母のタイムスリップ日記
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2003年06月30日(月) いっそ、地域拠点の闇鍋では。

 今日、利用者さんを訪ねて考えた事がある。
利用者さんは、一人暮らしの痴呆初期の方である。
一人での暮らしが どうにも、危うい。

食事がどうなっているのか…。
お味噌汁を作られた形跡があった。
「今日は、この大根とこぶで風呂吹き大根を作っていただきたい」
大根を切ると中は「す」が入っていてとても使えなかった。
「こんな風ですけど、どうなさいますか?」と聞いた見た。
すると「使えないねえ。だったら、買ってきて…」

冷蔵庫を開けると手付かずのキャベツが入っていた。
ベーコンも手手付かずで賞味期限もあと3日というのがあった。
ジャガイモ、玉葱、赤ピーマンもあった。
大根を買うよりもこれを使ったほうがよいと思い利用者さんにそう言って見た。「はい。そのほうがいいですね」と言われたのである材料で作る事に。

キャベツと赤ピーマンとベーコンとにんにくを刻んだ。
にんにくとベーコンを先に炒めキャベツと赤ピーマンを加えてさらに炒め塩コショウで味を調えた。
もう一つは
ジャガイモと玉葱とキャベツとベーコンの煮物。

名もないお料理の2品である。
ここのお宅を訪問しての食事作りは 初めてである。
利用者さんに味見をしていただきながら、塩加減を決めていった。

利用者さんは、残っている物でこんなに作っていただいて…と喜ばれた。
(でも、食べてみなければ判らないんですよーーー。)
料理中の匂いが気持ちをほぐしたようである。

危ういのは、これだけでない。
一人で過ごす時間にあれこれ気になってあちらこちらを整理なさっておられると思われる。
「焦がしたなべは恥ずかしい」「汚れた布団カバーは恥ずかしい」「下着も」
「鍵がない」(実際はあるのだが)
そんな事が「若し、今 自分が死んだら…」という思いとつながってくる様子である。
これは、母にも在った。
その気持ちを押さえ込んでも無駄である事は、母を見てきて判っている。

初期の痴呆は、こういう事で混乱しやすい。

以前にも、知り合いの方がそういう時期がありと時々訪問していた事がある。
決まったように買い置きのお野菜が残っている。
週に一度でいい。地域に拠点を作り それらの余った物を持ち寄り闇鍋を作ってみたら「孤独からの開放。皆との作業。皆との食事。」とすごせれば混乱を
多少解消できるのではないかと思う。
それも、お話だってできるのだから心配事が共通していての安心も生まれそうな気がする。

ここにご近所さんのボランティアでも加わって貰えれば、手助けの方法も学べそうな気がする。
在宅で生きていくためには、地域の助けがどうしても必要だと思うから。

というのも、今日、兄嫁との話で「そういう事はこっちではありえないよ。みんな、地域の人が気に留めて訪問するし…。」という。
「煩わしい近所付き合い」と地域の交流がなくなって来ているけれどやはり必要な事だろうと感じる。




2003年06月29日(日) アーっと言う間の…。

 
 昨日は、どうにも眠くて日記をまとめる事ができなかった。
 で続きです。

 母に前屈みになってもらい洗髪していた。
お腹を刺激したのだろう洗髪も濯ぐ頃になって「大の方が…」と同時に…。
そう、出て来たのだった。
こんな事は、初めてではないから慌てない。脱衣室からティッシュボックスを運び処理をしたが、これが簡単には止まらなかった。次々と…。
とても、ティッシュでは収まりそうになく小さなバケツを使い そこに排出してもらった。
その内に母は、冷えてきたのか浴槽に入りたがり もそもそと動き出す。
そうされては困るし、あれこれ言って母を傷つけたくないしで…「ちょっと待ってちょっと待って」と繰り返し言ってお尻を拭き続けた。
治まった頃を見計らって、体を流して浴槽に入ってもらった。
「汚れたら水を張りなおせばいい」と居直ったが…。

母が湯に使っている間に、すのこやらタイルを洗い流した。
湯に浸かっている母は、そんな事 当の昔の事のように気持ちよさそうだった。

入浴前に、トイレに誘導してしっかり大量の大が出ていたので大丈夫と思っていた。後のほうは 少し緩めだったから仕方ないだろう。
こればかりは、本人の申告は無理だろうしなぁ。
ま、出るってわかって言ったのだから良いとしなくてはいけないのだろうな。

風呂場で これほどの量を出したのは初めて。
頭が濡れていて、とてもトイレまで連れて行けなかった。
今度は、簡易おまるでも準備かな?
簡易おまるってあるのかな?子供の使ったポット形のおまる何処に行っただろう?一寸探してみるかな。

お風呂から上がった母は 気持ちよさそうで少し疲れてもいるように見えたので横になってもらい隣に私も寝転び歌を歌った。
そのうち声が聞こえなくなり一寸だけ母は眠った。

目が覚めておやつを食べて施設へと送っていった。


2003年06月28日(土) 頭から離れない言葉


先日、ある方から「何故GHか?特養の方がいい介護してくれるでしょ」と聞かれた。
確かに 介護士さんの力量は、特養の方が上である。
情報公開度だって 特養の方がずっとよい。
そこは、充分にわかっているのだ。

けれど、大勢の入所者がいるといろいろの事が起きる。
余計なトラブルは できる限りないほうが良い。
人数の少ないGHは、その点 いいと思われる。
これは、ショート利用の時に 散々見てきている。
母にとっては GHのほうがいいと思う。
そう思ってここまで来た。

足りない所は、面会で補う。

「施設に入所しているのに1日おきの面会は大変ね」と言われ返す言葉が見つからなかった。

聞いた方に悪気はない。むしろ、素直にそう思ったのだ。
こちらも、気にもしていなかったつもりだったが、どうにも頭から離れないのである。
「何故 GHか…」

今日は、家族が早朝に仕事に出かけたので早めに家事を済ます事ができた。
家の用を先に済ませて、母の所に行った。
10時20分位だった。

でも、ホールでは、食事をしている人がいた。母も終えて間もないのだろう食器がテーブルにあった。
小さなおわんのような器とバナナ半分。何を食べたのだろう?
刻み食の人の器を見ると「野菜の入ったおかゆ」のようにもみえた。
なんかさびしい朝食である。
献立もそうだけれど、時間が気になった。
今の状態から逆算すると朝食は10時近い時間なのだろう。
昨日の夕食が5時半だとして15時間以上を経過しているはずである。
8時間内に食事が3回。
何だか 自分はとんでもない所に入れてしまっていないかと思った。
胸がちくりとした。

居室に入った時、部屋の真ん中に濡れたパジャマのズボンが脱ぎ捨てられていた。そこには、母の読みかけの本もあった。
きっと、起床してからそのままの状態だったのだろうな。
これでも、やはり 胸が痛んだ。

託すと言う事は、任せることであって、集団ゆえに手の回らぬ事があろうかとは思うが…。
それにしても、娘としてはやりきれない思いになってしまった。
救いは、今日の母は、とても穏やかな表情をしていた事である。

早々に家に連れてきた。
さくらんぼやもろこしを食べてもらった。
入れ歯なのに、母は、もろこしを上手においしそうに食べていた。
勿論、パジャマや下着タオル等は家に持ち帰り洗濯した。

入浴前には、排便もできほっとした。
けれど、入浴時に…。(明日へ)







2003年06月27日(金) 耳栓(他に高齢者介護研究会の報告書の事)


 介護をしているとこうなれば便利とか言う事が出てくる。
リフォームもその一つであるが…。

難しいのは、病は進行して行くもので 今必要でも 短期間の内に不要になったり 人によっては合わないと言う事もある。
便利さは、見ただけ、聞いただけでは判らないし、その人のライフスタイルによっても違ってくると思う。
だから、介護用品のお店やリフォーム店で即決しない事がいいと思う。
いろいろの人の体験談を聞き、自分にとってどうかをよく考慮する事が大切なのだろうと思う。

高いお金を払って買ったもののあまり役に立たなかったら無駄になってしまう。

先日、回転台を見せてもらった。
座った姿勢での方向転換に利用するものである。
母の急変時に タクシーから降りる時 かなり苦労した。
「降りるよ」と言っても理解できないので向きをその度に変えてあげなければならなかった。
この回転台は布製でバックにも入りそうだった。
でも、この回転台を使えば簡単に向きを変えられる代物である。

これには、浴室用もあり それには滑らないような工夫も施されていると言う。

値段は、1万円前後だと言う。

これは、頭の隅に止めておこうと思った。

もう一つ見せてもらったものに 耳栓がある。
洗髪の時 耳に水が入らないようにするのである。
これも、急変時に苦慮した。
「耳を押さえて」と言っても通じないので濯ぐのにかなり時間がかかってしまった。冬場の浴室は、暖房を入れても寒い。
耳栓は二つあった。
一つは、耳の穴に合う様に形の変わるものとすぐ抜けてしまわないように栓の部分にらせん状の彫りの入ったものだった。
一度 母に耳栓を使った時ポロッと落ちてしまって役に立たなかったのでいいなと思った。
早速、私は 螺旋の物を買い足した。
でも、母の耳の穴はカーブしており、やっぱり 役に立たなかった。
形の変わるものは どうかなとは思うが やっぱり外れそうな気がしている。

値段的には、高いものでなく、母以外の者が使えばいいので無駄にはならないからよかったのだが…。

こんな具合である。

介護の為のグッズやリフォームは 自由に変えられるスタイルの選択のある物の方がいい場合が多いような気がしている。

そういえば、今日の朝日新聞の朝刊に厚生労働省の「高齢者介護研究会」の出した報告書の事が載っていた。  
05年の制度見直しに向けての研究会である。

高齢者が尊厳を保ちできるだけ在宅生活を続けるため施設と在宅のサービスの隙間を埋める新サービスの必要性を強調したという。
在宅では、小規模多機能サービスの拠点を整える。
施設では、公民館や民家を借り上げて職員が出張サービスをするサテライト方式の強化等を挙げているようである。

