母のタイムスリップ日記
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2007年09月30日(日) 肌寒い雨ふり


午後 休日出勤前の娘と母の所に出かけた。
母は 検温する所だった。
でも どこか元気がなく腹痛があるかもしれないと感じた。

荷物を居室に置いてあれこれ片づけをした。
娘や職員が母に声を掛けるが 俯いたりが続いていた。

居室に連れて来て トイレ誘導。
母が「きたないでしょ」と言うと同時にガスが出た。
これなら 大丈夫かもと一安心。
トイレに座っている間に 数回 力ない排尿。
「良かったね。握手」と言うと力なく笑った。
こういう安定していない時は 当然のことながら「おかちゃん」を連発。

少し気温が下がっていて 母の手足が冷たいので 長袖の下着・長Tシャツ・綿の厚手のセーター・七分ズボン下に着替えて貰った。
今日は 時折言葉を発するのだが 意味が全くわからない。
話そうとしているが この世にない言葉が多い。

トイレを出て 歯磨き。
口の中には 食べかすがいっぱい。
この所 下唇と歯茎の間に食べかすが残っている事が多く 口を濯いでも取れない。
かなりクチュクチュしているのだけれど...。
そこで 滅菌ガーゼでサッと拭く事にしている。
少し嫌がるけれど ガーゼに付いた汚れを見せると納得してくれる。

それでも 母はなお 不安げ。
お腹痛い?気持ち悪い?と順繰りに探ってみるが 反応は今ひとつであった。
ふと「寂しいの?」と聞いたら「あ〜ん」と声を立てて泣き出した。
母がしがみついて来たので 暫く抱きしめていた。

少し落ち着いたので 椅子に座ってもらったら ロッカーの戸が空いているといわんばかりに「きたないよ」と言う。
「締めて頂戴な」というと 自力で立ち上がり戸を閉めた。

その足で窓辺に移動。
「自動車」と駐車場に並んだ車を眺めて言った。
「そうだね。沢山並んでいるね」
「あめ」
「そうよ 外は雨よね」
♪あめが あめがふってる♪
...聞いてごらんよ...
♪音がする ほら お池に♪
...ふっている...
♪金魚はどうしているかしら♪
母は 節を取れなくなってきているので 読むような感じだ。
フルコーラスは もう無理なのだ。
歌を唄えば 楽しそうに歌い出していた頃が 遠い昔の事のように感じる。
でも「歌」ってわかるので 止まった所から 続けてくれる時があるだけでも 嬉しい。

「外に行く?」「?」
「お散歩できる?」「あめ」
「大丈夫 傘があるから」
「歩ける?」 頷いた。
「じゃ 行こう」と言う訳で 雨のお散歩に出た。

玄関で 洗濯物を乾燥させてきた娘とばったり出会う。
娘が 母の洗濯物を置きに行く間 暫く待った。

「お腹空いている?」「そう言われるとすいている」
珍しくきちんと答えた。
「ね ラーメン 食べる?」 頷く。
「行こうか」 「らーめん」
反応が良くなってきた。
娘と3人でお隣の中華料理屋さんへ入り 2人分を3人で食べた。お店の人は 判っているので黙っていても母の器とれんげを出してくれる。

俯き加減だったが それでもラーメンをすすっていた。
食べたい気持ちはあるんだな。
やはり 少しお腹が空いていたのかな?
夕食前なので そう沢山は食べさせなかったけれど 気持ちを満たせればそれで良いのだ。
私達も食べたくて食べている訳でもなくて...。

娘は 店を出て仕事へ。
母と2人で 近くをもう少しお散歩。
雨の中だけれど...足取りは軽かった。

施設に戻る頃には 夕食の直前。
でも 100ミリリットルほど牛乳を飲んでもらった。
それと 朝食用のヨーグルトを職員に渡した。

カタコトと配膳の気配を感じて ホールに移動。
ゆっくりと食事介助。
職員が隣の方の介助をなさった。
席を立った時「ダイコンの煮物ですよ」とスプーンを運んだら口を開けてくれた。
最近 スプーンを運ぶと歯でしっかりガードしてしまう方なのだ。
でも 今日は 滑り出し好調。
「ご飯ですよ」と言うとまた口を開けてくれる。
実は 全てミキサーで食べ物の形を成していないのだ。

職員が戻ったのでバトンタッチ。
母の介助に専念する。

母もニコニコ笑顔を取り戻して 口をあ〜んと開ける。
でもこれじゃ遺憾のですなぁ〜。
出来れば 自力で食べる事を意識してもらわにゃ...。
家に連れて行って チャレンジしなくちゃね。
でも今 家に中がちと大変なことになっているんですわ。
もうちと待ってもらわにゃ遺憾のですよ。

今週あたり 工事に入るかも知れないから...。
それまで堪忍です♪

食事を終えたので 居室誘導して歯磨きをして入れ歯を外した。それからトイレ誘導。
母はすっかり落ち着いて 私の姿を追う事はなくなった。

ちょっと後ろめたさを覚えながら そうっと施設を後にした。

今日は 夫も娘も帰りは 零時前後なので 気持ちゆったりと母の夕食にお付き合いできた。


2007年09月29日(土) ゆっくりと...


 昨日記した事は 職員の疲労度が高まっているからだと判るので特に職員に対してクレームは入れていない。
それは「自分の家族が言われた訳ではないから」という理由ではない。

ただ ちょっとした事で家族も「?」と思われ 不信感が広がってしまう場合もある。

今日 地域包括の方から電話相談を受けた。
施設から在宅に戻す家族も介護者の会に参加してよいかという相談だった。
会には そういう方もいる。
だから「大丈夫ですよ」と伝えた。

施設側との行き違いで そういう経過になっているという事だけは伺った。

行き違いと言えば...。
先週 朝日新聞の投書欄でオムツを使ってのシャンプーはやめて欲しいという投書を発端に いろいろの反響が出ていた。

実は 一昨年末から昨年 母の嘔吐で似たような経験をした。
母の吐物をオムツパットに取っておいた事があった。
一瞬 ギョッとした。
そして 投書された方と同じような気持ちになった。

でも 洗面器等を使った時 その後始末はなかなか大変な事もわかる。
家でも そういう時には 綺麗に洗って消毒をし お日様に当てる。
それに 新聞紙を使うとインクの色もあって色の判断も難しい。
新聞紙を準備してそのインクの臭いで更に気分が悪くなる時もある。
今は 〇袋と言う物も出ているけれど...。
でも まっ平らで白いパットは 常に常備されており瞬時に取り出せる。
使い終われば 汚物として処理も簡易。

と言う訳で 最近はそういう利用もありかと考えている。
投書では ご本人が嫌だと言っているので そこは事情が違ってくる。
もし 母が「嫌」と言ったなら きっとしないと思う。

そんな風に ちょっとした事で 家族と職員のギャップは生まれる。
本人のために...が良くも悪くも 逃げに使われることも現実にはある。
考え方も個々に違うし...。

なぜ 職員に言わないか?
入所当初はいろいろの思いがあった。
でも 今は 単純に考えられないからである。
介護職の重たい現実が見えるからである。
職員の対応を「それもあり」と受け止める訳ではない。

いずれ 理解して頂けると信じている。

おそらく 冷静に自分職務を振り返れる時に ゆっくりと家族の思いを伝えようと思う。
クレームと言うより 共に学びあいたいのだ。

おそらく家族の言葉で傷つく職員だっているのだろうと思う。
そういう事例だって 受け止めたいと思う。

介護職の方と家族と同じ目線で介護に当たることが本人にとって良いのだと思うのだ。

今回のオムツ騒動の件で 近い将来寝たきりでも車椅子に短時間座れる人なら洗髪出来るようになるかも...という思いを強くしたお話がある。
それは 美容関係の方とのお話で...。
今は身体を起した状態でシャンプーが出来るようになっているという事を知った。
ボツボツとそういう設備にしている店舗が出来ているそうだ。

オムツ騒動が 笑い話になる日が来て欲しいなぁ〜。 


2007年09月28日(金) ♪わかぁってぇ くだぁさい♪


早めに家を出たつもりだったが アチコチ立ち寄っていたら 施設では昼食が始まっていた。
1人のご家族が食事介助なさっていた。
遠い所から面会にいらしている。今日は お弁当持参。
先日 彼女がこれからトライしようとしているお話を聞かせて戴いたばかり。実現できますように...と密かに祈っている。

母は「思いがけない人が来た」といった表情で私を見て手を上げた。
手と手をパチンとあわせた。一回だけじゃなく何回も...。
食事中なのに 行儀悪いですね。

母の食事介助を職員とバトンタッチした。
食欲はまぁまぁ〜といった所。

どうも 職員が疲れているように見える。
言葉がけに少しトゲを感じる。
人間だから 仕方がないと思う。
在宅で介護してきているので 疲れから来ているのだろう事は容易に想像できる。
でも ちょっとなぁ〜。家族にとっては耳が痛いし 哀しくもある。

母に向けた言葉ではない。
少なくとも 認知症の人に向けられたその言葉は 意味のないものである。
つまり 記憶に残らない人に剥きになって言ったら 悪い事はあってもよい事はひとつもないのである。

こういう言葉を向ける人は限られた職員である。
第三者評価が 入らなくなってからお仕事を始めた方たちである。

「この階は呪われているみたいだ」と数回聞いた。
職員のアクシデントを指しているのだが 介護を託した家族としては 母が迷惑をかけているんだなと思ってしまう。
もう1人の家族もかなり憤っていた。
後は 職員に「トイレ連れてって」と言う入所者に「連れて行ってくださいでしょ」と言いなおさせた。
もうひとつは...
あなたは食べた事を忘れて「食事してませんと言うのだからしっかり食べて」とか。
湯飲みの中味をわざわざひっくり返す入所者の湯飲みが逆さになってたら「あ〜っ」と声を上げて 手をギリギリと拭いて 痛がっていても「なんともないでしょ」と拭き続ける。挙句「うちの子だったらガツンと一発のところだよ」と言う言葉。

いいえ いつもこういう状態ではないのです。
だから 言葉尻を捕らえて言うつもりはないのです。
でも これは 普通に考えてもパワーハラスメントになるんじゃないかな。
それも 介護職の給与は安いと言っても 入所者は 職員にしかるべく料金を支払っているお客様なのです。

在宅では そういう場面になる事も有ります。
だから 気持ちは十分に判るのです。
でも 家族と同じでは... ちょっと複雑な思いがします。

不安げな表情の入所者をみているととても切ない気持ちになりました。
それで そばに行って幾度もスキンシップ。

入所家族2人で目を合わせてキョトンの一幕が何回もありました。

1人の家族が入浴介助するというので 母と私は散歩に出ました。
散歩の目的は 入所者と家族とフロアの職員に アイスクリームと飲み物を購入するためです。
家族の入浴介助の後は 汗いっぱいなので水分補給が必須です。
私も介助の時には そうなるのでよく判ります。
家なら 満足できるほどに水分補給できるのですが
施設だと思うようにはできません。

今日は 30度を越える真夏の暑さです。
熱中症が起きないとも限りませんから。

母は 買い物中 自分の意思を強く出してスーパーのカートを押しながら「曲がっては駄目」と怒ります。
「はい はい 曲がってはいけないのですね」と言いながら 真っ直ぐ進んで次の棚のコーナーで曲がります。
これが 母と私のささやかなゲームです。
意思を表に出してくれる事は 今は とても嬉しいのです。

初期には随分悩ましい事でしたが いろんな機能が失われて来ていると 初期の認知症の方の言動が どうあっても羨ましいのです。

母の額にも汗が滲んで これも嬉しかった。

施設に戻って 職員にお土産を渡して それが今日のみんなのおやつとなった。母も一緒に食べておいた方が夕食に響かないと思ったのだが 入浴予定だったのでお風呂上りに戴く事にした。

と言う訳で 母の服を借りて母の入浴介助。
汗とお湯ですっかりお湯浸しとなってしまった。

洗髪もシャンプーハットを使ったけれど そのハットを母が幾度も嫌がって脱いだ。
顔も耳もお湯で濡れていないけれど 頭を流れるお湯の感覚が嫌なんですね。脱げば 顔が濡れるので余計パニックを起すので片手でハンドタオルを取って母に渡し またシャンプーハット装着。
浴室でこんなバトルが繰り広がりました。

もともとは 入浴大好きだったのに やはり毎日の繰り返しの慣れって大事だとつくづく感じた今日の介助でした。
浴室は 職員の手を煩わせないようにお掃除して終了。

母が怒るので その度に「ごめんね」「綺麗にするから勘弁ね」「我慢してくれてありがとう」の連続だった。
お風呂上りの母の唇はとっても綺麗なピンク色。
怒って血の巡りが良くなったのではないかと感じたりもした。

風呂上りには お茶とアイスクリームを頂いて ニッコリ。
これで 風呂場の格闘は許して貰えたかな?
勿論 私も施設が準備くださったお茶と自分で準備したお茶をたっぷり飲みました。
アイスクリームは 遠慮しておきました。

ご家族や職員の話によりますと アイスクリームは 普段食べない入所者の方や食事拒否気味の方も 皆さん全量 喜んで召し上がって頂いたという事でした。
大きな施設だったら こんなこと出来ない。少人数でユニット制だからできることなのです。

日も暮れかけた道を自転車のライトをつけて 今日も帰路の道を急ぎました。


2007年09月27日(木) そうだったの?


