母のタイムスリップ日記
DiaryINDEX|past|will
今日も暑い1日だった。
どうも、この所の日記は、今まで触れないようにして来た
事ばかり書いている。
母と会ってなくて、新しい題材もできず、
比較日記が色濃く出てしまっている。
私の予定では、もう少し他の施設見学を済ませてからが
いいかなと考えていたのだが・・・・。
娘は、今朝3時30分ごろ帰宅。
施設に寄ってから、仕事に行くと言って眠った。
けれど、私は、ぎりぎりまで起こさないようにした。
いくら、遅出でと言っても、この暑さでは疲労度は、可なり
だろうと思ったから。
できれば、施設に寄らずに出勤してほしいと思った。
けれど、今回に限り、かなり固執しているらしく、
遅めに起きても、施設に寄っていった。
面会を済ませた娘よりTELが入り、「今日は、外に出るな。」
と言われた。フレッシュな野菜がほしい。銀行も回りたい。
と思った私の気持ちを見透かされたようなTELだった。
仕方なく、家の中だけで1日をすごす。
エアコン効いているのかなと幾度も思った1日だった。
母との生活の中で大事にしてきた事の中に
季節を取り入れる事がある。
母は、私達を育てる中で、季節を感じる心
を育んでくれたと思う。
草花だったり、空の青さだったり、行事食だったり、
と様々な機会に、自分の感動を伝えてきてくれた。
時には、「もういいよ」と思う事もあったが、
母が大切にしてる事だなとわかっていた。
病が始まり、徐々に母から季節感が薄れていくのに
私は気が付いた。暑い夏のさなか、「もう直ぐ冬だね」
と言ったりした。
でも、「お彼岸だから、おはぎ作ろう」と言えば、
「ああ彼岸ね」と気付いた。
そんな訳で、出来る限り季節を取り入れる生活をした。
そのひとつに、この季節 ラッキョウや梅を漬けた。
今年は、私1人の仕事。
施設でもやるかなと思い様子を見てきたがその気配なし。
テレビなどでは、そういう場面の映像を目にする。
作業療法かな?でも、此処ではない。
「皆さん あまり興味を示さないので・・。」とか、
「作業を強制は出来ないのです。」とかの言葉が
容易に想像できる。
でも、入居者の人と話すと、経験談として目を輝かせて
話してくれる。
施設での季節の取り入れって無理なのかな?
材料も全て準備して、ボランティアしたい気分なのだが
「事故があったらあなたの責任が問われます。」といわれ
そうである。似たような事を言われたので。
私の想像していた施設と少し違うのである。
これも、これからの課題だ。
梅やラッキョウは漬けられなかったけど、この次は、
母を家に連れてきて一緒に季節を感じようと思う。
私、はなは、まだ母の所には面会にいけない。
思いもかけず、はなの娘が、母に面会に出かけてくれた。
今も、1日置きに出かけてくれる。
それは、有難い事なのである。
娘にとって、祖母の存在は、多少重かったと思う。
だから、敢えて、手伝って、と申し出ないようにしてた。
介護は簡単に出来る事ではなく、本人の意思が1番大切と
思っている。ある程度、引きずり込むことは、できても、
恨み辛みでの介護は、受け手にもダメージを与える。
今回は、娘の自主性により助っ人が始まった。
けれど、心配な事がある。
娘の仕事は、かなりのハードワークなのだ。
入社2年目だが、所謂 定時上がりをしたことがない。
夜10時に帰宅すると「今日は、えらく早いね。」となる。
午前零時を少し回るころが、今の帰宅パターン。
忙しくなれば、2時3時が1ヶ月以上にもなる。
そんな訳で、娘の健康状態が、気がかりなのである。
施設に預けているのだから、無理しなくともいいよ。
と幾度も言っているのだが、急に気が係りになったようだ。
施設で感じた、もろもろの不安に、娘も気が付いたらしい。
けして、悪い施設ではないと思う。
けれど、介護に、人によるばらつきが目立つ。
以前、デイや、ショートでお世話になった所では、相談員がいた。
人による介護のバラつきはあってはならないとよく言っていた。
口先だけでなく、よく利用者の意見を引き上げ改善を図ってくれた。
今の施設に足りないのは、その辺なのだ。
「見てあげているんですよ。」と言う思いが言葉と裏腹に迫る。
職員数も、少ないせいもあるだるし、休息室も見当たらないので、
職員ばかりを責めるつもりはない。
その内に機会があれば・・・。
娘によると、母は、この数日で、私が来てない時が付いたらしい。
夜、ベランダに出て名前(いとこの)を呼んでいるらしい。
早く治さなければと気がせく。
それなのに、今度は、ヘルペスだって。
この2週間余、母は、外出してないと思う。
足が、弱らないかと心配である。
それと、この暑さ続き。
週2回あるかないかの入浴で、汗臭くなってないだろうかと
気になる。
職員の人からすれば、入浴の介助は、大変な仕事だろうと思う。
でも、全介助ではないので、お湯遊び程度の見守りなら、重労働
でもないかなと考えるのは、素人の浅はかさかな。
実は、私も入浴禁の状態である。
だから、体をタオルで拭いている。
それぐらいなら、母にも出来ると思うのだが、やはり望んでは、
いけないのかな?
