母のタイムスリップ日記
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2012年08月31日(金) ショートより帰宅


穏やかな表情でショートより帰宅。
帰宅してすぐ「大」排出。
食欲もあり良く食べてくれた。

帰宅後から小も出ておりよかったよかった。


2012年08月30日(木) やれやれ


午後会議。
会議を終えてから 娘に誘われて新宿バルト9へ。
映画ではないが…。
ちょっとした感動があった。

午前中家で月末の作業をしていてコピー用紙の補充しようと新しい箱を開けた。今年の始めに購入していたと思うのだが…。
あけてびっくり!A4の用紙を購入したと思っていたが中身はB3だった。
あらためて箱の外側をみたらちゃんとB3と書いてある。
注意力のなさにガックリ。
「いや まだお店で帰る時間に気が付いてよかったんだ」と思うことにした。

バルト9の近くに世界堂があり 必要枚数のみ購入した。やれやれ。


2012年08月29日(水) とたぱた


月末の作業に四苦八苦。
仲間に電話をして情報を貰って少し前に進んだ。
夜は会議。
1時間ちょっとの会議だったが参加人数はかなりのものだった。

母は 今朝からショートステイ。

今回は 家での作業も含め予定びっしり。

会議から戻ったら郵便受けに何か入っていた。
取り出したら 自治会の防犯のチラシで 近所で家宅侵入未遂事件が午前2時にあったという事だった。
静かな町内なんだけれどなぁ。


2012年08月28日(火) 夜中にキョトキョト


母は 元気にデイサービスに出かけた。
今朝も迎えに見えた職員の方を見て静かに頭を下げていた。

母を送った後 夕食の下ごしらえ。
夕方は 暑くなってしまうので朝の内に野菜の煮物をコトコト。
その間に朝食。

午後 来訪者あり。
1時間ほどあれこれと聞き取りを受けた。
来訪者が帰られた後買い物に出た。

買い物をしている時 母が入所していた施設の職員の方とばったり出逢った。
施設の立ち上がった時に一緒に入所した方が亡くなったと聞いた。
また顔見知りの叔母ちゃんで 認知症になりかけの頃我が家に遊びに来た事のある人も亡くなったと聞いた。
おそらく母と一緒に入所した人は 男性を除いてもういないんだろう。
みんな母より元気で認知症も軽度だったのだけれど…。
あらためて母の生きる力は強いのだなぁと感じた。
職員の方も 今はご自分のおかあさまとご主人のご両親との遠距離介護が始まったと話されていた。

母が帰宅前には夕食の支度を済ませておいた。
帰りが5時半なので 戻って早々に食事を始めるからだ。

折角準備が出来ていたのに 帰宅して直ぐトイレ介助となった。
「大」排出なので時間を要した。
食べる前に誘導できて良かった。

夕食は順調に食べ終えた。
休息してと順繰りに介助して就寝。

就寝後1度目のトイレ誘導後ぱっちり目が覚めてしまった母。
ちょこっと母にお付き合いで椅子に座って少しおしゃべり。
母はきょときょと見渡しているので「ここはおうちですね」と話しかけた。
夜間の目覚めは嘔吐というイメージがあるので注意してみていたが大丈夫だった。
10分ほどして再びベッドへ。
それ以降は ぐっすり眠っている。

夜になってデイの連絡帳を取り出したら ケアマネからの訪問歯科と介護タクシーのリストが入っていた。
介護タクシーって 随分増えたんだなぁ。


2012年08月27日(月) ラジオを聴きながら…


 普段はTBSラジオのヘビーリスナーなのだが 今夜はちょっと…。
夕刊を読んでいたら「オールナイトニッポン ゴールド」と銘打って坂崎幸之助と吉田拓郎の番組があると知った。
おそらくばかばかしい会話で笑い転げるだろうと想像できた。
生協の注文書を記入しながら耳を傾け 予想通りぷっと吹き出したり笑い転げている。

母はいつも通りデイに出かけた。
夕方帰宅した時牛乳パックで作った小物置きを持ち帰った。
綺麗な布を貼って作ったものだが こじゃれた物だった。
母の手が利く頃ならきっと楽しんで作っただろうと思う。

帰宅後トイレ誘導で「大」排出。

水分補給は オレンジジュース。
お腹が空いている風だったので大急ぎで夕食を配膳。
「うふ」という笑い声を聞きながら夕食介助。

食後 電話が入りしばらく話し込んだ。
その間に母は大きなあくびを数回。
電話を切って 大急ぎで口腔ケアを済ませてトイレ誘導して洗濯物たたみを見守って貰って ほぼ定刻に就寝。

就寝後「クションクション」とくしゃみをしていた。
急いでトイレ誘導。
母のトイレサインは 相変わらず 動くからくしゃみをするというパターンだ。


2012年08月26日(日) 暑さの中


お昼前「お風呂はいる?」と聞いてみた。
「…」反応なし。
「お風呂入ろうか?」
「…」視線をそらす。
「お風呂に入りたくないの?」
「…」
「お風呂はいる?」
「…」
こんなやり取りの後 承諾の確認が取れないまま入浴介助。

母からすれば「これじゃ聞かなくとも良いじゃないかっ」て話だ。
私からすれば「汗を流して綺麗にしなくちゃね。心の準備をして貰うために聞いたのよ。入れば気持ちよくなるでしょ」と自分勝手な理由が次々出てくるのだ。

