母のタイムスリップ日記
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2003年10月31日(金) ネットワーク作り


 昨日、就寝したのが午前1時。途中3時に起きて食事を出し、今朝は6時に起きて食事作り…。眠いので日記が纏まるかが心配。

介護者ネットワークの集まりがあるので急いで家事を済ませて会場に向かった。家からだと1時間くらいはかかる。
不注意で、会場の案内図を忘れた。ちゃんと、出しておいたのに…。
実は、昨夜 時間を勘違いしている事に気が付いて頭に打ち込み直しをしたばかりなのである。
全く、こういう思い込みが多くなって「年だなぁ」と感じてしまうこのごろである。
私だけだと思ったら、会にいらした方で似た様な勘違いで時間ギリギリに滑り込まれたので ちょっと ほっとしたりもする。

会には近県の方もいらした。
中には社協の方も一人いらした。勉強熱心である。
この会は、NPO法人の方が主催して開かれる会である。
介護家族の自主グループが持つ地域情報をここに持ち寄るのである。
情報を共有するのである。
アドバイザーにやはり介護の研修センターの医師も加わる。

今回で2回目のこの会。私は初参加である。
前回は、6団体の参加。今回は11団体の参加。少しずつ輪が広がっている。
初めての人もいるので「自己紹介」が中心だった。
これまでの活動も含めての話しなので皆さんの話は 長くなってしまう。

会の抱える問題は、似たような事が多かった。
地域差もある。あー、予算も多くてサロン活動も出来ていいなあと思っていたら「役所が保守的で話にならない…グループホームすら一軒もないのですよ」とぼやかれた。
やはり、そこに住んでいないと判らない事があるんだなと思う。

参加者は、介護を卒業なさった方か施設に託している方が殆どである。
勿論家族を抱えながら会に参加して、会の必要性を感じて活動なさっている方々である。
また、複数の会に関る方もいらした。
介護を卒業したのに 「昨日 お子様のいない遠縁の人から電話が入りケアマネさんとの話し合いに立ち会ってくれと急に電話が入り介護に逆戻りですよぉ」と言う人もいた。
別の方も「昨日 久しぶりに友人からの電話で「ピック病」と診断されて…。
年金暮らしなので高い医療費は払えないけれど何処に通院するのがいいだろうか?という事だった。何処がいいでしょうね?」と相談を持ちかける人もいた。家族を車椅子で連れていらした方もいた。
勿論ボランティア団体の人もいた。
以前紹介したマイケアプランの主催者もいらした。

ある人が、以前 家族の会についてネットで調べ、京都の家族の会にも問い合わせをしたそうだけれど…地域の細かい情報までは何処もわかっていなかった…と言われた。

じゃ、全く知らない同士か?と言うとそうでもなく、顔も名前も知らないけれど病院繋がりだったり、グループの仲間の知り合いだったりと何かしらでそれぞれ共通する何かが有ったりした。
広いようで狭い この世界である。

で、何を言いたいのかと言えば。
今、ケアマネさんたちは、ベテラン支援センターが中心となってケアマネの技術を均一化しようと努力中である。
行政との連絡も密になり始めている。
肝心の利用者は、まだ、まとまり切れていない。介護者ネットワークを作る事で利用者の声を集め 行政、支援センター、と平等にものが言えるようにしていく必要性がある。
声を上げるにも何も判らなくて メチャクチャに言って見ても始まらないから…。
ネットワーク作りは まだ、途中である。

会の運営をなさってくださるNPOの方の行動力に感謝である。


2003年10月30日(木) 家事援助の課題


 昨日、デイの職員とお話した時の事。
「いやぁ〜。介護保険って問題あるよぉ〜」と言われた。
そんな事、当初から言われていたし…と思ったが その中身が違っていた。

介護保険の始まる前のデイは、色々の作業が出来る人が多かった。
でも、介護保険が始まってから 出来る事もヘルパーにおんぶしてしまい作業する事が困難になってきていると言うのだ。
本来一人で出来るのに家事などをしてもらう事でしなくとも良くなり本人の意欲が無くなって行くと言うのである。

確かに利用時間がかかれば、利用料も上がってしまう。
ヘルパーは 利用者さんのため手早く活動しなければならない。
利用者さんにとっても、利用料がかかりすぎる事は困る。

例えば買い物を例にしてみると
一人で歩ける、ないし一人で移動可能の人とする。
けれど、重い物は持っての歩行は困難だとする。

一緒に買い物に出向き重い物をヘルパーに持って貰うのが以前のやり方だった。
でも、今 一緒に出かける事もせず買い物だけを依頼する。
こうなると、機能的な衰えが進むのである。

買い物に付いて行けば時間がかかる。だから、付いていかない。
浮いた時間で、他の家事援助を頼むのである。
本来、家事の出来ない部分を補う筈の家事援助なのに…。たくさんの仕事を処理して貰う人になってしまっているのだ。

そういう事は、私自身の活動でも感じてジレンマを感じて幾度か日記にも書いている。
生き生きと生活できるように、そして現状維持を続けられるように配慮して行く筈なのに…。

本末転倒の状態じゃないかと…と職員は熱っぽく語っていた。
介護保険開始前から関ってきているからこそ見えるギャップだろうと思う。
私自身も「なんか 違ってきているなぁ…」と感じていた事であった。

ヘルパーの役目の説明は、誰がきちんと説明するんだろう?
ヘルパーの管理は事業所の責任だろうけれど…。
ヘルパーの利用の仕方は、役所に役目があるのではないだろうか?

現場に立つヘルパーが話すと拒否と受け取られトラブルの元となる。
この辺の所は、役所がきちんと把握すべき事なのではないだろうか?

この辺りの事、もう少し考えなければならないだろうなぁ。


2003年10月29日(水) 覚えていたんだね


 遠出をしたくなるような「いい日」。
でも、やっぱり入浴させたいのである。
戻ってからお風呂だと疲労度がなぁ〜。

今日は、少し贅沢をして外食にした。母は、懐石料理のコース。私は質素に。。。。
8品にデザートも付いたものを全量食べきった。「おいしかった〜」というのだから…。お零れが出るかと思ったけれどなかったぁ〜。

家に向かってバスに乗ったけれど途中下車。
時間にゆとりがあるので予てから「連れて行こう」と思っていた場所に向かった。在宅時に通所していたデイである。職員にも「機会を見て連れて行きます」と約束していたのだった。
この2月脳出血を起こし、言葉も失い、歩行困難、自立の食事が出来ない状態で病院に行った時、隣のデイの建物を見て「学校だぁ」って言った事は私の心にしっかり焼き付いている。
あの言葉で「判っている」と確信が持てたのだ。
あれからもう、8ヶ月も経ったんだなぁ〜。

バスを降りて歩く道は 通所の折のバスコースである。
母は「来た事ないよ」と言いながら「見た事有るなぁ」に変わって行った。
建物の前に来た時は、それでも「来た事あるかも」とぼんやりとした記憶だった。
玄関を入ると職員が顔を出して引っ込んだ。
が、直ぐに数人の職員と共にパタパタと玄関まで出ていらした。
母の顔が綻んで行く。「久しぶり」「覚えている」矢継ぎ早に話かけられて「覚えている…」と答える母。その顔は、最近なかなか見られない輝く笑顔である。「みんなの所に行きましょう」とデイの仲間の所に移動。
デイでは、ひとつのグループは絵を描いていて、もうひとつのグループは歌っていた。
母の姿をみて職員がまた走り寄ってくれる。肩を抱いたり、握手したり…。
母の目には涙が光っている。
そうなんだ…。こんな風に愛して貰っていたんだよねぇ〜。
「さっき、○○(母の名)さんの話を下ばかりだったのよ。偶然ってあるのよね」と口々に言われた。
通所している頃は意識しなかったけれど、このデイには7年通ったのだなぁ。
「ちょっと背が低くなったね。だって、私と同じくらいだったでしょ」と言われた。「ほんと変わらないわね。何より歩けるもの…」
見れば、あの頃のお仲間は、殆どが車椅子でありなくなった方も居る。
やはり、母は特別だ。

あの頃一緒に散歩をした方は今要介護5である。でも、私の顔を見た時「知っているよ」と瞬間 表情が変わった。傍にいた職員も見逃さなかった。
「判っているぅ」相変わらず良く観察なさって居られる。
「悪くなってね」とご家族からは伺っていたけれど、とてもお元気である。むしろ介護なさって居られるご主人や奥様たちの方がお疲れが見えてとても心配。
皆さん、80をとうに越えられて介護なさっておられるから。
きめ細かく介護なさって居られるからこそここまでお元気なのである。
その苦労を想像するだけで、切ない気持ちになってしまう。
私の介護なんて手抜きもいい所であるとつくづく思う。
あまり長居してご迷惑をかけてはいけないので次の作業に移る前に部屋を後にした。玄関に行こうとしたら後ろからパタパタ追って来る音がした。
「○○さん着てるって聞いて走ってきたのよ」と。
また、そこで立ち話…。
ほんとにほんとに愛して下さって有難う…。

デイの建物を出ても母は覚えていた。「嬉しかった」とはっきり言った。

心触れ合う時間が持てて 良かった。何よりの一日だったと思う。
ひょっとして、息子達と会った時より心触れ合ったのでは…そしていい笑顔だったのではないかなぁ。




2003年10月28日(火) う〜ん。

 選挙なんですよね。
投票所の入場整理券が届いた。
でも、どうしよう…。入れたい党もなければ、入れたい人もいない。
「この人を推薦します」と数人から伝えられているけれど…。

福祉、環境問題を重視してくれる人、党がいいけれど…。
マニフェストとは言うけれど、選挙までに目を通して選ぶしかないかなぁ。

実際は、どうなんだろう。
福祉を削らなくとも、他の事で調整が付くという話も耳に入る。

昨日の話で、介護保険を支払うために生活が苦しい。生活が苦しいから介護保険の利用料を払えないからデイを利用しないと言う人がいると言う。
そして、サービス利用しないから保険料を払いたくないという人がいると言う。弱者は、どんどん追いやられて行く。
ほんとに、これでよいのか?

