母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2010年04月30日(金) お〜み・す・て・い・く!!


母をデイに送り お昼に仲間と書類の最終仕上げ。
同じ部屋で もう一方は 会報発送作業。

仲間3人で 役所に向った。
先に調整している方がいたのでしばし待つ。
「万が一 調整に時間がかかると困るなぁ」と時計と睨めっこ。

痺れが切れそうな頃 順番が来た。
書類の点検が始まり 次々と不備を指摘された。
ことばはやんわりとしているのだけれど...。

結局 連休明けに再提出ということになった。
また 少しの手直しの作業となる。

受理して貰えた訳ではないので 状況としては変わりないのだけれど一週間先に延びたことで肩の力が抜けた。

此方の脳みそも緩んでいるし 役所特有の硬さもあって...手間取ってしまった。

平行しての作業も追い込まれている。
でも 此方は大分形が決まってきた。

家に戻って門前の掃いていたら母が戻った。
連絡帳をみると「ヨーグルトを食べさせてしまった。すみません」とあった。命に関わることでもないし 人のなす事だからミスもあるので仕方ない。

いつも通り バナナを食べみかんも追加。
トイレ誘導「大」「小」排出。
お腹がすっきりした後に夕食。
順調に食べられ トロミなしで水分摂取。

暫く母と遊び 洗濯物を片付けた。
その時お腹がゴロゴロキュルキュルと音がして ガスが頻繁に出ていた。
眠そうなので パジャマに着替えて 再度トイレ誘導。
ヨーグルトの影響だと思い 全て準備して...。

トイレで格闘すること1時間。
粘液状だった。母も辛かっただろう。
若しかしてもう一波くるかも知れないが 今晩を凌げますように...と思いながらベッド移乗。

母は直ぐにzzz。
時折様子を見に行くがガスがまだ出ている。
今夜の夜中のトイレ誘導は 用意周到にしなくちゃ。

一時は ヨーグルトでも効き目なしの母だったけれど 最近はヨーグルトが下剤替わりになってしまっている。
でも今の状態が 母の体質だったと感じている。

今 トイレ誘導。
おそらく 此の儘 朝まで大丈夫みたいだ。
ゴロ・キュルの音は 少し落ち着いてきたけれどまだ少しある。
ガスも時々出る。
母 ちょっと辛そうだ。お腹に薄荷油を塗ってあげたいけれど 寒くなってしまうだろうからやめた。


2010年04月29日(木) 冷や汗


 締め切りが 明日に迫っている提出書類。
今日も仲間と作業。
取り組める余裕のある人で...が原則。
祭日は 皆さん それぞれ用向きがあって難しい。
「しなくちゃ」という危機感を覚えた人で作業するしかない。

祭日もデイを開いてくれる所だったので 助かった。
連休初日になるが 感覚的には連休という意識はない。
4日だけはデイがお休みになるが 後は通常。
いや 訪問リハは休みかな?

全国で 祝日がお休みのデイってどの位あるのだろう。
きっと開いている所の方が少ないのだろう。

お昼過ぎまでかかって 何とか下書きまで済んだのでそれぞれ家に戻った。

一昨日辺りから「元気のない声だね」と娘が心配していて 今日ひょっこり手伝いに来てくれた。
しょぼしょぼした目になっていたので PC作業を手伝って貰った。

でも来る前に 別のPC作業をしていてそのデータが消えてしまった。
これも明日までに必要なデータ。
仕上がってホッとして保存を押したら...パー!
1度切ったら ゆがんだデータが出てきた。
その作業もついでに娘がやってくれた。

しかし 先に仕上げた物とは別物。
もう 今回は諦めて再仕上げのもので通すことにした。
保存をする前に 先に数枚印刷した。
最悪またデータが消えたら これをコピーして印刷しようと思う。

娘に作業して貰っている間に 母の介助。
今日も「小」の量が少ない。
汗も出ているので仕方ないのかもしれないが...。
この所水分補給はトロミを使っていたのだが 今日はトロミゼロで挑戦してみた。これが 噎せずに飲めた。
その後バナナも。
ちょこっとシュークリームのクリームだけ食べて貰ったら 美味しかったようで...。「違いが判るなんとか...」だなぁ。
これだから 此方の励みも生まれる。

食事も何時も通り。
食後口腔ケア。
その後トイレ誘導「大」「小」排出できた。

いつもの洗濯物たたみは母の部屋で。
そのうちに眠たくなった様子で 着替えて就寝。

それから自分達の食事作り。
夕食にありつけたのは 9時過ぎ。
最近のいつもの時間である。

それから再度作業をして ようやく終了。

だが まだ あれこれイヴェントの事で作業がある。
広報の原稿が 連休中〆。
他にも7月〆の依頼されていることが2件。
一向に捗らない。
これは 他人負かせと言う訳にも行かないので 自分のお尻を叩きながらである。自分で受けた事だから 冷や汗出さずに...と思う。


2010年04月28日(水) ショート帰りと...


 介護者の会は介護の話だけで終わらない。
只今 昨年の活動をまとめているのだが これが結構大変。
仲間の協力を得て お昼を挟んで半日作業。
まだ終わらない。
明日も母がデイに出かけている間に 追加の作業となる。

他にもイヴェントのことで ちょこちょこ打ち合わせ。
押し詰まってくると また困る。
連休前にしておいた方が良いことをパタパタと。

そんな訳で帰ってきた母には申し訳ない状態である。
トイレ誘導で「大」「小」しっかり出来た。

言葉も...。
食卓テーブルの椅子から立ち上がり介助をした時回転座布団?をくるりと廻したら「おかちゃん あぶないな」と。
他にも 有ったが忘れてしまったが...。

いやはや 睡眠不足は 思考力の鈍りが加速して効率が悪い。
数年前より かなり劣ってきている...。ふぁ〜!


2010年04月27日(火) 一泊ショートへ


 出来れば初回の会議には 終わりまで...と思ってショートを申し込んだら空いていたので利用する事にした。

ご機嫌に目覚めた母にちょっぴり後ろめたさを感じながらである。

昨日 デイから戻って「小」の量が少ないので 朝は目いっぱい水分補給。
おかげで ショートに出かける前に音を立てて「小」

ショートの迎えの車に乗った時 少し今朝の様子を伝えた。
「エッ そんなに摂取できたのですか?」と職員が驚いていた。

ケアマネに ちょこちょことショートの気がかりを伝えていたのだが 職員に伝わっていた。
つまり ショート帰りの時に バイタル面や気になった事のみ伝えられるとショート中 楽しそうな様子は一度も見られなかったのか?と言う事である。

家族は 普段の生活の中で 楽しそうな表情に出会いとても嬉しくなるのだが 専門職の方には そういう楽しみがないのだろうかと以前から気になっていたのだ。

職員は「現場の方は忙しいので 何処まで見ていられるか判りませんが希望に添えるように致します」
いつも「忙しい」と言われるが 家族だって忙しい。
食事・排泄・掃除・入浴等1人で向き合っているのだから...。

この忙しさ 職員と家族とでは 少し異なっているんよね...きっと。

こんなことがあって 会議に出て宅老所の方と出会った。
言葉が出てきたことを伝えると同意してくださった。
そういうことはあるという事だ。

また忙しさについての違いについても 同意して頂けた。

会議は 初回なのであれこれ迷走もあったが それもこの会議の特徴。
それでも そういう一見無駄に見えることも大切と感じる。
初めの頃はなかなかみえなかったが 会を重ねているうちに見えてきた。
無駄や遊びって大事。

会議終了後 交流会。
ここでも話が盛り上がった。

帰路の電車は 事故で遅延。
地元で夫と合流。

今回のショート取れて良かった。
実は 会の作業が定期的な作業と急遽の作業に追われている。
明日も ちょこっと集まって作業する。
水曜日はデイがお休みなので...ショート帰りの3時まで作業ができる。

追い込まれて ちょっとしたプレッシャーになっている。
母の介護で手一杯になってきているので 思考力が停滞気味。
それでも 半歩でも前に進めれば 嬉しい。


2010年04月26日(月) 今日も出ました!


 起床時のトイレ誘導時のこと
「大」排出の気配があったので 便座に座ってもらってから「ちょっと待っててね」と再度お湯を準備して戻った。
すると「おかちゃん 何もてくんの?」(何を持ってくるの方言)
これには 目をぱちくりしてしまった。

朝食をテーブルに置いて ご飯を一口運んだ時
「大喜びだべ」(大喜びだよ)

言葉を発した時のタイミングから 単なる偶然ではないだろうと感じた。
まして これほど長く話すなんてことは 本当になかった。

そして ふと考えた。
これまで 意味不明の言葉...。
あれって 母にとって意味があったんだろう。

考えればうまく話せなくて哀しそうな顔をしたり俯いてしまった時期の時には 話せない事が判っていた。
それから あまり頓着しないようになってきたと思い込んでいたけれど...。
それは 違っていたのかもしれない。

母と過ごす時間は サイレントに近い状態で 言葉は失ってしまったように感じていたけれど 頭の奥に入り込んで引き出せなかっただけだったのかも知れない。


2010年04月25日(日) 母から話掛けられた!