湯上り後「ごめんね。勝手にしちゃって…」と母に謝った。

お風呂から上がって水分補給。
お茶とスイカ。
それから昼食。
昼食後休息。
それから 納涼会をしている集会所へと向かった。
入浴を強行したのは 納涼会から戻って入浴介助は私がしんどくなるからだったのだ。

外は 日差しがじりじり。母には帽子を被せ日陰を選びながら車椅子を押した。しかし東西に伸びる道には日陰がなかった。
「ちょこっと顔だけ出して」と思っていたが30分ほどみんなと過した。
「あなたのお母さんがこうやって元気だから 私も足元ふらついても頑張れるって思うのよ」と言う人あり。
「車椅子でもこうやってみんなのところまで来れるって 元気だからですよね」と声を掛けてくださる方あり。
納涼会では 母の食べられる物はない。
持参したOS1ゼリーで水分補給した。

集会所に入る時 男性陣が車椅子ごと持ち上げてくれた。
帰る時も同じようにして下さろうとしたので「大丈夫ですよ」と車椅子を後ろ向きにして上がり框を下ろし 玄関を出た。
「ほほう そういうやり方があるんですねぇ」と驚かれた。
母を連れて出る訳は そういう対応を知って貰う意味もある。
言葉で説明しても理解できなくとも目でみてもらえば記憶に残るだろうと思う。今 町内に車椅子でお散歩する人は見かけないから。

賑やかな場所も時にはいいだろう。
楽しい雰囲気は それなりに伝わる。
みんなと一緒に食べられる訳ではないけれど…。

しかし大勢過ぎてエアコンも効かずかなりの室温。
30分が限度で失礼した。
家に戻ってから母の腕にほてりがなくなるまで少し時間を要した。
合わせて水分補給も忘れずに…。

夕食は 5分粥 煮魚とほうれん草のお浸し 南瓜の甘辛煮 トマト 里芋の煮物と冷奴と茄子の味噌汁。全て食べて終えてニコニコ。

休息後トイレ誘導し母の部屋へ移動。
ほぼ定時に就寝。直ぐにzzz。
就寝後のトイレ誘導も順調だ。








2012年08月25日(土) 休日


週末は デイのない日。
家でのんびり過してもらった。

ケアマネから「ケアプラン作成のため今日訪問してよいだろうか」と電話があった。
昼前ケアマネが見えた。

気温が上がって暑いのだが北側の日陰は風が抜けて涼しい。
そこで母を車椅子に乗せて少し気分転換。
そこにケアマネが見えて 外で打ち合わせ。
「姿勢がいいですね」と言われた。
「そうですね。調子が良ければこれが普通です」と伝えた。
2人の会話が理解できたかのように 母はニコニコと笑った。

午後は入浴。
身体を洗って洗髪。
ぬるい湯船に浸かってもらって手足を伸ばしてリラックス。

夕方 重い腰をあげてサロンのチラシを作った。
明日行われる納涼会におくチラシだ。」
仕上がったので 車椅子に母を乗せて自治会長宅までエッチラオッチラ。

外に出る時には いつも母に「お散歩行く?」と聞いている。
すると母は迷わずに頷く。
家に入る時も「家に入っていい?」と聞く。
すると返事をしない。
「まだ 外がいいの?」と聞くと即座に頷く。

昔から外に出ると「せいせいする」と言っていたし「遊ぶの大好き」と言っていたので 今でも外へ出たほうが気持ちがいいんだろうと思う。

夕食も済んで いつもの時間に就寝。
就寝後のトイレ誘導も順調。


2012年08月24日(金) 辛かったねぇ


一昨日の夕食後 飲み忘れた薬を服用し 今朝 新たにマグラックスを服用して貰った。
デイでは 特に問題なく過してきたようだったが 夕食後 言葉もグッと減って問いかけにも頷きの返事すらなくなった。
「あれぇ」と思いながら 就寝前のトイレ誘導をした。

そしてしばらくトイレに閉じこもる事になった。

出きった後 ようやく小さな笑顔をみせてくれた。
途中 母が心配するといけないので「薬を飲んだせいでこうなっているのよ。病気じゃないからね。ごめんね」と伝えた。
それからの母は 苦しそうだけれどじっと我慢しているように見えた。

就寝後のトイレ誘導で「小」の量が少なくて水分が足りなくなっているのだと感じた。
覚醒しているのを確認してトイレ誘導後OS1ゼリーを飲んで貰った。

眠りは深く 動く事もなかった。


2012年08月23日(木) アッ しまった!


起床直後のトイレ誘導で「大」排出。
デイの送迎までに押せ押せの時間となってしまった。
送迎前には 食後の口腔ケアや顔を拭いたり連絡帳に記帳したりを全て終了できてホッ。
気になっている水分補給も予定通り摂取してもらった。

デイへの見送りがすんで部屋に戻ると…服用して貰うだけになっていた薬がテーブルに残っていた。「ワッ やっちゃった!」
血液さらさらの分はまだいいけれど マグラックスは…。大丈夫かなぁ。
初めてのことだと思うが気をつけなければならない。

デイから戻った母。
割合落ち着いておりホッとした。
水分補給後 トイレ誘導し「大」排出。
マグラックス使わずとも大丈夫だったという事だ。
最近 嘔吐の心配があり少し神経質になりすぎて必要ないのに服用させているのかなぁ。

