母のタイムスリップ日記
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2013年12月30日(月) ことしのラストデイ。


今年最後のデイサービスだった。
母は送迎のバスに乗って出かけた。

最近の母は車から私を見つめることはなくなった。
前屈気味なので少し下を向いてぼんやりと車に乗っている。

食事の摂取量が減ってきている。
一応バランスよく食べているが摂取量はこれまでの半分以下。
母の呑み込みの悪い時には 気管に入らないように自分で気を付けていると気が付いた。
目は瞑っているけれど寝ているわけではないので食べ物を噛んでいる。

反応はとても薄いが判らないわけではない。
おととい冷蔵庫が壊れて新しい冷蔵庫がやってきた。
キッチンに15年鎮座している間に周囲には物が増えてするりと出せない状況になっていたので大騒動になった。

母にはベッドで休んで貰っていてその後娘が食事介助して貰っていた。
普段より遅れての食事介助となってしまった。
母は浮かぬ顔で食事拒否。
1時間かけていつもより少なめの食事の半量。
娘とバトンタッチしても同様。
さすがにお昼は食べたけれど その後冷蔵庫に物を収めて周囲の整理をしていたら夕食はまた食事拒否。

母にとって散々な1日だった。
お昼の水分摂取量が少なめだった。
それが夕がたの排尿に反映
やっぱりしっかり取る必要があるのだな。
「私をみてよ…」の強いメッセージを感じた。
認知症が進行して言葉も出せなくなっても感じる力を持っているのだな。

手足の可動域が狭まってきている。
笑顔が激減 笑う声も消えつつある。

今年もあと1日。
残る作業に励まねば…。


2013年12月26日(木) 「ね お母さん♪」


年賀状を書き終えた。(夫の分を託されているのでその分がまだだけれど)
久しぶりの達成感。

暮れの作業はきっとこうは行かないだろうなぁ。
まだ途中だから できるところまでトライしよう。

今日クリスマスカードをくれた人に感謝の電話をした。
耳が遠くなってねと言っていた。
母も耳が遠くなってテレビのボリュームはかなり大きかった。
話していても「ん なに?」と聞かれて「聞こえないのよ」と言っていた。

認知症も進行して…要介護4のはじめのころ 耳元で話していたら「うるさいよ」と言われた。
それからこっち 耳の遠さは少し改善されているような気がする。

もしかして あの難聴は心理的な症状ではなかったかとふと思った。

それを友人に伝えたら…。
「ほほう」と。

耳が聞こえている間は み言葉が届く。
意味まで分からなくともそれは魂に響いている筈と言っていた。
そうか 毎日の感謝の祈りは母の魂に響いているんだな。
そうだよね。
祈り終えると今でも涙ぐむのだもの…。
母から頼まれたことのひとつ。
それは…。
「いつまでもクリスチャンであることを忘れないようにしてほしい」ということだったのだ。
まだ認知症になる前の話。
「私まだお役目を果たせているんだよね お母さん♪」





2013年12月25日(水) クリスマス


20日(金)朝 身体のあちこちに発疹が出た。
蕁麻疹?薬疹?帯状疱疹?。
すぐにデイお休みの連絡を入れた。
午後通院。
「蕁麻疹と思われる」とのことだった。

木曜日の就寝前 太ももにポツンと赤みを帯びた発疹を一つ見つけたがあまり気にも留めていなかった。

金曜日夕がたには発疹は少なくなり土曜日にはほぼ消えた。

食欲もカクンと落ちた。
それでも水分は定量飲んでもらい 食事の量も少しずつ増えてきて日曜日は元気も取り戻していた。

ショートステイで16日(月)に入浴して以来お風呂に入れてないので日曜日ちょこっと入浴を試みようとしたが足が交錯して1人では無理だった。
ずりっと引いてしまったら治りかけの褥瘡の皮がむけかけたので取りやめたのだった。
入浴はもう1人介助は無理かもしれない。器具を使えば何とかなるかな?