夏風邪と思い込んでいたら、肺炎を起こしてました。 きちんと、通院をして、胸の雑音もない。と言われてました。 薬も、服用。静かにしてました。 それでも、熱は、下がることなかった。 私自身、夏風邪と思い込んでいて、直ぐ直るとおもっていた。 でも、あまりに熱が引かず、月曜(19日)には、通院。と思っていた。 結局、月曜まで待てず、日曜に休日診療所に駆け込む。 「肺炎でしょう。レントゲンは、出来ないので明日通院して下さい。 抗生剤服用してして下さい。」といわれた。 翌日、通院。レントゲン検査。肺炎と診断される。 今まで、近所のクリニックだったので、大きな病院に、紹介状を 書いて頂き、診療予約を取ってもらう。 押しの弱い先生で、翌日の予約となった。写真も持たされる。 けして悪い先生ではないのですが・・・・・。 翌日、大きな病院へ。 気のせいか、待合室のあちこちでコンコンと咳する人が多かった。 紹介された先生は、呼吸器科の先生で、その先生の所は、非常に混雑 していた。 暫くして、診察の順番がきた。 持参した写真をみて、間違いないね。これなら、急患扱いで、昨日 のうちに診察受けられたのに。とドクターはいった。 もっと、早いうちに肺炎と解るだろうにともいった。 でも、胸の雑音が、なかったようで・・・。とカバーすると・・・。 聞こうと思えば聴こえるよと言われた。 傍で、看護士さんが、こんなになるまで何してるの?と言う目で見てた。 血液検査、レントゲン検査を受ける。 昨日より更に悪化してる。と言われた。 どうも、非常によくないらしい。「此の侭、入院できますか?」と言われた。 自分のなかでは、良くなっていると思ったので、今日は帰ります。 在宅で安静は駄目ですか?と問う。 「安静に出来るなら良い。ただし、何時急変してもおかしくないので、 その時には、直ぐきなさい。そのまま入院できるようにカルテに書く。」 そして自宅へ。抗菌剤が効いたようで、少しずつ熱は下がり始めた。 2度目の通院で、また、血液、レントゲン検査を受けた。 先のドクターとは違っていた。でも、きちんと申し送りがあり、私の所だけ 頼まれたドクターが入った。 良くなってきてるけど、甘く見たら、だめだよ。と注意を受けた。 次回は、元のドクターに任せる。といわれた。予約を取ろうとPCを 操作していたが予約がなかなか取れないらしい。 かなり、信頼されてる先生なのだなと思った。 ここまで、回復できた事は、嬉しい。 でも、今、薬の副作用が出てきてるみたい。また、日曜だ。 仕方がないので、明日は、母のかかりつけの医師の所に行こう。 今日は、更新出来なかった言い訳日記となりました。 いろいろと、皆様、有難うございました。
・
| 2002年07月26日(金) |
【代打日記】はな娘のタイムパニック日記�� |
こんにちは。やっと週末です。 母・はな、本日通院。 安静を後10日言い渡されました。 完全復帰まではもう少し時間がかかりそうです。
今日も半休をもらい祖母のところへ…。
++++++++++++++++++++++++++ 7/26(金) ウチから祖母のホームまでは微妙な距離。 バスを2本乗り継がなくてはならない。 近くて遠いこの感じ…ちょっとめんどくさい。
が、今日は足が有る。(笑) …ありがてえ。
介護福祉士の資格を持つトモダチのTが同行してくれ、 車も出してくれた。(合掌&黙祷)
いつもどおりホームの中に入り面会簿を付けようと カウンターの中にいる職員に声をかける。 今日のスタッフは前出のボールペンにいちゃん+看護婦さんだ。 にいちゃんまたけだるそうにあたしにペンを渡した。 そして珍しくカウンターから外に出て来た。 次の瞬間にいちゃんと、Tとが「あ!」と同時に声を上げた。
あたしは瞬時に「合点!」同級生か…。と思った。
その声で看護婦さん出てきて兄ちゃんとTを交互に見比べる。 Tは華奢で小さい女の子。 介護福祉士の免許を持っている様には見えない。 そして容姿も可愛いい。 「やあねえ…あんた何処で遊んでんのよ〜。」とにいちゃんをこづいた。 「実習先の同期なんです。」とにいちゃん赤くなりつつ答える。 「またまた〜」と看護婦さん。
Tと私は脱力…。
掛け合い漫才な職員コンビを呆れ顔でほったらかし 祖母の部屋へ…。
祖母は今日も元気。 突然の友人の来訪も拒むこと無く笑顔で受け入れた。 母に言われていた入歯チェック。 大分臭うので、外してもらいブラシで磨く。 あたしが入歯を洗おうとすると祖母は 「汚いから。」と気をつかうので祖母の気をそらすため Tに祖母と遊んでもらう。 思いのほか汚れが酷く時間がかかってしまう。
時間がかかってしまったので、 祖母の様子が気掛かりになり、ちらりとTと祖母の様子を見る。
…祖母満面の笑み。
やーあ。 さすがばあちゃんと同居してる+介護士有資格者。 のせかたが上手い。 いいとこを見つけては誉める。誉める。。誉める。。。 祖母の隙を見てTはあたしに 「凄い集中力だね。痴呆でこんなに集中力ある人いないよー」と言い、 風船遊び、指相撲、お話と次々、祖母のモチベーションをあげさせていった。
また、誉められると嬉しい祖母は、何と初めて会ったTの名をちゃんと覚え、 「Tちゃんっていいおなまえね。」と別れ際にはっきり言った。 その事実に、あたしはエラく感動した。
そうそう。帰りのエレベーターを降りたところで水曜の婆さんに会った。 『I』と言う名前が入ったバケツを持って玄関を掃除していた。 …どうやらお掃除の方だったようだ。 「一昨日はどーも。」と声をかけて短く談笑。
車に乗ってからTに 「あの婆さんが利用者か職員か解らなかったんだ。(笑)」と言ったら Tは施設実習していた時に職員を利用者とカンチガイして しこたま怒られたそうだ。
やー、思わず笑ってしまった。 自分が同じまちがいをしかけただけにツボに入った。
同時に実習時代のボールペンにいちゃんの話も聞く 帰って直ぐ母に報告、二人で大爆笑。(笑) そら頼りないわ…と。
わひゃひゃひゃひゃ。っと。
++++++++++++++++++++++++++
| 2002年07月24日(水) |
【代打日記】はな娘のタイムパニック日記�� |
やあ。やあっ。 毎日ほんとあちいです。冷やっこがんまいです。かなり。 慣れないことすると無駄な力が入るんですなあ。 朝起きられません。ひーひー。 甘やかされて育ったので急場に弱いんです。(笑)