ようやく上着要らずの陽気となった。
朝は 少し冷えたので暖房を入れた。
午前中町内会の新旧引継ぎ会があるので 大急ぎで洗濯。

久しぶりに みんな一斉に朝食を摂ることができた。
片付けを済ませて 夫に 母の水分補給をして貰うため 準備。他にプリンも。夫にもお茶を淹れて...。部屋を離れる時には 椅子をベッドに向けて...とお願いをした。
当然 実際に「こんな風に...」と見てもらった。

2時間程かかって引継ぎも終わり家に戻った。
それから 昼食の支度。
お昼も3人で...。
「お散歩に行く?」と聞いたら 特上の笑顔を見せて頷いた。
外出は車椅子利用なので 寒風の吹く寒い時期はお散歩もままならなかった。この近所をゆっくりと...。
夫が仕事に出ると言うので 間に合う時間まで戻った。

門前から 玄関前に車椅子を寄せるまでは 夫に手伝って貰った。
玄関の上がりかまちから廊下に立ち上がるまでの一連の介助が1番苦労するのだが 介助に関わらない夫は どうやって上がりどうやって立つのか等興味がない。
「大変だねぇ」とは言うけれど...。

愚痴になりそう...。
気持ちよく手伝ってくれたんだから それでよし。

夫は会社へ。
それからトイレ誘導して「大」
そして入浴介助。夕食の支度。

夕食には戻ると言い残した夫だったので 大急ぎ。
母は ダイニングの椅子に座っていたが だんだん不機嫌に。
お腹も空いたのだろう バナナを口に運んだらプッと吐き出す。
放置されている不満。
立位して貰って家の中を歩き「ごめんね。でも久しぶりにみんなで夕食だからね」と言う。母 申し訳なさそうに俯く。
どちらも切なくなる。

歩きながら あれこれ話しかけて 少し気持ちが落ち着いた様子。
またダイニングで座って 待って貰った。
夫の帰宅を待たずに母に食事介助。
お腹が満たされてきたら笑顔が戻った。
夫も帰宅して 母には苺。
みんなでテーブルを囲んだ。

夕食前の少しのおやつ。食後のフルーツ。
ちょっと量が多かったみたいで「けふっ」とする事が多かった。
食べすぎは やはり良くないなぁ。

昨日 書き忘れたけれど 夜テレビをつけたら 隣にいる私のほうを向いて
「おもしゃいね」(おもしろいね)と話しかけてきた母。
テレビのコマーシャルをみての反応。
言葉と言えば...施設にいる頃は 熱くとも 冷たくとも 痛くとも「痛い」と表現していた。
最近は「つみたい」(冷たい)「熱い」 「痛い」とちゃんと使い分けるようになっている。
語彙が確実に増えて来ているのである。
その上 自分で受け止めて 自分以外の者に同意を求めたのだ。
少なくとも昨年は こんなこと1度たりともなかった。


2010年04月24日(土) 先の事だけれど...


青空が見えたので 一番に洗濯物を干した。
それから夫を送り出し 母を起こして食事介助。
食事を済ませて 今日洗った物を干した。

朝から待たされっぱなしの母は 最初こそ「うん」と頷いていたけれど だんだん言葉に反応しなくなってシーンと静か。

ビーチボールを使って遊んでみるけれど イマイチ乗りが悪い。
片手でキャッチして其の儘反応しないのだった。

そかそか…とトイレ誘導し「大」
少し期限も戻ってきたが もうお昼。
午後一でケアマネさんが見えるのでゆっくりと言う訳にも行かない。
食後暫くしてケアマネが見えた。

ケアマネに 罹り付けの医師より往診して貰える医師に替えたら…と紹介されたがまだ迷っている。地域内で往診して尚且つ自前の訪問看護のある所は?と質問。
情報提供は 此方で把握しているのと同じ。
ただ 自前の訪問看護はないけれど医師がまめに往診くださるところがあると追加情報。そこが 罹り付け医師の薦めてくれた所でもある。

もう1つは これから暖かくなり外に出る機会を増やしたい。
如何せん 厳しい山坂のあるところに住んでいるので モーターつきの車椅子に変更したいが デイやショートでどう対応してくれるだろうか?
また介護保険で使う点数は?
今のところ 家の中は手引き歩行なので室内用の車椅子はまだ使わないので 重さでデイやショートで大丈夫かと不安だった。

何しろ 下りも上りも半端でない長さで勾配もきついのである。
ケアマネもこの近所の方の送迎と言われた時頭を抱えたと言っていたくらいである。
今は 外出時エンヤコラと休み休み上り下りしている現状。

介護保険は1000点チョイ。
デイもショートも対応OK。

ついでにショートの追加をお願いした。
今月Ok来月の追加の分は無理。
6月追加はOk。
何れも会議が入った。
デイの予定でいられる時間までと部分参加を宣言しているけれど 夜の7時から9時の会議もある。
仕事をなさっている方もいるので仕方ないのである。

ケアマネがいる時母が 少しおしゃべりをした。
ケアマネがデイで出逢う時には 殆どしゃべらないと言う事で驚いていた。

今日も夕方に 時計をチラチラと見て寂しそうな表情。
この時間2回ほどトイレに誘導したが空振り。
寂しそうな表情は トイレではないのだな。
とするとやっぱり初期同様 帰宅願望かと思って「帰りたいの?」と聞けば微妙な表情。
お腹も空いて何となく不安なんだろう。
バナナやゼリーも食べているんだけれど…それだけでも満たされなかったのだろうな。

夕食後から10時近くまで ニコニコしてちっとも眠そうでなかった。
大きなあくびをしたので それを機に着替えて就寝。
直ぐにzzz。
暫く隣に座していたが ピクリともしなかった。


2010年04月23日(金) 楽しい夢でも見ている?


昨夜 介護仲間から電話を受けた。
「Tさんの奥様が亡くなられて葬儀も済ませたとご本人から伺った」という知らせだった。
高齢者世帯で 奥様と共に暮らされていたが 移動介助が難しくなり特養に入所。1日おきに施設に通われ お化粧をして差し上げたり 食事介助なさったりしておいでだった。
数年前 橋に脳出血を起こして 救急搬送されて長期療養型の病院に入院なさりイロウ設置。
医療病棟から介護病棟に移ってから プリン等を食べさせられるようになっていらした。
いつも前向きに前向きに介護なさっていらした。

おそらく何処かで覚悟はなさっていらしたと思うが お寂しいことと思う。
おそらく今年91歳になられる筈。
ご自身だって ヘルパーさんを利用しても良いのに 1人で住まわれておいでである。

母と同じデイに通っていた時期もあり 保健所主催の介護者の会ができた時からのお仲間である。

昨年暮れから 看取り終える方が毎月居られるような気がする。
そういう年齢になりつつあると言う事だろうと思う。
先輩方のお話を聞かせて戴き 随分学ばせて戴いた。

今日は 仲間とTさんのお宅に弔問させて頂く。
暫く 奥様のお話やそれぞれのお話等を語り合った。
みんなが帰った後 かえって寂しく感じられるのではないか…とも思ったが これからも一緒に…とお伝えし 会にも足を運んでくださるとの事だったのでちょっとホッとした。

帰路買い物をしていたら「はなさん」と呼ぶ声がして声のした方をみると母がお世話になっていた施設の職員だった。
そこで少し立ち話。

それから 家に戻って母を待つ。
夕食までの事はいつも通り。
ただ昨日 自分で手を伸ばして食べたみかんだが 今日は自力で食べるのは無理。口に運んであげると昨日と同じ量を食べた。
夕食も順調。
食後 別の介護仲間に電話。
昨日お留守だったので改めて…。
この方は 若年認知症のご主人を既に看取られた方で その時にTさんと二人で弔問に出かけた。

電話で暫く話込んだ。
夜間の介護の合間にお互い あれこれ話して支えあった仲間でもある。
昔の事 今の事…。
その時に介護や医療を詳しく知っていて 手を尽くして戴いても好きになれないってあるよねと言われた。
言っている具体的な名前を出さなくともあるところをさしていると理解できた。
何が足りないかというと「こころ」だと。
お世話にはなったけれど 好きになれなかったとその方は話して居られた。

何がどうって言い表せないので「こころ」になってしまうのだけれど…とも言われていた。話している事を充分理解できた。
「こころ」と言う物差しは 曖昧ではあるけれど立派な物差しになる。

けれどもそこが好きと言う方もいるので 「こころ」の物差しは 誰にでも当てはまるものでもないと言う事も承知している。

電話の最中 母と向き合い手を擦っていたので 私が笑えば母も笑う。
ミョウチクリンだけれど不思議な時間だった。
これが 就寝しても続いていた。ベッドの中で「うふふ」と幾度も笑うのである。
考えたら 母と笑いあう時は合っても私自身が心から笑ってしまう事はあまりないのかもしれない。
屈託ない笑いは 母にとっても心地よかったのかな?
母に向いながら 違う人と笑い合っていたので良心が傷んだのだが…ま良い事としておいて良さそう。

明日は ケアマネが見える。明後日は町内会の新旧顔合わせ。
母は 土日は家ですごす。
日曜日2時間夫に見守りをお願いし 快諾して貰ったが…。
ひとりにしておく事はちと心配だし かといって大勢の中に連れ出すのもなぁと思ったので 正直助かる。


2010年04月22日(木) 口にあったみたい…


母をデイに送って 町内会のサロンに出かける。
出る直前に「きょうだったでしょうか?」と近所の方から電話を戴く。
以前からお誘いしているが 日曜に出会った時再度お誘いした。
その一週間前 回覧板で「サロン」の案内もした。
昨年は 町内会が実質停止状態で回覧板も当然停止。
だから口コミと掲示板で告知していたのだった。

今日 その方も参加下さるということだ。

集会所に出向いてみると回覧板を見た方が「参加してもよいでしょうか?」と問い合わせもあったという。
と言う事で 新入会は2名。

初参加の方は「楽しい会ですね。来て良かったです」と担当している者は ホッと胸を撫で下ろした。

今日は 母が時折使う ストレス解消ボールとかお手玉を持参してみた。
介護が始まる前の方に また 高齢者の方に事前に知っていただくと良いのかなと思ってのこと。
「へぇ 気持ちいいわね」「今は こんなものもあるのね」等みんなに面白がって貰えた。
特に講釈はしない。
お手玉は母が 10年前作った物で中には 母と一緒に散歩した時に拾った数珠玉とエゴの実を入れてあるとだけ伝えた。
「認知症になっても 一緒に楽しめる事はあるよ」って事を伝えさせて貰った。

その前にも個人的に聞かれて伝え 介護のヒントを得られたと喜んで貰えたので…。

午後は 買い物に出て母の介護に必要な物を購入。
デイ帰りの母は 特に変化はない。
デイのズボンで帰宅したので 排泄時に濡れたのだろう。

夕食前のバナナを食べている時 みかんを買ってきた事を思い出して 皮を剥いてバナナと一緒の更に載せた。
母の手が伸びて みかんを取り口に運んだ。
バナナは手にしてもグニュってしてしまう事が多いのにみかんは綺麗に全部食べ 追加の1個もなくなった。
時にみかんの汁で噎せる事だってあるのに今日は 噎せなし。
きっとおいしかったんだね。
元気な者の口に入る事はないけれど…。

