を透過して別なものをそこに見ていたにもかかわらず、看護婦は己の魂の奥底まですっかりと覗かれてしまったように感じ、襟足の辺りにぞくっと鋭利な刃物を突きつけられたような悪寒が走ると、我知らず何かにすがりつきたくなって、あゆむのモノを固く握り締めていた。

「いつまでそうしているつもりですか?」

 その声に、はっと我に帰った看護婦は、どぎまぎしながらも自分の看護婦としての威信を取り戻そうと試みたようだったが、その葛藤ははかなくも破れさり、一個の女性として、最後の一瞥をあゆむのモノに投げかけながらシナをつくって、そそくさと歩み去っていった。

                   
(※ソラジン――精神分裂病の鎮静剤)


2002年04月20日(土) Who are you?

 
乗り換えの霞ヶ関のホームで、彼女が待っているはずだった。

 私は吊革につかまりながら、深沢七郎を読んでいた。

 不意に誰かが背中に被いかぶさってくる。

 振り返ってみると、髪の長い若い女だ。

 女は、ごめんなさいといった。

 わたしは軽く会釈して、ふたたび『笛吹川』に没頭する。

 ふと、なぜか気になって顔をあげ、周りを見廻すと、男は私ひとりだけで

 座っている人も立っている人も全ては女性ばかりだった。

 こんなこともあるものなのかと不思議に思ったけれど、さらに異常なことに

 気がついた。

 駅に着かないのだ。

 3分間おきほどで各駅に停車してゆくはずなのに、メトロは減速することもなく

 走りつづける。

 霞ヶ関はとうに過ぎてしまったのかと心配していると、電車が停まった。

 霞ヶ関だった。

 急いで降りて、エスカレーターを駆け上がる。

 丸の内線のホームで彼女の後姿を発見し、そっと近付いてゆく。

 彼女は新聞を広げ読み耽っている。

 「リサ、ごめん。待った?」

 彼女は振り返りざま、私の左頬を平手で打った。

 「だから、ごめんて……」

 「いま、なんて言った?」

 「え?」

 「リサじゃないでしょ、リサじゃ」

 「え、あ、ごめん。誰だっけ?」

 「ふざけんな。あたしもう帰る」

 「ごめんごめん。冗談だって。ほら、ちょうど電車来たしさ、乗ろ」

 電車に乗り込んで空いていた席にふたりして座ると、彼女は、うってかわって

 笑顔でおしゃべりをはじめる。

 「まだ席あいてるかな? 2階になっちゃたらどうしよう」

 私は、だいじょうぶだよ、とか曖昧に答えながら、映画かな? と憶測する。 
 
 はっきりいって、この女性にまったく見覚えはない。

 けれど、彼女が人まちがえしてるわけもないので、とにかくここは調子を合わ

 せておくのが賢明と判断した。
 
 もしかしたら、不意に名前を思い出すかもしれないし。

 「ね、きいてんの? こないだいったパスタ屋さん、おいしかったよね?」
 
 「ああ。わるくなかったね。また行こうか」

 と、そこでメールの着信音。

 彼女は、しゃべりつづけてる。

 相づちをうちながら、急いでメールの文面を読む。

 『いつまで待たせる気? もう帰るから。バイバイ』

 


 リサからだった……。




2002年04月19日(金) ニヒルの傀儡


 指折り数えている夢を見たのだけれど、何を数えていたのかがまったく思い出せない。
 
 くりかえし…くりかえし、なにごとかぶつぶつと呟きながら指を折っている自分。

 考えてみると、たんに『指折り数える』という言葉だけ取り出してみたならば、そこに期待に胸ふくらませながら、なにかを待ち望むが如き美しい響きが感じ取られるのはなぜだろうか。

 夢のなかで指折り数えていた自分も、あるいはそういった存在だったのだろうか。

 たとえば、間近に迫った恋人との逢瀬に胸はずませながら、待ち遠しさに気も遠くなるような想いのなかで、指折り数えていたとか……。

 あるいは……あるいは……

 ともかく夢のなかでやっていたように、また指折り数えてみることにしよう。

 なにか想い出せるかもしれないのだから。
 


2002年04月18日(木) 予感

かぜがふくみち。てんしのはねがとんでいる。どこまでも、どこまでも。




水曜日。
ボクはいつものように江古田の商店街の端っこにある定食屋へと向かう。
ボクはこの街が好きだ。学生の頃から住んでいるこの街からボクは離れることができない。ボクにとって第二の故郷と呼べる街。それが江古田だった。

学生のときの思い出が染み付いているこの街から、なぜボクは離れることができないのだろうかと、ときどき思うことがある。
楽しいこと。つらいこと。全部ひっくるめた思い出が、いっぱい詰まったこの街。