夕食も快調だった。
「よく噛んでね」と話しかける日々。
話し掛ければ 注意してかんでくれる。
但し 注意が継続する訳ではないので必要と思った時にはつどつどの話しかけが必要だ。

食べる事といえば…。
今でこそ 食事介助が退屈でなくなった。
けれど介助を必要になった頃や2時間近く介助している時には眠くなって苦痛になる時があった。
特に母に食べる意力がないように感じた時には 食べてもらうことに必死だった。
あの時もう少し箸を持って食べる事に配慮していたら まだ自力で食べられたのではないかと思ったりもする。
記憶が薄らいでいるので断定はできないが…。
箸を持たせた記憶はある。
だが介助した方が早いのでそうしてしまったように思うのだ。
脳出血の時には じっくりと待てたが…。
2度目の時には「もう無理なんだな」と諦めてしまったような気がしている。

今は同じ過ちはしないようにと少量をゆっくりと食べて貰うように注意している。
母自身 噎せらないように注意していると感じるからだ。
噎せた後「辛かったね」というとしっかりと頷くのだ。
注意力が残っているなら(きっと反射だと思うが)それを維持できるようにして配慮が必要だろうとおもうから。
水分摂取はトロミが必要だが 時に少量ずつトロミのない水分を飲んで貰う。
時に唾液で噎せてしまう時があるので 全部トロミにしてしまわずに少量の水分の呑み込んで貰って様子見している。
これは 母と私の間の勘であって他の人に当てはまるかは不明。
言葉に出来ない母の状態を探りながらの日々はこれからも続く。

いつもの時間前から眠そうであくびを連発していた。
休息をしっかりとって就寝してもらう。
就寝後のトイレ誘導も順調。


2012年08月22日(水) ショート帰りは…。


今日は 友人の命日。
無性に話したくなる時がある。聞いてみたいなぁと思う時もある。
ちょっと思い出話を書き留めておこうと思ったら目頭が熱くなった。
まだ 無理みたいだ。
涼しくなったら 逢いに行くからね♪

母 ショートより帰宅。
玄関前に着いたらにっこり笑っていた。
ショート帰りは まず水分補給。
「みかん食べる?」と聞いたら頷いた。
「みかんよ」と目の前で皮を剥くと「んだな」(そうだな)と言葉を発した。ひと房口に運んでから「おいしい?」と聞いたら笑顔で頷いた。
焙じ茶も300cc。ゴクリゴクリと飲んでいた。
それから更にメロン。水分たっぷりで「噎せないかな」と心配だったがこれも4分の1を食べ終えた。

そしてトイレ誘導して「大」排出。
「お風呂入りますか?」と聞くと直ぐに頷く。
トイレからお風呂場へ移動。
ショートで入浴したか報告がなかったが 入浴した気配が無いので…。
しっかり身体を洗い 洗髪してぬるめのお湯に浸かって貰った。

入浴後 夕食。
まだお腹が空いていないようにも見えたが 明日はデイもあり就寝時間をずらしたくないのでゆっくりと食事介助。
全量摂取。

入浴で少し食事の時間が後ろに延びたのでいつもよりは少し遅めになっての就寝。
就寝後のトイレ誘導は順調。
帰宅後 いつもよりずっと多めに水分補給したのだが「小」の色が濃い量も少なめだった。
もう少し多めに飲んで貰えばよかったのかもなぁ。
明日の朝で調整できるだろう。



2012年08月21日(火) 1泊ショート


母を1泊のショートステイに送って 夕方会議。
イヴェント準備のための会議だ。

そこで仲間と立ち話。
「イラッとしたりすること増えたよ」という仲間に「身に覚えがありますよ」と応えて…。
「イラッとしているとそれが伝わって我が身に返って来るからねぇ」と言ったら「我慢して その押し込めた気持ちは何処へ出すの?」と別の仲間。
「介護仲間とか気に許せる友人とか…」と答えた。

別の話題に移ってしまい この件については それ以上話さなかったが…。
気持ちを押し込めているうちに いろいろな事に気が付いてくる。
困っているのはどっち? 不安なのはどっち? 
私は賢くないから そのことに気が付いたのは ずっとずっと後なのだ。

昨日の映画の話もあれこれと考えたがちょっといい方向に向いてきた。
監督と交流のある人がいた…。何とかなるかな?

それから仲間に仕事の依頼をした。
引き受けて貰えた。介護者のためのサポーター養成講座。
介護経験者発の養成講座。

1週間のショートステイの後 少し頭が軽くなっているような気がする。
そのうち元に戻ってしまうかもしれないが この状態が長く続くように意識して行かなきゃね。
母のためにそして私のために…。


2012年08月20日(月) 認知症の人の脳は…


起床直後のトイレ誘導で「大」排出。
これで ちょこっと安心してデイへ送り出した。

デイに出かけているので今日のおしゃべりは あまりない。
でも視線を合わせて意思確認は出来ている。

朝日新聞の今日の社説を読んだ。
精神科病院の入院が増えているが 厚労省が病院から在宅に戻すために動き出したとあった。

うちの地域に限って言えば 精神科の入院はかなり短期だ。
治療目的が達成されれば 退院に動き出す。
在宅に戻せない人は 施設へ。相談員さんが手を尽くして施設を紹介してくれる。
けれど施設で暴言・暴力があれば また病院に逆もどり。
この繰り返しをしている家族がいる。

家族も身体的に在宅に戻せなくて行き先が点々として本人に負担が強すぎないかと悩んでいる。
在宅に戻し 訪問診療を受けて…とあったが 2週間ごとの診療の負担は誰でもOKではないだろうと思うが その辺はどう解決して行くのだろう?