そうそう夕食前 トイレ誘導し「大」排出。
これで 通常に戻れた筈。

夕食も順調に食べる事が出来た。
口腔ケアを済ませたあと 母は口の中に指を入れる。
ここ数日 そんな場面を目にしている。
歯は殆どないかけらが1本と後1つは歯ないが 歯根の残っている風のところがあるのだが どうもそこら辺みたい。見た目には 変わりはないのだけれど。
回転歯ブラシで 舌や歯茎を綺麗にした後で 更に口腔ケア用の綿棒に口腔ケア用の液体をつけて その辺を中心にお掃除。
良くなってくれればよいのだが…。
夜間の噎せは 就寝前にツバをガーゼで吸い取ってあげるようにしてから 随分改善されたように思うのだが 単なる偶然かも知れないので様子見。

昨日とは打って変わったお天気模様。
さ・む・い。
明日も寒いとの予報。
デイへ行く時の服装に迷う日々。


2010年04月21日(水) 頭では理解しても…


デイのない日である。
1日 母と過ごしながら ふむふむと思う。

同じ部屋に母と二人しかいない。
洗濯物を母の隣で畳み 箪笥に収納するため母の後ろに移動する。
ほんの数十秒。
斜め後ろからとんとんと肩を叩くと母は手を振り払う。

連続した記憶がないから驚く。
これが母の正面で作業していると連続した時間が流れる。
何をしていたか忘れても 一緒にいる人と記憶維持される。

理屈では判っていても 実際の場面では ついつい忘れる。

午前・午後と幾度かビーチボールで遊ぶ。
ボールをうまく受ける時があるが それが連続しない。
受け取りやすいように投げるのだが 手を全く出さず無反応になる。
そして「ぼーる頂戴」といっても 返す事は10回に1回程度。

この辺りが やっぱり進行しているんだなと感じさせられる。
昨年は 辛うじて自ら手を出して キャッチして嬉しそうな表情をしていたのだが…。

できなくなった事を数えても仕方ないのだけれど…。
「楽しい」と思うことがどんどん減っていくのは なんだかなぁって思ってしまう。
せめて美味しい物で…と思うけれど カバー出来なくてなっているし…。

いやはや 今日はできない事ばかりに目が行く日だなぁ。

今日もよくおしゃべりした母。
トイレで立位体勢を取った時「おっかなくないよ」と。→怖くないよ
何故 言ったのかなぁと考えてみると 動いた瞬間に発したので 立位の時怖い想いをしたことがあったのかなと言う事くらいしか思いつかない。

「夕食何しようかな?」と思った。
食物繊維を主にしようと思った。
冷蔵庫をあさると大根・蕪等がある。
このパターンだと最近 お醤油味だ。
それに人参玉葱と鶏肉を足して バターで炒めてカレー風味のお汁にした。
カレー粉を使ったので トロミは出ないが蕪できっとトロミが出ると思った。
更に 少しの甘みを加えようとマンゴー蜂蜜を加えた。

久しぶりのカレー。
母の口にあったみたい。
口に運ぶとにっこりした。

母も食べやすい物と献立を考えると材料も限られてきて…頭を使わないと同じものが周期的に出る事になりやすい。
程よい頭の体操で スカスカの脳みそが刺激されるかもなぁ。

そうそう 新聞で読んだけれど 脳トレ効果を検証しようとする動きがあるみたいだ。母には大分使ったなぁ。
でも トレーニングする事が目的ではなかった。
詞や諺等が好きな母だったので 二人で遊ぶための1つの道具として使ったのだ。

剥きになってしまって 母にはつらい思いをさせた事があり 辛いと追い込むだけで周辺症状等悪化する事も既に経験したあとの話であるけれど…。

今だって 母にとって良い事ばかりではないかも知れない。
取り組んでいる時は なかなか見えないことも多い。
出来る限り 距離を置いて考えるようにしていきたいとは思うけれど 愚かな娘には難しい…。


2010年04月20日(火) あと 1歩


 昨夜は 午前零時過ぎまで ウトウトしては目覚めて その後も幾度か声を上げていた。そのつど トイレ誘導し 朝となった。

今日は 娘と免許更新に出かける日。
夫を送り出して 自分の支度を途中まで済ませ 母を起こそうとした時電話が鳴った。
娘から…と思って出ると 介護仲間だった。
「今日 逝くかも…。ちょっと来てくれない?」との電話だった。

母をデイに送り出す準備があるので一瞬迷ったが「今の今 困っているんだ」と感じ 母をベッドに寝かせたまま 仲間の所に走った。

ガーガーと鼾をかいていて 呼びかけても全く反応しなかった。
アロマオイルを持っていったので 手や足にそうっとぬって差し上げた。
いろいろ話しかけてみるが 微動だにしなかった。

若い義兄が亡くなる時には もっと力強い鼾だった。
父の時は 鼾はなくて意識もあった。
施設では こうなってからも暫く頑張れる人もいた。
それぞれ 与えられた命と言うものがあるのだなとつくずく感じた。

「少し気持ち落ち着きました。もう大丈夫です。午後には訪看の人がみえるので…」と言われ 家に戻った。

在宅で独身男性 1人で受け止めるって辛いだろう。
いや 男性だけじゃない 重篤になった時当事者を見守るって…誰だって大変だと思う。

家に戻って母に「ごめんね」と謝った。 
起床・トイレ誘導・着替え・洗面・食事介助をしてデイに送り出した。
娘が来るまでの時間 洗濯もできた。生憎の雨だったけれど…。

それから免許センターに向かい 無事更新できた。

遅い昼食を済ませ 買い物をして母を迎えてから 介護仲間に電話してみた。家電には出なかったので「若しかして…」と携帯に電話した。
すると「昼過ぎに亡くなった。明日葬儀社が花準備してくれるって言ったけれど 何もないのも寂しいので花を買いに来ている」と言う事だった。
1人だと やはりこうなるんだなぁ。
もっと早く電話を差し上げればよかったのだな。

急いで 母に夕食介助して 口腔ケア後 またベッドに向き合わせて座ってもらい「ちょっと待っててね」と仲間の家に走り 線香を上げさせて戴き 少し話をした。
実は お化粧の道具を持って出かけたのだ。
「お化粧して差し上げても良いのかしら?」と伺った。
すると「明日 葬儀社の人が来て 化粧してくれるって言っていました(なにやら横文字であったが…生憎忘れた)」と言われたので お任せするのが1番ということに。

聞けば亡くなったお母様が「死んだらここに電話すれば 全てやって貰えるからね」と生前に伝えていたそうだ。

家に戻って また母に謝った。
それからトイレ誘導して「大」排出。

暫く 母と遊んだ。
来るべき時のことがつらつらと浮かんだ。
でも今元気なんだから その時はその時と呟く。

パジャマに着替えてトイレ誘導して ベッドへ。
10時過ぎ再度トイレ誘導。
「なにするの♪」と寝ぼけ眼で言う母。
「トイレ行きましょ」というと頷いた。

昨日は 苛立って拳あげてた母だけれど 今日は 穏やか。
「小」排出後はまた直ぐにzzz。
昨日 あまり寝てない事もあるだろうけれど…。

以前ケアマネに「退行しても翌日には取り戻せる」といった時「そんなに早く復帰しますか?」と驚かれたが…。
みんなそういう訳でもないのかな?
だとすると母の前向きさのおかげなんだろうなぁ。


2010年04月19日(月) 突き刺すような視線


施設に母を迎えに行く。
最初は 利用料の清算。
それから ショート中の様子を伺う。

食事は 今日の昼食半量残した以外 全量摂取しました。
夜間も眠っていました。
土曜日に入浴しています。
ショート中 ヨーグルト等食べて貰いましたが 排便はありませんでした。
これが 母を受け容れてくれた施設の心配事の様子だった。

「ヨーグルトでも駄目でしたか…。次回は 便秘薬持たせた方が良いでしょうかね。でもきっと家に戻れば出ると思いますから 心配なさらないでください」

話が終わる頃 母は降りてきた。
もう拘束ベルトは着いていない。ケアマネを通じて申し入れたことで改善されたのだろう。でも ショート中は 拘束あるんだよね。

母と視線が合い頷いてみたが 母はとても怖い顔をしてじっと私を見つめた。
「どうして こういう目に遭わせるの!」と責められているような視線だった。
ショート中 職員にこういう視線を向けていたのだろうか?

「ありがとうございましたでしょ」と母に言うのだが 無理。
「お世話になり ありがとうございました」と介護してくださった方にお礼を伝えた。職員は「おかあさんでしょ!」と母に言っていたが そ知らぬ顔をしていた。
きっと「おかちゃん」は私を呼んでいるって思っているんだわね。
「おかちゃん」は訴えごとがある時が多いって伝えてあるのだけれどねぇ。

送迎バスに乗り込んで 施設の敷地を抜けて車窓からの視界が広がった時初めて「ほうっ」と大きなため息をついた。
家までなんて ほんの数分なんだけれど ゆっくりと穏やかな表情になってきているのが見て取れた。
車から降りる時には ちょっと硬い表情になったが 職員に別れを告げる頃には言葉も出てきた。

家に入って トイレ誘導してお腹をマッサージ。
「大」「小」排出できた。まだ 残量はあるかも知れないが直ぐに排出はなさそうな気配なので無理はしないことにした。

おやつを食べたら笑顔が出た。
着替えをして食事を待つ間に いつも通り。
夕食を口にする頃には ニコニコ笑顔。

口腔ケアを済ませて ゆったり過して トイレ誘導後就寝。
うつらうつらしているが熟睡と言う訳ではなかった。

10時ごろ トイレに誘導したらトイレの前で怒って その後泣き出す。
タイミングがずれたのだなと判った。
便座に座った時怒りが一気に吹き上げたようで 「おまえなんか…」と拳をあげた。 滅多にないことである。
理由は読み切れない。
でも何かに怒っているのだろうと思って「ごめんごめん」と謝った。
「ハッ」としたように私をまじまじと見つめて それから哀しそうな顔をして俯いた。怒りたかったら正直に怒ればいいのに…と哀しかった。
もう家なんだから 我慢しなくていいのに…。

水分足りているのかな?熱発はないし「小」も出ているし…。
量は気持ち少なめなので 多少水分足りていないかも知れない。

トイレ誘導時は 足を上げてしっかり歩けた。
最近の夜間誘導にしては しっかりしている方だった。

ベッドに入ると静かに横になっている。
此の儘 落ち着いていてくれればよいが…。

午前零時 トイレ誘導。「小」排出。
ちゃんと間に合った。
手を前に出して 私の顔を撫でてくれた。
介護を採点されている気分になる。
満点を狙うなんて 出来が良くないから所詮無理な話だから…そこそこね♪