会社に半休をもらい祖母のところに行ってきました…。 事情が事情なので、会社は意外にも理解が有り、 (業種柄、残業が多く朝まで働かされたりヤクザみたいな会社なのです。) 上司たちは「いつ休んでも良い。」とか言ってくれます。 しばらく甘えさせてもらいます。 やあ。ありがたや〜。
そして代理面会。 さすがにこう何回か続けていっていると人やしくみも解ってくるもんです。 ♪何だか楽しくなってきました。
++++++++++++++++++++++++++ 7/24(水) 午後から得意先との打ち合わせが有ったためバタバタと面会。 祖母は今日も変わらず元気。 オムツ変えて、ちょっと話して編み物与えてそーっと帰る。 やれやれや〜。
帰りのエレベーターで見知らぬ婆さんと談笑。 しっかりしているが利用者か?職員か解らない。 笑顔が可愛い婆さんだ。 「あんた職員?」と聞かれたので「利用者の家の者です。」と答えると 若いから職員かと思ったとのこと。 「あんた年はいくつなの?」他愛も無いことを話しながらバス停へ。 何だか子供の頃接していたおばあちゃん像を思い出す。 タイムスリップする前の祖母や、 母の日記前半にも登場してるYさんの昔の姿を思い出した。 方向が逆だったので手を振って別れた。 なんだかほっこりとした気分になった。
++++++++++++++++++++++++++ 週も真ん中! 頑張って今週も乗り切ろう。。。 ふひー。
| 2002年07月22日(月) |
【代打日記】はな娘のタイムパニック日記�� |
意外にも代打日記の反響が多く調子にのっているはな娘です。
ちなみに、母・はなはこの日記・反響を笑っておりました。 誉められると付け上がるタイプだと言うのを 良く知っているからでしょう。 …我親ながら失礼な人だ。
コメント下さった方々、ホントに有り難う御座います。 もう少しだけお付き合い下さい。(笑)
++++++++++++++++++++++++++++++
→7月22日 月曜日 晴れ
まだ母の具合は平行線のまま。 祖母の面会などに行ける訳も無い。 会社に「遅刻します。」と電話。 母の通院を見届けたその足で2回目の代理面会。
今回こそはマゴマゴしないぞ…と。 ホームに入る前に電話を取り出し 「まご」→「孫」と打って変換して確認。 エントランスで「よしっ。」ぼそりとつぶやいて 「おはようございま〜す。」扉を開いた。
…が、職員が誰も居ない。
仕方ない。 マゴマゴのリベンジだけでも…と面会簿に手をかけた。
…が、ペンも無い。
…ぅう、不戦敗。(泪) ぎいーっ。悔しさに唇をかみつつ中へ。
祖母は、ホールで談笑していた。 フロアの入り口から手を振ったらあたしに気付いて立ち上がった。 今日も機嫌の良い時の顔をしている。 「暑いね。こんな暑いのに良く来たね。」 やれやれ。良かった。今日も元気。 「あちいね。」なんっつって祖母の後に付いて部屋に向かう。
途中で祖母が落とした編み物の毛糸を拾った時、 あたしの腰が丸見えになった。 それを見た利用者の方が あたしのローライズジーンズに突っ込みを入れて来た。
おばA「どうしたのそれ?おなかみえてるよ〜ちぢんじゃったの??」 あたし「うん。洗濯したら、ちっちゃくなっちゃった。」 おばB「おかしいね〜ふふふ。早く新しいの買いなさいね。」 あたし「ふふふ。」
思わずにやりと笑ってしまった。
一緒に住んでた頃は、祖母にも良く言われたものだ。 スパイラルパーマをかけた時は、「髪あらわなかったの?乞食みたい。」 くせっけみたいなパーマをかけた時は、「ねぐせついたまま外にいくの?」 ダメージ加工のジーンズを穿いてたら、「お勤め大変ね?今日もまた工事現場なの?」 等々。
鼻息荒く「これが流行ってんの!」と言うと 目を白黒させて「とんなものがはやるねー。」と言いながら納得する。 そんな風景を思い出しひとりでにやりとした。 やはりみんなそんな事言うんだなあと。 祖母と住んでいた頃はあたり前のやり取りだったが なんだか懐かしい気分になった。
順調に雑用を片づけて行く。 気付いたらあたしが持って来た荷物から、 毛糸に興味を示してしまった。
祖母「…編み棒が無いみたい…何処に置き忘れたんだろか?」 ひとりごとを言い出した。
祖母は有り得ない場所に身の回りの物を片づけてしまうので 欲した物が見当たらない場合、 あたしが探す時間が無いと編み棒を与えることが出来ない。
でもひとつの事が気にかかりだすと そのことでイッパイになって落ち着きが無くなってしまう。
…ヤバイ、やってもうた。 そう思った時には祖母はもう部屋中をくるくる回り出していた。 あたしは、一瞬マゴマゴしかけたが、 母がやっている誘導作戦をどうにか思い出し、応用してみた。
荷物の中から開封していないウエットティッシュを取り出し、 部屋の中をせわしなくくるくる回っている祖母に渡した。
祖母「あたらしいのだね?わざわざ買って来てくれたの?」 急に穏やかな口調になった。 あたし「うん。これ上手く開けられない。開けてくれる?」
祖母は集中してビニールを剥がし出した。 なんとか意識をそらすことに成功したようだ。 その間に毛糸を隠した。
そのまま「トイレいこっか?」と切り出しオムツを変えた。 今日も粗相は無い。やれやれ。
おむつを替え終わる頃には毛糸の事はすっかり忘れていた。 祖母がスリッパを履き替えている隙に 必死で鈎針とあみかけの毛糸を捜索し、発見! 追加の毛糸と一緒に祖母に手渡した。 途端、編み物モード。 座って集中して編み出した。
帰るタイミングを見計らってたあたしは早速カバンを外に出した。 そしてゆっくりとドアから外に出た。 やれやれ。 ホールを抜け受付を覗いた。 そこで今日初めて職員に出くわした。 金髪、Gパンのあたしを上からしたまで、なめまわす職員。 …怪訝な顔であたしを見る。
「あきゃあ。面会簿かいてなかった。」 忘れてた。
ま、確かに怪しいだろう。 ペンが無くて面会簿がかけなかった旨を説明し、 ペンを貸してくれと頼んだ。
「あー。」とだけつぶやくと職員は控え室の様なところに消えた。 戻ってくると無言で3色ボールペンをあたしに突きつけた。 何だか妙。
以前母から聞いていた職員だなとぴんときた。 (↑後からその人の話を母にしたら正解だった。(笑))
今回はまごまごすること無く「孫」と記入し、 黙ってペンを返した。
