母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2014年03月31日(月) 98歳


朝「お誕生日おめでとうございます」とお祝いの言葉を伝えたがまだ寝ぼけ眼で「?」という感じの母だった。

朝食介助をして全量食べてくれた。
朝は特に代り映えのない食事だった。

デイへと送りだしてから利用者さんを訪問。
今回も金曜日に急な依頼があった。
母の帰宅時間を考えるとすぐの対応は無理で月曜で良ければと受けた。

訪問すると買い物のメモがびっしり。
わっ!今回も10キロ近い買い物量だった。

お米5キロをはじめとしてうどん・そば等を相当量。
歩行ができないのだから荷物を持って帰宅なんてできっこないので仕方がない。せめても少し分けて貰えればいいのだが利用する人にしてみればその分利用料がかかるのだから節約はやむを得ない。

行きはとっとこ歩いて出かけて…。
利用者さんの利用するスーパーへ。
我が家ではあまり使わないので陳列ケースがわからなくてきょときょとしながら買い物を済ませた。
帰りはバスで。

利用者さんに活動の印鑑を頂き 終了。
「こんなにいっぱいで重かったでしょう。ありがとう♪」と言われると重かったことなどスコンと忘れてしまう。

家に戻ってお昼を済ませて今度は家の買い物。
誕生日なので母の食べやすいケーキを探して…。
近くのお店は定休日で…。できればおいしい物を食べて貰いたかった。

夕がたデイより戻った母。
今日も申し訳なさそうに「今日は起きていたのですが嘔吐しそうで食事があまり取れませんでした」と。そして「お誕生日だったのですね」とカードを手渡しされた。特にお誕生会は予定されていないようだった。

お祝いの善はテーブルに準備しておりトイレ誘導後すぐに始めようと思ったが
母とても眠そうだった。
そこでちょこっとベッドに横になって貰った。
なかなか目覚めなくていつもより遅れること1時間余。
ケーキを口に運ぶと目をパチッと開けてくパクリと食べ始めた。
「ハッピィバスデイ…」と歌うと目を細めて「おめでとうございます」というと私をじっと見つめてコクリと小さく頷いてくれた。

お刺身やら菜の花のお浸し。大根の煮物。ヨーグルト。お汁。ケーキ。お茶と次々に食べきった。
落ち着いた目で起きている。
休息後 トイレ誘導すると「大」を排出。

お昼をほとんど食べてなくて 帰宅後も目を開けずに心配したが…無事今日も過ごせた。
一時は食べさせないほうがいいのだろうかと思ったりしたが 特に問題はなかったので良かった。
この間に熱を測ったりしながら様子を見ていたが問題になるようなことは見当たらなかったのだ。
言葉が話せないのでよくよく見ておかないと不安になる。

食後しばらく起きていてもらっていつもより遅く入眠。
その後もぐっすりと眠っている。

今日は介護仲間よりメロディー付きの誕生カードが届いた。
娘も風邪をひいているのでメールで「おめでとう」とあった。

数えで99歳だ。
大したものだと思う。
最近は寝ていても笑うことはないが 体調の悪かった時期みたいに泣くことも叫ぶこともない。
引くなりに安定しているのだろう。
母から話しかけることは全くない。発語もめったにない。
はなしかけにすら無反応の時もある。

時々ジレンマを感じるが こちらの話は届いているなと感じる。
これからもあれこれ起きるのだろうが それは極力少なく逢ってほしいと願う。母とともにゆっくりゆっくり歩んで行きましょうっと。


2014年03月30日(日) 母のいちにち


朝から雨。
洗濯機を回して母の起床。

着替えて朝食介助。
口は開くが目は時々閉じてしまう。
まだ眠いのだなと思いゆっくりゆっくり話しかけながら介助。

半分食べ終える頃には覚醒してよく噛んでいつものペースで食べ始めた。
食べ終えて口腔ケア。

洗濯物を干して戻るとこっくりこっくりしてた。
向き合って足をマッサージした。
くるぶしより下の方のむくみが強い。
両足ともむくみがあるが右足の方がむくみが強い。

マッサージを終えてトイレ誘導。
血尿はなくて量も程よい。

傾眠が多いのでその後15分ほどベッドに横になって貰った。
その間にお風呂をお掃除して入浴の準備。

起きて貰って水分補給。
そのうちにまたうとうと。
1人にしてしまうとすぐにウトウトしてしまう。
賛美歌のCDをかけながら手をマッサージ。
目を開いてくれる。

昼食の時間が迫ってきたのでお昼の準備。

昼食介助を済ませて休息してもらいトイレ誘導し それからお風呂場に移動。
浴槽に入って貰うか散々悩んだが シャワー浴にした。
洗髪し体を洗って…シャワーで体を温めて…。
しっかり温まったことを確かめてから 体を拭いて髪の毛を乾かしてベッドへ移乗。
20分ほどベッドで休んで貰う。