ショート帰りだけれど 取り返しのつかないこともないので よしとしなくては…。


2010年04月18日(日) 「介護中」の切り札

町内会 最後のお掃除当番をした。
町内会の班長の仕事のひとつに集会所のお掃除がある。
2班一組で 年2回お掃除が廻ってくる。

もう4月だけれど 新旧引継ぎが行われるまでは旧の担当。

先日 ペアの班長さんと「今日」と約束をした。
朝からからりと晴れて お掃除日和。
ふたりでせっせと作業。

「あのね 今介護なさっているのでしょ。10年前のことを思い出し大変だろうなと想像できました」と話してくれた。

☆町内会の役員選出の時に「94歳の母を介護中の身」と言ったら それま  で「忙しい」と言っていた若い人まで絶句させてしまったのです。
 でもね「大変だ」とか「忙しい」なんて一言も言わないですよ☆
 
お掃除の当番のペアの方は 独身で私などよりずっとお若い。
聞けば 35歳で見送られたと言う事だった。
就労中の介護で婚期を逸してしまったとも話されていらした。
「いやまだまだ大丈夫 お若く美しい」と思ったのだが 良く存知上げない身なので余計な言葉は慎んだ。

先輩友人の中には 定年して数年経ても独身と言う人も数名いて その生き方も素晴らしいと感じるので 結婚が全てと言う事ではないことは承知しているからである。

お掃除を終えて 家に戻って腹ごしらえを済ませて 美容院へ。
「今回は早いですね」とオーナー。
と言っても2ヶ月にちと足らない程度。
昨年は 休みなく母の所の通う日々で 時間に余裕がなかった。
今年は ショートやデイがあるので用事がなければ 行ける。
気持ち的には ひと月に1度は手入れしたい所である。

美容院から戻って 介護仲間を訪問。
まだ 落ち着いていらしたが 痰吸引が始まっていた。
看護士さんも連日訪問くださっている様子で 今日も見えたそうだ。
「痰がうまく取りきれないので 看護士さんに助けられています」と話されていた。1人で受け止めていらしているのですよねぇ。強いです!


2010年04月17日(土) 親戚中の宝だって♪


「さむっ!」
思ったより気温の下がりが強かったので 身が縮こまった。
外は 予想以上の雪だった。

今日の予定はキャンセルとなり 思わぬ時間の空白に「友人の所に行こう」とひらめいた。
でも よくよく考えると依頼されている事の準備がまだ真っ白。
気を取り直して PC作業することにした。

いつでも出来そうな気がするのだが そうではない事はうすうす感じ始めている。それに 母にアクシデントが起きるとお手上げとなる。
迷惑をかける訳には行かない。

作業を始めてみるとやはり 予想以上に手間がかかりそうである。
ゆとりのある時にゆっくりじっくり取り組んで行かねばなるまい。
頭の体操にはいいかも知れない。

先日 同級会に出かけた夫 義兄といろいろ話したみたいだ。
聞けば…。
「お母さんは?」と聞かれて
「夜中に 手を引かれてエッチラオッチラトイレに行っているよ」と言えば
「お前は何もせんのか?」と突っ込まれたらしい。
「俺の親じゃないし…」と言えば
「おまえなぁ。94歳なんて 親戚中見渡しても いないぜ。そう考えると 親戚中の宝だぞ。大事にしなきゃなぁ」と言われたらしい。
おじ達にも「94歳の母と暮らしている」と話して自慢しているらしいのだ。

夫の兄弟達が 実の兄弟より母に想いを寄せて貰える幸せをじんわりと感じる。自分の弟の苦労より 母への想いを優先させてもらえるなんて 誰でもが経験できる事ではないだろう。

介護のことでは反撃の余地なしの夫は 写真が趣味でコンクールでもグランプリを取っている義兄に「そんだけ高いデジカメで光りをあてて撮影し画像をいじくって…写真とは言わせない!」と反撃してきたという。
人が楽しんでいることにけちつけなくとも…と思うけれど 兄弟間の話だから気遣いなしでよいのだろう。

深刻な話も出た。
山にトンネルを作ったら川の水が干上がってしまったと言う話。
トンネル工事のときに地下水の道を分断してしまったらしいのだ。
今時 地下資源のこときちんと検査しておくのが当たり前のような気がするのだが…どうだったのだろう。
井戸水を使っている所では 断水となって慌てて水道工事をしていると言うのだ。なんとも哀しいお話だった。


2010年04月16日(金) 嘘でしょ!深夜の雪!!


走った走った。
朝から 町内のこと 会のことで動く。
準備万端整えたつもりだったが 不備があり 家に戻って それから介護者の会へ。

会では 中身の濃い話となった。
施設や病院に介護や医療の方針の話を率直に要望したり質問出来る人ばかりではないということをあらためて知った。
勿論聞きにくい事は 体験済み。
ここで 経験者に応えて戴き 質問しても特に対応に変化はなかったという話を話して戴いた。
もじもじしている介護者の背中をそうっと押して上げられたのだろうと思うが…どうかな?

他にも いろいろの話が出た。
認知症の人の手術についても迷っている事を話された方がいた。
その方も 他の経験済みの介護者の話から 自分はどうするかを決める大きなヒントを得たそうである。

会が終わって また役所にすっ飛び無事片付いた。

家に戻って 軽く食事して今度は夜の会合へ。
あるイヴェントの実行委員会だが 委員の数が昨年の半分。
心細い限りではある。

会議は長引き 予定より30分遅れて修了。
買い物をして家に戻ったら もう10時。

さすがに今日は眠い。
昨日 寝る時に時計を見たら 午前3時だった。

今日は 北風が吹いて手が切れそうな寒い日だった。
今 娘から電話が入って「雪降っている」と言う。
ドアを開けたら ほんと雪降っていました!!!

母の着替え 春物も加えていたがこれじゃ寒かったのではないかぁ〜。
施設内は暖房も入る筈と信じている。


2010年04月15日(木) ショートに送り出して…


母とショート先の送迎の車に乗って施設へ。
施設では 相談員さんと職員さんからの聞き取り。
前回からの変化の質問を受けた。
前回のショート中の事を踏まえて このひと月どうだったかということだ。
家でもデイでもショート中に起きているような事はないと伝えた。
但し 施設で暮らしていた頃は同じようなことがおきているとも伝えた。

その事で 申し入れするつもりはない。
「施設においては 施設の判断で…と思っている」と伝えた。
こういう態度は 母にとって良い介護者とは言えないだろう。
母には「ごめん」である。

3泊4日のショートでダウンする事もあるのだが 怪我がある訳ではないので
家に戻れば修復出来てきた。
母は まだ何とかなる状態だから助かっているだけの事なのだけれど…。

不安そうな母なので「心配そうね」と言ったら そばにいた相談員さんが「そういわれると此方も不安になります」と。
職員の前で言う言葉ではなかったなと反省。
職員の方の正直な心情吐露の言葉だろうけれど…。
不安そうな表情を読み取ることも技術だろうと思うけれどそこまで望んでは気の毒かな?

不安そうな顔をしていても結局母を置いていくんだから 身勝手な介護者だよねぇ。

急いで家に戻って 出かける支度。
お昼にかかる会議で途中昼食を購入しようと思ったが 電車のダイヤが大幅に狂っていてそんな時間もなく会場へ入った。

それから 夕方の5時ちょっとまで会議。
会議を終えて会場を出て 仲間と夕食。
お昼を飛ばしているので…。
夫には 場合に拠っては食事外で済ますかも…と伝えてきている。

地元に戻って買い物で物品の補充と食品を購入。

夫が帰宅して 話し込む。溜まっている話をじっくり聞く。
壊れたテープレコーダーのように同じ話を行ったり来たりもあるのだが それも普段ゆっくりと話す機会がないので致し方ない。

母がいない日に溜めた作業を片付けたい所だが…そう思っただけで敏感に感じ取るのでそぶりも見せられないのが現状。「私 暇です」と。

夫が眠ってから 作業続行。
町内会のことも早急に提出してくださいと電話が入っているし 介護者の会の別件も…。
受けなければ こうはならないんだから 受けた自分の責任である。

これから 明日の事も含めてパタパタ作業しておかないと…。


2010年04月14日(水) あわわわ!!


夫は 仕事で早朝に出かけた。
目が覚めてしまったので 昨夜仕込んでおいた昆布や鰊をクツクツと煮た。

いつもの時間に母をトイレ誘導し 起床。
朝食介助。
その後トイレ誘導し「大」排出。

このトイレ誘導時 トイレの前に来たら…。
「こさ はいんのか?」(ここに入るのか?)と言った。

母は移動のたびに 言葉にしなくとも予測をたてているのだろうか?
それを言葉にしたということなのだろうか?
介助の時には 出来る限り「立ちますよ」「座りますよ」「ご飯ですよ」「お芋ですよ」とつどつど先に呼びかけてはいるのだけれど…。
思いがけない言葉が 嬉しかった。

そして 後はお鍋の火加減を見ながら 母と1日ゆっくり過ごせる筈だった。

午前中は 小さなボールをテーブルで転がしたり 古いアルバムを見たり…。
昼食後は訪問リハビリを受けた。

母の寝室でビーチボールでキャッチボール。
気が付くと臭う。
あちゃ!!
午前中で「もう大丈夫」と思っていたが…どうやら緩めの様子。
そして ちょっと悲惨な状態が予測できた。

とにかく お湯や布や廃棄するための袋等準備してから手当て。
ところが 気持ちが悪いので母の手は動く動く。
「あぁ〜!!!」と思わず大きな声が出てしまった。
その瞬間 母の手が私の腕をぴしゃりと打った。
意識的である。怖い顔をしていた。
こういうことは 殆ど起きないのだが…。

「ごめんごめん。でもほらばい菌が付くでしょ」と謝り つどつど手を拭いた。
それから 汚れが拡散しないように先に手当てをしてから お腹に残っている物を排出して貰った。
誰でも トイレ外で排出する時は我慢している筈だから残っている筈と思ってのことである。

手当て終了後「お掃除するから待っていてね」と寝室の椅子に座ってもらう。
いつも「大」終了後はこんな風なのだが…。
今日は 下洗いも含めてすっかり長くなってしまった。
母は ちゃんと頷いて じっと待っていてくれた。