今日はドロー(引き分け)かな…(笑) おつかれ3
++++++++++++++++++++
明日も祖母のところによってから出社の予定です。 そしてあたしはまだ残業中です。 この長文を上司の隙を見て書きました。(笑)
ほんと長長と済みません。 要点だけまとめられない性分なのです。 ご静聴有り難う御座いました。
…合掌。
| 2002年07月21日(日) |
【代打日記】はな娘のタイムパニック日記�� |
皆様はじめまして、こんにちは。 はなの娘です。
母、はなが体調を崩しております。 祖母の面会には行ける状態に無いため、代理で面会に行ってまいりました。 今日はそんなはな娘代打パニック日記をお届けしてみようかと思います。
++++++++++++++++++++++++++++++
→7月20日 土曜日 晴れ
何度か行った事は有るもののグループホームに一人で行くのは初めて。 …ちょっと緊張。
緊張のまま、面会簿に名前を記入。 漢字学習能力の無いはな娘。 『孫』と言う漢字が思い出せず…まご、マゴ。 …マゴマゴ。 「いいんですよ。ひらがなで…。」 ホームの職員の方にマゴマゴを悟られてしまった。 ひー、恥ずかしい。
中に入ってみるとおやつの後のようで 祖母はホールで談笑しながら編み物をしていた。 遠目に見たところどうやら落ち着いているようだ。 背後からそっと近づき、回り込みニヤリと笑いかけてみる 「暑いのによくきたね。」との事。 「私の孫の●●です。」と間違える事無く周りの利用者の方に紹介。 久々に会ったけど凄く良い状態の時の顔をしている。ほっとした。
祖母の個室に入り、ちょっと話した。 そう。ここで今日のメインエベント。
…オムツ確認。 汚れるとかそんな事はほとんど不安じゃなくて、 祖母があたしにオムツを替えさせてくれるかどうかが不安だった。 母と違って日常あまり祖母のオムツに触れる事が無いあたしの前で パンツをおろすことを嫌がらないだろうか? 思えば数年前、高校生だったあたしが オムツ替えを手伝うと言った時、祖母はかたくなにそれを拒否した。
やっぱり…駄目かもしれない。 一瞬、ひよった。
でも 母が来れない今。 自分がやるしかない。
先週の祖母の酷いオムツの状況(7/14参照)を見ていて心配だったので
「トイレにいかない?」さらりと言ってみた。 機嫌が良かったと言うこともあり 祖母はとてもすんなりあたしのコトバに応じてくれた。 オムツを変えている途中で祖母が 「あんた、あたしの親でも亭主でもないのにわるいねーこんなことさせて。」と言った。 「孫だからね」といったら「そーか。ははは。」と笑った。 一緒に「ははは」と笑った。 なんか嬉しかった。
…ちょっと難しく考えすぎたかもしれない。
雑用をこなし、施設を後にしようと 荷物をまとめていたあたしに祖母は言った。 「今日はもう来ないのね?」ととても穏やかに言った。 ちょっと失敗したら「あたしも一緒に帰る。」と言い出す言い回しだ。 またひやりとした。
返す言葉に困りかけたあたしが絞り出した「うん。」と言う返事に祖母は 又、意外なコトバをくれた。
「暑いから気を付けてお帰りなさい。またきてね。」と。
こんどはマゴマゴしないで行くぞとココロに誓い 笑顔でホームを後にした孫であった。
++++++++++++++++++++++++++++++
母の許可は取ったもののこんな駄文をUPしてしまってスイマセン。 又気が向いたら代打させていただきます。
ありがとうございました。 peace!
今日、ネットで夏風邪を検索したら。
馬鹿が引く。とあちこちに載っていた。
「そうだった。私は馬鹿だった。忘れてた。」
と教えられた。忘れた私が愚かでした。
今日は、私の変わりに、娘が、面会に行く。
注意事項に沿って、点検。母も落ち着き、編み物をしてた。
と報告を受け、ほっとした。
それにしても、この夏風邪、しつこいし、夕方になると、熱が上がる。
肌を突き刺すような痛みがが来るので 「あっ 上がるぞ」と解る。
きっと、今頃は、9度少し前だろうな。早く寝ましょう。
| 2002年07月19日(金) |
考えても、どうにもならないね。 |
相変わらずの状態。
熱が、上がったり、下がったり。
咳は止まらず。
こんな調子では、母のところには、行けない。
着替えと、入浴が、気になる。風邪うつってない様に。
この所、足のむくみも気になっている。
水分きちんと取れているかな。
考えても、仕方ないか。養生、養生。
| 2002年07月18日(木) |
母の守りだったかな。 |
相変わらずの状態の1日。 うつらうつらとしながら、考えた事。 これが、母の在宅時だったら、どうなっていただろう。 おそらく、急な、ショートステイは、無理だったろう。 家族の誰かが、休暇をとるしかないのだろう。 今、みな忙しくしていて、休んだら、それぞれの所に 支障をきたす筈だ。 それより、母がパニックを起こす。 母にとって、頼りのいとこが、寝込んでしまったら、 「お母ちゃんのとこに、かえる。あなたに、迷惑ばかり 掛けているから、あなたがそうなったのよね。ごめん。」 それが、きっと、1日中繰り返されるのだろうな。 今までも、調子の悪く、寝込むほどではないにしても、 ごろごろとしていると、母は、直ぐに察知して、そう言った。 ひとしきり、帰る準備したころを見計らって、外に連れ出し 気分を変え、私は、元気を装った。 また、友達が心配して、助っ人にきて、買い物、母の相手を してくれたりして、凌いだ。 それでも、寝込む事などなかったな。 今までの事は、ラッキーとしかいいようがないのかもしれない。 母によって、守られたのかな? 在宅で、介護をしている人が、直面する困難は、こういう、 場面なのだ。 急なショートは、なかなか出来ないのだ。これが、夏休みや、 お正月、連休、は、満杯状態となるのである。 でも、介護する者にとっては、こういう時こそ、必要なのだが。
母は、待っていた。下着矢洋服を替える。 少し便が出掛かっていたので排便を促す。つめをきったりして、 散歩には出ず暫く遊んで帰宅。戻ったら、すごい寒気。
その儘、ダウン。1時間寝て体温を測る。あちち。 母が感染しなければいいな。
