超雑務係まんの日記
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2003年05月29日(木) ヒデ(14)

とうとう高校生になってしまうヒデ。
私立の特進クラスの入学が決まった。

そんなに勉強してどするのかねー?
ちょっと嬉しくもあり、かなりの不安あり。

とにかく一段落。
正直、私自身もなんだか目標を失ってしまった感じで。

思いのほか、人に肩入れしてしてたせいか、
自分の事を考える時間が必然的に存在し始めた。



4月。
ヒデは新しい道へ。
私は辞職。捨てました。スッパリと。

まぁ、もうかなり前の話なんですが。


2003年05月27日(火) ヒデ(13)

「オレが救ってやる」

言葉に出したのは初めて。

君は昼間から大粒の涙を流していて、
その理由を何一つ語ろうとしなかった。

ただ声を詰まらせてポロポロ、ポロポロ。



そう。
知らぬ間に違う道を歩んでいて、
気がつけば、もうぜったいに戻れない所まで。



「最初にオレからいくね」

別に未練とか、悲しさとかは不思議となく、
ただ実行する前に、
「また、これでひとりぼっちかな」と、よく覚えてる。




ほんのちょっぴりでも、
振り返ってみれば
たくさんの間違い、誤り、不道徳。

後ろを向いたら、たくさんの人に後ろ指さされてる、
私はビクビクしながら歩いていた。

思い出すだけで、屈んでしまうほど胸が締めつけられる。



自業自得ながら、
眠れない夜に、何度もひざを抱えて空を見上げてきた。

けれど、
いつも震えて眠ってたあの頃と比べて
今はずいぶんラクになったのかもしれない。


取り残されたぶつけようのない怒りと淋しさ。
想い出は未来の恐怖にしてはイケナイ。

だいぶ昔のお話でした。



さて。


ヒデは合格した。
これで、晴れて高校生。
おめでとう。嬉しいよ。

ウン。
私の役目終了。


2003年05月23日(金) ヒデ(12)

そういえば、私が高校受験の時、
雪が、たいそうな大雪が降ったんです。

雪なんか降らない街に住んでいたはずなのに、
なぜか雪がどっさりと。

試験当日にそんなもんだから、
雪のせいで、大切な入試に来れない人がたくさんいて、
学校のはからいで、入試の開始時刻を2時間遅らすことが決定。
(北国の世界では笑ってしまいますね。。。)

懸命な思いをして時間通りに来た私は、試験当日2時間ボーッと。
寒くて寒くて、お腹が冷えてしまったのを覚えてます。
ただ、何があってもこれに失敗する訳にはいかなかったので、
もう後がないし、いやもともと先もなかったんですが。


私の当時の狙いは
ある大学に入り、学者になり、さっさと論文を発表して、世に出ようかなと。
つまらない論文ばかり発表している学者たちに警鐘を!
そんな意気込みがありました。


その為、付属の高校に入学し、そのままエスカレーターでと考えてました。
私学を志望し、成績にも問題がなかったので、あとは我が道を行くだけで。


ある日の深夜、両親が珍しく遅くまで起きていて、
なぜかケンカをしているようでした。

聞き耳を立てると、どうやら私の進路について。

「アイツが私立なんか受かったら、金はどうするんだ?」
父親がつらそうな声で母親に言ってます。

「でも、あの子は変に勉強が好きみたいで、成績もいいみたいなのよ。。」
「だったら、公立にすればイイじゃないか」
「先生が大学付属にしろっていうのよ。。。本人も望んでるって」
「アイツは大学に行きたいなんて言ってるのか?」
「何でも学者になりたいとか。。。先生が言っていたけど。。」
「ケッ。。。何が学者だ!金はどうするんだ?年にいくらかかると思ってるんだ!」
「そうよね。。」
「私立なんかに入られたら、オマエ。。。家族で生活なんか出来ないじゃないか。。」



中学までしか出ていない両親には、大学までの費用を現実として、
いや現実的に算出することは、まず経済的に不可能でした。

私は私立高校にも大学にも行けないことが、この時ハッキリとわかりました。
この頃から、少し考えが変わってきたのです。

お金のない暮らしに何とも思ってなかった私は、裕福な生活に憧れを感じるようになりました。


結果的に、
私は公立高校1本だけしか受けられませんでした。





現在、中学3年生のヒデの受験校は4校。
いいなぁ、4校も受けちゃってさぁ。
そんな、うらやましさが、ありました。


が、意外にも3敗。

残りは1校、さぁ結果は?