在宅介護だって、お金が掛かる。
介護者の集まりに出るたびに「訪問介護と訪問看護の併用で一月50万かかっている…」と耳にする。
特養に入所すれば7万程度で済む。
だから、特養に流れているのだ…と。
でも、特養だって病になったら出なければならない。
急な病なら病院もいいけれど、それだってコストが掛かりすぎる人は肩を叩かれるのだ。

今日の朝日の朝刊にソーシャルワーカーさんがコメントしていた。
治療費以外に20万以上を支払える人は病院も探しやすいけれど、生活保護を受けている人やコスト高の人は行き先がなかなか見つからないと。

この町だって療養型の病院は数が少ない。
結局、在宅で高い利用料を支払うか、家族が踏ん張って介護するしかない。
勿論、中には良い所もあるだろうけれど…。
運のいい人が喜んでいる…そんなお寒い状況の今なのに…。
箱物を作ってとは言わないけれど、療養型の病院の整備。そして、介護困難な人の避難先も確保 ヘルパーさんの医療行為の許可…この辺くらいはもう少し何とかして欲しい。  
あー…サービスの多様化…。いっぱい希望があって「うーーーん」

今、ラジオから小泉さんが「来年から年金交付額を10パーセント減額し負担額を10パーセントにする」と具体的な数値を言ったらしいとのニュースだった。という事は、また若い人の負担が増えて行くのだろうか?この不足分を消費税で集めるのだろうか?
何だかなぁ…。

あ〜纏まらない。「う〜ん。眠いのです」
言いたい事は「選挙だけど福祉はどうなるの?」という事なのです。
そうなんだよね。
財源の事は、何処も言っているけれど、私達の生活に直接関る具体例が見えて来ないんだ…よね。だから、「う〜ん」となってしまうのだよね。




2003年10月27日(月) あーら やだぁ〜


 今日「高齢者の介護事情」という講演会に出かけた。
そこで精神科医が 痴呆の介護をする人が陥りやすい病に「欝」をあげられた。そこで チェック表があった。
・ゆううつ 気がふさぐ
・やる気が出ない おっくう
・前に楽しめていたことが楽しめない
・頭や体がいうことをきかない
・食欲がわかない 食べ過ぎる
・眠れない 眠りすぎる
この中で2項目該当すれば要注意で3項目あったら通院だそうだ。

やだぁ〜。通院だぁ〜。
在宅で介護していた頃「欝」だなぁと自覚する時があった。
その頃と比べたら 今はよい方である。それでも「通院」だとしたら、あの頃はもっと大変な時期だったのだと知る。

介護する人の年齢が50に差し掛かる事も多くて「更年期欝」と「介護欝」と重なる人も多いと思う。

心当たりの方は、お早めに通院した方が良いのかも…。

私は、「あれれ…。おかしいなぁ…」と思いながらも何処かで楽天的要素も加わり通院なんて事はなかったけれど…。
ゲッ!楽天家って…。なんか おかしいかな?ま、いいかぁ〜。

「介護者は、手抜き位が丁度良い」と言う話があったけれど、手抜きで追い込まれるのは自分だから 難しい課題だと思う。

午前中、月曜利用者さん訪問。
先週の入浴の手順でうまく入浴できたと利用者さんから話しかけてくれた。
良かった。
でも、訪問時「今日は久しぶりに良いお天気ですね」と言われて「昨日の方が良い天気だったのに…」と少し「?」であった。
きちんとできていらしても、こんな風におかしな事もある。
それでも、お部屋の模様替えを一人でなさったようで…。
気持ちが前を向いていらっしゃるので良いのだろう。


2003年10月26日(日) 受容している?


 昨夜、娘の友人がお泊り。遅くまでゴソゴソしていた。
夫も今日は ゆっくり出。午前中は、家を出られなかった。
少しイライラとした。案内状を読み直すと午後にもあるとわかり 夫が出る時に車で施設まで送って貰った。

ギリギリの時間だったのでクリスチャンの入所者を連れて出る事は諦めた。

それでも、危うい時間で 駅に着いた時 諦めて家に直行しようと思った。
でも、バスに乗ってから考え直して途中下車。教会へと向かった。
全くいつもこんな具合に揺れてばかりである。

会は始まったばかり、いつものように一番後ろの席に座らせて貰った。
今日の会は 若い人を中心にした会なのか賛美歌はなくフォーク調の歌だった。母に理解できるかと心配だったけれど大丈夫らしく手でリズムを取っていた。

牧師のお話も時に聞こえない事があるので「どうだろう?」と母の様子を見ているとちゃんと聞き入っていた。
後半、牧師の親のお話の回想の部分で心打たれたらしく目を擦っていた。
ちゃんと判っていると感じた。

そういえば、さっきバスを降りた時「何処からきたんだっけ?」と聞くと
「お部屋から。みんな 来れないんだよね」と言っていた。
「外はどう?」と聞くと「お部屋は、みんな同じ顔だから…。嫌と言うわけではないのだけれど…」と言っていた。

教会を出た時「何処行ったの?」と聞いてみた。「んーと。教会。良かったよ」と言うのである。暫く歩いてもやっぱりちゃんと覚えていた。
母を見ていると「判ってんだか?」と思う事が多い。
でも、よく考えてみると言葉に出来ないだけで判っているんではないか?と感じるのである。

ダラダラ坂を上って階段3個分の高さの歩道橋を上る。
足も調子よい。速さは普通の人よりずっと遅いけれど でも一定の速度を保てる。ありがたい。

家でふるさとのお菓子を出してあげると「ほーっ。珍しいね。おいしいね」と食べる。これは 知り合いが送ってくれた物である。
お風呂にも入った。
風呂から上がり頭を乾かす時急いでいると立った儘ドライヤーをかける事もある。そんな時膝を少し曲げてくれる。頼んだわけでないのに…。

そして何も言わなくとも玄関に行き座る。
帰ろうとするのである。
行き先もぼんやり判っているようである。涙をためる時もある。
けれど けして「行きたくない」とは言わない。
今日、施設近くなった時、施設を見上げた。
わかっている風だった。

部屋に入った時「振り返らない」「振り返らない」と言った。
「どうして?」と聞くと「忘れられるから…」と言った。

つうんとした。思いを口に出来ないけれど考えている事が伝わって来る。

夕食が始まったのを見て 帰路についた。
施設での生活をちゃんと受容しているのではないか…。そう思った。

でも施設に着いた時「教会に行った?」と聞くと「行ってないよ」と記憶は完全に消えていたのだけれど…。


2003年10月25日(土) 死ぬまでにしたい10


「死ぬまでにしたい10」
これは、映画の題名だけれど、ある人が日記で触れていた。
「うーん」と考えてしまった。

今日、娘と友人数人が同じ話題になったらしい。
でそのトップが「部屋掃除」だそうな。

私の 今 してみたい事は…。それも、死ぬまでにしたい事かぁ。
今すぐなら、やっぱり 整理だろうな。
いや、やっぱり 母の行く末の事になってしまうなぁ。
わたしが居なくなったら、母を見てくれる人は誰になるだろう?
当然、弟たちなのだろうけれど…。

「あー死ねない…」駄目だこりゃ。

「死ぬまでにしなければならない事」になってしまう。
いつの間にか主体性のない人間になってしまったのかな?

今日は午前中から外出していた。
電車がやけに遅れていると思ったら人身事故だった。
移動中の車窓から見えてしまった。見なければ良かった。
誤ってそうなったかどうか…わからないけれど、やはり かなりの悲惨さがある。

夕方 町の駅に着いた時、高校生が足長基金の募金活動をしていた。
事故を思い出して、募金箱の前を通過できなかった。

「毎日を心身共に無事に過ごす事」これが私の死ぬまでにしたい10のひとつである事は間違いないだろう。

ズルかもしれない。本音を書かないのは…。
それだけでは ないのだなぁ。

さ、明日は 母を教会に連れて行こう。牧師婦人から案内が届いている。
出来れば、入所者のクリスチャンもお連れしたいのだけれど…。もし調子が悪いようだったら…連れて出られない。今日、疲れてしまったので動きたくないのも本音。

明日の朝は、きっと葛藤するんだろうなぁ〜。







2003年10月24日(金) おっとっとっと…


 母は、入浴中だった。
家に連れて帰って入浴は 走るようにしないと無理な時間帯だったので正直助かった。
母の入浴介助していた職員が、入所者さんの呼び出しで母の所を離れた。
「おかちゃん」と言う声が聞こえてきたので行ってみると「暑くなったから出る」と言うのだった。母の好きな温い湯加減だったので ちょっと、喉を鳴らして貰った。一曲済めばOK。
職員には「入浴介助引継ぎます」と伝えた。

最近の母は、浴槽の中がすべると言う訴えをする。浴槽の中にマットを敷くようにしたほうが良いのかな?
風呂から上がるとおやつだった。
母は、お茶をひっくり返してしまった。向かい側に座る人が未だ席についてなかったので迷惑をかけずに済んだ。

零したところを職員が拭いてくださったけれど、母の湯飲みにお茶を継ぎ足してはくれなかった。
入浴時に母の足を見たら、久々に浮腫みが強く出ていたのでもう少し水分を摂取させたかった。湯飲みを持つと「欲しかったの」と母は、言った。
自分の思いを直ぐに言葉にして言えなくなっている母なのである。

お茶を入れて貰って飲み干してから散歩に出る事にした。
もう少し水分を摂らせたかったのと歩行リハをさせたかった。
職員さんから午前中散歩に出たと事は 聞いていたけれど…。

歩き出すと「おいしい物食べたいなぁ」と母は言った。
「何を食べたいの?」と聞くと暫く考えて「バナナ。あまーくなったバナナ」と言った。
最近の母にしては珍しく「固有名詞」を使って言えた。
いつもなら「おいしい物なら何でもいいよぉ〜」とふぉわんとした表現しか出来ないのである。

でも、バナナは施設でも出る時があるのでもって来てない。
仕方ないのでファミレスに入った。

お茶を飲みおやつを摂った。満足そうな顔の母をみてほっとした。

夕食の時間も近くなるので 更に歩いた。
いつもは、平らな所を歩いているのだが、今日は公園のお山に登ってもらった。小さいけれど少し急傾斜の山。それも、ひとりで。
登り始めて間もなく、アクシデント発生。
左足が上がりにくくなっていたのだがだんだんひざも曲がってきて…。
姿勢を立て直そうとした途端 バランスが取れなくなったようで体全体が左に傾き体が山の下の方を向き始めて、直ぐにも転げ落ちそうな状態となった。
慌てて走りより支えて 「おっととと」と声をかけると「おっとっとっと」と母は、苦笑い。事なきを得てホッとした。
疲れていたのだろう。無理は禁物だなぁ〜。

施設に戻ってトイレに入ると「もう帰るの?」と聞いてきた。
キャッ。判っているみたいだ。
ちょっと、気を反らして貰うために編み物を勧めた。
目を作り2つだけ長編みをして母に渡すと 母はじっと見た後頷いて続きを編み始めた。離れるチャンスを掴んだのだので職員に挨拶をして施設を後にした。


2003年10月23日(木) どっちが ほんと?

 
 先日 夫が言った。

おかしな夢をみた。
お袋が「お前は とんだ嫁さん貰って大変だねぇ〜」と言うんだよ。
次に親父が「いや、お前には 過ぎた嫁さんだよぉ〜」と言うんだよ。
全く 夫婦して全く違う事を言うなんて どうなっているんだか。

えへへっ。
そうだねぇ。お父さんは、私と会っているし…お母さんは、いつも天国から見ていたのだろうし…。

で 肝心のあなたは どうなのでしょう。(イヒッ!)