昨日に引き続き、ダウン状態。 母が、待っている事を思うと気が気ではなかった。 けれど、横になると、睡魔が襲い、眠ってしまった。 日のあるうちに、こんなに眠ったのは、今まであっただろうか・ 目が覚めるたびに、母の顔が浮かんだ。 でもどうしようもなかった。明日は、必ず行くぞ。
どうも、風邪を引いてしまったみたいだ。 微熱があり、のども痛い。咳もでる。 先週後半よりおかしいなと感じていたが、・・・。 出来る限り、普通に生活をしてみたが、夕方に、通院。
この所、1人での夕食が多い。 それも、遅い時間にずれ込む。 食品の数も、多少 少なくなった。 風邪の原因は、この辺にもあるだろう。 母の居る時は、家に束縛される日々だった。 ひたすら、台所で何かしていた。時間をかけて、料理し お菓子も手作りした。 そんな訳で、バランスの取れた食事が出来ていた。 母と2人の食事は、いらいらしてしまう事も多く、胃が 痛くなることも度々だったけど、こんな利点もあったのだ。
逆に、自分の調子が悪い時、さっと通院できなかった。 母の様子で、通院を見送る事もあったし、母を連れての時も あった。時に、「自分だけ立派な病院ね」といわれる事も あった。 今日の通院で、さっと通院できる事を有難いと思った。
台風の影響か風が強い暑い1日だった。先週に続き今週も 台風なんて・・・・。さて梅雨は、どうなったかな。
| 2002年07月14日(日) |
望みすぎでしょうか? |
今日は、久しぶりに娘も同行。 自転車だと、雨が降り出すと2台の自転車を置いてくることになるので 歩き+バスにした。 ホームに着くと、母は別のフロアに行き、居室にいなかった。 洗濯した物を、収納。トイレを点検。水が流されてなかった。 カレンダー、写真フレームなどが、取り外されていた。 きっと、帰り支度をしたのだろう。 ホールに車椅子のO氏、I氏がいた。どこか、さっぱりとしていると 思ったら、髪が刈ってあったのだった。「涼しそうですね。」と声を かけたら、コクリと頷いた。O氏は、言葉が不自由だが、きちんと聴こ えているのだ。
間もなく、母が戻った。 「来てくれたの。嬉しい。ゆっくりして行けるのでしょ。」と言う。 その言葉に重なるように介護士さんが、「トイレに行きましょう。」と 言った。んーん。この人は、以前も、暑い日「お風呂入りりますか? 娘さんがいれますか?」と言った人だ。 私は、言われなくとも、来る度トイレ誘導している事は、皆、周知し て居るのに。・・・・・いやな予感。 「わたしがやります。」とトイレ誘導。 母の傍に立っただけで、湿った臭いがした。 母は、リハパンを使用している。リハパンは、その重さで尿量が解る。 これだと 3度か4度位失敗したままかなあ・・・。便で少しよごれたかな。 こういうことは、在宅時には、在りえない。 声がけすれば、トイレで用はできる。夜間は別として、昼の失敗は、まだ 少ない方だ。面会を続けているから、解る。 介護士さんにより、対応が様々だ。 きっと、面倒と思うのだろうな。そういえば、この人も、今日、事務室で、 1人たばこぷかぷかしてたものね。
ストレスも、出るだろうからタバコを吸うなとは言わないけど、・・・。 もう少し、入居者に配慮してくれてもいいのじゃないかな。 預けている身で、あまり言わない方がいいのかな? 本人の意思を大切にとは言うけれど、この辺のことは、もう少し配慮が あってもいいと思うのだが。
洋服も、下着も、一昨日のままだったので、ついでに皆着替えさせる。 この暑いのに・・・。乾いたタオルでゴシゴシ体を擦ってあげた。 それから散歩。暑いけど、やはり外に出たいみたいだ。 腕を組み、3人で近くのドラッグストアに行った。母の足取りは、軽い。
母が、居室に戻り、編み物を始めたので、そっと、居室をでて、玄関へ。 Fさんが、「いってらっしゃい。」と見送ってくれた。 今日の、Fさん落ち着いていた。
ホームには、心も仕事も素敵な人、可愛い人 そんな介護士さんもいる のです。でも、なぜか娘が同行する日は、運が悪いのです。
此の頃、面会に行く度に、荷物の位置が変わっている。 それを見る度に、「あー、帰ろうとして荷物を整理したのだろうな」 と想像できる。 在宅時にも、荷物まとめはあった。 荷物まとめは、たいていの場合、手仕事のない時や、調子の悪い時、 眠りの足りない時、等に起きた。 全て、私が疲れてしまい、母に充分な配慮が出来なくなって居る時 でもあった。 だから、荷物まとめが始まると、自分が責められているように感じた。 「休ませてよ」と心の中で叫びながら、母を外に連れ出したりした。 一緒に歩いている内に私の昂ぶった心も落ち着くのだった。 母もその時は、落ち着くのであるが戻った途端また帰るモードに入る事 もたびたびだった。其の度に、大きな溜息をついた。 母も私の困っているのを察知して、ますます窮地に陥ってしまった。 だから、、面会に行って、荷物の移動を見るたびに、母の思いを想像し、 あの繰り返しから開放されている事を感じて、複雑な気持ちになる。 施設に入ったから、母が変わる訳でもなく、ただ、私の目に入らなく なっただけの事なのだなと思い知らせるのである。 今日は、らっきょうを漬けた。 これは、在宅時には、母から手伝って貰っていた作業だ。 母を呼んで一緒に作業しようかな。とも考えたが、時間的なことから 出来なかった。 こんな事、ホームのみんなで出来ればいいなと思った。
| 2002年07月12日(金) |
暑いけど、外は面白い。 |
昼下がりホームに、FさんとHさん姉妹の声が響いてた。 「財布がないんだよ。」「銀行にはお金あるの?」「あるよ」 どうやら、帰りたいのだけれど、財布がないと困って居る様子。 「Fさん今日は」と声を掛けるとにこっと微笑が返ってきた。 職員の人は、なにか、話し合い中で、看護婦のNさんが、ドアをあけて 「すみません」と声を掛けてきた。
母は、居室トイレに居た。表情は、明るく調子が良いとわかった。 それにしても、この暑い日に、半袖のTシャツの上に、7分のTシャツ。 その上に、透かし編みのカーデガンを着ていた。下は、7分パンツを2枚 重ねて、スラックスだった。 また、着替え。ランニングシャツ、半袖Tシャツ、7分パンツ、 スラックス。薄手の綿長袖ブラウスを持ち、帽子をかぶり外出。 皆に「行ってきます」と挨拶をした母。