街角のそこかしこで……商店街の通りを横に一本入った路地裏で、あるいは児童公園のペンキの剥げかけたベンチの前で……ボクは思い出の亡霊たち、陽炎のように揺らめきながら立ち現われる思い出の亡霊たちと、ばったりと出会う。

それは、仔猫のブルーであったり、昔の恋人であったりする。
夏の灼けつくような炎天下であっても、小糠雨の舞う冬の終わりであっても、忘れた頃不意にボクの前に立ち現われる亡霊たちは、ボクにいつも訴えかける。

ぼくをわすれないで。
わたしをわすれちゃいや。

その度にボクはいう。
安心しなよ、忘れるはずないじゃない。ボクたちはいつもいっしょだよ。

ボクが思い出にしがみついているわけじゃない。ボクがこの街から一歩でも離れると、かれらは姿を現わさないのだから。
ボクの亡霊たちはこの江古田の街に住みついているんだ。

18:00
定食屋はすいていた。
学生街であるこの江古田には、定食屋がいくつもある。その何軒もあるなかでボクがこの定食屋に毎週飯を食いに来るのには、わけがある。
水曜日発売の少年サンデーがお目当てなのだ。

きょうの気分は中華丼だった。
ボクは中華丼を食いながらサンデーを読む。あるいはサンデーを読みながら中華丼を食う。どっちだかよくわからない。

以前、水曜日はボクにとって特別な一日だった。
定食屋で真新しいサンデーを読みながら飯を食べ、のんびりと歩いてアパートに帰る。
そして、ビールを飲みながら彼女が来るのを待った。


中華丼を食べ終わって、煙草に火を点け、いっきにサンデーを読み切る。
定食屋を出ると、外はもう暗かった。
商店街が終わってすぐの角のところを右に折れると、2トン車くらいのトラックが駐めてあり、大きく開け放たれた荷台の扉から冷蔵庫やこまごまとした家財道具がそっくり見えていた。
アパートがひしめきあっているこのあたりは、もう引っ越しラッシュは終わったんだろうか。

ボクの友達で少林寺拳法をやっているFは引っ越し好きで、その度に彼女も替えていたことを思い出す。
部屋から部屋へ引っ越すように、古い女を捨て新しい女へと転々と引っ越すF。
おれが女を替えるんじゃないんだよ、その部屋が女を選ぶのさ。そうFはうそぶいていた。

それを聞いて、おまえ寺山(修司)みたいだな、とボクはいったけれども、仮にそうだとしたならば、ボクの部屋にはどんな女性が相応しいのだろうかと思った。結局、元カノは相応しくなかったから、つづかなかったのか。
人が環境を選ぶのではなく、環境が人を選ぶ、そしてその環境により人はつくられていくものだとしたなら、この江古田の街から離れられないボクは、やっぱり思い出にしがみついているわけではないのだ。そう思った。いや、そう思いたかった。

18:50
アパートに帰りついて、何気にポストをあけてみる。
電気料金未払いの請求書。
3月分の電気料金が未だ支払われていないので、5月3日までに支払えと書いてある。更にその期日までに支払わない場合は、4日より電気をとめるとまで書かれてあった。
これじゃあまるで脅迫だ。
まだなにか来ているかとチラシの下を覗くと、手紙が一通来ていた。
が、なんとなく期待していたにもかかわらず、ただの給料明細の封筒だった。
なんだ明細かと封筒をひらひら振ると、紙片がはらりと落ちた。拾い上げて見るとメモ用紙だった。黒のボールペンで走り書きがされてある。

『また戻ってきました。よかったら電話ください』

ケータイの番号に添えてそう書いてあった。
はじめはなんだか訳がわからなかったけれど、癖のある女文字を見ているうちにまざまざと、Kの顔が浮かび上がってきた。
Kにちがいない。
ボクの愛する亡霊がほんとうに蘇った?

でも、Kの名前が記されていないことがボクの気を重くした。
たまたま近くに来たから寄ってみたくらいの軽い気持ちでかかれたのではないことが、そのことにより察せられ、私のことをわかってくれるだろうというKの甘えと、また逆に内心の戸惑いが滲んで見える気がした。

……そんな風だったなら、どんなにいいだろう。

それにしても、いったい誰がこんな悪質な悪戯を考えたんだろう。

Kとは3年ほどつきあっていた。
あの頃Kは、池袋の大手のある企業内でモバイル機器の販売をしていて、そこでぼくらは出会った。
部屋に入ったボクは、そのメモ用紙をゴミ箱に捨てることも何かはばかられて、テーブルの上にふわりと置いた。