在宅に戻すための疾患センターも動き出しているがはてさて今後どうなって行くだろう?

午後買い物に出たら 介護仲間とばったり。
新聞に入っていた定年時代と言う新聞に気になっている映画の記事が載っていたという。
「毎日がアルツハイマー」という映画。
この記事の中に順天堂大学院医学研究科 新井伊平教授の言葉として「認知症でも脳の95パーセントは正常に働いているのです」という話が載っていた。そのはなしでちょこっと盛り上がる。
それをある程度理解しはじめているのだが…不出来な私なぞはゆったり対応できないのだもの…。

今日 介護者の会についての問い合わせがあった。
会のチラシを数年手に持っていて やっぱり地域の仲間と…と思って問い合わせしたとの事だった。
最近 こういうことが多いと感じている。




2012年08月19日(日) 今日のおしゃべり


 朝食後便秘薬を追加して投薬。
「これはね お通じがないから飲む薬なの。ちょっとお腹が痛くなるかもしれませんよ」と言ったら…。
深く頷いてから「わかりました」と。
我耳を疑った。

入浴後 昼食の配膳をした時 私の腕をギュッと握って「あ・り・が・と」と。

そして就寝前。
「今日もよく頑張ったね。〇ちゃん!」と話しかけたら…。
大きな声で「はい」と。

起床してから就寝まではっきりした言葉で話したのは この3つだ。

投薬の効果もあり就寝前に無事排出。
母には 辛い日だった筈。でもじっと耐えていてくれた。

昼食後 少し身体が熱いように感じて検温したら6度8分。
エアコンの設定温度を下げ しばらくしたら6度2分となった。
朝のうちは 扇風機の風で間に合っていたのだが 入浴前にエアコンを入れた。
体温が上がったのは 入浴したせいもあったのかもしれない。


2012年08月18日(土) 母のおしゃべりと食欲


母はよくおしゃべりしていた。
「〇△∵`;〜だ」と母が言えば「そうでしたかぁ」と応える。
するとニコニコしながら「ほにゃ∵〇△だよね」と母。「そうでしたね」と応えると「んだよね」と母。
他人がみたら「なんのこっちゃ」といった会話なのだが 母が楽しそうなのでこちらも楽しませて貰った。

言葉はなくとも 意志の確認はできる。
ちょい不機嫌になった時「お腹すいたのかなぁ」と聞けばしっかりと頷き食べれば落ち着く…。
ちょい落ち着きが無くなれば「トイレかなぁ」と聞けば深く頷き誘導すれば「小」排出。

それでも声に力がなくなってきたなぁと感じる。
でも今朝 夫が「行って来ます」と出かけた後 忘れ物をして戻った時「あら あははは」と張りのある大きな声で話したり笑ったりもしていた。

食事の量を減らすとお腹を空かす。
減らした量なんて微量だ。 
食間におやつを食べて貰うと定量より多くなってしまう。
お腹が空くという事はお腹が健康なんだろうと思うが…ちょっと心配になる。でも 今日は1日落ち着いていた。

不安材料は 親指の第一間接位のメロンやトマトを食べて貰うと3切れ位はしっかり噛んで呑み込んでいるがそれ以上になると良く噛まないうちに呑み込んでしまって噎せることが時折起きるようになって来ている事。
今日は 3切れ以上は刻みにしてみた。
するとちゃんと更に噛んで呑み込んでいた。
何処まで持続できるだろうかなぁ。
塊を食べる時 とても嬉しそうな顔をするので ちょっと踏ん張りどころかなぁ。無理をしないでいこうと思う。




2012年08月17日(金) ショート中に踏ん張ってみたこと


母のショートステイの間 家の片づけをしていた。
何しろ ここ数年家の片付けができていない。
何でも直ぐに手に出来る状態といえば聞こえがいいが 物が収納されずに溢れているといってよい状態。
暮す上で非常にいごこちのよくなくて限界を感じていた。

「断捨離」とまでは行かないが それに近い形で整理した。

ダイニングルームが主体。模様替えも兼ねて…。
久しぶりにインテリア用品売り場なんかを梯子した。
物を選ぶにも結構時間がかかる。

頭が固くなっていて時間がかかる私だが 下準備の足りない所を娘が助っ人してくれた。
夫がいると食事の準備やあれこれ口出しも出てくるが 今回はお盆の帰省で留守。
帰省事態は楽しみなのだが…。
「ショート中にしておきたいことがあるので…」と電話で伝えておいた。

目に見えて「替えた!」という所まで片付いた。

夫が帰省から戻った時は家がひっくり返っている状態。
夫はここまでやるとは思っていなかったようで驚いていた。

けど だからと言って手伝う訳ではない。
深夜までかかって仕上げをしてたら夫が起きて来て「もう寝なさいよ。残りは俺がやるから」とリップサービス。
いい意味に取るなら「手伝わないでごめん」という気持ちの表れ。
だからと言って手伝うことは限りなくゼロに近い。
もういちいち腹を立てることはないが 当てには出来ないということは判りきっている。私自身がそうしてしまった部分もあるので…。