おやつのため離床してもらう。
お菓子を半分食べて貰ってお茶も飲んで貰った。
これでしっかり目覚めてにこにこ。

夕食の支度をしている間にまたうとうと。
またベッドへ移乗して10分ほどベッドへと移乗。

夕食前にお茶を飲んで貰って夕食へ。
夕食時には覚醒しており傾眠はなく食べてくれた。

こんな風にして1日を過ごした。
寝たきりではないがうとうとに時間が増えてベッドで過ごす時間が増えた。
まだ短いのだが…。

いつも通りに入眠して時折「フフッ」」と笑い声が聴こえたりする。


2014年03月28日(金) うつらうつら…

 
昨日ショートから帰って来た時に 目が合うとにこにこととても
いい笑顔を見せてくれた。
職員からの報告もこれまでになく良く食べて 血尿もなかったとの
事だった。
私はすっかり気をよくして みかんやらお茶やらを運んで夕食に移った。

夕食介助も半分に差し掛かるころから傾眠が始まった。
辛抱しながら介助を続けたが 呑み込みが良くなくて完食してもらえなかった。

休息後 トイレ誘導して母の部屋へと移動した。
もう少しと思って車椅子に座ってテレビのスイッチを入れた。
ちょうどフィギヤスケートが始まっていた。
それまで寝入っていた母の目がパッチリ空いてテレビにくぎづけとなった。
私は隣で洗濯物を畳みながら母の様子を見ていた。
しっかりテレビを見ている。
「きれいだね」の話しかけても反応はなかった。
夕食前 故郷の話をしているときにはしっかりと頷き返事を返してくれたのに…。
話しかけには答えなくとも視線はテレビから動かない。

しばらくテレビを見て貰って「そろそろ眠くなったかな?」と聞くとようやく
頷く。
そこでベッドへと移乗した。

ところが ベッドに移っても目はパッチリとあいてにこにこ。
結局11時過ぎるまで目はパッチリだった。
睡眠用のアロマを塗って 手をゆっくりとマッサージしているうちにこちらが
眠くなってきてうつらうつらしてしまった。
30分ほど経過していた。母はもう眠っていた。

月末の作業をしようとPCに向かうも頭が動かず朝に作業することにした。
そうはいっても 体位やおむつ替えは 体を動かすのでちゃちゃっとできた。

今朝は早目に起床してもらって 朝食。
昨日の夕食分を補えるほどに食べた母。
そしてデイへとお出かけ。
お出かけ時は顔が少し曇った。
「待っているね」と送り出す。

それから大急ぎで洗濯しながらPC作業。
何とか仕上げて 仲間と合流して月末の作業を無事終えた。

家に戻って年度末の作業をした。
遅れ気味なので気合を入れて。
昨年の手帳を広げて記憶をたどりながらの作業。
それも程い時間に終えることができた。

母の夕食の支度をしながらいるとデイより母が帰宅。
調子悪そうではなかったが 今日も夕食近くになると傾眠が始まった。
今日はゆっくりゆっくり 話しかけながらほぼ食べ終えることができた。

夕食が済んだらまた船漕ぎが始まった。
片付けをしながら自分たちの食事の支度をした。

その後 母をトイレ誘導して母の部屋へ移動。
入れ歯は外したのだが口腔ケアを忘れていたので母の部屋で口腔ケアをした。

そうそう今日もフィギアスケートをやっているのだなと思ってテレビをつけた。
CMの時にはテレビには目もくれないのにフリーの演技が始まるとじっとテレビに
見入る。

昨日も今日も同じだ。
普段こういう時にはテレビをつけても見ることはほとんどないのだが…。
そういえば以前浅田真央の時にも同じことがあったなと思い出した。
よく考えると子供のころ母につれられてバレエを見に行ったなぁ。
それに 頂いたチケットで宝塚に行った時にも母はとても感激していたな。
記憶をつなげてみると母のことがみえてくる。
私に接していた母にそういう側面があったようには見えなかったのだが…。
歌舞伎とか日本舞踊とかが好きだったように思うのだが…。