仕方がないので 部屋を暖め清拭。
洗髪は椅子に座って貰ってリビングで。
ついで伸びた前髪やサイドの髪の毛を切りそろえた。

金土日の3日間は1人で何とか乗り切れた。
月曜日母をデイへと送り出した。
娘がやってきて買い物の足になってくれた。

イブに教会へ連れて行こうと思っていたが食事に時間がかかってしまいあきらめた。
スープストックのスープ。 トマトのサラダ。カモのステーキ。 ほうれん草のお浸し。プリン。とろみのほうじ茶。
手抜きではあるが 母のささやかなクリスマスディナー。

が 深夜のオムツ替えでゆるゆるの「大」。
悪戦苦闘してきれいにした。
2時過ぎにようやく布団にもぐりこんだ。
が 5時のオムツ替えでまたもや「大」

スープは生クリームたっぷりだったのでその効果だろう。
「排出」は嬉しいのだけれど 深夜のパットの取り付けが緩かったのだろう隙間から漏れていて「あちゃちゃ」となった。

これまではトイレに誘導していたのてきべんで綺麗に出し切れていたがベッド上では慣れていなくてまだまだ。
パットの当て方も稀に失敗する。
オムツを使ってしまえばそういうこともなくなるが 今はまだトレーニングパンツなのだ。

認知症後期でいよいよと福祉用具の検討に入らなければならない。

昨日クリスマスカードが届いた。
聖句がジワリと心に沁み込んできた。
心強いメッセージだった。

今朝 母は今年最後のショートステイ(2泊3日)へと出かけて行った。


2013年12月17日(火) ショート中の大掃除


母はショートステイ中。
この間に庭や家の中のかたずけをしていた。

庭の草取り。植木の選定。草はほぼ終えたが選定はまだ残っている。
家の中は1階はほぼ終了。ただしガラス磨きがまだ。
明日は母が帰宅するので 食事の下準備をしながらかたずけた。
朝は小豆を煮て 冬至の準備。
それからポトフを作り ほうれん草を茹でて 大根と里芋の鳥肉の煮もの。
魚の煮つけ。

リビングをかたずけながらなの煮炊きなので暖房は入れずに済んだ。
書類を整理しながら今年1年のことがあれこれ振り返り。
非常に散らかっていたが所定の場所に戻せば随分とすっきりするのだ。
普段の暮らしでこの所定の場所に収めて行ければ散らからないのだが…できそうでできない。

「自分は本当にかたずけられなくなってしまったのか…」と落ち込むことが多かったがそうではないと判ってちょっと安心した。
ただ年々時間がかかるようになってきていることは間違いない。

金曜日晩から娘が助っ人に来てくれて作業も随分はかどった。
作業しながら「お母さん面白いね。これくらい緩いお母さんだったらよかったのに」とのたもうた。
娘にはスキなしの母親だったみたい。

でもこれは親の年齢のせいであろう。
年を重ねていくうちにペースダウンする。
母もそうだった。
「あなたはなんでも手早いね」とよく言っていた。
母だけではない。
訪問していた頃の利用者さんのほとんどの方がみなさん言っていた。
特段手早いわけではなく年齢のせいとその時から感じていた。

夜も纏めて眠ることができて昼の間に睡魔に襲われることもなかった。

自分の年を考えてできることを少しずつ…衰えを嘆かずにゆったりと過ごして行こうと思う。

「身体気をつけてね」と合う人合う人に言われる。
そういう年になった。介護もそういう時期にきた。
そう感じている。



2013年12月12日(木) あれこれ考えてみた


お休みが続き この日記を訪問くださる方にご心配をおかけしております。

母自身 身体的な不調で辛い状態と想像できます。
それでも 介助を嫌がらず普段通りの暮らしができています。
よく頑張ってくれているなぁと感謝の毎日です。

母の身体はだんだんに硬くなってきており肩も肘も手首も内側へ内側へと入り込んできています。足の開きも狭まってきています。
緊張を解くのも時間がかかるようになってきました。
本当に坂道を転がるように…。
不調による緊張があるのではないかと想像できます。
小さいながらも臀部に褥瘡ができました。