だからきっちり仕上げてから就寝した。
と言う訳で めでたく模様替えは終了した。

今回のショートステイの間に気が付いた事。
5日目の晩に寝る前にストレッチ体操をゆっくりしていた。
6日目の朝も起床前に ストレッチ体操をしてから起き出した。
数年前までは きちんと取り組めていたのだがいつの間にかキューバタンで眠って 目覚めると直ぐにキッチンへが日常となってしまっていた。
何もできなくなっていることに自分の衰えを感じていた。
けれど そういうことではなくて 気持ちのゆとりがなくなっていたのだなと気が付いた。
何処までできるかは判らないが 気持ちにゆとりを持つ事を意識していこうと思った。

母は 元気にショートステイより帰ってきた。
最近 ショートステイに利用する時の考え方が微妙に変化してきている。
それが母にとっていいことかは まだ整理がついていない。

今日の介護者の会でも介護保険サービス利用についてちょこっと話題になったことだが…。

もう少し 整理してから日記に記してみようと思う。

介護者の会の話題といえば…。
認知症と診断されて10年近い方で現在入院中の方の話。
一時は命の心配もされていたのに…この数ヶ月間 継続して認知症の症状も消えて時間軸もしっかりして 会話も戻っている方がいる。
「本当に認知症だったの?」と家族も介護仲間も感じていた。
その方が 医師と家族の話し合いの中で「認知症は間違いない。でもここ数ヶ月の症状の変化は何故なのか判らない」と説明があったそうだ。
8月に入ってすこしレベルダウンはしているようだが それでもまだ「だれそれが来てくれるといつも連続ドラマを見に連れて行っていってくれるのだよ」と話せるという。
言葉も殆どなくなっていた方なのだ。
こういう話は 稀であっても 介護者にとって希望の持てる話だ。

 


2012年08月10日(金) 介護の周辺


 昨夜2時過ぎのトイレ誘導から今朝までの「小」は量や色から見るかぎり問題なしだった。
夕食時に水分摂取しておいて良かったなと思う。

今日から母はショートステイ。
今回は会議等は入っていない。
少し 頼まれている事の準備は必要だけれど…。
ショート中は家の片付けの予定。ちょっとは息抜きもしようと思う。

今日は町内でサロンを開く日。
「ショートに送ってになるので遅くなります」と連絡しておいた。
が ショート先から電話が入り30分ほど早目に迎えにくる事になった。
この30分で薬の調整のメモを訂正しようと思っていたので少し慌てたが間に合った。
けれど 母に持たせるはずのOS1ゼリーを荷物に入れ忘れてしまった。
今朝は お茶の他にOS1ゼリーも飲んでもらっていたので 明日届ける事にした。

サロンが終わってから いろいろ頼みごとがあって介護中のご近所さんや知り合いを訪問。
介護者の会の仲間ではないし認知症もない在宅介護中の方だ。
頼みごとは了解いただいたが その時の雑談で介護のこぼれ話をうかがった。
こぼれ話とは ケアマネの力量の差。
介護者の会の中で聞く限り 最近は大分良くなってきたのかと思っていたのだが…。

ケアマネによって地域で提供されるサービス認識に差があると感じたのだ。
介護者の会に参加する人は 他の人のサービス利用を知って必要な時に利用できるサービスをある程度理解できる。
けれど 一般の人はそうは行かない。
介護を手助けしてくれる人なので助けて貰っているという意識があり間違っているなんて考えない。
ケアマネに「〇〇です」と断定的に言われると「そうなんだ」と思われるようなのだ。

全てのケアマネがそうだと言うつもりはないがケアマネ次第で介護が変わるのは平等でないなぁと思った。

それと会の仲間で気になっている方の所に電話をした。
一度目は留守。
二度目で認知症の当事者が電話に出たので「いらっしゃいますか?」と尋ねたら「今 外出しています」と応えてくださった。
この返答に「あ まだちゃんと電話応対ができるんだな」ととても嬉しくなった。

夕食の済んだ頃に電話してみようと思っていたら 向こうから電話がきた。
当時者の方の伝言があった訳ではなく相談したい事があって電話を下さったとの事だった。

そこで 長いお話をお聞きした。
其の中でとても印象に残ったのは 
「あなたのしていることは虐待です。虐待する事により 当事者はより認知症の混乱が生じてくるのですよ」と話してくれたという精神科医の存在だった。
いきなりそう言った訳ではなくて
介護者の虐待を感じ取ってゆっくりゆっくり信頼関係を作り上げて話されたようだ。虐待とはいっても 暴力ではないのだが…。
これまで そういう精神科医はいなかった。少なくとも私の周囲では見当たらなかった。

そういえば 先日地域包括の職員の方も虐待をきっちり受け止めて対応するという話をしていた。
「ケアマネは介護者との関係性の中で甘くなってしまいがちなのですが 今後勉強しながら適切に対処できるようになっていくと思います」とも言っていた。

虐待から守る動きが整いつつあるのだろう。
10年前と比べると随分と変化してきたと思う。
ただ この虐待も介護者を責めるやり方ではないようにと願っている。

介護仲間をサポートした精神科医は「話したくなかったら無理に話さなくといいですよ」と常に言ってくれるようだ。
介護者に心のゆとりを持たせるように工夫し自分で気がつける状態になった時に虐待の話をなさったのだなと感じた。