今日は昨日のようにいつまでも目がパッチリではなくて うつらうつらが再開。
ベッドに移乗したらそのままぐっすりこんと眠ってしまった。

幾度か 様子見に行った時には軽くいびきをかいて寝ていた。
寝だめはきかないっていうけれどまるで昨日の分までしっかり眠っているようにもみえる。


2014年03月25日(火) 感謝しながら…


叔母にお別れするために仙台まで出かけ帰り道を故郷を回って叔母さんたちに面会してきた。
若い頃はなんともない距離だったが 今は遠いと感じる。
距離というよりも時間だ。

母のショートステイを使いながら…。

仙台の叔母の家にはいとこたちが全員集合していて久々に話してきた。
葬儀も済んだ後なので疲れているだろうと思って近くに宿を取って迷惑にならない時間に訪ねた。
娘も仙台出張の度に叔母の家によっていたので世話になったから別れに行きたいというので同行した。
娘の目から見て「立派なおばさんおじさんたちが子供のように話をしていて妙な感覚になったよ」ということらしい。

幾度も仙台に行っているはずが松島に行っていないというので夕がた松島まで出かけた。
夕暮れ時の松島海岸は静かな風景だった。
3年前の大津波の跡を感じながら…。ご冥福を祈りながら…。
駆け足で松島を走ったが娘にも私にも好い時間だったと思う。

今朝仙台を立って故郷へ。
いとこが迎えに出てくれて その足でおばさんたちのところを回って途中おいしいお蕎麦のお店に連れて行って貰った。
他のいとこにも声をかけてくれて集めてくれた。
それから私の弟のところまで車を飛ばしてくれて弟と会い その娘たちとも逢って…。
夕方故郷を後にした。

はだら雪の山々の間を走る電車。
車窓を見ているうちになんともいえぬ感覚に陥った。
雪はあるけれどやはりこれが故郷の春だったなと思う。

仙台も故郷も東京と変わらぬ景色となりつつあり 郷愁は心の中の景色かと思ったりもした。
それでも全国チェーンのお店が大型店でできたといって大騒ぎになっていることを思うとこれで便利を得ているのだろうから…と思ったり。

地方には地方の良さがいっぱいあったのに…消えて行くと一抹の寂しさを感じたりそれでよいのかと思ったり。
父の兄弟の仲では一番先に介護が始まった訳だが いとこたちにも介護が始まっておりそれぞれの暮らしの中で介護の形もそれぞれで…。
それなのに母はまもなく98歳にになり…。
時の流れを感じた。

そしていとこたちも自分たちの老後を考えて始めていて…。
結局のところお墓や葬儀のあり方までそれぞれが考え始めており…。
頭で思うほど自分の思う通りの今後になって行くとは限らない訳で。

自分と同じ分だけ時を刻んできたのだなぁと感じるところがいっぱいあった。

叔母がしきりに「外の話が聞けて嬉しかった」と笑顔を見せてくれた。
叔母の手帳にまた歌が刻まれることだろう。
おそらく叔母の家族にとって「また」の話なのかもしれないが…私には昔を紐解く話がいっぱい合った。
おばさんの輝く時代の話に「そうだったね」と同意できることがいっぱいあった。

施設に暮らしながら家の話はなく「ここが一番良い」と言っていた。
幸せを感じる場所も人によりそれぞれだと深く感じた。

いとこがさらっと言っていた。
「来月にはがんの治療にはいる。お前が今来たから案内できた。今で良かった」と。彼は数年前奥さんを見送っている。

おばさんが作ってくれた時間だった。
自分の立場からの気持ちだが…。
最後まで配慮のおばさんだなぁ。


2014年03月20日(木) 嫌な自分


数日前 夫が「ユニマチュード」について熱く語りかけてきた。
記憶では 少し前にフェイスブックに貼り付けてあった情報をみたと思う。

ユニマチュードについて詳しく知らないのであれこれといえる立場ではない。しかし夫が話した中身については これまで母に接しているときに実践してきたことであり目新しい話と思えなかった。
こう書いてみるとさも当たり前にやってきたように聞こえてしまうが少しずつ気が付いたのだ。