介護+看護の暮らしが目前に来ていると感じる日々です。
ある時に 硬くなってきて動かしにくくなってきている左腕にこぶしを握り高く挙げぐるぐるとこぶしを回しました。
怒った表情はなかったのにです。
朝の検温の前に 両手で母の頬に触れ「おはよう」と言ったら「あつい!」と叫びました。言葉を口にすることも更に少なくなってきていたのに…。
こういう場面に出会うと驚くより先にとても嬉しくなってしまいます。

昨日病院で検査を受けました。
血尿が止まりませんので腎臓がんの疑いがあるとのことでの検査でした。
入院して検査を受けるのが早道ですが 通院検査としました。

腎臓と膀胱のエコーの検査を受け腎臓は問題なく 膀胱結石の疑いありとの結果でした。
膀胱に尿が溜まっていたり 息を止めることもできない母ですので検査技師の方がゆっくりと時間をかけて検査にあたって下さりその姿勢に心打たれました。

エコーの検査を受けて泌尿器科の医師は更にカメラで膀胱を検査。
幸い石は見当たりませんでしたが 石になる前段階の物が膀胱内に浮遊していていてそれが血尿の原因と特定されました。
母の膀胱は劣化しており(年齢のせいでもあるとのこと)収縮しないので残尿しやすい環境であり浮遊のが生じるのだということでした。
近い将来 カテーテル使用で尿を強制的に排出することになる。
今導尿してもいいくらいというのでした。
カテーテルは毎日交換が必要なので介護・看護の訪問看護を利用し 訪問診療も必要になるというのでした。
そして在宅は無理だから…と。
公立の病院で利益優先にするところではない。
今どき 高齢者を積極的に受け入れようとする姿勢には感服しました。

「在宅で看取りたいのです。今日の検査の結果を持ってかかりつけ医師と相談してみます」と伝えました。
若い医師は 「僕は毎日午前中ここで診察していますので診察予約前でも困ったらいつでも来院してください」と言ってくださいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
病院にいる間そして家に戻ってからも母はとても不安そうな顔をしていた。
「悪い病気じゃないからね。毎日大変なのに我慢してくれてありがとう。ほんとに偉いね」と母に話しかけた。
「病院で暮らしたい?」「家がいい?」と思わず聞いてしまった。
母は懸命に考えている風だったがうなずくまでには行かなかった。
「ごめん。○ちゃんの思うようにするからいつでも言ってね。必ずそばにいるからね」と伝えた。
母はじっと私をみつめていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は カテーテルを使うかどうか散々悩みました。
自分の考えでやめてしまって母を苦しめることにならないかとも思いました。
…医師は最初は痛いかもしれないが慣れると痛みは感じなくなりますし今より楽になるのですよというのでした…

昨日夕食後から利尿剤を使い始めました。
一晩様子をみて「これは大丈夫かも」と素人ながらに感じました。
ちょっこと灯りがともったように感じました。

かかりつけ医のところに出向いて相談しました。
昨日から服用した利尿剤の効果が良いなら導尿しないでも大丈夫じゃないかな。ということでもう少しこのまま様子を見ていくことにしました。

今回の血尿に関しては様々な人の話を聞いてきました。
それぞれ考え方があり対応も違っていました。
今更始まったことではないけれど どれが母に合うかと考えるのはそばにいる私の責任なんだなと感じました。

このところ 母の水分摂取にかなりの時間をとっていました。
母にとって苦しいことだけれど血尿が出るのとどっちがいいのかと自分に問いかけながら日々。
食事の摂取量も徐々に落ちてきているので工夫が必要になってきました。
母の様子を探りながら すでに看取り終えた方の声を思い出したり聞いたりしながら自分なりに接して行きたいと思っています。








2013年12月04日(水) あれこれ起きますパート2


2日夕方 ショートステイから戻ってすぐにトイレに座って貰った。
ゆるっと排出したものは「大」と思っていたら「血」だった。
量は50cc位。
ドッキリ ドキドキ!