これは、私自身も痛切に感じていた事である。
機会がある度に周囲に訴えてきた。

ここであがると言う事は、そう望んでいる人が多いと言う事でもあろうと思う。
納得できる形に育つまでには、いろいろあると思うけれど 要望等は変わらず訴えて行こうと思う。 



2003年06月26日(木) 思わず…。ポカリッ!です。

 母は、居室で一人 歯を磨いていた。
他の方も歯を磨いていたので きっと誘導があったのだと思う。
どうなるかと見守っていたら、入れ歯を出して磨いて濯いで口の中へと戻していた。思わず拍手。
きっと、誘導は入れ歯を外す所まで確認していたと思う。
ただ「磨いて」の声がけだけでは、入れ歯を外しはしないと思う。

歯磨きの済んだ母は、洗面台を幾度も幾度も手で洗っていた。
これも、いつまで続くかと見守っていたが、エンドレスとなった。
洗って手を拭く、また周囲が濡れるので洗うの繰り返しである。
仕方がないので、タオルを渡してその場から離れて貰った

歯磨きが済んだ所で外出。
今日の母は、歯磨きの様子からみて 安定しているように見えた。
バスに乗ってもポールに掴ったままになる事はなかった。
街に出ても 人の込み具合を見たり、お店をみたり、「荷物を持つよ」と言ったり 張り切りやさんだった。

買い物を終えて家に着いた。
少し早めの おやつタイムにした。
お茶とびわとスイカと月餅。
異食があるので気をつけて見ていた。
スイカの種を出し、びわも皮をむき種を出した。
「あー大丈夫だな」と思ったらびわの種を口に運んだ。
「どうするの?」と聞くと「この硬いのの中に…」とかみ始めた。
「それは、びわの種だよ。おいしくないでしょ」と言うと口から出した。
皿に載せておけばまた口に入れそうな予感がしたので片付けた。

スイカはカットしたものを出した。だから、認識が難しいだろうなとは思ったけれど「何食べているの?」と聞いてみた。
母は、聞かれたことが判らないのか はたまた 固有名詞が出てこないのか考え込んでしまった。
ヒントを出しながら繰り返し聞いてみたが やはり 判らなかった。
「何の味がする?」と聞いても首を傾げるばかりである。
その上、だんだん不安げな表情になっていく。
「あのね、これはスイカ」と言っても聞き取れない。
紙に「スイカ」と書いてようやく判った。
「教えて貰ってありがとう」と言い出した。

「アイタッ」「やってもうた!」である。
母は、判らない事を認識し陰にこもり始めそうだった。

判らない事に気ずかぬ様にしなければならないのについ剥きになってしまったなあ。思わず自分の頭を「ポカリッ」であった。

もう一つ反省。
今日のお風呂は 少し熱めだった。
浴槽に入る前に洗髪と体を洗ったので少し冷えたから余計熱く感じたのだろう。
かけ湯をしたら「熱い」と言った。
でも、大概の場合かけ湯を数回繰り返せば慣れてきて平気になるのだが…。
今日の母は、「熱い。何をするんだ」とヒステリックに怒り出した。
「ごめん。今水を足してるから。ごめんごめんごめん」と謝っている内にだんだん落ち着いては来たのだが…。
久しぶりに、母のほんとに怒る顔を見た。
本当に熱かったのだろうなぁーーーー。悪かったなぁーーーー。
二つ目の「ポカリッ」でした。


2003年06月25日(水) できる事は 何時までも…。


先日のGHの旅行で母と陶器に絵付けをしてきた。
企画側が、わざわざ遠回りをして組み込んでくれたのだからと利用させて貰ったのだった。
残念ながらそれに参加したのは、母と私の二人だけ。
職員も参加しなかった。

その絵付けした陶器が今朝 届いた。
包みを開けて皿を見ているうちにそのときの情景が思い起こされた。

あの時は、時計と睨めっこしながら作業したのだった。
皿を前にした時 母は、何をするのかわからない状態だった。
「何か描いて」といってみても直ぐ反応はできない。
一応、頭は まだ正常だろう私だって直ぐには 何も浮かばなかったのだから無理はない。
前もって絵付けが判っていれば、図案なども準備できたのだけれど…。
なにせ、当日に知らされたのだから…。

それで お皿の真ん中に「名前」を書いてもらった。
染料を筆につけて母に渡して。
でも、次が出ない。
皿のふちに、線の模様を入れる事を薦めたが、母には言われていることが理解できずにいた。手をとって模様を入れて何とか続けられた。
自分のもあるので、絵付けを始めていたら、母は、重ね塗りを始めてしまったのだった。
もう、上手く仕上げるよりも体験そのものを楽しむ事に気持ちを切り替えた。見かねたお店の人が、ちょっと助け舟を出してくれてようやく仕上げられた。
最後に日付けを入れた。
始めから終わりまでの所要時間は十数分だった。
お店の人が「お母様 お幸せですね」と言った。
自分では感じないけれど 他の人から見れば そう映るのだ。

さあ、これを、何に使おうかな…。

病の母に何かをして貰う事は、だんだん大変な作業になりつつある。
きちんとした作品に仕上げるのは、もう 不可能に近くなってきている。
それでも、何もしないで過すのは 母にとってよくない。
ほって置けば、能力はだんだん消滅していくだけなのだから…。

残っている能力は、できる限り保存してあげるのが私の役目だろうな…。
できれば、亡くなるその時まで 持続できたらいいなあ。


2003年06月24日(火) 女子大生訪問は 心地よい刺激かな?


 面会に出かけると女子大生がGHの見学に来ていて入所者と交流していた。
ホールでまぁるくなって、自己紹介をしている所に着いた。
母の順番だった。「○×からきた●●●●です」と言っていた。
すぐに私に回されて咄嗟に「さくらんぼ姫です」と自己紹介して笑いを誘った。
その後、歌ったり、しりとりをしたり、ボール遊びをしたり…。
みんなで楽しい時を過ごし、女子大生とのお別れの時間となった。

入所者の方は、見慣れぬ姿に緊張したかなと思ったけれど、実は新しい風が吹き込んでいた。

I氏に「お別れの握手をしていただいたら…」と勧めてみた。
すると握手したらI氏の目がウルウルとしてきた。
それをみた職員がすかさず「私にも握手」と迫ると「何言ってんだよ」と言う風に手を横に振った。それから、6名の女子大生は順番に入所者と握手して行った。
最後にI氏にまた握手。さらにウルウル。ハンカチを渡して目を拭いてもらった。「お孫さんの事思い出したかな?」「うん」

うちの娘もその昔90を超えたおばあちゃんを訪問した時おばあちゃんに急に涙ぐまれた事がある。
若い人の放つ元気さが心打つのだろうか?

痴呆と言えども生活の変化は必要である。
激しい変化は、戸惑いも多いかも知れないがやはり外からの風は入ったほうが自然である。
同じ顔ぶれではねぇ。
判らない訳ではないのだ。心を揺らす出来事は 心地よい刺激になるだろう。

そういう訳で、母とだけの時間は作れなかった。
久しぶりに、みんなと一同に会してみて母の会話の聞き取りはかなり劣化していると思った。おそらく入所者の中で一番悪そうである。

それでも、まだ編み物ができる。
今日も編み物の続きが仕上げてあった。
帰る前に、短い歌詞を3種類書いてテーブルの上に乗せてきた。
季節の歌を選んで…。




2003年06月23日(月) お手伝い


 あと一息で書き込み終了と言う所で、またしても強制終了。
「書くな」という事と受け止めて別の話題にする。

今日は、利用者さんを訪問。
「外に出るようになって、足の動きや頭の動きがよくなるのがわかります。ありがとう」と感謝の言葉を受けた。
たいした仕事はしていない。
掃除、洗濯をして、買い物に付き添うだけ。

ただ、買い物のポイントがわからないので、そこだけはお手伝い。
蛍光灯が切れてしまっている事はわかるけれど、同じ物を買い換える事はできない。布団カバーを買い換えたいけれど、サイズがわからない。
だから、メモを取り一緒に買い物に行き売り場で選んで貰う。
全てをしてあげれば、もっと早い時間で終えるが 必要なのは生活訓練の場なのだから。
痴呆の入り口にある人には、自信を取り戻して貰うことが良いと思う。

今日は、3人の友人から便りが届いた。
普通の日に、3人からというのは珍しい。それも、返事ではないのである。
その上、宅配の不在表も入っていた。
再配達をしてもらい、開けるとサクランボだった。
真っ赤に熟れたサクランボの上に緑色の葉っぱが載っていた。
そのコントラストが私は大好きである。
今年4度目のサクランボ。
でも、この友人からのサクランボは特別である。
お義母様と力をあわせて送ってくれるのだ。
平坦な毎日ではないだろうと思う。
今年も 友人とお義母様の心を学ばせて貰いながらサクランボを口に運んだ。


2003年06月22日(日) きつーい一言

 2人の弟が新車に乗ってやってきた。
4時に出て、9時ころに我が家に着いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほらね。近くは無いけど其れくらいで来れるのだよ。
私達は、父の事を気使い、もっと頻繁に通ったし泊り込みもしたんだよ。
それは、父の事も心配だったけれど介護する人の事を考えていたのだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな言葉を飲み込んだ。

夫は、休みの筈だったが休めなくなり10時には出かける予定だった。
弟たちは、今日来る事と決まっていたが言わないできた。
今朝になり、「今日 来るよ。私には会社の経営の話をされても何がおかしいとかは分からないから、出来るなら聞いてほしい」と頼んだ。
夫は「知らん」と言っていていたけど この人は、知らん振りの出来る人ではない事は長年連れ添っていて知っている。

