また海に行ったんですね。本当にいい加減にしなさいと…。海=父君と言う結びつき。海には父君がいるんです。

 そうそう、産婦人科は大きな機材を使う検査が終わったら、個人病院に移るのもありだと思います。それまでの間、J病院で貧血の治療したらどうかな?

 B病院は月経前症候群にもうといようですし、O先生が「出産するにはいい病院」と言った理由がわかる気がします。何より手術室のあのすえた臭い!気味悪いでしょう?

 耳鳴りと幻覚がひどくなってきました。ホント、最低だね。でも耐えるしかないんで…。
2005年04月18日(月)


 合間を縫ってメモ。時間がないので要点を…。

■子供の時の私。
 見た目ADHD/ADDのようであって、知恵遅れのようであって、実際はそうではなかった。
 無論、若年性アルツハイマーでもない。
■過食がおさまるとか言うパキシル。
 出回り始めた頃の成分で、今はそのような効用はない。
■10年前、麻酔注射は乱用されたが、電気ショックを受けなかったのは幸いだと思っていたことに関して。
 私が病院に入れられる直前に電気ショックの取り扱い規制が厳しくなった。麻酔、同意、回数など…。
2005年04月14日(木)


 うなされて起き上がったらそこは光ちゃんの実家でした。寝ぼけているのかと頭を振りましたがやはり光ちゃんの実家でした。
 寝ててよかったのか気になって人の気配のする方へ行くと御母さんがいました。
「何か出来ることはありません?」
 心臓と口を押さえて「あービックリした」とケラケラ笑って「ちょうど今終わったところだから、ゆっくりしてなさい」と…。
 その後、家族で近所のおすし屋さんに行き、今帰ってきたところです。
2005年04月12日(火)


 意識できるのは年老いている自分。10歳前後の少女が想像(創造)した老婆のままと言うことでしょう。それに対して不服はありませんが、現実とのギャップには生きにくさを感じます。

 現実に浸かり過ぎると錆びてくるようで、限界を感じつつ半年以上粘りました。そうまでして成し遂げたかったことは全てとは言えませんが大体こなせたと思います。

 意の解離と言う在り方にも気付くことができました。
 もうお目にかかれないと思っていた円い世界も、霧の川原で光ちゃんと2人、感じることができました。

 年齢の誤認は克服できませんでしたし自己卑下も平行線で、性への混乱も解決には程遠いようです。
 ストレスのせいか全身が発疹とその痕で覆われており、常にどこかから血を垂らしています。
 急いだ方が体のためかもしれませんね。

 だいぶ増えたとは思うのですが、ヘモグロビンが7程度です。階段の上り下りもやっとなのでもう少し欲しいところ…。
 今日は光ちゃんのご家族に誘われて登山。家族、怖い…。また泣いちゃったらどうしよう。

 とりあえず、伝言と手紙を書いておきます。おやすみなさい。
2005年04月05日(火)

【7】匂いのない風景

 自慢の羽を白い布で覆われた烏と、遠い人のように思える母君が静かに家の中を行き来しています。
 烏の周囲の空気はピンと張り詰めており、母君のそれは穏やかに緩んでいるように感じられます。

「気付いてなかったんだよ」
 指の隙間から部屋を覗き込み、声に出さずにつぶやきました。
「知りたくなかったのかもしれない」

 斜め上には黒額に入れられた父君と祖母の写真。前方の仏壇にはそれぞれの遺品の勲章と阿弥陀如来が置かれています。

「この阿弥陀様は尊いのだよ」と祖母が言っていました。
「額に埋め込まれた赤い石はルビー」
 彼女らしいと私は笑いました。その赤い石も今はすすけて見えます。

 誰とも何とも目を合わせずに烏が窓を開けると朝の外気が部屋に流れ込み、彼女の真っ直ぐな黒髪が後ろへなびきます。
 そこでかしわ手。1つ。2つ。
 我に返る音。

 さらに部屋を物色すると、母君の家具の上には家族の写真がいくつか飾られています。装飾品は写真のみと言ってもいいでしょう。
 父君1人のもの、母君と父君のツーショット、家族3人のもの…。

 隣の部屋には妹君が寝ているのがわかります。起こしてはいけません。しかし、わざとらしいまでに妹君の写真は一枚もそこにはありません。

「母君が喪失した人達だ」

 烏が振り返りもせずに言います。

「3年前に亡くした夫。幸せだった自分。頼れる息子」
「彼女は残る娘と2人、生きていかなければならないと悟っている」

 とうとうと禊の祓いをあげる烏の横で、貝殻の裏のような光を放つ太陽を見ました。懐かしい…。
 大祓いの詞を耳にする頃、私は蝸牛に呼ばれました。なにか不思議で心地のよい音を聞いたような気がしました。
2005年04月04日(月)

【6】毬ちゃん

 その子はおでこの下からクリクリとした目で覗き込み、ぶっきらぼうに言いました。
「権利なんていらないもん。責任が付いてくるから」
「難しいことを言うね」と返したら、鼻を鳴らすような仕草と沈黙、厳しい視線が返ってきました。

 確かに時には「責任が付いてくる権利なんていらない」と思っているかもしれません。

「時には?」

 いつもかもしれないけれど、そうじゃないと思う時も…。
 違う違う、基本的にはそうなんです。

 私は責任をぬって生きているのかな?

「責任を先に持ってこられると、なんか損した気持ちになるの」
「欲が満たせるならいいんだけどさ」

 彼女は呆然としている私を見て、さも面白そうに笑いました。
2005年04月02日(土)


 昨日は通院日でした。

 先生はこの前私が向かったであろう地域の天候を調べて下さってました。
「すごい雪だったんじゃないですか?辿り着けなかったでしょう?」
 お騒がせしてすみません。その頃、東西逆の地点で夢見心地になっていました。そして気にかけて下さったことに感謝します。

 今回は約束していた意識表を先生に渡しました。本当は忘れていたのですが、光ちゃんが持ってきてくれてたんです(謝々)

 約10年前、K大付属病院にて色で識別しようと試みたのですが、今ほどの認知力は無い上に、つかみ所のない意識と言うようなものを比較的明確(でもないか)な色で表すには無理があったようです。
 なので今回は色や質感に加えてコードと愛称、性別、年齢(全て感覚的、抽象的で曖昧)と言う様々な角度から書き込み、後は口答で説明しました。
 ちなみに「あなたの意識とは何か一言で説明せよ」と問われたら、きっと私は「私自身」と答えると思います。では「他(他人)の意識との違いを述べよ」と問われたら?私にとってこの試みは、それに近いものがありました。

 その表は私に把握しうる限りのものなので穴あきだらけです。しかし表全体を見れば故郷そのもので、原風景とも言える完結した世界なのです。そして私は今もその地に生きています。
 先生は「現実の無意味な(虐待をしのぐ)時間と、意味のある時間」と言うようなことをおっしゃっていました。私には現実の無意味な時間は意味を成さないのです。自分でもそう思います。

 そう言えば先生が書いたメモを忘れて帰ってきてしまいました。いつももらっているのですが…。ちょっとテンパリすぎたかな?
2005年04月01日(金)

寝言日記 / 杏