経る時・・・

もくじかこみらい

日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて 日目です。


2008年07月30日(水) 前売り券 買うかな・・・

ディズニー・PIXARの年末映画WALL・Eが気になる。

このところ、見損ねている映画が多いので、今から前売り券を買っておこうかと。
ライラの冒険-黄金の羅針盤-』も見損ねてしまった。


しかし、『WALL・E』の主役、ウォーリーは、22年前の映画『ショート・サーキット』の
主人公・ナンバー5にとてもよく似ている。



2008年07月28日(月) 過去日記の補完を始める。

入院中につけていた日記が出てきたので、抜粋でこの日記に、補完し始める。
第一回分は、2007-4-12〜4/28の「検査編」

かなり、端折ってありますが。


2008年07月25日(金) Time cures all things

この日は、節目となる日。



時が全てを癒す



時間薬とも云いますね・・・



時間薬

<使用上の注意>
 1.病状によって、効果を発揮する時間は変化します
 2.発症が繰り返された場合、完治は困難です
 3.時間の効果で痛みはなくなっても、その事実は変わりません


何度も過去の想い出の反芻を繰り返す僕を救ってくれたのは今の家内だ。
時間薬が効くまでには、ある程度の時間がかかる。

それまで支えてくれた、家内に感謝。


2008年07月24日(木) 本来ならば、今日は僕の命日。

43年前の今日。僕は、胃腸関係の病気を患い病院に運ばれていた。

病名は、腸重積症だが、普通、生後6ヶ月程度から、2歳くらいまでに発症するのだが、
僕の場合、生後38〜39日で、発症したので、治療が難しかったようだ。

今でも、腹部右側に、12針の大きな傷痕が残る。

今でこそ、早期発見で治る病気だが、その当時、あるいは、それ以前は、死の病。
事実、うちに来ていた、父の知り合いが、同じ病気で子供さんを亡くされている。

子供の頃、よく、「おまえが生まれた頃は、大変だった」と散々聞かされたが、
確かに、30歳と25歳の夫婦では、動揺しただろう。

運には恵まれていて、その日は土曜日。師田医院という、かかりつけは、先生が不在。
偶然、インターンがいて、久保田胃腸外科という医院に転送してくださったのだが、
高圧浣腸にても、軽快せず、東京大学付属病院に転送された。久保田胃腸外科の先生も、
一緒について行ってくれたそうだ。

病院に着いても、母は、車から降りられなかったらしい。

乳児ゆえ、手術も難しく、母は、「もう、助かる確率は少ないので・・・」というようなことを言われたようだ。
熱が41℃前後まであがり、冷やしたら下がりすぎてしまい怒られたとも言っていた。

1人の先生が、元気に泣いているから、やってみようと、手術をしてくださり、何とか生還。
だから、今でも、僕のお腹は、まともな位置に腸が無く、左下の方は空洞だ。
そのせいか、頻繁にお腹をくだしてしまう。

この後も、2歳10ヶ月で、また同じ病気にかかり、今度は、高圧浣腸で治った。
(高圧浣腸というのは、バリウムを注腸する)

昭和40年の7月24日の晩から、翌朝までは、とても大変だったらしい。
下手すれば、死んでいたのだろう。

体重が出生時に4050gも有ったのも幸いしたらしい。


僕が、一昨年、昨年と、悪性髄膜種に罹り、危機的な状況になっても、何故、希望を
失わないのかと尋ねられるのだが、たぶん、その根底には、こんな生まれた頃の
体験が、あるんだろうと思う。


何にせよ、僕は今、生きている。そのことに感謝。


2008年07月18日(金) 脳神経外科・定期外来

あまり変わりなく。ちょうど、再発した脳腫瘍の再摘出手術の術後、放射線治療していた頃から、丸1年。
顔面の痛みとか、ツッパリ感以外は変化なく。

家内もこの病院にかかっていて、喘息等が悪いと知っているので、脳外の担当医も、心配していた。
このところ、家内は、あまり体調がすぐれないのだ。
僕の方の話題より、家内の方のことの方が多かったぞ。話が (^^;)

2ヶ月後の外来予約を取ってこの日はお終い。MRIは、この間、たくさん撮ったので、
撮らなくていいそうだ。

しかし、整形外科や、耳鼻科に比べて、脳神経外科は空いているね。
先月は耳鼻科、今月は、整形外科も、新患受付の制限が始まった。

まあ、脳神経外科は、罹患者も少ないんだろうけれど。

ホームページ
を見るとわかるが、産婦人科でも、分娩の受け入れを制限しだしたらしい。
こういう、大きい病院に、集まりすぎてるものね。患者が。

あとは、来週の金曜日に、眼科か・・・ 


2008年07月12日(土) とむ・ぶらうん 閉店 (>_<)

昨日、心友の高橋君が、桃とトマトを持ってきてくれるというので、一緒に食事に行った。
せっかくなので、昔から、彼とよく食べに行っていた店に。

隣の県になってしまうのだが、埼玉県川口市にある、「とむ・ぶらうん」という店。

免許を取る前から、父とも行っていたので、ほぼ開店と同時に通い始めていたことになる。
24年間、営業していたようだ。最近、閉店時刻が早まったり、駐車場が半分になったりと不穏な空気はあった。

郊外型の欧風レストランで、こうガソリンが上がると、顧客も減るだろう。
昨日も、土曜日の夕方なのに、2〜3組の客しかいなかった。


僕が、初めてクルマを買った23年前から、高橋君とはよく通った。
マクドナルドか、この店で、だべるのが常だった。
この店の帰りに、ホンダのプレリュードで3回転スピンしてたりする(^^;)


高橋君に、仕事の辛さ、友人関係の悩み、その他諸々、聞いてもらったのもこの店。
2001.6.9に、サークル内でトラブルを起こした奴と対峙したのもこの店。

思い出深い店だ。見つけたのは、父と仕事の帰りに偶然立ち寄ったのが、きっかけなのだけれど。

あまり、最近は行かなくなっていたのだが、偶然に行くことになり、閉店を知る。

食材も上がり、客足も細くなり、苦渋の決断かもしれないが、とても残念だ。



2008年07月03日(木) 4年経った。

結婚披露宴から4年が経った。早いものだ。
いろいろなことが有りすぎて、凄く長く感じる。

この頃の写真を見ると、額の真ん中が僅かに隆起している。
すでに、脳腫瘍は、頭蓋骨を突き破り浸潤していたのだ。

最近、身体の方は、まあ、メタボ気味だが、安定はしていて活力もある。
顔の痛み等は、どうやら気象病と呼ばれるものらしい。

低気圧になると身体が膨張して、高山病とか夏バテに近い症状が出る。
喘息やリウマチで苦しいとか、痛むというのも含まれるようだ。

うちの家内も、台風が洋上にできると調子が悪いらしいからなあ・・・

さらに、僕の場合、頭皮とか、縫っているので引っ張られて痛い。
いわゆる『尖痛』が走るのだ。とても痛い。肉厚のないところなので引っ張り感はいつもある。
ちょうど、眉のあたり、放射線を強くかけたあたりでもある。まあ、この程度の後遺症なら我慢はできるけど。

何にせよ、失明以外は、たいした後遺症もなく、普通に暮らしている。
この先ずっと、病院とは付き合わなければいけないだろうが、まあ、生きているだけマシでしょうね。


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