弟達が到着すると「こっちに通せ」と夫は言った。
そこからは、私はノータッチ。
この事に関しては、私より夫や家族達に了承してもらう事の方が大切である。

夫は、会社の状況、今回のいきさつを細かく聞いたようだ。
不渡りも事実だが、運営面での部分でも必要との事だったと言う。
それから、夫は自分の会社の経営努力について話をして、僅かな送金をしていても会いにも来ないで 親の金は当てにするって 親を侮辱して無いかな。甘えていないかな」と言っていた。
「連絡しても何故会いに来ないのか」とも言ったが弟達は何も言わない。

弟達は、ほんとに何も反論しなかった。
ただ、会社の建て直しについては、きちんと説明をしていた。

夫は、10時には仕事に出かけた。

その後、弟2人と娘と私で母のところに出向く。
母の居室に入って様子を見てもらった。
母は、息子と言う認識はなかった。ちょっとは笑みを浮かべたけれど特に話すこともしなかった。傍らに座り編み物などをしようとした。
職員が家族と母のためにカルピスを出してくれた。
其れを飲みながら…。
「母は、居室で自分から言葉を発する事は少ないが外に出れば多少は言葉も出てくると思う」と話した。
とりあえず皆で昼食を取ろうと外に出た。
長男が「少し歩く」と言ったのでいつものコースの半分を皆で歩いた。
母も少し言葉が出ていた。が、いつものような楽しそうな表情はなかった。
食事は、GHの下にある割烹料理屋。
母は、よく食べた。が、おかしなこともよくやった。
たこの刺身を弟があげると其れをホットコーヒーに浸した。
確かに色は同じだけれど。
フライについてきたレモンはかじるまいと思っていたが其れもかじった。
異色は有るけれど…と少し話しておいたが弟達は驚いていた。

母との食事ではいつも余計なものは置かないようにして、食べ終えたものは次々に片付けるのだが、今日は、あまり 手をかけなかった。
母の実際をきちんと知っておいてほしいと思ったから。

食事を終えて皆で我が家に戻った。
度ある事に「この人は誰でしょう」と繰り返した。
その度に母は分からなくて…。答えやすいように紙に「長男○○次男××と書いてあげたがそれでも分からなかった」
結局の所 帰るまでぼんやりとしたままだった。

弟達が帰る時「帰るよ」と言っても「自分も行く」とは言わなかった。
以前の母なら「何故連れて行かぬ」「私を置いて行くのか」と怒ったもので後もかなり面倒だった。
でも、母は そこまでも考える事が出来なくなっている事を再認識させられた。

弟にも「いつまで、この調子でいられるかは分からない。急に来るかも知れないのでもっと会いに着てやってほしい」と伝えた。

弟達は「来るとも言わなかった」

弟達が帰った後「お母さん、やっぱ 甘いよ」と娘から言われた。
「兄弟だから、仕方ないし、おばあちゃんにかかわる事だから仕方無いのだろうけれど…」
これは、自分では意識してない。
此方から許す事はしてないけれど、でも、やっぱ 姉としてどうしてもそうなってしまうのだろうか…。

弟達は、母のお金をしっかり抱えて帰って言った。

夫も娘も私もこう思っている。
「あの人たちは、これからも来ない。不渡りを掴み親からお金を借用しても会社はうまくいかないだろうから何時返済されるか分からない」と。







2003年06月21日(土) 遊んできました。


梅雨の晴れ間に大物の洗濯をする事4回。
次々と乾くので洗濯のし甲斐もある。
昼前には、リハがあるので母を迎えにいく。
11時半ごろだったが もう 施設の昼食の配膳が始っていた。

昼食は前もって断っておいたので母を家に連れ出す。
昼食の仕度は未だだったのでその間に夫の故郷から送られてきたとうもろこしを食べてもらう。そして、故郷からのさくらんぼも。

食べ終えた頃に作業療法士さんが見えてリハが始った。
その間に昼食のを作った。
今日の母は、気持ちよさそうではあったけれど眠ってしまう事もなくリハを受けていた。終えた時は、きちんと「有難うございました」と言っていた。

昼食は、母と娘と私の3人。
母は、よく食べていた。庭のふきも煮たのだが、其れも繊維を嫌がることなく食べ終えた。

お茶をたっぷり飲んでもらう。
何といっても今日は暑い。脱水症状を起こしやすい条件が揃い始める季節である。
程なくして、入浴。
とても気持ちよさそうに入った。
考えてみると入浴はもうほとんど受身状態となってしまっている。
これから、少し自発的に洗うように仕向けていかないとよくないかなぁ。

施設に戻り おやつ。
といっても、我が家でも食べたけれど…。

その間に施設を後にした。
それから、施設から持ち帰ったパジャマ2点を洗濯して乾いたものを取り込み
夕食を一人前作って、志の輔ライブに出かけた。
久々である。これは、明日にでも…。

ライブ後 娘から夕食を奢って貰い、家に戻った。





2003年06月20日(金) 夜中に突然


 当たり前の事だけれど 施設には、いろいろのタイプの方が入所している。
在宅での家族でさえその対応には へとへとになる時がある。
じゃ、複数部屋に暮らしている方はどうだろう。
痴呆だから、どっちもどっちと思われるだろうか?
たいしたストレスなどないと思われるだろうか?

以前母がショートでお世話になった時 入所者の方から「泥棒」と言われた。
2泊3日のショートを終えて家に戻った時から1か月にわたり「どうしたら、私の無実は証明できるか」と悩んでいた。
「見つかったってよ。間違がってごめんなさいと電話が合ったよ」と繰り返し言っても母は本当に落ち着かなかった。

昨日、入所者の一人が零された。
「寝ている時にポカりと叩かれるのよ」
「あんた、ごはん食べた?」
「何時になったらご飯食べられるのだろうねと夜中に起こされるのよ」

この方は、二人部屋に入所なさっている。
同室の方に、言われるようである。
この人自身も多少の痴呆があるけれど、記憶はまだ大分正確で想像の話は殆どないので事実だろうと思う。

また
家の母と視線が合った時「目と目」でお話できたのに今日は駄目なのという。
母は、自分の事だけでいっぱいになると人のことまで気が廻らなくなるだろうなぁ。

「もう、早くお迎えが来てほしいの」と言われた。
「お元気なお姿が励みで、ここに来るのが私の楽しみだから、寂しい事言わないで…」と声をかけた。

ここの部分のフォローって施設では難しいだろうな。
せめて、まだ 痴呆の度合いが低いのならもう少し同程度の方とお話できる時間を作って差し上げられない物かと思う。

昨日、娘から「おばあちゃんの詩 今日は無かったの?」と言われた。
歌詞が書いてある紙はあったけど特別な事は書いてなかったと思っていたので
そう返事しておいた。
ところが、今日 用があって出かけた時バックの中にその歌詞を書いた紙の裏側が見えた。よく見ると、なんか書いてあった。

「りんご屋のおばちゃんより
    お店の皆さんに
    ー−−よろしくーーー」
「?」と思われる事でしょう。
母のテーブルの上に置いて来た歌詞とは

「りんごの独り言」

  私は真っ赤なりんごです。
  お国は遠い北の国
  りんご畑の晴れた日に
  箱に詰められ汽車ぽっぽ
  町の市場に着きました
  りんごりんごりんご
  りんご可愛い独り言

と言う歌である。

またしても、母は、歌詞を書きイメージを膨らませたようでおばさんになって
お手紙を書いたのだろう。
暗い気分でなさそうなお手紙にほっとした。

母は、時に「七つの子」を歌っていても涙ぐんでしまう時があるのでしんみりとした歌詞は避けるようにしていたのだった。



2003年06月19日(木) 母はアイデアマン

 おととい編みかけていた細編みの小さな帽子は、長編み+メリヤス編みのマフラーと化していた。
編み物をする方なら「えっ」と思われるでしょう。
「長編みからメリヤス編みのマフラーって?」
細編みは、鈎針で編んでいました。長編みも鈎針で編み始めていました。
でも、作業を中断したのでしょう(想像)
鈎針をどっかにおいて、自力では探せなかったのだろうな。
鈎針は一本しか出して上げてないのです。
職員に申し出なかったのかな?
きっと、言いに出かけても何の用だったか忘れてしまうのだろうな…。
糸は在っても鈎針がなければ編めない。

ですよね。
ところが、その続きがメリヤス編みです。

何で編んでいたと思います?
えー。
色鉛筆です。
確かに編めない事はないですよね。

驚きました。
塗り絵が出来るようにと、テーブルの上には色鉛筆を出してありました。
其れを使って編み物をしていたのです。
「頭いい!!」
鉛筆の先はとがっているから、編み棒にできたのですね。

メリヤス編みの仕上がりは、指編みのような風情がありました。

しまった場所を忘れてしまう事は不便だろうな。
きっと、あちこち探したのだろうな。
そう思うとちょっと可哀想である。

直ぐに居室内の母の置きそうな場所を探した。
一分もしないうちに見つかった。コップにさしてありました。
別の糸を出して、また 編み物をして貰った。

暇が嫌のなのだろう。
編み物ができて良かったね。

その後、家で入浴させようと施設を出た。
しかし、今日は暑かった。
母の頭をみたら、ぼさぼさだった。
暑くて、汗を何度も拭いたのだろう。
髪も伸び始めていたのでバスを途中で降りて行きつけの美容院に寄った。
シャンプーカット。襟足はこれから暑くなるので短くしてくれた。
美容院の香りがぷんぷん。
野菜を仕入れに、農家の人の開く市へ寄った。
「久しぶりですね」と声をかけてくれた。
母は、ニコニコと笑顔を振りまく。
野菜の名前をあてっこしながら買い物をした。
水分補給のため、お菓子屋さんにより、小さめにソフトクリームを作ってもらった。母は、ゆっくりと舐めていた。
その間に急ぎ他の店で用を足した。

また、バスに乗り家に着き、休息。おやつタイム。
入浴して、施設へと戻った。


2003年06月18日(水) 愚問


 昨日、母に聞いてみた。
「○×(長男)に会いたい?」「どっちでもいいよ」
「じゃ、×○(次男)には会いたい?」しばらく考えて「どっちでも…」
「××(私)?」「会っていたい。いつも」
自己満足みたいな質問をしてしまった。

でも、私は知っている。
息子たちに会えば、とても嬉しそうにして、満足げな顔をする事を。
「いいなあ」と言う事も。

一気に時代を遡って行くのだ。

今日は、庭木の剪定をした。
すっかり伸び放題で、毎日気になりながら、用があったり雨だったりとタイミングを逃してきた。
刈った枝だけでゴミ袋5個となった。
まだ、終えていない。
梅雨時で木に登ると滑るので、2階の軒以上の所は高バサミを使った。
いや、重いのと上を見上げて切るのはかなり辛かった。
やはり、お天気を見ながら木に登ったほうが楽かなあ…。

雨が降り出して、剪定作業は中断してしまった。
だから、頂き物のスチームクリーナーの試運転をしてみた。
説明書通りにセットはしたものの、ONにしても蒸気が出てこなくて説明書を幾度も読み返した。でも、書いてある手順に沿っているのだ。
数回 繰り返してようやくスチームが出てきた。
試運転なのだから仕方ないか?