 昨日 ファミレスに入った時 フロアマネジャーさんから「お母様ですか?」と声を掛けられた。
「はい」
「おいくつですか?」
「91歳です」

「実は 家にも80を越えた母がいるんです。いつも ご一緒で偉いなぁ〜と教えられているんですよ」と言われた。

時折 入るといつも親切にしてくださり 黙っていても小皿を準備してくださったり「優待券前回使われなかったので 今回は使ってください」と言ってくださったりだった。

私が褒められてしまうと照れくさいし 真実ではない。
母の頑張りがあるからこそ 出来ている事なのだから。
でも 母との2人3脚の姿に 何かを感じてもらえる事は嬉しいし 声をかけて貰える事も嬉しい。

また 入所者とのお散歩に出かけた時 入所者の家族にお会いした。
「え〜っ!」と驚かれてしまった。
でも 長く施設で暮らしているとこういう事は珍しい事ではない。
介護仲間も 似たような事をなさっている。
施設に何が足りないかを感じて居るから。
勿論 やっていけない事は避ける。

入所時から出来ていた事は レク それから時折風船をあげて風向きを見て
家族の思いを理解して頂いてきた。
家族の思いを伝えていく事は とても大事だと思う。
うまく溶け込めるように家族が誘導すれば 職員は必ず見ていてくれる。
時間はかかるけれど...。 
そうやって職員と家族で見守れるのが 理想だろうと思う。
万が一 1人暮らしなら 自分の思いを今の内から記録して介護に役立ててもらえる様に準備したら良いんだろうなぁ〜。
 
今は そういった記録帳がたくさんあるのだから...。

偉そうに感じたら お許しください。
感じあえる社会って これからとても大事になるような気がしています。
まずは 自分が感じられるようにと心がけて行こうと思っています。

今日は 隣り合う介護者の会の方と 介護者を支えようと動き出した学校の方とお話をした。
初顔合わせだったけれど とても心地よい出会いとなりました。
地域が またひとつ広がり深まっていくという予感を感じた1日でした。


2007年09月26日(水) ちょっぴり秋


 昼食前を目指して母の所に出かけた。
今日は リハビリの日である。

途中 自分用のおにぎりと母の果物とメカブを購入した。
施設に着くと 母はソファーで身体を前屈させて まあるくなってまるで彫像のように固まって眠っていた。
「〇ちゃん♪」と耳元で声をかけても目覚めないほどの熟睡ぶりだった。こんなこと滅多にない。
肩をポンと軽く叩いて ゆっくり声をかけたら やっと目覚め「何事?」と言う表情で顔をあわせた。
私と認識できるまで 少し時間がかかった。

「立ってみない?」と両手を差し出すと 腰をひょいと上げるが直ぐソファーに座り込む。
立ちたい意思はあるが 腰が重いようだった。

何とか 立ち上がり 居室の洗面台に向かって 歯磨き。
先に口を濯いで貰った。
水を含んだ3回目の時の事。
それまで洗面台にペッと出していたのに 急にうがい用の水の入ったコップめがけてペッと吐き出した。
「ジャストミート!」とひと褒めしてから 「これはコップだからね」と言ってみたものの苦笑いするしかなかった。
母が洗面台の前に立てない時は コップに吐き出させているんだもの。勿論 一回一回 コップを濯いで新しい水を汲んで濯いでもらっているのだけれど...。
臨機応変なんて私の都合の良い言葉だわね。

暫くしたら「お食事ですよ」の声。
ホールに出て みんなとお食事。
職員が手薄かなと思い 今日は もう1人の方の食事介助を申し出た。
母と向かい合わせの方。
「おすましですよ」「ご飯ですよ」「里芋ですよ」「モズクですよ」
「ハンバーグですよ。〇チャン大好きよね」と2人に一品一品運び声をかけた。
母は全量 もう1人の方もほぼ全量 1時間位で食べ終えた。

母は食後 歯磨き トイレ誘導し リハビリの準備。
その内に また 横になって眠ってしまった。
勿論 療法士さんの見える前。
そんな訳で 今日は眠ったままリハビリ。
リハビリが済んでも 眠っていた。
昨夜 眠れなかったのかな?

母がzzzzzなので 他の入所者とお散歩させてもらった。
勿論 職員の許可を得て。
腕を組んで テクテク。
今日は 2人の人とお散歩できて 楽しませて貰った。

戻って 居室に行くと丁度母が目覚めていた。
寂しそうな声だったので ひょっとすると幾度か目覚めていたのかもしれない。
1人では起き上がれないので 諦めて幾度か眠り返したかもしれない。悪い事をしたかもなぁ〜。

母を起して トイレ誘導後お散歩に誘う。
はっきりとした返事はしなかったが 支度をして外に出たら歩きも快調だったので良い事にした。

少し長めに時間を過ごす予定を組んだ。
排便の事も気になるし足の浮腫みや尿の色も気になって 最初にファミレスに入り 水分補給。
トロピカルティーとブランマンジュと豆腐サラダ。
変な取り合わせだけれど 甘いものだけだと胸焼けがしないだろうかと気になったから。
全量摂取は トロピカルとブランマンジェ。豆腐サラダは半分。

お店を出て どんぐりの木のある公園までひと歩き。
ベンチタイムで葡萄を食べてもらう。
自力で粒を取らない。
口まで運んでキュッと押すと中味が母の口に入る。
母は舌で種を出す。
口の中で 実と種を分けられると知り「おぬし まだ出来ているね」と嬉しくなった。
皮ごと入れたら 飴玉をなめるように口の中で転がしていたのでチョィ不安だったのだ。

また 歩き出す。
農家のスタンドで野菜とコスモスを購入。
スタンドの前には彼岸花が群れて咲いている。
「ほら」というと「モニャモニャ」というので「彼岸花ね」と付け足すと「やっぱりね」と言う。
きっと 頭の中ではそう思ったのだけれど言葉として出せなかったのだろう。
コスモスをみたら「キレイ♪」と言えた。

大きな通りを渡って サツマイモ畑の横を通って「大好きなサツマイモだね」と言うとニコニコ。
息切れしているようなので「戻ろうか?」と聞くと「戻った方が良さそう」という事で施設に戻った。

結局 夕食の時間になり 其の儘 昼同様 2人の食事介助。
2人とも完食出来た。

おやつ時にいなかったが その方は おやつは自力で召し上がったそうだ。
昨日 ご家族が気になさっていたので 良かったわ♪

母は すっかり安心モードになってソファーに座ってテレビに見入っていた。
後ろめたさを覚えながら そうっと施設を後にした。

日暮れが少し早めになって 帰路は自転車のライトを点けるようになった。
散歩に向く季節となってきて嬉しい♪


2007年09月25日(火) 虫の知らせ?


 利用者さん 訪問。
今日も 離れでお話しながら 古い本の片付け。
活動を終えて家に戻って 昼食。

その後 これから2年 地域のネットワーク作りを具体化を進める為の顔合わせ会。
打ち合わせ場所に着いた時 今日が中秋の名月である事を思い出して お団子を買おうと思った。が お団子は 食べるのが難しくなっている人もいるので 月見饅頭を購入。
お店の人が「良かったらススキも持って行って下さい」と言われたので数本頂いた。

顔合わせ会は 1時間足らずで済むだろうと勝手に考えていた。
どのくらいの時間と言うお話はなかったので 勝手にそう思いこんでいた。
ところが 終わったのは5時過ぎ。
かなり有効なお話があり これから どの溝を埋めていけば良いのかの方向性が見えてくるようだった。

顔合わせが終わり「ススキをどうしようか?」とちょこっと悩んだ。
施設の夕食は終わる頃だろうし...持って出かけて迷惑という事もあるしなぁ〜という感じになった。
それに 我が家の食事の支度も気になった。
お米を研いで居ない儘である。

この所 ゆったりの行事も少ないし...。
「食後のデザートでも良いか!」と入所者優先という事に決め手母の所に向かった。
施設に着くと 遠方から見えるご家族が まだ食事介助なさっていた。
「?」と言う表情で目があった。
「あのね Fさんが...」と言われハッとした。
重篤な方が施設にはいた。
母と生年月日が10日ほど違う方で 開所時から一緒だった方である。
ご家族ともいろんなお話をしていた。
88歳のお祝いを一緒にした。
家族も亡くなった方も おなじ時を共有してきたという思いがある。
その方は 経管栄養になってこの春から 別のフロアに移られていた。
それでも 頭の隅にいつも気になっていた。

職員は特に語ることもないが 動きで何となく「何かある」と感じる。
数日前「良くないの?」と職員に聞いたら頷かれていた。
その後 ベットが空になっているのがエレベーター越しに見えて「?」と聞くと部屋を移ったと聞いてホッとしたのだった。

まだ 時間があるだろうと思って その間に彼女に持っていて戴くものや可愛い写真を準備しておこうと密かに思っていた。
が それも間に合わなかった。

残っていたご家族はお通夜に行くと言う。
何の準備もしていないけれど やっぱりお見送りに行こうと決めた。

でもその前にするべき事がある。
お月見である。
薄雲が広がってきていたけれど 雲の切れ目にまあるいお月様が見えた。
ススキを飾ってお月見饅頭をそなえて みんなでお月見。
何となくパタパタと過ぎた施設内だったとご家族が話されていたので ちょっと一息つけたかな?
職員が「準備できなかったぁ〜」といっていたので 良かったわ。

暗くなった道を車で飛ばしてお通夜の会場へ。
普段着の儘 お別れをさせていただく。

普段なら 5時過ぎたら容態が悪くない限り施設に向かう事はない。
これが 虫の知らせと言う言うものかな?
ほんとは 亡くなる前にお会いしたかった。
娘も その方の笑顔が大好きで...。
いろんな事をいっぱい教えてくれた方。
余計な事は言わずに 黙って受け容れる方。
素敵な方だった。

天国でご主人と手を取って居られるに違いない。
命が絶えてしまう事は哀しい事だし寂しい事だけれど...。
でも「良かったね」ってほんとに思うのです。
ほんとにそう思うのです。


2007年09月24日(月) 菜園模様


 今朝は チャリを飛ばして隣の町の花屋さんまで行った。
野菜の苗を購入してきた。
少し前に 農家の市でブロッコリーの苗を購入した。
畑に行けない日が続いて 水だけはやっていたのだけれど...。
ふと気が付いたら ヨトウ虫に食べられて 残るは 葉の筋だけと言う無残な姿となっていたのだった。
初めていくお店だけれど ゆっくりと見て廻ったら 大松の鉢植えがあった。
毎年お正月には 大松を購入しており 結構長持ちして春先に鉢に植えてみるのだけれど寒いせいか根が付かない。
松の中で 育ててみたいひとつである。
買おうかなと思ったけれど 我慢した。

家に戻って午後には 娘と買い物。
お互い別々のお店で買い物をして合流。
娘は 夕方前に 仕事で出かけた。

1人菜園に出かけた。
今日買った苗を植える作業のためなのだが...道具を持ったきりで
肝心の苗を忘れてしまった。
畑での作業は 山ほどあるので 植え付けは後回しに決めた。
お隣の方と暫く立ち話。

菜園は 3年ごとに抽選されて 場所が大幅に変わる。
勿論 外れる人もいる。
昨年まで隣だった方が 今年も場所が変わって隣同士となっているのだ。
90歳の男性。奥様は畑に見える事はない。
聞くところに拠ると 体が弱いらしい。
この方 とても仕事が丁寧である。
隣の私は 恥ずかしくなるくらい。
以前から 採れた物は人にあげると言ってた。
今日伺ったら 野菜はあまり好きではなくて 自分の家で食べるのは僅かだという事だった。
家の菜園をみて ほんとにいろんなもの植えていますね。
まさしく家庭菜園ですねと言われた。

今はサツマイモの蔓が延びており 空芯菜も育ちすぎ ゴーヤもまだ元気 ナスもまだ少し取れる 葱があり ヤーコンがあり。
先日 蒔いたルッコラの種だが 芽がほんのちょっとだけ。
蒔いた種ほど芽が出ていなかった。
少し暑さが厳しかったからかな?
種を蒔いたキャベツがひょろひょろしていた。
「これで ちゃんと巻いて行くのでしょうかね?」と聞いたら
「大丈夫と思う。ただ 苗が近すぎるからではないか」という事だった。
そこで 今日は草取りしながら 間隔を開けて植えなおした。

菜園で作業していたら 近くのグループホームの人が1人の職員が4人の人を連れてお散歩している姿を見かけた。
今日は お散歩日和だ。
空芯菜が 育ちすぎたので そのグループホームまで運んだ。
職員は 最初きょとんとしていたが 直ぐに受け取ってくださった。
丁度 施設長もいて「あらら ありがとうございます」と。
入所者の人は 初めてだろうと思うけれど 食べてくれるかな?