いやはや 母のサインに気が付かなくて悪かったなぁ。
それにしても 急な対応で慌てて ついつい声も大きくしちゃって…。

暫くして母にそれ以上のことが起きないと判ったので 介護仲間の所へ。
毎日夕食少し前に 我が家の夕食の副菜を勝手に届けている。
いくら覚悟していても デイもなく家に篭りきりになるし 人に逢う事もないだろうし…。
昨日立ち寄った時は 訪問看護の方が見えているところで早々に帰ってきたのだが やはり 今は小康状態のようだ。
訪看の方も「まだ 大丈夫そうですね」と話されていたそうだ。

医師がいくら命を推し量っても 人の命は計算通リにならない事は これまで親戚や父のこと等で経験している。
父なんて「年内に…」と宣告されてから 特別の処置もしていないのに7.8年命を延長させて貰ったのだもの…。

彼も少し体調に変化が出てきているようなので 何らかの手助け…と思っている。
ショートもデイもなく1人で向き合うのは 疲労度もかなりの物だろうと思うから。

家に戻ると母は 出て行った時の儘で一安心。
急いで母の分の食事を作った。
この所「大」硬めで量もやや少なめなので 水分と繊維物を意識して多くしてたので 元に戻す事にした。

明日からショートだし 大量排出は丁度良かった。
明日は 昼から会議ふたつ 明後日も午後・夜と予定が入っている。
ショートはそのために組んである訳で…。
もう少し手厚い対処して貰えるなら1週間ほど使いたいけれど 致し方ないのだわ。

それより 明日からまた冷えるっていうから風邪引かないようにしなくちゃね。


2010年04月13日(火) 季節の変わり目は…


季節の変わり目は 衣類の調節が難しいが 今年は寒暖の差が大きくて
どうしたものかと迷ってばかり。
おそらく真冬のような厳しい寒さはないのだから 片付けても大丈夫なんだろう。現に お湯を入れたペットボトルで手を温めなくとも間に合うくらい気温はあがっているのだから…。
明日は気温が下がるっていう。
下着で調整か上着で調整か…悩みどころ。

母がデイに行っている間 少し衣類の出し入れをした。
冬物をしまっていないので箪笥パンパン。

木々には 透るような若芽が葉を広げ始めた。
ふるさとの親戚から貰ったウコギに新芽が広がった。
山椒の木にも新芽が広がっている。
「はやくしなくちゃ」と焦る日々。
今日は ウコギの葉を摘んでお浸しにした。
独特の薫りと甘みが美味しい。
母にも明日ご飯に刻んで入れてあげよう。
山椒は 大分前に1度芽を摘んでラップに並べて冷凍した。
次は 佃煮作らなくちゃ…。
蕗も大分大きくなってきている。
佃煮を作る時を待っている。
時期を外すと蟻さんがいっぱい上って 洗うのが大変になってしまう。

プランターに蒔いたルッコラや春菊等の目も双葉を広げ始めた。
菜園は諦めたけれど…。
庭の隅に作った畑らしき所に植えた韮・三つ葉等もしっかり根を下ろした様子だ。
模擬菜園なので何処まで育つか判らないけれど ちょっとだけ楽しみ。

もう少し庭に手を加えたい所だけれど 今は手が廻らない。

母 昨日、今日と眠そうで 早目にベッドに入って朝も結構ゆっくり。
途中トイレ誘導は何回かあるけれど ベッドに戻れば直ぐに寝入ってしまう。
というか 最近 訴える事がますます少なくなってきて…此方がころあいを見計ることが増えて来ている。
調子が良いから訴えごとがないと思いたいところだけれど…注意しないとなぁ。

そろそろ トイレ誘導の時間だわ。
今日は ここまで。


2010年04月12日(月) 口腔ケア用品は…


昨晩遅く ふるさとの話題満載で夫は帰宅。
義姉たちや夫の友人から 沢山のお土産を戴いて…。

今朝は 母を送り出してから 義姉にお礼の電話をかけた。
「身体壊さないでね」と優しいお言葉。
「ありがとう♪でも 手抜き上手で 出来る範囲でしかやってないから大丈夫」と伝えた。
「それよりもご無沙汰で…」と詫びたら「そんなことは 心配無用」と。

午後一で買い物に出かけた。
母の物を調達が1番。他に食料を。
口腔ケアの用品は薬局では扱っていない。
薬局では「介護用品を売っているところで…」と言われた。
でも どこかで見たなぁと考えて思い出し 出向いた。
スポンジが数種類置いてあった。
どれが母に合うのか判らず 数種類購入してきた。

家に戻ってから ちょこっとおかずの差し入れを持って近くの介護者宅を訪問した。昨日は 母を置いてなので玄関先でちょこっとお話だったが「逢って行く?」と聞かれて「ハイ」とお母様にお逢いした。
思ったより顔色がいい。
「いや 1週間って言われたけれど ゲソッとしてないんだよね」と言われたので
「それは もっと長くなったらのお話よ」と伝えた。
もう1人の息子さんも見えて「なんだ まだ元気じゃない」と安心なさってたと言われた。

水分摂取をやめたと聞いていたので唇が乾いていないかと心配だったが思ったよりずっと良好。
聞けばプリン等を少量ずつ食べさえていると言ってた。
「良かった♪」
「お母さん 優しい息子さんでお幸せですね」と言ったらもごもごと口を動かしていた。

「口腔ケアしている?」と聞いたら「スポンジブラシを訪問看護の方が買ってきてくれた」と見せてくれた。
値段を聞けば 私が購入した物と同じで値段はかなり安かった。
ほんとうにいい看護士さんに出逢っているのだなと感じた。
「いや さらしをカットしておいた物の方が使いやすい」と言われた。
私も 夜母に使ってみて ガーゼの方がずっと効果があるし処置しやすいと感じた。

別に噛んでしまう訳でもないので 介護用品でなくとも大丈夫そうだ。

家に戻って母を迎えた。気温が下がりかなり寒い。
バナナを食べて貰いながら 夕食の支度。
食べ終えて暫くするとニコニコ笑顔。
その後トイレ誘導し「大」排出。

寝室で暫く過してトイレ誘導後 ベッドへ。
直ぐにzzz。

今朝は 特別冷え込みもなく かといって温かい訳ではないのだが 汗をかいていた。着替えが必要な量の汗。
昨日は 夜トイレ誘導後も意識的に体位交換せずにいたのだが 汗の原因はその辺りにもあるのかなぁ。

母が寝てから 今年定年退職した筈の元同僚に電話をした。
「1日誰ともしゃべらないのよね。これは 良くないと思う」と話してた。
「それより お母さんどう?あなた疲れない?」と。
「双方元気よ♪毎日 楽しいよ」と近況を伝えると「うん 判るような気がする」と。「困った時は いつでも言ってね。自分は親の面倒見られなかったから 1度はしておくべきと思っているから…」とあり難い言葉を受けた。

母の助っ人は 近々はないし…それより お互い楽しもうよと言う事になった。


2010年04月11日(日) 母を置いて…


 朝 二度寝をしてしまった。
起床は大幅に遅れた。夫も留守で 気も緩んだろう。
娘に起こされて飛び起きた。
母をトイレ誘導し 遅い朝食。

朝食を済ませて 洗濯をして それから投票所へ。
夫は不在者投票を済ませているので 母を連れて投票に行くつもりだったが娘が泊まってくれたおかげで 母を任せて出かけられた。

戻ってから 昼食の支度をした。
娘を送り出そうとしている時 新年度の班長さんに話を始めたらすっかり長引いてしまった。

我が家から始まって これから3年は 転居してきた人に班長の役目が廻ってくるのだが その順番をどうするか…ということで 子育てで忙しい世帯へ一番先に打診したのだった。
私もそうだが 町内会の活動ってどんなことがあるのか殆ど理解できていないので この1年のことや経過を伝えたのだった。

ようやく話し終えて 娘を送り出してから母の昼食。
トイレ誘導 入浴介助としているうちにもう夕方。

入浴介助している時に電話が鳴ったが出られなかった。
折り返し電話をすると先日訪ねた介護仲間だった。
あれから 急変して食事も摂られない状況になったそうだ。
「ショート先を探す事はもうしないで大丈夫。医師から この一週間のうちに…と言われた」と。
1人で受け止めるには 結構辛いなと察せられた。

母を椅子に座らせベッドに向けた。 
急いでその方のお宅を訪問した。
家から駆ければ 3分位のところである。
「出来る限りお手伝いします。いつでも言ってください」と伝えたら「その事は何とかできると思う」との返事だった。

ただ 看護の選択をして胸中穏やかでない様子。
先日一緒に見えた方も在宅で看取られた方。私も後行く立場だけれど 同じように考えていると伝えた。
「それを聞いただけでホッとした。毎日『ごめんな』と謝ってるんだ」と話してくださった。

終末期の選択は どちらを選んだとしてもやっぱりしんどく辛い。
まして1人で対処。
その辛さを消してあげることは出来ない。
でも 辛い心に寄り添ってあげることはできるかもしれない。

「手当ては無理にしても 困ったらいつでも電話頂戴ね」と伝えて急いで家に戻った。
母は 出て行った時のまま ベッドに向って座っていてくれた。
「1人にしてごめんね」と謝って 慌てて夕食を作って介助。

食後片づけをしていたら 母入れ歯を外し 手に持って私に渡すポーズ。
タイミングが良いというか偶然と言うか…思わず笑ってしまった。
口腔ケアを済ませて 寝室に移動して洗濯物たたみ。

1日 あれこれ追われて母とゆっくり向き合えなかった。
夕食後 ゆっくりと向き合っているとようやく本来の笑顔が出てきた。

今日は「大」2回なので 母はすっきりしている筈で 私も気持ちのゆとりがある。
明日のデイの準備も済ませて 眠そうな顔をし始めた母にパジャマに着替えて貰いベッドへ。

考えたら 自分の昼食すっ飛ばしてしまった。
慌てて 夕食の準備。
ご飯にありついたのは 9時過ぎ。
時折母を見に行くが 最初は身体を起こしていたけれど 30分も経過しないうちに深く眠っていた。