水周りやレンジ周りの落ちは良かった。
床は、それほど感じなかった。やり方がまずいかな?
エアコンもやってみた。でも、剪定で腕が疲れきっていて丁寧にする事が面倒になりささっと済ませた。

少しは、きれいになったのかなぁ。
しかし、手動でする掃除とスチームを使う掃除とどっちが簡単かといえば・・・
やはり、やり慣れているほうがどうもいい様な気がするのは年のせいか?


2003年06月17日(火) 介護保険認定の通知


 認定結果の通知書が届いた。
GHに入所しているので、認定結果に左右されるのは利用料位かな?
自分で更新手続きをしたのでどんなものかと気になった。
とは言っても、手続きなんて別に判定に影響する事などの記入なんて何もないのだけれど…。

結果は、今までと変わらず要介護4である。

母は、手足の麻痺などはない。
動きは、多少の鈍さは否めないけれど普通には生活できる。
それでも、痴呆である為に一人で出来ない事が沢山ある。(排泄導入や会話不成立等も含めて)
そういった部分が認めてもらえてある。
妥当な判定であろうと思っている。

調査に当たる人ってどういう経路で決められていくのだろう。
私は、そこのところが、分かっていない。
今度聞いてみようと思う。

日、月と母に面会に行かなかったので 今日は、弁当持参で面会に行きみんなの昼食の仲間に入れてもらった。
今日は、エビフライ、クリーム煮 トマトサラダ 味噌汁 ご飯だったかな?
好き嫌いも含めて全量食べる人は意外に少ないのに驚いた。
母は、一品食いながらも全量摂取できた。
在宅の時もこれくらいは食べていた。ご飯と味噌汁それと野菜の量はもっと多いが。
でも、今日位のおかずなら家と同じ位だからいいのだけれど…。

食事中に面会に来た家族がいた。
「昼食を一緒に…」と思われての面会らしかった。
本人は、うれしそうで、でも、食べているので「ちょっと、待ってね」と言っていた。食事中は、ソファーに座って待っていらしたが、食事を終えて御本人と向き合って10分もしないうちに「食事未だだから…」と帰られてしまった。
トータルしても30分もいなかったと思う。
ご家族が帰られた後「こんなんじゃ、来るな馬鹿」と独り言を言われていた。

傍で見ている私もそう感じたが…。
でも、ご家族にはご家族の都合もあるのだろうなぁ。
施設の昼食がもう少し遅かったらよかったのだろうなぁ。
せめて、12時を回ってからだったら、ちゃんと間に合ったのだろうに…。
双方の都合の狭間で、入所者さんが置き去りにされているような気がした。
人の事だから見えてしまったけれど、私にもそんな場面あるのかな?

食事後、母と歩いた。
少し、ゆっくりとでもいつもより広くご近所を歩いた。
帰路のコースで、入所者の方が職員と共にお散歩していた。
車椅子の方もいらした。
一言二言話をして、母と私はさらに回り道をして施設に戻った。
戻ったら、おやつだった。
みんなで、おやつを食べた。

母には、その後久々に編み物をしてもらう。
綿の糸と鈎針を渡すと、細編みでまあるい物を編み始めた。
「何を作るの?」と聞くと小さな帽子と言っていた。
どう仕上がるかは、分からないけれど、ちゃんと目を作って編んでいたので何とかなるのではないかな。




2003年06月16日(月) 介護保険の周囲

 知っているでしょうか?
介護保険の更新の時、かかりつけの意思の診断書に他に罹っている医師の診断も添付できるという事。
例えば、行きががかり上整形や内科医がかかりつけ医であった場合に他に罹っている医師の方が痴呆に理解が得られる時は、その医師からの診断書も添付できるという事。
そうすれば、痴呆の部分での理解が得られます。

私、今日 初めて知りました。

また、介護保険のサービスの貧しさ。
例えば、痴呆の進行で嚥下等始まり 痰が絡んで居る人がヘルパーさん利用しても痰の吸引はしてもらえない事。
良心的なヘルパーさんは、やってくれても、万が一事故が起きた場合 ヘルパーさん個人の責任になるって言うこと。
現実に 医療と保険の狭間で困っておられる人が居るのです。
これは、他人事ではありません。
いつ、自分に降りかかってくるか分からないのです。
爪切りだって医療行為です。
家族がやるのは、問題がないのです。
家族に出来る事を家族代役のヘルパーさんは出来ないっておかしいですよね。

介護者が仕事をしていて、在宅の介護を続けると諸費用が一ヶ月30万を超えるのだそうです。5年後は、利用料がもっとアップしてさらに負担額が増えるという事です。
だから、在宅より施設に人は流れるのだそうです。
仕事をやめて介護に専念した方が金銭的にはよさそうだと言う事らしいです。

確かに、財政が切迫している事は理解できます。
でも、実際はどうでしょうね。
私、最近、恐ろしい話を耳にしました。(未確認なので書けませんが)
思わぬ所で「えーっ」という感じで聞きました。
ほんとに身近な人の電話からの話でした。
今のサービスの貧しさは、福祉の現場の方の責任でなく経営者や行政の方に問題がありそうな気がします。
当の本人たちに、まずい事をしているという意識はあまりなくて…。
困ったものです。

介護をしている者は、どうやって窮状を訴えていけば良いのか…。
一つ一つ、声を大にして訴えていく原始的な方法しか思いつかないのが哀しいなぁ…(涙)


2003年06月15日(日) 母に借金を申し込む人(とんだ父の日)

 今日は、父の日。
昨日、ちょっとした弾みで 娘と共にプレゼントを買う事に。
母を送り届けてから、娘のお買い物に付き合ってデパートをウロウロ。
娘は、私が最近洋服を買っていないのを気にして見るようにと言った。
イースト○ーイのショップを見ていた。
娘と二人 漫才宜しくおしゃべりしながらいるとショップのお兄ちゃんがあれやこれやと運んできてくれる。
「イヤーいくらなんでもねぇ。そりゃ、若すぎるって。これでも、おばさんには、おばさんの物差しがあるのよ」と言ったりしながら試着を試み何点か買った。その時「明日は、父の日だな」と男物に目をやって「でも、サイズがないし時間もないから今日はやめておく」と言ったのをお兄ちゃんは聞いていたのだろう。会計を済ませると「これ、使ってください」と父の日のカードをくれたのだった。其れは、オルゴールつきのカードだった。
ありがたく頂戴した。
その足で、スーパーへ。
「パジャマ全品20パーオフ」これにひらめきを覚えて…。
夏用パジャマの新調。(夫のです)
娘の悪知恵で「イースト○ーイの袋に入れ替えてカードを入れれば、お父さんはメーカーなんて分からないから…」
魔が差した私は、直ぐにのってしまった。
準備完了。

今朝、誰からか電話が来た。
「人の保証人になっていたが、相手が立ち行かなくなり保証金を支払わなければならない。ついては、お金借用したい。日曜の朝から辛気臭い話で悪いね」と誰かが言った。
細かい説明をしていたが…。

保証人とは、自分で負える額を保障してあげるものでないの?
お金がない人が保証人になってどうするの?
とは思ったが、黙っていた。

家には、誰かに貸して上げるほど余裕はない。
という事は、母のお金である。
私達だって借りたいと思ったことは何回かある。
でも、母のお金である。それだけは辞めようと一線を置いてきたし、母の為の出費はこちらで負担もしていた。

夫にチラッと言ったら、烈火のごとく怒り出した。
「お前は、また、あいつたちの味方するのか…」
「いや…。味方とかじゃないのだけれど。親ならそうするだろうと思って…」
嵐が起こりそうになり、ちょっと、後退。
母の立場で考えれば、合いにも来ず連絡すらよこさない人にお金なんてなんて…。でも、父なら嫌と思っても出すだろう。
「オーマイゴット」
そこに、娘の助け舟。
父の日のプレゼント作戦。
「○×ちゃーん。今日は父の日でーす。いつも、家族のためにお仕事してくれて有難う」とプレゼント。
すると、夫の機嫌は、たちまち落ち着いてきた。
オルゴールも「地上の星」だった。これも、利いた。
なんとタイムリーなのだろう。
あの、ショップのお兄ちゃんに感謝感謝。

夫は、今日もお仕事。
家を出る時「俺に言わないで見えない所でやってくれ」と。

「ふーっ」
治まって良かった。
「ふーっ」これから、どうお金を動かそうかな?
頭が痛くなる。

誰かとは、ご想像の通り母の息子たちである。
父がなくなる直前に父自身が 預金のすべてを母名義に変えて逝った。
母を見る人に、託す意思があった。
其れを、不注意でお金が要る様になった人に貸すのだ。