2007年09月23日(日) 帰りなさい!


 ご機嫌でニコニコだった母が 昼の食事介助の終わりかける頃に私に向けて「帰りなさい!」と発した。

隣で別の方の食事介助していた職員が聞いて驚いていた。

この言葉は 時折出てくる。
つまり母は 潜在的に 私はここに居ない人として理解できているという事なのだろうといつも感じる。

攻撃的な言葉は ちょっぴりきつくもあるが それをまともに受け止めていたら身が持たない。

何故 そんな言葉が出るのかと想像する。
そして その前の自分の行動を振り返る。

職員の離れた隙に お隣の人の食事介助を笑顔を向けてしたからか?
それ以外には何も思い浮かばなかった。
母の食事介助を急いだ覚えは無いし 無理やり食べさせた覚えもない。

食後 居室誘導して「ひょっとして...」と思ったのは ふゆふゆと空気に漂う匂いからだった。
あの怒った口調の時が出てしまった時だったのではないか?
其の事に気がつかない自分が迂闊だった。

そういえば あの前椅子に向かっている姿勢を変えようとしていた。
職員から 先に排便のあった事は聞いていたが...。

トイレ誘導するとやはり残りがチビチビと続いた。
その後 腹痛。
お腹もキュルキュルとしてガスが溜まっていた。

母の機嫌の悪さは 長くは続かなかったが それでも苦しそうな表情になって行った。

食事の始まる前に施設に着くように行くべきだったなぁ〜。

今朝 夫の喪服を準備して家を出た。
きちんと全てを準備したはずだった。
が仕事から戻った夫が 喪服に着替えた時「ネクタイがない」と言う。
「そんなはずはないでしょ」と言ったら「ないものはない」と言う。

いくら探しても見つからなかった。
箪笥から別のネクタイを出して何とかなったが...。

朝 間違いなくネクタイを手にしたのだ。
そしてスーツのハンガーにかけた記憶は はっきり残っている。

あのネクタイは 一体何処に消えたのでしょう?
狭い家の中を 幾度も検証してみたけれど 見つからない。

あの時は 時間に追われていたので慌てたが 今になって 何となく心当たりが出てきた。
あした 再度検証してみようっと。


2007年09月22日(土) お彼岸なんだけれど...


夫の故郷から葡萄が届いた。
我が家のぶどう棚 無残。
鳥たちがつついて綺麗になくなった。

送られてきた葡萄は ピオーネやロザリオ ビヤンコ等 大きな粒の葡萄。

母の施設には 種のないピオーネを運んだ。
お隣の家にも届けた。

お隣の家の小学一年生 入学前と違って抜けるような明るさが消えた。
昨日の朝 登校する姿を見かけた。
渋りながら 見送るお母さんを振り返りふりかえり だった。

その時は お母さんとお話しなかったけれど 門前の掃除をしていたら「いつもすみません」と挨拶いただいた。
「こちらも 出来る時にしかしてないので気にしないで下さい」と返事。

すると登校を渋る様子をお話してくださった。
原因は 判らないそうだ。
年齢のせいかと思うと言われていた。

そんな訳で 一年生のお兄ちゃんに「元気出して!」との応援をこめて葡萄を分けたのだった。

山あり谷ありだから 其のうちきっと元気を取り戻してくれると信じている。

今日から3連休。月曜はハッピーマンデイ。
でも 今回も我が家には連休なし。
夫も仕事。仕事に追われているのに お通夜 葬儀が入ってしまって 頭を抱えていた。
娘は 連日朝帰りの果てに とうとう会社にお泊り2日。
今朝帰って チョコッと寝て またお仕事。
まだ帰宅してないけれど 明日は休めるらしい。

あしたは彼岸の中日 おはぎを作ろうかなとも思ったけれど こう暑くては小豆を炊く気にもなれず 豆の下準備は放棄することにした。怠惰だなぁ〜。


2007年09月21日(金) 不思議だけれど 嬉しい事


母の所に行くと 超ご機嫌で箸が転がっても笑いそうな勢い。
でも 両手を差し出すと「?」と言う感じだった。
今日は 手を差し出したら立ち上がるという連想がないみたい。
「立ってみない?」と言葉をかけると 腰を上げようとした。
が かなり腰が重い感じ。 母も「駄目だ」と呟いていた。
少し力を入れて介助したら立ち上がれた。

口の中には食べかすが見えるので 居室に誘導し歯磨き。
その後 トイレ誘導。
面会の度に繰り返している事である。
入れ歯を外してからの装着拒否もなかった。
歯は 落ち着いているという事だろう。
入れ歯を外すって 在宅の頃から見られていて そんな時は気持ちの落ち着かない時が多かったと思う。
ただ 時に入れ歯の当りが悪くてそうする時もあったので必ずと言う訳ではなかった。

居室でお茶を飲んでゆったりしてから ホールに移動して入所者の方とじゃんけんをして遊んだ。
「私 忘れっぽくしてね 覚えていられないのよ」と言う方がいて
「私もそうなのよ。同じですね。仲間に入れて頂いて良いかしら?」と聞くと「そうね 仲間ですものね。よろしく」って言ってくれた。
言葉の話せる方の間に入った母が徐々に押し黙っていく。
じゃんけんは 一緒に出来る。
他の人は 勝とうと意識してできるけれど(少し曖昧だけれど...)
母は グー チョキ パー は使い分けるけれど 勝負と言う感じではない。
入所した頃には まだ 勝負を意識していたけれど。
「勝ったのよ」と拍手してあげると喜べる。
会話しながらじゃんけんすると会話についていけなくて どんどん落ち込んでいった。

隣に別の方が見えたのを機に 居室に戻った。
母をギュッとだきしめると暫くその体勢を変えようとはしなかった。

トイレ誘導してから着替えてお散歩に誘う。
でも 言葉を理解できないようで「?」と言う表情。
「お・さ・ん・ぽ」とゆっくり言って 手を引いたら少し判ったようで立ち上がった。

外に出ると直ぐに「あつい あつい」と嬉しそう。
居室で幾度も「歩ける?」と聞いたのだが 無反応だった。
外に出て同じ質問をすると「歩けるよ」と威勢の良い返事が返ってきた。
ほんとに不思議なんだけれど外にでると言葉が出るようになる。

コンビニで アイスを買って 少し先の公園のベンチでアイスを食べてもらう。
ちょっと零したら「勿体無い」と言う言葉が飛び出した。
食事中にも零すけれど「勿体無い」という事はない。
これも不思議な感覚である。

こういう収穫があるから 母とのお散歩は楽しい。
「ありがとうね。一緒に散歩できて嬉しいわ♪」というと深く頭を下げてくれた。
「青い空だね」と空を見上げてから 足元に転がっているどんぐりを拾い上げた。手の平に載せてあげたら コロコロ転がしていた。
♪どんぐりころころどんぐりこ...♪と唄うとリズムを取ってくれた。

休息後 また歩き出した。
母の顔に汗がじっとり滲んでいる。私はといえば 汗が流れているのだけれど...。
時折 涼しい風が頬にあたると 母は「気持ちよいなぁ〜」と言う表情をする。
「涼しいね」というと深く頷く。

野菜スタンドで野菜を購入。
農家の方が出て見えて「お変わりなくお元気ですね」と声をかけてくださった。母 ニッコリと返事していた。

大きな道路を横切ろうとしたら 車が来るから危ないといわんばかりに私の手をギュッと引く。
信号が青になっているので大丈夫なのだが 母はきちんと車が止まらないと納得できないのである。

母が認知症になって間もない頃 ふるさとで1人歩いている所を弟が偶然通りがかってみつけたそうだ。
信号無視で道路を渡ろうとしていたと言っていた。
そういう事が度々あったと聞いている。
確かに 我が家にいたときも 怒りモード全開の時には赤信号だって気にしなかった。
あの頃は 思いつめてひたすら自分の世界を走っていたのだろうと思う。

今だって 1人で歩けたらおなじ事が起きるのだろうと思う。
相方がいれば 危険回避まで気が廻るという事かな?

少し 遠回りをして二つ目の公園に立ち寄り小山を上った。
「上るよ」と言うと少し気後れした表情。
「が・ん・ば・ろう♪」と声をかけ ゆっくり上った。
下りは 怖いようで「おかちゃん」と繰り返していた。
身体を支えているのだけれど 母にとって人の支えは当てにならないという感覚がある。
基本的には その感覚が正しいのだと思う。

こうやって母を支えてのお散歩が何時まで出来るか...と考える。
やめる限界は 母が歩く楽しみを感じられなくなった時と思う。
出来れば 車椅子になってもお散歩に連れ出したいと思うけれど 母の場合歩けなくなった時が寝付く時なのではないかと感じているのだが...。
先の事は 誰にも判らないことだから 考えても仕方ないけれど...。


2007年09月20日(木) 介護士の待遇改善の請願書


 先日 母の施設で介護士の待遇改善の請願書に署名協力した。
数日後 職員から「協力願えるなら人の集まる所に出かける時があったら署名集めてもえらえますか?」と頼まれた。

職員は 仕事をしているのでご近所位でしか署名が集められないという事だった。

介護士の待遇改善は 必要と感じてはいる。
ただ 今回は首都に限られているのが気になっていた。
また この待遇改善によって 利用料に跳ね返ってきたら困る。
だから 結構この事は悩ましかった。

本当は 介護を利用する人と介護サービスを提供する人と話し合って利用者が窮地に陥らないように考えて見た方がよいと思っていた。
そして 地方で働く人も同じ立場で考えられないものかとも感じていた。

いろんな迷いがあったが やはり待遇改善の署名に協力して一歩踏み出そうと決めた。

首都圏では コンビニのバイトにも人が集まらないという。
介護職は 重労働なのに賃金が安いので若い人が集まらないと聞いている。

と言う訳で 集まりのあるたびに署名用紙を持っていって署名協力を願った。
今日も介護者のネットワーク会があったので 署名してもらった。
実は ネットワーク会に参加する方からも待遇改善について考えようという提案が出ているという事だった。

介護というキーワードで 同じ土俵で話し合えるような日が来て欲しいな。


2007年09月19日(水) 入浴できて良かったね♪


知り合いのヘルパーさんから「相談にのって貰える?」と紹介された方がいる。精神科に入院中なのだが これから退院に向けての準備態勢に入る事での相談。

勿論 病院の相談員も退院先を考えてくれているのだが 自力でも探す。
在宅の可能性も探っておいである。

一昨日「本を返却がてら 状況変化もあるのでお話を聴いていただけますか?」と電話を受けたので「今日の午前中」で日程調整した。

いろんな病の合併症の果ての認知症併発。
この種の病での個人のHPは これまで見た事はない。
事例としては 過去に同様の介護をなさっていた方介護仲間がいるくらい。

「追われて外に出て行く気力すら湧かないでいる人が潜在的にいるのではないかと...」とその方から言われた。
いつも 其の事が気になっているのだが...。

前回 地域包括にも相談してみるようにと伝えていた。
当たってみたら「今 手一杯で対応は無理だけれど 施設案内できる信頼できる機関があるので 紹介します」ということで 2ヶ所の相談機関を紹介してくださったそうだ。
そこの相談機関の方は 見学を含め当人を連れての面会の折にも立ち会ってくれるといってくださったそうだ。
確かに 介護者一人では 直ぐに理解できないことでも専門の人が立ち会う事で危険回避できるという事か?
しかし その機関が信頼できるか?
地域包括の紹介であるから大丈夫とは思うが...。
もう少し この手の情報を集めて見ることが必要かなと思った。