ちょっと自分が嫌になった。
木曜の利用者さんを訪問した時 玄関脇に不燃ごみがあった。
利用者さんに聞くと「ヘルパーさんが忘れたんだね。『帰る時に捨てて行く』って言ってたから」という事だった。
それは 仕方ないと思った。日誌を読んでみると後半かなり忙しそうだったから。
でも、そのごみ袋 閉じてなかったので中が見えた。
そこには リサイクルごみも入っていたのだった。
ペットボトルや瓶が入っていた。
「どうしよう?」と思ったけれど見なかったことに出来ないのでペットボトルや瓶を取り出して洗いリサイクルごみ篭に運んだ。
今までもいつもごみを分別し直して出しているのだけれど急にそんな事をしている自分が情けなくなってきた。人の仕事にけちをつけているみたいな気持ちになってきた。
その上、不燃ごみの袋は有料の袋に入っている。
今まで1週間のごみの量がわからなかったので大きな袋が必要なのだろうと思っていた。でも、今回1週間分のごみを纏めたらスーパーのゴミ袋で十分間に合うのだった。そこでも、ヘルパーさんに対して「むっ」という気分になった。何回かスーパーのごみ袋に入れておいた事があったけど 次に行くと大きなごみ袋に変わっていたのだった。
ここでも、やり方にけちをつけている自分が見えた。

こんな風に考えたのは、先日ネットを見ていたら 「ヘルパーさん 利用家族はお金が無いのです。無駄を省いて貰いたい」という風な事が書き込んであったから。
でも、いくら、一人で踏ん張ってみても他の人がしないのなら意味がないような気がして来た。けちを付ける自分がとても嫌な奴に見えてくる。

でも、これって どっちがほんとなのかしら?
拘る自分がいけないのかなぁ〜。
小さな事に拘るのは 痴呆症の始まりか?(ケへッ)


2003年10月22日(水) しりとり出来たね。


 土曜に用があるので リハビリの日を変更して戴いていた。
母を迎えに行くと食事が済みみんなでテーブルを囲んでいた。
着替えた後、トイレ誘導した大でフラットオムツが汚れていた。更にトレパンも汚れていた。床には乾いた便が落ちていた。
少し緩めだったようなのでいきんで貰ったが、出なかったのでパンツを替え綺麗にお尻を拭いて家に向かった。
家に着いて トイレに行くとまた汚れていた。
今度は、ゆっくりと排便を促す。少し緩めの便のようだ。
母は「お腹が硬いよ」と言っていたが、「張る」っていう事を訴えたかったのかなぁ。
施設にいるうちにゆっくり付き合ってあげていたら 失敗も無かったろうから配慮が不足がしていたなぁ。
父が病で足がごぼうのように細くなり歩く事さえ困難だった時だって「トイレ行きたい」とトイレで用を足す事を望んだいたから…。
判っているのだけれど…。反省…。

排便後、お腹が痛いと言うのでホットカーペットを敷いて横になってもらった。ひとりにして置くと起き出すので、並んで横になった。
久しぶりに「しりとり」をしてみた。
うまく出来なくなっていたので、暫く離れていた遊びである。
今日は、ちゃんと出来た。
「ごぼう」が2度出たら「えへっ」と母は笑った。
きっと気が付いたのだろう。調子は上々みたいだ。

その後、昼食。大急ぎでカレー汁を作った。二人分だけなので野菜を細かく切って早く煮えるようにした。サンドイッチとカレー汁と果物が今日のお昼となった。お腹の調子を案じてそれだけにした。勿論水分は多めに摂った。
カレー汁は、お替りしていた。

程なくして療法士さんが見えた。
食後でもありホットカーペットの上という事もあって母は、深く眠っていた。

その後、カレンダーの花や鳥の絵を切り抜き、それを手本に絵を描いてもらった。素材をたくさん準備しすぎて混ぜこぜの絵になってしまった。
母も「下手になってしまったから 嫌になってしまった」と言う。
思うように描けていない事を認識できずにいるようだった。
消しゴムも上手に使えた。

お腹の方も治まって来たようなので おやつにした。
おせんべいとドライのゼリーとお茶。
お皿に載せてあげると「こんなにいっぱい」と言ってはいたけど、しっかり食べた。
そういえば、ゼリーを食べる時袋を開けられなくなって「鋏貸して頂戴」と言ったなぁ。

「顔が汚れているでしょ。頭も汚れているでしょ」と言うので「お風呂に入ろう」と誘った。
今日の母は、受身にならないように自分で洗おうとしたので母の洗ったあとに補助的に洗ってあげた。

夕食の時間にすべり込むように施設に着いた。
帰ろうかな…と思った途端「あなた帰るんだね」と見透かされた。
食事が始まって神経が食事に向いてから、そっと施設を後にした。


2003年10月21日(火) うまく行きますように…


 休日で訪問がお休みとなり2週間ぶりに月曜利用者さん訪問だった。
買い物メモがありその中に「ためしてガッテン」と書いてあった。
「?」と思った。
すると利用者さんは、この間の「ためしてガッテンでね…」と番組の内容を説明してくださった。メモから記憶を辿る事が出来るのだなぁと判った。
その後、
「この間もお聞きしたし 間にお嫁さんからも聞いたのだけれど…。ちょっと点検して下さいますか?」と浴室に行かれた。
やはり、一人になると作業の順番が判らなくなるのだなぁと想像できた。
初めに黙って操作の順番を見守った。

浴槽にお湯を貯めるのは「シャワーで」とお嫁さんから言われていたようであるが どうしても お湯を張るという従来の操作から入ってしまわれる。
次のネックは、お湯の栓の捻り方が逆回しとなる。ここでパニック。
お湯が出ないので水とお湯の選択レバーを動かしてしまう。
このレバーがニュートラルになってしまうので、お湯の栓の捻り違いに気が付いてもお湯は出ない。ここで作業は中断してしまうのだった。
説明して再度試みるけれど同じようになってしまう。
アドバイスしながらだとちゃんとできた。
一人になったら また出来なくなるだろうと思われたので必要な所に赤印のシールを張ってみた。お湯の栓には、廻す方向に矢印を貼り付けた。
そして触らない方がいい所は、×のシールを貼り付けてみた。
さ、来週どうなっているだろう?うまく 行きますように…。

次は、母の番。
母は、夜間若しくは早朝に窓を開ける。
職員が回ってきてくれれば、閉めてもらえるけれど、見に来た直後に開いたら其の儘になってしまう。
夏なら それでも良いけれど…冬に向かっては心配である。
寒くて寝ていられなくなり睡眠が不足して血圧上昇の誘引となりそうである。
夜間も暖房が入っているとは言っても、昼だって手足が冷たいのだから…。
そんな訳で、居室の窓に窓ロックを取り付けたのである。
在宅では、サッシに窓ロックが付いているので大丈夫だった。
施設の窓には、それが無かった。
先日 職員に聞いた所では、母だけの問題ではないようだったが…。
皆さん そういう傾向にあるようだった。
厳寒の季節には、更に暖をとるよう考える事にして…。
取り敢えずは、窓ロックで様子を見る。
どうぞ、うまく行きますように…。
で、昨日は 日暮れの時間に急いで散歩に出た。
母の機嫌はとてもよくて、終始ニコニコとしていた。


2003年10月20日(月) 痴呆の告知は?


 今日は、書き置いておきたい事がたくさんある。
でも、どれも長くなりそうなので「痴呆の告知」についての考察を。

先日読んだ本の中にも告知を受けた事例が載っていた。
残念ながら、外国の話である。

実は、今日 地元の内科医と精神科医と家族の方と支援センターの方のミニシンポジュームがあった。
「家族と共に痴呆症について考える」というもので主に初期の痴呆が対象だった。

痴呆症は、初期診断を早めに受けて 家族がここの準備をした方が良いというのが共通した医師の意見だった。
内科医は、昨日の朝日新聞の痴呆フォーラムの記事の下段に有ったファイザー製薬の広告を事例に取られていた。
私の隣にはそのファイザー製薬の方が座っておられた。(この事はまた後日に触れる)

家族の方が、お義母様に「痴呆症なのよ」と告知したいけれどご主人の反対で告知できていないと言われていた。
精神科医もこれからは、外国のように告知して行くべきと私的には感じていると言われた。

重い課題である。

私が痴呆になった時どうして欲しいだろう?難しいなぁ〜。
でも、きっと告知されたら受け止めるだろうと思う。。。。。
母の介護を通して学ばさせて貰った事がある。
急激に変化はしていかない事も承知しているし現実を見て来たし。。。。
でも、どうだろうか?

じゃ、母に告知したのか?
「痴呆症」と言う告知はしていない。
でも らしき事は伝えてある。医師から受けたような告知は出来ないし、父に知らせたのとも異なるのである。
父にだって直ぐ知らせた訳でもないのだから 母にはそれよりもっと後になってからである。

「忘れてばっかりで、だんだん馬鹿になっていくみたいで…」「なんにも思い出せなくなって…」ととても切なそうに訴えて来た頃にぼんやりと伝えたのである。
「脳の血管が詰まってきていているから忘れやすくなってきているんだって」とだけ伝えたのである。
でも、かなりの補足をした。
 年を取って来ると誰でもそうなってくるからね。心配しないでいいよ。
 食事や運動でカバーできるからこれ以上悪くならないように頑張ろうね
 でも、若し忘れる事が多くなったら その分は必ず私がカバーしていくか ら。これは、順番の事だから気にする事無いよ。
こんな風に告知らしき事をしたのだった。
時期的には要介護2くらいの時期。
介護保険等無かった頃の事である。

忘れる事を度々家族から指摘されて、落ち込み 混乱し 情緒が不安定になっていた頃である。

この辺りで、母は 冷静に自分を見るようになり「ここまでは覚えている」と記憶を探るようになっていたなと思う。

だから、告知は必要なのかも知れない。
でも…。直球は、出来ないなぁ…。

と書いてみて、「そうか…?」と思う。
実は、典型的な痴呆症街道まっしぐらの母に「何もしないで居ると痴呆になってしまうよ」「痴呆症になるよ」等とも言っているのである。
これは、今でも言っているのである。
私の介護なんて実に矛盾しているなぁ〜。

この会で医師の何気ない言葉が頭から離れない。
「痴呆の診断は早いうちに。でも、現場の専門医からは『もう 診察するのにキャパオーバー状態だから 出来れば 初期の場合は内科の方で』と言う声が上がり始めている」と。

2005年には、痴呆の高齢者(85歳以上の)の4人に1人。2020年には、292万人が痴呆高齢者となると推測されているのである。

あれ、告知の事から 少しずれ始めてしまった。
告知は、医師からなされるのだろうけれど…。
これから14.5年の内に告知後のフォロー体制は整備されるだろうか?
がん告知だって、色々の問題を抱えているのである。
「うーーーーーん」大丈夫かな?



 


2003年10月19日(日) 疑問


 本題の前に昨日の母の事ふたつ。
トイレに誘導した時に言った母の言葉である。
「笑われちゃうね」「誰に?」「子供によ」
「どうして?」「こんな風にトイレに来てもらったりしてるからよ」
「そか、一人でできるものね」「うん」
拒否、怒り等は殆どなくなっているけれど…気になっているんだなと感じた。
もうひとつ。
キッチンで片付けをしていたら、母も手伝いにきた。
在宅の頃も片付けは、母の仕事だった。でも布巾を使うべき所 台布巾を使ったりで こちらが注意を払いながら違っていたらさり気無く替えるようにしていた。
でも、洗い物をして片付いたらシンクを掃除すると言う順序は出来ていた。
昨日の母の様子を見ていると食器を洗っている途中でシンクを台布巾で拭こうとする。要するに仕事の流れが判らなくなっているのだと思った。
目に付いた事を作業するのである。
昨日、シンクは油で汚れていたので母は気になったのだろう。
汚れは判るのである。ちょっと、ほっとしたけれど…。

これは、入所した事で生活から切り離されたからだろうか?在宅なら作業が終えるまで傍で共に作業を進めるので言葉がけで何とかできた。
でも、施設では無理だろう。
これも、施設入所させた事での喪失なのだろうか?
在宅だったら、何とか維持できていたのだろうか?

さて、本題。
木曜の利用者さんは、様々なサービスを利用なさっている。
ケアマネさんは勿論だが…。まずは、医師の往診。作業療法士さんの訪問リハ。支援センターのヘルパーさん。大手のヘルパーさん。薬剤士の訪問。
ボランティアの事業所の訪問。デイケア通所。
大手のヘルパーさんは、生活援助が中心である。薬剤師さんも今回は関係ないかな?
少し前から、利用者さんのお尻が赤くなっていた。
気になったので ノートにはその旨記していた。たまたま往診の医師とも会ったのでそのことを直接知らせた。
でも、薬塗布の確認を利用者さんに頼んでおいたので処置は間違ってなかった。でも、赤くなった所が少しずつ広がっていくのが判った。
今週、デイで「お尻赤いですね」と言われたらしい。
利用者さんは「わかっている」と返答なさったようである。
で清拭後、薬を塗布している時「どうしてこんな風になるんだろうね」と疑問を向けられた。
一応、同じ姿勢を続けているとなりやすい。だから姿勢を変えたり動いたりクッションを使ったりしたほうが予防できる。放って置くとジョクになっていく事を伝えた。

でも、これは本来ボランティアが説明するのでなく他に適任者がいるのではないかと思ったのだ。
デイケアの人はどうだろう?医師はどうだろう?ケアマネだってノートを読んで居る筈である。作業療法士さんだって適任だろう。ヘルパーだって。
責任を追及したい訳ではない。

一日中座って居られるのだから なりやすい事は介護職、医療職双方で判っている事で その説明を一度も受けてないとしたら…。
デイケアの職員は、ノートを見ることもないので仕方ないけれど…。
「ジョクが出来やすい」という説明は 本来誰が指導すべきなのだろう?