「あなたそばにいて何も見えなかったの?」という言葉を飲み込んで夫の話に耳を傾けた。
でも自分の内側の心を覗き見てぞっとした。黒いなぁと。
「自分がやってきたことだ」という思い上がりだ。

案内してくれたのは母だ。
まだまだ知らないことがあるのになぁ。困ったものです。

娘にそんな話をしたら…。
「私はあなたの子供ですから似たような者ですので 同じ思考回路を持っています」と。思わず苦笑してしまった。「そうか そうだねぇ」

さてと 今日の母。
デイの昼食は全量摂取できたとあった。「良かった♪」
デイから帰っても目をしっかり開いて視線を合わせて頷きもしっかりしていた。ようやく戻ったという感じ。
夕食もきちんと食べた。
母の夕食は なめたかれいの煮つけとサトイモの味噌煮 ほうれん草と白菜の味噌汁 ヨーグルト 。タンカン2分の1とお茶とおかゆ。
生のカレイは一切れが結構大きい。
それを一切れ全量食べる。先日も切り身一切れを全量食べきった。
昨日まで咳き込んだりしていたので誤嚥か逆流かと様子見していた。
夕食前 トイレ誘導で「大」をたっぷり排出したら咳込みは消えほっとした。

夕食後休息しても目をぱっちり開いて視線が合えばにっこりとしてくれて昨日までの母とは明らかに違う。
血尿も栗の効果からか おさまってきている。
良くなったり悪くなったり 母も大変だなぁ。




2014年03月18日(火) 調子いまひとつだな。

17日(月)に ボランティアの事業所から活動依頼の電話があった。
このところ依頼がなかったのに 最近増えてきている。
(毎年登録だけはしているが積極的に「活動します」と手を挙げているわけではない)

「19日もしくは3日以内の活動依頼です」とのこと。
前回訪問させていただいた方だった。
母のデイの帰りにかぶりそうな時間だったので「明日なら大丈夫です」と伝えて 今日の訪問となった。
お米5キロはさすがにないようですと言われたが それに匹敵する重さになった。重たい物として 缶詰7個 キャベツ1個 生うどん3袋(3食入り)人参 ジャガイモ 玉葱 豆腐2丁 漬物等があった。
後は軽い物だが…。

困っていらっしゃるから仕方がないのだが…。
回数を増やすとかしてもらえたら助かる。
近所にスーパーがないのが致命的。
明日は我が身だからなぁ。

今日は水曜日で母は在宅の日。
おとといからまた血尿がみられている。
抗生剤を服用。

傾眠も多い。
食事ができないほどの傾眠はない。
時間をずらせば食べきる。

明日は食事介助がうまくいかないほうのデイだ。
またそうなってしまうのかなぁ。ちょっとドキドキ。

もう一つのデイでは 全量摂取だ。
それぞれデイの特性があるので…なんともいえない。

傾眠が多いとアイコンタクトも少なくなって意志の確認が難しくなる。
話しかけるきっかけが減ってしまうので今日は讃美歌のCDをかけてあげていた。その間中は 目を開いて穏やかな表情をしていた。
外に連れ出すことも考えたが 風が冷たくて…音楽を聞くことにしたのだrた。



2014年03月17日(月) 主食1副食2…またぁ…。


母をデイに送り出した後に弟から電話があった。
叔母が亡くなったとの知らせだった。
叔母には先月末に桃の節句のカードを送って いとこからようやく施設にも慣れて洗濯ものを畳んだり 字を書いたり編み物をしたりしているとメールを受けたばかり。

おそらく急なことだったのだろうと想像できた。

夫は春になったら母を連れて故郷へ行きおばさんの所にもよってこようと提案されたばかりだった。

叔母だが父の弟の奥さんでおそらく93.4歳。
でも随分と可愛がって貰った。
娘が生まれる時にはおばさんが和式のパッチワークで書け布団を作ってくれた。幾度か賞を頂くほどの腕前だった。
今でも綿を外してパッチワークの分だけは残してある。