相談を受けると言うよりも 雑談形式でお話を伺うのであるが2時間近く母のリハビリの時間が迫ってきて冷や冷やした。
お話も納得できる所までできて 母のリハビリにも間に合ったけれど...。
話し込むと時間が読めなくなるので 相談を受ける時間の配分も注意しなくてはいけないと反省。

しかし 介護者は アクションを起すのにいろんな迷いが生じる。
その時にゆっくりお話できる人がそばにいれば良いのだが ネット利用できない人もいて...。ケアマネからも離れているとほんとに大変だと思う。

母のところの出かけると母はご機嫌の笑顔だった。
すぐさま居室に誘導する時何となく臭うので トイレ誘導。
ちょこっとね。
職員に確認すると午前中あったらしく残りのようだった。
全て出たとは思えなかったが 時間なので切り上げて 手洗い歯磨きをしてリハ体勢に入った。

今日の母はご機嫌の笑顔のように超ハイテンション。
横になっても ニコニコしながら上半身を幾度も起していた。
「おかちゃん」という不安の声は聞かれないが ぬいぐるみを横に置くとそれで遊び始める。
療法士さんが足の屈伸の誘導を始めるともう一方の足も動かし始めた。
そう 両足を動かすのだ...。

ま 足を両足を動かせば多少は腹筋運動にもなるかも知れないし 上半身を起すことは 首の筋力等も使うのだろうし...と考える事にした。
動かせるという事が幸せな状態なのだろうから...。

リハビリの後 再度トイレ誘導したら予測通りまたちょこっと。
そこで すべて排出できる所まで踏ん張ってもらった。
今日は 自力で少しいきめたので良かった♪ 

その後 持参したお茶を飲んでもらいながら 私も昼食を摂った。
ドライシャンプーをして顔をよく拭いて 歯磨きをしてホールへと移った。

入浴嫌いの入所者が職員の呼ぶ声に吸い込まれるように浴室へ入って行かれて 其の儘無事入浴できて行ったのをみて嬉しくなった。


2007年09月18日(火) 就労者の認知症介護


彼岸の入りも間近かとなってきているというのに...あつぅ〜い。
気持ちは 秋に突入しているのでふぅ〜とため息が出る日々。

今日は 会議の為に電車に乗って出かける。
丁度 娘の出勤と重なって途中駅まで 連れだって行った。
本当は 座りたいのだろうけれど 親に席を譲ってくれたわ。
「ありがとさん♪」

会議のあと 座談会に出向く。
「働く男性介護者の本音を語る」と言う座談会。
女性の視点での話も欲しいという事で急遽参加することになったのだ。
本当は 就労者の介護としても良かったそうだが 企画する方のちょっとした思いがあって「男性の介護」になったようだった。

座談会に集った介護者は たまたま介護の始まりが似たような時期で介護保険の始まる前に発病だった。
家族構成等は個々に違う。
介護者の他に独立行政法人の就業環境・ワークバランス部門の研究員の方も参加くださった。
育児介護部門での優良企業さんにも声をかけたが 参加して頂けなかったそうだ。

コーディネイトは アラジンの牧野さん
2時間枠の中で 率直な話がなされた。

育児休暇は 結婚・出産と言うルートで「おめでとうございます」で話題に上りやすいが 介護は「入院したんだって」「調子悪いんだって」と言う所から始まり 聞いてよいのかなと言う思いも絡んで話題に上らないという要因もあるそうだ。
また 脳溢血等の介護と言う視点で休暇の日数を考えていたので 認知症のような場合に当てはめ難いという問題もあるという事だった。
これまで 要介護者のことについての課題を追って来て 介護者の事は置き去りにしてきた部分もあるので浸透を図りたいと言う話も伺えた。

1人の介護者は 看取りの済んだ方である。
でも 認知症初期から「自分が見る」と決め お子様にも病を告げずに 就労・子育て・介護を一手に引き受けられた。
会社にも 妻が病である事は告げていなかったと聞いて絶句してしまった。
これを美談にしては いけないのだ。
後半介護サービスの情報が入るようになって楽になったので これからは 情報を利用して1人で抱え込まない介護に取り組んだ方がいいとご本人も提言なさっていた。

座談会は どのような支援がが地域社会や企業にあれば 働きながら介護継続できるか必要なサポートについて共に考え提言をするという目的があった。

企業も認知症の介護者の実態を理解して欲しいし 社員のメンタル部門の強化を図って 社内の介護者の駆け込める場所を設置して欲しいと座談会参加者の一致した願いとなった。

まだ整備しきれていない今の就労介護者が どうすれば良いかという事では 直属の上司や同じ部署の人に話すよりも 社内の厚生福利担当のような部署外の人に話して 社内の介護休暇の制度の情報を得ることがベストという事だった。

ただ 問題はそれで解決するほど単純ではないのだけれど 1歩踏み出さないと 変わっていかない。
本人が病の事を語り始めたように 介護者も介護の実情を語っていく時期にきているのではないかなと思う。

サラリーマンなら会社に言えるけれど 
自営業者は...?という事もあるし 中小零細企業の問題もあるのだけれど...。それぞれの場所で 声を上げてみる事が大事かもしれない。


2007年09月17日(月) 何の効果?


敬老の日である。
昨日帰り道すがら 「あしたはきっと...」と言う予感がした。

だから 今日は朝早くでかけて 母のお付き合いをしようと決めていた。夕べの芋煮を持って...。
芋煮は ひと晩置くと味がしみこんで美味しい。
好みもあるけれど...母はきっとそうだ。

出るまでにもたついて 少し出遅れてしまったが 昼食の前には着いた。
母は テーブルで浮かぬ顔をしている。
なかなか 立ち上がろうとしなかったが 何とか立ち上がって貰った。その途端 昨日の予感が的中していると判った。
♪遅かったのね 君のとこに... もう少しばかり 早くが良かったね♪
すぐさま トイレ誘導。
母は 気まずさを感じていた。
「大丈夫よ。そのために私がいるんだから。大丈夫よ!」というと
「だいじょうぶと言ったって...」と渋い顔。
下ろしかけたズボンを自分で上げようとしていた。

こういう一連の動作を見ていると 母は判っていると感じる。
緩めだったので 制御できなかったのだろう。
早く家を出ていれば...。 施設に入った時 他の人に挨拶なんかしないで母のそばに行ってあげたらきっと間に合ったと思われる感じだった。

ほんとに済まない事です。
「ごめんね」と母に詫びた。母も済まなそうな顔をしていた。
でも残りは トイレに排泄できた。

ホールでは 食事が始まっていたので 窓を全開して不快な臭いが広がらないように お腹には アロマオイルを塗った。

手洗い 歯磨きを済ませて 居室の椅子に座ってもらった。
職員に居室で食事取る旨を告げた。
配膳は職員がしてくださった。
ご飯を一口運んだ時は いつも通りの顔だった。
芋煮の蒟蒻を運んであげると 「うふふふ」と小さな声を立てて笑う。気のせいかとも思ったが それから 施設のご飯と芋煮の時との様子をみていると やぱっり 芋煮を食べる時は「うふふふ」と小さな声を出して笑った。
「芋煮だよ」と言っても「?」と言う感じだったのに...食べると判るみたいだ。
五感の為す「めぐみ」なんだろう。

昨日も他の家族に「〇さんは 食べる意思があるから...いいね」と言われた。

比較的そうなんだろうと思うけれど でも 一時は ご飯を運ぶとぷいと横を向いたり 口を閉じたままだったりの日々が続き 騙し戦法で毎日食事介助していた事もある。
このまま 食べなくなるのではないかという不安に駆られたものである。
嫌がっているのだから 噎せも出たし...。
嚥下力の後退かと冷や冷やしてもいた。
首の運動を繰り返し 外に出て刺激を受けて...そんな日々を繰り返しているうちに ゆっくりと快復してきた。

こうやって 芋煮を美味しいと感じて「うふふ」と笑えるようになって嬉しい。
母の嚥下力は ある程度快復したという事だろう。

でも昨日 私に「食べてくれるから...」といったご家族の入所者は今 全てミキサーになってしまっている。
お昼の食事は 母の食べる前から始まっていたと思う。
母が 家から運んだものを含めて食べ終えて食器を片付けている時まだ その方は 3分の1も口にしていなかった。
職員が介助していた。
職員に「介助しますよ」と伝えて 母をホールの椅子に座ってもらった。
それから ゆっくり介助を始めた。
「良く噛むと 頭の血の巡りが良くなるのだそうですよ。私 忘れっぽくてね だから しっかり噛んで食べる事にしたのですよ」とお話すると ニッコリ笑っていらした。
最初は やはり口を開かなかった。
「お腹空いてないの?」と聞くと頷かれた。
「そうかぁ〜 それじゃ 食べるのは辛いね」じっと私を見入っていた。
「水分は 血が濃くならないようにするために必要なのよ。飲んで見る?」頷いた。
目の前には 実のない味噌汁(トロミなし) お茶 高カロリーの液体の3種類が水分としてあった。
「お味噌汁ですよ」と口元に運ぶと ごくりと飲んでくれた。
「次はお茶ですよ」と口元に運ぶと またごくりと飲んでくれた。
幾度か 水分を運んでから 酢のもののミキサー食を運ぶ。
スプーンで運ぶと歯を固く閉じて受け入れ拒否。
器を口元に運ぶと唇についた酢の物をぺろっとなめた。
でも酢の物は基本的にあまり召し上がらなくて お粥のミキサー食は「ご飯ですよ」と口元に運ぶとごくりと飲み込んでくれた。
水分は 全量摂取。+ポカリスウェットを。トータルで800近くを摂取できた。後は ご飯を半分。おかずは2品を3口4口程度。
話しかければ じっと目を見てくれるので聞いていてくれていると感じる。だから「ありがとう」「嬉しい」と繰り返し伝えた。
食後 ソファーに移動した時握った手をギュッと離さなかった。
考えれば この人は随分前からギュッと握って手を離さない。
これまで 癖なんだろうと思っていたけれど ひょっとしたら不安なのではないだろうかと思った。

その後 昨日右手だけ爪を切ったので今日は左手の爪切りをした。昨日は 少し嫌がっていたが今日は 何も言わずに切らせてくれた。母だけとゆっくり食事したからの効果かなぁ〜。

爪切りを出したついでに 爪の伸びている入所者に爪切りを渡して「爪切られませんか?」と言ってみた。
その方 食後からウロウロと険しい顔をして動き待っていた。
声をかけると「母が具合が悪くて...帰らなくてはいけないのです」とそっけなかった。
爪切りを渡した時は「いそがしいのよ」と言われたり「慣れない爪切りは使い方が難しくて...」なんて言われていた。
がとても綺麗に切っていた。
「じょうずですね」というと「これくらいはね」と言っていた。
右手の薬指と小指のところまで来たら「切って頂戴」と依頼してきたので切って差し上げた。
最後に鑢をかけたら「ここまで丁寧にしてくださって あなた優しいのね。ありがとう」と感謝された。
またまたついでに 「髪の毛を梳かして見ませんか?」と居室に誘導するとついてきてくれた。
そこでゆるめにドライシャンプーし頭皮マッサージをして髪の毛を梳いた。
「ありがとう♪何から何まで...ほんとに...」とお礼を言ってくださった。
母も以前は 落ち着いている時は 同じような事言ってくれたんだけれどなぁ〜「...」

その後 険しい表情は消えて じっと椅子に座って落ち着かれていた。

今日の母は 他の人にいろいろして差し上げてもニコニコ見守ってくれていた。やきもちを焼いたりする事はなかった。
トイレのタイミングは遅れたけれど 芋煮の効果があったかな?

