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ココマデキタヨ日記
ユウマ
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2003年01月18日(土)
とおせんぼ

行き詰まってしまった。
今日は卒論やる気だったのに、
パソコンの点滅するカーソルを見つめたままで、
1字も書けなかった。
考えて考えて、具体的に何を書きたいのか、
モヤモヤしたものを必死につかんで、
形にして、言葉にして、
足りない部分を調べて整理をして、
つなげるものをつなげて、
まるでパズルのようにピースを組み合わせて行く。
そんな作業をしながら1字も論文にできず、
1日が過ぎてしまった。

いままでゆっくりやりすぎたツケなのか、
間に合うだろうけど、
こう言う日があるとちょっと焦る。
深夜を越えてようやく文字になった。
たった400字進んだだけだけど、
月面着陸したアームストロング船長が言った。
「この一歩は私にとって小さな一歩だが、
 地球にとって大きな一歩である」
この400字はオレの卒論にとってそんな400字である。
あさってまでに大抵は終わらせたいんだけどなぁ。



2003年01月17日(金)
お酒に呑まれる

二日酔いで体調不全。
つくづくお酒に弱いことを実感。
めちゃ腹痛くて急性アルコール中毒で
死ぬかと思った。
そんな飲んでへんかったのに。
後味もすっきりする飲み方がしたいわ。



2003年01月16日(木)
芽桜

「芽桜」
それはオレらの合い言葉。
運転免許の合宿で2週間泊まった福井駅近くの宿の名前。
今日、その仲の良いメンバーで集まって酒を飲んできた。
う〜ん、やっぱり楽しい。

オレらが福井で出会ったのは2年前、
桜の芽が付く頃の3月始めだった。
雪の降る中での合宿免許。
それは出会いの花が咲く芽だった。

偶然にしてホテルの名前が「芽桜」
この言葉の響きは一生忘れないだろう。
出会いは桜の芽なのだと。




2003年01月15日(水)
パートナーシップ

テスト受けました。
まちづくりの専門家が講義してくれる
市民参加論と言う授業。
1年ほど前にゼミのフィールドワークで
中心市街地活性化適用地域である伏見の
大手筋商店街を訪れた際に、
TMO(Town Maneagement Organization)である
まちづくり会社のお偉いさんから話しを聞いたことがある。
その資料を持ちこんで書き書き。

実は卒論の内容に市民参加論の
パートナーシップの部分がかぶっていて、
ラッキー!!
日々のお勉強はどっかでまた役に立って、
その使いまわしやな。
うんうん。




2003年01月14日(火)
コツコツ

千里の道も一歩から。
卒論早く終わらせたいケロ。
タイムリミットまであと10日。

癒し系銭湯にちょーさんとGO。
銭湯同好会は右京区を重点的に攻めている
最近でございます。



2003年01月13日(月)
レンブラント

肖像画の天才レンブランド。
その絵画展をお目に掛かれるのは日本の京都とドイツのみと
たいへんな珍しい機会だという。
京都国立博物館での大レンブランド展は大盛況だった。
昨日、奈良に行く前に見ていこうかと思って、
足を運んでみると80分待ちの入場制限。
人ごみうんざり症のオレはもちろんうんざりした。
そんで出直すことにして、今日朝早くに訪れたわけ。
それでも30分待ちの入場制限。

その卓越なる細やかな描写と陰陽の使い分けが
絶妙としか言いようがない。
筆のタッチであれほど写実的かつ絵画的に表現できる
その描写力は感嘆を上げずにはおれず、
よくこんなのが描けるもんだと、
何度も遠くからまた近づいては驚く。
いいなぁーと思うのではなく、
すごいなぁーと思わせられる秀作ばかり。
オレ的にそこまで好きな絵ではなかったが、
こんなにも人が集まるのもうなずける。
ただ肖像画ばかりなので、少々飽きが入った。
群集の中から絵を眺めるのにも疲れた。
もうちょっとゆっくりとしたかったのが本音だ。



2003年01月12日(日)
嗚呼、若草の山

大学生になって今までと決定的に変化したのは感性だ。
それまでは体育会系であったためか、
芸術的なことなどに興味は薄かった。
自然遺産、文化遺産に甚く感激を覚えるようになったのは、
風情溢れる「京都」という土地柄のせいであろうか。
自由な時間におのれの湧き起こる好奇心を押さえられず、
京都を始め、全国津々浦々を歩きまわり、
日本という国の奥やかしき文化に触れるたび、
心はときめき踊っていた。

奈良の都を見下ろす若草山。
この山は三笠山の通称としていにしえの歌に幾度も姿を現し
  あまのはら ふりさけみれば かすがなる
         みかさのやまに いでしつきかも
と読んだ安部仲麻呂の歌は有名過ぎるほどである。
他にも藤原定家など多くの歌人が題材にしている。
  さしのぼる 三笠の山の 峰からに
          又たぐひなく さやかなる月(定家)

