経る時・・・

もくじかこみらい

日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて 日目です。


2006年06月30日(金) 今年も半年が終わり・・・。

こんな年は始めてだろう。病気がわかってから、1月からもあまり仕事に
なっていない。

生命の危機に瀕したせいもあるが、会社的にもかなり減速を強いられている。

しかし、今は、足下を確かめつつゆっくりスピードを上げていくしかない。
気持ちははやるのだが、死の危険のある病気。乗り越えたわけではない。
今月半ばにはおそらく、放射線治療が始まる・・・。
「怖い」正直、怖いのだろう。でも、病気に関しては真っ向から向き合う
しかないと思っている。

体調の方は今のところ軽快で、多少というか、開頭したのだから仕方ないが、
頭の圧迫が少しある程度。毎日、薬を飲み続けるのはこの病気の場合当たり前
なので仕方ない。
現状で、月1回の通院になったので、とても早い回復だろう。

病気については、5年、10年の単位で見ていく必要があると思う。


「脳腫瘍」世間では未だ、「死に至らしむ病」のようで・・・。
ここ、10年の脳神経外科の発達は著しく、まして、入院した、東京女子医大
は、国内でも最多の手術数なのだそうだ。

そういった病院が近くにあったのも幸運だろう。


僕の命は、生後40日での手術、今度の手術と、2度の大手術をくぐってきた。
無理せず、頑張っていきたいと思う。





2006年06月29日(木) 蕎麦屋

前日から、蕎麦屋にいこうなんて、おくさまといっていた。
行きつけの「小松庵」 近くにも蕎麦屋はあるけれどね・・・。

蕎麦はやはり、喉越しが良いに限るし、蕎麦屋のカツ丼は、程良く汁が
飯に浸みているに限る。最低限のこの2つがクリアできない蕎麦屋は最低だ。

病院にいるとき弟が暇を持て余している僕に講談社の「おとなの週末」という本を買ってきた。
特集で、東京の蕎麦屋の特集をしていて、とても読み応えが有って、退院後に、
近くのコンビニで、毎号買うことにしている。

とても辛口の本で、これからも期待できそう。

そう、ホント、「おとなの・・・」だな・・・。



2006年06月28日(水) 仕事スタート。とおもいきや・・・。

やっと工具の整理も終わり、取引先に発注内訳のFAXをもらう。

が、機械のチャック(把握装置)のスイッチが動かない。20年やっていて始めて。
機械のメーカーに電話して、基盤を抜いたり、テスターを当てたり、一日かがり。

結局、夕方復旧。でも、メーカーのサービス員に来てもらうと、来ただけで、
5万からの出張費を取られる。さらに部品代が高いと痛い出費だ。

20年もこの仕事をしていると、たいがいのことはわかるようになる。

夕方から、段取り。約2時間で仮セット。明朝から稼働予定。


今日から、仕事関係のことは、別のブログに書くことにした。


2006年06月27日(火) フラフラと・・・。

出勤したものの、体力というか、体が怠い。
会社で工具の片づけに一日を費やす。なんか、フラフラするし・・・。

マシニングセンタを入れて10年。工具も凄まじい量が溜まっている。
急ぎの仕事で買い入れたり、仕方なく調達したり。

細かく見れば、無駄な投資だ。

ポストイットで、マーキングしながら、ケースの洗浄、工具種ごとの
棚に分けたりする。

一日かかって終わらない・・・。片づけの方が疲れるし捗らない。
もともと、苦手だし。


2006年06月26日(月) 会社休み

熱が下がる気配が無く、体も怠いので休むことに。
体力もかなり落ちているらしく、食欲もない。

納期が迫っているのだが、無理は禁物だな・・・。

でも、女子医大から処方されたロキソニンが効いたらしく大汗をかく。
体温も落ち始めている。明日には出勤できそう。


2006年06月25日(日) 風邪、さらに悪化(>_<)

早朝というか深夜から体調が悪く、ずっと寝ていた。
昼食も摂れず、あちこちでふらついてぶつかったり。

夕方、咳・鼻水・熱ともにひどく、おくさまが昨日、受診したO医院に
電話をしてくれる。相談の上、夕方、おくさまのパオで、東京女子医大
東医療センターへ。

病院での検温は、39.4℃  (>_<)

肺のレントゲンやら採血やらで、帰ってきたのは9時過ぎ。

いやはや、今年はいろいろある年だ。


2006年06月24日(土) 発熱。一気に悪化。

午前中はなんとか持っていたのだが、午後から一気に悪化。
集中力なし。休み休み仕事をする。たぶんこういう仕事の仕方が
一番いけないのだろう。

午前に近くのO医院で診察してもらい薬を出していただくが、よくならず
悪化の一途。

夜半に39.1℃になり、完全に床から起きられなくなる。
昔と違って熱耐性が覿面に落ちている・・・。



2006年06月23日(金) blog&通信費

某所で、仕事関係のblogを書き始めた。というより設置したばかりだが。

そして、早急に会社のドメインを取って、サーバー移転。多少、経費は増える
のだが、光電話にしたりBフレッツにしたりして、総額ベースでは、通信費の
経費は削減されている。ここ10年で2年ごとに設備の絞り込みをしてきた。
それも今回で最後になる。