どの方もゆっくりと向き合って貰えれば 落ち着いてくるように感じるんだなぁ〜とつくづく感じさせられた一日だった。
みんなが 落ちついてくれるとこちらも満たされる。


2007年09月16日(日) 敬老のお祝い会


午前中 施設の決算報告会があった。
開設当初は 参加者もホドホドいたが 毎年少なくなってきている。
仕事で来れない人もいるだろうけれど...。
寂しい限りである。

介護保険や健康保険の行方 これから先の不安 果ては行政のあり方にまで話は飛んだ。
その件に関しては 特に意見を発しないでおいた。

本当は施設内の様子や入所者の変化等について率直な意見交換が出来ればいいなと思うのだけれど...。
いろんな思いを拾い上げて対処できること 出来ないこと等を話す事によって 家族に見えてくることもあるだろうと思う。
大概の方は あまり判らないと思うのだ。

現実に 食事介助のこと等 会が終わってから家族同士個々に話されていた。根底に 面会に来れなくて託している身では 任せるしかないと言う思いがあり口に出来ないとも言っていた。
やはり 家族会は必要で 足りないと思うところをどうやってカバーしていくか等自衛の方策を意見交換できればモヤモヤせずに済むような気がする。
批判するのではなく 快適に過ごしてもらうための知恵を集約するのが目的。

最後に意見のある方と言われたので できれば...という事で 希望を出しておいた。

11時前には会が終了し後はフロアごとにお祝い会を執り行なわれた。
母のフロアの家族は4人見えたが 1人は先に帰られた。

入所者は 皆さん 今日の日のための服に着替えられ 女性は薄くお化粧していた。
母も頬紅や口紅をさして貰っていた。
口紅が落ちてきていたので 居室に連れて行き口紅を再度引いてあげた。
これが とても嬉しそうだった。
母は これまで化粧してもらうことを嫌がっていた。
ちょっとした変化である。

それからトイレ誘導 待っていたように長い排尿が出来た。
今日は 誘導に空振りはなくて失敗もなかった。

昼食は 2段弁当が入所者。
普段ミキサーをかけている人には きちんとミキサーをかけていた。

母のお弁当を見ると 伊達巻に小さなハート型の人参が飾りに付いていた。
ミキサーの人には そのハート型のかけらもなかった。
出来るなら 其の儘残してあげるとか ミキサーをかけたものをハート型においてあげるとかの配慮があればよかったと感じた。
家族には 五目チラシと煮物とおでんとお澄まし。

入所者の1人が「大勢で嬉しい」とワクワクするような心の内を吐露された。その方は 今日は食欲旺盛で普段の3倍は食べていらした。
いつもなら頻繁に「トイレ行きたい」「眠りたい」を繰り返し言われる方だが 今日は 食事が済むまでそういう言葉は1度も言わなかった。
ご夫婦で参加なさっている方をみて「結婚式」と言われたり「お正月みたいだ」と言われたり...。
ご自分のご家族の姿はなかったが ほんとに楽しそうでこちらもワクワク感を共有させてもらった。

母も今日はご機嫌で ゆっくりながら全て完食。
おでんのジャンボ白滝大きいので無理だろうと私が食べていたら チラチラと母の視線を感じた。
「食べる?」と聞くと頷くので 控えめに上げたらご飯を飲み込むよりすばやく食べ終えてしまった。
母は白滝が好きなのだ。
そこでまた 運んであげたら満足そうに食べていた。
ついで煮物の牛蒡や蒟蒻や里芋をあげたら これもおいしそうに食べていた。母の好物だものね。

みんなおなかいっぱいになったようだった。
ビールの飲める人にはビールも配られた。

その後それぞれが思い思いに過ごす。
職員の歌も聞かせていただく。

母は 食後歯磨き トイレ誘導等いつも通りに。
今日は 大きい方はほんの気持ちのみだった。

おやつも出て 皆さん それも頂いた。
夕食の支度が始まる頃に そうっと施設を後にした。

ゲームとか手品とかなかったけれど それでもみんな十分に楽しまれてたと思う。


2007年09月15日(土) ちょっぴり反省


母の髪の毛が伸びきっていて美容院に連れて行かなければ...と思ってた。
美容院に連れて行くには 体調や機嫌を見なければならない。
最近は 洗髪が難しいので 洗髪を済ませた方がベスト。
この数日で入浴できているだろうか?
そんな事を考えながら 施設に向かった。

母は昼食の後半で 職員からバトンタッチして食事介助をした。
体調はまぁまぁって所。
葉物の飲み込みが良くなかったが 何とか終了。

昨日 排便があったという事で少し安心。
トイレ誘導し 排尿を済ませて歯磨き。
その後 洗面台でドライシャンプー。
と言うのもシャンプー前に ある程度ドライシャンプーしておくと母の嫌がる本洗髪を手早く出来るからである。
ドライシャンプー後 更にシャンプー液で頭をマッサージ。
其の儘 浴室の大きな洗面台を借りて本洗髪。
シャワーで洗い流そうとしたら 母が嫌がり 右に左に後ろへと身体を動かす。衣類にお湯がかからないようにシャワーを止めたり試行錯誤。
シャンプーハットを借りて 更に工夫を重ねる。
顔や耳に絶対お湯が流れないのだけれど 頭をお湯が流れ出すだけで 恐怖に陥るようだ。
「綺麗にするのよ。だから我慢してね」と声をかけるとコックリ頷くのだ。
それで またシャワーで流すと嫌がる。
これの繰り返しである。
母は気持ちでは 理解できているようなのだが シャワーの感触でそんな思いが吹き飛んでしまうようだった。

母が嫌ならやめてしまえば良いとも思うのだが...。
母の内心は 綺麗でいたいのだと思う。
鏡の前に行くと手櫛で髪の毛を整えるから...。
どちらが本心かとも思うのだが きっと両方本心だろう。

という事で ちょっと強行して何とか シャンプーを洗い流してリンスを済ませた。   終わった頃は 母の衣類はかなり濡れた。
ブラウスは襟元が濡れたのでシャツ姿となっている。シャツまで濡れる事はなかったのだ。
座っているので ズボンは膝当りが湿っていた。

部屋に入って着替えた。
それからゆっくりドライヤーで乾かした。
その後 持参した紫蘇ジュースで水分補給。

それから美容院に向かった。
施設に着いた頃は言葉や意思表示は殆どしなかった。
シャンプーしている時は 「いや」と「おかちゃん」を大きな声で連発してたけれど...。

外に出ると途端に言葉が出る。
「どっちに行くの?」とか「いっぱい」とか。
バス停に向かって歩き始めると信号の所で空車と遭遇し乗り込む。

美容院は 施設にいる時に混み具合を聞き ついでに予約しておいた。
直ぐにカットしてもらえた。
カットの間 機嫌は悪くないが右を見たり左を見たり 実に忙しい。
カットをする方も綺麗に揃えることが大変だなと思った。
美容師さん 嫌な顔も面倒そうな顔もせずに 鋏を動かしてくれていた。
緩やかに残っていたウェーブはカットされて ちょっと可哀想な気がした。
でも仕方ないだろう。
次の機会には機嫌よく体調の良い時を選んでいく事にしよう。
きっと11月が良いのだろうけれど...。

美容院を出て トットコ歩いて駅に向かった。
歩き具合は まずまず。勿論 介助あり。
それでも1キロくらいは歩いただろう。
美容院の階段の上り下りも危ういけれど何とかできた。

スーパーで母用にメカブを購入し「ケーキ食べる?」と聞くと頷くのでデパートの珈琲ショップに入った。
アイスクリームにウィンナーをかけたものとチョコレートケーキを食べてもらう。夕食前なのでケーキは半分。
母の視線は相変わらず忙しく動く。
「賑やかだね」というと深く頷く。
「いつもと違うね」というとまた深く頷く。
これが 施設にいる時と違う所である。
施設内にいると頷き方がはっきりしないのである。
やはり 外の方が刺激があるという事だろう。
嫌がっている風はなくて 帰ろうとしても「うん」と言わない。
少し回り道をして「帰る?」と聞いたら「うん」と頷く。

バスに乗り込んだ。
機嫌は悪くないのだが...降りる時が心配。
バスで停留所6個目。
一つ前の停留所を過ぎた時に準備のため母の前に立って「次降りるからね」と囁いたのだが...。
停車して立ち上がって貰った途端「モニャ モニャ」と言って座り込んだ。
    ...アイタタタ!始まってもうたわ...
すると前の席に座っていた方が 立ち上がるのが大変だろうと手伝ってくれた。だが...!!!
母は 「あなた 何をするの!!!」と怒りモード。
「ありがとうございます♪...すみません...」冷汗たらりだった。
それでも 後方からそっと見守ってくださり 私は母の両手を引いて降車口に向かい 何とか降車できた。
ヤレヤレである。
往きのタクシーの時は 降車拒否しなかったので助かったのだけれど...。
ま いいかぁ〜 いつもよりもめないで予定の所で降りられたのだからね。
手伝ってくださった方に深く感謝。

施設に戻って手洗いうがい着替えを済ませて 夕食を頂く。
夕食は始まっていたのだ。

職員が介助下さろうとしたのだが 遅めのおやつを食べたので大変かと思いこちらが介助することに。
まぁまぁの速度で夕食を食べ終えた。

日暮れ時 自転車を走らせて帰宅した。
今日は 暑かった。
美容院に向かう時も 駅に向かう時も 母は汗が流れていた。
私も洗髪時には 汗でびっしょり。母の介助でも汗。帰路の道も汗。
でも この暑さも一頃と比べれば 大したこともない。

あしたは 朝から施設の行事があるのだ。
そうそう バスの降車拒否の原因 何となく判る。
帰路にトイレ誘導しておいたら きっと大丈夫だったのではないかと思うのだ。施設に着いた時ちょっとパットが濡れていたから...。
少しの手抜きだった。反省である。


2007年09月14日(金) 三連休?


 朝日新聞のコラム「患者を生きる」を読んでいる。
前回は 糖尿病のシリーズ。
今回は 認知症。
これまで家族が感じていても なかなか表に出さなかった事も随分書き表されている。単行本とは違い 一般紙。
読者層も広いのではないかと思う。

認知症は 当事者にならないと考えないので こういった一般紙で触れ知ってもらう事は良い事だと思う。

母が認知症初期から中期にかけての頃 夫があるテレビ局の人の雑談で「痴呆症の話はあらかた言いつくされて番組としてはねぇ〜」と言ったような話になったと言われた事があった。
今はどうか?
また いろいろ番組として取り上げられる事が多くなった。

この十年で 認知症の理解は深まったとは思うが 一方で十年前と変わっていないかも...と言う所もある。
本人と介護者は 密接な関係にある。 
介護者の支えももう少し深まってくれればいいなと思うこのごろである。

今日は 会議のため電車に乗り継ぎ出かけた。
2連チャンの会議の予定がひとつキャンセルとなって2時間で切り上げられた。
来週は 週初めから施設の説明会や敬老会があり 他にも予定が入っている。少しパタパタする週になりそうだわ。
風邪 早く治ってくれぇ〜。早く直すには睡眠が大事。
今日は 早く寝ることにしよう〜。
世の中3連休。でも我が家に連休はなさそうだわ♪




2007年09月13日(木) 老人病院見学 その2


今朝 おそるおそる菜園に行った。
台風以来初。本当に手抜きなんだよね。

ゴーヤの棚が半分倒れかけていた。
土台はしっかりしているのか下の方は無事。
それでも ゴーヤは青々とした葉を茂らせて育ちも順調。
ゴーヤ 4.5個収穫。
ナスは小休止。でも小粒の物を2個収穫。
空芯菜も太った茎を鋏でバサバサ切り葉だけ摘み取る。
前回 捨てた空芯菜の茎に新芽が出ていた。
ほんと強い作物だと思う。
ニラの花の小さいのだけ摘んでいたら 隣の畑のおじさんが「何をするのですか?」と質問してきた。
「これをサッと茹でて食べるのです。シャキシャキ感がいいですよ」と返事した。
そこから 菜園談義となった。
「家にもニラあるけれど まだ花咲いてない」というのでみると畑の真ん中に植えてあった。
「お日様が当たらなくなるから...」と言う理由だったが「風通りは良いので端の方に植えても良いかと思う」なんて 口幅ったい事を言ってしまった。
菜園暦なんて短いし 手抜き専門の人間なのに...。
でもおじさん 真剣に聞いている。
何事にも一生懸命な方なのだなぁ〜。

ニラの花少しと空芯菜を「試食なさってみて」と差し上げた。
好奇心も旺盛で「やってみます」とニコニコ。
年を重ねても そういう好奇心を持ち続けたいなぁ〜。

後は草を抜いて 紫蘇の枝を数本切って 葱の根元に土をかけて今日は引き上げた。

紫蘇も穂が出始めた。
紫蘇ジュース用の赤紫蘇。薬味用の青紫蘇。
青紫蘇は 一枚一枚洗って水を切って拭いて ごま油と醤油をたらして器に重ねていく。
これが 美味しい。
板のりのような使い方をしてご飯を食べる時も有るし 奴に乗せる時もある。エゴマにもこういう使い方をする。エゴマは 豆板醤のような辛味のあるものを使っているのを食べた事がある。
保存が効くので重宝だ。