若草山焼きに、
4年目にしてついに出会うことができた。
3年間は行きたく思いながらも実現せずに、一日千秋。
7年ぶりの奈良公園。
興福寺や東大寺に興奮。やっぱり迫力はすごい。
名物のシカも目がつぶらでかわいかった。
お目当ては奈良公園の池の横から眺めることにした。
花火が上がったあと、
ゆらゆらとゆっくり山が炎に染まってゆく姿を見せられると、
オレの身体中に伝わるのは、
表現しがたいほど静かな感動の連なりであった。
やまとの国の先人の知恵は意味を成さなくなった現代でも
未だこうも伝えられ続いているのだなぁ。





2003年01月11日(土)
ブッチのめす。

やってしまいました。
今日はゼミのフィールドワークで、
八幡市のエコ商品を開発している会社訪問、
の予定であったのに、
すっかり丸忘れしていて、ブッチしてしまった。
あぁ〜どないしよ。
たぶん、待たせてしまったやろうな。
「忘れてました」なんて言ったら
東大出身の花マリ先生から昇竜拳がでるやろうな。
ついつい卒論に夢中で、女にも夢中で、
頭の中から忘却していた。
この際はやっぱり仮病を使うべきか。
それとも真実を話して許しを請うか。
ふう。



2003年01月10日(金)
今日、原付バイクで

ちょーさんとおなじみのバイクで写真の旅な1日。
東福寺行ってカメラパシャパシャ。
山科までちょっとマニアックな峠越えで、
山科一望のベストスポットを発見。
上醍醐寺まで原付を走らせて、
宇治方面の絶景を拝む。
そこからダートを下り、
戻ってきて天下一品でラーメン。
そのあと、昭和初期にできた、
アンティークな銭湯でポカポカ。
いやぁーフルコースやね。
遊んだーって感じがすげーするわ。




2003年01月09日(木)
非公開日記

この日記の正面にユウマと言う人物の日常を
興味を抱いてのぞいているあなたさんがいる。
という事実はオレにとって歓喜でもあり恐怖でもあった(過去形)。
そう、だからついつい
都合の良いことばかり書いてしまう。
そんな気がしてんだニャ。
時にうれしきことあれば多くを書き、
時に憂いことあれば書きこみせず、
時に知られたくない秘密あれば触れず、
なんてわがままなんだニャ。
そんなら非公開にするべきであり、
こんなネット社会に身を委ねるべきでない。
要するにせこい奴なんだワン、オレは。

しかし日記ってもんに
全てをアズケル気持ちには成れません。
でも、過激なことでも
もっと真実に近いオレのココマデキタを書きたい。
そうすることで何かをディスカバリーしたい。

影ながら今まで読んでくれた人、ごめんなさい。
もっとわがままになります。
ニーチェは言う。
“怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。
長いあいだ、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。”
この日記が怪物にならぬことを祈ろう。




2003年01月08日(水)
もてなし

オレが女の子にもてないからもてなしではない。
オレがもててももてなしはする。
もてないからもてなしのことを書いているわけでもない。
昨日テレビのニュース23で特区の医療制度大改革の特集を
していたからちょっと書いてみただけ。

病院を英語で言うとhospitalである。
これは「もてなし」の意味から来ているのは周知である。
ラテンの国では外国人の友人を
自宅で手厚くもてなす習慣があり、
その友のことを hospes (ホスペス) と呼んだ。
英語で「もてなし」のことを hospitality と言うが、
その hospes (異国の友)がその語源。

外国人医師の先端医療行為が今まで容認されていなかったらしい。
日本は「外国人医師=異国の友」に対しもてなしがないのだ。
そんな病院がhospitalと呼べていたのか。いや呼べない。

規制緩和の改革によって病院や農業法人もついに株式会社に
なることができるようになる。
いよいよ時代が変わるなって感じがするなぁ。
オレが社会人になってから、
もしかしたらオレが行く会社も何年後かに株式会社になったりして。
そんな気がしてならない。
すげーそんな気がする。

卒論の話をしに、
ダダん家にひさびさ遊び行った。
あすこは居心地いいねえ。



2003年01月07日(火)
貧乏その2

司馬遷は「史記」で竹馬の友や親族関係を
容易くも壊すのは「利」であると説いていた。
それだけにやはり「お金」が絡むことは、
慎重かつ勇気を持って取り組まねばならぬと、
オレは二十歳を過ぎ、達観した。

日本縦断から2ヶ月が過ぎ、
ようやくお金が少々貯まってきた。
しかし海外1回分ぐらいなもんで、
お年玉なんてもらえるはずないし、
そんなんじゃ満足でけへん。
オレはリーサルウェポンを開放するしかないと結論。
成績優秀で無償で頂いた奨学金50万円を
親から譲ってもらう相談をすることにした。