彼女とは2年前に完全に終わっていた。
きっと彼女は、この部屋に相応しい女性ではなかったんだ。
生身の彼女など見たくもない。
亡霊だからこそ愛せるんだ。
思い出は、どんなものであろうとも美しい。
現実はただただ醜いだけだ。
TVをつけてぼんやりと眺める。

ボクの愛したKは、いまもボクの心のなかで生きている。

水曜日。Kとの特別な日。

邪魔しないでくれ。

心をかき乱さないでくれ。

ボクの愛したKは、

ボクの愛したKは、






2年前のあの日。

リスカして死んだのだから。


2002年04月17日(水) 真希


忘れた頃、音を立てて飛び跳ねては波間に消える小魚を見て、サトが手をたたいて喜んだ。
 ぼくたちは、小さな桟橋にしっかりとロープで結わえられた小舟と共に、静かにたゆたっている。
 波頭をひしゃげさせて、向こう岸からこちらへと一陣の風が吹き渡ってくると、一呼吸おいて、ほっとするような微風がどこからともなく湧き起こり、ふわりと髪をなぶってゆく。
 
 ポニーテールにしてもらったサトの後れ毛が、金色に輝きながら微かに震えているのがわかる。
 さあ、出航だ。
 ぼくには櫂がないけれども、きょうもサトとふたりして悠久の大河へと漕ぎ出すことにしよう。
 いつしか小舟は沈む夕陽に溶け込むように、音もなく滑りはじめる。
 どこまでも真っ赤に燃えてゆく川面は、あるいは火口から噴き出した溶岩のように、それ自身が発光しているのかもしれなかった。
 川べりを、子犬が追いかけては吠え、追いかけては吠えしてついてくる。

 きのうは、サトのすわっているこの場所には真希がいた。
 小舟はきょうのように、世界に向けて漕ぎ出しはしなかったし、風もまったく凪いでいた。
 真希は川面に手を浸したまま、なにも言わなかった。
 その透けるように白いうなじが、痛々しいくらい美しかった。
 なにも見ず、なにも語らず、このまま時がとまってくれたなら……そう思った。

 でも、とうとう耐え切れず、精一杯のさりげなさを装って、ぼくは声を絞り出していた。

「旦那さんて、どんなひと?」
「やさしいよ。かわいそうなくらい」

 真希は手の平を丸めて水を掬いあげると、徐々に手の平をひろげ指の間からさらさらと逃げてゆく水のさまをじっと見つめている。
「水って不思議だよね。どんな形も拒まない」
 そういって真希は濡れた手をもてあましたようにひらひらさせると、ゆっくり顔に近づけてゆく。
「無味無臭ってどういうことなのかな」
「え、どういうことって?」
「だから、自分本来の形ってものがなくって、色もない。それになんの味もしなくって匂いもない。それって、なあんだ?」
「水とか、空気とか?」
「そう、水と空気。この世のすべてのものには色も形もあるのに、これっておかしくない? 色や形が個性をつくりあげるのに。水と空気には色も形もないのにとっても個性的だし。てゆうか、なによりもなくてはならないもの。これって変だよ」
「おもしろいこというね。いつからそんなふうに考えてるの?」
「いつからって……いまよ」

 真希はふと空を見上げる。

「あのね、このごろよく思うんだけど、人ってそれぞれ色々な悩みとか苦しみを抱えて、生きてるわけでしょ。私にもむろん悩みはある。でもそういう想いや悩みって言葉にしないとわかってもらえない。だけど、それは確実に私の内に存在している。逃げても逃げてもどこまでもついてくる。あたりまえよね、悩みの発生源は私自身なんだから。ねえ、どうしたら抜け出せるの? どうしたらこの苦しみから解放されるの? 変なことばかり頭に浮かんできちゃって……そんなときには、もうリスカなんかじゃすまないの、この身をすべて切り刻みたくなる」

 なんとも形容しがたい光を湛えた真希の眸のなかに、その真希の見ている闇を垣間見たような気がして、ぼくは一瞬身震いを覚えた。
 いったい真希のなかでなにが起きているんだろう。
 ぼくには話を聞いてあげることくらいしか出来はしないけれど、なんとかして真希を苦しみから救ってあげたいと思った。
 