今日は 母のシャンプーをして美容院につれて行こうと思っていたのだが予定変更した。
地域にある老人病院を見学だ。

昔からある長期療養型の病院である。
これまで あまり良い話を聞いていなかったので「どうかな?」と思ってた。でもやはり 施設も病院も 原則近いほうがベスト。
そこは 母の施設からも近くで 今の母でもお散歩コースに入れても大丈夫な距離である。

先日出かけた所と比べると駅を起点としたらバス5分徒歩6.7分と近い。
建物は古いが 古い故にゆったりと立っている。
一般の人が受診も出来るので医療体制も万全。
先日の病院は看板もないので一見?と言う感じだったのに対して ここは外に向けて病院と表示がある。

病院の説明をしてくれた方は 中年の男性。
「見学はいつでも良いですよ」という緩やかさ。
だから 前もって保険証持参してなんて言わない。
でも 料金に関する事は ほぼこれ位ときちんと説明してくれた。
一般と介護型と医療型があり 入院する時は一般から入るようになるという事から始まり 期間も含めて通例の目安となる期間を話してくださった。
それから 入院までの手順の説明も。
そして院内見学。
先日の所より古いので 廊下も広々。古いけれど全体に明るかった。
職員の写真や名前等の案内はないが こちらが挨拶する前に職員の方の方から「こんにちわ♪」と挨拶してくださった。

先日の病院はホテルを思わせるロビーだったが こちらは そういう事はない。
ご主人の転院先を考えているその方は 先日の病院よりこちらの病院の方に好感を持たれた様子だった。

介護仲間との話で 大分改善されていて言われているほど悪くはないねと言う話になった。

後は 入院してみての実際だろう。
どちらも終身まで大丈夫そうだが 医療スタッフを考えると今日見学した方が安心できそうな気がする。
それと先日の病院は「よくなること」を前提の考えはしなかった。
今日の病院は「良くなること」「悪化すること」の両方の事を考えていた。
たとえ 重篤であっても良くなる可能性が無いような言い方は 家族として更に気持ちが沈みこむような気がする。

今日も 仲間のおかげで自分の老いて行く先の学びが出来て感謝である。


2007年09月12日(水) なんなんだ???


お弁当を作って 母の施設に向かう。
丁度 娘が家を出る所だったので駅まで車に乗せて貰った。
お天気が悪いので自転車と言う訳には行かない。

母のお天気も曇り空。
声をかけて立ち上がって貰おうとするが「なんで 立たなければいけないの!」という少し怒りモード。
「ちょっと 立ってみようよ」と両手を差し出してみると 納得し兼ねるという渋々モードで立ち上がってくれた。

「ほら 立ち上がったでしょ。もう良いでしょ」と言う感じで椅子に座ろうとするので「お部屋に行ってみようよ」と椅子をテーブルに押し込めて ちょっとだけ強引に居室に誘導。

2.3歩進むと 少し気分が変わったようで居室に向かい始めた。
最近の母 こんな具合に 2.3歩で気持ちが変るという事が多いので 拒否があっても諦めないようにしている。
何かで気分が悪いのだろうけれど 気分の悪いままでいるよりもいい気分になった方が良いのではないかと思うからである。

居室に入るとギュッ。
今日の母はギュッを いつまでも 離さなかった。
つまり 不機嫌さは 体調のせいか?となるのだが...。
実は 今日は施設の一斉清掃の日で清掃業者さんが入っており他のフロアの入所者もいて いつもと違う環境だったのだ。
職員は「すみません 人が沢山で気持ちが落ち着かないのかもしれません」と言われてた。
本当の所 どっちなのかは判らない。

直ぐにトイレ誘導。
音を立てて長い排尿。我慢していたからなのかなぁ〜。

暫く トイレでお腹をマッサージして 気配もないのでトイレを出て 手洗い後歯磨きをしてもらう。

ついでにドライシャンプー。
母は 頭を下げて協力体制を取ってくれた。
頭皮マッサージ後クシで髪の毛を整えていると鏡を見て その様子をじっと見入っていた。
「これで良いのかな?」と聞くと母は頷いた。

ホールで 配膳の気配がしたので 職員に居室で食事したい事を伝えた。
私自身 風邪が抜けないのでうつしてもいけないと思ったし 人も大勢いるので母のためにもその方が落ち着くだろうと思ったからである。

お弁当を広げて 母は施設の食事。
生憎 2人の副食は似ていて 楽しいトレードはない。
でも「菊のお浸し」と「トマト」は母に譲った。
菊のお浸しは 最初口から出そうとしたのだが 暫くすると箸を伸ばして食べ始めた。
こういう事って やはり思い出すまでに時間がかかるっていう事なのかなぁ〜。
でも小鉢ひとつ分より多い 菊のお浸し母の独り占めだった事は嬉しい誤算。トマトは意識して持ってきたが それも食べてくれたのも嬉しかった。

昼食後の歯磨きを済ませトイレ誘導後 療法士さんが見えてリハビリが始まった。
母は割りに落ち着いてリハビリを受けた。

リハビリの間 くしゃみと鼻水が続いて 慌てて着替えを準備して置いた。
着替えを済ませて ホールに移動。
母は笑顔を取り戻し 冗談のポーズまで出る所まで復帰していた。

ソファーに座らせた時に テレビに目が留まり 目が点になってしまった!!!  「安倍首相辞任」
テレビを見ている人はいなくて 見てたとしても今の政局の流れまで理解できる入所者は居ない。
もし 病になっていなかったら テレビの前で「おかしいよね」って論議になっているだろうなぁ〜。

1人テレビの前で へホッ!
力のない目でテレビの前の首相の会見が始まって テレビから目を逸らしてしまった。

何なんだ これは!!

気を取り直して ホールにいる入所者の方と少し話した。
知り合いの入所者がほっぺを出してきたのでほっぺとほっぺをスリスリとしたら 他の人も「してよ〜」って望まれてスリスリ。
母の所に戻ったら もう「あっち向いてホイ!」となっていた。

職員も気が付いて 母に声を掛けてくださり 多少機嫌は戻ったけれど...。
やっぱ 焼餅だったかなぁ〜。


2007年09月11日(火) 老人病院(長期療養型)見学


利用者さん訪問日である。
今日の仕事は 離れの本の整理である。
離れに 利用者さんと向き合ってせっせと本を束ねた。
あまり重いと利用者さんが持ち運ぶことが出来ないので 実際に持って頂いて束ねるかさを決めた。
2時間かけて二人で作業して ようやく半分と言う所である。
全集物は 人気が無いようで引き取って行かなかった。
今日も「どういう本を持って行くのか見ておけば良かったね」と言う話になった。

いつもは掃除なので 作業しながらおしゃべりと言う訳には行かないのだが 今日は いろんなお話をした。
私から見ると たいした役に立っていないのではないかと言う思いが強いのだが 利用者さんは 訪問を受けるようになって気が楽になったと言われる。
今日のおしゃべりも楽しかったと話された。

利用者さんは 有料老人ホームに入居希望をしており 入居しても家は残しておき 連れて来てもらったりしたいと言われる。

でも現実には 難しい事は過去に経験済み。
つまり 余力のあるうちの入居ならそういった事も可能だが 入所という時には 大概の場合自分の意思表示は困難になってくるからである。
利用者さんは 出来る所まで在宅で過ごされる事が一番だと感じている。だから 在宅で過ごせる時間が少しでも長く...と祈るような気持ちでいる。

在宅から別の場所への移動って 不意に訪れる事が多いから。

活動を終えて家に戻った。

昨日 介護仲間が 入院中の家族の転院先として 老人病院を紹介されたとふたつの案内書を持って見え相談された。
隣の地域の老人病院は 初めて耳にする所だった。

一緒にいた介護仲間が機転を利かせて「見学に行きましょう」と声を掛けられたようで「一緒にどうです?」と誘われ同行させてもらう事にした。

そんな訳で 昼食を摂り 約束の場所に向かった。

隣の地域の病院までは 乗換えが必要だが時間的には30分程度である。
綺麗な病院だった。
この土地に移転して もう7年程と聞き 存在を知らないでいた事に驚いてしまった。
以前開院していた名前を聞き へぇ〜と思った。

説明を担当してくれた方は 若いお兄ちゃん。
待たせる事もなく てきぱきとした行動だった。

説明も判りやすかった。
入院費用を試算し目安を提示できるので「保険証を持ってきてください」と言う指示もあって 直ぐに保険証と今の状態の話で利用料を提示してくださった。
そして 直ぐに 減免の申請をしているかとの確認をなさり減免の申請をしてみてくださいと言うアドバイスもあった。

介護主体 医療主体では 利用料が異なる事等も説明してくださった。

入所者は 重度化している事 今現在 空きはない事。
医療入所の変動が比較的早いので医療主体の方から入って頂く事になると思うと言う説明もあった。

他にも具体的に話してくださり 質問にも丁寧に答えて下さる。

その後 院内を見学させてもらう。
院内には 全職員の職務と写真と名前の一覧が張って有った。
こういうところには とても好感が持てた。
見て判るという事は 大切だと思うのだ。

負担額は 特養並みという感じというのが出かけた者の感触である。
衣類は 病院指定のものがあり クリーニング・オムツ・食費・医療負担も含めてあった。

後は もう少しの情報を集めて 他の所との比較である。
自分の老後も含めて 勉強になった。


2007年09月10日(月) やっと...


役所主催の介護者の会だった。
介護者主催の会の話から拾い上げ 今日の会の主題として頂いた。
今日は 認知症と併発する病について。

介護者の会から若年認知症の彩星の会のパンフレットを置かせてもらった。
参加者から若年に関する質問はなかったが パンフレットを持ち帰った方が数名いらした。
ひょっとして 若年の事を知りたかった人がいたのではないのかなと気になった。
この地域には若年の方のための会はないので 孤立していないか不安を抱えていないかと気になっている。

会では 精神科の医師も参加くださり 質問に応えて頂いた。
急を要する場合の救急対応できる病院 もう少し緩やかな症状に関して対応できる病院等を紹介していただく。
現実には 新規の患者は受け付けない病院もあったし 予約待ちの病院も有る。
実際空きのある所の意外な病院もあると聞いているが 役所の方や医師を前にしてそれ以上の事を言うことは憚れたので話さなかった。

勿論 役所や医師の方が把握している事は多いので あてにならないという事ではない。

この会に 以前 遠距離介護でお母様の認知症について質問をしてきた方が見えていた。
「お父様を支えてください。本人が病と気が付かないくらいの介護が出来れば トラブルも少ないと思う」という事を伝えていた。
これを きちんと受け止めてくださり 介護しているお父様にアドバイスしたら お母様の生活が改善されたと話されていた。
介護者が受け止めるって 簡単に出来る事ではないのだけれど
良く頑張ってお出でだなぁ〜と心打たれた。

認知症の初期診断について 画像だけでは診断出来ない場合があるという事は 以前から聞いていた。
つまり 症状が出てきてから判ってくる事も多いという事である。
でも 小耳に挟んでいる情報では 初期でもきちんと診断出来る医師もいる。医療事情もいろいろと最近 とみに感じる。

今日の会の感想を介護仲間に聞いてみたら これまでよりも良かったと思うという事だった。
でも初回参加者の場合 どうだったのかが気になる。

会が終わってから 他の方とお話したいことも有ったのだが 母の事も気になり トットコ施設に向かった。
途中スーパーに立ち寄り 長いもとメカブを購入した。
口の中にいつまでも食べかすが残ってしまう事が気になっていたし
便秘も気になっていたからである。

施設に行くと相変わらず不安そうな表情の母だった。
職員に排便の様子を聞くと 出ていなくて今朝もヨーグルトも飲ませたという事だった。

まだと聞いて 夕食前に何とかできないか...と思って居室に誘導した。先に 歯磨きをしてからと思い洗面台に誘導したら 何となく臭ってきた。
居室に入ると安心したような表情になった。
これは...と思って 急いでトイレに誘導。
もしゃもしゃ...と母は言ったけれど...嫌がる事もなくて 汚れが他に広がらないようにズボンを下げて 手早く便器に座って貰う。
前回 座ってからリハパンを外したら失敗したので 今回はトレパンを下げながら...である。 今日は セーフ。
トレパンにも出てしまったが 残りはトイレに。

緩すぎず硬すぎずだったので助かった。
後で職員に伺ったが 夕方まで出なかったらマグを夕食後に使おうという事になっていたそうだ。
便秘で苦しんだのは間違いないことだが 緩すぎなかったのでトイレで排泄できたと思う。
職員にも日中の対処にお礼を伝えた。

母も「ふたつ」と言っておりトイレで出来た事を喜んでいたと思う。
排泄が済んだ母に 本来の笑顔が戻って上機嫌となった。
言葉も出たし「良かったね。ありがとう」と言う声には はっきり頷いていた。

母は いろんな整腸剤や便秘薬を使ったが やはりアロエエキスとマグラックス1錠が適していると感じる。
人によって様々なので これが絶対ではなくて ひとつの目安として参照していただければと思う。

皆に遅れて夕食。
運んだメカブも食べた。今日は スルスルと入る。
メカブが無くとも口に溜め込まなかったと言う感触だった。

食後 洗面所に誘導して歯磨き。
不安が消えたせいか 私の姿を追う視線は強くなかった。
やはり 困った時の助け手として存在してるのだと意識させられた。

おそらく お腹が空っぽになっている訳ではなくて 未だ残っていると想像している。
だから 通常はアロエは朝一回なのだが「夕食後にも...」と職員に質問された時は「御願いいたします」と伝えた。

しかしなぁ〜 曇っていて 雨も降ったりのお天気なのに 暑いんです。
ちょっと動くだけで汗が流れて...。職員も汗だくだった。
もうちっと涼しくなってくれたら...と思うけれど そうなったら寒い日が近くなる訳で...う〜むむむむ!