生活全般を見ているものの報告を受けて 指導するのは…????
説明するのは????一人暮らしで家族が聞く事も無いだろうし…。


2003年10月18日(土) にんじん剥いて…

 リハビリの日である。
早い時間に母を迎えに行き 今日もまた、乗り継ぐひとつ手前でバスを降りて歩いた。少しだけお店を見て また バスに乗り家に向かった。
バス停からは 2.3分の距離だが ここにも短いけれどきつい坂がある。
「大丈夫?」と坂を前に聞くと「大丈夫よ」と言う返事。
えっちら、おっちら坂を上った。
家に入ると「いいねえ」とつくづくと庭を眺めていた。
ちょっとぼんやり気味の母だったけれど 外にでて少し回路が繋がり出したように感じた。
医学的にどうかは知らないけれど、外に出たりぴったり傍について話しかけていると脳の回路が繋がるような気がする。
少なくとも 母は そうである。

直ぐに昼ごはんにした。
「おいしいよ」とよく食べた。茶もしっかり飲んだ。
食後「柿を食べる?」と聞くと「食べたい」と言うので 今日は意識してお皿の上に柿を載せてナイフを渡した。始めこそナイフで剥いたけれど直ぐに剥けた所から実を食べ始めた。剥きやすいように半分に切って渡したのだけれど…。半分食べたところで止めた。仕方ないので残りの分は剥いてあげた。
食後の散歩に出た。「雨が…。嫌だよ」と言ったけれど大したことも無いので歩き出した。でも半分くらいから量も多くなったので近道に変えて家に戻った。丁度足が疲れたという事でいい塩梅だった。
家で一眠り。15分くらいだったと思う。
気持ちよく目覚めたようである。
そこに療法士さん到着。
母は、誰と認識できては居ないようだがでも布団のところに行き横になった。向きを替えるようにとの指示にも直ぐに反応できていた。

リハが終えると座って両手をついて「有難うございました」とお礼を言っていた。この挨拶ができる母は 得な性分だなと思う。
今日、介護士さんも言っていた。「いつも『有難う』と言われるのですよ。大したこともしないのに…というと『とんでもございません』と言われるのですよ。こちらも気持ちがスーッとしてきます」と言われたばかりである。

その後お茶を飲んで、夕食の支度を始めた。
「にんじん剥いてくれる?」と言うと「いいよ」との返事。
テーブルに紙を敷いてにんじんを渡した。このにんじんは大きい。
直径6センチ強で長さが20センチくらい。
果物ナイフで剥いて貰った。
さっきは柿でずるしたけれど…今度はどうだろうかと思った。
作業をするのでCDをかけた。賛美歌のCDである。ボリュームをかなり上げた
ので母にも聞こえているようだった。
こちらも里芋を10個ばかり皮を剥いた。
母の所を見ると3分の1向き終わったとこだった。「嫌にならない?」と聞くと「大丈夫」と言うので更に続けて貰った。
ちょっと調子に乗りすぎて煮物の方に掛かりきりとなってしまった。
ふと母を見ると目に涙が溜まっていた。
「嫌になったねぇ」というと「うん」という。
でも全部剥き終えていた。「ありがとう」と言ったら「いいえ」と言う返事だった。
でも、涙は止まらないらしく「どうして涙が出るのだろう…?」と言う。
ひょっとしたら、賛美歌のせいだったのかな?
母は、お祈りをする時いつも泣いていたなぁ…。

その後料理の味見をしてもらったりしながら 聖書を読んで貰った。
味見のたびに「おいしい」を連発。
にんじんを千切りしていたら「何をしてるの?」としきりに聞いてくる。
てんぷらを揚げ始めると傍に来て揚げたてを味見した。
こんな風景は 久々である。
料理作りにちょっとだけの参加だったけれど…これだけでも随分変わる物だと驚いた。

夕食は、全部食べて(私と同量)それからデザートも食べて今日もまたお腹がパンパン状態で二人で笑ってしまった。

その後入浴。今日はトイレでもあまり無理を言わなかったので「熱い」とか不機嫌になる事は無かった。
歯も磨き パジャマを着込んだ上に服を着て娘の運転で施設に帰った。

表現する言葉は、だんだん 少なくなってきている。固有名詞が少なくなってきている。でも、未だちゃんと通じる事が嬉しい。
そして何より、言葉がけをしているうちに言葉も多少戻る事が嬉しい。




2003年10月17日(金) 「足止め」で読めた本


朝帰りの娘を起こす役目で足止め。
会社でも「○○の近所の人は『朝帰りの多い変な娘…』って思われているだろうな」と言われる事が有るらしい。
ほんと、そうだろうなと思う。
それにしては、色気と言う物がちょっと不足しているかな?
暫く終電に間に合う時間の帰宅だったが また 朝帰りの日々復活。
数日前、夏に苦労した仕事が世にデビューして反応も上々らしい。
きっと、ホッとしているだろう。
娘一人の仕事ではない。ここまで仕上げるのには 色々の方の専門の知恵を集めて 大事に育て上げたのである。
この事 娘も十分承知しておいていて欲しい。

足止めを受けた形なので久々に 金魚、めだかのお家を掃除した。
ポンプ等を使っていないのでお掃除は楽である。
大きく育った金魚は赤色で目立つから移動も簡単。でも今年孵化した子供達は 底に敷いてある石等と同化したりでなかなか探せない。これには予想以上に苦労した。
水草を濯いで小石を洗って、ペットボトルに汲み置きした水を入れて元のおうちに戻した。濯ぎに使った水は草花にかけてあげた。
通りに面した塀の下のコンクリートの隙間にはスミレやプリムラが根を張っている。そこにも水をあげていたら 介護仲間が訪ねていらした。
シンポジュームの案内と介護の本等を持ってきてくださったのだった。
家に来るまでの道のりはダラダラとした上り坂で大変なのに…。
心配りに頭が下がるばかりだった。

昼食前に本を読ませて戴いた。ヘルパーさんの書かれた本だった。
10数年前に訪問していた △△さんや××さんとのやり取りをふと思い出した。100歳前に天国へと召されたけれど…。

娘を送り出して昼食を摂ったものの今度は生協の配達が遅れていた。
母の所に行くのも遅いし、体調もイマイチなので思い切って今日は面会に行くのを止めにした。

夕方の時間がちょっとだけ空いたので先日の本を探しに書店に向かった。
お目当ての本は探せたけれど 折角だからとお料理の本もついでに買った。
家人の帰宅もそう早いわけではないだろうと 其の儘座り込んで本を読み始めた。
読み進む内に涙がこぼれてきた。
痴呆に関する本でここまで心打つものは無かった。医師の書いた本である。
今まで母と共に過ごした中で感じてきた事が適切な言葉で書き表してあり
頭が整理されて来るような気がした。
あったかさがいっぱいの本だった。

介護の本を2冊も読むとどうも母の所に出かけたような気分になってしまう。全くいい気な私である。

だんだん気温が下がってくると緊張してくる自分と出会う。
今年の冬は 大丈夫だろうか?2月の脳出血が…。
寒さの中のリハビリ…大きな課題である。


2003年10月16日(木) 損しなきゃいいけれど…


 昨日、久々に母の口から出た言葉が二つある。
ひとつは、夕食を終えて キッチンで洗い物をしていた時の事。
母が椅子から急に立ち上がった気配を感じて「どうしたの?」と聞くと…。
「ちょっと おかちゃんの所に行ってくる。○○ちゃんの所に居るって断ってくる」と言ったのだった。
ここまできちんと話す事は無くなっていた。
「大丈夫よ。おかちゃんにさっき断ってきたからね」と言うと「ありがとう」と安心したように座った。
以前なら「何時行ってきたの?」とかいろいろ真偽の程を確かめる言動があり、また繰り返し同じ事を言い続けたものである。

もうひとつは、お金の事。
美容院での会計時、スーパーで母の好きな食べ物を選んで篭に入れた時、そして我が家に付いておやつを食べていた時である。
もそもそと落ち着かないので「どうしたの?」と聞くと「お財布が…」
「預かっているでしょ」と言うと「じゃ、そこからお金出しておいてね」と言うのだった。「判った。ちゃんと貰うからね」と応答。

これも、以前なら「私のお金見せて頂戴」と言われたものである。
疑って掛かると言う物でなく自分にどの程度のお金があるかを確認したいのであった。全部まとめて袋に入れておき通帳を出して二人で見る。
額なんて母には重要な事ではないので「無駄使いしなければ十分やっていけるから心配要らないよ」「なくすと困ってしまうからまた預かっておくね。必要な時はいつでも出すからね」というとその度に「有難う」と言って返してくれた。
無くしてしまって 探し回って 家族から怒られてのパターンを繰り返したのでそういう言葉だけで理解できたのかな?
母のお金を使わずに我が家のお財布から出している事も母は、認知してはいたのであるが…。

さて、日記の見出しの話。
木曜利用者さんを訪問した時 テーブルの上に「配食に来ましたがお留守なので持ち帰ります」と言うメモが載っていた。
「外出なさったのですか?」と聞くと「そうだ。マンションを見に行った」という。
「お一人ですか?」と聞くと「業者の人と」という事だった。
「ワンルームマンションを投資を考えて買おうと思ってね。なんせ利子が安い」と言われた。
気になったので「新築?値段?駅からの距離?」を聞いてみた。
駅から数分、築10年の10階建て、800万」という事だった。
この町ではなく 少し離れた所ではある。
この時点で買い急ぐ風でなかったので まだ、時間が有るだろうと思い話を中断した。
その後ケアマネさんが見えて同じ話をしていたが「へー。そうでしたか」で会話は終わっていた。
活動時間も終わる頃、業者さんが見えた。
私にもきちんと名刺を渡した。
この業者さん 1年近くマンション案内を送ってきてた。
てっきり新しいマンションを探しておられるのだろうと思っていた。
投資だったのだったのか?
業者さんは、女性で若い端正な身なりをして言葉使いが丁寧な対処はしていたが利用者さんにちょっと「よいしょ」している風に感じた。
話は聞かないつもりでも直ぐ隣で話しているので聞こえてしまう。
どうも急いでいる風である。
社長に直電話したり…別の人と連絡を取ったり忙しい。
そのうち「支払いはどうなさいますか?」と言う。「現金」と利用者さんは言った。そこに電話が入り住まいの場所を教えていた。
どうやらもう一人誰か業者さんが来るようであった。
こんなに早く決めていいのか?とはらはらするが 口を出すわけにも行かない。時間が来たので私は帰ることにした。