メールの返事や礼状等あれこれ溜まっていて失礼を重ねている。
母がデイに出かけたら 溜まっていること順番に片付けることにしよう。


2010年04月10日(土) 町内会


夫がふるさとのクラス会に出かけるので その支度。
実家にも泊まるだろうと思い 気持ちだけの手土産を準備しておいたのでそれらをまとめ 着替えや出かける衣類の準備等を母の様子を見ながらパタパタ。
夫は 仕事があるので 朝出て お昼頃に戻りふるさとに向って出発。

夕方 早目に母の食事を準備。
夜 町内会の話し合いが予定されているからである。
留守の見守りは 娘にお願いした。

町内会は 新年度げバトンタッチするための最期の話し合い。
会長が下り 役職にいた方も いろいろあって退会なさったり 亡くなって空席になっていた為 会長及び役職の方を選出する必要がある。
これが あちこち当たって貰ったがやんわりと断られたようだ。
と言う事で 旧年度から選出する事になり 何とか落ち着いた。

結局 これまでの役職の方達より 若返った。
若い方も子育て等で忙しく 高齢者や団塊の世代に…という気持ちもあるようだった。確かに若い人からみれば 第一線を退いた人は 時間に余裕があるように見えるだろう。
でも実際 生活習慣病や介護等も始まっているのだ。

あ 私。母と一緒に暮らしていることを理解していただけました。

家に戻ると母はお目目パッチリ ニコニコ笑って テレビをみていた。
発売前のDVDなのだが 笑いながら見ていたよと娘は言っていた。
暫く 3人でビデオをみて…それからトイレ誘導しパジャマに着替え ベッドへ。

その後 夕食の準備をして遅い晩御飯。

今年度 娘は部署移動となった。
気合を入れて他社との企画に取り組んでいたが それが中途で終わってしまう事に失望していた。
他社の方が あれこれ申し入れをしてくれたらしいが留まる事はできなかった。
社内的に 数年部署外に移動しまた戻るというローテーションがあるらしくこれまで移動がなかったので致し方ないのだが「なんでこの時期に…」と感じていたようだった。

どんな風に気持ちの整理をして行くのかと親として ほんのちょっと心配していた。でも何とか 新しい部署に移動しても これまでの仕事にかめる道を探し当てたようだった。
娘を必要としてくれる人たちの存在を知り 有り難い事だと感じ入った。

極々親しい友人達もいろいろ心配してくれていたようで…その存在も娘を支えてくれたようだ。

実は 娘も窮地だったけれど 夫も頭の痛いことが続き愚痴が多くなっていたのである。

母の介助で目いっぱいなので その両方の話を聞くだけしか私には出来なかった。至らない妻であり母親である事を自覚もした。
きっと 母がいなくとも何も出来なくて聞くだけだったろうとは思っている。

夫は「クラス会には行かない」と言っていたが担任の先生から「君が来ないと楽しくないから…」と直々に電話を頂いて腰が上がったのだった。
ふるさとで少し気分転換できるだろうと思う。
 
夫も娘も周囲の方に暖かな風を頂き感謝である。


2010年04月09日(金) 元気な足


 昨日訪ねた介護仲間はベッドに柵をつけていた。
その柵には ぶつかった時に傷にならないように保護シートが巻きつけてあった。
ベッドに柵を付けるのは落下を防ぐためなのだろう。
施設でも在宅でもよく見かける。

母のベッドに柵はない。
母が就寝中 自力で寝返りを打つ事はない。
上体は 殆ど寝たままの状態。しかし下肢は動く。
向きを替える様な動きではなく足を伸ばしたり曲げたりだけ。

だから ベッドからの落下はおそらくない。
一応 危険回避のため タオルケットやカバーを敷き布団に巻き込んでおいてはいる。
先日 巻き込むのを忘れていたら足をダランとさせていたけれど それ以上動かす事はなかった。

寝返りを打てないんだから 体位交換は意識的に行っている。
何時まで柵なしでいられるんだろう。
柵があるとどうも柵に掴まりそうなので かえって母に良くないようにも思える。


2010年04月08日(木) 応援 おうえん♪


母をデイに送り出してから 介護仲間3人で役所に出かけた。
会を運営するための知恵を下さった課長さんへ一年の報告と今年度のことと住民の抱える介護の状況等を伝えるため。
当然しておいた方がベストだと判っていても ついつい介護優先で省略してきた。直接担当くださっていた方が 新年度で移動となり その時「課長に…」
というアドバイスもあった。それに 昨年は 課長の尽力もあって助けられたこともあったので…。

1時間ちょっとお話をした。
この時に 地域内の施設の事をお願いした時 あれこれと率直な意見をお聞きできた。
その意見が 此方で感じている事とぴったり一致しており確かな目を感じた。

役所を出て 介護仲間のお宅を3人で訪ねた。
前もって 訪問する事は伝えており 更に昨日 再確認を取っていた。
少し難しい課題があり デイやショート利用を控え始めているので気になっての事である。
独身男性で1人で介護なさっている方である。

訪問して感動したのは 訪問看護の方のこと。
彼が最も頼りにしている看護師さんである。
ナースは 抱き枕やマット等を自腹で作ってあげていたのだった。
看護の手当てのアドバイスもかなり細かく伝えていることが見えた。
個人の資質だろうけれど 独身で1人で介護していることを汲んで下さっているのだろう。彼だって 受身ではなく 本当に前向きに介護なさっているのでそういうことも感じられていただろうと思う。
親の介護で手一杯で 思うほどに手を差し伸べていない自分がちょっと恥ずかしく感じた。
でも彼は こうやって訪問を受け 喜んで下さった。
上手に息抜きなさっているが でも介護にかけては孤立感は強い筈。
誰だってそうである。
あれこれと話して ショート以外で休息できるサービスはないかを探ってみる事にした。
ショートは利用したいけれど「怖い」が本音。
母の場合もいろいろあるけれど 母に我慢して貰えばまだ利用できる状態である。

その後仲間と昼食を一緒に食べた。
先輩から「ごち」になってしまった。

買い物をして家に戻って 母が帰ってきた。
母浮かぬ表情。
先ずはトイレ誘導「大」排出。
その後バナナ。
それでも表情は冴えない。何処か調子が悪いのかとあちこちチェックしてみるが特に見当たらなかった。
急いで夕食の支度をして食事介助。
ようやく笑顔が戻った。
食後暫くすると今度はこっくりこっくり。
空腹もそうだけれど眠いのもあったようだ。
でも食後一時間は辛抱して貰わねば…。

と言う訳で 母の隣で洗濯物を畳み 母のものは母のひざの上に重ねて行くようにした。これだけでも眠気は多少飛んでくれる。

洗濯物を片付け トイレ誘導してパジャマに着替えて貰って ベッドへ。
時折 口の中にツバをいっぱい溜めて噎せる。
サラサラしたツバである。
これが 今後の不安材料となっていく事は承知している。
何とか方策はないものかと只今試行錯誤中。

今日は 寝る前に殺菌ガーゼで口の中のツバを何回も吸い取った。
これで解決する訳ではないのだが 噎せないようにするための1つの方策。
これで 多少緩和出来るなら 口腔ケア用の製品を購入しておく必要があるだろう。これは 対症療法に過ぎないのだろうが。

起きて来るだろう事は想定しているので 強い焦りはないのだが やっぱり母に踏ん張って貰いたいんだよね。


2010年04月07日(水) 目覚めた こ・と・ば?


気温が下がり 午後には雨。
母と家で過す。
意識的に部屋を移動しトイレ誘導。
気分転換と歩行リハ。

午後には 訪問リハビリを受けた。

時計と言う単語を久しぶりに母の口から聞けた。
施設に入所する前の約10年ほど 母はよく時計を見ていた。
時計を見ると決まって「おかちゃんが心配するからそろそろ家に帰ります」と言い出していた。
帰らなければならない理由は その時その時で変化したが 時計をみると次には「帰る」が始まると予測できたので 此方も「また始まる…」と身構えてしまっていた。

今家に戻ってみて やっぱり時計をみる。
でも次に言葉が出てくる事はない。
あの時は 時計を見られることは しんどかった。
今は ちょっぴりさみしい。
でもきっと 言葉にしないだけで 何かを考えているのだろうと思う。

言葉といえば…。
寝室からトイレへ移動する時 母は 寝室を見渡して「もちゃもちゃ いっぱいあるなぁ」と言った。
ギョッ!
話にも驚いたし きちんと見ていることにも驚いた。
そして「プッ」と吹きだしてしまった。それから暫く その言葉を思い出しては笑いが込み上げた。
母健在!
確かにぬいぐるみ等沢山の物が溢れていた。

療法士さんが見えている時も言葉を発した。
お母様の出身地がお隣の県で 療法士さんも聞き覚えのある方言だった。
なんて言ったか 今 思い出せない。

母がくしゃみをした時 私はいつもそのくしゃみに衝撃波を受けたかのように後ろにのけぞるようにしている。
今日もくしゃみが出て のけぞったら「ごめん」と母は謝った。
以前は 決まって出ていた言葉だが 最近は 何の反応もなかったのだ。 数年ぶりにその言葉を聴いて嬉しくなった。

母の前で新聞を読み出せば 決まって新聞をとんとんと叩いて「私をみて」とアピール。
母の目の前を通る時は大概目と目をあわせるようにしているが 時折 顔も見ないで過ぎてしまう時がある。
すると母は 手を上げて何か言葉を発する。
「私 ここにいるんだからね」と存在を知らせていると感じる。
「あ ごめんごめん」と母に謝ることになる。
するとニコッと笑う。

家にいると 言葉を聴く機会が増えて「わぁい」と嬉しくなる。
これまで ただ言葉を使う機会も過せていたので 頭の中で眠っていたのだろう。言葉が目覚めてくれて嬉しい。


2010年04月06日(火) きらきら光った みんなの想い


介護者の会のある日。
母は いつもと変わルことなくデイへ出かけた。

数日分の湿った洗濯物を出して 更に大物の洗濯をして 気になっているトイレのお掃除を念入りに。
雨降りが続くとトイレは湿度が高くなり 埃の取れてないためかカビが出ることがあるのだ。
母の排泄後の洗浄等もトイレで済ますので更に良くない。
いつも 使用後は拭き掃除は欠かさないのだけれど それでもきっと手抜きを否めないのだな。