おふくろはマジで厳しい。
お金に関してはことさら特にそうなのだ。
「ある範囲内で何とかしなさい!!」
それがおふくろの絶対的ポリシーなのだ。
運転免許資金も全く払ってくれへん。
国民年金も払ってくれへん。
入学祝い金は全額持ってかれるし、
育英会奨学金の借金250万円もオレ持ち。
お年玉はなし。
4年間実質仕送り3万円。
ほんまに甘くない。
だから勇気を持って小細工ナシのもろ単刀直入に
「お金のことなんだけど」と電話で切り出した。
少々口論になった。
だけど絶対こっちも譲れなかったので、
言い返した。
おふくろ思いっきり不機嫌になってたけど、
なんとか交渉成立にこぎつけれた。

ふぅ〜
おふくろはまだ根に持っていた。
オレが学校推薦で横浜市立大学に行かなかったことを。
高校の時成績が良かったから、
市大の推薦取れることがほぼ確実であって、
なのに、推薦を取らずに一般受験に身を捧げ、
あげくに市大よりも偏差値の低い私大に入学したことを。
市大に行けばたぶん4年間で160万円ほどの授業料で
済んだのだ。
今の6分の1程度の出費で良かったはずだ。
親としてはそっちのほうが大助かりだろうね。

まあこれで旅ができる。
いよいよ動き出すかな。








2003年01月06日(月)
貧乏その1

――――――――――――――――――――――――――――
「中卒のウェイターじゃ、恋人にはなれても亭主になる
資格はないってわけか。ひどい話だな」安男は言った。
「優子は幸福を探してたの」
「そうかな。人間の幸福は、惚れた相手と一緒になる
ことじゃないかな。」
母はきっぱりと言った。
「幸福はお金で買える」
母らしくない言葉だと安男は思った。
少なくとも、好んで母が口にする言葉ではない。
「そんなことないって言うのは、贅沢な育ちをした人よ。
とことん貧乏をすれば、幸福がお金で買えることはわかるわ。
だから優子は賢いと思う。幸福のために秋元さんを選んだの」
――――――――――――――――――――――――――――
「天国までの百マイル」浅田次郎 より抜粋

貧乏と贅沢の境界線がどこにあるのか、
全く認識はできないが、
オレはお金の不自由のつらさを
この大学4年間で苦々しいほど、痛感させられた。
アルバイトをしていれば「それなりの生活」ならできたが、
「それなりの生活」をすることは耐えがたい屈辱だと
痛々しいほど感じずにはいられなかったのだ。
バイトなどせずともそれなり以上の生活ができる輩ばかり
のさぼっていたからだ。
絶対そんな奴らよりもこの大学4年で素晴らしいものを
得なくてはならないと家賃2万8千円のアパートで、
何度も吼えた。
「それなり」で埋もれるのが恐ろしいほど
理不尽だと思わずにはいられない。
オレは家賃を滞納しようが飯に困ろうが身体を壊そうが、
わずかなお金を注ぎ旅に夢中になった。

しかし未だに膝をつくほど愕然とする。
苦労してお金を手にするオレに対して、
幾人かはなんと簡単にお金が舞い込んでくるのか。
境遇とはこんなに不公平なのか。

「お金で幸福は買える」
心身からあふれるぐらい実感する。
お金がなくても幸福になれるかもしれないけど、
お金で幸福は買える。
これは真理だと思うのだ。
オレのお金への執着はこの4年間で
ヘビー級になった。
将来はすんっげぇ金持ちになりたいと強く思う。

だが、知っている。
きっと大学に行かせてもらえない人から見れば、
オレも贅沢な人々の1人なのだ。

苦しさのあまりおふくろに
「うちは貧乏。」と吐き捨てるように
一度言ったことがあった。
おふくろは怒った。
すごく怒っていた。
もしかしたらむしろ、
母親のほうが痛感していたのかもしれない。
お金の力を。
きっとおふくろから見たらオレは贅沢人なのだろう。







2003年01月05日(日)
最後のクラブラン

延期になっていた毎年恒例愛宕ラン。
実はすげぇー楽しみで、
延期になってからずっと落ち着かなかってん。

毎年雪が見られる貴重なクラブラン。
4回生で唯一4年連続の愛宕ラン参加の理由は、
前期後期通してオレが一番好きなコースだから。
これで今年も終わりだなぁ〜と
感慨深くなるところも好きだ。
思い入れは絶大。

1年目の愛宕ランはひかりちゃんの初参加クラブランだった。
「この子大丈夫かなァ」と思っていたけど、
持ち前の図太さで難コースを走破!!
いきなりあんなとこ走らされたら普通、怖じ気つくと思ったんだけど、
そんなことなかったみたいで、変わった子やなぁと思った。