虐待と指摘するのは簡単だが 介護者だって疲弊している訳だから介護者も救いあげるのが大事だろうと常々感じていたので嬉しかった。


2012年08月09日(木) 覚えているね♪


 昨夜 午前1時半すぎトイレ誘導。
そこで「大」排出。結構な時間を要した。

母も覚醒しており手当てする私の腕を幾度も擦ってくれた。
トイレ誘導時 私の背中に手を廻して歩行するのだが その時に母の爪が刺さって痛い。
「ね 〇ちゃん爪が当たって痛いよ」と言ったら 爪を立てないようにしてくれた。
母の言葉は 更に減っている現状なのだ。
でも こちらの言葉は母の脳に届いていて どうすれば良いのかを探して適切な行動の指令を出し手を動かしているのだ。
人様から見れば どってことないんだろうけれど 私に元気をプレゼントしてくれるひとこまだ。

今朝はいつも通りに起床しデイへと出かけた。
夕方帰宅してトイレ誘導で「大」排出。
朝のマグラックスが効いている。

笑顔が戻り 頷きも返ってきて普段の母。
夕食も主食を少し減らして 副食定量..
副食に 故郷の茶豆をすりつぶしてズンダにした。
口に運んだら 私の顔を見てにっこりと微笑んでくれた。
ズンダは家族分作るとなると大変なので母の分だけ。
料理人は自分なので味見と称して自分だけはちょこっと食べたけれど ゆとりがあったらみんなの分も作りたいなぁ。

就寝はほぼいつも通り。
トイレ誘導も順調。
今日利用したデイの水分摂取量はいつも少なめなので夕食時に多めに水分補給した。
これで水分摂取量は調整できたと思う。


2012年08月08日(水) おうちでゆっくり。


母のペースに合わせながら1日を過した。
ハイテンションだった先週と比べるとほんとに静かだ。
けれど ハイテンションになる前は 今日と同じようだった。
だからいつものペースに戻ったのだろうと思う。
とはいえ 私の姿を絶えず追っていた時とは違う。
母の世界の中にいる…そんな感じだ。

昨夜は 大きな変化もなく朝を迎えた。
食事の量を大きく減らしたのがよかったのかな?
正直のところ 読みきれない。

朝は煮そうめんと温泉たまごと南瓜煮とトマト2分の1とヨーグルトとヤクルトとお茶。煮そうめんにはなすや人参や大根を入れた。
食事を始める前に「お腹空いているでしょ」と聞くと頷いてた。
今朝は 問いかけに頷きで返事してくれるようになっていた。

量はやや抑え目。
お昼は おかゆさんと梅干し。冬瓜のスープとメロンとお茶。
訪問リハを受けた後 少し休んでから ちょっと重たいおやつ。
マドレーヌとちょこっと羊羹(風で倒れてしまう程度)バナナ1本と桃2分の1とお茶。

夕食は 通常により少しだけ控えて…。
トマト2分の1と牛肉の冷しゃぶと大根おろしに酢橘をギュッと絞ったもの。
南瓜と里芋の煮物と温豆腐と小松菜の味噌汁とお茶とヨーグルト。

1回に食べる量を減らして 3食を4食にかえてみた。

夕食前のトイレ誘導でお腹がガスでパンパンになっていたので座薬を使った。夕食後 お腹をマッサージしてガス抜きを。
1時間休息後 入浴。
入浴前に母に確認して入りたいと言ったので実施。

入浴後はしばらくベッドで目覚めていてテレビをみていた。
1時間もしないうちに気持ち良さそうに寝入っていた。

就寝後のトイレ誘導は順調。

日中は 少し咳き込みがみられたが就寝後は咳は出ていない。
今日は 気温がやや低かった。
窓を開けて風を入れた。
でも食事の時には弱く冷房を入れた。


2012年08月07日(火)


今日も穏やかにデイへと出かけた母。
時折痰の絡んだ咳が出る。1日1.2回程度。
だから 健康を見守る役目の私としては常に「大丈夫か」と気になっている。

それでもデイへと送り出すのだから…なぁ。
その辺で気持ちの揺れが続いている。
母と私の暮らしを維持するために必要なんだ…と念仏のように自分に言い聞かせている日々。

精神的にも肉体的にも追い込まれると体調に変化が出る。
例えば腰 例えば内臓 例えば足。
自分の限度を踏まえながら 健康的に…と意識している。

デイから帰った母今ひとつと言うところだった。
これは 勘。
動きが悪くとも「大丈夫」と言い切れる時がある。
食べるのが遅くとも「大丈夫」と言い切れる時がある。
でも 今日は「大丈夫」と言い切れない。

まず 母の反応が鈍い。
時折見せる笑いに力がいまひとつ足りない。

夕食はいつもの半分に留めた。
今日は 無理をすべきではない雰囲気。
検温して血圧を測ってみたが 変動の範囲内。
ただ お腹は ガスが溜まってゴロゴロしている。
先日は マッサージを繰りかえし翌日には「大」を排出している。
今晩も様子をみながらトイレタイムにはマッサージして行こうと思っている。

明日は 家でゆっくりできる日だから調整できればいいなあと思っている。


2012年08月06日(月) 落ち着いてデイへ


明け方 怖い夢をみた。
ここ数年 ほのぼのとした夢の記憶はあるが怖い夢をみたという記憶はない。

 2階のベランダに人が寝ていた。
ドキドキして外に出て近所の人に話すと「庭で自炊してるのをみたけれど…前からよ。気が付かなかったの?」と言われた。
慌ててソウッと家に戻って庭をみると庭先に釜が作られていて炭が赤く燃えていた。
「どうして気が付かなかったのだろう。昨日だって水撒いているのに…」
また外に出て「どうしたらいいのだろうね」と近所の人に聞いてみた。
「ご主人も気が付かなかったの?」と聞かれて「うん 夫も何も言っていないのよ」と答えていた。

「警察に通報するのが一番だよ」と言われた。
「なんて話せばいいのだろう。いつからって言えばいいんだる」なんて考えながら携帯を持った時 目が覚めた。

この間 現実には 目ざましが数回鳴っていた。
それを2回切っている。
3度目のベルで目覚めて起き上がり「夢」だとわかってホッとした。

どうしてこんな夢を見たのだろう?