2007年09月09日(日) 曇りのち雨


どうも風邪が抜けない。鼻が詰まってきた。
それで昨夜から漢方薬を服用したら 改善が見られた。
残ってる薬を飲み切ってから通院しようと思う。

夫が仕事で午後に出かけたので その後 母の所に出かけた。
母はオタオタして目をウルウルさせている。
直ぐに居室に連れて行きギュッ。娘もギュッ。
母の目から涙が零れた。
調子が良くないけれど どうにも伝えられないのだろう。

おととい便が詰まっていたので出たかなと職員に聞くとまだ出ていなくて4日目に突入だそうだ。
そこで 少し踏ん張ってもらう。
が気持ちが落ち着いていないので 涙を零すだけでいきむ事も出来ないのだ。お腹をマッサージするとガスが出た。
何回かガスが抜けた。
その後少し落ち着いてきた。
これは 便秘で苦しいのだなと感じた。

そこで娘に牛乳を買って来てもらい おやつと牛乳を飲んでもらった。
その後 爪切りをした。手足の爪を切った。
「痛いからいや」と言うが ギュッと手を握ったら痛がらなかった。
綺麗になった指を見せ「綺麗になったよね」と言うと頷いた。
そんな風にしながら 全て切り終えた。
足の爪を切る時 靴下ににじみがあったので良く見ると 水虫がジュクジュクしているところがあった。
其処で 足の清拭をしておいた。

爪切りを終えて 再度トイレ誘導。
この頃になると「出したい」と言う意思を表せるようになってきた。
暫く踏ん張ってもらうと コロンとおちた。
小さかったけれど ちょっとホッとした。
出来れば 今夜の内に出てくれると良いが 駄目な場合 朝に整腸補助食品のヨーグルトを飲ませてもらう事にした。

職員に伺うと午前中はご機嫌で午後に悪化したという事だった。
職員も今日は 入所者の大が多く その処置もあって忙しそう。
母も話せないので辛かったのだろう。

ガスが抜ければ 多少は改善されたと思うが 次に嘔吐の心配が出てくる。
この所 順調に排泄できてマグラックスも量を半分に減らしていたのだが...。いつも同じでないという事だな。

気持ちが落ち着いて こちらも出来る事は処置しておいたので後は職員にお任せする事にして 施設を後にした。


2007年09月08日(土) 思い出したこと


 時折 認知症初期から中期にかけての家族が綴る介護の記録を読ませて貰っている。
そうすると 母の初期の頃の事を思い出す。

母の出来る事を模索した日々の事を。
もう15.6年前の事だが 何を食べたかを記録して貰ったこと。
何処に出かけたかを記録してもらったこと。
記録する時には 「こんな事あったね」「あれが美味しかったね」等おしゃべりしながら...。
でも長く続けられなかった。
母自身思い出せないことが辛そうだったこともあるが 何よりいつも優しく聞き出せる訳ではなかったから。
今も余白の多い記録したノートが残っている。

子供の使った玩具で遊んで貰った事もある。
プラスチックの薄い箱の中に仁丹くらいの玉が入っていて 横に降りながら溝に入れるというゲーム。
音の記憶に沿ってボタンを押すコンピューターゲーム機。
輪投げ。お手玉。
でも玩具の類はあまり長く続けられなかった。
母に遊んでいると言う意識があった事も有るが 1人で楽しめる事はなかったのだ。
子供なら 時折一緒に取り組んで後は1人で楽しめてくる物だが...母の場合は ずっと一緒に楽しまないと無理だったのだったのだ。

母が1人で長く熱中できたのは 縫い物と編み物と折紙。
おそらく母にとって役に立てる仕事だったのだ。
判らなくなるとため息をつくので居間とキッチンの距離なら様子が良く見えた。これは お嫁さんたちも重宝して御願いしていたようで 数え切れないほどの作品を仕上げた。
この頃 母はこれを売って生計を立てられないとか本気で考えていた節がある。事実 バザーに 無償でかなりの物を出展した。

デイケアやデイサービスでも 生活関連の手作業はかなり積極的に取り組んでいた様子だった。

あの時期は 落ち着いていれば 2.3時間は そういった作業に集中できていた。

それでも 私がキッチンに立つ時間になると「お手伝い出来る事はないですか?」と必ず聞きにやってきた。
そういう時には 母に出来る仕事を頼む事にしていた。
一緒にキッチンに立っていると「楽しい」と言っていた。
調理全部を任せる事は無理だった。

こう書くと読んで下さっている方は 和やかな場面を想像するかも知れないが そうではない。
1人で母に向き合っていると煮詰まったり 疲れたり...イライラしたりの日々だった。
母もこちらの重荷を感じ取り「迷惑をかけている」と思って感情の起伏が大きく変動していた。
家にいる時は 私の視野に入る所にいつも母がいた。

まだ いろんな事が出来て いろんな思いを有る程度 言葉で言えた時期のお話である。


2007年09月07日(金) 「置いていかないで!!」


朝 サイレンの音で目覚めた。
一瞬火事かと思ったが ガタガタと雨戸の震える音で台風が来ていたことを思い出した。 崖崩れか 増水なんだろう。

家が揺れるような風が吹いて 雨も降って...台風情報を聞きながら寝入ってしまった。
娘は 早めに家を出ると言っていたことを思い出して起き出す。

新聞を取りに出たが 外は緑の葉っぱが散らかっている位で特に大きな変化はなくホッとした。

母は風が嫌いだ。とても怖がる。
昨夜 ちゃんと寝られただろうかと気になった。
何だか 母の母親みたいだな!

家人を送り出して 洗濯機を廻しながら 風が止むすきまに門前の葉っぱを掃除。
昨日室内干しした物をベランダに干しなおした。
まだ風が強いので 洗濯バサミでしっかり留めて。

昼食を摂ってから 川べりに自転車を飛ばして銀行に向かう。
こちらの岸から向こう岸まで濁流が流れている。
鉄橋の橋げたの下をみると濁流が渦を巻いていて凄い勢いで流れている事がわかる。
普段は 中洲が広がって緩やかな川なんだけれど...。

銀行に立ち寄ってから 母の所に向かった。
いつもよりずっと遅め。
母は浮かぬ顔でソファーに座っていた。
職員のお話では 昨夜 殆ど眠っていなくて 起床も大幅に遅れて 起床後もソファーで眠っていたという。

居室のぬいぐるみが動いており 深夜母と共に過ごしてくれたのだろう。

トイレ誘導したが 出ない。
昨日から これまで排便はなかったらしい。
しかし 母の表情は辛そうだった。
無理と判ったので 散歩に誘って外出。

散歩に出るとそれまでモヤモヤとしか話さなかった母にはっきりと
意思を伴った言葉が飛び出す。
公園の小山を上ろうとすると「あそこは 嫌だ」と。
小山を避けて歩くと歩いている人を見つけて「誰か来る」
歩く意思は十分にある。
橋の上のベンチで休息。水分補給。
みかんを剥いて渡すと「全部食べて良いのか?」と聞かれた。
「いいのよ」と言うと 嬉しそうに自力で食べていた。

ひとしきり休んでから また歩き出す。
途中で「歩ける?」と聞くと 聞き間違えたのか「また置いていくの?」と言われ ぎょっとしてしまった。
確かに母にしてみれば 面会の度に置いていかれているんだ。
「一緒だよ!」と言い訳がましく返事してしまった。

またゆっくりと歩き出して...公園で小山を上って降りて 施設に戻った。帰路の小山の前でも大きくため息をついた母だが「頑張ってみよう」と声をかけたら 頑張って上って降りられた。
「頑張ってくれてありがとう」と言ったら こっくりと頷いた。
ついでに「可愛いねぇ〜」と言ったらまた頷いた。
「頭もいいね」と言うとまた頷いた。

以前は 褒めると謙遜していた母。
「頭がいいね」と言えば「頭の形がね」と言い換えるのだったけれどねぇ〜。

施設に付くと 早い人は食事が済んでいた。
遅れてしまったので 職員に御願いして居室で食事する旨を伝えた。
先にトイレ誘導 排尿のタイミングはバッチリだったが 大の方は未だだった。
ゆっくりと食事開始。
しかし 今日は 口の中にモグモグいつまでも残っている。
お魚コロッケ?茹でキャベツ。おから煮。漬物。味噌汁。ご飯。
茹でキャベツはちょっと硬かった。
コロッケの形をしているけれど実際は 練り物の魚ぽかった。
どれもこれも母にとっては 飲み込みにくそうだった。
時折 みかんのひと房を口に入れて 酸味と水分とで少しでも飲みこめるように工夫した。
トマトっぽいゼリーは最後まで残して 汁物 お茶も飲んでもらいながら食べて貰った。
食べ終えて 口の中を見ると大体綺麗に飲み込んでいた。

施設に着いた時 母の口には昼の食事の食べかすが大分残っていて口を濯いでもなお残るほどだったのだ。

一時間以上の時間をかけて食事が済んだ。
全量摂取できた。
口の周りを綺麗に拭いてから 「ありがとうね」というとニッコリ笑いかえしてくれた。
ようやく気持ちも身体も落ち着いた様子だ。
最後に歯磨きをした。
クチュクチュペーもちゃんとできた♪

やっと この数日の借りを返せた感じがした。
母が絵本を手に取ったので そうっと施設を後にした。
チャリを飛ばしてスーパーによって買い物をして家に着く頃には 星が光っていた。
電動自転車の電気が切れて 坂道をヒイコラヒイコラ上って家に着いた。


2007年09月06日(木) 3回廻ってワン!


娘の帰宅は 朝の6時だった。
昨日よりも遅かった。
少し イラッと来ている様子。
睡眠不足の状態では 当然の事だろう。

話は聞けるが 替われるものではないし...。
苦境も道。不毛も道。
自分を信じて踏ん張って!と そっと応援するしかない。

風邪薬効いたのやら 判らない。
昨日よりちょっといいのかな?

入れ歯の事 排泄の事が気になるので 母の所に娘の通勤に合わせて出かけた。途中銀行に寄ったり 買い物をしたりしていたら 昼食が済んでいた。
入所者とニコニコ笑顔を交わしていた。

残っていたお茶を飲んで貰い 居室に移動。
トイレ誘導すると既に出た後だったのでパンツを替えた。
ついで 短めの下着とつけてもらい 長袖のカーディガンを羽織らせた。
今日はむしむしして暑いのだが エアコンで冷えているようである。
私には 適温でも母には適温ではないという事だ。

それから 途中で購入してきたカットスイカとパイナップルを食べてもらう。おいしそうに食べていた。
その後 お茶も飲んでもらった。
足の浮腫みと尿量が少し減っているように感じていたのだ。
これで 利尿効果が上がればいいなと思ってのことである。

頭髪をドライシャンプーし 押入れの布団を出して叩いてから 掃除機を掛けた。母は両足を上げて協力してくれた。
言葉は出ないけれど 様子から判断できるのだ。

母は 鼻水を垂らしていた。
やっぱ 風邪気味だったみたい。
私も昨日 喉がイガイガしてた。
これって どっちが先に感染したんだろう?
通院の時に貰って同時感染?