手作りの袋物や靴下カバー等も随分もらった。
母が認知症になってからはそれがさらに増していた。
母も編み物が得意だったので遠慮なさっていたのだろう。

うちの母は仕事をしていてテレビはあまり見なかったがおばさんは寺内貫太郎一家の樹木希林のマネが好きで「ジュリー…!!」なんておどけてみたりもしていた。
私が油絵を描いていると知ると「新築祝いに一枚描いてちょうだい」なんていわれて…。とりあえず送った。
新しいうちの立派な応接間に下手な絵を飾ってくれていて恐縮したこともあった。それが何年も飾ってあり恥ずかしかった。
描きなおそうとも思ったが幾度描いたって下手は下手なので…送り直すこともしなかった。

しかしなんともさみしい。
年上の方が順繰りと亡くなって行くのは順序というものだ。
年にも不足はない。
でもやはり残念だ。
母を知っている人がまた1人いなくなってしまった。

母が今生きていることにも感謝の気持ちでいっぱいになった。
97歳を生き抜いているということは簡単なことではないんだなと改めて感じた1日であった。

今日のデイでも昼食は主食1副食2と報告があった。傾眠があった故とのことだった。
「食べ物持たせたほうがいいでしょうかしら?」と聞いたら 「眠って口を開いてくれないから…」と言われた。
食事を下げるしそれ以後食べさせるということはないのだし…。
「おやつを食べさせてくれるならカロリーのあるものを持たせたいと思うのです」と言おうと思ったが言葉を飲み込んだ。
話して判ってくれる人ではないと観じたから。

あ!いかんいかん愚痴が零れそうだ。
それも止まらなくなりそう…。
もう少し様子見しようと思う。

夕食前に「お腹空いたでしょ」と言ったらコクリとうなずいた。
いつもより多めに食べてくれたので昼食分を少しは補えただろう。
食事がすんで「お腹いっぱいになったかな?」と聞くとコクリとまたうなずいた。「そりゃ良かったね。食べすぎたかな?」には返答なし。
休日中のよだれは 今日は消えている。






2014年03月16日(日) に・ち・よ・う・び♪


昨日の夕方から母のよだれが多くなっていた。
何が原因なのだろうと思いながらせっせとよだれを拭いた。

今朝もやっぱりよだれが多かった。
食欲はありしっかり食べている。

昨日も今日も「大」は排出できている。
熱もなし 咳もなし。一応元気はある様子。

午前中と夕がたと母の足をマッサージした。
足指⇒足首⇒膝⇒股関節の順繰りに曲げたり伸ばしたり廻したり。

少し顔をしかめる時もあるけれど動かしているうちに気になる様子もなくなる。
お腹のマッサージもせっせと。

母のおしゃべりが少ない。
「ねぇ 返事はどこに置いてきてしまったの?声が聞きたいなぁ」と幾度か話しかけてみた。
じっと目をみて「うん」とうなずいたが声は出なかった。
「聞こえているの?」と聞くとうなずきで返事。

食事時 「よく噛んで食べましょうね」というと口をもぐもぐとさせてよく噛んでくれる。
「よく噛んでくれてありがとう。偉いね」と言えばしっかりとうなずく。

相変わらずこんな調子の毎日。
「これでいいんだ」と思う一方で「もっと何か工夫はできないのか」と思ったりする。
母の様子を見ながらできることをできる範囲の中でやるしかないのだから悩んでも始まらないのに行ったり来たりの心模様。

今日の午後は気温も上がったので 外の鉢植えを玄関に置いて手入れ。
母の車いすを玄関へ移動して作業の様子を見てもらっていた。
興味がなければ ベッドへ移譲しようと思っていたのだが作業をじっと見ていたので終わりまで付き合って貰った。




2014年03月15日(土) 土曜の1日。


週末の土曜日。
昨日は 雨で洗濯物が乾かなかったので今朝は干す作業から。
今日の分も洗濯してベランダは洗濯ものがずらりと並んだ。母を休日時間で起床して貰った。
何しろ 夫を送る頃に母の起床となるので厳しい毎日。
夫を送り出して母に起きてもらうと気持ちが楽。