外に出ると、「暑いなア」の連発。「出かけないほうが良いかな?」と 尋ねると「いや、暑くとも外の方がいろいろあって面白いから。」と言う。 今日は、近くの温泉に行く事にする。 バスで、20分ぐらいの所だ。バスに乗ると、母は、珍しそうに車外の景色 をきょときょと眺めていた。楽しそうな顔をしている。 温泉についても、何をする所かわからない様子だった。 脱衣室に入っても、そうだった。「お ふ ろ 服脱ごう」と声を掛けると、 順番に脱ぎだした。 洗髪し、体を洗い、浴槽へ。「おおきな、広いおふろだね」とまた、 きょときょと。実に楽しそうだ。 折角来たのだから、ゆっくりと入りたい所だが、母に合わせなくては ならず、早々にあがった。 上がってからも、「実に、気持ちよかった」と上機嫌だった。 近くで、お茶とケーキを食べて、帰りのバスに乗る。
今日も、帰路に「何処に行って来たかな?」と問う。 やはり、「忘れちゃった。」「そうか。」と笑い返した。
そうそう、出かける前に、母は ベランダに出て何か叫んでいた。 「なに?」とと問うと、「ほら、あそこ行くのよっちゃん」と指差した。 日傘を差した人が歩いていた。「よっちゃーん」 私は知らないが、母の話では、祖母の兄弟らしいのだ。時々登場する。
施設に戻ると、夕食の時間なのにその気配もなかった。 夏時間かなと思った。入所者はテーブルを囲んでいたが、キッチンは灯火してなかった。 男の子の職員が、事務室で1人タバコをぷかぷか。出てこなかった。 ホールでは、また、F,H姉妹が帰ろうと騒いでいた。 思わず、「今日は外暑いから、帰るのは明日にしない?」と声を掛けた。 その声に吊られて、タバコを手に職員が出てきた。 私が施設ですごす時間なんて、数時間の事だけど、人によって対応が違う と思う。いろいろ、解らなくとも、入所者の顔の見える所に居る人が、1番 安心できる。
グループホームの母の居室には、まだ家具らしい物を入れてない。 押入れに衣類を入れている。 それも、季節の物を入れ替えて入れてある。 季節外の物は、こちらに持ち帰っている。 母は全てを管理しては行けないと思うから。 少ない荷物なのに、歯ブラシが押入れに入っていたりするのだから やはり、そうするのが、1番と思う。 居室におきたい物は、テーブルと椅子。 これからの事を考えると、肘掛の付いた椅子の方が良いかなと思う けれど、高さとか色合いとかいろいろ在り決めかねているのだ。 そんなに広い居室でもないので、荷物が多すぎても困るだろうし。 和風のベンチ式の物入れなんかもいいかなと思う。 いまは、小さな文具を入れるロッカーとテーブルだけ。それと座布団。 座布団は、地味な色なので派手な大きなクッションにしようと思っている。
これらを母と見て回り、母の感触を見ながら決めていこうと思っている。 なかなか、思うように見て回れないので、もう少し時間がかかるかな。 それにしても、今日の暑さよ。
毎日、毎日、日記を更新しても更新記録が表示できない日々。 自分のための日記でもあるから、それでも良いのだが・・・・。 少し、淋しかった。これも、技術がないから、仕方ないのだが。
今日こそは、新着に載るよね。
台風の影響で、朝から雨。散歩は無理かもしれないが、顔だけでも 見に行こうと思った。 ホールに母はいなかった。 居室に鍵をかけ、涙を落としていた。きっと、腹が痛いのだ。 いつものように、トイレに誘導。 出ましたね。 排便のための痛みと なんとなく淋しいのとで、また涙だったみたい。 トイレから出ると、腹痛は消えていた。 このごろ、職員の人も母の腹痛には、驚かなくなったなと思う。
気分転換に、近所のお店まで出てみる。 母の足取りは、軽やかだ。「台風が来るから、遠くにいかないよ。」 と言ってから、「はっ」とした。 台風と聞いただけで、「大水になる。」と不安になることを忘れてた。 でも、母は、反応しなかったのでほっとした。 耳が遠くて聞こえなかったのかもしれない。 ささっと店を見て、施設に戻る。 改めて施設の門をくぐるのに、初めてのところに入る・・といった風 の母だった。不安気な表情もないので、どこかで判っているのだろうな。 こんな時の判断が難しくなってきている。
戻って、おやつを食べ、ジュースを飲み入浴となる。 雨が本降りになる前に帰ることにした。
帰ろうとしたら、出口で役所の人と出会う。入所者に面会に来ていた 様子だった。 昨日気になった利用明細の事を聞いてみた。 すると、「特別問題のある事でないし、全て、記録されている筈だから、 軽く、軽く聞いて大丈夫よ。」との事だった。 次の面会の時にでも聞いてみよう。
さて、今日から、メールを取り入れました。 気が向いたら、お気軽にどうぞ。
| 2002年07月09日(火) |
あーーーーーやっと。 |
実は、この1週間、毎日遡って日記を記入していた。 7月2日に9日と日付けを打ち間違えたのが原因だ。 PC、初心者の私は、成す術もなく、ただただ遡って更新したのだった。 PC故障で、2ヶ月休み、スタート直ぐにこのミス・・・。 もう少し、PCの事学習しなければと思った。 今日は、母の所には行かない日だ。 ネットで、グループホームの事を検索してみた。 調べたい事はいくつかある。 特に、利用料金の内訳の報告義務の有無だ。 デイサービス、ショートステイ、等では、利用のたびに明細が届いた。 けれど、ここでは、介護保険1割負担分。(¥000)家賃他(¥000) の明細で、何がどうだったかが全く判らないのである。 経営は、特養もある社会福祉法人なのだが・・・・。 そこでは、何も提示しない主義なのだろうか? その辺の所が、いまいち判らない。 今まで利用していた2施設が、良心的だったのだろうか? ネットでも判らなかったので、役所に出向いて尋ねてみる必要があるかも。
先日、在宅時に利用させてもらったデイサービスの理事長さんと出会った。 その時、もしかすると、特養と言うシステムが無くなるかもしれない。 と言う話を聞いた。特養に補助金が出ているが、それが削減若しくは無くなる と言うのだ。 これから、どんどん年寄りが増えて行くのにどうすると言うのだろう. 在宅介護は望ましいが、現状のサービスでは、不安が多い。 1人暮らしでも、在宅介護を受けられるように、整備されれば良いが。 近所との助け合い、または、介護を受けたい人のみの集合住宅にボランティ アの導入。 そのような事も考えていかねばならないだろう。 環境を大きく変える事無く、在宅で介護を受けられる社会は、来るのかな?