夫に「怖い夢をみたのよ。家のベランダに人が寝ていて庭で煮炊きしていてね」と言ったら「そんな時は大きな声を出せばいいだろう」とみょうちくりんな事を言っていた。

夫が早く家を出たので母を早目に椅子に移乗した。
立位が保たれていた。検温したら平熱。

順繰りに朝の介助をして朝食。
順調に食べる事ができた。

デイの迎えの車に笑顔で乗り込んで出かけた。

夕方母が帰宅するまで 電話が来るかと気になったが無事デイで過ごせてホッとした。
嘔吐用にハッカ油を持たせたが 使うこともなく過せたそうだ。

夕食もいつも通りに食べる事ができた。
落ち着いた表情でゆっくりと定量を食べ終えた。

食後は 眠そうでとても静かになって 休息後ベッドに移乗し就寝。
直ぐにzzz。

就寝後のトイレ誘導も順調。


2012年08月05日(日) やれやれ


 昨夜のトイレ誘導は しっかり覚醒していなかったので水分補給はしなかった。
水分摂取が足りないかと気になっていたが「小」の量は充分だったのでホッとした。

薬がしっかり効いている。
効き過ぎている感がするほど。
うとうとし意識も弱い。
元気がないとか弱っているのとは違うのだ。

解熱剤は使っていないが 平熱。
でも用心のため入浴は中止している。

嘔吐の後 食事の摂取量を抑えているせいか便秘傾向だ。
今朝便秘薬を服用して貰い 午後に腸を刺激する座薬を挿入したが空振りなのだ。
お腹がゴロゴロして溜まったガスが動いているが「大」に繋がらない。

食事は 控えめながらしっかり噛んで食べている。
今日は 午前と午後に分けて桃を1個食べて貰った。
水分補給もそこそこ。

咳もなく熟睡している。咳がないのは 薬が効いているという事だろう。
トイレ誘導は順調。

今しがたの2度目のトイレ誘導で 覚醒していたのでちょこっと水分補給。
ごくりごくりとしっかり飲んでいた。

母から風邪がうつって ちょっと困っている。
昨日の通院で私も見てもらっておけば良かったのだが…ついつい後回し。

娘には黙っていたが 電話を受けた時ばれてしまった。
たっぷりと絞られる。
「介護者がダウンしたら困るのは〇ちゃん(母)なんだからねぇ…。いい 夏風邪は馬鹿にできないのよ」と。
「わかっていますとも…」と言い訳せずに「はい」と返事した。


2012年08月04日(土) デイを休んで3連休


昨日はデイを休んだ。
これで金・土・日の3日間は家で過ごすことになった。
デイで嘔吐した日 ケアマネさんに直ぐ「デイ休みます」と届けた。
ショート帰りから振り返って気になることもあり家でゆっくり休んで貰おうと思ったのだ。
しかし 私としては金曜日に土日の買い物をしているのでちょっとピンチ。

火曜日にショートステイから帰宅した時 母は湿った声をしていた。
風邪かなと思った。
でもあまりにもハイテンションで大きな声で笑いおしゃべりして 夜間に大量の排泄があったので大丈夫だなと思った。
翌日(水)もハイテンションで 熱はあり時に咳もしていたがあまりの元気さに大丈夫と思った。
翌日(木)熱もなくやっぱりハイテンションが続いていたのでデイに行って貰った。そして嘔吐して戻った。

昨日(金)は 食べる量を控えながら様子見。
量を控えているので 昼食前は久しぶりにテーブルを叩いて食事を要求していた。
3時少し前には ちょっと握手しようと手を出したらパラッとはじかれてぷいと横を向いた。
チョコレートケーキを少し食べて貰ったら直ぐにニコニコとした。
これだけ意志表示ができるって嬉しいなと思ったのだった。

日中は咳も少なく やはり風邪よりも逆流性があるんだなと思った。
所が 就寝してから一晩中断続的に咳が出ていた。
日中の検温では36.6度だった。
夜間も熱が上がったような感触はなかった。

今朝「あれっ?」と思って検温すると37.1度。
熱だけなら篭り熱とも考えるのだが…。
痰の絡んだ咳も出ているので微妙。
食欲はある。
夜間通しての咳が気になったので通院した。
「肺炎の心配はないがやはり熱感があるね」ということで薬を処方して頂いた。
通院の帰り道にスーパーに立ち寄りある程度は買い物が出来たのでとりあえず月曜朝までは大丈夫。

昼食後から薬を服用。
薬が効いて言葉も減って非常に静か。
夕刻前にはちょこっと眠っていた。
昨日は 良く眠れなかった筈なのでベッドに移乗して眠って貰った。

夕食は 少し控えめにして口腔ケアが済んだ頃から再びこくりこくり。
薬服用の影響と思われる。
咳も止まって 熟睡している。
解熱剤は使っていないが 熱感はない。

気になるのは水分摂取量。
1500cc程度だろう。
いつもより少ない。エアコンを使っているので汗も出ていないので明日起きてからの補給で間に合うかな?
トイレ誘導の覚醒具合で補給も考えようと思う。

しかしなぁ。
誤嚥か逆流か風邪か…その辺の判断が難しい。

さてと明日がお休み3日目。
月曜日 デイに出かけられるのかなぁ…。


2012年08月02日(木) しまったぁ!