母は起こすまで布団にじっとしている。
今朝5時にオムツを替えた時の体制の儘だ。
寝ガえりもできない母はなんと不自由なことだろうと思う。

「遅くなってごめんね」といいながら「おはようございます」と挨拶。
ベッド上をゴロゴロと右に左に体を移動してもらってオムツを替え着替えをしてもらう。
先日 療法士さんからこのゴロゴロが体の拘縮を遅らせると聞いてからは気が楽になった、
「介助が下手でごめんね」といつも母に謝っていたのだが結果的にこれが好いと判ったから…。

起床して顔を拭いて髪の毛を梳かして朝食。
良く食べてくれた。
その後トイレ誘導して「大」排出。
結構な量を排出できた。

娘が入浴の手伝いに来てくれるというのでそれまでゆっくりと過ごした。
娘も娘の用事があるのに良く来てくれると感謝してる。

ところが娘が到着したら母のうとうとが始まり母のペースに合わせるので大幅に予定変更。
母の寝ている間に私たちの昼食。
その後母の昼食。
ところがまた母の傾眠。
夕食前の入浴に変更となった。

2人介助で入浴してもらった。
手のひらをギュッと握っているので汗臭い。
手のひらを開きながら手を洗う。
体も支えているのでいろいろ厳しい。
もうシャワーキャリーを使う必要があるのだ。
もう少し暖かくなったらと思っている。

1番の注意を払うことは 椅子から浴槽に移すときと上がるときだ。
足が交差する時があるのでついずるっとお尻を引いてしまいそうになるからだ。これが褥瘡となってしまいそうで…そこは神経を使う。

他の移動の時にはそれなりに1人でできるが入浴介助だけは浴槽の深さのため
1人介助は無理。

お風呂を出た後はベッドに移譲してゴロゴロ。
そしてベッドで母に休んで貰う。

今日はその間に私たちの夕食とした。
その後母の夕食。
娘は予定より遅れて自分の家へと帰って行った。

母はまた傾眠。
夕食には苦労したが何とか食べてもらって いつもより少し遅い時間に就寝。
ベッド移譲してからもベッド上でコロコロと左右に 向きをかえて着替えてもらった。

今日の母は眠ることが多かった。
家で過ごすときには 食事の時間も変更できるのでやりやすい。
そして明日も家なので就寝時間をあまり気にしないで済むから。

今日も無事に一日を過ごせて良かった。
母の傾眠 疲れていたのかなぁ。
明日は明日の風が吹く。母にも気持ち良い日でありますように…・









2014年03月13日(木) 暖かいような…そうでもないような…。


このところ 日記を書き上げる直前に日記が消えてしまう。
手元をよく見ていないのではっきりと判らないのだがおそらく操作ミスなんだろうと思う。
仕上がる直前だと再度の書く気持ちになれなくて挫折。

昨日もそうだった。
ショート帰りの様子やその前の見学の様子を記していたのだが…。
そして水曜日の家で過ごし 療法士さんとのやり取りやケアマネ訪問のことも。

昨日朝には 活動依頼の電話を受けた。
今日の今日の活動も時間が許せば受けるようにしているのだが さすがに昨日は母が家にいる日で「無理」と伝え 木曜日ならと伝えた。
すると木曜でもOKということで受けることにした。

1人暮らしの高齢者で 体調が悪く買い物に行けない。離れて暮らしておられる家族も風邪をひいて来れないので急な依頼だった。
できることは自分でできるがほんとに困った時に手助けを必要とする人のお役に立ちたいと思う。
自分が利用したいと思うのもそういう支援だから…。

前回の活動もそうだった。
聞いてみると急な活動依頼を受ける人は少ないらしい。

今朝訪問して「すぐに対応できなくてごめんなさい」とお詫びしたら「急だったのでこちらも悪いのです」と恐縮なさっていた。

今日も買い物依頼。
一時間足らずの活動で終了できた。

自分の家の買い物に再度出る気持ちが萎えて 家にあるもので夕食を作った。
母のためには やわらかな煮物。
根菜類と冷凍庫にある鶏肉で煮物を作った。
それからほうれん草のお浸し。
それと白子と白菜の味噌汁。

デイから帰宅した母は サトイモを2片と人参3片と大根2片と鶏肉2切れの煮物。ほうれん草のお浸し大き目の一株。味噌汁。ヨーグルト。ほうじ茶。
おかゆさん。イチゴの練乳がけ。