7月2日 パソコンが動かなくなり、日記を更新できなかった。 この間、修理か買い替えか悩んだ。買い換える事に決めた後も、機種選定 で悩む。メカ音痴でシャイな私は、1人で家電店に出かけても店員さんの 話が?????となる。結局、娘の友人のアドバイスを受けて、今に至る。
この間に介護保険の更新があった。 要介護5から要介護4になる。これは、妥当である。前回が重すぎたのだ。 母に大きな変化は、ない。
施設の変化。 痴呆の軽い記憶の残る人たちが別の階に移動。 変わりに話せない人が同じ階へきた。 と同時にキッチンに鍵がかけられた。 入浴も週1回となりつつある。 見学者も増えつつある。 今は何も言わず、様子を見ている。
入居した方も微妙に変化がある。 表情の変化がすくなくなった。髭が剃られてないない事が多くなった。
病の進行ですと片付けられそうな気がするのは、私の穿りすぎかな。
そんな訳で私の面会は、施設で不足気味の入浴、オムツ替え、着替え、散歩 買い物、等を補うことが多くなりつつある。
一気にこれまでの事を書き込むのは難しい。
母は玄関のいすに座り半べそをかいていた。 顔を見るなり、「腹が痛いの。家につれって。」 と訴えた。 居室に行き、トイレに誘導しお腹を擦る。 コロンと1個。かなり硬い。便秘らしい。衣服が、 汗臭いので着替える。ついで、押入れを見ると 1度着用したスラックスがあり、それも、片付けた。 外は、かなりの、暑さ。日傘をさして、出かける。 予定どうり美容院へ。後ろを短めにしてくれた。 特に何も言わなくても、判ってくれるので、助かる。 また、暑い外に出て、生産農家の市へ行く。 暑いのに元気ですね。と声を掛けられた。 野菜を持って、家に向かおうと思ったが、時間が足 りない事に気が付く。 おやつもまだなので、お店に入り、冷やし白玉を 注文した。母は、おいしい。と言った。やれやれ。 お腹の痛みは、とうに消えていた。 お客さんいっぱいだね。と周りにも目が行った。 今日は、落ち着いているのがわかる。少し、お店を みて、帰る。 施設が近くなった時、「今日は、どこにいった?」 と問う。首をかしげていたが・・・。 「頭」とヒントを出すと「ああ そうだった。髪結い」 「何か食べたね。」と言うと「白玉、あずきもあった」 と覚えていた。やっぱり、今日は、良いみたい。 施設の中も落ち着いていた。 でも、何をするでもなくぼーっとしているのが気掛かり。 暑いから仕方ないのかな? 母に折り紙を渡し、夢中で折り始めたので、介護士さん にその旨を断り、施設を後にした。 昨日、長男が来たことは、黙っておいた。
| 2002年07月07日(日) |
それを言っちゃあおしめえよ。 |
昨日、帰ったと思った弟が、昼過ぎに電話してきた。 故郷からかな?と思った。でも、まだこちらに居たようだ。 今から母の所に行くので場所を教えてほしいと言った。 詳しく教えて、電話を切る。 昨日の電話の件は夫に言ってなかった。 此処には来ないと思い、今日も言わずに居た。 ところが、ホームの行事で、母は居なかったらしい。 風船バレーボール大会だった。 私は、明日と思っていた。勘違いをしてしまったのだ。 そんな訳で、また弟から電話が来た。 こう何回も電話が来れば、勘が鈍くとも「なんだ?」となる。 仕方がないので、昨日からのことを、説明した。 また弟から電話があり、家の場所聞いてきた。 程なくして、弟が初訪問となる。 なんとなく、気まずい空気にはなったが、ビール等で気が解れ 景気の話、会社の状況などの話になりほっとした。 私は、台所でつまみ等作り、殆ど話の場に居ないようにした。 2、3時間で弟は帰っていった。「よろしく頼みます。 また来ます」 これで、1件落着。すこし、見直さなくてはならないかな・
弟は「お嫁さんも、俺も大変で、見たくなかった。」 と言った。「それを言っちゃおしめえよ」とのど元まで出て、 飲み込んだ。返したい言葉は、山ほどあるが、言葉にすれば、 また、元の木阿弥と化す。相手にはせず、馬事通風を決め込んだ。 これは、母のためにそうせざるを得ないのだ。
今日は、母を家庭菜園まで連れて出て、夕食でも一緒に食べよう と思っていたが、疲れてしまった。 2日続けて面会してない。明日は、早く出かけて美容院につれて出る ことにしよう。ごめんね。母さん。
今日、夜、弟から電話があった。 こちらに、来てるという。お嫁さんの実家に来てるという。 母は居るのか?と尋ねられた。居ないと言うと面会時間は? とたずねられた。咄嗟に分からないと答えてしまった。 俺も忙しいから、今度の時にしようかな?と言った。 私は、何も言えなかった。 先日、ホームの所在地、電話番号の書いてある物を、弟 に渡してあるのに。 以前の私なら、寄ればいいじゃない。家にも来たら。と 声を掛けていた。でも、今はとても言えない。 3年の放り出し状態は、そこまで、私の心を固めてしまった。
本来なら、我が家に来て、夫に対して、お世話になってます。 宜しくお願いします。とあるべきだろう。 そこを、飛ばしてもいいよ。でも、親の所だけには寄りなさい。 と精一杯妥協して言ったのだったが、その辺が理解できてない。 故郷で、出会った時もそうだった。 俺、今まで4回そっちに行った。と。 聞きたくない言葉だった。 今回もそうだ。忙しくて会えないなら、わざわざ、電話するな。
言葉にはしなかったが、拗れ心の中では、そう思った。
車なら、30分ほどの道のり。20時なら、十分間に合うのに。 明日、母のとこだけでも寄ったなら見直すけど。 おそらく寄りはしないだろう。アクションだけだろうな。
| 2002年07月05日(金) |
間違いでも、間違いじゃない事。 |
玄関を入ると、Tさんが迎えてくれた。 「何処行ってきたの?」 「ちょっとそこまでね。」「ふーん」 Tさんは、比較的陽気である。仕事場にいると思い込む毎日なのだ。