母はこの後腹痛が生じた様子で 俯いたり下り坂モードに入ってしまった。

昨日 ファクシミリが9枚送信されてきた。
が インク切れで受け取れずデータで受けた。
データがいっぱいになると留守電機能が怪しくなるし 更にファクシミリ受信なんてことになったらアウト。
インクのスペアは切れていて でも夜だし...。
これ以上ないと信じていたら 今朝 また送信されてきた。
相手に 今の状況を伝えて夕刻送りなおしてもらう事にした。

家電店に行くと模様替えされていて 広いスペースからインクを探すのに3回廻ってようやく見つけた。
全く 感覚が鈍って探すのに時間がかかる。

スーパーで 今朝電話頂いた方とばったり出会う。
「更に聞きたいことがあってどうしようかと思っていた」と言われ 立ち話。ご主人が入院しており転院先を探しておいでなのである。
ちょっとした知恵と対策を伝えた。
問題に直面している家族は 情報の取り方も判らずほんとに大変である。

でも 転院先が決まらない限り退院とは行かないのである。
これは 施設も同様。
焦らずに 安心できる場所を探せば良いのだ。

家に戻って暫くすると ファクシミリが送信されてきた。
数枚と思いきや こちらは10枚。いやはやぶったまげた!
これを参照してピックアップ事項を決めなくてはいけない。
先日の学習会の報告のまとめの原稿である。
報告文は既に送ったのだが 追加分である。
学習会後も何かと仕事が有るんだなぁ〜。

台風が来ているので 家人は早い帰宅となった。


2007年09月05日(水) 風邪かな?


風邪をひいたかも...。熱と喉の痛みあり。
酷く高い熱ではない。

ひょっとして これって母から貰った?
何となくはっきりしなかったこの数日の母。
でも熱はなかった。

それとも 涼しくなったり 暑かったりだったからかなぁ〜。
この所 寝付くまでに大分時間がかかる日が続いていた。
そんなことも影響しているのかなぁ〜。

母のリハビリの日だったが今日は立会いを職員にお願いする事にした。

1日家に篭もって ゴロゴロしては 少しパソコンの作業したりである。

娘の愛車は 駅の駐車場にお泊りの日々。
イライラ度もピークに達しているようである。
こういう時は 抵抗力もなくなっているだろうから うつさない様にしなくてはならない。
 


2007年09月04日(火) 母の不安


 母の表情を見ながら必要かなと思った時に 居室に入りギュッと抱きしめる。母が不安な時は 更に母がギュッと抱きしめ返してくる。

こんな日が来るなんて 思いも寄らなかった。

考えれば 母は 子供をギュッと抱きしめて子供の安定を図る時があった。
私は このギュッがあまり得意ではなかった。
だから 母にそんな風に甘えた記憶がない。
手を繋いだという事も記憶にない。

そんな私が 認知症となった母と手を繋ぐようになった。
それから数年後 母をギュッと抱きしめるようになった。

私の中の変化もあるが 母の内的変化がそうさせていると思う。
在宅の頃 母が不穏になるとたまにギュッと抱きしめた。
が 母は私の腕を振り払っていた。

今 母は腕を振り払う事は殆どない。

今日 職員が 母から抱きしめてもらったと話してくださった。
「迷惑ではなかったしら?」と思ったが 職員は「癒された」と言ってくださった。続けて「介護職に就いて こういう経験は初めてです」とも言われた。

「母は どの職員も抱きしめているのだろうか?」と聞いてみた。
職員は「確かめた事がないので判らない」と言われていた。
いや 私の興味は そういう時の母の意識がどの程度あるのかという事。
誰でも良いのか?人を選んでいるのか?という事なのだ。

母の変化は 人に対してだけではない。
最近 我が家に泊まる時は たらこの抱き枕が隣にいる。
最初は 触れなくとも その内にしっかり抱きかかえている。
おそらく 心の安定を図っている筈。
リハを受ける時もぬいぐるみを隣に置くと抱きかかえる。
ぬいぐるみに関しては 特別に決めた物がある訳ではない。
ユメルでも グルミットでも プーさんでも たらこでもよいのである。
きっと 母を丸ごと受け止めてくれる存在なんだろうなと想像している。

こういう事も以前の母になかったことだ。
こちらからは計り知れない不安が母には有るという事だろう。

言葉を思うように発せられなくなった頃より こういう現象が強まってきていると感じている。

今日は ちょこっと母の様子を見ておきたくてお昼を狙って出かけた。
母は相変わらず やや不安げ。
居室で歯磨きをした。
上の入れ歯は磨いて戻せたが 下の入れ歯は装着拒否。
幾度繰り返しても拒否が続いた。
幾度か目で「痛い」と言った。
「何処?」と聞くと痛いところに触れていた。
良く見ると赤く炎症を起していた。
下の入れ歯装着は 諦めた。

トイレ誘導すると 排泄大・小共にジャストミート。
トイレで用を足せたことにホッとしていると感じた。
トイレで固く握手。ニコッと笑顔を返してくれた。
言葉はないのだが 意思が通じていると感じる瞬間でもある。

皆に遅れてテーブルについて食事を始めた。
下の入れ歯を外してなので 献立が気になった。
今日はハンバーグなので 大丈夫そうだった。
きゅうりの薄切りの漬物は ちょっと外した。

だんだん笑顔が増えてくる。
排泄不安が解消されたからだろうか?

食後の口腔内を点検してから 施設を後にした。
今日は 介護者の会なので 其の儘チャリで直行。

介護者の会は いろんな事情でお休みの人が多かった。
血圧が乱高下しているので いつデイからお呼びがかかるか判らないという方 誤嚥性肺炎で入院中の方等様々な理由がある。
介護が重い方へと変化している。
最近の会は 医療的な話が話題に上る事が多くなった。

介護仲間の一人は イロウへ踏み切ったと言われた。
イロウの選択は本人や介護者の判断が大切と思う。
イロウ設置によって 元気を取り戻せる人もいる。
逆の場合もある。
そういった説明をきちんと受けた上で選択すべきと思う。
残っている体力や気力もその判断の目安になると思う。

夕方に 打ち合わせが入っていたの其の儘電車で移動しようと思ったら外は雨。洗濯物が気になり 急いで家に戻って取り込んでから 駅に向かって電車に飛び乗り 打ち合わせの場所に滑り込んだ。


2007年09月03日(月) 認知症介護の理想と現実


 今日は 打ち合わせのため人と出会う。
認知症の介護に関る介護者支援に 職業としてでなく 長く関っている方たちである。

それぞれ 違う場所で関っている。
当然ながら 打ち合わせの合間に お互いに感じている現状の話となる。

専門職の方は 認知症介護は随分良くなったというけれど...。
やはり 現場での感触は異なる。

専門職の人であっても 身内の介護に直面すると葛藤が生じて来るようだ。
これは 以前 身近な専門職の方から直接伺ったことがあるので理解できた。

今の流れは 本人がクローズアップされ認知症介護が模索されている。
本人なくして介護は成り立たないので とても大切なことだと感じている。
しかし「そこに問題はないのか...」という事が集った人全員一致した見解だった。

また 認知症診断をする医療の話にも及んだ。
認知症を解明するための医療は大切なことである。
でも認知症には 様々なタイプの認知症がある。
そのどれもが 解明される事が大切である。
若年であっても いずれ高齢になっていくし 認知症の後期になれば精神科と言うよりも内科的な事が主流になっていく。
こういった流れから考えて 認知症の介護に特別な存在という事は望ましくないだろう。
そんな感じの話しに発展していく。
身近な医療機関の話も具体的に上がった。

認知症の医療も介護も 理想に向かって動いているが 現実に介護に向き合う介護家族の現実は そんなに変わっていないのではないか...と言うような話にもなった。

うまく書けないし 詳しく書くことも出来ないが 今日のお話は有る意味で自分だけの思いではないと確認できて嬉しかった。

今日の話を胸に秘めて 地域の介護仲間と共に踏ん張って行かねばならないと思った。


2007年09月02日(日) 空振り 三振!


 昨日 高速を飛ばしてライブに出かけた娘。
睡眠不足のため 運転は友人達に任せてだったらしい。
帰路 サービスエリアで 冷凍のチーズケーキを買ってきた。
それを持って 母の所に出かけた。

母は俯く事が多く 笑顔が少ない。
トイレ誘導も空振りが続く。
靴下の上から見ても 左足の浮腫みが強いようだ。
他に どこか調子が悪いのかなと様子を探るが 肯定・否定 双方に頷く。

以前 介護仲間の方が「うちのおばあちゃん 何でも首を縦に振るのよ」
「薬飲みましたか?」コックリ。「飲んでいませんか?」コックリ。
「だから 入院した時 看護士さんにそこを注意してくださいと御願いしているのよ」と言っていた。
そういう状態の今日の母。

でも黙っている訳ではなくて あれこれ言葉を発する。
でも 言葉の意味を汲み取ろうとしてもどうしても探りきれなかった。

動作で 何となく不安がっていることだけは感じた。
私がトイレの後片付けに立ち上がったら「行くな」とはっきりと言った。
「まだ いるよ」というと安心した顔になった。

あれこれ質問して かするように理解した時と理解しようとしても判らない時の様子が微妙に違うので わからないことに不安を感じている風にも見えた。

職員が洗濯物を運んで見えた時「つい先ほどまで 何をしても眠そうなのでソファーで寝てもらっていました」と話された。
眠いというのもどうも違うような気がする。

1人になるのが嫌のように感じるが 体調が悪いからなのかは掴めない。
熱があるかと思って検温するが 平熱。

左手を上に上げてもらおうとしたら「痛い」と言うので方の周辺を見てみたが異常なし。
首筋を少し揉むと「痛い」と声を上げる。
熱が出る前兆なのだろうか?

気分転換にチーズケーキを器にのせて渡すと自力で食べ始めた。
紫蘇ジュースを上げるとしっかり飲めた。
食べる事には 興味があり拒否はしない。

娘が離れると「ここにいて」と自分の前を指して言う。
娘が言われた場所に座ると満足そう。

笑いを誘い出そうと 母の前で娘と2人ダンスを踊ってみたが 踊りを見入る様子はない。空振りに終わる。
いつものリズムを手拍子を打ってみるが リズムを取る気配は全くない。
怒っている訳でも不機嫌と言うのでもなく ただただ不安げのように見える。

おやつを食べ終えて 水分摂取も出来たので 全身清浄液で背中や頭を拭いて その後はアロマオイルを首筋・こめかみに塗った。
意味は不明だけれど 言葉を多く発するようになったが 相変わらず笑顔は見られない。

一昨日 あちこち歩いたので もう少し刺激が欲しいのだろうか?
良く判らないまま 今日の面会は終わった。
言うたら 空振り三振と言う所か?すまないことです!



2007年09月01日(土) ちょっと押し問答


ご近所さんから 草取りを頼まれて出かけた。
我が家の庭より綺麗だ。
亡くなられたご主人のお手入れの賜物だろう。

草を抜いた時に 腰を痛めてしまい 通院中だという。
ススキを抜かれていたらしい。
きっと 秋の風景にと植えられたのではないかと思うのだ。
植えなければ 出ないような場所。
でも 奥様にとっては草なのだろうなぁ〜。
確かに 増えるしね。
ギザギザの釜で根を切り取って始末した。

本当は そこで終わりかなと思ったけれど 一緒におしゃべりしながら残りの草を抜いた。
植え込みの陰等 抜き難い場所を担当しながらである。
作業を終えて 帰ろうとすると「あのねぇ〜」とお金を差し出された。

そこで押し問答。
近所のよしみでお手伝いなので お金は不要と最初に断ってある。
「そうすると頼み難くなる」と言われた。
そこで 1回ワンコイン(500円)と言う案を提示していたので「では500円のみ」と言うと「こんなに長い時間だもの...」と言われた。
「こちらもお金を頂くとやり難くなるのでこれが限界」と伝えた。
そこで手打ち。

「お金を払うのなら 有償ボランティアの制度があるのでそちらを利用なさってください」と御願いをした。

こういうところが ご近所の助け合いの面倒な所。
でも 少しずつ取り組んで地域力をつけた方が良いだろうと思う。

家に戻り 珍しく午前中休暇の夫と昼食をとって 送り出した。
その後 我が家の草取り。
其れから 菜園に出て 残った所の草取りと肥料撒き。
先日 肥料を撒いた所には 石灰を撒いた。

1日草取りは 結構疲れる。
ちょっと腰が痛いんだわ。

今日から9月。
気持ちよい風が吹いて過ごしやすい。
が 今度は 洗濯物が乾かない!
何処となく しけっぽい臭いがして残念!


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