午後 介護者の会へ。
でもその前に 母のものを購入するためスーパーへ立ち寄った。
食材は 帰りの方がいいが 雑貨は売り場も違うので買い物を短縮するにはそうするしかない。
明日でもよいのだが デイのない日でお天気次第で外出不可能になる事もあるので出来る時に…。

会場につくと ボランティアの方が パタパタと会場準備してくださっていた。

今日は 新しい方も見えた。
また 暫くお休みなさっていた方も見えた。
介護が困難に思えてきたようだった。

最初に話された方が 大分具体的にゆっくりと話された。 
中期に差し掛かった方なので 皆さん頷いて聞かれていた。
認知症と判っていてもついついまともに受け止めてイラッとする時期の方。
正直な話なので 皆さん思い当たる事も多いようだった。

そこから 次々とお話が出て 貴重な体験をお聞きする事が出来た。

最近介護者の方が「否定してはいけないのですよね」と異口同音に言われる。それだけ 病の理解が深まってきていると感じるのだが その事で介護者が追い込まれていないか…がいつも気になるのである。
我慢しすぎて 自分の体調に変調をきたしはしないか…という心配である。

デイから戻った母 ちょっと不安そう。
トイレ誘導したら ジャストミート。
泣いていたから 間に合わないんだなと思ったけれど…。
失敗しないようにぎりぎりまで我慢しているんだな。
言葉が言えたり 自分でトイレにいければこんな思いしなくていいのにね。
ほんと不自由だね♪

その後は落ち着き いつものバナナ。
猿じゃないよって言われそうだけれど これが手っ取り早く お腹もカロリーも栄養分も満たしてくれるものだから…やむなし。
何より 母が嫌がらないから…。

夕食 おっかなびっくり金目の煮魚。
骨を取り除いたつもりだったが 小骨をそうっと舌で押し出してくれた。
「やるじゃん」って感じ。それも3度。
気をつけているといっても 所詮雑なんだなと改めて反省。
骨を感知して舌で分けられる…それって凄いな。
だから 母に「凄いね。出来るね」と褒めまくった。

でも 食後大分経過してから少し咳が出ていた。
その後もウェットボイスが続いていた。
口腔ケア後でもあったので 歯ブラシにつけた水のせいも否定できないが やっぱりドキドキ。
魚は避けたいと言う想いは強いけれど 魚を食べた時の嬉しそうな顔をみると噛む事も大事にしたいしなぁ。

眠そうで8時少し過ぎた頃には ベッドに入ったけれど暫くもそもそ動いていたのだが トイレではないようだった。
誤嚥じゃないよねぇ。

そうそう 今日の会で 全介助で食事している方のお話。
食事に要する時間が 1時間くらい。
でも普通食。ご飯少な目。咳き込みもない様子。
介助者が 介助途中で居眠りしてしまう事もあるという。
時には 二人で居眠りなんて事も…。

「お粥さんにしてみたら…」と言ったら 歯科医から「此の儘がいいよ」と言われているらしい。聞くと全部自分の歯だそうだ。

決めるのは家族だからなんとも言えないのだが「負担が強くならない程度に…」とだけ伝えた。「まだ 大丈夫」と話されていた。
スピードと咀嚼力と介護者と当事者と…全体を見ながら食事介助は続くなぁ。

もっともっといい話が今日は沢山あった。
それぞれ 話を聞いて涙を零していた。
涙の訳は それぞれ異なるのである。

私は みんなよりずっと先行く介護者なんだけれど でも教えられることがいっぱいある。先輩も後輩もない。
貴重な話を聞ける介護者の会。
何かを教えるなんて意識は誰もない。
思ったことを素直に話し それがそれぞれの胸に響き 何かを感じ取る。
同じ話でも受け止める方は様々。

理屈じゃないんだよね。
おそらく 今日の参加者は みんな何か心に留めて帰られたと思う。

新しい方も「いえ まだ介護って程もないのだけれど…」と話して居られたが 帰りに「またきます」といって行かれたもの…。


2010年04月05日(月) 介護者のつぶやき…


母をデイに送り出してから PC作業。
今週末までに仕上げておく必要がある。
昼過ぎまでかかった。完成形ではないが ここまで出来ていれば後は何とかできる。

午後買出しに出た。
途中で介護仲間とばったり出会う。
お互い傘をさして 考え事をしていたのですれ違う時まで気が付かなかった。
すれ違いざまに「こんにちわ♪」と挨拶すると「お 気が付かなかったよ」と。
「どう?」と聞くと…。
「また あれこれあって 今日はデイ休ませている」
「1人ベッドで留守番?」
「うん」
「じゃ 長話も出来ないね」と言いながら結構な時間おしゃべり。

この方 独身男性。
1人でお母様の介護をなさっている。
ショートも同じところを使っていて似た様な時期に利用する。
ケアマネも同じ。
違うのは 訪問看護と往診を受けている。

湿疹用の薬を使っているうちに皮膚が弱ってしまって デイやショートの度にアクシデントが起きる。
勿論家族が対応しても同じ事が起きるのだが それでも専門職の方よりまだましと感じているようだ。
だから ヘルパーさん デイサービス ショートステイを減らそうかと思っているんだと零された。
仲間内で在宅1本にしてしまっている方もいる。
彼の救いは訪問看護の方だそうだ。
「24時間 いつでも連絡ください」といわれ 確実に来てくれるし処置も完璧だという。

全てがそうだと言う事ではないのだが やはり専門職より素人の家族の方がちゃんと出来るって話は 本当に良く耳にする。
任せ切れないから サービスを利用したくないと言う気持ちになってしまう。
利用した結果 手当てしなければならない事が増えてしまって不安になると言うのだ。

何ができる訳でもないが 歩いて1.2分のところに住まれているのでいつでも連絡してねと言って別れた。

さてとその昔の専門職の方の技術や意気込みは 力強かった。
だが どうも昨今は…この手のお話を良く耳にする。
介護者がレベルアップしたのかな?
それとも デイやショートを重度の人が増えて限度を越えてきているのかな?

暴言や暴力のある人と重度の人を介護している方は 負担も重い時期。
ここでデイやショートの利用ができないと介護者はダウンしてしまう。
そういう介護者に何とか助けの手を差し伸べて欲しいなぁ。
専門職の方のレベルアップを図り 人手を増やしてでも対処して欲しいと思う。
そうなると運営できなくなる…と言う悲鳴も聞こえそうだ。
家族は 1人無給で踏ん張っているのだけれどね。

負のスパイラルに入り易いこの時期にだからこそ 介護者を支援する手の充実を図って欲しいなぁ。


2010年04月04日(日) 言葉によらない表現力?


今日は 近所の桜を眺めながらお散歩できたらいいなと思っていた。
だが気温が思ったよりあがらず 家の中ですごす事にした。

先ずは トイレ誘導し「大」排出。
その後入浴・洗髪。
傷の処置(やけど)
順調に回復はしているが まだ 処置の必要がある。

昼食後 テーブルに私の珈琲カップを置いた儘 その場を離れた。
大概の場合 母が手を伸ばしてひっくり返すので 中身の入ったカップは母の手の届かない場所に移動させて置くのだが その時はきっと微妙に手の届く所に置いてしまったのだろう。
戻ってみて 室内が珈琲の匂いがするなと思った。
が それよりも母の浮かない表情の方が気になって「どうしたの?なんか心配な事あるの?」と問うてみた。
言葉が返ってくることはないんだけれど…。

その時 母が手を伸ばしながら 指先をゆらゆらと揺らし腕で線を引くように右から左へ動かした。
珍しいアクションだなぁと思ってテーブルをみるとカップが倒れて珈琲が零れていた。
「これかぁ」と言ったら 少し頷いた。

「大丈夫よ」とすぐさま テーブルを拭いたら 母笑顔に戻った。
急に 母の手指の動きに意味があったのかと気になった。
いつも意味は在るのだろうけれど…それが母の頭の中のイメージだったりするので理解できない事も多いのだけれど。
読み解くのも 面白いかなと感じた。

母の夕食が済んだころ 夫が帰宅した。
食後の母は 本当に機嫌が良い。
夫は 毎日 起き抜け時・夜のトイレ誘導時の母しか見ていないので 上機嫌で笑顔を見せる母に驚いた様子だった。
「ただいま」と言えば ニコニコ笑顔で頭を下げてみたり。
ちょっと意味不明であっても 隣に座した夫になにやら疑問符形で話しかけたり…。
それが 夫にとってかなりの驚きだったらしい。
何も話せなくなった母と思い込んでしまっていたようである。
「こりゃ 凄い。ひょっとして もっと話せるようになるんじゃないの?若しそうなったら 一冊の本に出来るよ!」と。

会話を取り戻せるなんて思ってはいないが でもかなり反応が良い事は確かである。
折りしもラジオからは「にほんのうた」が流れていた。
この音楽にもかなり反応していたのだ。
歌にも興味を示さなくなって久しいのだが ラジオから流れるメロディーを口ずさんでいたら 歌詞は合わなくとも唄おうと口をパクパクさせて首を左右に振っていた。
デイで音楽療法も取り入れているのでその効果も上がっているのではないだろうか?

長い年月を認知症の症状と共に過している母だが 母自身がそれを淘汰しているように思えてくる。
進行していると感じている此方の想いを敏感に捉えて哀しんでいたのではなかろうか…とさえ思えてくる。

今日も「よく噛んでね」と言ったら 深く頷いてしっかり噛んでいた。
施設にいたころも同じように言っていたが やはり時間が気になっていたし食べさせないと大変だと焦ってもいた。

今は 時間も気にならないし 食べなかったら時間をずらせばいいとのんびり構えている。
そうしてみたら 口を開かないと言う状況や噛まずに飲み込むなんてことは起きなくて 食事もかなりスピードアップしてきているのである。
施設にいた頃より ずっと介護が楽になってきているように感じるのは気のせいだけではないと感じる此の頃なのだ。

おそらく これは周囲の感動が母に元気を与えてくれているのだろう。
デイの職員や介護仲間や我家族の感動が母の気力を呼び起こしているのではなかろうか…。

この元気がなくなる時の事を思うと怖いけれど それもまたよしとして行かなければならないのだろう。


2010年04月03日(土) わぁい!