相変わらずおきな声で笑い おしゃべりした朝だった。
食事も快調に食べていた。

デイの迎えが来た時も声を出して笑い 職員の方にもぺこりと頭を下げていた。

母を送り出して家事を済ませて月末の作業のため介護仲間とおちあった。

作業を終えて食事して買い物を済ませて家に戻った。
直ぐに夕食の支度に取り掛かり残すは汁物だけとなってちょっとひと休みしようとした時携帯が鳴った。

電話は母の行っているデイからだった。
「嘔吐がありまして…」と経過報告を受けた。
「迎えに出ます」と伝えた。
それから家族と連絡を取ったがつかまらなかった。
そこで思い出したのが介護タクシー。
午後は空いている確立が高い。
通院以外での利用は全額負担となること等を以前に担当者から聞いていた。

そこで問い合わせてみた。
配車してもらうまであれこれ手間取ったが 空いていたので配車して貰えた。しかし 私もデイまで移動しなくてはならない。
そこのデイは少し遠く バス便も悪い。
急ぐのでタクシーを使ってデイまで。

デイに着いた時には 母の唇は赤味がさしていたが顔色が冴えなかった。
でもおしゃべりして 問いかけにも返事をしていた。

介護タクシーが来たのはデイの送迎のバスが出てからだった。

様子をみてまっすぐ通院も考えて 着替えやら嘔吐対応の物を揃えていたが
落ち着いてきたので家で様子見することにした。

家に着いて OS1ゼリーを飲んで貰った。
200を全部飲みきった。
その後も変わりなく落ち着いているので今日は通院しないことに決めた。
デイとケアマネに事後報告とお礼を伝えた。

夕食前 少しこんこんと咳をしたのでまだ危ないかもとおもい嘔吐止め服用して貰った。
それから 母の様子を見ながらゆっくりと夕食介助。
いつもの6分目程度を食べた。

口腔ケアを済ませて休息を充分に取って 就寝。
就寝後も落ち着いていた。
ただ 嘔吐しているので水分摂取量は不足気味。
少しずつ 様子見しながら補充していたがまだ足りないと思う。

就寝後のトイレ誘導で「大」「小」排出。
デイの嘔吐時に「大」もあったと聞いていたが量は確かめていなかった。
普通の形状だったので まだ詰まっていたのだとわかった。
火曜日に夕方に硬い物が 深夜に下痢だったので全部出たと思い込んでいたがどうも見込み違いだったようだ。
昨夕は 少し気になってマグラックス200を1錠服用して貰っていた。

それと今朝デイに出かける時のズボンはあたらしい物で ウエストがきつめだった。着替えようとかと思ったがついそのままにしてしまった。
腹部を圧迫していただろうと思われた。
そういういろいろの条件のもとで複合的に嘔吐となったのだなと感じている。

しかし今晩の様子次第では明日通院しようと思っている。


2012年08月01日(水) いつも通りに…


昨夜は 夜半のトイレ誘導でウルトラ下痢。
母は非常に辛そうで 腹痛が起きるたび私の腕をギューッと握り締めた。
口を一文字にして下唇をかみ締めるので「これからなんだな」と判った。

それ以降は ゆっくり眠っていた。
この下痢は ショート先で便秘薬を服用したと報告を受けたので予定のことなのだが辛そうだった。

昨日何となく熱があるかなと思っていたが 検温していなかった。
今朝 ベッド上で検温したら7度5分。
ひとまず起床してもらった。左に傾斜するがシャキンとしている。

朝の介助をいつも通りに…。
そして朝食。
水分補給から少しずつ介助した。
ハーブティーを飲んで貰ったら「うふふ」と笑い声で私を見るのでそれからは安心して介助できた。

尿量が少なめだったので 意識して摂取してもらった。
食後 解熱剤を服用して貰う。
朝1回だけの服用だ。
それ以降 熱は徐々に下がって 午後は5度9分。
就寝前も6度1分なので 篭り熱だったんだろうな。

午後 療法士さんの訪問リハビリを受けた。
それから入浴。

ショートから帰って以来 良くおしゃべりをしている。
「食べる?」「御トイレ?」「お腹痛いの?」の問いにワンテンポ遅れるが確実に返事があった。
母の方からも「ねぇ」と相槌を求めるような話しかけがあった。
「そうねぇ」と返事するとニコニコ。

食欲もあり(勿論 食べ過ぎないように注意しているが) 桃 スイカ 羊羹 スナック菓子等 良く噛んで美味しそうにニコニコして食べていた。
昼・夕の食事も程よいペースで食べることができた。

就寝はいつも通りで 就寝後のトイレ誘導も順調。
昨夜は 膝折れが起きて立位もかなり難しい状況だったが 今日は着地して足を動かせている。


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