夫の怒り、娘のあきれ顔。
それでも、私は 腹が立たないのです。

弟たちは、お金の事は話したけれど「お母さんは、どう?」とは一言も発しなかった。無性に哀しい。
「お父さん。お母さん。これで、いいのですか?いいのですよね」
「もう、この世にはいないとは言え とんだ父の日ですね」



2003年06月14日(土) 笑ってはしまったけど…


 リハのために迎えに出向き、新しいTシャツを下ろした。
其れは、暗めの黄色の地にブルーや、オレンジなどの細いストライプの入ったTシャツである。
モスグリーンや、紺色系のものが多いのだがちょっとイメチェンしてみた。
母もいつもと違う色に驚きまた笑顔が見られた。
職員の目にも留まり「おーっ」と若々しい母の姿に驚いていた。

 家に着くと先日の故郷の集まりに参加した方から「さくらんぼ」が届いた。
昨年も別の方が気にかけて送ってくれるようになっていた。
何だか申し訳ない。
でも「家で獲れたの」と言っていたのでありがたく戴く。
母には、いの一番に食べてもらった。

リハが始ると母は気持ちよさそうに寝入ってしまった。
リハが終えると両手を付いて「有難うございました」と決まって御礼を言っているのに今日は其の儘寝入ってしまった。
暫く其の儘にした。
その後、入浴、洗髪。
最近は、蒸し暑いのでやはり毎日でもお風呂に入れて上げたい。
気持ちよさそうにお風呂に浸かっていた。

入浴後、腹痛を訴えたのでトイレに誘導してみたけれど出ない。
仕方がないので、小雨の中 傘をさして散歩。
お花を見ながら、歩いた。
家が見えた時家を指して「この家には行きたくない。福しい家だから」と言った。入るのを嫌がるかなと不安になったが玄関に向き合った時にはもう大丈夫だった。
ダイニングでコーラを飲ませていると庭のアジサイの花を数え始めた。
「いち、にい、・・・・ごじゅう。」
「おいおい、そんなに咲いてた?」数えてみたらそこまでは咲いてなくて35位はあった。きっと、数えた所も忘れて更に数えたのだろう。

夕食にぎりぎりの時間となり施設へと戻った。
居室を整理していたら、母の文字が見えた。
先日の「おかちゃんの誕生日」の続きもあった。
 おかちゃんの日
 あした。たんじょうび
 おかちゃんの日
 そよそよ
 かぜがふいてます
 あおいはっぱ
 ようふくの日
 みんな一緒の日
 わすれられない日
 いつもおぼえている日
 そよそよ風がふいてます
これは、デパートに行き父の日の広告を見た日であり、また、母の洋服を買った日でもある。
その紙の裏には
 おかちゃん
   あそんで
 おかちゃん
   あそんで 
    あそんでー
また、別の紙には
隅の方に小さな文字で
 おかちゃんと同じ・字が同じです。
  同じ字同じ字おかちゃんと同じ字
  です。
とあった。
私は、最近 紙に歌詞を書いて母のテーブルの上に置いて来る。
その歌を書き写したものも有った。
一人で何かを書くのであれば、其れも良いだろうとB4サイズの紙を数枚も出しておく。
そこに思い付いた言葉を書くのであろう。
書き込む事で何かが解消されれば其れはそれで良い事なのではないかと思ったりである。
母の文字を読みながら笑ってしまったけれど、でも、とても切ない気持ちに襲われてしまった。




2003年06月13日(金) 狐の嫁入り?

 一日 家にいた。
ちょっと蒸し暑い日。
風が出て、古い葉が落ちてくる。
少しの量だが、でも、目障り。
木を見上げると、「伸びた伸びた」溜息が出る。
2階の軒下を越え始めている。
我が家は、屋根裏に部屋が出来るほどなので、かなり高さである。

長い梯子を出すのも面倒だなぁ。
どういう風に選定しようかと正面、斜めと場所を替えながら見上げてみた。
そのうち、ぱらぱらと雨が落ちてきて家に入った。

家に入っても、何だか片付いてない。
何が、何処が…。なんだか、あちこち すっきりしてない。
洗濯物も室内に下がり。
ちょい置きが目立つ。イライラ。

外に目をやると雨は止んでいた。
南側に出て見ると種まきしたなでしこが情けなさそうに育ち始めている。
やはり、種を蒔いて芽がでた矢車草は、虫に食べられて一つ駄目になっていた。ミントだって、食べられ放題。
この間、大分虫を見つけて箸でつまみ駆除したのだけれど、駆除し切れていない。虫はちょっと苦手。
青ジソだって、虫が食べ初めている。
また、溜息。

すると、南側のお隣さんが「アジサイ綺麗ですね」と声をかけてきた。
お隣だけど滅多に話すことはない。
暫く、花談義。
初めて知ったのだが、お花をしていると言っていた。
師範かな?聞きそびれてしまった。
お隣は端正な庭のたたずまいである。
よくお手入れしておられるので ほんとに綺麗である。
私はといえば、枯れない程度に手入れしているだ。

また、雨が落ちてきて話は中断。家に入る。
まずは、出ている靴を片付けて、さっと掃除機をかけて、軽く床を拭いて…。
結局、まぁーるくお掃除をして誤魔化してしまった。

夕方になって晴れてきた。
気が進まないけれど 仕方なく殺虫剤を作り庭木や虫の付いたものに噴霧した。野菜に使える弱い殺虫剤である。雨が降ると効き目が薄れると言う。
雨が降りませんように。
鉢植えの底や竜の髭の根元には、ナメクジが目立つ。これも駆除。
ミニバラにも、虫食いの跡がありちょっと剪定。

全て中途半端な手入れで今日のところは終了。
ゴチャゴチャな日。
気の乗らない日ってこんな日の事だなあ。

何もしないと言う手もあるが、其れだとイヤーな気持ちになるので出来なかった。
雨が降ったり止んだり。日が差したり。
こういう日を狐の嫁入りと言うが…。狐の嫁入りって、季節は何時を指すのだろうか?

明日は、リハの日である。







2003年06月12日(木) やわらかな音色に包まれて…

 友人に誘われて 緊急開催されたオーケストラの演奏会に出かけた。
ロイヤルチェンバーオーケストラ。
コバァーチ・デーネシュ氏のバイオリンも…。
弦楽器のやわらかな音色に ゆったりと心身を解してもらった。

余韻に浸りながら、家に戻ったが 家人は誰も帰宅していない。
ちょっと、ほっとする。
自分ばかり楽しんでいるとやはり申し訳ない気がするのだ。

演奏中、ちょっと眠くなった一瞬があった。
心地良すぎたのかもしれない。音楽は、心地よさを引き出すくらいでないと…なんて手前勝手ないい草である。

日中は、母の所に出向いた。午前中 母は泣いたそうである。
職員曰く「塗り絵を思ったように塗れなくて泣いていたようだった」と言っていた。母には、そういう側面がある。
母に「べそかきの日?」と聞くと「うまい事いうねえ」と言う。
何の事はない 先日の母の言葉なのだけれど本人はすっかり忘れている。

居室に移り、母と手ぬぐい取りゲームをした。
片手の親指と人差し指の間に手ぬぐいを置いて其れを取るゲームである。
これは、反射神経が大事である。
取られそうになったら、キュッと握って取られないようにするのだ。
ゲームを始める時は「そんなの出来ない」と言った風な母だったが始めるとキャッキャッと笑い出した。
私も必死である。勿論母も必死。
暫く二人で大笑いをしながら遊んだ。
何だか二人だけではもったいない気がして他の入居者ともそれで遊んだ。
やっぱり、みんな 笑い転げた。
こればっかりは、対等である。それに瞬間のゲームである。
対等に遊べるって楽しい。

その後、母と散歩にでた。
霧雨の川べりは人の姿もないので、大きな声で歌を歌った。
母は「二人で歌うと忘れてつっかえってしまう所もちゃんと歌えるなあ」と喜んだ。勿論身振り手振り付きで歌った。

水の張られた田んぼにカルガモが一羽いた。
「一羽で可哀想だねえ」と母は言った。
「逸れてしまったのかね」と心配そうでもあった。
やはり、物語を作るのである。

散歩から戻ったら、職員が「お買い物に連れ出して良いでしょうか?」と聞いてきた。
「私も夕方から用があるので助かります」とお願いした。
施設を出るときは、母と職員と私の3人であった。
岐路で、「いってらっしゃい」というと母はニコニコしながら「バイバイ」と手を振った。
こんな気持ちの良い別れ方は久しぶりである。

母は、外に出ることが本当に好きなのである。


2003年06月11日(水) 遅まきながら、やって来た…。


 ご無沙汰している友人宅を訪問した。
電話、ファクシミリ、はがき等では一年中やり取りしていても 会うのはほんとに久しぶり。
例年なら、ゴールデンウィークには、家族揃って我が家に来てくれていたが、
今年はお子さんの特別の試合があり アクションを起こせなかったのだ。

ならば、此方からとずっと思っていたのだけれど、なかなかタイミングがなくてのびのびとなってしまっていた。
バス、電車を乗り継ぎ2時間弱の距離である。

久々に訪れると五郎君が「ワンワン」と出迎えてくれた。
その気配で友人が顔を出した。

広い庭は、よく耕されて、きゅうりやらナスやらが元気よく育っていた。
野菜たちの間には、マリーゴールドが植えられている。
これは、虫除けである。
私も、家庭菜園を借りていた時は植えていた。
畑の前で、彼女が丹精込めて育てている作物たちに挨拶した。
軒下には、アロエが植え込んであった。
これは、彼女のために栽培しているようである。
そして、隅の方に コンフリが一株残っていた。
これは、残しておいてと以前お願いした。
コンフリは、薬草でもありてんぷらにするとパリパリしておいしいのである。