アナログ(事務用)3回線
     ↓
ISDN(事務用)2回線(都合4回線)  
     ↓
ISDN(事務用)2回線(都合4回線)+ケーブルテレビ足立
     ↓
ISDN(事務用)1回線(都合3回線)ナンバープラス+ケーブルテレビ足立
     ↓
ISDN(事務用)1回線(都合3回線)ナンバープラス+TEPCO光(光ファイバー)
     ↓
光電話 (Bフレッツ)ハイパーファミリータイプ 番号ポータビリティ 旧回線廃止

努力の証でもある。かなりの費用削減だと思う。
こう思うと、パソコン通信が2400bpsだった頃が遠く思えるなぁ・・・。


今日、東京女子医科大学東医療センターから連絡がきて、傷病手当給付金と
診断書ができたと連絡あり。体調が悪いので母に行ってもらう。

夜、高熱。38.8℃まであがったので早々に寝る。


2006年06月22日(木) 朝が早い。

病院にいたときの後遺症というわけでもないのだろうが、やたら早く目が覚める。
早ければ午前3時半頃。だいたい5時までには起きてしまう。

以前は、7時前後だったり、6時半前後だったりしたのだが。

寝る時間は、翌日になってからだったりもするので、確実に睡眠時間は短い。
早寝しているときもあるけれど。以前は、入眠できずにいたときもある。
前の彼女とのことや友人関係、会社のことで悩んでいたときだ。

そのころは、逆に3時過ぎまで起きていたりした。

以外と人間の脳は敏感で、手術から、1ヶ月半程度では仕方のないこと
なのかもしれない。大手術には違いないのだから。

しかし、ここ数日の気温の低さで喉が痛い。気温が低いというか、蒸し暑いくせに
深夜、温度が下がるせいだと思う。自覚として、脳や脳の自律神経の体温調節が
いまいちうまくいっていないような感じもするし。


2006年06月21日(水) 老眼 (>_<)

いや、年齢的にちっともおかしくないけれど。41歳になったばかりだしね。

老眼・・・。その人のライフスタイルによっては気にならなかったり。
とても気になって、死活問題だったり。

うちの歴代工場長みたいに、勘でドリルを研いでいる人もいるし。
逆に販売職の方や、サービス系の方はそんなには気にならないかもしれない。
これは一方的な見方というよりも、身体の感覚を使って補っているという意味な
ので、その点ご理解ください。職差別ではないです。

しかし、ヘッドルーペを持ち出さないと工具の先端が見えないのには参った。

だいたい45歳程度が、平均的な老眼鏡の初体験年齢なんだそうだ。

「俺は若い!」なんて意地張っても、老化はヒタヒタと歩み来る(^^;)

まあ、みんな通る道だからね。

ふと、カレンダーを見る・・・。「夏至か・・・。」


2006年06月20日(火) スパムメール

入院している最中、メールボックスを開けなかったので、凄まじい数の
メールが届いていた。仕事関係、友人関係、メルマガは、1割にも満たず、
ほとんどがジャンクというか、エロサイトや出会い系だ。


同じサイトというかパソコン通信が縁で結婚した家内のMacも何百通という
メールが届いている。それだけではなくて、めったに書き込みのない掲示板
ですら、エロ書き込みの嵐だ。

原因は、@niftyがID@nifty.comと、いい加減に書いても送れてしまうのと、
送信元も、ニフティ発にすりかわって送ったり、他のプロバイダのドメイン
にすりかわって送れるらしいからだ。

にもかかわらず、対策はしていますとか、ナンバーワンプロバイダとか、
寝ぼけたことを言っているけれどね・・・。@nifty

先日もセキュリティ関係のメールと前後して、メール容量とホームページ
容量が100MBになっていた。でも、使い勝手か悪すぎ。既にメインのプロ
バイダは変えてあるし、自宅は仕方なくニフティホンだが、これも仕方ない。
おまけに、容量アップ時に、メールが消えてしまっていたものもある。
迷惑メール対策も、入り口で止められると思うのだが・・?

レンタルサーバーを会社で借りているのだが、@niftyのスパムメールの
せいで、やはりスパムまみれになっている。XXXX@adachi-kouki.cside.com
という、セカンドドメインなので、料金は高くなるけれど、ドメイン取得の
XXXX@adachi-kouki.co.jpを取る予定。

現状では、@niftyのセカンドメールで、会社でひとつ、個人でひとつ、
アドレスを別に取っている。本当の@niftyのアドレスは、保存期間を
長くして半月に一回ていどチェックのみにする予定。
セカンドメールは1アドレス\215かかるけどね・・・。