天気予報では お花見日和。
朝から母の身体介助を順繰りに。
外出予定なので「大」のトイレ誘導は必須。

10時半には家を出ようと思ってたが 結局1時間近く遅れた。
昼食までには戻る予定だったが 場合に拠っては遅れることもあるかもと思って バナナと水分だけは 追加で準備した。

行き先は 罹りつけの医師。
車椅子を押して行くのだが 急な坂を下りたり上ったりは避けたい気分。
そこで いつもと違う道をコースに選んだ。
車椅子では初なので ちゃんと車道と仕切られた所を押して行けるかちと心配だったが 大丈夫だった。

川沿いの道は桜並木があり ゆっくりと眺めながら 対岸の景色を楽しんだ。
でも母は 遠くの桜にはなかなか目が行かない。
途中から桜並木の下へ道を替えてとっとことっとこ。
診療所へ上がる道があったのに遊歩道が工事されて出口がなかった。
ぎりぎりまで行ったら3段の階段の所だけ残っていた。
歩ける人はいいけれど 車椅子には不便な直し方だなぁとブツブツ。
でも ちょっと乗り越えられないかと階段に向き合って車椅子の前をよいこらしょっと持ち上げた。
すると工事の中の警備をしている人が「お手伝いします」と前輪を持ち上げてくれた。
…えへっ!ちょっと期待していたんだ。ずるいね…
勿論 感謝!

診療所に着いたら 知り合いに出会った。
「お元気そうですね」から始まって あれこれとおしゃべり。
診察を受けた時の血圧測定で 血圧が高くて 医師も私もびっくりしてしまった。思い当たる事が2つ4つある。
普段は ここまで高くなることはないと伝えたが 事実上がっているのだからねぇ。医師も心配して下さって「万が一もあるから 24時間対応の医師に代わったら…」とよい対応をしてくださる医師の名前を挙げてくれた。
勿論 その医師の評判は 聞いている。
娘が幼い頃には その医師に看て戴いたこともあるし 地域のことでの話し合いの時にもお逢いしており「介護者の会」の必要性を感じてくれた医師でもある。

診察を終えて薬局で薬の処方されるのを待っていた時 母の名前を呼ぶ方がいた。デイの職員だった。
母はデイの職員から評判が高く人気者であると話してくださった。
おそらく 認知症になってからの病歴が長く その割りに元気であって高齢であることが人気なのだろうと思う。
「家族の介護がよく栄養状態もよいからだろう」とみんなで言っているとも。
しかし 家族としての対応は けして良いとは言えない。
他の介護者が医療面で細かく対応しているが 私はそうではない。
家族しての勘と母が可愛いと思うそれだけである。

食べる事も排泄も 母の様子を見ての対応である。
下手をするとせまい見地での対応と言われるに違いないのである。
頑張りすぎず 手の抜けるところはしっかり抜いて…である。

薬が処方されるまでの暫くの間 その方は母のそばにいて話しかけていてくださった。それだけで 心に掛けていただいていることを感じいってしまった。
勤務時間外でここまで関わって下さる方は まずいない。
デイでの専門職としての対応が適切なのかは 判らない。
でも そこに普通と違う優しさ見たいな物があると感じた。
私は 介護には 寄り添う優しさが1番の薬だと感じているのである。
ちょっとした失敗をした時に「ごめんね」と謝ってくれているだろうと感じるのである。それを感じたら 少しの失敗は「誰にでもあるからね。どーんまいん」と思える。
それは 優しい言葉を掛けると言う事とは違う。介護者に媚びるのでもない。
微妙なニュアンスが漂うのである。
そういう距離感の持った人に出会うとホッとする。

おそらく こんな考え方をするのは私くらいかも知れないが…。

そうそう 医師に訪問医療の話をされたと言ったら「この状態では まだ 通院でもいいでしょうに…」とも言われた。
そうなのだ まだ 往診を受けなくとも行けるとも感じている。
ただ 終末期に関わってくださる医師には今の母の状態も知っていて欲しいと思うこともある。
そいすることで 終末期の関わり方を感じ取って戴けそうな気もしているのである。

薬を頂き職員とも別れて「どうしようかな」と考えた。
行きの道 車椅子を押して帰路も車椅子は ちょっとしんどいかも…と思う。
でも昼食も早くしてあげないと…。でも お花見もゆっくりできたらいいし…。
揺れに揺れて うろうろ。

思い切って 昼食は外食しようと思った。
いつもはお粥さん+ご飯だけれど とろろと豆腐と刺身があれば何とかなる。
そこで 夜は居酒屋になる定食屋さんに入った。
店先のメニューをみるとカレーもあるので「ソレッ」と入ったが 店内にあるメニューには 豆腐・山掛けご飯もあるではないか。
そこで チジミと豆腐と山掛けご飯(ひれかつ付)
母も私も 何とか 昼食にありつけた。 
水分は 家を出る時準備したもので…。
持ち込みは良くないだろうけれど 背に腹は替えられない。

お店を出て 迷わず車椅子を押して帰路に着いた。
勿論 川沿いをゆっくりと桜を愛でながら…。
結構な人で賑わっていて 撮影する人も大勢。

母はキョトキョトしながら…。
さ・く・らも見ていた。
今年は 通院の道すがらではあるけれど ゆっくりのんびりお花見が出来た。

往復の車椅子押しも母の穏やかな顔と桜の花に力を貰って あまり負担に感じずに済んだ。

予定より大幅に遅れて家に着いたので 残り物を使いながらの夕食。
白子の味噌汁の白子を除き ほうれん草のおひたしをたっぷり入れて シュウマイと豆腐と温泉卵とエゴと大根煮。

夕食後むっつり加減だったので眠いのかと思った。
でも寝るには少し早いので トイレ誘導して寝室へ移動。
その時 ギュッと抱きしめて「おらいのうちの大事な〇ちゃん」と幾度か囁いてみた。するとニコッとするではないか。
車椅子を押していると接してはいるんだけれど 顔が見えない。
向き合う時間が足りなかったかと反省。

それから暫く そばで洗濯物を畳んだりした。
その間ニコニコ笑顔。
食後1時間以上を経過して 本当に眠そうになったので トイレ誘導後ベッドへ。直ぐにzzz。

春を満喫した1日となった。


2010年04月02日(金) 10年近く前と比べて…


母をデイに送り出して 生協の荷物を受けて 朝食をかきこんだ。
後片付けする時間もなく 打ち合わせの場所へ。
それでも遅刻。

今日は 会で受けた補助金の報告書を作成する日。
みんなの脳みそを集めて 報告書を仕上げた。
誰か1人に背負わせるようなことはしないのが会の方針。

何とか仕上がって 夕方には解散。

デイの送りにも充分間に合った。
月初めで 体重計測があるはずなので連絡帳をみた。
先月と変わらず。
歩行介助しながら ちょっと体重減ったかなと思って気になっていたのだが不要な心配だった。

それはそうと…。
8.9年前の体重の記録がある事を思い出して比べてみた。
その時と比べると3キロほど減っている。
でも これだけの時を経て 3キロしか減っていなかったのだなとホッとした。
母に話しかけると嬉しそうな顔をした。
何処まで理解できているかは 判らないが 嬉しい顔で報告しているのだから悪い話じゃない事くらいは 察しているだろうと思う。

朝食も夕食もしっかり食べた。
夕食前のバナナは勿論 食後のフルーツ苺まで 大目かなと思いながら。
苺に練乳をかけて口に運ぶと「うふっ」ととろけそうな笑顔。

昨年 苺を1個口に運んだ時 噛もうともしなくて「ぷい」と出したことを思い出す。「い・ち・ごよ。美味しいのだから…」と伝えたが変化はなかったのだ。
あの時は 弟と孫が苺を土産に面会に来たので 焦って何とか食べて貰おうとしたのだが 全く乗ってくれなかったのでよく覚えているのだ。

あの時 これからはもう噛めなくなって嚥下力も低下するのだろうと感じていたのだが…。嚥下力低下による咳き込みもたまに起きていたし…。
でも それ以上酷くならずに なんとかやり過ごせた。

今だって 時折 心配になる症状が出るけれど ぎりぎりで済んでいる。
おそらく まだ 大丈夫。多分大丈夫。きっと大丈夫。
あくまで 素人判断に過ぎないのだが でも 近い将来には そういうことも起きてくるだろうとの覚悟も頭の隅っこにはある。
出来る限り 先であって欲しいと祈るばかりである。

今日も夕方から2時間ごとに「小」排出。
母にとって幸せかは判らないけれど 私は 母と共に歩む時間を得られた事に感謝している。
共に歩む道を積極的に選択したわけではない。
結果的に こうなったに過ぎないのである。


2010年04月01日(木) うわっ!


 エイプリールフールなのに しゃれた嘘すら浮かばない。
頭がかたくなっているのだろうな。

昨夜 10時ごろまで起きていた母。
朝の目覚めはトイレコール。
すっきり目覚めてニコニコ笑顔。

いつも通りの朝の行動。
デイに送って…。

此方は 午後にちょこっと買い物に出た。

デイの職員が「帰路眠そうだった」という。
「昨日は 10時ごろまで起きていました」と言ったら「そりゃ 眠いでしょう」と言われたが おそらく 10時過ぎに寝たからって そう影響もない筈と思うのだが。
おそらく 排泄で俯いていたのだろうと思う。

家に入ってトイレ誘導したら「小」が出てしまっていた。
それからバナナを食べたらニコニコ。
後は じっと夕食の支度しているのを見守っていてくれた。

夕食も順調。
お腹いっぱいになったら 今度はウトウト。
食後一時間は 起きていて欲しいので テレビを見てもらう。
なんだか 古い歌番組があったのでそれをみてもらった。
結構見ている。時に手を動かしたりしてニコニコ。
30分ほどすると右傾斜が強くなり パジャマに着替えてトイレ誘導してベッドへ。直ぐにzzz。

でもやっぱり2時間後には もそもそ。
トイレ誘導すると「小」
昼よりも夜の方が 誘導する時間がヒットするみたい。

夜 自分の携帯がなって番号の頭だけみて娘と思い込んで「はぁい なぁにぃ?」と受けて 相手の声で「しまった!」と思った。
直ぐに「娘と思って 失礼致しました」とお詫びしたけれど…冷や汗が出た。
電話をくれた方は ご近所の方。さぞかし驚かれたと思う。
夜 携帯に電話してくるのは 極々親しい方だから…。

ご近所の方は 数日前からご家族の手術の付き添いで入院中なので明日の事のお願いの電話だった。


はな |MAILHomePage

My追加