昼食は持参するから要らないと言ってあったが、漬物と味噌汁と温野菜が準備されていて、ジャガイモをマッシュしている最中だった。
私は、台所に立ち玉葱と人参を微塵に切り塩を振り少し搾ってマッシュのなかに入れてマヨネーズで和えた。彼女の家の台所に立つのは久しぶりかも知れない。
彼女が我が家に来れば、後片付けのため台所に入る。

ゆっくりと昼食を取って、しばし休息。
コロンと横になると、二人スヤスヤ。
物音に目を開けると彼女は、カスピ海ヨーグルトを食べていた。
私もちょっとお呼ばれ。初体験である。

カスピ海ヨーグルトは、今までも何回か口にするチャンスもあったし、彼女も送るよと言ってくれていた。でも、要らないと断っていたのだった。

間もなくすると、双子の小6のお嬢さんが帰宅した。
「こんにちわ。えーと、この前来たのは 何時だったかな…」としばし考えていた。それほどご無沙汰だったのだ。
子供達も加わり更におしゃべりをして、日の暮れる前に帰路につく。

お土産は、精米したばかりのお米。ぬか。手作りの杏ジャム。アロエ。そしてカスピ海ヨーグルト。

ほんとに遅まきながら、我が家にもカスピ海ヨーグルトがやって来た。
この前は、やはり、遅まきながらでケーフィアがやってきたことがある。
それも、彼女の家からやって来た。
大分長く菌を育てていたのだが、だんだん面倒になってきたのと味が一定にならず酸っぱくなる時もあり止めていた。
世間でのカスピ海旋風は 下火になりつつあるけれど我が家ではこれからである。

ケーフィアよりは、手がかからない所が助かる。
母にも食べて貰う事にする。

明日の夜は、コンサートに出かける。
昼のうちたっぷり母と遊ぼう。


2003年06月10日(火) ごめん。分かっているのに…。


 母と会っている時 つい 口にしてしまう事がある。
「私は誰?」
この言葉は、母にとって「忘れてる事」を逆に認知させてしまうキーワードとなってしまうのだ。
母にとって私は一番安心できる人と認知されているって事は よく分かっているのだけれど…。
「忘れないでね」「娘だから、遠慮は要らない」とつい思ってしまうのだ。

今日も、やってしまった。
それも、答えられないので数回認知作業を繰り返してしまった。
最後までいとこの名を口にした。
最後は、哀しそうな顔をして口ごもってしまった。
そこまで来て わが身の至らなさに気が付く私って やっぱり 駄目だね。
母娘なのに…。

落ち込み気味の母なので、賑やかな所へ連れ出した。
入浴直後だったけれど、外出となると意欲満々だった。
玄関で外履きを出したら、内履きを履いたまま履こうとした。
「ほら」と声をかけると直ぐに気が付き「何してんだろうね」と笑った。
片方がおさまったので、もう片方を出すとまた同じ事を繰り返した。
でも、今度は「ほら」と言う言葉にもぽかん。「上履きを履いたままだよ」と言ってもぽかん。目は、ちゃんと足元を見ているのに話すことは全く関係のない話である。
状況理解困難なのである。
上履きを脱がせて外履きに替えて上げた。
そこを職員が通りかかったので「最近 多いのですよ…」と話すと「そうですね。でも、意識の高い日も有りますよ」と言われた。
そうなのだ。毎度毎度ではない。当たり前のように出来る日だってあるのだ。

マイナス面ばかり見ていても仕方ないのだが…。

母は、歩く事は出来る。それだけでも良いと思う。
先日の旅行で、母の歩き振りがしっかりしているので他の家族が驚いていた。
他の家族の方は、室内にいる母しか見ていない。
歩き始めは不安定だし、第一言葉だってあまり発しない。
だから、とても機能が低下しているように見えるのだ。
でも、旅行した時は、早足で歩く母の姿も歌を歌う母も見たのだろう。

母が歩ける事は、今の私の介護の支えでもある。

外出から戻ると 直ぐに紙と鉛筆を取り出してなにやら書き始めた。
「おかちゃん。
  明日は。おかちゃんの日。誕生日
   おかちゃん」
こんな配置の文字だった。何故急に書き出したのかとても不思議だった。

「おかちゃんの誕生日は何時なの?」と聞くと頭をかしげている。

きっと、外出した時デパートの中のあちこちで「父の日」と言う文字を何回も目にしたのではないのかな?
其れが、母を強く刺激して「おかちゃんの日」になったのではないのかと勝手に想像した。
余計な場所に連れ出してしまったかなと反省。

そういえば、母と会った時直ぐに「今日はべそかきの日」と言っていたなあ。
気分の落ち込む日だったのだろうな…。

全く、何と言う娘だろう。


2003年06月09日(月) 新しい訪問先


 今日から、新しい方の訪問が始った。
痴呆が入っているとうかがっていた。重かろうが、軽かろうが此方は家族と比べて一定の距離があるので不安はない。
でも、利用なさる方は どんな人が来るのだろうと不安があると思う。

訪問した時、その不安が見えるようだった。
活動暦、母の事等を簡単にお話して理解して戴いた。
ついでに、「気に入らないと思うところは 直ぐに事業所に言ってください」と申し上げた。
事業所の方も「はい。直ぐに言ってください。直ぐ怒りますから」と笑った。

そんなこんなで、今日から、早速 活動開始。

活動を終えて、買い物をしていたら「ポン」と肩を叩かれた。
お義母様を介護なさりながらヘルパーをこなして居られる方だった。
最近、疲労度が高いので活動日を減らそうと思っていると言われた。
彼女は、ベテランのヘルパーさんで、苦情も全くないと支援センターの方が言われていた。
だから、重症の方を任される事が多い。
たまたま、利用者さんが、体調を崩し入院なさったとかでこれから在宅での生活は無理だろうと想像できるからここで減らすチャンスだとも言っておられた。
「そう。程ほどに休んでね」と声をかけた。
私も初回訪問で30分ほどサービスオーバーしてしまった。
そう話しただけで、「あまり頑張らずに、ゆっくり掃除して行かないとね」と見透かされてしまった。
多くを語らずとも、お互いが見えてしまう。

わが身を庇いながら、利用者さんに喜んで戴ける活動を心がけよう。

今日は、早めのアップである。
夫も娘も今日は帰宅しているのだ。
其れも、コンコンと咳き込んでいる。
娘は昨日通院させたが、夫は仕事で通院も出来てない。
「早く寝てもらわないと…」明日も仕事のようだしなぁ。
そういう訳で、家族に手がかかる日なのである。
 


2003年06月08日(日) 二人の高齢者


 母の所に行き「先日の旅行楽しかったね。お風呂も入れてよかったね」と一緒に出かけた人 一人一人に言葉をかけた。
「にこっ」とはするのだが、皆の記憶には全く残っていない。
I氏は「えー。行ったけ」と言った具合。

90歳を越えたAさんは、行かなかったので寂びしそう。
今日は、こじゃれたラメ入りニットを召されていたので「よくお似合いいですね」と声をおかけした。
そこから、家族の話、これまでの経歴などを伺った。
いや、以前にも伺ったことがあるので知ってはいたのだが「初めて聞く話」として興味深く聞かせて戴いた。
同じ所を幾度も話されたりもあるのだけれど…。
そのうちに「90まで生きていてもつまらない。お話が通じない方ばかりで…
この間、相槌を求めたら『ばか。何いってんだよー』と言われた」と涙ぐまれていた。
いや、私の目標だから、嫌にならないで長生きしてね。お手本が居なくちゃ困るのだから…」と言うと「そうだねえ」とまた涙ぐまれた。
Aさんは、向こう気が強い方である。
それでも、話が通じない事に哀しみを覚えていられた。
軽度の人には、やはり 自分の行く先のように思えて怖いのだろうな。
施設も もう少し 配慮して部屋割りって出来ないかな?
母は、隣で ただ ニコニコしていた。

その後、散歩に出た。
公園のベンチに座っていると、隣のベンチにコンビ二の袋とメモらしき物を持った高齢の方が一人座られた。
なんとは無しに声をかけた。
「お散歩ですか?」「はい」言葉すくなであった。
「どちらから?」「××からです」
「失礼ですけれど、おいくつになられたのですか?」「いくつに見えます?」
80を越えられていると思ったけれど「70代後半くらいでしょうか?」
「いえ、もう90を越えているのです」「エーお若い」
「明治生まれですから」いや、とてもそうは 見えない。
「お生まれはどちらですか?」「○○県」 (おー今ブレイクしている「はなわさん」と一緒だ。)
「ふるさとには、お帰りになるのですか?」「いや、もう誰も知った人居らんのです」
暫く 会話した。
後で、気が付いたのだが、メモには6月8日(日)と書いてあった。
想像だけれど、この人家で何回も「何日?」と聞いて家族からメモを渡されて寂しい思いをしていたのじゃないかな…と思った。
若しくは、日にちを忘れる自分に気が付きメモを取って忘れないようにしているかだろうなぁ。

余計な事を語らないこの人は、哀しみを深く閉じ込めては居ないだろうか…と
ちょっと気になった。

こんな事を考えるのは、この人に対して失礼かもしれない。
でも、母にも こういう時期があった。
お嫁さんからのメモがあちこちにあった。
そして、家に来れば「忘れないように」と自分から 日にちをメモにして持っていた。

高齢者の方とお話しするとその方の苦しみが見えてくる時がある。
そして、その後ろに家族が困っているいる姿も見えてきてしまう。

どちらの立場も辛いのである。

あまり 話しこんでもいけないと思い「それでは失礼します」と母とその場を離れる時その方は深く頭を下げた。
母は「随分 丁寧な方だね」と感心していた。

散歩を続けたが、途中で足が痛いというので無理をせずに施設へと戻った。
母は、疲れたのだろう。戻ると直ぐ「足を伸ばしたい」と言って横になった。
クッションで枕を作り、足元も高くしてあげた。