2003年05月19日(月) ヒデ(11)

ヒデの成績が落ちてきた。

予想していた懸念が的中した。

小学校や中学校で受験を経験したことのない人は、
一番最初の転機が高校受験ではないだろうか。

試験により、行く末が決まるという初めての出来事。
(本当は行く末まで決まらないけど)

プレッシャーに弱い人はココで、まず様々な葛藤が起こる。
生真面目な性格だとなおさらだ。

もう本番はすぐそこ。
新しい年を迎えたばかりの1月。




私にとっては、正直なところ、
中学3年生の君たちが
どこへ行こうが、いや行かなくたって構わない。

冷たい言い方かもしれないけれど、
君たちは、今年、自分で結果を出した事に責任を持つ。
ただ、それだけの事なんだと思う。




今、考えると
もっと教えておけばよかった、
たくさんの大切なことがあったのではないかと、
反省や後悔が押し寄せてくる。


私の追いかけた結果が正しいかなんて、まったくわからない。
一方でヒデの選択した結果が正しいのかもしれないと、
冷静になった今では考えたりもする。

結果論としてだけど、
私は明日よりも、今日が。
今日よりも昨日が、昨日よりもその前の日の方が、
怖くて恐ろしくてブルブル震えてしまう。

流れに任せて、無意識で未来に向かっていくなんてムリだ。
毎日の日々を過ごし歳をとるごとに、逃げたい過去が迫ってくる。







さて、ヒデの志望校は4校。
大学付属1校、私立2校、公立1校。

果たして結果は?


2003年05月13日(火) ヒデ(10)

相手を「子供」と捉える存在は、
たいていは子供以外の「大人」だけ。

「子供」と自覚している人は
まず相手を子供と捉えることをしない。


私はずっと「ガキ」と言われていたので、
もしかすると視点は子供に近かったのかもしれない。

実は未だにコドモとオトナの違いがわかってないのですが。


無関心を装うのがオトナですかねぇ?
適当にお金を稼ぐのがオトナですかねぇ?
安定した生活の中で歳を取ってるだけがオトナですかねぇ?


昔を思い出してみると、
指導をしていた頃を考えてみると、
中学生のヒデは私なんかより、ずっとイカシタ大人だった。

「先生、オレは文学を勉強してみたい。文芸評論の世界で生きてみたい。
 こんな考えをしてるオレ、変ですか?」



変なわけないじゃん。
すげーよ、そんな中学生いないんだって。
「文芸評論」なんて、言葉自体は一般的じゃないんだから。



ヒデは「生きたい」って言った。
君たちには、未来がある。
そう、本当に輝かしい将来がうらやましい。


一方で、
私は「死ねたら」って思ってた。



生きたい、という人が、
死ねたら、と考える人が、

どんなバランスで社会に調和してるのだろう。



ヒデが卒業するまで、
私は責任を持って仕事をしなくちゃね。


2003年05月12日(月) ヒデ(9)

ヒデへの警告を心の中で訴えてた。

君は本気で文学を勉強したらダメだ。
そう。生半可な気持でやらなくてはならない。

理由は、ダメな人間になってしまうからだ。


「文学」がイケナイわけじゃない。
君が文学を志すことが危険なんだ。


そう、私みたいに、ダメな、堕落した
生活者になる恐れがある。


憧れなんかで、文学をしちゃダメだ。
私はなぜ文学だったのか。

文学に真実があると思ってた。
哲学に思想があると思ってた。


果たして、実際はどうだった?
私よ。

小説よりも奇な現実に私は埋もれ、
ずっと頼っていた哲学は机上の空論だったのか?



回顧してみると
私には絶望していた時代があって、

悲しい、とか。
ツライ、とか。
苦しい、とか。

そんなモノは通り越していると自分で感じていた。

けど、
実際は強がっているだけで、
時にたまらなく独りが怖くなることもある。

今だ突然フラッシュのように過去の情景が浮かんだりする。
絶えられなくなって、胸が詰まることもある。


そばにいてほしい人。
近くに存在しない人がいて
乱暴な絵のように、想像の中ではいつも引き裂かれていて、
何とかしてその絵を修復したくて、
でも触れようとしても不可だったりする。


話がそれました。




幸いにも、
ヒデの成績は順調。
志望校すべてに受かるのでは?
そんな勢いが感じられた。


季節は秋。
そろそろ寒くなってきました。


2003年05月10日(土) ヒデ(8)