建物を出て暫くするとさっきの業者さんが私を追い越して行った。挨拶も無い。駅前に着くと男の業者さんを連れて利用者さんの所に歩いて行った。

大丈夫かなぁ。損しなきゃいいけれど…。
息子さんだって居るのだからちゃんと相談すればいいのに…。



2003年10月15日(水) 「もうしないでね」


 弟から電話が来た。
明日は父の命日で久しぶりに実家に寄ろうと思うと言っていた。
「こっちは?」と言う言葉を飲み込む。
母の様子を聞かれ説明の仕様もなく「大きな変化は無い」とだけ伝えた。
相変わらずお嫁さんカバーで…。
こちらの状況を思いやるという事は無い。
GHに託しているから気楽に介護していると思っているのだろうなぁ。
電話して来ただけ良いと前向きに受け止める事にした。

母の所に出向き美容院に連れて出た。
今日の母は、何故か落ち着きが無い。ロットを巻いてもらっている時はコックリコックリしていたのだが…。パーマ液を付けて定着するのを待っている時首のタオルを外そうとしたりビニールのカバーを着たまま畳もうとしたり…。美容士さんが機転を利かせて新しいタオルを母に渡してくれて それをひざの上で綺麗に畳んでは広げ畳んでは広げで時間稼ぎをした。
仕上がった時、「あら、随分綺麗になって…」とにこやかな笑みを見せた。
シャンプー台から鏡の前に。鏡の前から待合の椅子へと移動するたびにふらつきなかなか大変そうだった。
「足が痛い」と出掛けに訴えてはいたがあまり気に留めないで居たが…。
ちょっと、調子よくないなあ。

今日は夫も娘も夕食は要らないと言っていた。
夫は仕事先で夕食。娘は久々に教授とゼミ仲間と集う。
母と外食でもして…なんて考えていたけれどお豆やお野菜等たっぷりとって欲しかったので家に戻って食事してもらう事にした。
タイミングよく母の好きなお豆も煮ていた。

おつゆは、野菜たっぷりのきりたんぽにした。南瓜煮 ほうれん草とコーンのバター炒め 煮魚、蛸のお刺身 なすの煮びたし なすの漬物。
出来た順からテーブルに載せて先に食べ始めて貰った。
その方が母もゆっくり出来そうだった。

途中でご飯をよそった。すると母は「湯気が出てるぅ」と喜んだ。

母は、次々 よく食べた。
もう入らないよと言う所まで食べていた。
トイレに誘った時母のお腹に触れたらはちきれそうだった。
「いやぁ〜。これは食べすぎじゃなくて 大が溜まっているのじゃないか」と直感。少しお腹をマッサージしてみたがなかなか出てこない。
「でる?」「「うーん?」
こんなやり取りを数回したが出てこ無いので諦めてお尻を拭いて見たらちょっと付いて来た。出ると思い「もう一度座ってね」と更にいきんで貰った。
でも出ない。少し強くお腹を擦ったら「痛い」を連発。
もう肛門まで出掛かっているのだからと諦めきれない私は最後の手段で肛門にワセリンを塗った。
「嫌だ。もうしないでね」と母は、訴えたので1回塗っただけ。
そりゃ、長い時間トイレでいきみ、お腹は押されて痛いし、おまけに肛門にオイル塗られれば…嫌だよね。
でもこれが在宅では当たり前だったし、母もここまで嫌がらなかった。
あの頃は我慢してくれていたのかな?

それでもワセリン塗布後 すんなりと大が出てきた。めでたしめでたし。
相当量のものだった。

それから、入浴。美容院に行っているので洗髪はしないでよいので楽勝である。でも、着替えの時足が痛くパンツが脱げないと訴えられた。
スルッと引いてあげると直ぐに抜けたので母は「こんなに簡単に脱げるなんて…」と驚いていた。
体を洗っているときも足が痛いという。
いつもは左足なのだけれど今日は右足。それも母は「右の足が痛い」と言えた。「ここが痛い」と痛いところを擦るのがこのごろの母だったのに…。
ちゃんと言葉で表現で来ていた。

よく見ると右足にかなりの浮腫みがあった。
浴槽に入ってから足をマッサージしてあげた。でも私は服を着たままなので浴槽の中で足を上げてもらうしかなかった。母は、滑りそうで怖いと言うので長い時間はしなかった。
風呂が熱いと久々に大騒ぎ。「あんたは痛いことばかりする」とご機嫌斜め。「ごめん。気が付かなくて…」と謝ると「いや、良いんだ」と苦笑い。
「私は弱虫でお腹が痛いと騒ぐからね」と低姿勢に変わった。
こんな変わり方も珍しい。

やっぱり「嫌」と言われた事をしてしまったら直ぐに止めて謝る方が母にとってはいいのかな?
でも排便はの時は 同じ事してしまうかもね。

風呂上りなので、タクシーを呼んで湯冷めしないようにした。
施設に戻ったのは7時を回っていた。






2003年10月14日(火) 散歩の道すがら


昨日 雨上がりの空の模様を母と二人で見上げていた。
母が先に「雲の切れ間の青空がきれいだよ」と言った。
雨雲のグレーのグラデーション。雲の切れ間に広がる青空には白い雲。
遠くの方にはぼんやりとして青空か曇っているのかわからない空が広がっていた。
雨上がり特有のくっきりと景色…。
空の景色を母と二人で眺めたのは久々かもしれないと思った。

暑くも寒くも無くお日様も無い今朝のお天気は お散歩日和だった。
お天気につられて久しぶりに河辺りを回って買い物に出た。

通りから離れるにつれて野鳥の声が良く聞こえてきた。
春先のような賑やかなさえずりではないけれど、セキレイやカワセミ。もずの声も…。
ちょっと目を凝らすとジョウビタキの姿も目に入ってきた。
鳴いては居なかったけれど赤みを帯びた姿に白い紋、スズメよりちょっと膨らんでいたので間違いないだろう。
少し早めだけれど…。

土手には のいばらの蔓が地面を這うように茂り赤い実を付けていた。
野菊もかろうじて紫の花を咲かせていた。
イヌタデは夏の日の濃いピンクの色が白っぽくなってしまっていた。
ツユクサはの青はまだ青いけれど一頃に比べるとその数はグッと少なくなっていたが茶色になりかけた景色の中で目立っていた。
へくそかずらも茶色の実を付けていた。
河原の植物は 家の庭にあるものと違い引き抜かれる事もなく好きな所に自然に育っている。
こういう姿を見ていると ちょっとほっとする。

「ぴー ひょろひょろひょろ」ととんびの鳴く声が聞こえる。
空を見上げてもその姿はない。
空にはカワウが大きな羽を広げて飛んでおりカラスがこちら側に飛んできた。近くにとんびが居るのは間違いないのだろうけれど…。
再び空を見上げると今度はちゃんととんびが悠々と飛んでいた。
暫く歩くと今度はダイサギが2羽飛んできた。頭上を川下に向かって飛んでいった。

川の流れる音も聞こえてくる。昨日辺りは茶色の水が音を立てて流れていたのだろう。岸近くの草の根元には流されてきたごみが沢山ひっかかっていた。それだけは、閉口した。

そういえば、ツバメはもう南の国に渡って行ってしまっただろうか?
いつもなら留まっているツバメも見かけるのだけれど今日は見当たらなかった。未だ、鴨も来ていないようであった。

土手を上がる時 小さな赤い花が見えた。
「今頃何の花だろう?」とそばに行ってみると鉢から外して捨てられたベコニアだった。暑くないし雨も降ったので辛うじて花を咲かせているのだろう。ここでは、冬越しできないだろうな…。

河原の景色は 夾竹桃が咲いていたりもして夏と秋が混在しているけれど…でもやっぱり秋色が色濃くなってきている。

肝心の買い物は、ほんの少しだけで…。
気分転換のお散歩は終了した。
この長い道を 2年前までは当たり前のように母と散歩していたのになぁ。
きっと、今は無理だろう。

おべんとうとおやつを持って休みながらだったら歩けるかな?


2003年10月13日(月) 母が目印?


帰宅した夫が「○○さんと会ったんだって」と言う。
覚えが無いので「今日は会ってないよ」と言うと「橋の欄干で川を覗き込んでいたって言ってたよ」と言われた。
あーそういえば、あの時車が後ろを取って行ったなぁと思う。

母と一緒にいると人目に留まりやすいのである。

先日も母とバスに乗っていて降りる所の停留所の前からコックリをしてしまい停車ボタンを押し忘れていた。
すると運転手さんがバス停に近くなった時再度「××です」と案内してくれたのだった。
八ッと思ってボタンを押して乗り過ごさずに済んだ。
これもいつも乗っていて目に留まっているから 言ってくれたのだろうと思った。

一人だけの時は、案外見過ごされてしまう事が多い。

今日 橋の上で川を覗き込んだのはすごい雨が降った後で川の水がかなり増水していたから。いろんなものが流されて来ていたのだった。
枝等もそうだけれどボールなども有って流れの速さを見ていたのだった。

さっきまで娘の友人が来ていた。
皆でケーキ等を食べていた。
実は、先日ラジオでミスチルのCD化しない曲が流れていて…。
「うん。そうだよね」と思う曲だったので一昔前ミスチルファンだった娘に(今は違うのだが)「こんな曲有ったよ」と言ってみたのだった。

「その時一回限りの曲です」と言っていた所で気が付き曲名が朧だった。
それで「確か…別府温泉って言ったかなぁ〜」と言っておいたのだった。

その話を友人にしたらしく「そんな曲名じゃないよ」と笑われた。
そして、曲名を調べてみたのだった。
確かに今の所CD化はしないようでラジオだけで流しているらしい。
「タガタメ」と言う曲だった。
感想は、控えるけれど…。
反射的判断力が落ちているかなぁ…。
気をつけなくてはいけないなぁ。

帰り際 「遅くに失礼しました」とドアを閉めながら「別府温泉」と笑いながら一言残して行った。
「・・・・・・」(笑)



2003年10月12日(日) 折り紙教室


 昨日、家に向かう時ひとつ手前の停留所で降りた。
駅まで少し歩いた。

駅前では、ちょっとしたイベントをやっているので寄ってみようと思ったのだった。
覘いてみると「折り紙」のコーナーがあった。
おそらくは、子供に向けて物なのだろうけれど どんな物を折るのだろうと様子を見た。
母にも折れそうなものばかりだった。(一人で折っていく事は不可能に近いけれど一緒に折るなら出来そう)
誰も参加していなかったので 迷惑も掛からないだろうと思って「いいでしょうか?」と聞くと「どうぞ」と喜んで受け入れてもらえた。
母と取り組んだのは、シャツ型の爪楊枝いれである。
折り紙とは言っても 包装紙を切ったものである。
折り方を聞いて折ってみせる。そのあと母が折る。
勝手に先に折ってしまわないように「ここで待って」とストップをかけて等と声をかけながら作業を進めた。
何を折るか、どう折るか、順番は、等判らないけれど 丁寧に折ることだけは出来る。
ゆっくりと折り進めて作品が仕上がった。
とても簡単なものだけれど、でも 外に出て見知らぬ人から教えて戴く経験は気分も変わるしいい物だなぁと思った。

デパートの中をゆっくり歩いて回って家に向かった。

食事を終えて お腹いっぱいになったので 散歩に出た。
柿の実が熟れ出して、カラスが狙っていた。
母の視線はカラスに向いた。
「あっ 大きな黒い…」「そうだねカラスだねぇ」
「あっ 柿が…カラスがつついたんだねぇ」「あっあそこにも…」と電柱のカラスを指す。そのうちカラスの数を数え出した。
でも、カラスは じっとはしてないので 母には正確に数えられなかった。
目の前の状況は、把握できて話も出来るようだなぁ。

昨日もしっかり歩き 今日も午前、午後と歩いたからか 母の血圧は大変良い状態であった。健康体の通常の血圧である。
それでも、かなり疲れたのだろう家に付く頃には フラ付いていた。
ちょっと横になって貰ったらスーッと寝入ってしまった。

暫くして療法士さんが見えて リハビリを施術して頂く。
療法士さんは、やはり リハのできるデイを来年4月までに開業するつもりで役所に出向いたり場所を探したりと具体的に動き出して居られる様だった。

今朝、朝日新聞を読んでいたら目に留まった記事があった。
「仲間はずれ」痛がる脳。体の痛みと同じ反応。
つまり、肉体的に痛いと感じた時と阻害される事による心の痛みとは 脳の同じ場所で反応を示すという事が米カリフォルニア大等のグループが確かめ
米科学雑誌サイエンスの最新号に発表したそうである。
痴呆になるとどうしてもいろいろの事から外されて行くけれど、これが感知できる状態だとやはりかなりの痛みを感じるのだろう。
その痛みは きっとストレスとなるのだろうな…。
おそらく侮辱や汚い言葉も打たれると同じ所で痛みを感じるという事になるのだろう。薄々 気が付いてはいたけれど…。

私自身も母にストレスを与える言葉を発した時期がある。
今、母に謝っても仕方ないかも知れない。
でも、母だってこの世にはいない母に向かって「おかちゃん ごめん」と謝るのだから、ちゃんと謝って置くべきだろうな。
明日は、ちゃんと謝ろう。


2003年10月11日(土) おいしいの?