母は、違うフロアに行っていて居なかった。 皆とゲームをしているというので、それはそれでよいと思い、居室 の整理、掃除をした。 母は母なりに、片付けようとして物を動かすので、在るべき所に 物がなかったりするから。 例えば、コップや歯ブラシが押入れに入ってたりする。 在宅時は、殆ど傍に居たのでこういう事は皆無だった。 目を離せば、こうなるだろう事は目に見えていた。 居室の掃除のついでに、フロアにも、掃除機をかけた。 昼食後で、すこし汚れていたので・・・。 Tさんも、手伝うつもりでテーブルのカバーを直したりしていた。 ところが、本人は直しているつもりでも、実際はカバーをずらして るだけだった。 それを見ていたI氏が、イライラとして「きみのは、 片付けてるのではないでしょ・・・訳分からないよ。」と注意した。 I氏は、まだいろいろの事が理解できるのだ。 Tさんは、涙ぐみ、「すみませんでした。わたし、お勤めやめます。 ご迷惑かけました。」と言っていた。双方の気持ちが痛いほど分かり、 辛い場面だった。 Tさんを居室に送り、「お掃除ご苦労様」と労う。ホールに戻り、I氏 に、「Tさんも年をとったから、少しわからいこともあるね。仕方ない ことだね。」と声をかけてみた。I氏も「そうだね、仕方ないね」と 応えてくれた。ちょっと、安心した。
そうこうする内に、母とIさんが帰ってきた。しばらく話をして さよならをした。
| 2002年07月04日(木) |
やってしまった失敗。 |
久しぶりにパソコンに向かい日記の更新をした一昨日。 既に気が付いておられる方もいらっしゃると思うのですが・・・。 日付けを7月8日としてしまったのです。 直ぐに気が付いたのですが、ま、いいかと其の侭にした。 そして、昨日、日記を更新。すると、それは、7月8日の前になり、更新とは ならなかったのだ。 どうやれば良いかも分からず、仕方ないので、7月8日までこうやって、待つしかないのかな。
パソコンの壊れていた時の事。(その2) 母は、絵が描ける。そのことに気が付いてから、1年も経ってない。 在宅時には、静物を準備して絵を描かせる日もあった。 「出来ないな」と言いながらも、集中してかいた。 母の日の2日前の事、介護士さんから「すごいですね」と母の描いた1枚の 絵を見せられた。 カーネーションが描いてあった。それは、私が描こうとしても描けない程 精密に描いてあった。母に「うまいね」と言うと、「いやいや」と謙遜。 普通、自分が描いた事など忘れてしまうのだが、それは、覚えていた。 余程、周囲に褒められたのではないか・・・と思った。
今日は、面会に行ってない。 昼過ぎ、買い物に出た。そこで、知り合いと出会う。87歳の彼女は、ご主人 の介護をしている。今、家を新築中なので、ご主人は、老健に入所中。 老健からの帰り道だった。 いつも、急いでいる時しか出会わなかったのだが、今日は大丈夫と思い、 お茶に誘った。最近、痩せてきている様に思えて、気になっていた。 体は悪くない。と言っていたが、本人も、気が付いていた。 介護が楽な今、なぜ太らずに、痩せるのか?と言っていた。 新しい家の話になると、すこし顔を曇らせ、私は分からないのです。 私達の部屋は、8畳なのだそうですが、押入れもなく、家具を探さなくては ならなくて、どうしましょう。と言われた。ご主人のために、部屋に直結 したスロープを作るのですが、それも、家族と切り離されるみたいで・・・。 私達の色を全て消されてしまう様に感じます。とも話された。 なかなか難しい問題だと感じた。いつも、愚痴、悪口、は言わない方なので、 余計に淋しさが伝わってきた。切なかった。
| 2002年07月03日(水) |
助け合わなきゃねえ。 |
昼過ぎにホームに着く。 ホールには、食事中の人が1人とfさんだけ。 職員の人は事務室に3人。キッチンに1人。 食事中の人は刻み食。手も不自由だった。それでも、時間をかけながら 食事をしていた。fさんが見かねたように、スプーンを持ち、食べ物を掬い その人に渡して上げた。しばらくその光景に見入ってしまった。 外出届けの用紙をもらうため事務室に行く。ホールでの様子を何気なく伝えると「助け合わなきゃねえ」とぶっきらぼうな声が後ろ向きに聞こえた。 責めるつもり等全く無かったのに。どうやら、要らぬ事を言ってしまったようだ。 母は居室に屈み込んでいた。後ろから そっと頭をなでると、「優しいね」 と私に気付いた。どこか具合が悪いかと聞いたが何でもないと言った。 シャンプーの匂いがしたので入浴したと思われる。 直ぐに外へ出た。デパートを歩いていたら、鏡を見て、表情を整えた母。 どうかした?と聞くとおかしな顔つきしてから・・・・。とのことだった。 すこし臭うのでトイレに行く。デパートのトイレは広くて助かる。 下着がすこし汚れたので応急処置をして、自宅へ。 お風呂の準備をして出たので、直ぐに入浴して貰った。下着から上着まで 全て取り替えた。ちょっとした事なのだが、下着しか汚れてなくとも、外の 服まで臭いが付いてしまうので、全部替えるのだ。 つめを切り、水虫の薬を塗った。おやつを食べ、お茶を飲み、歌を歌い、 施設へと戻る。ホールにはまた誰もいなくて、私たちの声で、iさんやtさん がでてきた。あんた誰?というtさんに母は、知り合いでしょ。と訴えた。
パソコンの壊れていた間の事。(その1) 母 故郷に帰る。 亡き父、また母が世話になった親戚の人が亡くなったので、葬儀に参列の為、 故郷にむかった。 母は、故郷の山並みを見ても、「何処にも同じような山があるのね。」と 言った。帰っているという感覚がなかった。おそらく、母の故郷は、昔々の故郷しかないのだなと思った。 親戚の人に囲まれるとすごい笑顔となった。皆、懐かしがり、病と知っていても、せっせと話しかけてくれた。私のことを違う名(いとこ)で呼んでも 否定せずに相手してくれた。嬉しかった。・ 母は、数年便りもなく、会っても無い2人の息子とも再会。 これが、私の1番の悩みだった。できれば、会わずに帰りたかった。 私の頭の中に弟2人の存在は消してあったから。 でも、グループホームに入居した事も知らせなければならない。 弟達は数年前から施設へと言っていたので反対しない事は判っていた。 結局の処、弟とは会い、2男宅(母の家)に泊まり早朝、帰路に着く。 ホーム入居を知らせ、我が家へ拠らなくとも、母の所には来なさい。 親子なのだから・・・。とだけは伝える。
今回の収穫。 母のアルバムを2冊持ち帰る。その中から、母の母の写真。家族写真2枚。を、焼き直して、施設へ持っていった。 ちょっと、肩の荷が下りた。
|