中学3年の夏。

受験生にとっては天王山と呼ばれる季節。

エライな、と思ったことがある。
ヒデは受験勉強に対して、何一つ不満を漏らさなかった。

他の生徒は、この時期、多かれ少なかれ先行きの不安や、
初めての経験に不平不満を言い出すものだ。

時には周りに悪影響を及ぼすこともある。


私としては、
別に偏差値の高い学校とか、名門の高校とか、
とくに受験先には、あんまり興味がないという失格な教師だった。

私がこだわっていたのは、受験をして入学するという、その行為。
だから推薦とか、そんなのは好きではなかった。

入学する為に勉強する、
この姿勢を私は大切にして欲しかった。

なぜなら受験という行為が、
一生のうちで、今回が最初で最後の人もいたりするだろうし、
勉強の原点は受験じゃないだろうか、とさえ私は思ってる。

受験は戦争なんかじゃない。

だって、やめたきゃ、いつだって自分の意志でストップできるものだから。

そして何も進学することが、すべてじゃぁない。
でも、進学に興味がなくても、受験は経験してみよう。
大人になってからは、経験したくても出来ないものなんだよ。


なーーんて事を、
生徒たちには、よく言っていた気がする。


私の両親は、中学までしか出ていない。
したがって、父も母も受験は経験していなかった。

私が家を出るまでの間に「勉強しろ」という言葉は、
幸か不幸か本当に一度も言われた経験がない。

だが、私は10代のうちに勉強をしなくちゃダメだと思ってる。

今だからわかる事だけど
勉強の中で、受験勉強が一番簡単。
きっと社会勉強の方が、はるかに難しい。
そして、自己を高めるための勉強は、もっと難しい。



ヒデは文学を志す為に
大学で勉強するから、大学付属の高校を受験したいと言ってきた。


2003年05月09日(金) ヒデ(7)

考えてみれば、私が中学生の時、
進学とか、就職とか。
ましてや大学とか、社会とか、
ぜんぜんわからなかった。


ただ、クソッタレの生き方をしたくない、
そんな抽象的な今の若い子たちに気に入られそうな思いを抱いていた。


実際の中3であるヒデを見ていると、特に感じる。
怖いほどに。


私は中学生の頃、何を考え何をしていたのか。

手探りをしながら、すでに私は20歳を超えてしまい、
社会とか、会社とか、サラリーマンとか、
そんな呼称からは、絶対に反発し逆流して生きていきたかった私が
若い人を指導する立場になっている。


クソヤロウたちが、たくさんいる世の中。
バカヤロウたちのようには、なりたくなかったから。

私は当時
ソクラテスのような
ヘーゲルのような
キルケゴールのような
ニーチェのような
偉人たちにあこがれていた。



ヒデを見ているから、
私も生きている、

そんな実感をいつから考えていていたのだろう。


2003年05月07日(水) ヒデ(6)

中学3年生になったヒデ。

受験という道を選択したのは自然だった。
中学生にとって世の中は進学が悲しくも普通の流れ。

私は受験国語を教えるのが大好きだった。
なぜなら一番文学に近い気がしていた。

文学と一口に言っても、意外と種類があって。、
乱暴に分ければ、漢文学、古典文学、明治擬古文学、近世文学、近代文学、現代文学。。。
といったところ。

もっと細かくわけるなら、
お酒を飲みながら私と深夜ずっと付き合わなければならない。
だから、ココではストップ。


一言で「文学」とは何か?
聞きたくても聞けない、イヤ聞きたくもない、日常生活で気にならない話題。

でも、
この疑問には、ずぅ〜っと様々な人たちが思案してきた問題。
加藤周一著『文学とは何か』(角川書店)を読むと、どうだろう。
うん、しかし、こんな評論。
読む人がいるのだろうか。


私にとっては素晴らしい論。響く言葉。
今となっては、誰もいらない書物なのかな。

「だって必要ないじゃん、生きるのに」
なーんて、声がどこからか聞こえます。




話を変えます。

芥川龍之介。誰もが知ってる作家。
『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』などで教科書で出てきますね。

現代社会で、すごい作家として祭り上げられてしまった芥川。
もちろん遺稿の『歯車』などは表舞台には立たされない。
狂女や目鼻のある歯車が登場するこの作品。

これを読んでわからない場合は、まだ正常だと言うことなんです。

かくして76年前の7/24に自ら命を絶った芥川は35歳でした。


こんな話ばかりしていた、教師。



「先生、僕。将来は文学者になりたいです」
中学3年生が、こんなことを言い出した。


(ちょっとやりすぎたかなぁ)
こんな思いが私の脳裏に走る。


そんな心配をよそに、
中学3年生のヒデは文学者を目指すという。

(続く)


2003年05月04日(日) ヒデ(5)

「文学」といっても、今はきちんと通じるのだろうか?

いわゆる純文学とは何か?と聞かれた場合、
思い起こすのは学校時代の授業がほとんどではないか。


よくある国語の問題で、
「傍線部の主人公の気持は次のうちでれか?」
「傍線部の作者の心情を○○字以内で述べよ」
といったものがある。

さぁ、これは暗記してたら正解出来るようなものじゃない。

うんん?
でも、人の気持を正解・不正解って、さらに人が判断していいのかな。
そんな主観的な事に○×つけていいのですか?

国語で暗記部分は
漢字の読み書き、文法(口語・古文・漢文)、文学史といった感じ。
現代文の読解はセンスといわれることも、けっこうある。

が、しかし。
センスに点数つけていいですか?


ココをうまく説明出来ないと、
みんな国語嫌いになってしまいます。

国語教師の役目はまずココなんです。


例えばヒデの質問はこうだった。
「太宰はわかりますが、鴎外はよくわかりません」

こういう問いは、ちゃんと答えてやる必要がある。
アンタは両方わかってませんね、って。


私も若かった。
でも、ヒデの方がもっと若かった。

(続く)


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