 そうしてぼくは、真希の豊かな黒髪に、そっと手を伸ばした。
 けれど……その手は……真希に触れることなく、向こう側へと突き抜けてしまうのだった。


2002年04月16日(火) 薔薇の侵蝕


ドア・ノブに掛けた手をとめ、最後にもう一度部屋に一瞥をくれると、恵子にかけてあげたレインコートの袖が床に垂れ下がっていた。
 そこに血だまりが盛り上がるようにしてできていることを除けば、浅黄色したソファに横たわる恵子は、軽い寝息を立てて安らかに眠っているようにさえ見えた。
 エアコンを意味もなく最も低い18度に設定し、灯りをけしてドアを開け、通路に出る。
 マンションはひっそりと静まりかえっている。
 正面玄関へとおりるエレベーターは使わずに、もうひとつの出口のある階段を足早におりる。
 重い扉を開け、通りに出ても人通りはなかった。
 とっつきの角を折れ、坂道をゆっくりおりてゆく。
 空気はどんよりと重く、澱のように動かない。
 思い出したように汗が一気に噴き出し、Tシャツがべったりと背中に張り付いているにもかかわらず、それとは別の冷や汗が一条脇腹を伝いおりてゆく。
 立ち止まり、その嫌な感覚から身を剥がそうとでもするかのように、くるりと後ろを振り返る。
 いや、実際は肩をちょんと突かれたような気がして振り返ったのかもしれない。
 再び向き直ると、遠く渋谷の街の灯りが、重くたちこめた雲の底を淡く照らし出していた。


2002年04月15日(月) 優しく殺して。


もうやめなよと、言いたげなその目こそやめろよ。
 ナナオのモニタに映る自分に向かって心のなかでそう毒づく。
 いい加減マジでやめちゃえよ。
 そんなんで生きてて愉しいか?

 きょうでまだ一週間。
 俺は、2ヶ月も研修がつづくのかと思うだけで、もう反吐がでそうでたまんなかった。
 Cだか、Cプラプラだかなんだか知らないけれど、
 お陰様で
 俺は、一気に来てしまった。
 
 そう。若禿げだよ俺さまは。
 悪かったね、ヅラで。
 でもアンタに迷惑かけた?
 このアートネーチャー特別あつらえ自慢のヅラで
 アンタにご迷惑おかけしましたか! てんだ。
 Love Me Tender.(ここんとこ、韻を踏んでます)
 
 
 そうよ、ご察しの通りその上3Kですよ、ぼくちんは。
 くさい、危険、きたない
 おまけに
 チビ・デブ・ハゲときちゃあ
 女の子にはモテマセンやね。
 
 帰りの電車のなかで吊革につかまりながら、景色のない車窓を見るともなしに見つめつづける。ぼーっとしたままで視線すら動かせない状態。
 ふと我に返ると、眼前に女子高生が佇んでいる。
 こちらの目を覗きこむようにして、微笑みかけてくる。
 

 え?
 ご冗談を。
 大人をからかっちゃあ、いけませんよ、お嬢さん。
 え?
 ほんとに?
 まじすか?
 本気にしちゃうよ?
 え?
 そ、そんなぁ。
 急に手を握レッテいわれても。
 てへへへへ。
 いやぁ、実に何年ぶりでがしょう? 
 花も恥らう若い乙女の手をにぎっちゃうなんて。
 もう。か、感激っス。
 え? 
 なに? 
 そんな、また性急に
 結構好きなのね?
 
 とそこで、地下鉄の駅に到着。
 ドアがするすると開く。
 
 おわっ!
 そんなに強く手を引っ張ってどこ行くの?
 こんな時間からラヴホなんて。おじさんテレちゃうなぁ。
 
 次の刹那、彼女の可愛らしい唇から悪魔のような言葉が紡ぎ出されてくるなんて誰が予想しただろう。

「駅員さん、すいません。この人私にイヤラしいこと強要するんです」


「ザケンナ!」
 と、言うなり俺はその女に一発おみまいしてやろうと
 パンチを繰り出したまではよかったものの、
 彼女が、すっげぇプロ顔負けのタイミングでスウェーしたので、
 おれさまは、歌舞伎役者のように、たたらを踏んで駅員の
 ふところに突っ込み、結果なんと30がらみの駅員と熱いキスを交わしてしまったのだった。
 

 で、チクチクする頬もまんざらでもないなと思う自分をそこに発見し、驚きを禁じえなかった。
 てか、すこしうれしかったりして。


2002年04月14日(日) DOGGY STYLE

 
 ぼくの目の前に死体はころがってる。
 この女性用の下着を身に着けている半裸の男性は、ご丁寧にパツ金のづらもつけている。
 いったいこの場で何が起こったのか?
 仮に立場が逆転し、この男性がぼくだったならどうだろう。
 ぼくにはエリザベスで綺麗にお化粧し、素敵なお洋服を身にまとって歓談するような女装趣味はない。
 でも、なんかちょっぴり残念な気もしてきたのは、なぜだろう。


シオン |アバクロ☆カーゴパンツトミー☆ヒルフィガーヴィヴィアン☆ウェストウッドMIUMIU☆ミュウミュウROXY☆ロキシーフレッド☆ペリー

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