つくづく大阪の精神医療は進んでいるなぁと感心してしまいます。新聞の記事って書き写していいのかわからないけれど、失敬します…。

大阪府 精神科救急を刷新
 拠点病院選定し10床確保

 夜間、休日に緊急の治療を要する精神科の患者に対応するため、大阪府は二十八日、拠点病院を選定し、病床十床を確保することなどを核とする新しい精神科救急医療体制案を明らかにした。七月からの実施を目指す。患者情報の整理や空病床の把握などを医療関係者が一元的に行う精神科救急情報の収集・仲介期間も設置する方針。
 精神科救急医療をめぐって大阪府では、府内三十四の民間救急病院に約一億円の協力謝金を出して当番病院を依頼していた。しかし、実際の受け入れ以来に対し「保護室が空いていない」などの理由で拒否した例が、全体の54%に上るなど問題点が指摘されていた。
 こうした状況を受け、プロジェクトチームを設置した大阪精神病院協会と府は、共同で救急医療体制の見直しを検討。
 今回、府が示した案では、府内の精神科病院から体制の取れる十二前後の病院を拠点病院として選定し、毎日四病院ずつが輪番制で十病床を確保。うち四床は、緊急措置入院を優先し、原則として受け入れ以来は断らないこととする。
 病床を確保するため、拠点病院に緊急入院した患者は、原則として後日、全員を救急医療協力病院に移送する。
 また、電話で受け付けている「こころの救急相談」とは別に、本人・家族や消防、警察などからの連絡に応じ、患者情報を整理し、空病床状況などを見て看護師らが拠点病院と調整する「精神科救急情報センター機能」(仮称)を新たに設置。各機関からの連絡窓口機能と、拠点病院への仲介機能を持たせる。運営は精神障害者の社会参加や社会復帰を支援している財団法人「精神障害者社会復帰促進協会」(大阪市)に委託する。
 民間病院の中で拠点病院を選定し、精神科救急体制を整える方式は全国でも珍しいが、公立の精神病院が多い東京都などはさらに充実した救急体制をとっている。また、財団法人に委託する予定の窓口・仲介機関がうまく機能するのか、警察が保護した自傷他害の可能性がある患者への対応はどこが責任を持つのかなど課題は多く、さらに検討を進める。

平成17年(2005年)3月29日火曜日 産経新聞より
2005年03月31日(木)


 今のままでは子供は産めません。体が産めるようになったとしても産みません。自分のことは皆目見当も付かないようで、わかっている部分もあるんです。

「俺によくしようなんて考えるな。親から受けた恩は子供へかえせ」
 父君がよく言っていた言葉です。恩を返すも何もさっさと天国へ行ってしまったのですが…。

 思い切れば白々しいほどあっさりと産めるかもしれません。しかし、この混沌とした精神も白々しいほど明確な事実なのです。

「いいんだよ、産まないって決めたんだから。2人の今後を考えよう」
 光ちゃんは言います。
「でも。でも」と足踏みを続けているのは私。
 そして憔悴しきってしまいました。

「絵本を作るって言ってただろう」
「絵を習いに行こう!俺も一緒に行くよ。そうすれば症状が出ても何とかしてやれるから」

 一生懸命励ましてくれるのがわかります。私は過去に絵に救われ、現在は彼に救われています。

 楽しい絵本は繰り返し繰り返し私の心に明かりをともしてくれました。
 彼はしつこく現れる私の症状に、繰り返し繰り返し肯定してくれます。

 1人でもいい、絵を通じて私のような子に手を差し伸べたいと…。また、そう思えるようになってきました。少し、元気が出てきました。
2005年03月30日(水)


「人を傷つけずに生きるなんて無理なんだ」
 光ちゃんは言います。

「必要以上に傷つけることはないでしょう?」
 私は言います。

 堂々巡り。

 それとも私には、必要以上と思えるほど人を傷つけなければならない理由でもあるのでしょうか?
2005年03月29日(火)

【5】くだらない出来心

 シャワーを浴び、身支度をはじめたのが16日の午後。光ちゃんと1泊2日で私の故郷へ向かうはずでした。

 烏が光ちゃんに言ったそうです。
「どこへ行くって?」
「日本海側の君達の生まれ故郷さ」
「そこは今行く所じゃないだろう?下手すると命を落とすぞ」
「命を落とす?」
「下手するとだ。たまには心の赴くままに車を走らせてみたらどうだ?どうせお前は観光名所くらいしか知らんのだろう?」

 かくして私の意志は阻害され、気付けば東西逆方向の地点に立っていたと言うわけです。

 あのまま西へ向かっていれば、私はさらにさらに西へと突き進んでいたことでしょう。いえ、そのつもりでした。
 17日の午後に光ちゃんと別れ、瀬戸内海の橋を渡る手前で一泊し、18日の朝にはとある小島にあると言う父君の墓を確認。さらに西へ…。
 目的地の手前の街で一泊し、19日には目標が達成されるだろうと踏んでいました。