私だって昨日まで手足がだるかった。
母は、未だ 疲れが残っているのではないかと思った。

二人の高齢の方は、まだまだ、お元気である。
今の母と比べれば もう 限りなく普通に近い。
痴呆になってしまう人、そうでない人、それぞれだなあと思った。
いつまでも、元気で…と心の中で祈った。





2003年06月07日(土) …ていうか…。


 眠気と疲労の中で「朝、5時には出勤だから…」と昨夜夫から言われてた。
目覚まし時計の音がうるさいなと切ってしまいそうになり、はっとした。
夫も早い帰宅ではなく、ぐっすりと眠っていた。
急ぎ、夫を起こした。でも「うるさいなあ。何時だよ」と言う風。
「5時に出るって言ってたけど大丈夫?」と起こした。
今朝は声掛けで見送りはしなかった。

それでも、眠っている訳にも行かず起き出して朝食の支度をした。
そう、今朝は 朝食すら作らなかった。何してんだろう…。
ぼんやりとしながらも、洗濯をしてお掃除をしてといたら、電話が鳴った。

弟のお嫁さんからだった。
「何か在ったか?」と思った。ここ数年直接の電話は無くなっていたから。
「おばあちゃんは、元気ですか?」と言う声に多少安堵した。
「あー。大変だったけど 今は落ち着いている…」と話し終えない内に、
「いや、おばあちゃんの事じゃないの。○○さん(夫の友人)が脳梗塞で2度も倒れて。今はお元気になられているけど。一頃より小さくなられた感じがする。昨年から電話しようと思ったのだけれど 忙しくて遅くなってしまった」という事だった。

私も夫も昨年、友人から賀状が来なかったので気になり夏前にはがきでお便りをしていた。それでも音沙汰がなかったが、今年は賀状も着ていた。
だから、出し忘れたのだろうくらいに考えていた。

でも、お嫁さんの話を聞きながら「話したくなかったのではないか」と思った。その旨をお嫁さんにも伝え「知らせてくれて有難う」とお礼を言った。
確かに、夫の友人ではあるけれど実は弟夫婦は、お世話になった人でもある。

自分達の生活を優先させてしまったようで、その友人に対しては 何だかとても申し訳ない気がした。

確かに、友人についての情報はありがたい。でも、知らせてこない友人に今更「大変だったね」等とは言えない。
其れよりも、母の具合は、別に聞く事でもない風であり、更に此方が介護に回っていることに対しても関心はない様子で…。
友人の所に見舞いに言った訳でもなくて…。
そうすると、一体 何のための電話だったのかと思ったりだった。

夕方戻った夫に報告すると「人の不幸を知らせてきて、婆さんの様子を聞いたりはないのか…。何年かぶりの電話が其れかよ」と八つ当たりされてしまった。
そう来るだろうと思っていたから「お母さんの事ではなくて…」は省略して話したのだけれど、それでも夫はとても不機嫌になっていた。

腹を立てる夫を見ながら、腹を立てない自分に気が付いた。
夫は、若いかな?私には、腹を立てるパワーもなくなっているみたいだ。

昨日の日記の補足にもなるのだが。
施設の責任者が「外に出たので、皆さんよく召し上がりますね」と関心したように言われた。その言葉に「むっ」としてしまった。

これは、外出効果には違いないけれど、違う見方も出来ると思う。

施設の食事時間は、朝食9時頃。昼食12時前。夕食5時半。
食事中、職員が話しかける事は少なく、テーブルで食事などまずない。入所者同士の話もあまりない。痴呆なのだから仕方がないのである。

旅行中は、時間はたっぷり感覚が空き、家族や職員も同じテーブルを囲みお話も弾む。

これは、別に旅行しなくても整えられる食事環境である。
これに、旅行と言う事情が加われば 食欲は誰だって湧く。

一言「いつも、こうやって みんなとゆっくりテーブルを囲めると言いのですが…」と言ってくれれば「むっ」とする事もなかったのだと思う。
責任者と家族の視点が違っている。
勿論、職員の労働の大変さは理解している。

…ていうか…
最近の私、不満が多すぎみたい。
昨日、参加家族の人が言っていたけど「不満ばっかり話していると心が汚れそうで…自分が嫌になってしまう」
将に今の私ではないか…。猛反省しきりである。









2003年06月06日(金) 聴こえて来た家族の不満


 一泊旅行の帰宅は、夜7時を廻る頃となった。
この旅行で、利用者家族からの不満の声が聴こえて来た。

今まで、日記には書いてきていたが、他の家族には 一度も胸の内にある思いを語ることはせずにきた。
其れは、やっとの思いで面会に来ている方々の不安を広げてはいけないと思ったし私が感じる事と他の方の思いは違うかも知れないとも思っていた。

職員から 私の面会回数が多いと他の家族がプレッシャーを感じているようだと言われた事も心に引っかかっていた事もあった。

でも、今回は、他の家族から言われた。

「施設の主役は、誰か?」
其れは、利用者と考えるのが まっとうであろう。
基本的に、誰が主役などとは考えず、利用者、職員、家族は少なくとも平等と思ってこの一年を過ごしてきた。
「みんなで協力できればいいなあ」と思い続けてきた。

ある施設では、利用者様、患者様等とことさら言葉のみで様呼ばわりする所もある。

ここではそういう言葉は使われないから嫌な気はしていない。

今回の旅行で唖然とした事が2つある。
一つは、バスの席
職員が前もって席の指定をしていた。
施設には施設の考えがあったのだろうけれど、後部座席2列か3列は施設長と事務職部長と医師。どう見ても健康そうな方3名が悠々と座られた。
前の方には、家族と利用者が規定通りに二人掛けだった。
途中でバス酔いする利用者、具合の悪そうな利用者が出たにも関わらず席は往復其の儘だった。
二つめは、食事の席
ホテルでの 夕食と朝食は、宴会用に作られた席だった。
このテーブルの最上席は、初めから、あのバス優先者だった。
そこも、やっぱり ゆったり席。
ある人が「会社の旅行でもあるまいに…」と言っていた。

施設長なる人は、利用者に声をかけたのは日程の中で殆どない。
私も母も言葉を交わして居ない。医師とも。
他の方も同様だった。

これは、施設の考え方の現われでもある。

以前利用していたデイでは、絶対に其れはなかった。
皆、平等であった。理事長だってそうである。
理事長自ら、テーブルを廻り、利用していて困ってる事、最近の様子などを聞いて回っていた。職員だってそうであった。
私は、そういうところしか見てこないので、とても不思議な感じがしていたのだが・・・。
どうやら、他の家族も同じように感じていたのだった。

そこから、次々と施設での前もっての話と現実のギャップの不満が話された。
そして、結局の所 余計な事を言って、記憶すら曖昧な利用者が窮地に陥っては困るから言えない。という事で黙っているようだった。

誰もが同じように 考えていても横に繋がらないから一人でモヤモヤと考えてしまっているのだなぁ。

予定より遅くなって帰ったので残った日勤の職員も待っていてくれ、夕食をしたくしてくれたり、後始末を手伝っていた。
そして、「遅くまで ごめーん。超過勤務手当て出します」と責任者が声をかけていた。そうなんだ。職員は皆、お仕事で同行したのだ。
私達家族は、料金を支払って参加したのだ。
明らかに違う立場であったのだ。私達は、食事が気になり帰れなくて、ある程度のところまで食べ終えたのをみて帰ってきた。

施設を後にしても、不満や不安の話は切れることなく続いた。


2003年06月05日(木) それでも、預ける私って。


 GHの一泊旅行は、思いもかけない形で私自身の心を揺さぶった。
「これで良いのだろうか?」

ホテルには、一般の旅行者も大勢いた。
「お母様、お幸せですね」「そうなんだよな。」人はとても様々な形で孝行ぶりを称えてくれた。
温泉だって、無理を重ねながら3回露天風呂に入った。
流石に、総ヒノキのお風呂はつるつると滑って、危ないのでやめた。
母は、私の傍で、いつもいつも安心しきっていた。

疲れることは、初めから判っていた事だからいいのだ。

でも、ここの施設に託して良いのか…という思いが一晩中どうどうめぐりをしていた。

母の「おかちゃん。ここに居るよ」「おかちゃん。ここに居る」という寝言ともいえない言葉を一晩中聞き続けて母の奥底にある思いに娘でも埋めきれない
深い距離を感じてしまった。

「ごめんなさい」と繰り返し母に謝った。
母は、ぽかんとしている。「「あんたが傍に居るから何も心配ない」という。

でも、違う。
割り切って入る筈の事だけれど自責の念だけが重たくのしかかってきた。

傍らを流れる川からかじか蛙の鳴く声が 一晩中賑やかに響いてきて母の言葉と重なった。

他の誰もがしなくとも、陶器の絵付けをしたり、浴衣を着込んで写真を写してみたり、夜祭を見に出たりと組んでもらった事は全て参加して 精一杯の事をしてみたけれど取り組む程に哀しくなって来たのだった。





2003年06月04日(水) 明日は雨です(溜息)


朝、電話が入った。
ボランティア先の事業所からだった。
いつもの利用者さんが、リハ入院なので他のお宅に入って欲しいとの事だった。今度は、月曜の午前中。一人暮らしの高齢のご夫人との事だった。
遠くなく 買い物に出る方向なので受ける事にした。
こうして、また、今月も訪問は続くことになってしまった。

明日の準備で買い忘れたものがあって、夕方近く買い物に出た。
戻ると留守電が入っていた。故郷の友人が「○○よー」と名前だけ入れてあった。何か在ったかと(ちょっと、心当たりもあり)不安で電話した。
通じなくて、余計に不安になった。
夜、再度 かかってきた。
何の事はなくご無沙汰である事のご機嫌伺いと「今月か来月に遊びに行くけど都合は?」という事だった。

娘は、よく笑う。
「お母さんのお友達は、ほんと よく出かけてくるね。」
今までは、遊びに来たついでに会っていた。
でも、今回は 私に会うためだけに来てくれるらしい。
友人二人で来ると言う。
日にちの詰めは、来週にでもという事になった。

両親の介護に帰っていた頃は、向こうでやりくりして会っていた。
でも、私が動きにくい状況である事を知っているので向こうから来てくれる。
嬉しい。
もう一人の友人が、休むことなく忙しそうともいっていた。何をしているかと聞いたら、染物やあれこれの習い事らしい。
ほんとに、頑張りやさんである。
お茶の師範でもあるのだが…。

その後、施設から電話。
午前中に、集合時間と出発時間と宿泊先の場所と電話番号を訪ねたのだった。
その時に聞いたので 心配はもうなかったのだけれど、予定などを知らせてきた。しおりを送ろうと思ったけど遅くなってしまって…。と言っていたけど
どうやら、当日に渡す予定だったみたい。其れってやっぱおかしいよね。
「電話貰ってすみません。遅くなってしまって…」と言っていたけど…。
電話しなかったら どうなっていたのだろう?