すぐ かかりつけ医に電話をした。
「出血が頻回だね。貧血が起きていると脈拍が多くなるから 多かったら夜間でも救急へ」という指示だった。
すぐに脈を取り 通常の多め位で心配するほどではない。
とりあえず病院へも電話したが あいにく「本日の当直医は整形外科で無理です。どこか別の病院へ」と言われた。

急を要するわけでもないので翌日通院することにした。
デイに火曜日お休みの連絡をいれた。ショート帰りの様子もついでにつたえた。

3日は病院へ。
尿検査はトイレではなく導尿で対応してくれた。
看護師さんの話では 出てきたのは やっぱり「どろりとした血液」だったとのことだ。
念のためCTもとる。
時間はかかったが 数値に異常は見当たらないとのことで 1週間後泌尿器科で診察を予約 。3日の検査で尿の血液から細胞診断したので11日に結果を報告してくれると言うことだった。
泌尿器科では 腎臓がんの疑いgのための診断を受ける予定。がんだからといってもドタバタはしないつもり。

そして今日 水曜日。
デイがなくて1日ゆったりと過ごした。
夜間のパットや朝一番の尿はサラッとしたレッド水。
でお夕方までには きれいな液体となった。

今日がここまで。
つづきは明日へ。


2013年12月01日(日) あれこれとあります。起きます!


今年 依頼されていたことは今日ですべて終えた。

ショート帰りの翌日は 母にいろいろの変化がおきた。
起床時の検温で38度の熱。
デイ利用の日で翌日から2泊3日のショート。

8度の熱は ひょっとしたらこもり熱かもと思ったが ショート先ではきっと不安がるだろうと想像できた。
デイの利用は中止してかかりつけの医師のところへ通院した。
29日は介護仲間との作業日だったがほかの方に任せることにした。
「お大事に。あなたも気をつけて」と優しく受けていただいた。

通院は午後だったが行く前には熱は7度3分まで下がっていた。
解熱剤は使っていない。

待合室で待っている間 母はにこにこして周囲の人の話しかけに笑顔をかえしていた。私の話かけにも頷きで返答できた。
朝も昼もしっかり食べることができていた。

ただ通院前のトイレ誘導でまた血尿。
抗生剤を服用しているのになぁ。
そういえば昨晩は尿量が少なかった。

医師に経過を報告して診察を受けた。
決定的な診断は出なかった。
薬を頂いて帰宅。

「外で過ごしたし疲れてしまっているかな」と検温したが36.3度で熱は下がっていた。解熱剤は使っていない。

ただ尿量が少なく血尿だったので水分はいつもよりずっと多め。

夕食もいつも通りに食べることができた。

30日の朝の体温は36.7度。
食欲もあり穏やかである。
依頼されていることの準備も完成していないのでショート利用してもらうことにした。

30日は送迎がないので自力でショート先へ。
ショート先にも経過を報告した。
できれば熱が上がっても解熱剤は使いたくないが 預かる立場になったらそうは行かないことは判っている。
なので熱の対応は施設の判断にお任せとした。

母を預けた後デイとケアマネに経過を報告した。
それからせっせと1日の準備。

そして今日役目を終えてようやくホッとした。
介護仲間も来てくれていた。

明日は母が帰宅する。
今のところショート先からの連絡はないので何とか過ごせているのだと思う。

私のペースに合わせてのショート利用に自分の身勝手さを感じている。
母の笑顔と笑う声があるので救われている。
「いっぱい我慢してくれてありがとう」と母に話しかけると「うん」と頷いてくれるので救われている。


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