 母の所に行くと母は、職員に排泄のケアをして戴いていた。
「大きいのが出てます」と言われた。
母は「お世話して貰っているの」と言った。ちゃんとそう言った。
「ありがとうだね」と言うと「有難う」と言った。
職員は「いつもちゃんとお礼言ってくださるのですよ」と言った。

以前の母は、一人で出来ると言い切ることが多く職員にも拒否した事があると思う。でも、いよいよ出来ない事を受け入れ始めたのだろうか。
痴呆であってもその辺が理解できているように感じる。
そして、以前なら羞恥心があったと思うけれど今の母にそういう思いは薄れて来ているのだろうと感じている。
人によっては「拒否」もあるだろうけれど。

排泄は、人としての最後の砦だと思う。
介護する方も確かに大変だけれど…ここの部分だけは意思を尊重してあげたい。
とは言いながら 過ぎてしまった大変さを棚に上げてしまっているかも知れないのだが…。

この所 母の異食の事に触れている。
今日、また その機会があった。
昨日準備したおでんで食事を済ませた。
お腹がいっぱいになった筈だから…と思いお風呂の温度を見るためにほんの数分母のそばを離れた。
戻ってみるとおでんに使った「からし」の器を持ち箸で食べようとしていた。反射的に「これはからしでしょ。辛いのよ」と取り上げかけて思いとどまった。からしは毒ではない。嫌なら吐き出すと思った。
だから「からいよぉ〜」と言って様子を見た。
それでもズルッと行きそうな気配に箸の先に少しだけ付くように配慮した。
口に入れたので「おいしい?」と聞いた。
「おいしいよ」「辛くないの?」「何とも無いよ」
確かに昨日練った物だから多少は気が抜けているけれど まだ 辛味は残っていた。再び口に運ぶので今度は調整せずに見た。
暫くすると「辛ーい。鼻にツーンとくる」と母は、笑いながら言った。
ペーパーを渡して吐き出すように勧めたが 芥子はもう口の中で溶けてしまい出しようも無かった。
急いで水を飲ませた。
「まだ、お腹が満たされてないからかな?」と思い小さな和菓子と柿を出してあげた。するとまた食べ出した。
でも柿を少し残した所で「お腹いっぱい」と言って食べるのを止めた。
母と私は食事の量は殆ど一緒。それにフルーツと和菓子を加えれば母のほうがたくさん食べた事になる。

じゃ、食べ方が判らないか?と言うとおやつのみかん等は薄皮もちゃんと出すし皮だって食べはしない。

何を持って異食と判断するのか?

でも、母は、基本的に辛い物は苦手であった。
昔からおでんに芥子は付けないタイプだった。
それを「辛くない」と言うのだから味覚が鈍って来てはいるのかも知れない。

そういえば、随分前にも芥子で同じような事したような気がする。
その時も「辛くない」と言っていたと思い出した。
という事は、芥子で「異食」を判断する事は出来ないかもしれない。
「ふーむ」何処で判断したらいいだろうな…。
そういえば、今日母の部屋にみかんの食べかけがあった。半分以上残していた。母は、みかんのすっぱいのを嫌がる。
きっとみかんすっぱかったのだろうなと思っただけだった。
という事は、いやな物は残す。食べきる事は無いのか?
もう暫く要観察だなぁ。



2003年10月10日(金) 計算 出来るかな?


 日が暮れるのが早くなってきた。
夏時間のペースで動いていると時間が足りなくなってしまう。

特に母を家に連れて帰り 施設に送って行くパターンに無理が来てしまう。
今日は、家に連れてきて入浴して貰おうと思っていた。
でも、今朝は家人の出勤が皆ゆっくりだった。
午後一で生協の配送があるので母を迎えに行くと戻るまでに行き違ってしまいそうだった。だから、品を受け取ってから母の所に出向いた。
勿論 風呂を洗い水を張って沸かした。

でも、考えてみるとどう頑張ったって帰路は また 日暮れ時となってしまいそうだった。
先日、気温が下がり風邪をひかせないかとひやりとしたばかりなので諦めた。

実は、昨日からおでんの下準備をしており、母を連れてきておでんを食べて貰おうと考えていたのだった。
大根、ごぼう、じゃが芋、里芋、こんにゃく、蛸、卵。
後は練り物で、はんぺん、スジ、ちくわ麩、焼き豆腐 ちくわ。
何れも母の好物である。
だしも かつおと昆布でしっかりととった。
これなら、体もあったまると思った。
でも、これも今日は駄目だ。
考え方を替えれば、一晩置けば味もしみ込むか…。
明日はリハビリの日だし。

母は、元気だった。
散歩に出て「背中伸ばして」と声をかけるとしっかり背筋を伸ばした。
ファミレスでお茶した。
そこで 母は、メニューを読み込んでいた。
セットメニューの値段が出ていてそれをしきりに計算しているのだった。
三桁の足し算である。
繰り上がりで躓くらしく、幾度も幾度もブツブツと言っていた。
口にする数字は答えとして合う時も有るのだけれど…自信がなさそうだった。「おかしい」と感じるのだろう。
持っていた手帳を破って紙に数字を縦に並べて足し算がしやすいようにしてあげた。それでも やっぱり 繰り上がりで躓くのだった。
どうも、余計な事をしてしまったみたいである。
母は、計算をしていたのだけれど、それだけではないのだ。
絵との関連。品物との組み合わせ、数字で遊んでいたのだろう。
私の浅はかな思いを反省した。

ファミレスを出て、更に散歩。
途中の公園で木に豆の鞘のような実がたくさん下がっていた。
「インゲンみたいに見えない?」と聞くと母は見上げながら「取ってみようかな」といたずらっぽく笑った。「うん」と同意すると母は、グッと引いて取った。鞘を開くと中にはグリンピースのような豆が入っていた。
ついでにジュワッと汁が出て 二人でまた笑ってしまった。
まるで、いたずらっ子が悪さをした時のような…そんな感覚を共有した瞬間でもあった。

足取りも軽く川べりで声高らかに歌って、施設に戻った。




2003年10月09日(木) カット大根450円?


 木曜日の利用者さん訪問。
今日も比較的落ち着いて居られた。
ちょっと、びっくりしたのは手すりの付けられない場所(椅子から立ち上がって部屋を抜けていく時)に手すりの通路が敷いてあった。丁度施設や病院等での歩行リハビリの手すりみたいな物である。床に固定はしてないが重さがあるのでぐらつきは無いようだった。
こんな物が家庭にも持ち込めるという事が驚きだった。
家族が共に住む家だとしたらかなり邪魔になる。
一人暮らしだからこそ出来るのだろうと思った。
少し古びていたので何処かで使い終えた物だろうと感じた。

冬に向かって体が硬縮して転倒するからこういう措置が取ったのだろう。
昨年も転倒で随分いろいろの事があったから利用者さんも不安なのだろう。

この方の場合 もう少しリハに前向きに取り組み、お酒を止めればきっと転倒を防げると思うのだが…。
利用者さんご自身に その意思が無いので仕方ないだろう。

活動の事を書くと利用なさる方に変な遠慮を感じさせてしまうので悩みどころではあるのだが…。
ただ、木曜の方の場合は 悪い例なので…。
時間オーバーに関しては、その場の流れがあるので一概には言えない。
時間オーバーしないように活動するのが訪問者の腕である。
だから 訪問した時にいつもと違う用があるかをお尋ねする事がまず大切な事である。

今日、買い物に出たらスーパーでカット大根(7センチくらい)が450円と表示があった。一人暮らしであまり野菜など召し上がらない方なので一本の大根は無駄になる。でも一本のを見ると90円だった。半分にカットされたものが60円。なぜ小さい物が桁外れに高いのか…。
困ってお店の人を探して聞いてみた。
すると、間違って表示したようだった。
「いま、値段をちゃんと打ち込んできます」と言われ暫く待った。
秋刀魚を買おうとして値段の違いを聞くと「ここは家の品物で無いからあっちで聞いて」と言われて言われた方に行くとまた「家のじゃない」と言われ
別の所でやっと聞けた。
同じお魚売り場でも3業者があるのだと知った。
私の買い物する範囲ではあるけれど、ふだんの生活では殆ど利用する事が無いのでほんとにわからない。
そんなこんなで、買い物に予想外に時間がかかってしまった。
こういう時間超過は、誰の責任になるのか…。
本当は、スーパーの責任だろう。利用者にわかるようにしまければならないし、値札の間違いなんて基本的間違いである。
でも、時間の損害を請求するわけには行かないだろうし…。

実は、買い物時間については、利用者さん厳しくチェックなさる。
この事を報告はしたけれど…。ここは、実際出かけていないので理解してもらえているか…。

大急ぎでその後の活動をしたけれど…少しオーバー。
帰宅しようとしたら「氷り入れて」と仕事依頼。「はい」と氷を入れて持っていくと今度は「食事が終えたから片付けて」と。
そんなこんなで、更に時間オーバーである。

ま、大した事ではないのだけれど…こういう事って信頼関係って大事だな。
時間制限の中でお買い物する人っているのだから…。
スーパーには、もう少し配慮が欲しいなぁ。


2003年10月08日(水) 行きつ戻りつ


 施設に出向くと職員から手招きされた。
どうやら、母が液体石鹸を呑もうとしたらしい。
時々コップが石鹸で汚れている事は気が付いていた。
でも、呑んでいるとは思わなかった。
今までも異色っぽい事はあったけれど実際口に入れる所までは見届けていない。若し、口に入れて飲み込んでしまったらいけないけれど…。
おそらく 吐き出すのではないかと思っているのだが…考えが甘いかな?
液体石鹸は、職員が危険回避のため預かっていてくれた。
これからは、母の目に届かない所に置く事にした。
でも、この辺はちゃんと確かめてみようと思う。
危険を回避する事も大切だけれど食べられる物とそうでない物を判断する能力維持も頭の隅においておきたい。

最近の母は、服も着せてもらうのが当たり前になりつつり、入浴も洗ってもらうのが当たり前となってすべて受身になりつつある。
それが、とても気になっている。
時間がかかっても一人でする事が能力維持になるような気がする。

今日も家で入浴。
その時も言葉の指示で何とか自分の力で衣類を脱いだ。
最後の所で下着を付けた儘浴室に入ろうとしたので「おふろだから…脱がなくちゃね」というとちゃんと脱げた。
洗髪や体も先に洗った後で「一人でやってね」とタオルを渡すと自分でせっせと洗い出した。先に洗ってあるのでどう洗おうともいい。
それに洗ってもらった事等母の記憶に残ってはいない…。
能力を維持して行く事が今の母の課題であろう。