平日の一泊は、やはり いろいろあって主婦としては心苦しい。
其れも、朝7時半。 皆を送り出す前 其れも夫に送ってもらって行かなければならない。帰宅は、翌日の夕方6時である。
こういうスケジュールって、高齢者には良いのだろうか?
私だってクタクタになりそうな気がする。
目的は「温泉につかり おいしいものを戴く」それだけで充分と思うのであるが…。

あれこれと書いてはいるが、まだ、肝心の私自身の支度が出来ていない。
さ、これから 荷物を詰めよう。持ち物は母の物も加わりいっぱいになる筈。

「いってきまーす」
明日の天気は、雨。雨天決行である。



2003年06月03日(火) 何でそうなるの!


 今日の日記がもう書き終えると言う所まで来た時「エクスポローラ」の強制終了にあった。(溜息)

会に出かける前に母の所に寄った。
久しぶりに昼食持参。みんなと一緒のテーブルで食べた。
母の隣の席。そして、O氏の向かいの席。
O氏は、私のおにぎりを欲しがった。
「今度、たくさん作ってくるね」といってはみたものの、GHではご法度。
でも、食べさせたいなあ…。
母に特別の介助などしないけれど、皿つつきを始めたら別の皿を前に置くくらいはした。それでも、いつもより早く食べ終えたようだった。
近くに、いてあげるとやっぱり良いのだなぁ。

食後急ぎ お散歩。
此方に時間がないので、勝手なのだがそうした。
それでも、母は、お散歩を楽しんでくれた。
ベンチに座り早めのおやつタイム。
木々の緑に目を休めて、畑のイチゴをそっと眺めて、川べりを歩いて施設に戻った。今日の母は、おしゃべりもいっぱいした。
外に出ると、会話の量がふえる。
施設には、2日続けて来られないかも…と伝えていたが」、無理をして訪ねてみて良かった。

会は、新しい方も加わり、良い方向に動き始めた。
皆さん「きてよかった」と言われていたのでほっとした。
母の事、ちょっと放棄してきているのでその分救われた。

介護仲間が集まって、お茶のみしながら呟く会だけど、不思議に安心できる。
問題解決とまでは行かなくとも、顔を見ただけどもほっとできる不思議な時間でもある。

今日は、PC不調で、書く気力が萎えてしまった。
予定を大幅変更。

そうそう。
木曜の利用者さんは、リハを受けるため入院。
暫くお休みである。今月は、少し休息できそう。
これなら、施設の一泊旅行後も乗り切れそう。

いろいろ、溜まり始めている事も処理できそうである。


2003年06月02日(月) 少し勉強させて貰いました。


 私の居住区外で講演があるというので、参加させて貰った。
痴呆の事について、学びました。

この会に所属する方、十数名と他数名が参加しました。

それぞれの介護事情がみえました。
それぞれ 症状も進行具合も異なっていました。

でも、そこに集えば 経験者からの知恵、先に困る事の予測、対処の仕方も学べたりも出来ます。
広く集まり、医師も加わってもらえると安心して話が出来ます。
ここでは、介護者も癒されます。

自分の地域にも、あります。
明日は、自分の地域の集まりです。

今朝の読売新聞にも出ていたそうですが、ヘルパーさんの医療行為ができないので困っている。と言う訴えを利用できない方から直接伺って来ました。
これから先、母に降りかかってくる問題かもしれないので よく聞いて参りました。そして、周囲に伝えて、今の状況が一日も早く緩和されるようにと思った。

介護者の集まりは暖かいです。
他の地域からもみえて、これから、介護のネットワークを広げていこうと動きも出ていると聞きました。近隣の情報は、たくさん持っていたほうが動きやすいです。
今日も、驚いた事に私の家の直ぐ傍の病院まで通院なさっておられる方が2名ほどいらっしゃいました。
近くにもあるのに、ここまでいらっしゃる方も居ると正直驚きました。
やはり、人によって、いろいろ取り組み方や、関わり方が違うと
あらためて知りました。

隣に座られた方は、偶然にも施設に託して居られる方でした。
施設の利用の仕方なども、隣同士でお話をしました。
みなさん、施設任せには できないのだという事も共通の悩みでした。


2003年06月01日(日) 皆さんならどうします?どーんとまとめて(追加)

 �_雜酳欷云�
  以前日記にも書いた事があるのです。
  介護保険証は、入所時の説明では、コピーしたものを預かりますという事  だった。(契約時の説明書を再確認してもそう記されていた)
でも、今年2月に保険証少し長くお預かりしていいですかと聞かれて「ど
  うぞ」と預けた。でも、保険更新の時期になっても戻ってこない。
  で「保険証は?」と聞くと「家族には必要のないものなので此方で預かる  のです」と言われた。
  特に支障はないけれど、どうなのだろう?
 ��介護保険更新
  これも、前に多少関連するのです。
  在宅時には、更新が近くなるとケアマネさんが「書類届いてませんか」と
  必ず聞いてくれた。そして「良かったら此方で更新手続きしますよ」と言
  ってくれた。
  でも、ここでは そういう事前の声がけはない。
  「更新するので、保険証を返してください」と申し出ると「此方でも手続  記できますよ」と言われた。

  昨年は、「お願いします」と書類を渡した。

  今年は、自分でしてみようと思った。だから、一人で手続きをした。
  当然、調査も家で受けた。
  ここまでで、私の中では何の問題もないと思った。
  依頼するもしないも此方の自由と思った。
  ここで、やはり契約書を確認してみた。
  要介護認定の申請に係わる援助
  1.事業者は、利用者が要介護認定の更新を円滑に行えるよう利用者を援    助します。
  2・事業者は、利用者が希望する場合は、要介護認定の申請を利用者に代    わって行います。
  とあった。
  希望があればという事は、希望しない場合だってあると思うのである。

  調査当日に、調査に当たった人から「施設の様子で補足が必要な時はお訪
  ねしても良いでしょうか?」と聞かれたので了解し、その日のうちに責任  者に調査を受けた事と補足に聞かれると思うので宜しく」と伝えた。
  責任者も「はい判りました。家で調査したのですね。聞かれたら当然お答  えします」と言ったのでここでも問題はないと思った。

  でも、昨日 責任者の方が「支援センターの方から問い合わせがあったの  すけれど、もう調査が済んだのですか?」と聞かれて「そうお伝えしまし
  たよね」と確認すると「あーそうでしたか。てっきり、此方に来るという
  事だと思っていました」というのである。
  「で、電話では、プライベートな情報をお話できませんと応答しました」  と言うのだった。

  この方、母の急変時に私の了解も得ずに母の様子をちょこっと聞き出して
  いた。その後、別の医師の診断を知りたいのでと私の了解を得た上で電話  で聞いて断られた。その時に「ね、教えてくれてもいいのにね」と言った
  人である。

  おまけに、話し合いが足りないとまたゴタゴタしてしまうので…。
  何故此方で更新願いを為さらなかったのですか?と聞かれた。
  話し合うも何も、ちゃんと聞いてなかったのはそっちなのでしょうと思っ  たのだが…。そこに、お詫びの言葉はなかった。
  まるで、此方に非があるような感じになってしまう。
  
  「んー。少し身勝手ではないか…。」と思う私は、おかしいですか?
 �Lい澄△△襪里任后�
  一泊旅行の宿泊先です。まだ、知らせて戴いてないのです。
  出発時間は、聞いていても、乗り込み時間があるなんて説明は受けていな  いのだ。それでいて「想像してよね」と言わんばかりである。
  忙しいだろうからと宿泊先だけ聞いたのです。でも、地名と共に検索にか
  けても、文字がわからなくて出てこないのです。

  衣類や薬等の準備は急かされました。職員の忙しさは、顔を見れば判った
  ので協力しました。でも、当日の気温が暑いのか寒いのかわからないので  す。今の季節の気温の変化は、痛いです。
  私は、施設には一応出して、こちらでも別に準備する事にしました。
  其れが、職員に迷惑をかけないで済む方法かと判断しました。
  でも、何だか 殊更 面倒だと思うのです。

  「うちの職員はわからなくて…」と毎度毎度言うけれど、職員が問題だ   なんて思った事はないのですがね。
  
こんな事をいちいち考える私は、細かすぎますか?身勝手ですか?託しているから、言われた通りに、知らされた通りにいれば良いのでしょうか?
私、ほんとに判らなくなっています。
どうして行くのが良いのかと、もう少し思いやれないかと…。あれ、私の方が職員の苦労を理解すべきなのかな?

「地下鉄の入り口は…」になってしまいそうだ。

(追加)
結論を書くのを忘れました。
つまり、いろいろあるので、�,鉢△亡悗靴討蓮⊇蕕瓩�ら「決まりですので」と訂正して欲しいと思うのです。
きまりなら、守っていくべきと思うからあれこれしない。
��に関しては、計画は、きちんと印刷物にしてお知らせして欲しいと思うのです。
そして、こういう事をあなたは、きちんと施設に尋ねる事が出来ますか?
私は、なかなか、言い出せないのです。

  


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