2年目は愛宕神社階段ダッシュ勝負をした。
そのせいでさすがに足の筋肉がやられて重くなった。
下りで足がふんばれなくなって、相当きつかった。
帰りは真っ暗な逆六丁峠越えだった。

3年目は時間の遅れと積雪で愛宕神社を断念。
だけど、雪合戦がめちゃ燃えた。
一時は身体が冷え切ってやばかったのに、
雪合戦をやったら温かくなってた。
お地蔵さんの前であんなことしてバチ当たりなのに、
誰もが夢中だったなぁ。

4年目が一番天気が良かった。
本当に最後のクラブランになるんだけど、
そんな気は全くせえへんかった。
京都市街がめっちゃ綺麗に見えて感動。
街が赤く染まっているのを見てると、
自分が心から京都が好きなんだなぁと
思えた。
歩いてでも愛宕神社まで行こうと言った、
執行部に感謝。
最後にふさわしいクラブランだったと思うよ。



2003年01月04日(土)
京都の古寺庭園のお正月

なぜか早起きだー。
5時に目が覚めて朝からテレビ見たり、
新聞を読んだりダラダラしてた。
最近引きこもりぎみの部屋から
外を眺めると青空が見えて、
かなり天気の良いことに気づいて、
洗濯をしに飛び出して、
なんだかそんだけじゃもったいなくて、
どっか庭園でも眺めようと思い付く。
京都のお寺はかなり見て回っていたので、
新しいマイナーな人が誰も来ない静かな場所を探した。

岩倉の実相院の池泉回遊式庭園をチェック!!
京都盆地の奥地にあったので、こりゃあ穴場。
原付バイクを寒さに凍えながら飛ばし、
そこに着くと閑静な住宅地の山隣りにあった。

立派な門構えをくぐり拝観料を払い
中庭に出ると別世界!!
少々余計なものが見えるが、
人気は少なく雰囲気は抜群。
縁側で座って眺めていると、
青空が消え雪が降ってきたので、
中に入って真ん中だけガラス張りの障子の窓越しに
飲み放題の竹茶をすすりながら、
ストーブの火にあたり、
庭園に降る雪をしばらく眺める。
他にも狩野派の襖絵があり、
狩野永徳、狩野元信の作品などは
見ごたえ大あり!!!
結局2時間ほどぼーっと気分は室町時代。
総合力なら今まで見た庭園でベスト3に入ります。
いやぁー京都に住んでるっていいねぇ〜




2003年01月01日(水)
この場所から

君と会えてよかったと思える恋でも
僕たち以外の何かの力を待って
この場所にとどまることはできない
僕の願いを果たすために
駆け出す一足一足が
例え僕たちを遠ざけることになっても
それは仕方のないのだから

夕日の中で困った顔をする君を見て
心から好きだと思う
君が僕のものでないことが悔やまれるほど
確かに思う
君は僕に愛されたという事実を
金ピカのバッジにして胸にはって
歩いていくんだよ

もしかしてずっと一緒にいられたら
それがいちばんいいから
もう何も考えないようにしようよ
もう何も迷わないようにしようよ

この場所から

_____________________
銀色夏生「わかりやすい恋」より抜粋

出会いっていうのは理屈じゃないんだと思う。
理屈があって、親がいて、友達がいて、恋人がいる。
そういうわけではないと思う。
血がつながってなくても、親子関係はありだし、
嫌いな奴なのに友達やってたり、
きっかけは平凡でも恋人同士になったりする。
出会いっていうのは理屈じゃないんだと思う。
銀色夏生がこの詩で
「もう何も考えないようにしようよ」
と書いている。
それは出会いと言うのは理屈じゃないから
考えるべきものではないし、
迷うべきものでもない。
とどまることのできない時間の中だから
“この場所から”も動いていくに違いない。
そしてそれは考えてもしょうがないもんで、
“僕たち以外の何かの力”でつき動かされて行く。
出会いは理屈じゃないところに面白さやドラマがあるんだと思う。

銀色夏生の詩はまともに読んでいると、
結構言葉がストレートで照れるほどクサイ。
だけど、かなり懐が深い詩が多いのでおもしろく、
中学時代に読み漁った。

なぜ新年早々からこんなことを書いたかというと、
オレにとって今年は転機の年であり、
新しい出会いの連続になる予感がするからだ。
理屈なき出会いに戸惑い躊躇することなく、
“この場所から”一歩一歩進んで行かなければならないのだ。
そう思った。

遅れながら挨拶。
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
後輩の実家のお寺で、
除夜の鐘を聞きつつ酒に酔い、
いい形で新年を迎えることができました。
今年も心から皆さんにとって幸せでありますように。