痴呆の進み具合は、行きつ戻りつである。
できなくなった事でも また できるようになる事はある。
それを繰り返しながら…行くように感じている。
諦めずに現状を維持して行く事が私の役目だろうなぁ〜。

家族が戻ると言うので暫く玉の竜の枯れた葉を処理していた。
家人が戻ったので仕事を止めて家に戻り その後送り出して一息ついた時頭から何かが落ちた。よくみると芋虫だった。
きっと玉の竜の枯れ葉を根の所でかきだしている時に弾みで芋虫が飛ばされてしまったのだろう。
あまり、いい気持ちはしなかったけれど、芋虫だってきっとびっくりした事だろう。

今年は、冷え込みが早いような気がする。
母の手足があまりにも冷たく手をこすっているのである。
薄手のセーターを出そうかとも思ったが、ジャケットやコートを出す事にした。まだ、毛織は少々早すぎる。
いや、施設ではセーターを着用している人だっているけれど…。
入浴後に帰宅するので冷えないようにしっかりコートを羽織って貰った。
いつもなら、まだコート等着ないのになぁ。


2003年10月07日(火) 介護保険の周囲


 介護保険を利用している人の中でしっかり中身を理解できている人って何パーセント位いるのだろう。

いや、今日の集まりで自分が知らないでいるサービスがあるのじゃないか…という話になった。
また、同じ食事等の負担で献立の中身がかなり違っているのではないか…という事も。
「自分の利用している所はいい」と思っても実際はどうなのだろう。
デイ等に足を運び見学ツアーをしたいねという事になった。
知りたい事は、他にもある。在宅で対処に困る事をデイ等ではどう向き合っていてくれるのか…在宅介護のヒントがあるのではないか…と。
そういう話となった。
これから、各デイサービス事業を行っている事業所に問い合わせをしてツアー実施に向けて動き出す予定。

マイケアプランの話にもなり、介護しながら更に自己作成の仕事まで増えるのは大変じゃないか…という。
私もそこは危惧していた。
でも、話を聞く限り大変ではないと言う。
介護保険の中身がはっきりわからない。でも、自己作成を始めれば見えてくる事があるのだろうと思う。
私自身が、今ケアプランとは無縁状態なので簡単には言い切れないのだが…

面白いアイデアが出た。
受け取ったケアプランから何かが見えるかも知れないので各自のケアプランの表を持ち寄ってみようという事になった。
その時が、楽しみである。

また、レンタルベットの話題にもなった。
この件に関しては、毎月1500円のレンタル料でベットを借りると言うシステムだが、ある人が試算した所ベットを買って数年で十分元が取れるという事だった。
ただし、数年ちゃんと使った場合である。
何かの理由で数ヶ月で使わなくなった場合 処理に困るという事も起きるだろう。今、そこの所で使わなくなったベットの処理を調べて貰っている。

つまりベットを借りても介護保険の点数に加算される訳で…必要と思われるサービスが保険利用外での事になるので必要なサービスを受けるためにはレンタルより購入した方が良いという意味も含まれている。

前に記したように不要になった時のベットをどうするか…その辺の回答を待っている所である。

介護者の集いは、こんな風にいろいろ縦横斜めから考えられる。
勿論、介護者の悩みも吐露できる。
今日も新しい参加者が見えた。
色々の知恵が集まれば 良い知恵も生まれる。それも地域の情報である。


2003年10月06日(月) 盛りだくさんな一日


午前中 利用者さんを訪問。
「みて欲しい事がある」と言われた。
ひとつは、浴室。もうひとつは、浄水器。そしてファクシミリだった。
私に判るかしら?と思ったが、すべて私で処理できる範囲の事だったのでほっとした。

浴室での用
寒くなったので、浴槽に入った時肩までお湯に浸かりたいので浴槽の中の椅子を撤去したので入る所を見て欲しいと空の浴槽に入られる様子をチェックした。椅子は有った方がいいと思うけれど…。肩まで入るのはお勧めではないのだけれど…まだ、十分できると思ったので特に注意はしなかった。
ただ、浴槽の中にすべり止めマットを敷いた方が安全だろうと思った。
また、シャワーへの切り替えや、お湯の選択(レバーが水とお湯)、また、お湯の調整、スイッチの入れ方など曖昧になる時があったらしくその作業の順序を聞かれた。
危ういので「書いておきましょうか?」と言うと「もう判ったから大丈夫」と言われたので書く事はしなかった。
空焚き防止や沸かしすぎ防止が取られているので危険は回避できるので良いかなと思った。
一応出来るので プライドを傷つけない事が今の利用者さんには、大切と思った。

浄水器
これは、フィルター交換だった。
メーカーによって扱いが違うので何処をどう捻るのか判らなくて最初は戸惑ってしまったが何とかクリア。
難問ができた。
途中、妹さんから電話が入って「浄水器は手入れしないと安全性が無いのでフィルターを替えるより水の購入の方が良いのでは…」と言われた。
でも、浄水器は お嫁さんが購入なされたと聞いていたので勝手に変えても…と思い「ご本人の意向に沿って決めたいと思います」と返事した。
こういう事って、難しいなぁ。

ファクシミリ
これは「用紙を替えたらコピーできなくなった」という事だった。
ファクシミリもメーカーによって異なる。これも、機種についている説明書きを読んで進めた。用紙の設定ボタンの押し忘れのようだった。
家のは、そんな機能はないなぁ。

先日のTBSの永 六輔の土曜ワイドで 永氏が「ファクシミリを使えないのは自分だけじゃない」と例を挙げて話していた。
ファクシミリを持っていても未だ使ってない人がいる事に驚いたが…。
そう考えると、利用者さんはちゃんと使い故障もわかるのだからたいした人になるだろう。

機械の事については、まだ、書き足りない部分があるが今日はここまで。

午後、ちょっと電車に乗ってお出かけ。
友人が遠方より出てきて作品の展示をしている。
「裂織」である。織るのは勿論だが、仕立ててもある。
今日しか彼女は会場にいないという知らせがあった。

母の面会もあるし…明日も用があり 明日に延ばすと面会時間がほんの僅かしか作れないし…迷った挙句に連れて出る事にした。
これまでも数回は連れて行っている。
移動に時間がとられるのでギリギリの時間ではあった。

いつもと違うコースだと母は気が付きキョトキョトした。
余計な事をしてしまったかな?と少し不安が過った。
でも、取り越し苦労だった。
思いがけず母の輝く笑顔に出会えた。
友人を訪ねるとそこには友人の友人もいらしていた。
皆 同じふるさとで繋がっていた。それも、同窓会繋がりでもあった。
彼女たちの先輩が母であった。
また、友人の友人は、母の友人に教えて頂いたという事も偶然判った。
母の友人は、若い頃同じ夢を持って駆け出した人でもある。
今でもはがきでの便りがある。
そんな人の話題も在った。
また、地元の有名な偏屈地主さんの話もあった。
母も名前を聞いて思い出したらしく笑っていた。
普段の私との会話の中には なかなか出てこない話題である。
新しいふるさとの思いが母の中に吹き込まれたのだろう。
他にももっといっぱいの共通の話題があった。
包み込まれるようなやさしさに出会い母の笑顔は輝いてきた。
無理を押して連れて出てほんとに良かった。

友人は、近々お母様を家に呼び寄せる。
友人の友人は、お母様をふるさとで一人暮らす事を受け入れたという。
友人の友人のお母様は、お元気なのでそれも可能だという事だった。
それぞれの選択がある。
親の年齢がそういう年齢なのである。

作品はゆっくり見られなかったので改めてお尋ねする事にして急いで施設に帰った。


2003年10月05日(日) ある方のホームページから。


痴呆は、いつまでも同じ状態ではいない。
だから、良いと思う事は 二度三度拒否に合っても諦めずに再度試みる方が良いと思う。無理は禁物だけれど…。
もう 出来なくなったから…と思う事も時として試してみると案外そうでない事もある。

ある方は、寝たきりになってしまったご主人を介護しながら…なんかの機会にひょっとしたら…といつも思われていらっしゃる。

力を込めて言うわけではない。
「出来るだろう」と言う期待を込めてしまうと出来なかった時の失望が生まれる。なんとなくやってみる。それが、コツかもしれない。
いつでも引く心構えを持っていれば 何かが掴めるかも知れない。

そんな事をぼんやりと考えていた。
ある方のホームページ…。よくお訪ねするホームページ。
最近ご主人が食事中すら眠ってしまう。表情がなくなった…。と書かれていた。ロムしながら、進行なさったのかなぁ〜と感じていた。

でも、先日 ご主人を連れて(友人の手も借りて)夜 車に乗って かなり遠くまでお出かけなされたようであった。
その時のご主人の表情がアップされていてそれがとてもいい表情をなさっていた。判るのである。いつもと違う景色や空気が脳を刺激したのだろうか?
その後もお散歩に出る時の意思表示も出てくるようになり表情も出て来ているとあった。
連れ出す事は かなりのエネルギーを使う。
当人は勿論介護する者にとっても…。
でも、いい形で変化していく時 介護者の苦労は緩和されると思う。

人の力をお借りするのは、心苦しい。
でも、相手は 自分が思うほど 大変と思わないものである。
私は、両方の経験がある。
特に相手の役に立てた時の満足感は何事にも替えがたい。また、その場で学ぶ事がたくさんある。それが替えがたい報酬である。
いや、いつでも声をかけて下さいといってくれる人でなければ 無理だとは思うけれど…。

もうひとつ。
それも よく訪問させていただくホームページ。
そこに本の紹介があった。痴呆の事について書かれた本である。
その方は、痴呆者の「透明な笑顔」と言う言葉に惹かれて本を買われた様である。
母を見ていてそう感じていた。
打算のない姿である。
以前なら忘れてしまった事を「忘れた」と言う時にはかなり悲しい表情が見て取れた。
でも最近の母は「忘れちゃった」と言う時に悲しい表情がない。
むしろ「忘れちゃった」と言いながら笑顔がある。
卓越という事は出来ないのだろうけれど…。拘らない笑顔である。
打算もない。
母の拘りに振り回されていた頃の事を思う時、ひょっとして拘りを持たせたのは私自身の対応のまずさからではなかったのか…と思うほどである。

嫌な思いもするだろうけれど…。
それが積み重なれば、表情にも出るけれど…。
それさえ 避ければ きっと母は心地よくすごせるのだろう。

面白い事、楽しい事を余計な事を考えずに笑顔に表せるっていい事だろう。
私は 今 そういう母がとっても好きであり愛しい。
ある意味で痴呆は怖くないとさえ思い始めている。

さ、私も本を読んでみようかな…。


2003年10月04日(土) 何処から何処まで…


 母を迎えに行くとホールの机に時折 顔を突っ伏したりした。
お腹の調子がいまいちなのだろう。という事は意識がしっかりしているのかな?お腹の微妙な変化に気が向くときは意識度が高いように感じている。
「出かけよう」と声をかけると「何処へいくの?」と言う。
私を指して見せると「ふーん」と言った。
「何処かわかるの?」と聞くと「あんたの家でしょ」だって。
判ってるみたいだなぁ。

娘の車で家に着いた。途中、駅の前に差し掛かったとき「これで降りるの?」と聞いてきた。そうなんだよね。バスなら、ここで乗換えなんだよ。
そこは、判るみたいだけれど、乗っているのはバスでないんだよ。
そこが、イマイチ判らないようである。