しかし、パソコン通信が始まった頃は、

−メールが届いています(未読分1通)−

なんて嬉しかったものだけれど、今のメールは苛立ちのもとだなぁ・・・。


2006年06月19日(月) 生命保険

割と父の年齢くらいだと、保険の営業に「俺に死ねというのか?」なんて言ってみたり。
でも、実際に病気をしたときに苦労するのは家族。

ここで父のことを書くが、悪口ではないし、無知だっただけだと・・・。

何度も入院して、最後の入院は114日間も個室で付き添った生活。
金銭面はあまり書きたくないが、その後の葬儀関連のことも、弟と二人で。
あまり高額の保険は入っていなくてトントンだった。

僕の場合。

○終身保険+3大疾病
○経営者保険(略称)
○都民共済
×アリコガン保険
×アメリカンファミリー医療保険

と、結構、入っていた。アメリカンファミリーは、法人会の経営者保険を
入る時点で解約、アリコはと友人の専門家に相談して解約した。

都民共済は、都民共済ブライダルプラザでウエディングドレス等を
借りるため(^^;)静岡の教会では、ここのものを使った。
そして、年一回、割り戻しもあるし。

「生命保険」・・・。
若い頃は、「どーでもいい」と思っていた。もったいないと。
でも、今回は、保険の大切さを実感。まさに「保険」なのだ。

こんな大きな病気をするとは思わなかった。せめて大切な人のため、
そして万が一のため、考えだけはしっかりしておくべきだと思う。


2006年06月18日(日) 復旧率70パーセント

おくさまが帰省しているので、PCの復旧。かなり大かがり。
数日前から、必要にソフトや設定のバックアップはとってあった。

夜に始めて、休み休み、寝たり起きたりしながら、翌日の昼。

Xpで、セットアップしてあったものをWindows2000に戻した。
やはり、皮だけが綺麗でも、中身が大切。枯れたOSの方が安心。

日記の方は、記憶が薄れている部分もあるので、回想記として書くかもしれない。
そしてここは、いろいろ、振り返ったり、ぼやいたり、呟いたりする場所として、
残していこうと思う。

はじめは、恋愛に苦しみ、友人関係に苦しみ、会社のことで苦しみ、
今度は、おくさまとの結婚。そして、今回の脳腫瘍。
まさに波瀾万丈、書くことには事欠かない。

ここで告知です。8/31をもって、メインの「足立光機電網事業部」は、
閉鎖させていただきます。正直、いじっている余裕がありませんし、
あのレベルのものを公開している自分にも腹が立ちます。

来月から放射線治療が始まりますし、仕事もスローペースながら、
動き出します。おそらく、病前よりも規模は大きくなるでしょう。

おくさまのパオは、そのままです。

しばらくドタバタしますがご容赦ください。


2006年06月13日(火) 回線不通及びパソコン不調につき日記は来週に

先週後半からADSLがリンクしなくなり、昨日復旧しましたが、
今度はメイン機(D325)・セカンド機(P3-800)・会社伝票・メール機(P4-3.2)
会社FAXサーバー機(P3-733)が不起動になってしまいました。

現在、NEC PC-98 WIN98機で、どうにか業務をしています。

病気明けでなおかつ納期が迫っていて定期の外来が金曜日ですので、
週末にパソコンを直して、来週あたりから書き始める予定です。

メール・レス等も遅れがちになりますが、ご容赦ください。
すべて目を通してはおりますので。

そして、ホームページは、閉鎖の予定です。
たぶん、1年前後は、再開のしないつもりです。


2006年06月08日(木) 振り返り思うこと・・・。

退院してから忙しく、日記を書いている暇がありませんでしたm(__)m


昨冬に入るあたりから、この日記を書くことが億劫になった。
食事をしてすぐ、寝入ってしまうことが多くなった。
奥さま曰く、「あとでやる」と後回しにすることが多くなった。
映画や食事に出かけても、途中で頭痛を訴え帰ったりしていた。

仕事中も、集中力が無く、機器の衝突や納期忘れ、寸法不良等、
明らかに異常を呈していた。車等も、やはり衝突を繰り返していた。

この時点で、もうかなり致命的なシグナルが出ていて、
倒れなかっただけラッキーだったと思う。

今思えば、会社のことに掛かりきりになり、詳しくは割愛するが、
父のガンによる他界をはじめ、2度、3度の会社間の金銭トラブル、
相手の破産や、管財人、国税、都税等とのやり取りなど、自分の身体を
省みることが無かった。
そんな中で、友人のトラブルの相談にも乗っていたりと、30代は忙しい
というか、嵐のような10年。

でも、『命あっての物種』何事も命があってこそ成し得るのである。
という言葉どおり、死んでしまっては、何もならない。

これからは、少し自分を省みながら、暮らしていきたい。


そして、ホームページはわかりませんが、日記は、続けます。

いまさら遡って日記を書くのも、大変なので、外食や病気、
仕事のこと等、ここ一年分くらいをまとめて書いてみようと思う。

かなり、過去を振り返ることになるが、ま、リハビリがてら、
ということで・・・。キーボードもかなり右手がタイプミスをしている状態ですし。

今晩あたりから、徐々に、書き込み、レス等、していきますので。


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