40分ほどかかったが 全て食べきった。
今朝も程よいペースで食事ができてデイへとでかけた。

でもデイでは 昼食が二口三口程度だったということだ。
傾眠があったということだった。

昨日もケアマネと食事の話となって「食形態がどうなっているのか見えてないので知りたい」と伝えて昨日のうちに返答を頂いている。
そして今朝もデイの送迎の方と話した。
「無理しないでいいですよ」と伝えてあるのだが…。

食事の時間ってどれくらいとってくれているのだろうかな。
基本個別ケアを必要なのだが職員の動きや他の利用者さんとの関係で個別対応の限界も見えるので無理は言わないようにしてあるが…。
最近気になり始めている。

デイの食事が課題だな。
どうやって乗り越えようかなぁ。

あらら 今日も遅くなってしまったそろそろ母のオムツ替えと体位交換の時間だわ…。





2014年03月10日(月) サロン開催日


母はショートステイ利用中。
今日はサロンの日。
包括の人に来てもらって 包括の役割と介護保険の使い方をお話して頂いた。
昨年 包括の方に「またお邪魔したいと思っています。」と言われ 調整していた。

皆さん熱心に聞き入っていた。
まだ包括を頼るような方たちではないが 年に不足はない方たちが多い。
1人暮らしになった方も多い。

「いろいろなお話が聞けて 心強くなった」と参加者が口々に感想を述べておられた。

皆さん包括は季語保険を申請しないと使えないと思っていらっしゃるのでそこのところを伝えて欲しいとお願いしていた。
その辺を含めてきちんとお話下さった。

今日見えた包括の方は 母がお世話になっていた。古くからいる方。プライベートな時間もボランティア活動なさっており ある俳優さんの支援をしており 家族の悩んでいる状態の時家族の気持ちを私に聞いてきたこともあった。
勉強熱心であった。
時にご自分にいずれ降りかかるだろう親の介護の話もなさっていた。

母をグループホームに入所させようかと考えているとき「これからの介護は
場所をかえながら…もありよ」と言って背中を押して下さった方。
きっといろいろの悩みを抱えながら今日までお仕事をなさって来たのだと思う。

介護保険の始まる前からのお付き合いだ。
我が家以外のことでそれも地域外の方のことも相談すると動いて下さったこともある。

次は介護予防のことをお話にきて頂く予定を組み込んで貰った。

あすはケアラーズカフェの見学に行く予定。
わが地域にカフェを立ち上げようとする事業所の方を案内方々である。
ディメンシアカフェも参考にしながら…。
夕がたショートより帰って来るまでに家に戻る予定。
少し駆け足になるだろう。
昨年 呼びかけて 応えて下さっている事業所なので…その心いきに感謝しながら…だ。

老いて行く先の自分のための道作りだ。






2014年03月07日(金) ほほう(^^♪


先日の介護者の会で聞いたこと。
有名な方がテレビ番組で 認知症に有効なアロマオイルを紹介したそうだ。
見た人が複数名いらしてちょこっと盛り上がった。
テレビを見てアロマオイルを扱う店に行くと棚が空っぽになっていたそうだ。
お店の人も驚いていたということだった。

母にもアロマオイルは使っている。
腹痛用だったり嘔吐防止だったり安眠だったり…それぞれ用途に応じて。
海外からの取り寄せ商品。

日本では薬として認められていないが海外では少し違う。

先日近くの病院の医師が「アロマ」とかいろいろありますので注意したほうががいい場合もありますと話していたばかり。

漢方薬だって以前は保険のきかないもので効能も「?」といい時代があった。
でも今では立派に薬だからなぁ。

母今日も朝夕 食事を全量摂取でき食べる速度も程よいペース。
就寝時までお目目ぱっちり にこにこ笑顔だった。





2014年03月06日(木) 元気を貰う日々


今朝の朝食20分で食べ終えた。
追加でお茶とかバナナとかまで食べた。
デイに出かける前のゆとりの時間ができた。

早ければ良いというものではないが 程よいペースで食べることは良い状態に戻ってきているということだと思う。
落ちた体重を戻すなんて無理だと思うけれど…もう少し体重増加してくれればいいなぁ。