玄関を入ると「また来たよ。誰もいないね」
お腹が空いているようだったので ダイニングに入り即おやつにした。
私がキッチンに入ると「おいしい物が出るんだね」と言う。
「ふーむ。一体どうしたと言うのだろう?」
おやつを食べ始める頃 お日様が雲にもぐり込み少し暗くなった。
「もう5時になるね」と言う母。
母の所からは、私の陰となって時計は見えない。どうして5時なんだろうと不思議だった。「いや、まだ3時前よ」とだけ伝えた。

じゃが芋をレンジでチンして出した。バターも塩もつけないのに「おいしい」と食べた。ちょっと、味見したらやっぱり何も付けなくとも十分おいしかった。
お茶もたっぷり飲んだ頃、療法士さんが見えた。
母は「こんにちは」と挨拶をするものの 療法士さんと判らなくてお客さんと思っていたようだった。
マッサージを受けている間に 母は軽い寝息を立てた。向きを替えるからと声をかけると直ぐ反応して動くのだけれどまた直ぐ眠るのだった。
リハが終了すると 丁寧に5回も両手を付いて「有難うございました」とお礼を言っていた。この時は、リハをしてくれた人と判るのだろう。
療法士さんは、母がお礼を言うたびに「いいえ、どういたしまして」とまじめに対応下さった。
療法士さんには気の毒だけれど、お礼を言わないよりはいいだろうと思う事にした。  

その後トイレに誘導。
「今日は大 出ているのかな?」と聞くと「出ているよ」と言う。
確かにお尻を拭くと大の痕跡が付いてきたので本当だろうと思った。
「あんたは出たの?」と聞いてきた。
「出ないよ」と言ったら「そうなんだよねぇ〜」と言われた。
どうして「そうなんだよね」なのだろう?不思議な言葉だった。

入浴後も頭を乾かす時も「どうも有難う」を連発だった。
ちょっと休息している間、洗濯した母のパジャマやタオルを畳んでいると…
「あら、洗ってくれたのね。どうも有難う」と言った。
いつもは気にも留めなくなっているのに、今日は自分の物だと認識できるようである。

帰り支度をして外に出ると向かいの奥さんが母に挨拶するためにわざわざ出て要らした。
すると母は、「お久しぶりです」と挨拶したのだ。
少しの間、おしゃべりを交したが…ちゃんと会話になっていた。
ほんとに判っているかのようである。

でも、母は「そろそろ家に帰らなければ…」と言う。
「何でかえるの?」と聞くと「歩いてよ」とすましている。

何がわかっていて何がわからないのか…。

今日もワークをしたし、新しい物をコピーしておいた。
母は、幾度も読み返していた。
「考える」という事は、頭の何かを刺激するのだろう。


2003年10月03日(金) 通院


 今日は、通院した。
バスを乗り継いで行くのだが、今日はパッと止まれなくてバスを降りる時も料金箱より先まで とととととっと とつんのめって行った。
手を繋いでいるのでキュッと引いてもうひとつの手で支えた。
母自身は、つんのめっているという自覚はない。
バスのステップの乗り降りも安定感を欠いてフラフラとしていた。

バスを降りて、エレベーターに乗り通路を歩き出した時「少し急ぐよ」と声をかけてタタタタタタッ位の早歩きを試みた。
「今日は随分早いね」と母は言った。
こういう感覚は 掴めているようである。
50メートル位の距離でフラットでありつまずく心配もないので多少の運動と思った。勿論手はしっかり繋いで。
診察待ちの人を見越しての事だったのだが…今日は待っている人もなくて直ぐ診察となった。
始めに血圧測定。「あのぉ〜。今通路をかなりの早足で歩きましたので…」と伝えた。医師は笑って「おー、しっかり反応してるよ」と言った。
数回 計測しているうちに下がってきた。
やはり、無理はいけない。程よい付加にしなくては…と反省。
浮腫みも少し取れてきたがまだ、残っているので今月も薬を引き続き買えた儘に…という事になった。

診察後 外に出たらお世話になった事のある保健士さんにぱったり出会った。母と会うのは 初めてだろう。
でも、話はいつもしているし、苗字も母と同じなので「お初」と言う感覚ではない様子だった。
「お元気で何よりですね」「はい。いいお天気ですね」
聞き間違えているのでいる。
「そうですね。ほんとにいいお天気ですね」と合わせてくれた。
「とてもいいお顔なさっていますね」とも…。
「ね。とても美人だって」と言うと母は、鼻に手をやり「いえいえ とんでもない事です」とおどけた。
今日の母は、ほんとにいい表情である。

家に戻り おやつと入浴。
ゆっくりとする事は出来ないけれど…入浴の形跡がないので仕方ないだろう。

そういえば、家に着いて玄関を空けた時「たびたびお邪魔しまして…。あ、誰もいないね」と言っていた。
また、「私は誰?○○ちゃんと私の間柄は?」と数回聞いていたら…。
始めこそトンチンカンだったけれど後になると「わかっているけれど、おどけていると言う感触だった。母自身が笑って答えるのであった。
今日は、記憶がぼんやりと繋がっているのだなぁと感じた。
これくらいの感覚だとこちらも気が楽になる。呆けても悲しくないと思える瞬間でもある。

今朝は「××ちゃーんって泣いていたのですよ」と職員が教えてくれた。

この所、持って行った「ワーク」の作業をしている母である。
居室でそれらを纏めていたら「あっ。それはね駄目なのよぉ〜」と言っていた。
頭をひねる作業は意識度を高めてくれるのかなぁ。
慣用句其の儘のプリントと虫食いのプリントをあわせておいて置くと多少判らなくとも「やってみよう」という気になるのかな?
私にだって呆け防止になりそうだし…。
これは、程よいトレーニングになるかも知れない。
母の年代の人たちは 慣用句をよく覚えているのだもの…。



2003年10月02日(木) 味覚の秋


 昨日、娘の休暇の最終日だった。
娘が地元のおいしいと言われているケーキ屋さんでケーキを買ってきた。
2種類のケーキだった、ひとつは評判の高い物だった。
いや、この町にもおいしいと言われるお菓子屋さんはいっぱいある。
そのほとんどを制覇しているつもりだけど、ここのは未だだった。

娘曰く「いやぁ あんなに混雑しているなんて思わなかった。待つ事待つ事。新規のお客さんで『たかがケーキでしょ』って帰った人いたよ」と言った。

おいしいと言われる方を後にしてモンブランを食べた。
これがとてもおいしかった。甘みを抑えてあるので栗(和栗)の味がいい感じで…。昨年に出会った和菓子を思い出した。
先日、その和菓子も「季節になりました」と新聞に載っていた。
自分で「栗が好き」と自覚していないが、どうも栗に弱いみたいだなぁ。

夜、取っておいた おいしいと評判のケーキを食べたけれど…期待が強すぎたのだろうか…「えーっ。どうして…」と思った。

評判って どうなのだろう?
好みもあるし…。
確かにスポンジは、きめ細かく優れものではあったけれど…。

それにしても なんと贅沢な事だろう。
子供の頃は、ケーキなんてクリスマスと決まっていたのに…。

おととい栗ご飯を戴いた。
家のは、少し渋皮を残す(と言うか面倒で残るのだけれど…)戴いたのは綺麗に剥いた栗を使われていた、ご飯の塩気も少し強く家とは違う味を楽しめた。

栗三昧だなぁ。

今度は、栗ぜんざいでも作ろうかしら…。
味覚の秋は始まったばかりだ。

木曜訪問の利用者さんは、調子が良いようで時間内に活動を終えた。
昨日は、デイでバスハイクに出かけられたようである。
そこのデイは、よくあちこちにバスハイクしてくれる。
母も季節ごとに連れて行ってもらっていたなぁ。


2003年10月01日(水) 金木犀が咲いた?


先週、金木犀の花が白っぽく付いて来て大きくなったなと思っていたら…
今週に入るとほのかに香り始めて、今日あたりは風に乗ってかなり強い香りを漂わせるようになってきている。

秋は、だんだん深まって行くのだろう。

母は、ホールで「道程」を声を出して少し涙ぐみながら読んでいた。
読み方は、怪しげだが 涙ぐむ所をみると意味はつかめているのだろうな。
頬を寄せると「なんだ、あんたかぁ。何処行っていたの?」と言って来た。
「ちょっとね」と返すとそれ以上の話はする事もなくまた読み始めた。

居室に入り、タオルを替えたり鉢植えに水やりをした。
「きれいな花だね」といつも母は、言う。
この言葉にぎくっとする。
もう一ヶ月近くになるのに、いつも初めて気が付いたように言っているように感じるのである。真相を確かめてはいないけれど…。
花の名前(ホワイトキャンドル)を覚え切れないのは、仕方ないけれど…。
でも、仕方ないかと思い直す。
それよりも「綺麗だ」と感じる心があればそれで良いだろう。
そのために鉢植えを置いたのだから…。
これも、そろそろ お日様や外の風に当ててあげないとなぁ…。
昨年母の居室で咲き続けたヒヤシンスが芽を出したのでもう少し大きくなったらそれに替えるのもいいかも知れない。

トイレ誘導している間に 面会と外出の記帳に行った。
戻るとトイレの中から「いいおかちゃんで 幸せだなぁ…」と言う母の声が聞こえた。「ん?」と言うと「あ、おかちゃん」と言った。
今日は、おかちゃんの役目なのだと思った。

お風呂にも入れたいし、散歩もしたい。
この所いつも迷ってしまう。でも、下駄箱をみても外に出た形跡がないので
散歩に出る事にした。
今日は、一時間半コース。理由は特にないけれどやはり筋力とおしゃべりが必要だろうと思った。
居室でアイスを食べてもらった。例のアイスである。
母は、それの食べ方を忘れかけていて始めは飲み物のように扱っていた。
数回、ぎゅっと絞ってあげて「吸うといいよ」と言ってみた。
暫くすると勘を取り戻して一人で食べていた。
室内だと寒いかな?と思って「冷たくて嫌かな?」と聞くと「そんなことないよ」と言っていた。
川べりでは、草刈をしていた人が道を挟むように座って休息をしていた。
母は、怖がっていたので「何だか間を通ると悪いね」と気をそらす言葉をかけるとつられて「そうだね」と言うようになり二人の間を頭を下げて通過した。
公園で休息。ドラックストアでトイレタイムを取るので更に水分補給をした。おやつは、焼き菓子とイチジク。
「おいしいよあなたも食べなさい」と言われた。
「さっき食べたばかりでお腹いっぱい」と言うと「残念だね」とにこっとした。
また歩き出してドラックストアでは予定通り「トイレタイム」
その頃から「疲れた」と言う気分が漂い始めていた。でも、まだ半分である。金木犀の花を少し折り 鼻先に持っていくと「何のにおいかな?」という。「金木犀よ」というと「あそうか」

また、公園で休息。ここでもポットに入れた豆茶を飲んでもらった。
トータルで500ccくらいかな?

また、更に遠回りをして歌いながら歩いて施設に戻った。
また、足のマッサージ。
横になった母は「疲れたぁ」を連発していた。

夕食まで、少し横になっていればいいだろうと思った。

朝から南側の庭の整理をした。
今日は主に鉢植えの植え替えや鉢の移動。
シンビジュームの鉢4個。
ひとつは特大。葉が焼けないように半日陰に置いていた。
でも、そろそろしっかりお日様に当てたい。
肥料を足してたっぷり水をやった。
さぁ、今年は花が咲くかな?
これも、そろそろ 株分けしなければならないのだけれど…。
ちょい面倒。

夕方、雨戸を閉めていていたら、西側の金木犀のにおいがぷんとした。




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