 心の均衡が崩れることは覚悟の上です。均衡が崩れていたからこその選択かもしれませんが、それ以外に何も見えませんでした。何を望んでいたかは謎です。

 眠たげな大女が話しかけてきます。
「死を望むって?」
 無粋な顔つきに変わります。
「馬鹿げたことを言うのも大概にせいや!」
 腹の底に響くような大声で私を笑い飛ばします。そんなに笑わなくてもいいのに。

 地震に遭う遭わないが問題ではなく、足止めをくらうことが問題なのです。そこはあまりにも引き止めるものが多すぎて、引き止められるものも多すぎるのです。
 ごめんね。血を分けた縁だと言うのに、私は何もしてあげられません。何もしようとは思いません。
2005年03月27日(日)


 深夜、部屋がぐにゃりと溶けて迫ってきました。金縛りにあったように身動きがとれず、声にならない悲鳴をあげてもがきました。

「大丈夫だから」と頭をなでてくれる人がいます。

 気付けばダリの絵画のようにねじ曲がっていたテレビも、真ん中が垂れ下がっていた天井も、元通りにピンと張り詰めています。
2005年03月25日(金)

【4】内と外の合致

 気付けば霧の立ち込める山中に光ちゃんと2人。
 彼は経緯を説明してくれたのですが、頭がぼんやりしていて理解することはできませんでした。

 奇妙に滑稽な3本足の烏が、暗示的と言うよりかなり直接的に音のない川原へ導きます。
 私達はしばしなにやらくだらないことをして静かに笑いあいました。
 石は丸く、すれ違った男女とまたいつかすれ違う確信とか、ここから見渡せる世界の広さとか…。

 内と外のコードが合致しただけでここまで心が安らぐものとは知りませんでした。
 生まれ落ちた場所にあったもので世界は構築されているんですね。
 それを覚えている間は錯覚におびえることはないと思います。錯覚は錯覚であってかまわないことも必要です。
2005年03月22日(火)

【3】烏のみちしるべ

 思いのほか疲れてしまったので故郷へ帰りたくなりました。桃源郷を想うように、故郷に、帰郷に恋焦がれています。
 けれど行く手は分厚い暗雲に阻まれていて、希望の気配すら感じとることができません。

「絶望なんてできないんだよ」
 やけにギトついた視線の女の子が言いました。
「そう言う風にできているんだよ」
 その子には近づいてもらいたくないと、密やかに、そして強く強く願ってしまいます。
「忘れていた方がいいの」
 私の気持ちを知ってか知らずか、一定の距離を慎重に保ちつつ、彼女は永遠とも思えるような話をしました。泡のように消えてしまう不思議な話です。
 そして、話の終わりに「シー」と、指でくちびるを押さえました。それはやたらと響く悲鳴のようで、私は耳を押さえてあえぎました。

 ほとぼりが冷めた頃、深い眠りに落ちそうな倦怠の渦中、烏がまっすぐに鳴くのを聞きました。
「そっちじゃない。道を間違えると高くつくぞ」
 高く?
「料金がかかると言っているんだ」
 つややかな羽が誇らしげです。

 もう、どうでもいいやと思いました。
2005年03月21日(月)


鶯が鳴いてる。
2005年03月16日(水)

【2】銀杏と金魚

 黄緑色の子羊が不服そうに言いました。
「みんなが眠れないって柵をぴょんぴょん飛び越えさせるの」
「あなたも眠れないの?でもあたしはもう飛ばない」
「かわりにちょっとお話しない?」
 ヒステリックに歯を鳴らして笑います。

「そうそう金魚はどうしてる?」
 なんのことかわからなくて困ってしまいました。
「根元の金魚はどうなったか聞いてるの」と、子羊は早口にまくし立てます。

 首をかしげることしかできない私を見て、会話にならないことを悟ったのか「銀杏を埋めたのはあたしじゃないから」と、せっかちに畳み掛け、口調とは裏腹なゆっくりした動作で去っていきました。
2005年03月15日(火)

【1】名のかけら

 誕生日に名のかけらを拾いました。
 老人が腰掛けていた切り株の横に落ちていたのです。置いてあったと言った方がいいかもしれません。
 それは以前私が落としたもので、拾い上げると同時にいつ、どこで、なぜ落としたのか思い出しました。
 私は小躍りしました。なんであろうと拾ったらうれしいものなんです。しばらくして我に返り、とりあえず名前としてかかげることにしました。
2005年03月14日(月)

寝言日記 / 杏