デイの迎えの職員に「今朝の食事20分で終えました」と伝えたらにっこり。
実は今週の月曜日 主食1 副食2と連絡帳にあった。前回も似たようなもので困ったなと思っていたのだ。
「無理しないでもいいですよ」とは言ったけれど家でそこまでは落ちていないので…複雑な気持ちになった。

デイから帰宅した時真っ先にノートを開いてみた。
今日は主食5 副食7だった。
良かった!
夕食は
「聖護院大根の大きく切った煮物」と「太刀魚の塩焼き」と「アスパラの和え物」と「ジャガイモと玉葱の味噌汁」と「ヨーグルト」と「お茶」と「おかゆ軽く1杯」薬を減らしたことが良かったのじゃないかと思われる。
所要時間は40分。残さず食べることがきた。傾眠もなかったからできたことだ。

就寝するまでうとうともない。
ただ拘縮だけは…悩みのたね。

そうそう今朝母の名前を読んで「おはようございます」と挨拶したら「はい」と返事が返ってきた。
「嬉しいな」と伝えたらじっと目を見てにっこりした。

こういう母の表情に元気を貰う日々。


2014年03月05日(水) 検査通院

今朝は慌てた。
おかゆさんのスイッチを入れ忘れていた。
急いでパン粥を作った。
例のメイバランスのコーン味のものを使った。
コーン味甘くなくて良かった。
採尿はうまくいった。

通院予約の日だが雨降り。
母にマント風のレーンコートを羽織って貰ってタクシーに乗り込んだ。
通院に使うのは相変わらず乗り合いタクシー。
5分ほどで参りますというので時間を合わせて玄関まで移動していたら車が来てしまって慌てた。運転手さんがとてもいい方で 何も言わなくとも車いすをぱたぱたと畳んでトランクに収納してくれた。
母の座り方が安定していなかったので動き出した車の中できちんと直そうとしたら車を止めてすわりなおすのを待ってくれた。
こんなにも気が利く方は初めてだったので嬉しかった。

病院について採尿の容器も検査室に出し泌尿器科へと出向いた。
膀胱内の残尿量をエコーで検査して貰った。

検尿検査も残尿検査も大部良くなってきたので次回の検査は4月にしましょうということになった。薬は少し減らしてもらった。




2014年03月04日(火) ストローで…♪


母の飲み物は トロミ剤を使っている。
食事の量も落ちてきて大分痩せた。

何とかしなくちゃと思って栄養補助のため時折メイバランスを使い始めた。
紙パックでストローがついている。
そこで物は試しとストローを口元に持って行ったら自分で飲める量を吸い込んでごくりと飲み込んだ。
一回に飲み込む量は トロミを付けた時よりも少ない。
でもトロミがなくとも咽なかった。

まだ大丈夫なんだなと思った。
1日の水分摂取量全部をストローを使おうなんて思うことはないがお楽しみの飲み物に使ってもいいかなと思った。

夕食にウニを食べてもらった。
「美味しい?」と聞くと目をみて頷いてくれた。
今日も食事を食べ終えるまでうとうとしなかった。
口腔ケアをする前にちょこっと居眠りモードに入った。

目覚めるのを待って口腔ケア。
それからトイレ介助をして母の部屋へ移動。
しばらく母の手足を伸ばすリハ。
そして眠くなった母をベッドへ移譲。



2014年03月02日(日) 達成


今日の夕食にようやく「かぶら蒸し」を作った。
娘が置いて行ってくれた「茅の舎」のだしパックを使って出汁つくりの手間を省けた。メレンゲを作ることかぶをすりおろすことくらいが手間だけだった。
面倒が先だってかぶの煮物やみそ汁に化けてしまっていたが…ようやく母に食べてもらえた。

母も美味しそうに食べていた。
「かぶとメレンゲで作ったのよ」と母に言ったら「うん」とうなずいていた。
ほんとに理解できていたかは不明。
でも鯛を敷いて…それもちゃんと食べていたので良かった。
母のおこぼれで私と夫も食べた。
夫が「美味しい」と言っていたので良かったのではなかろうか…。

昨日 家族介護教室参加した後にとなりのショート先に迎えに行き娘のアッシー君で無事帰宅。
その前にもいろいろあったがそれはまた次の機会に。

雪が降るという予報外れてくれて嬉しい。
母は ゆるりと眠っている。
まもなくパットと体位交換だな。


はな |MAILHomePage

My追加